万葉集 全巻一覧:語句検索用

全体の配置 万葉集
全巻一覧
第一巻

 
 万葉集の全首一覧(20巻・4516首)。底本は西本願寺本とのこと。
 

 ブラウザの検索機能(Ctrl+F)で、万葉語句人物のシンプルで網羅的な検索が可能になったと思う。
 画面の推移を要せず、ハイライト表示され、同時に文字カウントもできる。
 iPhoneでは画面下の共有ボタンから、下段メニューを左にスライドし「ページを検索」
 Androidでは、Chromeの右上メニューボタンから「ページ内を検索…」を用いる。
 
 表記ぶれが多いので、特有語句に絞り、漢字ひらがな等角度をかえて検索し、かなで濁点ある場合それを除いて検索することも大事。

 歌番号のリンクは、巻別ページの題詞と左注・その読み下しに通じている。番号末尾の「左」は左注。左注は3巻先頭の人麻呂1首、11巻~15巻の5・8・5・13・8首(対になっている)の1+39=40首のみで、憶良主体の5巻と家持主体の17巻以降で皆無であることから、人麻呂・赤人による注と見る。

 

 

 

 

 末尾の人名は「作者」とされるものだが、基本的に多作などの根拠がない限り実の作者とは見れない。源氏物語は795首100人以上でも1人の作。1000首程度の古今以降の勅撰歌集に比し、万葉16巻4000首が無名の寄せ集めと見るより、貫之以上の実力者がまとめたと解するのが自然。というよりそれ以外に通る説明はできない。古今の業平認定と万葉の家持編纂認定は全く同じ構図。無名の圧倒的存在など認めることはできない。そんなことがあるわけがない。この作品は我々が規定しているという天才を認められない凡才達の思い込み。古今の文屋8貫之9が人麻呂と赤人の構図。貫之は諸々の配置で一般の業平認定を否定し文屋を立てた(文屋小町敏行のみ先頭連続:秋下恋二物名、業平を敏行で崩す恋三)。貫之が古今仮名序で人麻呂と赤人だけ挙げて讃え、家持を無視したのは、抜けた貴族社会の認定に対抗し、万葉は人麻呂と赤人の編纂としたから。貫之が理知的というのは他が非理知的だから。三代集やら八代集の撰者はせいぜい貫之と定家以外に歴史的実力者はいない。撰者の実力が歌集の影響力。

 

 一口に万葉といっても、各巻で歌詞の精神と重みが違う。

 1~2巻と3・4巻の中盤まで:人麻呂=古事記の安万侶集(原万葉。万侶集で万葉集。万侶=人麻呂(字形。没年符合)。3・4巻の終盤は家持が勝手に付け足したもの。

 5巻:憶良歌集(山上憶良と山部赤人合わせて山柿の門。と見るべきだろう。基本赤人に先行するが人麻呂無視)

 6巻~16巻:赤人による人麻呂を立てた選歌集(憶良牽制と人麻呂回復。古万葉。人麻呂の四巻の四分類×四季を掛けた極めて簡素な花鳥風月から、4×4でこの16巻まで人麻呂歌集の直後につく圧倒的無名は赤人の歌。これが貫之の仮名序でいう人麻呂の下を固めるという意味。
 17巻以降(現万葉):万葉に便乗した家持の付加と全体各部への付加。家持は編纂者ではなく簒奪者。

 
 つまり1~2巻・3~4巻前半が最重要、7~16巻が赤人と人麻呂の精神
 1・2巻は作者の表記にかかわらず、内実は人麻呂のミュージカル。先頭で連続する代作がそれを象徴。万葉1・2の雄略・舒明は古事記の歌の精神とその続編ということを示す(雄略は神のように振舞い屈服させられた天皇、古事記最後・推古の次が舒明)。16巻末尾の乞食者は、古事記を記した安万侶=人麻呂(大君の命をなぜか受けた歌人という内容)でそれのレクイエム。

 
 

万葉集 目次・全体構造
番号 割合 Main 特記
1-84 84 1.9%   1 人麻呂妻
-234 150 3.3%     古事記89
-483 249 5.5%     末家持
-792 309 6.8% 5   末家持
-906 114 2.5%   4 憶良 令和:宴会
-1067 161 3.6%     赤人 末福
-1417 350 7.8% 4   柿◆
-1663 246 5.4%     憶+赤 +家
-1811 148 3.3%     末福
-2350 539 11.9% 1   柿◆  
十一 -2840 490 10.9% 2   柿◆  
十二 -3220 380 8.4% 3   柿◆  
十三 -3347 127 2.8%   5 柿◆ 古事記91
十四 -3577 230 5.1%     柿◆ 東歌+防人
十五 -3785 208 4.6%     古歌
十六 -3889 104 2.3%   2 竹取翁 歌物語
 
 
十七 -4031 142 3.1%     家持 平群女郎
十八 -4138 107 2.4%   3 福麻呂 実質家持
十九 -4292 154 3.4%     家持  
二十 -4516 224 5.0%     家持 防人:部下
柿◆は人麻呂歌集。巻内部は全体の配置参照

第一巻

   
   1/1
原文 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母
訓読 篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
仮名 こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへきかな のらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそば のらめ いへをもなをも
  雄略天皇
   
  1/2
原文 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
訓読 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
仮名 やまとには むらやまあれど とりよろふ あめのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ うなはらは かまめたちたつ うましくにぞ あきづしま やまとのくには
  舒明天皇
   
  1/3
原文 八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里
訓読 やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり
仮名 やすみしし わがおほきみの あしたには とりなでたまひ ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり
  中皇命:間人老
   
  1/4
原文 玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
訓読 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野
仮名 たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの
  中皇命:間人老
   
  1/5
原文 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情
訓読 霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心
仮名 かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなけをれば たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおほきみの いでましの やまこすかぜの ひとりをる わがころもでに あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる  わがしたごころ
  軍王
   
  1/6
原文 山越乃 風乎時自見 寐<夜>不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
訓読 山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を 懸けて偲ひつ
仮名 やまごしの かぜをときじみ ぬるよおちず いへなるいもを かけてしのひつ
  軍王
   
  1/7
原文 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
訓読 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ
仮名 あきののの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ
  額田王
   
  1/8
原文 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
訓読 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
仮名 にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな
  額田王
   
  1/9
原文 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
訓読 莫囂円隣之大相七兄爪謁気 我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本
仮名 ***** ******* わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと
  額田王
   
  1/10
原文 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
訓読 君が代も 我が代も知るや 岩代の 岡の草根を いざ結びてな
仮名 きみがよも わがよもしるや いはしろの をかのくさねを いざむすびてな
  中皇命:間人皇女
   
  1/11
原文 吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
訓読 我が背子は 仮廬作らす 草なくは 小松が下の 草を刈らさね
仮名 わがせこは かりほつくらす かやなくは こまつがしたの かやをからさね
  中皇命:間人皇女
   
  1/12
原文 吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 [或頭云 吾欲 子嶋羽見遠]
訓読 我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ [或頭云 我が欲りし子島は見しを]
仮名 わがほりし のしまはみせつ そこふかき あごねのうらの たまぞひりはぬ [わがほりし こしまはみしを]
  中皇命:間人皇女
   
  1/13
原文 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉
訓読 香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
仮名 かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき
  中大兄:天智
   
  1/14
原文 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
訓読 香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し 印南国原
仮名 かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら
  中大兄:天智
   
  1/15
原文 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比<紗>之 今夜乃月夜 清明己曽
訓読 海神の 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけくありこそ
仮名 わたつみの とよはたくもに いりひさし こよひのつくよ さやけくありこそ
  中大兄:天智
   
  1/16
原文 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
訓読 冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山吾は
仮名 ふゆこもり はるさりくれば なかずありし とりもきなきぬ さかずありし はなもさけれど やまをしみ いりてもとらず くさふかみ とりてもみず あきやまの このはをみては もみちをば とりてぞしのふ あをきをば おきてぞなげく そこしうらめし あきやまわれは
  額田王
   
  1/17
原文 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
訓読 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
仮名 うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのまに いかくるまで みちのくま いつもるまでに つばらにも みつつゆかむを しばしばも みさけむやまを こころなく くもの かくさふべしや
  額田王
   
  1/18
原文 三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
訓読 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
仮名 みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなも かくさふべしや
  額田王
   
  1/19
原文 綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
訓読 綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく吾が背
仮名 へそかたの はやしのさきの さのはりの きぬにつくなす めにつくわがせ
  井戸王
   
  1/20
原文 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
訓読 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
仮名 あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる
  額田王
   
  1/21
原文 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
訓読 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも
仮名 むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに われこひめやも
  大海人
   
  1/22
原文 河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
訓読 川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて
仮名 かはのへの ゆついはむらに くさむさず つねにもがもな とこをとめにて
  吹芡刀自
   
  1/23
原文 打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須
訓読 打ち麻を麻続の王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります
仮名 うちそを をみのおほきみ あまなれや いらごのしまの たまもかります
  時人
   
  1/24
原文 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
訓読 うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食す
仮名 うつせみの いのちををしみ なみにぬれ いらごのしまの たまもかりをす
  麻続王
   
  1/25
原文 三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 <念>乍叙来 其山道乎
訓読 み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
仮名 みよしのの みみがのみねに ときなくぞ ゆきはふりける まなくぞ あめはふりける そのゆきの ときなきがごと そのあめの まなきがごと くまもおちず おもひつつぞくる そのやまみちを
  大海人:天武
   
  1/26
原文 三芳野之 耳我山尓 時自久曽 雪者落等言 無間曽 雨者落等言 其雪 不時如 其雨 無間如 隈毛不堕 思乍叙来 其山道乎
訓読 み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
仮名 みよしのの みみがのやまに ときじくぞ ゆきはふるといふ まなくぞ あめはふるといふ そのゆきの ときじきがごと そのあめの まなきがごと くまもおちず おもひつつぞくる そのやまみちを
  大海人:天武
   
  1/27
原文 淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見<与> 良人四来三
訓読 淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
仮名 よきひとの よしとよくみて よしといひし よしのよくみよ よきひとよくみ
  大海人:天武
   
  1/28
原文 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
仮名 はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま
  持統天皇
   
  1/29
原文 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 [或云 自宮] 阿礼座師 神之<盡> 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 [或云 食来] 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 [或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而] 何方 御念食可 [或云 所念計米可] 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 [或云 霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留] 百礒城之 大宮處 見者悲<毛> [或云 見者左夫思毛]
訓読 玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ [或云 宮ゆ] 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを [或云 めしける] そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え [或云 そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて] いかさまに 思ほしめせか [或云 思ほしけめか] 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる [或云 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる] ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも [或云 見れば寂しも]
仮名 たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ [みやゆ] あれましし かみのことごと つがのきの いやつぎつぎに あめのした しらしめししを [めしける] そらにみつ やまとをおきて あをによし ならやまをこえ [そらみつ やまとをおき あをによし ならやまこえて] いかさまに おもほしめせか [おもほしけめか] あまざかる ひなにはあれど いはばしる あふみのくにの ささなみの おほつのみやに あめのした しらしめしけむ すめろきの かみのみことの おほみやは ここときけども おほとのは ここといへども はるくさの しげくおひたる かすみたつ はるひのきれる [かすみたつ はるひかきれる なつくさか しげくなりぬる] ももしきの おほみやところ みればかなしも [みればさぶしも]
  柿本人麻呂
   
  1/30
原文 樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津
訓読 楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ
仮名 ささなみの しがのからさき さきくあれど おほみやひとの ふねまちかねつ
  柿本人麻呂
   
  1/31
原文 左散難弥乃 志我能 [一云 比良乃] 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛 [一云 将會跡母戸八]
訓読 楽浪の志賀の [一云 比良の] 大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも [一云 逢はむと思へや]
仮名 ささなみの しがの [ひらの] おほわだ よどむとも むかしのひとに またもあはめやも [あはむとおもへや]
  柿本人麻呂
   
  1/32
原文 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
訓読 古の人に我れあれや楽浪の古き都を見れば悲しき
仮名 いにしへの ひとにわれあれや ささなみの ふるきみやこを みればかなしき
  高市黒人
   
  1/33
原文 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
訓読 楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
仮名 ささなみの くにつみかみの うらさびて あれたるみやこ みればかなしも
  高市黒人
   
  1/34
原文 白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武 [一云 年者經尓計武]
訓読 白波の浜松が枝の手向け草幾代までにか年の経ぬらむ [一云 年は経にけむ]
仮名 しらなみの はままつがえの たむけくさ いくよまでにか としのへぬらむ [としはへにけむ]
  川島皇子
   
  1/35
原文 此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山
訓読 これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山
仮名 これやこの やまとにしては あがこふる きぢにありといふ なにおふせのやま
  阿閇皇女
   
  1/36
原文 八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟<競> 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高<思良>珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可<問>
訓読 やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも
仮名 やすみしし わがおほきみの きこしめす あめのしたに くにはしも さはにあれども やまかはの きよきかふちと みこころを よしののくにの はなぢらふ あきづののへに みやばしら ふとしきませば ももしきの おほみやひとは ふねなめて あさかはわたる ふなぎほひ ゆふかはわたる このかはの たゆることなく このやまの いやたかしらす みづはしる たきのみやこは みれどあかぬかも
  柿本人麻呂
   
  1/37
原文 雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟
訓読 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む
仮名 みれどあかぬ よしののかはの とこなめの たゆることなく またかへりみむ
  柿本人麻呂
   
  1/38
原文 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 <芳>野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為<勢><婆> 疊有 青垣山 々神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭<刺>理 [一云 黄葉加射之] <逝>副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨
訓読 やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 山神の 奉る御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり [一云 黄葉かざし] 行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
仮名 やすみしし わがおほきみ かむながら かむさびせすと よしのかは たぎつかふちに たかとのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば たたなはる あをかきやま やまつみの まつるみつきと はるへは はなかざしもち あきたてば もみちかざせり [もみちばかざし] ゆきそふ かはのかみも おほみけに つかへまつると かみつせに うかはをたち しもつせに さでさしわたす やまかはも よりてつかふる かみのみよかも
  柿本人麻呂
   
  1/39
原文 山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
訓読 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
仮名 やまかはも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも
  柿本人麻呂
   
  1/40
原文 鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 D嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香
訓読 嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
仮名 あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しほみつらむか
  柿本人麻呂
   
  1/41
原文 釼著 手節乃埼二 今<日>毛可母 大宮人之 玉藻苅良<武>
訓読 釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
仮名 くしろつく たふしのさきに けふもかも おほみやひとの たまもかるらむ
  柿本人麻呂
   
  1/42
原文 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
訓読 潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を
仮名 しほさゐに いらごのしまへ こぐふねに いものるらむか あらきしまみを
  柿本人麻呂
   
  1/43
原文 吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
訓読 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
仮名 わがせこは いづくゆくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ
  當麻真人麻呂妻
   
  1/44
原文 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞
訓読 我妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
仮名 わぎもこを いざみのやまを たかみかも やまとのみえぬ くにとほみかも
  石上麻呂
   
  1/45
原文 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須<等> 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而
訓読 やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠口の 初瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉限る 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
仮名 やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ かむながら かむさびせすと ふとしかす みやこをおきて こもりくの はつせのやまは まきたつ あらきやまぢを いはがね さへきおしなべ さかとりの あさこえまして たまかぎる ゆふさりくれば みゆきふる あきのおほのに はたすすき しのをおしなべ くさまくら たびやどりせす いにしへおもひて
  柿本人麻呂
   
  1/46
原文 阿騎乃<野>尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良<目>八方 古部念尓
訓読 安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに
仮名 あきののに やどるたびひと うちなびき いもぬらめやも いにしへおもふに
  柿本人麻呂
   
  1/47
原文 真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師
訓読 ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し
仮名 まくさかる あらのにはあれど もみちばの すぎにしきみが かたみとぞこし
  柿本人麻呂
   
  1/48
原文 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
訓読 東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
仮名 ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ
  柿本人麻呂
  のにかぎろひの;ののけぶりの
  たつみえて;たてるところみて, かへりみすれば;かへりみすれは, つきかたぶきぬ;つきかたふきぬ,
   
  1/49
原文 日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向
訓読 日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ
仮名 ひなみしの みこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ
  柿本人麻呂
   
  1/50
原文 八隅知之 吾大王 高照 日<乃>皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須<良>牟 伊蘇波久見者 神随尓有之
訓読 やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 桧のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神ながらにあらし
仮名 やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ あらたへの ふぢはらがうへに をすくにを めしたまはむと みあらかは たかしらさむと かむながら おもほすなへに あめつちも よりてあれこそ いはばしる あふみのくにの ころもでの たなかみやまの まきさく ひのつまでを もののふの やそうぢがはに たまもなす うかべながせれ そをとると さわくみたみも いへわすれ みもたなしらず かもじもの みづにうきゐて わがつくる ひのみかどに しらぬくに よしこせぢより わがくには とこよにならむ あやおへる くすしきかめも あらたよと いづみのかはに もちこせる まきのつまでを ももたらず いかだにつくり のぼすらむ いそはくみれば かむながらにあらし
  役民
   
  1/51
原文 婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
訓読 采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
仮名 うねめの そでふきかへす あすかかぜ みやこをとほみ いたづらにふく
  志貴皇子
   
  1/52
原文 八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山<跡> 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳<為>之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門<従> 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日<之>御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水
訓読 やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水
仮名 やすみしし わごおほきみ たかてらす ひのみこ あらたへの ふぢゐがはらに おほみかど はじめたまひて はにやすの つつみのうへに ありたたし めしたまへば やまとの あをかぐやまは ひのたての おほみかどに はるやまと しみさびたてり うねびの このみづやまは ひのよこの おほみかどに みづやまと やまさびいます みみなしの あをすがやまは そともの おほみかどに よろしなへ かむさびたてり なぐはし よしののやまは かげともの おほみかどゆ くもゐにぞ とほくありける たかしるや あめのみかげ あめしるや ひのみかげの みづこそば とこしへにあらめ みゐのましみづ
   
  1/53
原文 藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 <乏>吉<呂>賀聞
訓読 藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも
仮名 ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは ともしきろかも
   
  1/54
原文 巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
訓読 巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
仮名 こせやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのはな こせのはるのを
  坂門人足
   
  1/55
原文 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
訓読 あさもよし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
仮名 あさもよし きひとともしも まつちやま ゆきくとみらむ きひとともしも
  調首淡海
   
  1/56
原文 河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
訓読 川上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
仮名 かはかみの つらつらつばき つらつらに みれどもあかず こせのはるのは
  春日蔵首老
   
  1/57
原文 引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓
訓読 引間野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
仮名 ひくまのに にほふはりはら いりみだれ ころもにほはせ たびのしるしに
  長忌寸意吉麻呂
   
  1/58
原文 何所尓可 船泊為良武 安礼乃埼 榜多味行之 棚無小舟
訓読 いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
仮名 いづくにか ふなはてすらむ あれのさき こぎたみゆきし たななしをぶね
  高市黒人
   
  1/59
原文 流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良<武>
訓読 流らふる妻吹く風の寒き夜に我が背の君はひとりか寝らむ
仮名 ながらふる つまふくかぜの さむきよに わがせのきみは ひとりかぬらむ
  誉謝女王
   
  1/60
原文 暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武
訓読 宵に逢ひて朝面無み名張にか日長く妹が廬りせりけむ
仮名 よひにあひて あしたおもなみ なばりにか けながくいもが いほりせりけむ
  長皇子
   
  1/61
原文 <大>夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
訓読 大丈夫のさつ矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るにさやけし
仮名 ますらをの さつやたばさみ たちむかひ いるまとかたは みるにさやけし
  舎人娘子
   
  1/62
原文 在根良 對馬乃渡 々中尓 <幣>取向而 早還許年
訓読 在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね
仮名 ありねよし つしまのわたり わたなかに ぬさとりむけて はやかへりこね
  春日老
   
  1/63
原文 去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
訓読 いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
仮名 いざこども はやくやまとへ おほともの みつのはままつ まちこひぬらむ
  山上憶良
   
  1/64
原文 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 <倭>之所念
訓読 葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ
仮名 あしへゆく かものはがひに しもふりて さむきゆふへは やまとしおもほゆ
  志貴皇子
   
  1/65
原文 霰打 安良礼松原 住吉<乃> 弟日娘与 見礼常不飽香聞
訓読 霰打つ安良礼松原住吉の弟日娘女と見れど飽かぬかも
仮名 あられうつ あられまつばら すみのえの おとひをとめと みれどあかぬかも
  長皇子
   
  1/66
原文 大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由
訓読 大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ
仮名 おほともの たかしのはまの まつがねを まくらきぬれど いへししのはゆ
  置始東人
   
  1/67
原文 旅尓之而 物戀<之伎><尓 鶴之>鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
訓読 旅にしてもの恋ほしきに鶴が音も聞こえずありせば恋ひて死なまし
仮名 たびにして ものこほしきに たづがねも きこえずありせば こひてしなまし
  高安大嶋
   
  1/68
原文 大伴乃 美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉
訓読 大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや
仮名 おほともの みつのはまなる わすれがひ いへなるいもを わすれておもへや
  身人部王
   
  1/69
原文 草枕 客去君跡 知麻世婆 <崖>之<埴>布尓 仁寶播散麻思<呼>
訓読 草枕旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを
仮名 くさまくら たびゆくきみと しらませば きしのはにふに にほはさましを
  清江娘子
   
  1/70
原文 倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流
訓読 大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる
仮名 やまとには なきてかくらむ よぶこどり きさのなかやま よびぞこゆなる
  高市黒人
   
  1/71
原文 倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎<未>尓 多津鳴倍思哉
訓読 大和恋ひ寐の寝らえぬに心なくこの洲崎廻に鶴鳴くべしや
仮名 やまとこひ いのねらえぬに こころなく このすさきみに たづなくべしや
  忍坂部乙麻呂
   
  1/72
原文 玉藻苅 奥敝波不<榜> 敷妙<乃> 枕之邊人 忘可祢津藻
訓読 玉藻刈る沖へは漕がじ敷栲の枕のあたり忘れかねつも
仮名 たまもかる おきへはこがじ しきたへの まくらのあたり わすれかねつも
  藤原宇合
   
  1/73
原文 吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤
訓読 我妹子を早見浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ
仮名 わぎもこを はやみはまかぜ やまとなる あをまつつばき ふかざるなゆめ
  長皇子
   
  1/74
原文 見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟
訓読 み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我が独り寝む
仮名 みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも わがひとりねむ
  文武
   
  1/75
原文 宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓
訓読 宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに
仮名 うぢまやま あさかぜさむし たびにして ころもかすべき いももあらなくに
  長屋王
   
  1/76
原文 大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母
訓読 ますらをの鞆の音すなり物部の大臣盾立つらしも
仮名 ますらをの とものおとすなり もののふの おほまへつきみ たてたつらしも
  元明
   
  1/77
原文 吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久尓
訓読 吾が大君ものな思ほし皇神の継ぎて賜へる我なけなくに
仮名 わがおほきみ ものなおもほし すめかみの つぎてたまへる われなけなくに
  御名部皇女
   
  1/78
原文 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武 [一云 君之當乎 不見而香毛安良牟]
訓読 飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ [一云 君があたりを見ずてかもあらむ]
仮名 とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらむ [きみがあたりを みずてかもあらむ]
  元明
   
  1/79
原文 天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 H浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青<丹>吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之<水>凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武
訓読 大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ
仮名 おほきみの みことかしこみ にきびにし いへをおき こもりくの はつせのかはに ふねうけて わがゆくかはの かはくまの やそくまおちず よろづたび かへりみしつつ たまほこの みちゆきくらし あをによし ならのみやこの さほかはに いゆきいたりて わがねたる ころものうへゆ あさづくよ さやかにみれば たへのほに よるのしもふり いはとこと かはのみづこり さむきよを やすむことなく かよひつつ つくれるいへに ちよまでに きませおほきみよ われもかよはむ
   
  1/80
原文 青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
訓読 あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな
仮名 あをによし ならのいへには よろづよに われもかよはむ わするとおもふな
   
  1/81
原文 山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨
訓読 山辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子どもあひ見つるかも
仮名 やまのへの みゐをみがてり かむかぜの いせをとめども あひみつるかも
  長田王
   
  1/82
原文 浦佐夫流 情佐麻<祢>之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者
訓読 うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば
仮名 うらさぶる こころさまねし ひさかたの あめのしぐれの ながらふみれば
  長田王
   
  1/83
原文 海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武
訓読 海の底沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む
仮名 わたのそこ おきつしらなみ たつたやま いつかこえなむ いもがあたりみむ
  長田王
   
  1/84
原文 秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍
訓読 秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上
仮名 あきさらば いまもみるごと つまごひに かなかむやまぞ たかのはらのうへ
  長皇子
   

第二巻

   
   2/85
原文 君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 <待尓>可将待
訓読 君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ
仮名 きみがゆき けながくなりぬ やまたづね むかへかゆかむ まちにかまたむ
  磐姫皇后
   
  2/86
原文 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物<呼>
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを
仮名 かくばかり こひつつあらずは たかやまの いはねしまきて しなましものを
  磐姫皇后
   
  2/87
原文 在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日
訓読 ありつつも君をば待たむうち靡く我が黒髪に霜の置くまでに
仮名 ありつつも きみをばまたむ うちなびく わがくろかみに しものおくまでに
  磐姫皇后
   
  2/88
原文 秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息
訓読 秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ
仮名 あきのたの ほのへにきらふ あさかすみ いつへのかたに あがこひやまむ
  磐姫皇后
   
  2/89
原文 居明而 君乎者将待 奴婆珠<能> 吾黒髪尓 霜者零騰文
訓読 居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも
仮名 ゐあかして きみをばまたむ ぬばたまの わがくろかみに しもはふるとも
  磐姫皇后 古歌
   
  2/90
原文 君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待
訓読 君が行き日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ
仮名 きみがゆき けながくなりぬ やまたづの むかへをゆかむ まつにはまたじ
  磐姫皇后 衣通王(衣通姫)
   
  2/91
原文 妹之家毛 継而見麻思乎 山跡有 大嶋嶺尓 家母有猿尾 [一云 妹之當継而毛見武尓] [一云 家居麻之乎]
訓読 妹が家も継ぎて見ましを大和なる大島の嶺に家もあらましを [一云 妹があたり継ぎても見むに] [一云 家居らましを]
仮名 いもがいへも つぎてみましを やまとなる おほしまのねに いへもあらましを [いもがあたり つぎてもみむに][いへをらましを]
  天智天皇
   
  2/92
原文 秋山之 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者
訓読 秋山の木の下隠り行く水の我れこそ益さめ御思ひよりは
仮名 あきやまの このしたがくり ゆくみづの われこそまさめ みおもひよりは
  鏡王女
   
  2/93
原文 玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜<裳>
訓読 玉櫛笥覆ふを安み明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも
仮名 たまくしげ おほふをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも
  鏡王女
   
  2/94
原文 玉匣 将見圓山乃 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之<自> [玉匣 三室戸山乃]
訓読 玉櫛笥みむろの山のさな葛さ寝ずはつひに有りかつましじ [玉くしげ三室戸山の]
仮名 たまくしげ みむろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ [たまくしげ みむろとやまの]
  藤原鎌足
   
  2/95
原文 吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利
訓読 我れはもや安見児得たり皆人の得かてにすとふ安見児得たり
仮名 われはもや やすみこえたり みなひとの えかてにすとふ やすみこえたり
  藤原鎌足
   
  2/96
原文 水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人<佐>備而 不欲常将言可聞 [禅師]
訓読 み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも [禅師]
仮名 みこもかる しなぬのまゆみ わがひかば うまひとさびて いなといはむかも
  久米禅師
   
  2/97
原文 三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強<佐>留行事乎 知跡言莫君二 [郎女]
訓読 み薦刈る信濃の真弓引かずして強ひさるわざを知ると言はなくに [郎女]
仮名 みこもかる しなぬのまゆみ ひかずして しひさるわざを しるといはなくに
  石川郎女
   
  2/98
原文 梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨 [郎女]
訓読 梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも [郎女]
仮名 あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも
  石川郎女
   
  2/99
原文 梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引 [禅師]
訓読 梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く [禅師]
仮名 あづさゆみ つらをとりはけ ひくひとは のちのこころを しるひとぞひく
  久米禅師
   
  2/100
原文 東人之 荷向篋乃 荷之緒尓毛 妹情尓 乗尓家留香問 [禅師]
訓読 東人の荷前の箱の荷の緒にも妹は心に乗りにけるかも [禅師]
仮名 あづまひとの のさきのはこの にのをにも いもはこころに のりにけるかも
  久米禅師
   
  2/101
原文 玉葛 實不成樹尓波 千磐破 神曽著常云 不成樹別尓
訓読 玉葛実ならぬ木にはちはやぶる神ぞつくといふならぬ木ごとに
仮名 たまかづら みならぬきには ちはやぶる かみぞつくといふ ならぬきごとに
  大伴安麻呂
   
  2/102
原文 玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀尓有目 吾孤悲念乎
訓読 玉葛花のみ咲きてならずあるは誰が恋にあらめ我れ恋ひ思ふを
仮名 たまかづら はなのみさきて ならずあるは たがこひにあらめ あはこひもふを
  巨勢郎女
   
  2/103
原文 吾里尓 大雪落有 大原乃 古尓之郷尓 落巻者後
訓読 我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後
仮名 わがさとに おほゆきふれり おほはらの ふりにしさとに ふらまくはのち
  天武天皇
   
  2/104
原文 吾岡之 於可美尓言而 令落 雪之摧之 彼所尓塵家武
訓読 我が岡のおかみに言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ
仮名 わがをかの おかみにいひて ふらしめし ゆきのくだけし そこにちりけむ
  藤原夫人
   
  2/105
原文 吾勢I乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
訓読 我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし
仮名 わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに われたちぬれし
  大伯皇女
   
  2/106
原文 二人行杼 去過難寸 秋山乎 如何君之 獨越武
訓読 ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ
仮名 ふたりゆけど ゆきすぎかたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらむ
  大伯皇女
   
  2/107
原文 足日木乃 山之四付二 妹待跡 吾立所<沾> 山之四附二
訓読 あしひきの山のしづくに妹待つと我れ立ち濡れぬ山のしづくに
仮名 あしひきの やまのしづくに いもまつと われたちぬれぬ やまのしづくに
  大津皇子
   
  2/108
原文 吾乎待跡 君之<沾>計武 足日木能 山之四附二 成益物乎
訓読 我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを
仮名 あをまつと きみがぬれけむ あしひきの やまのしづくに ならましものを
  石川郎女
   
  2/109
原文 大船之 津守之占尓 将告登波 益為尓知而 我二人宿之
訓読 大船の津守が占に告らむとはまさしに知りて我がふたり寝し
仮名 おほぶねの つもりがうらに のらむとは まさしにしりて わがふたりねし
  大津皇子
   
  2/110
原文 大名兒 彼方野邊尓 苅草乃 束之間毛 吾忘目八
訓読 大名児を彼方野辺に刈る草の束の間も我れ忘れめや
仮名 おほなこを をちかたのへに かるかやの つかのあひだも われわすれめや
  日並皇子:草壁皇子
   
  2/111
原文 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 <鳴><濟>遊久
訓読 いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く
仮名 いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みゐのうへより なきわたりゆく
  弓削皇子
   
  2/112
原文 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾<念>流<碁>騰
訓読 いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が念へるごと
仮名 いにしへに こふらむとりは ほととぎす けだしやなきし あがもへるごと
  額田王
   
  2/113
原文 三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
訓読 み吉野の玉松が枝ははしきかも君が御言を持ちて通はく
仮名 みよしのの たままつがえは はしきかも きみがみことを もちてかよはく
  額田王
   
  2/114
原文 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
訓読 秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも
仮名 あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも
  但馬皇女
   
  2/115
原文 遺居<而> 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背
仮名 おくれゐて こひつつあらずは おひしかむ みちのくまみに しめゆへわがせ
  但馬皇女
   
  2/116
原文 人事乎 繁美許知痛美 己世尓 未渡 朝川渡
訓読 人言を繁み言痛みおのが世にいまだ渡らぬ朝川渡る
仮名 ひとごとを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかはわたる
  但馬皇女
   
  2/117
原文 大夫哉 片戀将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚戀二家里
訓読 ますらをや片恋せむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり
仮名 ますらをや かたこひせむと なげけども しこのますらを なほこひにけり
  舎人皇子
   
  2/118
原文 <嘆>管 大夫之 戀礼許曽 吾髪結乃 漬而奴礼計礼
訓読 嘆きつつますらをのこの恋ふれこそ我が髪結ひの漬ちてぬれけれ
仮名 なげきつつ ますらをのこの こふれこそ わがかみゆひの ひちてぬれけれ
  舎人娘子
   
  2/119
原文 芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢<濃>香問
訓読 吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも
仮名 よしのかは ゆくせのはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも
  弓削皇子
   
  2/120
原文 吾妹兒尓 戀乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾
訓読 我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを
仮名 わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを
  弓削皇子
   
  2/121
原文 暮去者 塩満来奈武 住吉乃 淺鹿乃浦尓 玉藻苅手名
訓読 夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな
仮名 ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな
  弓削皇子
   
  2/122
原文 大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓
訓読 大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子故に
仮名 おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに
  弓削皇子
   
  2/123
原文 多氣婆奴礼 多香根者長寸 妹之髪 此来不見尓 掻入津良武香 [三方沙弥]
訓読 たけばぬれたかねば長き妹が髪このころ見ぬに掻き入れつらむか [三方沙弥]
仮名 たけばぬれ たかねばながき いもがかみ このころみぬに かきいれつらむか
  三方沙弥
   
  2/124
原文 人皆者 今波長跡 多計登雖言 君之見師髪 乱有等母 [娘子]
訓読 人皆は今は長しとたけと言へど君が見し髪乱れたりとも [娘子]
仮名 ひとみなは いまはながしと たけといへど きみがみしかみ みだれたりとも
  園生羽女
   
  2/125
原文 橘之 蔭履路乃 八衢尓 物乎曽念 妹尓不相而 [三方沙弥]
訓読 橘の蔭踏む道の八衢に物をぞ思ふ妹に逢はずして [三方沙弥]
仮名 たちばなの かげふむみちの やちまたに ものをぞおもふ いもにあはずして
  三方沙弥
   
  2/126
原文 遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士
訓読 風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士
仮名 みやびをと われはきけるを やどかさず われをかへせり おそのみやびを
  石川女郎
   
  2/127
原文 遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有
訓読 風流士に我れはありけりやど貸さず帰しし我れぞ風流士にはある
仮名 みやびをに われはありけり やどかさず かへししわれぞ みやびをにはある
  大伴田主
   
  2/128
原文 吾聞之 耳尓好似 葦若<末>乃 足痛吾勢 勤多扶倍思
訓読 我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし
仮名 わがききし みみによくにる あしのうれの あしひくわがせ つとめたぶべし
  石川女郎
   
  2/129
原文 古之 嫗尓為而也 如此許 戀尓将沈 如手童兒 [戀乎<大>尓忍金手武多和良波乃如]
訓読 古りにし嫗にしてやかくばかり恋に沈まむ手童のごと [恋をだに忍びかねてむ手童のごと]
仮名 ふりにし おみなにしてや かくばかり こひにしづまむ たわらはのごと [こひをだに しのびかねてむ たわらはのごと]
  石川女郎
   
  2/130
原文 丹生乃河 瀬者不渡而 由久遊久登 戀痛吾弟 乞通来祢
訓読 丹生の川瀬は渡らずてゆくゆくと恋痛し我が背いで通ひ来ね
仮名 にふのかは せはわたらずて ゆくゆくと こひたしわがせ いでかよひこね
  長皇子
   
  2/131
原文 石見乃海 角乃浦廻乎 浦無等 人社見良目 滷無等 [一云 礒無登] 人社見良目 能咲八師 浦者無友 縦畫屋師 滷者 [一云 礒者] 無鞆 鯨魚取 海邊乎指而 和多豆乃 荒礒乃上尓 香青生 玉藻息津藻 朝羽振 風社依米 夕羽振流 浪社来縁 浪之共 彼縁此依 玉藻成 依宿之妹乎 [一云 波之伎余思 妹之手本乎] 露霜乃 置而之来者 此道乃 八十隈毎 萬段 顧為騰 弥遠尓 里者放奴 益高尓 山毛越来奴 夏草之 念思奈要而 志<怒>布良武 妹之門将見 靡此山
訓読 石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと [一云 礒なしと] 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟は [一云 礒は] なくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を [一云 はしきよし 妹が手本を] 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
仮名 いはみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ かたなしと [いそなしと] ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたは [いそは] なくとも いさなとり うみへをさして にきたづの ありそのうへに かあをなる たまもおきつも あさはふる かぜこそよせめ ゆふはふる なみこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす よりねしいもを [はしきよし いもがたもとを] つゆしもの おきてしくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに さとはさかりぬ いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもひしなえて しのふらむ いもがかどみむ なびけこのやま
  柿本人麻呂
   
  2/132
原文 石見乃也 高角山之 木際従 我振袖乎 妹見都良武香
訓読 石見のや高角山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか
仮名 いはみのや たかつのやまの このまより わがふるそでを いもみつらむか
  柿本人麻呂
   
  2/133
原文 小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆
訓読 笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば
仮名 ささのはは みやまもさやに さやげども われはいもおもふ わかれきぬれば
  柿本人麻呂
   
  2/134
原文 石見尓有 高角山乃 木間従文 吾袂振乎 妹見監鴨
訓読 石見なる高角山の木の間ゆも我が袖振るを妹見けむかも
仮名 いはみなる たかつのやまの このまゆも わがそでふるを いもみけむかも
  柿本人麻呂
   
  2/135
原文 角<障>經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽 深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃 [一云 室上山] 山乃 自雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而<沾>奴
訓読 つのさはふ 石見の海の 言さへく 唐の崎なる 海石にぞ 深海松生ふる 荒礒にぞ 玉藻は生ふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は 幾だもあらず 延ふ蔦の 別れし来れば 肝向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の 黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の [一云 室上山] 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫と 思へる我れも 敷栲の 衣の袖は 通りて濡れぬ
仮名 つのさはふ いはみのうみの ことさへく からのさきなる いくりにぞ ふかみるおふる ありそにぞ たまもはおふる たまもなす なびきねしこを ふかみるの ふかめておもへど さねしよは いくだもあらず はふつたの わかれしくれば きもむかふ こころをいたみ おもひつつ かへりみすれど おほぶねの わたりのやまの もみちばの ちりのまがひに いもがそで さやにもみえず つまごもる やかみの [むろかみやま] やまの くもまより わたらふつきの をしけども かくらひくれば あまづたふ いりひさしぬれ ますらをと おもへるわれも しきたへの ころものそでは とほりてぬれぬ
  柿本人麻呂
   
  2/136
原文 青駒之 足掻乎速 雲居曽 妹之當乎 過而来計類 [一云 當者隠来計留]
訓読 青駒が足掻きを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける [一云 あたりは隠り来にける]
仮名 あをこまが あがきをはやみ くもゐにぞ いもがあたりを すぎてきにける [あたりは かくりきにける]
  柿本人麻呂
   
  2/137
原文 秋山尓 落黄葉 須臾者 勿散乱曽 妹之<當>将見 [一云 知里勿乱曽]
訓読 秋山に落つる黄葉しましくはな散り乱ひそ妹があたり見む [一云 散りな乱ひそ]
仮名 あきやまに おつるもみちば しましくは なちりまがひそ いもがあたりみむ [ちりなまがひそ]
  柿本人麻呂
   
  2/138
原文 石見之海 津乃浦乎無美 浦無跡 人社見良米 滷無跡 人社見良目 吉咲八師 浦者雖無 縦恵夜思 潟者雖無 勇魚取 海邊乎指而 柔田津乃 荒礒之上尓 蚊青生 玉藻息都藻 明来者 浪己曽来依 夕去者 風己曽来依 浪之共 彼依此依 玉藻成 靡吾宿之 敷妙之 妹之手本乎 露霜乃 置而之来者 此道之 八十隈毎 萬段 顧雖為 弥遠尓 里放来奴 益高尓 山毛超来奴 早敷屋師 吾嬬乃兒我 夏草乃 思志萎而 将嘆 角里将見 靡此山
訓読 石見の海 津の浦をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 柔田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 明け来れば 波こそ来寄れ 夕されば 風こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 靡き我が寝し 敷栲の 妹が手本を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ はしきやし 我が妻の子が 夏草の 思ひ萎えて 嘆くらむ 角の里見む 靡けこの山
仮名 いはみのうみ つのうらをなみ うらなしと ひとこそみらめ かたなしと ひとこそみらめ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし かたはなくとも いさなとり うみべをさして にきたつの ありそのうへに かあをなる たまもおきつも あけくれば なみこそきよれ ゆふされば かぜこそきよれ なみのむた かよりかくより たまもなす なびきわがねし しきたへの いもがたもとを つゆしもの おきてしくれば このみちの やそくまごとに よろづたび かへりみすれど いやとほに さとさかりきぬ いやたかに やまもこえきぬ はしきやし わがつまのこが なつくさの おもひしなえて なげくらむ つののさとみむ なびけこのやま
  柿本人麻呂
   
  2/139
原文 石見之海 打歌山乃 木際従 吾振袖乎 妹将見香
訓読 石見の海打歌の山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか
仮名 いはみのうみ うつたのやまの このまより わがふるそでを いもみつらむか
  柿本人麻呂
   
  2/140
原文 勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不戀有牟
訓読 な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひずあらむ
仮名 なおもひと きみはいへども あはむとき いつとしりてか あがこひずあらむ
  柿本人麻呂
   
  2/141
原文 磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
訓読 磐白の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む
仮名 いはしろの はままつがえを ひきむすび まさきくあらば またかへりみむ
  有間皇子
   
  2/142
原文 家有者 笥尓盛飯乎 草枕 旅尓之有者 椎之葉尓盛
訓読 家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
仮名 いへにあれば けにもるいひを くさまくら たびにしあれば しひのはにもる
  有間皇子
   
  2/143
原文 磐代乃 <崖>之松枝 将結 人者反而 復将見鴨
訓読 磐代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも
仮名 いはしろの きしのまつがえ むすびけむ ひとはかへりて またみけむかも
  長意吉麻呂
   
  2/144
原文 磐代之 野中尓立有 結松 情毛不解 古所念[未詳]
訓読 磐代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ[未詳]
仮名 いはしろの のなかにたてる むすびまつ こころもとけず いにしへおもほゆ
  長意吉麻呂
   
  2/145
原文 鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武
訓読 鳥翔成あり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
仮名 あまがけり ありがよひつつ みらめども ひとこそしらね まつはしるらむ
  山上憶良
   
  2/146
原文 後将見跡 君之結有 磐代乃 子松之宇礼乎 又将見香聞
訓読 後見むと君が結べる磐代の小松がうれをまたも見むかも
仮名 のちみむと きみがむすべる いはしろの こまつがうれを またもみむかも
   
  2/147
原文 天原 振放見者 大王乃 御壽者長久 天足有
訓読 天の原振り放け見れば大君の御寿は長く天足らしたり
仮名 あまのはら ふりさけみれば おほきみの みいのちはながく あまたらしたり
  倭皇后
   
  2/148
原文 青旗乃 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目尓者雖視 直尓不相香裳
訓読 青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はぬかも
仮名 あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども ただにあはぬかも
  倭皇后
   
  2/149
原文 人者縦 念息登母 玉蘰 影尓所見乍 不所忘鴨
訓読 人はよし思ひやむとも玉葛影に見えつつ忘らえぬかも
仮名 ひとはよし おもひやむとも たまかづら かげにみえつつ わすらえぬかも
  倭皇后
   
  2/150
原文 空蝉師 神尓不勝者 離居而 朝嘆君 放居而 吾戀君 玉有者 手尓巻持而 衣有者 脱時毛無 吾戀 君曽伎賊乃夜 夢所見鶴
訓読 うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君 放り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて 衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君ぞ昨夜の夜 夢に見えつる
仮名 うつせみし かみにあへねば はなれゐて あさなげくきみ さかりゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて きぬならば ぬくときもなく あがこふる きみぞきぞのよ いめにみえつる
  婦人
   
  2/151
原文 如是有乃 <懐>知勢婆 大御船 泊之登萬里人 標結麻思乎 [額田王]
訓読 かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを [額田王]
仮名 かからむと かねてしりせば おほみふね はてしとまりに しめゆはましを
  額田王
   
  2/152
原文 八隅知之 吾期大王乃 大御船 待可将戀 四賀乃辛埼 [舎人吉年]
訓読 やすみしし我ご大君の大御船待ちか恋ふらむ志賀の唐崎 [舎人吉年]
仮名 やすみしし わごおほきみの おほみふね まちかこふらむ しがのからさき
  舎人吉年
   
  2/153
原文 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船 邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
訓読 鯨魚取り 近江の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺付きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ
仮名 いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎきたるふね へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ
  倭皇后
   
  2/154
原文 神樂浪乃 大山守者 為誰<可> 山尓標結 君毛不有國
訓読 楽浪の大山守は誰がためか山に標結ふ君もあらなくに
仮名 ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに
  石川夫人
   
  2/155
原文 八隅知之 和期大王之 恐也 御陵奉仕流 山科乃 鏡山尓 夜者毛 夜之盡 晝者母 日之盡 哭耳<呼> 泣乍在而哉 百礒城乃 大宮人者 去別南
訓読 やすみしし 我ご大君の 畏きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 哭のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ
仮名 やすみしし わごおほきみの かしこきや みはかつかふる やましなの かがみのやまに よるはも よのことごと ひるはも ひのことごと ねのみを なきつつありてや ももしきの おほみやひとは ゆきわかれなむ
  額田王
   
  2/156
原文 三諸之 神之神須疑 已具耳矣自得見監乍共 不寝夜叙多
訓読 みもろの神の神杉已具耳矣自得見監乍共寝ねぬ夜ぞ多き
仮名 みもろの かみのかむすぎ ***** ******* いねぬよぞおほき
  高市皇子
   
  2/157
原文 神山之 山邊真蘇木綿 短木綿 如此耳故尓 長等思伎
訓読 三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき
仮名 みわやまの やまへまそゆふ みじかゆふ かくのみからに ながくとおもひき
  高市皇子
   
  2/158
原文 山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴
訓読 山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
仮名 やまぶきの たちよそひたる やましみづ くみにゆかめど みちのしらなく
  高市皇子
   
  2/159
原文 八隅知之 我大王之 暮去者 召賜良之 明来者 問賜良志 神岳乃 山之黄葉乎 今日毛鴨 問給麻思 明日毛鴨 召賜萬旨 其山乎 振放見乍 暮去者 綾哀 明来者 裏佐備晩 荒妙乃 衣之袖者 乾時文無
訓読 やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに悲しみ 明け来れば うらさび暮らし 荒栲の 衣の袖は 干る時もなし
仮名 やすみしし わがおほきみの ゆふされば めしたまふらし あけくれば とひたまふらし かむおかの やまのもみちを けふもかも とひたまはまし あすもかも めしたまはまし そのやまを ふりさけみつつ ゆふされば あやにかなしみ あけくれば うらさびくらし あらたへの ころものそでは ふるときもなし
  持統天皇
   
  2/160
原文 燃火物 取而褁而 福路庭 入澄不言八面 智男雲
訓読 燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲
仮名 もゆるひも とりてつつみて ふくろには いるといはずやも ***
  持統天皇
   
  2/161
原文 向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月<矣>離而
訓読 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて
仮名 きたやまに たなびくくもの あをくもの ほしさかりゆき つきをはなれて
  持統天皇
   
  2/162
原文 明日香能 清御原乃宮尓 天下 所知食之 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 何方尓 所念食可 神風乃 伊勢能國者 奥津藻毛 靡足波尓 塩氣能味 香乎礼流國尓 味凝 文尓乏寸 高照 日之御子
訓読 明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に 潮気のみ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子
仮名 あすかの きよみのみやに あめのした しらしめしし やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ いかさまに おもほしめせか かむかぜの いせのくには おきつもも なみたるなみに しほけのみ かをれるくにに うまこり あやにともしき たかてらす ひのみこ
  持統天皇
   
  2/163
原文 神風<乃> 伊勢能國尓<母> 有益乎 奈何可来計武 君毛不有尓
訓読 神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに
仮名 かむかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけむ きみもあらなくに
  大伯皇女
   
  2/164
原文 欲見 吾為君毛 不有尓 奈何可来計武 馬疲尓
訓読 見まく欲り我がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに
仮名 みまくほり わがするきみも あらなくに なにしかきけむ うまつかるるに
  大伯皇女
   
  2/165
原文 宇都曽見乃 人尓有吾哉 従明日者 二上山乎 弟世登吾将見
訓読 うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む
仮名 うつそみの ひとにあるわれや あすよりは ふたかみやまを いろせとわがみむ
  大伯皇女
   
  2/166
原文 礒之於尓 生流馬酔木<乎> 手折目杼 令視倍吉君之 在常不言尓
訓読 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
仮名 いそのうへに おふるあしびを たをらめど みすべききみが ありといはなくに
  大伯皇女
   
  2/167
原文 天地之 <初時> 久堅之 天河原尓 八百萬 千萬神之 神集 々座而 神分 々之時尓 天照 日女之命 [一云 指上 日女之命] 天乎婆 所知食登 葦原乃 水穂之國乎 天地之 依相之極 所知行 神之命等 天雲之 八重掻別而 [一云 天雲之 八重雲別而] 神下 座奉之 高照 日之皇子波 飛鳥之 浄之宮尓 神随 太布座而 天皇之 敷座國等 天原 石門乎開 神上 々座奴 [一云 神登 座尓之可婆] 吾王 皇子之命乃 天下 所知食世者 春花之 貴在等 望月乃 満波之計武跡 天下 [一云 食國] 四方之人乃 大船之 思憑而 天水 仰而待尓 何方尓 御念食可 由縁母無 真弓乃岡尓 宮柱 太布座 御在香乎 高知座而 明言尓 御言不御問 日月之 數多成塗 其故 皇子之宮人 行方不知毛 [一云 刺竹之 皇子宮人 歸邊不知尓為]
訓読 天地の 初めの時 ひさかたの 天の河原に 八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして 神分り 分りし時に 天照らす 日女の命 [一云 さしのぼる 日女の命] 天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を 天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と 天雲の 八重かき別きて [一云 天雲の八重雲別きて] 神下し いませまつりし 高照らす 日の御子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に 神ながら 太敷きまして すめろきの 敷きます国と 天の原 岩戸を開き 神上り 上りいましぬ [一云 神登り いましにしかば] 我が大君 皇子の命の 天の下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月の 満しけむと 天の下 食す国 四方の人の 大船の 思ひ頼みて 天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 ゆくへ知らずも [一云 さす竹の 皇子の宮人 ゆくへ知らにす]
仮名 あめつちの はじめのとき ひさかたの あまのかはらに やほよろづ ちよろづかみの かむつどひ つどひいまして かむはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと [さしのぼる ひるめのみこと] あめをば しらしめすと あしはらの みづほのくにを あめつちの よりあひのきはみ しらしめす かみのみことと あまくもの やへかきわきて [あまくもの やへくもわきて] かむくだし いませまつりし たかてらす ひのみこは とぶとりの きよみのみやに かむながら ふとしきまして すめろきの しきますくにと あまのはら いはとをひらき かむあがり あがりいましぬ [かむのぼり いましにしかば] わがおほきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば はるはなの たふとくあらむと もちづきの たたはしけむと あめのした [をすくに] よものひとの おほぶねの おもひたのみて あまつみづ あふぎてまつに いかさまに おもほしめせか つれもなき まゆみのをかに みやばしら ふとしきいまし みあらかを たかしりまして あさことに みこととはさぬ ひつきの まねくなりぬれ そこゆゑに みこのみやひと ゆくへしらずも [さすたけの みこのみやひと ゆくへしらにす]
  柿本人麻呂
   
  2/168
原文 久堅乃 天見如久 仰見之 皇子乃御門之 荒巻惜毛
訓読 ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも
仮名 ひさかたの あめみるごとく あふぎみし みこのみかどの あれまくをしも
  柿本人麻呂
   
  2/169
原文 茜刺 日者雖照者 烏玉之 夜渡月之 隠良久惜毛
訓読 あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも
仮名 あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくをしも
  柿本人麻呂
   
  2/170
原文 嶋宮 勾乃池之 放鳥 人目尓戀而 池尓不潜
訓読 嶋の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かず
仮名 しまのみや まがりのいけの はなちとり ひとめにこひて いけにかづかず
  柿本人麻呂
   
  2/171
原文 高光 我日皇子乃 萬代尓 國所知麻之 嶋宮<波>母
訓読 高照らす我が日の御子の万代に国知らさまし嶋の宮はも
仮名 たかてらす わがひのみこの よろづよに くにしらさまし しまのみやはも
  舎人
   
  2/172
原文 嶋宮 上池有 放鳥 荒備勿行 君不座十方
訓読 嶋の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君座さずとも
仮名 しまのみや うへのいけなる はなちとり あらびなゆきそ きみまさずとも
  舎人
   
  2/173
原文 高光 吾日皇子乃 伊座世者 嶋御門者 不荒有益乎
訓読 高照らす我が日の御子のいましせば島の御門は荒れずあらましを
仮名 たかてらす わがひのみこの いましせば しまのみかどは あれずあらましを
  舎人
   
  2/174
原文 外尓見之 檀乃岡毛 君座者 常都御門跡 侍宿為鴨
訓読 外に見し真弓の岡も君座せば常つ御門と侍宿するかも
仮名 よそにみし まゆみのをかも きみませば とこつみかどと とのゐするかも
  舎人
   
  2/175
原文 夢尓谷 不見在之物乎 欝悒 宮出毛為鹿 佐日之<隈>廻乎
訓読 夢にだに見ずありしものをおほほしく宮出もするかさ桧の隈廻を
仮名 いめにだに みずありしものを おほほしく みやでもするか さひのくまみを
  舎人
   
  2/176
原文 天地与 共将終登 念乍 奉仕之 情違奴
訓読 天地とともに終へむと思ひつつ仕へまつりし心違ひぬ
仮名 あめつちと ともにをへむと おもひつつ つかへまつりし こころたがひぬ
  舎人
   
  2/177
原文 朝日弖流 佐太乃岡邊尓 群居乍 吾等哭涙 息時毛無
訓読 朝日照る佐田の岡辺に群れ居つつ我が泣く涙やむ時もなし
仮名 あさひてる さだのをかへに むれゐつつ わがなくなみた やむときもなし
  舎人
   
  2/178
原文 御立為之 嶋乎見時 庭多泉 流涙 止曽金鶴
訓読 み立たしの島を見る時にはたづみ流るる涙止めぞかねつる
仮名 みたたしの しまをみるとき にはたづみ ながるるなみた とめぞかねつる
  舎人
   
  2/179
原文 橘之 嶋宮尓者 不飽鴨 佐<田>乃岡邊尓 侍宿為尓徃
訓読 橘の嶋の宮には飽かぬかも佐田の岡辺に侍宿しに行く
仮名 たちばなの しまのみやには あかぬかも さだのをかへに とのゐしにゆく
  舎人
   
  2/180
原文 御立為之 嶋乎母家跡 住鳥毛 荒備勿行 年替左右
訓読 み立たしの島をも家と棲む鳥も荒びな行きそ年かはるまで
仮名 みたたしの しまをもいへと すむとりも あらびなゆきそ としかはるまで
  舎人
   
  2/181
原文 御立為之 嶋之荒礒乎 今見者 不生有之草 生尓来鴨
訓読 み立たしの島の荒礒を今見れば生ひざりし草生ひにけるかも
仮名 みたたしの しまのありそを いまみれば おひざりしくさ おひにけるかも
  舎人
   
  2/182
原文 鳥M立 飼之鴈乃兒 栖立<去>者 檀岡尓 飛反来年
訓読 鳥座立て飼ひし雁の子巣立ちなば真弓の岡に飛び帰り来ね
仮名 とぐらたて かひしかりのこ すだちなば まゆみのをかに とびかへりこね
  舎人
   
  2/183
原文 吾御門 千代常登婆尓 将榮等 念而有之 吾志悲毛
訓読 我が御門千代とことばに栄えむと思ひてありし我れし悲しも
仮名 わがみかど ちよとことばに さかえむと おもひてありし われしかなしも
  舎人
   
  2/184
原文 東乃 多藝能御門尓 雖伺侍 昨日毛今日毛 召言毛無
訓読 東のたぎの御門に侍へど昨日も今日も召す言もなし
仮名 ひむがしの たぎのみかどに さもらへど きのふもけふも めすこともなし
  舎人
   
  2/185
原文 水傳 礒乃浦廻乃 石<上>乍自 木丘開道乎 又将見鴨
訓読 水伝ふ礒の浦廻の岩つつじ茂く咲く道をまたも見むかも
仮名 みなつたふ いそのうらみの いはつつじ もくさくみちを またもみむかも
  舎人
   
  2/186
原文 一日者 千遍参入之 東乃 大寸御門乎 入不勝鴨
訓読 一日には千たび参りし東の大き御門を入りかてぬかも
仮名 ひとひには ちたびまゐりし ひむがしの おほきみかどを いりかてぬかも
  舎人
   
  2/187
原文 所由無 佐太乃岡邊尓 反居者 嶋御橋尓 誰加住<儛>無
訓読 つれもなき佐田の岡辺に帰り居ば島の御階に誰れか住まはむ
仮名 つれもなき さだのをかへに かへりゐば しまのみはしに たれかすまはむ
  舎人
   
  2/188
原文 <旦>覆 日之入去者 御立之 嶋尓下座而 嘆鶴鴨
訓読 朝ぐもり日の入り行けばみ立たしの島に下り居て嘆きつるかも
仮名 あさぐもり ひのいりゆけば みたたしの しまにおりゐて なげきつるかも
  舎人
   
  2/189
原文 <旦>日照 嶋乃御門尓 欝悒 人音毛不為者 真浦悲毛
訓読 朝日照る嶋の御門におほほしく人音もせねばまうら悲しも
仮名 あさひてる しまのみかどに おほほしく ひとおともせねば まうらがなしも
  舎人
   
  2/190
原文 真木柱 太心者 有之香杼 此吾心 鎮目金津毛
訓読 真木柱太き心はありしかどこの我が心鎮めかねつも
仮名 まきばしら ふときこころは ありしかど このあがこころ しづめかねつも
  舎人
   
  2/191
原文 毛許呂裳遠 春冬片設而 幸之 宇陀乃大野者 所念武鴨
訓読 けころもを時かたまけて出でましし宇陀の大野は思ほえむかも
仮名 けころもを ときかたまけて いでましし うだのおほのは おもほえむかも
  舎人
   
  2/192
原文 朝日照 佐太乃岡邊尓 鳴鳥之 夜鳴變布 此年己呂乎
訓読 朝日照る佐田の岡辺に泣く鳥の夜哭きかへらふこの年ころを
仮名 あさひてる さだのをかへに なくとりの よなきかへらふ このとしころを
  舎人
   
  2/193
原文 八多篭良我 夜晝登不云 行路乎 吾者皆悉 宮道叙為
訓読 畑子らが夜昼といはず行く道を我れはことごと宮道にぞする
仮名 はたこらが よるひるといはず ゆくみちを われはことごと みやぢにぞする
  舎人
   
  2/194
原文 飛鳥 明日香乃河之 上瀬尓 生玉藻者 下瀬尓 流觸經 玉藻成 彼依此依 靡相之 嬬乃命乃 多田名附 柔<膚>尚乎 劔刀 於身副不寐者 烏玉乃 夜床母荒良無 [一云 <阿>礼奈牟] 所虚故 名具鮫<兼>天 氣<田>敷藻 相屋常念而 [一云 公毛相哉登] 玉垂乃 越<能>大野之 旦露尓 玉裳者埿打 夕霧尓 衣者<沾>而 草枕 旅宿鴨為留 不相君故
訓読 飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は 下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 嬬の命の たたなづく 柔肌すらを 剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ [一云 荒れなむ] そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて [一云 君も逢ふやと] 玉垂の 越智の大野の 朝露に 玉藻はひづち 夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君故
仮名 とぶとりの あすかのかはの かみつせに おふるたまもは しもつせに ながれふらばふ たまもなす かよりかくより なびかひし つまのみことの たたなづく にきはだすらを つるぎたち みにそへねねば ぬばたまの よとこもあるらむ [あれなむ] そこゆゑに なぐさめかねて けだしくも あふやとおもひて [きみもあふやと] たまだれの をちのおほのの あさつゆに たまもはひづち ゆふぎりに ころもはぬれて くさまくら たびねかもする あはぬきみゆゑ
  柿本人麻呂
   
  2/195
原文 敷妙乃 袖易之君 玉垂之 越野過去 亦毛将相八方 [一云 乎知野尓過奴]
訓読 敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも [一云 越智野に過ぎぬ]
仮名 しきたへの そでかへしきみ たまだれの をちのすぎゆく またもあはめやも [をちのにすぎぬ]
  柿本人麻呂
   
  2/196
原文 飛鳥 明日香乃河之 上瀬 石橋渡 [一云 石浪] 下瀬 打橋渡 石橋 [一云 石浪] 生靡留 玉藻毛叙 絶者生流 打橋 生乎為礼流 川藻毛叙 干者波由流 何然毛 吾<王><能> 立者 玉藻之<母>許呂 臥者 川藻之如久 靡相之 宣君之 朝宮乎 忘賜哉 夕宮乎 背賜哉 宇都曽臣跡 念之時 春都者 花折挿頭 秋立者 黄葉挿頭 敷妙之 袖携 鏡成 雖見不猒 三五月之 益目頬染 所念之 君与時々 幸而 遊賜之 御食向 木P之宮乎 常宮跡 定賜 味澤相 目辞毛絶奴 然有鴨 [一云 所己乎之毛] 綾尓憐 宿兄鳥之 片戀嬬 [一云 為乍] 朝鳥 [一云 朝霧] 徃来為君之 夏草乃 念之萎而 夕星之 彼徃此去 大船 猶預不定見者 遣<悶>流 情毛不在 其故 為便知之也 音耳母 名耳毛不絶 天地之 弥遠長久 思将徃 御名尓懸世流 明日香河 及万代 早布屋師 吾王乃 形見何此焉
訓読 飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋渡し [一云 石なみ] 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に [一云 石なみに] 生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥やせば 川藻のごとく 靡かひし 宜しき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背きたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折りかざし 秋立てば 黄葉かざし 敷栲の 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月の いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出でまして 遊びたまひし 御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ しかれかも [一云 そこをしも] あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま [一云 しつつ] 朝鳥の [一云 朝霧の] 通はす君が 夏草の 思ひ萎えて 夕星の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰もる 心もあらず そこ故に 為むすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 偲ひ行かむ 御名に懸かせる 明日香川 万代までに はしきやし 我が大君の 形見かここを
仮名 とぶとり あすかのかはの かみつせに いしはしわたし [いしなみ] しもつせに うちはしわたす いしはしに [いしなみに] おひなびける たまももぞ たゆればおふる うちはしに おひををれる かはももぞ かるればはゆる なにしかも わがおほきみの たたせば たまものもころ こやせば かはものごとく なびかひし よろしききみが あさみやを わすれたまふや ゆふみやを そむきたまふや うつそみと おもひしときに はるへは はなをりかざし あきたてば もみちばかざし しきたへの そでたづさはり かがみなす みれどもあかず もちづきの いやめづらしみ おもほしし きみとときとき いでまして あそびたまひし みけむかふ きのへのみやを とこみやと さだめたまひて あぢさはふ めこともたえぬ しかれかも [そこをしも] あやにかなしみ ぬえどりの かたこひづま [しつつ] あさとりの [あさぎりの] かよはすきみが なつくさの おもひしなえて ゆふつづの かゆきかくゆき おほぶねの たゆたふみれば なぐさもる こころもあらず そこゆゑに せむすべしれや おとのみも なのみもたえず あめつちの いやとほながく しのひゆかむ みなにかかせる あすかがは よろづよまでに はしきやし わがおほきみの かたみかここを
  柿本人麻呂
   
  2/197
原文 明日香川 四我良美渡之 塞益者 進留水母 能杼尓賀有萬思 [一云 水乃与杼尓加有益]
訓読 明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし [一云 水の淀にかあらまし]
仮名 あすかがは しがらみわたし せかませば ながるるみづも のどにかあらまし [みづの よどにかあらまし]
  柿本人麻呂
   
  2/198
原文 明日香川 明日谷 [一云 左倍] 将見等 念八方 [一云 念香毛] 吾王 御名忘世奴 [一云 御名不所忘]
訓読 明日香川明日だに [一云 さへ] 見むと思へやも [一云 思へかも] 我が大君の御名忘れせぬ [一云 御名忘らえぬ]
仮名 あすかがは あすだに[さへ]
  柿本人麻呂
   
  2/199
原文 <挂>文 忌之伎鴨 [一云 由遊志計礼抒母] 言久母 綾尓畏伎 明日香乃 真神之原尓 久堅能 天都御門乎 懼母 定賜而 神佐扶跡 磐隠座 八隅知之 吾大王乃 所聞見為 背友乃國之 真木立 不破山越而 狛劔 和射見我原乃 行宮尓 安母理座而 天下 治賜 [一云 <掃>賜而] 食國乎 定賜等 鶏之鳴 吾妻乃國之 御軍士乎 喚賜而 千磐破 人乎和為跡 不奉仕 國乎治跡 [一云 掃部等] 皇子随 任賜者 大御身尓 大刀取帶之 大御手尓 弓取持之 御軍士乎 安騰毛比賜 齊流 鼓之音者 雷之 聲登聞麻R 吹響流 小角乃音母 [一云 笛之音波] 敵見有 虎可S吼登 諸人之 恊流麻R尓 [一云 聞<或>麻R] 指擧有 幡之靡者 冬木成 春去来者 野毎 著而有火之 [一云 冬木成 春野焼火乃] 風之共 靡如久 取持流 弓波受乃驟 三雪落 冬乃林尓 [一云 由布乃林] 飃可毛 伊巻渡等 念麻R 聞之恐久 [一云 諸人 見<或>麻R尓] 引放 箭<之>繁計久 大雪乃 乱而来礼 [一云 霰成 曽知余里久礼婆] 不奉仕 立向之毛 露霜之 消者消倍久 去鳥乃 相<競>端尓 [一云 朝霜之 消者消言尓 打蝉等 安良蘇布波之尓] 渡會乃 齋宮従 神風尓 伊吹<或>之 天雲乎 日之目毛不<令>見 常闇尓 覆賜而 定之 水穂之國乎 神随 太敷座而 八隅知之 吾大王之 天下 申賜者 萬代<尓> 然之毛将有登 [一云 如是毛安良無等] 木綿花乃 榮時尓 吾大王 皇子之御門乎 [一云 刺竹 皇子御門乎] 神宮尓 装束奉而 遣使 御門之人毛 白妙乃 麻衣著 <埴>安乃 門之原尓 赤根刺 日之盡 鹿自物 伊波比伏管 烏玉能 暮尓至者 大殿乎 振放見乍 鶉成 伊波比廻 雖侍候 佐母良比不得者 春鳥之 佐麻欲比奴礼者 嘆毛 未過尓 憶毛 未<不>盡者 言<左>敝久 百濟之原従 神葬 々伊座而 朝毛吉 木上宮乎 常宮等 高之奉而 神随 安定座奴 雖然 吾大王之 萬代跡 所念食而 作良志之 香<来>山之宮 萬代尓 過牟登念哉 天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文
訓読 かけまくも ゆゆしきかも [一云 ゆゆしけれども] 言はまくも あやに畏き 明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠ります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面の国の 真木立つ 不破山超えて 高麗剣 和射見が原の 仮宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひ [一云 掃ひたまひて] 食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の 御いくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和せと 奉ろはぬ 国を治めと [一云 掃へと] 皇子ながら 任したまへば 大御身に 大刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし 御軍士を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は 雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も [一云 笛の音は] 敵見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに [一云 聞き惑ふまで] ささげたる 幡の靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の [一云 冬こもり 春野焼く火の] 風の共 靡くがごとく 取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に [一云 木綿の林] つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの畏く [一云 諸人の 見惑ふまでに] 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ [一云 霰なす そちより来れば] まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消なば消ぬべく 行く鳥の 争ふはしに [一云 朝霜の 消なば消とふに うつせみと 争ふはしに] 渡会の 斎きの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇に 覆ひ賜ひて 定めてし 瑞穂の国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 申したまへば 万代に しかしもあらむと [一云 かくしもあらむと] 木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を [一云 刺す竹の 皇子の御門を] 神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲の 麻衣着て 埴安の 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣じもの い匍ひ伏しつつ ぬばたまの 夕になれば 大殿を 振り放け見つつ 鶉なす い匍ひ廻り 侍へど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ 神葬り 葬りいまして あさもよし 城上の宮を 常宮と 高く奉りて 神ながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天のごと 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かれども
仮名 かけまくも ゆゆしきかも [ゆゆしけれども] いはまくも あやにかしこき あすかの まかみのはらに ひさかたの あまつみかどを かしこくも さだめたまひて かむさぶと いはがくります やすみしし わがおほきみの きこしめす そとものくにの まきたつ ふはやまこえて こまつるぎ わざみがはらの かりみやに あもりいまして あめのした をさめたまひ [はらひたまひて] をすくにを さだめたまふと とりがなく あづまのくにの みいくさを めしたまひて ちはやぶる ひとをやはせと まつろはぬ くにををさめと [はらへと] みこながら よさしたまへば おほみみに たちとりはかし おほみてに ゆみとりもたし みいくさを あどもひたまひ ととのふる つづみのおとは いかづちの こゑときくまで ふきなせる くだのおとも [ふえのおとは] あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに [ききまどふまで] ささげたる はたのなびきは ふゆこもり はるさりくれば のごとに つきてあるひの [ふゆこもり はるのやくひの] かぜのむた なびくがごとく とりもてる ゆはずのさわき みゆきふる ふゆのはやしに [ゆふのはやし] つむじかも いまきわたると おもふまで ききのかしこく [もろひとの みまどふまでに] ひきはなつ やのしげけく おほゆきの みだれてきたれ [あられなす そちよりくれば] まつろはず たちむかひしも つゆしもの けなばけぬべく ゆくとりの あらそふはしに [あさしもの けなばけとふに うつせみと あらそふはしに] わたらひの いつきのみやゆ かむかぜに いふきまとはし あまくもを ひのめもみせず とこやみに おほひたまひて さだめてし みづほのくにを かむながら ふとしきまして やすみしし わがおほきみの あめのした まをしたまへば よろづよに しかしもあらむと [かくしもあらむと] ゆふばなの さかゆるときに わがおほきみ みこのみかどを [さすたけの みこのみかどを] かむみやに よそひまつりて つかはしし みかどのひとも しろたへの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに あかねさす ひのことごと ししじもの いはひふしつつ ぬばたまの ゆふへになれば おほとのを ふりさけみつつ うづらなす いはひもとほり さもらへど さもらひえねば はるとりの さまよひぬれば なげきも いまだすぎぬに おもひも いまだつきねば ことさへく くだらのはらゆ かみはぶり はぶりいまして あさもよし きのへのみやを とこみやと たかくまつりて かむながら しづまりましぬ しかれども わがおほきみの よろづよと おもほしめして つくらしし かぐやまのみや よろづよに すぎむとおもへや あめのごと ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはむ かしこかれども
  柿本人麻呂
   
  2/200
原文 久堅之 天所知流 君故尓 日月毛不知 戀渡鴨
訓読 ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも
仮名 ひさかたの あめしらしぬる きみゆゑに ひつきもしらず こひわたるかも
  柿本人麻呂
   
  2/201
原文 <埴>安乃 池之堤之 隠沼乃 去方乎不知 舎人者迷惑
訓読 埴安の池の堤の隠り沼のゆくへを知らに舎人は惑ふ
仮名 はにやすの いけのつつみの こもりぬの ゆくへをしらに とねりはまとふ
  柿本人麻呂
   
  2/202
原文 哭澤之 神社尓三輪須恵 雖祷祈 我王者 高日所知奴
訓読 哭沢の神社に三輪据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ
仮名 なきさはの もりにみわすゑ いのれども わがおほきみは たかひしらしぬ
  桧隈女王
   
  2/203
原文 零雪者 安播尓勿落 吉隠之 猪養乃岡之 塞為巻尓
訓読 降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の塞なさまくに
仮名 ふるゆきは あはになふりそ よなばりの ゐかひのをかの せきなさまくに
  穂積皇子
   
  2/204
原文 安見知之 吾王 高光 日之皇子 久堅乃 天宮尓 神随 神等座者 其乎霜 文尓恐美 晝波毛 日之盡 夜羽毛 夜之盡 臥居雖嘆 飽不足香裳
訓読 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 ひさかたの 天つ宮に 神ながら 神といませば そこをしも あやに畏み 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 伏し居嘆けど 飽き足らぬかも
仮名 やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ ひさかたの あまつみやに かむながら かみといませば そこをしも あやにかしこみ ひるはも ひのことごと よるはも よのことごと ふしゐなげけど あきたらぬかも
  置始東人
   
  2/205
原文 王者 神西座者 天雲之 五百重之下尓 隠賜奴
訓読 大君は神にしませば天雲の五百重が下に隠りたまひぬ
仮名 おほきみは かみにしませば あまくもの いほへがしたに かくりたまひぬ
  置始東人
   
  2/206
原文 神樂<浪>之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類
訓読 楽浪の志賀さざれ波しくしくに常にと君が思ほせりける
仮名 ささなみの しがさざれなみ しくしくに つねにときみが おもほせりける
  置始東人
   
  2/207
原文 天飛也 軽路者 吾妹兒之 里尓思有者 懃 欲見騰 不已行者 入目乎多見 真根久徃者 人應知見 狭根葛 後毛将相等 大船之 思憑而 玉蜻 磐垣淵之 隠耳 戀管在尓 度日乃 晩去之如 照月乃 雲隠如 奥津藻之 名延之妹者 黄葉乃 過伊去等 玉梓之 使之言者 梓弓 聲尓聞而 [一云 聲耳聞而] 将言為便 世武為便不知尓 聲耳乎 聞而有不得者 吾戀 千重之一隔毛 遣悶流 情毛有八等 吾妹子之 不止出見之 軽市尓 吾立聞者 玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 玉桙 道行人毛 獨谷 似之不去者 為便乎無見 妹之名喚而 袖曽振鶴 [一云 名耳聞而有不得者]
訓読 天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み 数多く行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使の言へば 梓弓 音に聞きて [一云 音のみ聞きて] 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる [一云 名のみを聞きてありえねば]
仮名 あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど やまずゆかば ひとめをおほみ まねくゆかば ひとしりぬべみ さねかづら のちもあはむと おほぶねの おもひたのみて たまかぎる いはかきふちの こもりのみ こひつつあるに わたるひの くれぬるがごと てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは もみちばの すぎていにきと たまづさの つかひのいへば あづさゆみ おとにききて [おとのみききて] いはむすべ せむすべしらに おとのみを ききてありえねば あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば たまたすき うねびのやまに なくとりの こゑもきこえず たまほこの みちゆくひとも ひとりだに にてしゆかねば すべをなみ いもがなよびて そでぞふりつる [なのみをききてありえねば]
  柿本人麻呂
   
  2/208
原文 秋山之 黄葉乎茂 迷流 妹乎将求 山道不知母 [一云 路不知而]
訓読 秋山の黄葉を茂み惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも [一云 道知らずして]
仮名 あきやまの もみちをしげみ まどひぬる いもをもとめむ やまぢしらずも [みちしらずして]
  柿本人麻呂
   
  2/209
原文 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
訓読 黄葉の散りゆくなへに玉梓の使を見れば逢ひし日思ほゆ
仮名 もみちばの ちりゆくなへに たまづさの つかひをみれば あひしひおもほゆ
  柿本人麻呂
   
  2/210
原文 打蝉等 念之時尓 [一云 宇都曽臣等 念之] 取持而 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁<知>乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 <憑有>之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒<乃> 乞泣毎 取與 物之無者 <烏徳>自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不樂晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥<乃> 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見<手> 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳 不見思者
訓読 うつせみと 思ひし時に [一云 うつそみと 思ひし] 取り持ちて 我がふたり見し 走出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と ふたり我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば
仮名 うつせみと おもひしときに [うつそみと おもひし] とりもちて わがふたりみし はしりでの つつみにたてる つきのきの こちごちのえの はるのはの しげきがごとく おもへりし いもにはあれど たのめりし こらにはあれど よのなかを そむきしえねば かぎるひの もゆるあらのに しろたへの あまひれがくり とりじもの あさだちいまして いりひなす かくりにしかば わぎもこが かたみにおける みどりこの こひなくごとに とりあたふ ものしなければ をとこじもの わきばさみもち わぎもこと ふたりわがねし まくらづく つまやのうちに ひるはも うらさびくらし よるはも いきづきあかし なげけども せむすべしらに こふれども あふよしをなみ おほとりの はがひのやまに あがこふる いもはいますと ひとのいへば いはねさくみて なづみこし よけくもぞなき うつせみと おもひしいもが たまかぎる ほのかにだにも みえなくおもへば
  柿本人麻呂
   
  2/211
原文 去年見而之 秋乃月夜者 雖照 相見之妹者 弥年放
訓読 去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る
仮名 こぞみてし あきのつくよは てらせれど あひみしいもは いやとしさかる
  柿本人麻呂
   
  2/212
原文 衾道乎 引手乃山尓 妹乎置而 山徑徃者 生跡毛無
訓読 衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし
仮名 ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをゆけば いけりともなし
  柿本人麻呂
   
  2/213
原文 宇都曽臣等 念之時 携手 吾二見之 出立 百兄槻木 虚知期知尓 枝刺有如 春葉 茂如 念有之 妹庭雖在 恃有之 妹庭雖在 世中 背不得者 香切火之 燎流荒野尓 白栲 天領巾隠 鳥自物 朝立伊行而 入日成 隠西加婆 吾妹子之 形見尓置有 緑兒之 乞哭別 取委 物之無者 男自物 腋挾持 吾妹子與 二吾宿之 枕附 嬬屋内尓 <日>者 浦不怜晩之 夜者 息<衝>明之 雖嘆 為便不知 雖戀 相縁無 大鳥 羽易山尓 汝戀 妹座等 人云者 石根割見而 奈積来之 好雲叙無 宇都曽臣 念之妹我 灰而座者
訓読 うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し 出立の 百枝槻の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 妹にはあれど 世間を 背きしえねば かぎるひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾隠り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども 為むすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽がひの山に 汝が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば
仮名 うつそみと おもひしときに たづさはり わがふたりみし いでたちの ももえつきのき こちごちに えださせるごと はるのはの しげきがごとく おもへりし いもにはあれど たのめりし いもにはあれど よのなかを そむきしえねば かぎるひの もゆるあらのに しろたへの あまひれがくり とりじもの あさだちいゆきて いりひなす かくりにしかば わぎもこが かたみにおける みどりこの こひなくごとに とりあたふ ものしなければ をとこじもの わきばさみもち わぎもこと ふたりわがねし まくらづく つまやのうちに ひるは うらさびくらし よるは いきづきあかし なげけども せむすべしらに こふれども あふよしをなみ おほとりの はがひのやまに ながこふる いもはいますと ひとのいへば いはねさくみて なづみこし よけくもぞなき うつそみと おもひしいもが はひにてませば
  柿本人麻呂
   
  2/214
原文 去年見而之 秋月夜者 雖渡 相見之妹者 益年離
訓読 去年見てし秋の月夜は渡れども相見し妹はいや年離る
仮名 こぞみてし あきのつくよは わたれども あひみしいもは いやとしさかる
  柿本人麻呂
   
  2/215
原文 衾路 引出山 妹<置> 山路念邇 生刀毛無
訓読 衾道を引手の山に妹を置きて山道思ふに生けるともなし
仮名 ふすまぢを ひきでのやまに いもをおきて やまぢおもふに いけるともなし
  柿本人麻呂
   
  2/216
原文 家来而 吾屋乎見者 玉床之 外向来 妹木枕
訓読 家に来て我が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕
仮名 いへにきて わがやをみれば たまどこの ほかにむきけり いもがこまくら
  柿本人麻呂
   
  2/217
原文 秋山 下部留妹 奈用竹乃 騰遠依子等者 何方尓 念居可 栲紲之 長命乎 露己曽婆 朝尓置而 夕者 消等言 霧己曽婆 夕立而 明者 失等言 梓弓 音聞吾母 髣髴見之 事悔敷乎 布栲乃 手枕纒而 劔刀 身二副寐價牟 若草 其嬬子者 不怜弥可 念而寐良武 悔弥可 念戀良武 時不在 過去子等我 朝露乃如也 夕霧乃如也
訓読 秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居れか 栲縄の 長き命を 露こそば 朝に置きて 夕は 消ゆといへ 霧こそば 夕に立ちて 朝は 失すといへ 梓弓 音聞く我れも おほに見し こと悔しきを 敷栲の 手枕まきて 剣太刀 身に添へ寝けむ 若草の その嬬の子は 寂しみか 思ひて寝らむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと
仮名 あきやまの したへるいも なよたけの とをよるこらは いかさまに おもひをれか たくなはの ながきいのちを つゆこそば あしたにおきて ゆふへは きゆといへ きりこそば ゆふへにたちて あしたは うすといへ あづさゆみ おときくわれも おほにみし ことくやしきを しきたへの たまくらまきて つるぎたち みにそへねけむ わかくさの そのつまのこは さぶしみか おもひてぬらむ くやしみか おもひこふらむ ときならず すぎにしこらが あさつゆのごと ゆふぎりのごと
  柿本人麻呂
   
  2/218
原文 樂浪之 志賀津子等何 [一云 志賀乃津之子我] 罷道之 川瀬道 見者不怜毛
訓読 楽浪の志賀津の子らが [一云 志賀の津の子が] 罷り道の川瀬の道を見れば寂しも
仮名 ささなみの しがつのこらが [しがのつのこが] まかりぢの かはせのみちを みればさぶしも
  柿本人麻呂
   
  2/219
原文 天數 凡津子之 相日 於保尓見敷者 今叙悔
訓読 そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき
仮名 そらかぞふ おほつのこが あひしひに おほにみしかば いまぞくやしき
  柿本人麻呂
   
  2/220
原文 玉藻吉 讃岐國者 國柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 天地 日月與共 満将行 神乃御面跡 次来 中乃水門従 <船>浮而 吾榜来者 時風 雲居尓吹尓 奥見者 跡位浪立 邊見者 白浪散動 鯨魚取 海乎恐 行<船>乃 梶引折而 彼此之 嶋者雖多 名細之 狭<岑>之嶋乃 荒礒面尓 廬作而見者 浪音乃 茂濱邊乎 敷妙乃 枕尓為而 荒床 自伏君之 家知者 徃而毛将告 妻知者 来毛問益乎 玉桙之 道太尓不知 欝悒久 待加戀良武 愛伎妻等者
訓読 玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 足り行かむ 神の御面と 継ぎ来る 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白波騒く 鯨魚取り 海を畏み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑の島の 荒磯面に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは
仮名 たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ かむからか ここだたふとき あめつち ひつきとともに たりゆかむ かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもゐにふくに おきみれば とゐなみたち へみれば しらなみさわく いさなとり うみをかしこみ ゆくふねの かぢひきをりて をちこちの しまはおほけど なぐはし さみねのしまの ありそもに いほりてみれば なみのおとの しげきはまべを しきたへの まくらになして あらとこに ころふすきみが いへしらば ゆきてもつげむ つましらば きもとはましを たまほこの みちだにしらず おほほしく まちかこふらむ はしきつまらは
  柿本人麻呂
   
  2/221
原文 妻毛有者 採而多宜麻之 <作>美乃山 野上乃宇波疑 過去計良受也
訓読 妻もあらば摘みて食げまし沙弥の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや
仮名 つまもあらば つみてたげまし さみのやま ののへのうはぎ すぎにけらずや
  柿本人麻呂
   
  2/222
原文 奥波 来依荒礒乎 色妙乃 枕等巻而 奈世流君香聞
訓読 沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕とまきて寝せる君かも
仮名 おきつなみ きよるありそを しきたへの まくらとまきて なせるきみかも
  柿本人麻呂
   
  2/223
原文 鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有
訓読 鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
仮名 かもやまの いはねしまける われをかも しらにといもが まちつつあるらむ
  柿本人麻呂
   
  2/224
原文 <且>今日々々々 吾待君者 石水之 貝尓 [一云 谷尓] 交而 有登不言八方
訓読 今日今日と我が待つ君は石川の峽に [一云 谷に] 交りてありといはずやも
仮名 けふけふと わがまつきみは いしかはの かひに [たにに] まじりて ありといはずやも
  妻依羅娘子
   
  2/225
原文 直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲
訓読 直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ
仮名 ただのあひは あひかつましじ いしかはに くもたちわたれ みつつしのはむ
  妻依羅娘子
   
  2/226
原文 荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告
訓読 荒波に寄り来る玉を枕に置き我れここにありと誰れか告げなむ
仮名 あらなみに よりくるたまを まくらにおき われここにありと たれかつげなむ
  丹比真人
   
  2/227
原文 天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
訓読 天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
仮名 あまざかる ひなのあらのに きみをおきて おもひつつあれば いけるともなし
   
  2/228
原文 妹之名<者> 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓
訓読 妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに蘿生すまでに
仮名 いもがなは ちよにながれむ ひめしまの こまつがうれに こけむすまでに
  河辺宮人
   
  2/229
原文 難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光儀乎 見巻苦流思母
訓読 難波潟潮干なありそね沈みにし妹が姿を見まく苦しも
仮名 なにはがた しほひなありそね しづみにし いもがすがたを みまくくるしも
  河辺宮人
   
  2/230
原文 梓弓 手取持而 大夫之 得物<矢>手<挾> 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道来人乃 泣涙 <W>霂尓落者 白妙之 衣埿漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名言 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有
訓読 梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向ふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲の 衣ひづちて 立ち留まり 我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き 天皇の 神の御子の いでましの 手火の光りぞ ここだ照りたる
仮名 あづさゆみ てにとりもちて ますらをの さつやたばさみ たちむかふ たかまとやまに はるのやく のびとみるまで もゆるひを なにかととへば たまほこの みちくるひとの なくなみた こさめにふれば しろたへの ころもひづちて たちとまり われにかたらく なにしかも もとなとぶらふ きけば ねのみしなかゆ かたれば こころぞいたき すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりぞ ここだてりたる
  笠金村
   
  2/231
原文 高圓之 野邊乃秋芽子 徒 開香将散 見人無尓
訓読 高円の野辺の秋萩いたづらに咲きか散るらむ見る人なしに
仮名 たかまとの のへのあきはぎ いたづらに さきかちるらむ みるひとなしに
  笠金村
   
  2/232
原文 御笠山 野邊徃道者 己伎太雲 繁荒有可 久尓有勿國
訓読 御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに
仮名 みかさやま のへゆくみちは こきだくも しげくあれたるか ひさにあらなくに
  笠金村
   
  2/233
原文 高圓之 野邊乃秋芽子 勿散祢 君之形見尓 見管思奴播武
訓読 高円の野辺の秋萩な散りそね君が形見に見つつ偲はむ
仮名 たかまとの のへのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬはむ
   
  2/234
原文 三笠山 野邊従遊久道 己伎<太>久母 荒尓計類鴨 久尓有名國
訓読 御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに
仮名 みかさやま のへゆゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに
   

第三巻

   
   3/235
原文 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為<流鴨>
訓読 大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも
仮名 おほきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうへに いほりせるかも
  柿本人麻呂
   
  3/235左
原文 王 神座者 雲隠伊加土山尓 宮敷座
訓読 大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます
仮名 おほきみは かみにしませば くもがくる いかづちやまに みやしきいます
  柿本人麻呂
   
  3/236
原文 不聴跡雖云 強流志斐能我 強語 比者不聞而 朕戀尓家里
訓読 いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり
仮名 いなといへど しふるしひのが しひかたり このころきかずて あれこひにけり
  持統
   
  3/237
原文 不聴雖謂 語礼々々常 詔許曽 志斐伊波奏 強<語>登言
訓読 いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る
仮名 いなといへど かたれかたれと のらせこそ しひいはまをせ しひかたりとのる
  志斐嫗
   
  3/238
原文 大宮之 内二手所聞 網引為跡 網子調流 海人之呼聲
訓読 大宮の内まで聞こゆ網引すと網子ととのふる海人の呼び声
仮名 おほみやの うちまできこゆ あびきすと あごととのふる あまのよびこゑ
  長意吉麻呂
   
  3/239
原文 八隅知之 吾大王 高光 吾日乃皇子乃 馬並而 三猟立流 弱薦乎 猟路乃小野尓 十六社者 伊波比拝目 鶉己曽 伊波比廻礼 四時自物 伊波比拝 鶉成 伊波比毛等保理 恐等 仕奉而 久堅乃 天見如久 真十鏡 仰而雖見 春草之 益目頬四寸 吾於富吉美可聞
訓読 やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並めて 御狩り立たせる 若薦を 狩路の小野に 獣こそば い匍ひ拝め 鶉こそ い匍ひ廻れ 獣じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひ廻り 畏みと 仕へまつりて ひさかたの 天見るごとく まそ鏡 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも
仮名 やすみしし わがおほきみ たかてらす わがひのみこの うまなめて みかりたたせる わかこもを かりぢのをのに ししこそば いはひをろがめ うづらこそ いはひもとほれ ししじもの いはひをろがみ うづらなす いはひもとほり かしこみと つかへまつりて ひさかたの あめみるごとく まそかがみ あふぎてみれど はるくさの いやめづらしき わがおほきみかも
  柿本人麻呂
   
  3/240
原文 久堅乃 天歸月乎 網尓刺 我大王者 盖尓為有
訓読 ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり
仮名 ひさかたの あめゆくつきを あみにさし わがおほきみは きぬがさにせり
  柿本人麻呂
   
  3/241
原文 皇者 神尓之坐者 真木<乃>立 荒山中尓 海成可聞
訓読 大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも
仮名 おほきみは かみにしませば まきのたつ あらやまなかに うみをなすかも
  柿本人麻呂
   
  3/242
原文 瀧上之 三船乃山尓 居雲乃 常将有等 和我不念久尓
訓読 滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに
仮名 たきのうへの みふねのやまに ゐるくもの つねにあらむと わがおもはなくに
  弓削皇子
   
  3/243
原文 王者 千歳<二>麻佐武 白雲毛 三船乃山尓 絶日安良米也
訓読 大君は千年に座さむ白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや
仮名 おほきみは ちとせにまさむ しらくもも みふねのやまに たゆるひあらめや
  春日王
   
  3/244
原文 三吉野之 御船乃山尓 立雲之 常将在跡 我思莫苦二
訓読 み吉野の三船の山に立つ雲の常にあらむと我が思はなくに
仮名 みよしのの みふねのやまに たつくもの つねにあらむと わがおもはなくに
   
  3/245
原文 如聞 真貴久 奇母 神左備居賀 許礼能水嶋
訓読 聞きしごとまこと尊くくすしくも神さびをるかこれの水島
仮名 ききしごと まことたふとく くすしくも かむさびをるか これのみづしま
  長田王
   
  3/246
原文 葦北乃 野坂乃浦従 船出為而 水嶋尓将去 浪立莫勤
訓読 芦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ
仮名 あしきたの のさかのうらゆ ふなでして みづしまにゆかむ なみたつなゆめ
  長田王
   
  3/247
原文 奥浪 邊波雖立 和我世故我 三船乃登麻里 瀾立目八方
訓読 沖つ波辺波立つとも我が背子が御船の泊り波立ためやも
仮名 おきつなみ へなみたつとも わがせこが みふねのとまり なみたためやも
  石川大夫(宮麻呂:君子)
   
  3/248
原文 隼人乃 薩麻乃迫門乎 雲居奈須 遠毛吾者 今日見鶴鴨
訓読 隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも我れは今日見つるかも
仮名 はやひとの さつまのせとを くもゐなす とほくもわれは けふみつるかも
  長田王
   
  3/249
原文 三津埼 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓
訓読 御津の崎波を畏み隠江の 舟公宣奴嶋尓
仮名 みつのさき なみをかしこみ こもりえの ******
  柿本人麻呂
   
  3/250
原文 珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近著奴
訓読 玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ
仮名 たまもかる みぬめをすぎて なつくさの のしまがさきに ふねちかづきぬ
  柿本人麻呂
   
  3/251
原文 粟路之 野嶋之前乃 濱風尓 妹之結 紐吹返
訓読 淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
仮名 あはぢの のしまがさきの はまかぜに いもがむすびし ひもふきかへす
  柿本人麻呂
   
  3/252
原文 荒栲 藤江之浦尓 鈴木釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎
訓読 荒栲の藤江の浦に鱸釣る海人とか見らむ旅行く我れを
仮名 あらたへの ふぢえのうらに すずきつる あまとかみらむ たびゆくわれを
  柿本人麻呂
   
  3/253
原文 稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見 [一云 湖見]
訓読 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ [一云 水門見ゆ]
仮名 いなびのも ゆきすぎかてに おもへれば こころこほしき かこのしまみゆ [みなとみゆ]
  柿本人麻呂
   
  3/254
原文 留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
訓読 燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず
仮名 ともしびの あかしおほとに いらむひや こぎわかれなむ いへのあたりみず
  柿本人麻呂
   
  3/255
原文 天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見 [一本云 家門當見由]
訓読 天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ [一本云 家のあたり見ゆ]
仮名 あまざかる ひなのながちゆ こひくれば あかしのとより やまとしまみゆ [いへのあたりみゆ]
  柿本人麻呂
   
  3/256
原文 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船
訓読 笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船
仮名 けひのうみの にはよくあらし かりこもの みだれていづみゆ あまのつりぶね
  柿本人麻呂
   
  3/257
原文 天降付 天之芳来山 霞立 春尓至婆 松風尓 池浪立而 櫻花 木乃晩茂尓 奥邊波 鴨妻喚 邊津方尓 味村左和伎 百礒城之 大宮人乃 退出而 遊船尓波 梶棹毛 無而不樂毛 己具人奈四二
訓読 天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
仮名 あもりつく あめのかぐやま かすみたつ はるにいたれば まつかぜに いけなみたちて さくらばな このくれしげに おきへには かもつまよばひ へつへに あぢむらさわき ももしきの おほみやひとの まかりでて あそぶふねには かぢさをも なくてさぶしも こぐひとなしに
  鴨足人
   
  3/258
原文 人不榜 有雲知之 潜為 鴦与高部共 船上住
訓読 人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む
仮名 ひとこがず あらくもしるし かづきする をしとたかべと ふねのうへにすむ
  鴨足人
   
  3/259
原文 何時間毛 神左備祁留鹿 香山之 <鉾>椙之本尓 薜生左右二
訓読 いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに
仮名 いつのまも かむさびけるか かぐやまの ほこすぎのもとに こけむすまでに
  鴨足人
   
  3/260
原文 天降就 神乃香山 打靡 春去来者 櫻花 木暗茂 松風丹 池浪飆 邊都遍者 阿遅村動 奥邊者 鴨妻喚 百式乃 大宮人乃 去出 榜来舟者 竿梶母 無而佐夫之毛 榜与雖思
訓読 天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎける船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど
仮名 あもりつく かみのかぐやま うちなびく はるさりくれば さくらばな このくれしげに まつかぜに いけなみたち へつへには あぢむらさわき おきへには かもつまよばひ ももしきの おほみやひとの まかりでて こぎけるふねは さをかぢも なくてさぶしも こがむとおもへど
  鴨足人
   
  3/261
原文 八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傳来 <白>雪仕物 徃来乍 益及常世
訓読 やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 敷きいます 大殿の上に ひさかたの 天伝ひ来る 雪じもの 行き通ひつつ いや常世まで
仮名 やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ しきいます おほとののうへに ひさかたの あまづたひくる ゆきじもの ゆきかよひつつ いやとこよまで
  柿本人麻呂
   
  3/262
原文 矢釣山 木立不見 落乱 雪驪 朝樂毛
訓読 矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも
仮名 やつりやま こだちもみえず ふりまがふ ゆきにさわける あしたたのしも
  柿本人麻呂
   
  3/263
原文 馬莫疾 打莫行 氣並而 見弖毛和我歸 志賀尓安良七國
訓読 馬ないたく打ちてな行きそ日ならべて見ても我が行く志賀にあらなくに
仮名 うまないたく うちてなゆきそ けならべて みてもわがゆく しがにあらなくに
  刑部垂麻呂
   
  3/264
原文 物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代經浪乃 去邊白不母
訓読 もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波のゆくへ知らずも
仮名 もののふの やそうぢかはの あじろきに いさよふなみの ゆくへしらずも
  柿本人麻呂
   
  3/265
原文 苦毛 零来雨可 神之埼 狭野乃渡尓 家裳不有國
訓読 苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
仮名 くるしくも ふりくるあめか みわのさき さののわたりに いへもあらなくに
  長意吉麻呂
   
  3/266
原文 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思<努>尓 古所念
訓読 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
仮名 あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもほゆ
  柿本人麻呂
   
  3/267
原文 牟佐々婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨
訓読 むささびは木末求むとあしひきの山のさつ男にあひにけるかも
仮名 むささびは こぬれもとむと あしひきの やまのさつをに あひにけるかも
  志貴皇子
   
  3/268
原文 吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 <嬬>待不得而
訓読 我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて
仮名 わがせこが ふるへのさとの あすかには ちどりなくなり つままちかねて
  長屋王
   
  3/269
原文 人不見者 我袖用手 将隠乎 所焼乍可将有 不服而来来
訓読 人見ずは我が袖もちて隠さむを焼けつつかあらむ着ずて来にけり
仮名 ひとみずは わがそでもちて かくさむを やけつつかあらむ きずてきにけり
  阿倍女郎
   
  3/270
原文 客為而 物戀敷尓 山下 赤乃曽<保><船> 奥榜所見
訓読 旅にしてもの恋しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ
仮名 たびにして ものこほしきに やましたの あけのそほふね おきをこぐみゆ
  高市黒人
   
  3/271
原文 櫻田部 鶴鳴渡 年魚市方 塩干二家良之 鶴鳴渡
訓読 桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
仮名 さくらだへ たづなきわたる あゆちがた しほひにけらし たづなきわたる
  高市黒人
   
  3/272
原文 四極山 打越見者 笠縫之 嶋榜隠 棚無小舟
訓読 四極山うち越え見れば笠縫の島漕ぎ隠る棚なし小舟
仮名 しはつやま うちこえみれば かさぬひの しまこぎかくる たななしをぶね
  高市黒人
   
  3/273
原文 礒前 榜手廻行者 近江海 八十之湊尓 鵠佐波二鳴 [未詳]
訓読 磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の港に鶴さはに鳴く [未詳]
仮名 いそのさき こぎたみゆけば あふみのうみ やそのみなとに たづさはになく
  高市黒人
   
  3/274
原文 吾船者 枚乃湖尓 榜将泊 奥部莫避 左夜深去来
訓読 我が舟は比良の港に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり
仮名 わがふねは ひらのみなとに こぎはてむ おきへなさかり さよふけにけり
  高市黒人
   
  3/275
原文 何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者
訓読 いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
仮名 いづくにか われはやどらむ たかしまの かちののはらに このひくれなば
  高市黒人
   
  3/276
原文 妹母我母 一有加母 三河有 二見自道 別不勝鶴
訓読 妹も我れも一つなれかも三河なる二見の道ゆ別れかねつる
仮名 いももあれも ひとつなれかも みかはなる ふたみのみちゆ わかれかねつる
  高市黒人
   
  3/277
原文 速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨
訓読 早来ても見てましものを山背の高の槻群散りにけるかも
仮名 はやきても みてましものを やましろの たかのつきむら ちりにけるかも
  高市黒人
   
  3/278
原文 然之海人者 軍布苅塩焼 無暇 髪梳乃<小>櫛 取毛不見久尓
訓読 志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに
仮名 しかのあまは めかりしほやき いとまなみ くしげのをぐし とりもみなくに
  石川君子
   
  3/279
原文 吾妹兒二 猪名野者令見都 名次山 角松原 何時可将示
訓読 我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ
仮名 わぎもこに ゐなのはみせつ なすきやま つののまつばら いつかしめさむ
  高市黒人
   
  3/280
原文 去来兒等 倭部早 白菅乃 真野乃榛原 手折而将歸
訓読 いざ子ども大和へ早く白菅の真野の榛原手折りて行かむ
仮名 いざこども やまとへはやく しらすげの まののはりはら たをりてゆかむ
  高市黒人
   
  3/281
原文 白菅乃 真野之榛原 徃左来左 君社見良目 真野乃榛原
訓読 白菅の真野の榛原行くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原
仮名 しらすげの まののはりはら ゆくさくさ きみこそみらめ まののはりはら
  高市黒人妻
   
  3/282
原文 角障經 石村毛不過 泊瀬山 何時毛将超 夜者深去通都
訓読 つのさはふ磐余も過ぎず泊瀬山いつかも越えむ夜は更けにつつ
仮名 つのさはふ いはれもすぎず はつせやま いつかもこえむ よはふけにつつ
  春日老
   
  3/283
原文 墨吉乃 得名津尓立而 見渡者 六兒乃泊従 出流船人
訓読 住吉の得名津に立ちて見わたせば武庫の泊りゆ出づる船人
仮名 すみのえの えなつにたちて みわたせば むこのとまりゆ いづるふなびと
  高市黒人
   
  3/284
原文 焼津邊 吾去鹿齒 駿河奈流 阿倍乃市道尓 相之兒等羽裳
訓読 焼津辺に我が行きしかば駿河なる阿倍の市道に逢ひし子らはも
仮名 やきづへに わがゆきしかば するがなる あべのいちぢに あひしこらはも
  春日老
   
  3/285
原文 栲領巾乃 懸巻欲寸 妹名乎 此勢能山尓 懸者奈何将有 [一云 可倍波伊香尓安良牟]
訓読 栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ [一云 替へばいかにあらむ]
仮名 たくひれの かけまくほしき いもがなを このせのやまに かけばいかにあらむ [かへばいかにあらむ]
  丹比笠麻呂
   
  3/286
原文 宜奈倍 吾背乃君之 負来尓之 此勢能山乎 妹者不喚
訓読 よろしなへ我が背の君が負ひ来にしこの背の山を妹とは呼ばじ
仮名 よろしなへ わがせのきみが おひきにし このせのやまを いもとはよばじ
  春日老
   
  3/287
原文 此間為而 家八方何處 白雲乃 棚引山乎 超而来二家里
訓読 ここにして家やもいづく白雲のたなびく山を越えて来にけり
仮名 ここにして いへやもいづく しらくもの たなびくやまを こえてきにけり
  石上卿
   
  3/288
原文 吾命之 真幸有者 亦毛将見 志賀乃大津尓 縁流白波
訓読 我が命のま幸くあらばまたも見む志賀の大津に寄する白波
仮名 わがいのちの まさきくあらば またもみむ しがのおほつに よするしらなみ
  穂積老
   
  3/289
原文 天原 振離見者 白真弓 張而懸有 夜路者将吉
訓読 天の原振り放け見れば白真弓張りて懸けたり夜道はよけむ
仮名 あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ
  間人大浦
   
  3/290
原文 椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月乃 光乏寸
訓読 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき
仮名 くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき
  間人大浦
   
  3/291
原文 真木葉乃 之奈布勢能山 之<努>波受而 吾超去者 木葉知家武
訓読 真木の葉のしなふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ
仮名 まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ
  小田事
   
  3/292
原文 久方乃 天之探女之 石船乃 泊師高津者 淺尓家留香裳
訓読 ひさかたの天の探女が岩船の泊てし高津はあせにけるかも
仮名 ひさかたの あまのさぐめが いはふねの はてしたかつは あせにけるかも
  角麻呂
   
  3/293
原文 塩干乃 三津之海女乃 久具都持 玉藻将苅 率行見
訓読 潮干の御津の海女のくぐつ持ち玉藻刈るらむいざ行きて見む
仮名 しほひの みつのあまの くぐつもち たまもかるらむ いざゆきてみむ
  角麻呂
   
  3/294
原文 風乎疾 奥津白波 高有之 海人釣船 濱眷奴
訓読 風をいたみ沖つ白波高からし海人の釣舟浜に帰りぬ
仮名 かぜをいたみ おきつしらなみ たかからし あまのつりぶね はまにかへりぬ
  角麻呂
   
  3/295
原文 清江乃 木笶松原 遠神 我王之 幸行處
訓読 住吉の岸の松原遠つ神我が大君の幸しところ
仮名 すみのえの きしのまつばら とほつかみ わがおほきみの いでましところ
  角麻呂
   
  3/296
原文 廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信
訓読 廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
仮名 いほはらの きよみのさきの みほのうらの ゆたけきみつつ ものもひもなし
  田口益人
   
