源氏物語 14帖 澪標:あらすじ・目次・原文対訳

明石 源氏物語
第一部
第14帖
澪標
蓬生

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 澪標(みおつくし)のあらすじ

 光源氏28歳10月から29歳冬の話。

 罪を許された光源氏は都に返り咲き、蟄居前の官位・右大将から大納言へ昇進。参内の日を迎えた。清涼殿へ行き、兄朱雀帝と3年ぶりに再会。兄弟水入らずの時を過ごし、その後東宮と再会。長男・夕霧は殿上童として東宮に仕えていた。

 東宮が元服を迎えたのを期に、朱雀帝は位を退いた。一方明石の御方は無事姫君を出産、源氏は将来后になるであろう姫君のために乳母と祝いの品を明石へ送るが、そんな源氏の姿に子のない紫の上は密かに嫉妬する。

 秋になり、源氏は住吉へ盛大に参詣した。偶然同じ日に来合わせた明石の御方は、そのきらびやかな様子に気おされ、改めて源氏との身分の差を思い知らされる。藤原惟光の知らせで御方が来ていたことを知った源氏は、声もかけられずに去った御方を哀れに思い、使いを送って歌を交わした。

 その頃六条御息所も娘の斎宮共々都へ戻っていたが、御息所はその後病に倒れ、しばらく会わずにいた源氏も見舞いに赴く。死期を悟った御息所は源氏に娘の将来を託し、決して愛人にはしないよう釘を刺して世を去った。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。

(以上Wikipedia澪標(源氏物語)より。色づけは本ページ。続いて以下の下りがあるが、これは本巻ではなく17絵合冒頭の内容)

 斎宮は二条東院へと引き取られ、子供がいない紫の上は大層喜び世話を焼く。しばらくして、入内の日。斎宮の晴れ姿に、御息所の代から仕える女房たちはこの場に御息所がいないことを惜しみ、感涙する。朱雀帝からは、祝いの品々と共に、文が寄せられた。内裏へ入った、斎宮は梅壺に殿舎が決まり、これ以降、斎宮女御と呼ばれる。

目次
和歌抜粋内訳#澪標(17首:別ページ)
主要登場人物
 
第14帖 澪標(みおつくし)
 光る源氏の
 二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで
 内大臣時代の物語
 
第一章 光る源氏 政界領導と御世替わり
第二章 明石の物語 明石の姫君誕生
第三章 光る源氏 新旧後宮女性の動向
第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅
第五章 光る源氏 冷泉帝後宮の入内争い
 
 
第一章 光る源氏の物語
 光る源氏の政界領導と御世替わり
 第一段 故桐壺院の追善法華御八講
 第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執
 第三段 東宮の御元服と御世替わり
 
第二章 明石の物語
 明石の姫君誕生
 第一段 宿曜の予言と姫君誕生
 第二段 宣旨の娘を乳母に選定
 第三段 乳母、明石へ出発
 第四段 紫の君に姫君誕生を語る
 第五段 姫君の五十日の祝
 第六段 紫の君、嫉妬を覚える
 
第三章 光る源氏の物語
 新旧後宮女性の動向
 第一段 花散里訪問
 第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍
 第三段 旧後宮の女性たちの動向
 第四段 冷泉帝後宮の入内争い
 
第四章 明石の物語
 住吉浜の邂逅
 第一段 住吉詣で
 第二段 住吉社頭の盛儀
 第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず
 第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る
 第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる
 
第五章 光る源氏の物語
 冷泉帝後宮の入内争い
 第一段 斎宮と母御息所上京
 第二段 御息所、斎宮を源氏に託す
 第三段 六条御息所、死去
 第四段 斎宮を養女とし、入内を計画
 第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執
 第六段 冷泉帝後宮の入内争い
出典
校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
二十八歳から二十九歳
呼称:源氏の君・源氏の大納言・源氏の大殿・大殿・大殿の君・内大臣殿・君
頭中将(とうのちゅうじょう)
故葵の上の兄
呼称:宰相中将・権中納言
桐壺院(きりつぼのいん)
光る源氏の父
呼称:院・故院・院の帝・主上
朱雀院(すざくいん)
光る源氏の兄
呼称:主上・帝・院・主上・内裏
冷泉帝(れいぜいてい)
光る源氏の弟
呼称:春宮・当代・主上・内裏
弘徽殿大后(こうきでんのおおぎさき)
朱雀帝の母后
呼称:大后・大宮
藤壺の宮(ふじつぼのみや)
冷泉帝の母
呼称:母宮・入道后の宮・入道の宮
朧月夜君(おぼろづきよのきみ)
朱雀帝の妻
呼称:内侍の君・尚侍の君・督の君・女君
花散里(はなちるさと)
源氏の愛人
呼称:花散里
紫の上(むらさきのうえ)
光る源氏の妻
呼称:女君
明石の君(あかしのきみ)
明石入道の娘
呼称:明石・子持ちの君・明石の人・女君
明石の姫君(あかしのひめぎみ)
源氏の娘
呼称:稚児・若君
宣旨の娘(せんじのむすめ)
明石の姫君の乳母
呼称:宣旨の娘
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
源氏の愛人
呼称:御息所・故御息所・母御息所
齋宮(さいぐう)
六条御息所の娘
呼称:宮
弘徽殿女御(こうきでんのにょうご)
頭中将の娘
呼称:御女・姫君

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

  定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  澪標(みおつくし)
 
 

第一章 光る源氏の物語 光る源氏の政界領導と御世替わり

 
 

第一段 故桐壺院の追善法華御八講

 
1  さやかに見えたまひし夢の後は、院の帝の御ことを心にかけきこえたまひて、「いかで、かの沈みたまふらむ罪、救ひたてまつることをせむ」と、思し嘆きけるを、かく帰りたまひては、その御急ぎしたまふ。
 神無月に御八講したまふ。
 世の人なびき仕うまつること、昔のやうなり。
 
 夢にはっきりとお見えになった後は、源氏の君は故院の帝の御ことを心にお掛け申し上げになって、「何とかして、あの沈んでいらっしゃるという罪障を、お救い申し上げることをしたい」と、お思い嘆きになっていらっしゃったが、このように都にお帰りになってからは、そのご準備をなさる。
 神無月に御八講をお催しになる。
 世間の人が追従し奉仕することは、昔と同じ有り様である。
 
2  大后、御悩み重くおはしますうちにも、「つひにこの人をえ消たずなりなむこと」と、心病み思しけれど、帝は院の御遺言を思ひきこえたまふ。
 ものの報いありぬべく思しけるを、直し立てたまひて、御心地涼しくなむ思しける。
 時々おこり悩ませたまひし御目も、さはやぎたまひぬれど、「おほかた世にえ長くあるまじう、心細きこと」とのみ、久しからぬことを思しつつ、常に召しありて、源氏の君は参りたまふ。
 世の中のことなども、隔てなくのたまはせつつ、御本意のやうなれば、おほかたの世の人も、あいなく、うれしきことに喜びきこえける。
 
 弘徽殿の太后は、御病気が重くいらっしゃる間でも、「とうとうこの人を失脚させることができないで終わってしまうことよ」と、悔しくお思いになったが、帝は故院の御遺言をお考えあそばす。
 きっと何かの報いがあるにちがいないとお思いになったが、源氏の君を復位おさせになって、御気分がすがすがしくなるのであった。
 時々眼病が起こってお悩みあそばした御目も、さわやかにおなりになったが、「おおよそ長生きできそうになく、心細いことだ」とばかり、在位も長くないことをお考えになりながら、いつもお召しがあって、源氏の君は参内なさる。
 政治の事なども隔意なく仰せになり仰せになっては、それが御本意のようなので、世間一般の人々も他人事ながらも、嬉しいこととお喜び申し上げるのであった。
 
 
 

第二段 朱雀帝と源氏の朧月夜尚侍をめぐる確執

 
3  下りゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、尚侍、心細げに世を思ひ嘆きたまひつる、いとあはれに思されけり。
 
