平家物語 灌頂巻 大原御幸 原文

大原入 平家物語
灌頂巻
大原御幸
おおはらごこう
六道之沙汰

 
 かかりしほどに、文治二年の春の頃、法皇、建礼門院大原の閑居の御住まひ、御覧ぜまほしう思し召されけれども、如月、弥生のほどは、風はげしく、余寒もいまだつきせず。峰の白雪消えやらで、谷のつららもうち解けず。
 

 春すぎ夏きたつて、北祭も過ぎしかば、法皇夜をこめて、大原の奥へぞ御幸なる。忍びの御幸なりけれども、供奉の人々、徳大寺、花山院、土御門以下、公卿六人、殿上人八人、北面少々候ひけり。
 鞍馬通りの御幸なりければ、清原深養父が補陀落寺、小野皇太后宮の旧跡叡覧あつて、それより御輿に召されけり。遠山にかかる白雲は、散りにし花の形見なり。青葉に見ゆる梢には、春の名残ぞ惜しまるる。頃は卯月二十日余りの事なれば、夏草のしげみが末をわけ入らせ給ふに、始めたる御幸なれば、御覧じなれたる方もなし、人跡絶えたるほども思し召し知られてあはれなり。
 

 西のやまのふもとに、一宇の御堂あり。すなはち寂光院これなり。
 旧う作りなせる山水木立、由あるさまの所なり。「甍やぶれては霧不断の香をたき、枢落ちては月常住の灯を挑ぐ」とも、かやうの所をや申すべき。
 庭の若草しげり合ひ、青柳糸を乱りつつ、池の浮き草波にただよひ、錦をさらすかとあやまたる。中島の松にかかれる藤波の、うら紫に咲ける色、青葉まじりの遅桜、初花よりもめづらしく、岸の山吹咲き乱れ、八重たつ雲の絶え間より、山ほととぎすの一声も、君の御幸を待ち顔なり。法皇これを叡覧あつて、かうぞ思し召し続けける。 
 

♪102
 池水に 汀の桜 散りしきて
  波の花こそ 盛りなりけれ

 
 ふりにける岩の絶え間より、落ちくる水の音さへ、故び由ある所なり。緑蘿の垣、翠黛の山、画に書くとも筆も及びがたし。
 

 女院の御庵室を御覧ずれば、軒には蔦、朝顔這ひかかり、忍まじりの忘れ草、瓢箪しばしば空し、草顔淵がちまたにしげし、れいでう深く鎖せり、雨原憲が枢をうるほすともいつつべし。板の葺き目もまばらにて、時雨も霜も置く露も、漏る月影に争ひて、たまるべしとも見えざりけり。
 後ろは山、前は野辺、いざさ小篠に風騒ぎ、世にたたぬ身のならひとて、うきふししげき竹柱、都の方の言伝は、間遠に結へるませ垣や、はつかに事問ふものとては、峰に木伝ふ猿の声、しづが爪木の斧の音、これらが音づれならでは、正木のかづら、青つづら、くる人まれなる所なり。
 