  3/297
原文 晝見騰 不飽田兒浦 大王之 命恐 夜見鶴鴨
訓読 昼見れど飽かぬ田子の浦大君の命畏み夜見つるかも
仮名 ひるみれど あかぬたごのうら おほきみの みことかしこみ よるみつるかも
  田口益人
   
  3/298
原文 亦打山 暮越行而 廬前乃 角太川原尓 獨可毛将宿
訓読 真土山夕越え行きて廬前の角太川原にひとりかも寝む
仮名 まつちやま ゆふこえゆきて いほさきの すみだかはらに ひとりかもねむ
  弁基
   
  3/299
原文 奥山之 菅葉凌 零雪乃 消者将惜 雨莫零行年
訓読 奥山の菅の葉しのぎ降る雪の消なば惜しけむ雨な降りそね
仮名 おくやまの すがのはしのぎ ふるゆきの けなばをしけむ あめなふりそね
  大伴旅人
   
  3/300
原文 佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡衣
訓読 佐保過ぎて奈良の手向けに置く幣は妹を目離れず相見しめとぞ
仮名 さほすぎて ならのたむけに おくぬさは いもをめかれず あひみしめとぞ
  長屋王
   
  3/301
原文 磐金之 凝敷山乎 超不勝而 哭者泣友 色尓将出八方
訓読 岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも
仮名 いはがねの こごしきやまを こえかねて ねにはなくとも いろにいでめやも
  長屋王
   
  3/302
原文 兒等之家道 差間遠焉 野干<玉>乃 夜渡月尓 競敢六鴨
訓読 子らが家道やや間遠きをぬばたまの夜渡る月に競ひあへむかも
仮名 こらがいへぢ ややまどほきを ぬばたまの よわたるつきに きほひあへむかも
  阿倍広庭
   
  3/303
原文 名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者
訓読 名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は
仮名 なぐはしき いなみのうみの おきつなみ ちへにかくりぬ やまとしまねは
  柿本人麻呂
   
  3/304
原文 大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念
訓読 大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ
仮名 おほきみの とほのみかどと ありがよふ しまとをみれば かむよしおもほゆ
  柿本人麻呂
   
  3/305
原文 如是故尓 不見跡云物乎 樂浪乃 舊都乎 令見乍本名
訓読 かく故に見じと言ふものを楽浪の旧き都を見せつつもとな
仮名 かくゆゑに みじといふものを ささなみの ふるきみやこを みせつつもとな
  高市黒人
   
  3/306
原文 伊勢海之 奥津白浪 花尓欲得 褁而妹之 家褁為
訓読 伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ
仮名 いせのうみの おきつしらなみ はなにもが つつみていもが いへづとにせむ
  安貴王
   
  3/307
原文 皮為酢寸 久米能若子我 伊座家留 [一云 家牟] 三穂乃石室者 雖見不飽鴨 [一云 安礼尓家留可毛]
訓読 はだ薄久米の若子がいましける [一云 けむ] 三穂の石室は見れど飽かぬかも [一云 荒れにけるかも]
仮名 はだすすき くめのわくごが いましける [けむ]
  博通法師
   
  3/308
原文 常磐成 石室者今毛 安里家礼騰 住家類人曽 常無里家留
訓読 常磐なす石室は今もありけれど住みける人ぞ常なかりける
仮名 ときはなす いはやはいまも ありけれど すみけるひとぞ つねなかりける
  博通法師
   
  3/309
原文 石室戸尓 立在松樹 汝乎見者 昔人乎 相見如之
訓読 石室戸に立てる松の木汝を見れば昔の人を相見るごとし
仮名 いはやとに たてるまつのき なをみれば むかしのひとを あひみるごとし
  博通法師
   
  3/310
原文 東 市之殖木乃 木足左右 不相久美 宇倍<戀>尓家利
訓読 東の市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり
仮名 ひむがしの いちのうゑきの こだるまで あはずひさしみ うべこひにけり
  門部王
   
  3/311
原文 梓弓 引豊國之 鏡山 不見久有者 戀敷牟鴨
訓読 梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも
仮名 あづさゆみ ひきとよくにの かがみやま みずひさならば こほしけむかも
  按作益人
   
  3/312
原文 昔者社 難波居中跡 所言奚米 今者京引 都備仁鷄里
訓読 昔こそ難波田舎と言はれけめ今は都引き都びにけり
仮名 むかしこそ なにはゐなかと いはれけめ いまはみやこひき みやこびにけり
  藤原宇合
   
  3/313
原文 見吉野之 瀧乃白浪 雖不知 語之告者 古所念
訓読 み吉野の滝の白波知らねども語りし継げばいにしへ思ほゆ
仮名 みよしのの たきのしらなみ しらねども かたりしつげば いにしへおもほゆ
  土理宣令
   
  3/314
原文 小浪 礒越道有 能登湍河 音之清左 多藝通瀬毎尓
訓読 さざれ波礒越道なる能登瀬川音のさやけさたぎつ瀬ごとに
仮名 さざれなみ いそこしぢなる のとせがは おとのさやけさ たぎつせごとに
  波多小足
   
  3/315
原文 見吉野之 芳野乃宮者 山可良志 貴有師 <水>可良思 清有師 天地与 長久 萬代尓 不改将有 行幸之<宮>
訓読 み吉野の 吉野の宮は 山からし 貴くあらし 川からし さやけくあらし 天地と 長く久しく 万代に 変はらずあらむ 幸しの宮
仮名 みよしのの よしののみやは やまからし たふとくあらし かはからし さやけくあらし あめつちと ながくひさしく よろづよに かはらずあらむ いでましのみや
  大伴旅人
   
  3/316
原文 昔見之 象乃小河乎 今見者 弥清 成尓来鴨
訓読 昔見し象の小川を今見ればいよよさやけくなりにけるかも
仮名 むかしみし きさのをがはを いまみれば いよよさやけく なりにけるかも
  大伴旅人
   
  3/317
原文 天地之 分時従 神左備手 高貴寸 駿河有 布士能高嶺乎 天原 振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曽 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
訓読 天地の 別れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
仮名 あめつちの わかれしときゆ かむさびて たかくたふとき するがなる ふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらひ てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくぞ ゆきはふりける かたりつぎ いひつぎゆかむ ふじのたかねは
  山部赤人
   
  3/318
原文 田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留
訓読 田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
仮名 たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりける
  山部赤人
   
  3/319
原文 奈麻余美乃 甲斐乃國 打縁流 駿河能國与 己知其智乃 國之三中従 出<立>有 不盡能高嶺者 天雲毛 伊去波伐加利 飛鳥母 翔毛不上 燎火乎 雪以滅 落雪乎 火用消通都 言不得 名不知 霊母 座神香<聞> 石花海跡 名付而有毛 彼山之 堤有海曽 不盡河跡 人乃渡毛 其山之 水乃當焉 日本之 山跡國乃 鎮十方 座祇可間 寳十方 成有山可聞 駿河有 不盡能高峯者 雖見不飽香聞
訓読 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも せの海と 名付けてあるも その山の つつめる海ぞ 富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも
仮名 なまよみの かひのくに うちよする するがのくにと こちごちの くにのみなかゆ いでたてる ふじのたかねは あまくもも いゆきはばかり とぶとりも とびものぼらず もゆるひを ゆきもちけち ふるゆきを ひもちけちつつ いひもえず なづけもしらず くすしくも いますかみかも せのうみと なづけてあるも そのやまの つつめるうみぞ ふじかはと ひとのわたるも そのやまの みづのたぎちぞ ひのもとの やまとのくにの しづめとも いますかみかも たからとも なれるやまかも するがなる ふじのたかねは みれどあかぬかも
  高橋虫麻呂
   
  3/320
原文 不盡嶺尓 零置雪者 六月 十五日消者 其夜布里家利
訓読 富士の嶺に降り置く雪は六月の十五日に消ぬればその夜降りけり
仮名 ふじのねに ふりおくゆきは みなづきの もちにけぬれば そのよふりけり
  高橋虫麻呂
   
  3/321
原文 布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽斤 田菜引物緒
訓読 富士の嶺を高み畏み天雲もい行きはばかりたなびくものを
仮名 ふじのねを たかみかしこみ あまくもも いゆきはばかり たなびくものを
  高橋虫麻呂
   
  3/322
原文 皇神祖之 神乃御言<乃> 敷座 國之盡 湯者霜 左波尓雖在 嶋山之 宣國跡 極此<疑> 伊豫能高嶺乃 射狭庭乃 崗尓立而 歌思 辞思為師 三湯之上乃 樹村乎見者 臣木毛 生継尓家里 鳴鳥之 音毛不更 遐代尓 神左備将徃 行幸處
訓読 すめろきの 神の命の 敷きませる 国のことごと 湯はしも さはにあれども 島山の 宣しき国と こごしかも 伊予の高嶺の 射狭庭の 岡に立たして 歌思ひ 辞思はしし み湯の上の 木群を見れば 臣の木も 生ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 幸しところ
仮名 すめろきの かみのみことの しきませる くにのことごと ゆはしも さはにあれども しまやまの よろしきくにと こごしかも いよのたかねの いざにはの をかにたたして うたおもひ ことおもはしし みゆのうへの こむらをみれば おみのきも おひつぎにけり なくとりの こゑもかはらず とほきよに かむさびゆかむ いでましところ
  山部赤人
   
  3/323
原文 百式紀乃 大宮人之 飽田津尓 船乗将為 年之不知久
訓読 ももしきの大宮人の熟田津に船乗りしけむ年の知らなく
仮名 ももしきの おほみやひとの にきたつに ふなのりしけむ としのしらなく
  山部赤人
   
  3/324
原文 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継<嗣>尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 <旦>雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
訓読 みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 玉葛 絶ゆることなく ありつつも やまず通はむ 明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川しさやけし 朝雲に 鶴は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 音のみし泣かゆ いにしへ思へば
仮名 みもろの かむなびやまに いほえさし しじにおひたる つがのきの いやつぎつぎに たまかづら たゆることなく ありつつも やまずかよはむ あすかの ふるきみやこは やまたかみ かはとほしろし はるのひは やましみがほし あきのよは かはしさやけし あさくもに たづはみだれ ゆふぎりに かはづはさわく みるごとに ねのみしなかゆ いにしへおもへば
  山部赤人
   
  3/325
原文 明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
訓読 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
仮名 あすかがは かはよどさらず たつきりの おもひすぐべき こひにあらなくに
  山部赤人
   
  3/326
原文 見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曽出流 妹尓戀久
訓読 見わたせば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく
仮名 みわたせば あかしのうらに ともすひの ほにぞいでぬる いもにこふらく
  門部王
   
  3/327
原文 海若之 奥尓持行而 雖放 宇礼牟曽此之 将死還生
訓読 海神の沖に持ち行きて放つともうれむぞこれがよみがへりなむ
仮名 わたつみの おきにもちゆきて はなつとも うれむぞこれが よみがへりなむ
  娘子
   
  3/328
原文 青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
訓読 あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
仮名 あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり
  小野老
   
  3/329
原文 安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
訓読 やすみしし我が大君の敷きませる国の中には都し思ほゆ
仮名 やすみしし わがおほきみの しきませる くにのうちには みやこしおもほゆ
  大伴四綱
   
  3/330
原文 藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
訓読 藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
仮名 ふぢなみの はなはさかりに なりにけり ならのみやこを おもほすやきみ
  大伴四綱
   
  3/331
原文 吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
訓読 我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
仮名 わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ
  大伴旅人
   
  3/332
原文 吾命毛 常有奴可 昔見之 象<小>河乎 行見為
訓読 我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
仮名 わがいのちも つねにあらぬか むかしみし きさのをがはを ゆきてみむため
  大伴旅人
   
  3/333
原文 淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞
訓読 浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
仮名 あさぢはら つばらつばらに ものもへば ふりにしさとし おもほゆるかも
  大伴旅人
   
  3/334
原文 萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 <忘>之為
訓読 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
仮名 わすれくさ わがひもにつく かぐやまの ふりにしさとを わすれむがため
  大伴旅人
   
  3/335
原文 吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有<乞>
訓読 我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ
仮名 わがゆきは ひさにはあらじ いめのわだ せにはならずて ふちにありこそ
  大伴旅人
   
  3/336
原文 白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者<伎>袮杼 暖所見
訓読 しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ
仮名 しらぬひ つくしのわたは みにつけて いまだはきねど あたたけくみゆ
  沙弥満誓
   
  3/337
原文 憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽
訓読 憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ
仮名 おくららは いまはまからむ こなくらむ それそのははも わをまつらむぞ
  山上憶良
   
  3/338
原文 験無 物乎不念者 一坏乃 濁酒乎 可飲有良師
訓読 験なきものを思はずは一杯の濁れる酒を飲むべくあるらし
仮名 しるしなき ものをおもはずは ひとつきの にごれるさけを のむべくあるらし
  大伴旅人
   
  3/339
原文 酒名乎 聖跡負師 古昔 大聖之 言乃宜左
訓読 酒の名を聖と負ほせしいにしへの大き聖の言の宣しさ
仮名 さけのなを ひじりとおほせし いにしへの おほきひじりの ことのよろしさ
  大伴旅人
   
  3/340
原文 古之 七賢 人等毛 欲為物者 酒西有良師
訓読 いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
仮名 いにしへの ななのさかしき ひとたちも ほりせしものは さけにしあるらし
  大伴旅人
   
  3/341
原文 賢跡 物言従者 酒飲而 酔哭為師 益有良之
訓読 賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするしまさりたるらし
仮名 さかしみと ものいふよりは さけのみて ゑひなきするし まさりたるらし
  大伴旅人
   
  3/342
原文 将言為便 将為便不知 極 貴物者 酒西有良之
訓読 言はむすべ為むすべ知らず極まりて貴きものは酒にしあるらし
仮名 いはむすべ せむすべしらず きはまりて たふときものは さけにしあるらし
  大伴旅人
   
  3/343
原文 中々尓 人跡不有者 酒壷二 成而師鴨 酒二染甞
訓読 なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ
仮名 なかなかに ひととあらずは さかつぼに なりにてしかも さけにしみなむ
  大伴旅人
   
  3/344
原文 痛醜 賢良乎為跡 酒不飲 人乎熟見<者> 猿二鴨似
訓読 あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
仮名 あなみにく さかしらをすと さけのまぬ ひとをよくみば さるにかもにむ
  大伴旅人
   
  3/345
原文 價無 寳跡言十方 一坏乃 濁酒尓 豈益目八<方>
訓読 価なき宝といふとも一杯の濁れる酒にあにまさめやも
仮名 あたひなき たからといふとも ひとつきの にごれるさけに あにまさめやも
  大伴旅人
   
  3/346
原文 夜光 玉跡言十方 酒飲而 情乎遣尓 豈若目八方
訓読 夜光る玉といふとも酒飲みて心を遣るにあにしかめやも
仮名 よるひかる たまといふとも さけのみて こころをやるに あにしかめやも
  大伴旅人
   
  3/347
原文 世間之 遊道尓 <怜>者 酔泣為尓 可有良師
訓読 世間の遊びの道に楽しきは酔ひ泣きするにあるべくあるらし
仮名 よのなかの あそびのみちに たのしきは ゑひなきするに あるべくあるらし
  大伴旅人
   
  3/348
原文 今代尓之 樂有者 来生者 蟲尓鳥尓毛 吾羽成奈武
訓読 この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我れはなりなむ
仮名 このよにし たのしくあらば こむよには むしにとりにも われはなりなむ
  大伴旅人
   
  3/349
原文 生者 遂毛死 物尓有者 今生在間者 樂乎有名
訓読 生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世なる間は楽しくをあらな
仮名 いけるもの つひにもしぬる ものにあれば このよなるまは たのしくをあらな
  大伴旅人
   
  3/350
原文 黙然居而 賢良為者 飲酒而 酔泣為尓 尚不如来
訓読 黙居りて賢しらするは酒飲みて酔ひ泣きするになほしかずけり
仮名 もだをりて さかしらするは さけのみて ゑひなきするに なほしかずけり
  大伴旅人
   
  3/351
原文 世間乎 何物尓将譬 <旦>開 榜去師船之 跡無如
訓読 世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
仮名 よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎいにしふねの あとなきごとし
  沙弥満誓
   
  3/352
原文 葦邊波 鶴之哭鳴而 湖風 寒吹良武 津乎能埼羽毛
訓読 葦辺には鶴がね鳴きて港風寒く吹くらむ津乎の崎はも
仮名 あしへには たづがねなきて みなとかぜ さむくふくらむ つをのさきはも
  若湯座王
   
  3/353
原文 見吉野之 高城乃山尓 白雲者 行憚而 棚引所見
訓読 み吉野の高城の山に白雲は行きはばかりてたなびけり見ゆ
仮名 みよしのの たかきのやまに しらくもは ゆきはばかりて たなびけりみゆ
  釈通観
   
  3/354
原文 縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引
訓読 縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山にたなびく
仮名 なはのうらに しほやくけぶり ゆふされば ゆきすぎかねて やまにたなびく
  日置少老
   
  3/355
原文 大汝 小彦名乃 将座 志都乃石室者 幾代将經
訓読 大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経にけむ
仮名 おほなむち すくなひこなの いましけむ しつのいはやは いくよへにけむ
  生石真人
   
  3/356
原文 今日可聞 明日香河乃 夕不離 川津鳴瀬之 清有良武 [或本歌發句云 明日香川今毛可毛等奈]
訓読 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ [或本歌發句云 明日香川今もかもとな]
仮名 けふもかも あすかのかはの ゆふさらず かはづなくせの さやけくあるらむ [あすかがは いまもかもとな]
  上古麻呂
   
  3/357
原文 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
訓読 縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも
仮名 なはのうらゆ そがひにみゆる おきつしま こぎみるふねは つりしすらしも
  山部赤人
   
  3/358
原文 武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟
訓読 武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟
仮名 むこのうらを こぎみるをぶね あはしまを そがひにみつつ ともしきをぶね
  山部赤人
   
  3/359
原文 阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
訓読 阿倍の島鵜の住む磯に寄する波間なくこのころ大和し思ほゆ
仮名 あへのしま うのすむいそに よするなみ まなくこのころ やまとしおもほゆ
  山部赤人
   
  3/360
原文 塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱褁乞者 何矣示
訓読 潮干なば玉藻刈りつめ家の妹が浜づと乞はば何を示さむ
仮名 しほひなば たまもかりつめ いへのいもが はまづとこはば なにをしめさむ
  山部赤人
   
  3/361
原文 秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣
訓読 秋風の寒き朝明を佐農の岡越ゆらむ君に衣貸さましを
仮名 あきかぜの さむきあさけを さぬのをか こゆらむきみに きぬかさましを
  山部赤人
   
  3/362
原文 美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志<弖>余 親者知友
訓読 みさご居る磯廻に生ふるなのりその名は告らしてよ親は知るとも
仮名 みさごゐる いそみにおふる なのりその なはのらしてよ おやはしるとも
  山部赤人
   
  3/363
原文 美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 <吉>名者告世 父母者知友
訓読 みさご居る荒磯に生ふるなのりそのよし名は告らせ親は知るとも
仮名 みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらせ おやはしるとも
  山部赤人
   
  3/364
原文 大夫之 弓上振起 射都流矢乎 後将見人者 語継金
訓読 ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
仮名 ますらをの ゆずゑふりおこし いつるやを のちみむひとは かたりつぐがね
  笠金村
   
  3/365
原文 塩津山 打越去者 我乗有 馬曽爪突 家戀良霜
訓読 塩津山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも
仮名 しほつやま うちこえゆけば あがのれる うまぞつまづく いへこふらしも
  笠金村
   
  3/366
原文 越海之 角鹿乃濱従 大舟尓 真梶貫下 勇魚取 海路尓出而 阿倍寸管 我榜行者 大夫乃 手結我浦尓 海未通女 塩焼炎 草枕 客之有者 獨為而 見知師無美 綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎
訓読 越の海の 角鹿の浜ゆ 大船に 真楫貫き下ろし 鯨魚取り 海道に出でて 喘きつつ 我が漕ぎ行けば ますらをの 手結が浦に 海女娘子 塩焼く煙 草枕 旅にしあれば ひとりして 見る験なみ 海神の 手に巻かしたる 玉たすき 懸けて偲ひつ 大和島根を
仮名 こしのうみの つのがのはまゆ おほぶねに まかぢぬきおろし いさなとり うみぢにいでて あへきつつ わがこぎゆけば ますらをの たゆひがうらに あまをとめ しほやくけぶり くさまくら たびにしあれば ひとりして みるしるしなみ わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ やまとしまねを
  笠金村
   
  3/367
原文 越海乃 手結之浦<矣> 客為而 見者乏見 日本思櫃
訓読 越の海の手結が浦を旅にして見れば羨しみ大和偲ひつ
仮名 こしのうみの たゆひがうらを たびにして みればともしみ やまとしのひつ
  笠金村
   
  3/368
原文 大船二 真梶繁貫 大王之 御命恐 礒廻為鴨
訓読 大船に真楫しじ貫き大君の命畏み磯廻するかも
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき おほきみの みことかしこみ いそみするかも
  石上乙麻呂
   
  3/369
原文 物部乃 臣之壮士者 大王<之> 任乃随意 聞跡云物曽
訓読 物部の臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ
仮名 もののふの おみのをとこは おほきみの まけのまにまに きくといふものぞ
  石上乙麻呂
   
  3/370
原文 雨不零 殿雲流夜之 潤濕跡 戀乍居寸 君待香光
訓読 雨降らずとの曇る夜のぬるぬると恋ひつつ居りき君待ちがてり
仮名 あめふらず とのぐもるよの ぬるぬると こひつつをりき きみまちがてり
  阿倍広庭
   
  3/371
原文 飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國
訓読 意宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに
仮名 おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに
  門部王
   
  3/372
原文 春日乎 春日山乃 高座之 御笠乃山尓 朝不離 雲居多奈引 容鳥能 間無數鳴 雲居奈須 心射左欲比 其鳥乃 片戀耳二 晝者毛 日之盡 夜者毛 夜之盡 立而居而 念曽吾為流 不相兒故荷
訓読 春日を 春日の山の 高座の 御笠の山に 朝さらず 雲居たなびき 貌鳥の 間なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 思ひぞ我がする 逢はぬ子故に
仮名 はるひを かすがのやまの たかくらの みかさのやまに あささらず くもゐたなびき かほどりの まなくしばなく くもゐなす こころいさよひ そのとりの かたこひのみに ひるはも ひのことごと よるはも よのことごと たちてゐて おもひぞわがする あはぬこゆゑに
  山部赤人
   
  3/373
原文 高按之 三笠乃山尓 鳴<鳥>之 止者継流 <戀>哭為鴨
訓読 高座の御笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも
仮名 たかくらの みかさのやまに なくとりの やめばつがるる こひもするかも
  山部赤人
   
  3/374
原文 雨零者 将盖跡念有 笠乃山 人尓莫令盖 霑者漬跡裳
訓読 雨降らば着むと思へる笠の山人にな着せそ濡れは漬つとも
仮名 あめふらば きむとおもへる かさのやま ひとになきせそ ぬれはひつとも
  石上乙麻呂
   
  3/375
原文 吉野尓有 夏實之河乃 川余杼尓 鴨曽鳴成 山影尓之弖
訓読 吉野なる菜摘の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山蔭にして
仮名 よしのなる なつみのかはの かはよどに かもぞなくなる やまかげにして
  湯原王
   
  3/376
原文 秋津羽之 袖振妹乎 珠匣 奥尓念乎 見賜吾君
訓読 あきづ羽の袖振る妹を玉櫛笥奥に思ふを見たまへ我が君
仮名 あきづはの そでふるいもを たまくしげ おくにおもふを みたまへあがきみ
  湯原王
   
  3/377
原文 青山之 嶺乃白雲 朝尓食尓 恒見杼毛 目頬四吾君
訓読 青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめづらし我が君
仮名 あをやまの みねのしらくも あさにけに つねにみれども めづらしあがきみ
  湯原王
   
  3/378
原文 昔者之 舊堤者 年深 池之瀲尓 水草生家里
訓読 いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり
仮名 いにしへの ふるきつつみは としふかみ いけのなぎさに みくさおひにけり
  山部赤人
   
  3/379
原文 久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齋戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝折伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者<祈>奈牟 君尓不相可聞
訓読 ひさかたの 天の原より 生れ来る 神の命 奥山の 賢木の枝に しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 繁に貫き垂れ 獣じもの 膝折り伏して たわや女の 襲取り懸け かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
仮名 ひさかたの あまのはらより あれきたる かみのみこと おくやまの さかきのえだに しらかつけ ゆふとりつけて いはひへを いはひほりすゑ たかたまを しじにぬきたれ ししじもの ひざをりふして たわやめの おすひとりかけ かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも
  坂上郎女
   
  3/380
原文 木綿疊 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨
訓読 木綿畳手に取り持ちてかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも
仮名 ゆふたたみ てにとりもちて かくだにも あれはこひなむ きみにあはじかも
  坂上郎女
   
  3/381
原文 思家登 情進莫 風候 好為而伊麻世 荒其路
訓読 家思ふと心進むな風まもり好くしていませ荒しその道
仮名 いへもふと こころすすむな かぜまもり よくしていませ あらしそのみち
  筑紫娘子
   
  3/382
原文 鷄之鳴 東國尓 高山者 佐波尓雖有 <朋>神之 貴山乃 儕立乃 見<杲>石山跡 神代従 人之言嗣 國見為<築>羽乃山矣 冬木成 時敷<時>跡 不見而徃者 益而戀石見 雪消為 山道尚矣 名積叙吾来<煎>
訓読 鶏が鳴く 東の国に 高山は さはにあれども 二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神世より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑波の山を 冬こもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞ我が来る
仮名 とりがなく あづまのくにに たかやまは さはにあれども ふたかみの たふときやまの なみたちの みがほしやまと かむよより ひとのいひつぎ くにみする つくはのやまを ふゆこもり ときじきときと みずていかば ましてこほしみ ゆきげする やまみちすらを なづみぞわがける
  丹比国人
   
  3/383
原文 築羽根矣 卌耳見乍 有金手 雪消乃道矣 名積来有鴨
訓読 筑波嶺を外のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来るかも
仮名 つくはねを よそのみみつつ ありかねて ゆきげのみちを なづみけるかも
  丹比国人
   
  3/384
原文 吾屋戸尓 韓藍<種>生之 雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念
訓読 我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ
仮名 わがやどに からあゐまきおほし かれぬれど こりずてまたも まかむとぞおもふ
  山部赤人
   
  3/385
原文 霰零 吉<志>美我高嶺乎 險跡 草取可奈和 妹手乎取
訓読 霰降り吉志美が岳をさがしみと草取りかなわ妹が手を取る
仮名 あられふり きしみがたけを さがしみと くさとりかなわ いもがてをとる
  味稲
   
  3/386
原文 此暮 柘之左枝乃 流来者 a者不打而 不取香聞将有
訓読 この夕柘のさ枝の流れ来ば梁は打たずて取らずかもあらむ
仮名 このゆふへ つみのさえだの ながれこば やなはうたずて とらずかもあらむ
   
  3/387
原文 古尓 a打人乃 無有世伐 此間毛有益 柘之枝羽裳
訓読 いにしへに梁打つ人のなかりせばここにもあらまし柘の枝はも
仮名 いにしへに やなうつひとの なかりせば ここにもあらまし つみのえだはも
  若宮年魚麻呂
   
  3/388
原文 海若者 霊寸物香 淡路嶋 中尓立置而 白浪乎 伊与尓廻之 座待月 開乃門従者 暮去者 塩乎令満 明去者 塩乎令于 塩左為能 浪乎恐美 淡路嶋 礒隠居而 何時鴨 此夜乃将明跡<侍>従尓 寐乃不勝宿者 瀧上乃 淺野之雉 開去歳 立動良之 率兒等 安倍而榜出牟 尓波母之頭氣師
訓読 海神は くすしきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊予に廻らし 居待月 明石の門ゆは 夕されば 潮を満たしめ 明けされば 潮を干しむ 潮騒の 波を畏み 淡路島 礒隠り居て いつしかも この夜の明けむと さもらふに 寐の寝かてねば 滝の上の 浅野の雉 明けぬとし 立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けし
仮名 わたつみは くすしきものか あはぢしま なかにたておきて しらなみを いよにめぐらし ゐまちづき あかしのとゆは ゆふされば しほをみたしめ あけされば しほをひしむ しほさゐの なみをかしこみ あはぢしま いそがくりゐて いつしかも このよのあけむと さもらふに いのねかてねば たきのうへの あさののきぎし あけぬとし たちさわくらし いざこども あへてこぎでむ にはもしづけし
   
  3/389
原文 嶋傳 敏馬乃埼乎 許藝廻者 日本戀久 鶴左波尓鳴
訓読 島伝ひ敏馬の崎を漕ぎ廻れば大和恋しく鶴さはに鳴く
仮名 しまつたひ みぬめのさきを こぎみれば やまとこほしく たづさはになく
   
  3/390
原文 軽池之 汭廻徃轉留 鴨尚尓 玉藻乃於丹 獨宿名久二
訓読 軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに
仮名 かるのいけの うらみゆきみる かもすらに たまものうへに ひとりねなくに
  紀皇女
   
  3/391
原文 鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐歸都 安多良船材乎
訓読 鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつあたら船木を
仮名 とぶさたて あしがらやまに ふなぎきり きにきりゆきつ あたらふなぎを
  沙弥満誓
   
  3/392
原文 烏珠之 其夜乃梅乎 手忘而 不折来家里 思之物乎
訓読 ぬばたまのその夜の梅をた忘れて折らず来にけり思ひしものを
仮名 ぬばたまの そのよのうめを たわすれて をらずきにけり おもひしものを
  大伴百代
   
  3/393
原文 不所見十方 孰不戀有米 山之末尓 射狭夜歴月乎 外見而思香
訓読 見えずとも誰れ恋ひざらめ山の端にいさよふ月を外に見てしか
仮名 みえずとも たれこひざらめ やまのはに いさよふつきを よそにみてしか
  沙弥満誓
   
  3/394
原文 印結而 我定義之 住吉乃 濱乃小松者 後毛吾松
訓読 標結ひて我が定めてし住吉の浜の小松は後も我が松
仮名 しめゆひて わがさだめてし すみのえの はまのこまつは のちもわがまつ
  余明軍
   
  3/395
原文 <託>馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
訓読 託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
仮名 たくまのに おふるむらさき きぬにしめ いまだきずして いろにいでにけり
  笠郎女
   
  3/396
原文 陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
訓読 陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
仮名 みちのくの まののかやはら とほけども おもかげにして みゆといふものを
  笠郎女
   
  3/397
原文 奥山之 磐本菅乎 根深目手 結之情 忘不得裳
訓読 奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
仮名 おくやまの いはもとすげを ねふかめて むすびしこころ わすれかねつも
  笠郎女
   
  3/398
原文 妹家尓 開有梅之 何時毛々々々 将成時尓 事者将定
訓読 妹が家に咲きたる梅のいつもいつもなりなむ時に事は定めむ
仮名 いもがいへに さきたるうめの いつもいつも なりなむときに ことはさだめむ
  藤原八束
   
  3/399
原文 妹家尓 開有花之 梅花 實之成名者 左右将為
訓読 妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ
仮名 いもがいへに さきたるはなの うめのはな みにしなりなば かもかくもせむ
  藤原八束
   
  3/400
原文 梅花 開而落去登 人者雖云 吾標結之 枝将有八方
訓読 梅の花咲きて散りぬと人は言へど我が標結ひし枝にあらめやも
仮名 うめのはな さきてちりぬと ひとはいへど わがしめゆひし えだにあらめやも
  大伴駿河麻呂
   
  3/401
原文 山守之 有家留不知尓 其山尓 標結立而 結之辱為都
訓読 山守のありける知らにその山に標結ひ立てて結ひの恥しつ
仮名 やまもりの ありけるしらに そのやまに しめゆひたてて ゆひのはぢしつ
  坂上郎女
   
  3/402
原文 山主者 盖雖有 吾妹子之 将結標乎 人将解八方
訓読 山守はけだしありとも我妹子が結ひけむ標を人解かめやも
仮名 やまもりは けだしありとも わぎもこが ゆひけむしめを ひととかめやも
  坂上郎女
   
  3/403
原文 朝尓食尓 欲見 其玉乎 如何為鴨 従手不離有牟
訓読 朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ
仮名 あさにけに みまくほりする そのたまを いかにせばかも てゆかれずあらむ
  大伴家持
   
  3/404
原文 千磐破 神之社四 無有世伐 春日之野邊 粟種益乎
訓読 ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを
仮名 ちはやぶる かみのやしろし なかりせば かすがののへに あはまかましを
  娘子
   
  3/405
原文 春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師<怨>焉
訓読 春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし
仮名 かすがのに あはまけりせば ししまちに つぎてゆかましを やしろしうらめし
  佐伯赤麻呂
   
  3/406
原文 吾祭 神者不有 大夫尓 認有神曽 好應祀
訓読 我が祭る神にはあらず大夫に憑きたる神ぞよく祭るべし
仮名 わがまつる かみにはあらず ますらをに つきたるかみぞ よくまつるべし
  娘子
   
  3/407
原文 春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟
訓読 春霞春日の里の植ゑ子水葱苗なりと言ひし枝はさしにけむ
仮名 はるかすみ かすがのさとの うゑこなぎ なへなりといひし えはさしにけむ
  大伴駿河麻呂
   
  3/408
原文 石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無
訓読 なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
仮名 なでしこが そのはなにもが あさなさな てにとりもちて こひぬひなけむ
  大伴家持
   
  3/409
原文 一日尓波 千重浪敷尓 雖念 奈何其玉之 手二巻<難>寸
訓読 一日には千重波しきに思へどもなぞその玉の手に巻きかたき
仮名 ひとひには ちへなみしきに おもへども なぞそのたまの てにまきかたき
  大伴駿河麻呂
   
  3/410
原文 橘乎 屋前尓殖生 立而居而 後雖悔 驗将有八方
訓読 橘を宿に植ゑ生ほし立ちて居て後に悔ゆとも験あらめやも
仮名 たちばなを やどにうゑおほし たちてゐて のちにくゆとも しるしあらめやも
  坂上郎女
   
  3/411
原文 吾妹兒之 屋前之橘 甚近 殖而師故二 不成者不止
訓読 我妹子がやどの橘いと近く植ゑてし故にならずはやまじ
仮名 わぎもこが やどのたちばな いとちかく うゑてしゆゑに ならずはやまじ
  坂上郎女
   
  3/412
原文 伊奈太吉尓 伎須賣流玉者 無二 此方彼方毛 君之随意
訓読 いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに
仮名 いなだきに きすめるたまは ふたつなし かにもかくにも きみがまにまに
  市原王
   
  3/413
原文 須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢
訓読 須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
仮名 すまのあまの しほやききぬの ふぢころも まどほにしあれば いまだきなれず
  大網公人
   
  3/414
原文 足日木能 石根許其思美 菅根乎 引者難三等 標耳曽結焉
訓読 あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かばかたみと標のみぞ結ふ
仮名 あしひきの いはねこごしみ すがのねを ひかばかたみと しめのみぞゆふ
  大伴家持
   
  3/415
原文 家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人A怜
訓読 家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ
仮名 いへにあらば いもがてまかむ くさまくら たびにこやせる このたびとあはれ
  聖徳太子
   
  3/416
原文 百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟
訓読 百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
仮名 ももづたふ いはれのいけに なくかもを けふのみみてや くもがくりなむ
  大津皇子
   
  3/417
原文 王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
訓読 大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる
仮名 おほきみの にきたまあへや とよくにの かがみのやまを みやとさだむる
  手持女王
   
  3/418
原文 豊國乃 鏡山之 石戸立 隠尓計良思 雖待不来座
訓読 豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず
仮名 とよくにの かがみのやまの いはとたて こもりにけらし まてどきまさず
  手持女王
   
  3/419
原文 石戸破 手力毛欲得 手弱寸 女有者 為便乃不知苦
訓読 岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
仮名 いはとわる たぢからもがも たよわき をみなにしあれば すべのしらなく
  手持女王
   
  3/420
原文 名湯竹乃 十縁皇子 狭丹頬相 吾大王者 隠久乃 始瀬乃山尓 神左備尓 伊都伎坐等 玉梓乃 人曽言鶴 於余頭礼可 吾聞都流 <狂>言加 我間都流母 天地尓 悔事乃 世開乃 悔言者 天雲乃 曽久敝能極 天地乃 至流左右二 杖策毛 不衝毛去而 夕衢占問 石卜以而 吾屋戸尓 御諸乎立而 枕邊尓 齋戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 天有 左佐羅能小野之 七相菅 手取持而 久堅乃 天川原尓 出立而 潔身而麻之<乎> 高山乃 石穂乃上尓 伊座都<類>香物
訓読 なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの 初瀬の山に 神さびに 斎きいますと 玉梓の 人ぞ言ひつる およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に 悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の 至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斎瓮を据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて みそぎてましを 高山の 巌の上に いませつるかも
仮名 なゆたけの とをよるみこ さにつらふ わがおほきみは こもりくの はつせのやまに かむさびに いつきいますと たまづさの ひとぞいひつる およづれか わがききつる たはことか わがききつるも あめつちに くやしきことの よのなかの くやしきことは あまくもの そくへのきはみ あめつちの いたれるまでに つゑつきも つかずもゆきて ゆふけとひ いしうらもちて わがやどに みもろをたてて まくらへに いはひへをすゑ たかたまを まなくぬきたれ ゆふたすき かひなにかけて あめなる ささらのをのの ななふすげ てにとりもちて ひさかたの あまのかはらに いでたちて みそぎてましを たかやまの いはほのうへに いませつるかも
  丹生王
   
  3/421
原文 逆言之 狂言等可聞 高山之 石穂乃上尓 君之臥有
訓読 およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる
仮名 およづれの たはこととかも たかやまの いはほのうへに きみがこやせる
  丹生王
   
  3/422
原文 石上 振乃山有 杉村乃 思過倍吉 君尓有名國
訓読 石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに
仮名 いそのかみ ふるのやまなる すぎむらの おもひすぐべき きみにあらなくに
  丹生王
   
  3/423
原文 角障經 石村之道乎 朝不離 将歸人乃 念乍 通計萬<口>波 霍公鳥 鳴五月者 菖蒲 花橘乎 玉尓貫 [一云 貫交] 蘰尓将為登 九月能 四具礼能時者 黄葉乎 折挿頭跡 延葛乃 弥遠永 [一云 田葛根乃 弥遠長尓] 萬世尓 不絶等念而 [一云 大舟之 念憑而] 将通 君乎婆明日従 [一云 君乎従明日<者>] 外尓可聞見牟
訓読 つのさはふ 磐余の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは 霍公鳥 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き [一云 貫き交へ] かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く [一云 葛の根の いや遠長に] 万代に 絶えじと思ひて [一云 大船の 思ひたのみて] 通ひけむ 君をば明日ゆ [一云 君を明日ゆは] 外にかも見む
仮名 つのさはふ いはれのみちを あささらず ゆきけむひとの おもひつつ かよひけまくは ほととぎす なくさつきには あやめぐさ はなたちばなを たまにぬき [ぬきまじへ] かづらにせむと ながつきの しぐれのときは もみちばを をりかざさむと はふくずの いやとほながく [くずのねの いやとほながに] よろづよに たえじとおもひて [おほぶねの おもひたのみて] かよひけむ きみをばあすゆ [きみをあすゆは] よそにかもみむ
  山前王:柿本人麻呂
   
  3/424
原文 隠口乃 泊瀬越女我 手二纒在 玉者乱而 有不言八方
訓読 こもりくの泊瀬娘子が手に巻ける玉は乱れてありと言はずやも
仮名 こもりくの はつせをとめが てにまける たまはみだれて ありといはずやも
  山前王
   
  3/425
原文 河風 寒長谷乎 歎乍 公之阿流久尓 似人母逢耶
訓読 川風の寒き泊瀬を嘆きつつ君が歩くに似る人も逢へや
仮名 かはかぜの さむきはつせを なげきつつ きみがあるくに にるひともあへや
  山前王
   
  3/426
原文 草枕 羈宿尓 誰嬬可 國忘有 家待<真>國
訓読 草枕旅の宿りに誰が嬬か国忘れたる家待たまくに
仮名 くさまくら たびのやどりに たがつまか くにわすれたる いへまたまくに
  柿本人麻呂
   
  3/427
原文 百不足 八十隅坂尓 手向為者 過去人尓 盖相牟鴨
訓読 百足らず八十隈坂に手向けせば過ぎにし人にけだし逢はむかも
仮名 ももたらず やそくまさかに たむけせば すぎにしひとに けだしあはむかも
  刑部垂麻呂
   
  3/428
原文 隠口能 泊瀬山之 山際尓 伊佐夜歴雲者 妹鴨有牟
訓読 こもりくの初瀬の山の山の際にいさよふ雲は妹にかもあらむ
仮名 こもりくの はつせのやまの やまのまに いさよふくもは いもにかもあらむ
  柿本人麻呂
   
  3/429
原文 山際従 出雲兒等者 霧有哉 吉野山 嶺霏<d>
訓読 山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく
仮名 やまのまゆ いづものこらは きりなれや よしののやまの みねにたなびく
  柿本人麻呂
   
  3/430
原文 八雲刺 出雲子等 黒髪者 吉野川 奥名豆颯
訓読 八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ
仮名 やくもさす いづものこらが くろかみは よしののかはの おきになづさふ
  柿本人麻呂
   
  3/431
原文 古昔 有家武人之 倭<文>幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武 勝壮鹿乃 真間之手兒名之 奥槨乎 此間登波聞杼 真木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不<可>忘
訓読 いにしへに ありけむ人の 倭文幡の 帯解き交へて 伏屋立て 妻問ひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥つ城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我れは 忘らゆましじ
仮名 いにしへに ありけむひとの しつはたの おびときかへて ふせやたて つまどひしけむ かつしかの ままのてごなが おくつきを こことはきけど まきのはや しげくあるらむ まつがねや とほくひさしき ことのみも なのみもわれは わすらゆましじ
  山部赤人
   
  3/432
原文 吾毛見都 人尓毛将告 勝壮鹿之 間<々>能手兒名之 奥津城處
訓読 我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ
仮名 われもみつ ひとにもつげむ かつしかの ままのてごなが おくつきところ
  山部赤人
   
  3/433
原文 勝壮鹿乃 真々乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念
訓読 葛飾の真間の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ
仮名 かつしかの ままのいりえに うちなびく たまもかりけむ てごなしおもほゆ
  山部赤人
   
  3/434
原文 加<座>皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 [或云 見者悲霜 無人思丹]
訓読 風早の美穂の浦廻の白つつじ見れども寂しなき人思へば [或云 見れば悲しもなき人思ふに]
仮名 かざはやの みほのうらみの しらつつじ みれどもさぶし なきひとおもへば [みればかなしも なきひとおもふに]
  河辺宮人
   
  3/435
原文 見津見津四 久米能若子我 伊觸家武 礒之草根乃 干巻惜裳
訓読 みつみつし久米の若子がい触れけむ礒の草根の枯れまく惜しも
仮名 みつみつし くめのわくごが いふれけむ いそのくさねの かれまくをしも
  河辺宮人
   
  3/436
原文 人言之 繁比日 玉有者 手尓巻持而 不戀有益雄
訓読 人言の繁きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひずあらましを
仮名 ひとごとの しげきこのころ たまならば てにまきもちて こひずあらましを
  河辺宮人
   
  3/437
原文 妹毛吾毛 清之河乃 河岸之 妹我可悔 心者不持
訓読 妹も我れも清みの川の川岸の妹が悔ゆべき心は持たじ
仮名 いももあれも きよみのかはの かはきしの いもがくゆべき こころはもたじ
  河辺宮人
   
  3/438
原文 愛 人之纒而師 敷細之 吾手枕乎 纒人将有哉
訓読 愛しき人のまきてし敷栲の我が手枕をまく人あらめや
仮名 うつくしき ひとのまきてし しきたへの わがたまくらを まくひとあらめや
  大伴旅人
   
  3/439
原文 應還 時者成来 京師尓而 誰手本乎可 吾将枕
訓読 帰るべく時はなりけり都にて誰が手本をか我が枕かむ
仮名 かへるべく ときはなりけり みやこにて たがたもとをか わがまくらかむ
  大伴旅人
   
  3/440
原文 在<京> 荒有家尓 一宿者 益旅而 可辛苦
訓読 都なる荒れたる家にひとり寝ば旅にまさりて苦しかるべし
仮名 みやこなる あれたるいへに ひとりねば たびにまさりて くるしかるべし
  大伴旅人
   
  3/441
原文 大皇之 命恐 大荒城乃 時尓波不有跡 雲隠座
訓読 大君の命畏み大殯の時にはあらねど雲隠ります
仮名 おほきみの みことかしこみ おほあらきの ときにはあらねど くもがくります
  倉橋部女王
   
  3/442
原文 世間者 空物跡 将有登曽 此照月者 満闕為家流
訓読 世間は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける
仮名 よのなかは むなしきものと あらむとぞ このてるつきは みちかけしける
   
  3/443
原文 天雲之 向伏國 武士登 所云人者 皇祖 神之御門尓 外重尓 立候 内重尓 仕奉 玉葛 弥遠長 祖名文 継徃物与 母父尓 妻尓子等尓 語而 立西日従 帶乳根乃 母命者 齋忌戸乎 前坐置而 一手者 木綿取持 一手者 和細布奉 <平> 間幸座与 天地乃 神祇乞祷 何在 歳月日香 茵花 香君之 牛留鳥 名津匝来与 立居而 待監人者 王之 命恐 押光 難波國尓 荒玉之 年經左右二 白栲 衣不干 朝夕 在鶴公者 何方尓 念座可 欝蝉乃 惜此世乎 露霜 置而徃監 時尓不在之天
訓読 天雲の 向伏す国の ますらをと 言はれし人は 天皇の 神の御門に 外の重に 立ち侍ひ 内の重に 仕へ奉りて 玉葛 いや遠長く 祖の名も 継ぎ行くものと 母父に 妻に子どもに 語らひて 立ちにし日より たらちねの 母の命は 斎瓮を 前に据ゑ置きて 片手には 木綿取り持ち 片手には 和栲奉り 平けく ま幸くいませと 天地の 神を祈ひ祷み いかにあらむ 年月日にか つつじ花 にほへる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て 待ちけむ人は 大君の 命畏み おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白栲の 衣も干さず 朝夕に ありつる君は いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして
仮名 あまくもの むかぶすくにの ますらをと いはれしひとは すめろきの かみのみかどに とのへに たちさもらひ うちのへに つかへまつりて たまかづら いやとほながく おやのなも つぎゆくものと おもちちに つまにこどもに かたらひて たちにしひより たらちねの ははのみことは いはひへを まへにすゑおきて かたてには ゆふとりもち かたてには にきたへまつり たひらけく まさきくいませと あめつちの かみをこひのみ いかにあらむ としつきひにか つつじはな にほへるきみが にほとりの なづさひこむと たちてゐて まちけむひとは おほきみの みことかしこみ おしてる なにはのくにに あらたまの としふるまでに しろたへの ころももほさず あさよひに ありつるきみは いかさまに おもひいませか うつせみの をしきこのよを つゆしもの おきていにけむ ときにあらずして
  大伴三中
   
  3/444
原文 昨日社 公者在然 不思尓 濱松之<於> 雲棚引
訓読 昨日こそ君はありしか思はぬに浜松の上に雲にたなびく
仮名 きのふこそ きみはありしか おもはぬに はままつのうへに くもにたなびく
  大伴三中
   
  3/445
原文 何時然跡 待牟妹尓 玉梓乃 事太尓不告 徃公鴨
訓読 いつしかと待つらむ妹に玉梓の言だに告げず去にし君かも
仮名 いつしかと まつらむいもに たまづさの ことだにつげず いにしきみかも
  大伴三中
   
  3/446
原文 吾妹子之 見師鞆浦之 天木香樹者 常世有跡 見之人曽奈吉
訓読 我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき
仮名 わぎもこが みしとものうらの むろのきは とこよにあれど みしひとぞなき
  大伴旅人
   
  3/447
原文 鞆浦之 礒之室木 将見毎 相見之妹者 将所忘八方
訓読 鞆の浦の礒のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも
仮名 とものうらの いそのむろのき みむごとに あひみしいもは わすらえめやも
  大伴旅人
   
  3/448
原文 礒上丹 根蔓室木 見之人乎 何在登問者 語将告可
訓読 礒の上に根延ふむろの木見し人をいづらと問はば語り告げむか
仮名 いそのうへに ねばふむろのき みしひとを いづらととはば かたりつげむか
  大伴旅人
   
  3/449
原文 与妹来之 敏馬能埼乎 還左尓 獨<之>見者 涕具末之毛
訓読 妹と来し敏馬の崎を帰るさにひとりし見れば涙ぐましも
仮名 いもとこし みぬめのさきを かへるさに ひとりしみれば なみたぐましも
  大伴旅人
   
  3/450
原文 去左尓波 二吾見之 此埼乎 獨過者 情悲<喪> [一云 見毛左可受伎濃]
訓読 行くさにはふたり我が見しこの崎をひとり過ぐれば心悲しも [一云 見も放かず来ぬ]
仮名 ゆくさには ふたりわがみし このさきを ひとりすぐれば こころかなしも [みもさかずきぬ]
  大伴旅人
   
  3/451
原文 人毛奈吉 空家者 草枕 旅尓益而 辛苦有家里
訓読 人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり
仮名 ひともなき むなしきいへは くさまくら たびにまさりて くるしかりけり
  大伴旅人
   
  3/452
原文 与妹為而 二作之 吾山齋者 木高繁 成家留鴨
訓読 妹としてふたり作りし我が山斎は木高く茂くなりにけるかも
仮名 いもとして ふたりつくりし わがしまは こだかくしげく なりにけるかも
  大伴旅人
   
  3/453
原文 吾妹子之 殖之梅樹 毎見 情咽都追 涕之流
訓読 我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る
仮名 わぎもこが うゑしうめのき みるごとに こころむせつつ なみたしながる
  大伴旅人
   
  3/454
原文 愛八師 榮之君乃 伊座勢<婆> 昨日毛今日毛 吾乎召<麻>之乎
訓読 はしきやし栄えし君のいましせば昨日も今日も我を召さましを
仮名 はしきやし さかえしきみの いましせば きのふもけふも わをめさましを
  余明軍
   
  3/455
原文 如是耳 有家類物乎 芽子花 咲而有哉跡 問之君波母
訓読 かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも
仮名 かくのみに ありけるものを はぎのはな さきてありやと とひしきみはも
  余明軍
   
  3/456
原文 君尓戀 痛毛為便奈美 蘆鶴之 哭耳所泣 朝夕四天
訓読 君に恋ひいたもすべなみ葦鶴の哭のみし泣かゆ朝夕にして
仮名 きみにこひ いたもすべなみ あしたづの ねのみしなかゆ あさよひにして
  余明軍
   
  3/457
原文 遠長 将仕物常 念有之 君師不座者 心神毛奈思
訓読 遠長く仕へむものと思へりし君しまさねば心どもなし
仮名 とほながく つかへむものと おもへりし きみしまさねば こころどもなし
  余明軍
   
  3/458
原文 若子乃 匍匐多毛登保里 朝夕 哭耳曽吾泣 君無二四天
訓読 みどり子の匍ひたもとほり朝夕に哭のみぞ我が泣く君なしにして
仮名 みどりこの はひたもとほり あさよひに ねのみぞわがなく きみなしにして
  余明軍
   
  3/459
原文 見礼杼不飽 伊座之君我 黄葉乃 移伊去者 悲喪有香
訓読 見れど飽かずいましし君が黄葉のうつりい行けば悲しくもあるか
仮名 みれどあかず いまししきみが もみちばの うつりいゆけば かなしくもあるか
  余明軍
   
  3/460
原文 栲角乃 新羅國従 人事乎 吉跡所聞而 問放流 親族兄弟 無國尓 渡来座而 大皇之 敷座國尓 内日指 京思美弥尓 里家者 左波尓雖在 何方尓 念鷄目鴨 都礼毛奈吉 佐保乃山邊<尓> 哭兒成 慕来座而 布細乃 宅乎毛造 荒玉乃 年緒長久 住乍 座之物乎 生者 死云事尓 不免 物尓之有者 憑有之 人乃盡 草<枕> 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山邊乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 徘徊 直獨而 白細之 衣袖不干 嘆乍 吾泣涙 有間山 雲居軽引 雨尓零寸八
訓読 栲づのの 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 なき国に 渡り来まして 大君の 敷きます国に うち日さす 都しみみに 里家は さはにあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 泣く子なす 慕ひ来まして 敷栲の 家をも作り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ いまししものを 生ける者 死ぬといふことに 免れぬ ものにしあれば 頼めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に 佐保川を 朝川渡り 春日野を そがひに見つつ あしひきの 山辺をさして 夕闇と 隠りましぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに たもとほり ただひとりして 白栲の 衣袖干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや
仮名 たくづのの しらきのくにゆ ひとごとを よしときかして とひさくる うがらはらから なきくにに わたりきまして おほきみの しきますくにに うちひさす みやこしみみに さといへは さはにあれども いかさまに おもひけめかも つれもなき さほのやまへに なくこなす したひきまして しきたへの いへをもつくり あらたまの としのをながく すまひつつ いまししものを いけるもの しぬといふことに まぬかれぬ ものにしあれば たのめりし ひとのことごと くさまくら たびなるほとに さほがはを あさかはわたり かすがのを そがひにみつつ あしひきの やまへをさして ゆふやみと かくりましぬれ いはむすべ せむすべしらに たもとほり ただひとりして しろたへの ころもでほさず なげきつつ わがなくなみた ありまやま くもゐたなびき あめにふりきや
  坂上郎女
   
  3/461
原文 留不得 壽尓之在者 敷細乃 家従者出而 雲隠去寸
訓読 留めえぬ命にしあれば敷栲の家ゆは出でて雲隠りにき
仮名 とどめえぬ いのちにしあれば しきたへの いへゆはいでて くもがくりにき
  坂上郎女
   
  3/462
原文 従今者 秋風寒 将吹焉 如何獨 長夜乎将宿
訓読 今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む
仮名 いまよりは あきかぜさむく ふきなむを いかにかひとり ながきよをねむ
  大伴家持
   
  3/463
原文 長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
訓読 長き夜をひとりや寝むと君が言へば過ぎにし人の思ほゆらくに
仮名 ながきよを ひとりやねむと きみがいへば すぎにしひとの おもほゆらくに
  大伴書持
   
  3/464
原文 秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
訓読 秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
仮名 あきさらば みつつしのへと いもがうゑし やどのなでしこ さきにけるかも
  大伴家持
   
  3/465
原文 虚蝉之 代者無常跡 知物乎 秋風寒 思努妣都流可聞
訓読 うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも
仮名 うつせみの よはつねなしと しるものを あきかぜさむみ しのひつるかも
  大伴家持
   
  3/466
原文 吾屋前尓 花曽咲有 其乎見杼 情毛不行 愛八師 妹之有世婆 水鴨成 二人雙居 手折而毛 令見麻思物乎 打蝉乃 借有身在者 <露>霜乃 消去之如久 足日木乃 山道乎指而 入日成 隠去可婆 曽許念尓 胸己所痛 言毛不得 名付毛不知 跡無 世間尓有者 将為須辨毛奈思
訓読 我がやどに 花ぞ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす ふたり並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひもえず 名づけも知らず 跡もなき 世間にあれば 為むすべもなし
仮名 わがやどに はなぞさきたる そをみれど こころもゆかず はしきやし いもがありせば みかもなす ふたりならびゐ たをりても みせましものを うつせみの かれるみなれば つゆしもの けぬるがごとく あしひきの やまぢをさして いりひなす かくりにしかば そこもふに むねこそいたき いひもえず なづけもしらず あともなき よのなかにあれば せむすべもなし
  大伴家持
   
  3/467
原文 時者霜 何時毛将有乎 情哀 伊去吾妹可 <若>子乎置而
訓読 時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて
仮名 ときはしも いつもあらむを こころいたく いゆくわぎもか みどりこをおきて
  大伴家持
   
  3/468
原文 出行 道知末世波 豫 妹乎将留 塞毛置末思乎
訓読 出でて行く道知らませばあらかじめ妹を留めむ関も置かましを
仮名 いでてゆく みちしらませば あらかじめ いもをとどめむ せきもおかましを
  大伴家持
   
  3/469
原文 妹之見師 屋前尓花咲 時者經去 吾泣涙 未干尓
訓読 妹が見しやどに花咲き時は経ぬ我が泣く涙いまだ干なくに
仮名 いもがみし やどにはなさき ときはへぬ わがなくなみた いまだひなくに
  大伴家持
   
  3/470
原文 如是耳 有家留物乎 妹毛吾毛 如千歳 憑有来
訓読 かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり
仮名 かくのみに ありけるものを いももあれも ちとせのごとく たのみたりけり
  大伴家持
   
  3/471
原文 離家 伊麻須吾妹乎 停不得 山隠都礼 情神毛奈思
訓読 家離りいます我妹を留めかね山隠しつれ心どもなし
仮名 いへざかり いますわぎもを とどめかね やまかくしつれ こころどもなし
  大伴家持
   
  3/472
原文 世間之 常如此耳跡 可都<知跡> 痛情者 不忍都毛
訓読 世間し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍びかねつも
仮名 よのなかし つねかくのみと かつしれど いたきこころは しのびかねつも
  大伴家持
   
  3/473
原文 佐保山尓 多奈引霞 毎見 妹乎思出 不泣日者無
訓読 佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし
仮名 さほやまに たなびくかすみ みるごとに いもをおもひで なかぬひはなし
  大伴家持
   
  3/474
原文 昔許曽 外尓毛見之加 吾妹子之 奥槨常念者 波之吉佐寳山
訓読 昔こそ外にも見しか我妹子が奥つ城と思へばはしき佐保山
仮名 むかしこそ よそにもみしか わぎもこが おくつきとおもへば はしきさほやま
  大伴家持
   
  3/475
原文 <挂>巻母 綾尓恐之 言巻毛 齋忌志伎可物 吾王 御子乃命 萬代尓 食賜麻思 大日本 久邇乃京者 打靡 春去奴礼婆 山邊尓波 花咲乎為里 河湍尓波 年魚小狭走 弥日異 榮時尓 逆言之 狂言登加聞 白細尓 舎人装束而 和豆香山 御輿立之而 久堅乃 天所知奴礼 展轉 埿打雖泣 将為須便毛奈思
訓読 かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしきかも 我が大君 皇子の命 万代に 見したまはまし 大日本 久迩の都は うち靡く 春さりぬれば 山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ 臥いまろび ひづち泣けども 為むすべもなし
仮名 かけまくも あやにかしこし いはまくも ゆゆしきかも わがおほきみ みこのみこと よろづよに めしたまはまし おほやまと くにのみやこは うちなびく はるさりぬれば やまへには はなさきををり かはせには あゆこさばしり いやひけに さかゆるときに およづれの たはこととかも しろたへに とねりよそひて わづかやま みこしたたして ひさかたの あめしらしぬれ こいまろび ひづちなけども せむすべもなし
  大伴家持
   
  3/476
原文 吾王 天所知牟登 不思者 於保尓曽見谿流 和豆香蘇麻山
訓読 我が大君天知らさむと思はねばおほにぞ見ける和束杣山
仮名 わがおほきみ あめしらさむと おもはねば おほにぞみける わづかそまやま
  大伴家持
   
  3/477
原文 足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞
訓読 あしひきの山さへ光り咲く花の散りぬるごとき我が大君かも
仮名 あしひきの やまさへひかり さくはなの ちりぬるごとき わがおほきみかも
  大伴家持
   
  3/478
原文 <挂>巻毛 文尓恐之 吾王 皇子之命 物乃負能 八十伴男乎 召集聚 率比賜比 朝猟尓 鹿猪踐<起> 暮猟尓 鶉雉履立 大御馬之 口抑駐 御心乎 見為明米之 活道山 木立之繁尓 咲花毛 移尓家里 世間者 如此耳奈良之 大夫之 心振起 劔刀 腰尓取佩 梓弓 靭取負而 天地与 弥遠長尓 万代尓 如此毛欲得跡 憑有之 皇子乃御門乃 五月蝿成 驟驂舎人者 白栲尓 <服>取著而 常有之 咲比振麻比 弥日異 更經<見>者 悲<呂>可聞
訓読 かけまくも あやに畏し 我が大君 皇子の命の もののふの 八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も うつろひにけり 世間は かくのみならし ますらをの 心振り起し 剣太刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒く舎人は 白栲に 衣取り着て 常なりし 笑ひ振舞ひ いや日異に 変らふ見れば 悲しきろかも
仮名 かけまくも あやにかしこし わがおほきみ みこのみことの もののふの やそとものをを めしつどへ あどもひたまひ あさがりに ししふみおこし ゆふがりに とりふみたて おほみまの くちおさへとめ みこころを めしあきらめし いくぢやま こだちのしげに さくはなも うつろひにけり よのなかは かくのみならし ますらをの こころふりおこし つるぎたち こしにとりはき あづさゆみ ゆきとりおひて あめつちと いやとほながに よろづよに かくしもがもと たのめりし みこのみかどの さばへなす さわくとねりは しろたへに ころもとりきて つねなりし ゑまひふるまひ いやひけに かはらふみれば かなしきろかも
  大伴家持
   
  3/479
原文 波之吉可聞 皇子之命乃 安里我欲比 見之活道乃 路波荒尓鷄里
訓読 はしきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり
仮名 はしきかも みこのみことの ありがよひ めししいくぢの みちはあれにけり
  大伴家持
   
  3/480
原文 大伴之 名負靭帶而 萬代尓 憑之心 何所可将寄
訓読 大伴の名に負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ
仮名 おほともの なにおふゆきおびて よろづよに たのみしこころ いづくかよせむ
  大伴家持
   
  3/481
原文 白細之 袖指可倍弖 靡寐 吾黒髪乃 真白髪尓 成極 新世尓 共将有跡 玉緒乃 不絶射妹跡 結而石 事者不果 思有之 心者不遂 白妙之 手本矣別 丹杵火尓之 家従裳出而 緑兒乃 哭乎毛置而 朝霧 髣髴為乍 山代乃 相樂山乃 山際 徃過奴礼婆 将云為便 将為便不知 吾妹子跡 左宿之妻屋尓 朝庭 出立偲 夕尓波 入居嘆<會> 腋<挾> 兒乃泣<毎> 雄自毛能 負見抱見 朝鳥之 啼耳哭管 雖戀 効矣無跡 辞不問 物尓波在跡 吾妹子之 入尓之山乎 因鹿跡叙念
訓読 白栲の 袖さし交へて 靡き寝し 我が黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は遂げず 白栲の 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山の際に 行き過ぎぬれば 言はむすべ 為むすべ知らに 我妹子と さ寝し妻屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には 入り居嘆かひ 脇ばさむ 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 哭のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言とはぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ
仮名 しろたへの そでさしかへて なびきねし わがくろかみの ましらかに なりなむきはみ あらたよに ともにあらむと たまのをの たえじいいもと むすびてし ことははたさず おもへりし こころはとげず しろたへの たもとをわかれ にきびにし いへゆもいでて みどりこの なくをもおきて あさぎりの おほになりつつ やましろの さがらかやまの やまのまに ゆきすぎぬれば いはむすべ せむすべしらに わぎもこと さねしつまやに あしたには いでたちしのひ ゆふへには いりゐなげかひ わきばさむ このなくごとに をとこじもの おひみむだきみ あさとりの ねのみなきつつ こふれども しるしをなみと こととはぬ ものにはあれど わぎもこが いりにしやまを よすかとぞおもふ
  高橋
   
  3/482
原文 打背見乃 世之事尓在者 外尓見之 山矣耶今者 因香跡思波牟
訓読 うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
仮名 うつせみの よのことにあれば よそにみし やまをやいまは よすかとおもはむ
  高橋
   
  3/483
原文 朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無
訓読 朝鳥の哭のみし泣かむ我妹子に今またさらに逢ふよしをなみ
仮名 あさとりの ねのみしなかゆ わぎもこに いままたさらに あふよしをなみ
  高橋
   

第四巻

   
   4/484
原文 一日社 人母待<吉> 長氣乎 如此<耳>待者 有不得勝
訓読 一日こそ人も待ちよき長き日をかくのみ待たば有りかつましじ
仮名 ひとひこそ ひともまちよき ながきけを かくのみまたば ありかつましじ
  難波天皇妹
   
  4/485
原文 神代従 生継来者 人多 國尓波満而 味村乃 去来者行跡 吾戀流 君尓之不有者 晝波 日乃久流留麻弖 夜者 夜之明流寸食 念乍 寐宿難尓登 阿可思通良久茂 長此夜乎
訓読 神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思ひつつ 寐も寝かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を
仮名 かむよより あれつぎくれば ひとさはに くににはみちて あぢむらの かよひはゆけど あがこふる きみにしあらねば ひるは ひのくるるまで よるは よのあくるきはみ おもひつつ いもねかてにと あかしつらくも ながきこのよを
  舒明
   
  4/486
原文 山羽尓 味村驂 去奈礼騰 吾者左夫思恵 君二四不<在>者
訓読 山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば
仮名 やまのはに あぢむらさわき ゆくなれど われはさぶしゑ きみにしあらねば
  舒明
   
  4/487
原文 淡海路乃 鳥篭之山有 不知哉川 氣乃己呂其侶波 戀乍裳将有
訓読 近江道の鳥篭の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ
仮名 あふみちの とこのやまなる いさやかは けのころごろは こひつつもあらむ
  舒明
   
  4/488
原文 君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
訓読 君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く
仮名 きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
  額田王
   
  4/489
原文 風乎太尓 戀流波乏之 風小谷 将来登時待者 何香将嘆
訓読 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
仮名 かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ
  鏡王女
   
  4/490
原文 真野之浦乃 与騰<乃>継橋 情由毛 思哉妹之 伊目尓之所見
訓読 真野の浦の淀の継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる
仮名 まののうらの よどのつぎはし こころゆも おもへやいもが いめにしみゆる
  吹芡刀自
   
  4/491
原文 河上乃 伊都藻之花乃 何時<々々> 来益我背子 時自異目八方
訓読 川上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
仮名 かはかみの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも
  吹芡刀自
   
  4/492
原文 衣手尓 取等騰己保里 哭兒尓毛 益有吾乎 置而如何将為 [舎人吉年]
訓読 衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我れを置きていかにせむ [舎人吉年]
仮名 ころもでに とりとどこほり なくこにも まされるわれを おきていかにせむ
  田部櫟子
   
  4/493
原文 置而行者 妹将戀可聞 敷細乃 黒髪布而 長此夜乎 <[田部忌寸櫟子]>
訓読 置きていなば妹恋ひむかも敷栲の黒髪敷きて長きこの夜を <[田部忌寸櫟子]>
仮名 おきていなば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを
  田部櫟子
   
  4/494
原文 吾妹兒乎 相令知 人乎許曽 戀之益者 恨三念
訓読 我妹子を相知らしめし人をこそ恋のまされば恨めしみ思へ
仮名 わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ
  田部櫟子
   
  4/495
原文 朝日影 尓保敝流山尓 照月乃 不猒君乎 山越尓置手
訓読 朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて
仮名 あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおきて
  田部櫟子
   
  4/496
原文 三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨
訓読 み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
仮名 みくまのの うらのはまゆふ ももへなす こころはもへど ただにあはぬかも
  柿本人麻呂
   
  4/497
原文 古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟
訓読 いにしへにありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ
仮名 いにしへに ありけむひとも あがごとか いもにこひつつ いねかてずけむ
  柿本人麻呂
   
  4/498
原文 今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四
訓読 今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし
仮名 いまのみの わざにはあらず いにしへの ひとぞまさりて ねにさへなきし
  柿本人麻呂
   
  4/499
原文 百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有<武>
訓読 百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かずあらむ
仮名 ももへにも きしかぬかもと おもへかも きみがつかひの みれどあかずあらむ
  柿本人麻呂
   
  4/500
原文 神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓
訓読 神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に
仮名 かむかぜの いせのはまをぎ をりふせて たびねやすらむ あらきはまへに
  碁檀越妻
   
  4/501
原文 未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
訓読 娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我れは
仮名 をとめらが そでふるやまの みづかきの ひさしきときゆ おもひきわれは
  柿本人麻呂
   
  4/502
原文 夏野去 小<壮>鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉
訓読 夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや
仮名 なつのゆく をしかのつのの つかのまも いもがこころを わすれておもへや
  柿本人麻呂
   
  4/503
原文 珠衣乃 狭藍左謂沈 家妹尓 物不語来而 思金津裳
訓読 玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも
仮名 たまきぬの さゐさゐしづみ いへのいもに ものいはずきにて おもひかねつも
  柿本人麻呂
   
  4/504
原文 君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者
訓読 君が家に我が住坂の家道をも我れは忘れじ命死なずは
仮名 きみがいへに わがすみさかの いへぢをも われはわすれじ いのちしなずは
  柿本人麻呂妻
   
  4/505
原文 今更 何乎可将念 打靡 情者君尓 縁尓之物乎
訓読 今さらに何をか思はむうち靡き心は君に寄りにしものを
仮名 いまさらに なにをかおもはむ うちなびき こころはきみに よりにしものを
  安倍女郎
   
  4/506
原文 吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓<母> 吾莫七國
訓読 我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我れなけなくに
仮名 わがせこは ものなおもひそ ことしあらば ひにもみづにも われなけなくに
  安倍女郎
   
  4/507
原文 敷細乃 枕従久<々>流 涙二曽 浮宿乎思家類 戀乃繁尓
訓読 敷栲の枕ゆくくる涙にぞ浮寝をしける恋の繁きに
仮名 しきたへの まくらゆくくる なみたにぞ うきねをしける こひのしげきに
  駿河婇女
   
  4/508
原文 衣手乃 別今夜従 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美
訓読 衣手の別かる今夜ゆ妹も我れもいたく恋ひむな逢ふよしをなみ
仮名 ころもでの わかるこよひゆ いももあれも いたくこひむな あふよしをなみ
  三方沙弥
   
  4/509
原文 臣女乃 匣尓乗有 鏡成 見津乃濱邊尓 狭丹頬相 紐解不離 吾妹兒尓 戀乍居者 明晩乃 旦霧隠 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山尓 多奈引流 白雲隠 天佐我留 夷乃國邊尓 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背尓見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃廻 稲日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍尓 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹尓 不告来二計謀
訓読 臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さ丹つらふ 紐解き放けず 我妹子に 恋ひつつ居れば 明け暮れの 朝霧隠り 鳴く鶴の 音のみし泣かゆ 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 家のあたり 我が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠る 天さがる 鄙の国辺に 直向ふ 淡路を過ぎ 粟島を そがひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行き廻り 稲日都麻 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に うち靡き 繁に生ひたる なのりそが などかも妹に 告らず来にけむ
仮名 おみのめの くしげにのれる かがみなす みつのはまべに さにつらふ ひもときさけず わぎもこに こひつつをれば あけくれの あさぎりごもり なくたづの ねのみしなかゆ あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと いへのあたり わがたちみれば あをはたの かづらきやまに たなびける しらくもがくる あまさがる ひなのくにべに ただむかふ あはぢをすぎ あはしまを そがひにみつつ あさなぎに かこのこゑよび ゆふなぎに かぢのおとしつつ なみのうへを いゆきさぐくみ いはのまを いゆきもとほり いなびつま うらみをすぎて とりじもの なづさひゆけば いへのしま ありそのうへに うちなびき しじにおひたる なのりそが などかもいもに のらずきにけむ
  丹比笠麻呂
   
  4/510
原文 白<細>乃 袖解更而 還来武 月日乎數而 徃而来猿尾
訓読 白栲の袖解き交へて帰り来む月日を数みて行きて来ましを
仮名 しろたへの そでときかへて かへりこむ つきひをよみて ゆきてこましを
  丹比笠麻呂
   
  4/511
原文 吾背子者 何處将行 己津物 隠之山乎 今日歟超良<武>
訓読 我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
仮名 わがせこは いづくゆくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ
  當麻麻呂妻
   
  4/512
原文 秋田之 穂田乃苅婆加 香縁相者 彼所毛加人之 吾乎事将成
訓読 秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言成さむ
仮名 あきのたの ほたのかりばか かよりあはば そこもかひとの わをことなさむ
  草嬢
   
  4/513
原文 大原之 此市柴乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳
訓読 大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも
仮名 おほはらの このいちしばの いつしかと あがおもふいもに こよひあへるかも
  志貴皇子
   
  4/514
原文 吾背子之 盖世流衣之 針目不落 入尓家良之 我情副
訓読 我が背子が着せる衣の針目おちず入りにけらしも我が心さへ
仮名 わがせこが けせるころもの はりめおちず いりにけらしも あがこころさへ
  阿倍女郎
   
  4/515
原文 獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣
訓読 ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしぞ泣く
仮名 ひとりねて たえにしひもを ゆゆしみと せむすべしらに ねのみしぞなく
  中臣東人
   
  4/516
原文 吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸
訓読 我が持てる三相に搓れる糸もちて付けてましもの今ぞ悔しき
仮名 わがもてる みつあひによれる いともちて つけてましもの いまぞくやしき
  阿倍女郎
   
  4/517
原文 神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞
訓読 神木にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも
仮名 かむきにも てはふるといふを うつたへに ひとづまといへば ふれぬものかも
  大伴安麻呂
   
  4/518
原文 春日野之 山邊道乎 与曽理無 通之君我 不所見許呂香聞
訓読 春日野の山辺の道をよそりなく通ひし君が見えぬころかも
仮名 かすがのの やまへのみちを よそりなく かよひしきみが みえぬころかも
  石川郎女(邑婆)
   
  4/519
原文 雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨尓 将懲鴨
訓読 雨障み常する君はひさかたの昨夜の夜の雨に懲りにけむかも
仮名 あまつつみ つねするきみは ひさかたの きぞのよのあめに こりにけむかも
  大伴女郎
   
  4/520
原文 久堅乃 雨毛落<粳> 雨乍見 於君副而 此日令晩
訓読 ひさかたの雨も降らぬか雨障み君にたぐひてこの日暮らさむ
仮名 ひさかたの あめもふらぬか あまつつみ きみにたぐひて このひくらさむ
  大伴女郎
   
  4/521
原文 庭立 麻手苅干 布<暴> 東女乎 忘賜名
訓読 庭に立つ麻手刈り干し布曝す東女を忘れたまふな
仮名 にはにたつ あさでかりほし ぬのさらす あづまをみなを わすれたまふな
  常陸娘子
   
  4/522
原文 D嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者
訓読 娘子らが玉櫛笥なる玉櫛の神さびけむも妹に逢はずあれば
仮名 をとめらが たまくしげなる たまくしの かむさびけむも いもにあはずあれば
  藤原麻呂
   
  4/523
原文 好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来
訓読 よく渡る人は年にもありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける
仮名 よくわたる ひとはとしにも ありといふを いつのまにぞも あがこひにける
  藤原麻呂
   
  4/524
原文 蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹不宿者 肌之寒霜
訓読 むし衾なごやが下に伏せれども妹とし寝ねば肌し寒しも
仮名 むしふすま なごやがしたに ふせれども いもとしねねば はだしさむしも
  藤原麻呂
   
  4/525
原文 狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有粳
訓読 佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は年にもあらぬか
仮名 さほがはの こいしふみわたり ぬばたまの くろまくるよは としにもあらぬか
  坂上郎女
   
  4/526
原文 千鳥鳴 佐保乃河瀬之 小浪 止時毛無 吾戀者
訓読 千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我が恋ふらくは
仮名 ちどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは
  坂上郎女
   
  4/527
原文 将来云毛 不来時有乎 不来云乎 将来常者不待 不来云物乎
訓読 来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを
仮名 こむといふも こぬときあるを こじといふを こむとはまたじ こじといふものを
  坂上郎女
   
  4/528
原文 千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者
訓読 千鳥鳴く佐保の川門の瀬を広み打橋渡す汝が来と思へば
仮名 ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば
  坂上郎女
   
  4/529
原文 佐保河乃 涯之官能 <少>歴木莫苅焉 在乍毛 張之来者 立隠金
訓読 佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来たらば立ち隠るがね
仮名 さほがはの きしのつかさの しばなかりそね ありつつも はるしきたらば たちかくるがね
  坂上郎女
   
  4/530
原文 赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思
訓読 赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひもなし
仮名 あかごまの こゆるうませの しめゆひし いもがこころは うたがひもなし
  聖武天皇
   
  4/531
原文 梓弓 爪引夜音之 遠音尓毛 君之御幸乎 聞之好毛
訓読 梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくしよしも
仮名 あづさゆみ つまびくよおとの とほとにも きみがみゆきを きかくしよしも
  聖武天皇
   
  4/532
原文 打日指 宮尓行兒乎 真悲見 留者苦 聴去者為便無
訓読 うちひさす宮に行く子をま悲しみ留むれば苦し遣ればすべなし
仮名 うちひさす みやにゆくこを まかなしみ とむればくるし やればすべなし
  大伴宿奈麻呂
   
  4/533
原文 難波方 塩干之名凝 飽左右二 人之見兒乎 吾四乏毛
訓読 難波潟潮干のなごり飽くまでに人の見る子を我れし羨しも
仮名 なにはがた しほひのなごり あくまでに ひとのみるこを われしともしも
  大伴宿奈麻呂
   
  4/534
原文 遠嬬 此間不在者 玉桙之 道乎多遠見 思空 安莫國 嘆虚 不安物乎 水空徃 雲尓毛欲成 高飛 鳥尓毛欲成 明日去而 於妹言問 為吾 妹毛事無 為妹 吾毛事無久 今裳見如 副而毛欲得
訓読 遠妻の ここにしあらねば 玉桙の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言どひ 我がために 妹も事なく 妹がため 我れも事なく 今も見るごと たぐひてもがも
仮名 とほづまの ここにしあらねば たまほこの みちをたどほみ おもふそら やすけなくに なげくそら くるしきものを みそらゆく くもにもがも たかとぶ とりにもがも あすゆきて いもにことどひ あがために いももことなく いもがため あれもことなく いまもみるごと たぐひてもがも
  安貴王
   
  4/535
原文 敷細乃 手枕不纒 間置而 年曽經来 不相念者
訓読 敷栲の手枕まかず間置きて年ぞ経にける逢はなく思へば
仮名 しきたへの たまくらまかず あひだおきて としぞへにける あはなくおもへば
  安貴王
   
  4/536
原文 飫宇能海之 塩干乃<鹵>之 片念尓 思哉将去 道之永手呼
訓読 意宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を
仮名 おうのうみの しほひのかたの かたもひに おもひやゆかむ みちのながてを
  門部王
   
  4/537
原文 事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸<敢>物
訓読 言清くいたもな言ひそ一日だに君いしなくはあへかたきかも
仮名 こときよく いともないひそ ひとひだに きみいしなくは あへかたきかも
  高田女王
   
  4/538
原文 他辞乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背<子>
訓読 人言を繁み言痛み逢はずありき心あるごとな思ひ我が背子
仮名 ひとごとを しげみこちたみ あはずありき こころあるごと なおもひわがせこ
  高田女王
   
  4/539
原文 吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志<乎>
訓読 我が背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを
仮名 わがせこし とげむといはば ひとごとは しげくありとも いでてあはましを
  高田女王
   
  4/540
原文 吾背子尓 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流
訓読 我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる
仮名 わがせこに またはあはじか とおもへばか けさのわかれの すべなかりつる
  高田女王
   
  4/541
原文 現世尓波 人事繁 来生尓毛 将相吾背子 今不有十方
訓読 この世には人言繁し来む世にも逢はむ我が背子今ならずとも
仮名 このよには ひとごとしげし こむよにも あはむわがせこ いまならずとも
  高田女王
   
  4/542
原文 常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思
訓読 常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじとたゆたひぬらし
仮名 つねやまず かよひしきみが つかひこず いまはあはじと たゆたひぬらし
  高田女王
   
  4/543
原文 天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手<弱>女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝
訓読 大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の路より 玉たすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は 黄葉の 散り飛ぶ見つつ にきびにし 我れは思はず 草枕 旅をよろしと 思ひつつ 君はあらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 道守の 問はむ答へを 言ひやらむ すべを知らにと 立ちてつまづく
仮名 おほきみの みゆきのまにま もののふの やそとものをと いでゆきし うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまたすき うねびをみつつ あさもよし きぢにいりたち まつちやま こゆらむきみは もみちばの ちりとぶみつつ にきびにし われはおもはず くさまくら たびをよろしと おもひつつ きみはあらむと あそそには かつはしれども しかすがに もだもえあらねば わがせこが ゆきのまにまに おはむとは ちたびおもへど たわやめの わがみにしあれば みちもりの とはむこたへを いひやらむ すべをしらにと たちてつまづく
  笠金村
   
  4/544
原文 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを
仮名 おくれゐて こひつつあらずは きのくにの いもせのやまに あらましものを
  笠金村
   
  4/545
原文 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨
訓読 我が背子が跡踏み求め追ひ行かば紀の関守い留めてむかも
仮名 わがせこが あとふみもとめ おひゆかば きのせきもりい とどめてむかも
  笠金村
   
  4/546
原文 三香<乃>原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨
訓読 三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ 咽せつつあるに 天地の 神言寄せて 敷栲の 衣手交へて 己妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも
仮名 みかのはら たびのやどりに たまほこの みちのゆきあひに あまくもの よそのみみつつ こととはむ よしのなければ こころのみ むせつつあるに あめつちの かみことよせて しきたへの ころもでかへて おのづまと たのめるこよひ あきのよの ももよのながさ ありこせぬかも
  笠金村
   
  4/547
原文 天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾
訓読 天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを
仮名 あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを
  笠金村
   
  4/548
原文 今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨
訓読 今夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願ひつるかも
仮名 こよひの はやくあけなば すべをなみ あきのももよを ねがひつるかも
  笠金村
   
  4/549
原文 天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右
訓読 天地の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで
仮名 あめつちの かみもたすけよ くさまくら たびゆくきみが いへにいたるまで
   
  4/550
原文 大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二
訓読 大船の思ひ頼みし君が去なば我れは恋ひむな直に逢ふまでに
仮名 おほぶねの おもひたのみし きみがいなば あれはこひむな ただにあふまでに
   
  4/551
原文 山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者
訓読 大和道の島の浦廻に寄する波間もなけむ我が恋ひまくは
仮名 やまとぢの しまのうらみに よするなみ あひだもなけむ あがこひまくは
   
  4/552
原文 吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相<夜> 二走良武
訓読 我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二走るらむ
仮名 あがきみは わけをばしねと おもへかも あふよあはぬよ ふたはしるらむ
  大伴三依
   
  4/553
原文 天雲乃 遠隔乃極 遠鷄跡裳 情志行者 戀流物可聞
訓読 天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも
仮名 あまくもの そくへのきはみ とほけども こころしゆけば こふるものかも
  丹生女王
   
  4/554
原文 古人乃 令食有 吉備能酒 <病>者為便無 貫簀賜牟
訓読 古人のたまへしめたる吉備の酒病めばすべなし貫簀賜らむ
仮名 ふるひとの たまへしめたる きびのさけ やめばすべなし ぬきすたばらむ
  丹生女王
   
  4/555
原文 為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手
訓読 君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして
仮名 きみがため かみしまちざけ やすののに ひとりやのまむ ともなしにして
  大伴旅人
   
  4/556
原文 筑紫船 未毛不来者 豫 荒振公乎 見之悲左
訓読 筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ
仮名 つくしふね いまだもこねば あらかじめ あらぶるきみを みるがかなしさ
  賀茂女王
   
  4/557
原文 大船乎 榜乃進尓 磐尓觸 覆者覆 妹尓因而者
訓読 大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては
仮名 おほぶねを こぎのすすみに いはにふれ かへらばかへれ いもによりては
  土師水道
   
  4/558
原文 千磐破 神之社尓 我<挂>師 幣者将賜 妹尓不相國
訓読 ちはやぶる神の社に我が懸けし幣は賜らむ妹に逢はなくに
仮名 ちはやぶる かみのやしろに わがかけし ぬさはたばらむ いもにあはなくに
  土師水道
   
  4/559
原文 事毛無 生来之物乎 老奈美尓 如是戀<乎>毛 吾者遇流香聞
訓読 事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我れは逢へるかも
仮名 こともなく いきこしものを おいなみに かかるこひにも われはあへるかも
  大伴百代
   
  4/560
原文 孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼
訓読 恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
仮名 こひしなむ のちはなにせむ いけるひの ためこそいもを みまくほりすれ
  大伴百代
   
  4/561
原文 不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三
訓読 思はぬを思ふと言はば大野なる御笠の杜の神し知らさむ
仮名 おもはぬを おもふといはば おほのなる みかさのもりの かみししらさむ
  大伴百代
   
  4/562
原文 無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞
訓読 暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも
仮名 いとまなく ひとのまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬいもかも
  大伴百代
   
  4/563
原文 黒髪二 白髪交 至耆 如是有戀庭 未相尓
訓読 黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに
仮名 くろかみに しろかみまじり おゆるまで かかるこひには いまだあはなくに
  坂上郎女
   
  4/564
原文 山菅<之> 實不成事乎 吾尓所依 言礼師君者 与孰可宿良牟
訓読 山菅の実ならぬことを我れに寄せ言はれし君は誰れとか寝らむ
仮名 やますげの みならぬことを われによせ いはれしきみは たれとかぬらむ
  坂上郎女
   
  4/565
原文 大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜尓 直相在登聞
訓読 大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも
仮名 おほともの みつとはいはじ あかねさし てれるつくよに ただにあへりとも
  賀茂女王
   
  4/566
原文 草枕 羈行君乎 愛見 副而曽来四 鹿乃濱邊乎
訓読 草枕旅行く君を愛しみたぐひてぞ来し志賀の浜辺を
仮名 くさまくら たびゆくきみを うるはしみ たぐひてぞこし しかのはまべを
  大伴百代
   
  4/567
原文 周防在 磐國山乎 将超日者 手向好為与 荒其<道>
訓読 周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道
仮名 すはなる いはくにやまを こえむひは たむけよくせよ あらしそのみち
  大伴百代
   
  4/568
原文 三埼廻之 荒礒尓縁 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美
訓読 み崎廻の荒磯に寄する五百重波立ちても居ても我が思へる君
仮名 みさきみの ありそによする いほへなみ たちてもゐても あがもへるきみ
  門部石足
   
  4/569
原文 辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨
訓読 韓人の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも
仮名 からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも
  麻田陽春
   
  4/570
原文 山跡邊 君之立日乃 近付者 野立鹿毛 動而曽鳴
訓読 大和へに君が発つ日の近づけば野に立つ鹿も響めてぞ鳴く
仮名 やまとへに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてぞなく
  麻田陽春
   
  4/571
原文 月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸
訓読 月夜よし川の音清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ
仮名 つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ
  大伴四綱
   
  4/572
原文 真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕尓 左備乍将居
訓読 まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ
仮名 まそかがみ みあかぬきみに おくれてや あしたゆふへに さびつつをらむ
  沙弥満誓
   
  4/573
原文 野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来
訓読 ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり
仮名 ぬばたまの くろかみかはり しらけても いたきこひには あふときありけり
  沙弥満誓
   
  4/574
原文 此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思
訓読 ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし
仮名 ここにありて つくしやいづち しらくもの たなびくやまの かたにしあるらし
  大伴旅人
   
  4/575
原文 草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天
訓読 草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友なしにして
仮名 くさかえの いりえにあさる あしたづの あなたづたづし ともなしにして
  大伴旅人
   
  4/576
原文 従今者 城山道者 不樂牟 吾将通常 念之物乎
訓読 今よりは城の山道は寂しけむ我が通はむと思ひしものを
仮名 いまよりは きのやまみちは さぶしけむ わがかよはむと おもひしものを
  葛井大成
   
  4/577
原文 吾衣 人莫著曽 網引為 難波壮士乃 手尓者雖觸
訓読 我が衣人にな着せそ網引する難波壮士の手には触るとも
仮名 あがころも ひとになきせそ あびきする なにはをとこの てにはふるとも
  大伴旅人
   
  4/578
原文 天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳
訓読 天地とともに久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
仮名 あめつちと ともにひさしく すまはむと おもひてありし いへのにははも
  大伴三依
   
  4/579
原文 奉見而 未時太尓 不更者 如年月 所念君
訓読 見まつりていまだ時だに変らねば年月のごと思ほゆる君
仮名 みまつりて いまだときだに かはらねば としつきのごと おもほゆるきみ
  余明軍
   
  4/580
原文 足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞
訓読 あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも
仮名 あしひきの やまにおひたる すがのねの ねもころみまく ほしききみかも
  余明軍
   
  4/581
原文 生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴
訓読 生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
仮名 いきてあらば みまくもしらず なにしかも しなむよいもと いめにみえつる
  坂上大嬢
   
  4/582
原文 大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方
訓読 ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも
仮名 ますらをも かくこひけるを たわやめの こふるこころに たぐひあらめやも
  坂上大嬢
   
  4/583
原文 月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来
訓読 月草のうつろひやすく思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ
仮名 つきくさの うつろひやすく おもへかも わがおもふひとの こともつげこぬ
  坂上大嬢
   
  4/584
原文 春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨
訓読 春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも
仮名 かすがやま あさたつくもの ゐぬひなく みまくのほしき きみにもあるかも
  坂上大嬢
   
  4/585
原文 出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉
訓読 出でていなむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちていぬべしや
仮名 いでていなむ ときしはあらむを ことさらに つまごひしつつ たちていぬべしや
  坂上郎女
   
  4/586
原文 不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為
訓読 相見ずは恋ひずあらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ
仮名 あひみずは こひずあらましを いもをみて もとなかくのみ こひばいかにせむ
  大伴稲公
   
  4/587
原文 吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
訓読 我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ
仮名 わがかたみ みつつしのはせ あらたまの としのをながく われもしのはむ
  笠女郎
   
  4/588
原文 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎
訓読 白鳥の飛羽山松の待ちつつぞ我が恋ひわたるこの月ごろを
仮名 しらとりの とばやままつの まちつつぞ あがこひわたる このつきごろを
  笠女郎
   
  4/589
原文 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留
訓読 衣手を打廻の里にある我れを知らにぞ人は待てど来ずける
仮名 ころもでを うちみのさとに あるわれを しらにぞひとは まてどこずける
  笠女郎
   
  4/590
原文 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 吾<名>告為莫
訓読 あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告らすな
仮名 あらたまの としのへぬれば いましはと ゆめよわがせこ わがなのらすな
  笠女郎
   
  4/591
原文 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
訓読 我が思ひを人に知るれか玉櫛笥開きあけつと夢にし見ゆる
仮名 わがおもひを ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる
  笠女郎
   
  4/592
原文 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓
訓読 闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに
仮名 やみのよに なくなるたづの よそのみに ききつつかあらむ あふとはなしに
  笠女郎
   
  4/593
原文 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨
訓読 君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
仮名 きみにこひ いたもすべなみ ならやまの こまつがしたに たちなげくかも
  笠女郎
   
  4/594
原文 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 我がやどの夕蔭草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも
仮名 わがやどの ゆふかげくさの しらつゆの けぬがにもとな おもほゆるかも
  笠女郎
   
  4/595
原文 吾命之 将全<牟>限 忘目八 弥日異者 念益十方
訓読 我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも
仮名 わがいのちの またけむかぎり わすれめや いやひにけには おもひますとも
  笠女郎
   
  4/596
原文 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守
訓読 八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守
仮名 やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり
  笠女郎
   
  4/597
原文 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近<君>尓 戀度可聞
訓読 うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひわたるかも
仮名 うつせみの ひとめをしげみ いしはしの まちかききみに こひわたるかも
  笠女郎
   
  4/598
原文 戀尓毛曽 人者死為 水<無>瀬河 下従吾痩 月日異
訓読 恋にもぞ人は死にする水無瀬川下ゆ我れ痩す月に日に異に
仮名 こひにもぞ ひとはしにする みなせがは したゆわれやす つきにひにけに
  笠女郎
   
  4/599
原文 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨
訓読 朝霧のおほに相見し人故に命死ぬべく恋ひわたるかも
仮名 あさぎりの おほにあひみし ひとゆゑに いのちしぬべく こひわたるかも
  笠女郎
   
  4/600
原文 伊勢海之 礒毛動尓 因流波 恐人尓 戀渡鴨
訓読 伊勢の海の礒もとどろに寄する波畏き人に恋ひわたるかも
仮名 いせのうみの いそもとどろに よするなみ かしこきひとに こひわたるかも
  笠女郎
   
  4/601
原文 従情毛 吾者不念寸 山河毛 隔莫國 如是戀常羽
訓読 心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは
仮名 こころゆも わはおもはずき やまかはも へだたらなくに かくこひむとは
  笠女郎
   
  4/602
原文 暮去者 物念益 見之人乃 言問為形 面景尓而
訓読 夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして
仮名 ゆふされば ものもひまさる みしひとの こととふすがた おもかげにして
  笠女郎
   
  4/603
原文 念西 死為物尓 有麻世波 千遍曽吾者 死變益
訓読 思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし
仮名 おもひにし しにするものに あらませば ちたびぞわれは しにかへらまし
  笠女郎
   
  4/604
原文 劔大刀 身尓取副常 夢見津 何如之恠曽毛 君尓相為
訓読 剣大刀身に取り添ふと夢に見つ何のさがぞも君に逢はむため
仮名 つるぎたち みにとりそふと いめにみつ なにのさがぞも きみにあはむため
  笠女郎
   
  4/605
原文 天地之 神理 無者社 吾念君尓 不相死為目
訓読 天地の神の理なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ
仮名 あめつちの かみのことわり なくはこそ あがおもふきみに あはずしにせめ
  笠女郎
   
  4/606
原文 吾毛念 人毛莫忘 多奈和丹 浦吹風之 止時無有
訓読 我れも思ふ人もな忘れおほなわに浦吹く風のやむ時もなし
仮名 われもおもふ ひともなわすれ おほなわに うらふくかぜの やむときもなし
  笠女郎
   
  4/607
原文 皆人乎 宿与殿金者 打礼杼 君乎之念者 寐不勝鴨
訓読 皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐ねかてぬかも
仮名 みなひとを ねよとのかねは うつなれど きみをしおもへば いねかてぬかも
  笠女郎
   
  4/608
原文 不相念 人乎思者 大寺之 餓鬼之後尓 額衝如
訓読 相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし
仮名 あひおもはぬ ひとをおもふは おほてらの がきのしりへに ぬかつくごとし
  笠女郎
   
  4/609
原文 従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者
訓読 心ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷に帰り来むとは
仮名 こころゆも わはおもはずき またさらに わがふるさとに かへりこむとは
  笠女郎
   
  4/610
原文 近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝<自>
訓読 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ
仮名 ちかくあれば みねどもあるを いやとほく きみがいまさば ありかつましじ
  笠女郎
   
  4/611
原文 今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有
訓読 今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ
仮名 いまさらに いもにあはめやと おもへかも ここだあがむね いぶせくあるらむ
  大伴家持
   
  4/612
原文 中々者 黙毛有益<乎> 何為跡香 相見始兼 不遂尓
訓読 なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに
仮名 なかなかに もだもあらましを なにすとか あひみそめけむ とげざらまくに
  大伴家持
   
  4/613
原文 物念跡 人尓不<所>見常 奈麻強<尓> 常念弊利 在曽金津流
訓読 もの思ふと人に見えじとなまじひに常に思へりありぞかねつる
仮名 ものもふと ひとにみえじと なまじひに つねにおもへり ありぞかねつる
  山口女王
   
  4/614
原文 不相念 人乎也本名 白細之 袖漬左右二 哭耳四泣裳
訓読 相思はぬ人をやもとな白栲の袖漬つまでに音のみし泣くも
仮名 あひおもはぬ ひとをやもとな しろたへの そでひつまでに ねのみしなくも
  山口女王
   
  4/615
原文 吾背子者 不相念跡裳 敷細乃 君之枕者 夢<所>見乞
訓読 我が背子は相思はずとも敷栲の君が枕は夢に見えこそ
仮名 わがせこは あひおもはずとも しきたへの きみがまくらは いめにみえこそ
  山口女王
   
  4/616
原文 劔大刀 名惜雲 吾者無 君尓不相而 年之經去礼者
訓読 剣太刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば
仮名 つるぎたち なのをしけくも われはなし きみにあはずて としのへぬれば
  山口女王
   
  4/617
原文 従蘆邊 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴
訓読 葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる
仮名 あしへより みちくるしほの いやましに おもへかきみが わすれかねつる
  山口女王
   
  4/618
原文 狭夜中尓 友喚千鳥 物念跡 和備居時二 鳴乍本名
訓読 さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな
仮名 さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな
  大神女郎
   
  4/619
原文 押照 難波乃菅之 根毛許呂尓 君之聞四<手> 年深 長四云者 真十鏡 磨師情乎 縦手師 其日之極 浪之共 靡珠藻乃 云々 意者不持 大船乃 憑有時丹 千磐破 神哉将離 空蝉乃 人歟禁良武 通為 君毛不来座 玉梓之 使母不所見 成奴礼婆 痛毛為便無三 夜干玉乃 夜者須我良尓 赤羅引 日母至闇 雖嘆 知師乎無三 雖念 田付乎白二 幼婦常 言雲知久 手小童之 哭耳泣管 俳徊 君之使乎 待八兼手六
訓読 おしてる 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨ぎし心を ゆるしてし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に ちはやぶる 神か離くらむ うつせみの 人か障ふらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓の 使も見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤らひく 日も暮るるまで 嘆けども 験をなみ 思へども たづきを知らに たわや女と 言はくもしるく たわらはの 音のみ泣きつつ た廻り 君が使を 待ちやかねてむ
仮名 おしてる なにはのすげの ねもころに きみがきこして としふかく ながくしいへば まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし そのひのきはみ なみのむた なびくたまもの かにかくに こころはもたず おほぶねの たのめるときに ちはやぶる かみかさくらむ うつせみの ひとかさふらむ かよはしし きみもきまさず たまづさの つかひもみえず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの よるはすがらに あからひく ひもくるるまで なげけども しるしをなみ おもへども たづきをしらに たわやめと いはくもしるく たわらはの ねのみなきつつ たもとほり きみがつかひを まちやかねてむ
  坂上郎女
   
  4/620
原文 従元 長謂管 不<令>恃者 如是念二 相益物歟
訓読 初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか
仮名 はじめより ながくいひつつ たのめずは かかるおもひに あはましものか
  坂上郎女
   
  4/621
原文 無間 戀尓可有牟 草枕 客有公之 夢尓之所見
訓読 間なく恋ふれにかあらむ草枕旅なる君が夢にし見ゆる
仮名 あひだなく こふれにかあらむ くさまくら たびなるきみが いめにしみゆる
  佐伯東人妻
   
  4/622
原文 草枕 客尓久 成宿者 汝乎社念 莫戀吾妹
訓読 草枕旅に久しくなりぬれば汝をこそ思へな恋ひそ我妹
仮名 くさまくら たびにひさしく なりぬれば なをこそおもへ なこひそわぎも
  佐伯東人
   
  4/623
原文 松之葉尓 月者由移去 黄葉乃 過哉君之 不相夜多焉
訓読 松の葉に月はゆつりぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜ぞ多き
仮名 まつのはに つきはゆつりぬ もみちばの すぐれやきみが あはぬよぞおほき
  池邊王
   
  4/624
原文 道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 戀云君妹
訓読 道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
仮名 みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに こふといふわぎも
  聖武天皇
   
  4/625
原文 奥弊徃 邊去伊麻夜 為妹 吾漁有 藻臥束鮒
訓読 沖辺行き辺を行き今や妹がため我が漁れる藻臥束鮒
仮名 おきへゆき へをゆきいまや いもがため わがすなどれる もふしつかふな
  高安王
   
  4/626
原文 君尓因 言之繁乎 古郷之 明日香乃河尓 潔身為尓去 [一尾云龍田超 三津之濱邊尓 潔身四二由久]
訓読 君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く [一尾云龍田越え御津の浜辺にみそぎしに行く]
仮名 きみにより ことのしげきを ふるさとの あすかのかはに みそぎしにゆく [たつたこえ みつのはまべに みそぎしにゆく]
  八代女王
   
  4/627
原文 吾手本 将巻跡念牟 大夫者 <變>水<f> 白髪生二有
訓読 我がたもとまかむと思はむ大夫は変若水求め白髪生ひにけり
仮名 わがたもと まかむとおもはむ ますらをは をちみづもとめ しらかおひにけり
  娘子
   
  4/628
原文 白髪生流 事者不念 <變>水者 鹿煮藻闕二毛 求而将行
訓読 白髪生ふることは思はず変若水はかにもかくにも求めて行かむ
仮名 しらかおふる ことはおもはず をちみづは かにもかくにも もとめてゆかむ
  佐伯赤麻呂
   
  4/629
原文 奈何鹿 使之来流 君乎社 左右裳 待難為礼
訓読 何すとか使の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ
仮名 なにすとか つかひのきつる きみをこそ かにもかくにも まちかてにすれ
  大伴四綱
   
  4/630
原文 初花之 可散物乎 人事乃 繁尓因而 止息比者鴨
訓読 初花の散るべきものを人言の繁きによりてよどむころかも
仮名 はつはなの ちるべきものを ひとごとの しげきによりて よどむころかも
  佐伯赤麻呂
   
  4/631
原文 宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者
訓読 うはへなきものかも人はしかばかり遠き家路を帰さく思へば
仮名 うはへなき ものかもひとは しかばかり とほきいへぢを かへさくおもへば
  湯原王
   
  4/632
原文 目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責
訓読 目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ
仮名 めにはみて てにはとらえぬ つきのうちの かつらのごとき いもをいかにせむ
  湯原王
   
  4/633
原文 幾許 思異目鴨 敷細之 枕片去 夢所見来之
訓読 ここだくも思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し
仮名 ここだくも おもひけめかも しきたへの まくらかたさる いめにみえこし
  湯原王
   
  4/634
原文 家二四手 雖見不飽乎 草枕 客毛妻与 有之乏左
訓読 家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨しさ
仮名 いへにして みれどあかぬを くさまくら たびにもつまと あるがともしさ
  娘子
   
  4/635
原文 草枕 客者嬬者 雖率有 匣内之 珠社所念
訓読 草枕旅には妻は率たれども櫛笥のうちの玉をこそ思へ
仮名 くさまくら たびにはつまは ゐたれども くしげのうちの たまをこそおもへ
  湯原王
   
  4/636
原文 余衣 形見尓奉 布細之 枕不離 巻而左宿座
訓読 我が衣形見に奉る敷栲の枕を放けずまきてさ寝ませ
仮名 あがころも かたみにまつる しきたへの まくらをさけず まきてさねませ
  湯原王
   
  4/637
原文 吾背子之 形見之衣 嬬問尓 <余>身者不離 事不問友
訓読 我が背子が形見の衣妻どひに我が身は離けじ言とはずとも
仮名 わがせこが かたみのころも つまどひに あがみはさけじ こととはずとも
  娘子
   
  4/638
原文 直一夜 隔之可良尓 荒玉乃 月歟經去跡 心遮
訓読 ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ
仮名 ただひとよ へだてしからに あらたまの つきかへぬると こころまどひぬ
  湯原王
   
  4/639
原文 吾背子我 如是戀礼許曽 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家礼
訓読 我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ
仮名 わがせこが かくこふれこそ ぬばたまの いめにみえつつ いねらえずけれ
  娘子
   
  4/640
原文 波之家也思 不遠里乎 雲<居>尓也 戀管将居 月毛不經國
訓読 はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
仮名 はしけやし まちかきさとを くもゐにや こひつつをらむ つきもへなくに
  湯原王
   
  4/641
原文 絶常云者 和備染責跡 焼大刀乃 隔付經事者 幸也吾君
訓読 絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君
仮名 たゆといはば わびしみせむと やきたちの へつかふことは さきくやあがきみ
  娘子
   
  4/642
原文 吾妹兒尓 戀而乱<者> 久流部寸二 懸而縁与 余戀始
訓読 我妹子に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄せむと我が恋ひそめし
仮名 わぎもこに こひてみだれば くるべきに かけてよせむと あがこひそめし
  湯原王
   
  4/643
原文 世間之 女尓思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八
訓読 世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや
仮名 よのなかの をみなにしあらば わがわたる あなせのかはを わたりかねめや
  紀郎女
   
  4/644
原文 今者吾羽 和備曽四二結類 氣乃緒尓 念師君乎 縦左<久>思者
訓読 今は我はわびぞしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば
仮名 いまはわは わびぞしにける いきのをに おもひしきみを ゆるさくおもへば
  紀郎女
   
  4/645
原文 白<細乃> 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣
訓読 白栲の袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ
仮名 しろたへの そでわかるべき ひをちかみ こころにむせひ ねのみしなかゆ
  紀郎女
   
