宇治拾遺物語:内記上人、法師陰陽師の紙冠を破る事

慈恵僧正 宇治拾遺物語
巻第十二
12-4 (140)
内記上人
持経者叡實

 
 内記上人寂心といふ人ありけり。道心堅固の人なり。「堂を造り、塔を立つる、最上の善根なり」とて、勘進せられけり。材木をば、播磨国に行きて取られけり。
 ここに法師陰陽師師冠を着て、祓するを見つけて、あわてて馬よりおりて、馳せ寄りて、「何わざし給ふ御坊ぞ」と問へば、「祓し候ふなり」と言ふ。
 「何しに紙冠をばしたるぞ」と問へば、「祓戸の神達は、法師をば忌み給へば、祓する程、暫くして侍るなり」と言ふに、上人声をあげて大に泣きて、陰陽師に取りかかれば、陰陽師心得ず仰天して、祓をしさして、「これはいかに」と言ふ。祓せさせる人も。あきれて居たり。上人冠を取りて引き破りて、泣き事限りなし。
 「いかに知りて、御坊は仏弟子となりて、祓戸の神達憎み給ふと言ひて、如来の忌み給ふ事を破りて、暫しも無間地獄の業をば作り給ふぞ。まことに悲しき事なり。ただ寂心を殺せ」と言ひて、取りつきて泣く事おびただし。
 陰陽師のいはく、「仰せらるる事、もとも道理なり。世の過ぎ難ければ、さりとてはとて、かくのごとく仕るなり。然らずは、何わざをしてかは、妻子をば養ひ、我が命をも続き侍らん。道心なければ、上人にもならず、法師の形に侍れど、俗人のごとくなれば、後世の事いかがと悲しく侍れど、世の習にて侍れば、かやうに侍るなり」と言ふ。
 上人のいふやう、「それはさもあれ、いかが三世如来の御首に冠をば著給ふ。不幸の堪へずして、かやうの事し給はば、堂造らん料に勘進し集めたる物どもを、汝になん賜ぶ。一人菩提に勘むれば、堂寺造るに勝れたる功徳なり」と言ひて、弟子どもを遣はして、材木取らんとて、勘進し集めたる物を、みな運び寄せて、この陰陽師に取らせつ。
 さて我が身は京に上り給ひにけり。