 御譲位なさろうとの御配慮が近くなったのにつけても、尚侍の君が心細げに身の上を嘆いていらっしゃるのを、とてもお気の毒に思し召されるのであった。
 
4  「大臣亡せたまひ、大宮も頼もしげなくのみ篤いたまへるに、我が世残り少なき心地するになむ、いといとほしう、名残なきさまにてとまりたまはむとすらむ。
 昔より、人には思ひ落としたまへれど、みづからの心ざしのまたなきならひに、ただ御ことのみなむ、あはれにおぼえける。
 立ちまさる人、また御本意ありて見たまふとも、おろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむと思ふさへこそ、心苦しけれ」
 「父大臣がお亡くなりになり、姉の大后も頼りなくばかりいらっしゃる上に、わたしの寿命までもが長くないような気がするので、とてもお気の毒に、これまでとはすっかり変わった状態で後に残されることでしょう。
 以前から、あの人よりわたしを軽く思っておいでですが、わたしの愛情はずっと他の誰よりも深いものですから、ただあなたのことだけを、愛しく思い続けてきたのでした。
 わたし以上の人が、再び望み通りになってご結婚なさっても、並々ならぬ愛情だけは及ばないだろうと思うのさえたまらないのです」
5  とて、うち泣きたまふ。
 
 と言ってお泣きあそばす。
 
6  女君、顔はいと赤く匂ひて、こぼるばかりの御愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる。
 
 女君は顔が赤くそまってこぼれるばかりのお美しさで涙もこぼれたのを、帝は一切の過失を忘れて、しみじみと愛しい、と御覧にならずにはいらっしゃれない。
 
7  「などか、御子をだに持たまへるまじき。
 口惜しうもあるかな。
 契り深き人のためには、今見出でたまひてむと思ふも、口惜しや。
 限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし」
 「どうして、せめて御子だけでも生まれなかったのだろうか。
 残念なことよ。
 ご縁の深いあの方のためでしたら、今すぐにでもお生みになるだろうと思うにつけても、たまらないことよ。
 しかし身分に限りがあるので、臣下としてお育てになるのだろうね」
8  など、行く末のことをさへのたまはするに、いと恥づかしうも悲しうもおぼえたまふ。
 御容貌など、なまめかしうきよらにて、限りなき御心ざしの年月に添ふやうにもてなさせたまふに、めでたき人なれど、さしも思ひたまへらざりしけしき、心ばへなど、もの思ひ知られたまふままに、「などて、わが心の若くいはけなきにまかせて、さる騷ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいはず、人の御ためさへ」など思し出づるに、いと憂き御身なり。
 
 などと、先々のことまで仰せになるので、とても恥ずかしくも悲しくもお思いになる。
 お顔などは、優雅で美しくて、この上ない御愛情が年月とともに深まってお扱いあそばすのに対して、源氏の君は、素晴らしい方ではあるが、それほど深く愛してくださらなかった様子や気持ちなどが、自然と物事がお分かりになってくるにつれて、「どうして自分の思慮の若く未熟なのにまかせて、あのような事件まで引き起こして、自分の名はいうまでもなく、あの方のためにさえ」などとお思い出しになると、まことにつらいお身の上である。
 
 
 

第三段 東宮の御元服と御世替わり

 
9  明くる年の如月に、春宮の御元服のことあり。
 十一になりたまへど、ほどより大きに、おとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つに写したらむやうに見えたまふ。
 いとまばゆきまで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ。
 
 翌年の二月に、春宮の御元服の儀式がある。
 十一歳におなりだが、年齢以上に大きくおとならしく美しくて、まるで源氏の大納言のお顔をもう一つ写したようにお見えになる。
 たいそう眩しいまでに光り輝き合っていらっしゃるのを、世間の人々は素晴らしいこととお噂申し上げるが、母宮は、たいそうはらはらなさって、どうにもならないことにお心をお痛めになる。
 
10  内裏にも、めでたしと見たてまつりたまひて、世の中譲りきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。
 
 主上におかせられても、御立派だと拝しあそばして、御位をお譲り申し上げなさる旨などを、親しくお話し申し上げあそばす。
 
11  同じ月の二十余日、御国譲りのことにはかなれば、大后思しあわてたり。
 
 同じ月の二十日過ぎに、御譲位の事が急だったので、大后はおあわてになった。
 
12  「かひなきさまながらも、心のどかに御覧ぜらるべきことを思ふなり」  「何の見栄えもしない身の上となりますが、ゆっくりとお目にかからせていただくことを考えているのです」
13  とぞ、聞こえ慰めたまひける。
 
 といって、お慰め申し上げあそばすのであった。
 
14  坊には承香殿の皇子ゐたまひぬ。
 世の中改まりて、引き変へ今めかしきことども多かり。
 源氏の大納言、内大臣になりたまひぬ。
 数定まりて、くつろぐ所もなかりければ、加はりたまふなりけり。
 
 春宮には承香殿の皇子がお立ちになった。
 世の中が一変して、うって変わってはなやかなことが多くなった。
 源氏の大納言は、内大臣におなりになった。
 大臣の席がふさがって余裕がなかったので、定員外の大臣としてお加わりになったのであった。
 
15  やがて世の政事をしたまふべきなれど、「さやうの事しげき職には堪へずなむ」とて、致仕の大臣、摂政したまふべきよし、譲りきこえたまふ。
 
 ただちに政治をお執りになるはずであるが、「そのような多忙な重責には耐えられない」と言って、致仕の大臣に摂政をなさるようにお譲り申し上げなさる。
 
16  「病によりて、位を返したてまつりてしを、いよいよ老のつもり添ひて、さかしきことはべらじ」  「病気を理由にして官職をお返し申し上げたのに、ますます老齢を重ねて、立派な政務はできますまい」
17  と、受けひき申したまはず。
 「人の国にも、こと移り世の中定まらぬ折は、深き山に跡を絶えたる人だにも、治まれる世には、白髪も恥ぢず出で仕へけるをこそ、まことの聖にはしけれ。
 病に沈みて、返し申したまひける位を、世の中変はりてまた改めたまはむに、さらに咎あるまじう」、公、私定めらる。
 さる例もありければ、すまひ果てたまはで、太政大臣になりたまふ。
 御年も六十三にぞなりたまふ。
 
 と、ご承諾なさらない。
 「外国でも、事変が起こり国政が不穏な時には深山に身を隠してしまった人でさえも、平和な世には白髪になったのも恥じず進んでお仕えする人を、本当の聖賢だと言っていた。
 病に沈んで、お返し申された官職を、世の中が変わって再びご就任なさるのに何の差支えもない」と、朝廷や世間ともにお決めになられる。
 そうした先例もあったので、辞退しきれず、太政大臣におなりになる。
 お歳も六十三におなりである。
 
18  世の中すさまじきにより、かつは籠もりゐたまひしを、とりかへし花やぎたまへば、御子どもなど沈むやうにものしたまへるを、皆浮かびたまふ。
 とりわきて、宰相中将、権中納言になりたまふ。
 かの四の君の御腹の姫君、十二になりたまふを、内裏に参らせむとかしづきたまふ。
 かの「高砂」歌ひし君も、かうぶりせさせて、いと思ふさまなり。
 腹々に御子どもいとあまた次々に生ひ出でつつ、にぎははしげなるを、源氏の大臣は羨みたまふ。
 
 世の中がおもしろくなかったことにより、それが一つの理由で隠居していらしたのだが、また元のように盛んになられたので、ご子息たちなども不遇な様子でいらしたが、皆よくおなりになる。
 とりわけて、宰相中将は、権中納言におなりになる。
 あの四の君腹の姫君が十二歳におなりになるのを、帝に入内させようと大切にお世話なさる。
 あの「高砂」を謡った君も、元服させて、たいそう思いのままである。
 ご夫人方にご子息方がとてもおおぜい次々とお育ちになって、にぎやかそうなのを、源氏の内大臣は羨ましくお思いになる。
 
19  大殿腹の若君、人よりことにうつくしうて、内裏、春宮の殿上したまふ。
 故姫君の亡せたまひにし嘆きを、宮、大臣、またさらに改めて思し嘆く。
 されど、おはせぬ名残も、ただこの大臣の御光に、よろづもてなされたまひて、年ごろ、思し沈みつる名残なきまで栄えたまふ。
 なほ昔に御心ばへ変はらず、折節ごとに渡りたまひなどしつつ、若君の御乳母たち、さらぬ人びとも、年ごろのほどまかで散らざりけるは、皆さるべきことに触れつつ、よすがつけむことを思しおきつるに、幸ひ人多くなりぬべし。
 
 大殿の姫君腹の若君は、誰よりも格別におかわいらしくて、内裏や春宮御所の童殿上なさる。
 故姫君がお亡くなりになった悲しみを、母宮と大臣は、改めてお嘆きになる。
 しかし、亡くなられた後も、まったくこの大臣のご威光によって、なにもかも引き立てられなさって、ここ数年、思い沈んでいらした跡形もないまでにお栄えになる。
 やはり昔とお心づかいは変わらず、事あるごとにお渡りになっては、若君の御乳母たちやその他の女房たちにも、この長い年月の間暇を取らずにいた人々には、皆適当な機会ごとに便宜を計らっておやりになることをお考えおきになっていたので、幸せ者がきっと多くなったことであろう。
 