  4/646
原文 大夫之 思和備乍 遍多 嘆久嘆乎 不負物可聞
訓読 ますらをの思ひわびつつたびまねく嘆く嘆きを負はぬものかも
仮名 ますらをの おもひわびつつ たびまねく なげくなげきを おはぬものかも
  大伴駿河麻呂
   
  4/647
原文 心者 忘日無久 雖念 人之事社 繁君尓阿礼
訓読 心には忘るる日なく思へども人の言こそ繁き君にあれ
仮名 こころには わするるひなく おもへども ひとのことこそ しげききみにあれ
  坂上郎女
   
  4/648
原文 不相見而 氣長久成奴 比日者 奈何好去哉 言借吾妹
訓読 相見ずて日長くなりぬこの頃はいかに幸くやいふかし我妹
仮名 あひみずて けながくなりぬ このころは いかにさきくや いふかしわぎも
  大伴駿河麻呂
   
  4/649
原文 夏葛之 不絶使乃 不通<有>者 言下有如 念鶴鴨
訓読 夏葛の絶えぬ使のよどめれば事しもあるごと思ひつるかも
仮名 なつくずの たえぬつかひの よどめれば ことしもあるごと おもひつるかも
  坂上郎女
   
  4/650
原文 吾妹兒者 常世國尓 住家<良>思 昔見従 變若益尓家利
訓読 我妹子は常世の国に住みけらし昔見しより変若ましにけり
仮名 わぎもこは とこよのくにに すみけらし むかしみしより をちましにけり
  大伴三依
   
  4/651
原文 久堅乃 天露霜 置二家里 宅有人毛 待戀奴濫
訓読 ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ
仮名 ひさかたの あめのつゆしも おきにけり いへなるひとも まちこひぬらむ
  坂上郎女
   
  4/652
原文 玉主尓 珠者授而 勝且毛 枕与吾者 率二将宿
訓読 玉守に玉は授けてかつがつも枕と我れはいざふたり寝む
仮名 たまもりに たまはさづけて かつがつも まくらとわれは いざふたりねむ
  坂上郎女
   
  4/653
原文 情者 不忘物乎 <儻> 不見日數多 月曽經去来
訓読 心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月ぞ経にける
仮名 こころには わすれぬものを たまさかに みぬひさまねく つきぞへにける
  大伴駿河麻呂
   
  4/654
原文 相見者 月毛不經尓 戀云者 乎曽呂登吾乎 於毛保寒毳
訓読 相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも
仮名 あひみては つきもへなくに こふといはば をそろとわれを おもほさむかも
  大伴駿河麻呂
   
  4/655
原文 不念乎 思常云者 天地之 神祇毛知寒 邑礼左變
訓読 思はぬを思ふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変
仮名 おもはぬを おもふといはば あめつちの かみもしらさむ ****
  大伴駿河麻呂
   
  4/656
原文 吾耳曽 君尓者戀流 吾背子之 戀云事波 言乃名具左曽
訓読 我れのみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふといふことは言のなぐさぞ
仮名 あれのみぞ きみにはこふる わがせこが こふといふことは ことのなぐさぞ
  坂上郎女
   
  4/657
原文 不念常 日手師物乎 翼酢色之 變安寸 吾意可聞
訓読 思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも
仮名 おもはじと いひてしものを はねずいろの うつろひやすき あがこころかも
  坂上郎女
   
  4/658
原文 雖念 知僧裳無跡 知物乎 奈何幾許 吾戀渡
訓読 思へども験もなしと知るものを何かここだく我が恋ひわたる
仮名 おもへども しるしもなしと しるものを なにかここだく あがこひわたる
  坂上郎女
   
  4/659
原文 豫 人事繁 如是有者 四恵也吾背子 奥裳何如荒海藻
訓読 あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ
仮名 あらかじめ ひとごとしげし かくしあらば しゑやわがせこ おくもいかにあらめ
  坂上郎女
   
  4/660
原文 汝乎与吾乎 人曽離奈流 乞吾君 人之中言 聞起名湯目
訓読 汝をと我を人ぞ離くなるいで我が君人の中言聞きこすなゆめ
仮名 なをとあを ひとぞさくなる いであがきみ ひとのなかごと ききこすなゆめ
  坂上郎女
   
  4/661
原文 戀々而 相有時谷 愛寸 事盡手四 長常念者
訓読 恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば
仮名 こひこひて あへるときだに うるはしき ことつくしてよ ながくとおもはば
  坂上郎女
   
  4/662
原文 網兒之山 五百重隠有 佐堤乃埼 左手蝿師子之 夢二四所見
訓読 網児の山五百重隠せる佐堤の崎さで延へし子が夢にし見ゆる
仮名 あごのやま いほへかくせる さでのさき さではへしこが いめにしみゆる
  市原王
   
  4/663
原文 佐穂度 吾家之上二 鳴鳥之 音夏可思吉 愛妻之兒
訓読 佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしきはしき妻の子
仮名 さほわたり わぎへのうへに なくとりの こゑなつかしき はしきつまのこ
  安都年足
   
  4/664
原文 石上 零十方雨二 将關哉 妹似相武登 言義之鬼尾
訓読 石上降るとも雨につつまめや妹に逢はむと言ひてしものを
仮名 いそのかみ ふるともあめに つつまめや いもにあはむと いひてしものを
  大伴像見
   
  4/665
原文 向座而 雖見不飽 吾妹子二 立離徃六 田付不知毛
訓読 向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも
仮名 むかひゐて みれどもあかぬ わぎもこに たちわかれゆかむ たづきしらずも
  安倍蟲麻呂
   
  4/666
原文 不相見者 幾久毛 不有國 幾許吾者 戀乍裳荒鹿
訓読 相見ぬは幾久さにもあらなくにここだく我れは恋ひつつもあるか
仮名 あひみぬは いくひささにも あらなくに ここだくあれは こひつつもあるか
  坂上郎女
   
  4/667
原文 戀々而 相有物乎 月四有者 夜波隠良武 須臾羽蟻待
訓読 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむしましはあり待て
仮名 こひこひて あひたるものを つきしあれば よはこもるらむ しましはありまて
  坂上郎女
   
  4/668
原文 朝尓日尓 色付山乃 白雲之 可思過 君尓不有國
訓読 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに
仮名 あさにけに いろづくやまの しらくもの おもひすぐべき きみにあらなくに
  厚見王
   
  4/669
原文 足引之 山橘乃 色丹出<与> 語言継而 相事毛将有
訓読 あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ
仮名 あしひきの やまたちばなの いろにいでよ かたらひつぎて あふこともあらむ
  春日王
   
  4/670
原文 月讀之 光二来益 足疾乃 山<寸>隔而 不遠國
訓読 月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
仮名 つくよみの ひかりにきませ あしひきの やまきへなりて とほからなくに
  湯原王
   
  4/671
原文 月讀之 光者清 雖照有 惑情 不堪念
訓読 月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに
仮名 つくよみの ひかりはきよく てらせれど まとへるこころ おもひあへなくに
   
  4/672
原文 倭文手纒 數二毛不有 壽持 奈何幾許 吾戀渡
訓読 しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
仮名 しつたまき かずにもあらぬ いのちもて なにかここだく あがこひわたる
  安倍蟲麻呂
   
  4/673
原文 真十鏡 磨師心乎 縦者 後尓雖云 驗将在八方
訓読 まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも
仮名 まそかがみ とぎしこころを ゆるしてば のちにいふとも しるしあらめやも
  坂上郎女
   
  4/674
原文 真玉付 彼此兼手 言齒五十戸<常> 相而後社 悔二破有跡五十戸
訓読 真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔にはありといへ
仮名 またまつく をちこちかねて ことはいへど あひてのちこそ くいにはありといへ
  坂上郎女
   
  4/675
原文 娘子部四 咲澤二生流 花勝見 都毛不知 戀裳摺可聞
訓読 をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも
仮名 をみなへし さきさはにおふる はなかつみ かつてもしらぬ こひもするかも
  中臣女郎
   
  4/676
原文 海底 奥乎深目手 吾念有 君二波将相 年者經十方
訓読 海の底奥を深めて我が思へる君には逢はむ年は経ぬとも
仮名 わたのそこ おくをふかめて あがおもへる きみにはあはむ としはへぬとも
  中臣女郎
   
  4/677
原文 春日山 朝居雲乃 欝 不知人尓毛 戀物香聞
訓読 春日山朝居る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも
仮名 かすがやま あさゐるくもの おほほしく しらぬひとにも こふるものかも
  中臣女郎
   
  4/678
原文 直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼
訓読 直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ
仮名 ただにあひて みてばのみこそ たまきはる いのちにむかふ あがこひやまめ
  中臣女郎
   
  4/679
原文 不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有
訓読 いなと言はば強ひめや我が背菅の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ
仮名 いなといはば しひめやわがせ すがのねの おもひみだれて こひつつもあらむ
  中臣女郎
   
  4/680
原文 盖毛 人之中言 聞可毛 幾許雖待 君之不来益
訓読 けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ
仮名 けだしくも ひとのなかごと きかせかも ここだくまてど きみがきまさぬ
  大伴家持
   
  4/681
原文 中々尓 絶年云者 如此許 氣緒尓四而 吾将戀八方
訓読 なかなかに絶ゆとし言はばかくばかり息の緒にして我れ恋ひめやも
仮名 なかなかに たゆとしいはば かくばかり いきのをにして あれこひめやも
  大伴家持
   
  4/682
原文 将念 人尓有莫國 懃 情盡而 戀流吾毳
訓読 思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽して恋ふる我れかも
仮名 おもふらむ ひとにあらなくに ねもころに こころつくして こふるあれかも
  大伴家持
   
  4/683
原文 謂言之 恐國曽 紅之 色莫出曽 念死友
訓読 言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
仮名 いふことの かしこきくにぞ くれなゐの いろにないでそ おもひしぬとも
  坂上郎女
   
  4/684
原文 今者吾波 将死与吾背 生十方 吾二可縁跡 言跡云莫苦荷
訓読 今は我は死なむよ我が背生けりとも我れに依るべしと言ふといはなくに
仮名 いまはわは しなむよわがせ いけりとも われによるべしと いふといはなくに
  坂上郎女
   
  4/685
原文 人事 繁哉君<之> 二鞘之 家乎隔而 戀乍将座
訓読 人言を繁みか君が二鞘の家を隔てて恋ひつつまさむ
仮名 ひとごとを しげみかきみが ふたさやの いへをへだてて こひつつまさむ
  坂上郎女
   
  4/686
原文 比者 千歳八徃裳 過与 吾哉然念 欲見鴨
訓読 このころは千年や行きも過ぎぬると我れやしか思ふ見まく欲りかも
仮名 このころは ちとせやゆきも すぎぬると われかしかおもふ みまくほりかも
  坂上郎女
   
  4/687
原文 愛常 吾念情 速河之 雖塞々友 猶哉将崩
訓読 うるはしと我が思ふ心速川の塞きに塞くともなほや崩えなむ
仮名 うるはしと あがもふこころ はやかはの せきにせくとも なほやくえなむ
  坂上郎女
   
  4/688
原文 青山乎 横g雲之 灼然 吾共咲為而 人二所知名
訓読 青山を横ぎる雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな
仮名 あをやまを よこぎるくもの いちしろく われとゑまして ひとにしらゆな
  坂上郎女
   
  4/689
原文 海山毛 隔莫國 奈何鴨 目言乎谷裳 幾許乏寸
訓読 海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき
仮名 うみやまも へだたらなくに なにしかも めごとをだにも ここだともしき
  坂上郎女
   
  4/690
原文 照<月>乎 闇尓見成而 哭涙 衣<沾>津 干人無二
訓読 照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに
仮名 てるつきを やみにみなして なくなみだ ころもぬらしつ ほすひとなしに
  大伴三依
   
  4/691
原文 百礒城之 大宮人者 雖多有 情尓乗而 所念妹
訓読 ももしきの大宮人は多かれど心に乗りて思ほゆる妹
仮名 ももしきの おほみやひとは おほかれど こころにのりて おもほゆるいも
  大伴家持
   
  4/692
原文 得羽重無 妹二毛有鴨 如此許 人情乎 令盡念者
訓読 うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽さく思へば
仮名 うはへなき いもにもあるかも かくばかり ひとのこころを つくさくおもへば
  大伴家持
   
  4/693
原文 如此耳 戀哉将度 秋津野尓 多奈引雲能 過跡者無二
訓読 かくのみし恋ひやわたらむ秋津野にたなびく雲の過ぐとはなしに
仮名 かくのみし こひやわたらむ あきづのに たなびくくもの すぐとはなしに
  大伴千室
   
  4/694
原文 戀草呼 力車二 七車 積而戀良苦 吾心柄
訓読 恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から
仮名 こひくさを ちからくるまに ななくるま つみてこふらく わがこころから
  廣河女王
   
  4/695
原文 戀者今葉 不有常吾羽 念乎 何處戀其 附見繋有
訓読 恋は今はあらじと我れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる
仮名 こひはいまは あらじとわれは おもへるを いづくのこひぞ つかみかかれる
  廣河女王
   
  4/696
原文 家人尓 戀過目八方 川津鳴 泉之里尓 年之歴去者
訓読 家人に恋過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に年の経ぬれば
仮名 いへびとに こひすぎめやも かはづなく いづみのさとに としのへぬれば
  石川廣成
   
  4/697
原文 吾聞尓 繋莫言 苅薦之 乱而念 君之直香曽
訓読 我が聞きに懸けてな言ひそ刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ
仮名 わがききに かけてないひそ かりこもの みだれておもふ きみがただかぞ
  大伴像見
   
  4/698
原文 春日野尓 朝居雲之 敷布二 吾者戀益 月二日二異二
訓読 春日野に朝居る雲のしくしくに我れは恋ひ増す月に日に異に
仮名 かすがのに あさゐるくもの しくしくに あれはこひます つきにひにけに
  大伴像見
   
  4/699
原文 一瀬二波 千遍障良比 逝水之 後毛将相 今尓不有十方
訓読 一瀬には千たび障らひ行く水の後にも逢はむ今にあらずとも
仮名 ひとせには ちたびさはらひ ゆくみづの のちにもあはむ いまにあらずとも
  大伴像見
   
  4/700
原文 如此為而哉 猶八将退 不近 道之間乎 煩参来而
訓読 かくしてやなほや罷らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て
仮名 かくしてや なほやまからむ ちかからぬ みちのあひだを なづみまゐきて
  大伴家持
   
  4/701
原文 波都波都尓 人乎相見而 何将有 何日二箇 又外二将見
訓読 はつはつに人を相見ていかにあらむいづれの日にかまた外に見む
仮名 はつはつに ひとをあひみて いかにあらむ いづれのひにか またよそにみむ
  河内百枝娘子
   
  4/702
原文 夜干玉之 其夜乃月夜 至于今日 吾者不忘 無間苦思念者
訓読 ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば
仮名 ぬばたまの そのよのつくよ けふまでに われはわすれず まなくしおもへば
  河内百枝娘子
   
  4/703
原文 吾背子乎 相見之其日 至于今日 吾衣手者 乾時毛奈志
訓読 我が背子を相見しその日今日までに我が衣手は干る時もなし
仮名 わがせこを あひみしそのひ けふまでに わがころもでは ふるときもなし
  巫部麻蘇娘子
   
  4/704
原文 栲縄之 永命乎 欲苦波 不絶而人乎 欲見社
訓読 栲縄の長き命を欲りしくは絶えずて人を見まく欲りこそ
仮名 たくなはの ながきいのちを ほりしくは たえずてひとを みまくほりこそ
  巫部麻蘇娘子
   
  4/705
原文 葉根蘰 今為妹乎 夢見而 情内二 戀<渡>鴨
訓読 はねかづら今する妹を夢に見て心のうちに恋ひわたるかも
仮名 はねかづら いまするいもを いめにみて こころのうちに こひわたるかも
  大伴家持
   
  4/706
原文 葉根蘰 今為妹者 無四呼 何妹其 幾許戀多類
訓読 はねかづら今する妹はなかりしをいづれの妹ぞここだ恋ひたる
仮名 はねかづら いまするいもは なかりしを いづれのいもぞ ここだこひたる
  童女
   
  4/707
原文 思遣 為便乃不知者 片垸之 底曽吾者 戀成尓家類 <[注土垸之中]>
訓読 思ひ遣るすべの知らねば片もひの底にぞ我れは恋ひ成りにける <[注土h之中]>
仮名 おもひやる すべのしらねば かたもひの そこにぞあれは こひなりにける
  粟田女娘子
   
  4/708
原文 復毛将相 因毛有奴可 白細之 我衣手二 齋留目六
訓読 またも逢はむよしもあらぬか白栲の我が衣手にいはひ留めむ
仮名 またもあはむ よしもあらぬか しろたへの わがころもでに いはひとどめむ
  粟田女娘子
   
  4/709
原文 夕闇者 路多豆<多>頭四 待月而 行吾背子 其間尓母将見
訓読 夕闇は道たづたづし月待ちて行ませ我が背子その間にも見む
仮名 ゆふやみは みちたづたづし つきまちて いませわがせこ そのまにもみむ
  豊前國娘子大宅女
   
  4/710
原文 三空去 月之光二 直一目 相三師人<之> 夢西所見
訓読 み空行く月の光にただ一目相見し人の夢にし見ゆる
仮名 みそらゆく つきのひかりに ただひとめ あひみしひとの いめにしみゆる
  安都扉娘子
   
  4/711
原文 鴨鳥之 遊此池尓 木葉落而 浮心 吾不念國
訓読 鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに
仮名 かもどりの あそぶこのいけに このはおちて うきたるこころ わがおもはなくに
  丹波大女娘子
   
  4/712
原文 味酒呼 三輪之祝我 忌杉 手觸之罪歟 君二遇難寸
訓読 味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき
仮名 うまさけを みわのはふりが いはふすぎ てふれしつみか きみにあひかたき
  丹波大女娘子
   
  4/713
原文 垣穂成 人辞聞而 吾背子之 情多由多比 不合頃者
訓読 垣ほなす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
仮名 かきほなす ひとごとききて わがせこが こころたゆたひ あはぬこのころ
  丹波大女娘子
   
  4/714
原文 情尓者 思渡跡 縁乎無三 外耳為而 嘆曽吾為
訓読 心には思ひわたれどよしをなみ外のみにして嘆きぞ我がする
仮名 こころには おもひわたれど よしをなみ よそのみにして なげきぞわがする
  大伴家持
   
  4/715
原文 千鳥鳴 佐保乃河門之 清瀬乎 馬打和多思 何時将通
訓読 千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ
仮名 ちどりなく さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ
  大伴家持
   
  4/716
原文 夜晝 云別不知 吾戀 情盖 夢所見寸八
訓読 夜昼といふ別き知らず我が恋ふる心はけだし夢に見えきや
仮名 よるひると いふわきしらず あがこふる こころはけだし いめにみえきや
  大伴家持
   
  4/717
原文 都礼毛無 将有人乎 獨念尓 吾念者 惑毛安流香
訓読 つれもなくあるらむ人を片思に我れは思へばわびしくもあるか
仮名 つれもなく あるらむひとを かたもひに われはおもへば わびしくもあるか
  大伴家持
   
  4/718
原文 不念尓 妹之咲儛乎 夢見而 心中二 燎管曽呼留
訓読 思はぬに妹が笑ひを夢に見て心のうちに燃えつつぞ居る
仮名 おもはぬに いもがゑまひを いめにみて こころのうちに もえつつぞをる
  大伴家持
   
  4/719
原文 大夫跡 念流吾乎 如此許 三礼二見津礼 片<念>男責
訓読 ますらをと思へる我れをかくばかりみつれにみつれ片思をせむ
仮名 ますらをと おもへるわれを かくばかり みつれにみつれ かたもひをせむ
  大伴家持
   
  4/720
原文 村肝之 情揣而 如此許 余戀良<苦>乎 不知香安類良武
訓読 むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ
仮名 むらきもの こころくだけて かくばかり あがこふらくを しらずかあるらむ
  大伴家持
   
  4/721
原文 足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名
訓読 あしひきの山にしをれば風流なみ我がするわざをとがめたまふな
仮名 あしひきの やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな
  坂上郎女
   
  4/722
原文 如是許 戀乍不有者 石木二毛 成益物乎 物不思四手
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは石木にもならましものを物思はずして
仮名 かくばかり こひつつあらずは いはきにも ならましものを ものもはずして
  大伴家持
   
  4/723
原文 常呼二跡 吾行莫國 小金門尓 物悲良尓 念有之 吾兒乃刀自緒 野干玉之 夜晝跡不言 念二思 吾身者痩奴 嘆丹師 袖左倍<沾>奴 如是許 本名四戀者 古郷尓 此月期呂毛 有勝益土
訓読 常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷に この月ごろも 有りかつましじ
仮名 とこよにと わがゆかなくに をかなどに ものかなしらに おもへりし あがこのとじを ぬばたまの よるひるといはず おもふにし あがみはやせぬ なげくにし そでさへぬれぬ かくばかり もとなしこひば ふるさとに このつきごろも ありかつましじ
  坂上郎女
   
  4/724
原文 朝髪之 念乱而 如是許 名姉之戀曽 夢尓所見家留
訓読 朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれぞ夢に見えける
仮名 あさかみの おもひみだれて かくばかり なねがこふれぞ いめにみえける
  坂上郎女
   
  4/725
原文 二寶鳥乃 潜池水 情有者 君尓吾戀 情示左祢
訓読 にほ鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね
仮名 にほどりの かづくいけみづ こころあらば きみにあがこふる こころしめさね
  坂上郎女
   
  4/726
原文 外居而 戀乍不有者 君之家乃 池尓住云 鴨二有益雄
訓読 外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを
仮名 よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを
  坂上郎女
   
  4/727
原文 萱草 吾下紐尓 著有跡 鬼乃志許草 事二思安利家理
訓読 忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり
仮名 わすれくさ わがしたひもに つけたれど しこのしこくさ ことにしありけり
  大伴家持
   
  4/728
原文 人毛無 國母有粳 吾妹子与 携行而 副而将座
訓読 人もなき国もあらぬか我妹子とたづさはり行きて副ひて居らむ
仮名 ひともなき くにもあらぬか わぎもこと たづさはりゆきて たぐひてをらむ
  大伴家持
   
  4/729
原文 玉有者 手二母将巻乎 欝瞻乃 世人有者 手二巻難石
訓読 玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし
仮名 たまならば てにもまかむを うつせみの よのひとなれば てにまきかたし
  坂上大嬢
   
  4/730
原文 将相夜者 何時将有乎 何如為常香 彼夕相而 事之繁裳
訓読 逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも
仮名 あはむよは いつもあらむを なにすとか そのよひあひて ことのしげきも
  坂上大嬢
   
  4/731
原文 吾名者毛 千名之五百名尓 雖立 君之名立者 惜社泣
訓読 我が名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け
仮名 わがなはも ちなのいほなに たちぬとも きみがなたたば をしみこそなけ
  坂上大嬢
   
  4/732
原文 今時者四 名之惜雲 吾者無 妹丹因者 千遍立十方
訓読 今しはし名の惜しけくも我れはなし妹によりては千たび立つとも
仮名 いましはし なのをしけくも われはなし いもによりては ちたびたつとも
  大伴家持
   
  4/733
原文 空蝉乃 代也毛二行 何為跡鹿 妹尓不相而 吾獨将宿
訓読 うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む
仮名 うつせみの よやもふたゆく なにすとか いもにあはずて わがひとりねむ
  大伴家持
   
  4/734
原文 吾念 如此而不有者 玉二毛我 真毛妹之 手二所纒<乎>
訓読 我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ
仮名 わがおもひ かくてあらずは たまにもが まこともいもが てにまかれなむ
  大伴家持
   
  4/735
原文 春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念
訓読 春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
仮名 かすがやま かすみたなびき こころぐく てれるつくよに ひとりかもねむ
  坂上大嬢
   
  4/736
原文 月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉
訓読 月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り
仮名 つくよには かどにいでたち ゆふけとひ あしうらをぞせし ゆかまくをほり
  大伴家持
   
  4/737
原文 云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将<會>君
訓読 かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後も逢はむ君
仮名 かにかくに ひとはいふとも わかさぢの のちせのやまの のちもあはむきみ
  坂上大嬢
   
  4/738
原文 世間之 苦物尓 有家良<之> 戀尓不勝而 可死念者
訓読 世の中の苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば
仮名 よのなかの くるしきものに ありけらし こひにあへずて しぬべきおもへば
  坂上大嬢
   
  4/739
原文 後湍山 後毛将相常 念社 可死物乎 至今日<毛>生有
訓読 後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
仮名 のちせやま のちもあはむと おもへこそ しぬべきものを けふまでもいけれ
  大伴家持
   
  4/740
原文 事耳乎 後毛相跡 懃 吾乎令憑而 不相可聞
訓読 言のみを後も逢はむとねもころに我れを頼めて逢はざらむかも
仮名 ことのみを のちもあはむと ねもころに われをたのめて あはざらむかも
  大伴家持
   
  4/741
原文 夢之相者 苦有家里 覺而 掻探友 手二毛不所觸者
訓読 夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば
仮名 いめのあひは くるしかりけり おどろきて かきさぐれども てにもふれねば
  大伴家持
   
  4/742
原文 一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成
訓読 一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身はなりぬ
仮名 ひとへのみ いもがむすばむ おびをすら みへむすぶべく わがみはなりぬ
  大伴家持
   
  4/743
原文 吾戀者 千引乃石乎 七許 頚二将繋母 神之諸伏
訓読 我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに
仮名 あがこひは ちびきのいはを ななばかり くびにかけむも かみのまにまに
  大伴家持
   
  4/744
原文 暮去者 屋戸開設而 吾将待 夢尓相見二 将来云比登乎
訓読 夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
仮名 ゆふさらば やとあけまけて われまたむ いめにあひみに こむといふひとを
  大伴家持
   
  4/745
原文 朝夕二 将見時左倍也 吾妹之 雖見如不見 由戀四家武
訓読 朝夕に見む時さへや我妹子が見れど見ぬごとなほ恋しけむ
仮名 あさよひに みむときさへや わぎもこが みれどみぬごと なほこほしけむ
  大伴家持
   
  4/746
原文 生有代尓 吾者未見 事絶而 如是A怜 縫流嚢者
訓読 生ける世に我はいまだ見ず言絶えてかくおもしろく縫へる袋は
仮名 いけるよに われはいまだみず ことたえて かくおもしろく ぬへるふくろは
  大伴家持
   
  4/747
原文 吾妹兒之 形見乃服 下著而 直相左右者 吾将脱八方
訓読 我妹子が形見の衣下に着て直に逢ふまでは我れ脱かめやも
仮名 わぎもこが かたみのころも したにきて ただにあふまでは われぬかめやも
  大伴家持
   
  4/748
原文 戀死六 其毛同曽 奈何為二 人目他言 辞痛吾将為
訓読 恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人言言痛み我がせむ
仮名 こひしなむ そこもおやじぞ なにせむに ひとめひとごと こちたみわがせむ
  大伴家持
   
  4/749
原文 夢二谷 所見者社有 如此許 不所見有者 戀而死跡香
訓読 夢にだに見えばこそあらめかくばかり見えずしあるは恋ひて死ねとか
仮名 いめにだに みえばこそあれ かくばかり みえずてあるは こひてしねとか
  大伴家持
   
  4/750
原文 念絶 和備西物尾 中々<荷> 奈何辛苦 相見始兼
訓読 思ひ絶えわびにしものを中々に何か苦しく相見そめけむ
仮名 おもひたえ わびにしものを なかなかに なにかくるしく あひみそめけむ
  大伴家持
   
  4/751
原文 相見而者 幾日毛不經乎 幾許久毛 <久>流比尓久流必 所念鴨
訓読 相見ては幾日も経ぬをここだくもくるひにくるひ思ほゆるかも
仮名 あひみては いくかもへぬを ここだくも くるひにくるひ おもほゆるかも
  大伴家持
   
  4/752
原文 如是許 面影耳 所念者 何如将為 人目繁而
訓読 かくばかり面影にのみ思ほえばいかにかもせむ人目繁くて
仮名 かくばかり おもかげにのみ おもほえば いかにかもせむ ひとめしげくて
  大伴家持
   
  4/753
原文 相見者 須臾戀者 奈木六香登 雖念弥 戀益来
訓読 相見てはしましも恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひまさりけり
仮名 あひみては しましもこひは なぎむかと おもへどいよよ こひまさりけり
  大伴家持
   
  4/754
原文 夜之穂杼呂 吾出而来者 吾妹子之 念有四九四 面影二三湯
訓読 夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ
仮名 よのほどろ わがいでてくれば わぎもこが おもへりしくし おもかげにみゆ
  大伴家持
   
  4/755
原文 夜之穂杼呂 出都追来良久 遍多數 成者吾胸 截焼如
訓読 夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸断ち焼くごとし
仮名 よのほどろ いでつつくらく たびまねく なればあがむね たちやくごとし
  大伴家持
   
  4/756
原文 外居而 戀者苦 吾妹子乎 次相見六 事計為与
訓読 外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計りせよ
仮名 よそにゐて こふればくるし わぎもこを つぎてあひみむ ことはかりせよ
  大伴田村大嬢
   
  4/757
原文 遠有者 和備而毛有乎 里近 有常聞乍 不見之為便奈沙
訓読 遠くあらばわびてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ
仮名 とほくあらば わびてもあらむを さとちかく ありとききつつ みぬがすべなさ
  大伴田村大嬢
   
  4/758
原文 白雲之 多奈引山之 高々二 吾念妹乎 将見因毛我母
訓読 白雲のたなびく山の高々に我が思ふ妹を見むよしもがも
仮名 しらくもの たなびくやまの たかだかに あがおもふいもを みむよしもがも
  大伴田村大嬢
   
  4/759
原文 何 時尓加妹乎 牟具良布能 穢屋戸尓 入将座
訓読 いかならむ時にか妹を葎生の汚なきやどに入りいませてむ
仮名 いかならむ ときにかいもを むぐらふの きたなきやどに いりいませてむ
  田村大嬢
   
  4/760
原文 打渡 竹田之原尓 鳴鶴之 間無時無 吾戀良久波
訓読 うち渡す武田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは
仮名 うちわたす たけたのはらに なくたづの まなくときなし あがこふらくは
  坂上郎女
   
  4/761
原文 早河之 湍尓居鳥之 縁乎奈弥 念而有師 吾兒羽裳A怜
訓読 早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ
仮名 はやかはの せにゐるとりの よしをなみ おもひてありし あがこはもあはれ
  坂上郎女
   
  4/762
原文 神左夫跡 不欲者不有 八<多也八多> 如是為而後二 佐夫之家牟可聞
訓読 神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかも
仮名 かむさぶと いなにはあらず はたやはた かくしてのちに さぶしけむかも
  紀女郎
   
  4/763
原文 玉緒乎 沫緒二搓而 結有者 在手後二毛 不相在目八方
訓読 玉の緒を沫緒に搓りて結べらばありて後にも逢はざらめやも
仮名 たまのをを あわをによりて むすべらば ありてのちにも あはざらめやも
  紀女郎
   
  4/764
原文 百年尓 老舌出而 与余牟友 吾者不猒 戀者益友
訓読 百年に老舌出でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも
仮名 ももとせに おいしたいでて よよむとも われはいとはじ こひはますとも
  大伴家持
   
  4/765
原文 一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待
訓読 一重山へなれるものを月夜よみ門に出で立ち妹か待つらむ
仮名 ひとへやま へなれるものを つくよよみ かどにいでたち いもかまつらむ
  大伴家持
   
  4/766
原文 路遠 不来常波知有 物可良尓 然曽将待 君之目乎保利
訓読 道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
仮名 みちとほみ こじとはしれる ものからに しかぞまつらむ きみがめをほり
  藤原郎女
   
  4/767
原文 都路乎 遠哉妹之 比来者 得飼飯而雖宿 夢尓不所見来
訓読 都路を遠みか妹がこのころはうけひて寝れど夢に見え来ぬ
仮名 みやこぢを とほみかいもが このころは うけひてぬれど いめにみえこぬ
  大伴家持
   
  4/768
原文 今所知 久邇乃京尓 妹二不相 久成 行而早見奈
訓読 今知らす久迩の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な
仮名 いましらす くにのみやこに いもにあはず ひさしくなりぬ ゆきてはやみな
  大伴家持
   
  4/769
原文 久堅之 雨之落日乎 直獨 山邊尓居者 欝有来
訓読 ひさかたの雨の降る日をただ独り山辺に居ればいぶせかりけり
仮名 ひさかたの あめのふるひを ただひとり やまへにをれば いぶせかりけり
  大伴家持
   
  4/770
原文 人眼多見 不相耳曽 情左倍 妹乎忘而 吾念莫國
訓読 人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹を忘れて我が思はなくに
仮名 ひとめおほみ あはなくのみぞ こころさへ いもをわすれて わがおもはなくに
  大伴家持
   
  4/771
原文 偽毛 似付而曽為流 打布裳 真吾妹兒 吾尓戀目八
訓読 偽りも似つきてぞするうつしくもまこと我妹子我れに恋ひめや
仮名 いつはりも につきてぞする うつしくも まことわぎもこ われにこひめや
  大伴家持
   
  4/772
原文 夢尓谷 将所見常吾者 保杼毛友 不相志思<者> 諾不所見<有>武
訓読 夢にだに見えむと我れはほどけども相し思はねばうべ見えずあらむ
仮名 いめにだに みえむとわれは ほどけども あひしおもはねば うべみえずあらむ
  大伴家持
   
  4/773
原文 事不問 木尚味狭藍 諸<弟>等之 練乃村戸二 所詐来
訓読 言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
仮名 こととはぬ きすらあじさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり
  大伴家持
   
  4/774
原文 百千遍 戀跡云友 諸<弟>等之 練乃言羽<者> 吾波不信
訓読 百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ
仮名 ももちたび こふといふとも もろとらが ねりのことばは われはたのまじ
  大伴家持
   
  4/775
原文 鶉鳴 故郷従 念友 何如裳妹尓 相縁毛無寸
訓読 鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき
仮名 うづらなく ふりにしさとゆ おもへども なにぞもいもに あふよしもなき
  大伴家持
   
  4/776
原文 事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手
訓読 言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中淀にして
仮名 ことでしは たがことにあるか をやまだの なはしろみづの なかよどにして
  紀女郎
   
  4/777
原文 吾妹子之 屋戸乃籬乎 見尓徃者 盖従門 将返却可聞
訓読 我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも
仮名 わぎもこが やどのまがきを みにゆかば けだしかどより かへしてむかも
  大伴家持
   
  4/778
原文 打妙尓 前垣乃酢堅 欲見 将行常云哉 君乎見尓許曽
訓読 うつたへに籬の姿見まく欲り行かむと言へや君を見にこそ
仮名 うつたへに まがきのすがた みまくほり ゆかむといへや きみをみにこそ
  大伴家持
   
  4/779
原文 板盖之 黒木乃屋根者 山近之 明日取而 持将参来
訓読 板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む
仮名 いたぶきの くろきのやねは やまちかし あすのひとりて もちてまゐこむ
  大伴家持
   
  4/780
原文 黒樹取 草毛苅乍 仕目利 勤<和>氣登 将譽十方不有 [一云仕登母]
訓読 黒木取り草も刈りつつ仕へめどいそしきわけとほめむともあらず [一云仕ふとも]
仮名 くろきとり かやもかりつつ つかへめど いそしきわけと ほめむともあらず [つかふとも]
  大伴家持
   
  4/781
原文 野干玉能 昨夜者令還 今夜左倍 吾乎還莫 路之長手<呼>
訓読 ぬばたまの昨夜は帰しつ今夜さへ我れを帰すな道の長手を
仮名 ぬばたまの きぞはかへしつ こよひさへ われをかへすな みちのながてを
  大伴家持
   
  4/782
原文 風高 邊者雖吹 為妹 袖左倍所<沾>而 苅流玉藻焉
訓読 風高く辺には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻ぞ
仮名 かぜたかく へにはふけども いもがため そでさへぬれて かれるたまもぞ
  紀女郎
   
  4/783
原文 前年之 先年従 至今年 戀跡奈何毛 妹尓相難
訓読 をととしの先つ年より今年まで恋ふれどなぞも妹に逢ひかたき
仮名 をととしの さきつとしより ことしまで こふれどなぞも いもにあひかたき
  大伴家持
   
  4/784
原文 打乍二波 更毛不得言 夢谷 妹之<手>本乎 纒宿常思見者
訓読 うつつにはさらにもえ言はず夢にだに妹が手本を卷き寝とし見ば
仮名 うつつには さらにもえいはず いめにだに いもがたもとを まきぬとしみば
  大伴家持
   
  4/785
原文 吾屋戸之 草上白久 置露乃 壽母不有惜 妹尓不相有者
訓読 我がやどの草の上白く置く露の身も惜しからず妹に逢はずあれば
仮名 わがやどの くさのうへしろく おくつゆの みもをしくあらず いもにあはずあれば
  大伴家持
   
  4/786
原文 春之雨者 弥布落尓 梅花 未咲久 伊等若美可聞
訓読 春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも
仮名 はるのあめは いやしきふるに うめのはな いまださかなく いとわかみかも
  大伴家持
   
  4/787
原文 如夢 所念鴨 愛八師 君之使乃 麻祢久通者
訓読 夢のごと思ほゆるかもはしきやし君が使の数多く通へば
仮名 いめのごと おもほゆるかも はしきやし きみがつかひの まねくかよへば
  大伴家持
   
  4/788
原文 浦若見 花咲難寸 梅乎殖而 人之事重三 念曽吾為類
訓読 うら若み花咲きかたき梅を植ゑて人の言繁み思ひぞ我がする
仮名 うらわかみ はなさきかたき うめをうゑて ひとのことしげみ おもひぞわがする
  大伴家持
   
  4/789
原文 情八十一 所念可聞 春霞 軽引時二 事之通者
訓読 心ぐく思ほゆるかも春霞たなびく時に言の通へば
仮名 こころぐく おもほゆるかも はるかすみ たなびくときに ことのかよへば
  大伴家持
   
  4/790
原文 春風之 聲尓四出名者 有去而 不有今友 君之随意
訓読 春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに
仮名 はるかぜの おとにしいでなば ありさりて いまならずとも きみがまにまに
  大伴家持
   
  4/791
原文 奥山之 磐影尓生流 菅根乃 懃吾毛 不相念有哉
訓読 奥山の岩蔭に生ふる菅の根のねもころ我れも相思はざれや
仮名 おくやまの いはかげにおふる すがのねの ねもころわれも あひおもはざれや
  藤原久須麻呂
   
  4/792
原文 春雨乎 待<常>二師有四 吾屋戸之 若木乃梅毛 未含有
訓読 春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだふふめり
仮名 はるさめを まつとにしあらし わがやどの わかきのうめも いまだふふめり
  藤原久須麻呂
   

第五巻

   
   5/793
原文 余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
訓読 世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
仮名 よのなかは むなしきものと しるときし いよよますます かなしかりけり
  大伴旅人
   
  5/794
原文 大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀<尓>母 伊摩陀夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 宇知那i枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良i為 加多良比斯 許々呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須
訓読 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを 恨めしき 妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます
仮名 おほきみの とほのみかどと しらぬひ つくしのくにに なくこなす したひきまして いきだにも いまだやすめず としつきも いまだあらねば こころゆも おもはぬあひだに うちなびき こやしぬれ いはむすべ せむすべしらに いはきをも とひさけしらず いへならば かたちはあらむを うらめしき いものみことの あれをばも いかにせよとか にほどりの ふたりならびゐ かたらひし こころそむきて いへざかりいます
  山上憶良
   
  5/795
原文 伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母
訓読 家に行きていかにか我がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
仮名 いへにゆきて いかにかあがせむ まくらづく つまやさぶしく おもほゆべしも
  山上憶良
   
  5/796
原文 伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
訓読 はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ
仮名 はしきよし かくのみからに したひこし いもがこころの すべもすべなさ
  山上憶良
   
  5/797
原文 久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎
訓読 悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
仮名 くやしかも かくしらませば あをによし くぬちことごと みせましものを
  山上憶良
   
  5/798
原文 伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
訓読 妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
仮名 いもがみし あふちのはなは ちりぬべし わがなくなみた いまだひなくに
  山上憶良
   
  5/799
原文 大野山 紀利多知<和>多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
訓読 大野山霧立ちわたる我が嘆くおきその風に霧立ちわたる
仮名 おほのやま きりたちわたる わがなげく おきそのかぜに きりたちわたる
  山上憶良
   
  5/800
原文 父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母<智>騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦
訓読 父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
仮名 ちちははを みればたふとし めこみれば めぐしうつくし よのなかは かくぞことわり もちどりの かからはしもよ ゆくへしらねば うけぐつを ぬきつるごとく ふみぬきて ゆくちふひとは いはきより なりでしひとか ながなのらさね あめへゆかば ながまにまに つちならば おほきみいます このてらす ひつきのしたは あまくもの むかぶすきはみ たにぐくの さわたるきはみ きこしをす くにのまほらぞ かにかくに ほしきまにまに しかにはあらじか
  山上憶良
   
  5/801
原文 比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保<々々>尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓
訓読 ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
仮名 ひさかたの あまぢはとほし なほなほに いへにかへりて なりをしまさに
  山上憶良
   
  5/802
原文 宇利<波><米婆> 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
訓読 瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝さぬ
仮名 うりはめば こどもおもほゆ くりはめば ましてしぬはゆ いづくより きたりしものぞ まなかひに もとなかかりて やすいしなさぬ
  山上憶良
   
  5/803
原文 銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
訓読 銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
仮名 しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
  山上憶良
   
  5/804
原文 世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留<母>能波 毛々久佐尓 勢米余利伎多流 遠等咩良何 遠等咩佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 [或有此句云 之路多倍乃 袖布利可伴之 久礼奈為乃 阿可毛須蘇i伎] 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 [一云 尓能保奈須] 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 [一云 都祢奈利之 恵麻比麻欲i伎 散久伴奈能 宇都呂比<尓>家利 余乃奈可伴 可久乃未奈良之] 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等咩良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻<多麻>提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆<恵> 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久<麻>延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳<波>流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新
訓読 世間の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る 娘子らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし [白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き] よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の [丹のほなす] 面の上に いづくゆか 皺が来りし [常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろひにけり 世間は かくのみならし] ますらをの 男さびすと 剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし 世間や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし
仮名 よのなかの すべなきものは としつきは ながるるごとし とりつつき おひくるものは ももくさに せめよりきたる をとめらが をとめさびすと からたまを たもとにまかし [しろたへの そでふりかはし くれなゐの あかもすそひき] よちこらと てたづさはりて あそびけむ ときのさかりを とどみかね すぐしやりつれ みなのわた かぐろきかみに いつのまか しものふりけむ くれなゐの [にのほなす] おもてのうへに いづくゆか しわがきたりし [つねなりし ゑまひまよびき さくはなの うつろひにけり よのなかは かくのみならし] ますらをの をとこさびすと つるぎたち こしにとりはき さつゆみを たにぎりもちて あかごまに しつくらうちおき はひのりて あそびあるきし よのなかや つねにありける をとめらが さなすいたとを おしひらき いたどりよりて またまでの たまでさしかへ さねしよの いくだもあらねば たつかづゑ こしにたがねて かゆけば ひとにいとはえ かくゆけば ひとににくまえ およしをは かくのみならし たまきはる いのちをしけど せむすべもなし
  山上憶良
   
  5/805
原文 等伎波奈周 <迦>久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母
訓読 常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
仮名 ときはなす かくしもがもと おもへども よのことなれば とどみかねつも
  山上憶良
   
  5/806
原文 多都能馬母 伊麻勿愛弖之可 阿遠尓与志 奈良乃美夜古尓 由吉帝己牟丹米
訓読 龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため
仮名 たつのまも いまもえてしか あをによし ならのみやこに ゆきてこむため
  大伴旅人
   
  5/807
原文 宇豆都仁波 安布余志勿奈子 奴<婆>多麻能 用流能伊昧仁越 都伎提美延許曽
訓読 うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
仮名 うつつには あふよしもなし ぬばたまの よるのいめにを つぎてみえこそ
  大伴旅人
   
  5/808
原文 多都乃麻乎 阿礼波毛等米牟 阿遠尓与志 奈良乃美夜古邇 許牟比等乃多仁
訓読 龍の馬を我れは求めむあをによし奈良の都に来む人のたに
仮名 たつのまを あれはもとめむ あをによし ならのみやこに こむひとのたに
  大伴旅人
   
  5/809
原文 多陀尓阿波須 阿良久毛於保久 志岐多閇乃 麻久良佐良受提 伊米尓之美延牟
訓読 直に逢はずあらくも多く敷栲の枕去らずて夢にし見えむ
仮名 ただにあはず あらくもおほく しきたへの まくらさらずて いめにしみえむ
  大伴旅人
   
  5/810
原文 伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武
訓読 いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
仮名 いかにあらむ ひのときにかも こゑしらむ ひとのひざのへ わがまくらかむ
  大伴旅人
   
  5/811
原文 許等々波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志
訓読 言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
仮名 こととはぬ きにはありとも うるはしき きみがたなれの ことにしあるべし
  大伴旅人
   
  5/812
原文 許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母
訓読 言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
仮名 こととはぬ きにもありとも わがせこが たなれのみこと つちにおかめやも
  藤原房前
   
  5/813
原文 可既麻久波 阿夜尓可斯故斯 多良志比咩 可尾能弥許等 可良久尓遠 武氣多比良宜弖 弥許々呂遠 斯豆迷多麻布等 伊刀良斯弖 伊波比多麻比斯 麻多麻奈須 布多都能伊斯乎 世人尓 斯咩斯多麻比弖 余呂豆余尓 伊比都具可祢等 和多能曽許 意枳都布可延乃 宇奈可美乃 故布乃波良尓 美弖豆可良 意可志多麻比弖 可武奈何良 可武佐備伊麻須 久志美多麻 伊麻能遠都豆尓 多布刀伎呂可儛
訓読 かけまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐかねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今のをつづに 貴きろかむ
仮名 かけまくは あやにかしこし たらしひめ かみのみこと からくにを むけたひらげて みこころを しづめたまふと いとらして いはひたまひし またまなす ふたつのいしを よのひとに しめしたまひて よろづよに いひつぐかねと わたのそこ おきつふかえの うなかみの こふのはらに みてづから おかしたまひて かむながら かむさびいます くしみたま いまのをつづに たふときろかむ
  山上憶良
   
  5/814
原文 阿米都知能 等母尓比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
訓読 天地のともに久しく言ひ継げとこの奇し御魂敷かしけらしも
仮名 あめつちの ともにひさしく いひつげと このくしみたま しかしけらしも
  山上憶良
   
  5/815
原文 武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米[大貳紀卿]
訓読 正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ[大貳紀卿]
仮名 むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ
  紀男人
   
  5/816
原文 烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛[少貳小野大夫]
訓読 梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも[少貳小野大夫]
仮名 うめのはな いまさけるごと ちりすぎず わがへのそのに ありこせぬかも
  小野老
   
  5/817
原文 烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜[少貳粟田大夫]
訓読 梅の花咲きたる園の青柳は蘰にすべくなりにけらずや[少貳粟田大夫]
仮名 うめのはな さきたるそのの あをやぎは かづらにすべく なりにけらずや
  粟田人上
   
  5/818
原文 波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武[筑前守山上大夫]
訓読 春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ[筑前守山上大夫]
仮名 はるされば まづさくやどの うめのはな ひとりみつつや はるひくらさむ
  山上憶良
   
  5/819
原文 余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨[豊後守大伴大夫]
訓読 世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを[豊後守大伴大夫]
仮名 よのなかは こひしげしゑや かくしあらば うめのはなにも ならましものを
  大伴三依
   
  5/820
原文 烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理[筑後守葛井大夫]
訓読 梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり[筑後守葛井大夫]
仮名 うめのはな いまさかりなり おもふどち かざしにしてな いまさかりなり
  葛井大成
   
  5/821
原文 阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯[笠沙弥]
訓読 青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし[笠沙弥]
仮名 あをやなぎ うめとのはなを をりかざし のみてののちは ちりぬともよし
  沙弥満誓
   
  5/822
原文 和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母[主人]
訓読 我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも[主人]
仮名 わがそのに うめのはなちる ひさかたの あめよりゆきの ながれくるかも
  大伴旅人
   
  5/823
原文 烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々[大監伴氏百代]
訓読 梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ[大監伴氏百代]
仮名 うめのはな ちらくはいづく しかすがに このきのやまに ゆきはふりつつ
  大伴百代
   
  5/824
原文 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 <于>具比須奈久母[小監阿氏奥嶋]
訓読 梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも[小監阿氏奥嶋]
仮名 うめのはな ちらまくをしみ わがそのの たけのはやしに うぐひすなくも
  安倍
   
  5/825
原文 烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素i久良佐奈[小監土氏百村]
訓読 梅の花咲きたる園の青柳を蘰にしつつ遊び暮らさな[小監土氏百村]
仮名 うめのはな さきたるそのの あをやぎを かづらにしつつ あそびくらさな
  土師百村
   
  5/826
原文 有知奈i久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武[大典史氏大原]
訓読 うち靡く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分かむ[大典史氏大原]
仮名 うちなびく はるのやなぎと わがやどの うめのはなとを いかにかわかむ
  史大原
   
  5/827
原文 波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓[小典山氏若麻呂]
訓読 春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に[小典山氏若麻呂]
仮名 はるされば こぬれがくりて うぐひすぞ なきていぬなる うめがしづえに
  山口若麻呂
   
  5/828
原文 比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母[大判事<丹>氏麻呂]
訓読 人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも[大判事<丹>氏麻呂]
仮名 ひとごとに をりかざしつつ あそべども いやめづらしき うめのはなかも
  丹治比
   
  5/829
原文 烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良<婆那> 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也[藥師張氏福子]
訓読 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや[藥師張氏福子]
仮名 うめのはな さきてちりなば さくらばな つぎてさくべく なりにてあらずや
  張福子
   
  5/830
原文 萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子[筑前介佐氏子首]
訓読 万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし[筑前介佐氏子首]
仮名 よろづよに としはきふとも うめのはな たゆることなく さきわたるべし
  佐伯子首
   
  5/831
原文 波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓[壹岐守板氏安麻呂]
訓読 春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに[壹岐守板氏安麻呂]
仮名 はるなれば うべもさきたる うめのはな きみをおもふと よいもねなくに
  板持安麻呂
   
  5/832
原文 烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯[神司荒氏稲布]
訓読 梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし[神司荒氏稲布]
仮名 うめのはな をりてかざせる もろひとは けふのあひだは たのしくあるべし
  荒木田
   
  5/833
原文 得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多<努>志久能麻米[大令史野氏宿奈麻呂]
訓読 年のはに春の来らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ[大令史野氏宿奈麻呂]
仮名 としのはに はるのきたらば かくしこそ うめをかざして たのしくのまめ
  大野
   
  5/834
原文 烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯[小令史田氏肥人]
訓読 梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来るらし[小令史田氏肥人]
仮名 うめのはな いまさかりなり ももとりの こゑのこほしき はるきたるらし
  田口
   
  5/835
原文 波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素i尓 阿比美都流可母[藥師高氏義通]
訓読 春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも[藥師高氏義通]
仮名 はるさらば あはむともひし うめのはな けふのあそびに あひみつるかも
  高丘
   
  5/836
原文 烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利[陰陽師礒氏法麻呂]
訓読 梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり[陰陽師礒氏法麻呂]
仮名 うめのはな たをりかざして あそべども あきだらぬひは けふにしありけり
  磯部
   
  5/837
原文 波流能努尓 奈久夜汙隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汙米何波奈佐久[笇師志氏大道]
訓読 春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く[t師志氏大道]
仮名 はるののに なくやうぐひす なつけむと わがへのそのに うめがはなさく
  志紀
   
  5/838
原文 烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖[大隅目榎氏鉢麻呂]
訓読 梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて[大隅目榎氏鉢麻呂]
仮名 うめのはな ちりまがひたる をかびには うぐひすなくも はるかたまけて
  榎井
   
  5/839
原文 波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流[筑前目田氏真上]
訓読 春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る[筑前目田氏真上]
仮名 はるののに きりたちわたり ふるゆきと ひとのみるまで うめのはなちる
  田中
   
  5/840
原文 <波流>楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓[壹岐目村氏彼方]
訓読 春柳かづらに折りし梅の花誰れか浮かべし酒坏の上に[壹岐目村氏彼方]
仮名 はるやなぎ かづらにをりし うめのはな たれかうかべし さかづきのへに
  村君
   
  5/841
原文 于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由[對馬目高氏老]
訓読 鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ[對馬目高氏老]
仮名 うぐひすの おときくなへに うめのはな わぎへのそのに さきてちるみゆ
  高丘
   
  5/842
原文 和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇i都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美[薩摩目高氏海人]
訓読 我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ[薩摩目高氏海人]
仮名 わがやどの うめのしづえに あそびつつ うぐひすなくも ちらまくをしみ
  高丘
   
  5/843
原文 宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布[土師氏御<道>]
訓読 梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ[土師氏御<道>]
仮名 うめのはな をりかざしつつ もろひとの あそぶをみれば みやこしぞもふ
  土師御道
   
  5/844
原文 伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許々陀母麻我不 烏梅能波奈可毛[小野氏國堅]
訓読 妹が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも[小野氏國堅]
仮名 いもがへに ゆきかもふると みるまでに ここだもまがふ うめのはなかも
  小野國堅
   
  5/845
原文 宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米[筑前拯門氏石足]
訓読 鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため[筑前拯門氏石足]
仮名 うぐひすの まちかてにせし うめがはな ちらずありこそ おもふこがため
  門部石足
   
  5/846
原文 可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛[小野氏淡理]
訓読 霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも[小野氏淡理]
仮名 かすみたつ ながきはるひを かざせれど いやなつかしき うめのはなかも
  小野田守
   
  5/847
原文 和我佐可理 伊多久々多知奴 久毛尓得夫 久須利波武等母 麻多遠知米也母
訓読 我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
仮名 わがさかり いたくくたちぬ くもにとぶ くすりはむとも またをちめやも
  大伴旅人
   
  5/848
原文 久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
訓読 雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし
仮名 くもにとぶ くすりはむよは みやこみば いやしきあがみ またをちぬべし
  大伴旅人
   
  5/849
原文 能許利多留 由棄仁末自例留 宇梅能半奈 半也久奈知利曽 由吉波氣奴等勿
訓読 残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
仮名 のこりたる ゆきにまじれる うめのはな はやくなちりそ ゆきはけぬとも
   
  5/850
原文 由吉能伊呂遠 有<婆>比弖佐家流 有米能波奈 伊麻<左>加利奈利 弥牟必登母我聞
訓読 雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
仮名 ゆきのいろを うばひてさける うめのはな いまさかりなり みむひともがも
   
  5/851
原文 和我夜度尓 左加里尓散家留 宇梅能波奈 知流倍久奈里奴 美牟必登聞我母
訓読 我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
仮名 わがやどに さかりにさける うめのはな ちるべくなりぬ みむひともがも
   
  5/852
原文 烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈等阿例母布 左氣尓于可倍許曽 [一云 伊多豆良尓 阿例乎知良須奈 左氣尓<宇>可倍許曽]
訓読 梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ [一云 いたづらに我れを散らすな酒に浮べこそ]
仮名 うめのはな いめにかたらく みやびたる はなとあれもふ さけにうかべこそ [いたづらに あれをちらすな さけにうかべこそ]
   
  5/853
原文 阿佐<里><須流> 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等
訓読 あさりする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
仮名 あさりする あまのこどもと ひとはいへど みるにしらえぬ うまひとのこと
  大伴旅人
   
  5/854
原文 多麻之末能 許能可波加美尓 伊返波阿礼騰 吉美乎夜佐之美 阿良波佐受阿利吉
訓読 玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみあらはさずありき
仮名 たましまの このかはかみに いへはあれど きみをやさしみ あらはさずありき
  大伴旅人
   
  5/855
原文 麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛<何> 毛能須蘇奴例奴
訓読 松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
仮名 まつらがは かはのせひかり あゆつると たたせるいもが ものすそぬれぬ
  大伴旅人
   
  5/856
原文 麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛
訓読 松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
仮名 まつらなる たましまがはに あゆつると たたせるこらが いへぢしらずも
  大伴旅人
   
  5/857
原文 等富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米
訓読 遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我れこそ卷かめ
仮名 とほつひと まつらのかはに わかゆつる いもがたもとを われこそまかめ
  大伴旅人
   
  5/858
原文 和可由都流 麻都良能可波能 可波奈美能 奈美邇之母波婆 和礼故飛米夜母
訓読 若鮎釣る松浦の川の川なみの並にし思はば我れ恋ひめやも
仮名 わかゆつる まつらのかはの かはなみの なみにしもはば われこひめやも
  娘等
   
  5/859
原文 波流佐礼婆 和伎覇能佐刀能 加波度尓波 阿由故佐婆斯留 吉美麻知我弖尓
訓読 春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
仮名 はるされば わぎへのさとの かはとには あゆこさばしる きみまちがてに
  娘等
   
  5/860
原文 麻都良我波 奈々勢能與騰波 与等武等毛 和礼波与騰麻受 吉美遠志麻多武
訓読 松浦川七瀬の淀は淀むとも我れは淀まず君をし待たむ
仮名 まつらがは ななせのよどは よどむとも われはよどまず きみをしまたむ
  娘等
   
  5/861
原文 麻都良河波 <可>波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良<武>
訓読 松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
仮名 まつらがは かはのせはやみ くれなゐの ものすそぬれて あゆかつるらむ
  大伴旅人
   
  5/862
原文 比等未奈能 美良武麻都良能 多麻志末乎 美受弖夜和礼波 故飛都々遠良武
訓読 人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我れは恋ひつつ居らむ
仮名 ひとみなの みらむまつらの たましまを みずてやわれは こひつつをらむ
  大伴旅人
   
  5/863
原文 麻都良河波 多麻斯麻能有良尓 和可由都流 伊毛良遠美良牟 比等能等母斯佐
訓読 松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨しさ
仮名 まつらがは たましまのうらに わかゆつる いもらをみらむ ひとのともしさ
  大伴旅人
   
  5/864
原文 於久礼為天 那我古飛世殊波 弥曽能不乃 于梅能波奈尓<忘> 奈良麻之母能乎
訓読 後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを
仮名 おくれゐて ながこひせずは みそのふの うめのはなにも ならましものを
  吉田宜
   
  5/865
原文 伎弥乎麻都 々々良乃于良能 越等賣良波 等己与能久尓能 阿麻越等賣可<忘>
訓読 君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
仮名 きみをまつ まつらのうらの をとめらは とこよのくにの あまをとめかも
  吉田宜
   
  5/866
原文 波漏々々尓 於忘方由流可母 志良久毛能 <知>弊仁邊多天留 都久紫能君仁波
訓読 はろはろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
仮名 はろはろに おもほゆるかも しらくもの ちへにへだてる つくしのくには
  吉田宜
   
  5/867
原文 枳美可由伎 氣那<我>久奈理奴 奈良遅那留 志満乃己太知母 可牟佐飛仁家<里>
訓読 君が行き日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり
仮名 きみがゆき けながくなりぬ ならぢなる しまのこだちも かむさびにけり
  吉田宜
   
  5/868
原文 麻都良我多 佐欲比賣能故何 比列布利斯 夜麻能名乃<尾>夜 伎々都々遠良武
訓読 松浦県佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
仮名 まつらがた さよひめのこが ひれふりし やまのなのみや ききつつをらむ
  山上憶良
   
  5/869
原文 多良志比賣 可尾能美許等能 奈都良須等 美多々志世利斯 伊志遠多礼美吉 [一云 阿由都流等]
訓読 足姫神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰れ見き [一云 鮎釣ると]
仮名 たらしひめ かみのみことの なつらすと みたたしせりし いしをたれみき [あゆつると]
  山上憶良
   
  5/870
原文 毛々可斯母 由加奴麻都良遅 家布由伎弖 阿須波吉奈武遠 奈尓可佐夜礼留
訓読 百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
仮名 ももがしも ゆかぬまつらぢ けふゆきて あすはきなむを なにかさやれる
  山上憶良
   
  5/871
原文 得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈
訓読 遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名
仮名 とほつひと まつらさよひめ つまごひに ひれふりしより おへるやまのな
   
  5/872
原文 夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家<牟>
訓読 山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
仮名 やまのなと いひつげとかも さよひめが このやまのへに ひれをふりけむ
   
  5/873
原文 余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面
訓読 万世に語り継げとしこの丘に領巾振りけらし松浦佐用姫
仮名 よろづよに かたりつげとし このたけに ひれふりけらし まつらさよひめ
   
  5/874
原文 宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣
訓読 海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
仮名 うなはらの おきゆくふねを かへれとか ひれふらしけむ まつらさよひめ
   
  5/875
原文 由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯<苦>阿利家武 麻都良佐欲比賣
訓読 行く船を振り留みかねいかばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
仮名 ゆくふねを ふりとどみかね いかばかり こほしくありけむ まつらさよひめ
   
  5/876
原文 阿麻等夫夜 等利尓母賀母夜 美夜故<麻>提 意久利摩遠志弖 等比可弊流母能
訓読 天飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの
仮名 あまとぶや とりにもがもや みやこまで おくりまをして とびかへるもの
   
  5/877
原文 比等母祢能 宇良夫禮遠留尓 多都多夜麻 美麻知可豆加婆 和周良志奈牟迦
訓読 ひともねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか
仮名 ひともねの うらぶれをるに たつたやま みまちかづかば わすらしなむか
   
  5/878
原文 伊比都々母 能知許曽斯良米 等乃斯久母 佐夫志計米夜母 吉美伊麻佐受斯弖
訓読 言ひつつも後こそ知らめとのしくも寂しけめやも君いまさずして
仮名 いひつつも のちこそしらめ とのしくも さぶしけめやも きみいまさずして
   
  5/879
原文 余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 阿米能志多 麻乎志多麻波祢 美加<度>佐良受弖
訓読 万世にいましたまひて天の下奏したまはね朝廷去らずて
仮名 よろづよに いましたまひて あめのした まをしたまはね みかどさらずて
   
  5/880
原文 阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々 美夜故能提夫利 和周良延尓家利
訓読 天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
仮名 あまざかる ひなにいつとせ すまひつつ みやこのてぶり わすらえにけり
  山上憶良
   
  5/881
原文 加久能<未>夜 伊吉豆伎遠良牟 阿良多麻能 吉倍由久等志乃 可伎利斯良受提
訓読 かくのみや息づき居らむあらたまの来経行く年の限り知らずて
仮名 かくのみや いきづきをらむ あらたまの きへゆくとしの かぎりしらずて
  山上憶良
   
  5/882
原文 阿我農斯能 美多麻々々比弖 波流佐良婆 奈良能美夜故尓 咩佐宜多麻波祢
訓読 我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げたまはね
仮名 あがぬしの みたまたまひて はるさらば ならのみやこに めさげたまはね
  山上憶良
   
  5/883
原文 於登尓吉<岐> 目尓波伊麻太見受 佐容比賣我 必礼布理伎等敷 吉民萬通良楊満
訓読 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
仮名 おとにきき めにはいまだみず さよひめが ひれふりきとふ きみまつらやま
  三嶋王
   
  5/884
原文 國遠伎 路乃長手遠 意保々斯久 計布夜須疑南 己等騰比母奈久
訓読 国遠き道の長手をおほほしく今日や過ぎなむ言どひもなく
仮名 くにとほき みちのながてを おほほしく けふやすぎなむ ことどひもなく
  麻田陽春
   
  5/885
原文 朝露乃 既夜須伎我身 比等國尓 須疑加弖奴可母 意夜能目遠保利
訓読 朝露の消やすき我が身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り
仮名 あさつゆの けやすきあがみ ひとくにに すぎかてぬかも おやのめをほり
  麻田陽春
   
  5/886
原文 宇知比佐受 宮弊能保留等 多羅知斯夜 波々何手波奈例 常斯良奴 國乃意久迦袁 百重山 越弖須<疑>由伎 伊都斯可母 京師乎美武等 意母比都々 迦多良比遠礼騰 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃 道乃久麻尾尓 久佐太袁利 志<婆>刀利志伎提 等許自母能 宇知<許>伊布志提 意母比都々 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆 父刀利美麻之 家尓阿良婆 母刀利美麻志 世間波 迦久乃尾奈良志 伊奴時母能 道尓布斯弖夜 伊能知周<疑>南 [一云 和何余須疑奈牟]
訓読 うちひさす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど おのが身し 労はしければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ [一云 我が世過ぎなむ]
仮名 うちひさす みやへのぼると たらちしや ははがてはなれ つねしらぬ くにのおくかを ももへやま こえてすぎゆき いつしかも みやこをみむと おもひつつ かたらひをれど おのがみし いたはしければ たまほこの みちのくまみに くさたをり しばとりしきて とこじもの うちこいふして おもひつつ なげきふせらく くににあらば ちちとりみまし いへにあらば ははとりみまし よのなかは かくのみならし いぬじもの みちにふしてや いのちすぎなむ [わがよすぎなむ]
  山上憶良
   
  5/887
原文 多良知子能 波々何目美受提 意保々斯久 伊豆知武伎提可 阿我和可留良武
訓読 たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか我が別るらむ
仮名 たらちしの ははがめみずて おほほしく いづちむきてか あがわかるらむ
  山上憶良
   
  5/888
原文 都祢斯良農 道乃長手袁 久礼々々等 伊可尓可由迦牟 可利弖波奈斯尓 [一云 可例比波奈之尓]
訓読 常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむ糧はなしに [一云 干飯はなしに]
仮名 つねしらぬ みちのながてを くれくれと いかにかゆかむ かりてはなしに [かれひはなしに]
  山上憶良
   
  5/889
原文 家尓阿利弖 波々何刀利美婆 奈具佐牟流 許々呂波阿良麻志 斯奈婆斯農等母 [一云 能知波志奴等母]
訓読 家にありて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも [一云 後は死ぬとも]
仮名 いへにありて ははがとりみば なぐさむる こころはあらまし しなばしぬとも [のちはしぬとも]
  山上憶良
   
  5/890
原文 出弖由伎斯 日乎可俗閇都々 家布々々等 阿袁麻多周良武 知々波々良波母 [一云 波々我迦奈斯佐]
訓読 出でて行きし日を数へつつ今日今日と我を待たすらむ父母らはも [一云 母が悲しさ]
仮名 いでてゆきし ひをかぞへつつ けふけふと あをまたすらむ ちちははらはも [ははがかなしさ]
  山上憶良
   
  5/891
原文 一世尓波 二遍美延農 知々波々袁 意伎弖夜奈何久 阿我和加礼南 [一云 相別南]
訓読 一世にはふたたび見えぬ父母を置きてや長く我が別れなむ [一云 相別れなむ]
仮名 ひとよには ふたたびみえぬ ちちははを おきてやながく あがわかれなむ [あひわかれなむ]
  山上憶良
   
  5/892
原文 風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之<叵>夫可比 鼻i之i之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻R 来立呼比奴 可久<婆>可里 須部奈伎物能可 世間乃道
訓読 風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
仮名 かぜまじり あめふるよの あめまじり ゆきふるよは すべもなく さむくしあれば かたしほを とりつづしろひ かすゆざけ うちすすろひて しはぶかひ はなびしびしに しかとあらぬ ひげかきなでて あれをおきて ひとはあらじと ほころへど さむくしあれば あさぶすま ひきかがふり ぬのかたきぬ ありのことごと きそへども さむきよすらを われよりも まづしきひとの ちちははは うゑこゆらむ めこどもは こふこふなくらむ このときは いかにしつつか ながよはわたる あめつちは ひろしといへど あがためは さくやなりぬる ひつきは あかしといへど あがためは てりやたまはぬ ひとみなか あのみやしかる わくらばに ひととはあるを ひとなみに あれもつくるを わたもなき ぬのかたぎぬの みるのごと わわけさがれる かかふのみ かたにうちかけ ふせいほの まげいほのうちに ひたつちに わらときしきて ちちははは まくらのかたに めこどもは あとのかたに かくみゐて うれへさまよひ かまどには ほけふきたてず こしきには くものすかきて いひかしく こともわすれて ぬえどりの のどよひをるに いとのきて みじかきものを はしきると いへるがごとく しもととる さとをさがこゑは ねやどまで きたちよばひぬ かくばかり すべなきものか よのなかのみち
  山上憶良
   
  5/893
原文 世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
訓読 世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
仮名 よのなかを うしとやさしと おもへども とびたちかねつ とりにしあらねば
  山上憶良
   
  5/894
原文 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 [反云 大命]<戴>持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 [反云 布奈能閇尓] 道引麻<遠志> 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手<打>掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿<遅>可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
訓読 神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ
仮名 かむよより いひつてくらく そらみつ やまとのくには すめかみの いつくしきくに ことだまの さきはふくにと かたりつぎ いひつがひけり いまのよの ひともことごと めのまへに みたりしりたり ひとさはに みちてはあれども たかてらす ひのみかど かむながら めでのさかりに あめのした まをしたまひし いへのこと えらひたまひて おほみこと [おほみこと] いただきもちて からくにの とほきさかひに つかはされ まかりいませ うなはらの へにもおきにも かむづまり うしはきいます もろもろの おほみかみたち ふなのへに [ふなのへに] みちびきまをし あめつちの おほみかみたち やまとの おほくにみたま ひさかたの あまのみそらゆ あまがけり みわたしたまひ ことをはり かへらむひには またさらに おほみかみたち ふなのへに みてうちかけて すみなはを はへたるごとく あぢかをし ちかのさきより おほともの みつのはまびに ただはてに みふねははてむ つつみなく さきくいまして はやかへりませ
  山上憶良
   
  5/895
原文 大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢
訓読 大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ
仮名 おほともの みつのまつばら かきはきて われたちまたむ はやかへりませ
  山上憶良
   
  5/896
原文 難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
訓読 難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
仮名 なにはつに みふねはてぬと きこえこば ひもときさけて たちばしりせむ
  山上憶良
   
  5/897
原文 霊剋 内限者 [謂瞻州人<壽>一百二十年也] 平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 <鹹>塩遠 潅知布何其等久 益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等々々波 斯奈々等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖々波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓<可>久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由
訓読 たまきはる うちの限りは [謂瞻州人<壽>一百二十年也] 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 注くちふがごとく ますますも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿なす 騒く子どもを 打棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ
仮名 たまきはる うちのかぎりは たひらけく やすくもあらむを こともなく もなくもあらむを よのなかの うけくつらけく いとのきて いたききずには からしほを そそくちふがごとく ますますも おもきうまにに うはにうつと いふことのごと おいにてある あがみのうへに やまひをと くはへてあれば ひるはも なげかひくらし よるはも いきづきあかし としながく やみしわたれば つきかさね うれへさまよひ ことことは しななとおもへど さばへなす さわくこどもを うつてては しにはしらず みつつあれば こころはもえぬ かにかくに おもひわづらひ ねのみしなかゆ
  山上憶良
   
  5/898
原文 奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由
訓読 慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ
仮名 なぐさむる こころはなしに くもがくり なきゆくとりの ねのみしなかゆ
  山上憶良
   
  5/899
原文 周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓<佐>夜利奴
訓読 すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へどこらに障りぬ
仮名 すべもなく くるしくあれば いではしり いななとおもへど こらにさやりぬ
  山上憶良
   
  5/900
原文 富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母
訓読 富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
仮名 とみひとの いへのこどもの きるみなみ くたしすつらむ きぬわたらはも
  山上憶良
   
  5/901
原文 麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
訓読 荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ
仮名 あらたへの ぬのきぬをだに きせかてに かくやなげかむ せむすべをなみ
  山上憶良
   
  5/902
原文 水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
訓読 水沫なすもろき命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ
仮名 みなわなす もろきいのちも たくづなの ちひろにもがと ねがひくらしつ
  山上憶良
   
  5/903
原文 倭<文>手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母<何>等 意母保由留加母 [去神龜二年作之 但以<類>故更載於茲]
訓読 しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも [去る神龜二年之を作る。但し類を以ての故に更に茲に載す]
仮名 しつたまき かずにもあらぬ みにはあれど ちとせにもがと おもほゆるかも
  山上憶良
   
  5/904
原文 世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼<婆> 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等々奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃 <尓布敷可尓> 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸々 可多知都久保里 朝々 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣<吉> 手尓持流 安我古登<婆>之都 世間之道
訓読 世間の 貴び願ふ 七種の 宝も我れは 何せむに 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷栲の 床の辺去らず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星の 夕になれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさがり さきくさの 中にを寝むと 愛しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと 大船の 思ひ頼むに 思はぬに 邪しま風の にふふかに 覆ひ来れば 為むすべの たどきを知らに 白栲の たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに やくやくに かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ たまきはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世間の道
仮名 よのなかの たふとびねがふ ななくさの たからもわれは なにせむに わがなかの うまれいでたる しらたまの あがこふるひは あかぼしの あくるあしたは しきたへの とこのへさらず たてれども をれども ともにたはぶれ ゆふつづの ゆふへになれば いざねよと てをたづさはり ちちははも うへはなさがり さきくさの なかにをねむと うつくしく しがかたらへば いつしかも ひととなりいでて あしけくも よけくもみむと おほぶねの おもひたのむに おもはぬに よこしまかぜの にふふかに おほひきたれば せむすべの たどきをしらに しろたへの たすきをかけ まそかがみ てにとりもちて あまつかみ あふぎこひのみ くにつかみ ふしてぬかつき かからずも かかりも かみのまにまにと たちあざり われこひのめど しましくも よけくはなしに やくやくに かたちつくほり あさなさな いふことやみ たまきはる いのちたえぬれ たちをどり あしすりさけび ふしあふぎ むねうちなげき てにもてる あがことばしつ よのなかのみち
   
  5/905
原文 和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世
訓読 若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ
仮名 わかければ みちゆきしらじ まひはせむ したへのつかひ おひてとほらせ
   
  5/906
原文 布施於吉弖 吾波許比能武 阿射無加受 多太尓率去弖 阿麻治思良之米
訓読 布施置きて我れは祈ひ祷むあざむかず直に率行きて天道知らしめ
仮名 ふせおきて われはこひのむ あざむかず ただにゐゆきて あまぢしらしめ
   

第六巻

   
   6/907
原文 瀧上之 御舟乃山尓 水枝指 四時尓<生>有 刀我乃樹能 弥継嗣尓 萬代 如是二<二>知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴将有 國柄鹿 見欲将有 山川乎 清々 諾之神代従 定家良思母
訓読 瀧の上の 三船の山に 瑞枝さし 繁に生ひたる 栂の木の いや継ぎ継ぎに 万代に かくし知らさむ み吉野の 秋津の宮は 神からか 貴くあるらむ 国からか 見が欲しからむ 山川を 清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも
仮名 たきのうへの みふねのやまに みづえさし しじにおひたる とがのきの いやつぎつぎに よろづよに かくししらさむ みよしのの あきづのみやは かむからか たふとくあるらむ くにからか みがほしくあらむ やまかはを きよみさやけみ うべしかむよゆ さだめけらしも
  笠金村
   
  6/908
原文 毎年 如是裳見<壮>鹿 三吉野乃 清河内之 多藝津白浪
訓読 年のはにかくも見てしかみ吉野の清き河内のたぎつ白波
仮名 としのはに かくもみてしか みよしのの きよきかふちの たぎつしらなみ
  笠金村
   
  6/909
原文 山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河内者 雖見不飽香聞
訓読 山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも
仮名 やまたかみ しらゆふばなに おちたぎつ たきのかふちは みれどあかぬかも
  笠金村
   
  6/910
原文 神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧<乃>河内者 雖見不飽鴨
訓読 神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも
仮名 かむからか みがほしからむ みよしのの たきのかふちは みれどあかぬかも
  笠金村
   
  6/911
原文 三芳野之 秋津乃川之 万世尓 断事無 又還将見
訓読 み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまたかへり見む
仮名 みよしのの あきづのかはの よろづよに たゆることなく またかへりみむ
  笠金村
   
  6/912
原文 泊瀬女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開来受屋
訓読 泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや
仮名 はつせめの つくるゆふばな みよしのの たきのみなわに さきにけらずや
  笠金村
   
  6/913
原文 味凍 綾丹乏敷 鳴神乃 音耳聞師 三芳野之 真木立山湯 見降者 川之瀬毎 開来者 朝霧立 夕去者 川津鳴奈<拝> 紐不解 客尓之有者 吾耳為而 清川原乎 見良久之惜蒙
訓読 味凝り あやにともしく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 真木立つ山ゆ 見下ろせば 川の瀬ごとに 明け来れば 朝霧立ち 夕されば かはづ鳴くなへ 紐解かぬ 旅にしあれば 我のみして 清き川原を 見らくし惜しも
仮名 うまこり あやにともしく なるかみの おとのみききし みよしのの まきたつやまゆ みおろせば かはのせごとに あけくれば あさぎりたち ゆふされば かはづなくなへ ひもとかぬ たびにしあれば わのみして きよきかはらを みらくしをしも
  車持千年
   
  6/914
原文 瀧上乃 三船之山者 雖<畏> 思忘 時毛日毛無
訓読 滝の上の三船の山は畏けど思ひ忘るる時も日もなし
仮名 たきのうへの みふねのやまは かしこけど おもひわするる ときもひもなし
  車持千年
   
  6/915
原文 千鳥鳴 三吉野川之 <川音> 止時梨二 所思<公>
訓読 千鳥泣くみ吉野川の川音のやむ時なしに思ほゆる君
仮名 ちどりなく みよしのかはの かはおとの やむときなしに おもほゆるきみ
  車持千年
   
  6/916
原文 茜刺 日不並二 吾戀 吉野之河乃 霧丹立乍
訓読 あかねさす日並べなくに我が恋は吉野の川の霧に立ちつつ
仮名 あかねさす ひならべなくに あがこひは よしののかはの きりにたちつつ
  車持千年
   
  6/917
原文 安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背<匕>尓所見 奥嶋 清波瀲尓 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代従 然曽尊吉 玉津嶋夜麻
訓読 やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山
仮名 やすみしし わごおほきみの とこみやと つかへまつれる さひかのゆ そがひにみゆる おきつしま きよきなぎさに かぜふけば しらなみさわき しほふれば たまもかりつつ かむよより しかぞたふとき たまつしまやま
  山部赤人
   
  6/918
原文 奥嶋 荒礒之玉藻 潮干満 伊隠去者 所念武香聞
訓読 沖つ島荒礒の玉藻潮干満ちい隠りゆかば思ほえむかも
仮名 おきつしま ありそのたまも しほひみち いかくりゆかば おもほえむかも
  山部赤人
   
  6/919
原文 若浦尓 塩満来者 滷乎無美 葦邊乎指天 多頭鳴渡
訓読 若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
仮名 わかのうらに しほみちくれば かたをなみ あしへをさして たづなきわたる
  山部赤人
   
  6/920
原文 足引之 御山毛清 落多藝都 芳野<河>之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽祷 恐有等毛
訓読 あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺には 千鳥しば鳴く 下辺には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁にしあれば 見るごとに あやに乏しみ 玉葛 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと 天地の 神をぞ祈る 畏くあれども
仮名 あしひきの みやまもさやに おちたぎつ よしののかはの かはのせの きよきをみれば かみへには ちどりしばなく しもべには かはづつまよぶ ももしきの おほみやひとも をちこちに しじにしあれば みるごとに あやにともしみ たまかづら たゆることなく よろづよに かくしもがもと あめつちの かみをぞいのる かしこくあれども
  笠金村
   
  6/921
原文 萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所
訓読 万代に見とも飽かめやみ吉野のたぎつ河内の大宮所
仮名 よろづよに みともあかめや みよしのの たぎつかふちの おほみやところ
  笠金村
   
  6/922
原文 人皆乃 壽毛吾母 三<吉>野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨
訓読 皆人の命も我れもみ吉野の滝の常磐の常ならぬかも
仮名 みなひとの いのちもわれも みよしのの たきのときはの つねならぬかも
  笠金村
   
  6/923
原文 八隅知之 和期大王乃 高知為 芳野宮者 立名附 青垣隠 河次乃 清河内曽 春部者 花咲乎遠里 秋去者 霧立渡 其山之 弥益々尓 此河之 絶事無 百石木能 大宮人者 常将通
訓読 やすみしし 我ご大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣隠り 川なみの 清き河内ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる その山の いやしくしくに この川の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人は 常に通はむ
仮名 やすみしし わごおほきみの たかしらす よしののみやは たたなづく あをかきごもり かはなみの きよきかふちぞ はるへは はなさきををり あきされば きりたちわたる そのやまの いやしくしくに このかはの たゆることなく ももしきの おほみやひとは つねにかよはむ
  山部赤人
   
  6/924
原文 三吉野乃 象山際乃 木末尓波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞
訓読 み吉野の象山の際の木末にはここだも騒く鳥の声かも
仮名 みよしのの きさやまのまの こぬれには ここだもさわく とりのこゑかも
  山部赤人
   
  6/925
原文 烏玉之 夜之深去者 久木生留 清河原尓 知鳥數鳴
訓読 ぬばたまの夜の更けゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く
仮名 ぬばたまの よのふけゆけば ひさぎおふる きよきかはらに ちどりしばなく
  山部赤人
   
  6/926
原文 安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝猟尓 十六履起之 夕狩尓 十里蹋立 馬並而 御<猟>曽立為 春之茂野尓
訓読 やすみしし 我ご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 獣踏み起し 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に
仮名 やすみしし わごおほきみは みよしのの あきづのをのの ののへには とみすゑおきて みやまには いめたてわたし あさがりに ししふみおこし ゆふがりに とりふみたて うまなめて みかりぞたたす はるのしげのに
  山部赤人
   
  6/927
原文 足引之 山毛野毛 御<猟>人 得物矢手<挟> 散動而有所見
訓読 あしひきの山にも野にも御狩人さつ矢手挾み騒きてあり見ゆ
仮名 あしひきの やまにものにも みかりひと さつやたばさみ さわきてありみゆ
  山部赤人
   
  6/928
原文 忍照 難波乃國者 葦垣乃 古郷跡 人皆之 念息而 都礼母無 有之間尓 續麻成 長柄之宮尓 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奥鳥 味經乃原尓 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安礼十方
訓読 おしてる 難波の国は 葦垣の 古りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 続麻なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都成したり 旅にはあれども
仮名 おしてる なにはのくには あしかきの ふりにしさとと ひとみなの おもひやすみて つれもなく ありしあひだに うみをなす ながらのみやに まきはしら ふとたかしきて をすくにを をさめたまへば おきつとり あぢふのはらに もののふの やそとものをは いほりして みやこなしたり たびにはあれども
  笠金村
   
  6/929
原文 荒野等丹 里者雖有 大王之 敷座時者 京師跡成宿
訓読 荒野らに里はあれども大君の敷きます時は都となりぬ
仮名 あらのらに さとはあれども おほきみの しきますときは みやことなりぬ
  笠金村
   
  6/930
原文 海末通女 棚無小舟 榜出良之 客乃屋取尓 梶音所聞
訓読 海人娘女棚なし小舟漕ぎ出らし旅の宿りに楫の音聞こゆ
仮名 あまをとめ たななしをぶね こぎづらし たびのやどりに かぢのおときこゆ
  笠金村
   
  6/931
原文 鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻尓 朝名寸二 千重浪縁 夕菜寸二 五百重<波>因 邊津浪之 益敷布尓 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開廻有 住吉能濱
訓読 鯨魚取り 浜辺を清み うち靡き 生ふる玉藻に 朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す 辺つ波の いやしくしくに 月に異に 日に日に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い咲き廻れる 住吉の浜
仮名 いさなとり はまへをきよみ うちなびき おふるたまもに あさなぎに ちへなみよせ ゆふなぎに いほへなみよす へつなみの いやしくしくに つきにけに ひにひにみとも いまのみに あきだらめやも しらなみの いさきめぐれる すみのえのはま
  車持千年
   
  6/932
原文 白浪之 千重来縁流 住吉能 岸乃黄土粉 二寶比天由香名
訓読 白波の千重に来寄する住吉の岸の埴生ににほひて行かな
仮名 しらなみの ちへにきよする すみのえの きしのはにふに にほひてゆかな
  車持千年
   
  6/933
原文 天地之 遠我如 日月之 長我如 臨照 難波乃宮尓 和期大王 國所知良之 御食都國 日之御調等 淡路乃 野嶋之海子乃 海底 奥津伊久利二 鰒珠 左盤尓潜出 船並而 仕奉之 貴見礼者
訓読 天地の 遠きがごとく 日月の 長きがごとく おしてる 難波の宮に 我ご大君 国知らすらし 御食つ国 日の御調と 淡路の 野島の海人の 海の底 沖つ海石に 鰒玉 さはに潜き出 舟並めて 仕へ奉るし 貴し見れば
仮名 あめつちの とほきがごとく ひつきの ながきがごとく おしてる なにはのみやに わごおほきみ くにしらすらし みけつくに ひのみつきと あはぢの のしまのあまの わたのそこ おきついくりに あはびたま さはにかづきで ふねなめて つかへまつるし たふとしみれば
  山部赤人
   
  6/934
原文 朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信
訓読 朝なぎに楫の音聞こゆ御食つ国野島の海人の舟にしあるらし
仮名 あさなぎに かぢのおときこゆ みけつくに のしまのあまの ふねにしあるらし
  山部赤人
   
  6/935
原文 名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松<帆>乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三
訓読 名寸隅の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘女 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに 手弱女の 思ひたわみて たもとほり 我れはぞ恋ふる 舟楫をなみ
仮名 なきすみの ふなせゆみゆる あはぢしま まつほのうらに あさなぎに たまもかりつつ ゆふなぎに もしほやきつつ あまをとめ ありとはきけど みにゆかむ よしのなければ ますらをの こころはなしに たわやめの おもひたわみて たもとほり あれはぞこふる ふなかぢをなみ
  笠金村
   
  6/936
原文 玉藻苅 海未通女等 見尓将去 船梶毛欲得 浪高友
訓読 玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ舟楫もがも波高くとも
仮名 たまもかる あまをとめども みにゆかむ ふなかぢもがも なみたかくとも
  笠金村
   
  6/937
原文 徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美
訓読 行き廻り見とも飽かめや名寸隅の舟瀬の浜にしきる白波
仮名 ゆきめぐり みともあかめや なきすみの ふなせのはまに しきるしらなみ
  笠金村
   
  6/938
原文 八隅知之 吾大王乃 神随 高所知流 稲見野能 大海乃原笶 荒妙 藤井乃浦尓 鮪釣等 海人船散動 塩焼等 人曽左波尓有 浦乎吉美 宇倍毛釣者為 濱乎吉美 諾毛塩焼 蟻徃来 御覧母知師 清白濱
訓読 やすみしし 我が大君の 神ながら 高知らせる 印南野の 大海の原の 荒栲の 藤井の浦に 鮪釣ると 海人舟騒き 塩焼くと 人ぞさはにある 浦をよみ うべも釣りはす 浜をよみ うべも塩焼く あり通ひ 見さくもしるし 清き白浜
仮名 やすみしし わがおほきみの かむながら たかしらせる いなみのの おふみのはらの あらたへの ふぢゐのうらに しびつると あまぶねさわき しほやくと ひとぞさはにある うらをよみ うべもつりはす はまをよみ うべもしほやく ありがよひ みさくもしるし きよきしらはま
  山部赤人
   
  6/939
原文 奥浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦尓 船曽動流
訓読 沖つ波辺波静けみ漁りすと藤江の浦に舟ぞ騒ける
仮名 おきつなみ へなみしづけみ いざりすと ふぢえのうらに ふねぞさわける
  山部赤人
   
  6/940
原文 不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長<在>者 家之小篠生
訓読 印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の日長くしあれば家し偲はゆ
仮名 いなみのの あさぢおしなべ さぬるよの けながくしあれば いへししのはゆ
  山部赤人
   
  6/941
原文 明方 潮干乃道乎 従明日者 下咲異六 家近附者
訓読 明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば
仮名 あかしがた しほひのみちを あすよりは したゑましけむ いへちかづけば
  山部赤人
   
  6/942
原文 味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼々 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥
訓読 あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南嬬 辛荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み
仮名 あぢさはふ いもがめかれて しきたへの まくらもまかず かにはまき つくれるふねに まかぢぬき わがこぎくれば あはぢの のしまもすぎ いなみつま からにのしまの しまのまゆ わぎへをみれば あをやまの そこともみえず しらくもも ちへになりきぬ こぎたむる うらのことごと ゆきかくる しまのさきざき くまもおかず おもひぞわがくる たびのけながみ
  山部赤人
   
  6/943
原文 玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
訓読 玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ
仮名 たまもかる からにのしまに しまみする うにしもあれや いへおもはずあらむ
  山部赤人
   
  6/944
原文 嶋隠 吾榜来者 乏毳 倭邊上 真熊野之船
訓読 島隠り我が漕ぎ来れば羨しかも大和へ上るま熊野の船
仮名 しまがくり わがこぎくれば ともしかも やまとへのぼる まくまののふね
  山部赤人
   
  6/945
原文 風吹者 浪可将立跡 伺候尓 都太乃細江尓 浦隠居
訓読 風吹けば波か立たむとさもらひに都太の細江に浦隠り居り
仮名 かぜふけば なみかたたむと さもらひに つだのほそえに うらがくりをり
  山部赤人
   
  6/946
原文 御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奥部庭 深海松採 浦廻庭 名告藻苅 深見流乃 見巻欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二
訓読 御食向ふ 淡路の島に 直向ふ 敏馬の浦の 沖辺には 深海松採り 浦廻には なのりそ刈る 深海松の 見まく欲しけど なのりその おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし
仮名 みけむかふ あはぢのしまに ただむかふ みぬめのうらの おきへには ふかみるとり うらみには なのりそかる ふかみるの みまくほしけど なのりその おのがなをしみ まつかひも やらずてわれは いけりともなし
  山部赤人
   
  6/947
原文 為間乃海人之 塩焼衣乃 奈礼名者香 一日母君乎 忘而将念
訓読 須磨の海女の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
仮名 すまのあまの しほやききぬの なれなばか ひとひもきみを わすれておもはむ
  山部赤人
   
  6/948
原文 真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山上丹 霞田名引 高圓尓 鴬鳴沼 物部乃 八十友能<壮>者 折<木>四哭之 来継<比日 如>此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决巻毛 綾尓恐 言巻毛 湯々敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日
訓読 ま葛延ふ 春日の山は うち靡く 春さりゆくと 山の上に 霞たなびく 高円に 鴬鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁が音の 来継ぐこの頃 かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものを 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がする春を かけまくも あやに畏し 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 岩に生ふる 菅の根採りて 偲ふ草 祓へてましを 行く水に みそぎてましを 大君の 命畏み ももしきの 大宮人の 玉桙の 道にも出でず 恋ふるこの頃
仮名 まくずはふ かすがのやまは うちなびく はるさりゆくと やまのへに かすみたなびく たかまとに うぐひすなきぬ もののふの やそとものをは かりがねの きつぐこのころ かくつぎて つねにありせば ともなめて あそばむものを うまなめて ゆかましさとを まちかてに わがせしはるを かけまくも あやにかしこし いはまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねてしりせば ちどりなく そのさほがはに いはにおふる すがのねとりて しのふくさ はらへてましを ゆくみづに みそぎてましを おほきみの みことかしこみ ももしきの おほみやひとの たまほこの みちにもいでず こふるこのころ
   
  6/949
原文 梅柳 過良久惜 佐保乃内尓 遊事乎 宮動々尓
訓読 梅柳過ぐらく惜しみ佐保の内に遊びしことを宮もとどろに
仮名 うめやなぎ すぐらくをしみ さほのうちに あそびしことを みやもとどろに
   
  6/950
原文 大王之 界賜跡 山守居 守云山尓 不入者不止
訓読 大君の境ひたまふと山守据ゑ守るといふ山に入らずはやまじ
仮名 おほきみの さかひたまふと やまもりすゑ もるといふやまに いらずはやまじ
  笠金村歌集
   
  6/951
原文 見渡者 近物可良 石隠 加我欲布珠乎 不取不巳
訓読 見わたせば近きものから岩隠りかがよふ玉を取らずはやまじ
仮名 みわたせば ちかきものから いはがくり かがよふたまを とらずはやまじ
  笠金村歌集
   
  6/952
原文 韓衣 服楢乃里之 嶋待尓 玉乎師付牟 好人欲得食
訓読 韓衣着奈良の里の嶋松に玉をし付けむよき人もがも
仮名 からころも きならのさとの しままつに たまをしつけむ よきひともがも
  笠金村歌集
   
  6/953
原文 竿<壮>鹿之 鳴奈流山乎 越将去 日谷八君 當不相将有
訓読 さを鹿の鳴くなる山を越え行かむ日だにや君がはた逢はざらむ
仮名 さをしかの なくなるやまを こえゆかむ ひだにやきみが はたあはざらむ
  笠金村歌集
   
  6/954
原文 朝波 海邊尓安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母
訓読 朝は海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁し羨しも
仮名 あしたは うみへにあさりし ゆふされば やまとへこゆる かりしともしも
  膳王
   
  6/955
原文 刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君
訓読 さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君
仮名 さすたけの おほみやひとの いへとすむ さほのやまをば おもふやもきみ
  石川足人
   
  6/956
原文 八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曽念
訓読 やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ
仮名 やすみしし わがおほきみの をすくには やまともここも おやじとぞおもふ
  大伴旅人
   
  6/957
原文 去来兒等 香椎乃滷尓 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六
訓読 いざ子ども香椎の潟に白栲の袖さへ濡れて朝菜摘みてむ
仮名 いざこども かしひのかたに しろたへの そでさへぬれて あさなつみてむ
  大伴旅人
   
  6/958
原文 時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭尓 玉藻苅而名
訓読 時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな
仮名 ときつかぜ ふくべくなりぬ かしひがた しほひのうらに たまもかりてな
  小野老
   
  6/959
原文 徃還 常尓我見之 香椎滷 従明日後尓波 見縁母奈思
訓読 行き帰り常に我が見し香椎潟明日ゆ後には見むよしもなし
仮名 ゆきかへり つねにわがみし かしひがた あすゆのちには みむよしもなし
  宇努男人
   
  6/960
原文 隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧<尓> 尚不及家里
訓読 隼人の瀬戸の巌も鮎走る吉野の瀧になほしかずけり
仮名 はやひとの せとのいはほも あゆはしる よしののたきに なほしかずけり
  大伴旅人
   
  6/961
原文 湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓戀哉 時不定鳴
訓読 湯の原に鳴く葦鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く
仮名 ゆのはらに なくあしたづは あがごとく いもにこふれや ときわかずなく
  大伴旅人
   
  6/962
原文 奥山之 磐尓蘿生 恐毛 問賜鴨 念不堪國
訓読 奥山の岩に苔生し畏くも問ひたまふかも思ひあへなくに
仮名 おくやまの いはにこけむし かしこくも とひたまふかも おもひあへなくに
  葛井広成
   
  6/963
原文 大汝 小彦名能 神社者 名著始鷄目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具<佐>米七國
訓読 大汝 少彦名の 神こそば 名付けそめけめ 名のみを 名児山と負ひて 我が恋の 千重の一重も 慰めなくに
仮名 おほなむち すくなひこなの かみこそば なづけそめけめ なのみを なごやまとおひて あがこひの ちへのひとへも なぐさめなくに
  坂上郎女
   
  6/964
原文 吾背子尓 戀者苦 暇有者 拾而将去 戀忘貝
訓読 我が背子に恋ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ恋忘貝
仮名 わがせこに こふればくるし いとまあらば ひりひてゆかむ こひわすれがひ
  坂上郎女
   
  6/965
原文 凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞
訓読 おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも
仮名 おほならば かもかもせむを かしこみと ふりたきそでを しのびてあるかも
  児島
   
  6/966
原文 倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈
訓読 大和道は雲隠りたりしかれども我が振る袖をなめしと思ふな
仮名 やまとぢは くもがくりたり しかれども わがふるそでを なめしともふな
  児島
   
  6/967
原文 日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞
訓読 大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも
仮名 やまとぢの きびのこしまを すぎてゆかば つくしのこしま おもほえむかも
  大伴旅人
   
  6/968
原文 大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭
訓読 ますらをと思へる我れや水茎の水城の上に涙拭はむ
仮名 ますらをと おもへるわれや みづくきの みづきのうへに なみたのごはむ
  大伴旅人
   
  6/969
原文 須臾 去而見<壮>鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武
訓読 しましくも行きて見てしか神なびの淵はあせにて瀬にかなるらむ
仮名 しましくも ゆきてみてしか かむなびの ふちはあせにて せにかなるらむ
  大伴旅人
   
  6/970
原文 指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六
訓読 指進の栗栖の小野の萩の花散らむ時にし行きて手向けむ
仮名 ****の くるすのをのの はぎのはな ちらむときにし ゆきてたむけむ
  大伴旅人
   
  6/971
原文 白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行<公>者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬<木>成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 <公>之来益者
訓読 白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 敵守る 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道の 岡辺の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば
仮名 しらくもの たつたのやまの つゆしもに いろづくときに うちこえて たびゆくきみは いほへやま いゆきさくみ あたまもる つくしにいたり やまのそき ののそきみよと とものへを あかちつかはし やまびこの こたへむきはみ たにぐくの さわたるきはみ くにかたを めしたまひて ふゆこもり はるさりゆかば とぶとりの はやくきまさね たつたぢの をかへのみちに につつじの にほはむときの さくらばな さきなむときに やまたづの むかへまゐでむ きみがきまさば
  高橋虫麻呂
   
  6/972
原文 千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念
訓読 千万の軍なりとも言挙げせず取りて来ぬべき男とぞ思ふ
仮名 ちよろづの いくさなりとも ことあげせず とりてきぬべき をのことぞおもふ
  高橋虫麻呂
   
  6/973
原文 食國 遠乃御朝庭尓 汝等之 如是退去者 平久 吾者将遊 手抱而 我者将御在 天皇朕 宇頭乃御手以 掻撫曽 祢宜賜 打撫曽 祢宜賜 将還来日 相飲酒曽 此豊御酒者
訓読 食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平けく 我れは遊ばむ 手抱きて 我れはいまさむ 天皇我れ うづの御手もち かき撫でぞ ねぎたまふ うち撫でぞ ねぎたまふ 帰り来む日 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は
仮名 をすくにの とほのみかどに いましらが かくまかりなば たひらけく われはあそばむ たむだきて われはいまさむ すめらわれ うづのみてもち かきなでぞ ねぎたまふ うちなでぞ ねぎたまふ かへりこむひ あひのまむきぞ このとよみきは
  聖武天皇
   
  6/974
原文 大夫之 去跡云道曽 凡可尓 念而行勿 大夫之伴
訓読 大夫の行くといふ道ぞおほろかに思ひて行くな大夫の伴
仮名 ますらをの ゆくといふみちぞ おほろかに おもひてゆくな ますらをのとも
  聖武天皇
   
  6/975
原文 如是為管 在久乎好叙 霊剋 短命乎 長欲為流
訓読 かくしつつあらくをよみぞたまきはる短き命を長く欲りする
仮名 かくしつつ あらくをよみぞ たまきはる みじかきいのちを ながくほりする
  安倍広庭
   
  6/976
原文 難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待将問多米
訓読 難波潟潮干のなごりよく見てむ家なる妹が待ち問はむため
仮名 なにはがた しほひのなごり よくみてむ いへなるいもが まちとはむため
  神社老麻呂
   
  6/977
原文 直超乃 此徑尓<弖師> 押照哉 難波乃<海>跡 名附家良思<蒙>
訓読 直越のこの道にしておしてるや難波の海と名付けけらしも
仮名 ただこえの このみちにして おしてるや なにはのうみと なづけけらしも
  神社老麻呂
   
  6/978
原文 士也母 空應有 萬代尓 語續可 名者不立之而
訓読 士やも空しくあるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして
仮名 をのこやも むなしくあるべき よろづよに かたりつぐべき なはたてずして
  山上憶良
   
  6/979
原文 吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及<家>左右
訓読 我が背子が着る衣薄し佐保風はいたくな吹きそ家に至るまで
仮名 わがせこが けるきぬうすし さほかぜは いたくなふきそ いへにいたるまで
  坂上郎女
   
  6/980
原文 雨隠 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出来 夜者更降管
訓読 雨隠り御笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜はくたちつつ
仮名 あまごもり みかさのやまを たかみかも つきのいでこぬ よはくたちつつ
  安倍虫麻呂
   
  6/981
原文 猟高乃 高圓山乎 高弥鴨 出来月乃 遅将光
訓読 狩高の高円山を高みかも出で来る月の遅く照るらむ
仮名 かりたかの たかまとやまを たかみかも いでくるつきの おそくてるらむ
  坂上郎女
   
  6/982
原文 烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙
訓読 ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ
仮名 ぬばたまの よぎりのたちて おほほしく てれるつくよの みればかなしさ
  坂上郎女
   
  6/983
原文 山葉 左佐良榎<壮>子 天原 門度光 見良久之好藻
訓読 山の端のささら愛壮士天の原門渡る光見らくしよしも
仮名 やまのはの ささらえをとこ あまのはら とわたるひかり みらくしよしも
  坂上郎女
   
  6/984
原文 雲隠 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流
訓読 雲隠り去方をなみと我が恋ふる月をや君が見まく欲りする
仮名 くもがくり ゆくへをなみと あがこふる つきをやきみが みまくほりする
  豊前国娘子
   
  6/985
原文 天尓座 月讀<壮>子 幣者将為 今夜乃長者 五百夜継許増
訓読 天にます月読壮士賄はせむ今夜の長さ五百夜継ぎこそ
仮名 あめにます つくよみをとこ まひはせむ こよひのながさ いほよつぎこそ
  湯原王
   
  6/986
原文 愛也思 不遠里乃 君来跡 大能備尓鴨 月之照有
訓読 はしきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる
仮名 はしきやし まちかきさとの きみこむと おほのびにかも つきのてりたる
  湯原王
   
  6/987
原文 待難尓 余為月者 妹之著 三笠山尓 隠而有来
訓読 待ちかてに我がする月は妹が着る御笠の山に隠りてありけり
仮名 まちかてに わがするつきは いもがきる みかさのやまに こもりてありけり
  藤原八束
   
  6/988
原文 春草者 後<波>落易 巌成 常磐尓座 貴吾君
訓読 春草は後はうつろふ巌なす常盤にいませ貴き我が君
仮名 はるくさは のちはうつろふ いはほなす ときはにいませ たふときあがきみ
  市原王
   
  6/989
原文 焼刀之 加度打放 大夫之 祷豊御酒尓 吾酔尓家里
訓読 焼太刀のかど打ち放ち大夫の寿く豊御酒に我れ酔ひにけり
仮名 やきたちの かどうちはなち ますらをの ほくとよみきに われゑひにけり
  湯原王
   
  6/990
原文 茂岡尓 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歳之不知久
訓読 茂岡に神さび立ちて栄えたる千代松の木の年の知らなく
仮名 しげをかに かむさびたちて さかえたる ちよまつのきの としのしらなく
  紀鹿人
   
  6/991
原文 石走 多藝千流留 泊瀬河 絶事無 亦毛来而将見
訓読 石走りたぎち流るる泊瀬川絶ゆることなくまたも来て見む
仮名 いはばしり たぎちながるる はつせがは たゆることなく またもきてみむ
  紀鹿人
   
  6/992
原文 古郷之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳
訓読 故郷の飛鳥はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも
仮名 ふるさとの あすかはあれど あをによし ならのあすかを みらくしよしも
  坂上郎女
   
  6/993
原文 月立而 直三日月之 眉根掻 氣長戀之 君尓相有鴨
訓読 月立ちてただ三日月の眉根掻き日長く恋ひし君に逢へるかも
仮名 つきたちて ただみかづきの まよねかき けながくこひし きみにあへるかも
  坂上郎女
   
  6/994
原文 振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞
訓読 振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも
仮名 ふりさけて みかづきみれば ひとめみし ひとのまよびき おもほゆるかも
  大伴家持
   
  6/995
原文 如是為乍 遊飲與 草木尚 春者生管 秋者落去
訓読 かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく
仮名 かくしつつ あそびのみこそ くさきすら はるはさきつつ あきはちりゆく
  坂上郎女
   
  6/996
原文 御民吾 生有驗在 天地之 榮時尓 相樂念者
訓読 御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
仮名 みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆるときに あへらくおもへば
  海犬養岡麻呂
   
  6/997
原文 住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隠耳哉 戀度南
訓読 住吉の粉浜のしじみ開けもみず隠りてのみや恋ひわたりなむ
仮名 すみのえの こはまのしじみ あけもみず こもりてのみや こひわたりなむ
   
  6/998
原文 如眉 雲居尓所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛
訓読 眉のごと雲居に見ゆる阿波の山懸けて漕ぐ舟泊り知らずも
仮名 まよのごと くもゐにみゆる あはのやま かけてこぐふね とまりしらずも
  船王
   
