徒然草171段 貝を覆ふ人:原文

さしたること 徒然草
第五部
171段
貝を覆ふ人
若きとき

 
 貝を覆ふ人の、我が前なるをば措きて、余所を見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆はれぬ。
よく覆ふ人は、余所までわりなく取るとは見えずして、近きばかり覆ふやうなれど、多く覆ふなり。
碁盤の隅に石を立てて弾くに、向かひなる石を目守りて弾くは、当たらず、我が手許をよく見て、ここなる聖目を直に弾けば、立てたる石、必ず当たる。
 

 よろづの事、外に向きて求むべからず。
ただ、ここもとを正しくすべし。
清献公が言葉に、「好事を行じて、前程を問ふことなかれ」と言へり。
世を保たん道も、かくや侍らん。
内を慎まず、軽く、ほしきままにして、みだりなれば、遠き国必ず叛く時、初めて謀を求む。
「風に当たり、湿に臥して、病を神礼に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるがごとし。
目の前なる人の愁へを止め、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。
禹の行きて三苗を征せし時も、師をかへして徳を敷くには如かざりき。