20  二条院にも、同じごと待ちきこえける人を、あはれなるものに思して、年ごろの胸あくばかりと思せば、中将、中務やうの人びとには、ほどほどにつけつつ情けを見えたまふに、御いとまなくて、他歩きもしたまはず。
 
 二条院でも、同じようにお待ち申し上げていた人々を殊勝の者だとお考えになって、数年来の胸のつかえが晴れるほどにとお思いになると、中将の君や中務の君のような人たちには、身分に応じて情愛をかけておやりになるのでお暇がなくて、外歩きもなさらない。
 
21  二条院の東なる宮、院の御処分なりしを、二なく改め造らせたまふ。
 「花散里などやうの心苦しき人びと住ませむ」など、思し当てて繕はせたまふ。
 
 二条院の東にある邸は、故院の御遺産であったのを、またとなく素晴らしくご改築なさる。
 「花散里などのようなお気の毒な人々を住まわせよう」などと、お考えで修繕させなさる。
 
 
 

第二章 明石の物語 明石の姫君誕生

 
 

第一段 宿曜の予言と姫君誕生

 
22  まことや、「かの明石に、心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。
 とく帰り参りて、
 そうそう、「あの明石で、気がかりな様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公私にわたる忙しさにまぎれて、思うようにお尋ねにもなれなかったのだが、三月の初めころに、「出産はこのごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。
 急いで帰参して、
23  「十六日になむ。
 女にて、たひらかにものしたまふ」
 「十六日でした。
 女の子で、ご無事でございます」
24  と告げきこゆ。
 めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろかならず。
 「などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。
 
 とご報告する。
 久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。
 「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
 
25  宿曜に、  宿曜の占いで、
26  「御子三人。
 帝、后かならず並びて生まれたまふべし。
 中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」
 「お子様は三人。
 帝、后が必ず揃ってお生まれになるであろう。
 その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
27  と、勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。
 おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。
 みづからも、「もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。
 
 と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。
 おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうことを、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらっしゃったが、今上の帝が、このように御即位あそばされたことを、予言の通りに嬉しくお思いになる。
 ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
 
28  「あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、宿世遠かりけり。
 内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」
 「故院は、大勢の親王たちの中で、わたしを特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。
 主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
29  と、御心のうちに思しけり。
 今、行く末のあらましごとを思すに、
 と、ご心中お思いになるのであった。
 今、これから先の予想をなさると、
30  「住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。
 さるにては、かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。
 このほど過ぐして迎へてむ」
 「住吉の神のお導きは、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。
 そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。
 いましばらくしてから迎えよう」
31  と思して、東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。
 
 とお考えになって、東の院を急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
 
 
 

第二段 宣旨の娘を乳母に選定

 
32  さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、かすかなる世に経けるが、はかなきさまにて子産みたりと、聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでにまねびきこえける人召して、さるべきさまにのたまひ契る。
 
 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘で、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって不如意な生活を送っていたのが、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、その人を知るつてがあって何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
 
33  まだ若く、何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、参るべきよし申させたり。
 いとあはれにかつは思して、出だし立てたまふ。
 
 まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この源氏の君に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨をお答え申し上げさせた。
 たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
 
34  もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。
 さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、
 外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。
 そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、君のじきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
35  「ただ、のたまはせむままに」  「ただ、仰せのとおりに」
36  と聞こゆ。
 吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、
 と申し上げる。
 日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
37  「あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。
 みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」
 「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。
 わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
38  など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。
 
 などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
 
39  主上の宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。
 家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。
 人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。
 とかく戯れたまひて、
 主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。
 家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。
 人柄は若々しく美しいので、お見過ごしになれない。
 何やかやと冗談をなさって、
40  「取り返しつべき心地こそすれ。
 いかに」
 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。
 どう思いますか」
41  とのたまふにつけても、「げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。
 
 とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
 
 

248
 「かねてより 隔てぬ仲と ならはねど
 別れは惜しき ものにぞありける
 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
  別れは惜しい気がするものであるよ
 
42  慕ひやしなまし」  追いかけて行こうかしら」
43  とのたまへば、うち笑ひて、  とおっしゃると、にっこりして、
 

249
 「うちつけの 別れを惜しむ かことにて
 思はむ方に 慕ひやはせぬ」
 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
  恋しい方のいらっしゃる所に行きたいのではありませんか」
 
44  馴れて聞こゆるを、いたしと思す。
 
 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
 
 
 

第三段 乳母、明石へ出発

 
45  車にてぞ京のほどは行き離れける。
 いと親しき人さし添へたまひて、ゆめ漏らすまじく、口がためたまひて遣はす。
 御佩刀、さるべきものなど、所狭きまで思しやらぬ隈なし。
 乳母にも、ありがたうこまやかなる御いたはりのほど、浅からず。
 
 車で京の中は出て行ったのであった。
 ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう口止めなさってお遣わしになる。
 御佩刀や必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。
 乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど並々でない。
 
46  入道の思ひかしづき思ふらむありさま、思ひやるも、ほほ笑まれたまふこと多く、また、あはれに心苦しうも、ただこのことの御心にかかるも、浅からぬにこそは。
 御文にも、「おろかにもてなし思ふまじ」と、返す返すいましめたまへり。
 
 入道が大切にお育てしているであろう様子を想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。
 お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
 
 

250
 「いつしかも 袖うちかけむ をとめ子が
 世を経て撫づる 岩の生ひ先」
 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
  天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」
 
47  津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、急ぎ行き着きぬ。
 
 摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
 
48  入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること、限りなし。
 そなたに向きて拝みきこえて、ありがたき御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。
 
 入道が待ち迎えて、喜び恐縮申すことは、この上ない。
 京の方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならない君のお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
 
49  稚児のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。
 「げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり」と見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさめにけり。
 いとうつくしうらうたうおぼえて、扱ひきこゆ。
 
 幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃることは、またと類がない。
 乳母も「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝するにつけても、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。
 たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
 
50  子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、御使にも二なきさまの心ざしを尽くす。
 とく参りなむと急ぎ苦しがれば、思ふことどもすこし聞こえ続けて、
 子持ちの君もここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って生きているとも思えなかったが、こうした君のご配慮があって、少し物思いも慰められたので、床から頭を上げてお使いの者にもできる限りのもてなしをする。
 早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、

251
 「ひとりして 撫づるは袖の ほどなきに
 覆ふばかりの 蔭をしぞ待つ」
 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
  大きなご加護を期待しております」
 
51  と聞こえたり。
 あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。
 
 と申し上げた。
 不思議なまでにお心にかかり、早く姫君を御覧になりたくお思いになる。
 
 
 

第四段 紫の君に姫君誕生を語る

 
52  女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、聞きあはせたまふこともこそ、と思して、  女君には、言葉に出してはろくにお話し申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
53  「さこそあなれ。
 あやしうねぢけたるわざなりや。
 さもおはせなむと思ふあたりには、心もとなくて、思ひの外に、口惜しくなむ。
 女にてあなれば、いとこそものしけれ。
 尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。
 呼びにやりて見せたてまつらむ。
 憎みたまふなよ」
 「こう言うことなのだそうです。
 妙にうまく行かないものですね。
 そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思ってはいないところで……。
 残念なことです。
 女の子だそうなので、何ともつまりません。
 放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。
 呼びにやってお見せ申し上げましょう。
 お憎みなさいますなよ」
54  と聞こえたまへば、面うち赤みて、  とお申し上げになると、女君はお顔がぽっと赤くなって、
55  「あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。
 もの憎みは、いつならふべきにか」
 「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただくわたしの心の程が、自分ながら嫌になりますわ。
 嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
56  と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、  とお恨みになると、君はすっかり笑顔になって、
57  「そよ。
 誰がならはしにかあらむ。
 思はずにぞ見えたまふや。
 人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。
 思へば悲し」
 「そうですね。
 誰が教えこたとでしょう。
 意外にお見受けしますよ。
 皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。
 考えると悲しい」
58  とて、果て果ては涙ぐみたまふ。
 年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ。
 
 とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。
 長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事だったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
 
59  「この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。
 まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」
 「あの人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。
 今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
60  とのたまひさして、  と言いさしなさって、
61  「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」  「人柄が美しく見えたのも場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
62  など語りきこえたまふ。
 