  6/999
原文 従千<沼>廻 雨曽零来 四八津之白水郎 <綱手>乾有 沾将堪香聞
訓読 茅渟廻より雨ぞ降り来る四極の海人綱手干したり濡れもあへむかも
仮名 ちぬみより あめぞふりくる しはつのあま つなでほしたり ぬれもあへむかも
  守部王
   
  6/1000
原文 兒等之有者 二人将聞乎 奥渚尓 鳴成多頭乃 暁之聲
訓読 子らしあらばふたり聞かむを沖つ洲に鳴くなる鶴の暁の声
仮名 こらしあらば ふたりきかむを おきつすに なくなるたづの あかときのこゑ
  守部王
   
  6/1001
原文 大夫者 御<猟>尓立之 未通女等者 赤裳須素引 清濱備乎
訓読 大夫は御狩に立たし娘子らは赤裳裾引く清き浜びを
仮名 ますらをは みかりにたたし をとめらは あかもすそひく きよきはまびを
  山部赤人
   
  6/1002
原文 馬之歩 押止駐余 住吉之 岸乃黄土 尓保比而将去
訓読 馬の歩み抑へ留めよ住吉の岸の埴生ににほひて行かむ
仮名 うまのあゆみ おさへとどめよ すみのえの きしのはにふに にほひてゆかむ
  安倍豊継
   
  6/1003
原文 海D嬬 玉求良之 奥浪 恐海尓 船出為利所見
訓読 海女娘子玉求むらし沖つ波畏き海に舟出せり見ゆ
仮名 あまをとめ たまもとむらし おきつなみ かしこきうみに ふなでせりみゆ
  葛井大成
   
  6/1004
原文 不所念 来座君乎 <佐>保<川>乃 河蝦不令聞 還都流香聞
訓読 思ほえず来ましし君を佐保川のかはづ聞かせず帰しつるかも
仮名 おもほえず きまししきみを さほがはの かはづきかせず かへしつるかも
  按作益人
   
  6/1005
原文 八隅知之 我大王之 見給 芳野宮者 山高 雲曽軽引 河速弥 湍之聲曽清寸 神佐備而 見者貴久 宜名倍 見者清之 此山<乃> 盡者耳社 此河乃 絶者耳社 百師紀能 大宮所 止時裳有目
訓読 やすみしし 我が大君の 見したまふ 吉野の宮は 山高み 雲ぞたなびく 川早み 瀬の音ぞ清き 神さびて 見れば貴く よろしなへ 見ればさやけし この山の 尽きばのみこそ この川の 絶えばのみこそ ももしきの 大宮所 やむ時もあらめ
仮名 やすみしし わがおほきみの めしたまふ よしののみやは やまたかみ くもぞたなびく かははやみ せのおとぞきよき かむさびて みればたふとき よろしなへ みればさやけし このやまの つきばのみこそ このかはの たえばのみこそ ももしきの おほみやところ やむときもあらめ
  山部赤人
   
  6/1006
原文 自神代 芳野宮尓 蟻通 高所知者 山河乎吉三
訓読 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川をよみ
仮名 かむよより よしののみやに ありがよひ たかしらせるは やまかはをよみ
  山部赤人
   
  6/1007
原文 言不問 木尚妹與兄 有云乎 直獨子尓 有之苦者
訓読 言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しさ
仮名 こととはぬ きすらいもとせと ありといふを ただひとりこに あるがくるしさ
  市原王
   
  6/1008
原文 山之葉尓 不知世經月乃 将出香常 我待君之 夜者更降管
訓読 山の端にいさよふ月の出でむかと我が待つ君が夜はくたちつつ
仮名 やまのはに いさよふつきの いでむかと わがまつきみが よはくたちつつ
  忌部黒麻呂
   
  6/1009
原文 橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之<樹>
訓読 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木
仮名 たちばなは みさへはなさへ そのはさへ えにしもふれど いやとこはのき
  聖武天皇
   
  6/1010
原文 奥山之 真木葉凌 零雪乃 零者雖益 地尓落目八方
訓読 奥山の真木の葉しのぎ降る雪の降りは増すとも地に落ちめやも
仮名 おくやまの まきのはしのぎ ふるゆきの ふりはますとも つちにおちめやも
  橘奈良麻呂
   
  6/1011
原文 我屋戸之 梅咲有跡 告遣者 来云似有 散去十方吉
訓読 我が宿の梅咲きたりと告げ遣らば来と言ふに似たり散りぬともよし
仮名 わがやどの うめさきたりと つげやらば こといふににたり ちりぬともよし
   
  6/1012
原文 春去者 乎呼理尓乎呼里 鴬<之 鳴>吾嶋曽 不息通為
訓読 春さればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ
仮名 はるされば ををりにををり うぐひすの なくわがしまぞ やまずかよはせ
   
  6/1013
原文 豫 公来座武跡 知麻世婆 門尓屋戸尓毛 珠敷益乎
訓読 あらかじめ君来まさむと知らませば門に宿にも玉敷かましを
仮名 あらかじめ きみきまさむと しらませば かどにやどにも たましかましを
  門部王
   
  6/1014
原文 前日毛 昨日毛<今>日毛 雖見 明日左倍見巻 欲寸君香聞
訓読 一昨日も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも
仮名 をとつひも きのふもけふも みつれども あすさへみまく ほしききみかも
  橘文成
   
  6/1015
原文 玉敷而 待益欲利者 多鷄蘇香仁 来有今夜四 樂所念
訓読 玉敷きて待たましよりはたけそかに来る今夜し楽しく思ほゆ
仮名 たましきて またましよりは たけそかに きたるこよひし たのしくおもほゆ
  榎井王
   
  6/1016
原文 海原之 遠渡乎 遊士之 遊乎将見登 莫津左比曽来之
訓読 海原の遠き渡りを風流士の遊ぶを見むとなづさひぞ来し
仮名 うなはらの とほきわたりを みやびをの あそぶをみむと なづさひぞこし
   
  6/1017
原文 木綿疊 手向乃山乎 今日<越>而 何野邊尓 廬将為<吾>等
訓読 木綿畳手向けの山を今日越えていづれの野辺に廬りせむ我れ
仮名 ゆふたたみ たむけのやまを けふこえて いづれののへに いほりせむわれ
  坂上郎女
   
  6/1018
原文 白珠者 人尓不所知 不知友縦 雖不知 吾之知有者 不知友任意
訓読 白玉は人に知らえず知らずともよし知らずとも我れし知れらば知らずともよし
仮名 しらたまは ひとにしらえず しらずともよし しらずとも われししれらば しらずともよし
  元興寺僧
   
  6/1019
原文 石上 振乃尊者 弱女乃 或尓縁而 馬自物 縄取附 肉自物 弓笶圍而 王 命恐 天離 夷部尓退 古衣 又打山従 還来奴香聞
訓読 石上 布留の命は 手弱女の 惑ひによりて 馬じもの 縄取り付け 獣じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣 真土の山ゆ 帰り来ぬかも
仮名 いそのかみ ふるのみことは たわやめの まどひによりて うまじもの なはとりつけ ししじもの ゆみやかくみて おほきみの みことかしこみ あまざかる ひなへにまかる ふるころも まつちのやまゆ かへりこぬかも
   
  6/1020
原文 王 命恐見 刺<並> 國尓出座 <愛>耶 吾背乃公<矣>
訓読 大君の 命畏み さし並ぶ 国に出でます はしきやし 我が背の君を
仮名 おほきみの みことかしこみ さしならぶ くににいでます はしきやし わがせのきみを
   
  6/1021
原文 繋巻裳 湯々石恐石 住吉乃 荒人神 <船>舳尓 牛吐賜 付賜将 嶋之<埼>前 依賜将 礒乃埼前 荒浪 風尓不<令>遇 <莫>管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部尓
訓読 かけまくも ゆゆし畏し 住吉の 現人神 船舳に うしはきたまひ 着きたまはむ 島の崎々 寄りたまはむ 磯の崎々 荒き波 風にあはせず 障みなく 病あらせず 速けく 帰したまはね もとの国辺に
仮名 かけまくも ゆゆしかしこし すみのえの あらひとがみ ふなのへに うしはきたまひ つきたまはむ しまのさきざき よりたまはむ いそのさきざき あらきなみ かぜにあはせず つつみなく やまひあらせず すむやけく かへしたまはね もとのくにへに
   
  6/1022
原文 父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙 参昇 八十氏人乃 手向<為> 恐乃坂尓 <幣>奉 吾者叙追 遠杵土左道矣
訓読 父君に 我れは愛子ぞ 母刀自に 我れは愛子ぞ 参ゐ上る 八十氏人の 手向けする 畏の坂に 幣奉り 我れはぞ追へる 遠き土佐道を
仮名 ちちぎみに われはまなごぞ ははとじに われはまなごぞ まゐのぼる やそうぢひとの たむけする かしこのさかに ぬさまつり われはぞおへる とほきとさぢを
   
  6/1023
原文 大埼乃 神之小濱者 雖小 百船<純>毛 過迹云莫國
訓読 大崎の神の小浜は狭けども百舟人も過ぐと言はなくに
仮名 おほさきの かみのをばまは せばけども ももふなびとも すぐといはなくに
   
  6/1024
原文 長門有 奥津借嶋 奥真經而 吾念君者 千歳尓母我毛
訓読 長門なる沖つ借島奥まへて我が思ふ君は千年にもがも
仮名 ながとなる おきつかりしま おくまへて あがもふきみは ちとせにもがも
  巨曽倍對馬
   
  6/1025
原文 奥真經而 吾乎念流 吾背子者 千<年>五百歳 有巨勢奴香聞
訓読 奥まへて我れを思へる我が背子は千年五百年ありこせぬかも
仮名 おくまへて われをおもへる わがせこは ちとせいほとせ ありこせぬかも
  橘諸兄
   
  6/1026
原文 百礒城乃 大宮人者 今日毛鴨 暇<无>跡 里尓不<出>将有
訓読 ももしきの大宮人は今日もかも暇をなみと里に出でずあらむ
仮名 ももしきの おほみやひとは けふもかも いとまをなみと さとにいでずあらむ
  豊島采女
   
  6/1027
原文 橘 本尓道履 八衢尓 物乎曽念 人尓不所知
訓読 橘の本に道踏む八衢に物をぞ思ふ人に知らえず
仮名 たちばなの もとにみちふむ やちまたに ものをぞおもふ ひとにしらえず
  豊島采女
   
  6/1028
原文 大夫之 高圓山尓 迫有者 里尓下来流 牟射佐i曽此
訓読 ますらをの高円山に迫めたれば里に下り来るむざさびぞこれ
仮名 ますらをの たかまとやまに せめたれば さとにおりける むざさびぞこれ
  坂上郎女
   
  6/1029
原文 河口之 野邊尓廬而 夜乃歴者 妹之手本師 所念鴨
訓読 河口の野辺に廬りて夜の経れば妹が手本し思ほゆるかも
仮名 かはぐちの のへにいほりて よのふれば いもがたもとし おもほゆるかも
  大伴家持
   
  6/1030
原文 妹尓戀 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡
訓読 妹に恋ひ吾の松原見わたせば潮干の潟に鶴鳴き渡る
仮名 いもにこひ あがのまつばら みわたせば しほひのかたに たづなきわたる
  聖武天皇
   
  6/1031
原文 後尓之 <人>乎思久 四泥能埼 木綿取之泥而 <好>住跡其念
訓読 後れにし人を思はく思泥の崎木綿取り垂でて幸くとぞ思ふ
仮名 おくれにし ひとをおもはく しでのさき ゆふとりしでて さきくとぞおもふ
  丹比屋主
   
  6/1032
原文 天皇之 行幸之随 吾妹子之 手枕不巻 月曽歴去家留
訓読 大君の行幸のまにま我妹子が手枕まかず月ぞ経にける
仮名 おほきみの みゆきのまにま わぎもこが たまくらまかず つきぞへにける
  大伴家持
   
  6/1033
原文 御食國 志麻乃海部有之 真熊野之 小船尓乗而 奥部榜所見
訓読 御食つ国志摩の海人ならしま熊野の小舟に乗りて沖へ漕ぐ見ゆ
仮名 みけつくに しまのあまならし まくまのの をぶねにのりて おきへこぐみゆ
  大伴家持
   
  6/1034
原文 従古 人之言来流 老人之 <變>若云水曽 名尓負瀧之瀬
訓読 いにしへゆ人の言ひ来る老人の変若つといふ水ぞ名に負ふ瀧の瀬
仮名 いにしへゆ ひとのいひける おいひとの をつといふみづぞ なにおふたきのせ
  大伴東人
   
  6/1035
原文 田跡河之 瀧乎清美香 従古 <官>仕兼 多藝乃野之上尓
訓読 田跡川の瀧を清みかいにしへゆ宮仕へけむ多芸の野の上に
仮名 たどかはの たきをきよみか いにしへゆ みやつかへけむ たぎのののへに
  大伴家持
   
  6/1036
原文 關無者 還尓谷藻 打行而 妹之手枕 巻手宿益乎
訓読 関なくは帰りにだにもうち行きて妹が手枕まきて寝ましを
仮名 せきなくは かへりにだにも うちゆきて いもがたまくら まきてねましを
  大伴家持
   
  6/1037
原文 今造 久<邇>乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之
訓読 今造る久迩の都は山川のさやけき見ればうべ知らすらし
仮名 いまつくる くにのみやこは やまかはの さやけきみれば うべしらすらし
  大伴家持
   
  6/1038
原文 故郷者 遠毛不有 一重山 越我可良尓 念曽吾世思
訓読 故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞ我がせし
仮名 ふるさとは とほくもあらず ひとへやま こゆるがからに おもひぞわがせし
  高丘河内
   
  6/1039
原文 吾背子與 二人之居者 山高 里尓者月波 不曜十方余思
訓読 我が背子とふたりし居らば山高み里には月は照らずともよし
仮名 わがせこと ふたりしをらば やまたかみ さとにはつきは てらずともよし
  高丘河内
   
  6/1040
原文 久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戸尓今夜者 明而将去
訓読 ひさかたの雨は降りしけ思ふ子がやどに今夜は明かして行かむ
仮名 ひさかたの あめはふりしけ おもふこが やどにこよひは あかしてゆかむ
  大伴家持
   
  6/1041
原文 吾屋戸乃 君松樹尓 零雪<乃> 行者不去 待西将待
訓読 我がやどの君松の木に降る雪の行きには行かじ待にし待たむ
仮名 わがやどの きみまつのきに ふるゆきの ゆきにはゆかじ まちにしまたむ
   
  6/1042
原文 一松 幾代可歴流 吹風乃 聲之清者 年深香聞
訓読 一つ松幾代か経ぬる吹く風の音の清きは年深みかも
仮名 ひとつまつ いくよかへぬる ふくかぜの おとのきよきは としふかみかも
  市原王
   
  6/1043
原文 霊剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曽念
訓読 たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ
仮名 たまきはる いのちはしらず まつがえを むすぶこころは ながくとぞおもふ
  大伴家持
   
  6/1044
原文 紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉
訓読 紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき
仮名 くれなゐに ふかくしみにし こころかも ならのみやこに としのへぬべき
   
  6/1045
原文 世間乎 常無物跡 今曽知 平城京師之 移徙見者
訓読 世間を常なきものと今ぞ知る奈良の都のうつろふ見れば
仮名 よのなかを つねなきものと いまぞしる ならのみやこの うつろふみれば
   
  6/1046
原文 石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
訓読 岩綱のまた変若ちかへりあをによし奈良の都をまたも見むかも
仮名 いはつなの またをちかへり あをによし ならのみやこを またもみむかも
   
  6/1047
原文 八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國尓之有者 阿礼将座 御子之嗣継 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春尓之成者 春日山 御笠之野邊尓 櫻花 木晩牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去来者 射駒山 飛火賀<す>丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狭男<壮>鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思<煎>敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮将徃迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 皇之 引乃真尓真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒尓異類香聞
訓読 やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国は すめろきの 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万 千年を兼ねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 御笠の野辺に 桜花 木の暗隠り 貌鳥は 間なくしば鳴く 露霜の 秋さり来れば 生駒山 飛火が岳に 萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば 山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の うちはへて 思へりしくは 天地の 寄り合ひの極み 万代に 栄えゆかむと 思へりし 大宮すらを 頼めりし 奈良の都を 新代の ことにしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の うつろひ変り 群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも
仮名 やすみしし わがおほきみの たかしかす やまとのくには すめろきの かみのみよより しきませる くににしあれば あれまさむ みこのつぎつぎ あめのした しらしまさむと やほよろづ ちとせをかねて さだめけむ ならのみやこは かぎろひの はるにしなれば かすがやま みかさののへに さくらばな このくれがくり かほどりは まなくしばなく つゆしもの あきさりくれば いこまやま とぶひがたけに はぎのえを しがらみちらし さをしかは つまよびとよむ やまみれば やまもみがほし さとみれば さともすみよし もののふの やそとものをの うちはへて おもへりしくは あめつちの よりあひのきはみ よろづよに さかえゆかむと おもへりし おほみやすらを たのめりし ならのみやこを あらたよの ことにしあれば おほきみの ひきのまにまに はるはなの うつろひかはり むらとりの あさだちゆけば さすたけの おほみやひとの ふみならし かよひしみちは うまもゆかず ひともゆかねば あれにけるかも
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1048
原文 立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生尓異<煎>
訓読 たち変り古き都となりぬれば道の芝草長く生ひにけり
仮名 たちかはり ふるきみやこと なりぬれば みちのしばくさ ながくおひにけり
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1049
原文 名付西 奈良乃京之 荒行者 出立毎尓 嘆思益
訓読 なつきにし奈良の都の荒れゆけば出で立つごとに嘆きし増さる
仮名 なつきにし ならのみやこの あれゆけば いでたつごとに なげきしまさる
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1050
原文 明津神 吾皇之 天下 八嶋之中尓 國者霜 多雖有 里者霜 澤尓雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合郷跡 山代乃 鹿脊山際尓 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音叙清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響尓 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁尓 巌者 花開乎呼理 痛A怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曽 吾大王者 君之随 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜
訓読 現つ神 我が大君の 天の下 八島の内に 国はしも さはにあれども 里はしも さはにあれども 山なみの よろしき国と 川なみの たち合ふ里と 山背の 鹿背山の際に 宮柱 太敷きまつり 高知らす 布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音響む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば 岡辺も繁に 巌には 花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ 吾が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも
仮名 あきつかみ わがおほきみの あめのした やしまのうちに くにはしも さはにあれども さとはしも さはにあれども やまなみの よろしきくにと かはなみの たちあふさとと やましろの かせやまのまに みやばしら ふとしきまつり たかしらす ふたぎのみやは かはちかみ せのおとぞきよき やまちかみ とりがねとよむ あきされば やまもとどろに さをしかは つまよびとよめ はるされば をかへもしじに いはほには はなさきををり あなあはれ ふたぎのはら いとたふと おほみやところ うべしこそ わがおほきみは きみながら きかしたまひて さすたけの おほみやここと さだめけらしも
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1051
原文 三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處 [一云 此跡標刺] 定異等霜
訓読 三香の原布当の野辺を清みこそ大宮所 [一云 ここと標刺し] 定めけらしも
仮名 みかのはら ふたぎののへを きよみこそ おほみやところ [こことしめさし] さだめけらしも
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1052
原文 <山>高来 川乃湍清石 百世左右 神之味将<徃> 大宮所
訓読 山高く川の瀬清し百代まで神しみゆかむ大宮所
仮名 やまたかく かはのせきよし ももよまで かむしみゆかむ おほみやところ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1053
原文 吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鴬乃 来鳴春部者 巌者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左<壮>鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具礼乎疾 狭丹頬歴 黄葉散乍 八千年尓 安礼衝之乍 天下 所知食跡 百代尓母 不可易 大宮處
訓読 吾が大君 神の命の 高知らす 布当の宮は 百木盛り 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し 鴬の 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生れ付かしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変るましじき 大宮所
仮名 わがおほきみ かみのみことの たかしらす ふたぎのみやは ももきもり やまはこだかし おちたぎつ せのおともきよし うぐひすの きなくはるへは いはほには やましたひかり にしきなす はなさきををり さをしかの つまよぶあきは あまぎらふ しぐれをいたみ さにつらふ もみちちりつつ やちとせに あれつかしつつ あめのした しらしめさむと ももよにも かはるましじき おほみやところ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1054
原文 泉<川> 徃瀬乃水之 絶者許曽 大宮地 遷徃目
訓読 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所移ろひ行かめ
仮名 いづみがは ゆくせのみづの たえばこそ おほみやところ うつろひゆかめ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1055
原文 布當山 山並見者 百代尓毛 不可易 大宮處
訓読 布当山山なみ見れば百代にも変るましじき大宮所
仮名 ふたぎやま やまなみみれば ももよにも かはるましじき おほみやところ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1056
原文 D嬬等之 續麻繁云 鹿脊之山 時之徃<者> 京師跡成宿
訓読 娘子らが続麻懸くといふ鹿背の山時しゆければ都となりぬ
仮名 をとめらが うみをかくといふ かせのやま ときしゆければ みやことなりぬ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1057
原文 鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鴬之音
訓読 鹿背の山木立を茂み朝さらず来鳴き響もす鴬の声
仮名 かせのやま こだちをしげみ あささらず きなきとよもす うぐひすのこゑ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1058
原文 狛山尓 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間尓不通 [一云 渡遠哉 不通<有>武]
訓読 狛山に鳴く霍公鳥泉川渡りを遠みここに通はず [一云 渡り遠みか通はずあるらむ]
仮名 こまやまに なくほととぎす いづみがは わたりをとほみ ここにかよはず [わたりとほみか かよはずあるらむ]
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1059
原文 三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀬清 在吉迹 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里尓四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際尓 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在<杲>石 住吉里乃 荒樂苦惜哭
訓読 三香の原 久迩の都は 山高み 川の瀬清み 住みよしと 人は言へども ありよしと 我れは思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人も通はず 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか みもろつく 鹿背山の際に 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしく ありが欲し 住みよき里の 荒るらく惜しも
仮名 みかのはら くにのみやこは やまたかみ かはのせきよみ すみよしと ひとはいへども ありよしと われはおもへど ふりにし さとにしあれば くにみれど ひともかよはず さとみれば いへもあれたり はしけやし かくありけるか みもろつく かせやまのまに さくはなの いろめづらしく ももとりの こゑなつかしく ありがほし すみよきさとの あるらくをしも
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1060
原文 三香原 久邇乃京者 荒去家里 大宮人乃 遷去礼者
訓読 三香の原久迩の都は荒れにけり大宮人のうつろひぬれば
仮名 みかのはら くにのみやこは あれにけり おほみやひとの うつろひぬれば
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1061
原文 咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人叙 立易<奚>流
訓読 咲く花の色は変らずももしきの大宮人ぞたち変りける
仮名 さくはなの いろはかはらず ももしきの おほみやひとぞ たちかはりける
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1062
原文 安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲糝 夕薙丹 櫂合之聲所聆 暁之 寐覺尓聞者 海石之 塩干乃共 <汭>渚尓波 千鳥妻呼 葭部尓波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視巻欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞
訓読 やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は 鯨魚取り 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を清み 朝羽振る 波の音騒き 夕なぎに 楫の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば 海石の 潮干の共 浦洲には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音響む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする 御食向ふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも
仮名 やすみしし わがおほきみの ありがよふ なにはのみやは いさなとり うみかたづきて たまひりふ はまへをきよみ あさはふる なみのおとさわく ゆふなぎに かぢのおときこゆ あかときの ねざめにきけば いくりの しほひのむた うらすには ちどりつまよび あしへには たづがねとよむ みるひとの かたりにすれば きくひとの みまくほりする みけむかふ あぢふのみやは みれどあかぬかも
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1063
原文 有通 難波乃宮者 海近見 <漁>童女等之 乗船所見
訓読 あり通ふ難波の宮は海近み海人娘子らが乗れる舟見ゆ
仮名 ありがよふ なにはのみやは うみちかみ あまをとめらが のれるふねみゆ
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1064
原文 塩干者 葦邊尓糝 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二
訓読 潮干れば葦辺に騒く白鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに
仮名 しほふれば あしへにさわく しらたづの つまよぶこゑは みやもとどろに
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1065
原文 八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風尓 浦浪左和寸 夕浪尓 玉藻者来依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人毎尓 語嗣 偲家良思吉 百世歴而 所偲将徃 清白濱
訓読 八千桙の 神の御代より 百舟の 泊つる泊りと 八島国 百舟人の 定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂 清き浜辺は 行き帰り 見れども飽かず うべしこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲ひけらしき 百代経て 偲はえゆかむ 清き白浜
仮名 やちほこの かみのみよより ももふねの はつるとまりと やしまくに ももふなびとの さだめてし みぬめのうらは あさかぜに うらなみさわき ゆふなみに たまもはきよる しらまなご きよきはまへは ゆきかへり みれどもあかず うべしこそ みるひとごとに かたりつぎ しのひけらしき ももよへて しのはえゆかむ きよきしらはま
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1066
原文 真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有<七>國
訓読 まそ鏡敏馬の浦は百舟の過ぎて行くべき浜ならなくに
仮名 まそかがみ みぬめのうらは ももふねの すぎてゆくべき はまならなくに
  田辺福麻呂歌集
   
  6/1067
原文 濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱
訓読 浜清み浦うるはしみ神代より千舟の泊つる大和太の浜
仮名 はまきよみ うらうるはしみ かむよより ちふねのはつる おほわだのはま
  田辺福麻呂歌集
   

第七巻

   
   7/1068
原文 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
仮名 あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1069
原文 常者曽 不念物乎 此月之 過匿巻 惜夕香裳
訓読 常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも
仮名 つねはさね おもはぬものを このつきの すぎかくらまく をしきよひかも
   
  7/1070
原文 大夫之 弓上振起 <猟>高之 野邊副清 照月夜可聞
訓読 大夫の弓末振り起し狩高の野辺さへ清く照る月夜かも
仮名 ますらをの ゆずゑふりおこし かりたかの のへさへきよく てるつくよかも
   
  7/1071
原文 山末尓 不知夜歴月乎 将出香登 待乍居尓 夜曽降家類
訓読 山の端にいさよふ月を出でむかと待ちつつ居るに夜ぞ更けにける
仮名 やまのはに いさよふつきを いでむかと まちつつをるに よぞふけにける
   
  7/1072
原文 明日之夕 将照月夜者 片因尓 今夜尓因而 夜長有
訓読 明日の宵照らむ月夜は片寄りに今夜に寄りて夜長くあらなむ
仮名 あすのよひ てらむつくよは かたよりに こよひによりて よながくあらなむ
   
  7/1073
原文 玉垂之 小簾之間通 獨居而 見驗無 暮月夜鴨
訓読 玉垂の小簾の間通しひとり居て見る験なき夕月夜かも
仮名 たまだれの をすのまとほし ひとりゐて みるしるしなき ゆふつくよかも
   
  7/1074
原文 春日山 押而照有 此月者 妹之庭母 清有家里
訓読 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさやけくありけり
仮名 かすがやま おしててらせる このつきは いもがにはにも さやけくありけり
   
  7/1075
原文 海原之 道遠鴨 月讀 明少 夜者更下乍
訓読 海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ
仮名 うなはらの みちとほみかも つくよみの ひかりすくなき よはふけにつつ
   
  7/1076
原文 百師木之 大宮人之 退出而 遊今夜之 月清左
訓読 ももしきの大宮人の罷り出て遊ぶ今夜の月のさやけさ
仮名 ももしきの おほみやひとの まかりでて あそぶこよひの つきのさやけさ
   
  7/1077
原文 夜干玉之 夜渡月乎 将留尓 西山邊尓 <塞>毛有粳毛
訓読 ぬばたまの夜渡る月を留めむに西の山辺に関もあらぬかも
仮名 ぬばたまの よわたるつきを とどめむに にしのやまへに せきもあらぬかも
   
  7/1078
原文 此月之 此間来者 且今跡香毛 妹之出立 待乍将有
訓読 この月のここに来たれば今とかも妹が出で立ち待ちつつあるらむ
仮名 このつきの ここにきたれば いまとかも いもがいでたち まちつつあるらむ
   
  7/1079
原文 真十鏡 可照月乎 白妙乃 雲香隠流 天津霧鴨
訓読 まそ鏡照るべき月を白栲の雲か隠せる天つ霧かも
仮名 まそかがみ てるべきつきを しろたへの くもかかくせる あまつきりかも
   
  7/1080
原文 久方乃 天照月者 神代尓加 出反等六 年者經去乍
訓読 ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ
仮名 ひさかたの あまてるつきは かむよにか いでかへるらむ としはへにつつ
   
  7/1081
原文 烏玉之 夜渡月乎 A怜 吾居袖尓 露曽置尓鷄類
訓読 ぬばたまの夜渡る月をおもしろみ我が居る袖に露ぞ置きにける
仮名 ぬばたまの よわたるつきを おもしろみ わがをるそでに つゆぞおきにける
   
  7/1082
原文 水底之 玉障清 可見裳 照月夜鴨 夜之深去者
訓読 水底の玉さへさやに見つべくも照る月夜かも夜の更けゆけば
仮名 みなそこの たまさへさやに みつべくも てるつくよかも よのふけゆけば
   
  7/1083
原文 霜雲入 為登尓可将有 久堅之 夜<渡>月乃 不見念者
訓読 霜曇りすとにかあるらむ久方の夜渡る月の見えなく思へば
仮名 しもぐもり すとにかあるらむ ひさかたの よわたるつきの みえなくおもへば
   
  7/1084
原文 山末尓 不知夜經月乎 何時母 吾待将座 夜者深去乍
訓読 山の端にいさよふ月をいつとかも我は待ち居らむ夜は更けにつつ
仮名 やまのはに いさよふつきを いつとかも わはまちをらむ よはふけにつつ
   
  7/1085
原文 妹之當 吾袖将振 木間従 出来月尓 雲莫棚引
訓読 妹があたり我が袖振らむ木の間より出で来る月に雲なたなびき
仮名 いもがあたり わはそでふらむ このまより いでくるつきに くもなたなびき
   
  7/1086
原文 靱懸流 伴雄廣伎 大伴尓 國将榮常 月者照良思
訓読 靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし
仮名 ゆきかくる とものをひろき おほともに くにさかえむと つきはてるらし
   
  7/1087
原文 痛足河 々浪立奴 巻目之 由槻我高仁 雲居立有良志
訓読 穴師川川波立ちぬ巻向の弓月が岳に雲居立てるらし
仮名 あなしがは かはなみたちぬ まきむくの ゆつきがたけに くもゐたてるらし
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1088
原文 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡
訓読 あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
仮名 あしひきの やまがはのせの なるなへに ゆつきがたけに くもたちわたる
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1089
原文 大海尓 嶋毛不在尓 海原 絶塔浪尓 立有白雲
訓読 大海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲
仮名 おほうみに しまもあらなくに うなはらの たゆたふなみに たてるしらくも
   
  7/1090
原文 吾妹子之 赤裳裙之 将染埿 今日之W霂尓 吾共所沾<名>
訓読 我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
仮名 わぎもこが あかものすその ひづちなむ けふのこさめに われさへぬれな
   
  7/1091
原文 可融 雨者莫零 吾妹子之 形見之服 吾下尓著有
訓読 通るべく雨はな降りそ我妹子が形見の衣我れ下に着り
仮名 とほるべく あめはなふりそ わぎもこが かたみのころも あれしたにけり
   
  7/1092
原文 動神之 音耳聞 巻向之 桧原山乎 今日見鶴鴨
訓読 鳴る神の音のみ聞きし巻向の桧原の山を今日見つるかも
仮名 なるかみの おとのみききし まきむくの ひはらのやまを けふみつるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1093
原文 三毛侶之 其山奈美尓 兒等手乎 巻向山者 継之宜霜
訓読 三諸のその山なみに子らが手を巻向山は継ぎしよろしも
仮名 みもろの そのやまなみに こらがてを まきむくやまは つぎしよろしも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1094
原文 我衣 色<取>染 味酒 三室山 黄葉為在
訓読 我が衣色取り染めむ味酒三室の山は黄葉しにけり
仮名 あがころも いろどりそめむ うまさけ みむろのやまは もみちしにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1095
原文 三諸就 三輪山見者 隠口乃 始瀬之桧原 所念鴨
訓読 三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも
仮名 みもろつく みわやまみれば こもりくの はつせのひはら おもほゆるかも
   
  7/1096
原文 昔者之 事波不知乎 我見而毛 久成奴 天之香具山
訓読 いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山
仮名 いにしへの ことはしらぬを われみても ひさしくなりぬ あめのかぐやま
   
  7/1097
原文 吾勢子乎 乞許世山登 人者雖云 君毛不来益 山之名尓有之
訓読 我が背子をこち巨勢山と人は言へど君も来まさず山の名にあらし
仮名 わがせこを こちこせやまと ひとはいへど きみもきまさず やまのなにあらし
   
  7/1098
原文 木道尓社 妹山在云 <玉>櫛上 二上山母 妹許曽有来
訓読 紀道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ
仮名 きぢにこそ いもやまありといへ たまくしげ ふたかみやまも いもこそありけれ
   
  7/1099
原文 片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将<化>疑
訓読 片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか
仮名 かたをかの このむかつをに しひまかば ことしのなつの かげにならむか
   
  7/1100
原文 巻向之 病足之川由 徃水之 絶事無 又反将見
訓読 巻向の穴師の川ゆ行く水の絶ゆることなくまたかへり見む
仮名 まきむくの あなしのかはゆ ゆくみづの たゆることなく またかへりみむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1101
原文 黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾
訓読 ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しもあらしかも疾き
仮名 ぬばたまの よるさりくれば まきむくの かはとたかしも あらしかもとき
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1102
原文 大王之 御笠山之 帶尓為流 細谷川之 音乃清也
訓読 大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音のさやけさ
仮名 おほきみの みかさのやまの おびにせる ほそたにがはの おとのさやけさ
   
  7/1103
原文 今敷者 見目屋跡念之 三芳野之 大川余杼乎 今日見鶴鴨
訓読 今しくは見めやと思ひしみ吉野の大川淀を今日見つるかも
仮名 いましくは みめやとおもひし みよしのの おほかはよどを けふみつるかも
   
  7/1104
原文 馬並而 三芳野河乎 欲見 打越来而曽 瀧尓遊鶴
訓読 馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
仮名 うまなめて みよしのがはを みまくほり うちこえきてぞ たきにあそびつる
   
  7/1105
原文 音聞 目者末見 吉野川 六田之与杼乎 今日見鶴鴨
訓読 音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
仮名 おとにきき めにはいまだみぬ よしのがは むつたのよどを けふみつるかも
   
  7/1106
原文 河豆鳴 清川原乎 今日見而者 何時可越来而 見乍偲食
訓読 かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ
仮名 かはづなく きよきかはらを けふみては いつかこえきて みつつしのはむ
   
  7/1107
原文 泊瀬川 白木綿花尓 堕多藝都 瀬清跡 見尓来之吾乎
訓読 泊瀬川白木綿花に落ちたぎつ瀬をさやけみと見に来し我れを
仮名 はつせがは しらゆふはなに おちたぎつ せをさやけみと みにこしわれを
   
  7/1108
原文 泊瀬川 流水尾之 湍乎早 井提越浪之 音之清久
訓読 泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく
仮名 はつせがは ながるるみをの せをはやみ ゐでこすなみの おとのきよけく
   
  7/1109
原文 佐桧乃熊 桧隅川之 瀬乎早 君之手取者 将縁言毳
訓読 さ桧の隈桧隈川の瀬を早み君が手取らば言寄せむかも
仮名 さひのくま ひのくまがはの せをはやみ きみがてとらば ことよせむかも
   
  7/1110
原文 湯種蒔 荒木之小田矣 求跡 足結出所沾 此水之湍尓
訓読 ゆ種蒔くあらきの小田を求めむと足結ひ出で濡れぬこの川の瀬に
仮名 ゆだねまく あらきのをだを もとめむと あゆひいでぬれぬ このかはのせに
   
  7/1111
原文 古毛 如此聞乍哉 偲兼 此古河之 清瀬之音矣
訓読 いにしへもかく聞きつつか偲ひけむこの布留川の清き瀬の音を
仮名 いにしへも かくききつつか しのひけむ このふるがはの きよきせのとを
   
  7/1112
原文 波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左
訓読 はねかづら今する妹をうら若みいざ率川の音のさやけさ
仮名 はねかづら いまするいもを うらわかみ いざいさかはの おとのさやけさ
   
  7/1113
原文 此小川 白氣結 瀧至 八信井上尓 事上不為友
訓読 この小川霧ぞ結べるたぎちゆく走井の上に言挙げせねども
仮名 このをがは きりぞむすべる たぎちたる はしりゐのへに ことあげせねども
   
  7/1114
原文 吾紐乎 妹手以而 結八川 又還見 万代左右荷
訓読 我が紐を妹が手もちて結八川またかへり見む万代までに
仮名 わがひもを いもがてもちて ゆふやがは またかへりみむ よろづよまでに
   
  7/1115
原文 妹之紐 結八<河>内乎 古之 并人見等 此乎誰知
訓読 妹が紐結八河内をいにしへのみな人見きとここを誰れ知る
仮名 いもがひも ゆふやかふちを いにしへの みなひとみきと ここをたれしる
   
  7/1116
原文 烏玉之 吾黒髪尓 落名積 天之露霜 取者消乍
訓読 ぬばたまの我が黒髪に降りなづむ天の露霜取れば消につつ
仮名 ぬばたまの わがくろかみに ふりなづむ あめのつゆしも とればけにつつ
   
  7/1117
原文 嶋廻為等 礒尓見之花 風吹而 波者雖縁 不取不止
訓読 島廻すと磯に見し花風吹きて波は寄すとも採らずはやまじ
仮名 しまみすと いそにみしはな かぜふきて なみはよすとも とらずはやまじ
   
  7/1118
原文 古尓 有險人母 如吾等架 弥和乃桧原尓 挿頭折兼
訓読 いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ
仮名 いにしへに ありけむひとも わがごとか みわのひはらに かざしをりけむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1119
原文 徃川之 過去人之 手不折者 裏觸立 三和之桧原者
訓読 行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は
仮名 ゆくかはの すぎにしひとの たをらねば うらぶれたてり みわのひはらは
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1120
原文 三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰将織 經緯無二
訓読 み吉野の青根が岳の蘿むしろ誰れか織りけむ経緯なしに
仮名 みよしのの あをねがたけの こけむしろ たれかおりけむ たてぬきなしに
   
  7/1121
原文 妹<等所> 我通路 細竹為酢寸 我通 靡細竹原
訓読 妹らがり我が通ひ道の小竹すすき我れし通はば靡け小竹原
仮名 いもらがり わがかよひぢの しのすすき われしかよはば なびけしのはら
   
  7/1122
原文 山際尓 渡秋沙乃 <行>将居 其河瀬尓 浪立勿湯目
訓読 山の際に渡るあきさの行きて居むその川の瀬に波立つなゆめ
仮名 やまのまに わたるあきさの ゆきてゐむ そのかはのせに なみたつなゆめ
   
  7/1123
原文 佐保河之 清河原尓 鳴<知>鳥 河津跡二 忘金都毛
訓読 佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも
仮名 さほがはの きよきかはらに なくちどり かはづとふたつ わすれかねつも
   
  7/1124
原文 佐保<川>尓 小驟千鳥 夜三更而 尓音聞者 宿不難尓
訓読 佐保川に騒ける千鳥さ夜更けて汝が声聞けば寐ねかてなくに
仮名 さほがはに さわけるちどり さよふけて ながこゑきけば いねかてなくに
   
  7/1125
原文 清湍尓 千鳥妻喚 山際尓 霞立良武 甘南備乃里
訓読 清き瀬に千鳥妻呼び山の際に霞立つらむ神なびの里
仮名 きよきせに ちどりつまよび やまのまに かすみたつらむ かむなびのさと
   
  7/1126
原文 年月毛 末經尓 明日香<川> 湍瀬由渡之 石走無
訓読 年月もいまだ経なくに明日香川瀬々ゆ渡しし石橋もなし
仮名 としつきも いまだへなくに あすかがは せぜゆわたしし いしはしもなし
   
  7/1127
原文 隕田寸津 走井水之 清有者 <癈>者吾者 去不勝可聞
訓読 落ちたぎつ走井水の清くあれば置きては我れは行きかてぬかも
仮名 おちたぎつ はしりゐみづの きよくあれば おきてはわれは ゆきかてぬかも
   
  7/1128
原文 安志妣成 榮之君之 穿之井之 石井之水者 雖飲不飽鴨
訓読 馬酔木なす栄えし君が掘りし井の石井の水は飲めど飽かぬかも
仮名 あしびなす さかえしきみが ほりしゐの いしゐのみづは のめどあかぬかも
   
  7/1129
原文 琴取者 嘆先立 盖毛 琴之下樋尓 嬬哉匿有
訓読 琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋に妻や隠れる
仮名 こととれば なげきさきだつ けだしくも ことのしたびに つまやこもれる
   
  7/1130
原文 神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛
訓読 神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも
仮名 かむさぶる いはねこごしき みよしのの みくまりやまを みればかなしも
   
  7/1131
原文 皆人之 戀三<芳>野 今日見者 諾母戀来 山川清見
訓読 皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み
仮名 みなひとの こふるみよしの けふみれば うべもこひけり やまかはきよみ
   
  7/1132
原文 夢乃和太 事西在来 寤毛 見而来物乎 念四念者
訓読 夢のわだ言にしありけりうつつにも見て来るものを思ひし思へば
仮名 いめのわだ ことにしありけり うつつにも みてけるものを おもひしおもへば
   
  7/1133
原文 皇祖神之 神宮人 冬薯蕷葛 弥常敷尓 吾反将見
訓読 すめろきの神の宮人ところづらいやとこしくに我れかへり見む
仮名 すめろきの かみのみやひと ところづら いやとこしくに われかへりみむ
   
  7/1134
原文 能野川 石迹柏等 時齒成 吾者通 万世左右二
訓読 吉野川巌と栢と常磐なす我れは通はむ万代までに
仮名 よしのがは いはとかしはと ときはなす われはかよはむ よろづよまでに
   
  7/1135
原文 氏河齒 与杼湍無之 阿自呂人 舟召音 越乞所聞
訓読 宇治川は淀瀬なからし網代人舟呼ばふ声をちこち聞こゆ
仮名 うぢがはは よどせなからし あじろひと ふねよばふこゑ をちこちきこゆ
   
  7/1136
原文 氏河尓 生菅藻乎 河早 不取来尓家里 褁為益緒
訓読 宇治川に生ふる菅藻を川早み採らず来にけりつとにせましを
仮名 うぢがはに おふるすがもを かははやみ とらずきにけり つとにせましを
   
  7/1137
原文 氏人之 譬乃足白 吾在者 今齒<与>良増 木積不来友
訓読 宇治人の譬への網代我れならば今は寄らまし木屑来ずとも
仮名 うぢひとの たとへのあじろ われならば いまはよらまし こつみこずとも
   
  7/1138
原文 氏河乎 船令渡呼跡 雖喚 不所聞有之 楫音毛不為
訓読 宇治川を舟渡せをと呼ばへども聞こえざるらし楫の音もせず
仮名 うぢがはを ふねわたせをと よばへども きこえざるらし かぢのともせず
   
  7/1139
原文 千早人 氏川浪乎 清可毛 旅去人之 立難為
訓読 ちはや人宇治川波を清みかも旅行く人の立ちかてにする
仮名 ちはやひと うぢがはなみを きよみかも たびゆくひとの たちかてにする
   
  7/1140
原文 志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無<而> [一本云 猪名乃浦廻乎 榜来者]
訓読 しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて [一本云 猪名の浦みを漕ぎ来れば]
仮名 しながどり ゐなのをくれば ありまやま ゆふぎりたちぬ やどりはなくて [ゐなのうらみを こぎくれば]
   
  7/1141
原文 武庫河 水尾急<> 赤駒 足何久激 沾祁流鴨
訓読 武庫川の水脈を早みと赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも
仮名 むこがはの みををはやみと あかごまの あがくたぎちに ぬれにけるかも
   
  7/1142
原文 命 幸久吉 石流 垂水々乎 結飲都
訓読 命をし幸くよけむと石走る垂水の水をむすびて飲みつ
仮名 いのちをし さきくよけむと いはばしる たるみのみづを むすびてのみつ
   
  7/1143
原文 作夜深而 穿江水手鳴 松浦船 梶音高之 水尾早見鴨
訓読 さ夜更けて堀江漕ぐなる松浦舟楫の音高し水脈早みかも
仮名 さよふけて ほりえこぐなる まつらぶね かぢのおとたかし みをはやみかも
   
  7/1144
原文 悔毛 満奴流塩鹿 墨江之 岸乃浦廻従 行益物乎
訓読 悔しくも満ちぬる潮か住吉の岸の浦廻ゆ行かましものを
仮名 くやしくも みちぬるしほか すみのえの きしのうらみゆ ゆかましものを
   
  7/1145
原文 為妹 貝乎拾等 陳奴乃海尓 所沾之袖者 雖涼常不干
訓読 妹がため貝を拾ふと茅渟の海に濡れにし袖は干せど乾かず
仮名 いもがため かひをひりふと ちぬのうみに ぬれにしそでは ほせどかわかず
   
  7/1146
原文 目頬敷 人乎吾家尓 住吉之 岸乃黄土 将見因毛欲得
訓読 めづらしき人を我家に住吉の岸の埴生を見むよしもがも
仮名 めづらしき ひとをわぎへに すみのえの きしのはにふを みむよしもがも
   
  7/1147
原文 暇有者 拾尓将徃 住吉之 岸因云 戀忘貝
訓読 暇あらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るといふ恋忘れ貝
仮名 いとまあらば ひりひにゆかむ すみのえの きしによるといふ こひわすれがひ
   
  7/1148
原文 馬雙而 今日吾見鶴 住吉之 岸之黄土 於万世見
訓読 馬並めて今日我が見つる住吉の岸の埴生を万代に見む
仮名 うまなめて けふわがみつる すみのえの きしのはにふを よろづよにみむ
   
  7/1149
原文 住吉尓 徃云道尓 昨日見之 戀忘貝 事二四有家里
訓読 住吉に行くといふ道に昨日見し恋忘れ貝言にしありけり
仮名 すみのえに ゆくといふみちに きのふみし こひわすれがひ ことにしありけり
   
  7/1150
原文 墨吉之 岸尓家欲得 奥尓邊尓 縁白浪 見乍将思
訓読 住吉の岸に家もが沖に辺に寄する白波見つつ偲はむ
仮名 すみのえの きしにいへもが おきにへに よするしらなみ みつつしのはむ
   
  7/1151
原文 大伴之 三津之濱邊乎 打曝 因来浪之 逝方不知毛
訓読 大伴の御津の浜辺をうちさらし寄せ来る波のゆくへ知らずも
仮名 おほともの みつのはまへを うちさらし よせくるなみの ゆくへしらずも
   
  7/1152
原文 梶之音曽 髣髴為鳴 海末通女 奥藻苅尓 舟出為等思母 [一云 暮去者 梶之音為奈利]
訓読 楫の音ぞほのかにすなる海人娘子沖つ藻刈りに舟出すらしも [一云 夕されば楫の音すなり]
仮名 かぢのおとぞ ほのかにすなる あまをとめ おきつもかりに ふなですらしも [ゆふされば かぢのおとすなり]
   
  7/1153
原文 住吉之 名兒之濱邊尓 馬立而 玉拾之久 常不所忘
訓読 住吉の名児の浜辺に馬立てて玉拾ひしく常忘らえず
仮名 すみのえの なごのはまへに うまたてて たまひりひしく つねわすらえず
   
  7/1154
原文 雨者零 借廬者作 何暇尓 吾兒之塩干尓 玉者将拾
訓読 雨は降る仮廬は作るいつの間に吾児の潮干に玉は拾はむ
仮名 あめはふる かりいほはつくる いつのまに あごのしほひに たまはひりはむ
   
  7/1155
原文 奈呉乃海之 朝開之奈凝 今日毛鴨 礒之浦廻尓 乱而将有
訓読 名児の海の朝明のなごり今日もかも磯の浦廻に乱れてあるらむ
仮名 なごのうみの あさけのなごり けふもかも いそのうらみに みだれてあるらむ
   
  7/1156
原文 住吉之 遠里小野之 真榛以 須礼流衣乃 盛過去
訓読 住吉の遠里小野の真榛もち摺れる衣の盛り過ぎゆく
仮名 すみのえの とほさとをのの まはりもち すれるころもの さかりすぎゆく
   
  7/1157
原文 時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之塩尓 玉藻苅奈
訓読 時つ風吹かまく知らず吾児の海の朝明の潮に玉藻刈りてな
仮名 ときつかぜ ふかまくしらず あごのうみの あさけのしほに たまもかりてな
   
  7/1158
原文 住吉之 奥津白浪 風吹者 来依留濱乎 見者浄霜
訓読 住吉の沖つ白波風吹けば来寄する浜を見れば清しも
仮名 すみのえの おきつしらなみ かぜふけば きよするはまを みればきよしも
   
  7/1159
原文 住吉之 岸之松根 打曝 縁来浪之 音之清羅
訓読 住吉の岸の松が根うちさらし寄せ来る波の音のさやけさ
仮名 すみのえの きしのまつがね うちさらし よせくるなみの おとのさやけさ
   
  7/1160
原文 難波方 塩干丹立而 見渡者 淡路嶋尓 多豆渡所見
訓読 難波潟潮干に立ちて見わたせば淡路の島に鶴渡る見ゆ
仮名 なにはがた しほひにたちて みわたせば あはぢのしまに たづわたるみゆ
   
  7/1161
原文 離家 旅西在者 秋風 寒暮丹 鴈喧<度>
訓読 家離り旅にしあれば秋風の寒き夕に雁鳴き渡る
仮名 いへざかり たびにしあれば あきかぜの さむきゆふへに かりなきわたる
   
  7/1162
原文 圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛
訓読 円方の港の洲鳥波立てや妻呼びたてて辺に近づくも
仮名 まとかたの みなとのすどり なみたてや つまよびたてて へにちかづくも
   
  7/1163
原文 年魚市方 塩干家良思 知多乃浦尓 朝榜舟毛 奥尓依所見
訓読 年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ
仮名 あゆちがた しほひにけらし ちたのうらに あさこぐふねも おきによるみゆ
   
  7/1164
原文 塩干者 共滷尓出 鳴鶴之 音遠放 礒廻為等霜
訓読 潮干ればともに潟に出で鳴く鶴の声遠ざかる磯廻すらしも
仮名 しほふれば ともにかたにいで なくたづの こゑとほざかる いそみすらしも
   
  7/1165
原文 暮名寸尓 求食為鶴 塩満者 奥浪高三 己妻喚
訓読 夕なぎにあさりする鶴潮満てば沖波高み己妻呼ばふ
仮名 ゆふなぎに あさりするたづ しほみてば おきなみたかみ おのづまよばふ
   
  7/1166
原文 古尓 有監人之 覓乍 衣丹揩牟 真野之榛原
訓読 いにしへにありけむ人の求めつつ衣に摺りけむ真野の榛原
仮名 いにしへに ありけむひとの もとめつつ きぬにすりけむ まののはりはら
   
  7/1167
原文 朝入為等 礒尓吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可将苅
訓読 あさりすと礒に我が見しなのりそをいづれの島の海人か刈りけむ
仮名 あさりすと いそにわがみし なのりそを いづれのしまの あまかかりけむ
   
  7/1168
原文 今日毛可母 奥津玉藻者 白浪之 八重折之於丹 乱而将有
訓読 今日もかも沖つ玉藻は白波の八重をるが上に乱れてあるらむ
仮名 けふもかも おきつたまもは しらなみの やへをるがうへに みだれてあるらむ
   
  7/1169
原文 近江之海 湖者八十 何尓加 <公>之舟泊 草結兼
訓読 近江の海港は八十ちいづくにか君が舟泊て草結びけむ
仮名 あふみのうみ みなとはやそち いづくにか きみがふねはて くさむすびけむ
   
  7/1170
原文 佐左浪乃 連庫山尓 雲居者 雨會零智否 反来吾背
訓読 楽浪の連庫山に雲居れば雨ぞ降るちふ帰り来我が背
仮名 ささなみの なみくらやまに くもゐれば あめぞふるちふ かへりこわがせ
   
  7/1171
原文 大御舟 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念
訓読 大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ
仮名 おほみふね はててさもらふ たかしまの みをのかつのの なぎさしおもほゆ
   
  7/1172
原文 何處可 舟乗為家牟 高嶋之 香取乃浦従 己藝出来船
訓読 いづくにか舟乗りしけむ高島の香取の浦ゆ漕ぎ出来る舟
仮名 いづくにか ふなのりしけむ たかしまの かとりのうらゆ こぎでくるふね
   
  7/1173
原文 斐太人之 真木流云 尓布乃河 事者雖通 船會不通
訓読 飛騨人の真木流すといふ丹生の川言は通へど舟ぞ通はぬ
仮名 ひだひとの まきながすといふ にふのかは ことはかよへど ふねぞかよはぬ
   
  7/1174
原文 霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜将行 戀敷物乎
訓読 霰降り鹿島の崎を波高み過ぎてや行かむ恋しきものを
仮名 あられふり かしまのさきを なみたかみ すぎてやゆかむ こほしきものを
   
  7/1175
原文 足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念
訓読 足柄の箱根飛び越え行く鶴の羨しき見れば大和し思ほゆ
仮名 あしがらの はこねとびこえ ゆくたづの ともしきみれば やまとしおもほゆ
   
  7/1176
原文 夏麻引 海上滷乃 <奥>洲尓 鳥<者>簀竹跡 君者音文不為
訓読 夏麻引く海上潟の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず
仮名 なつそびく うなかみがたの おきつすに とりはすだけど きみはおともせず
   
  7/1177
原文 若狭在 三方之海之 濱清美 伊徃變良比 見跡不飽可聞
訓読 若狭なる三方の海の浜清みい行き帰らひ見れど飽かぬかも
仮名 わかさなる みかたのうみの はまきよみ いゆきかへらひ みれどあかぬかも
   
  7/1178
原文 印南野者 徃過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 [一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思]
訓読 印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ [一云 飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし]
仮名 いなみのは ゆきすぎぬらし あまづたふ ひかさのうらに なみたてりみゆ [しかまえは こぎすぎぬらし]
   
  7/1179
原文 家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎
訓読 家にして我れは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を
仮名 いへにして あれはこひむな いなみのの あさぢがうへに てりしつくよを
   
  7/1180
原文 荒礒超 浪乎恐見 淡路嶋 不見哉将過<去> 幾許近乎
訓読 荒磯越す波を畏み淡路島見ずか過ぎなむここだ近きを
仮名 ありそこす なみをかしこみ あはぢしま みずかすぎなむ ここだちかきを
   
  7/1181
原文 朝霞 不止軽引 龍田山 船出将為日者 吾将戀香聞
訓読 朝霞止まずたなびく龍田山舟出せむ日は我れ恋ひむかも
仮名 あさかすみ やまずたなびく たつたやま ふなでしなむひ あれこひむかも
   
  7/1182
原文 海人小船 帆毳張流登 見左右荷 鞆之浦廻二 浪立有所見
訓読 海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ
仮名 あまをぶね ほかもはれると みるまでに とものうらみに なみたてりみゆ
   
  7/1183
原文 好去而 亦還見六 大夫乃 手二巻持在 鞆之浦廻乎
訓読 ま幸くてまたかへり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を
仮名 まさきくて またかへりみむ ますらをの てにまきもてる とものうらみを
   
  7/1184
原文 鳥自物 海二浮居而 <奥>浪 驂乎聞者 數悲哭
訓読 鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも
仮名 とりじもの うみにうきゐて おきつなみ さわくをきけば あまたかなしも
   
  7/1185
原文 朝菜寸二 真梶榜出而 見乍来之 三津乃松原 浪越似所見
訓読 朝なぎに真楫漕ぎ出て見つつ来し御津の松原波越しに見ゆ
仮名 あさなぎに まかぢこぎでて みつつこし みつのまつばら なみごしにみゆ
   
  7/1186
原文 朝入為流 海未通女等之 袖通 沾西衣 雖干跡不乾
訓読 あさりする海人娘子らが袖通り濡れにし衣干せど乾かず
仮名 あさりする あまをとめらが そでとほり ぬれにしころも ほせどかわかず
   
  7/1187
原文 網引為 海子哉見 飽浦 清荒礒 見来吾
訓読 網引する海人とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来し我れを
仮名 あびきする あまとかみらむ あくのうらの きよきありそを みにこしわれを
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1188
原文 山超而 遠津之濱之 石管自 迄吾来 含而有待
訓読 山越えて遠津の浜の岩つつじ我が来るまでにふふみてあり待て
仮名 やまこえて とほつのはまの いはつつじ わがくるまでに ふふみてありまて
   
  7/1189
原文 大海尓 荒莫吹 四長鳥 居名之湖尓 舟泊左右手
訓読 大海にあらしな吹きそしなが鳥猪名の港に舟泊つるまで
仮名 おほうみに あらしなふきそ しながどり ゐなのみなとに ふねはつるまで
   
  7/1190
原文 舟盡 可志振立而 廬利為 名子江乃濱邊 過不勝鳧
訓読 舟泊ててかし振り立てて廬りせむ名児江の浜辺過ぎかてぬかも
仮名 ふねはてて かしふりたてて いほりせむ なごえのはまへ すぎかてぬかも
   
  7/1191
原文 妹門 出入乃河之 瀬速見 吾馬爪衝 家思良下
訓読 妹が門出入の川の瀬を早み我が馬つまづく家思ふらしも
仮名 いもがかど いでいりのかはの せをはやみ あがうまつまづく いへもふらしも
   
  7/1192
原文 白栲尓 丹保布信土之 山川尓 吾馬難 家戀良下
訓読 白栲ににほふ真土の山川に我が馬なづむ家恋ふらしも
仮名 しろたへに にほふまつちの やまがはに あがうまなづむ いへこふらしも
   
  7/1193
原文 勢能山尓 直向 妹之山 事聴屋毛 打橋渡
訓読 背の山に直に向へる妹の山事許せやも打橋渡す
仮名 せのやまに ただにむかへる いものやま ことゆるせやも うちはしわたす
   
  7/1194
原文 木國之 狭日鹿乃浦尓 出見者 海人之燎火 浪間従所見
訓読 紀の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ
仮名 きのくにの さひかのうらに いでみれば あまのともしび なみのまゆみゆ
  藤原房前
   
  7/1195
原文 麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹
訓読 麻衣着ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く我妹
仮名 あさごろも きればなつかし きのくにの いもせのやまに あさまくわぎも
  藤原房前
   
  7/1196
原文 欲得褁登 乞者令取 貝拾 吾乎沾莫 奥津白浪
訓読 つともがと乞はば取らせむ貝拾ふ我れを濡らすな沖つ白波
仮名 つともがと こはばとらせむ かひひりふ われをぬらすな おきつしらなみ
  古集
   
  7/1197
原文 手取之 柄二忘跡 礒人之曰師 戀忘貝 言二師有来
訓読 手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり
仮名 てにとるが からにわすると あまのいひし こひわすれがひ ことにしありけり
  古集
   
  7/1198
原文 求食為跡 礒二住鶴 暁去者 濱風寒弥 自妻喚毛
訓読 あさりすと礒に棲む鶴明けされば浜風寒み己妻呼ぶも
仮名 あさりすと いそにすむたづ あけされば はまかぜさむみ おのづまよぶも
  古集
   
  7/1199
原文 藻苅舟 奥榜来良之 妹之嶋 形見之浦尓 鶴翔所見
訓読 藻刈り舟沖漕ぎ来らし妹が島形見の浦に鶴翔る見ゆ
仮名 もかりふね おきこぎくらし いもがしま かたみのうらに たづかけるみゆ
  古集
   
  7/1200
原文 吾舟者 従奥莫離 向舟 片待香光 従浦榜将會
訓読 我が舟は沖ゆな離り迎へ舟方待ちがてり浦ゆ漕ぎ逢はむ
仮名 わがふねは おきゆなさかり むかへぶね かたまちがてり うらゆこぎあはむ
  古集
   
  7/1201
原文 大海之 水底豊三 立浪之 将依思有 礒之清左
訓読 大海の水底響み立つ波の寄らむと思へる礒のさやけさ
仮名 おほうみの みなそことよみ たつなみの よせむとおもへる いそのさやけさ
  古集
   
  7/1202
原文 自荒礒毛 益而思哉 玉之<裏> 離小嶋 夢<所>見
訓読 荒礒ゆもまして思へや玉の浦離れ小島の夢にし見ゆる
仮名 ありそゆも ましておもへや たまのうら はなれこしまの いめにしみゆる
  古集
   
  7/1203
原文 礒上尓 爪木折焼 為汝等 吾潜来之 奥津白玉
訓読 礒の上に爪木折り焚き汝がためと我が潜き来し沖つ白玉
仮名 いそのうへに つまきをりたき ながためと わがかづきこし おきつしらたま
  古集
   
  7/1204
原文 濱清美 礒尓吾居者 見者 白水郎可将見 釣不為尓
訓読 浜清み礒に我が居れば見む人は海人とか見らむ釣りもせなくに
仮名 はまきよみ いそにわがをれば みむひとは あまとかみらむ つりもせなくに
  古集
   
  7/1205
原文 奥津梶 漸々志夫乎 欲見 吾為里乃 隠久惜毛
訓読 沖つ楫やくやくしぶを見まく欲り我がする里の隠らく惜しも
仮名 おきつかぢ やくやくしぶを みまくほり わがするさとの かくらくをしも
  古集
   
  7/1206
原文 奥津波 部都藻纒持 依来十方 君尓益有 玉将縁八方 [一云 沖津浪 邊<浪>布敷 縁来登母]
訓読 沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも君にまされる玉寄せめやも [一云 沖つ波辺波しくしく寄せ来とも]
仮名 おきつなみ へつもまきもち よせくとも きみにまされる たまよせめやも [おきつなみ へなみしくしく よせくとも]
  古集
   
  7/1207
原文 粟嶋尓 許枳将渡等 思鞆 赤石門浪 未佐和来
訓読 粟島に漕ぎ渡らむと思へども明石の門波いまだ騒けり
仮名 あはしまに こぎわたらむと おもへども あかしのとなみ いまださわけり
  古集
   
  7/1208
原文 妹尓戀 余越去者 勢能山之 妹尓不戀而 有之乏左
訓読 妹に恋ひ我が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ
仮名 いもにこひ わがこえゆけば せのやまの いもにこひずて あるがともしさ
   
  7/1209
原文 人在者 母之最愛子曽 麻毛吉 木川邊之 妹与<背>山
訓読 人ならば母が愛子ぞあさもよし紀の川の辺の妹と背の山
仮名 ひとならば ははがまなごぞ あさもよし きのかはのへの いもとせのやま
   
  7/1210
原文 吾妹子尓 吾戀行者 乏雲 並居鴨 妹与勢能山
訓読 我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山
仮名 わぎもこに あがこひゆけば ともしくも ならびをるかも いもとせのやま
   
  7/1211
原文 妹當 今曽吾行 目耳谷 吾耳見乞 事不問侶
訓読 妹があたり今ぞ我が行く目のみだに我れに見えこそ言問はずとも
仮名 いもがあたり いまぞわがゆく めのみだに われにみえこそ こととはずとも
   
  7/1212
原文 足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代
訓読 足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来るまで
仮名 あてすぎて いとかのやまの さくらばな ちらずもあらなむ かへりくるまで
   
  7/1213
原文 名草山 事西在来 吾戀 千重一重 名草目名國
訓読 名草山言にしありけり我が恋ふる千重の一重も慰めなくに
仮名 なぐさやま ことにしありけり あがこふる ちへのひとへも なぐさめなくに
   
  7/1214
原文 安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生尓家里
訓読 安太へ行く小為手の山の真木の葉も久しく見ねば蘿生しにけり
仮名 あだへゆく をすてのやまの まきのはも ひさしくみねば こけむしにけり
   
  7/1215
原文 玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何
訓読 玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに
仮名 たまつしま よくみていませ あをによし ならなるひとの まちとはばいかに
   
  7/1216
原文 塩満者 如何将為跡香 方便海之 神我手渡 海部未通女等
訓読 潮満たばいかにせむとか海神の神が手渡る海人娘子ども
仮名 しほみたば いかにせむとか わたつみの かみがてわたる あまをとめども
   
  7/1217
原文 玉津嶋 見之善雲 吾無 京徃而 戀幕思者
訓読 玉津島見てしよけくも我れはなし都に行きて恋ひまく思へば
仮名 たまつしま みてしよけくも われはなし みやこにゆきて こひまくおもへば
   
  7/1218
原文 黒牛乃海 紅丹穂經 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜
訓読 黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
仮名 くろうしのうみ くれなゐにほふ ももしきの おほみやひとし あさりすらしも
   
  7/1219
原文 若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念
訓読 若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕は大和し思ほゆ
仮名 わかのうらに しらなみたちて おきつかぜ さむきゆふへは やまとしおもほゆ
  藤原房前
   
  7/1220
原文 為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通
訓読 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の由良の岬にこの日暮らしつ
仮名 いもがため たまをひりふと きのくにの ゆらのみさきに このひくらしつ
  藤原房前
   
  7/1221
原文 吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀来之心 未飽九二
訓読 我が舟の楫はな引きそ大和より恋ひ来し心いまだ飽かなくに
仮名 わがふねの かぢはなひきそ やまとより こひこしこころ いまだあかなくに
  藤原房前
   
  7/1222
原文 玉津嶋 雖見不飽 何為而 褁持将去 不見人之為
訓読 玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため
仮名 たまつしま みれどもあかず いかにして つつみもちゆかむ みぬひとのため
  藤原房前
   
  7/1223
原文 綿之底 奥己具舟乎 於邊将因 風毛吹額 波不立而
訓読 海の底沖漕ぐ舟を辺に寄せむ風も吹かぬか波立てずして
仮名 わたのそこ おきこぐふねを へによせむ かぜもふかぬか なみたてずして
  古集
   
  7/1224
原文 大葉山 霞蒙 狭夜深而 吾船将泊 停不知文
訓読 大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
仮名 おほばやま かすみたなびき さよふけて わがふねはてむ とまりしらずも
  古集
   
  7/1225
原文 狭夜深而 夜中乃方尓 欝之苦 呼之舟人 泊兼鴨
訓読 さ夜更けて夜中の方におほほしく呼びし舟人泊てにけむかも
仮名 さよふけて よなかのかたに おほほしく よびしふなびと はてにけむかも
  古集
   
  7/1226
原文 神前 荒石毛不所見 浪立奴 従何處将行 与奇道者無荷
訓読 三輪の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避き道はなしに
仮名 みわのさき ありそもみえず なみたちぬ いづくゆゆかむ よきぢはなしに
  古集
   
  7/1227
原文 礒立 奥邊乎見者 海藻苅舟 海人榜出良之 鴨翔所見
訓読 礒に立ち沖辺を見れば藻刈り舟海人漕ぎ出らし鴨翔る見ゆ
仮名 いそにたち おきへをみれば めかりぶね あまこぎづらし かもかけるみゆ
  古集
   
  7/1228
原文 風早之 三穂乃浦廻乎 榜舟之 船人動 浪立良下
訓読 風早の三穂の浦廻を漕ぐ舟の舟人騒く波立つらしも
仮名 かざはやの みほのうらみを こぐふねの ふなびとさわく なみたつらしも
  古集
   
  7/1229
原文 吾舟者 <明>石之<湖>尓 榜泊牟 奥方莫放 狭夜深去来
訓読 我が舟は明石の水門に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり
仮名 わがふねは あかしのみとに こぎはてむ おきへなさかり さよふけにけり
  古集
   
  7/1230
原文 千磐破 金之三<埼>乎 過鞆 吾者不忘 <壮>鹿之須賣神
訓読 ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも我れは忘れじ志賀の皇神
仮名 ちはやぶる かねのみさきを すぎぬとも われはわすれじ しかのすめかみ
  古集
   
  7/1231
原文 天霧相 日方吹羅之 水莖之 岡水門尓 波立渡
訓読 天霧らひひかた吹くらし水茎の岡の港に波立ちわたる
仮名 あまぎらひ ひかたふくらし みづくきの をかのみなとに なみたちわたる
  古集
   
  7/1232
原文 大海之 波者畏 然有十方 神乎齋祀而 船出為者如何
訓読 大海の波は畏ししかれども神を斎ひて舟出せばいかに
仮名 おほうみの なみはかしこし しかれども かみをいはひて ふなでせばいかに
  古集
   
  7/1233
原文 未通女等之 織機上乎 真櫛用 掻上栲嶋 波間従所見
訓読 娘子らが織る機の上を真櫛もち掻上げ栲島波の間ゆ見ゆ
仮名 をとめらが おるはたのうへを まくしもち かかげたくしま なみのまゆみゆ
  古集
   
  7/1234
原文 塩早三 礒廻荷居者 入潮為 海人鳥屋見濫 多比由久和礼乎
訓読 潮早み磯廻に居れば潜きする海人とや見らむ旅行く我れを
仮名 しほはやみ いそみにをれば かづきする あまとやみらむ たびゆくわれを
  古集
   
  7/1235
原文 浪高之 奈何梶<執> 水鳥之 浮宿也應為 猶哉可榜
訓読 波高しいかに楫取り水鳥の浮寝やすべきなほや漕ぐべき
仮名 なみたかし いかにかぢとり みづとりの うきねやすべき なほやこぐべき
  古集
   
  7/1236
原文 夢耳 継而所見<乍> 竹嶋之 越礒波之 敷布所念
訓読 夢のみに継ぎて見えつつ高島の礒越す波のしくしく思ほゆ
仮名 いめのみに つぎてみえつつ たかしまの いそこすなみの しくしくおもほゆ
  古集
   
  7/1237
原文 静母 岸者波者 縁家留香 此屋通 聞乍居者
訓読 静けくも岸には波は寄せけるかこれの屋通し聞きつつ居れば
仮名 しづけくも きしにはなみは よせけるか これのやとほし ききつつをれば
  古集
   
  7/1238
原文 竹嶋乃 阿戸白波者 動友 吾家思 五百入鉇染
訓読 高島の安曇白波は騒けども我れは家思ふ廬り悲しみ
仮名 たかしまの あどしらなみは さわけども われはいへおもふ いほりかなしみ
  古集
   
  7/1239
原文 大海之 礒本由須理 立波之 将依念有 濱之浄奚久
訓読 大海の礒もと揺り立つ波の寄せむと思へる浜の清けく
仮名 おほうみの いそもとゆすり たつなみの よせむとおもへる はまのきよけく
  古集
   
  7/1240
原文 珠匣 見諸戸山<矣> 行之鹿齒 面白四手 古昔所念
訓読 玉櫛笥みもろと山を行きしかばおもしろくしていにしへ思ほゆ
仮名 たまくしげ みもろとやまを ゆきしかば おもしろくして いにしへおもほゆ
  古集
   
  7/1241
原文 黒玉之 玄髪山乎 朝越而 山下露尓 沾来鴨
訓読 ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも
仮名 ぬばたまの くろかみやまを あさこえて やましたつゆに ぬれにけるかも
  古集
   
  7/1242
原文 足引之 山行暮 宿借者 妹立待而 宿将借鴨
訓読 あしひきの山行き暮らし宿借らば妹立ち待ちてやど貸さむかも
仮名 あしひきの やまゆきぐらし やどからば いもたちまちて やどかさむかも
  古集
   
  7/1243
原文 視渡者 近里廻乎 田本欲 今衣吾来 礼巾振之野尓
訓読 見わたせば近き里廻をた廻り今ぞ我が来る領巾振りし野に
仮名 みわたせば ちかきさとみを たもとほり いまぞわがくる ひれふりしのに
  古集
   
  7/1244
原文 未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見
訓読 娘子らが放りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む
仮名 をとめらが はなりのかみを ゆふのやま くもなたなびき いへのあたりみむ
  古集
   
  7/1245
原文 四可能白水郎乃 釣船之<紼> 不堪 情念而 出而来家里
訓読 志賀の海人の釣舟の綱堪へずして心に思ひて出でて来にけり
仮名 しかのあまの つりぶねのつな あへなくも こころにおもひて いでてきにけり
  古集
   
  7/1246
原文 之加乃白水郎之 燒塩煙 風乎疾 立者不上 山尓軽引
訓読 志賀の海人の塩焼く煙風をいたみ立ちは上らず山にたなびく
仮名 しかのあまの しほやくけぶり かぜをいたみ たちはのぼらず やまにたなびく
  古集
   
  7/1247
原文 大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉
訓読 大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも
仮名 おほなむち すくなみかみの つくらしし いもせのやまを みらくしよしも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1248
原文 吾妹子 見偲 奥藻 花開在 我告与
訓読 我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば我れに告げこそ
仮名 わぎもこと みつつしのはむ おきつもの はなさきたらば われにつげこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1249
原文 君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
訓読 君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも
仮名 きみがため うきぬのいけの ひしつむと わがそめしそで ぬれにけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1250
原文 妹為 菅實採 行吾 山路惑 此日暮
訓読 妹がため菅の実摘みに行きし我れ山道に惑ひこの日暮らしつ
仮名 いもがため すがのみつみに ゆきしわれ やまぢにまとひ このひくらしつ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1251
原文 佐保河尓 鳴成智鳥 何師鴨 川原乎思努比 益河上
訓読 佐保川に鳴くなる千鳥何しかも川原を偲ひいや川上る
仮名 さほがはに なくなるちどり なにしかも かはらをしのひ いやかはのぼる
  古歌集
   
  7/1252
原文 人社者 意保尓毛言目 我幾許 師努布川原乎 標緒勿謹
訓読 人こそばおほにも言はめ我がここだ偲ふ川原を標結ふなゆめ
仮名 ひとこそば おほにもいはめ わがここだ しのふかはらを しめゆふなゆめ
  古歌集
   
  7/1253
原文 神樂浪之 思我津乃白水郎者 吾無二 潜者莫為 浪雖不立
訓読 楽浪の志賀津の海人は我れなしに潜きはなせそ波立たずとも
仮名 ささなみの しがつのあまは あれなしに かづきはなせそ なみたたずとも
  古歌集
   
  7/1254
原文 大船尓 梶之母有奈牟 君無尓 潜為八方 波雖不起
訓読 大船に楫しもあらなむ君なしに潜きせめやも波立たずとも
仮名 おほぶねに かぢしもあらなむ きみなしに かづきせめやも なみたたずとも
  古歌集
   
  7/1255
原文 月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而
訓読 月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて
仮名 つきくさに ころもぞそむる きみがため まだらのころも すらむとおもひて
  古歌集
   
  7/1256
原文 春霞 井上<従>直尓 道者雖有 君尓将相登 他廻来毛
訓読 春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も
仮名 はるかすみ ゐのうへゆただに みちはあれど きみにあはむと たもとほりくも
  古歌集
   
  7/1257
原文 道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也
訓読 道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや
仮名 みちのへの くさふかゆりの はなゑみに ゑみしがからに つまといふべしや
  古歌集
   
  7/1258
原文 黙然不有跡 事之名種尓 云言乎 聞知良久波 少可者有来
訓読 黙あらじと言のなぐさに言ふことを聞き知れらくは悪しくはありけり
仮名 もだあらじと ことのなぐさに いふことを ききしれらくは あしくはありけり
  古歌集
   
  7/1259
原文 佐伯山 于花以之 哀我 <手>鴛取而者 花散鞆
訓読 佐伯山卯の花持ちし愛しきが手をし取りてば花は散るとも
仮名 さへきやま うのはなまちし かなしきが てをしとりてば はなはちるとも
  古歌集
   
  7/1260
原文 不時 斑衣 服欲香 <嶋>針原 時二不有鞆
訓読 時ならぬ斑の衣着欲しきか島の榛原時にあらねども
仮名 ときならぬ まだらのころも きほしきか しまのはりはら ときにあらねども
  古歌集
   
  7/1261
原文 山守之 里邊通 山道曽 茂成来 忘来下
訓読 山守の里へ通ひし山道ぞ茂くなりける忘れけらしも
仮名 やまもりの さとへかよひし やまみちぞ しげくなりける わすれけらしも
  古歌集
   
  7/1262
原文 足病之 山海石榴開 八<峯>越 鹿待君之 伊波比嬬可聞
訓読 あしひきの山椿咲く八つ峰越え鹿待つ君が斎ひ妻かも
仮名 あしひきの やまつばきさく やつをこえ ししまつきみが いはひつまかも
  古歌集
   
  7/1263
原文 暁跡 夜烏雖鳴 此山上之 木末之於者 未静之
訓読 暁と夜烏鳴けどこの岡の木末の上はいまだ静けし
仮名 あかときと よがらすなけど このをかの こぬれのうへは いまだしづけし
  古歌集
   
  7/1264
原文 西市尓 但獨出而 眼不並 買師絹之 商自許里鴨
訓読 西の市にただ独り出でて目並べず買ひてし絹の商じこりかも
仮名 にしのいちに ただひとりいでて めならべず かひてしきぬの あきじこりかも
  古歌集
   
  7/1265
原文 今年去 新嶋守之 麻衣 肩乃間乱者 <誰>取見
訓読 今年行く新防人が麻衣肩のまよひは誰れか取り見む
仮名 ことしゆく にひさきもりが あさごろも かたのまよひは たれかとりみむ
  古歌集
   
  7/1266
原文 大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母
訓読 大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも
仮名 おほぶねを あるみにこぎで やふねたけ わがみしこらが まみはしるしも
  古歌集
   
  7/1267
原文 百師木乃 大宮人之 踏跡所 奥浪 来不依有勢婆 不失有麻思乎
訓読 ももしきの大宮人の踏みし跡ところ沖つ波来寄らずありせば失せずあらましを
仮名 ももしきの おほみやひとの ふみしあとところ おきつなみ きよらずありせば うせずあらましを
  古歌集
   
  7/1268
原文 兒等手乎 巻向山者 常在常 過徃人尓 徃巻目八方
訓読 子らが手を巻向山は常にあれど過ぎにし人に行きまかめやも
仮名 こらがてを まきむくやまは つねにあれど すぎにしひとに ゆきまかめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1269
原文 巻向之 山邊響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者
訓読 巻向の山辺響みて行く水の水沫のごとし世の人我れは
仮名 まきむくの やまへとよみて ゆくみづの みなわのごとし よのひとわれは
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1270
原文 隠口乃 泊瀬之山丹 照月者 盈ち為焉 人之常無
訓読 こもりくの泊瀬の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき
仮名 こもりくの はつせのやまに てるつきは みちかけしけり ひとのつねなき
  古歌集
   
  7/1271
原文 遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒
訓読 遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒
仮名 とほくありて くもゐにみゆる いもがいへに はやくいたらむ あゆめくろこま
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1272
原文 劔<後> 鞘納野 葛引吾妹 真袖以 著點等鴨 夏草苅母
訓読 大刀の後鞘に入野に葛引く我妹真袖もち着せてむとかも夏草刈るも
仮名 たちのしり さやにいりのに くずひくわぎも まそでもち きせてむとかも なつくさかるも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1273
原文 住吉 波豆麻<公>之 馬乗衣 雜豆臈 漢女乎座而 縫衣叙
訓読 住吉の波豆麻の君が馬乗衣さひづらふ漢女を据ゑて縫へる衣ぞ
仮名 すみのえの はづまのきみが うまのりころも さひづらふ あやめをすゑて ぬへるころもぞ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1274
原文 住吉 出見濱 柴莫苅曽尼 未通女等 赤裳下 閏将徃見
訓読 住吉の出見の浜の柴な刈りそね娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむ見む
仮名 すみのえの いでみのはまの しばなかりそね をとめらが あかものすその ぬれてゆかむみむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1275
原文 住吉 小田苅為子 賎鴨無 奴雖在 妹御為 私田苅
訓読 住吉の小田を刈らす子奴かもなき奴あれど妹がみためと私田刈る
仮名 すみのえの をだをからすこ やつこかもなき やつこあれど いもがみためと わたくしだかる
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1276
原文 池邊 小槻下 細竹苅嫌 其谷 <公>形見尓 監乍将偲
訓読 池の辺の小槻の下の小竹な刈りそねそれをだに君が形見に見つつ偲はむ
仮名 いけのへの をつきのしたの しのなかりそね それをだに きみがかたみに みつつしのはむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1277
原文 天在 日賣菅原 草<莫>苅嫌 弥<那>綿 香烏髪 飽田志付勿
訓読 天なる日売菅原の草な刈りそね蜷の腸か黒き髪にあくたし付くも
仮名 あめなる ひめすがはらの くさなかりそね みなのわた かぐろきかみに あくたしつくも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1278
原文 夏影 房之下<邇> 衣裁吾妹 裏儲 吾為裁者 差大裁
訓読 夏蔭の妻屋の下に衣裁つ我妹うら設けて我がため裁たばやや大に裁て
仮名 なつかげの つまやのしたに きぬたつわぎも うらまけて あがためたたば ややおほにたて
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1279
原文 梓弓 引津邊在 莫謂花 及採 不相有目八方 勿謂花
訓読 梓弓引津の辺なるなのりその花摘むまでに逢はずあらめやもなのりその花
仮名 あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1280
原文 撃日刺 宮路行丹 吾裳破 玉緒 念<妄> 家在矣
訓読 うちひさす宮道を行くに我が裳は破れぬ玉の緒の思ひ乱れて家にあらましを
仮名 うちひさす みやぢをゆくに わがもはやれぬ たまのをの おもひみだれて いへにあらましを
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1281
原文 <公>為 手力勞 織在衣服<叙> 春去 何<色> 揩者吉
訓読 君がため手力疲れ織れる衣ぞ春さらばいかなる色に摺りてばよけむ
仮名 きみがため たぢからつかれ おれるころもぞ はるさらば いかなるいろに すりてばよけむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1282
原文 橋立 倉椅山 立白雲 見欲 我為苗 立白雲
訓読 はしたての倉橋山に立てる白雲見まく欲り我がするなへに立てる白雲
仮名 はしたての くらはしやまに たてるしらくも みまくほり わがするなへに たてるしらくも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1283
原文 橋立 倉椅川 石走者裳 壮子時 我度為 石走者裳
訓読 はしたての倉橋川の石の橋はも男盛りに我が渡りてし石の橋はも
仮名 はしたての くらはしがはの いしのはしはも をざかりに わがわたりてし いしのはしはも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1284
原文 橋立 倉椅川 河静菅 余苅 笠裳不編 川静菅
訓読 はしたての倉橋川の川の静菅我が刈りて笠にも編まぬ川の静菅
仮名 はしたての くらはしがはの かはのしづすげ わがかりて かさにもあまぬ かはのしづすげ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1285
原文 春日尚 田立羸 公哀 若草 攦無公 田立羸
訓読 春日すら田に立ち疲る君は悲しも若草の妻なき君が田に立ち疲る
仮名 はるひすら たにたちつかる きみはかなしも わかくさの つまなききみが たにたちつかる
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1286
原文 開木代 来背社 草勿手折 己時 立雖榮 草勿手折
訓読 山背の久世の社の草な手折りそ我が時と立ち栄ゆとも草な手折りそ
仮名 やましろの くせのやしろの くさなたをりそ わがときと たちさかゆとも くさなたをりそ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1287
原文 青角髪 依網原 人相鴨 石走 淡海縣 物語為
訓読 青みづら依網の原に人も逢はぬかも石走る近江県の物語りせむ
仮名 あをみづら よさみのはらに ひともあはぬかも いはばしる あふみあがたの ものがたりせむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1288
原文 水門 葦末葉 誰手折 吾背子 振手見 我手折
訓読 港の葦の末葉を誰れか手折りし我が背子が振る手を見むと我れぞ手折りし
仮名 みなとの あしのうらばを たれかたをりし わがせこが ふるてをみむと われぞたをりし
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1289
原文 垣越 犬召越 鳥猟為公 青山 <葉>茂山邊 馬安<公>
訓読 垣越しに犬呼び越して鳥猟する君青山の茂き山辺に馬休め君
仮名 かきごしに いぬよびこして とがりするきみ あをやまの しげきやまへに うまやすめきみ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1290
原文 海底 奥玉藻之 名乗曽花 妹与吾 此何有跡 莫語之花
訓読 海の底沖つ玉藻のなのりその花妹と我れとここにしありとなのりその花
仮名 わたのそこ おきつたまもの なのりそのはな いもとあれと ここにしありと なのりそのはな
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1291
原文 此岡 <草>苅小子 <勿>然苅 有乍 <公>来座 御馬草為
訓読 この岡に草刈るわらはなしか刈りそねありつつも君が来まさば御馬草にせむ
仮名 このをかに くさかるわらは なしかかりそね ありつつも きみがきまさむ みまくさにせむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1292
原文 江林 次完也物 求吉 白栲 袖纒上 完待我背
訓読 江林に臥せる獣やも求むるによき白栲の袖巻き上げて獣待つ我が背
仮名 えはやしに ふせるししやも もとむるによき しろたへの そでまきあげて ししまつわがせ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1293
原文 丸雪降 遠江 吾跡川楊 雖苅 亦生云 余跡川楊
訓読 霰降り遠つ淡海の吾跡川楊刈れどもまたも生ふといふ吾跡川楊
仮名 あられふり とほつあふみの あとかはやなぎ かれども またもおふといふ あとかはやなぎ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1294
原文 朝月 日向山 月立所見 遠妻 持在人 看乍偲
訓読 朝月の日向の山に月立てり見ゆ遠妻を待ちたる人し見つつ偲はむ
仮名 あさづきの ひむかのやまに つきたてりみゆ とほづまを もちたるひとし みつつしのはむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1295
原文 春日在 三笠乃山二 月船出 遊士之 飲酒坏尓 陰尓所見管
訓読 春日なる御笠の山に月の舟出づ風流士の飲む酒杯に影に見えつつ
仮名 かすがなる みかさのやまに つきのふねいづ みやびをの のむさかづきに かげにみえつつ
   
  7/1296
原文 今造 斑衣服 面<影> 吾尓所念 末服友
訓読 今作る斑の衣面影に我れに思ほゆいまだ着ねども
仮名 いまつくる まだらのころも おもかげに われにおもほゆ いまだきねども
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1297
原文 紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知
訓読 紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
仮名 くれなゐに ころもそめまく ほしけども きてにほはばか ひとのしるべき
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1298
原文 <干><各> 人雖云 織次 我廿物 白麻衣
訓読 かにかくに人は言ふとも織り継がむ我が機物の白麻衣
仮名 かにかくに ひとはいふとも おりつがむ わがはたものの しろあさごろも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1299
原文 安治村 十依海 船浮 白玉採 人所知勿
訓読 あぢ群のとをよる海に舟浮けて白玉採ると人に知らゆな
仮名 あぢむらの とをよるうみに ふねうけて しらたまとると ひとにしらゆな
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1300
原文 遠近 礒中在 白玉 人不知 見依鴨
訓読 をちこちの礒の中なる白玉を人に知らえず見むよしもがも
仮名 をちこちの いそのなかなる しらたまを ひとにしらえず みむよしもがも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1301
原文 海神 手纒持在 玉故 石浦廻 潜為鴨
訓読 海神の手に巻き持てる玉故に礒の浦廻に潜きするかも
仮名 わたつみの てにまきもてる たまゆゑに いそのうらみに かづきするかも
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1302
原文 海神 持在白玉 見欲 千遍告 潜為海子
訓読 海神の持てる白玉見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人
仮名 わたつみの もてるしらたま みまくほり ちたびぞのりし かづきするあま
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1303
原文 潜為 海子雖告 海神 心不得 所見不云
訓読 潜きする海人は告れども海神の心し得ねば見ゆといはなくに
仮名 かづきする あまはのれども わたつみの こころしえねば みゆといはなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1304
原文 天雲 棚引山 隠在 吾<下心> 木葉知
訓読 天雲のたなびく山の隠りたる我が下心木の葉知るらむ
仮名 あまくもの たなびくやまの こもりたる あがしたごころ このはしるらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1305
原文 雖見不飽 人國山 木葉 己心 名著念
訓読 見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ
仮名 みれどあかぬ ひとくにやまの このはをし わがこころから なつかしみおもふ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1306
原文 是山 黄葉下 花矣我 小端見 反戀
訓読 この山の黄葉が下の花を我れはつはつに見てなほ恋ひにけり
仮名 このやまの もみちのしたの はなをわれ はつはつにみて なほこひにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1307
原文 従此川 船可行 雖在 渡瀬別 守人有
訓読 この川ゆ舟は行くべくありといへど渡り瀬ごとに守る人のありて
仮名 このかはゆ ふねはゆくべく ありといへど わたりぜごとに もるひとのありて
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1308
原文 大海 候水門 事有 従何方君 吾率凌
訓読 大海をさもらふ港事しあらばいづへゆ君は我を率しのがむ
仮名 おほうみを さもらふみなと ことしあらば いづへゆきみは わをゐしのがむ
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1309
原文 風吹 海荒 明日言 應久 <公>随
訓読 風吹きて海は荒るとも明日と言はば久しくあるべし君がまにまに
仮名 かぜふきて うみはあるとも あすといはば ひさしくあるべし きみがまにまに
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1310
原文 雲隠 小嶋神之 恐者 目間 心間哉
訓読 雲隠る小島の神の畏けば目こそ隔てれ心隔てや
仮名 くもがくる こしまのかみの かしこけば めこそへだてれ こころへだてや
  柿本人麻呂歌集
   
  7/1311
原文 橡 衣人<皆> 事無跡 曰師時従 欲服所念
訓読 橡の衣は人皆事なしと言ひし時より着欲しく思ほゆ
仮名 つるはみの きぬはひとみな ことなしと いひしときより きほしくおもほゆ
   
  7/1312
原文 凡尓 吾之念者 下服而 穢尓師衣乎 取而将著八方
訓読 おほろかに我れし思はば下に着てなれにし衣を取りて着めやも
仮名 おほろかに われしおもはば したにきて なれにしきぬを とりてきめやも
   
  7/1313
原文 紅之 深染之衣 下著而 上取著者 事将成鴨
訓読 紅の深染めの衣下に着て上に取り着ば言なさむかも
仮名 くれなゐの こそめのころも したにきて うへにとりきば ことなさむかも
   
  7/1314
原文 橡 解濯衣之 恠 殊欲服 此暮可聞
訓読 橡の解き洗ひ衣のあやしくもことに着欲しきこの夕かも
仮名 つるはみの ときあらひきぬの あやしくも ことにきほしき このゆふへかも
   
  7/1315
原文 橘之 嶋尓之居者 河遠 不曝縫之 吾下衣
訓読 橘の島にし居れば川遠みさらさず縫ひし我が下衣
仮名 たちばなの しまにしをれば かはとほみ さらさずぬひし あがしたごろも
   
  7/1316
原文 河内女之 手染之絲乎 絡反 片絲尓雖有 将絶跡念也
訓読 河内女の手染めの糸を繰り返し片糸にあれど絶えむと思へや
仮名 かふちめの てそめのいとを くりかへし かたいとにあれど たえむとおもへや
   
  7/1317
原文 海底 沈白玉 風吹而 海者雖荒 不取者不止
訓読 海の底沈く白玉風吹きて海は荒るとも取らずはやまじ
仮名 わたのそこ しづくしらたま かぜふきて うみはあるとも とらずはやまじ
   
  7/1318
原文 底清 沈有玉乎 欲見 千遍曽告之 潜為白水郎
訓読 底清み沈ける玉を見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人
仮名 そこきよみ しづけるたまを みまくほり ちたびぞのりし かづきするあま
   
  7/1319
原文 大海之 水底照之 石著玉 齋而将採 風莫吹行年
訓読 大海の水底照らし沈く玉斎ひて採らむ風な吹きそね
仮名 おほうみの みなそこてらし しづくたま いはひてとらむ かぜなふきそね
   
  7/1320
原文 水底尓 沈白玉 誰故 心盡而 吾不念尓
訓読 水底に沈く白玉誰が故に心尽して我が思はなくに
仮名 みなそこに しづくしらたま たがゆゑに こころつくして わがおもはなくに
   
  7/1321
原文 世間 常如是耳加 結大王 白玉之緒 絶樂思者
訓読 世間は常かくのみか結びてし白玉の緒の絶ゆらく思へば
仮名 よのなかは つねかくのみか むすびてし しらたまのをの たゆらくおもへば
   
  7/1322
原文 伊勢海之 白水郎之嶋津我 鰒玉 取而後毛可 戀之将繁
訓読 伊勢の海の海人の島津が鰒玉採りて後もか恋の繁けむ
仮名 いせのうみの あまのしまつが あはびたま とりてのちもか こひのしげけむ
   
  7/1323
原文 海之底 奥津白玉 縁乎無三 常如此耳也 戀度味試
訓読 海の底沖つ白玉よしをなみ常かくのみや恋ひわたりなむ
仮名 わたのそこ おきつしらたま よしをなみ つねかくのみや こひわたりなむ
   
  7/1324
原文 葦根之 懃念而 結義之 玉緒云者 人将解八方
訓読 葦の根のねもころ思ひて結びてし玉の緒といはば人解かめやも
仮名 あしのねの ねもころおもひて むすびてし たまのをといはば ひととかめやも
   
  7/1325
原文 白玉乎 手者不纒尓 匣耳 置有之人曽 玉令<詠>流
訓読 白玉を手には巻かずに箱のみに置けりし人ぞ玉嘆かする
仮名 しらたまを てにはまかずに はこのみに おけりしひとぞ たまなげかする
   
  7/1326
原文 照左豆我 手尓纒古須 玉毛欲得 其緒者替而 吾玉尓将為
訓読 照左豆が手に巻き古す玉もがもその緒は替へて我が玉にせむ
仮名 てるさづが てにまきふるす たまもがも そのをはかへて わがたまにせむ
   
  7/1327
原文 秋風者 継而莫吹 海底 奥在玉乎 手纒左右二
訓読 秋風は継ぎてな吹きそ海の底沖なる玉を手に巻くまでに
仮名 あきかぜは つぎてなふきそ わたのそこ おきなるたまを てにまくまでに
   
  7/1328
原文 伏膝 玉之小琴之 事無者 甚幾許 吾将戀也毛
訓読 膝に伏す玉の小琴の事なくはいたくここだく我れ恋ひめやも
仮名 ひざにふす たまのをごとの ことなくは いたくここだく あれこひめやも
   
  7/1329
原文 陸奥之 吾田多良真弓 著<絃>而 引者香人之 吾乎事将成
訓読 陸奥の安達太良真弓弦はけて引かばか人の我を言なさむ
仮名 みちのくの あだたらまゆみ つらはけて ひかばかひとの わをことなさむ
   
  7/1330
原文 南淵之 細川山 立檀 弓束<纒及> 人二不所知
訓読 南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ
仮名 みなぶちの ほそかはやまに たつまゆみ ゆづかまくまで ひとにしらえじ
   
  7/1331
原文 磐疊 恐山常 知管毛 吾者戀香 同等不有尓
訓読 岩畳畏き山と知りつつも我れは恋ふるか並にあらなくに
仮名 いはたたみ かしこきやまと しりつつも あれはこふるか なみにあらなくに
   
  7/1332
原文 石金之 <凝>敷山尓 入始而 山名付染 出不勝鴨
訓読 岩が根のこごしき山に入りそめて山なつかしみ出でかてぬかも
仮名 いはがねの こごしきやまに いりそめて やまなつかしみ いでかてぬかも
   
  7/1333
原文 佐<穂>山乎 於凡尓見之鹿跡 今見者 山夏香思母 風吹莫勤
訓読 佐保山をおほに見しかど今見れば山なつかしも風吹くなゆめ
仮名 さほやまを おほにみしかど いまみれば やまなつかしも かぜふくなゆめ
   
  7/1334
原文 奥山之 於石蘿生 恐常 思情乎 何如裳勢武
訓読 奥山の岩に苔生し畏けど思ふ心をいかにかもせむ
仮名 おくやまの いはにこけむし かしこけど おもふこころを いかにかもせむ
   
  7/1335
原文 思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結
訓読 思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ
仮名 おもひあまり いたもすべなみ たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ
   
  7/1336
原文 冬隠 春乃大野乎 焼人者 焼不足香文 吾情熾
訓読 冬こもり春の大野を焼く人は焼き足らねかも我が心焼く
仮名 ふゆこもり はるのおほのを やくひとは やきたらねかも わがこころやく
   
  7/1337
原文 葛城乃 高間草野 早知而 標指益乎 今悔拭
訓読 葛城の高間の草野早知りて標刺さましを今ぞ悔しき
仮名 かづらきの たかまのかやの はやしりて しめささましを いまぞくやしき
   
  7/1338
原文 吾屋前尓 生土針 従心毛 不想人之 衣尓須良由奈
訓読 我がやどに生ふるつちはり心ゆも思はぬ人の衣に摺らゆな
仮名 わがやどに おふるつちはり こころゆも おもはぬひとの きぬにすらゆな
   
  7/1339
原文 鴨頭草丹 服色取 揩目伴 移變色登 称之苦沙
訓読 月草に衣色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ
仮名 つきくさに ころもいろどり すらめども うつろふいろと いふがくるしさ
   
  7/1340
原文 紫 絲乎曽吾搓 足桧之 山橘乎 将貫跡念而
訓読 紫の糸をぞ我が搓るあしひきの山橘を貫かむと思ひて
仮名 むらさきの いとをぞわがよる あしひきの やまたちばなを ぬかむとおもひて
   
  7/1341
原文 真珠付 越能菅原 吾不苅 人之苅巻 惜菅原
訓読 真玉つく越智の菅原我れ刈らず人の刈らまく惜しき菅原
仮名 またまつく をちのすがはら われからず ひとのからまく をしきすがはら
   
  7/1342
原文 山高 夕日隠奴 淺茅原 後見多米尓 標結申尾
訓読 山高み夕日隠りぬ浅茅原後見むために標結はましを
仮名 やまたかみ ゆふひかくりぬ あさぢはら のちみむために しめゆはましを
   
  7/1343
原文 事痛者 左右将為乎 石代之 野邊之下草 吾之苅而者 [一云 紅之 寫心哉 於妹不相将有]
訓読 言痛くはかもかもせむを岩代の野辺の下草我れし刈りてば [一云 紅の現し心や妹に逢はずあらむ]
仮名 こちたくは かもかもせむを いはしろの のへのしたくさ われしかりてば [くれなゐの うつしこころや いもにあはずあらむ]
   
  7/1344
原文 真鳥住 卯名手之神社之 菅根乎 衣尓書付 令服兒欲得
訓読 真鳥棲む雲梯の杜の菅の根を衣にかき付け着せむ子もがも
仮名 まとりすむ うなてのもりの すがのねを きぬにかきつけ きせむこもがも
   
  7/1345
原文 常不 人國山乃 秋津野乃 垣津幡鴛 夢見鴨
訓読 常ならぬ人国山の秋津野のかきつはたをし夢に見しかも
仮名 つねならぬ ひとくにやまの あきづのの かきつはたをし いめにみしかも
   
  7/1346
原文 姫押 生澤邊之 真田葛原 何時鴨絡而 我衣将服
訓読 をみなへし佐紀沢の辺の真葛原いつかも繰りて我が衣に着む
仮名 をみなへし さきさはのへの まくずはら いつかもくりて わがきぬにきむ
   
  7/1347
原文 於君似 草登見従 我標之 野山之淺茅 人莫苅根
訓読 君に似る草と見しより我が標めし野山の浅茅人な刈りそね
仮名 きみににる くさとみしより わがしめし のやまのあさぢ ひとなかりそね
   
  7/1348
原文 三嶋江之 玉江之薦乎 従標之 己我跡曽念 雖未苅
訓読 三島江の玉江の薦を標めしより己がとぞ思ふいまだ刈らねど
仮名 みしまえの たまえのこもを しめしより おのがとぞおもふ いまだからねど
   
  7/1349
原文 如是為<而>也 尚哉将老 三雪零 大荒木野之 小竹尓不有九二
訓読 かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野の小竹にあらなくに
仮名 かくしてや なほやおいなむ みゆきふる おほあらきのの しのにあらなくに
   
  7/1350
原文 淡海之哉 八橋乃小竹乎 不造<笶>而 信有得哉 戀敷鬼<呼>
訓読 近江のや八橋の小竹を矢はがずてまことありえむや恋しきものを
仮名 あふみのや やばせのしのを やはがずて まことありえむや こほしきものを
   
  7/1351
原文 月草尓 衣者将<揩> 朝露尓 所沾而後者 <徙>去友
訓読 月草に衣は摺らむ朝露に濡れての後はうつろひぬとも
仮名 つきくさに ころもはすらむ あさつゆに ぬれてののちは うつろひぬとも
   
  7/1352
原文 吾情 湯谷絶谷 浮蓴 邊毛奥毛 依<勝>益士
訓読 我が心ゆたにたゆたに浮蓴辺にも沖にも寄りかつましじ
仮名 あがこころ ゆたにたゆたに うきぬなは へにもおきにも よりかつましじ
   
  7/1353
原文 石上 振之早田乎 雖不秀 繩谷延与 守乍将居
訓読 石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ
仮名 いそのかみ ふるのわさだを ひでずとも なはだにはへよ もりつつをらむ
   
  7/1354
原文 白菅之 真野乃榛原 心従毛 不念<吾>之 衣尓<揩>
訓読 白菅の真野の榛原心ゆも思はぬ我れし衣に摺りつ
仮名 しらすげの まののはりはら こころゆも おもはぬわれし ころもにすりつ
   
  7/1355
原文 真木柱 作蘇麻人 伊左佐目丹 借廬之為跡 造計米八方
訓読 真木柱作る杣人いささめに仮廬のためと作りけめやも
仮名 まきばしら つくるそまびと いささめに かりいほのためと つくりけめやも
   
  7/1356
原文 向峯尓 立有桃樹 <将>成哉等 人曽耳言為 汝情勤
訓読 向つ峰に立てる桃の木ならむやと人ぞささやく汝が心ゆめ
仮名 むかつをに たてるもものき ならむやと ひとぞささやく ながこころゆめ
   
  7/1357
原文 足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎
訓読 たらちねの母がそのなる桑すらに願へば衣に着るといふものを
仮名 たらちねの ははがそのなる くはすらに ねがへばきぬに きるといふものを
   
  7/1358
原文 波之吉也思 吾家乃毛桃 本繁 花耳開而 不成在目八方
訓読 はしきやし我家の毛桃本茂く花のみ咲きてならずあらめやも
仮名 はしきやし わぎへのけもも もとしげく はなのみさきて ならずあらめやも
   
  7/1359
原文 向岳之 若楓木 下枝取 花待伊間尓 嘆鶴鴨
訓読 向つ峰の若桂の木下枝取り花待つい間に嘆きつるかも
仮名 むかつをの わかかつらのき しづえとり はなまついまに なげきつるかも
   
  7/1360
原文 氣緒尓 念有吾乎 山治左能 花尓香<公>之 移奴良武
訓読 息の緒に思へる我れを山ぢさの花にか君がうつろひぬらむ
仮名 いきのをに おもへるわれを やまぢさの はなにかきみが うつろひぬらむ
   
  7/1361
原文 墨吉之 淺澤小野之 垣津幡 衣尓揩著 将衣日不知毛
訓読 住吉の浅沢小野のかきつはた衣に摺り付け着む日知らずも
仮名 すみのえの あささはをのの かきつはた きぬにすりつけ きむひしらずも
   
  7/1362
原文 秋去者 影毛将為跡 吾蒔之 韓藍之花乎 誰採家牟
訓読 秋さらば移しもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰れか摘みけむ
仮名 あきさらば うつしもせむと わがまきし からあゐのはなを たれかつみけむ
   
  7/1363
原文 春日野尓 咲有芽子者 片枝者 未含有 言勿絶行年
訓読 春日野に咲きたる萩は片枝はいまだふふめり言な絶えそね
仮名 かすがのに さきたるはぎは かたえだは いまだふふめり ことなたえそね
   
  7/1364
原文 欲見 戀管待之 秋芽子者 花耳開而 不成可毛将有
訓読 見まく欲り恋ひつつ待ちし秋萩は花のみ咲きてならずかもあらむ
仮名 みまくほり こひつつまちし あきはぎは はなのみさきて ならずかもあらむ
   
  7/1365
原文 吾妹子之 屋前之秋芽子 自花者 實成而許曽 戀益家礼
訓読 我妹子がやどの秋萩花よりは実になりてこそ恋ひまさりけれ
仮名 わぎもこが やどのあきはぎ はなよりは みになりてこそ こひまさりけれ
   
  7/1366
原文 明日香川 七瀬之不行尓 住鳥毛 意有社 波不立目
訓読 明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ
仮名 あすかがは ななせのよどに すむとりも こころあれこそ なみたてざらめ
   