 法皇、「人やある、人やある」と召されけれども、御答へ申す者もなし。はるかにあつて老い衰へたる尼一人参りたり。
 「女院はいづくへ御幸なりぬるぞ」と仰せければ、「この上の山へ花摘みに入らせ給ひて候ふ」と申す。
 「さやうのことにつかへ奉るべき人もなきにや、さこそ世を捨つる身といひながら、御いたはしうこそ」と仰せければ、
 この尼申しけるは、「五戒十善の御果報尽きさせ給ふによつて、今かかる御目を御覧ずるにこそ候へ。捨身の行に、なじかは御身を惜しませ給ひ候ふべき。因果経には、『欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因』と説かれたり。過去未来の因果を悟らせ給ひなば、つやつや御嘆きあるべからず。悉達太子は、十九にて伽耶城を出で、檀特山の麓にて、木の葉を連ねて肌へを隠し、嶺にのぼりて薪を取り、谷に下りて水をむすび、難行苦行の功によつて、つひに成等正覚し給ひき」とぞ申しける。この尼の有様を御覧ずれば、身には絹布のわきもみえぬ物を結び集めてぞ着たりける。
 あの有様にても、かやうのこと申す不思議さよ、と思し召し、「そもそも汝はいかなる者ぞ」と仰せければ、
 この尼さめざめと泣いて、しばしは御返事にも及ばず。ややあつて、涙をおさへて申しけるは、「申すにつけて憚りおぼえ候へども、故少納言入道信西が娘、あはの内侍と申すものにて候ふなり。母は紀伊の二位、さしも御いとほしみ深うこそ候ひしに、御覧じ忘れさせ給ふにつけても、身の衰へぬるほど思ひ知られて、今さらせん方なうこそ候へ」とて、袖を顔におしあてて、しのびあへぬ様、目も当てられず。
 法皇、「されば汝は、阿波内侍にてこそあんなれ。今さら御覧じ忘れけり。ただ夢とのみこそおぼしめせ」とて、御涙せきあへさせ給はず。供奉の公卿殿上人も、「不思議の尼かなと思ひたれば、理にてありけり」とぞ、おのおの申し合はれける。
 

 さて、あなたこなたを叡覧あるに、庭の千草露重く、籬に倒れかかりつつ、外面の小田も見えわかず。
 御庵室に入らせ給ひて、障子を引きあけて御覧ずれば、一間には来迎の三尊おはします。中尊の御手には、五色の糸をかけられたり。左に普賢の画像、右には善導和尚ならびに先帝の御影をかけ、八軸の妙文、九帖の御疏も置かれたり。蘭麝の匂ひにひきかへて、香の煙ぞ立ち上る。かの浄名居士の方丈の室の中に、三万二千の床を並べ、十方の諸仏を請じ給ひけんも、かくやとぞおぼえける。障子には諸経の要文ども、色紙に書いて所々に押されたり。
 その中に大江定基法師が、清涼山にして詠じたりけん、「笙歌遥か聞こゆ弧雲の上、聖衆来迎す落日の前」とも書かれたり。少しひきのけて、女院の御製とおぼしくて、
 

♪103
 思ひきや 深山の奥に すまひして
  雲居の月を よそに見んとは

 
 さて傍らを御覧ずれば、御寝所とおぼしくて、竹の御竿に麻の御衣、紙の御衾などかけられたり。さしも本朝漢土の妙なる類数を尽くして、綾羅錦繍の粧もさながら夢になりにけり。供奉の公卿殿上人も、おのおの見参らせ給ひし事どなれば、今のやうにおぼえて、皆袖をぞ絞られける。
 

 さるほどに、上の山より、濃き墨染の衣着たる尼二人、岩のかけ路を伝ひつつ、下りわづらひてぞ見えたりける。
 法皇これを御覧じて、「あれは何者ぞ」と御尋ねあれば、老尼涙をおさへて申しけるは、「花籃肱にかけ、岩躑躅取り具して持たせ給ひたるは、女院にて渡らせ給ひ候ふなり。爪木に蕨折り具し候ふは、鳥飼中納言維実の娘、五条大納言邦綱な養子、先帝の御乳母、大納言典侍」と申しもあへず泣きけり。
 法皇も世に哀れげに思し召して、御涙せきあへさせ給はず。
 女院はさこそ世を捨つ御身と言ひながら、今かかる有様を見え参らせんずらん恥づかしさよ、消えも失せばやと思し召せどもかひぞなき。
 宵宵ごとの閼伽の水、むすぶ袂もしをるるに、暁起きの袖の上、山路の露もしげくして、絞りやかねさせ給ひけん、山へも帰らせ給はず、御庵室へも入らせ給はず、御涙にむせばせ給ひ、あきれて立たせましましたる所に、内侍の尼参りつつ、花籃をば賜りけり。
 

大原入 平家物語
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大原御幸
おおはらごこう
六道之沙汰