 などと、お話し申し上げになる。
 
63  あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、  しみじみとした夕べの煙や歌を詠み交わしたことなどを、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たことや、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
64  「われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」  「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
65  と、ただならず、思ひ続けたまひて、  と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、
66  「われは、われ」と、うち背き眺めて、  「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、
67  「あはれなりし世のありさま」など、独り言のやうにうち嘆きて、  「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」 と、独り言のようにふっと嘆いて、
 

252
 「思ふどち なびく方には あらずとも
 われぞ煙に 先立ちなまし」
 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
  わたしは先に煙となって死んでしまいたい」
 
68  「何とか。
 心憂や。
 
 「何とおっしゃいます。
 嫌なことを。
 

253
 誰れにより 世を海山に 行きめぐり
 絶えぬ涙に 浮き沈む身ぞ
  いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
  止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
 
69  いでや、いかでか見えたてまつらむ。
 命こそかなひがたかべいものなめれ。
 はかなきことにて、人に心おかれじと思ふも、ただ一つゆゑぞや」
 さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。
 寿命だけは思うようにならないもののようですが。
 つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
70  とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。
 いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、をかしう見どころありと思す。
 
 と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの人が、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。
 とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
 
 
 

第五段 姫君の五十日の祝

 
71  「五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。
 「何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。
 口惜しのわざや。
 さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。
 「男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。
 
 「五月五日に、その日が五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。
 「京でならば、どのようなことでもどんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。
 残念なことだ。
 よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。
 「男君であったならば、こんなにまではお心にお掛けなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
 
72  御使出だし立てたまふ。
 
 お使いの者をお立てになる。
 
73  「かならずその日違へずまかり着け」  「必ずその日に違わずに到着せよ」
74  とのたまへば、五日に行き着きぬ。
 思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。
 
 とおっしゃったので、五日に到着した。
 ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
 
 

254
 「海松や 時ぞともなき 蔭にゐて
 何のあやめも いかにわくらむ
 「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の
 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか
 
75  心のあくがるるまでなむ。
 なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。
 さりとも、うしろめたきことは、よも」
 飛んで行きたい気持ちです。
 やはりこのまま過していることはできないから、上京をご決心をなさい。
 いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
76  と書いたまへり。
 
 と書いてある。
 
 
77  入道、例の、喜び泣きしてゐたり。
 かかる折は、生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。
 
 入道は、いつもの喜び泣きをしていた。
 このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかいているのも、無理はないと思われる。
 
78  ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。
 乳母も、この女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。
 をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。
 
 ここ明石でも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、『闇夜の錦』のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。
 乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。
 この乳母にさして劣らない女房を、縁故を頼って京から迎えて付けさせているが、それらはすっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この乳母はこの上なくおっとりとして気位高かった。
 
79  聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、げに、かく思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけくやうやう思ひなりけり。
 御文ももろともに見て、心のうちに、
 聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子や、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、女君も「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。
 お手紙を一緒に見て、心の中で、
80  「あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。
 憂きものはわが身こそありけれ」
 「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。
 不幸なのはわたしだわ」
81  と、思ひ続けらるれど、「乳母のことはいかに」など、こまやかに訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。
 
 と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
 
 
82  御返りには、  お返事には、
 

255
 「数ならぬ み島隠れに 鳴く鶴を
 今日もいかにと 問ふ人ぞなき
 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
  今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません
 
83  よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かくたまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。
 げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」
 いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。
 仰せの通りに、安心させていただきたいものです」
84  とまめやかに聞こえたり。
 
 と、心からお頼み申し上げた。
 
 
 

第六段 紫の君、嫉妬を覚える

 
85  うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、  君は何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は横目で御覧やりになって、
86  「浦よりをちに漕ぐ舟の」  「『浦から遠方に漕ぎ出す舟』のように」
87  と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、  と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
88  「まことは、かくまでとりなしたまふよ。
 こは、ただ、かばかりのあはれぞや。
 所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き過ぐいたまはね」
 「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。
 これは、ただこれだけの愛情ですよ。
 土地の様子などを、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
89  など、恨みきこえたまひて、上包ばかりを見せたてまつらせたまふ。
 筆などのいとゆゑづきて、やむごとなき人苦しげなるを、「かかればなめり」と、思す。
 
 などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。
 筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
 
 
 

第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向

 
 

第一段 花散里訪問

 
90  かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ、いとほしけれ。
 公事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、めづらしく御目おどろくことのなきほど、思ひしづめたまふなめり。
 
 このように、この女君の御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などにすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。
 公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間は、慎重に過ごしていらっしゃるようである。
 
91  五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。
 よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり訪らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。
 年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。
 
 五月雨の降る所在ない頃、公私ともにお暇なので、お思い立ってお出かけになった。
 訪れはなくても、朝に夕につけ、君が何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりにすねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。
 この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
 
92  女御の君に御物語聞こえたまひて、西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。
 月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。
 いとどつつましけれど、端近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。
 水鶏のいと近う鳴きたるを、
 女御の君にお話し申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。
 月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美な君のお振る舞いは、限りなく美しくお見えになる。
 女君はますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子は、どこといって難がない。
 水鶏がとても近くで鳴いているので、
 

256
 「水鶏だに おどろかさずは いかにして
 荒れたる宿に 月を入れまし」
 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
  どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか」
 
93  と、いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ、  と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
94  「とりどりに捨てがたき世かな。
 かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」
 「それぞれに捨てがたい人よ。
 このような人こそ、かえって気苦労することだ」
95  と思す。
 
 とお思いになる。
 
 

257
 「おしなべて たたく水鶏に おどろかば
 うはの空なる 月もこそ入れ
 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
  わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
 
96  うしろめたう」  心配ですね」
97  とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。
 年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。
 「空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、のたまひ出でて、
 とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど疑いの生じるご性質ではない。
 長い年月、お待ち申し上げていらっしゃったのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。
 「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
98  「などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。
 憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」
 「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。
 辛い身の上にとっては、同じ悲しさですのに」
99  とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。
 例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。
 
 とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。
 例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。
 
 
 

第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍

 
100  かやうのついでにも、五節を思し忘れず、「また見てしがな」と、心にかけたまへれど、いとかたきことにて、え紛れたまはず。
 
 このような折にも、あの五節の君をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。
 
101  女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど、世に経むことを思ひ絶えたり。
 
 五節は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。
 
102  心やすき殿造りしては、「かやうの人集へても、思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば、さる人の後見にも」と思す。
 
 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。
 
103  かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、今めいたり。
 よしある受領などを選りて、当て当てに催したまふ。
 
 東の院の造りようは、本邸よりもかえって見所が多く今風である。
 風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。
 
104  尚侍の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。
 こりずまに立ち返り、御心ばへもあれど、女は憂きに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。
 なかなか、所狭う、さうざうしう世の中、思さる。
 
 尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。
 失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女君は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。
 君はかえって、窮屈で、物足りない間柄だと、お思いになる。
 
 
 

第三段 旧後宮の女性たちの動向

 
105  院はのどやかに思しなりて、時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。
 女御、更衣、みな例のごとさぶらひたまへど、春宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、かく引き変へ、めでたき御幸ひにて、離れ出でて宮に添ひたてまつりたまへる。
 
 朱雀院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊などをなさって、御機嫌よろしうおいであそばす。
 女御や更衣たちもみな院の御所に伺候していらっしゃるが、春宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって結構なご幸福で、院のお側から離れて春宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。
 
106  この大臣の御宿直所は、昔の淑景舎なり。
 梨壺に春宮はおはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりたまふ。
 
 この源氏の内大臣のご宿直所は、昔の淑景舎である。
 梨壺に春宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合いなさって、春宮をもご後見申し上げになさる。
 
107  入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜らせたまふ。
 院司どもなりて、さまことにいつくし。
 御行なひ、功徳のことを、常の御いとなみにておはします。
 年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに、思すさまにて、参りまかでたまふもいとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。
 
 入道后の宮は、中宮の御位を再びお改めて皇太后おなりになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。
 院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。
 御勤行や功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。
 ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。
 
108  大臣はことに触れて、いと恥づかしげに仕まつり、心寄せきこえたまふも、なかなかいとほしげなるを、人もやすからず、聞こえけり。
 
 内大臣は何かにつけて、大后がたいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。
 
 
 

第四段 冷泉帝後宮の入内争い

 
109  兵部卿親王、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣は憂きものに思しおきて、昔のやうにもむつびきこえたまはず。
 