  7/1367
原文 三國山 木末尓住歴 武佐左妣乃 此待鳥如 吾<俟>将痩
訓読 三国山木末に住まふむささびの鳥待つごとく我れ待ち痩せむ
仮名 みくにやま こぬれにすまふ むささびの とりまつごとく われまちやせむ
   
  7/1368
原文 石倉之 小野従秋津尓 發渡 雲西裳在哉 時乎思将待
訓読 岩倉の小野ゆ秋津に立ちわたる雲にしもあれや時をし待たむ
仮名 いはくらの をのゆあきづに たちわたる くもにしもあれや ときをしまたむ
   
  7/1369
原文 天雲 近光而 響神之 見者恐 不見者悲毛
訓読 天雲に近く光りて鳴る神の見れば畏し見ねば悲しも
仮名 あまくもに ちかくひかりて なるかみの みればかしこし みねばかなしも
   
  7/1370
原文 甚多毛 不零雨故 庭立水 太莫逝 人之應知
訓読 はなはだも降らぬ雨故にはたづみいたくな行きそ人の知るべく
仮名 はなはだも ふらぬあめゆゑ にはたづみ いたくなゆきそ ひとのしるべく
   
  7/1371
原文 久堅之 雨尓波不著乎 恠毛 吾袖者 干時無香
訓読 ひさかたの雨には着ぬをあやしくも我が衣手は干る時なきか
仮名 ひさかたの あめにはきぬを あやしくも わがころもでは ふるときなきか
   
  7/1372
原文 三空徃 月讀<壮>士 夕不去 目庭雖見 因縁毛無
訓読 み空行く月読壮士夕さらず目には見れども寄るよしもなし
仮名 みそらゆく つくよみをとこ ゆふさらず めにはみれども よるよしもなし
   
  7/1373
原文 春日山 々高有良之 石上 菅根将見尓 月待難
訓読 春日山山高くあらし岩の上の菅の根見むに月待ちかたし
仮名 かすがやま やまたかくあらし いはのうへの すがのねみむに つきまちかたし
   
  7/1374
原文 闇夜者 辛苦物乎 何時跡 吾待月毛 早毛照奴賀
訓読 闇の夜は苦しきものをいつしかと我が待つ月も早も照らぬか
仮名 やみのよは くるしきものを いつしかと わがまつつきも はやもてらぬか
   
  7/1375
原文 朝霜之 消安命 為誰 千歳毛欲得跡 吾念莫國
訓読 朝霜の消やすき命誰がために千年もがもと我が思はなくに
仮名 あさしもの けやすきいのち たがために ちとせもがもと わがおもはなくに
   
  7/1376
原文 山跡之 宇陀乃真赤土 左丹著者 曽許裳香人之 吾乎言将成
訓読 大和の宇陀の真埴のさ丹付かばそこもか人の我を言なさむ
仮名 やまとの うだのまはにの さにつかば そこもかひとの わをことなさむ
   
  7/1377
原文 木綿懸而 祭三諸乃 神佐備而 齋尓波不在 人目多見許<曽>
訓読 木綿懸けて祭る三諸の神さびて斎むにはあらず人目多みこそ
仮名 ゆふかけて まつるみもろの かむさびて いむにはあらず ひとめおほみこそ
   
  7/1378
原文 木綿懸而 齋此神社 可超 所念可毛 戀之繁尓
訓読 木綿懸けて斎ふこの社越えぬべく思ほゆるかも恋の繁きに
仮名 ゆふかけて いはふこのもり こえぬべく おもほゆるかも こひのしげきに
   
  7/1379
原文 不絶逝 明日香川之 不逝有者 故霜有如 人之見國
訓読 絶えず行く明日香の川の淀めらば故しもあるごと人の見まくに
仮名 たえずゆく あすかのかはの よどめらば ゆゑしもあるごと ひとのみまくに
   
  7/1380
原文 明日香川 湍瀬尓玉藻者 雖生有 四賀良美有者 靡不相
訓読 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに
仮名 あすかがは せぜにたまもは おひたれど しがらみあれば なびきあはなくに
   
  7/1381
原文 廣瀬<河> 袖衝許 淺乎也 心深目手 吾念有良武
訓読 広瀬川袖漬くばかり浅きをや心深めて我が思へるらむ
仮名 ひろせがは そでつくばかり あさきをや こころふかめて わがおもへるらむ
   
  7/1382
原文 泊瀬川 流水沫之 絶者許曽 吾念心 不遂登思齒目
訓読 泊瀬川流るる水沫の絶えばこそ我が思ふ心遂げじと思はめ
仮名 はつせがは ながるるみなわの たえばこそ あがおもふこころ とげじとおもはめ
   
  7/1383
原文 名毛伎世婆 人可知見 山川之 瀧情乎 塞敢<而>有鴨
訓読 嘆きせば人知りぬべみ山川のたぎつ心を塞かへてあるかも
仮名 なげきせば ひとしりぬべみ やまがはの たぎつこころを せかへてあるかも
   
  7/1384
原文 水隠尓 氣衝餘 早川之 瀬者立友 人二将言八方
訓読 水隠りに息づきあまり早川の瀬には立つとも人に言はめやも
仮名 みごもりに いきづきあまり はやかはの せにはたつとも ひとにいはめやも
   
  7/1385
原文 真鉇持 弓削河原之 埋木之 不可顕 事<尓>不有君
訓読 真鉋持ち弓削の川原の埋れ木のあらはるましじきことにあらなくに
仮名 まかなもち ゆげのかはらの うもれぎの あらはるましじき ことにあらなくに
   
  7/1386
原文 大船尓 真梶繁貫 水手出去之 奥<者>将深 潮者干去友
訓読 大船に真楫しじ貫き漕ぎ出なば沖は深けむ潮は干ぬとも
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき こぎでなば おきはふかけむ しほはひぬとも
   
  7/1387
原文 伏超従 去益物乎 間守尓 所打沾 浪不數為而
訓読 伏越ゆ行かましものをまもらふにうち濡らさえぬ波数まずして
仮名 ふしこえゆ ゆかましものを まもらふに うちぬらさえぬ なみよまずして
   
  7/1388
原文 石灑 岸之浦廻尓 縁浪 邊尓来依者香 言之将繁
訓読 石そそき岸の浦廻に寄する波辺に来寄らばか言の繁けむ
仮名 いはそそき きしのうらみに よするなみ へにきよらばか ことのしげけむ
   
  7/1389
原文 礒之浦尓 来依白浪 反乍 過不勝者 <誰>尓絶多倍
訓読 礒の浦に来寄る白波返りつつ過ぎかてなくは誰れにたゆたへ
仮名 いそのうらに きよるしらなみ かへりつつ すぎかてなくは たれにたゆたへ
   
  7/1390
原文 淡海之海 浪恐登 風守 年者也将經去 榜者無二
訓読 近江の海波畏みと風まもり年はや経なむ漕ぐとはなしに
仮名 あふみのうみ なみかしこみと かぜまもり としはやへなむ こぐとはなしに
   
  7/1391
原文 朝奈藝尓 来依白浪 欲見 吾雖為 風許増不令依
訓読 朝なぎに来寄る白波見まく欲り我れはすれども風こそ寄せね
仮名 あさなぎに きよるしらなみ みまくほり われはすれども かぜこそよせね
   
  7/1392
原文 紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成
訓読 紫の名高の浦の真砂土袖のみ触れて寝ずかなりなむ
仮名 むらさきの なたかのうらの まなごつち そでのみふれて ねずかなりなむ
   
  7/1393
原文 豊國之 <聞>之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆
訓読 豊国の企救の浜辺の真砂土真直にしあらば何か嘆かむ
仮名 とよくにの きくのはまへの まなごつち まなほにしあらば なにかなげかむ
   
  7/1394
原文 塩満者 入流礒之 草有哉 見良久少 戀良久乃太寸
訓読 潮満てば入りぬる礒の草なれや見らく少く恋ふらくの多き
仮名 しほみてば いりぬるいその くさなれや みらくすくなく こふらくのおほき
   
  7/1395
原文 奥浪 依流荒礒之 名告藻者 心中尓 疾跡成有
訓読 沖つ波寄する荒礒のなのりそは心のうちに障みとなれり
仮名 おきつなみ よするありその なのりそは こころのうちに つつみとなれり
   
  7/1396
原文 紫之 名高浦乃 名告藻之 於礒将靡 時待吾乎
訓読 紫の名高の浦のなのりその礒に靡かむ時待つ我れを
仮名 むらさきの なたかのうらの なのりその いそになびかむ ときまつわれを
   
  7/1397
原文 荒礒超 浪者恐 然為蟹 海之玉藻之 憎者不有手
訓読 荒礒越す波は畏ししかすがに海の玉藻の憎くはあらずて
仮名 ありそこす なみはかしこし しかすがに うみのたまもの にくくはあらずて
   
  7/1398
原文 神樂聲浪乃 四賀津之浦能 船乗尓 乗西意 常不所忘
訓読 楽浪の志賀津の浦の舟乗りに乗りにし心常忘らえず
仮名 ささなみの しがつのうらの ふなのりに のりにしこころ つねわすらえず
   
  7/1399
原文 百傳 八十之嶋廻乎 榜船尓 乗<尓志>情 忘不得裳
訓読 百伝ふ八十の島廻を漕ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも
仮名 ももづたふ やそのしまみを こぐふねに のりにしこころ わすれかねつも
   
  7/1400
原文 嶋傳 足速乃小舟 風守 年者也經南 相常齒無二
訓読 島伝ふ足早の小舟風まもり年はや経なむ逢ふとはなしに
仮名 しまづたふ あばやのをぶね かぜまもり としはやへなむ あふとはなしに
   
  7/1401
原文 水霧相 奥津小嶋尓 風乎疾見 船縁金都 心者念杼
訓読 水霧らふ沖つ小島に風をいたみ舟寄せかねつ心は思へど
仮名 みなぎらふ おきつこしまに かぜをいたみ ふねよせかねつ こころはおもへど
   
  7/1402
原文 殊放者 奥従酒甞 湊自 邊著經時尓 可放鬼香
訓読 こと放けば沖ゆ放けなむ港より辺著かふ時に放くべきものか
仮名 ことさけば おきゆさけなむ みなとより へつかふときに さくべきものか
   
  7/1403
原文 三幣帛取 神之祝我 鎮齋杉原 燎木伐 殆之國 手斧所取奴
訓読 御幣取り三輪の祝が斎ふ杉原薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ
仮名 みぬさとり みわのはふりが いはふすぎはら たきぎこり ほとほとしくに てをのとらえぬ
   
  7/1404
原文 鏡成 吾見之君乎 阿婆乃野之 花橘之 珠尓拾都
訓読 鏡なす我が見し君を阿婆の野の花橘の玉に拾ひつ
仮名 かがみなす わがみしきみを あばののの はなたちばなの たまにひりひつ
   
  7/1405
原文 蜻野S 人之懸者 朝蒔 君之所思而 嗟齒不病
訓読 秋津野を人の懸くれば朝撒きし君が思ほえて嘆きはやまず
仮名 あきづのを ひとのかくれば あさまきし きみがおもほえて なげきはやまず
   
  7/1406
原文 秋津野尓 朝居雲之 失去者 前裳今裳 無人所念
訓読 秋津野に朝居る雲の失せゆけば昨日も今日もなき人思ほゆ
仮名 あきづのに あさゐるくもの うせゆけば きのふもけふも なきひとおもほゆ
   
  7/1407
原文 隠口乃 泊瀬山尓 霞立 棚引雲者 妹尓鴨在武
訓読 隠口の泊瀬の山に霞立ちたなびく雲は妹にかもあらむ
仮名 こもりくの はつせのやまに かすみたち たなびくくもは いもにかもあらむ
   
  7/1408
原文 狂語香 逆言哉 隠口乃 泊瀬山尓 廬為云
訓読 たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬りせりといふ
仮名 たはことか およづれことか こもりくの はつせのやまに いほりせりといふ
   
  7/1409
原文 秋山 黄葉A怜 浦觸而 入西妹者 待不来
訓読 秋山の黄葉あはれとうらぶれて入りにし妹は待てど来まさず
仮名 あきやまの もみちあはれと うらぶれて いりにしいもは まてどきまさず
   
  7/1410
原文 世間者 信二代者 不徃有之 過妹尓 不相念者
訓読 世間はまこと二代はゆかざらし過ぎにし妹に逢はなく思へば
仮名 よのなかは まことふたよは ゆかざらし すぎにしいもに あはなくおもへば
   
  7/1411
原文 福 何有人香 黒髪之 白成左右 妹之音乎聞
訓読 幸はひのいかなる人か黒髪の白くなるまで妹が声を聞く
仮名 さきはひの いかなるひとか くろかみの しろくなるまで いもがこゑをきく
   
  7/1412
原文 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳
訓読 我が背子をいづち行かめとさき竹のそがひに寝しく今し悔しも
仮名 わがせこを いづちゆかめと さきたけの そがひにねしく いましくやしも
   
  7/1413
原文 庭津鳥 <可>鷄乃垂尾乃 乱尾乃 長心毛 不所念鴨
訓読 庭つ鳥鶏の垂り尾の乱れ尾の長き心も思ほえぬかも
仮名 にはつとり かけのたりをの みだれをの ながきこころも おもほえぬかも
   
  7/1414
原文 薦枕 相巻之兒毛 在者社 夜乃深良久毛 吾惜責
訓読 薦枕相枕きし子もあらばこそ夜の更くらくも我が惜しみせめ
仮名 こもまくら あひまきしこも あらばこそ よのふくらくも わがをしみせめ
   
  7/1415
原文 玉梓能 妹者珠氈 足氷木乃 清山邊 蒔散<柒>
訓読 玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる
仮名 たまづさの いもはたまかも あしひきの きよきやまへに まけばちりぬる
   
  7/1416
原文 玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影尓 麻氣者失留
訓読 玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる
仮名 たまづさの いもははなかも あしひきの このやまかげに まけばうせぬる
   
  7/1417
原文 名兒乃海乎 朝榜来者 海中尓 鹿子曽鳴成 A怜其水手
訓読 名児の海を朝漕ぎ来れば海中に鹿子ぞ鳴くなるあはれその鹿子
仮名 なこのうみを あさこぎくれば わたなかに かこぞなくなる あはれそのかこ
   

第八巻

   
   8/1418
原文 石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
訓読 石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
仮名 いはばしる たるみのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかも
  志貴皇子
   
  8/1419
原文 神奈備乃 伊波瀬乃社之 喚子鳥 痛莫鳴 吾戀益
訓読 神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる
仮名 かむなびの いはせのもりの よぶこどり いたくななきそ あがこひまさる
  鏡王女
   
  8/1420
原文 沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
訓読 沫雪かはだれに降ると見るまでに流らへ散るは何の花ぞも
仮名 あわゆきか はだれにふると みるまでに ながらへちるは なにのはなぞも
  駿河釆女
   
  8/1421
原文 春山之 開乃乎為<里>尓 春菜採 妹之白紐 見九四与四門
訓読 春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも
仮名 はるやまの さきのををりに はるなつむ いもがしらひも みらくしよしも
  尾張連
   
  8/1422
原文 打<靡> 春来良之 山際 遠木末乃 開徃見者
訓読 うち靡く春来るらし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば
仮名 うちなびく はるきたるらし やまのまの とほきこぬれの さきゆくみれば
  尾張連
   
  8/1423
原文 去年春 伊許自而殖之 吾屋外之 若樹梅者 花咲尓家里
訓読 去年の春いこじて植ゑし我がやどの若木の梅は花咲きにけり
仮名 こぞのはる いこじてうゑし わがやどの わかきのうめは はなさきにけり
  阿倍広庭
   
  8/1424
原文 春野尓 須美礼採尓等 来師吾曽 野乎奈都可之美 一夜宿二来
訓読 春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける
仮名 はるののに すみれつみにと こしわれぞ のをなつかしみ ひとよねにける
  山部赤人
   
  8/1425
原文 足比奇乃 山櫻花 日並而 如是開有者 甚戀目夜裳
訓読 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも
仮名 あしひきの やまさくらばな ひならべて かくさきたらば いたくこひめやも
  山部赤人
   
  8/1426
原文 吾勢子尓 令見常念之 梅花 其十方不所見 雪乃零有者
訓読 我が背子に見せむと思ひし梅の花それとも見えず雪の降れれば
仮名 わがせこに みせむとおもひし うめのはな それともみえず ゆきのふれれば
  山部赤人
   
  8/1427
原文 従明日者 春菜将採跡 標之野尓 昨日毛今日<母> 雪波布利管
訓読 明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ
仮名 あすよりは はるなつまむと しめしのに きのふもけふも ゆきはふりつつ
  山部赤人
   
  8/1428
原文 忍照 難波乎過而 打靡 草香乃山乎 暮晩尓 吾越来者 山毛世尓 咲有馬酔木乃 不悪 君乎何時 徃而早将見
訓読 おしてる 難波を過ぎて うち靡く 草香の山を 夕暮れに 我が越え来れば 山も狭に 咲ける馬酔木の 悪しからぬ 君をいつしか 行きて早見む
仮名 おしてる なにはをすぎて うちなびく くさかのやまを ゆふぐれに わがこえくれば やまもせに さけるあしびの あしからぬ きみをいつしか ゆきてはやみむ
   
  8/1429
原文 D嬬等之 頭挿乃多米尓 遊士之 蘰之多米等 敷座流 國乃波多弖尓 開尓鶏類 櫻花能 丹穂日波母安奈<尓>
訓読 娘子らが かざしのために 風流士の かづらのためと 敷きませる 国のはたてに 咲きにける 桜の花の にほひはもあなに
仮名 をとめらが かざしのために みやびをの かづらのためと しきませる くにのはたてに さきにける さくらのはなの にほひはもあなに
   
  8/1430
原文 去年之春 相有之君尓 戀尓手師 櫻花者 迎来良之母
訓読 去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも
仮名 こぞのはる あへりしきみに こひにてし さくらのはなは むかへけらしも
   
  8/1431
原文 百濟野乃 芽古枝尓 待春跡 居之鴬 鳴尓鶏鵡鴨
訓読 百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも
仮名 くだらのの はぎのふるえに はるまつと をりしうぐひす なきにけむかも
  山部赤人
   
  8/1432
原文 吾背兒我 見良牟佐保道乃 青柳乎 手折而谷裳 見<縁>欲得
訓読 我が背子が見らむ佐保道の青柳を手折りてだにも見むよしもがも
仮名 わがせこが みらむさほぢの あをやぎを たをりてだにも みむよしもがも
  坂上郎女
   
  8/1433
原文 打上 佐保能河原之 青柳者 今者春部登 成尓鶏類鴨
訓読 うち上る佐保の川原の青柳は今は春へとなりにけるかも
仮名 うちのぼる さほのかはらの あをやぎは いまははるへと なりにけるかも
  坂上郎女
   
  8/1434
原文 霜雪毛 未過者 不思尓 春日里尓 梅花見都
訓読 霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに春日の里に梅の花見つ
仮名 しもゆきも いまだすぎねば おもはぬに かすがのさとに うめのはなみつ
  大伴三林
   
  8/1435
原文 河津鳴 甘南備河尓 陰所見<而> 今香開良武 山振乃花
訓読 かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花
仮名 かはづなく かむなびかはに かげみえて いまかさくらむ やまぶきのはな
  厚見王
   
  8/1436
原文 含有常 言之梅我枝 今旦零四 沫雪二相而 将開可聞
訓読 含めりと言ひし梅が枝今朝降りし沫雪にあひて咲きぬらむかも
仮名 ふふめりと いひしうめがえ けさふりし あわゆきにあひて さきぬらむかも
  大伴村上
   
  8/1437
原文 霞立 春日之里 梅花 山下風尓 落許須莫湯目
訓読 霞立つ春日の里の梅の花山のあらしに散りこすなゆめ
仮名 かすみたつ かすがのさとの うめのはな やまのあらしに ちりこすなゆめ
  大伴村上
   
  8/1438
原文 霞立 春日里之 梅花 波奈尓将問常 吾念奈久尓
訓読 霞立つ春日の里の梅の花花に問はむと我が思はなくに
仮名 かすみたつ かすがのさとの うめのはな はなにとはむと わがおもはなくに
  大伴駿河麻呂
   
  8/1439
原文 時者今者 春尓成跡 三雪零 遠山邊尓 霞多奈婢久
訓読 時は今は春になりぬとみ雪降る遠山の辺に霞たなびく
仮名 ときはいまは はるになりぬと みゆきふる とほやまのへに かすみたなびく
  中臣武良自
   
  8/1440
原文 春雨乃 敷布零尓 高圓 山能櫻者 何如有良武
訓読 春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ
仮名 はるさめの しくしくふるに たかまとの やまのさくらは いかにかあるらむ
  河辺東人
   
  8/1441
原文 打霧之 雪者零乍 然為我二 吾宅乃苑尓 鴬鳴裳
訓読 うち霧らひ雪は降りつつしかすがに我家の苑に鴬鳴くも
仮名 うちきらし ゆきはふりつつ しかすがに わぎへのそのに うぐひすなくも
  大伴家持
   
  8/1442
原文 難波邊尓 人之行礼波 後居而 春菜採兒乎 見之悲也
訓読 難波辺に人の行ければ後れ居て春菜摘む子を見るが悲しさ
仮名 なにはへに ひとのゆければ おくれゐて はるなつむこを みるがかなしさ
  丹比屋主
   
  8/1443
原文 霞立 野上乃方尓 行之可波 鴬鳴都 春尓成良思
訓読 霞立つ野の上の方に行きしかば鴬鳴きつ春になるらし
仮名 かすみたつ ののへのかたに ゆきしかば うぐひすなきつ はるになるらし
  丹比乙麻呂
   
  8/1444
原文 山振之 咲有野邊乃 都保須美礼 此春之雨尓 盛奈里鶏利
訓読 山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり
仮名 やまぶきの さきたるのへの つほすみれ このはるのあめに さかりなりけり
  高田女王
   
  8/1445
原文 風交 雪者雖零 實尓不成 吾宅之梅乎 花尓令落莫
訓読 風交り雪は降るとも実にならぬ我家の梅を花に散らすな
仮名 かぜまじり ゆきはふるとも みにならぬ わぎへのうめを はなにちらすな
  坂上郎女
   
  8/1446
原文 春野尓 安佐留雉乃 妻戀尓 己我當乎 人尓令知管
訓読 春の野にあさる雉の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ
仮名 はるののに あさるきぎしの つまごひに おのがあたりを ひとにしれつつ
  大伴家持
   
  8/1447
原文 尋常 聞者苦寸 喚子鳥 音奈都炊 時庭成奴
訓読 世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ
仮名 よのつねに きけばくるしき よぶこどり こゑなつかしき ときにはなりぬ
  坂上郎女
   
  8/1448
原文 吾屋外尓 蒔之瞿麥 何時毛 花尓咲奈武 名蘇經乍見武
訓読 我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
仮名 わがやどに まきしなでしこ いつしかも はなにさきなむ なそへつつみむ
  大伴家持
   
  8/1449
原文 茅花抜 淺茅之原乃 都保須美礼 今盛有 吾戀苦波
訓読 茅花抜く浅茅が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふらくは
仮名 つばなぬく あさぢがはらの つほすみれ いまさかりなり あがこふらくは
  田村大嬢
   
  8/1450
原文 情具伎 物尓曽有鶏類 春霞 多奈引時尓 戀乃繁者
訓読 心ぐきものにぞありける春霞たなびく時に恋の繁きは
仮名 こころぐき ものにぞありける はるかすみ たなびくときに こひのしげきは
  坂上郎女
   
  8/1451
原文 水鳥之 鴨乃羽色乃 春山乃 於保束無毛 所念可聞
訓読 水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも思ほゆるかも
仮名 みづどりの かものはいろの はるやまの おほつかなくも おもほゆるかも
  笠郎女
   
  8/1452
原文 闇夜有者 宇倍毛不来座 梅花 開月夜尓 伊而麻左自常屋
訓読 闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
仮名 やみならば うべもきまさじ うめのはな さけるつくよに いでまさじとや
  紀女郎
   
  8/1453
原文 玉手次 不懸時無 氣緒尓 吾念公者 虚蝉之 <世人有者 大王之> 命恐 夕去者 鶴之妻喚 難波方 三津埼従 大舶尓 二梶繁貫 白浪乃 高荒海乎 嶋傳 伊別徃者 留有 吾者幣引 齋乍 公乎者将<待> 早還万世
訓読 玉たすき 懸けぬ時なく 息の緒に 我が思ふ君は うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 夕されば 鶴が妻呼ぶ 難波潟 御津の崎より 大船に 真楫しじ貫き 白波の 高き荒海を 島伝ひ い別れ行かば 留まれる 我れは幣引き 斎ひつつ 君をば待たむ 早帰りませ
仮名 たまたすき かけぬときなく いきのをに あがおもふきみは うつせみの よのひとなれば おほきみの みことかしこみ ゆふされば たづがつまよぶ なにはがた みつのさきより おほぶねに まかぢしじぬき しらなみの たかきあるみを しまづたひ いわかれゆかば とどまれる われはぬさひき いはひつつ きみをばまたむ はやかへりませ
  笠金村
   
  8/1454
原文 波上従 所見兒嶋之 雲隠 穴氣衝之 相別去者
訓読 波の上ゆ見ゆる小島の雲隠りあな息づかし相別れなば
仮名 なみのうへゆ みゆるこしまの くもがくり あないきづかし あひわかれなば
  笠金村
   
  8/1455
原文 玉切 命向 戀従者 公之三舶乃 梶柄母我
訓読 たまきはる命に向ひ恋ひむゆは君が御船の楫柄にもが
仮名 たまきはる いのちにむかひ こひむゆは きみがみふねの かぢからにもが
  笠金村
   
  8/1456
原文 此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫
訓読 この花の一節のうちに百種の言ぞ隠れるおほろかにすな
仮名 このはなの ひとよのうちに ももくさの ことぞこもれる おほろかにすな
  藤原広嗣
   
  8/1457
原文 此花乃 一与能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也
訓読 この花の一節のうちは百種の言待ちかねて折らえけらずや
仮名 このはなの ひとよのうちは ももくさの ことまちかねて をらえけらずや
  娘子
   
  8/1458
原文 室戸在 櫻花者 今毛香聞 松風疾 地尓落良武
訓読 やどにある桜の花は今もかも松風早み地に散るらむ
仮名 やどにある さくらのはなは いまもかも まつかぜはやみ つちにちるらむ
  厚見王
   
  8/1459
原文 世間毛 常尓師不有者 室戸尓有 櫻花乃 不所比日可聞
訓読 世間も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも
仮名 よのなかも つねにしあらねば やどにある さくらのはなの ちれるころかも
  久米女郎
   
  8/1460
原文 戯奴 [變云 和氣] 之為 吾手母須麻尓 春野尓 抜流茅花曽 御食而肥座
訓読 戯奴 [變云 わけ] がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花ぞ食して肥えませ
仮名 わけ[わけ] がため わがてもすまに はるののに ぬけるつばなぞ めしてこえませ
  紀女郎
   
  8/1461
原文 晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳将見哉 和氣佐倍尓見代
訓読 昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ
仮名 ひるはさき よるはこひぬる ねぶのはな きみのみみめや わけさへにみよ
  紀女郎
   
  8/1462
原文 吾君尓 戯奴者戀良思 給有 茅花手雖喫 弥痩尓夜須
訓読 我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食めどいや痩せに痩す
仮名 あがきみに わけはこふらし たばりたる つばなをはめど いややせにやす
  大伴家持
   
  8/1463
原文 吾妹子之 形見乃合歡木者 花耳尓 咲而盖 實尓不成鴨
訓読 我妹子が形見の合歓木は花のみに咲きてけだしく実にならじかも
仮名 わぎもこが かたみのねぶは はなのみに さきてけだしく みにならじかも
  大伴家持
   
  8/1464
原文 春霞 軽引山乃 隔者 妹尓不相而 月曽經去来
訓読 春霞たなびく山のへなれれば妹に逢はずて月ぞ経にける
仮名 はるかすみ たなびくやまの へなれれば いもにあはずて つきぞへにける
  大伴家持
  へなれれば;へたたれは, いもにあはずて;いもにあはすて, つきぞへにける;つきそへにける,
   
  8/1465
原文 霍公鳥 痛莫鳴 汝音乎 五月玉尓 相貫左右二
訓読 霍公鳥いたくな鳴きそ汝が声を五月の玉にあへ貫くまでに
仮名 ほととぎす いたくななきそ ながこゑを さつきのたまに あへぬくまでに
  藤原夫人
   
  8/1466
原文 神名火乃 磐瀬之<社>之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴
訓読 神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ
仮名 かむなびの いはせのもりの ほととぎす けなしのをかに いつかきなかむ
  志貴皇子
   
  8/1467
原文 霍公鳥 無流國尓毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母
訓読 霍公鳥なかる国にも行きてしかその鳴く声を聞けば苦しも
仮名 ほととぎす なかるくににも ゆきてしか そのなくこゑを きけばくるしも
  弓削皇子
   
  8/1468
原文 霍公鳥 音聞小野乃 秋風<尓> 芽開礼也 聲之乏寸
訓読 霍公鳥声聞く小野の秋風に萩咲きぬれや声の乏しき
仮名 ほととぎす こゑきくをのの あきかぜに はぎさきぬれや こゑのともしき
  小治田広瀬王
   
  8/1469
原文 足引之 山霍公鳥 汝鳴者 家有妹 常所思
訓読 あしひきの山霍公鳥汝が鳴けば家なる妹し常に偲はゆ
仮名 あしひきの やまほととぎす ながなけば いへなるいもし つねにしのはゆ
  沙弥
   
  8/1470
原文 物部乃 石瀬之<社>乃 霍公鳥 今毛鳴奴<香> 山之常影尓
訓読 もののふの石瀬の社の霍公鳥今も鳴かぬか山の常蔭に
仮名 もののふの いはせのもりの ほととぎす いまもなかぬか やまのとかげに
  刀理宣令
   
  8/1471
原文 戀之家婆 形見尓将為跡 吾屋戸尓 殖之藤浪 今開尓家里
訓読 恋しけば形見にせむと我がやどに植ゑし藤波今咲きにけり
仮名 こひしけば かたみにせむと わがやどに うゑしふぢなみ いまさきにけり
  山部赤人
   
  8/1472
原文 霍公鳥 来鳴令響 宇乃花能 共也来之登 問麻思物乎
訓読 霍公鳥来鳴き響もす卯の花の伴にや来しと問はましものを
仮名 ほととぎす きなきとよもす うのはなの ともにやこしと とはましものを
  石上堅魚
   
  8/1473
原文 橘之 花散里乃 霍公鳥 片戀為乍 鳴日四曽多寸
訓読 橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
仮名 たちばなの はなちるさとの ほととぎす かたこひしつつ なくひしぞおほき
  大伴旅人
   
  8/1474
原文 今毛可聞 大城乃山尓 霍公鳥 鳴令響良武 吾無礼杼毛
訓読 今もかも大城の山に霍公鳥鳴き響むらむ我れなけれども
仮名 いまもかも おほきのやまに ほととぎす なきとよむらむ われなけれども
  坂上郎女
   
  8/1475
原文 何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曽益礼
訓読 何しかもここだく恋ふる霍公鳥鳴く声聞けば恋こそまされ
仮名 なにしかも ここだくこふる ほととぎす なくこゑきけば こひこそまされ
  坂上郎女
   
  8/1476
原文 獨居而 物念夕尓 霍公鳥 従此間鳴渡 心四有良思
訓読 ひとり居て物思ふ宵に霍公鳥こゆ鳴き渡る心しあるらし
仮名 ひとりゐて ものもふよひに ほととぎす こゆなきわたる こころしあるらし
  小治田広耳
   
  8/1477
原文 宇能花毛 未開者 霍公鳥 佐保乃山邊 来鳴令響
訓読 卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす
仮名 うのはなも いまださかねば ほととぎす さほのやまへに きなきとよもす
  大伴家持
   
  8/1478
原文 吾屋前之 花橘乃 何時毛 珠貫倍久 其實成奈武
訓読 我が宿の花橘のいつしかも玉に貫くべくその実なりなむ
仮名 わがやどの はなたちばなの いつしかも たまにぬくべく そのみなりなむ
  大伴家持
   
  8/1479
原文 隠耳 居者欝悒 奈具左武登 出立聞者 来鳴日晩
訓読 隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
仮名 こもりのみ をればいぶせみ なぐさむと いでたちきけば きなくひぐらし
  大伴家持
   
  8/1480
原文 我屋戸尓 月押照有 霍公鳥 心有今夜 来鳴令響
訓読 我が宿に月おし照れり霍公鳥心あれ今夜来鳴き響もせ
仮名 わがやどに つきおしてれり ほととぎす こころあれこよひ きなきとよもせ
  大伴書持
   
  8/1481
原文 我屋<戸>前乃 花橘尓 霍公鳥 今社鳴米 友尓相流時
訓読 我が宿の花橘に霍公鳥今こそ鳴かめ友に逢へる時
仮名 わがやどの はなたちばなに ほととぎす いまこそなかめ ともにあへるとき
  大伴書持
   
  8/1482
原文 皆人之 待師宇能花 雖落 奈久霍公鳥 吾将忘哉
訓読 皆人の待ちし卯の花散りぬとも鳴く霍公鳥我れ忘れめや
仮名 みなひとの まちしうのはな ちりぬとも なくほととぎす われわすれめや
  大伴清縄
   
  8/1483
原文 吾背子之 屋戸乃橘 花乎吉美 鳴霍公鳥 見曽吾来之
訓読 我が背子が宿の橘花をよみ鳴く霍公鳥見にぞ我が来し
仮名 わがせこが やどのたちばな はなをよみ なくほととぎす みにぞわがこし
  奄君諸立
   
  8/1484
原文 霍公鳥 痛莫鳴 獨居而 寐乃不所宿 聞者苦毛
訓読 霍公鳥いたくな鳴きそひとり居て寐の寝らえぬに聞けば苦しも
仮名 ほととぎす いたくななきそ ひとりゐて いのねらえぬに きけばくるしも
  坂上郎女
   
  8/1485
原文 ,夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香
訓読 夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らば移ろひなむか
仮名 なつまけて さきたるはねず ひさかたの あめうちふらば うつろひなむか
  大伴家持
   
  8/1486
原文 吾屋前之 花橘乎 霍公鳥 来不喧地尓 令落常香
訓読 我が宿の花橘を霍公鳥来鳴かず地に散らしてむとか
仮名 わがやどの はなたちばなを ほととぎす きなかずつちに ちらしてむとか
  大伴家持
   
  8/1487
原文 霍公鳥 不念有寸 木晩乃 如此成左右尓 奈何不来喧
訓読 霍公鳥思はずありき木の暗のかくなるまでに何か来鳴かぬ
仮名 ほととぎす おもはずありき このくれの かくなるまでに なにかきなかぬ
  大伴家持
   
  8/1488
原文 何處者 鳴毛思仁家武 霍公鳥 吾家乃里尓 <今>日耳曽鳴
訓読 いづくには鳴きもしにけむ霍公鳥我家の里に今日のみぞ鳴く
仮名 いづくには なきもしにけむ ほととぎす わぎへのさとに けふのみぞなく
  大伴家持
   
  8/1489
原文 吾屋前之 花橘者 落過而 珠尓可貫 實尓成二家利
訓読 我が宿の花橘は散り過ぎて玉に貫くべく実になりにけり
仮名 わがやどの はなたちばなは ちりすぎて たまにぬくべく みになりにけり
  大伴家持
   
  8/1490
原文 霍公鳥 雖待不来喧 <菖>蒲草 玉尓貫日乎 未遠美香
訓読 霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか
仮名 ほととぎす まてどきなかず あやめぐさ たまにぬくひを いまだとほみか
  大伴家持
   
  8/1491
原文 宇乃花能 過者惜香 霍公鳥 雨間毛不置 従此間喧渡
訓読 卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴き渡る
仮名 うのはなの すぎばをしみか ほととぎす あままもおかず こゆなきわたる
  大伴家持
   
  8/1492
原文 君家乃 花橘者 成尓家利 花乃有時尓 相益物乎
訓読 君が家の花橘はなりにけり花のある時に逢はましものを
仮名 きみがいへの はなたちばなは なりにけり はななるときに あはましものを
  遊行女婦
   
  8/1493
原文 吾屋前乃 花橘乎 霍公鳥 来鳴令動而 本尓令散都
訓読 我が宿の花橘を霍公鳥来鳴き響めて本に散らしつ
仮名 わがやどの はなたちばなを ほととぎす きなきとよめて もとにちらしつ
  大伴村上
   
  8/1494
原文 夏山之 木末乃繁尓 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遥佐
訓読 夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ
仮名 なつやまの こぬれのしげに ほととぎす なきとよむなる こゑのはるけさ
  大伴家持
   
  8/1495
原文 足引乃 許乃間立八十一 霍公鳥 如此聞始而 後将戀可聞
訓読 あしひきの木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむかも
仮名 あしひきの このまたちくく ほととぎす かくききそめて のちこひむかも
  大伴家持
   
  8/1496
原文 吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母
訓読 我が宿のなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも
仮名 わがやどの なでしこのはな さかりなり たをりてひとめ みせむこもがも
  大伴家持
   
  8/1497
原文 筑波根尓 吾行利世波 霍公鳥 山妣兒令響 鳴麻志也其
訓読 筑波嶺に我が行けりせば霍公鳥山彦響め鳴かましやそれ
仮名 つくはねに わがゆけりせば ほととぎす やまびことよめ なかましやそれ
  高橋虫麻呂歌集
   
  8/1498
原文 無暇 不来之君尓 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社
訓読 暇なみ来まさぬ君に霍公鳥我れかく恋ふと行きて告げこそ
仮名 いとまなみ きまさぬきみに ほととぎす あれかくこふと ゆきてつげこそ
  坂上郎女
   
  8/1499
原文 事繁 君者不来益 霍公鳥 汝太尓来鳴 朝戸将開
訓読 言繁み君は来まさず霍公鳥汝れだに来鳴け朝戸開かむ
仮名 ことしげみ きみはきまさず ほととぎす なれだにきなけ あさとひらかむ
  大伴四綱
   
  8/1500
原文 夏野<之> 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽
訓読 夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ
仮名 なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬこひは くるしきものぞ
  坂上郎女
   
  8/1501
原文 霍公鳥 鳴峯乃上能 宇乃花之 猒事有哉 君之不来益
訓読 霍公鳥鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ
仮名 ほととぎす なくをのうへの うのはなの うきことあれや きみがきまさぬ
  小治田広耳
   
  8/1502
原文 五月之 花橘乎 為君 珠尓社貫 零巻惜美
訓読 五月の花橘を君がため玉にこそ貫け散らまく惜しみ
仮名 さつきの はなたちばなを きみがため たまにこそぬけ ちらまくをしみ
  坂上郎女
   
  8/1503
原文 吾妹兒之 家乃垣内乃 佐由理花 由利登云者 不<欲>云二似
訓読 我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る
仮名 わぎもこが いへのかきつの さゆりばな ゆりといへるは いなといふににる
  紀豊河
   
  8/1504
原文 暇無 五月乎尚尓 吾妹兒我 花橘乎 不見可将過
訓読 暇なみ五月をすらに我妹子が花橘を見ずか過ぎなむ
仮名 いとまなみ さつきをすらに わぎもこが はなたちばなを みずかすぎなむ
  高安王
   
  8/1505
原文 霍公鳥 鳴之登時 君之家尓 徃跡追者 将至鴨
訓読 霍公鳥鳴きしすなはち君が家に行けと追ひしは至りけむかも
仮名 ほととぎす なきしすなはち きみがいへに ゆけとおひしは いたりけむかも
  大神女郎
   
  8/1506
原文 古郷之 奈良思乃岳能 霍公鳥 言告遣之 何如告寸八
訓読 故郷の奈良思の岡の霍公鳥言告げ遣りしいかに告げきや
仮名 ふるさとの ならしのをかの ほととぎす ことつげやりし いかにつげきや
  田村大嬢
   
  8/1507
原文 伊加登伊可等 有吾屋前尓 百枝刺 於布流橘 玉尓貫 五月乎近美 安要奴我尓 花咲尓家里 朝尓食尓 出見毎 氣緒尓 吾念妹尓 銅鏡 清月夜尓 直一眼 令覩麻而尓波 落許須奈 由<米>登云管 幾許 吾守物乎 宇礼多伎也 志許霍公鳥 暁之 裏悲尓 雖追雖追 尚来鳴而 徒 地尓令散者 為便乎奈美 <攀>而手折都 見末世吾妹兒
訓読 いかといかと ある我が宿に 百枝さし 生ふる橘 玉に貫く 五月を近み あえぬがに 花咲きにけり 朝に日に 出で見るごとに 息の緒に 我が思ふ妹に まそ鏡 清き月夜に ただ一目 見するまでには 散りこすな ゆめと言ひつつ ここだくも 我が守るものを うれたきや 醜霍公鳥 暁の うら悲しきに 追へど追へど なほし来鳴きて いたづらに 地に散らせば すべをなみ 攀ぢて手折りつ 見ませ我妹子
仮名 いかといかと あるわがやどに ももえさし おふるたちばな たまにぬく さつきをちかみ あえぬがに はなさきにけり あさにけに いでみるごとに いきのをに あがおもふいもに まそかがみ きよきつくよに ただひとめ みするまでには ちりこすな ゆめといひつつ ここだくも わがもるものを うれたきや しこほととぎす あかときの うらがなしきに おへどおへど なほしきなきて いたづらに つちにちらせば すべをなみ よぢてたをりつ みませわぎもこ
  大伴家持
   
  8/1508
原文 望降 清月夜尓 吾妹兒尓 令覩常念之 屋前之橘
訓読 望ぐたち清き月夜に我妹子に見せむと思ひしやどの橘
仮名 もちぐたち きよきつくよに わぎもこに みせむとおもひし やどのたちばな
  大伴家持
   
  8/1509
原文 妹之見而 後毛将鳴 霍公鳥 花橘乎 地尓落津
訓読 妹が見て後も鳴かなむ霍公鳥花橘を地に散らしつ
仮名 いもがみて のちもなかなむ ほととぎす はなたちばなを つちにちらしつ
  大伴家持
   
  8/1510
原文 瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花尓有目八方
訓読 なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標めし野の花にあらめやも
仮名 なでしこは さきてちりぬと ひとはいへど わがしめしのの はなにあらめやも
  大伴家持
   
  8/1511
原文 暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐<宿>家良思母
訓読 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
仮名 ゆふされば をぐらのやまに なくしかは こよひはなかず いねにけらしも
  舒明天皇
   
  8/1512
原文 經毛無 緯毛不定 未通女等之 織黄葉尓 霜莫零
訓読 経もなく緯も定めず娘子らが織る黄葉に霜な降りそね
仮名 たてもなく ぬきもさだめず をとめらが おるもみちばに しもなふりそね
  大津皇子
   
  8/1513
原文 今朝之旦開 鴈之鳴聞都 春日山 黄葉家良思 吾情痛之
訓読 今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
仮名 けさのあさけ かりがねききつ かすがやま もみちにけらし あがこころいたし
  穂積皇子
   
  8/1514
原文 秋芽者 可咲有良之 吾屋戸之 淺茅之花乃 散去見者
訓読 秋萩は咲くべくあらし我がやどの浅茅が花の散りゆく見れば
仮名 あきはぎは さくべくあらし わがやどの あさぢがはなの ちりゆくみれば
  穂積皇子
   
  8/1515
原文 事繁 里尓不住者 今朝鳴之 鴈尓副而 去益物乎 [一云 國尓不有者]
訓読 言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁にたぐひて行かましものを [一云 国にあらずは]
仮名 ことしげき さとにすまずは けさなきし かりにたぐひて ゆかましものを [くににあらずは]
  但馬皇女
   
  8/1516
原文 秋山尓 黄反木葉乃 移去者 更哉秋乎 欲見世武
訓読 秋山にもみつ木の葉のうつりなばさらにや秋を見まく欲りせむ
仮名 あきやまに もみつこのはの うつりなば さらにやあきを みまくほりせむ
  山部王
   
  8/1517
原文 味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉<乃> 散莫惜毛
訓読 味酒三輪のはふりの山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも
仮名 うまさけ みわのはふりの やまてらす あきのもみちの ちらまくをしも
  長屋王
   
  8/1518
原文 天漢 相向立而 吾戀之 君来益奈利 紐解設奈 [一云 向河]
訓読 天の川相向き立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き設けな [一云 川に向ひて]
仮名 あまのがは あひむきたちて あがこひし きみきますなり ひもときまけな [かはにむかひて]
  山上憶良
   
  8/1519
原文 久方之 漢<瀬>尓 船泛而 今夜可君之 我許来益武
訓読 久方の天の川瀬に舟浮けて今夜か君が我がり来まさむ
仮名 ひさかたの あまのかはせに ふねうけて こよひかきみが わがりきまさむ
  山上憶良
   
  8/1520
原文 牽牛者 織女等 天地之 別時<由> 伊奈宇之呂 河向立 <思>空 不安久尓 嘆空 不安久尓 青浪尓 望者多要奴 白雲尓 渧者盡奴 如是耳也 伊伎都枳乎良牟 如是耳也 戀都追安良牟 佐丹塗之 小船毛賀茂 玉纒之 真可伊毛我母 [一云 小棹毛何毛] 朝奈藝尓 伊可伎渡 夕塩尓 [一云 夕倍尓毛] 伊許藝渡 久方之 天河原尓 天飛也 領巾可多思吉 真玉手乃 玉手指更 餘宿毛 寐而師可聞 [一云 伊毛左祢而師加] 秋尓安良受登母 [一云 秋不待登毛]
訓読 彦星は 織女と 天地の 別れし時ゆ いなうしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望みは絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも [一云 小棹もがも] 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に [一云 夕にも] い漕ぎ渡り 久方の 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐ねてしかも [一云 寐もさ寝てしか] 秋にあらずとも [一云 秋待たずとも]
仮名 ひこほしは たなばたつめと あめつちの わかれしときゆ いなうしろ かはにむきたち おもふそら やすけなくに なげくそら やすけなくに あをなみに のぞみはたえぬ しらくもに なみたはつきぬ かくのみや いきづきをらむ かくのみや こひつつあらむ さにぬりの をぶねもがも たままきの まかいもがも [をさをもがも] あさなぎに いかきわたり ゆふしほに [ゆふべにも] いこぎわたり ひさかたの あまのかはらに あまとぶや ひれかたしき またまでの たまでさしかへ あまたよも いねてしかも [いもさねてしか] あきにあらずとも [あきまたずとも]
  山上憶良
   
  8/1521
原文 風雲者 二岸尓 可欲倍杼母 吾遠嬬之 [一云 波之嬬乃] 事曽不通
訓読 風雲は二つの岸に通へども我が遠妻の [一云 愛し妻の] 言ぞ通はぬ
仮名 かぜくもは ふたつのきしに かよへども わがとほづまの[はしつまの] ことぞかよはぬ
  山上憶良
   
  8/1522
原文 多夫手二毛 投越都倍<吉> 天漢 敝太而礼婆可母 安麻多須辨奈吉
訓読 たぶてにも投げ越しつべき天の川隔てればかもあまたすべなき
仮名 たぶてにも なげこしつべき あまのがは へだてればかも あまたすべなき
  山上憶良
   
  8/1523
原文 秋風之 吹尓之日従 何時可登 吾待戀之 君曽来座流
訓読 秋風の吹きにし日よりいつしかと我が待ち恋ひし君ぞ来ませる
仮名 あきかぜの ふきにしひより いつしかと あがまちこひし きみぞきませる
  山上憶良
   
  8/1524
原文 天漢 伊刀河浪者 多々祢杼母 伺候難之 近此瀬呼
訓読 天の川いと川波は立たねどもさもらひかたし近きこの瀬を
仮名 あまのがは いとかはなみは たたねども さもらひかたし ちかきこのせを
  山上憶良
   
  8/1525
原文 袖振者 見毛可波之都倍久 雖近 度為便無 秋西安良祢波
訓読 袖振らば見も交しつべく近けども渡るすべなし秋にしあらねば
仮名 そでふらば みもかはしつべく ちかけども わたるすべなし あきにしあらねば
  山上憶良
   
  8/1526
原文 玉蜻蜒 髣髴所見而 別去者 毛等奈也戀牟 相時麻而波
訓読 玉かぎるほのかに見えて別れなばもとなや恋ひむ逢ふ時までは
仮名 たまかぎる ほのかにみえて わかれなば もとなやこひむ あふときまでは
  山上憶良
   
  8/1527
原文 牽牛之 迎嬬船 己藝出良之 <天>漢原尓 霧之立波
訓読 彦星の妻迎へ舟漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは
仮名 ひこほしの つまむかへぶね こぎづらし あまのかはらに きりのたてるは
  山上憶良
   
  8/1528
原文 霞立 天河原尓 待君登 伊徃<還>尓 裳襴所沾
訓読 霞立つ天の川原に君待つとい行き帰るに裳の裾濡れぬ
仮名 かすみたつ あまのかはらに きみまつと いゆきかへるに ものすそぬれぬ
  山上憶良
   
  8/1529
原文 天河 浮津之浪音 佐和久奈里 吾待君思 舟出為良之母
訓読 天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも
仮名 あまのがは うきつのなみおと さわくなり わがまつきみし ふなですらしも
  山上憶良
   
  8/1530
原文 娘部思 秋芽子交 蘆城野 今日乎始而 萬代尓将見
訓読 をみなへし秋萩交る蘆城の野今日を始めて万世に見む
仮名 をみなへし あきはぎまじる あしきのの けふをはじめて よろづよにみむ
   
  8/1531
原文 珠匣 葦木乃河乎 今日見者 迄萬代 将忘八方
訓読 玉櫛笥蘆城の川を今日見ては万代までに忘らえめやも
仮名 たまくしげ あしきのかはを けふみては よろづよまでに わすらえめやも
   
  8/1532
原文 草枕 客行人毛 徃觸者 尓保比奴倍久毛 開流芽子香聞
訓読 草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも
仮名 くさまくら たびゆくひとも ゆきふれば にほひぬべくも さけるはぎかも
  笠金村
   
  8/1533
原文 伊香山 野邊尓開有 芽子見者 公之家有 尾花之所念
訓読 伊香山野辺に咲きたる萩見れば君が家なる尾花し思ほゆ
仮名 いかごやま のへにさきたる はぎみれば きみがいへなる をばなしおもほゆ
  笠金村
   
  8/1534
原文 娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去褁跡 為乞兒
訓読 をみなへし秋萩折れれ玉桙の道行きづとと乞はむ子がため
仮名 をみなへし あきはぎをれれ たまほこの みちゆきづとと こはむこがため
  石川老夫
   
  8/1535
原文 我背兒乎 何時曽且今登 待苗尓 於毛也者将見 秋風吹
訓読 我が背子をいつぞ今かと待つなへに面やは見えむ秋の風吹く
仮名 わがせこを いつぞいまかと まつなへに おもやはみえむ あきのかぜふく
  藤原宇合
   
  8/1536
原文 暮相而 朝面羞 隠野乃 芽子者散去寸 黄葉早續也
訓読 宵に逢ひて朝面なみ名張野の萩は散りにき黄葉早継げ
仮名 よひにあひて あしたおもなみ なばりのの はぎはちりにき もみちはやつげ
  縁達帥
   
  8/1537
原文 秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花 [其一]
訓読 秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 [其一]
仮名 あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな
  山上憶良
   
  8/1538
原文 芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 [其二]
訓読 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花 [其二]
仮名 はぎのはな をばなくずはな なでしこのはな をみなへし またふぢはかま あさがほのはな
  山上憶良
   
  8/1539
原文 秋<田>乃 穂田乎鴈之鳴 闇尓 夜之穂杼呂尓毛 鳴渡可聞
訓読 秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも
仮名 あきのたの ほたをかりがね くらけくに よのほどろにも なきわたるかも
  聖武天皇
   
  8/1540
原文 今朝乃旦開 鴈鳴寒 聞之奈倍 野邊能淺茅曽 色付丹来
訓読 今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける
仮名 けさのあさけ かりがねさむく ききしなへ のへのあさぢぞ いろづきにける
  聖武天皇
   
  8/1541
原文 吾岳尓 棹<壮>鹿来鳴 先芽之 花嬬問尓 来鳴棹<壮>鹿
訓読 我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿
仮名 わがをかに さをしかきなく はつはぎの はなつまどひに きなくさをしか
  大伴旅人
   
  8/1542
原文 吾岳之 秋芽花 風乎痛 可落成 将見人裳欲得
訓読 我が岡の秋萩の花風をいたみ散るべくなりぬ見む人もがも
仮名 わがをかの あきはぎのはな かぜをいたみ ちるべくなりぬ みむひともがも
  大伴旅人
   
  8/1543
原文 秋露者 移尓有家里 水鳥乃 青羽乃山能 色付見者
訓読 秋の露は移しにありけり水鳥の青葉の山の色づく見れば
仮名 あきのつゆは うつしにありけり みづどりの あをばのやまの いろづくみれば
  三原王
   
  8/1544
原文 牽牛之 念座良武 従情 見吾辛苦 夜之更降去者
訓読 彦星の思ひますらむ心より見る我れ苦し夜の更けゆけば
仮名 ひこほしの おもひますらむ こころより みるわれくるし よのふけゆけば
  湯原王
   
  8/1545
原文 織女之 袖續三更之 五更者 河瀬之鶴者 不鳴友吉
訓読 織女の袖継ぐ宵の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし
仮名 たなばたの そでつぐよひの あかときは かはせのたづは なかずともよし
  湯原王
   
  8/1546
原文 妹許登 吾去道乃 河有者 附目緘結跡 夜更降家類
訓読 妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜ぞ更けにける
仮名 いもがりと わがゆくみちの かはしあれば つくめむすぶと よぞふけにける
  市原王
   
  8/1547
原文 棹四香能 芽二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手尓将巻知布
訓読 さを鹿の萩に貫き置ける露の白玉あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ
仮名 さをしかの はぎにぬきおける つゆのしらたま あふさわに たれのひとかも てにまかむちふ
  藤原八束
   
  8/1548
原文 咲花毛 <乎曽>呂波猒 奥手有 長意尓 尚不如家里
訓読 咲く花もをそろはいとはしおくてなる長き心になほしかずけり
仮名 さくはなも をそろはいとはし おくてなる ながきこころに なほしかずけり
  坂上郎女
   
  8/1549
原文 射目立而 跡見乃岳邊之 瞿麦花 總手折 吾者将去 寧樂人之為
訓読 射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
仮名 いめたてて とみのをかへの なでしこのはな ふさたをり われはもちてゆく ならひとのため
  紀鹿人
   
  8/1550
原文 秋芽之 落乃乱尓 呼立而 鳴奈流鹿之 音遥者
訓読 秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ
仮名 あきはぎの ちりのまがひに よびたてて なくなるしかの こゑのはるけさ
  湯原王
   
  8/1551
原文 待時而 落<鍾>礼能 <雨>零収 開朝香 山之将黄變
訓読 時待ちて降れるしぐれの雨やみぬ明けむ朝か山のもみたむ
仮名 ときまちて ふれるしぐれの あめやみぬ あけむあしたか やまのもみたむ
  市原王
   
  8/1552
原文 暮月夜 心毛思努尓 白露乃 置此庭尓 蟋蟀鳴毛
訓読 夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも
仮名 ゆふづくよ こころもしのに しらつゆの おくこのにはに こほろぎなくも
  湯原王
   
  8/1553
原文 <鍾>礼能雨 無間零者 三笠山 木末歴 色附尓家里
訓読 時雨の雨間なくし降れば御笠山木末あまねく色づきにけり
仮名 しぐれのあめ まなくしふれば みかさやま こぬれあまねく いろづきにけり
  大伴稲公
   
  8/1554
原文 皇之 御笠乃山能 秋黄葉 今日之<鍾>礼尓 散香過奈牟
訓読 大君の御笠の山の黄葉は今日の時雨に散りか過ぎなむ
仮名 おほきみの みかさのやまの もみちばは けふのしぐれに ちりかすぎなむ
  大伴家持
   
  8/1555
原文 秋立而 幾日毛不有者 此宿流 朝開之風者 手本寒母
訓読 秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる朝明の風は手本寒しも
仮名 あきたちて いくかもあらねば このねぬる あさけのかぜは たもとさむしも
  安貴王
   
  8/1556
原文 秋田苅 借蘆毛未壊者 鴈鳴寒 霜毛置奴我二
訓読 秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに
仮名 あきたかる かりいほもいまだ こほたねば かりがねさむし しももおきぬがに
  忌部黒麻呂
   
  8/1557
原文 明日香河 逝廻<丘>之 秋芽<子>者 今日零雨尓 落香過奈牟
訓読 明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ
仮名 あすかがは ゆきみるをかの あきはぎは けふふるあめに ちりかすぎなむ
  丹比国人
   
  8/1558
原文 鶉鳴 古郷之 秋芽子乎 思人共 相見都流可聞
訓読 鶉鳴く古りにし里の秋萩を思ふ人どち相見つるかも
仮名 うづらなく ふりにしさとの あきはぎを おもふひとどち あひみつるかも
  沙弥尼
   
  8/1559
原文 秋芽子者 盛過乎 徒尓 頭刺不挿 還去牟跡哉
訓読 秋萩は盛り過ぐるをいたづらにかざしに挿さず帰りなむとや
仮名 あきはぎは さかりすぐるを いたづらに かざしにささず かへりなむとや
  沙弥尼
   
  8/1560
原文 妹目乎 始見之埼乃 秋芽子者 此月其呂波 落許須莫湯目
訓読 妹が目を始見の崎の秋萩はこの月ごろは散りこすなゆめ
仮名 いもがめを **みのさきの あきはぎは このつきごろは ちりこすなゆめ
  坂上郎女
   
  8/1561
原文 吉名張乃 猪養山尓 伏鹿之 嬬呼音乎 聞之登聞思佐
訓読 吉隠の猪養の山に伏す鹿の妻呼ぶ声を聞くが羨しさ
仮名 よなばりの ゐかひのやまに ふすしかの つまよぶこゑを きくがともしさ
  坂上郎女
   
  8/1562
原文 誰聞都 従此間鳴渡 鴈鳴乃 嬬呼音乃 <乏>知<在><乎>
訓読 誰れ聞きつこゆ鳴き渡る雁がねの妻呼ぶ声の羨しくもあるか
仮名 たれききつ こゆなきわたる かりがねの つまよぶこゑの ともしくもあるか
  巫部麻蘇娘子
   
  8/1563
原文 聞津哉登 妹之問勢流 鴈鳴者 真毛遠 雲隠奈利
訓読 聞きつやと妹が問はせる雁が音はまことも遠く雲隠るなり
仮名 ききつやと いもがとはせる かりがねは まこともとほく くもがくるなり
  大伴家持
   
  8/1564
原文 秋付者 尾花我上尓 置露乃 應消毛吾者 所念香聞
訓読 秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも我は思ほゆるかも
仮名 あきづけば をばながうへに おくつゆの けぬべくもわは おもほゆるかも
  日置長枝娘子
   
  8/1565
原文 吾屋戸乃 一村芽子乎 念兒尓 不令見殆 令散都類香聞
訓読 我が宿の一群萩を思ふ子に見せずほとほと散らしつるかも
仮名 わがやどの ひとむらはぎを おもふこに みせずほとほと ちらしつるかも
  大伴家持
   
  8/1566
原文 久堅之 雨間毛不置 雲隠 鳴曽去奈流 早田鴈之哭
訓読 久方の雨間も置かず雲隠り鳴きぞ行くなる早稲田雁がね
仮名 ひさかたの あままもおかず くもがくり なきぞゆくなる わさだかりがね
  大伴家持
   
  8/1567
原文 雲隠 鳴奈流鴈乃 去而将居 秋田之穂立 繁之所念
訓読 雲隠り鳴くなる雁の行きて居む秋田の穂立繁くし思ほゆ
仮名 くもがくり なくなるかりの ゆきてゐむ あきたのほたち しげくしおもほゆ
  大伴家持
   
  8/1568
原文 雨隠 情欝悒 出見者 春日山者 色付二家利
訓読 雨隠り心いぶせみ出で見れば春日の山は色づきにけり
仮名 あまごもり こころいぶせみ いでみれば かすがのやまは いろづきにけり
  大伴家持
   
  8/1569
原文 雨晴而 清照有 此月夜 又更而 雲勿田菜引
訓読 雨晴れて清く照りたるこの月夜またさらにして雲なたなびき
仮名 あめはれて きよくてりたる このつくよ またさらにして くもなたなびき
  大伴家持
   
  8/1570
原文 此間在而 春日也何處 雨障 出而不行者 戀乍曽乎流
訓読 ここにありて春日やいづち雨障み出でて行かねば恋ひつつぞ居る
仮名 ここにありて かすがやいづち あまつつみ いでてゆかねば こひつつぞをる
  藤原八束
   
  8/1571
原文 春日野尓 <鍾>礼零所見 明日従者 黄葉頭刺牟 高圓乃山
訓読 春日野に時雨降る見ゆ明日よりは黄葉かざさむ高円の山
仮名 かすがのに しぐれふるみゆ あすよりは もみちかざさむ たかまとのやま
  藤原八束
   
  8/1572
原文 吾屋戸乃 草花上之 白露乎 不令消而玉尓 貫物尓毛我
訓読 我が宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが
仮名 わがやどの をばながうへの しらつゆを けたずてたまに ぬくものにもが
  大伴家持
   
  8/1573
原文 秋之雨尓 所沾乍居者 雖賎 吾妹之屋戸志 所念香聞
訓読 秋の雨に濡れつつ居ればいやしけど我妹が宿し思ほゆるかも
仮名 あきのあめに ぬれつつをれば いやしけど わぎもがやどし おもほゆるかも
  大伴利上
   
  8/1574
原文 雲上尓 鳴奈流鴈之 雖遠 君将相跡 手廻来津
訓読 雲の上に鳴くなる雁の遠けども君に逢はむとた廻り来つ
仮名 くものうへに なくなるかりの とほけども きみにあはむと たもとほりきつ
   
  8/1575
原文 雲上尓 鳴都流鴈乃 寒苗 芽子乃下葉者 黄變可毛
訓読 雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉はもみちぬるかも
仮名 くものうへに なきつるかりの さむきなへ はぎのしたばは もみちぬるかも
   
  8/1576
原文 此岳尓 小<壮>鹿履起 宇加埿良比 可聞可<聞>為良久 君故尓許曽
訓読 この岡に小鹿踏み起しうかねらひかもかもすらく君故にこそ
仮名 このをかに をしかふみおこし うかねらひ かもかもすらく きみゆゑにこそ
  巨曽倍津嶋
   
  8/1577
原文 秋野之 草花我末乎 押靡而 来之久毛知久 相流君可聞
訓読 秋の野の尾花が末を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも
仮名 あきののの をばながうれを おしなべて こしくもしるく あへるきみかも
  阿倍虫麻呂
   
  8/1578
原文 今朝鳴而 行之鴈鳴 寒可聞 此野乃淺茅 色付尓家類
訓読 今朝鳴きて行きし雁が音寒みかもこの野の浅茅色づきにける
仮名 けさなきて ゆきしかりがね さむみかも このののあさぢ いろづきにける
  阿倍虫麻呂
   
  8/1579
原文 朝扉開而 物念時尓 白露乃 置有秋芽子 所見喚鶏本名
訓読 朝戸開けて物思ふ時に白露の置ける秋萩見えつつもとな
仮名 あさとあけて ものもふときに しらつゆの おけるあきはぎ みえつつもとな
  文馬養
   
  8/1580
原文 棹<壮>鹿之 来立鳴野之 秋芽子者 露霜負而 落去之物乎
訓読 さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを
仮名 さをしかの きたちなくのの あきはぎは つゆしもおひて ちりにしものを
  文馬養
   
  8/1581
原文 不手折而 落者惜常 我念之 秋黄葉乎 挿頭鶴鴨
訓読 手折らずて散りなば惜しと我が思ひし秋の黄葉をかざしつるかも
仮名 たをらずて ちりなばをしと わがおもひし あきのもみちを かざしつるかも
  橘奈良麻呂
   
  8/1582
原文 <希>将見 人尓令見跡 黄葉乎 手折曽我来師 雨零久仁
訓読 めづらしき人に見せむと黄葉を手折りぞ我が来し雨の降らくに
仮名 めづらしき ひとにみせむと もみちばを たをりぞわがこし あめのふらくに
  橘奈良麻呂
   
  8/1583
原文 黄葉乎 令落<鍾>礼尓 所沾而来而 君之黄葉乎 挿頭鶴鴨
訓読 黄葉を散らす時雨に濡れて来て君が黄葉をかざしつるかも
仮名 もみちばを ちらすしぐれに ぬれてきて きみがもみちを かざしつるかも
  久米女王
   
  8/1584
原文 <希>将見跡 吾念君者 秋山<乃> 始<黄>葉尓 似許曽有家礼
訓読 めづらしと我が思ふ君は秋山の初黄葉に似てこそありけれ
仮名 めづらしと あがおもふきみは あきやまの はつもみちばに にてこそありけれ
  長娘
   
  8/1585
原文 平山乃 峯之黄葉 取者落 <鍾>礼能雨師 無間零良志
訓読 奈良山の嶺の黄葉取れば散る時雨の雨し間なく降るらし
仮名 ならやまの みねのもみちば とればちる しぐれのあめし まなくふるらし
  縣犬養吉男
   
  8/1586
原文 黄葉乎 落巻惜見 手折来而 今夜挿頭津 何物可将念
訓読 黄葉を散らまく惜しみ手折り来て今夜かざしつ何か思はむ
仮名 もみちばを ちらまくをしみ たをりきて こよひかざしつ なにかおもはむ
  縣犬養持男
   
  8/1587
原文 足引乃 山之黄葉 今夜毛加 浮去良武 山河之瀬尓
訓読 あしひきの山の黄葉今夜もか浮かび行くらむ山川の瀬に
仮名 あしひきの やまのもみちば こよひもか うかびゆくらむ やまがはのせに
  大伴書持
   
  8/1588
原文 平山乎 令丹黄葉 手折来而 今夜挿頭都 落者雖落
訓読 奈良山をにほはす黄葉手折り来て今夜かざしつ散らば散るとも
仮名 ならやまを にほはすもみち たをりきて こよひかざしつ ちらばちるとも
  三手代人名
   
  8/1589
原文 露霜尓 逢有黄葉乎 手折来而 妹挿頭都 後者落十方
訓読 露霜にあへる黄葉を手折り来て妹とかざしつ後は散るとも
仮名 つゆしもに あへるもみちを たをりきて いもはかざしつ のちはちるとも
  秦許遍麻呂
   
  8/1590
原文 十月 <鍾>礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随
訓読 十月時雨にあへる黄葉の吹かば散りなむ風のまにまに
仮名 かむなづき しぐれにあへる もみちばの ふかばちりなむ かぜのまにまに
  大伴池主
   
  8/1591
原文 黄葉乃 過麻久惜美 思共 遊今夜者 不開毛有奴香
訓読 黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
仮名 もみちばの すぎまくをしみ おもふどち あそぶこよひは あけずもあらぬか
  大伴家持
   
  8/1592
原文 然不有 五百代小田乎 苅乱 田蘆尓居者 京師所念
訓読 しかとあらぬ五百代小田を刈り乱り田廬に居れば都し思ほゆ
仮名 しかとあらぬ いほしろをだを かりみだり たぶせにをれば みやこしおもほゆ
  坂上郎女
   
  8/1593
原文 隠口乃 始瀬山者 色附奴 <鍾>礼乃雨者 零尓家良思母
訓読 隠口の泊瀬の山は色づきぬ時雨の雨は降りにけらしも
仮名 こもりくの はつせのやまは いろづきぬ しぐれのあめは ふりにけらしも
  坂上郎女
   
  8/1594
原文 思具礼能雨 無間莫零 紅尓 丹保敝流山之 落巻惜毛
訓読 時雨の雨間なくな降りそ紅ににほへる山の散らまく惜しも
仮名 しぐれのあめ まなくなふりそ くれなゐに にほへるやまの ちらまくをしも
   
  8/1595
原文 秋芽子乃 枝毛十尾二 降露乃 消者雖消 色出目八方
訓読 秋萩の枝もとををに置く露の消なば消ぬとも色に出でめやも
仮名 あきはぎの えだもとををに おくつゆの けなばけぬとも いろにいでめやも
  大伴像見
   
  8/1596
原文 妹家之 門田乎見跡 打出来之 情毛知久 照月夜鴨
訓読 妹が家の門田を見むとうち出で来し心もしるく照る月夜かも
仮名 いもがいへの かどたをみむと うちいでこし こころもしるく てるつくよかも
  大伴家持
   
  8/1597
原文 秋野尓 開流秋芽子 秋風尓 靡流上尓 秋露置有
訓読 秋の野に咲ける秋萩秋風に靡ける上に秋の露置けり
仮名 あきののに さけるあきはぎ あきかぜに なびけるうへに あきのつゆおけり
  大伴家持
   
  8/1598
原文 棹<壮>鹿之 朝立野邊乃 秋芽子尓 玉跡見左右 置有白露
訓読 さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
仮名 さをしかの あさたつのへの あきはぎに たまとみるまで おけるしらつゆ
  大伴家持
   
  8/1599
原文 狭尾<壮>鹿乃 胸別尓可毛 秋芽子乃 散過鶏類 盛可毛行流
訓読 さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる
仮名 さをしかの むなわけにかも あきはぎの ちりすぎにける さかりかもいぬる
  大伴家持
   
  8/1600
原文 妻戀尓 鹿鳴山邊之 秋芽子者 露霜寒 盛須疑由君
訓読 妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく
仮名 つまごひに かなくやまへの あきはぎは つゆしもさむみ さかりすぎゆく
  石川広成
   
  8/1601
原文 目頬布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母
訓読 めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも
仮名 めづらしき きみがいへなる はなすすき ほにいづるあきの すぐらくをしも
  石川広成
   
  8/1602
原文 山妣姑乃 相響左右 妻戀尓 鹿鳴山邊尓 獨耳為手
訓読 山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして
仮名 やまびこの あひとよむまで つまごひに かなくやまへに ひとりのみして
  大伴家持
   
  8/1603
原文 <頃>者之 朝開尓聞者 足日木篦 山<呼>令響 狭尾<壮>鹿鳴哭
訓読 このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも
仮名 このころの あさけにきけば あしひきの やまよびとよめ さをしかなくも
  大伴家持
   
  8/1604
原文 秋去者 春日山之 黄葉見流 寧樂乃京師乃 荒良久惜毛
訓読 秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも
仮名 あきされば かすがのやまの もみちみる ならのみやこの あるらくをしも
  大原今城
   
  8/1605
原文 高圓之 野邊乃秋芽子 此日之 暁露尓 開兼可聞
訓読 高円の野辺の秋萩このころの暁露に咲きにけむかも
仮名 たかまとの のへのあきはぎ このころの あかときつゆに さきにけむかも
  大伴家持
   
  8/1606
原文 君待跡 吾戀居者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹
訓読 君待つと我が恋ひをれば我が宿の簾動かし秋の風吹く
仮名 きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく
  額田王
   
  8/1607
原文 風乎谷 戀者乏 風乎谷 将来常思待者 何如将嘆
訓読 風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
仮名 かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ
  鏡王女
   
  8/1608
原文 秋芽子之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈萬思 戀管不有者
訓読 秋萩の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
仮名 あきはぎの うへにおきたる しらつゆの けかもしなまし こひつつあらずは
  弓削皇子
   
  8/1609
原文 宇陀乃野之 秋芽子師弩藝 鳴鹿毛 妻尓戀樂苦 我者不益
訓読 宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も妻に恋ふらく我れにはまさじ
仮名 うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ
  丹比真人
   
  8/1610
原文 高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁<壮>香見 人之挿頭師 瞿麦之花
訓読 高円の秋野の上のなでしこの花うら若み人のかざししなでしこの花
仮名 たかまとの あきののうへの なでしこのはな うらわかみ ひとのかざしし なでしこのはな
  丹生女王
   
  8/1611
原文 足日木乃 山下響 鳴鹿之 事乏可母 吾情都末
訓読 あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかも我が心夫
仮名 あしひきの やましたとよめ なくしかの ことともしかも わがこころつま
  笠縫女王
   
  8/1612
原文 神佐夫等 不許者不有 秋草乃 結之紐乎 解者悲哭
訓読 神さぶといなにはあらず秋草の結びし紐を解くは悲しも
仮名 かむさぶと いなにはあらず あきくさの むすびしひもを とくはかなしも
  石川賀係女郎
   
  8/1613
原文 秋野乎 旦徃鹿乃 跡毛奈久 念之君尓 相有今夜香
訓読 秋の野を朝行く鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今夜か
仮名 あきののを あさゆくしかの あともなく おもひしきみに あへるこよひか
  賀茂女王
   
  8/1614
原文 九月之 其始鴈乃 使尓毛 念心者 <所>聞来奴鴨
訓読 九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも
仮名 ながつきの そのはつかりの つかひにも おもふこころは きこえこぬかも
  桜井王
   
  8/1615
原文 大乃浦之 其長濱尓 縁流浪 寛公乎 念<比>日 [大浦者遠江國之海濱名也]
訓読 大の浦のその長浜に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ [大浦者遠江國之海濱名也]
仮名 おほのうらの そのながはまに よするなみ ゆたけくきみを おもふこのころ
  聖武天皇
   
  8/1616
原文 毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳
訓読 朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
仮名 あさごとに わがみるやどの なでしこの はなにもきみは ありこせぬかも
  笠郎女
   
  8/1617
原文 秋芽子尓 置有露乃 風吹而 落涙者 留不勝都毛
訓読 秋萩に置きたる露の風吹きて落つる涙は留めかねつも
仮名 あきはぎに おきたるつゆの かぜふきて おつるなみたは とどめかねつも
  山口女王
   
  8/1618
原文 玉尓貫 不令消賜良牟 秋芽子乃 宇礼和々良葉尓 置有白露
訓読 玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わくらばに置ける白露
仮名 たまにぬき けたずたばらむ あきはぎの うれわくらばに おけるしらつゆ
  湯原王
   
  8/1619
原文 玉桙乃 道者雖遠 愛哉師 妹乎相見尓 出而曽吾来之
訓読 玉桙の道は遠けどはしきやし妹を相見に出でてぞ我が来し
仮名 たまほこの みちはとほけど はしきやし いもをあひみに いでてぞわがこし
  大伴家持
   
  8/1620
原文 荒玉之 月立左右二 来不益者 夢西見乍 思曽吾勢思
訓読 あらたまの月立つまでに来まさねば夢にし見つつ思ひぞ我がせし
仮名 あらたまの つきたつまでに きまさねば いめにしみつつ おもひぞわがせし
  坂上郎女
   
  8/1621
原文 吾屋前<之> 芽子花咲有 見来益 今二日許 有者将落
訓読 我が宿の萩花咲けり見に来ませいま二日だみあらば散りなむ
仮名 わがやどの はぎはなさけり みにきませ いまふつかだみ あらばちりなむ
  巫部麻蘇娘子
   
  8/1622
原文 吾屋戸乃 秋之芽子開 夕影尓 今毛見師香 妹之光儀乎
訓読 我が宿の秋の萩咲く夕影に今も見てしか妹が姿を
仮名 わがやどの あきのはぎさく ゆふかげに いまもみてしか いもがすがたを
  田村大嬢
   
  8/1623
原文 吾屋戸尓 黄變蝦手 毎見 妹乎懸管 不戀日者無
訓読 我が宿にもみつ蝦手見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし
仮名 わがやどに もみつかへるて みるごとに いもをかけつつ こひぬひはなし
  田村大嬢
   
  8/1624
原文 吾之蒔有 早田之穂立 造有 蘰曽見乍 師弩波世吾背
訓読 我が蒔ける早稲田の穂立作りたるかづらぞ見つつ偲はせ我が背
仮名 わがまける わさだのほたち つくりたる かづらぞみつつ しのはせわがせ
  坂上大嬢
   
  8/1625
原文 吾妹兒之 業跡造有 秋田 早穂乃蘰 雖見不飽可聞
訓読 我妹子が業と作れる秋の田の早稲穂のかづら見れど飽かぬかも
仮名 わぎもこが なりとつくれる あきのたの わさほのかづら みれどあかぬかも
  大伴家持
   
  8/1626
原文 秋風之 寒比日 下尓将服 妹之形見跡 可都毛思努播武
訓読 秋風の寒きこのころ下に着む妹が形見とかつも偲はむ
仮名 あきかぜの さむきこのころ したにきむ いもがかたみと かつもしのはむ
  大伴家持
   
  8/1627
原文 吾屋前之 非時藤之 目頬布 今毛見<壮>鹿 妹之咲容乎
訓読 我が宿の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹が笑まひを
仮名 わがやどの ときじきふぢの めづらしく いまもみてしか いもがゑまひを
  大伴家持
   
  8/1628
原文 吾屋前之 芽子乃下葉者 秋風毛 未吹者 如此曽毛美照
訓読 我が宿の萩の下葉は秋風もいまだ吹かねばかくぞもみてる
仮名 わがやどの はぎのしたばは あきかぜも いまだふかねば かくぞもみてる
  大伴家持
   
  8/1629
原文 叩々 物乎念者 将言為便 将為々便毛奈之 妹与吾 手携而 旦者 庭尓出立 夕者 床打拂 白細乃 袖指代而 佐寐之夜也 常尓有家類 足日木能 山鳥許曽婆 峯向尓 嬬問為云 打蝉乃 人有我哉 如何為跡可 一日一夜毛 離居而 嘆戀良武 許己念者 胸許曽痛 其故尓 情奈具夜登 高圓乃 山尓毛野尓母 打行而 遊徃杼 花耳 丹穂日手有者 毎見 益而所思 奈何為而 忘物曽 戀云物呼
訓読 ねもころに 物を思へば 言はむすべ 為むすべもなし 妹と我れと 手携さはりて 朝には 庭に出で立ち 夕には 床うち掃ひ 白栲の 袖さし交へて さ寝し夜や 常にありける あしひきの 山鳥こそば 峰向ひに 妻問ひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか 一日一夜も 離り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと 高円の 山にも野にも うち行きて 遊び歩けど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして偲はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを
仮名 ねもころに ものをおもへば いはむすべ せむすべもなし いもとあれと てたづさはりて あしたには にはにいでたち ゆふへには とこうちはらひ しろたへの そでさしかへて さねしよや つねにありける あしひきの やまどりこそば をむかひに つまどひすといへ うつせみの ひとなるわれや なにすとか ひとひひとよも さかりゐて なげきこふらむ ここおもへば むねこそいたき そこゆゑに こころなぐやと たかまとの やまにものにも うちゆきて あそびあるけど はなのみ にほひてあれば みるごとに ましてしのはゆ いかにして わすれむものぞ こひといふものを
  大伴家持
   
  8/1630
原文 高圓之 野邊乃容花 面影尓 所見乍妹者 忘不勝裳
訓読 高円の野辺のかほ花面影に見えつつ妹は忘れかねつも
仮名 たかまとの のへのかほばな おもかげに みえつついもは わすれかねつも
  大伴家持
   
  8/1631
原文 今造 久邇能京尓 秋夜乃 長尓獨 宿之苦左
訓読 今造る久迩の都に秋の夜の長きにひとり寝るが苦しさ
仮名 いまつくる くにのみやこに あきのよの ながきにひとり ぬるがくるしさ
  大伴家持
   
  8/1632
原文 足日木乃 山邊尓居而 秋風之 日異吹者 妹乎之曽念
訓読 あしひきの山辺に居りて秋風の日に異に吹けば妹をしぞ思ふ
仮名 あしひきの やまへにをりて あきかぜの ひにけにふけば いもをしぞおもふ
  大伴家持
   
  8/1633
原文 手母須麻尓 殖之芽子尓也 還者 雖見不飽 情将盡
訓読 手もすまに植ゑし萩にやかへりては見れども飽かず心尽さむ
仮名 てもすまに うゑしはぎにや かへりては みれどもあかず こころつくさむ
   
  8/1634
原文 衣手尓 水澁付左右 殖之田乎 引板吾波倍 真守有栗子
訓読 衣手に水渋付くまで植ゑし田を引板我が延へまもれる苦し
仮名 ころもでに みしぶつくまで うゑしたを ひきたわがはへ まもれるくるし
 
   
  8/1635
原文 佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 [尼作] 苅流早飯者 獨奈流倍思 [家持續]
訓読 佐保川の水を堰き上げて植ゑし田を [尼作] 刈れる初飯はひとりなるべし [家持續]
仮名 さほがはの みづをせきあげて うゑしたを かれるはついひは ひとりなるべし
 
   
  8/1636
原文 大口能 真神之原尓 零雪者 甚莫零 家母不有國
訓読 大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに
仮名 おほくちの まかみのはらに ふるゆきは いたくなふりそ いへもあらなくに
  舎人娘子
   
  8/1637
原文 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに
仮名 はだすすき をばなさかふき くろきもち つくれるむろは よろづよまでに
  元正天皇
   
  8/1638
原文 青丹吉 奈良乃山有 黒木用 造有室者 雖居座不飽可聞
訓読 あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室は座せど飽かぬかも
仮名 あをによし ならのやまなる くろきもち つくれるむろは ませどあかぬかも
  聖武天皇
   
  8/1639
原文 沫雪 保杼呂保杼呂尓 零敷者 平城京師 所念可聞
訓読 沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも
仮名 あわゆきの ほどろほどろに ふりしけば ならのみやこし おもほゆるかも
  大伴旅人
   
  8/1640
原文 吾岳尓 盛開有 梅花 遺有雪乎 乱鶴鴨
訓読 我が岡に盛りに咲ける梅の花残れる雪をまがへつるかも
仮名 わがをかに さかりにさける うめのはな のこれるゆきを まがへつるかも
  大伴旅人
   
  8/1641
原文 沫雪尓 所落開有 梅花 君之許遣者 与曽倍弖牟可聞
訓読 沫雪に降らえて咲ける梅の花君がり遣らばよそへてむかも
仮名 あわゆきに ふらえてさける うめのはな きみがりやらば よそへてむかも
  角廣辨
   
  8/1642
原文 棚霧合 雪毛零奴可 梅花 不開之代尓 曽倍而谷将見
訓読 たな霧らひ雪も降らぬか梅の花咲かぬが代にそへてだに見む
仮名 たなぎらひ ゆきもふらぬか うめのはな さかぬがしろに そへてだにみむ
  安倍奥道
   
  8/1643
原文 天霧之 雪毛零奴可 灼然 此五柴尓 零巻乎将見
訓読 天霧らし雪も降らぬかいちしろくこのいつ柴に降らまくを見む
仮名 あまぎらし ゆきもふらぬか いちしろく このいつしばに ふらまくをみむ
  若桜部君足
   
  8/1644
原文 引攀而 折者可落 梅花 袖尓古寸入津 染者雖染
訓読 引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも
仮名 ひきよぢて をらばちるべみ うめのはな そでにこきいれつ しまばしむとも
  三野石守
   
  8/1645
原文 吾屋前之 冬木乃上尓 零雪乎 梅花香常 打見都流香裳
訓読 我が宿の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも
仮名 わがやどの ふゆきのうへに ふるゆきを うめのはなかと うちみつるかも
  巨勢宿奈麻呂
   
  8/1646
原文 夜干玉乃 今夜之雪尓 率所沾名 将開朝尓 消者惜家牟
訓読 ぬばたまの今夜の雪にいざ濡れな明けむ朝に消なば惜しけむ
仮名 ぬばたまの こよひのゆきに いざぬれな あけむあしたに けなばをしけむ
  小治田東麻呂
   
  8/1647
原文 梅花 枝尓可散登 見左右二 風尓乱而 雪曽落久類
訓読 梅の花枝にか散ると見るまでに風に乱れて雪ぞ降り来る
仮名 うめのはな えだにかちると みるまでに かぜにみだれて ゆきぞふりくる
  忌部黒麻呂
   
  8/1648
原文 十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛 梅花開 含不有而
訓読 十二月には沫雪降ると知らねかも梅の花咲くふふめらずして
仮名 しはすには あわゆきふると しらねかも うめのはなさく ふふめらずして
  紀少鹿女郎
   
  8/1649
原文 今日零之 雪尓競而 我屋前之 冬木梅者 花開二家里
訓読 今日降りし雪に競ひて我が宿の冬木の梅は花咲きにけり
仮名 けふふりし ゆきにきほひて わがやどの ふゆきのうめは はなさきにけり
  大伴家持
   
  8/1650
原文 池邊乃 松之末葉尓 零雪者 五百重零敷 明日左倍母将見
訓読 池の辺の松の末葉に降る雪は五百重降りしけ明日さへも見む
仮名 いけのへの まつのうらばに ふるゆきは いほへふりしけ あすさへもみむ
   
  8/1651
原文 沫雪乃 比日續而 如此落者 梅始花 散香過南
訓読 沫雪のこのころ継ぎてかく降らば梅の初花散りか過ぎなむ
仮名 あわゆきの このころつぎて かくふらば うめのはつはな ちりかすぎなむ
  坂上郎女
   
  8/1652
原文 梅花 折毛不折毛 見都礼杼母 今夜能花尓 尚不如家利
訓読 梅の花折りも折らずも見つれども今夜の花になほしかずけり
仮名 うめのはな をりもをらずも みつれども こよひのはなに なほしかずけり
  他田廣津娘子
   
  8/1653
原文 如今 心乎常尓 念有者 先咲花乃 地尓将落八方
訓読 今のごと心を常に思へらばまづ咲く花の地に落ちめやも
仮名 いまのごと こころをつねに おもへらば まづさくはなの つちにおちめやも
  縣犬養娘子
   
  8/1654
原文 松影乃 淺茅之上乃 白雪乎 不令消将置 言者可聞奈吉
訓読 松蔭の浅茅の上の白雪を消たずて置かむことはかもなき
仮名 まつかげの あさぢのうへの しらゆきを けたずておかむ ことはかもなき
  坂上郎女
   
  8/1655
原文 高山之 菅葉之努藝 零雪之 消跡可曰毛 戀乃繁鶏鳩
訓読 高山の菅の葉しのぎ降る雪の消ぬと言ふべくも恋の繁けく
仮名 たかやまの すがのはしのぎ ふるゆきの けぬといふべくも こひのしげけく
  三国人足
   
  8/1656
原文 酒杯尓 梅花浮 念共 飲而後者 落去登母与之
訓読 酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし
仮名 さかづきに うめのはなうかべ おもふどち のみてののちは ちりぬともよし
  坂上郎女
   
  8/1657
原文 官尓毛 縦賜有 今夜耳 将欲酒可毛 散許須奈由米
訓読 官にも許したまへり今夜のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ
仮名 つかさにも ゆるしたまへり こよひのみ のまむさけかも ちりこすなゆめ
   
  8/1658
原文 吾背兒与 二有見麻世波 幾許香 此零雪之 懽有麻思
訓読 我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし
仮名 わがせこと ふたりみませば いくばくか このふるゆきの うれしくあらまし
  光明皇后
   
  8/1659
原文 真木乃於尓 零置有雪乃 敷布毛 所念可聞 佐夜問吾背
訓読 真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背
仮名 まきのうへに ふりおけるゆきの しくしくも おもほゆるかも さよとへわがせ
  他田廣津娘子
   
  8/1660
原文 梅花 令落冬風 音耳 聞之吾妹乎 見良久志吉裳
訓読 梅の花散らすあらしの音のみに聞きし我妹を見らくしよしも
仮名 うめのはな ちらすあらしの おとのみに ききしわぎもを みらくしよしも
  大伴駿河麻呂
   
  8/1661
原文 久方乃 月夜乎清美 梅花 心開而 吾念有公
訓読 久方の月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君
仮名 ひさかたの つくよをきよみ うめのはな こころひらけて あがおもへるきみ
  紀少鹿女郎
   
  8/1662
原文 沫雪之 可消物乎 至今<尓> 流經者 妹尓相曽
訓読 沫雪の消ぬべきものを今までに流らへぬるは妹に逢はむとぞ
仮名 あわゆきの けぬべきものを いままでに ながらへぬるは いもにあはむとぞ
  田村大嬢
   
  8/1663
原文 沫雪乃 庭尓零敷 寒夜乎 手枕不纒 一香聞将宿
訓読 沫雪の庭に降り敷き寒き夜を手枕まかずひとりかも寝む
仮名 あわゆきの にはにふりしき さむきよを たまくらまかず ひとりかもねむ
  大伴家持
   

第九巻

   
   9/1664
原文 暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
訓読 夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも
仮名 ゆふされば をぐらのやまに ふすしかの こよひはなかず いねにけらしも
  雄略天皇
   
  9/1665
原文 為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁持来 奥津白浪
訓読 妹がため我れ玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波
仮名 いもがため われたまひりふ おきへなる たまよせもちこ おきつしらなみ
  斉明天皇
   
  9/1666
原文 朝霧尓 沾尓之衣 不干而 一哉君之 山道将越
訓読 朝霧に濡れにし衣干さずしてひとりか君が山道越ゆらむ
仮名 あさぎりに ぬれにしころも ほさずして ひとりかきみが やまぢこゆらむ
  斉明天皇
   
  9/1667
原文 為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
訓読 妹がため我れ玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
仮名 いもがため あれたまもとむ おきへなる しらたまよせこ おきつしらなみ
   
  9/1668
原文 白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧
訓読 白崎は幸くあり待て大船に真梶しじ貫きまたかへり見む
仮名 しらさきは さきくありまて おほぶねに まかぢしじぬき またかへりみむ
   
  9/1669
原文 三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人乎 見變来六
訓読 南部の浦潮な満ちそね鹿島なる釣りする海人を見て帰り来む
仮名 みなべのうら しほなみちそね かしまなる つりするあまを みてかへりこむ
   
  9/1670
原文 朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見<反>将来
訓読 朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎釣りする海人を見て帰り来む
仮名 あさびらき こぎでてわれは ゆらのさき つりするあまを みてかへりこむ
   
  9/1671
原文 湯羅乃前 塩乾尓祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而滂動
訓読 由良の崎潮干にけらし白神の礒の浦廻をあへて漕ぐなり
仮名 ゆらのさき しほひにけらし しらかみの いそのうらみを あへてこぐなり
   
  9/1672
原文 黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻
訓読 黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
仮名 くろうしがた しほひのうらを くれなゐの たまもすそびき ゆくはたがつま
   
  9/1673
原文 風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無 [一云 於斯依来藻]
訓読 風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに [一云 ここに寄せ来も]
仮名 かざなしの はまのしらなみ いたづらに ここによせくる みるひとなしに [ここによせくも]
   
  9/1674
原文 我背兒我 使将来歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
訓読 我が背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
仮名 わがせこが つかひこむかと いでたちの このまつばらを けふかすぎなむ
   
  9/1675
原文 藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣乎者 所沾香裳
訓読 藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも
仮名 ふぢしろの みさかをこゆと しろたへの わがころもでは ぬれにけるかも
   
  9/1676
原文 勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
訓読 背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
仮名 せのやまに もみちつねしく かむをかの やまのもみちは けふかちるらむ
   
  9/1677
原文 山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
訓読 大和には聞こえも行くか大我野の竹葉刈り敷き廬りせりとは
仮名 やまとには きこえもゆくか おほがのの たかはかりしき いほりせりとは
   
  9/1678
原文 木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
訓読 紀の国の昔弓雄の鳴り矢もち鹿取り靡けし坂の上にぞある
仮名 きのくにの むかしさつをの なりやもち かとりなびけし さかのうへにぞある
   
  9/1679
原文 城國尓 不止将徃来 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄 [一云 嬬賜尓毛 嬬云長<良>]
訓読 紀の国にやまず通はむ妻の杜妻寄しこせね妻といひながら [一云 妻賜はにも妻といひながら]
仮名 きのくにに やまずかよはむ つまのもり つまよしこせね つまといひながら [つまたまはにも つまといひながら]
   
  9/1680
原文 朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
訓読 あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね
仮名 あさもよし きへゆくきみが まつちやま こゆらむけふぞ あめなふりそね
   
  9/1681
原文 後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
訓読 後れ居て我が恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ
仮名 おくれゐて あがこひをれば しらくもの たなびくやまを けふかこゆらむ
   
  9/1682
原文 常之<倍>尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人
訓読 とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人
仮名 とこしへに なつふゆゆけや かはごろも あふぎはなたぬ やまにすむひと
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1683
原文 妹手 取而引与治 捄手折 吾刺可 花開鴨
訓読 妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
仮名 いもがてを とりてひきよぢ ふさたをり わがかざすべく はなさけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1684
原文 春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝尓
訓読 春山は散り過ぎぬとも三輪山はいまだふふめり君待ちかてに
仮名 はるやまは ちりすぎぬとも みわやまは いまだふふめり きみまちかてに
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1685
原文 河瀬 激乎見者 玉藻鴨 散乱而在 川常鴨
訓読 川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
仮名 かはのせの たぎつをみれば たまもかも ちりみだれたる かはのつねかも
  間人宿祢
   
  9/1686
原文 孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓
訓読 彦星のかざしの玉の妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に
仮名 ひこほしの かざしのたまの つまごひに みだれにけらし このかはのせに
  間人宿祢
   
  9/1687
原文 白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
訓読 白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
仮名 しらとりの さぎさかやまの まつかげに やどりてゆかな よもふけゆくを
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1688
原文 焱干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印
訓読 あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
仮名 あぶりほす ひともあれやも ぬれぎぬを いへにはやらな たびのしるしに
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1689
原文 在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
訓読 あり衣辺につきて漕がさね杏人の浜を過ぐれば恋しくありなり
仮名 ありそへに つきてこがさね からひとの はまをすぐれば こほしくありなり
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1690
原文 高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥
訓読 高島の阿渡川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ
仮名 たかしまの あどかはなみは さわけども われはいへおもふ やどりかなしみ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1691
原文 客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠惜毛
訓読 旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも
仮名 たびにあれば よなかをさして てるつきの たかしまやまに かくらくをしも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1692
原文 吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐
訓読 我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き独りかも寝む
仮名 あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1693
原文 玉匣 開巻惜 恡夜矣 袖可礼而 一鴨将寐
訓読 玉櫛笥明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
仮名 たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1694
原文 細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波<尼> 妹尓示
訓読 栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ
仮名 たくひれの さぎさかやまの しらつつじ われににほはね いもにしめさむ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1695
原文 妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遣 未冬鴨
訓読 妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
仮名 いもがかど いりいづみがはの とこなめに みゆきのこれり いまだふゆかも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1696
原文 衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可
訓読 衣手の名木の川辺を春雨に我れ立ち濡ると家思ふらむか
仮名 ころもでの なきのかはへを はるさめに われたちぬると いへおもふらむか
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1697
原文 家人 使在之 春雨乃 与久列杼吾<等>乎 沾念者
訓読 家人の使ひにあらし春雨の避くれど我れを濡らさく思へば
仮名 いへびとの つかひにあらし はるさめの よくれどわれを ぬらさくおもへば
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1698
原文 焱干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使尓為
訓読 あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使ひにする
仮名 あぶりほす ひともあれやも いへびとの はるさめすらを まつかひにする
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1699
原文 巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈渡良之
訓読 巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
仮名 おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1700
原文 金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨
訓読 秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも
仮名 あきかぜに やまぶきのせの なるなへに あまくもかける かりにあへるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1701
原文 佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見
訓読 さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ
仮名 さよなかと よはふけぬらし かりがねの きこゆるそらゆ つきわたるみゆ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1702
原文 妹當 茂苅音 夕霧 来鳴而過去 及乏
訓読 妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに
仮名 いもがあたり しげきかりがね ゆふぎりに きなきてすぎぬ すべなきまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1703
原文 雲隠 鴈鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過
訓読 雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
仮名 くもがくり かりなくときは あきやまの もみちかたまつ ときはすぐれど
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1704
原文 捄手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留
訓読 ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
仮名 ふさたをり たむのやまきり しげみかも ほそかはのせに なみのさわける
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1705
原文 冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等叙
訓読 冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ我れぞ
仮名 ふゆこもり はるへをこひて うゑしきの みになるときを かたまつわれぞ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1706
原文 黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏d麻天尓
訓読 ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに
仮名 ぬばたまの よぎりはたちぬ ころもでの たかやのうへに たなびくまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1707
原文 山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来
訓読 山背の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり
仮名 やましろの くぜのさぎさか かむよより はるははりつつ あきはちりけり
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1708
原文 春草 馬咋山自 越来奈流 鴈使者 宿過奈利
訓読 春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり
仮名 はるくさを うまくひやまゆ こえくなる かりのつかひは やどりすぐなり
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1709
原文 御食向 南淵山之 巌者 落波太列可 削遺有
訓読 御食向ふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる
仮名 みけむかふ みなぶちやまの いはほには ふりしはだれか きえのこりたる
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1710
原文 吾妹兒之 赤裳<埿>塗而 殖之田乎 苅将蔵 倉無之濱
訓読 我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜
仮名 わぎもこが あかもひづちて うゑしたを かりてをさめむ くらなしのはま
  柿本人麻呂
   
  9/1711
原文 百<轉> 八十之嶋廻乎 榜雖来 粟小嶋者 雖見不足可聞
訓読 百伝ふ八十の島廻を漕ぎ来れど粟の小島は見れど飽かぬかも
仮名 ももづたふ やそのしまみを こぎくれど あはのこしまは みれどあかぬかも
  柿本人麻呂
   
  9/1712
原文 天原 雲無夕尓 烏玉乃 宵度月乃 入巻恡毛
訓読 天の原雲なき宵にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜しも
仮名 あまのはら くもなきよひに ぬばたまの よわたるつきの いらまくをしも
   
  9/1713
原文 瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥
訓読 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥
仮名 たきのうへの みふねのやまゆ あきづへに きなきわたるは たれよぶこどり
   
  9/1714
原文 落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
訓読 落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ
仮名 おちたぎち ながるるみづの いはにふれ よどめるよどに つきのかげみゆ
   
  9/1715
原文 樂<浪>之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見
訓読 楽浪の比良山風の海吹けば釣りする海人の袖返る見ゆ
仮名 ささなみの ひらやまかぜの うみふけば つりするあまの そでかへるみゆ
  柿本人麻呂
   
  9/1716
原文 白那弥<乃> 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
訓読 白波の浜松の木の手向けくさ幾代までにか年は経ぬらむ
仮名 しらなみの はままつのきの たむけくさ いくよまでにか としはへぬらむ
  山上憶良
   
  9/1717
原文 三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手<潮> 干兒波無尓
訓読 三川の淵瀬もおちず小網さすに衣手濡れぬ干す子はなしに
仮名 みつかはの ふちせもおちず さでさすに ころもでぬれぬ ほすこはなしに
  春日蔵首老
   
  9/1718
原文 足利思<代> 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門尓 極尓<監>鴨
訓読 率ひて漕ぎ行く舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも
仮名 あどもひて こぎゆくふねは たかしまの あどのみなとに はてにけむかも
  高市黒人
   
  9/1719
原文 照月遠 雲莫隠 嶋陰尓 吾船将極 留不知毛
訓読 照る月を雲な隠しそ島蔭に我が舟泊てむ泊り知らずも
仮名 てるつきを くもなかくしそ しまかげに わがふねはてむ とまりしらずも
  春日蔵首老
   
  9/1720
原文 馬屯而 打集越来 今日見鶴 芳野之川乎 何時将顧
訓読 馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
仮名 うまなめて うちむれこえき けふみつる よしののかはを いつかへりみむ
  元仁
   
  9/1721
原文 辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君
訓読 苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
仮名 くるしくも くれゆくひかも よしのがは きよきかはらを みれどあかなくに
  元仁
   
  9/1722
原文 吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布<真>國
訓読 吉野川川波高み滝の浦を見ずかなりなむ恋しけまくに
仮名 よしのがは かはなみたかみ たきのうらを みずかなりなむ こほしけまくに
  元仁
   
  9/1723
原文 河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽<河>鴨
訓読 かわづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも
仮名 かはづなく むつたのかはの かはやぎの ねもころみれど あかぬかはかも
 
   
  9/1724
原文 欲見 来之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷
訓読 見まく欲り来しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしく
仮名 みまくほり こしくもしるく よしのがは おとのさやけさ みるにともしく
  嶋足
   
  9/1725
原文 古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨
訓読 いにしへの賢しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
仮名 いにしへの さかしきひとの あそびけむ よしののかはら みれどあかぬかも
  麻呂
   
  9/1726
原文 難波方 塩干尓出<而> 玉藻苅 海未通<女>等 汝名告左祢
訓読 難波潟潮干に出でて玉藻刈る海人娘子ども汝が名告らさね
仮名 なにはがた しほひにいでて たまもかる あまをとめども ながなのらさね
  丹比真人
   
  9/1727
原文 朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人尓 妾<名>者不<教>
訓読 あさりする人とを見ませ草枕旅行く人に我が名は告らじ
仮名 あさりする ひととをみませ くさまくら たびゆくひとに わがなはのらじ
   
  9/1728
原文 名草目而 今夜者寐南 従明日波 戀鴨行武 従此間別者
訓読 慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば
仮名 なぐさめて こよひはねなむ あすよりは こひかもゆかむ こゆわかれなば
  石川年足
   
  9/1729
原文 暁之 夢所見乍 梶嶋乃 石<超>浪乃 敷弖志所念
訓読 暁の夢に見えつつ梶島の礒越す波のしきてし思ほゆ
仮名 あかときの いめにみえつつ かぢしまの いそこすなみの しきてしおもほゆ
  藤原宇合
   
  9/1730
原文 山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
訓読 山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
仮名 やましなの いはたのをのの ははそはら みつつかきみが やまぢこゆらむ
  藤原宇合
   
  9/1731
原文 山科乃 石田社尓 布<麻>越者 蓋吾妹尓 直相鴨
訓読 山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも
仮名 やましなの いはたのもりに ぬさおかば けだしわぎもに ただにあはむかも
  藤原宇合
   
  9/1732
原文 <祖>母山 霞棚引 左夜深而 吾舟将泊 等万里不知母
訓読 大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
仮名 おほばやま かすみたなびき さよふけて わがふねはてむ とまりしらずも
  碁師
   
  9/1733
原文 思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津
訓読 思ひつつ来れど来かねて三尾の崎真長の浦をまたかへり見つ
仮名 おもひつつ くれどきかねて みをのさき まながのうらを またかへりみつ
  碁師
   
  9/1734
原文 高嶋之 足利湖乎 滂過而 塩津菅浦 今<香>将滂
訓読 高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ
仮名 たかしまの あどのみなとを こぎすぎて しほつすがうら いまかこぐらむ
  少辨
   
  9/1735
原文 吾疊 三重乃河原之 礒裏尓 如是鴨跡 鳴河蝦可物
訓読 我が畳三重の川原の礒の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも
仮名 わがたたみ みへのかはらの いそのうらに かくしもがもと なくかはづかも
  伊保麻呂
   
  9/1736
原文 山高見 白木綿花尓 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香開
訓読 山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも
仮名 やまたかみ しらゆふばなに おちたぎつ なつみのかはと みれどあかぬかも
  式部大倭
   
  9/1737
原文 大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙
訓読 大滝を過ぎて夏身に近づきて清き川瀬を見るがさやけさ
仮名 おほたきを すぎてなつみに ちかづきて きよきかはせを みるがさやけさ
  兵部川原
   