 兵部卿の親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらっしゃったことを、内大臣は快からずお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。
 
110  なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情けなき節も、うち交ぜたまふを、入道の宮は、いとほしう本意なきことに見たてまつりたまへり。
 
 世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮のあたりに対しては、むしろ冷淡な態度もままおとりになるのを、入道の宮は困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。
 
111  世の中のこと、ただなかばを分けて、太政大臣、この大臣の御ままなり。
 
 天下の政事はまったく二分して、太政大臣とこの内大臣のお心のままである。
 
112  権中納言の御女、その年の八月に参らせたまふ。
 祖父殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。
 
 権中納言の御娘を、その年の八月に入内させなさる。
 祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。
 
113  兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、人よりまさりたまへとしも思さずなむありける。
 いかがしたまはむとすらむ。
 
 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は他より一段と勝るようにともお考えにはならないのであった。
 宮はどうなさるおつもりであろうか。
 
 
 

第四章 明石の物語 住吉浜の邂逅

 
 

第一段 住吉詣で

 
114  その秋、住吉に詣でたまふ。
 願ども果たしたまふべければ、いかめしき御ありきにて、世の中ゆすりて、上達部、殿上人、我も我もと仕うまつりたまふ。
 
 その年の秋に住吉にご参詣になる。
 願ほどきなどをなさるご予定なので、盛大なご行列で、世間でも大騷ぎして、上達部や殿上人らが、我も我もとお供申し上げになさる。
 
115  折しも、かの明石の人、年ごとの例のことにて詣づるを、去年今年は障ることありて、おこたりける、かしこまり取り重ねて、思ひ立ちけり。
 
 ちょうどその折、あの明石の人は、毎年恒例にして参詣するのが、去年今年は差し障りがあって参詣できなかった、そのお詫びも兼ねて思い立ったのであった。
 
116  舟にて詣でたり。
 岸にさし着くるほど、見れば、ののしりて詣でたまふ人のけはひ、渚に満ちて、いつくしき神宝を持て続けたり。
 楽人、十列など、装束をととのへ、容貌を選びたり。
 
 舟で参詣した。
 岸に着ける時に、見ると、大騷ぎして参詣なさる人々の様子が渚いっぱいにあふれていて、尊い奉納品を列をなさせて持たせていた。
 楽人が十人ほど、衣装を整え顔形の良い者を選んでいた。
 
117  「誰が詣でたまへるぞ」  「どなたが参詣なさるのですか」
118  と問ふめれば、  と尋ねたらしいので、
119  「内大臣殿の御願果たしに詣でたまふを、知らぬ人もありけり」  「内大臣殿が、御願ほどきに参詣なさるのを、知らない人もいたのだなあ」
120  とて、はかなきほどの下衆だに、心地よげにうち笑ふ。
 
 と言って、とるにたりない身分の低い者までもが、気持ちよさそうに笑う。
 
121  「げに、あさましう、月日もこそあれ。
 なかなか、この御ありさまを遥かに見るも、身のほど口惜しうおぼゆ。
 さすがに、かけ離れたてまつらぬ宿世ながら、かく口惜しき際の者だに、もの思ひなげにて、仕うまつるを色節に思ひたるに、何の罪深き身にて、心にかけておぼつかなう思ひきこえつつ、かかりける御響きをも知らで、立ち出でつらむ」
 「なるほど、あきれたことよ、他の月日もあろうに、かえって、このご威勢を遠くから眺めるのも、わが身の程が情なく思われる。
 とはいえ、お離れ申し上げられない運命ながら、このような賤しい身分の者でさえも、何の物思いもないふうでお仕えしているのを晴れがましいことに思っているのに、どのような罪深い身で心に掛けてお案じ申し上げていながら、これほどの評判であったご参詣のことも知らずに出掛けて来たのだろう」
122  など思ひ続くるに、いと悲しうて、人知れずしほたれけり。
 
 などと思い続けると、実に悲しくなって、人知れず涙がこぼれるのであった。
 
 
 

第二段 住吉社頭の盛儀

 
123  松原の深緑なるに、花紅葉をこき散らしたると見ゆる表の衣の、濃き薄き、数知らず。
 六位のなかにも蔵人は青色しるく見えて、かの賀茂の瑞垣恨みし右近将監も靫負になりて、ことごとしげなる随身具したる蔵人なり。
 
 松原の深緑を背景に、花や紅葉をまき散らしたように見える袍衣姿の、濃いのや薄いのが数知れず見える。
 六位の中でも蔵人は麹塵色がはっきりと見えて、あの賀茂の瑞垣を恨んだ右近将監も今は靫負になって、ものものしそうな随身を伴った蔵人である。
 
124  良清も同じ佐にて、人よりことにもの思ひなきけしきにて、おどろおどろしき赤衣姿、いときよげなり。
 
 良清も同じ衛門府の佐で、誰よりも格別物思いもない様子で、仰々しい緋色姿がたいそう美しげである。
 
125  すべて見し人びと、引き変へはなやかに、何ごと思ふらむと見えて、うち散りたるに、若やかなる上達部、殿上人の、我も我もと思ひいどみ、馬鞍などまで飾りを整へ磨きたまへるは、いみじき物に、田舎人も思へり。
 
 すべて明石で見た人たちがうって変わってはなやかになり、何の憂えもなさそうに見えて、あちこちに散らばっている中で、若々しい上達部や殿上人が我も我もと競争で、馬や鞍などまで飾りを整え美しく装いしていらっしゃるのは、たいそうな見物であると、明石の田舎者も思った。
 
126  御車を遥かに見やれば、なかなか、心やましくて、恋しき御影をもえ見たてまつらず。
 河原大臣の御例をまねびて、童随身を賜りたまひける、いとをかしげに装束き、みづら結ひて、紫裾濃の元結なまめかしう、丈姿ととのひ、うつくしげにて十人、さまことに今めかしう見ゆ。
 
 お車を遠く見やると、かえって心が苦しくなって、恋しいお姿をも拝することができない。
 河原の左大臣のご先例にならって、童随身を賜っていらっしゃったが、とても美しそうに装束を着て、みずらを結って、紫の裾濃の元結が優美で、身の丈や姿もそろって、かわいらしい格好をしている十人、それが格別はなやかに見える。
 
127  大殿腹の若君、限りなくかしづき立てて、馬添ひ、童のほど、皆作りあはせて、やう変へて装束きわけたり。
 
 大殿腹の若君を、この上なく大切にお扱いになって、馬に付き添う供人や童の具合などは、みな揃いの衣装で、他とは変わって服装で区別していた。
 
128  雲居遥かにめでたく見ゆるにつけても、若君の数ならぬさまにてものしたまふを、いみじと思ふ。
 いよいよ御社の方を拝みきこゆ。
 
 雲居遥かな立派さを見るにつけても、わが姫君が人数にも入らない様子でいらっしゃるのをひどく悲しいと思う。
 ますます御社の方角をお拝み申し上げる。
 
129  国の守参りて、御まうけ、例の大臣などの参りたまふよりは、ことに世になく仕うまつりけむかし。
 
 摂津の国守が参上して、ご饗応の準備を、普通の大臣などが参詣なさる時よりは格別にまたとないくらい立派に奉仕したことであろうよ。
 
130  いとはしたなければ、  明石の君は、とてもいたたまれない思いなので、
131  「立ち交じり、数ならぬ身の、いささかのことせむに、神も見入れ、数まへたまふべきにもあらず。
 帰らむにも中空なり。
 今日は難波に舟さし止めて、祓へをだにせむ」
 「あの中に立ちまじって、とるに足らない身の上で少しばかりの捧げ物をしても、神も御覧になりお認めくださるはずもあるまい。
 帰るにしても中途半端である。
 今日は難波に舟を泊めて、せめてお祓いだけでもしよう」
132  とて、漕ぎ渡りぬ。
 
 と思って、漕いで行った。
 
 
 

第三段 源氏、惟光と住吉の神徳を感ず

 
133  君は、夢にも知りたまはず、夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。
 まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。
 
 君はまったくご存知なく、一晩中いろいろな神事を奉納させなさる。
 真実に神がお喜びになるにちがいないことをあらゆる限りなさって、過去の御願果たしに加えて、前例のないくらいまで、楽や舞の奉納の大騷ぎして夜をお明かしになる。
 
134  惟光やうの人は、心のうちに神の御徳をあはれにめでたしと思ふ。
 あからさまに立ち出でたまへるに、さぶらひて、聞こえ出でたり。
 
 惟光などのような人は、心中に神のご神徳をしみじみとありがたく思う。
 君がちょっと出ていらっしゃたので、お側に寄って、申し上げた。
 
 

258
 「住吉の 松こそものは かなしけれ
 神代のことを かけて思へば」
 「住吉の松を見るにつけ感慨無量です
  昔のことがを忘れられずに思われますので」
 
135  げに、と思し出でて、  いかにもと、お思い出しになって、
 

259
 「荒かりし 波のまよひに 住吉の
 神をばかけて 忘れやはする
 「あの須磨の大嵐が荒れ狂った時に
  念じた住吉の神の御神徳をどうして忘られようぞ
 
136  験ありな」  霊験あらたかであったな」
137  とのたまふも、いとめでたし。
 
 とおっしゃるのも、たいそう素晴らしい。
 
 
 

第四段 源氏、明石の君に和歌を贈る

 
138  かの明石の舟、この響きに圧されて、過ぎぬることも聞こゆれば、「知らざりけるよ」と、あはれに思す。
 神の御しるべを思し出づるも、おろかならねば、「いささかなる消息をだにして、心慰めばや。
 なかなかに思ふらむかし」と思す。
 
 あの明石の舟がこの騷ぎに圧倒されて立ち去ったことも申し上げると、「知らなかったなあ」と、しみじみと気の毒にお思いになる。
 神のお導きとお思い出しになるにつけ、おろそかには思われないので、「せめてちょっとした手紙だけでも遣わして、気持ちを慰めてやりたい。
 来合せてかえってつらい思いをしていることだろう」とお思いになる。
 
139  御社立ちたまて、所々に逍遥を尽くしたまふ。
 難波の御祓へ、七瀬によそほしう仕まつる。
 堀江のわたりを御覧じて、
 御社をご出発になって、あちこちの名所に遊覧なさる。
 難波のお祓いを、七瀬に立派にお勤めになる。
 堀江のあたりを御覧になって、
140  「今はた同じ難波なる」  『今また同じ難波で何としてでも……』
141  と、御心にもあらで、うち誦じたまへるを、御車のもと近き惟光、うけたまはりやしつらむ、さる召しもやと、例にならひて懐にまうけたる柄短き筆など、御車とどむる所にてたてまつれり。
 「をかし」と思して、畳紙に、
 と、無意識のうちに、ふと朗誦なさったのを、お車の近くにいる惟光が聞きつけたのであろうか、そのようなご用命もあろうかと、いつものように懐中に準備しておいた柄の短い筆などを、お車を止めた所で差し上げた。
 「よく気がつくな」と感心なさって、畳紙に、
 

260
 「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも
 めぐり逢ひける えには深しな」
 「身を尽くして恋い慕っていた甲斐のあるここで
  めぐり逢えたとは、宿縁は深いのですね」
 
142  とて、たまへれば、かしこの心知れる下人して遣りけり。
 駒並めて、うち過ぎたまふにも、心のみ動くに、露ばかりなれど、いとあはれにかたじけなくおぼえて、うち泣きぬ。
 
 と書いて、惟光にお与えになると、惟光はあちらの事情を知っている下人を遣わして贈るのであった。
 女君は、君の一行が馬を多数並べて通り過ぎて行かれるにつけても、心が乱れるばかりで、ほんの歌一首ばかりのお手紙であるが、実にしみじみともったいなく思われて、涙がこぼれた。
 
 

261
 「数ならで 難波のことも かひなきに
 などみをつくし 思ひそめけむ」
 「とるに足らない身の上で、何もかもあきらめておりましたのに
  どうして身を尽くしてまでお慕い申し上げることになったのでしょう」
 
143  田蓑の島に御禊仕うまつる、御祓への物につけてたてまつる。
 日暮れ方になりゆく。
 
 田蓑の島で禊を勤める、そのお祓いの木綿と一緒に、惟光は明石の君からの歌を君に差し上げる。
 日も暮れ方になって行く。
 
144  夕潮満ち来て、入江の鶴も声惜しまぬほどのあはれなる折からなればにや、人目もつつまず、あひ見まほしくさへ思さる。
 
 夕潮が満ちて来て、入江の鶴も、声を惜しまず鳴く頃のしみじみとした情趣からであろうか、君は人の目も憚らず、お逢いしたいとまで、思わずにはいらっしゃれない。
 
 

262
 「露けさの 昔に似たる 旅衣
 田蓑の島の 名には隠れず」
 「涙に濡れる旅の衣は、昔、海浜を流浪した時と同じようだ
  田蓑の島という名の蓑の名には身は隠れないので」
 
145  道のままに、かひある逍遥遊びののしりたまへど、御心にはなほかかりて思しやる。
 遊女どもの集ひ参れる、上達部と聞こゆれど、若やかにこと好ましげなるは、皆、目とどめたまふべかめり。
 されど、「いでや、をかしきことも、もののあはれも、人からこそあべけれ。
 なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりもなきものを」と思すに、おのが心をやりて、よしめきあへるも疎ましう思しけり。
 
 道すがら、結構な遊覧や奏楽をして大騷ぎなさるが、なおも明石の君のことがお心に掛かって思いをお馳せになる。
 遊女たちが集まって参って来ているが、上達部とは申し上げても、若々しく風流好みの方は、皆、目を留めていらっしゃるようである。
 けれども、「さあ、風流なこともものの情趣も、相手の人柄によるものだろう。
 普通の恋愛でさえ少し浮ついたものは心を留める点もないものだから」とお思いになると、遊女たちが心の赴くままに、嬌態を演じあっているのも、嫌に思われるのであった。
 
 
 

第五段 明石の君、翌日住吉に詣でる

 
146  かの人は、過ぐしきこえて、またの日ぞ吉ろしかりければ、御幣たてまつる。
 ほどにつけたる願どもなど、かつがつ果たしける。
 また、なかなかもの思ひ添はりて、明け暮れ、口惜しき身を思ひ嘆く。
 
 あの明石の人は、君の一行が通り過ぎるのをお待ち申して、次の日が日柄も悪くはなかったので、幣帛を奉る。
 身分相応の願ほどきなどを、ともかくも済ませたのであった。
 また一方、かえって物思いが加わって、朝に晩に、取るに足らない身の上を嘆いている。
 
147  今や京におはし着くらむと思ふ日数も経ず、御使あり。
 このころのほどに迎へむことをぞのたまへる。
 
 今頃は京にお着きになっただろうと思われる日数もたたないうちに、お使いがある。
 近々のうちに京に迎えることをおっしゃっていた。
 
148  「いと頼もしげに、数まへのたまふめれど、いさや、また、島漕ぎ離れ、中空に心細きことやあらむ」  「とても頼りがいがありそうに一人前に扱ってくださるようだけれども、どうかしら、また、故郷を離れ出て、どっちつかずの心細い思いをするのではないかしら」
149  と、思ひわづらふ。
 
と思い悩む。
 
150  入道も、さて出だし放たむは、いとうしろめたう、さりとて、かく埋もれ過ぐさむを思はむも、なかなか来し方の年ごろよりも、心尽くしなり。
 よろづにつつましう、思ひ立ちがたきことを聞こゆ。
 
 入道も、そのように手放すのは、まことに不安で、そうかといって、このように埋もれて過すことを考えると、かえって今までよりも、物思いが増す。
 いろいろと気後れがして、決心しがたい旨を申し上げる。
 
 
 

第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い

 
 

第一段 斎宮と母御息所上京

 
151  まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば、御息所上りたまひてのち、変はらぬさまに何ごとも訪らひきこえたまふことは、ありがたきまで、情けを尽くしたまへど、「昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ」と、思ひ放ちたまへれば、渡りたまひなどすることはことになし。
 
 そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、君は昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほどお心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、君もお出掛けになることはない。
 
152  あながちに動かしきこえたまひても、わが心ながら知りがたく、とかくかかづらはむ御歩きなども、所狭う思しなりにたれば、強ひたるさまにもおはせず。
 
 無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、身分柄窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。
 
153  斎宮をぞ、「いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう思ひきこえたまふ。
 
 ただ、斎宮を、「どのようにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。
 
154  なほ、かの六条の旧宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。
 よしづきたまへること、旧りがたくて、よき女房など多く、好いたる人の集ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、罪深き所ほとりに年経つるも、いみじう思して、尼になりたまひぬ。
 
 昔どおりに、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。
 風雅でいらっしゃることは、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。
 