  9/1738
原文 水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道<徃>人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 <預> 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人<皆乃> 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留
訓読 しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば たちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける
仮名 しながとり あはにつぎたる あづさゆみ すゑのたまなは むなわけの ひろきわぎも こしぼその すがるをとめの そのかほの きらきらしきに はなのごと ゑみてたてれば たまほこの みちゆくひとは おのがゆく みちはゆかずて よばなくに かどにいたりぬ さしならぶ となりのきみは あらかじめ おのづまかれて こはなくに かぎさへまつる ひとみなの かくまとへれば たちしなひ よりてぞいもは たはれてありける
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1739
原文 金門尓之 人乃来立者 夜中母 身者田菜不知 出曽相来
訓読 金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
仮名 かなとにし ひとのきたてば よなかにも みはたなしらず いでてぞあひける
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1740
原文 春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得<乎>良布見者 <古>之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人<乃> 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 <宅>毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 <垣>毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 <如>本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 S袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 <由>奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見
訓読 春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の 我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ
仮名 はるのひの かすめるときに すみのえの きしにいでゐて つりぶねの とをらふみれば いにしへの ことぞおもほゆる みづのえの うらしまのこが かつをつり たひつりほこり なぬかまで いへにもこずて うなさかを すぎてこぎゆくに わたつみの かみのをとめに たまさかに いこぎむかひ あひとぶらひ ことなりしかば かきむすび とこよにいたり わたつみの かみのみやの うちのへの たへなるとのに たづさはり ふたりいりゐて おいもせず しにもせずして ながきよに ありけるものを よのなかの おろかひとの わぎもこに のりてかたらく しましくは いへにかへりて ちちははに こともかたらひ あすのごと われはきなむと いひければ いもがいへらく とこよへに またかへりきて いまのごと あはむとならば このくしげ ひらくなゆめと そこらくに かためしことを すみのえに かへりきたりて いへみれど いへもみかねて さとみれど さともみかねて あやしみと そこにおもはく いへゆいでて みとせのあひだに かきもなく いへうせめやと このはこを ひらきてみてば もとのごと いへはあらむと たまくしげ すこしひらくに しらくもの はこよりいでて とこよへに たなびきぬれば たちはしり さけびそでふり こいまろび あしずりしつつ たちまちに こころけうせぬ わかくありし はだもしわみぬ くろくありし かみもしらけぬ ゆなゆなは いきさへたえて のちつひに いのちしにける みづのえの うらしまのこが いへところみゆ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1741
原文 常世邊 可住物乎 劔刀 己之<行>柄 於曽也是君
訓読 常世辺に住むべきものを剣大刀汝が心からおそやこの君
仮名 とこよへに すむべきものを つるぎたち ながこころから おそやこのきみ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1742
原文 級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳<數>十引 山藍用 <揩>衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久
訓読 しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
仮名 しなでる かたしはがはの さにぬりの おほはしのうへゆ くれなゐの あかもすそびき やまあゐもち すれるきぬきて ただひとり いわたらすこは わかくさの つまかあるらむ かしのみの ひとりかぬらむ とはまくの ほしきわぎもが いへのしらなく
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1743
原文 大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
訓読 大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
仮名 おほはしの つめにいへあらば まかなしく ひとりゆくこに やどかさましを
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1744
原文 前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
訓読 埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし
仮名 さきたまの をさきのぬまに かもぞはねきる おのがをに ふりおけるしもを はらふとにあらし
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1745
原文 三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我
訓読 三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
仮名 みつぐりの なかにむかへる さらしゐの たえずかよはむ そこにつまもが
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1746
原文 遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益
訓読 遠妻し多賀にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
仮名 とほづまし たかにありせば しらずとも たづなのはまの たづねきなまし
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1747
原文 白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来
訓読 白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
仮名 しらくもの たつたのやまの たきのうへの をぐらのみねに さきををる さくらのはなは やまたかみ かぜしやまねば はるさめの つぎてしふれば ほつえは ちりすぎにけり しづえに のこれるはなは しましくは ちりなまがひそ くさまくら たびゆくきみが かへりくるまで
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1748
原文 吾去者 七日<者>不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落
訓読 我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
仮名 わがゆきは なぬかはすぎじ たつたひこ ゆめこのはなを かぜになちらし
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1749
原文 白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知<期>智乃 花之盛尓 雖不見<在> 君之三行者 今西應有
訓読 白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに あらずとも 君がみ行きは 今にしあるべし
仮名 しらくもの たつたのやまを ゆふぐれに うちこえゆけば たきのうへの さくらのはなは さきたるは ちりすぎにけり ふふめるは さきつぎぬべし こちごちの はなのさかりに あらずとも きみがみゆきは いまにしあるべし
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1750
原文 暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒
訓読 暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
仮名 いとまあらば なづさひわたり むかつをの さくらのはなも をらましものを
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1751
原文 嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾<超>来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 <峯>上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈
訓読 島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな
仮名 しまやまを いゆきめぐれる かはそひの をかへのみちゆ きのふこそ わがこえこしか ひとよのみ ねたりしからに をのうへの さくらのはなは たきのせゆ ちらひてながる きみがみむ そのひまでには やまおろしの かぜなふきそと うちこえて なにおへるもりに かざまつりせな
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1752
原文 射行相乃 <坂>之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得
訓読 い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
仮名 いゆきあひの さかのふもとに さきををる さくらのはなを みせむこもがも
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1753
原文 衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 <峯>上乎 <公>尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者
訓読 衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
仮名 ころもで ひたちのくにの ふたならぶ つくはのやまを みまくほり きみきませりと あつけくに あせかきなげ このねとり うそぶきのぼり をのうへを きみにみすれば をかみも ゆるしたまひ めかみも ちはひたまひて ときとなく くもゐあめふる つくはねを さやにてらして いふかりし くにのまほらを つばらかに しめしたまへば うれしみと ひものをときて いへのごと とけてぞあそぶ うちなびく はるみましゆは なつくさの しげくはあれど けふのたのしさ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1754
原文 今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛
訓読 今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
仮名 けふのひに いかにかしかむ つくはねに むかしのひとの きけむそのひも
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1755
原文 鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥
訓読 鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥
仮名 うぐひすの かひごのなかに ほととぎす ひとりうまれて ながちちに にてはなかず ながははに にてはなかず うのはなの さきたるのへゆ とびかけり きなきとよもし たちばなの はなをゐちらし ひねもすに なけどききよし まひはせむ とほくなゆきそ わがやどの はなたちばなに すみわたれとり
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1756
原文 掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 A怜其鳥
訓読 かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
仮名 かききらし あめのふるよを ほととぎす なきてゆくなり あはれそのとり
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1757
原文 草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有<哉>跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼
訓読 草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ
仮名 くさまくら たびのうれへを なぐさもる こともありやと つくはねに のぼりてみれば をばなちる しつくのたゐに かりがねも さむくきなきぬ にひばりの とばのあふみも あきかぜに しらなみたちぬ つくはねの よけくをみれば ながきけに おもひつみこし うれへはやみぬ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1758
原文 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈
訓読 筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
仮名 つくはねの すそみのたゐに あきたかる いもがりやらむ もみちたをらな
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1759
原文 鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女<壮>士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 [嬥歌者東俗語曰賀我比]
訓読 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 娘子壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交らむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな [の歌は、東の俗語に賀我比と曰ふ]
仮名 わしのすむ つくはのやまの もはきつの そのつのうへに あどもひて をとめをとこの ゆきつどひ かがふかがひに ひとづまに われもまじらむ わがつまに ひともこととへ このやまを うしはくかみの むかしより いさめぬわざぞ けふのみは めぐしもなみそ こともとがむな
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1760
原文 男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉
訓読 男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや
仮名 をかみに くもたちのぼり しぐれふり ぬれとほるとも われかへらめや
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1761
原文 三諸之 神邊山尓 立向 三垣乃山尓 秋芽子之 妻巻六跡 朝月夜 明巻鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛
訓読 三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ あしひきの 山彦響め 呼びたて鳴くも
仮名 みもろの かむなびやまに たちむかふ みかきのやまに あきはぎの つまをまかむと あさづくよ あけまくをしみ あしひきの やまびことよめ よびたてなくも
  柿本人麻呂
   
  9/1762
原文 明日之夕 不相有八方 足日木<乃> 山彦令動 呼立哭毛
訓読 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも
仮名 あすのよひ あはざらめやも あしひきの やまびことよめ よびたてなくも
  柿本人麻呂
   
  9/1763
原文 倉橋之 山乎高歟 夜牢尓 出来月之 片待難
訓読 倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき
仮名 くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの かたまちかたき
  沙弥女王
   
  9/1764
原文 久堅乃 天漢尓 上瀬尓 珠橋渡之 下湍尓 船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息来益常 <玉>橋渡須
訓読 久方の 天の川に 上つ瀬に 玉橋渡し 下つ瀬に 舟浮け据ゑ 雨降りて 風吹かずとも 風吹きて 雨降らずとも 裳濡らさず やまず来ませと 玉橋渡す
仮名 ひさかたの あまのかはに かみつせに たまはしわたし しもつせに ふねうけすゑ あめふりて かぜふかずとも かぜふきて あめふらずとも もぬらさず やまずきませと たまはしわたす
  藤原房前
   
  9/1765
原文 天漢 霧立渡 且今日<々々々> 吾待君之 船出為等霜
訓読 天の川霧立ちわたる今日今日と我が待つ君し舟出すらしも
仮名 あまのがは きりたちわたる けふけふと わがまつきみし ふなですらしも
  藤原房前
   
  9/1766
原文 吾妹兒者 久志呂尓有奈武 左手乃 吾奥手<二> 纒而去麻師乎
訓読 我妹子は釧にあらなむ左手の我が奥の手に巻きて去なましを
仮名 わぎもこは くしろにあらなむ ひだりての わがおくのてに まきていなましを
  振田向
   
  9/1767
原文 豊國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家
訓読 豊国の香春は我家紐児にいつがり居れば香春は我家
仮名 とよくにの かはるはわぎへ ひものこに いつがりをれば かはるはわぎへ
  抜氣大首
   
  9/1768
原文 石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流<比>日
訓読 石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこのころ
仮名 いそのかみ ふるのわさだの ほにはいでず こころのうちに こふるこのころ
  抜氣大首
   
  9/1769
原文 如是耳志 戀思度者 霊剋 命毛吾波 惜雲奈師
訓読 かくのみし恋ひしわたればたまきはる命も我れは惜しけくもなし
仮名 かくのみし こひしわたれば たまきはる いのちもわれは をしけくもなし
  抜氣大首
   
  9/1770
原文 三諸乃 <神>能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也
訓読 みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや
仮名 みもろの かみのおばせる はつせがは みをしたえずは われわすれめや
   
  9/1771
原文 於久礼居而 吾波也将戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
訓読 後れ居て我れはや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去なば
仮名 おくれゐて あれはやこひむ はるかすみ たなびくやまを きみがこえいなば
   
  9/1772
原文 於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
訓読 後れ居て我れはや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
仮名 おくれゐて あれはやこひむ いなみのの あきはぎみつつ いなむこゆゑに
  阿倍大夫
   
  9/1773
原文 神南備 神依<板>尓 為杉乃 念母不過 戀之茂尓
訓読 神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに
仮名 かむなびの かみよせいたに するすぎの おもひもすぎず こひのしげきに
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1774
原文 垂乳根乃 母之命乃 言尓有者 年緒長 憑過武也
訓読 たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼め過ぎむや
仮名 たらちねの ははのみことの ことにあらば としのをながく たのめすぎむや
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1775
原文 泊瀬河 夕渡来而 我妹兒何 家門 近舂二家里
訓読 泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門に近づきにけり
仮名 はつせがは ゆふわたりきて わぎもこが いへのかなとに ちかづきにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1776
原文 絶等寸笶 山之<峯>上乃 櫻花 将開春部者 君<之>将思
訓読 絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
仮名 たゆらきの やまのをのへの さくらばな さかむはるへは きみをしのはむ
  石川君子
   
  9/1777
原文 君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念
訓読 君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず
仮名 きみなくは なぞみよそはむ くしげなる つげのをぐしも とらむともおもはず
  石川君子
   
  9/1778
原文 従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲<山 石>踏平之 君我越去者
訓読 明日よりは我れは恋ひむな名欲山岩踏み平し君が越え去なば
仮名 あすよりは あれはこひむな なほりやま いはふみならし きみがこえいなば
  娘子
   
  9/1779
原文 命乎志 麻勢久可願 名欲山 石踐平之 復亦毛来武
訓読 命をしま幸くもがも名欲山岩踏み平しまたまたも来む
仮名 いのちをし まさきくもがも なほりやま いはふみならし またまたもこむ
  藤井広成
   
  9/1780
原文 <牡>牛乃 三宅之<滷>尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纒之 小梶繁貫 夕塩之 満乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈<美>居而 反側 戀香裳将居 足垂之 泣耳八将哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者
訓読 ことひ牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟を設け 玉巻きの 小楫繁貫き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし 音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ行かば
仮名 ことひうしの みやけのかたに さしむかふ かしまのさきに さにぬりの をぶねをまけ たままきの をかぢしじぬき ゆふしほの みちのとどみに みふなこを あどもひたてて よびたてて みふねいでなば はまもせに おくれなみゐて こいまろび こひかもをらむ あしすりし ねのみやなかむ うなかみの そのつをさして きみがこぎゆかば
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1781
原文 海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八
訓読 海つ道のなぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや
仮名 うみつぢの なぎなむときも わたらなむ かくたつなみに ふなですべしや
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1782
原文 雪己曽波 春日消良米 心佐閇 消失多列夜 言母不徃来
訓読 雪こそば春日消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ
仮名 ゆきこそば はるひきゆらめ こころさへ きえうせたれや こともかよはぬ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1783
原文 松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子
訓読 松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴
仮名 まつがへり しひてあれやは みつぐりの なかのぼりこぬ まろといふやつこ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1784
原文 海若之 何神乎 齋祈者歟 徃方毛来方毛 <船>之早兼
訓読 海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも船の早けむ
仮名 わたつみの いづれのかみを いのらばか ゆくさもくさも ふねのはやけむ
   
  9/1785
原文 人跡成 事者難乎 和久良婆尓 成吾身者 死毛生毛 <公>之随意常 念乍 有之間尓 虚蝉乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治尓登 朝鳥之 朝立為管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者将戀奈 不見久有者
訓読 人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の 群立ち行かば 留まり居て 我れは恋ひむな 見ず久ならば
仮名 ひととなる ことはかたきを わくらばに なれるあがみは しにもいきも きみがまにまと おもひつつ ありしあひだに うつせみの よのひとなれば おほきみの みことかしこみ あまざかる ひなをさめにと あさとりの あさだちしつつ むらとりの むらだちゆかば とまりゐて あれはこひむな みずひさならば
  笠金村歌集
   
  9/1786
原文 三越道之 雪零山乎 将越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背
訓読 み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる我れを懸けて偲はせ
仮名 みこしぢの ゆきふるやまを こえむひは とまれるわれを かけてしのはせ
  笠金村歌集
   
  9/1787
原文 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
訓読 うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 敷島の 大和の国の 石上 布留の里に 紐解かず 丸寝をすれば 我が着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ 冬の夜の 明かしもえぬを 寐も寝ずに 我れはぞ恋ふる 妹が直香に
仮名 うつせみの よのひとなれば おほきみの みことかしこみ しきしまの やまとのくにの いそのかみ ふるのさとに ひもとかず まろねをすれば あがきたる ころもはなれぬ みるごとに こひはまされど いろにいでば ひとしりぬべみ ふゆのよの あかしもえぬを いもねずに あれはぞこふる いもがただかに
  笠金村歌集
   
  9/1788
原文 振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
訓読 布留山ゆ直に見わたす都にぞ寐も寝ず恋ふる遠くあらなくに
仮名 ふるやまゆ ただにみわたす みやこにぞ いもねずこふる とほくあらなくに
  笠金村歌集
   
  9/1789
原文 吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
訓読 我妹子が結ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに
仮名 わぎもこが ゆひてしひもを とかめやも たえばたゆとも ただにあふまでに
  笠金村歌集
   
  9/1790
原文 秋芽子乎 妻問鹿許曽 一子二 子持有跡五十戸 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齋戸尓 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 真好去有欲得
訓読 秋萩を 妻どふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我子 ま幸くありこそ
仮名 あきはぎを つまどふかこそ ひとりこに こもてりといへ かこじもの あがひとりこの くさまくら たびにしゆけば たかたまを しじにぬきたれ いはひへに ゆふとりしでて いはひつつ あがおもふあこ まさきくありこそ
  遣唐使母
   
  9/1791
原文 客人之 宿将為野尓 霜降者 吾子羽褁 天乃鶴群
訓読 旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽ぐくめ天の鶴群
仮名 たびひとの やどりせむのに しもふらば あがこはぐくめ あめのたづむら
  遣唐使母
   
  9/1792
原文 白玉之 人乃其名矣 中々二 辞緒<下>延 不遇日之 數多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手尓取持而 真十鏡 直目尓不視者 下桧山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛
訓読 白玉の 人のその名を なかなかに 言を下延へ 逢はぬ日の 数多く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば 思ひ遣る たどきを知らに 肝向ふ 心砕けて 玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず 我が恋ふる子を 玉釧 手に取り持ちて まそ鏡 直目に見ねば したひ山 下行く水の 上に出でず 我が思ふ心 安きそらかも
仮名 しらたまの ひとのそのなを なかなかに ことをしたはへ あはぬひの まねくすぐれば こふるひの かさなりゆけば おもひやる たどきをしらに きもむかふ こころくだけて たまたすき かけぬときなく くちやまず あがこふるこを たまくしろ てにとりもちて まそかがみ ただめにみねば したひやま したゆくみづの うへにいでず あがおもふこころ やすきそらかも
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1793
原文 垣保成 人之横辞 繁香裳 不遭日數多 月乃經良武
訓読 垣ほなす人の横言繁みかも逢はぬ日数多く月の経ぬらむ
仮名 かきほなす ひとのよここと しげみかも あはぬひまねく つきのへぬらむ
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1794
原文 立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天
訓読 たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして
仮名 たちかはり つきかさなりて あはねども さねわすらえず おもかげにして
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1795
原文 妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟
訓読 妹らがり今木の嶺に茂り立つ嬬松の木は古人見けむ
仮名 いもらがり いまきのみねに しげりたつ つままつのきは ふるひとみけむ
   
  9/1796
原文 黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳
訓読 黄葉の過ぎにし子らと携はり遊びし礒を見れば悲しも
仮名 もみちばの すぎにしこらと たづさはり あそびしいそを みればかなしも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1797
原文 塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来
訓読 潮気立つ荒礒にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
仮名 しほけたつ ありそにはあれど ゆくみづの すぎにしいもが かたみとぞこし
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1798
原文 古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府<下>
訓読 いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見れば寂しも
仮名 いにしへに いもとわがみし ぬばたまの くろうしがたを みればさぶしも
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1799
原文 <玉>津嶋 礒之裏<未>之 真名<子>仁文 尓保比去名 妹觸險
訓読 玉津島礒の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ
仮名 たまつしま いそのうらみの まなごにも にほひてゆかな いももふれけむ
  柿本人麻呂歌集
   
  9/1800
原文 小垣内之 麻矣引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帶矣三重結 <苦>伎尓 仕奉而 今谷裳 國尓退而 父妣毛 妻矣毛将見跡 思乍 徃祁牟君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂尓 和霊乃 服寒等丹 烏玉乃 髪者乱而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進尓 此間偃有
訓読 小垣内の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ 白栲の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ 苦しきに 仕へ奉りて 今だにも 国に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の 畏きや 神の御坂に 和妙の 衣寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国問へど 国をも告らず 家問へど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに臥やせる
仮名 をかきつの あさをひきほし いもなねが つくりきせけむ しろたへの ひもをもとかず ひとへゆふ おびをみへゆひ くるしきに つかへまつりて いまだにも くににまかりて ちちははも つまをもみむと おもひつつ ゆきけむきみは とりがなく あづまのくにの かしこきや かみのみさかに にきたへの ころもさむらに ぬばたまの かみはみだれて くにとへど くにをものらず いへとへど いへをもいはず ますらをの ゆきのまにまに ここにこやせる
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1801
原文 古之 益荒丁子 各競 妻問為祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奥城矣 吾立見者 永世乃 語尓為乍 後人 偲尓世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人毎 行因 射立嘆日 或人者 啼尓毛哭乍 語嗣 偲継来 處女等賀 奥城所 吾并 見者悲喪 古思者
訓読 古への ますら壮士の 相競ひ 妻問ひしけむ 葦屋の 菟原娘子の 奥城を 我が立ち見れば 長き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の辺近く 岩構へ 造れる塚を 天雲の そくへの極み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は 哭にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎくる 娘子らが 奥城処 我れさへに 見れば悲しも 古へ思へば
仮名 いにしへの ますらをとこの あひきほひ つまどひしけむ あしのやの うなひをとめの おくつきを わがたちみれば ながきよの かたりにしつつ のちひとの しのひにせむと たまほこの みちののへちかく いはかまへ つくれるつかを あまくもの そくへのきはみ このみちを ゆくひとごとに ゆきよりて いたちなげかひ あるひとは ねにもなきつつ かたりつぎ しのひつぎくる をとめらが おくつきところ われさへに みればかなしも いにしへおもへば
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1802
原文 古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奥城叙此
訓読 古への信太壮士の妻問ひし菟原娘子の奥城ぞこれ
仮名 いにしへの しのだをとこの つまどひし うなひをとめの おくつきぞこれ
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1803
原文 語継 可良仁文幾許 戀布矣 直目尓見兼 古丁子
訓読 語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古へ壮士
仮名 かたりつぐ からにもここだ こほしきを ただめにみけむ いにしへをとこ
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1804
原文 父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各<々>向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不<知> 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
訓読 父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は 朝露の 消やすき命 神の共 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみか また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉の境に 延ふ蔦の おのが向き向き 天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ 射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 嘆く別れを
仮名 ちちははが なしのまにまに はしむかふ おとのみことは あさつゆの けやすきいのち かみのむた あらそひかねて あしはらの みづほのくにに いへなみか またかへりこぬ とほつくに よみのさかひに はふつたの おのがむきむき あまくもの わかれしゆけば やみよなす おもひまとはひ いゆししの こころをいたみ あしかきの おもひみだれて はるとりの ねのみなきつつ あぢさはふ よるひるしらず かぎろひの こころもえつつ なげくわかれを
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1805
原文 別而裳 復毛可遭 所念者 心乱 吾戀目八方 [一云 意盡而]
訓読 別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて我れ恋ひめやも [一云 心尽して]
仮名 わかれても またもあふべく おもほえば こころみだれて あれこひめやも [こころつくして]
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1806
原文 蘆桧木笶 荒山中尓 送置而 還良布見者 情苦喪
訓読 あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
仮名 あしひきの あらやまなかに おくりおきて かへらふみれば こころぐるしも
  田辺福麻呂歌集
   
  9/1807
原文 鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝<壮>鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹褁有 齋兒毛 妹尓将及哉 望月之 満有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物<呼> 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流 遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞
訓読 鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
仮名 とりがなく あづまのくにに いにしへに ありけることと いままでに たえずいひける かつしかの ままのてごなが あさぎぬに あをくびつけ ひたさをを もにはおりきて かみだにも かきはけづらず くつをだに はかずゆけども にしきあやの なかにつつめる いはひこも いもにしかめや もちづきの たれるおもわに はなのごと ゑみてたてれば なつむしの ひにいるがごと みなといりに ふねこぐごとく ゆきかぐれ ひとのいふとき いくばくも いけらじものを なにすとか みをたなしりて なみのおとの さわくみなとの おくつきに いもがこやせる とほきよに ありけることを きのふしも みけむがごとも おもほゆるかも
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1808
原文 勝<壮>鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家<武> 手兒名之所念
訓読 勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ
仮名 かつしかの ままのゐみれば たちならし みづくましけむ てごなしおもほゆ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1809
原文 葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 <悒>憤時之 垣廬成 人之誂時 智<弩><壮>士 宇奈比<壮>士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 <靫>取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭<文>手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 <宍>串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼<壮>士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原<壮>士伊 仰天 S於良妣 ひ地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬ふ蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 <壮>士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨
訓読 葦屋の 菟原娘子の 八年子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士 菟原壮士の 伏屋焚き すすし競ひ 相よばひ しける時は 焼太刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく しつたまき いやしき我が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉に待たむと 隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 茅渟壮士 その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらび 地を踏み きかみたけびて もころ男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小太刀取り佩き ところづら 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 長き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 娘子墓 中に造り置き 壮士墓 このもかのもに 造り置ける 故縁聞きて 知らねども 新喪のごとも 哭泣きつるかも
仮名 あしのやの うなひをとめの やとせこの かたおひのときゆ をばなりに かみたくまでに ならびをる いへにもみえず うつゆふの こもりてをれば みてしかと いぶせむときの かきほなす ひとのとふとき ちぬをとこ うなひをとこの ふせやたき すすしきほひ あひよばひ しけるときは やきたちの たかみおしねり しらまゆみ ゆきとりおひて みづにいり ひにもいらむと たちむかひ きほひしときに わぎもこが ははにかたらく しつたまき いやしきわがゆゑ ますらをの あらそふみれば いけりとも あふべくあれや ししくしろ よみにまたむと こもりぬの したはへおきて うちなげき いもがいぬれば ちぬをとこ そのよいめにみ とりつづき おひゆきければ おくれたる うなひをとこい あめあふぎ さけびおらび つちをふみ きかみたけびて もころをに まけてはあらじと かけはきの をだちとりはき ところづら とめゆきければ うがらどち いゆきつどひ ながきよに しるしにせむと とほきよに かたりつがむと をとめはか なかにつくりおき をとこはか このもかのもに つくりおける ゆゑよしききて しらねども にひものごとも ねなきつるかも
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1810
原文 葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣
訓読 芦屋の菟原娘子の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
仮名 あしのやの うなひをとめの おくつきを ゆきくとみれば ねのみしなかゆ
  高橋虫麻呂歌集
   
  9/1811
原文 墓上之 木枝靡有 如聞 陳努<壮>士尓之 <依>家良信母
訓読 墓の上の木の枝靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも
仮名 はかのうへの このえなびけり ききしごと ちぬをとこにし よりにけらしも
  高橋虫麻呂歌集
   

第十巻

   
   10/1812
原文 久方之 天芳山 此夕 霞霏 春立下
訓読 ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも
仮名 ひさかたの あめのかぐやま このゆふへ かすみたなびく はるたつらしも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1813
原文 巻向之 桧原丹立流 春霞 欝之思者 名積米八方
訓読 巻向の桧原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも
仮名 まきむくの ひはらにたてる はるかすみ おほにしおもはば なづみこめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1814
原文 古 人之殖兼 杉枝 霞<霏> 春者来良之
訓読 いにしへの人の植ゑけむ杉が枝に霞たなびく春は来ぬらし
仮名 いにしへの ひとのうゑけむ すぎがえに かすみたなびく はるはきぬらし
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1815
原文 子等我手乎 巻向山丹 春去者 木葉凌而 霞霏
訓読 子らが手を巻向山に春されば木の葉しのぎて霞たなびく
仮名 こらがてを まきむくやまに はるされば このはしのぎて かすみたなびく
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1816
原文 玉蜻 夕去来者 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏
訓読 玉かぎる夕さり来ればさつ人の弓月が岳に霞たなびく
仮名 たまかぎる ゆふさりくれば さつひとの ゆつきがたけに かすみたなびく
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1817
原文 今朝去而 明日者来牟等 云子鹿丹 旦妻山丹 霞霏
訓読 今朝行きて明日には来なむと云子鹿丹朝妻山に霞たなびく
仮名 けさゆきて あすにはきなむと **** あさづまやまに かすみたなびく
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1818
原文 子等名丹 關之宜 朝妻之 片山木之尓 霞多奈引
訓読 子らが名に懸けのよろしき朝妻の片山崖に霞たなびく
仮名 こらがなに かけのよろしき あさづまの かたやまきしに かすみたなびく
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1819
原文 打霏 春立奴良志 吾門之 柳乃宇礼尓 鴬鳴都
訓読 うち靡く春立ちぬらし我が門の柳の末に鴬鳴きつ
仮名 うちなびく はるたちぬらし わがかどの やなぎのうれに うぐひすなきつ
   
  10/1820
原文 梅花 開有岳邊尓 家居者 乏毛不有 鴬之音
訓読 梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声
仮名 うめのはな さけるをかへに いへをれば ともしくもあらず うぐひすのこゑ
   
  10/1821
原文 春霞 流共尓 青柳之 枝<喙>持而 鴬鳴毛
訓読 春霞流るるなへに青柳の枝くひ持ちて鴬鳴くも
仮名 はるかすみ ながるるなへに あをやぎの えだくひもちて うぐひすなくも
   
  10/1822
原文 吾瀬子乎 莫越山能 喚子鳥 君喚變瀬 夜之不深刀尓
訓読 我が背子を莫越の山の呼子鳥君呼び返せ夜の更けぬとに
仮名 わがせこを なこしのやまの よぶこどり きみよびかへせ よのふけぬとに
   
  10/1823
原文 朝井代尓 来鳴<杲>鳥 汝谷文 君丹戀八 時不終鳴
訓読 朝ゐでに来鳴く貌鳥汝れだにも君に恋ふれや時終へず鳴く
仮名 あさゐでに きなくかほどり なれだにも きみにこふれや ときをへずなく
   
  10/1824
原文 冬隠 春去来之 足比木乃 山二文野二文 鴬鳴裳
訓読 冬こもり春さり来ればあしひきの山にも野にも鴬鳴くも
仮名 ふゆこもり はるさりくれば あしひきの やまにものにも うぐひすなくも
   
  10/1825
原文 紫之 根延横野之 春野庭 君乎懸管 鴬名雲
訓読 紫草の根延ふ横野の春野には君を懸けつつ鴬鳴くも
仮名 むらさきの ねばふよこのの はるのには きみをかけつつ うぐひすなくも
   
  10/1826
原文 春之<在>者 妻乎求等 鴬之 木末乎傳 鳴乍本名
訓読 春されば妻を求むと鴬の木末を伝ひ鳴きつつもとな
仮名 はるされば つまをもとむと うぐひすの こぬれをつたひ なきつつもとな
   
  10/1827
原文 春日有 羽買之山従 <狭>帆之内敝 鳴徃成者 孰喚子鳥
訓読 春日なる羽がひの山ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥
仮名 かすがなる はがひのやまゆ さほのうちへ なきゆくなるは たれよぶこどり
   
  10/1828
原文 不答尓 勿喚動曽 喚子鳥 佐保乃山邊乎 上下二
訓読 答へぬにな呼び響めそ呼子鳥佐保の山辺を上り下りに
仮名 こたへぬに なよびとよめそ よぶこどり さほのやまへを のぼりくだりに
   
  10/1829
原文 梓弓 春山近 家居之 續而聞良牟 鴬之音
訓読 梓弓春山近く家居れば継ぎて聞くらむ鴬の声
仮名 あづさゆみ はるやまちかく いへをれば つぎてきくらむ うぐひすのこゑ
   
  10/1830
原文 打靡 春去来者 小竹之末丹 尾羽打觸而 鴬鳴毛
訓読 うち靡く春さり来れば小竹の末に尾羽打ち触れて鴬鳴くも
仮名 うちなびく はるさりくれば しののうれに をはうちふれて うぐひすなくも
   
  10/1831
原文 朝霧尓 之<努>々尓所沾而 喚子鳥 三船山従 喧渡所見
訓読 朝霧にしののに濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ
仮名 あさぎりに しののにぬれて よぶこどり みふねのやまゆ なきわたるみゆ
   
  10/1832
原文 打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管
訓読 うち靡く春さり来ればしかすがに天雲霧らひ雪は降りつつ
仮名 うちなびく はるさりくれば しかすがに あまくもきらひ ゆきはふりつつ
   
  10/1833
原文 梅花 零覆雪乎 褁持 君令見跡 取者消管
訓読 梅の花降り覆ふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消につつ
仮名 うめのはな ふりおほふゆきを つつみもち きみにみせむと とればけにつつ
   
  10/1834
原文 梅花 咲落過奴 然為蟹 白雪庭尓 零重管
訓読 梅の花咲き散り過ぎぬしかすがに白雪庭に降りしきりつつ
仮名 うめのはな さきちりすぎぬ しかすがに しらゆきにはに ふりしきりつつ
   
  10/1835
原文 今更 雪零目八方 蜻火之 燎留春部常 成西物乎
訓読 今さらに雪降らめやもかぎろひの燃ゆる春へとなりにしものを
仮名 いまさらに ゆきふらめやも かぎろひの もゆるはるへと なりにしものを
   
  10/1836
原文 風交 雪者零乍 然為蟹 霞田菜引 春去尓来
訓読 風交り雪は降りつつしかすがに霞たなびき春さりにけり
仮名 かぜまじり ゆきはふりつつ しかすがに かすみたなびき はるさりにけり
   
  10/1837
原文 山際尓 鴬喧而 打靡 春跡雖念 雪落布沼
訓読 山の際に鴬鳴きてうち靡く春と思へど雪降りしきぬ
仮名 やまのまに うぐひすなきて うちなびく はるとおもへど ゆきふりしきぬ
   
  10/1838
原文 峯上尓 零置雪師 風之共 此聞散良思 春者雖有
訓読 峰の上に降り置ける雪し風の共ここに散るらし春にはあれども
仮名 をのうへに ふりおけるゆきし かぜのむた ここにちるらし はるにはあれども
   
  10/1839
原文 為君 山田之澤 恵具採跡 雪消之水尓 裳裾所沾
訓読 君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ
仮名 きみがため やまたのさはに ゑぐつむと ゆきげのみづに ものすそぬれぬ
   
  10/1840
原文 梅枝尓 鳴而移<徙> 鴬之 翼白妙尓 沫雪曽落
訓読 梅が枝に鳴きて移ろふ鴬の羽白妙に沫雪ぞ降る
仮名 うめがえに なきてうつろふ うぐひすの はねしろたへに あわゆきぞふる
   
  10/1841
原文 山高三 零来雪乎 梅花 <落>鴨来跡 念鶴鴨 [一云 梅花 開香裳落跡]
訓読 山高み降り来る雪を梅の花散りかも来ると思ひつるかも [一云 梅の花咲きかも散ると]
仮名 やまたかみ ふりくるゆきを うめのはな ちりかもくると おもひつるかも [うめのはな さきかもちると]
   
  10/1842
原文 除雪而 梅莫戀 足曳之 山片就而 家居為流君
訓読 雪をおきて梅をな恋ひそあしひきの山片付きて家居せる君
仮名 ゆきをおきて うめをなこひそ あしひきの やまかたづきて いへゐせるきみ
   
  10/1843
原文 昨日社 年者極之賀 春霞 春日山尓 速立尓来
訓読 昨日こそ年は果てしか春霞春日の山に早立ちにけり
仮名 きのふこそ としははてしか はるかすみ かすがのやまに はやたちにけり
   
  10/1844
原文 寒過 暖来良思 朝烏指 滓鹿能山尓 霞軽引
訓読 冬過ぎて春来るらし朝日さす春日の山に霞たなびく
仮名 ふゆすぎて はるきたるらし あさひさす かすがのやまに かすみたなびく
   
  10/1845
原文 鴬之 春成良思 春日山 霞棚引 夜目見侶
訓読 鴬の春になるらし春日山霞たなびく夜目に見れども
仮名 うぐひすの はるになるらし かすがやま かすみたなびく よめにみれども
   
  10/1846
原文 霜干 冬柳者 見人之 蘰可為 目生来鴨
訓読 霜枯れの冬の柳は見る人のかづらにすべく萌えにけるかも
仮名 しもがれの ふゆのやなぎは みるひとの かづらにすべく もえにけるかも
   
  10/1847
原文 淺緑 染懸有跡 見左右二 春楊者 目生来鴨
訓読 浅緑染め懸けたりと見るまでに春の柳は萌えにけるかも
仮名 あさみどり そめかけたりと みるまでに はるのやなぎは もえにけるかも
   
  10/1848
原文 山際尓 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延尓家留可聞
訓読 山の際に雪は降りつつしかすがにこの川楊は萌えにけるかも
仮名 やまのまに ゆきはふりつつ しかすがに このかはやぎは もえにけるかも
   
  10/1849
原文 山際之 雪<者>不消有乎 水飯合 川之副者 目生来鴨
訓読 山の際の雪は消ずあるをみなぎらふ川の沿ひには萌えにけるかも
仮名 やまのまの ゆきはけずあるを みなぎらふ かはのそひには もえにけるかも
   
  10/1850
原文 朝旦 吾見柳 鴬之 来居而應鳴 森尓早奈礼
訓読 朝な朝な我が見る柳鴬の来居て鳴くべく森に早なれ
仮名 あさなさな わがみるやなぎ うぐひすの きゐてなくべく もりにはやなれ
   
  10/1851
原文 青柳之 絲乃細紗 春風尓 不乱伊間尓 令視子裳欲得
訓読 青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも
仮名 あをやぎの いとのくはしさ はるかぜに みだれぬいまに みせむこもがも
   
  10/1852
原文 百礒城 大宮人之 蘰有 垂柳者 雖見不飽鴨
訓読 ももしきの大宮人のかづらけるしだり柳は見れど飽かぬかも
仮名 ももしきの おほみやひとの かづらける しだりやなぎは みれどあかぬかも
   
  10/1853
原文 梅花 取持見者 吾屋前之 柳乃眉師 所念可聞
訓読 梅の花取り持ち見れば我が宿の柳の眉し思ほゆるかも
仮名 うめのはな とりもちみれば わがやどの やなぎのまよし おもほゆるかも
   
  10/1854
原文 鴬之 木傳梅乃 移者 櫻花之 時片設奴
訓読 鴬の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時かたまけぬ
仮名 うぐひすの こづたふうめの うつろへば さくらのはなの ときかたまけぬ
   
  10/1855
原文 櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之将落
訓読 桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ
仮名 さくらばな ときはすぎねど みるひとの こふるさかりと いましちるらむ
   
  10/1856
原文 我刺 柳絲乎 吹乱 風尓加妹之 梅乃散覧
訓読 我がかざす柳の糸を吹き乱る風にか妹が梅の散るらむ
仮名 わがかざす やなぎのいとを ふきみだる かぜにかいもが うめのちるらむ
   
  10/1857
原文 毎年 梅者開友 空蝉之 <世>人<我>羊蹄 春無有来
訓読 年のはに梅は咲けどもうつせみの世の人我れし春なかりけり
仮名 としのはに うめはさけども うつせみの よのひとわれし はるなかりけり
   
  10/1858
原文 打細尓 鳥者雖<不>喫 縄延 守巻欲寸 梅花鴨
訓読 うつたへに鳥は食まねど縄延へて守らまく欲しき梅の花かも
仮名 うつたへに とりははまねど なははへて もらまくほしき うめのはなかも
   
  10/1859
原文 馬並而 高山<部>乎 白妙丹 令艶色有者 梅花鴨
訓読 馬並めて多賀の山辺を白栲ににほはしたるは梅の花かも
仮名 うまなめて たかのやまへを しろたへに にほはしたるは うめのはなかも
   
  10/1860
原文 花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花
訓読 花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花
仮名 はなさきて みはならねども ながきけに おもほゆるかも やまぶきのはな
   
  10/1861
原文 能登河之 水底并尓 光及尓 三笠乃山者 咲来鴨
訓読 能登川の水底さへに照るまでに御笠の山は咲きにけるかも
仮名 のとがはの みなそこさへに てるまでに みかさのやまは さきにけるかも
   
  10/1862
原文 見雪者 未冬有 然為蟹 春霞立 梅者散乍
訓読 雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ
仮名 ゆきみれば いまだふゆなり しかすがに はるかすみたち うめはちりつつ
   
  10/1863
原文 去年咲之 久木今開 徒 土哉将堕 見人名四二
訓読 去年咲きし久木今咲くいたづらに地にか落ちむ見る人なしに
仮名 こぞさきし ひさぎいまさく いたづらに つちにかおちむ みるひとなしに
   
  10/1864
原文 足日木之 山間照 櫻花 是春雨尓 散去鴨
訓読 あしひきの山の際照らす桜花この春雨に散りゆかむかも
仮名 あしひきの やまのまてらす さくらばな このはるさめに ちりゆかむかも
   
  10/1865
原文 打靡 春避来之 山際 最木末乃 咲徃見者
訓読 うち靡く春さり来らし山の際の遠き木末の咲きゆく見れば
仮名 うちなびく はるさりくらし やまのまの とほきこぬれの さきゆくみれば
   
  10/1866
原文 春雉鳴 高圓邊丹 櫻花 散流歴 見人毛我<母>
訓読 雉鳴く高円の辺に桜花散りて流らふ見む人もがも
仮名 きぎしなく たかまとのへに さくらばな ちりてながらふ みむひともがも
   
  10/1867
原文 阿保山之 佐宿木花者 今日毛鴨 散乱 見人無二
訓読 阿保山の桜の花は今日もかも散り乱ふらむ見る人なしに
仮名 あほやまの さくらのはなは けふもかも ちりまがふらむ みるひとなしに
   
  10/1868
原文 川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花會 置末勿動
訓読 かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ
仮名 かはづなく よしののかはの たきのうへの あしびのはなぞ はしにおくなゆめ
   
  10/1869
原文 春雨尓 相争不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始尓家里
訓読 春雨に争ひかねて我が宿の桜の花は咲きそめにけり
仮名 はるさめに あらそひかねて わがやどの さくらのはなは さきそめにけり
   
  10/1870
原文 春雨者 甚勿零 櫻花 未見尓 散巻惜裳
訓読 春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも
仮名 はるさめは いたくなふりそ さくらばな いまだみなくに ちらまくをしも
   
  10/1871
原文 春去者 散巻惜 梅花 片時者不咲 含而毛欲得
訓読 春されば散らまく惜しき梅の花しましは咲かずふふみてもがも
仮名 はるされば ちらまくをしき うめのはな しましはさかず ふふみてもがも
   
  10/1872
原文 見渡者 春日之野邊尓 霞立 開艶者 櫻花鴨
訓読 見わたせば春日の野辺に霞立ち咲きにほへるは桜花かも
仮名 みわたせば かすがののへに かすみたち さきにほへるは さくらばなかも
   
  10/1873
原文 何時鴨 此夜乃将明 鴬之 木傳落 <梅>花将見
訓読 いつしかもこの夜の明けむ鴬の木伝ひ散らす梅の花見む
仮名 いつしかも このよのあけむ うぐひすの こづたひちらす うめのはなみむ
   
  10/1874
原文 春霞 田菜引今日之 暮三伏一向夜 不穢照良武 高松之野尓
訓読 春霞たなびく今日の夕月夜清く照るらむ高松の野に
仮名 はるかすみ たなびくけふの ゆふづくよ きよくてるらむ たかまつののに
   
  10/1875
原文 春去者 紀之許能暮之 夕月夜 欝束無裳 山陰尓指天 [一云 春去者 木陰多 暮月夜]
訓読 春されば木の木の暗の夕月夜おほつかなしも山蔭にして [一云 春されば木の暗多み夕月夜]
仮名 はるされば きのこのくれの ゆふづくよ おほつかなしも やまかげにして [はるされば このくれおほみ ゆふづくよ]
   
  10/1876
原文 朝霞 春日之晩者 従木間 移歴月乎 何時可将待
訓読 朝霞春日の暮は木の間より移ろふ月をいつとか待たむ
仮名 あさかすみ はるひのくれは このまより うつろふつきを いつとかまたむ
   
  10/1877
原文 春之雨尓 有来物乎 立隠 妹之家道尓 此日晩都
訓読 春の雨にありけるものを立ち隠り妹が家道にこの日暮らしつ
仮名 はるのあめに ありけるものを たちかくり いもがいへぢに このひくらしつ
   
  10/1878
原文 今徃而 聞物尓毛我 明日香川 春雨零而 瀧津湍音乎
訓読 今行きて聞くものにもが明日香川春雨降りてたぎつ瀬の音を
仮名 いまゆきて きくものにもが あすかがは はるさめふりて たぎつせのおとを
   
  10/1879
原文 春日野尓 煙立所見 D嬬等四 春野之菟芽子 採而煮良思文
訓読 春日野に煙立つ見ゆ娘子らし春野のうはぎ摘みて煮らしも
仮名 かすがのに けぶりたつみゆ をとめらし はるののうはぎ つみてにらしも
   
  10/1880
原文 春日野之 淺茅之上尓 念共 遊今日 忘目八方
訓読 春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶ今日の日忘らえめやも
仮名 かすがのの あさぢがうへに おもふどち あそぶけふのひ わすらえめやも
   
  10/1881
原文 春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 弥年之黄土
訓読 春霞立つ春日野を行き返り我れは相見むいや年のはに
仮名 はるかすみ たつかすがのを ゆきかへり われはあひみむ いやとしのはに
   
  10/1882
原文 春野尓 意将述跡 <念>共 来之今日者 不晩毛荒粳
訓読 春の野に心延べむと思ふどち来し今日の日は暮れずもあらぬか
仮名 はるののに こころのべむと おもふどち こしけふのひは くれずもあらぬか
   
  10/1883
原文 百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎挿頭而 此間集有
訓読 ももしきの大宮人は暇あれや梅をかざしてここに集へる
仮名 ももしきの おほみやひとは いとまあれや うめをかざして ここにつどへる
   
  10/1884
原文 寒過 暖来者 年月者 雖新有 人者舊去
訓読 冬過ぎて春し来れば年月は新たなれども人は古りゆく
仮名 ふゆすぎて はるしきたれば としつきは あらたなれども ひとはふりゆく
   
  10/1885
原文 物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜
訓読 物皆は新たしきよしただしくも人は古りにしよろしかるべし
仮名 ものみなは あらたしきよし ただしくも ひとはふりにし よろしかるべし
   
  10/1886
原文 佐吉之 里<行>之鹿歯 春花乃 益希見 君相有香開
訓読 住吉の里行きしかば春花のいやめづらしき君に逢へるかも
仮名 すみのえの さとゆきしかば はるはなの いやめづらしき きみにあへるかも
   
  10/1887
原文 春日在 三笠乃山尓 月母出奴可母 佐紀山尓 開有櫻之 花乃可見
訓読 春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく
仮名 かすがなる みかさのやまに つきもいでぬかも さきやまに さけるさくらの はなのみゆべく
   
  10/1888
原文 白雪之 常敷冬者 過去家良霜 春霞 田菜引野邊之 鴬鳴焉
訓読 白雪の常敷く冬は過ぎにけらしも春霞たなびく野辺の鴬鳴くも
仮名 しらゆきの つねしくふゆは すぎにけらしも はるかすみ たなびくのへの うぐひすなくも
   
  10/1889
原文 吾屋前之 毛桃之下尓 月夜指 下心吉 菟楯項者
訓読 我が宿の毛桃の下に月夜さし下心よしうたてこのころ
仮名 わがやどの けもものしたに つくよさし したこころよし うたてこのころ
   
  10/1890
原文 春<山> <友>鴬 鳴別 <眷>益間 思御吾
訓読 春山の友鴬の泣き別れ帰ります間も思ほせ我れを
仮名 はるやまの ともうぐひすの なきわかれ かへりますまも おもほせわれを
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1891
原文 冬隠 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨
訓読 冬こもり春咲く花を手折り持ち千たびの限り恋ひわたるかも
仮名 ふゆこもり はるさくはなを たをりもち ちたびのかぎり こひわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1892
原文 春山 霧惑在 鴬 我益 物念哉
訓読 春山の霧に惑へる鴬も我れにまさりて物思はめやも
仮名 はるやまの きりにまとへる うぐひすも われにまさりて ものもはめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1893
原文 出見 向岡 本繁 開在花 不成不止
訓読 出でて見る向ひの岡に本茂く咲きたる花のならずはやまじ
仮名 いでてみる むかひのをかに もとしげく さきたるはなの ならずはやまじ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1894
原文 霞發 春永日 戀暮 夜深去 妹相鴨
訓読 霞立つ春の長日を恋ひ暮らし夜も更けゆくに妹も逢はぬかも
仮名 かすみたつ はるのながひを こひくらし よもふけゆくに いももあはぬかも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1895
原文 春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
訓読 春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹
仮名 はるされば まづさきくさの さきくあらば のちにもあはむ なこひそわぎも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1896
原文 春去 為垂柳 十緒 妹心 乗在鴨
訓読 春さればしだり柳のとををにも妹は心に乗りにけるかも
仮名 はるされば しだりやなぎの とををにも いもはこころに のりにけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1897
原文 春之在者 伯勞鳥之草具吉 雖不所見 吾者見<将遣> 君之當<乎>婆
訓読 春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば
仮名 はるされば もずのくさぐき みえずとも われはみやらむ きみがあたりをば
   
  10/1898
原文 容鳥之 間無數鳴 春野之 草根乃繁 戀毛為鴨
訓読 貌鳥の間なくしば鳴く春の野の草根の繁き恋もするかも
仮名 かほどりの まなくしばなく はるののの くさねのしげき こひもするかも
   
  10/1899
原文 春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒来鴨
訓読 春されば卯の花ぐたし我が越えし妹が垣間は荒れにけるかも
仮名 はるされば うのはなぐたし わがこえし いもがかきまは あれにけるかも
   
  10/1900
原文 梅花 咲散苑尓 吾将去 君之使乎 片待香花光
訓読 梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてり
仮名 うめのはな さきちるそのに われゆかむ きみがつかひを かたまちがてり
   
  10/1901
原文 藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在
訓読 藤波の咲く春の野に延ふ葛の下よし恋ひば久しくもあらむ
仮名 ふぢなみの さくはるののに はふくずの したよしこひば ひさしくもあらむ
   
  10/1902
原文 春野尓 霞棚引 咲花乃 如是成二手尓 不逢君可母
訓読 春の野に霞たなびき咲く花のかくなるまでに逢はぬ君かも
仮名 はるののに かすみたなびき さくはなの かくなるまでに あはぬきみかも
   
  10/1903
原文 吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔花之 今盛有
訓読 我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり
仮名 わがせこに あがこふらくは おくやまの あしびのはなの いまさかりなり
   
  10/1904
原文 梅花 四垂柳尓 折雜 花尓供養者 君尓相可毛
訓読 梅の花しだり柳に折り交へ花に供へば君に逢はむかも
仮名 うめのはな しだりやなぎに をりまじへ はなにそなへば きみにあはむかも
   
  10/1905
原文 姫部思 咲野尓生 白管自 不知事以 所言之吾背
訓読 をみなへし佐紀野に生ふる白つつじ知らぬこともち言はえし我が背
仮名 をみなへし さきのにおふる しらつつじ しらぬこともち いはえしわがせ
   
  10/1906
原文 梅花 吾者不令落 青丹吉 平城之人 来管見之根
訓読 梅の花我れは散らさじあをによし奈良なる人も来つつ見るがね
仮名 うめのはな われはちらさじ あをによし ならなるひとも きつつみるがね
   
  10/1907
原文 如是有者 何如殖兼 山振乃 止時喪哭 戀良苦念者
訓読 かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思へば
仮名 かくしあらば なにかうゑけむ やまぶきの やむときもなく こふらくおもへば
   
  10/1908
原文 春去者 水草之上尓 置霜乃 消乍毛我者 戀度鴨
訓読 春されば水草の上に置く霜の消につつも我れは恋ひわたるかも
仮名 はるされば みくさのうへに おくしもの けにつつもあれは こひわたるかも
   
  10/1909
原文 春霞 山棚引 欝 妹乎相見 後戀毳
訓読 春霞山にたなびきおほほしく妹を相見て後恋ひむかも
仮名 はるかすみ やまにたなびき おほほしく いもをあひみて のちこひむかも
   
  10/1910
原文 春霞 立尓之日従 至今日 吾戀不止 本之繁家波 [一云 片念尓指天]
訓読 春霞立ちにし日より今日までに我が恋やまず本の繁けば [一云 片思にして]
仮名 はるかすみ たちにしひより けふまでに あがこひやまず もとのしげけば [かたもひにして]
   
  10/1911
原文 左丹頬經 妹乎念登 霞立 春日毛晩尓 戀度可母
訓読 さ丹つらふ妹を思ふと霞立つ春日もくれに恋ひわたるかも
仮名 さにつらふ いもをおもふと かすみたつ はるひもくれに こひわたるかも
   
  10/1912
原文 霊寸春 吾山之於尓 立霞 雖立雖座 君之随意
訓読 たまきはる我が山の上に立つ霞立つとも居とも君がまにまに
仮名 たまきはる わがやまのうへに たつかすみ たつともうとも きみがまにまに
   
  10/1913
原文 見渡者 春日之野邊 立霞 見巻之欲 君之容儀香
訓読 見わたせば春日の野辺に立つ霞見まくの欲しき君が姿か
仮名 みわたせば かすがののへに たつかすみ みまくのほしき きみがすがたか
   
  10/1914
原文 戀乍毛 今日者暮都 霞立 明日之春日乎 如何将晩
訓読 恋ひつつも今日は暮らしつ霞立つ明日の春日をいかに暮らさむ
仮名 こひつつも けふはくらしつ かすみたつ あすのはるひを いかにくらさむ
   
  10/1915
原文 吾背子尓 戀而為便莫 春雨之 零別不知 出而来可聞
訓読 我が背子に恋ひてすべなみ春雨の降るわき知らず出でて来しかも
仮名 わがせこに こひてすべなみ はるさめの ふるわきしらず いでてこしかも
   
  10/1916
原文 今更 君者伊不徃 春雨之 情乎人之 不知有名國
訓読 今さらに君はい行かじ春雨の心を人の知らずあらなくに
仮名 いまさらに きみはいゆかじ はるさめの こころをひとの しらずあらなくに
   
  10/1917
原文 春雨尓 衣甚 将通哉 七日四零者 七<日>不来哉
訓読 春雨に衣はいたく通らめや七日し降らば七日来じとや
仮名 はるさめに ころもはいたく とほらめや なぬかしふらば なぬかこじとや
   
  10/1918
原文 梅花 令散春雨 多零 客尓也君之 廬入西留良武
訓読 梅の花散らす春雨いたく降る旅にや君が廬りせるらむ
仮名 うめのはな ちらすはるさめ いたくふる たびにやきみが いほりせるらむ
   
  10/1919
原文 國栖等之 春菜将採 司馬乃野之 數君麻 思比日
訓読 国栖らが春菜摘むらむ司馬の野のしばしば君を思ふこのころ
仮名 くにすらが はるなつむらむ しまののの しばしばきみを おもふこのころ
   
  10/1920
原文 春草之 繁吾戀 大海 方徃浪之 千重積
訓読 春草の繁き我が恋大海の辺に行く波の千重に積もりぬ
仮名 はるくさの しげきあがこひ おほうみの へにゆくなみの ちへにつもりぬ
   
  10/1921
原文 不明 公乎相見而 菅根乃 長春日乎 孤<悲>渡鴨
訓読 おほほしく君を相見て菅の根の長き春日を恋ひわたるかも
仮名 おほほしく きみをあひみて すがのねの ながきはるひを こひわたるかも
   
  10/1922
原文 梅花 咲而落去者 吾妹乎 将来香不来香跡 吾待乃木曽
訓読 梅の花咲きて散りなば我妹子を来むか来じかと我が松の木ぞ
仮名 うめのはな さきてちりなば わぎもこを こむかこじかと わがまつのきぞ
   
  10/1923
原文 白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎
訓読 白真弓今春山に行く雲の行きや別れむ恋しきものを
仮名 しらまゆみ いまはるやまに ゆくくもの ゆきやわかれむ こほしきものを
   
  10/1924
原文 大夫之 伏居嘆而 造有 四垂柳之 蘰為吾妹
訓読 大夫の伏し居嘆きて作りたるしだり柳のかづらせ我妹
仮名 ますらをの ふしゐなげきて つくりたる しだりやなぎの かづらせわぎも
   
  10/1925
原文 朝戸出乃 君之儀乎 曲不見而 長春日乎 戀八九良三
訓読 朝戸出の君が姿をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ
仮名 あさとでの きみがすがたを よくみずて ながきはるひを こひやくらさむ
   
  10/1926
原文 春山之 馬酔花之 不悪 公尓波思恵也 所因友好
訓読 春山の馬酔木の花の悪しからぬ君にはしゑや寄そるともよし
仮名 はるやまの あしびのはなの あしからぬ きみにはしゑや よそるともよし
   
  10/1927
原文 石上 振乃神杉 神備<西> 吾八更々 戀尓相尓家留
訓読 石上布留の神杉神びにし我れやさらさら恋にあひにける
仮名 いそのかみ ふるのかむすぎ かむびにし われやさらさら こひにあひにける
   
  10/1928
原文 狭野方波 實尓雖不成 花耳 開而所見社 戀之名草尓
訓読 さのかたは実にならずとも花のみに咲きて見えこそ恋のなぐさに
仮名 さのかたは みにならずとも はなのみに さきてみえこそ こひのなぐさに
   
  10/1929
原文 狭野方波 實尓成西乎 今更 春雨零而 花将咲八方
訓読 さのかたは実になりにしを今さらに春雨降りて花咲かめやも
仮名 さのかたは みになりにしを いまさらに はるさめふりて はなさかめやも
   
  10/1930
原文 梓弓 引津邊有 莫告藻之 花咲及二 不會君毳
訓読 梓弓引津の辺なるなのりその花咲くまでに逢はぬ君かも
仮名 あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも
   
  10/1931
原文 川上之 伊都藻之花乃 何時々々 来座吾背子 時自異目八方
訓読 川の上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも
仮名 かはのうへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも
   
  10/1932
原文 春雨之 不止零々 吾戀 人之目尚矣 不令相見
訓読 春雨のやまず降る降る我が恋ふる人の目すらを相見せなくに
仮名 はるさめの やまずふるふる あがこふる ひとのめすらを あひみせなくに
   
  10/1933
原文 吾妹子尓 戀乍居者 春雨之 彼毛知如 不止零乍
訓読 我妹子に恋ひつつ居れば春雨のそれも知るごとやまず降りつつ
仮名 わぎもこに こひつつをれば はるさめの それもしるごと やまずふりつつ
   
  10/1934
原文 相不念 妹哉本名 菅根乃 長春日乎 念晩牟
訓読 相思はぬ妹をやもとな菅の根の長き春日を思ひ暮らさむ
仮名 あひおもはぬ いもをやもとな すがのねの ながきはるひを おもひくらさむ
   
  10/1935
原文 春去者 先鳴鳥乃 鴬之 事先立之 君乎之将待
訓読 春さればまづ鳴く鳥の鴬の言先立ちし君をし待たむ
仮名 はるされば まづなくとりの うぐひすの ことさきだちし きみをしまたむ
   
  10/1936
原文 相不念 将有兒故 玉緒 長春日乎 念晩久
訓読 相思はずあるらむ子ゆゑ玉の緒の長き春日を思ひ暮らさく
仮名 あひおもはず あるらむこゆゑ たまのをの ながきはるひを おもひくらさく
   
  10/1937
原文 大夫<之> 出立向 故郷之 神名備山尓 明来者 柘之左枝尓 暮去者 小松之若末尓 里人之 聞戀麻田 山彦乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中尓鳴
訓読 大夫の 出で立ち向ふ 故郷の 神なび山に 明けくれば 柘のさ枝に 夕されば 小松が末に 里人の 聞き恋ふるまで 山彦の 相響むまで 霍公鳥 妻恋ひすらし さ夜中に鳴く
仮名 ますらをの いでたちむかふ ふるさとの かむなびやまに あけくれば つみのさえだに ゆふされば こまつがうれに さとびとの ききこふるまで やまびこの あひとよむまで ほととぎす つまごひすらし さよなかになく
   
  10/1938
原文 客尓為而 妻戀為良思 霍公鳥 神名備山尓 左夜深而鳴
訓読 旅にして妻恋すらし霍公鳥神なび山にさ夜更けて鳴く
仮名 たびにして つまごひすらし ほととぎす かむなびやまに さよふけてなく
   
  10/1939
原文 霍公鳥 汝始音者 於吾欲得 五月之珠尓 交而将貫
訓読 霍公鳥汝が初声は我れにもが五月の玉に交へて貫かむ
仮名 ほととぎす ながはつこゑは われにもが さつきのたまに まじへてぬかむ
   
  10/1940
原文 朝霞 棚引野邊 足桧木乃 山霍公鳥 何時来将鳴
訓読 朝霞たなびく野辺にあしひきの山霍公鳥いつか来鳴かむ
仮名 あさかすみ たなびくのへに あしひきの やまほととぎす いつかきなかむ
   
  10/1941
原文 旦<霧> 八重山越而 喚孤鳥 吟八汝来 屋戸母不有九<二>
訓読 朝霧の八重山越えて呼子鳥鳴きや汝が来る宿もあらなくに
仮名 あさぎりの やへやまこえて よぶこどり なきやながくる やどもあらなくに
   
  10/1942
原文 霍公鳥 <鳴>音聞哉 宇能花乃 開落岳尓 田葛引D嬬
訓読 霍公鳥鳴く声聞くや卯の花の咲き散る岡に葛引く娘女
仮名 ほととぎす なくこゑきくや うのはなの さきちるをかに くずひくをとめ
   
  10/1943
原文 月夜吉 鳴霍公鳥 欲見 吾草取有 見人毛欲得
訓読 月夜よみ鳴く霍公鳥見まく欲り我れ草取れり見む人もがも
仮名 つくよよみ なくほととぎす みまくほり われくさとれり みむひともがも
   
  10/1944
原文 藤浪之 散巻惜 霍公鳥 今城岳S 鳴而越奈利
訓読 藤波の散らまく惜しみ霍公鳥今城の岡を鳴きて越ゆなり
仮名 ふぢなみの ちらまくをしみ ほととぎす いまきのをかを なきてこゆなり
   
  10/1945
原文 旦霧 八重山越而 霍公鳥 宇能花邊柄 鳴越来
訓読 朝霧の八重山越えて霍公鳥卯の花辺から鳴きて越え来ぬ
仮名 あさぎりの やへやまこえて ほととぎす うのはなへから なきてこえきぬ
   
  10/1946
原文 木高者 曽木不殖 霍公鳥 来鳴令響而 戀令益
訓読 木高くはかつて木植ゑじ霍公鳥来鳴き響めて恋まさらしむ
仮名 こだかくは かつてきうゑじ ほととぎす きなきとよめて こひまさらしむ
   
  10/1947
原文 難相 君尓逢有夜 霍公鳥 他時従者 今<社>鳴目
訓読 逢ひかたき君に逢へる夜霍公鳥他時ゆは今こそ鳴かめ
仮名 あひかたき きみにあへるよ ほととぎす あだしときゆは いまこそなかめ
   
  10/1948
原文 木晩之 暮闇有尓 [一云 有者] 霍公鳥 何處乎家登 鳴渡良<武>
訓読 木の暗の夕闇なるに [一云 なれば] 霍公鳥いづくを家と鳴き渡るらむ
仮名 このくれの ゆふやみなるに[なれば] ほととぎす いづくをいへと なきわたるらむ
訓異][なれば , ほととぎす;ほとときす, いづくをいへと;いつこをいへと,
   
  10/1949
原文 霍公鳥 今朝之旦明尓 鳴都流波 君将聞可 朝宿疑将寐
訓読 霍公鳥今朝の朝明に鳴きつるは君聞きけむか朝寐か寝けむ
仮名 ほととぎす けさのあさけに なきつるは きみききけむか あさいかねけむ
   
  10/1950
原文 霍公鳥 花橘之 枝尓居而 鳴響者 花波散乍
訓読 霍公鳥花橘の枝に居て鳴き響もせば花は散りつつ
仮名 ほととぎす はなたちばなの えだにゐて なきとよもせば はなはちりつつ
   
  10/1951
原文 慨哉 四去霍公鳥 今社者 音之干蟹 来喧響目
訓読 うれたきや醜霍公鳥今こそば声の嗄るがに来鳴き響めめ
仮名 うれたきや しこほととぎす いまこそば こゑのかるがに きなきとよめめ
   
  10/1952
原文 今夜乃 於保束無荷 霍公鳥 喧奈流聲之 音乃遥左
訓読 今夜のおほつかなきに霍公鳥鳴くなる声の音の遥けさ
仮名 こよひの おほつかなきに ほととぎす なくなるこゑの おとのはるけさ
   
  10/1953
原文 五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨
訓読 五月山卯の花月夜霍公鳥聞けども飽かずまた鳴かぬかも
仮名 さつきやま うのはなづくよ ほととぎす きけどもあかず またなかぬかも
   
  10/1954
原文 霍公鳥 来居裳鳴香 吾屋前乃 花橘乃 地二落六見牟
訓読 霍公鳥来居も鳴かぬか我がやどの花橘の地に落ちむ見む
仮名 ほととぎす きゐもなかぬか わがやどの はなたちばなの つちにおちむみむ
   
  10/1955
原文 霍公鳥 厭時無 菖蒲 蘰将為日 従此鳴度礼
訓読 霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
仮名 ほととぎす いとふときなし あやめぐさ かづらにせむひ こゆなきわたれ
   
  10/1956
原文 山跡庭 啼而香将来 霍公鳥 汝鳴毎 無人所念
訓読 大和には鳴きてか来らむ霍公鳥汝が鳴くごとになき人思ほゆ
仮名 やまとには なきてかくらむ ほととぎす ながなくごとに なきひとおもほゆ
   
  10/1957
原文 宇能花乃 散巻惜 霍公鳥 野出山入 来鳴令動
訓読 卯の花の散らまく惜しみ霍公鳥野に出で山に入り来鳴き響もす
仮名 うのはなの ちらまくをしみ ほととぎす のにいでやまにいり きなきとよもす
   
  10/1958
原文 橘之 林乎殖 霍公鳥 常尓冬及 住度金
訓読 橘の林を植ゑむ霍公鳥常に冬まで棲みわたるがね
仮名 たちばなの はやしをうゑむ ほととぎす つねにふゆまで すみわたるがね
   
  10/1959
原文 雨へ之 雲尓副而 霍公鳥 指春日而 従此鳴度
訓読 雨晴れの雲にたぐひて霍公鳥春日をさしてこゆ鳴き渡る
仮名 あまばれの くもにたぐひて ほととぎす かすがをさして こゆなきわたる
   
  10/1960
原文 物念登 不宿旦開尓 霍公鳥 鳴而左度 為便無左右二
訓読 物思ふと寐ねぬ朝明に霍公鳥鳴きてさ渡るすべなきまでに
仮名 ものもふと いねぬあさけに ほととぎす なきてさわたる すべなきまでに
   
  10/1961
原文 吾衣 於君令服与登 霍公鳥 吾乎領 袖尓来居管
訓読 我が衣を君に着せよと霍公鳥我れをうながす袖に来居つつ
仮名 わがきぬを きみにきせよと ほととぎす われをうながす そでにきゐつつ
   
  10/1962
原文 本人 霍公鳥乎八 希将見 今哉汝来 戀乍居者
訓読 本つ人霍公鳥をやめづらしく今か汝が来る恋ひつつ居れば
仮名 もとつひと ほととぎすをや めづらしく いまかながくる こひつつをれば
   
  10/1963
原文 如是許 雨之零尓 霍公鳥 宇<乃>花山尓 猶香将鳴
訓読 かくばかり雨の降らくに霍公鳥卯の花山になほか鳴くらむ
仮名 かくばかり あめのふらくに ほととぎす うのはなやまに なほかなくらむ
   
  10/1964
原文 黙然毛将有 時母鳴奈武 日晩乃 物念時尓 鳴管本名
訓読 黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
仮名 もだもあらむ ときもなかなむ ひぐらしの ものもふときに なきつつもとな
   
  10/1965
原文 思子之 衣将摺尓 々保比与 嶋之榛原 秋不立友
訓読 思ふ子が衣摺らむににほひこそ島の榛原秋立たずとも
仮名 おもふこが ころもすらむに にほひこそ しまのはりはら あきたたずとも
   
  10/1966
原文 風散 花橘S 袖受而 為君御跡 思鶴鴨
訓読 風に散る花橘を袖に受けて君がみ跡と偲ひつるかも
仮名 かぜにちる はなたちばなを そでにうけて きみがみあとと しのひつるかも
   
  10/1967
原文 香細寸 花橘乎 玉貫 将送妹者 三礼而毛有香
訓読 かぐはしき花橘を玉に貫き贈らむ妹はみつれてもあるか
仮名 かぐはしき はなたちばなを たまにぬき おくらむいもは みつれてもあるか
   
  10/1968
原文 霍公鳥 来鳴響 橘之 花散庭乎 将見人八孰
訓読 霍公鳥来鳴き響もす橘の花散る庭を見む人や誰れ
仮名 ほととぎす きなきとよもす たちばなの はなちるにはを みむひとやたれ
   
  10/1969
原文 吾屋前之 花橘者 落尓家里 悔時尓 相在君鴨
訓読 我が宿の花橘は散りにけり悔しき時に逢へる君かも
仮名 わがやどの はなたちばなは ちりにけり くやしきときに あへるきみかも
   
  10/1970
原文 見渡者 向野邊乃 石竹之 落巻惜毛 雨莫零行年
訓読 見わたせば向ひの野辺のなでしこの散らまく惜しも雨な降りそね
仮名 みわたせば むかひののへの なでしこの ちらまくをしも あめなふりそね
   
  10/1971
原文 雨間開而 國見毛将為乎 故郷之 花橘者 散家<武>可聞
訓読 雨間明けて国見もせむを故郷の花橘は散りにけむかも
仮名 あままあけて くにみもせむを ふるさとの はなたちばなは ちりにけむかも
   
  10/1972
原文 野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母
訓読 野辺見ればなでしこの花咲きにけり我が待つ秋は近づくらしも
仮名 のへみれば なでしこのはな さきにけり わがまつあきは ちかづくらしも
   
  10/1973
原文 吾妹子尓 相市乃花波 落不過 今咲有如 有与奴香聞
訓読 我妹子に楝の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも
仮名 わぎもこに あふちのはなは ちりすぎず いまさけるごと ありこせぬかも
   
  10/1974
原文 春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而将挿頭
訓読 春日野の藤は散りにて何をかもみ狩の人の折りてかざさむ
仮名 かすがのの ふぢはちりにて なにをかも みかりのひとの をりてかざさむ
   
  10/1975
原文 不時 玉乎曽連有 宇能花乃 五月乎待者 可久有
訓読 時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ
仮名 ときならず たまをぞぬける うのはなの さつきをまたば ひさしくあるべみ
   
  10/1976
原文 宇能花乃 咲落岳従 霍公鳥 鳴而沙<度> 公者聞津八
訓読 卯の花の咲き散る岡ゆ霍公鳥鳴きてさ渡る君は聞きつや
仮名 うのはなの さきちるをかゆ ほととぎす なきてさわたる きみはききつや
   
  10/1977
原文 聞津八跡 君之問世流 霍公鳥 小竹野尓所沾而 従此鳴綿類
訓読 聞きつやと君が問はせる霍公鳥しののに濡れてこゆ鳴き渡る
仮名 ききつやと きみがとはせる ほととぎす しののにぬれて こゆなきわたる
   
  10/1978
原文 橘 花落里尓 通名者 山霍公鳥 将令響鴨
訓読 橘の花散る里に通ひなば山霍公鳥響もさむかも
仮名 たちばなの はなちるさとに かよひなば やまほととぎす とよもさむかも
   
  10/1979
原文 春之在者 酢軽成野之 霍公鳥 保等穂跡妹尓 不相来尓家里
訓読 春さればすがるなす野の霍公鳥ほとほと妹に逢はず来にけり
仮名 はるされば すがるなすのの ほととぎす ほとほといもに あはずきにけり
   
  10/1980
原文 五月山 花橘尓 霍公鳥 隠合時尓 逢有公鴨
訓読 五月山花橘に霍公鳥隠らふ時に逢へる君かも
仮名 さつきやま はなたちばなに ほととぎす こもらふときに あへるきみかも
   
  10/1981
原文 霍公鳥 来鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛
訓読 霍公鳥来鳴く五月の短夜もひとりし寝れば明かしかねつも
仮名 ほととぎす きなくさつきの みじかよも ひとりしぬれば あかしかねつも
   
  10/1982
原文 日倉足者 時常雖鳴 我戀 手弱女我者 不定哭
訓読 ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
仮名 ひぐらしは ときとなけども かたこひに たわやめわれは ときわかずなく
   
  10/1983
原文 人言者 夏野乃草之 繁友 妹与吾<師> 携宿者
訓読 人言は夏野の草の繁くとも妹と我れとし携はり寝ば
仮名 ひとごとは なつののくさの しげくとも いもとあれとし たづさはりねば
   
  10/1984
原文 廼者之 戀乃繁久 夏草乃 苅掃友 生布如
訓読 このころの恋の繁けく夏草の刈り掃へども生ひしくごとし
仮名 このころの こひのしげけく なつくさの かりはらへども おひしくごとし
   
  10/1985
原文 真田葛延 夏野之繁 如是戀者 信吾命 常有目八<面>
訓読 ま葛延ふ夏野の繁くかく恋ひばまこと我が命常ならめやも
仮名 まくずはふ なつののしげく かくこひば まことわがいのち つねならめやも
   
  10/1986
原文 吾耳哉 如是戀為良武 <垣>津旗 丹<頬合>妹者 如何将有
訓読 我れのみやかく恋すらむかきつはた丹つらふ妹はいかにかあるらむ
仮名 あれのみや かくこひすらむ かきつはた につらふいもは いかにかあるらむ
   
  10/1987
原文 片搓尓 絲S曽吾搓 吾背兒之 花橘乎 将貫跡母日手
訓読 片縒りに糸をぞ我が縒る我が背子が花橘を貫かむと思ひて
仮名 かたよりに いとをぞわがよる わがせこが はなたちばなを ぬかむとおもひて
   
  10/1988
原文 鴬之 徃来垣根乃 宇能花之 厭事有哉 君之不来座
訓読 鴬の通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ
仮名 うぐひすの かよふかきねの うのはなの うきことあれや きみがきまさぬ
   
  10/1989
原文 宇能花之 開登波無二 有人尓 戀也将渡 獨念尓指天
訓読 卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思にして
仮名 うのはなの さくとはなしに あるひとに こひやわたらむ かたもひにして
   
  10/1990
原文 吾社葉 憎毛有目 吾屋前之 花橘乎 見尓波不来鳥屋
訓読 我れこそば憎くもあらめ我がやどの花橘を見には来じとや
仮名 われこそば にくくもあらめ わがやどの はなたちばなを みにはこじとや
   
  10/1991
原文 霍公鳥 来鳴動 岡<邊>有 藤浪見者 君者不来登夜
訓読 霍公鳥来鳴き響もす岡辺なる藤波見には君は来じとや
仮名 ほととぎす きなきとよもす をかへなる ふぢなみみには きみはこじとや
   
  10/1992
原文 隠耳 戀者苦 瞿麦之 花尓開出与 朝旦将見
訓読 隠りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出よ朝な朝な見む
仮名 こもりのみ こふればくるし なでしこの はなにさきでよ あさなさなみむ
   
  10/1993
原文 外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
訓読 外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも
仮名 よそのみに みつつこひなむ くれなゐの すゑつむはなの いろにいでずとも
   
  10/1994
原文 夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸
訓読 夏草の露別け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき
仮名 なつくさの つゆわけごろも つけなくに わがころもでの ふるときもなき
   
  10/1995
原文 六月之 地副割而 照日尓毛 吾袖将乾哉 於君不相四手
訓読 六月の地さへ裂けて照る日にも我が袖干めや君に逢はずして
仮名 みなづきの つちさへさけて てるひにも わがそでひめや きみにあはずして
   
  10/1996
原文 天漢 水左閇而照 舟竟 舟人 妹等所見寸哉
訓読 天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや
仮名 あまのがは みづさへにてる ふねはてて ふねなるひとは いもとみえきや
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1997
原文 久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座<都> 乏諸手丹
訓読 久方の天の川原にぬえ鳥のうら歎げましつすべなきまでに
仮名 ひさかたの あまのかはらに ぬえどりの うらなげましつ すべなきまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1998
原文 吾戀 嬬者知遠 徃船乃 過而應来哉 事毛告火
訓読 我が恋を嬬は知れるを行く舟の過ぎて来べしや言も告げなむ
仮名 あがこひを つまはしれるを ゆくふねの すぎてくべしや こともつげなむ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/1999
原文 朱羅引 色妙子 數見者 人妻故 吾可戀奴
訓読 赤らひく色ぐはし子をしば見れば人妻ゆゑに我れ恋ひぬべし
仮名 あからひく いろぐはしこを しばみれば ひとづまゆゑに あれこひぬべし
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2000
原文 天漢 安渡丹 船浮而 秋立待等 妹告与具
訓読 天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ
仮名 あまのがは やすのわたりに ふねうけて あきたつまつと いもにつげこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2001
原文 従蒼天 徃来吾等須良 汝故 天漢道 名積而叙来
訓読 大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し
仮名 おほそらゆ かよふわれすら ながゆゑに あまのかはぢを なづみてぞこし
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2002
原文 八千<戈> 神自御世 乏攦 人知尓来 告思者
訓読 八千桙の神の御代よりともし妻人知りにけり継ぎてし思へば
仮名 やちほこの かみのみよより ともしづま ひとしりにけり つぎてしおもへば
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2003
原文 吾等戀 丹穂面 今夕母可 天漢原 石枕巻
訓読 我が恋ふる丹のほの面わこよひもか天の川原に石枕まく
仮名 あがこふる にのほのおもわ こよひもか あまのかはらに いしまくらまく
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2004
原文 己攦 乏子等者 竟津 荒礒巻而寐 君待難
訓読 己夫にともしき子らは泊てむ津の荒礒巻きて寝む君待ちかてに
仮名 おのづまに ともしきこらは はてむつの ありそまきてねむ きみまちかてに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2005
原文 天地等 別之時従 自攦 然叙<年>而在 金待吾者
訓読 天地と別れし時ゆ己が妻しかぞ年にある秋待つ我れは
仮名 あめつちと わかれしときゆ おのがつま しかぞとしにある あきまつわれは
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2006
原文 孫星 嘆須攦 事谷毛 告<尓>叙来鶴 見者苦弥
訓読 彦星は嘆かす妻に言だにも告げにぞ来つる見れば苦しみ
仮名 ひこほしは なげかすつまに ことだにも つげにぞきつる みればくるしみ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2007
原文 久方 天印等 水無<川> 隔而置之 神世之恨
訓読 ひさかたの天つしるしと水無し川隔てて置きし神代し恨めし
仮名 ひさかたの あまつしるしと みなしがは へだてておきし かむよしうらめし
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2008
原文 黒玉 宵霧隠 遠鞆 妹傳 速告与
訓読 ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも妹が伝へは早く告げこそ
仮名 ぬばたまの よぎりにこもり とほくとも いもがつたへは はやくつげこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2009
原文 汝戀 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隠
訓読 汝が恋ふる妹の命は飽き足らに袖振る見えつ雲隠るまで
仮名 ながこふる いものみことは あきだらに そでふるみえつ くもがくるまで
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2010
原文 夕星毛 徃来天道 及何時鹿 仰而将待 月人<壮>
訓読 夕星も通ふ天道をいつまでか仰ぎて待たむ月人壮士
仮名 ゆふつづも かよふあまぢを いつまでか あふぎてまたむ つきひとをとこ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2011
原文 天漢 已向立而 戀等尓 事谷将告 攦言及者
訓読 天の川い向ひ立ちて恋しらに言だに告げむ妻と言ふまでは
仮名 あまのがは いむかひたちて こひしらに ことだにつげむ つまといふまでは
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2012
原文 水良玉 五百<都>集乎 解毛不<見> 吾者干可太奴 相日待尓
訓読 白玉の五百つ集ひを解きもみず我は干しかてぬ逢はむ日待つに
仮名 しらたまの いほつつどひを ときもみず わはほしかてぬ あはむひまつに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2013
原文 天漢 水陰草 金風 靡見者 時来之
訓読 天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり
仮名 あまのがは みづかげくさの あきかぜに なびかふみれば ときはきにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2014
原文 吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比尓徃奈 越方人邇
訓読 我が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に
仮名 わがまちし あきはぎさきぬ いまだにも にほひにゆかな をちかたひとに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2015
原文 吾世子尓 裏戀居者 天<漢> 夜船滂動 梶音所聞
訓読 我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ
仮名 わがせこに うらこひをれば あまのがは よふねこぐなる かぢのおときこゆ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2016
原文 真氣長 戀心自 白風 妹音所聴 紐解徃名
訓読 ま日長く恋ふる心ゆ秋風に妹が音聞こゆ紐解き行かな
仮名 まけながく こふるこころゆ あきかぜに いもがおときこゆ ひもときゆかな
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2017
原文 戀敷者 氣長物乎 今谷 乏<之>牟可哉 可相夜谷
訓読 恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに
仮名 こひしくは けながきものを いまだにも ともしむべしや あふべきよだに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2018
原文 天漢 去歳渡代 遷閇者 河瀬於踏 夜深去来
訓読 天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける
仮名 あまのがは こぞのわたりで うつろへば かはせをふむに よぞふけにける
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2019
原文 自古 擧而之服 不顧 天河津尓 年序經去来
訓読 いにしへゆあげてし服も顧みず天の川津に年ぞ経にける
仮名 いにしへゆ あげてしはたも かへりみず あまのかはづに としぞへにける
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2020
原文 天漢 夜船滂而 雖明 将相等念夜 袖易受将有
訓読 天の川夜船を漕ぎて明けぬとも逢はむと思ふ夜袖交へずあらむ
仮名 あまのがは よふねをこぎて あけぬとも あはむとおもふよ そでかへずあらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2021
原文 遥ほ等 手枕易 寐夜 鶏音莫動 明者雖明
訓読 遠妻と手枕交へて寝たる夜は鶏がねな鳴き明けば明けぬとも
仮名 とほづまと たまくらかへて ねたるよは とりがねななき あけばあけぬとも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2022
原文 相見久 猒雖不足 稲目 明去来理 舟出為牟攦
訓読 相見らく飽き足らねどもいなのめの明けさりにけり舟出せむ妻
仮名 あひみらく あきだらねども いなのめの あけさりにけり ふなでせむつま
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2023
原文 左尼始而 何太毛不在者 白栲 帶可乞哉 戀毛不<過>者
訓読 さ寝そめていくだもあらねば白栲の帯乞ふべしや恋も過ぎねば
仮名 さねそめて いくだもあらねば しろたへの おびこふべしや こひもすぎねば
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2024
原文 万世 携手居而 相見鞆 念可過 戀<尓>有莫國
訓読 万代にたづさはり居て相見とも思ひ過ぐべき恋にあらなくに
仮名 よろづよに たづさはりゐて あひみとも おもひすぐべき こひにあらなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2025
原文 万世 可照月毛 雲隠 苦物叙 将相登雖念
訓読 万代に照るべき月も雲隠り苦しきものぞ逢はむと思へど
仮名 よろづよに てるべきつきも くもがくり くるしきものぞ あはむとおもへど
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2026
原文 白雲 五百遍隠 雖遠 夜不去将見 妹當者
訓読 白雲の五百重に隠り遠くとも宵さらず見む妹があたりは
仮名 しらくもの いほへにかくり とほくとも よひさらずみむ いもがあたりは
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2027
原文 為我登 織女之 其屋戸尓 織白布 織弖兼鴨
訓読 我がためと織女のそのやどに織る白栲は織りてけむかも
仮名 あがためと たなばたつめの そのやどに おるしろたへは おりてけむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2028
原文 君不相 久時 織服 白栲衣 垢附麻弖尓
訓読 君に逢はず久しき時ゆ織る服の白栲衣垢付くまでに
仮名 きみにあはず ひさしきときゆ おるはたの しろたへころも あかつくまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2029
原文 天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
訓読 天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも
仮名 あまのがは かぢのおときこゆ ひこほしと たなばたつめと こよひあふらしも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2030
原文 秋去者 <川>霧 天川 河向居而 戀夜多
訓読 秋されば川霧立てる天の川川に向き居て恋ふる夜ぞ多き
仮名 あきされば かはぎりたてる あまのがは かはにむきゐて こふるよぞおほき
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2031
原文 吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨
訓読 よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら嘆げ居りと告げむ子もがも
仮名 よしゑやし ただならずとも ぬえどりの うらなげをりと つげむこもがも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2032
原文 一年邇 七夕耳 相人之 戀毛不<過>者 夜深徃久毛 [一云 不盡者 佐宵曽明尓来]
訓読 一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも [一云 尽きねばさ夜ぞ明けにける]
仮名 ひととせに なぬかのよのみ あふひとの こひもすぎねば よはふけゆくも [つきねば さよぞあけにける]
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2033
原文 天漢 安川原 定而神競者磨待無
訓読 天の川安の川原定而神競者磨待無
仮名 あまのがは やすのかはら* ***** ******* *******
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2034
原文 棚機之 五百機立而 織布之 秋去衣 孰取見
訓読 織女の五百機立てて織る布の秋さり衣誰れか取り見む
仮名 たなばたの いほはたたてて おるぬのの あきさりごろも たれかとりみむ
   
  10/2035
原文 年有而 今香将巻 烏玉之 夜霧隠 遠妻手乎
訓読 年にありて今か巻くらむぬばたまの夜霧隠れる遠妻の手を
仮名 としにありて いまかまくらむ ぬばたまの よぎりこもれる とほづまのてを
   
  10/2036
原文 吾待之 秋者来沼 妹与吾 何事在曽 紐不解在牟
訓読 我が待ちし秋は来りぬ妹と我れと何事あれぞ紐解かずあらむ
仮名 わがまちし あきはきたりぬ いもとあれと なにことあれぞ ひもとかずあらむ
   
  10/2037
原文 年之戀 今夜盡而 明日従者 如常哉 吾戀居牟
訓読 年の恋今夜尽して明日よりは常のごとくや我が恋ひ居らむ
仮名 としのこひ こよひつくして あすよりは つねのごとくや あがこひをらむ
   
  10/2038
原文 不合者 氣長物乎 天漢 隔又哉 吾戀将居
訓読 逢はなくは日長きものを天の川隔ててまたや我が恋ひ居らむ
仮名 あはなくは けながきものを あまのがは へだててまたや あがこひをらむ
   
  10/2039
原文 戀家口 氣長物乎 可合有 夕谷君之 不来益有良武
訓読 恋しけく日長きものを逢ふべくある宵だに君が来まさずあるらむ
仮名 こひしけく けながきものを あふべくある よひだにきみが きまさずあるらむ
   
  10/2040
原文 牽牛 与織女 今夜相 天漢門尓 浪立勿謹
訓読 彦星と織女と今夜逢ふ天の川門に波立つなゆめ
仮名 ひこほしと たなばたつめと こよひあふ あまのかはとに なみたつなゆめ
   
  10/2041
原文 秋風 吹漂蕩 白雲者 織女之 天津領巾毳
訓読 秋風の吹きただよはす白雲は織女の天つ領巾かも
仮名 あきかぜの ふきただよはす しらくもは たなばたつめの あまつひれかも
   
  10/2042
原文 數裳 相不見君矣 天漢 舟出速為 夜不深間
訓読 しばしばも相見ぬ君を天の川舟出早せよ夜の更けぬ間に
仮名 しばしばも あひみぬきみを あまのがは ふなではやせよ よのふけぬまに
   
  10/2043
原文 秋風之 清夕 天漢 舟滂度 月人<壮>子
訓読 秋風の清き夕に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士
仮名 あきかぜの きよきゆふへに あまのがは ふねこぎわたる つきひとをとこ
   
  10/2044
原文 天漢 霧立度 牽牛之 楫音所聞 夜深徃
訓読 天の川霧立ちわたり彦星の楫の音聞こゆ夜の更けゆけば
仮名 あまのがは きりたちわたり ひこほしの かぢのおときこゆ よのふけゆけば
   
  10/2045
原文 君舟 今滂来良之 天漢 霧立度 此川瀬
訓読 君が舟今漕ぎ来らし天の川霧立ちわたるこの川の瀬に
仮名 きみがふね いまこぎくらし あまのがは きりたちわたる このかはのせに
   
  10/2046
原文 秋風尓 河浪起 蹔 八十舟津 三舟停
訓読 秋風に川波立ちぬしましくは八十の舟津にみ舟留めよ
仮名 あきかぜに かはなみたちぬ しましくは やそのふなつに みふねとどめよ
   
  10/2047
原文 天漢 <河>聲清之 牽牛之 秋滂船之 浪糝香
訓読 天の川川の音清し彦星の秋漕ぐ舟の波のさわきか
仮名 あまのがは かはのおときよし ひこほしの あきこぐふねの なみのさわきか
   
  10/2048
原文 天漢 <河>門立 吾戀之 君来奈里 紐解待 [一云 天<河> <川>向立]
訓読 天の川川門に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐解き待たむ [一云 天の川川に向き立ち]
仮名 あまのがは かはとにたちて あがこひし きみきますなり ひもときまたむ [あまのがは かはにむきたち]
   
  10/2049
原文 天漢 <河>門座而 年月 戀来君 今夜會可母
訓読 天の川川門に居りて年月を恋ひ来し君に今夜逢へるかも
仮名 あまのがは かはとにをりて としつきを こひこしきみに こよひあへるかも
   
  10/2050
原文 明日従者 吾玉床乎 打拂 公常不宿 孤可母寐
訓読 明日よりは我が玉床をうち掃ひ君と寐ねずてひとりかも寝む
仮名 あすよりは あがたまどこを うちはらひ きみといねずて ひとりかもねむ
   
  10/2051
原文 天原 徃射跡 白檀 挽而隠在 月人<壮>子
訓読 天の原行きて射てむと白真弓引きて隠れる月人壮士
仮名 あまのはら ゆきていてむと しらまゆみ ひきてこもれる つきひとをとこ
   
  10/2052
原文 此夕 零来雨者 男星之 早滂船之 賀伊乃散鴨
訓読 この夕降りくる雨は彦星の早漕ぐ舟の櫂の散りかも
仮名 このゆふへ ふりくるあめは ひこほしの はやこぐふねの かいのちりかも
   
  10/2053
原文 天漢 八十瀬霧合 男星之 時待船 今滂良之
訓読 天の川八十瀬霧らへり彦星の時待つ舟は今し漕ぐらし
仮名 あまのがは やそせきらへり ひこほしの ときまつふねは いましこぐらし
   
  10/2054
原文 風吹而 河浪起 引船丹 度裳来 夜不降間尓
訓読 風吹きて川波立ちぬ引き船に渡りも来ませ夜の更けぬ間に
仮名 かぜふきて かはなみたちぬ ひきふねに わたりもきませ よのふけぬまに
   
  10/2055
原文 天河 遠<渡>者 無友 公之舟出者 年尓社候
訓読 天の川遠き渡りはなけれども君が舟出は年にこそ待て
仮名 あまのがは とほきわたりは なけれども きみがふなでは としにこそまて
   
  10/2056
原文 天<漢> 打橋度 妹之家道 不止通 時不待友
訓読 天の川打橋渡せ妹が家道やまず通はむ時待たずとも
仮名 あまのがは うちはしわたせ いもがいへぢ やまずかよはむ ときまたずとも
   
  10/2057
原文 月累 吾思妹 會夜者 今之七夕 續巨勢奴鴨
訓読 月重ね我が思ふ妹に逢へる夜は今し七夜を継ぎこせぬかも
仮名 つきかさね あがおもふいもに あへるよは いましななよを つぎこせぬかも
   
  10/2058
原文 年丹装 吾舟滂 天河 風者吹友 浪立勿忌
訓読 年に装ふ我が舟漕がむ天の川風は吹くとも波立つなゆめ
仮名 としによそふ わがふねこがむ あまのがは かぜはふくとも なみたつなゆめ
   
  10/2059
原文 天河 浪者立友 吾舟者 率滂出 夜之不深間尓
訓読 天の川波は立つとも我が舟はいざ漕ぎ出でむ夜の更けぬ間に
仮名 あまのがは なみはたつとも わがふねは いざこぎいでむ よのふけぬまに
   
  10/2060
原文 直今夜 相有兒等尓 事問母 未為而 左夜曽明二来
訓読 ただ今夜逢ひたる子らに言どひもいまだせずしてさ夜ぞ明けにける
仮名 ただこよひ あひたるこらに ことどひも いまだせずして さよぞあけにける
   
  10/2061
原文 天河 白浪高 吾戀 公之舟出者 今為下
訓読 天の川白波高し我が恋ふる君が舟出は今しすらしも
仮名 あまのがは しらなみたかし あがこふる きみがふなでは いましすらしも
   
  10/2062
原文 機 蹋木持徃而 天<漢> 打橋度 公之来為
訓読 機物のまね木持ち行きて天の川打橋渡す君が来むため
仮名 はたものの まねきもちゆきて あまのがは うちはしわたす きみがこむため
   
  10/2063
原文 天漢 霧立上 棚幡乃 雲衣能 飄袖鴨
訓読 天の川霧立ち上る織女の雲の衣のかへる袖かも
仮名 あまのがは きりたちのぼる たなばたの くものころもの かへるそでかも
   
  10/2064
原文 古 織義之八多乎 此暮 衣縫而 君待吾乎
訓読 いにしへゆ織りてし服をこの夕衣に縫ひて君待つ我れを
仮名 いにしへゆ おりてしはたを このゆふへ ころもにぬひて きみまつわれを
   
  10/2065
原文 足玉母 手珠毛由良尓 織旗乎 公之御衣尓 縫将堪可聞
訓読 足玉も手玉もゆらに織る服を君が御衣に縫ひもあへむかも
仮名 あしだまも ただまもゆらに おるはたを きみがみけしに ぬひもあへむかも
   
  10/2066
原文 擇月日 逢義之有者 別乃 惜有君者 明日副裳欲得
訓読 月日えり逢ひてしあれば別れまく惜しくある君は明日さへもがも
仮名 つきひえり あひてしあれば わかれまく をしくあるきみは あすさへもがも
   
  10/2067
原文 天漢 渡瀬深弥 泛船而 掉来君之 楫<音>所聞
訓読 天の川渡り瀬深み舟浮けて漕ぎ来る君が楫の音聞こゆ
仮名 あまのがは わたりぜふかみ ふねうけて こぎくるきみが かぢのおときこゆ
   
  10/2068
原文 天原 振放見者 天漢 霧立渡 公者来良志
訓読 天の原降り放け見れば天の川霧立ちわたる君は来ぬらし
仮名 あまのはら ふりさけみれば あまのがは きりたちわたる きみはきぬらし
   
  10/2069
原文 天漢 瀬毎幣 奉 情者君乎 幸来座跡
訓読 天の川瀬ごとに幣をたてまつる心は君を幸く来ませと
仮名 あまのがは せごとにぬさを たてまつる こころはきみを さきくきませと
   
  10/2070
原文 久<堅>之 天河津尓 舟泛而 君待夜等者 不明毛有寐鹿
訓読 久方の天の川津に舟浮けて君待つ夜らは明けずもあらぬか
仮名 ひさかたの あまのかはづに ふねうけて きみまつよらは あけずもあらぬか
   
  10/2071
原文 天河 足沾渡 君之手毛 未枕者 夜之深去良久
訓読 天の川なづさひ渡る君が手もいまだまかねば夜の更けぬらく
仮名 あまのがは なづさひわたる きみがても いまだまかねば よのふけぬらく
   
  10/2072
原文 渡守 船度世乎跡 呼音之 不至者疑 梶<聲之>不為
訓読 渡り守舟渡せをと呼ぶ声の至らねばかも楫の音のせぬ
仮名 わたりもり ふねわたせをと よぶこゑの いたらねばかも かぢのおとのせぬ
   
  10/2073
原文 真氣長 河向立 有之袖 今夜巻跡 念之吉沙
訓読 ま日長く川に向き立ちありし袖今夜巻かむと思はくがよさ
仮名 まけながく かはにむきたち ありしそで こよひまかむと おもはくがよさ
   
  10/2074
原文 天<河> 渡湍毎 思乍 来之雲知師 逢有久念者
訓読 天の川渡り瀬ごとに思ひつつ来しくもしるし逢へらく思へば
仮名 あまのがは わたりぜごとに おもひつつ こしくもしるし あへらくおもへば
   
  10/2075
原文 人左倍也 見不継将有 牽牛之 嬬喚舟之 近附徃乎 [一云 見乍有良武]
訓読 人さへや見継がずあらむ彦星の妻呼ぶ舟の近づき行くを [一云 見つつあるらむ]
仮名 ひとさへや みつがずあらむ ひこほしの つまよぶふねの ちかづきゆくを [みつつあるらむ]
   
  10/2076
原文 天漢 瀬乎早鴨 烏珠之 夜者闌尓乍 不合牽牛
訓読 天の川瀬を早みかもぬばたまの夜は更けにつつ逢はぬ彦星
仮名 あまのがは せをはやみかも ぬばたまの よはふけにつつ あはぬひこほし
   
  10/2077
原文 渡守 舟早渡世 一年尓 二遍徃来 君尓有勿久尓
訓読 渡り守舟早渡せ一年にふたたび通ふ君にあらなくに
仮名 わたりもり ふねはやわたせ ひととせに ふたたびかよふ きみにあらなくに
   
  10/2078
原文 玉葛 不絶物可良 佐宿者 年之度尓 直一夜耳
訓読 玉葛絶えぬものからさ寝らくは年の渡りにただ一夜のみ
仮名 たまかづら たえぬものから さぬらくは としのわたりに ただひとよのみ
   
  10/2079
原文 戀日者 <食>長物乎 今夜谷 令乏應哉 可相物乎
訓読 恋ふる日は日長きものを今夜だにともしむべしや逢ふべきものを
仮名 こふるひは けながきものを こよひだに ともしむべしや あふべきものを
   
  10/2080
原文 織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長
訓読 織女の今夜逢ひなば常のごと明日を隔てて年は長けむ
仮名 たなばたの こよひあひなば つねのごと あすをへだてて としはながけむ
   
  10/2081
原文 天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟尓 棚橋渡
訓読 天の川棚橋渡せ織女のい渡らさむに棚橋渡せ
仮名 あまのがは たなはしわたせ たなばたの いわたらさむに たなはしわたせ
   
  10/2082
原文 天漢 河門八十有 何尓可 君之三船乎 吾待将居
訓読 天の川川門八十ありいづくにか君がみ舟を我が待ち居らむ
仮名 あまのがは かはとやそあり いづくにか きみがみふねを わがまちをらむ
   
  10/2083
原文 秋風乃 吹西日従 天漢 瀬尓出立 待登告許曽
訓読 秋風の吹きにし日より天の川瀬に出で立ちて待つと告げこそ
仮名 あきかぜの ふきにしひより あまのがは せにいでたちて まつとつげこそ
   
  10/2084
原文 天漢 去年之渡湍 有二家里 君<之>将来 道乃不知久
訓読 天の川去年の渡り瀬荒れにけり君が来まさむ道の知らなく
仮名 あまのがは こぞのわたりぜ あれにけり きみがきまさむ みちのしらなく
   
  10/2085
原文 天漢 湍瀬尓白浪 雖高 直渡来沼 時者苦三
訓読 天の川瀬々に白波高けども直渡り来ぬ待たば苦しみ
仮名 あまのがは せぜにしらなみ たかけども ただわたりきぬ またばくるしみ
   
  10/2086
原文 牽牛之 嬬喚舟之 引<綱>乃 将絶跡君乎 吾<之>念勿國
訓読 彦星の妻呼ぶ舟の引き綱の絶えむと君を我が思はなくに
仮名 ひこほしの つまよぶふねの ひきづなの たえむときみを わがおもはなくに
   
  10/2087
原文 渡守 舟出為将出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛
訓読 渡り守舟出し出でむ今夜のみ相見て後は逢はじものかも
仮名 わたりもり ふなでしいでむ こよひのみ あひみてのちは あはじものかも
   
  10/2088
原文 吾隠有 楫棹無而 渡守 舟将借八方 須臾者有待
訓読 我が隠せる楫棹なくて渡り守舟貸さめやもしましはあり待て
仮名 わがかくせる かぢさをなくて わたりもり ふねかさめやも しましはありまて
   
  10/2089
原文 乾坤之 初時従 天漢 射向居而 一年丹 兩遍不遭 妻戀尓 物念人 天漢 安乃川原乃 有通 出々乃渡丹 具穂船乃 艫丹裳舳丹裳 船装 真梶繁<抜> 旗<芒> 本葉裳具世丹 秋風乃 吹<来>夕丹 天<河> 白浪凌 落沸 速湍渉 稚草乃 妻手枕迹 大<舟>乃 思憑而 滂来等六 其夫乃子我 荒珠乃 年緒長 思来之 戀将盡 七月 七日之夕者 吾毛悲焉
訓読 天地の 初めの時ゆ 天の川 い向ひ居りて 一年に ふたたび逢はぬ 妻恋ひに 物思ふ人 天の川 安の川原の あり通ふ 出の渡りに そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに 秋風の 吹きくる宵に 天の川 白波しのぎ 落ちたぎつ 早瀬渡りて 若草の 妻を巻かむと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫の子が あらたまの 年の緒長く 思ひ来し 恋尽すらむ 七月の 七日の宵は 我れも悲しも
仮名 あめつちの はじめのときゆ あまのがは いむかひをりて ひととせに ふたたびあはぬ つまごひに ものもふひと あまのがは やすのかはらの ありがよふ いでのわたりに そほぶねの ともにもへにも ふなよそひ まかぢしじぬき はたすすき もとはもそよに あきかぜの ふきくるよひに あまのがは しらなみしのぎ おちたぎつ はやせわたりて わかくさの つまをまかむと おほぶねの おもひたのみて こぎくらむ そのつまのこが あらたまの としのをながく おもひこし こひつくすらむ ふみつきの なぬかのよひは われもかなしも
   
  10/2090
原文 狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕叙 吾裳将偲
訓読 高麗錦紐解きかはし天人の妻問ふ宵ぞ我れも偲はむ
仮名 こまにしき ひもときかはし あめひとの つまどふよひぞ われもしのはむ
   
  10/2091
原文 彦星之 <河>瀬渡 左小舟乃 得行而将泊 河津石所念
訓読 彦星の川瀬を渡るさ小舟のえ行きて泊てむ川津し思ほゆ
仮名 ひこほしの かはせをわたる さをぶねの えゆきてはてむ かはづしおもほゆ
   
  10/2092
原文 天地跡 別之時従 久方乃 天驗常 <定>大王 天之河原尓 璞 月累而 妹尓相 時候跡 立待尓 吾衣手尓 秋風之 吹反者 立<座> 多土伎乎不知 村肝 心不欲 解衣 思乱而 何時跡 吾待今夜 此川 行長 有得鴨
訓読 天地と 別れし時ゆ 久方の 天つしるしと 定めてし 天の川原に あらたまの 月重なりて 妹に逢ふ 時さもらふと 立ち待つに 我が衣手に 秋風の 吹きかへらへば 立ちて居て たどきを知らに むらきもの 心いさよひ 解き衣の 思ひ乱れて いつしかと 我が待つ今夜 この川の 流れの長く ありこせぬかも
仮名 あめつちと わかれしときゆ ひさかたの あまつしるしと さだめてし あまのかはらに あらたまの つきかさなりて いもにあふ ときさもらふと たちまつに わがころもでに あきかぜの ふきかへらへば たちてゐて たどきをしらに むらきもの こころいさよひ とききぬの おもひみだれて いつしかと わがまつこよひ このかはの ながれのながく ありこせぬかも
   
  10/2093
原文 妹尓相 時片待跡 久方乃 天之漢原尓 月叙經来
訓読 妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
仮名 いもにあふ ときかたまつと ひさかたの あまのかはらに つきぞへにける
   
  10/2094
原文 竿志鹿之 心相念 秋芽子之 <鍾>礼零丹 落僧惜毛
訓読 さを鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも
仮名 さをしかの こころあひおもふ あきはぎの しぐれのふるに ちらくしをしも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2095
原文 夕去 野邊秋芽子 末若 露枯 金待難
訓読 夕されば野辺の秋萩うら若み露にぞ枯るる秋待ちかてに
仮名 ゆふされば のへのあきはぎ うらわかみ つゆにぞかるる あきまちかてに
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2096
原文 真葛原 名引秋風 <毎吹> 阿太乃大野之 芽子花散
訓読 真葛原靡く秋風吹くごとに阿太の大野の萩の花散る
仮名 まくずはら なびくあきかぜ ふくごとに あだのおほのの はぎのはなちる
   
  10/2097
原文 鴈鳴之 来喧牟日及 見乍将有 此芽子原尓 雨勿零根
訓読 雁がねの来鳴かむ日まで見つつあらむこの萩原に雨な降りそね
仮名 かりがねの きなかむひまで みつつあらむ このはぎはらに あめなふりそね
   
  10/2098
原文 奥山尓 住云男鹿之 初夜不去 妻問芽子乃 散久惜裳
訓読 奥山に棲むといふ鹿の夕さらず妻どふ萩の散らまく惜しも
仮名 おくやまに すむといふしかの よひさらず つまどふはぎの ちらまくをしも
   
  10/2099
原文 白露乃 置巻惜 秋芽子乎 折耳折而 置哉枯
訓読 白露の置かまく惜しみ秋萩を折りのみ折りて置きや枯らさむ
仮名 しらつゆの おかまくをしみ あきはぎを をりのみをりて おきやからさむ
   
  10/2100
原文 秋田苅 借廬之宿 <丹>穂經及 咲有秋芽子 雖見不飽香聞
訓読 秋田刈る仮廬の宿りにほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも
仮名 あきたかる かりいほのやどり にほふまで さけるあきはぎ みれどあかぬかも
   
  10/2101
原文 吾衣 <揩>有者不在 高松之 野邊行之者 芽子之<揩>類曽
訓読 我が衣摺れるにはあらず高松の野辺行きしかば萩の摺れるぞ
仮名 あがころも すれるにはあらず たかまつの のへゆきしかば はぎのすれるぞ
   
  10/2102
原文 此暮 秋風吹奴 白露尓 荒争芽子之 明日将咲見
訓読 この夕秋風吹きぬ白露に争ふ萩の明日咲かむ見む
仮名 このゆふへ あきかぜふきぬ しらつゆに あらそふはぎの あすさかむみむ
   
  10/2103
原文 秋風 冷成<奴 馬>並而 去来於野行奈 芽子花見尓
訓読 秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
仮名 あきかぜは すずしくなりぬ うまなめて いざのにゆかな はぎのはなみに
   