155  大臣、聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさる方のものをも聞こえあはせ、人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、おどろきながら渡りたまへり。
 飽かずあはれなる御訪らひ聞こえたまふ。
 
 源氏の内大臣は、それをお聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。
 いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。
 
156  近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、「絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでや」と、口惜しうて、いみじう泣いたまふ。
 
 お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。
 
 
 

第二段 御息所、斎宮を源氏に託す

 
157  かくまでも思しとどめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。
 
 こんなにまでもお心に掛けていたのを、女君も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。
 
158  「心細くてとまりたまはむを、かならず、ことに触れて数まへきこえたまへ。
 また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。
 かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで、見たてまつらむことこそ思ひたまへつれ」
 「心細い状況でわたしに先立たれなさるのを、きっと何かにつけて面倒を見て上げてくださいませ。
 また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。
 何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
159  とても、消え入りつつ泣いたまふ。
 
 と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。
 
160  「かかる御ことなくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこえむとなむ思うたまふる。
 さらに、うしろめたくな思ひきこえたまひそ」
 「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。
 けっして、ご心配申されることはありません」
161  など聞こえたまへば、  などと申し上げなさると、
162  「いとかたきこと。
 まことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。
 まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。
 うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。
 憂き身を抓みはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる」
 「とても難しいこと。
 本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。
 ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。
 嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。
 悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」
163  など聞こえたまへば、「あいなくものたまふかな」と思せど、  などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、
164  「年ごろに、よろづ思うたまへ知りにたるものを、昔の好き心の名残あり顔にのたまひなすも本意なくなむ。
 よし、おのづから」
 「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。
 いずれ、そのうちに」
165  とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかにものより通りて見ゆるを、「もしもや」と思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。
 帳の東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。
 御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの悲しと思いたるさまなり。
 はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。
 
 と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃるのが、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。
 東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。
 御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。
 わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。
 
166  御髪のかかりたるほど、頭つき、けはひ、あてに気高きものから、ひちちかに愛敬づきたまへるけはひ、しるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、「さばかりのたまふものを」と、思し返す。
 
 お髪の掛ったところや、頭の恰好、感じが上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。
 
167  「いと苦しさまさりはべる。
 かたじけなきを、はや渡らせたまひね」
 「とても苦しさが募ってまいりました。
 恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
168  とて、人にかき臥せられたまふ。
 
 と言って、女房に臥せさせられなさる。
 
169  「近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。
 いかに思さるるぞ」
 「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。
 いかがなお具合ですか」
170  とて、覗きたまふけしきなれば、  と言って、お覗きになる様子なので、
171  「いと恐ろしげにはべるや。
 乱り心地のいとかく限りなる折しも渡らせたまへるは、まことに浅からずなむ。
 思ひはべることを、すこしも聞こえさせつれば、さりともと、頼もしくなむ」
 「たいそうひどい具合でございますよ。
 病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。
 気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
172  と聞こえさせたまふ。
 
 と、女房を介してお申し上げになる。
 
173  「かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。
 故院の御子たち、あまたものしたまへど、親しくむつび思ほすも、をさをさなきを、主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば、さこそは頼みきこえはべらめ。
 すこしおとなしきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」
 「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。
 故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。
 多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」
174  など聞こえて、帰りたまひぬ。
 御訪らひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。
 
 などと申し上げて、お帰りになった。
 お見舞いは、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。
 
 
 

第三段 六条御息所、死去

 
175  七、八日ありて亡せたまひにけり。
 あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参りたまはず、とかくの御ことなど掟てさせたまふ。
 また頼もしき人もことにおはせざりけり。
 古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかにことども定めける。
 
 七、八日あって、御息所はお亡くなりになったのであった。
 あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。
 他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。
 かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。
 
176  御みづからも渡りたまへり。
 宮に御消息聞こえたまふ。
 
 君ご自身もお越しになった。
 宮にご挨拶申し上げなさる。
 
177  「何ごともおぼえはべらでなむ」  「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
178  と、女別当して、聞こえたまへり。
 
 と、女別当を介して、お伝え申された。
 
179  「聞こえさせ、のたまひ置きしこともはべしを、今は、隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」  「わたしもお話し申し上げ、また母君もおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」
180  と聞こえたまひて、人びと召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。
 いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。
 いといかめしう、殿の人びと、数もなう仕うまつらせたまへり。
 あはれにうち眺めつつ、御精進にて、御簾下ろしこめて行はせたまふ。
 
 と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。
 たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも償われそうに見える。
 実に厳かに邸の家司たちを大勢お仕えさせなさった。
 しみじみと物思いに耽りながらご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。
 
181  宮には、常に訪らひきこえたまふ。
 やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。
 つつましう思したれど、御乳母など、「かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。
 
 宮には常にお見舞い申し上げなさる。
 だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。
 気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
 
182  雪、霙、かき乱れ荒るる日、「いかに、宮のありさま、かすかに眺めたまふらむ」と思ひやりきこえたまひて、御使たてまつれたまへり。
 
 雪や霙が降り乱れる日、「どんなに宮邸の様子は心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。
 
183  「ただ今の空を、いかに御覧ずらむ。
 
 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
 
 

263
 降り乱れ ひまなき空に 亡き人の
 天翔るらむ 宿ぞ悲しき」
  雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が
  まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます」
 
184  空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり。
 若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。
 
 空色の紙の、曇ったような色のにお書きになっていた。
 若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。
 
185  宮は、いと聞こえにくくしたまへど、これかれ、  宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
186  「人づてには、いと便なきこと」  「ご代筆では、とても不都合なことです」
187  と責めきこゆれば、鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして、  と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
 

264
 「消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし
 わが身それとも 思ほえぬ世に」
 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
  毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に」
 
188  つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。
 
 遠慮がちな書きぶりが、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。
 
 
 

第四段 斎宮を養女とし、入内を計画

 
189  下りたまひしほどより、なほあらず思したりしを、「今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし」と思すには、例の、引き返し、  伊勢へ下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けてどのようにでも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
190  「いとほしくこそ。
 故御息所の、いとうしろめたげに心おきたまひしを。
 ことわりなれど、世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを、引き違へ、心清くてあつかひきこえむ。
 主上の今すこしもの思し知る齢にならせたまひなば、内裏住みせさせたてまつりて、さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と思しなる。
 
 「それはお気の毒なことだ。
 亡き御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。
 当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして潔白にお世話申し上げよう。
 主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、御入内をおさせ申し上げて、自分には娘がいなくて物寂しいから、そのようにお世話する人として」とお考えになった。
 
191  いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべき折々は渡りなどしたまふ。
 
 たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお邸にお出向きなどなさる。
 
192  「かたじけなくとも、昔の御名残に思しなずらへて、気遠からずもてなさせたまはばなむ、本意なる心地すべき」  「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」
193  など聞こえたまへど、わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせたてまつらむは、いと世になくめづらかなることと思したれば、人びとも聞こえわづらひて、かかる御心ざまを愁へきこえあへり。
 
 などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。
 
194  「女別当、内侍などいふ人びと、あるは、離れたてまつらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。
 この、人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人に劣りたまふまじかめり。
 いかでさやかに、御容貌を見てしがな」
 「女別当や内侍などという女房たち、あるいは同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。
 この、ひそかに思っている御入内をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。
 何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」
195  と思すも、うちとくべき御親心にはあらずやありけむ。
 
 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうよ。
 
196  わが御心も定めがたければ、かく思ふといふことも、人にも漏らしたまはず。
 御わざなどの御ことをも取り分きてせさせたまへば、ありがたき御心を、宮人もよろこびあへり。
 
 ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。
 ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を宮家の人々も皆喜んでいた。
 
197  はかなく過ぐる月日に添へて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、さぶらふ人びとも、やうやうあかれ行きなどして、下つ方の京極わたりなれば、人気遠く、山寺の入相の声々に添へても、音泣きがちにてぞ、過ぐしたまふ。
 同じき御親と聞こえしなかにも、片時の間も立ち離れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは、例なきことなるを、あながちに誘ひきこえたまひし御心に、限りある道にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、干る世なう思し嘆きたり。
 
 とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去って行ったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。
 同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。
 
198  さぶらふ人びと、貴きも賤しきもあまたあり。
 されど、大臣の、
 お仕えしている女房たちには、身分の高い人も賤しい人も多数いる。
 けれども、源氏の内大臣が、
199  「御乳母たちだに、心にまかせたること、引き出だし仕うまつるな」  「たとい御乳母たちであっても、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」
200  など、親がり申したまへば、「いと恥づかしき御ありさまに、便なきこと聞こし召しつけられじ」と言ひ思ひつつ、はかなきことの情けも、さらにつくらず。
 
 などと、父親ぶって申し上げていらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。
 
 
 

第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執

 
201  院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきければ、  院におかせられても、あの伊勢にお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を忘れがたくお思いおかれていらっしゃったので、
202  「参りたまひて、斎院など、御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ」  「院に参内なさって、斎院など、わたしの姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お過ごしになりなさい」
203  と、御息所にも聞こえたまひき。
 されど、「やむごとなき人びとさぶらひたまふに、数々なる御後見もなくてや」と思しつつみ、「主上は、いとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはむ」と、憚り過ぐしたまひしを、今は、まして誰かは仕うまつらむと、人びと思ひたるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。
 
 と、かつて御息所にも申し上げあそばしていた。
 けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見をして上げられようかと、女房たちは諦めていたが、院におかれては懇切に仰せになるのであった。
 
204  大臣、聞きたまひて、「院より御けしきあらむを、引き違へ、横取りたまはむを、かたじけなきこと」と思すに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。
 
 源氏の内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、それに背いて横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、前斎宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げなさるのであった。
 
205  「かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに、母御息所、いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなき好き心にまかせて、さるまじき名をも流し、憂きものに思ひ置かれはべりにしをなむ、世にいとほしく思ひたまふる。
 この世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、今はとなりての際に、この斎宮の御ことをなむ、ものせられしかば、さも聞き置き、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたまひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。
 おほかたの世につけてだに、心苦しきことは見聞き過ぐされぬわざにはべるを、いかで、なき蔭にても、かの恨み忘るばかり、と思ひたまふるを、内裏にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを、御定めに」
 「これこれのことを思案いたしておりますが、母御息所はとても重々しく思慮深い方でありましたが、わたしのつまらない浮気心からとんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。
 この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来をご遺言されましたので、わたしを信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がいたしまして。
 直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどにと存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きくおなりあそばしていますが、まだごお若い年齢でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に……」
206  など聞こえたまへば、  などと申し上げなさると、
207  「いとよう思し寄りけるを、院にも、思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて、知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。
 今はた、さやうのこと、わざとも思しとどめず、御行なひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、深うしも思しとがめじと思ひたまふる」
 「とてもよくお考えくださいました。
 院におかせられてもお思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あの母君のご遺言を口実にして、知らないふりをして御入内申し上げなさいまし。
 院は、今ではそのようことは特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
208  「さらば、御けしきありて、数まへさせたまはば、もよほしばかりの言を、添ふるになしはべらむ。
 とざまかうざまに、思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へも、まねびはべるに、世人やいかにとこそ、憚りはべれ」
 「それでは、主上からのご意向があって、斎宮を人数に扱っていただけるならば、わたしは促す程度のことを口添えをすることにいたしましょう。
 あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことをそっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと心配でございます」
209  など聞こえたまて、後には、「げに、知らぬやうにて、ここに渡したてまつりてむ」と思す。
 
 などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎え申してしまおう」とお考えになる。
 
210  女君にも、しかなむ思ひ語らひきこえて、  女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
211  「過ぐいたまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」  「斎宮をお話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
212  と、聞こえ知らせたまへば、うれしきことに思して、御渡りのことをいそぎたまふ。
 
 と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。
 
 
 

第六段 冷泉帝後宮の入内争い

 
213  入道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騷ぎたまふめるを、「大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦しく思す。
 
 入道の宮は、兄の兵部卿の宮が姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「源氏の内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
 
214  権中納言の御女は、弘徽殿の女御と聞こゆ。
 大殿の御子にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。
 主上もよき御遊びがたきに思いたり。
 
 権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。
 太政大臣のご養女として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。
 主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。
 
215  「宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて雛遊びの心地すべきを、おとなしき御後見は、いとうれしかべいこと」  入道の宮は 「兵部卿の宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったことにお人形遊びの感じがなさるでしょうから、年長のご後見はまこと嬉しいこと」
216  と思しのたまひて、さる御けしき聞こえたまひつつ、大臣のよろづに思し至らぬことなく、公方の御後見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ばへの、いとあはれに見えたまふを、頼もしきものに思ひきこえたまひて、いとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、心やすくさぶらひたまふこともかたきを、すこしおとなびて、添ひさぶらはむ御後見は、かならずあるべきことなりけり。
 
とお思いになり、また仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も主上に申し上げなさる一方で、源氏の内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく日常のことにつけてまで細かいご配慮がたいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方でお側にお付きするお世話役が是非とも必要なのであった。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 君が世は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ(拾遺集賀-二九九 読人しらず)(戻)  
  出典2 大空を覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ(後撰集春中-六四 読人しらず)(戻)  
  出典3 み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟の我をばよそに隔てつるかな(新古今集恋一-一〇四八 伊勢)(戻)  
  出典4 こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人憎からぬ世にしすまへば(古今集恋三-六三一 読人しらず)(戻)  
  出典5 侘ぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ(後撰集恋五-九六〇 元良親王)(戻)  
  出典6 難波潟潮満ち来らし海人衣田蓑の島に鶴鳴き渡る(古今集雑上-九一三 読人しらず)(戻)  
  出典7 雨により田蓑の島を今日行けど名には隠れぬものにぞありける(古今集雑上-九一八 紀貫之)(戻)  
  出典8 今はとて島漕ぎ離れ行く舟にひれ振る袖を見るぞ悲しき(落窪物語-七二)ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ(古今集羈旅-四〇九 読人しらず)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 たまふらむ--*たまえむ(戻)  
  校訂2 世の人--世の人の(の/$<朱>)(戻)  
  校訂3 御子を--みこ(こ/+を)(戻)  
  校訂4 思ひたまへら--おも(も/+ひ)給つ(つ/#へ)ら(戻)  
  校訂5 したまふ--した(た/+ま<朱>)ふ(戻)  
  校訂6 さやうの事しげき職には--さやう(/う+の)事は(こと/+しけきそくには<朱>、は/$<朱>)(戻)  
  校訂7 よろづ--よろつに(に/$)(戻)  
  校訂8 なされ--なされて(て/#<朱>)(戻)  
  校訂9 たまふ--たま(ま/+ふ<朱>)(戻)  
  校訂10 ものにぞあり--物にさ(さ/#、+そあ)り(戻)  
  校訂11 ゆめ--夢に(に/#)(戻)  
  校訂12 多く--おほゝ(ゝ/$く<朱>)(戻)  
  校訂13 御--(/+御)(戻)  
  校訂14 をとめ子が--おとめこの(の/$か)(戻)  
  校訂15 なりや。
 さも--なりさ(さ/#)や(や/+さ)も(戻)
 
  校訂16 五日に--五日(日/+に)(戻)  
  校訂17 げに--よ(よ/$け)に(戻)  
  校訂18 たまさか--給ま(給ま/$たまさ<朱>)か(戻)  
  校訂19 過ぐい--すん(ん/#く)い(戻)  
  校訂20 筆--ふん(ん/#て)(戻)  
  校訂21 花散里などを離れ--花散里(里/+なと<朱>)あ(あ/#か<朱>)れ(戻)  
  校訂22 絶え--たへ(へ/$え<朱>)(戻)  
  校訂23 今めい--いま(いま/#<朱>)いまめひ(戻)  
  校訂24 時々に--時々(々/+に)(戻)  
  校訂25 人の--人(人/+の)(戻)  
  校訂26 いつくしき--いつく△(△/#)しき(戻)  
  校訂27 十列--とをつゝ(ゝ/#ら<朱>)(戻)  
  校訂28 我も我も--我も/\も(も/#<朱>)(戻)  
  校訂29 御社の--みやしろ(ろ/+の)(戻)  
  校訂30 いと--(/+いと)(戻)  
  校訂31 放たむは--はなたむと(と/$は)(戻)  
  校訂32 たまひ--(/+給)(戻)  
  校訂33 古き--ふか(か/る<朱>)き(戻)  
  校訂34 世に--(/+よ)に(戻)  
  校訂35 御心ざまを--御心さま(ま/+を)(戻)  
  校訂36 あかれ--あ(あ/+か)れ(戻)  
  校訂37 仕う--つ(つ/+かう)(戻)  
  校訂38 御定め--御(御/+さ)ため(戻)  
  校訂39 さらば--さえ(え/$ら<朱>)は(戻)  
  校訂40 御渡り--御(御/#)御わたり(戻)  
  校訂41 うれしかべい--うれしかる(る/$)へい(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。