  10/2104
原文 朝<杲> 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ
仮名 あさがほは あさつゆおひて さくといへど ゆふかげにこそ さきまさりけれ
   
  10/2105
原文 春去者 霞隠 不所見有師 秋芽子咲 折而将挿頭
訓読 春されば霞隠りて見えずありし秋萩咲きぬ折りてかざさむ
仮名 はるされば かすみがくりて みえずありし あきはぎさきぬ をりてかざさむ
   
  10/2106
原文 沙額田乃 野邊乃秋芽子 時有者 今盛有 折而将挿頭
訓読 沙額田の野辺の秋萩時なれば今盛りなり折りてかざさむ
仮名 さぬかたの のへのあきはぎ ときなれば いまさかりなり をりてかざさむ
   
  10/2107
原文 事更尓 衣者不<揩> 佳人部為 咲野之芽子尓 丹穂日而将居
訓読 ことさらに衣は摺らじをみなへし佐紀野の萩ににほひて居らむ
仮名 ことさらに ころもはすらじ をみなへし さきののはぎに にほひてをらむ
   
  10/2108
原文 秋風者 急<々>吹来 芽子花 落巻惜三 競<立見>
訓読 秋風は疾く疾く吹き来萩の花散らまく惜しみ競ひ立たむ見む
仮名 あきかぜは とくとくふきこ はぎのはな ちらまくをしみ きほひたたむみむ
   
  10/2109
原文 我屋前之 芽子之若末長 秋風之 吹南時尓 将開跡思<手>
訓読 我が宿の萩の末長し秋風の吹きなむ時に咲かむと思ひて
仮名 わがやどの はぎのうれながし あきかぜの ふきなむときに さかむとおもひて
   
  10/2110
原文 人皆者 芽子乎秋云 縦吾等者 乎花之末乎 秋跡者将言
訓読 人皆は萩を秋と言ふよし我れは尾花が末を秋とは言はむ
仮名 ひとみなは はぎをあきといふ よしわれは をばながうれを あきとはいはむ
   
  10/2111
原文 玉梓 公之使乃 手折来有 此秋芽子者 雖見不飽鹿裳
訓読 玉梓の君が使の手折り来るこの秋萩は見れど飽かぬかも
仮名 たまづさの きみがつかひの たをりける このあきはぎは みれどあかぬかも
   
  10/2112
原文 吾屋前尓 開有秋芽子 常有者 我待人尓 令見猿物乎
訓読 我がやどに咲ける秋萩常ならば我が待つ人に見せましものを
仮名 わがやどに さけるあきはぎ つねならば わがまつひとに みせましものを
   
  10/2113
原文 手寸<十>名相 殖之名知久 出見者 屋前之早芽子 咲尓家類香聞
訓読 手寸十名相植ゑしなしるく出で見れば宿の初萩咲きにけるかも
仮名 ***** うゑしなしるく いでみれば やどのはつはぎ さきにけるかも
   
  10/2114
原文 吾屋外尓 殖生有 秋芽子乎 誰標刺 吾尓不所知
訓読 我が宿に植ゑ生ほしたる秋萩を誰れか標刺す我れに知らえず
仮名 わがやどに うゑおほしたる あきはぎを たれかしめさす われにしらえず
   
  10/2115
原文 手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜
訓読 手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも
仮名 てにとれば そでさへにほふ をみなへし このしらつゆに ちらまくをしも
   
  10/2116
原文 白露尓 荒争金手 咲芽子 散惜兼 雨莫零根
訓読 白露に争ひかねて咲ける萩散らば惜しけむ雨な降りそね
仮名 しらつゆに あらそひかねて さけるはぎ ちらばをしけむ あめなふりそね
   
  10/2117
原文 D嬬等<尓> 行相乃速稲乎 苅時 成来下 芽子花咲
訓読 娘女らに行相の早稲を刈る時になりにけらしも萩の花咲く
仮名 をとめらに ゆきあひのわせを かるときに なりにけらしも はぎのはなさく
   
  10/2118
原文 朝霧之 棚引小野之 芽子花 今哉散濫 未猒尓
訓読 朝霧のたなびく小野の萩の花今か散るらむいまだ飽かなくに
仮名 あさぎりの たなびくをのの はぎのはな いまかちるらむ いまだあかなくに
   
  10/2119
原文 戀之久者 形見尓為与登 吾背子我 殖之秋芽子 花咲尓家里
訓読 恋しくは形見にせよと我が背子が植ゑし秋萩花咲きにけり
仮名 こひしくは かたみにせよと わがせこが うゑしあきはぎ はなさきにけり
   
  10/2120
原文 秋芽子 戀不盡跡 雖念 思恵也安多良思 又将相八方
訓読 秋萩に恋尽さじと思へどもしゑやあたらしまたも逢はめやも
仮名 あきはぎに こひつくさじと おもへども しゑやあたらし またもあはめやも
   
  10/2121
原文 秋風者 日異吹奴 高圓之 野邊之秋芽子 散巻惜裳
訓読 秋風は日に異に吹きぬ高円の野辺の秋萩散らまく惜しも
仮名 あきかぜは ひにけにふきぬ たかまとの のへのあきはぎ ちらまくをしも
   
  10/2122
原文 大夫之 心者無而 秋芽子之 戀耳八方 奈積而有南
訓読 大夫の心はなしに秋萩の恋のみにやもなづみてありなむ
仮名 ますらをの こころはなしに あきはぎの こひのみにやも なづみてありなむ
   
  10/2123
原文 吾待之 秋者来奴 雖然 芽子之花曽毛 未開家類
訓読 我が待ちし秋は来たりぬしかれども萩の花ぞもいまだ咲かずける
仮名 わがまちし あきはきたりぬ しかれども はぎのはなぞも いまださかずける
   
  10/2124
原文 欲見 吾待戀之 秋芽子者 枝毛思美三荷 花開二家里
訓読 見まく欲り我が待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり
仮名 みまくほり あがまちこひし あきはぎは えだもしみみに はなさきにけり
   
  10/2125
原文 春日野之 芽子落者 朝東 風尓副而 此間尓落来根
訓読 春日野の萩し散りなば朝東風の風にたぐひてここに散り来ね
仮名 かすがのの はぎしちりなば あさごちの かぜにたぐひて ここにちりこね
   
  10/2126
原文 秋芽子者 於鴈不相常 言有者香 [一云 言有可聞] 音乎聞而者 花尓散去流
訓読 秋萩は雁に逢はじと言へればか [一云 言へれかも] 声を聞きては花に散りぬる
仮名 あきはぎは かりにあはじと いへればか [いへれかも] こゑをききては はなにちりぬる
   
  10/2127
原文 秋去者 妹令視跡 殖之芽子 露霜負而 散来毳
訓読 秋さらば妹に見せむと植ゑし萩露霜負ひて散りにけるかも
仮名 あきさらば いもにみせむと うゑしはぎ つゆしもおひて ちりにけるかも
   
  10/2128
原文 秋風尓 山跡部越 鴈鳴者 射矢遠放 雲隠筒
訓読 秋風に大和へ越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ
仮名 あきかぜに やまとへこゆる かりがねは いやとほざかる くもがくりつつ
   
  10/2129
原文 明闇之 朝霧隠 鳴而去 鴈者言戀 於妹告社
訓読 明け暮れの朝霧隠り鳴きて行く雁は我が恋妹に告げこそ
仮名 あけぐれの あさぎりごもり なきてゆく かりはあがこひ いもにつげこそ
   
  10/2130
原文 吾屋戸尓 鳴之鴈哭 雲上尓 今夜喧成 國方可聞遊群
訓読 我が宿に鳴きし雁がね雲の上に今夜鳴くなり国へかも行く
仮名 わがやどに なきしかりがね くものうへに こよひなくなり くにへかもゆく
   
  10/2131
原文 左小<壮>鹿之 妻問時尓 月乎吉三 切木四之泣所聞 今時来等霜
訓読 さを鹿の妻どふ時に月をよみ雁が音聞こゆ今し来らしも
仮名 さをしかの つまどふときに つきをよみ かりがねきこゆ いましくらしも
   
  10/2132
原文 天雲之 外鴈鳴 従聞之 薄垂霜零 寒此夜者 [一云 弥益々尓 戀許曽増焉]
訓読 天雲の外に雁が音聞きしよりはだれ霜降り寒しこの夜は [一云 いやますますに恋こそまされ]
仮名 あまくもの よそにかりがね ききしより はだれしもふり さむしこのよは [いやますますに こひこそまされ]
   
  10/2133
原文 秋田 吾苅婆可能 過去者 鴈之喧所聞 冬方設而
訓読 秋の田の我が刈りばかの過ぎぬれば雁が音聞こゆ冬かたまけて
仮名 あきのたの わがかりばかの すぎぬれば かりがねきこゆ ふゆかたまけて
   
  10/2134
原文 葦邊在 荻之葉左夜藝 秋風之 吹来苗丹 鴈鳴渡 [一云 秋風尓 鴈音所聞 今四来霜]
訓読 葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る [一云 秋風に雁が音聞こゆ今し来らしも]
仮名 あしへなる をぎのはさやぎ あきかぜの ふきくるなへに かりなきわたる [あきかぜに かりがねきこゆ いましくらしも]
   
  10/2135
原文 押照 難波穿江之 葦邊者 鴈宿有疑 霜乃零尓
訓読 おしてる難波堀江の葦辺には雁寝たるかも霜の降らくに
仮名 おしてる なにはほりえの あしへには かりねたるかも しものふらくに
   
  10/2136
原文 秋風尓 山飛越 鴈鳴之 聲遠離 雲隠良思
訓読 秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし
仮名 あきかぜに やまとびこゆる かりがねの こゑとほざかる くもがくるらし
   
  10/2137
原文 朝尓徃 鴈之鳴音者 如吾 物<念>可毛 聲之悲
訓読 朝に行く雁の鳴く音は我がごとく物思へれかも声の悲しき
仮名 あさにゆく かりのなくねは あがごとく ものもへれかも こゑのかなしき
   
  10/2138
原文 多頭我鳴乃 今朝鳴奈倍尓 鴈鳴者 何處指香 雲隠良<武>
訓読 鶴がねの今朝鳴くなへに雁がねはいづくさしてか雲隠るらむ
仮名 たづがねの けさなくなへに かりがねは いづくさしてか くもがくるらむ
   
  10/2139
原文 野干玉之 夜<渡>鴈者 欝 幾夜乎歴而鹿 己名乎告
訓読 ぬばたまの夜渡る雁はおほほしく幾夜を経てかおのが名を告る
仮名 ぬばたまの よわたるかりは おほほしく いくよをへてか おのがなをのる
   
  10/2140
原文 璞 年之經徃者 阿跡念登 夜渡吾乎 問人哉誰
訓読 あらたまの年の経ゆけばあどもふと夜渡る我れを問ふ人や誰れ
仮名 あらたまの としのへゆけば あどもふと よわたるわれを とふひとやたれ
   
  10/2141
原文 比日之 秋朝開尓 霧隠 妻呼雄鹿之 音之亮左
訓読 このころの秋の朝明に霧隠り妻呼ぶ鹿の声のさやけさ
仮名 このころの あきのあさけに きりごもり つまよぶしかの こゑのさやけさ
   
  10/2142
原文 左男<壮>鹿之 妻整登 鳴音之 将至極 靡芽子原
訓読 さを鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原
仮名 さをしかの つまととのふと なくこゑの いたらむきはみ なびけはぎはら
   
  10/2143
原文 於君戀 裏觸居者 敷野之 秋芽子凌 左<小壮>鹿鳴裳
訓読 君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさを鹿鳴くも
仮名 きみにこひ うらぶれをれば しきののの あきはぎしのぎ さをしかなくも
   
  10/2144
原文 鴈来 芽子者散跡 左小<壮>鹿之 鳴成音毛 裏觸丹来
訓読 雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
仮名 かりはきぬ はぎはちりぬと さをしかの なくなるこゑも うらぶれにけり
   
  10/2145
原文 秋芽子之 戀裳不盡者 左<壮>鹿之 聲伊續伊継 戀許増益焉
訓読 秋萩の恋も尽きねばさを鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ
仮名 あきはぎの こひもつきねば さをしかの こゑいつぎいつぎ こひこそまされ
   
  10/2146
原文 山近 家哉可居 左小<壮>鹿乃 音乎聞乍 宿不勝鴨
訓読 山近く家や居るべきさを鹿の声を聞きつつ寐ねかてぬかも
仮名 やまちかく いへやをるべき さをしかの こゑをききつつ いねかてぬかも
   
  10/2147
原文 山邊尓 射去薩雄者 雖大有 山尓文野尓文 沙小<壮>鹿鳴母
訓読 山の辺にい行くさつ男は多かれど山にも野にもさを鹿鳴くも
仮名 やまのへに いゆくさつをは さはにあれど やまにものにも さをしかなくも
   
  10/2148
原文 足日木<笶> 山従来世波 左小<壮>鹿之 妻呼音 聞益物乎
訓読 あしひきの山より来せばさを鹿の妻呼ぶ声を聞かましものを
仮名 あしひきの やまよりきせば さをしかの つまよぶこゑを きかましものを
   
  10/2149
原文 山邊庭 薩雄乃<祢>良比 恐跡 小<壮>鹿鳴成 妻之眼乎欲焉
訓読 山辺にはさつ男のねらひ畏けどを鹿鳴くなり妻が目を欲り
仮名 やまへには さつをのねらひ かしこけど をしかなくなり つまがめをほり
   
  10/2150
原文 秋芽子之 散去見 欝三 妻戀為良思 棹<壮>鹿鳴母
訓読 秋萩の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿鳴くも
仮名 あきはぎの ちりゆくみれば おほほしみ つまごひすらし さをしかなくも
   
  10/2151
原文 山遠 京尓之有者 狭小<壮>鹿之 妻呼音者 乏毛有香
訓読 山遠き都にしあればさを鹿の妻呼ぶ声は乏しくもあるか
仮名 やまとほき みやこにしあれば さをしかの つまよぶこゑは ともしくもあるか
   
  10/2152
原文 秋芽子之 散過去者 左<小壮>鹿者 和備鳴将為名 不見者乏焉
訓読 秋萩の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずはともしみ
仮名 あきはぎの ちりすぎゆかば さをしかは わびなきせむな みずはともしみ
   
  10/2153
原文 秋芽子之 咲有野邊者 左小<壮>鹿曽 露乎別乍 嬬問四家類
訓読 秋萩の咲きたる野辺はさを鹿ぞ露を別けつつ妻どひしける
仮名 あきはぎの さきたるのへは さをしかぞ つゆをわけつつ つまどひしける
   
  10/2154
原文 奈何<壮>鹿之 和備鳴為成 蓋毛 秋野之芽子也 繁将落
訓読 なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ
仮名 なぞしかの わびなきすなる けだしくも あきののはぎや しげくちるらむ
   
  10/2155
原文 秋芽子之 開有野邊 左<壮>鹿者 落巻惜見 鳴去物乎
訓読 秋萩の咲たる野辺にさを鹿は散らまく惜しみ鳴き行くものを
仮名 あきはぎの さきたるのへに さをしかは ちらまくをしみ なきゆくものを
   
  10/2156
原文 足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒
訓読 あしひきの山の常蔭に鳴く鹿の声聞かすやも山田守らす子
仮名 あしひきの やまのとかげに なくしかの こゑきかすやも やまたもらすこ
   
  10/2157
原文 暮影 来鳴日晩之 幾許 毎日聞跡 不足音可聞
訓読 夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
仮名 ゆふかげに きなくひぐらし ここだくも ひごとにきけど あかぬこゑかも
   
  10/2158
原文 秋風之 寒吹奈倍 吾屋前之 淺茅之本尓 蟋蟀鳴毛
訓読 秋風の寒く吹くなへ我が宿の浅茅が本にこほろぎ鳴くも
仮名 あきかぜの さむくふくなへ わがやどの あさぢがもとに こほろぎなくも
   
  10/2159
原文 影草乃 生有屋外之 暮陰尓 鳴蟋蟀者 雖聞不足可聞
訓読 蔭草の生ひたる宿の夕影に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも
仮名 かげくさの おひたるやどの ゆふかげに なくこほろぎは きけどあかぬかも
   
  10/2160
原文 庭草尓 村雨落而 蟋蟀之 鳴音聞者 秋付尓家里
訓読 庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
仮名 にはくさに むらさめふりて こほろぎの なくこゑきけば あきづきにけり
   
  10/2161
原文 三吉野乃 石本不避 鳴川津 諾文鳴来 河乎浄
訓読 み吉野の岩もとさらず鳴くかはづうべも鳴きけり川をさやけみ
仮名 みよしのの いはもとさらず なくかはづ うべもなきけり かはをさやけみ
   
  10/2162
原文 神名火之 山下動 去水丹 川津鳴成 秋登将云鳥屋
訓読 神なびの山下響み行く水にかはづ鳴くなり秋と言はむとや
仮名 かむなびの やましたとよみ ゆくみづに かはづなくなり あきといはむとや
   
  10/2163
原文 草枕 客尓物念 吾聞者 夕片設而 鳴川津可聞
訓読 草枕旅に物思ひ我が聞けば夕かたまけて鳴くかはづかも
仮名 くさまくら たびにものもひ わがきけば ゆふかたまけて なくかはづかも
   
  10/2164
原文 瀬呼速見 落當知足 白浪尓 <河>津鳴奈里 朝夕毎
訓読 瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはづ鳴くなり朝夕ごとに
仮名 せをはやみ おちたぎちたる しらなみに かはづなくなり あさよひごとに
   
  10/2165
原文 上瀬尓 河津妻呼 暮去者 衣手寒三 妻将枕跡香
訓読 上つ瀬にかはづ妻呼ぶ夕されば衣手寒み妻まかむとか
仮名 かみつせに かはづつまよぶ ゆふされば ころもでさむみ つままかむとか
   
  10/2166
原文 妹手<呼> 取石池之 浪間従 鳥音異鳴 秋過良之
訓読 妹が手を取石の池の波の間ゆ鳥が音異に鳴く秋過ぎぬらし
仮名 いもがてを とろしのいけの なみのまゆ とりがねけになく あきすぎぬらし
   
  10/2167
原文 秋野之 草花我末 鳴<百舌>鳥 音聞濫香 片聞吾妹
訓読 秋の野の尾花が末に鳴くもずの声聞きけむか片聞け我妹
仮名 あきののの をばながうれに なくもずの こゑききけむか かたきけわぎも
   
  10/2168
原文 冷芽子丹 置白霧 朝々 珠<年>曽見流 置白霧
訓読 秋萩に置ける白露朝な朝な玉としぞ見る置ける白露
仮名 あきはぎに おけるしらつゆ あさなさな たまとしぞみる おけるしらつゆ
   
  10/2169
原文 暮立之 雨落毎 [一云 打零者] 春日野之 尾花之上乃 白霧所念
訓読 夕立ちの雨降るごとに [一云 うち降れば] 春日野の尾花が上の白露思ほゆ
仮名 ゆふだちの あめふるごとに[うちふれば] かすがのの をばながうへの しらつゆおもほゆ
   
  10/2170
原文 秋芽子之 枝毛十尾丹 露霜置 寒毛時者 成尓家類可聞
訓読 秋萩の枝もとををに露霜置き寒くも時はなりにけるかも
仮名 あきはぎの えだもとををに つゆしもおき さむくもときは なりにけるかも
   
  10/2171
原文 白露 与秋芽子者 戀乱 別事難 吾情可聞
訓読 白露と秋萩とには恋ひ乱れ別くことかたき我が心かも
仮名 しらつゆと あきはぎとには こひみだれ わくことかたき あがこころかも
   
  10/2172
原文 吾屋戸之 麻花押靡 置露尓 手觸吾妹兒 落巻毛将見
訓読 我が宿の尾花押しなべ置く露に手触れ我妹子散らまくも見む
仮名 わがやどの をばなおしなべ おくつゆに てふれわぎもこ ちらまくもみむ
   
  10/2173
原文 白露乎 取者可消 去来子等 露尓争而 芽子之遊将為
訓読 白露を取らば消ぬべしいざ子ども露に競ひて萩の遊びせむ
仮名 しらつゆを とらばけぬべし いざこども つゆにきほひて はぎのあそびせむ
   
  10/2174
原文 秋田苅 借廬乎作 吾居者 衣手寒 露置尓家留
訓読 秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける
仮名 あきたかる かりいほをつくり わがをれば ころもでさむく つゆぞおきにける
   
  10/2175
原文 日来之 秋風寒 芽子之花 令散白露 置尓来下
訓読 このころの秋風寒し萩の花散らす白露置きにけらしも
仮名 このころの あきかぜさむし はぎのはな ちらすしらつゆ おきにけらしも
   
  10/2176
原文 秋田苅 苫手揺奈利 白露<志> 置穂田無跡 告尓来良思 [一云 告尓来良思母]
訓読 秋田刈る苫手動くなり白露し置く穂田なしと告げに来ぬらし [一云 告げに来らしも]
仮名 あきたかる とまでうごくなり しらつゆし おくほだなしと つげにきぬらし [つげにくらしも]
   
  10/2177
原文 春者毛要 夏者緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞
訓読 春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも
仮名 はるはもえ なつはみどりに くれなゐの まだらにみゆる あきのやまかも
   
  10/2178
原文 妻隠 矢野神山 露霜尓 々寶比始 散巻惜
訓読 妻ごもる矢野の神山露霜ににほひそめたり散らまく惜しも
仮名 つまごもる やののかむやま つゆしもに にほひそめたり ちらまくをしも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2179
原文 朝露尓 染始 秋山尓 <鍾>礼莫零 在渡金
訓読 朝露ににほひそめたる秋山にしぐれな降りそありわたるがね
仮名 あさつゆに にほひそめたる あきやまに しぐれなふりそ ありわたるがね
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2180
原文 九月乃 <鍾>礼乃雨丹 沾通 春日之山者 色付丹来
訓読 九月のしぐれの雨に濡れ通り春日の山は色づきにけり
仮名 ながつきの しぐれのあめに ぬれとほり かすがのやまは いろづきにけり
   
  10/2181
原文 鴈鳴之 寒朝開之 露有之 春日山乎 令黄物者
訓読 雁が音の寒き朝明の露ならし春日の山をもみたすものは
仮名 かりがねの さむきあさけの つゆならし かすがのやまを もみたすものは
   
  10/2182
原文 比日之 暁露丹 吾屋前之 芽子乃下葉者 色付尓家里
訓読 このころの暁露に我がやどの萩の下葉は色づきにけり
仮名 このころの あかときつゆに わがやどの はぎのしたばは いろづきにけり
   
  10/2183
原文 鴈<音>者 今者来鳴沼 吾待之 黄葉早継 待者辛苦母
訓読 雁がねは今は来鳴きぬ我が待ちし黄葉早継げ待たば苦しも
仮名 かりがねは いまはきなきぬ わがまちし もみちはやつげ またばくるしも
   
  10/2184
原文 秋山乎 謹人懸勿 忘西 其黄葉乃 所思君
訓読 秋山をゆめ人懸くな忘れにしその黄葉の思ほゆらくに
仮名 あきやまを ゆめひとかくな わすれにし そのもみちばの おもほゆらくに
   
  10/2185
原文 大坂乎 吾越来者 二上尓 黄葉流 志具礼零乍
訓読 大坂を我が越え来れば二上に黄葉流るしぐれ降りつつ
仮名 おほさかを わがこえくれば ふたかみに もみちばながる しぐれふりつつ
   
  10/2186
原文 秋去者 置白露尓 吾門乃 淺茅何浦葉 色付尓家里
訓読 秋されば置く白露に我が門の浅茅が末葉色づきにけり
仮名 あきされば おくしらつゆに わがかどの あさぢがうらば いろづきにけり
   
  10/2187
原文 妹之袖 巻来乃山之 朝露尓 仁寶布黄葉之 散巻惜裳
訓読 妹が袖巻来の山の朝露ににほふ黄葉の散らまく惜しも
仮名 いもがそで まききのやまの あさつゆに にほふもみちの ちらまくをしも
   
  10/2188
原文 黄葉之 丹穂日者繁 然鞆 妻梨木乎 手折可佐寒
訓読 黄葉のにほひは繁ししかれども妻梨の木を手折りかざさむ
仮名 もみちばの にほひはしげし しかれども つまなしのきを たをりかざさむ
   
  10/2189
原文 露霜乃 寒夕之 秋風丹 黄葉尓来毛 妻梨之木者
訓読 露霜の寒き夕の秋風にもみちにけらし妻梨の木は
仮名 つゆしもの さむきゆふへの あきかぜに もみちにけらし つまなしのきは
   
  10/2190
原文 吾門之 淺茅色就 吉魚張能 浪柴乃野之 黄葉散良新
訓読 我が門の浅茅色づく吉隠の浪柴の野の黄葉散るらし
仮名 わがかどの あさぢいろづく よなばりの なみしばののの もみちちるらし
   
  10/2191
原文 鴈之鳴乎 聞鶴奈倍尓 高松之 野上<乃>草曽 色付尓家留
訓読 雁が音を聞きつるなへに高松の野の上の草ぞ色づきにける
仮名 かりがねを ききつるなへに たかまつの ののうへのくさぞ いろづきにける
   
  10/2192
原文 吾背兒我 白細衣 徃觸者 應染毛 黄變山可聞
訓読 我が背子が白栲衣行き触ればにほひぬべくももみつ山かも
仮名 わがせこが しろたへころも ゆきふれば にほひぬべくも もみつやまかも
   
  10/2193
原文 秋風之 日異吹者 水莫能 岡之木葉毛 色付尓家里
訓読 秋風の日に異に吹けば水茎の岡の木の葉も色づきにけり
仮名 あきかぜの ひにけにふけば みづくきの をかのこのはも いろづきにけり
   
  10/2194
原文 鴈鳴乃 来鳴之共 韓衣 裁田之山者 黄始南
訓読 雁がねの来鳴きしなへに韓衣龍田の山はもみちそめたり
仮名 かりがねの きなきしなへに からころも たつたのやまは もみちそめたり
   
  10/2195
原文 鴈之鳴 聲聞苗荷 明日従者 借香能山者 黄始南
訓読 雁がねの声聞くなへに明日よりは春日の山はもみちそめなむ
仮名 かりがねの こゑきくなへに あすよりは かすがのやまは もみちそめなむ
   
  10/2196
原文 四具礼能雨 無間之零者 真木葉毛 争不勝而 色付尓家里
訓読 しぐれの雨間なくし降れば真木の葉も争ひかねて色づきにけり
仮名 しぐれのあめ まなくしふれば まきのはも あらそひかねて いろづきにけり
   
  10/2197
原文 灼然 四具礼乃雨者 零勿國 大城山者 色付尓家里 [謂大城山者 在筑前<國>御笠郡之大野山頂 号曰大城者也]
訓読 いちしろくしぐれの雨は降らなくに大城の山は色づきにけり [謂大城山者 在筑前<國>御笠郡之大野山頂 号曰大城者也]
仮名 いちしろく しぐれのあめは ふらなくに おほきのやまは いろづきにけり
   
  10/2198
原文 風吹者 黄葉散乍 小雲 吾松原 清在莫國
訓読 風吹けば黄葉散りつつすくなくも吾の松原清くあらなくに
仮名 かぜふけば もみちちりつつ すくなくも あがのまつばら きよくあらなくに
   
  10/2199
原文 物念 隠座而 今日見者 春日山者 色就尓家里
訓読 物思ふと隠らひ居りて今日見れば春日の山は色づきにけり
仮名 ものもふと こもらひをりて けふみれば かすがのやまは いろづきにけり
   
  10/2200
原文 九月 白露負而 足日木乃 山之将黄變 見幕下吉
訓読 九月の白露負ひてあしひきの山のもみたむ見まくしもよし
仮名 ながつきの しらつゆおひて あしひきの やまのもみたむ みまくしもよし
   
  10/2201
原文 妹許跡 馬鞍置而 射駒山 撃越来者 紅葉散筒
訓読 妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉散りつつ
仮名 いもがりと うまにくらおきて いこまやま うちこえくれば もみちちりつつ
   
  10/2202
原文 黄葉為 時尓成良之 月人 楓枝乃 色付見者
訓読 黄葉する時になるらし月人の桂の枝の色づく見れば
仮名 もみちする ときになるらし つきひとの かつらのえだの いろづくみれば
   
  10/2203
原文 里異 霜者置良之 高松 野山司之 色付見者
訓読 里ゆ異に霜は置くらし高松の野山づかさの色づく見れば
仮名 さとゆけに しもはおくらし たかまつの のやまづかさの いろづくみれば
   
  10/2204
原文 秋風之 日異吹者 露重 芽子之下葉者 色付来
訓読 秋風の日に異に吹けば露を重み萩の下葉は色づきにけり
仮名 あきかぜの ひにけにふけば つゆをおもみ はぎのしたばは いろづきにけり
   
  10/2205
原文 秋芽子乃 下葉赤 荒玉乃 月之歴去者 風疾鴨
訓読 秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ぬれば風をいたみかも
仮名 あきはぎの したばもみちぬ あらたまの つきのへぬれば かぜをいたみかも
   
  10/2206
原文 真十鏡 見名淵山者 今日鴨 白露置而 黄葉将散
訓読 まそ鏡南淵山は今日もかも白露置きて黄葉散るらむ
仮名 まそかがみ みなぶちやまは けふもかも しらつゆおきて もみちちるらむ
   
  10/2207
原文 吾屋戸之 淺茅色付 吉魚張之 夏身之上尓 四具礼零疑
訓読 我がやどの浅茅色づく吉隠の夏身の上にしぐれ降るらし
仮名 わがやどの あさぢいろづく よなばりの なつみのうへに しぐれふるらし
   
  10/2208
原文 鴈鳴之 寒鳴従 水茎之 岡乃葛葉者 色付尓来
訓読 雁がねの寒く鳴きしゆ水茎の岡の葛葉は色づきにけり
仮名 かりがねの さむくなきしゆ みづくきの をかのくずはは いろづきにけり
   
  10/2209
原文 秋芽子之 下葉乃黄葉 於花継 時過去者 後将戀鴨
訓読 秋萩の下葉の黄葉花に継ぎ時過ぎゆかば後恋ひむかも
仮名 あきはぎの したばのもみち はなにつぎ ときすぎゆかば のちこひむかも
   
  10/2210
原文 明日香河 黄葉流 葛木 山之木葉者 今之<落>疑
訓読 明日香川黄葉流る葛城の山の木の葉は今し散るらし
仮名 あすかがは もみちばながる かづらきの やまのこのはは いましちるらし
   
  10/2211
原文 妹之紐 解登結而 立田山 今許曽黄葉 始而有家礼
訓読 妹が紐解くと結びて龍田山今こそもみちそめてありけれ
仮名 いもがひも とくとむすびて たつたやま いまこそもみち そめてありけれ
   
  10/2212
原文 鴈鳴之 <寒>喧之従 春日有 三笠山者 色付丹家里
訓読 雁がねの寒く鳴きしゆ春日なる御笠の山は色づきにけり
仮名 かりがねの さむくなきしゆ かすがなる みかさのやまは いろづきにけり
   
  10/2213
原文 比者之 五更露尓 吾屋戸乃 秋之芽子原 色付尓家里
訓読 このころの暁露に我が宿の秋の萩原色づきにけり
仮名 このころの あかときつゆに わがやどの あきのはぎはら いろづきにけり
   
  10/2214
原文 夕去者 鴈之越徃 龍田山 四具礼尓競 色付尓家里
訓読 夕されば雁の越え行く龍田山しぐれに競ひ色づきにけり
仮名 ゆふされば かりのこえゆく たつたやま しぐれにきほひ いろづきにけり
   
  10/2215
原文 左夜深而 四具礼勿零 秋芽子之 本葉之黄葉 落巻惜裳
訓読 さ夜更けてしぐれな降りそ秋萩の本葉の黄葉散らまく惜しも
仮名 さよふけて しぐれなふりそ あきはぎの もとはのもみち ちらまくをしも
   
  10/2216
原文 古郷之 始黄葉乎 手折<以> 今日曽吾来 不見人之為
訓読 故郷の初黄葉を手折り持ち今日ぞ我が来し見ぬ人のため
仮名 ふるさとの はつもみちばを たをりもち けふぞわがこし みぬひとのため
   
  10/2217
原文 君之家<乃> 黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
訓読 君が家の黄葉は早く散りにけりしぐれの雨に濡れにけらしも
仮名 きみがいへの もみちばははやく ちりにけり しぐれのあめに ぬれにけらしも
   
  10/2218
原文 一年 二遍不行 秋山乎 情尓不飽 過之鶴鴨
訓読 一年にふたたび行かぬ秋山を心に飽かず過ぐしつるかも
仮名 ひととせに ふたたびゆかぬ あきやまを こころにあかず すぐしつるかも
   
  10/2219
原文 足曳之 山田佃子 不秀友 縄谷延与 守登知金
訓読 あしひきの山田作る子秀でずとも縄だに延へよ守ると知るがね
仮名 あしひきの やまたつくるこ ひでずとも なはだにはへよ もるとしるがね
   
  10/2220
原文 左小<壮>鹿之 妻喚山之 岳邊在 早田者不苅 霜者雖零
訓読 さを鹿の妻呼ぶ山の岡辺なる早稲田は刈らじ霜は降るとも
仮名 さをしかの つまよぶやまの をかへなる わさだはからじ しもはふるとも
   
  10/2221
原文 <我>門尓 禁田乎見者 沙穂内之 秋芽子為酢寸 所念鴨
訓読 我が門に守る田を見れば佐保の内の秋萩すすき思ほゆるかも
仮名 わがかどに もるたをみれば さほのうちの あきはぎすすき おもほゆるかも
   
  10/2222
原文 暮不去 河蝦鳴成 三和河之 清瀬音乎 聞師吉毛
訓読 夕さらずかはづ鳴くなる三輪川の清き瀬の音を聞かくしよしも
仮名 ゆふさらず かはづなくなる みわがはの きよきせのおとを きかくしよしも
   
  10/2223
原文 天海 月船浮 桂梶 懸而滂所見 月人<壮>子
訓読 天の海に月の舟浮け桂楫懸けて漕ぐ見ゆ月人壮士
仮名 あめのうみに つきのふねうけ かつらかぢ かけてこぐみゆ つきひとをとこ
   
  10/2224
原文 此夜等者 沙夜深去良之 鴈鳴乃 所聞空従 月立度
訓読 この夜らはさ夜更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月立ち渡る
仮名 このよらは さよふけぬらし かりがねの きこゆるそらゆ つきたちわたる
   
  10/2225
原文 吾背子之 挿頭之芽子尓 置露乎 清見世跡 月者照良思
訓読 我が背子がかざしの萩に置く露をさやかに見よと月は照るらし
仮名 わがせこが かざしのはぎに おくつゆを さやかにみよと つきはてるらし
   
  10/2226
原文 無心 秋月夜之 物念跡 寐不所宿 照乍本名
訓読 心なき秋の月夜の物思ふと寐の寝らえぬに照りつつもとな
仮名 こころなき あきのつくよの ものもふと いのねらえぬに てりつつもとな
   
  10/2227
原文 不念尓 四具礼乃雨者 零有跡 天雲霽而 月夜清焉
訓読 思はぬにしぐれの雨は降りたれど天雲晴れて月夜さやけし
仮名 おもはぬに しぐれのあめは ふりたれど あまくもはれて つくよさやけし
   
  10/2228
原文 芽子之花 開乃乎再入緒 見代跡可聞 月夜之清 戀益良國
訓読 萩の花咲きのををりを見よとかも月夜の清き恋まさらくに
仮名 はぎのはな さきのををりを みよとかも つくよのきよき こひまさらくに
   
  10/2229
原文 白露乎 玉作有 九月 在明之月夜 雖見不飽可聞
訓読 白露を玉になしたる九月の有明の月夜見れど飽かぬかも
仮名 しらつゆを たまになしたる ながつきの ありあけのつくよ みれどあかぬかも
   
  10/2230
原文 戀乍裳 稲葉掻別 家居者 乏不有 秋之暮風
訓読 恋ひつつも稲葉かき別け家居れば乏しくもあらず秋の夕風
仮名 こひつつも いなばかきわけ いへをれば ともしくもあらず あきのゆふかぜ
   
  10/2231
原文 芽子花 咲有野邊 日晩之乃 鳴奈流共 秋風吹
訓読 萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
仮名 はぎのはな さきたるのへに ひぐらしの なくなるなへに あきのかぜふく
   
  10/2232
原文 秋山之 木葉文未赤者 今旦吹風者 霜毛置應久
訓読 秋山の木の葉もいまだもみたねば今朝吹く風は霜も置きぬべく
仮名 あきやまの このはもいまだ もみたねば けさふくかぜは しももおきぬべく
   
  10/2233
原文 高松之 此峯迫尓 笠立而 盈盛有 秋香乃吉者
訓読 高松のこの峰も狭に笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ
仮名 たかまつの このみねもせに かさたてて みちさかりたる あきのかのよさ
   
  10/2234
原文 一日 千重敷布 我戀 妹當 為暮零礼見
訓読 一日には千重しくしくに我が恋ふる妹があたりにしぐれ降れ見む
仮名 ひとひには ちへしくしくに あがこふる いもがあたりに しぐれふれみむ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2235
原文 秋田苅 客乃廬入尓 四具礼零 我袖沾 干人無二
訓読 秋田刈る旅の廬りにしぐれ降り我が袖濡れぬ干す人なしに
仮名 あきたかる たびのいほりに しぐれふり わがそでぬれぬ ほすひとなしに
   
  10/2236
原文 玉手次 不懸時無 吾戀 此具礼志零者 沾乍毛将行
訓読 玉たすき懸けぬ時なし我が恋はしぐれし降らば濡れつつも行かむ
仮名 たまたすき かけぬときなし あがこひは しぐれしふらば ぬれつつもゆかむ
   
  10/2237
原文 黄葉乎 令落四具礼能 零苗尓 夜副衣寒 一之宿者
訓読 黄葉を散らすしぐれの降るなへに夜さへぞ寒きひとりし寝れば
仮名 もみちばを ちらすしぐれの ふるなへに よさへぞさむき ひとりしぬれば
   
  10/2238
原文 天飛也 鴈之翅乃 覆羽之 何處漏香 霜之零異牟
訓読 天飛ぶや雁の翼の覆ひ羽のいづく漏りてか霜の降りけむ
仮名 あまとぶや かりのつばさの おほひばの いづくもりてか しものふりけむ
   
  10/2239
原文 金山 舌日下 鳴鳥 音<谷>聞 何嘆
訓読 秋山のしたひが下に鳴く鳥の声だに聞かば何か嘆かむ
仮名 あきやまの したひがしたに なくとりの こゑだにきかば なにかなげかむ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2240
原文 誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
訓読 誰ぞかれと我れをな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我れを
仮名 たぞかれと われをなとひそ ながつきの つゆにぬれつつ きみまつわれを
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2241
原文 秋夜 霧發渡 <凡>々 夢見 妹形矣
訓読 秋の夜の霧立ちわたりおほほしく夢にぞ見つる妹が姿を
仮名 あきのよの きりたちわたり おほほしく いめにぞみつる いもがすがたを
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2242
原文 秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨
訓読 秋の野の尾花が末の生ひ靡き心は妹に寄りにけるかも
仮名 あきののの をばながうれの おひなびき こころはいもに よりにけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2243
原文 秋山 霜零覆 木葉落 歳雖行 我忘八
訓読 秋山に霜降り覆ひ木の葉散り年は行くとも我れ忘れめや
仮名 あきやまに しもふりおほひ このはちり としはゆくとも われわすれめや
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2244
原文 住吉之 岸乎田尓墾 蒔稲 乃而及苅 不相公鴨
訓読 住吉の岸を田に墾り蒔きし稲かくて刈るまで逢はぬ君かも
仮名 すみのえの きしをたにはり まきしいね かくてかるまで あはぬきみかも
   
  10/2245
原文 剱後 玉纒田井尓 及何時可 妹乎不相見 家戀将居
訓読 太刀の後玉纒田居にいつまでか妹を相見ず家恋ひ居らむ
仮名 たちのしり たままきたゐに いつまでか いもをあひみず いへこひをらむ
   
  10/2246
原文 秋田之 穂<上>置 白露之 可消吾者 所念鴨
訓読 秋の田の穂の上に置ける白露の消ぬべくも我は思ほゆるかも
仮名 あきのたの ほのうへにおける しらつゆの けぬべくもわは おもほゆるかも
   
  10/2247
原文 秋田之 穂向之所依 片縁 吾者物念 都礼無物乎
訓読 秋の田の穂向きの寄れる片寄りに我れは物思ふつれなきものを
仮名 あきのたの ほむきのよれる かたよりに われはものもふ つれなきものを
   
  10/2248
原文 秋田<苅> 借廬作 五目入為而 有藍君S 将見依毛欲<得>
訓読 秋田刈る仮廬を作り廬りしてあるらむ君を見むよしもがも
仮名 あきたかる かりいほをつくり いほりして あるらむきみを みむよしもがも
   
  10/2249
原文 鶴鳴之 所聞田井尓 五百入為而 吾客有跡 於妹告社
訓読 鶴が音の聞こゆる田居に廬りして我れ旅なりと妹に告げこそ
仮名 たづがねの きこゆるたゐに いほりして われたびなりと いもにつげこそ
   
  10/2250
原文 春霞 多奈引田居尓 廬付而 秋田苅左右 令思良久
訓読 春霞たなびく田居に廬つきて秋田刈るまで思はしむらく
仮名 はるかすみ たなびくたゐに いほつきて あきたかるまで おもはしむらく
   
  10/2251
原文 橘乎 守部乃五十戸之 門田年稲 苅時過去 不来跡為等霜
訓読 橘を守部の里の門田早稲刈る時過ぎぬ来じとすらしも
仮名 たちばなを もりべのさとの かどたわせ かるときすぎぬ こじとすらしも
   
  10/2252
原文 秋芽子之 開散野邊之 暮露尓 沾乍来益 夜者深去鞆
訓読 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜は更けぬとも
仮名 あきはぎの さきちるのへの ゆふつゆに ぬれつつきませ よはふけぬとも
   
  10/2253
原文 色付相 秋之露霜 莫零<根> 妹之手本乎 不纒今夜者
訓読 色づかふ秋の露霜な降りそね妹が手本をまかぬ今夜は
仮名 いろづかふ あきのつゆしも なふりそね いもがたもとを まかぬこよひは
   
  10/2254
原文 秋芽子之 上尓置有 白露之 消鴨死猿 戀<乍>不有者
訓読 秋萩の上に置きたる白露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
仮名 あきはぎの うへにおきたる しらつゆの けかもしなまし こひつつあらずは
   
  10/2255
原文 吾屋前 秋芽子上 置露 市白霜 吾戀目八面
訓読 我が宿の秋萩の上に置く露のいちしろくしも我れ恋ひめやも
仮名 わがやどの あきはぎのうへに おくつゆの いちしろくしも あれこひめやも
   
  10/2256
原文 秋穂乎 之努尓<押>靡 置露 消鴨死益 戀乍不有者
訓読 秋の穂をしのに押しなべ置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
仮名 あきのほを しのにおしなべ おくつゆの けかもしなまし こひつつあらずは
   
  10/2257
原文 露霜尓 衣袖所沾而 今谷毛 妹許行名 夜者雖深
訓読 露霜に衣手濡れて今だにも妹がり行かな夜は更けぬとも
仮名 つゆしもに ころもでぬれて いまだにも いもがりゆかな よはふけぬとも
   
  10/2258
原文 秋芽子之 枝毛十尾尓 置霧之 消毳死猿 戀乍不有者
訓読 秋萩の枝もとををに置く露の消かもしなまし恋ひつつあらずは
仮名 あきはぎの えだもとををに おくつゆの けかもしなまし こひつつあらずは
   
  10/2259
原文 秋芽子之 上尓白霧 毎置 見管曽思<怒>布 君之光儀<呼>
訓読 秋萩の上に白露置くごとに見つつぞ偲ふ君が姿を
仮名 あきはぎの うへにしらつゆ おくごとに みつつぞしのふ きみがすがたを
   
  10/2260
原文 吾妹子者 衣丹有南 秋風之 寒比来 下著益乎
訓読 我妹子は衣にあらなむ秋風の寒きこのころ下に着ましを
仮名 わぎもこは ころもにあらなむ あきかぜの さむきこのころ したにきましを
   
  10/2261
原文 泊瀬風 如是吹三更者 及何時 衣片敷 吾一将宿
訓読 泊瀬風かく吹く宵はいつまでか衣片敷き我がひとり寝む
仮名 はつせかぜ かくふくよひは いつまでか ころもかたしき わがひとりねむ
   
  10/2262
原文 秋芽子乎 令落長雨之 零比者 一起居而 戀夜曽大寸
訓読 秋萩を散らす長雨の降るころはひとり起き居て恋ふる夜ぞ多き
仮名 あきはぎを ちらすながめの ふるころは ひとりおきゐて こふるよぞおほき
   
  10/2263
原文 九月 四具礼乃雨之 山霧 烟寸<吾>胸 誰乎見者将息 [一云 十月 四具礼乃雨降]
訓読 九月のしぐれの雨の山霧のいぶせき我が胸誰を見ばやまむ [一云 十月しぐれの雨降り]
仮名 ながつきの しぐれのあめの やまぎりの いぶせきあがむね たをみばやまむ [かむなづき しぐれのあめふり]
   
  10/2264
原文 蟋蟀之 待歡 秋夜乎 寐驗無 枕与吾者
訓読 こほろぎの待ち喜ぶる秋の夜を寝る験なし枕と我れは
仮名 こほろぎの まちよろこぶる あきのよを ぬるしるしなし まくらとわれは
   
  10/2265
原文 朝霞 鹿火屋之下尓 鳴蝦 聲谷聞者 吾将戀八方
訓読 朝霞鹿火屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば我れ恋ひめやも
仮名 あさかすみ かひやがしたに なくかはづ こゑだにきかば あれこひめやも
   
  10/2266
原文 出去者 天飛鴈之 可泣美 且今<日>々々々云二 年曽經去家類
訓読 出でて去なば天飛ぶ雁の泣きぬべみ今日今日と言ふに年ぞ経にける
仮名 いでていなば あまとぶかりの なきぬべみ けふけふといふに としぞへにける
   
  10/2267
原文 左小<壮>鹿之 朝伏小野之 草若美 隠不得而 於人所知名
訓読 さを鹿の朝伏す小野の草若み隠らひかねて人に知らゆな
仮名 さをしかの あさふすをのの くさわかみ かくらひかねて ひとにしらゆな
   
  10/2268
原文 左小<壮>鹿之 小野<之>草伏 灼然 吾不問尓 人乃知良久
訓読 さを鹿の小野の草伏いちしろく我がとはなくに人の知れらく
仮名 さをしかの をののくさぶし いちしろく わがとはなくに ひとのしれらく
   
  10/2269
原文 今夜乃 暁降 鳴鶴之 念不過 戀許増益也
訓読 今夜の暁ぐたち鳴く鶴の思ひは過ぎず恋こそまされ
仮名 こよひの あかときぐたち なくたづの おもひはすぎず こひこそまされ
   
  10/2270
原文 道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念
訓読 道の辺の尾花が下の思ひ草今さらさらに何をか思はむ
仮名 みちのへの をばながしたの おもひぐさ いまさらさらに なにをかおもはむ
   
  10/2271
原文 草深三 蟋多 鳴屋前 芽子見公者 何時来益牟
訓読 草深みこほろぎさはに鳴くやどの萩見に君はいつか来まさむ
仮名 くさぶかみ こほろぎさはに なくやどの はぎみにきみは いつかきまさむ
   
  10/2272
原文 秋就者 水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者
訓読 秋づけば水草の花のあえぬがに思へど知らじ直に逢はざれば
仮名 あきづけば みくさのはなの あえぬがに おもへどしらじ ただにあはざれば
   
  10/2273
原文 何為等加 君乎将猒 秋芽子乃 其始花之 歡寸物乎
訓読 何すとか君をいとはむ秋萩のその初花の嬉しきものを
仮名 なにすとか きみをいとはむ あきはぎの そのはつはなの うれしきものを
   
  10/2274
原文 展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容皃之花
訓読 臥いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花
仮名 こいまろび こひはしぬとも いちしろく いろにはいでじ あさがほのはな
   
  10/2275
原文 言出而 云<者>忌染 朝皃乃 穂庭開不出 戀為鴨
訓読 言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも
仮名 ことにいでて いはばゆゆしみ あさがほの ほにはさきでぬ こひもするかも
   
  10/2276
原文 鴈鳴之 始音聞而 開出有 屋前之秋芽子 見来吾世古
訓読 雁がねの初声聞きて咲き出たる宿の秋萩見に来我が背子
仮名 かりがねの はつこゑききて さきでたる やどのあきはぎ みにこわがせこ
   
  10/2277
原文 左小<壮>鹿之 入野乃為酢寸 初尾花 何時<加> 妹之<手将>枕
訓読 さを鹿の入野のすすき初尾花いづれの時か妹が手まかむ
仮名 さをしかの いりののすすき はつをばな いづれのときか いもがてまかむ
   
  10/2278
原文 戀日之 氣長有者 三苑圃能 辛藍花之 色出尓来
訓読 恋ふる日の日長くしあればみ園生の韓藍の花の色に出でにけり
仮名 こふるひの けながくしあれば みそのふの からあゐのはなの いろにいでにけり
   
  10/2279
原文 吾郷尓 今咲花乃 娘部<四> 不堪情 尚戀二家里
訓読 我が里に今咲く花のをみなへし堪へぬ心になほ恋ひにけり
仮名 わがさとに いまさくはなの をみなへし あへぬこころに なほこひにけり
   
  10/2280
原文 芽子花 咲有乎見者 君不相 真毛久二 成来鴨
訓読 萩の花咲けるを見れば君に逢はずまことも久になりにけるかも
仮名 はぎのはな さけるをみれば きみにあはず まこともひさに なりにけるかも
   
  10/2281
原文 朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念
訓読 朝露に咲きすさびたる月草の日くたつなへに消ぬべく思ほゆ
仮名 あさつゆに さきすさびたる つきくさの ひくたつなへに けぬべくおもほゆ
   
  10/2282
原文 長夜乎 於君戀乍 不生者 開而落西 花有益乎
訓読 長き夜を君に恋ひつつ生けらずは咲きて散りにし花ならましを
仮名 ながきよを きみにこひつつ いけらずは さきてちりにし はなならましを
   
  10/2283
原文 吾妹兒尓 相坂山之 皮為酢寸 穂庭開不出 戀<度>鴨
訓読 我妹子に逢坂山のはだすすき穂には咲き出ず恋ひわたるかも
仮名 わぎもこに あふさかやまの はだすすき ほにはさきでず こひわたるかも
   
  10/2284
原文 率尓 今毛欲見 秋芽子之 四搓二将有 妹之光儀乎
訓読 いささめに今も見が欲し秋萩のしなひにあるらむ妹が姿を
仮名 いささめに いまもみがほし あきはぎの しなひにあるらむ いもがすがたを
   
  10/2285
原文 秋芽子之 花野乃為酢寸 穂庭不出 吾戀度 隠嬬波母
訓読 秋萩の花野のすすき穂には出でず我が恋ひわたる隠り妻はも
仮名 あきはぎの はなののすすき ほにはいでず あがこひわたる こもりづまはも
   
  10/2286
原文 吾屋戸尓 開秋芽子 散過而 實成及丹 於君不相鴨
訓読 我が宿に咲きし秋萩散り過ぎて実になるまでに君に逢はぬかも
仮名 わがやどに さきしあきはぎ ちりすぎて みになるまでに きみにあはぬかも
   
  10/2287
原文 吾屋前之 芽子開二家里 不落間尓 早来可見 平城里人
訓読 我が宿の萩咲きにけり散らぬ間に早来て見べし奈良の里人
仮名 わがやどの はぎさきにけり ちらぬまに はやきてみべし ならのさとびと
   
  10/2288
原文 石走 間々生有 皃花乃 花西有来 在筒見者
訓読 石橋の間々に生ひたるかほ花の花にしありけりありつつ見れば
仮名 いしはしの ままにおひたる かほばなの はなにしありけり ありつつみれば
   
  10/2289
原文 藤原 古郷之 秋芽子者 開而落去寸 君待不得而
訓読 藤原の古りにし里の秋萩は咲きて散りにき君待ちかねて
仮名 ふぢはらの ふりにしさとの あきはぎは さきてちりにき きみまちかねて
   
  10/2290
原文 秋芽子乎 落過沼蛇 手折持 雖見不怜 君西不有者
訓読 秋萩を散り過ぎぬべみ手折り持ち見れども寂し君にしあらねば
仮名 あきはぎを ちりすぎぬべみ たをりもち みれどもさぶし きみにしあらねば
   
  10/2291
原文 朝開 夕者消流 鴨頭草<乃> 可消戀毛 吾者為鴨
訓読 朝咲き夕は消ぬる月草の消ぬべき恋も我れはするかも
仮名 あしたさき ゆふへはけぬる つきくさの けぬべきこひも あれはするかも
   
  10/2292
原文 蜒野之 尾花苅副 秋芽子之 花乎葺核 君之借廬
訓読 秋津野の尾花刈り添へ秋萩の花を葺かさね君が仮廬に
仮名 あきづのの をばなかりそへ あきはぎの はなをふかさね きみがかりほに
   
  10/2293
原文 咲友 不知師有者 黙然将有 此秋芽子乎 令視管本名
訓読 咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの秋萩を見せつつもとな
仮名 さけりとも しらずしあらば もだもあらむ このあきはぎを みせつつもとな
   
  10/2294
原文 秋去者 鴈飛越 龍田山 立而毛居而毛 君乎思曽念
訓読 秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ思ふ
仮名 あきされば かりとびこゆる たつたやま たちてもゐても きみをしぞおもふ
   
  10/2295
原文 我屋戸之 田葛葉日殊 色付奴 不<来>座君者 何情曽毛
訓読 我が宿の葛葉日に異に色づきぬ来まさぬ君は何心ぞも
仮名 わがやどの くずはひにけに いろづきぬ きまさぬきみは なにごころぞも
   
  10/2296
原文 足引乃 山佐奈葛 黄變及 妹尓不相哉 吾戀将居
訓読 あしひきの山さな葛もみつまで妹に逢はずや我が恋ひ居らむ
仮名 あしひきの やまさなかづら もみつまで いもにあはずや あがこひをらむ
   
  10/2297
原文 黄葉之 過不勝兒乎 人妻跡 見乍哉将有 戀敷物乎
訓読 黄葉の過ぎかてぬ子を人妻と見つつやあらむ恋しきものを
仮名 もみちばの すぎかてぬこを ひとづまと みつつやあらむ こほしきものを
   
  10/2298
原文 於君戀 之奈要浦觸 吾居者 秋風吹而 月斜焉
訓読 君に恋ひ萎えうらぶれ我が居れば秋風吹きて月かたぶきぬ
仮名 きみにこひ しなえうらぶれ わがをれば あきかぜふきて つきかたぶきぬ
   
  10/2299
原文 秋夜之 月疑意君者 雲隠 須臾不見者 幾許戀敷
訓読 秋の夜の月かも君は雲隠りしましく見ねばここだ恋しき
仮名 あきのよの つきかもきみは くもがくり しましくみねば ここだこほしき
   
  10/2300
原文 九月之 在明能月夜 有乍毛 君之来座者 吾将戀八方
訓読 九月の有明の月夜ありつつも君が来まさば我れ恋ひめやも
仮名 ながつきの ありあけのつくよ ありつつも きみがきまさば あれこひめやも
   
  10/2301
原文 忍咲八師 不戀登為跡 金風之 寒吹夜者 君乎之曽念
訓読 よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ思ふ
仮名 よしゑやし こひじとすれど あきかぜの さむくふくよは きみをしぞおもふ
   
  10/2302
原文 <或>者之 痛情無跡 将念 秋之長夜乎 <寤><臥>耳
訓読 ある人のあな心なと思ふらむ秋の長夜を寝覚め臥すのみ
仮名 あるひとの あなこころなと おもふらむ あきのながよを ねざめふすのみ
   
  10/2303
原文 秋夜乎 長跡雖言 積西 戀盡者 短有家里
訓読 秋の夜を長しと言へど積もりにし恋を尽せば短くありけり
仮名 あきのよを ながしといへど つもりにし こひをつくせば みじかくありけり
   
  10/2304
原文 秋都葉尓 々寶敝流衣 吾者不服 於君奉者 夜毛著金
訓読 秋つ葉ににほへる衣我れは着じ君に奉らば夜も着るがね
仮名 あきつはに にほへるころも あれはきじ きみにまつらば よるもきるがね
   
  10/2305
原文 旅尚 襟解物乎 事繁三 丸宿吾為 長此夜
訓読 旅にすら紐解くものを言繁みまろ寝ぞ我がする長きこの夜を
仮名 たびにすら ひもとくものを ことしげみ まろねぞわがする ながきこのよを
   
  10/2306
原文 四具礼零 暁月夜 紐不解 戀君跡 居益物
訓読 しぐれ降る暁月夜紐解かず恋ふらむ君と居らましものを
仮名 しぐれふる あかときづくよ ひもとかず こふらむきみと をらましものを
   
  10/2307
原文 於黄葉 置白露之 色葉二毛 不出跡念者 事之繁家口
訓読 黄葉に置く白露の色端にも出でじと思へば言の繁けく
仮名 もみちばに おくしらつゆの いろはにも いでじとおもへば ことのしげけく
   
  10/2308
原文 雨零者 瀧都山川 於石觸 君之摧 情者不持
訓読 雨降ればたぎつ山川岩に触れ君が砕かむ心は持たじ
仮名 あめふれば たぎつやまがは いはにふれ きみがくだかむ こころはもたじ
   
  10/2309
原文 祝部等之 齋經社之 黄葉毛 標縄越而 落云物乎
訓読 祝らが斎ふ社の黄葉も標縄越えて散るといふものを
仮名 はふりらが いはふやしろの もみちばも しめなはこえて ちるといふものを
   
  10/2310
原文 蟋蟀之 吾床隔尓 鳴乍本名 起居管 君尓戀尓 宿不勝尓
訓読 こほろぎの我が床の辺に鳴きつつもとな起き居つつ君に恋ふるに寐ねかてなくに
仮名 こほろぎの あがとこのへに なきつつもとな おきゐつつ きみにこふるに いねかてなくに
   
  10/2311
原文 皮為酢寸 穂庭開不出 戀乎吾為 玉蜻 直一目耳 視之人故尓
訓読 はだすすき穂には咲き出ぬ恋をぞ我がする玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに
仮名 はだすすき ほにはさきでぬ こひをぞあがする たまかぎる ただひとめのみ みしひとゆゑに
   
  10/2312
原文 我袖尓 雹手走 巻隠 不消有 妹為見
訓読 我が袖に霰た走る巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため
仮名 わがそでに あられたばしる まきかくし けたずてあらむ いもがみむため
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2313
原文 足曳之 山鴨高 巻向之 木志乃子松二 三雪落来
訓読 あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りくる
仮名 あしひきの やまかもたかき まきむくの きしのこまつに みゆきふりくる
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2314
原文 巻向之 桧原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流
訓読 巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末ゆ沫雪流る
仮名 まきむくの ひはらもいまだ くもゐねば こまつがうれゆ あわゆきながる
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2315
原文 足引 山道不知 白<牫><牱> 枝母等乎々尓 雪落者 [或云 枝毛多和々々]
訓読 あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば [或云 枝もたわたわ]
仮名 あしひきの やまぢもしらず しらかしの えだもとををに ゆきのふれれば [えだもたわたわ]
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2316
原文 奈良山乃 峯尚霧合 宇倍志社 前垣之下乃 雪者不消家礼
訓読 奈良山の嶺なほ霧らふうべしこそ籬が下の雪は消ずけれ
仮名 ならやまの みねなほきらふ うべしこそ まがきがしたの ゆきはけずけれ
   
  10/2317
原文 殊落者 袖副沾而 可通 将落雪之 空尓消二管
訓読 こと降らば袖さへ濡れて通るべく降りなむ雪の空に消につつ
仮名 ことふらば そでさへぬれて とほるべく ふりなむゆきの そらにけにつつ
   
  10/2318
原文 夜乎寒三 朝戸乎開 出見者 庭毛薄太良尓 三雪落有 [一云 庭裳保杼呂尓 雪曽零而有]
訓読 夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり [一云 庭もほどろに 雪ぞ降りたる]
仮名 よをさむみ あさとをひらき いでみれば にはもはだらに みゆきふりたり [にはもほどろに ゆきぞふりたる]
   
  10/2319
原文 暮去者 衣袖寒之 高松之 山木毎 雪曽零有
訓読 夕されば衣手寒し高松の山の木ごとに雪ぞ降りたる
仮名 ゆふされば ころもでさむし たかまつの やまのきごとに ゆきぞふりたる
   
  10/2320
原文 吾袖尓 零鶴雪毛 流去而 妹之手本 伊行觸<粳>
訓読 我が袖に降りつる雪も流れ行きて妹が手本にい行き触れぬか
仮名 わがそでに ふりつるゆきも ながれゆきて いもがたもとに いゆきふれぬか
   
  10/2321
原文 沫雪者 今日者莫零 白妙之 袖纒将干 人毛不有<君>
訓読 沫雪は今日はな降りそ白栲の袖まき干さむ人もあらなくに
仮名 あわゆきは けふはなふりそ しろたへの そでまきほさむ ひともあらなくに
   
  10/2322
原文 甚多毛 不零雪故 言多毛 天三空者 <陰>相管
訓読 はなはだも降らぬ雪ゆゑこちたくも天つみ空は雲らひにつつ
仮名 はなはだも ふらぬゆきゆゑ こちたくも あまつみそらは くもらひにつつ
  あまつみそらは;あまのみそらは, くもらひにつつ;くもりあひつつ,
   
  10/2323
原文 吾背子乎 且今々々 出見者 沫雪零有 庭毛保杼呂尓
訓読 我が背子を今か今かと出で見れば沫雪降れり庭もほどろに
仮名 わがせこを いまかいまかと いでみれば あわゆきふれり にはもほどろに
   
  10/2324
原文 足引 山尓白者 我屋戸尓 昨日暮 零之雪疑意
訓読 あしひきの山に白きは我が宿に昨日の夕降りし雪かも
仮名 あしひきの やまにしろきは わがやどに きのふのゆふへ ふりしゆきかも
   
  10/2325
原文 誰苑之 梅花毛 久堅之 消月夜尓 幾許散来
訓読 誰が園の梅の花ぞもひさかたの清き月夜にここだ散りくる
仮名 たがそのの うめのはなぞも ひさかたの きよきつくよに ここだちりくる
   
  10/2326
原文 梅花 先開枝<乎> 手折而者 褁常名付而 与副手六香聞
訓読 梅の花まづ咲く枝を手折りてばつとと名付けてよそへてむかも
仮名 うめのはな まづさくえだを たをりてば つととなづけて よそへてむかも
   
  10/2327
原文 誰苑之 梅尓可有家武 幾許毛 開有可毛 見我欲左右手二
訓読 誰が園の梅にかありけむここだくも咲きてあるかも見が欲しまでに
仮名 たがそのの うめにかありけむ ここだくも さきてあるかも みがほしまでに
   
  10/2328
原文 来可視 人毛不有尓 吾家有 梅<之>早花 落十方吉
訓読 来て見べき人もあらなくに我家なる梅の初花散りぬともよし
仮名 きてみべき ひともあらなくに わぎへなる うめのはつはな ちりぬともよし
   
  10/2329
原文 雪寒三 咲者不開 梅花 縦比来者 然而毛有金
訓読 雪寒み咲きには咲かぬ梅の花よしこのころはかくてもあるがね
仮名 ゆきさむみ さきにはさかぬ うめのはな よしこのころは かくてもあるがね
   
  10/2330
原文 為妹 末枝梅乎 手折登波 下枝之露尓 沾<尓>家類可聞
訓読 妹がためほつ枝の梅を手折るとは下枝の露に濡れにけるかも
仮名 いもがため ほつえのうめを たをるとは しづえのつゆに ぬれにけるかも
   
  10/2331
原文 八田乃野之 淺茅色付 有乳山 峯之沫雪 <寒>零良之
訓読 八田の野の浅茅色づく有乳山嶺の沫雪寒く降るらし
仮名 やたののの あさぢいろづく あらちやま みねのあわゆき さむくふるらし
   
  10/2332
原文 左夜深者 出来牟月乎 高山之 峯白雲 将隠鴨
訓読 さ夜更けば出で来む月を高山の嶺の白雲隠すらむかも
仮名 さよふけば いでこむつきを たかやまの みねのしらくも かくすらむかも
   
  10/2333
原文 零雪 虚空可消 雖戀 相依無 月經在
訓読 降る雪の空に消ぬべく恋ふれども逢ふよしなしに月ぞ経にける
仮名 ふるゆきの そらにけぬべく こふれども あふよしなしに つきぞへにける
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2334
原文 <阿和>雪 千<重>零敷 戀為来 食永我 見偲
訓読 沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ
仮名 あわゆきは ちへにふりしけ こひしくの けながきわれは みつつしのはむ
  柿本人麻呂歌集
   
  10/2335
原文 咲出照 梅之下枝<尓> 置露之 可消於妹 戀頃者
訓読 咲き出照る梅の下枝に置く露の消ぬべく妹に恋ふるこのころ
仮名 さきでてる うめのしづえに おくつゆの けぬべくいもに こふるこのころ
   
  10/2336
原文 甚毛 夜深勿行 道邊之 湯小竹之於尓 霜降夜焉
訓読 はなはだも夜更けてな行き道の辺の斎笹の上に霜の降る夜を
仮名 はなはだも よふけてなゆき みちのへの ゆささのうへに しものふるよを
   
  10/2337
原文 小竹葉尓 薄太礼零覆 消名羽鴨 将忘云者 益所念
訓読 笹の葉にはだれ降り覆ひ消なばかも忘れむと言へばまして思ほゆ
仮名 ささのはに はだれふりおほひ けなばかも わすれむといへば ましておもほゆ
   
  10/2338
原文 霰落 板<玖>風吹 寒夜也 旗野尓今夜 吾獨寐牟
訓読 霰降りいたく風吹き寒き夜や旗野に今夜我が独り寝む
仮名 あられふり いたくかぜふき さむきよや はたのにこよひ わがひとりねむ
   
  10/2339
原文 吉名張乃 野木尓零覆 白雪乃 市白霜 将戀吾鴨
訓読 吉隠の野木に降り覆ふ白雪のいちしろくしも恋ひむ我れかも
仮名 よなばりの のぎにふりおほふ しらゆきの いちしろくしも こひむあれかも
   
  10/2340
原文 一眼見之 人尓戀良久 天霧之 零来雪之 可消所念
訓読 一目見し人に恋ふらく天霧らし降りくる雪の消ぬべく思ほゆ
仮名 ひとめみし ひとにこふらく あまぎらし ふりくるゆきの けぬべくおもほゆ
   
  10/2341
原文 思出 時者為便無 豊國之 木綿山雪之 可消<所>念
訓読 思ひ出づる時はすべなみ豊国の由布山雪の消ぬべく思ほゆ
仮名 おもひいづる ときはすべなみ とよくにの ゆふやまゆきの けぬべくおもほゆ
   
  10/2342
原文 如夢 君乎相見而 天霧之 落来雪之 可消所念
訓読 夢のごと君を相見て天霧らし降りくる雪の消ぬべく思ほゆ
仮名 いめのごと きみをあひみて あまぎらし ふりくるゆきの けぬべくおもほゆ
   
  10/2343
原文 吾背子之 言愛美 出去者 裳引将知 雪勿零
訓読 我が背子が言うるはしみ出でて行かば裳引きしるけむ雪な降りそね
仮名 わがせこが ことうるはしみ いでてゆかば もびきしるけむ ゆきなふりそね
   
  10/2344
原文 梅花 其跡毛不所見 零雪之 市白兼名 間使遣者 [一云 零雪尓 間使遣者 其将知<奈>]
訓読 梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使遣らば [一云 降る雪に間使遣らばそれと知らなむ]
仮名 うめのはな それともみえず ふるゆきの いちしろけむな まつかひやらば [ふるゆきに まつかひやらば それとしらなむ]
   
  10/2345
原文 天霧相 零来雪之 消友 於君合常 流經度
訓読 天霧らひ降りくる雪の消なめども君に逢はむとながらへわたる
仮名 あまぎらひ ふりくるゆきの けなめども きみにあはむと ながらへわたる
   
  10/2346
原文 窺良布 跡見山雪之 灼然 戀者妹名 人将知可聞
訓読 うかねらふ跡見山雪のいちしろく恋ひば妹が名人知らむかも
仮名 うかねらふ とみやまゆきの いちしろく こひばいもがな ひとしらむかも
   
  10/2347
原文 海小船 泊瀬乃山尓 落雪之 消長戀師 君之音曽為流
訓読 海人小舟泊瀬の山に降る雪の日長く恋ひし君が音ぞする
仮名 あまをぶね はつせのやまに ふるゆきの けながくこひし きみがおとぞする
   
  10/2348
原文 和射美能 嶺徃過而 零雪乃 猒毛無跡 白其兒尓
訓読 和射見の嶺行き過ぎて降る雪のいとひもなしと申せその子に
仮名 わざみの みねゆきすぎて ふるゆきの いとひもなしと まをせそのこに
   
  10/2349
原文 吾屋戸尓 開有梅乎 月夜好美 夕々令見 君乎祚待也
訓読 我が宿に咲きたる梅を月夜よみ宵々見せむ君をこそ待て
仮名 わがやどに さきたるうめを つくよよみ よひよひみせむ きみをこそまて
   
  10/2350
原文 足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛
訓読 あしひきの山のあらしは吹かねども君なき宵はかねて寒しも
仮名 あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも
   

第十一巻

   
   11/2351
原文 新室 壁草苅邇 御座給根 草如 依逢未通女者 公随
訓読 新室の壁草刈りにいましたまはね草のごと寄り合ふ娘子は君がまにまに
仮名 にひむろの かべくさかりに いましたまはね くさのごと よりあふをとめは きみがまにまに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2352
原文 新室 踏静子之 手玉鳴裳 玉如 所照公乎 内等白世
訓読 新室を踏み鎮む子が手玉鳴らすも玉のごと照らせる君を内にと申せ
仮名 にひむろを ふみしづむこが ただまならすも たまのごと てらせるきみを うちにとまをせ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2353
原文 長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜邇 人見點鴨 [一云 人見豆良牟可]
訓読 泊瀬の斎槻が下に我が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも [一云 人見つらむか]
仮名 はつせの ゆつきがしたに わがかくせるつま あかねさし てれるつくよに ひとみてむかも [ひとみつらむか]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2354
原文 健男之 念乱而 隠在其妻 天地 通雖<光> 所顕目八方 [一云 大夫乃 思多鶏備弖]
訓読 ますらをの思ひ乱れて隠せるその妻天地に通り照るともあらはれめやも [一云 ますらをの思ひたけびて]
仮名 ますらをの おもひみだれて かくせるそのつま あめつちに とほりてるとも あらはれめやも [ますらをの おもひたけびて]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2355
原文 恵得 吾念妹者 早裳死耶 雖生 吾邇應依 人云名國
訓読 愛しと我が思ふ妹は早も死なぬか生けりとも我れに寄るべしと人の言はなくに
仮名 うつくしと あがおもふいもは はやもしなぬか いけりとも われによるべしと ひとのいはなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2356
原文 狛錦 紐片<叙> 床落邇祁留 明夜志 将来得云者 取置<待>
訓読 高麗錦紐の片方ぞ床に落ちにける明日の夜し来なむと言はば取り置きて待たむ
仮名 こまにしき ひものかたへぞ とこにおちにける あすのよし きなむといはば とりおきてまたむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2357
原文 朝戸出 公足結乎 閏露原 早起 出乍吾毛 裳下閏奈
訓読 朝戸出の君が足結を濡らす露原早く起き出でつつ我れも裳裾濡らさな
仮名 あさとでの きみがあゆひを ぬらすつゆはら はやくおき いでつつわれも もすそぬらさな
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2358
原文 何為 命本名 永欲為 雖生 吾念妹 安不相
訓読 何せむに命をもとな長く欲りせむ生けりとも我が思ふ妹にやすく逢はなくに
仮名 なにせむに いのちをもとな ながくほりせむ いけりとも あがおもふいもに やすくあはなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2359
原文 息緒 吾雖念 人目多社 吹風 有數々 應相物
訓読 息の緒に我れは思へど人目多みこそ吹く風にあらばしばしば逢ふべきものを
仮名 いきのをに われはおもへど ひとめおほみこそ ふくかぜに あらばしばしば あふべきものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2360
原文 人祖 未通女兒居 守山邊柄 朝々 通公 不来哀
訓読 人の親処女児据ゑて守山辺から朝な朝な通ひし君が来ねば悲しも
仮名 ひとのおや をとめこすゑて もるやまへから あさなさな かよひしきみが こねばかなしも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2361
原文 天在 一棚橋 何将行 穉草 妻所云 足<壮>嚴
訓読 天なる一つ棚橋いかにか行かむ若草の妻がりと言はば足飾りせむ
仮名 あめなる ひとつたなはし いかにかゆかむ わかくさの つまがりといはば あしかざりせむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2362
原文 開木代 来背若子 欲云余 相狭丸 吾欲云 開木代来背
訓読 山背の久背の若子が欲しと言ふ我れあふさわに我れを欲しと言ふ山背の久世
仮名 やましろの くせのわくごが ほしといふわれ あふさわに われをほしといふ やましろのくぜ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2363
原文 岡前 多未足道乎 人莫通 在乍毛 公之来 曲道為
訓読 岡の崎廻みたる道を人な通ひそありつつも君が来まさむ避き道にせむ
仮名 をかのさき たみたるみちを ひとなかよひそ ありつつも きみがきまさむ よきみちにせむ
   
  11/2364
原文 玉垂 小簾之寸鶏吉仁 入通来根 足乳根之 母我問者 風跡将申
訓読 玉垂の小簾のすけきに入り通ひ来ねたらちねの母が問はさば風と申さむ
仮名 たまだれの をすのすけきに いりかよひこね たらちねの ははがとはさば かぜとまをさむ
   
  11/2365
原文 内日左須 宮道尓相之 人妻<姤> 玉緒之 念乱而 宿夜四曽多寸
訓読 うちひさす宮道に逢ひし人妻ゆゑに玉の緒の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
仮名 うちひさす みやぢにあひし ひとづまゆゑに たまのをの おもひみだれて ぬるよしぞおほき
   
  11/2366
原文 真十鏡 見之賀登念 妹相可聞 玉緒之 絶有戀之 繁比者
訓読 まそ鏡見しかと思ふ妹も逢はぬかも玉の緒の絶えたる恋の繁きこのころ
仮名 まそかがみ みしかとおもふ いももあはぬかも たまのをの たえたるこひの しげきこのころ
   
  11/2367
原文 海原乃 路尓乗哉 吾戀居 大舟之 由多尓将有 人兒由恵尓
訓読 海原の道に乗りてや我が恋ひ居らむ大船のゆたにあるらむ人の子ゆゑに
仮名 うなはらの みちにのりてや あがこひをらむ おほぶねの ゆたにあるらむ ひとのこゆゑに
   
  11/2368
原文 垂乳根乃 母之手放 如是許 無為便事者 未為國
訓読 たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに
仮名 たらちねの ははがてはなれ かくばかり すべなきことは いまだせなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2369
原文 人所寐 味宿不寐 早敷八四 公目尚 欲嘆 [或本歌云 公矣思尓 暁来鴨]
訓読 人の寝る味寐は寝ずてはしきやし君が目すらを欲りし嘆かむ [或本歌云 君を思ふに明けにけるかも]
仮名 ひとのぬる うまいはねずて はしきやし きみがめすらを ほりしなげかむ [きみをおもふに あけにけるかも]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2370
原文 戀死 戀死耶 玉鉾 路行人 事告<無>
訓読 恋ひしなば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の言も告げなく
仮名 こひしなば こひもしねとや たまほこの みちゆくひとの こともつげなく
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2371
原文 心 千遍雖念 人不云 吾戀攦 見依鴨
訓読 心には千重に思へど人に言はぬ我が恋妻を見むよしもがも
仮名 こころには ちへにおもへど ひとにいはぬ あがこひづまを みむよしもがも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2372
原文 是量 戀物 知者 遠可見 有物
訓読 かくばかり恋ひむものぞと知らませば遠くも見べくあらましものを
仮名 かくばかり こひむものぞと しらませば とほくもみべく あらましものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2373
原文 何時 不戀時 雖不有 夕方<任> 戀無乏
訓読 いつはしも恋ひぬ時とはあらねども夕かたまけて恋ひはすべなし
仮名 いつはしも こひぬときとは あらねども ゆふかたまけて こひはすべなし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2374
原文 是耳 戀度 玉切 不知命 歳經管
訓読 かくのみし恋ひやわたらむたまきはる命も知らず年は経につつ
仮名 かくのみし こひやわたらむ たまきはる いのちもしらず としはへにつつ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2375
原文 吾以後 所生人 如我 戀為道 相与勿湯目
訓読 我れゆ後生まれむ人は我がごとく恋する道にあひこすなゆめ
仮名 われゆのち うまれむひとは あがごとく こひするみちに あひこすなゆめ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2376
原文 健男 現心 吾無 夜晝不云 戀度
訓読 ますらをの現し心も我れはなし夜昼といはず恋ひしわたれば
仮名 ますらをの うつしごころも われはなし よるひるといはず こひしわたれば
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2377
原文 何為 命継 吾妹 不戀前 死物
訓読 何せむに命継ぎけむ我妹子に恋ひぬ前にも死なましものを
仮名 なにせむに いのちつぎけむ わぎもこに こひぬさきにも しなましものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2378
原文 吉恵哉 不来座公 何為 不猒吾 戀乍居
訓読 よしゑやし来まさぬ君を何せむにいとはず我れは恋ひつつ居らむ
仮名 よしゑやし きまさぬきみを なにせむに いとはずあれは こひつつをらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2379
原文 見度 近渡乎 廻 今哉来座 戀居
訓読 見わたせば近き渡りをた廻り今か来ますと恋ひつつぞ居る
仮名 みわたせば ちかきわたりを たもとほり いまかきますと こひつつぞをる
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2380
原文 早敷哉 誰障鴨 玉桙 路見遺 公不来座
訓読 はしきやし誰が障ふれかも玉桙の道見忘れて君が来まさぬ
仮名 はしきやし たがさふれかも たまほこの みちみわすれて きみがきまさぬ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2381
原文 公目 見欲 是二夜 千歳如 吾戀哉
訓読 君が目を見まく欲りしてこの二夜千年のごとも我は恋ふるかも
仮名 きみがめを みまくほりして このふたよ ちとせのごとも あはこふるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2382
原文 打日刺 宮道人 雖満行 吾念公 正一人
訓読 うち日さす宮道を人は満ち行けど我が思ふ君はただひとりのみ
仮名 うちひさす みやぢをひとは みちゆけど あがおもふきみは ただひとりのみ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2383
原文 世中 常如 雖念 半手不<忘> 猶戀在
訓読 世の中は常かくのみと思へどもはたた忘れずなほ恋ひにけり
仮名 よのなかは つねかくのみと おもへども はたたわすれず なほこひにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2384
原文 我勢古波 幸座 遍来 我告来 人来鴨
訓読 我が背子は幸くいますと帰り来と我れに告げ来む人も来ぬかも
仮名 わがせこは さきくいますと かへりくと あれにつげこむ ひともこぬかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2385
原文 <麁>玉 五年雖經 吾戀 跡無戀 不止恠
訓読 あらたまの五年経れど我が恋の跡なき恋のやまなくあやし
仮名 あらたまの いつとせふれど あがこひの あとなきこひの やまなくあやし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2386
原文 石尚 行應通 建男 戀云事 後悔在
訓読 巌すら行き通るべきますらをも恋といふことは後悔いにけり
仮名 いはほすら ゆきとほるべき ますらをも こひといふことは のちくいにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2387
原文 日<位> 人可知 今日 如千歳 有与鴨
訓読 日並べば人知りぬべし今日の日は千年のごともありこせぬかも
仮名 ひならべば ひとしりぬべし けふのひは ちとせのごとも ありこせぬかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2388
原文 立座 <態>不知 雖念 妹不告 間使不来
訓読 立ちて居てたづきも知らず思へども妹に告げねば間使も来ず
仮名 たちてゐて たづきもしらず おもへども いもにつげねば まつかひもこず
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2389
原文 烏玉 是夜莫明 朱引 朝行公 待苦
訓読 ぬばたまのこの夜な明けそ赤らひく朝行く君を待たば苦しも
仮名 ぬばたまの このよなあけそ あからひく あさゆくきみを またばくるしも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2390
原文 戀為 死為物 有<者> 我身千遍 死反
訓読 恋するに死するものにあらませば我が身は千たび死にかへらまし
仮名 こひするに しにするものに あらませば あがみはちたび しにかへらまし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2391
原文 玉響 昨夕 見物 今朝 可戀物
訓読 玉かぎる昨日の夕見しものを今日の朝に恋ふべきものか
仮名 たまかぎる きのふのゆふへ みしものを けふのあしたに こふべきものか
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2392
原文 中々 不見有 従相見 戀心 益念
訓読 なかなかに見ずあらましを相見てゆ恋ほしき心まして思ほゆ
仮名 なかなかに みずあらましを あひみてゆ こほしきこころ ましておもほゆ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2393
原文 玉桙 道不行為有者 惻隠 此有戀 不相
訓読 玉桙の道行かずあらばねもころのかかる恋には逢はざらましを
仮名 たまほこの みちゆかずあらば ねもころの かかるこひには あはざらましを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2394
原文 朝影 吾身成 玉垣入 風所見 去子故
訓読 朝影に我が身はなりぬ玉かきるほのかに見えて去にし子ゆゑに
仮名 あさかげに あがみはなりぬ たまかきる ほのかにみえて いにしこゆゑに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2395
原文 行々 不相妹故 久方 天露霜 <沾>在哉
訓読 行き行きて逢はぬ妹ゆゑひさかたの天露霜に濡れにけるかも
仮名 ゆきゆきて あはぬいもゆゑ ひさかたの あまつゆしもに ぬれにけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2396
原文 玉坂 吾見人 何有 依以 亦一目見
訓読 たまさかに我が見し人をいかならむよしをもちてかまた一目見む
仮名 たまさかに わがみしひとを いかならむ よしをもちてか またひとめみむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2397
原文 蹔 不見戀 吾妹 日々来 事繁
訓読 しましくも見ぬば恋ほしき我妹子を日に日に来れば言の繁けく
仮名 しましくも みぬばこほしき わぎもこを ひにひにくれば ことのしげけく
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2398
原文 <玉>切 及世定 恃 公依 事繁
訓読 たまきはる世までと定め頼みたる君によりてし言の繁けく
仮名 たまきはる よまでとさだめ たのみたる きみによりてし ことのしげけく
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2399
原文 朱引 秦不經 雖寐 心異 我不念
訓読 赤らひく肌も触れずて寐ぬれども心を異には我が思はなくに
仮名 あからひく はだもふれずて いぬれども こころをけには わがおもはなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2400
原文 伊田何 極太甚 利心 及失念 戀故
訓読 いで何かここだはなはだ利心の失するまで思ふ恋ゆゑにこそ
仮名 いでなにか ここだはなはだ とごころの うするまでおもふ こひゆゑにこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2401
原文 戀死 戀死哉 我妹 吾家門 過行
訓読 恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ
仮名 こひしなば こひもしねとか わぎもこが わぎへのかどを すぎてゆくらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2402
原文 妹當 遠見者 恠 吾戀 相依無
訓読 妹があたり遠くも見ればあやしくも我れは恋ふるか逢ふよしなしに
仮名 いもがあたり とほくもみれば あやしくも あれはこふるか あふよしなしに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2403
原文 玉久世 清川原 身秡為 齋命 妹為
訓読 玉くせの清き川原にみそぎして斎ふ命は妹がためこそ
仮名 たまくせの きよきかはらに みそぎして いはふいのちは いもがためこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2404
原文 思依 見依 物有 一日間 忘念
訓読 思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日の間も忘れて思へや
仮名 おもひより みてはよりにし ものにあれば ひとひのあひだも わすれておもへや
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2405
原文 垣廬鳴 人雖云 狛錦 紐解開 公無
訓読 垣ほなす人は言へども高麗錦紐解き開けし君ならなくに
仮名 かきほなす ひとはいへども こまにしき ひもときあけし きみならなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2406
原文 狛錦 紐解開 夕<谷> 不知有命 戀有
訓読 高麗錦紐解き開けて夕だに知らずある命恋ひつつかあらむ
仮名 こまにしき ひもときあけて ゆふへだに しらずあるいのち こひつつかあらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2407
原文 百積 船潜納 八占刺 母雖問 其名不謂
訓読 百積の船隠り入る八占さし母は問ふともその名は告らじ
仮名 ももさかの ふねかくりいる やうらさし はははとふとも そのなはのらじ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2408
原文 眉根削 鼻鳴紐解 待哉 何時見 念<吾>
訓読 眉根掻き鼻ひ紐解け待つらむかいつかも見むと思へる我れを
仮名 まよねかき はなひひもとけ まつらむか いつかもみむと おもへるわれを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2409
原文 君戀 浦經居 悔 我裏紐 結手徒
訓読 君に恋ひうらぶれ居れば悔しくも我が下紐の結ふ手いたづらに
仮名 きみにこひ うらぶれをれば くやしくも わがしたびもの ゆふていたづらに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2410
原文 璞之 年者竟杼 敷白之 袖易子少 忘而念哉
訓読 あらたまの年は果つれど敷栲の袖交へし子を忘れて思へや
仮名 あらたまの としははつれど しきたへの そでかへしこを わすれておもへや
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2411
原文 白細布 袖小端 見柄 如是有戀 吾為鴨
訓読 白栲の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも
仮名 しろたへの そでをはつはつ みしからに かかるこひをも あれはするかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2412
原文 我妹 戀無乏 夢見 吾雖念 不所寐
訓読 我妹子に恋ひすべながり夢に見むと我れは思へど寐ねらえなくに
仮名 わぎもこに こひすべながり いめにみむと われはおもへど いねらえなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2413
原文 故無 吾裏紐 令解 人莫知 及正逢
訓読 故もなく我が下紐を解けしめて人にな知らせ直に逢ふまでに
仮名 ゆゑもなく わがしたびもを とけしめて ひとになしらせ ただにあふまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2414
原文 戀事 意追不得 出行者 山川 不知来
訓読 恋ふること慰めかねて出でて行けば山を川をも知らず来にけり
仮名 こふること なぐさめかねて いでてゆけば やまをかはをも しらずきにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2415
原文 處女等乎 袖振山 水垣<乃> 久時由 念来吾等者
訓読 娘子らを袖振る山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我れは
仮名 をとめらを そでふるやまの みづかきの ひさしきときゆ おもひけりわれは
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2416
原文 千早振 神持在 命 誰為 長欲為
訓読 ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
仮名 ちはやぶる かみのもたせる いのちをば たがためにかも ながくほりせむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2417
原文 石上 振神杉 神成 戀我 更為鴨
訓読 石上布留の神杉神さぶる恋をも我れはさらにするかも
仮名 いそのかみ ふるのかむすぎ かむさぶる こひをもあれは さらにするかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2418
原文 何 名負神 幣嚮奉者 吾念妹 夢谷見
訓読 いかならむ名負ふ神に手向けせば我が思ふ妹を夢にだに見む
仮名 いかならむ なおふかみにし たむけせば あがおもふいもを いめにだにみむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2419
原文 天地 言名絶 有 汝吾 相事止
訓読 天地といふ名の絶えてあらばこそ汝と我れと逢ふことやまめ
仮名 あめつちと いふなのたえて あらばこそ いましとあれと あふことやまめ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2420
原文 月見 國同 山隔 愛妹 隔有鴨
訓読 月見れば国は同じぞ山へなり愛し妹はへなりたるかも
仮名 つきみれば くにはおやじぞ やまへなり うつくしいもは へなりたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2421
原文 も路者 石踏山 無鴨 吾待公 馬爪盡
訓読 来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに
仮名 くるみちは いはふむやまは なくもがも わがまつきみが うまつまづくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2422
原文 石根踏 重成山 雖不有 不相日數 戀度鴨
訓読 岩根踏みへなれる山はあらねども逢はぬ日まねみ恋ひわたるかも
仮名 いはねふみ へなれるやまは あらねども あはぬひまねみ こひわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2423
原文 路後 深津嶋山 蹔 君目不見 苦有
訓読 道の後深津島山しましくも君が目見ねば苦しかりけり
仮名 みちのしり ふかつしまやま しましくも きみがめみねば くるしかりけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2424
原文 紐鏡 能登香山 誰故 君来座在 紐不開寐
訓読 紐鏡能登香の山も誰がゆゑか君来ませるに紐解かず寝む
仮名 ひもかがみ のとかのやまも たがゆゑか きみきませるに ひもとかずねむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2425
原文 山科 強田山 馬雖在 歩吾来 汝念不得
訓読 山科の木幡の山を馬はあれど徒歩より我が来し汝を思ひかねて
仮名 やましなの こはたのやまを うまはあれど かちよりわがこし なをおもひかねて
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2426
原文 遠山 霞被 益遐 妹目不見 吾戀
訓読 遠山に霞たなびきいや遠に妹が目見ねば我れ恋ひにけり
仮名 とほやまに かすみたなびき いやとほに いもがめみねば あれこひにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2427
原文 是川 瀬々敷浪 布々 妹心 乗在鴨
訓読 宇治川の瀬々のしき波しくしくに妹は心に乗りにけるかも
仮名 うぢかはの せぜのしきなみ しくしくに いもはこころに のりにけるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2428
原文 千早人 宇治度 速瀬 不相有 後我攦
訓読 ちはや人宇治の渡りの瀬を早み逢はずこそあれ後も我が妻
仮名 ちはやひと うぢのわたりの せをはやみ あはずこそあれ のちもわがつま
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2429
原文 早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤
訓読 はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ
仮名 はしきやし あはぬこゆゑに いたづらに うぢがはのせに もすそぬらしつ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2430
原文 是川 水阿和逆纒 行水 事不反 思始為
訓読 宇治川の水泡さかまき行く水の事かへらずぞ思ひ染めてし
仮名 うぢかはの みなあわさかまき ゆくみづの ことかへらずぞ おもひそめてし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2431
原文 鴨川 後瀬静 後相 妹者我 雖不今
訓読 鴨川の後瀬静けく後も逢はむ妹には我れは今ならずとも
仮名 かもがはの のちせしづけく のちもあはむ いもにはわれは いまならずとも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2432
原文 言出 云忌々 山川之 當都心 塞耐在
訓読 言に出でて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり
仮名 ことにいでて いはばゆゆしみ やまがはの たぎつこころを せかへたりけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2433
原文 水上 如數書 吾命 妹相 受日鶴鴨
訓読 水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも
仮名 みづのうへに かずかくごとき わがいのち いもにあはむと うけひつるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2434
原文 荒礒越 外徃波乃 外心 吾者不思 戀而死鞆
訓読 荒礒越し外行く波の外心我れは思はじ恋ひて死ぬとも
仮名 ありそこし ほかゆくなみの ほかごころ われはおもはじ こひてしぬとも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2435
原文 淡海々 奥白浪 雖不知 妹所云 七日越来
訓読 近江の海沖つ白波知らずとも妹がりといはば七日越え来む
仮名 あふみのうみ おきつしらなみ しらずとも いもがりといはば なぬかこえこむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2436
原文 大船 香取海 慍下 何有人 物不念有
訓読 大船の香取の海にいかり下ろしいかなる人か物思はずあらむ
仮名 おほぶねの かとりのうみに いかりおろし いかなるひとか ものもはずあらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2437
原文 奥藻 隠障浪 五百重浪 千重敷々 戀度鴨
訓読 沖つ裳を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも
仮名 おきつもを かくさふなみの いほへなみ ちへしくしくに こひわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2438
原文 人事 蹔吾妹 縄手引 従海益 深念
訓読 人言はしましぞ我妹綱手引く海ゆまさりて深くしぞ思ふ
仮名 ひとごとは しましぞわぎも つなてひく うみゆまさりて ふかくしぞおもふ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2439
原文 淡海 奥嶋山 奥儲 吾念妹 事繁
訓読 近江の海沖つ島山奥まけて我が思ふ妹が言の繁けく
仮名 あふみのうみ おきつしまやま おくまけて あがおもふいもが ことのしげけく
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2440
原文 近江海 奥滂船 重下 蔵公之 事待吾序
訓読 近江の海沖漕ぐ舟のいかり下ろし隠りて君が言待つ我れぞ
仮名 あふみのうみ おきこぐふねの いかりおろし こもりてきみが ことまつわれぞ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2441
原文 隠沼 従裏戀者 無乏 妹名告 忌物矣
訓読 隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを
仮名 こもりぬの したゆこふれば すべをなみ いもがなのりつ いむべきものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2442
原文 大土 採雖盡 世中 盡不得物 戀在
訓読 大地は取り尽すとも世の中の尽しえぬものは恋にしありけり
仮名 おほつちは とりつくすとも よのなかの つくしえぬものは こひにしありけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2443
原文 隠處 澤泉在 石根 通念 吾戀者
訓読 隠りどの沢泉なる岩が根も通してぞ思ふ我が恋ふらくは
仮名 こもりどの さはいづみにある いはがねも とほしてぞおもふ あがこふらくは
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2444
原文 白檀 石邊山 常石有 命哉 戀乍居
訓読 白真弓石辺の山の常磐なる命なれやも恋ひつつ居らむ
仮名 しらまゆみ いしへのやまの ときはなる いのちなれやも こひつつをらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2445
原文 淡海々 沈白玉 不知 従戀者 今益
訓読 近江の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそまされ
仮名 あふみのうみ しづくしらたま しらずして こひせしよりは いまこそまされ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2446
原文 白玉 纒持 従今 吾玉為 知時谷
訓読 白玉を巻きてぞ持てる今よりは我が玉にせむ知れる時だに
仮名 しらたまを まきてぞもてる いまよりは わがたまにせむ しれるときだに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2447
原文 白玉 従手纒 不<忘> 念 何畢
訓読 白玉を手に巻きしより忘れじと思ひけらくは何か終らむ
仮名 しらたまを てにまきしより わすれじと おもひけらくは なにかをはらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2448
原文 <白>玉 間開乍 貫緒 縛依 後相物
訓読 白玉の間開けつつ貫ける緒もくくり寄すれば後もあふものを
仮名 しらたまの あひだあけつつ ぬけるをも くくりよすれば のちもあふものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2449
原文 香山尓 雲位桁曵 於保々思久 相見子等乎 後戀牟鴨
訓読 香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも
仮名 かぐやまに くもゐたなびき おほほしく あひみしこらを のちこひむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2450
原文 雲間従 狭侄月乃 於保々思久 相見子等乎 見因鴨
訓読 雲間よりさ渡る月のおほほしく相見し子らを見むよしもがも
仮名 くもまより さわたるつきの おほほしく あひみしこらを みむよしもがも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2451
原文 天雲 依相遠 雖不相 異手枕 吾纒哉
訓読 天雲の寄り合ひ遠み逢はずとも異し手枕我れまかめやも
仮名 あまくもの よりあひとほみ あはずとも あたしたまくら われまかめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2452
原文 雲谷 灼發 意追 見乍<居> 及直相
訓読 雲だにもしるくし立たば慰めて見つつも居らむ直に逢ふまでに
仮名 くもだにも しるくしたたば なぐさめて みつつもをらむ ただにあふまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2453
原文 春楊 葛山 發雲 立座 妹念
訓読 春柳葛城山に立つ雲の立ちても居ても妹をしぞ思ふ
仮名 はるやなぎ かづらきやまに たつくもの たちてもゐても いもをしぞおもふ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2454
原文 春日山 雲座隠 雖遠 家不念 公念
訓読 春日山雲居隠りて遠けども家は思はず君をしぞ思ふ
仮名 かすがやま くもゐかくりて とほけども いへはおもはず きみをしぞおもふ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2455
原文 我故 所云妹 高山之 峯朝霧 過兼鴨
訓読 我がゆゑに言はれし妹は高山の嶺の朝霧過ぎにけむかも
仮名 わがゆゑに いはれしいもは たかやまの みねのあさぎり すぎにけむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2456
原文 烏玉 黒髪山 山草 小雨零敷 益々所<思>
訓読 ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降りしきしくしく思ほゆ
仮名 ぬばたまの くろかみやまの やますげに こさめふりしき しくしくおもほゆ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2457
原文 大野 小雨被敷 木本 時依来 我念人
訓読 大野らに小雨降りしく木の下に時と寄り来ね我が思ふ人
仮名 おほのらに こさめふりしく このもとに ときとよりこね わがおもふひと
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2458
原文 朝霜 消々 念乍 何此夜 明鴨
訓読 朝霜の消なば消ぬべく思ひつついかにこの夜を明かしてむかも
仮名 あさしもの けなばけぬべく おもひつつ いかにこのよを あかしてむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2459
原文 吾背兒我 濱行風 弥急 急事 益不相有
訓読 我が背子が浜行く風のいや早に言を早みかいや逢はずあらむ
仮名 わがせこが はまゆくかぜの いやはやに ことをはやみか いやあはずあらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2460
原文 遠妹 振仰見 偲 是月面 雲勿棚引
訓読 遠き妹が振り放け見つつ偲ふらむこの月の面に雲なたなびき
仮名 とほきいもが ふりさけみつつ しのふらむ このつきのおもに くもなたなびき
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2461
原文 山葉 追出月 端々 妹見鶴 及戀
訓読 山の端を追ふ三日月のはつはつに妹をぞ見つる恋ほしきまでに
仮名 やまのはを おふみかつきの はつはつに いもをぞみつる こほしきまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2462
原文 我妹 吾矣念者 真鏡 照出月 影所見来
訓読 我妹子し我れを思はばまそ鏡照り出づる月の影に見え来ね
仮名 わぎもこし われをおもはば まそかがみ てりいづるつきの かげにみえこね
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2463
原文 久方 天光月 隠去 何名副 妹偲
訓読 久方の天照る月の隠りなば何になそへて妹を偲はむ
仮名 ひさかたの あまてるつきの かくりなば なにになそへて いもをしのはむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2464
原文 若月 清不見 雲隠 見欲 宇多手比日
訓読 三日月のさやにも見えず雲隠り見まくぞ欲しきうたてこのころ
仮名 みかづきの さやにもみえず くもがくり みまくぞほしき うたてこのころ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2465
原文 我背兒尓 吾戀居者 吾屋戸之 草佐倍思 浦乾来
訓読 我が背子に我が恋ひ居れば我が宿の草さへ思ひうらぶれにけり
仮名 わがせこに あがこひをれば わがやどの くささへおもひ うらぶれにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2466
原文 朝茅原 小野印 <空>事 何在云 公待
訓読 浅茅原小野に標結ふ空言をいかなりと言ひて君をし待たむ
仮名 あさぢはら をのにしめゆふ むなことを いかなりといひて きみをしまたむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2467
原文 路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
訓読 道の辺の草深百合の後もと言ふ妹が命を我れ知らめやも
仮名 みちのへの くさふかゆりの のちもといふ いもがいのちを われしらめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2468
原文 <湖>葦 交在草 知草 人皆知 吾裏念
訓読 港葦に交じれる草のしり草の人皆知りぬ我が下思ひは
仮名 みなとあしに まじれるくさの しりくさの ひとみなしりぬ わがしたもひは
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2469
原文 山<萵>苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止
訓読 山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋やまず
仮名 やまぢさの しらつゆおもみ うらぶれて こころもふかく あがこひやまず
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2470
原文 <湖> 核延子菅 不竊隠 公戀乍 有不勝鴨
訓読 港にさ根延ふ小菅ぬすまはず君に恋ひつつありかてぬかも
仮名 みなとに さねばふこすげ ぬすまはず きみにこひつつ ありかてぬかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2471
原文 山代 泉小菅 凡浪 妹心 吾不念
訓読 山背の泉の小菅なみなみに妹が心を我が思はなくに
仮名 やましろの いづみのこすげ なみなみに いもがこころを わがおもはなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2472
原文 見渡 三室山 石穂菅 惻隠吾 片念為 [一云 三諸山之 石小菅]
訓読 見わたしの三室の山の巌菅ねもころ我れは片思ぞする [一云 みもろの山の岩小菅]
仮名 みわたしの みむろのやまの いはほすげ ねもころわれは かたもひぞする [みもろのやまの いはこすげ]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2473
原文 菅根 惻隠君 結為 我紐緒 解人不有
訓読 菅の根のねもころ君が結びてし我が紐の緒を解く人もなし
仮名 すがのねの ねもころきみが むすびてし わがひものをを とくひともなし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2474
原文 山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍
訓読 山菅の乱れ恋のみせしめつつ逢はぬ妹かも年は経につつ
仮名 やますげの みだれこひのみ せしめつつ あはぬいもかも としはへにつつ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2475
原文 我屋戸 甍子太草 雖生 戀忘草 見未生
訓読 我が宿の軒にしだ草生ひたれど恋忘れ草見れどいまだ生ひず
仮名 わがやどは のきにしだくさ おひたれど こひわすれくさ みれどいまだおひず
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2476
原文 打田 稗數多 雖有 擇為我 夜一人宿
訓読 打つ田には稗はしあまたありといへど選えし我れぞ夜をひとり寝る
仮名 うつたには ひえはしあまた ありといへど えらえしわれぞ よをひとりぬる
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2477
原文 足引 名負山菅 押伏 君結 不相有哉
訓読 あしひきの名負ふ山菅押し伏せて君し結ばば逢はずあらめやも
仮名 あしひきの なおふやますげ おしふせて きみしむすばば あはずあらめやも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2478
原文 秋柏 潤和川邊 細竹目 人不顏面 <公无>勝
訓読 秋柏潤和川辺の小竹の芽の人には忍び君に堪へなくに
仮名 あきかしは うるわかはへの しののめの ひとにはしのび きみにあへなくに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2479
原文 核葛 後相 夢耳 受日度 年經乍
訓読 さね葛後も逢はむと夢のみにうけひわたりて年は経につつ
仮名 さねかづら のちもあはむと いめのみに うけひわたりて としはへにつつ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2480
原文 路邊 壹師花 灼然 人皆知 我戀攦 [或本歌<曰> 灼然 人知尓家里 継而之念者]
訓読 道の辺のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は [或本歌曰 いちしろく人知りにけり継ぎてし思へば]
仮名 みちのへの いちしのはなの いちしろく ひとみなしりぬ あがこひづまは [いちしろく ひとしりにけり つぎてしおもへば]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2481
原文 大野 跡状不知 印結 有不得 吾眷
訓読 大野らにたどきも知らず標結ひてありかつましじ我が恋ふらくは
仮名 おほのらに たづきもしらず しめゆひて ありかつましじ あがこふらくは
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2482
原文 水底 生玉藻 打靡 心依 戀比日
訓読 水底に生ふる玉藻のうち靡き心は寄りて恋ふるこのころ
仮名 みなそこに おふるたまもの うちなびき こころはよりて こふるこのころ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2483
原文 敷栲之 衣手離而 玉藻成 靡可宿濫 和乎待難尓
訓読 敷栲の衣手離れて玉藻なす靡きか寝らむ我を待ちかてに
仮名 しきたへの ころもでかれて たまもなす なびきかぬらむ わをまちかてに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2484
原文 君不来者 形見為等 我二人 殖松木 君乎待出牟
訓読 君来ずは形見にせむと我がふたり植ゑし松の木君を待ち出でむ
仮名 きみこずは かたみにせむと わがふたり うゑしまつのき きみをまちいでむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2485
原文 袖振 可見限 吾雖有 其松枝 隠在
訓読 袖振らば見ゆべき限り我れはあれどその松が枝に隠らひにけり
仮名 そでふらば みゆべきかぎり われはあれど そのまつがえに かくらひにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2486
原文 珍海 濱邊小松 根深 吾戀度 人子姤
訓読 茅渟の海の浜辺の小松根深めて我れ恋ひわたる人の子ゆゑに
仮名 ちぬのうみの はまへのこまつ ねふかめて あれこひわたる ひとのこゆゑに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2486左
原文 血沼之海之 塩干能小松 根母己呂尓 戀屋度 人兒故尓
訓読 茅渟の海の潮干の小松ねもころに恋ひやわたらむ人の子ゆゑに
仮名 ちぬのうみの しほひのこまつ ねもころに こひやわたらむ ひとのこゆゑに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2487
原文 平山 子松末 有廉叙波 我思妹 不相止<者>
訓読 奈良山の小松が末のうれむぞは我が思ふ妹に逢はずやみなむ
仮名 ならやまの こまつがうれの うれむぞは あがおもふいもに あはずやみなむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2488
原文 礒上 立廻香<樹> 心哀 何深目 念始
訓読 礒の上に立てるむろの木ねもころに何しか深め思ひそめけむ
仮名 いそのうへに たてるむろのき ねもころに なにしかふかめ おもひそめけむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2489
原文 橘 本我立 下枝取 成哉君 問子等
訓読 橘の本に我を立て下枝取りならむや君と問ひし子らはも
仮名 たちばなの もとにわをたて しづえとり ならむやきみと とひしこらはも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2490
原文 天雲尓 翼打附而 飛鶴乃 多頭々々思鴨 君不座者
訓読 天雲に翼打ちつけて飛ぶ鶴のたづたづしかも君しまさねば
仮名 あまくもに はねうちつけて とぶたづの たづたづしかも きみしまさねば
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2491
原文 妹戀 不寐朝明 男為鳥 従是此度 妹使
訓読 妹に恋ひ寐ねぬ朝明にをし鳥のこゆかく渡る妹が使か
仮名 いもにこひ いねぬあさけに をしどりの こゆかくわたる いもがつかひか
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2492
原文 念 餘者 丹穂鳥 足<沾>来 人見鴨
訓読 思ひにしあまりにしかばにほ鳥のなづさひ来しを人見けむかも
仮名 おもひにし あまりにしかば にほどりの なづさひこしを ひとみけむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2493
原文 高山 峯行完 <友>衆 袖不振来 忘念勿
訓読 高山の嶺行くししの友を多み袖振らず来ぬ忘ると思ふな
仮名 たかやまの みねゆくししの ともをおほみ そでふらずきぬ わするとおもふな
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2494
原文 大船 真楫繁拔 榜間 極太戀 年在如何
訓読 大船に真楫しじ貫き漕ぐほともここだ恋ふるを年にあらばいかに
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき こぐほとも ここだこふるを としにあらばいかに
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2495
原文 足常 母養子 眉隠 隠在妹 見依鴨
訓読 たらつねの母が養ふ蚕の繭隠り隠れる妹を見むよしもがも
仮名 たらつねの ははがかふこの まよごもり こもれるいもを みむよしもがも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2496
原文 肥人 額髪結在 染木綿 染心 我忘哉 [一云 所忘目八方]
訓読 肥人の額髪結へる染木綿の染みにし心我れ忘れめや [一云 忘らえめやも]
仮名 こまひとの ぬかがみゆへる しめゆふの しみにしこころ われわすれめや [わすらえめやも]
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2497
原文 早人 名負夜音 灼然 吾名謂 攦恃
訓読 隼人の名に負ふ夜声のいちしろく我が名は告りつ妻と頼ませ
仮名 はやひとの なにおふよごゑの いちしろく わがなはのりつ つまとたのませ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2498
原文 剱刀 諸刃利 足踏 死々 公依
訓読 剣大刀諸刃の利きに足踏みて死なば死なむよ君によりては
仮名 つるぎたち もろはのときに あしふみて しなばしなむよ きみによりては
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2499
原文 我妹 戀度 劔刀 名惜 念不得
訓読 我妹子に恋ひしわたれば剣大刀名の惜しけくも思ひかねつも
仮名 わぎもこに こひしわたれば つるぎたち なのをしけくも おもひかねつも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2500
原文 朝月 日向黄楊櫛 雖舊 何然公 見不飽
訓読 朝月の日向黄楊櫛古りぬれど何しか君が見れど飽かざらむ
仮名 あさづきの ひむかつげくし ふりぬれど なにしかきみが みれどあかざらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2501
原文 里遠 眷浦經 真鏡 床重不去 夢所見与
訓読 里遠み恋ひうらぶれぬまそ鏡床の辺去らず夢に見えこそ
仮名 さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2502
原文 真鏡 手取以 朝々 雖見君 飽事無
訓読 まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君は飽くこともなし
仮名 まそかがみ てにとりもちて あさなさな みれどもきみは あくこともなし
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2503
原文 夕去 床重不去 黄楊枕 <何>然汝 主待固
訓読 夕されば床の辺去らぬ黄楊枕何しか汝れが主待ちかたき
仮名 ゆふされば とこのへさらぬ つげまくら なにしかなれが ぬしまちかたき
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2504
原文 解衣 戀乱乍 浮沙 生吾 <有>度鴨
訓読 解き衣の恋ひ乱れつつ浮き真砂生きても我れはありわたるかも
仮名 とききぬの こひみだれつつ うきまなご いきてもわれは ありわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2505
原文 梓弓 引不許 有者 此有戀 不相
訓読 梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを
仮名 あづさゆみ ひきてゆるさず あらませば かかるこひには あはざらましを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2506
原文 事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
訓読 言霊の八十の街に夕占問ふ占まさに告る妹は相寄らむ
仮名 ことだまの やそのちまたに ゆふけとふ うらまさにのる いもはあひよらむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2507
原文 玉桙 路徃占 占相 妹逢 我謂
訓読 玉桙の道行き占に占なへば妹に逢はむと我れに告りつも
仮名 たまほこの みちゆきうらに うらなへば いもにあはむと われにのりつも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2508
原文 皇祖乃 神御門乎 懼見等 侍従時尓 相流公鴨
訓読 すめろぎの神の御門を畏みとさもらふ時に逢へる君かも
仮名 すめろぎの かみのみかどを かしこみと さもらふときに あへるきみかも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2509
原文 真祖鏡 雖見言哉 玉限 石垣淵乃 隠而在攦
訓読 まそ鏡見とも言はめや玉かぎる岩垣淵の隠りたる妻
仮名 まそかがみ みともいはめや たまかぎる いはがきふちの こもりたるつま
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2510
原文 赤駒之 足我枳速者 雲居尓毛 隠徃序 袖巻吾妹
訓読 赤駒が足掻速けば雲居にも隠り行かむぞ袖まけ我妹
仮名 あかごまが あがきはやけば くもゐにも かくりゆかむぞ そでまけわぎも
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2511
原文 隠口乃 豊泊瀬道者 常<滑>乃 恐道曽 戀由眼
訓読 こもりくの豊泊瀬道は常滑のかしこき道ぞ恋ふらくはゆめ
仮名 こもりくの とよはつせぢは とこなめの かしこきみちぞ こふらくはゆめ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2512
原文 味酒之 三毛侶乃山尓 立月之 見我欲君我 馬之<音>曽為
訓読 味酒のみもろの山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする
仮名 うまさけの みもろのやまに たつつきの みがほしきみが うまのおとぞする
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2513
原文 雷神 小動 刺雲 雨零耶 君将留
訓読 鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ
仮名 なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2514
原文 雷神 小動 雖不零 吾将留 妹留者
訓読 鳴る神の少し響みて降らずとも我は留まらむ妹し留めば
仮名 なるかみの すこしとよみて ふらずとも わはとどまらむ いもしとどめば
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2515
原文 布細布 枕動 夜不寐 思人 後相物
訓読 敷栲の枕響みて夜も寝ず思ふ人には後も逢ふものを
仮名 しきたへの まくらとよみて よるもねず おもふひとには のちもあふものを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2516
原文 敷細布 枕人 事問哉 其枕 苔生負為
訓読 敷栲の枕は人に言とへやその枕には苔生しにたり
仮名 しきたへの まくらはひとに こととへや そのまくらには こけむしにたり
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2517
原文 足千根乃 母尓障良婆 無用 伊麻思毛吾毛 事應成
訓読 たらちねの母に障らばいたづらに汝も我れも事なるべしや
仮名 たらちねの ははにさはらば いたづらに いましもあれも ことなるべしや
   
  11/2518
原文 吾妹子之 吾呼送跡 白細布乃 袂漬左右二 哭四所念
訓読 我妹子が我れを送ると白栲の袖漬つまでに泣きし思ほゆ
仮名 わぎもこが われをおくると しろたへの そでひつまでに なきしおもほゆ
   
  11/2519
原文 奥山之 真木乃板戸乎 押開 思恵也出来根 後者何将為
訓読 奥山の真木の板戸を押し開きしゑや出で来ね後は何せむ
仮名 おくやまの まきのいたとを おしひらき しゑやいでこね のちはなにせむ
   
  11/2520
原文 苅薦能 一重S敷而 紗眠友 君共宿者 冷雲梨
訓読 刈り薦の一重を敷きてさ寝れども君とし寝れば寒けくもなし
仮名 かりこもの ひとへをしきて さぬれども きみとしぬれば さむけくもなし
   
  11/2521
原文 垣幡 丹<頬>經君S 率尓 思出乍 嘆鶴鴨
訓読 かきつはた丹つらふ君をいささめに思ひ出でつつ嘆きつるかも
仮名 かきつはた につらふきみを いささめに おもひいでつつ なげきつるかも
   
  11/2522
原文 恨登 思狭名<盤> 在之者 外耳見之 心者雖念
訓読 恨めしと思ふさなはにありしかば外のみぞ見し心は思へど
仮名 うらめしと おもふさなはに ありしかば よそのみぞみし こころはおもへど
   
  11/2523
原文 散<頬>相 色者不出 小文 心中 吾念名君
訓読 さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちに我が思はなくに
仮名 さにつらふ いろにはいでず すくなくも こころのうちに わがおもはなくに
   
  11/2524
原文 吾背子尓 直相者社 名者立米 事之通尓 何其故
訓読 我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何かそこゆゑ
仮名 わがせこに ただにあはばこそ なはたため ことのかよひに なにかそこゆゑ
   
  11/2525
原文 懃 片<念>為歟 比者之 吾情利乃 生戸裳名寸
訓読 ねもころに片思ひすれかこのころの我が心どの生けるともなき
仮名 ねもころに かたもひすれか このころの あがこころどの いけるともなき
   
  11/2526
原文 将待尓 到者妹之 懽跡 咲儀乎 徃而早見
訓読 待つらむに至らば妹が嬉しみと笑まむ姿を行きて早見む
仮名 まつらむに いたらばいもが うれしみと ゑまむすがたを ゆきてはやみむ
   
  11/2527
原文 誰此乃 吾屋戸来喚 足千根乃 母尓所嘖 物思吾呼
訓読 誰れぞこの我が宿来呼ぶたらちねの母に嘖はえ物思ふ我れを
仮名 たれぞこの わがやどきよぶ たらちねの ははにころはえ ものもふわれを
   
  11/2528
原文 左不宿夜者 千夜毛有十万 我背子之 思可悔 心者不持
訓読 さ寝ぬ夜は千夜もありとも我が背子が思ひ悔ゆべき心は持たじ
仮名 さねぬよは ちよもありとも わがせこが おもひくゆべき こころはもたじ
   
  11/2529
原文 家人者 路毛四美三荷 雖<徃>来 吾待妹之 使不来鴨
訓読 家人は道もしみみに通へども我が待つ妹が使来ぬかも
仮名 いへびとは みちもしみみに かよへども わがまついもが つかひこぬかも
   
  11/2530
原文 璞之 寸戸我竹垣 編目従毛 妹志所見者 吾戀目八方
訓読 あらたまの寸戸が竹垣網目ゆも妹し見えなば我れ恋ひめやも
仮名 あらたまの きへがたけがき あみめゆも いもしみえなば あれこひめやも
   
  11/2531
原文 吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名
訓読 我が背子がその名告らじとたまきはる命は捨てつ忘れたまふな
仮名 わがせこが そのなのらじと たまきはる いのちはすてつ わすれたまふな
   
  11/2532
原文 凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居
訓読 おほならば誰が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居らむ
仮名 おほならば たがみむとかも ぬばたまの わがくろかみを なびけてをらむ
   
  11/2533
原文 面忘 何有人之 為物焉 言者為<金>津 継手志<念>者
訓読 面忘れいかなる人のするものぞ我れはしかねつ継ぎてし思へば
仮名 おもわすれ いかなるひとの するものぞ われはしかねつ つぎてしおもへば
   
  11/2534
原文 不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居
訓読 相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ
仮名 あひおもはぬ ひとのゆゑにか あらたまの としのをながく あがこひをらむ
   
  11/2535
原文 凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎
訓読 おほろかの心は思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを
仮名 おほろかの こころはおもはじ わがゆゑに ひとにこちたく いはれしものを
   
  11/2536
原文 氣緒尓 妹乎思念者 年月之 徃覧別毛 不所念鳧
訓読 息の緒に妹をし思へば年月の行くらむ別も思ほえぬかも
仮名 いきのをに いもをしおもへば としつきの ゆくらむわきも おもほえぬかも
   
  11/2537
原文 足千根乃 母尓不所知 吾持留 心<者>吉恵 君之随意
訓読 たらちねの母に知らえず我が持てる心はよしゑ君がまにまに
仮名 たらちねの ははにしらえず わがもてる こころはよしゑ きみがまにまに
   
  11/2538
原文 獨寝等 茭朽目八方 綾席 緒尓成及 君乎之将待
訓読 ひとり寝と薦朽ちめやも綾席緒になるまでに君をし待たむ
仮名 ひとりぬと こもくちめやも あやむしろ をになるまでに きみをしまたむ
   
  11/2539
原文 相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
訓読 相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちかてに
仮名 あひみては ちとせやいぬる いなをかも われやしかおもふ きみまちかてに
   
  11/2540
原文 振別之 髪乎短弥 <青>草乎 髪尓多久濫 妹乎師<僧>於母布
訓読 振分けの髪を短み青草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ
仮名 ふりわけの かみをみじかみ あをくさを かみにたくらむ いもをしぞおもふ
   
  11/2541
原文 徊俳 徃箕之里尓 妹乎置而 心空在 土者踏鞆
訓読 た廻り行箕の里に妹を置きて心空にあり地は踏めども
仮名 たもとほり ゆきみのさとに いもをおきて こころそらにあり つちはふめども
   
  11/2542
原文 若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
訓読 若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに
仮名 わかくさの にひたまくらを まきそめて よをやへだてむ にくくあらなくに
   
  11/2543
原文 吾戀之 事毛語 名草目六 君之使乎 待八金手六
訓読 我が恋ふることも語らひ慰めむ君が使を待ちやかねてむ
仮名 あがこふる こともかたらひ なぐさめむ きみがつかひを まちやかねてむ
   
  11/2544
原文 <寤>者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死
訓読 うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし
仮名 うつつには あふよしもなし いめにだに まなくみえきみ こひにしぬべし
   
  11/2545
原文 誰彼登 問者将答 為便乎無 君之使乎 還鶴鴨
訓読 誰ぞかれと問はば答へむすべをなみ君が使を帰しやりつも
仮名 たぞかれと とはばこたへむ すべをなみ きみがつかひを かへしやりつも
   
  11/2546
原文 不念丹 到者妹之 歡三跡 咲牟眉曵 所思鴨
訓読 思はぬに至らば妹が嬉しみと笑まむ眉引き思ほゆるかも
仮名 おもはぬに いたらばいもが うれしみと ゑまむまよびき おもほゆるかも
   
  11/2547
原文 如是許 将戀物衣常 不念者 妹之手本乎 不纒夜裳有寸
訓読 かくばかり恋ひむものぞと思はねば妹が手本をまかぬ夜もありき
仮名 かくばかり こひむものぞと おもはねば いもがたもとを まかぬよもありき
   
  11/2548
原文 如是谷裳 吾者戀南 玉梓之 君之使乎 待也金手武
訓読 かくだにも我れは恋ひなむ玉梓の君が使を待ちやかねてむ
仮名 かくだにも あれはこひなむ たまづさの きみがつかひを まちやかねてむ
   
  11/2549
原文 妹戀 吾哭涕 敷妙 木枕通而 袖副所沾 [或本歌<曰> 枕通而 巻者寒母]
訓読 妹に恋ひ我が泣く涙敷栲の木枕通り袖さへ濡れぬ [或本歌曰 枕通りてまけば寒しも]
仮名 いもにこひ わがなくなみた しきたへの こまくらとほり そでさへぬれぬ [まくらとほりて まけばさむしも]
   
  11/2550
原文 立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
訓読 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
仮名 たちておもひ ゐてもぞおもふ くれなゐの あかもすそびき いにしすがたを
   
  11/2551
原文 念之 餘者 為便無三 出曽行 其門乎見尓
訓読 思ひにしあまりにしかばすべをなみ出でてぞ行きしその門を見に
仮名 おもひにし あまりにしかば すべをなみ いでてぞゆきし そのかどをみに
   
  11/2552
原文 情者 千遍敷及 雖念 使乎将遣 為便之不知久
訓読 心には千重しくしくに思へども使を遣らむすべの知らなく
仮名 こころには ちへしくしくに おもへども つかひをやらむ すべのしらなく
   
  11/2553
原文 夢耳 見尚幾許 戀吾者 <寤>見者 益而如何有
訓読 夢のみに見てすらここだ恋ふる我はうつつに見てばましていかにあらむ
仮名 いめのみに みてすらここだ こふるあは うつつにみてば ましていかにあらむ
   
  11/2554
原文 對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳
訓読 相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも
仮名 あひみては おもかくさゆる ものからに つぎてみまくの ほしききみかも
   
  11/2555
原文 旦<戸>乎 速莫開 味澤相 目之乏流君 今夜来座有
訓読 朝戸を早くな開けそあぢさはふ目が欲る君が今夜来ませる
仮名 あさとを はやくなあけそ あぢさはふ めがほるきみが こよひきませる
   
  11/2556
原文 玉垂之 小簀之垂簾乎 徃褐 寐者不眠友 君者通速為
訓読 玉垂の小簾の垂簾を行きかちに寐は寝さずとも君は通はせ
仮名 たまだれの をすのたれすを ゆきかちに いはなさずとも きみはかよはせ
   
  11/2557
原文 垂乳根乃 母白者 公毛余毛 相鳥羽梨丹 <年>可經
訓読 たらちねの母に申さば君も我れも逢ふとはなしに年ぞ経ぬべき
仮名 たらちねの ははにまをさば きみもあれも あふとはなしに としぞへぬべき
   
  11/2558
原文 愛等 思篇来師 莫忘登 結之紐乃 解樂念者
訓読 愛しと思へりけらしな忘れと結びし紐の解くらく思へば
仮名 うつくしと おもへりけらし なわすれと むすびしひもの とくらくおもへば
   
  11/2559
原文 昨日見而 今日社間 吾妹兒之 幾<許>継手 見巻欲毛
訓読 昨日見て今日こそ隔て我妹子がここだく継ぎて見まくし欲しも
仮名 きのふみて けふこそへだて わぎもこが ここだくつぎて みまくしほしも
   
  11/2560
原文 人毛無 古郷尓 有人乎 愍久也君之 戀尓令死
訓読 人もなき古りにし里にある人をめぐくや君が恋に死なする
仮名 ひともなき ふりにしさとに あるひとを めぐくやきみが こひにしなする
   
  11/2561
原文 人事之 繁間守而 相十方八 反吾上尓 事之将繁
訓読 人言の繁き間守りて逢ふともやなほ我が上に言の繁けむ
仮名 ひとごとの しげきまもりて あふともや なほわがうへに ことのしげけむ
   
  11/2562
原文 里人之 言縁妻乎 荒垣之 外也吾将見 悪有名國
訓読 里人の言寄せ妻を荒垣の外にや我が見む憎くあらなくに
仮名 さとびとの ことよせづまを あらかきの よそにやわがみむ にくくあらなくに
   
  11/2563
原文 他眼守 君之随尓 余共尓 夙興乍 裳<裾>所沾
訓読 人目守る君がまにまに我れさへに早く起きつつ裳の裾濡れぬ
仮名 ひとめもる きみがまにまに われさへに はやくおきつつ ものすそぬれぬ
   
  11/2564
原文 夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武
訓読 ぬばたまの妹が黒髪今夜もか我がなき床に靡けて寝らむ
仮名 ぬばたまの いもがくろかみ こよひもか あがなきとこに なびけてぬらむ
   
  11/2565
原文 花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津
訓読 花ぐはし葦垣越しにただ一目相見し子ゆゑ千たび嘆きつ
仮名 はなぐはし あしかきごしに ただひとめ あひみしこゆゑ ちたびなげきつ
   
  11/2566
原文 色出而 戀者人見而 應知 情中之 隠妻波母
訓読 色に出でて恋ひば人見て知りぬべし心のうちの隠り妻はも
仮名 いろにいでて こひばひとみて しりぬべし こころのうちの こもりづまはも
   
  11/2567
原文 相見而<者> 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類
訓読 相見ては恋慰むと人は言へど見て後にぞも恋まさりける
仮名 あひみては こひなぐさむと ひとはいへど みてのちにぞも こひまさりける
   
  11/2568
原文 凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母
訓読 おほろかに我れし思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも
仮名 おほろかに われしおもはば かくばかり かたきみかどを まかりでめやも
   
  11/2569
原文 将念 其人有哉 烏玉之 毎夜君之 夢西所見 [或本歌<曰> 夜晝不云 吾戀渡]
訓読 思ふらむその人なれやぬばたまの夜ごとに君が夢にし見ゆる [或本歌曰 夜昼と言はずあが恋ひわたる]
仮名 おもふらむ そのひとなれや ぬばたまの よごとにきみが いめにしみゆる [よるひるといはず あがこひわたる]
   
  11/2570
原文 如是耳 戀者可死 足乳根之 母毛告都 不止通為
訓読 かくのみし恋ひば死ぬべみたらちねの母にも告げずやまず通はせ
仮名 かくのみし こひばしぬべみ たらちねの ははにもつげず やまずかよはせ
   
  11/2571
原文 大夫波 友之驂尓 名草溢 心毛将有 我衣苦寸
訓読 大夫は友の騒きに慰もる心もあらむ我れぞ苦しき
仮名 ますらをは とものさわきに なぐさもる こころもあらむ われぞくるしき
   
  11/2572
原文 偽毛 似付曽為 何時従鹿 不見人戀尓 人之死為
訓読 偽りも似つきてぞするいつよりか見ぬ人恋ふに人の死せし
仮名 いつはりも につきてぞする いつよりか みぬひとごひに ひとのしにせし
   
  11/2573
原文 情左倍 奉有君尓 何物乎鴨 不云言此跡 吾将竊食
訓読 心さへ奉れる君に何をかも言はず言ひしと我がぬすまはむ
仮名 こころさへ まつれるきみに なにをかも いはずいひしと わがぬすまはむ
   
  11/2574
原文 面忘 太尓毛得為也登 手握而 雖打不寒 戀<云>奴
訓読 面忘れだにもえすやと手握りて打てども懲りず恋といふ奴
仮名 おもわすれ だにもえすやと たにぎりて うてどもこりず こひといふやつこ
   
  11/2575
原文 希将見 君乎見常衣 左手之 執弓方之 眉根掻礼
訓読 めづらしき君を見むとこそ左手の弓取る方の眉根掻きつれ
仮名 めづらしき きみをみむとこそ ひだりての ゆみとるかたの まよねかきつれ
   
  11/2576
原文 人間守 蘆垣越尓 吾妹子乎 相見之柄二 事曽左太多寸
訓読 人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き
仮名 ひとまもり あしかきごしに わぎもこを あひみしからに ことぞさだおほき
   
  11/2577
原文 今谷毛 目莫令乏 不相見而 将戀<年>月 久家真國
訓読 今だにも目な乏しめそ相見ずて恋ひむ年月久しけまくに
仮名 いまだにも めなともしめそ あひみずて こひむとしつき ひさしけまくに
   
  11/2578
原文 朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾
訓読 朝寝髪我れは梳らじうるはしき君が手枕触れてしものを
仮名 あさねがみ われはけづらじ うるはしき きみがたまくら ふれてしものを
   
  11/2579
原文 早去而 何時君乎 相見等 念之情 今曽水葱少熱
訓読 早行きていつしか君を相見むと思ひし心今ぞなぎぬる
仮名 はやゆきて いつしかきみを あひみむと おもひしこころ いまぞなぎぬる
   
  11/2580
原文 面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居
訓読 面形の忘るとあらばあづきなく男じものや恋ひつつ居らむ
仮名 おもかたの わするとあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ
   
  11/2581
原文 言云者 三々二田八酢四 小九毛 心中二 我念羽奈九二
訓読 言に言へば耳にたやすし少なくも心のうちに我が思はなくに
仮名 ことにいへば みみにたやすし すくなくも こころのうちに わがもはなくに
   
  11/2582
原文 小豆奈九 何<狂>言 今更 小童言為流 老人二四手
訓読 あづきなく何のたはこと今さらに童言する老人にして
仮名 あづきなく なにのたはこと いまさらに わらはごとする おいひとにして
   
  11/2583
原文 相見而 幾久毛 不有尓 如<年>月 所思可聞
訓読 相見ては幾久さにもあらなくに年月のごと思ほゆるかも
仮名 あひみては いくびささにも あらなくに としつきのごと おもほゆるかも
   
  11/2584
原文 大夫登 念有吾乎 如是許 令戀波 小可者在来
訓読 ますらをと思へる我れをかくばかり恋せしむるは悪しくはありけり
仮名 ますらをと おもへるわれを かくばかり こひせしむるは あしくはありけり
   
  11/2585
原文 如是為乍 吾待印 有鴨 世人皆乃 常不在國
訓読 かくしつつ我が待つ験あらぬかも世の人皆の常にあらなくに
仮名 かくしつつ わがまつしるし あらぬかも よのひとみなの つねにあらなくに
   
  11/2586
原文 人事 茂君 玉梓之 使不遣 忘跡思名
訓読 人言を繁みと君に玉梓の使も遣らず忘ると思ふな
仮名 ひとごとを しげみときみに たまづさの つかひもやらず わするとおもふな
   
  11/2587
原文 大原 <古>郷 妹置 吾稲金津 夢所見乞
訓読 大原の古りにし里に妹を置きて我れ寐ねかねつ夢に見えこそ
仮名 おほはらの ふりにしさとに いもをおきて われいねかねつ いめにみえこそ
   
  11/2588
原文 夕去者 公来座跡 待夜之 名凝衣今 宿不勝為
訓読 夕されば君来まさむと待ちし夜のなごりぞ今も寐ねかてにする
仮名 ゆふされば きみきまさむと まちしよの なごりぞいまも いねかてにする
   
  11/2589
原文 不相思 公者在良思 黒玉 夢不見 受旱宿跡
訓読 相思はず君はあるらしぬばたまの夢にも見えずうけひて寝れど
仮名 あひおもはず きみはあるらし ぬばたまの いめにもみえず うけひてぬれど
   
  11/2590
原文 石根踏 夜道不行 念跡 妹依者 忍金津毛
訓読 岩根踏み夜道は行かじと思へれど妹によりては忍びかねつも
仮名 いはねふみ よみちはゆかじと おもへれど いもによりては しのびかねつも
   
  11/2591
原文 人事 茂間守跡 不相在 終八子等 面忘南
訓読 人言の繁き間守ると逢はずあらばつひにや子らが面忘れなむ
仮名 ひとごとの しげきまもると あはずあらば つひにやこらが おもわすれなむ
   
  11/2592
原文 戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼
訓読 恋死なむ後は何せむ我が命生ける日にこそ見まく欲りすれ
仮名 こひしなむ のちはなにせむ わがいのち いけるひにこそ みまくほりすれ
   
  11/2593
原文 敷細 枕動而 宿不所寝 物念此夕 急明鴨
訓読 敷栲の枕響みて寐ねらえず物思ふ今夜早も明けぬかも
仮名 しきたへの まくらとよみて いねらえず ものもふこよひ はやもあけぬかも
   
  11/2594
原文 不徃吾 来跡可夜 門不閇 褁怜吾妹子 待筒在
訓読 行かぬ我れを来むとか夜も門閉さずあはれ我妹子待ちつつあるらむ
仮名 ゆかぬわれを こむとかよるも かどささず あはれわぎもこ まちつつあるらむ
   
  11/2595
原文 夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓
訓読 夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我れかも惑ふ恋の繁きに
仮名 いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかもまとふ こひのしげきに
   
  11/2596
原文 名草漏 心莫二 如是耳 戀也度 月日殊 [或本歌<曰> 奥津浪 敷而耳八方 戀度奈牟]
訓読 慰もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日に異に [或本歌曰 沖つ波しきてのみやも恋ひわたりなむ]
仮名 なぐさもる こころはなしに かくのみし こひやわたらむ つきにひにけに [おきつなみ しきてのみやも こひわたりなむ]
   
  11/2597
原文 何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二
訓読 いかにして忘れむものぞ我妹子に恋はまされど忘らえなくに
仮名 いかにして わすれむものぞ わぎもこに こひはまされど わすらえなくに
   
  11/2598
原文 遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方
訓読 遠くあれど君にぞ恋ふる玉桙の里人皆に我れ恋ひめやも
仮名 とほくあれど きみにぞこふる たまほこの さとひとみなに あれこひめやも
   
  11/2599
原文 驗無 戀毛為<鹿> <暮>去者 人之手枕而 将寐兒故
訓読 験なき恋をもするか夕されば人の手まきて寝らむ子ゆゑに
仮名 しるしなき こひをもするか ゆふされば ひとのてまきて ぬらむこゆゑに
   
  11/2600
原文 百世下 千代下生 有目八方 吾念妹乎 置嘆
訓読 百代しも千代しも生きてあらめやも我が思ふ妹を置きて嘆かむ
仮名 ももよしも ちよしもいきて あらめやも あがおもふいもを おきてなげかむ
   
  11/2601
原文 現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽
訓読 うつつにも夢にも我れは思はずき古りたる君にここに逢はむとは
仮名 うつつにも いめにもわれは おもはずき ふりたるきみに ここにあはむとは
   
  11/2602
原文 黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方
訓読 黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも
仮名 くろかみの しらかみまでと むすびてし こころひとつを いまとかめやも
   
  11/2603
原文 心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有
訓読 心をし君に奉ると思へればよしこのころは恋ひつつをあらむ
仮名 こころをし きみにまつると おもへれば よしこのころは こひつつをあらむ
   
  11/2604
原文 念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹
訓読 思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
仮名 おもひいでて ねにはなくとも いちしろく ひとのしるべく なげかすなゆめ
   
  11/2605
原文 玉桙之 道去夫利尓 不思 妹乎相見而 戀比鴨
訓読 玉桙の道行きぶりに思はぬに妹を相見て恋ふるころかも
仮名 たまほこの みちゆきぶりに おもはぬに いもをあひみて こふるころかも
   
  11/2606
原文 人目多 常如是耳志 候者 何時 吾不戀将有
訓読 人目多み常かくのみしさもらはばいづれの時か我が恋ひずあらむ
仮名 ひとめおほみ つねかくのみし さもらはば いづれのときか あがこひずあらむ
   
  11/2607
原文 敷細之 衣手可礼天 吾乎待登 在<濫>子等者 面影尓見
訓読 敷栲の衣手離れて我を待つとあるらむ子らは面影に見ゆ
仮名 しきたへの ころもでかれて わをまつと あるらむこらは おもかげにみゆ
   
  11/2608
原文 妹之袖 別之日従 白細乃 衣片敷 戀管曽寐留
訓読 妹が袖別れし日より白栲の衣片敷き恋ひつつぞ寝る
仮名 いもがそで わかれしひより しろたへの ころもかたしき こひつつぞぬる
   
  11/2609
原文 白細之 袖者間結奴 我妹子我 家當乎 不止振四二
訓読 白栲の袖はまゆひぬ我妹子が家のあたりをやまず振りしに
仮名 しろたへの そではまゆひぬ わぎもこが いへのあたりを やまずふりしに
   
  11/2610
原文 夜干玉之 吾黒髪乎 引奴良思 乱而反 戀度鴨
訓読 ぬばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてさらに恋ひわたるかも
仮名 ぬばたまの わがくろかみを ひきぬらし みだれてさらに こひわたるかも
   
  11/2611
原文 今更 君之手枕 巻宿米也 吾紐緒乃 解都追本名
訓読 今さらに君が手枕まき寝めや我が紐の緒の解けつつもとな
仮名 いまさらに きみがたまくら まきぬめや わがひものをの とけつつもとな
   
  11/2612
原文 白細布<乃> 袖觸而夜 吾背子尓 吾戀落波 止時裳無
訓読 白栲の袖触れてし夜我が背子に我が恋ふらくはやむ時もなし
仮名 しろたへの そでふれてしよ わがせこに あがこふらくは やむときもなし
   
  11/2613
原文 夕卜尓毛 占尓毛告有 今夜谷 不来君乎 何時将待
訓読 夕占にも占にも告れる今夜だに来まさぬ君をいつとか待たむ
仮名 ゆふけにも うらにものれる こよひだに きまさぬきみを いつとかまたむ
   
  11/2614
原文 眉根掻 下言借見 思有尓 去家人乎 相見鶴鴨
訓読 眉根掻き下いふかしみ思へるにいにしへ人を相見つるかも
仮名 まよねかき したいふかしみ おもへるに いにしへひとを あひみつるかも
   
  11/2614S1
原文 眉根掻 誰乎香将見跡 思乍 氣長戀之 妹尓相鴨
訓読 眉根掻き誰をか見むと思ひつつ日長く恋ひし妹に逢へるかも
仮名 まよねかき たれをかみむと おもひつつ けながくこひし いもにあへるかも
   
  11/2614S2
原文 眉根掻 下伊布可之美 念有之 妹之容儀乎 今日見都流香裳
訓読 眉根掻き下いふかしみ思へりし妹が姿を今日見つるかも
仮名 まよねかき したいふかしみ おもへりし いもがすがたを けふみつるかも
   
  11/2615
原文 敷栲乃 枕巻而 妹与吾 寐夜者無而 <年>曽經来
訓読 敷栲の枕をまきて妹と我れと寝る夜はなくて年ぞ経にける
仮名 しきたへの まくらをまきて いもとあれと ぬるよはなくて としぞへにける
   
  11/2616
原文 奥山之 真木<乃>板戸乎 音速見 妹之當乃 <霜>上尓宿奴
訓読 奥山の真木の板戸を音早み妹があたりの霜の上に寝ぬ
仮名 おくやまの まきのいたとを おとはやみ いもがあたりの しものうへにねぬ
   
  11/2617
原文 足日木能 山櫻戸乎 開置而 吾待君乎 誰留流
訓読 あしひきの山桜戸を開け置きて我が待つ君を誰れか留むる
仮名 あしひきの やまさくらとを あけおきて わがまつきみを たれかとどむる
   
  11/2618
原文 月夜好三 妹二相跡 直道柄 吾者雖来 夜其深去来
訓読 月夜よみ妹に逢はむと直道から我れは来つれど夜ぞ更けにける
仮名 つくよよみ いもにあはむと ただちから われはきつれど よぞふけにける
   
  11/2619
原文 朝影尓 吾身者成 辛衣 襴之不相而 久成者
訓読 朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば
仮名 あさかげに あがみはなりぬ からころも すそのあはずて ひさしくなれば
   
  11/2620
原文 解衣之 思乱而 雖戀 何如汝之故跡 問人毛無
訓読 解き衣の思ひ乱れて恋ふれどもなぞ汝がゆゑと問ふ人もなき
仮名 とききぬの おもひみだれて こふれども なぞながゆゑと とふひともなき
   
  11/2621
原文 摺衣 著有跡夢見津 <寤>者 孰人之 言可将繁
訓読 摺り衣着りと夢に見つうつつにはいづれの人の言か繁けむ
仮名 すりころも けりといめにみつ うつつには いづれのひとの ことかしげけむ
   
  11/2622
原文 志賀乃白水<郎>之 塩焼衣 雖穢 戀云物者 忘金津毛
訓読 志賀の海人の塩焼き衣なれぬれど恋といふものは忘れかねつも
仮名 しかのあまの しほやきころも なれぬれど こひといふものは わすれかねつも
   
  11/2623
原文 呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳
訓読 紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも
仮名 くれなゐの やしほのころも あさなさな なれはすれども いやめづらしも
   
  11/2624
原文 紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴
訓読 紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
仮名 くれなゐの こそめのころも いろふかく しみにしかばか わすれかねつる
   
  11/2625
原文 不相尓 夕卜乎問常 幣尓置尓 吾衣手者 又曽可續
訓読 逢はなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたぞ継ぐべき
仮名 あはなくに ゆふけをとふと ぬさにおくに わがころもでは またぞつぐべき
   
  11/2626
原文 古衣 打棄人者 秋風之 立来時尓 物念物其
訓読 古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ
仮名 ふるころも うつつるひとは あきかぜの たちくるときに ものもふものぞ
   
  11/2627
原文 波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解
訓読 はねかづら今する妹がうら若み笑みみ怒りみ付けし紐解く
仮名 はねかづら いまするいもが うらわかみ ゑみみいかりみ つけしひもとく
   
  11/2628
原文 去家之 倭文旗帶乎 結垂 孰云人毛 君者不益
訓読 いにしへの倭文機帯を結び垂れ誰れといふ人も君にはまさじ
仮名 いにしへの しつはたおびを むすびたれ たれといふひとも きみにはまさじ
   
  11/2628左
原文 古之 狭織之帶乎 結垂 誰之能人毛 君尓波不益
訓読 いにしへの狭織の帯を結び垂れ誰れしの人も君にはまさじ
仮名 いにしへの さおりのおびを むすびたれ たれしのひとも きみにはまさじ
   
  11/2629
原文 不相友 吾波不怨 此枕 吾等念而 枕手左宿座
訓読 逢はずとも我れは恨みじこの枕我れと思ひてまきてさ寝ませ
仮名 あはずとも われはうらみじ このまくら われとおもひて まきてさねませ
   
  11/2630
原文 結紐 解日遠 敷細 吾木枕 蘿生来
訓読 結へる紐解かむ日遠み敷栲の我が木枕は苔生しにけり
仮名 ゆへるひも とかむひとほみ しきたへの わがこまくらは こけむしにけり
   
  11/2631
原文 夜干玉之 黒髪色天 長夜S 手枕之上尓 妹待覧蚊
訓読 ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか
仮名 ぬばたまの くろかみしきて ながきよを たまくらのうへに いもまつらむか
   
  11/2632
原文 真素鏡 直二四妹乎 不相見者 我戀不止 年者雖經
訓読 まそ鏡直にし妹を相見ずは我が恋やまじ年は経ぬとも
仮名 まそかがみ ただにしいもを あひみずは あがこひやまじ としはへぬとも
   
  11/2633
原文 真十鏡 手取持手 朝旦 将見時禁屋 戀之将繁
訓読 まそ鏡手に取り持ちて朝な朝な見む時さへや恋の繁けむ
仮名 まそかがみ てにとりもちて あさなさな みむときさへや こひのしげけむ
   
  11/2634
原文 里遠 戀和備尓家里 真十鏡 面影不去 夢所見社
訓読 里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ
仮名 さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ
  柿本人麻呂
   
  11/2635
原文 剱刀 身尓佩副流 大夫也 戀云物乎 忍金手武
訓読 剣大刀身に佩き添ふる大夫や恋といふものを忍びかねてむ
仮名 つるぎたち みにはきそふる ますらをや こひといふものを しのびかねてむ
   
  11/2636
原文 剱刀 諸刃之於荷 去觸而 所g鴨将死 戀管不有者
訓読 剣大刀諸刃の上に行き触れて死にかもしなむ恋ひつつあらずは
仮名 つるぎたち もろはのうへに ゆきふれて しにかもしなむ こひつつあらずは
   
  11/2637
原文 <ら> 鼻乎曽嚏鶴 劔刀 身副妹之 思来下
訓読 うち鼻ひ鼻をぞひつる剣大刀身に添ふ妹し思ひけらしも
仮名 うちはなひ はなをぞひつる つるぎたち みにそふいもし おもひけらしも
   
  11/2638
原文 梓弓 末之腹野尓 鷹田為 君之弓食之 将絶跡念甕屋
訓読 梓弓末のはら野に鳥狩する君が弓弦の絶えむと思へや
仮名 あづさゆみ すゑのはらのに とがりする きみがゆづるの たえむとおもへや
   
  11/2639
原文 葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛 憑也君之 吾之名告兼
訓読 葛城の襲津彦真弓新木にも頼めや君が我が名告りけむ
仮名 かづらきの そつびこまゆみ あらきにも たのめやきみが わがなのりけむ
   
  11/2640
原文 梓弓 引見<弛>見 不来者<不来> 来者<来其>乎奈何 不来者来者其乎
訓読 梓弓引きみ緩へみ来ずは来ず来ば来そをなぞ来ずは来ばそを
仮名 あづさゆみ ひきみゆるへみ こずはこず こばこそをなぞ こずはこばそを
   
  11/2641
原文 時守之 打鳴鼓 數見者 辰尓波成 不相毛恠
訓読 時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし
仮名 ときもりの うちなすつづみ よみみれば ときにはなりぬ あはなくもあやし
   
  11/2642
原文 燈之 陰尓蚊蛾欲布 虚蝉之 妹蛾咲状思 面影尓所見
訓読 燈火の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ
仮名 ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがゑまひし おもかげにみゆ
   
  11/2643
原文 玉戈之 道行疲 伊奈武思侶 敷而毛君乎 将見因<母>鴨
訓読 玉桙の道行き疲れ稲席しきても君を見むよしもがも
仮名 たまほこの みちゆきつかれ いなむしろ しきてもきみを みむよしもがも
   
  11/2644
原文 小墾田之 板田乃橋之 壊者 従桁将去 莫戀吾妹
訓読 小治田の板田の橋の壊れなば桁より行かむな恋ひそ我妹
仮名 をはりだの いただのはしの こほれなば けたよりゆかむ なこひそわぎも
   
  11/2645
原文 宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀<渡>可聞
訓読 宮材引く泉の杣に立つ民のやむ時もなく恋ひわたるかも
仮名 みやぎひく いづみのそまに たつたみの やむときもなく こひわたるかも
   
  11/2646
原文 住吉乃 津守網引之 浮笶緒乃 得干蚊将去 戀管不有者
訓読 住吉の津守網引のうけの緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは
仮名 すみのえの つもりあびきの うけのをの うかれかゆかむ こひつつあらずは
   
  11/2647
原文 東細布 従空延越 遠見社 目言踈良米 絶跡間也
訓読 手作りを空ゆ引き越し遠みこそ目言離るらめ絶ゆと隔てや
仮名 てづくりを そらゆひきこし とほみこそ めことかるらめ たゆとへだてや
   
  11/2648
原文 云<々> 物者不念 斐太人乃 打墨縄之 直一道二
訓読 かにかくに物は思はじ飛騨人の打つ墨縄のただ一道に
仮名 かにかくに ものはおもはじ ひだひとの うつすみなはの ただひとみちに
   
  11/2649
原文 足日木之 山田守翁 置蚊火之 <下>粉枯耳 余戀居久
訓読 あしひきの山田守る翁が置く鹿火の下焦れのみ我が恋ひ居らむ
仮名 あしひきの やまたもるをぢが おくかひの したこがれのみ あがこひをらむ
   
  11/2650
原文 十寸板持 盖流板目乃 不<合>相者 如何為跡可 吾宿始兼
訓読 そき板もち葺ける板目のあはざらばいかにせむとか我が寝そめけむ
仮名 そきいたもち ふけるいための あはざらば いかにせむとか わがねそめけむ
   
  11/2651
原文 難波人 葦火燎屋之 酢<四>手雖有 己妻許増 常目頬次吉
訓読 難波人葦火焚く屋の煤してあれどおのが妻こそ常めづらしき
仮名 なにはひと あしひたくやの すしてあれど おのがつまこそ つねめづらしき
   
  11/2652
原文 妹之髪 上小竹葉野之 放駒 蕩去家良思 不合思者
訓読 妹が髪上げ竹葉野の放れ駒荒びにけらし逢はなく思へば
仮名 いもがかみ あげたかはのの はなれごま あらびにけらし あはなくおもへば
   
  11/2653
原文 馬音之 跡杼登毛為者 松蔭尓 出曽見鶴 若君香跡
訓読 馬の音のとどともすれば松蔭に出でてぞ見つるけだし君かと
仮名 うまのおとの とどともすれば まつかげに いでてぞみつる けだしきみかと
   
  11/2654
原文 君戀 寝不宿朝明 誰乗流 馬足音 吾聞為
訓読 君に恋ひ寐ねぬ朝明に誰が乗れる馬の足の音ぞ我れに聞かする
仮名 きみにこひ いねぬあさけに たがのれる うまのあのおとぞ われにきかする
   
  11/2655
原文 紅之 襴引道乎 中置而 妾哉将通 公哉将来座 [一云 須蘇衝河乎 又曰 待香将待]
訓読 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ [一云 裾漬く川を 又曰 待ちにか待たむ]
仮名 くれなゐの すそびくみちを なかにおきて われかかよはむ きみかきまさむ [すそつくかはを まちにかまたむ]
   
  11/2656
原文 天飛也 軽乃社之 齋槻 幾世及将有 隠嬬其毛
訓読 天飛ぶや軽の社の斎ひ槻幾代まであらむ隠り妻ぞも
仮名 あまとぶや かるのやしろの いはひつき いくよまであらむ こもりづまぞも
   
  11/2657
原文 神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物
訓読 神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの
仮名 かむなびに ひもろきたてて いはへども ひとのこころは まもりあへぬもの
   
  11/2658
原文 天雲之 八重雲隠 鳴神之 音<耳尓>八方 聞度南
訓読 天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ
仮名 あまくもの やへくもがくり なるかみの おとのみにやも ききわたりなむ
   
  11/2659
原文 争者 神毛悪為 縦咲八師 世副流君之 悪有莫君尓
訓読 争へば神も憎ますよしゑやしよそふる君が憎くあらなくに
仮名 あらそへば かみもにくます よしゑやし よそふるきみが にくくあらなくに
   
  11/2660
原文 夜並而 君乎来座跡 千石破 神社乎 不祈日者無
訓読 夜並べて君を来ませとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
仮名 よならべて きみをきませと ちはやぶる かみのやしろを のまぬひはなし
   
  11/2661
原文 霊治波布 神毛吾者 打棄乞 四恵也壽之 恡無
訓読 霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし
仮名 たまぢはふ かみもわれをば うつてこそ しゑやいのちの をしけくもなし
   
  11/2662
原文 吾妹兒 又毛相等 千羽八振 神社乎 不祷日者無
訓読 我妹子にまたも逢はむとちはやぶる神の社を祷まぬ日はなし
仮名 わぎもこに またもあはむと ちはやぶる かみのやしろを のまぬひはなし
   
  11/2663
原文 千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無
訓読 ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
仮名 ちはやぶる かみのいかきも こえぬべし いまはわがなの をしけくもなし
   
  11/2664
原文 暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝乎念金丹
訓読 夕月夜暁闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねに
仮名 ゆふづくよ あかときやみの あさかげに あがみはなりぬ なをおもひかねに
   
  11/2665
原文 月之有者 明覧別裳 不知而 寐吾来乎 人見兼鴨
訓読 月しあれば明くらむ別も知らずして寝て我が来しを人見けむかも
仮名 つきしあれば あくらむわきも しらずして ねてわがこしを ひとみけむかも
   
  11/2666
原文 妹目之 見巻欲家口 <夕>闇之 木葉隠有 月待如
訓読 妹が目の見まく欲しけく夕闇の木の葉隠れる月待つごとし
仮名 いもがめの みまくほしけく ゆふやみの このはごもれる つきまつごとし
   
  11/2667
原文 真袖持 床打拂 君待跡 居之間尓 月傾
訓読 真袖持ち床うち掃ひ君待つと居りし間に月かたぶきぬ
仮名 まそでもち とこうちはらひ きみまつと をりしあひだに つきかたぶきぬ
   
  11/2668
原文 二上尓 隠經月之 雖惜 妹之田本乎 加流類比来
訓読 二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ
仮名 ふたかみに かくらふつきの をしけども いもがたもとを かるるこのころ
   
  11/2669
原文 吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引
訓読 我が背子が振り放け見つつ嘆くらむ清き月夜に雲なたなびき
仮名 わがせこが ふりさけみつつ なげくらむ きよきつくよに くもなたなびき
   
  11/2670
原文 真素鏡 清月夜之 湯<徙>去者 念者不止 戀社益
訓読 まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ
仮名 まそかがみ きよきつくよの ゆつりなば おもひはやまず こひこそまさめ
   
  11/2671
原文 今夜之 在開月夜 在乍文 公S置者 待人無
訓読 今夜の有明月夜ありつつも君をおきては待つ人もなし
仮名 こよひの ありあけつくよ ありつつも きみをおきては まつひともなし
   
  11/2672
原文 此山之 嶺尓近跡 吾見鶴 月之空有 戀毛為鴨
訓読 この山の嶺に近しと我が見つる月の空なる恋もするかも
仮名 このやまの みねにちかしと わがみつる つきのそらなる こひもするかも
   
  11/2673
原文 烏玉乃 夜渡月之 湯移去者 更哉妹尓 吾戀将居
訓読 ぬばたまの夜渡る月のゆつりなばさらにや妹に我が恋ひ居らむ
仮名 ぬばたまの よわたるつきの ゆつりなば さらにやいもに あがこひをらむ
   
  11/2674
原文 朽網山 夕居雲 薄徃者 余者将戀名 公之目乎欲
訓読 朽網山夕居る雲の薄れゆかば我れは恋ひむな君が目を欲り
仮名 くたみやま ゆふゐるくもの うすれゆかば あれはこひむな きみがめをほり
   
  11/2675
原文 君之服 三笠之山尓 居雲乃 立者継流 戀為鴨
訓読 君が着る御笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも
仮名 きみがきる みかさのやまに ゐるくもの たてばつがるる こひもするかも
   
  11/2676
原文 久堅之 天飛雲尓 在而然 君相見 落日莫死
訓読 ひさかたの天飛ぶ雲にありてしか君をば相見むおつる日なしに
仮名 ひさかたの あまとぶくもに ありてしか きみをばあひみむ おつるひなしに
   
  11/2677
原文 佐保乃内従 下風之 吹礼波 還者胡粉 歎夜衣大寸
訓読 佐保の内ゆあらしの風の吹きぬれば帰りは知らに嘆く夜ぞ多き
仮名 さほのうちゆ あらしのかぜの ふきぬれば かへりはしらに なげくよぞおほき
   
  11/2678
原文 級子八師 不吹風故 玉匣 開而左宿之 吾其悔寸
訓読 はしきやし吹かぬ風ゆゑ玉櫛笥開けてさ寝にし我れぞ悔しき
仮名 はしきやし ふかぬかぜゆゑ たまくしげ あけてさねにし あれぞくやしき
   
  11/2679
原文 窓超尓 月臨照而 足桧乃 下風吹夜者 公乎之其念
訓読 窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしぞ思ふ
仮名 まどごしに つきおしてりて あしひきの あらしふくよは きみをしぞおもふ
   
  11/2680
原文 河千鳥 住澤上尓 立霧之 市白兼名 相言始而言
訓読 川千鳥棲む沢の上に立つ霧のいちしろけむな相言ひそめてば
仮名 かはちどり すむさはのうへに たつきりの いちしろけむな あひいひそめてば
   
  11/2681
原文 吾背子之 使乎待跡 笠毛不著 出乍其見之 雨落久尓
訓読 我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
仮名 わがせこが つかひをまつと かさもきず いでつつぞみし あめのふらくに
   
  11/2682
原文 辛衣 君尓内<著> 欲見 戀其晩師之 雨零日乎
訓読 韓衣君にうち着せ見まく欲り恋ひぞ暮らしし雨の降る日を
仮名 からころも きみにうちきせ みまくほり こひぞくらしし あめのふるひを
   
  11/2683
原文 彼方之 赤土少屋尓 W<霂>零 床共所沾 於身副我妹
訓読 彼方の埴生の小屋に小雨降り床さへ濡れぬ身に添へ我妹
仮名 をちかたの はにふのをやに こさめふり とこさへぬれぬ みにそへわぎも
   
  11/2684
原文 笠無登 人尓者言<手> 雨乍見 留之君我 容儀志所念
訓読 笠なしと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ
仮名 かさなしと ひとにはいひて あまつつみ とまりしきみが すがたしおもほゆ
   
  11/2685
原文 妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為
訓読 妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
仮名 いもがかど ゆきすぎかねつ ひさかたの あめもふらぬか そをよしにせむ
   
  11/2686
原文 夜占問 吾袖尓置 <白>露乎 於公令視跡 取者<消>管
訓読 夕占問ふ我が袖に置く白露を君に見せむと取れば消につつ
仮名 ゆふけとふ わがそでにおく しらつゆを きみにみせむと とればけにつつ
   
  11/2687
原文 櫻麻乃 苧原之下草 露有者 令明而射去 母者雖知
訓読 桜麻の麻生の下草露しあれば明かしてい行け母は知るとも
仮名 さくらをの をふのしたくさ つゆしあれば あかしていゆけ はははしるとも
   
  11/2688
原文 待不得而 内者不入 白細布之 吾袖尓 露者置奴鞆
訓読 待ちかねて内には入らじ白栲の我が衣手に露は置きぬとも
仮名 まちかねて うちにはいらじ しろたへの わがころもでに つゆはおきぬとも
   
  11/2689
原文 朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待
訓読 朝露の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
仮名 あさつゆの けやすきあがみ おいぬとも またをちかへり きみをしまたむ
   
  11/2690
原文 白細布乃 吾袖尓 露者置 妹者不相 猶<豫>四手
訓読 白栲の我が衣手に露は置き妹は逢はさずたゆたひにして
仮名 しろたへの わがころもでに つゆはおき いもはあはさず たゆたひにして
   
  11/2691
原文 云<々> 物者不念 朝露之 吾身一者 君之随意
訓読 かにかくに物は思はじ朝露の我が身ひとつは君がまにまに
仮名 かにかくに ものはおもはじ あさつゆの あがみひとつは きみがまにまに
   
  11/2692
原文 夕凝 霜置来 朝戸出<尓> 甚踐而 人尓所知名
訓読 夕凝りの霜置きにけり朝戸出にいたくし踏みて人に知らゆな
仮名 ゆふこりの しもおきにけり あさとでに いたくしふみて ひとにしらゆな
   
  11/2693
原文 如是許 戀乍不有者 朝尓日尓 妹之将履 地尓有申尾
訓読 かくばかり恋ひつつあらずは朝に日に妹が踏むらむ地にあらましを
仮名 かくばかり こひつつあらずは あさにけに いもがふむらむ つちにあらましを
   
  11/2694
原文 足日木之 山鳥尾乃 一峰越 一目見之兒尓 應戀鬼香
訓読 あしひきの山鳥の尾の一峰越え一目見し子に恋ふべきものか
仮名 あしひきの やまどりのをの ひとをこえ ひとめみしこに こふべきものか
   
  11/2695
原文 吾妹子尓 相縁乎無 駿河有 不盡乃高嶺之 焼管香将有
訓読 我妹子に逢ふよしをなみ駿河なる富士の高嶺の燃えつつかあらむ
仮名 わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ
   
  11/2696
原文 荒熊之 住云山之 師齒迫山 責而雖問 汝名者不告
訓読 荒熊のすむといふ山の師歯迫山責めて問ふとも汝が名は告らじ
仮名 あらぐまの すむといふやまの しはせやま せめてとふとも ながなはのらじ
   
  11/2697
原文 妹之名毛 吾名毛立者 惜社 布仕能高嶺之 燎乍渡
訓読 妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ
仮名 いもがなも わがなもたたば をしみこそ ふじのたかねの もえつつわたれ
   
  11/2697左
原文 君名毛 妾名毛立者 惜己曽 不盡乃高山之 燎乍毛居
訓読 君が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつも居れ
仮名 きみがなも わがなもたたば をしみこそ ふじのたかねの もえつつもをれ
   
  11/2698
原文 徃而見而 来戀敷 朝香方 山越置代 宿不勝鴨
訓読 行きて見て来れば恋ほしき朝香潟山越しに置きて寐ねかてぬかも
仮名 ゆきてみて くればこほしき あさかがた やまごしにおきて いねかてぬかも
   
  11/2699
原文 安太人<乃> 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨
訓読 阿太人の梁打ち渡す瀬を早み心は思へど直に逢はぬかも
仮名 あだひとの やなうちわたす せをはやみ こころはおもへど ただにあはぬかも
   
  11/2700
原文 玉蜻 石垣淵之 隠庭 伏<雖>死 汝名羽不謂
訓読 玉かぎる岩垣淵の隠りには伏して死ぬとも汝が名は告らじ
仮名 たまかぎる いはかきふちの こもりには ふしてしぬとも ながなはのらじ
   
  11/2701
原文 明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
訓読 明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも
仮名 あすかがは あすもわたらむ いしはしの とほきこころは おもほえぬかも
   
  11/2702
原文 飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝<申><自>
訓読 明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ
仮名 あすかがは みづゆきまさり いやひけに こひのまさらば ありかつましじ
   
  11/2703
原文 真薦苅 大野川原之 水隠 戀来之妹之 紐解吾者
訓読 ま薦刈る大野川原の水隠りに恋ひ来し妹が紐解く我れは
仮名 まこもかる おほのがはらの みごもりに こひこしいもが ひもとくわれは
   
  11/2704
原文 悪氷木<乃> 山下動 逝水之 時友無雲 戀度鴨
訓読 あしひきの山下響み行く水の時ともなくも恋ひわたるかも
仮名 あしひきの やましたとよみ ゆくみづの ときともなくも こひわたるかも
   
  11/2705
原文 愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳<沾>津
訓読 はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ
仮名 はしきやし あはぬきみゆゑ いたづらに このかはのせに たまもぬらしつ
   
  11/2706
原文 泊湍<川> 速見早湍乎 結上而 不飽八妹登 問師公羽裳
訓読 泊瀬川早み早瀬をむすび上げて飽かずや妹と問ひし君はも
仮名 はつせがは はやみはやせを むすびあげて あかずやいもと とひしきみはも
   
  11/2707
原文 青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉<将>度 相縁乎無
訓読 青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
仮名 あをやまの いはかきぬまの みごもりに こひやわたらむ あふよしをなみ
   
  11/2708
原文 四長鳥 居名山響尓 行水乃 名耳所縁之 内妻波母 [一云 名<耳>所縁而 戀管哉将在]
訓読 しなが鳥猪名山響に行く水の名のみ寄そりし隠り妻はも [一云 名のみ寄そりて恋ひつつやあらむ]
仮名 しながどり ゐなやまとよに ゆくみづの なのみよそりし こもりづまはも [なのみよそりて こひつつやあらむ]
   
  11/2709
原文 吾妹子 吾戀樂者 水有者 之賀良三<超>而 應逝衣思 [或本歌發句云 相不思 人乎念久]
訓読 我妹子に我が恋ふらくは水ならばしがらみ越して行くべく思ほゆ [或本歌發句云 相思はぬ人を思はく]
仮名 わぎもこに あがこふらくは みづならば しがらみこして ゆくべくおもほゆ [あひおもはぬ ひとをおもはく]
   
  11/2710
原文 狗上之 鳥籠山尓有 不知也河 不知二五寸許瀬 余名告奈
訓読 犬上の鳥籠の山なる不知哉川いさとを聞こせ我が名告らすな
仮名 いぬかみの とこのやまなる いさやかは いさとをきこせ わがなのらすな
   
  11/2711
原文 奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘
訓読 奥山の木の葉隠りて行く水の音聞きしより常忘らえず
仮名 おくやまの このはがくりて ゆくみづの おとききしより つねわすらえず
   
  11/2712
原文 言急者 中波余騰益 水無河 絶跡云事乎 有超名湯目
訓読 言急くは中は淀ませ水無川絶ゆといふことをありこすなゆめ
仮名 こととくは なかはよどませ みなしがは たゆといふことを ありこすなゆめ
   
  11/2713
原文 明日香河 逝湍乎早見 将速登 待良武妹乎 此日晩津
訓読 明日香川行く瀬を早み早けむと待つらむ妹をこの日暮らしつ
仮名 あすかがは ゆくせをはやみ はやけむと まつらむいもを このひくらしつ
   
  11/2714
原文 物部乃 八十氏川之 急瀬 立不得戀毛 吾為鴨 [一云 立而毛君者 忘金津藻]
訓読 もののふの八十宇治川の早き瀬に立ちえぬ恋も我れはするかも [一云 立ちても君は忘れかねつも]
仮名 もののふの やそうぢがはの はやきせに たちえぬこひも あれはするかも [たちてもきみは わすれかねつも]
   
  11/2715
原文 神名火 打廻前乃 石淵 隠而耳八 吾戀居
訓読 神なびの打廻の崎の岩淵の隠りてのみや我が恋ひ居らむ
仮名 かむなびの うちみのさきの いはぶちの こもりてのみや あがこひをらむ
   
  11/2716
原文 自高山 出来水 石觸 破衣念 妹不相夕者
訓読 高山ゆ出で来る水の岩に触れ砕けてぞ思ふ妹に逢はぬ夜は
仮名 たかやまゆ いでくるみづの いはにふれ くだけてぞおもふ いもにあはぬよは
   
  11/2717
原文 朝東風尓 井<堤超>浪之 世<染>似裳 不相鬼故 瀧毛響動二
訓読 朝東風にゐで越す波の外目にも逢はぬものゆゑ瀧もとどろに
仮名 あさごちに ゐでこすなみの よそめにも あはぬものゆゑ たきもとどろに
   
  11/2718
原文 高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死
訓読 高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
仮名 たかやまの いはもとたぎち ゆくみづの おとにはたてじ こひてしぬとも
   
  11/2719
原文 隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎
訓読 隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
仮名 こもりぬの したにこふれば あきだらず ひとにかたりつ いむべきものを
   
  11/2720
原文 水鳥乃 鴨之住池之 下樋無 欝悒君 今日見鶴鴨
訓読 水鳥の鴨の棲む池の下樋なみいぶせき君を今日見つるかも
仮名 みづとりの かものすむいけの したびなみ いぶせききみを けふみつるかも
   
  11/2721
原文 玉藻苅 井<堤>乃四賀良美 薄可毛 戀乃余杼女留 吾情可聞
訓読 玉藻刈るゐでのしがらみ薄みかも恋の淀める我が心かも
仮名 たまもかる ゐでのしがらみ うすみかも こひのよどめる あがこころかも
   
  11/2722
原文 吾妹子之 笠乃借手乃 和射見野尓 吾者入跡 妹尓告乞
訓読 我妹子が笠のかりての和射見野に我れは入りぬと妹に告げこそ
仮名 わぎもこが かさのかりての わざみのに われはいりぬと いもにつげこそ
   
  11/2723
原文 數多不有 名乎霜惜三 埋木之 下<従>其戀 去方不知而
訓読 あまたあらぬ名をしも惜しみ埋れ木の下ゆぞ恋ふるゆくへ知らずて
仮名 あまたあらぬ なをしもをしみ うもれぎの したゆぞこふる ゆくへしらずて
   
  11/2724
原文 冷風之 千江之浦廻乃 木積成 心者依 後者雖不知
訓読 秋風の千江の浦廻の木屑なす心は寄りぬ後は知らねど
仮名 あきかぜの ちえのうらみの こつみなす こころはよりぬ のちはしらねど
   
  11/2725
原文 白細<砂> 三津之黄土 色出而 不云耳衣 我戀樂者
訓読 白真砂御津の埴生の色に出でて言はなくのみぞ我が恋ふらくは
仮名 しらまなご みつのはにふの いろにいでて いはなくのみぞ あがこふらくは
   
  11/2726
原文 風不吹 浦尓浪立 無名乎 吾者負香 逢者無二 [一云 女跡念而]
訓読 風吹かぬ浦に波立ちなき名をも我れは負へるか逢ふとはなしに [一云 女と思ひて]
仮名 かぜふかぬ うらになみたち なきなをも われはおへるか あふとはなしに [をみなとおもひて]
   
  11/2727
原文 酢蛾嶋之 夏身乃浦尓 依浪 間文置 吾不念君
訓読 酢蛾島の夏身の浦に寄する波間も置きて我が思はなくに
仮名 すがしまの なつみのうらに よするなみ あひだもおきて わがおもはなくに
   
  11/2728
原文 淡海之海 奥津嶋山 奥間經而 我念妹之 言繁<苦>
訓読 近江の海沖つ島山奥まへて我が思ふ妹が言の繁けく
仮名 あふみのうみ おきつしまやま おくまへて あがおもふいもが ことのしげけく
   
  11/2729
原文 霰零 遠<津>大浦尓 縁浪 縦毛依十万 憎不有君
訓読 霰降り遠つ大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに
仮名 あられふり とほつおほうらに よするなみ よしもよすとも にくくあらなくに
   
  11/2730
原文 木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓
訓読 紀の海の名高の浦に寄する波音高きかも逢はぬ子ゆゑに
仮名 きのうみの なたかのうらに よするなみ おとだかきかも あはぬこゆゑに
   
  11/2731
原文 牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之<君> 不相鴨将有
訓読 牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ
仮名 うしまどの なみのしほさゐ しまとよみ よそりしきみは あはずかもあらむ
   
  11/2732
原文 奥波 邊浪之来縁 左太能浦之 此左太過而 後将戀可聞
訓読 沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
仮名 おきつなみ へなみのきよる さだのうらの このさだすぎて のちこひむかも
   
  11/2733
原文 白浪之 来縁嶋乃 荒礒尓毛 有申物尾 戀乍不有者
訓読 白波の来寄する島の荒礒にもあらましものを恋ひつつあらずは
仮名 しらなみの きよするしまの ありそにも あらましものを こひつつあらずは
   
  11/2734
原文 塩満者 水沫尓浮 細砂裳 吾者生鹿 戀者不死而
訓読 潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて
仮名 しほみてば みなわにうかぶ まなごにも わはなりてしか こひはしなずて
   
  11/2735
原文 住吉之 城師乃浦箕尓 布浪之 數妹乎 見因欲得
訓読 住吉の岸の浦廻にしく波のしくしく妹を見むよしもがも
仮名 すみのえの きしのうらみに しくなみの しくしくいもを みむよしもがも
   
  11/2736
原文 風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香
訓読 風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ君は相思ふらむか
仮名 かぜをいたみ いたぶるなみの あひだなく あがおもふきみは あひおもふらむか
   
  11/2737
原文 大伴之 三津乃白浪 間無 我戀良苦乎 人之不知久
訓読 大伴の御津の白波間なく我が恋ふらくを人の知らなく
仮名 おほともの みつのしらなみ あひだなく あがこふらくを ひとのしらなく
   
  11/2738
原文 大船乃 絶多經海尓 重石下 何如為鴨 吾戀将止
訓読 大船のたゆたふ海にいかり下ろしいかにせばかも我が恋やまむ
仮名 おほぶねの たゆたふうみに いかりおろし いかにせばかも あがこひやまむ
   
  11/2739
原文 水沙兒居 奥<麁>礒尓 縁浪 徃方毛不知 吾戀久波
訓読 みさご居る沖つ荒礒に寄する波ゆくへも知らず我が恋ふらくは
仮名 みさごゐる おきつありそに よするなみ ゆくへもしらず あがこふらくは
   
  11/2740
原文 大船之 <艫毛舳>毛 依浪 <依>友吾者 君之<任>意
訓読 大船の艫にも舳にも寄する波寄すとも我れは君がまにまに
仮名 おほぶねの ともにもへにも よするなみ よすともわれは きみがまにまに
   
  11/2741
原文 大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨
訓読 大海に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし
仮名 おほうみに たつらむなみは あひだあらむ きみにこふらく やむときもなし
   
  11/2742
原文 <壮>鹿海部乃 火氣焼立而 燎塩乃 辛戀毛 吾為鴨
訓読 志賀の海人の煙焼き立て焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
仮名 しかのあまの けぶりやきたて やくしほの からきこひをも あれはするかも
  石川君子
   
  11/2743
原文 中々二 君二不戀者 <枚>浦乃 白水郎有申尾 玉藻苅管
訓読 なかなかに君に恋ひずは比良の浦の海人ならましを玉藻刈りつつ
仮名 なかなかに きみにこひずは ひらのうらの あまならましを たまもかりつつ
   
  11/2743左
原文 中々尓 君尓不戀波 留<牛馬>浦之 海部尓有益男 珠藻苅<々>
訓読 なかなかに君に恋ひずは縄の浦の海人にあらましを玉藻刈る刈る
仮名 なかなかに きみにこひずは なはのうらの あまにあらましを たまもかるかる
   
  11/2744
原文 鈴寸取 海部之燭火 外谷 不見人故 戀比日
訓読 鱸取る海人の燈火外にだに見ぬ人ゆゑに恋ふるこのころ
仮名 すずきとる あまのともしび よそにだに みぬひとゆゑに こふるこのころ
   
  11/2745
原文 湊入之 葦別小<舟> 障多見 吾念<公>尓 不相頃者鴨
訓読 港入りの葦別け小舟障り多み我が思ふ君に逢はぬころかも
仮名 みなといりの あしわけをぶね さはりおほみ あがおもふきみに あはぬころかも
   
  11/2746
原文 庭浄 奥方榜出 海舟乃 執梶間無 戀為鴨
訓読 庭清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
仮名 にはきよみ おきへこぎづる あまぶねの かぢとるまなき こひもするかも
   
  11/2747
原文 味鎌之 塩津乎射而 水手船之 名者謂手師乎 不相将有八方
訓読 あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも
仮名 あぢかまの しほつをさして こぐふねの なはのりてしを あはざらめやも
   
  11/2748
原文 大<船>尓 葦荷苅積 四美見似裳 妹心尓 乗来鴨
訓読 大船に葦荷刈り積みしみみにも妹は心に乗りにけるかも
仮名 おほぶねに あしにかりつみ しみみにも いもはこころに のりにけるかも
   
  11/2749
原文 驛路尓 引舟渡 直乗尓 妹情尓 乗来鴨
訓読 駅路に引き舟渡し直乗りに妹は心に乗りにけるかも
仮名 はゆまぢに ひきふねわたし ただのりに いもはこころに のりにけるかも
   
  11/2750
原文 吾妹子 不相久 馬下乃 阿倍橘乃 蘿生左右
訓読 我妹子に逢はず久しもうましもの安倍橘の苔生すまでに
仮名 わぎもこに あはずひさしも うましもの あへたちばなの こけむすまでに
   
  11/2751
原文 味乃住 渚沙乃入江之 荒礒松 我乎待兒等波 但一耳
訓読 あぢの住む渚沙の入江の荒礒松我を待つ子らはただ独りのみ
仮名 あぢのすむ すさのいりえの ありそまつ あをまつこらは ただひとりのみ
   
  11/2752
原文 吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者
訓読 我妹子を聞き都賀野辺のしなひ合歓木我れは忍びず間なくし思へば
仮名 わぎもこを ききつがのへの しなひねぶ われはしのびず まなくしおもへば
   
  11/2753
原文 浪間従 所見小嶋 濱久木 久成奴 君尓不相四手
訓読 波の間ゆ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして
仮名 なみのまゆ みゆるこしまの はまひさぎ ひさしくなりぬ きみにあはずして
   
  11/2754
原文 朝柏 閏八河邊之 小竹之眼笶 思而宿者 夢所見来
訓読 朝柏潤八川辺の小竹の芽の偲ひて寝れば夢に見えけり
仮名 あさかしは うるやかはへの しののめの しのひてぬれば いめにみえけり
   
  11/2755
原文 淺茅原 苅標刺而 空事文 所縁之君之 辞鴛鴦将待
訓読 浅茅原刈り標さして空言も寄そりし君が言をし待たむ
仮名 あさぢはら かりしめさして むなことも よそりしきみが ことをしまたむ
   
  11/2756
原文 月草之 借有命 在人乎 何知而鹿 後毛将相<云>
訓読 月草の借れる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ
仮名 つきくさの かれるいのちに あるひとを いかにしりてか のちもあはむといふ
   
  11/2757
原文 王之 御笠尓縫有 在間菅 有管雖看 事無吾妹
訓読 大君の御笠に縫へる有間菅ありつつ見れど事なき我妹
仮名 おほきみの みかさにぬへる ありますげ ありつつみれど ことなきわぎも
   
  11/2758
原文 菅根之 懃妹尓 戀西 益卜<男>心 不所念鳧
訓読 菅の根のねもころ妹に恋ふるにし大夫心思ほえぬかも
仮名 すがのねの ねもころいもに こふるにし ますらをごころ おもほえぬかも
   
  11/2759
原文 吾屋戸之 穂蓼古幹 採生之 實成左右二 君乎志将待
訓読 我が宿の穂蓼古幹摘み生し実になるまでに君をし待たむ
仮名 わがやどの ほたでふるから つみおほし みになるまでに きみをしまたむ
   
  11/2760
原文 足桧之 山澤徊具乎 採将去 日谷毛相<為> 母者責十方
訓読 あしひきの山沢ゑぐを摘みに行かむ日だにも逢はせ母は責むとも
仮名 あしひきの やまさはゑぐを つみにゆかむ ひだにもあはせ はははせむとも
   
  11/2761
原文 奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者
訓読 奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも我が思ひ妻は
仮名 おくやまの いはもとすげの ねふかくも おもほゆるかも あがおもひづまは
   
  11/2762
原文 蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名
訓読 葦垣の中の和草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな
仮名 あしかきの なかのにこぐさ にこやかに われとゑまして ひとにしらゆな
   
  11/2763
原文 紅之 淺葉乃野良尓 苅草乃 束之間毛 吾忘渚菜
訓読 紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も我を忘らすな
仮名 くれなゐの あさはののらに かるかやの つかのあひだも あをわすらすな
   
  11/2764
原文 為妹 壽遺在 苅<薦>之 思乱而 應死物乎
訓読 妹がため命残せり刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
仮名 いもがため いのちのこせり かりこもの おもひみだれて しぬべきものを
   
  11/2765
原文 吾妹子尓 戀乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
訓読 我妹子に恋つつあらずは刈り薦の思ひ乱れて死ぬべきものを
仮名 わぎもこに こひつつあらずは かりこもの おもひみだれて しぬべきものを
   
  11/2766
原文 三嶋江之 入江之薦乎 苅尓社 吾乎婆公者 念有来
訓読 三島江の入江の薦を刈りにこそ我れをば君は思ひたりけれ
仮名 みしまえの いりえのこもを かりにこそ われをばきみは おもひたりけれ
   
  11/2767
原文 足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 <人>目難為名
訓読 あしひきの山橘の色に出でて我は恋なむを人目難みすな
仮名 あしひきの やまたちばなの いろにいでて あはこひなむを ひとめかたみすな
   
  11/2768
原文 葦多頭乃 颯入江乃 白菅乃 知為等 乞痛鴨
訓読 葦鶴の騒く入江の白菅の知らせむためと言痛かるかも
仮名 あしたづの さわくいりえの しらすげの しらせむためと こちたかるかも
   
  11/2769
原文 吾背子尓 吾戀良久者 夏草之 苅除十方 生及如
訓読 我が背子に我が恋ふらくは夏草の刈り除くれども生ひしくごとし
仮名 わがせこに あがこふらくは なつくさの かりそくれども おひしくごとし
   
  11/2770
原文 道邊乃 五柴原能 何時毛々々々 人之将縦 言乎思将待
訓読 道の辺のいつ柴原のいつもいつも人の許さむ言をし待たむ
仮名 みちのへの いつしばはらの いつもいつも ひとのゆるさむ ことをしまたむ
   
  11/2771
原文 吾妹子之 袖乎憑而 真野浦之 小菅乃笠乎 不著而来二来有
訓読 我妹子が袖を頼みて真野の浦の小菅の笠を着ずて来にけり
仮名 わぎもこが そでをたのみて まののうらの こすげのかさを きずてきにけり
   
  11/2772
原文 真野池之 小菅乎笠尓 不縫為<而> 人之遠名乎 可立物可
訓読 真野の池の小菅を笠に縫はずして人の遠名を立つべきものか
仮名 まののいけの こすげをかさに ぬはずして ひとのとほなを たつべきものか
   
  11/2773
原文 刺竹 齒隠有 吾背子之 吾許不来者 吾将戀八方
訓読 さす竹の世隠りてあれ我が背子が我がりし来ずは我れ恋めやも
仮名 さすたけの よごもりてあれ わがせこが わがりしこずは あれこひめやも
   
  11/2774
原文 神南備能 淺小竹原乃 美 妾思公之 聲之知家口
訓読 神奈備の浅小竹原のうるはしみ我が思ふ君が声のしるけく
仮名 かむなびの あさぢのはらの うるはしみ あがおもふきみが こゑのしるけく
   
  11/2775
原文 山高 谷邊蔓在 玉葛 絶時無 見因毛欲得
訓読 山高み谷辺に延へる玉葛絶ゆる時なく見むよしもがも
仮名 やまたかみ たにへにはへる たまかづら たゆるときなく みむよしもがも
   
  11/2776
原文 道邊 草冬野丹 履干 吾立待跡 妹告乞
訓読 道の辺の草を冬野に踏み枯らし我れ立ち待つと妹に告げこそ
仮名 みちのへの くさをふゆのに ふみからし われたちまつと いもにつげこそ
   
  11/2777
原文 疊薦 隔編數 通者 道之柴草 不生有申尾
訓読 畳薦へだて編む数通はさば道の芝草生ひずあらましを
仮名 たたみこも へだてあむかず かよはさば みちのしばくさ おひずあらましを
   
  11/2778
原文 水底尓 生玉藻之 生不出 縦比者 如是而将通
訓読 水底に生ふる玉藻の生ひ出でずよしこのころはかくて通はむ
仮名 みなそこに おふるたまもの おひいでず よしこのころは かくてかよはむ
   
  11/2779
原文 海原之 奥津縄乗 打靡 心裳<四>怒尓 所念鴨
訓読 海原の沖つ縄海苔うち靡き心もしのに思ほゆるかも
仮名 うなはらの おきつなはのり うちなびき こころもしのに おもほゆるかも
   
  11/2780
原文 紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎
訓読 紫の名高の浦の靡き藻の心は妹に寄りにしものを
仮名 むらさきの なたかのうらの なびきもの こころはいもに よりにしものを
   
  11/2781
原文 海底 奥乎深目手 生藻之 最今社 戀者為便無寸
訓読 海の底奥を深めて生ふる藻のもとも今こそ恋はすべなき
仮名 わたのそこ おきをふかめて おふるもの もともいまこそ こひはすべなき
   
  11/2782
原文 左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎
訓読 さ寝がには誰れとも寝めど沖つ藻の靡きし君が言待つ我れを
仮名 さぬがには たれともぬめど おきつもの なびきしきみが ことまつわれを
   
  11/2783
原文 吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲
訓読 我妹子が何とも我れを思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし
仮名 わぎもこが なにともわれを おもはねば ふふめるはなの ほにさきぬべし
   
  11/2784
原文 隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八<方>
訓読 隠りには恋ひて死ぬともみ園生の韓藍の花の色に出でめやも
仮名 こもりには こひてしぬとも みそのふの からあゐのはなの いろにいでめやも
   
  11/2785
原文 開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨
訓読 咲く花は過ぐる時あれど我が恋ふる心のうちはやむ時もなし
仮名 さくはなは すぐるときあれど あがこふる こころのうちは やむときもなし
   
  11/2786
原文 山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
訓読 山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
仮名 やまぶきの にほへるいもが はねずいろの あかものすがた いめにみえつつ
   
  11/2787
原文 天地之 依相極 玉緒之 不絶常念 妹之當見津
訓読 天地の寄り合ひの極み玉の緒の絶えじと思ふ妹があたり見つ
仮名 あめつちの よりあひのきはみ たまのをの たえじとおもふ いもがあたりみつ
   
  11/2788
原文 生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友
訓読 息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも
仮名 いきのをに おもへばくるし たまのをの たえてみだれな しらばしるとも
   
  11/2789
原文 玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而
訓読 玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして
仮名 たまのをの たえたるこひの みだれなば しなまくのみぞ またもあはずして
   
  11/2790
原文 玉緒之 久栗縁乍 末終 去者不別 同緒将有
訓読 玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは別れず同じ緒にあらむ
仮名 たまのをの くくりよせつつ すゑつひに ゆきはわかれず おなじをにあらむ
   
  11/2791
原文 片絲用 貫有玉之 緒乎弱 乱哉為南 人之可知
訓読 片糸もち貫きたる玉の緒を弱み乱れやしなむ人の知るべく
仮名 かたいともち ぬきたるたまの ををよわみ みだれやしなむ ひとのしるべく
   
  11/2792
原文 玉緒之 <寫>意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有
訓読 玉の緒の現し心や年月の行きかはるまで妹に逢はずあらむ
仮名 たまのをの うつしごころや としつきの ゆきかはるまで いもにあはずあらむ
   
  11/2793
原文 玉緒之 間毛不置 欲見 吾思妹者 家遠在而
訓読 玉の緒の間も置かず見まく欲り我が思ふ妹は家遠くありて
仮名 たまのをの あひだもおかず みまくほり あがおもふいもは いへどほくありて
   
  11/2794
原文 隠津之 澤立見尓有 石根従毛 達而念 君尓相巻者
訓読 隠り津の沢たつみなる岩根ゆも通してぞ思ふ君に逢はまくは
仮名 こもりづの さはたつみなる いはねゆも とほしてぞおもふ きみにあはまくは
   
  11/2795
原文 木國之 飽等濱之 礒貝之 我者不忘 <年>者雖歴
訓読 紀の国の飽等の浜の忘れ貝我れは忘れじ年は経ぬとも
仮名 きのくにの あくらのはまの わすれがひ われはわすれじ としはへぬとも
   
  11/2796
原文 水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 <年>者經管
訓読 水くくる玉に交じれる磯貝の片恋ひのみに年は経につつ
仮名 みづくくる たまにまじれる いそかひの かたこひのみに としはへにつつ
   
  11/2797
原文 住吉之 濱尓縁云 打背貝 實無言以 余将戀八方
訓読 住吉の浜に寄るといふうつせ貝実なき言もち我れ恋ひめやも
仮名 すみのえの はまによるといふ うつせがひ みなきこともち あれこひめやも
   
  11/2798
原文 伊勢乃白水郎之 朝魚夕菜尓 潜云 鰒貝之 獨念荷指天
訓読 伊勢の海人の朝な夕なに潜くといふ鰒の貝の片思にして
仮名 いせのあまの あさなゆふなに かづくといふ あはびのかひの かたもひにして
   
  11/2799
原文 人事乎 繁跡君乎 鶉鳴 人之古家尓 相<語>而遣都
訓読 人言を繁みと君を鶉鳴く人の古家に語らひて遣りつ
仮名 ひとごとを しげみときみを うづらなく ひとのふるへに かたらひてやりつ
   
  11/2800
原文 旭時等 鶏鳴成 縦恵也思 獨宿夜者 開者雖明
訓読 暁と鶏は鳴くなりよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも
仮名 あかときと かけはなくなり よしゑやし ひとりぬるよは あけばあけぬとも
   
  11/2801
原文 大海之 荒礒之渚鳥 朝名旦名 見巻欲乎 不所見公可聞
訓読 大海の荒礒の洲鳥朝な朝な見まく欲しきを見えぬ君かも
仮名 おほうみの ありそのすどり あさなさな みまくほしきを みえぬきみかも
   
  11/2802
原文 念友 念毛金津 足桧之 山鳥尾之 永此夜乎
訓読 思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を
仮名 おもへども おもひもかねつ あしひきの やまどりのをの ながきこのよを
   
  11/2802左
原文 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿
訓読 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む
仮名 あしひきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ
   
  11/2803
原文 里中尓 鳴奈流鶏之 喚立而 甚者不鳴 隠妻羽毛 [一云 里動 鳴成鶏]
訓読 里中に鳴くなる鶏の呼び立てていたくは泣かぬ隠り妻はも [一云 里響め鳴くなる鶏の]
仮名 さとなかに なくなるかけの よびたてて いたくはなかぬ こもりづまはも [さととよめ なくなるかけの]
   
  11/2804
原文 高山尓 高部左渡 高々尓 余待公乎 待将出可聞
訓読 高山にたかべさ渡り高々に我が待つ君を待ち出でむかも
仮名 たかやまに たかべさわたり たかたかに わがまつきみを まちいでむかも
   
  11/2805
原文 伊勢能海従 鳴来鶴乃 音杼侶毛 君之所聞者 吾将戀八方
訓読 伊勢の海ゆ鳴き来る鶴の音どろも君が聞こさば我れ恋ひめやも
仮名 いせのうみゆ なきくるたづの おとどろも きみがきこさば あれこひめやも
   
  11/2806
原文 吾妹兒尓 戀尓可有牟 奥尓住 鴨之浮宿之 安雲無
訓読 我妹子に恋ふれにかあらむ沖に棲む鴨の浮寝の安けくもなし
仮名 わぎもこに こふれにかあらむ おきにすむ かものうきねの やすけくもなし
   
  11/2807
原文 可旭 千鳥數鳴 白細乃 君之手枕 未猒君
訓読 明けぬべく千鳥しば鳴く白栲の君が手枕いまだ飽かなくに
仮名 あけぬべく ちとりしばなく しろたへの きみがたまくら いまだあかなくに
   
  11/2808
原文 眉根掻 鼻火紐解 待八方 何時毛将見跡 戀来吾乎
訓読 眉根掻き鼻ひ紐解け待てりやもいつかも見むと恋ひ来し我れを
仮名 まよねかき はなひひもとけ まてりやも いつかもみむと こひこしわれを
  柿本人麻呂歌集
   
  11/2809
原文 今日有者 鼻<火鼻火之> 眉可由見 思之言者 君西在来
訓読 今日なれば鼻ひ鼻ひし眉かゆみ思ひしことは君にしありけり
仮名 けふなれば はなひはなひし まよかゆみ おもひしことは きみにしありけり
   
  11/2810
原文 音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 <直目>相而 戀巻裳太口
訓読 音のみを聞きてや恋ひむまそ鏡直目に逢ひて恋ひまくもいたく
仮名 おとのみを ききてやこひむ まそかがみ ただめにあひて こひまくもいたく
   
  11/2811
原文 此言乎 聞跡<平> 真十鏡 照月夜裳 闇耳見
訓読 この言を聞かむとならしまそ鏡照れる月夜も闇のみに見つ
仮名 このことを きかむとならし まそかがみ てれるつくよも やみのみにみつ
   
  11/2812
原文 吾妹兒尓 戀而為便無<三> 白細布之 袖反之者 夢所見也
訓読 我妹子に恋ひてすべなみ白栲の袖返ししは夢に見えきや
仮名 わぎもこに こひてすべなみ しろたへの そでかへししは いめにみえきや
   
  11/2813
原文 吾背子之 袖反夜之 夢有之 真毛君尓 如相有
訓読 我が背子が袖返す夜の夢ならしまことも君に逢ひたるごとし
仮名 わがせこが そでかへすよの いめならし まこともきみに あひたるごとし
   
  11/2814
原文 吾戀者 名草目金津 真氣長 夢不所見而 <年>之經去礼者
訓読 我が恋は慰めかねつま日長く夢に見えずて年の経ぬれば
仮名 あがこひは なぐさめかねつ まけながく いめにみえずて としのへぬれば
   
  11/2815
原文 真氣永 夢毛不所見 雖絶 吾之片戀者 止時毛不有
訓読 ま日長く夢にも見えず絶えぬとも我が片恋はやむ時もあらじ
仮名 まけながく いめにもみえず たえぬとも あがかたこひは やむときもあらじ
   
  11/2816
原文 浦觸而 物莫念 天雲之 絶多不心 吾念莫國
訓読 うらぶれて物な思ひそ天雲のたゆたふ心我が思はなくに
仮名 うらぶれて ものなおもひそ あまくもの たゆたふこころ わがおもはなくに
   
  11/2817
原文 浦觸而 物者不念 水無瀬川 有而毛水者 逝云物乎
訓読 うらぶれて物は思はじ水無瀬川ありても水は行くといふものを
仮名 うらぶれて ものはおもはじ みなせがは ありてもみづは ゆくといふものを
   
  11/2818
原文 垣津旗 開沼之菅乎 笠尓縫 将著日乎待尓 <年>曽經去来
訓読 かきつはた佐紀沼の菅を笠に縫ひ着む日を待つに年ぞ経にける
仮名 かきつはた さきぬのすげを かさにぬひ きむひをまつに としぞへにける
   
  11/2819
原文 臨照 難波菅笠 置古之 後者誰将著 笠有莫國
訓読 おしてる難波菅笠置き古し後は誰が着む笠ならなくに
仮名 おしてる なにはすがかさ おきふるし のちはたがきむ かさならなくに
   
  11/2820
原文 如是谷裳 妹乎待南 左夜深而 出来月之 傾二手荷
訓読 かくだにも妹を待ちなむさ夜更けて出で来し月のかたぶくまでに
仮名 かくだにも いもをまちなむ さよふけて いでこしつきの かたぶくまでに
   
  11/2821
原文 木間従 移歴月之 影惜 俳徊尓 左夜深去家里
訓読 木の間より移ろふ月の影を惜しみ立ち廻るにさ夜更けにけり
仮名 このまより うつろふつきの かげををしみ たちもとほるに さよふけにけり
   
  11/2822
原文 栲領布乃 白濱浪乃 不肯縁 荒振妹尓 戀乍曽居 [一云 戀流己呂可母]
訓読 栲領布の白浜波の寄りもあへず荒ぶる妹に恋ひつつぞ居る [一云 恋ふるころかも]
仮名 たくひれの しらはまなみの よりもあへず あらぶるいもに こひつつぞをる [こふるころかも]
   
  11/2823
原文 加敝良末尓 君社吾尓 栲領巾之 白濱浪乃 縁時毛無
訓読 かへらまに君こそ我れに栲領巾の白浜波の寄る時もなき
仮名 かへらまに きみこそわれに たくひれの しらはまなみの よるときもなき
   
  11/2824
原文 念人 <将>来跡知者 八重六倉 覆庭尓 珠布益乎
訓読 思ふ人来むと知りせば八重葎覆へる庭に玉敷かましを
仮名 おもふひと こむとしりせば やへむぐら おほへるにはに たましかましを
   
  11/2825
原文 玉敷有 家毛何将為 八重六倉 覆小屋毛 妹与居者
訓読 玉敷ける家も何せむ八重葎覆へる小屋も妹と居りせば
仮名 たましける いへもなにせむ やへむぐら おほへるこやも いもとをりせば
   
  11/2826
原文 如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無
訓読 かくしつつあり慰めて玉の緒の絶えて別ればすべなかるべし
仮名 かくしつつ ありなぐさめて たまのをの たえてわかれば すべなかるべし
   
  11/2827
原文 紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
訓読 紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
仮名 くれなゐの はなにしあらば ころもでに そめつけもちて ゆくべくおもほゆ
   
  11/2828
原文 紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
訓読 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
仮名 くれなゐの こそめのきぬを したにきば ひとのみらくに にほひいでむかも
   
  11/2829
原文 衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
訓読 衣しも多くあらなむ取り替へて着ればや君が面忘れたる
仮名 ころもしも おほくあらなむ とりかへて きればやきみが おもわすれたる
   
  11/2830
原文 梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意
訓読 梓弓弓束巻き替へ中見さしさらに引くとも君がまにまに
仮名 あづさゆみ ゆづかまきかへ なかみさし さらにひくとも きみがまにまに
   
  11/2831
原文 水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 将待従者 吾社益
訓読 みさご居る洲に居る舟の夕潮を待つらむよりは我れこそまされ
仮名 みさごゐる すにゐるふねの ゆふしほを まつらむよりは われこそまされ
   
  11/2832
原文 山河尓 筌乎伏而 不肯盛 <年>之八歳乎 吾竊儛師
訓読 山川に筌を伏せて守りもあへず年の八年を我がぬすまひし
仮名 やまがはに うへをふせて もりもあへず としのやとせを わがぬすまひし
   
  11/2833
原文 葦鴨之 多集池水 雖溢 儲溝方尓 吾将越八方
訓読 葦鴨のすだく池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも
仮名 あしがもの すだくいけみづ はふるとも まけみぞのへに われこえめやも
   
  11/2834
原文 日本之 室原乃毛桃 本繁 言大王物乎 不成不止
訓読 大和の室生の毛桃本繁く言ひてしものをならずはやまじ
仮名 やまとの むろふのけもも もとしげく いひてしものを ならずはやまじ
   
  11/2835
原文 真葛延 小野之淺茅乎 自心毛 人引目八面 吾莫名國
訓読 ま葛延ふ小野の浅茅を心ゆも人引かめやも我がなけなくに
仮名 まくずはふ をののあさぢを こころゆも ひとひかめやも わがなけなくに
   
  11/2836
原文 三嶋菅 未苗在 時待者 不著也将成 三嶋菅笠
訓読 三島菅いまだ苗なり時待たば着ずやなりなむ三島菅笠
仮名 みしますげ いまだなへなり ときまたば きずやなりなむ みしますがかさ
   
  11/2837
原文 三吉野之 水具麻我菅乎 不編尓 苅耳苅而 将乱跡也
訓読 み吉野の水隈が菅を編まなくに刈りのみ刈りて乱りてむとや
仮名 みよしのの みぐまがすげを あまなくに かりのみかりて みだりてむとや
   
  11/2838
原文 河上尓 洗若菜之 流来而 妹之當乃 瀬社因目
訓読 川上に洗ふ若菜の流れ来て妹があたりの瀬にこそ寄らめ
仮名 かはかみに あらふわかなの ながれきて いもがあたりの せにこそよらめ
   
  11/2839
原文 如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之<社>之 標尓不有尓
訓読 かくしてやなほやまもらむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに
仮名 かくしてや なほやまもらむ おほあらきの うきたのもりの しめにあらなくに
   
  11/2840
原文 幾多毛 不零雨故 吾背子之 三名乃幾許 瀧毛動響二
訓読 いくばくも降らぬ雨ゆゑ我が背子が御名のここだく瀧もとどろに
仮名 いくばくも ふらぬあめゆゑ わがせこが みなのここだく たきもとどろに
   

第十二巻

   
   12/2841
原文 我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
訓読 我が背子が朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも
仮名 わがせこが あさけのすがた よくみずて けふのあひだを こひくらすかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2842
原文 我心 等望使念 新夜 一夜不落 夢見<与>
訓読 我が心ともしみ思ふ新夜の一夜もおちず夢に見えこそ
仮名 あがこころ ともしみおもふ あらたよの ひとよもおちず いめにみえこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2843
原文 <愛> 我念妹 人皆 如去見耶 手不纒為
訓読 愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして
仮名 うつくしと あがおもふいもを ひとみなの ゆくごとみめや てにまかずして
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2844
原文 <比>日 寐之不寐 敷細布 手枕纒 寐欲
訓読 このころの寐の寝らえぬは敷栲の手枕まきて寝まく欲りこそ
仮名 このころの いのねらえぬは しきたへの たまくらまきて ねまくほりこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2845
原文 <忘>哉 語 意遣 雖過不過 猶戀
訓読 忘るやと物語りして心遣り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり
仮名 わするやと ものがたりして こころやり すぐせどすぎず なほこひにけり
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2846
原文 夜不寐 安不有 白細布 衣不脱 及直相
訓読 夜も寝ず安くもあらず白栲の衣は脱かじ直に逢ふまでに
仮名 よるもねず やすくもあらず しろたへの ころもはぬかじ ただにあふまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2847
原文 後相 吾莫戀 妹雖云 戀間 年經乍
訓読 後も逢はむ我にな恋ひそと妹は言へど恋ふる間に年は経につつ
仮名 のちもあはむ われになこひそと いもはいへど こふるあひだに としはへにつつ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2848
原文 不直<相> 有諾 夢谷 何人 事繁 [或本歌曰 <寤>者 諾毛不相 夢左倍]
訓読 直に会はずあるはうべなり夢にだに何しか人の言の繁けむ [或本歌曰 うつつにはうべも逢はなく夢にさへ]
仮名 ただにあはず あるはうべなり いめにだに なにしかひとの ことのしげけむ [うつつには うべもあはなく いめにさへ]
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2849
原文 烏玉 彼夢 見継哉 袖乾日無 吾戀矣
訓読 ぬばたまのその夢にだに見え継ぐや袖干る日なく我れは恋ふるを
仮名 ぬばたまの そのいめにだに みえつぐや そでふるひなく あれはこふるを
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2850
原文 現 直不相 夢谷 相見与 我戀國
訓読 うつつには直には逢はず夢にだに逢ふと見えこそ我が恋ふらくに
仮名 うつつには ただにはあはず いめにだに あふとみえこそ あがこふらくに
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2851
原文 人所見 表結 人不見 裏紐開 戀日太
訓読 人の見る上は結びて人の見ぬ下紐開けて恋ふる日ぞ多き
仮名 ひとのみる うへはむすびて ひとのみぬ したひもあけて こふるひぞおほき
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2852
原文 人言 繁時 吾妹 衣有 裏服矣
訓読 人言の繁き時には我妹子し衣にありせば下に着ましを
仮名 ひとごとの しげきときには わぎもこし ころもにありせば したにきましを
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2853
原文 真珠<服> 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真玉つくをちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
仮名 またまつく をちをしかねて おもへこそ ひとへのころも ひとりきてぬれ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2854
原文 白細布 我紐緒 不絶間 戀結為 及相日
訓読 白栲の我が紐の緒の絶えぬ間に恋結びせむ逢はむ日までに
仮名 しろたへの わがひものをの たえぬまに こひむすびせむ あはむひまでに
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2855
原文 新<治> 今作路 清 聞鴨 妹於事矣
訓読 新治の今作る道さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを
仮名 にひはりの いまつくるみち さやかにも ききてけるかも いもがうへのことを
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2856
原文 山代 石田<社> 心鈍 手向為在 妹相難
訓読 山背の石田の社に心おそく手向けしたれや妹に逢ひかたき
仮名 やましろの いはたのもりに こころおそく たむけしたれや いもにあひかたき
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2857
原文 菅根之 惻隠々々 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 菅の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
仮名 すがのねの ねもころごろに てるひにも ひめやわがそで いもにあはずして
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2858
原文 妹戀 不寐朝 吹風 妹經者 吾与經
訓読 妹に恋ひ寐ねぬ朝明に吹く風は妹にし触れば我れさへに触れ
仮名 いもにこひ いねぬあさけに ふくかぜは いもにしふれば われさへにふれ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2859
原文 飛鳥川 高川避紫 越来 信今夜 不明行哉
訓読 明日香川高川避かし越ゑ来しをまこと今夜は明けずも行かぬか
仮名 あすかがは たかがはよかし こゑこしを まことこよひは あけずもゆかぬか
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2860
原文 八<釣>川 水底不絶 行水 續戀 是比歳 [或本歌曰 水尾母不絶]
訓読 八釣川水底絶えず行く水の継ぎてぞ恋ふるこの年ころを [或本歌曰 水脈も絶えせず]
仮名 やつりがは みなそこたえず ゆくみづの つぎてぞこふる このとしころを [みをもたえせず]
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2861
原文 礒上 生小松 名惜 人不知 戀渡鴨
訓読 礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも
仮名 いそのうへに おふるこまつの なををしみ ひとにしらえず こひわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2861左
原文 巌上尓 立小松 名惜 人尓者不云 戀渡鴨
訓読 岩の上に立てる小松の名を惜しみ人には言はず恋ひわたるかも
仮名 いはのうへに たてるこまつの なををしみ ひとにはいはず こひわたるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2862
原文 山川 水陰生 山草 不止妹 所念鴨
訓読 山川の水陰に生ふる山菅のやまずも妹は思ほゆるかも
仮名 やまがはの みづかげにおふる やますげの やまずもいもは おもほゆるかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2863
原文 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀 [或本歌曰 誰葉野尓 立志奈比垂]
訓読 浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに [或本歌曰 誰が葉野に立ちしなひたる]
仮名 あさはのに たちかむさぶる すがのねの ねもころたがゆゑ あがこひなくに [たがはのに たちしなひたる]
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2864
原文 吾背子乎 且今々々跡 待居尓 夜更深去者 嘆鶴鴨
訓読 我が背子を今か今かと待ち居るに夜の更けゆけば嘆きつるかも
仮名 わがせこを いまかいまかと まちゐるに よのふけゆけば なげきつるかも
   
  12/2865
原文 玉釼 巻宿妹母 有者許増 夜之長毛 歡有倍吉
訓読 玉釧まき寝る妹もあらばこそ夜の長けくも嬉しくあるべき
仮名 たまくしろ まきぬるいもも あらばこそ よのながけくも うれしくあるべき
   
  12/2866
原文 人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言
訓読 人妻に言ふは誰が言さ衣のこの紐解けと言ふは誰が言
仮名 ひとづまに いふはたがこと さごろもの このひもとけと いふはたがこと
   
  12/2867
原文 如是許 将戀物其跡 知者 其夜者由多尓 有益物乎
訓読 かくばかり恋ひむものぞと知らませばその夜はゆたにあらましものを
仮名 かくばかり こひむものぞと しらませば そのよはゆたに あらましものを
   
  12/2868
原文 戀乍毛 後将相跡 思許増 己命乎 長欲為礼
訓読 恋ひつつも後も逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
仮名 こひつつも のちもあはむと おもへこそ おのがいのちを ながくほりすれ
   
  12/2869
原文 今者吾者 将死与吾妹 不相而 念渡者 安毛無
訓読 今は我は死なむよ我妹逢はずして思ひわたれば安けくもなし
仮名 いまはわは しなむよわぎも あはずして おもひわたれば やすけくもなし
   
  12/2870
原文 我背子之 将来跡語之 夜者過去 思咲八更々 思許理来目八面
訓読 我が背子が来むと語りし夜は過ぎぬしゑやさらさらしこり来めやも
仮名 わがせこが こむとかたりし よはすぎぬ しゑやさらさら しこりこめやも
   
  12/2871
原文 人言之 讒乎聞而 玉<桙>之 道毛不相常 云吾妹
訓読 人言の讒しを聞きて玉桙の道にも逢はじと言へりし我妹
仮名 ひとごとの よこしをききて たまほこの みちにもあはじと いへりしわぎも
   
  12/2872
原文 不相毛 懈常念者 弥益二 人言繁 所聞来可聞
訓読 逢はなくも憂しと思へばいや増しに人言繁く聞こえ来るかも
仮名 あはなくも うしとおもへば いやましに ひとごとしげく きこえくるかも
   
  12/2873
原文 里人毛 謂告我祢 縦咲也思 戀而毛将死 誰名将有哉
訓読 里人も語り継ぐがねよしゑやし恋ひても死なむ誰が名ならめや
仮名 さとびとも かたりつぐがね よしゑやし こひてもしなむ たがなならめや
   
  12/2874
原文 り 使乎無跡 情乎曽 使尓遣之 夢所見哉
訓読 確かなる使をなみと心をぞ使に遣りし夢に見えきや
仮名 たしかなる つかひをなみと こころをぞ つかひにやりし いめにみえきや
   
  12/2875
原文 天地尓 小不至 大夫跡 思之吾耶 <雄>心毛無寸
訓読 天地に少し至らぬ大夫と思ひし我れや雄心もなき
仮名 あめつちに すこしいたらぬ ますらをと おもひしわれや をごころもなき
   
  12/2876
原文 里近 家<哉>應居 此吾目之 人目乎為乍 戀繁口
訓読 里近く家や居るべきこの我が目の人目をしつつ恋の繁けく
仮名 さとちかく いへやをるべき このわがめの ひとめをしつつ こひのしげけく
   
  12/2877
原文 何時奈毛 不<戀>有登者 雖不有 得田直比来 戀之繁母
訓読 いつはなも恋ひずありとはあらねどもうたてこのころ恋し繁しも
仮名 いつはなも こひずありとは あらねども うたてこのころ こひししげしも
   
  12/2878
原文 黒玉之 宿而之晩乃 物念尓 割西る者 息時裳無
訓読 ぬばたまの寐ねてし宵の物思ひに裂けにし胸はやむ時もなし
仮名 ぬばたまの いねてしよひの ものもひに さけにしむねは やむときもなし
   
  12/2879
原文 三空去 名之惜毛 吾者無 不相日數多 年之經者
訓読 み空行く名の惜しけくも我れはなし逢はぬ日まねく年の経ぬれば
仮名 みそらゆく なのをしけくも われはなし あはぬひまねく としのへぬれば
   
  12/2880
原文 得管二毛 今毛見<壮>鹿 夢耳 手本纒宿登 見者辛苦毛 [或本歌發<句>曰 吾妹兒乎]
訓読 うつつにも今も見てしか夢のみに手本まき寝と見るは苦しも [或本歌發<句>曰 我妹子を]
仮名 うつつにも いまもみてしか いめのみに たもとまきぬと みるはくるしも [わぎもこを]
   
  12/2881
原文 立而居 為便乃田時毛 今者無 妹尓不相而 月之經去者 [或本歌曰 君之目不見而 月之經去者]
訓読 立ちて居てすべのたどきも今はなし妹に逢はずて月の経ぬれば [或本歌曰 君が目見ずて月の経ぬれば]
仮名 たちてゐて すべのたどきも いまはなし いもにあはずて つきのへぬれば [きみがめみずて つきのへぬれば]
   
  12/2882
原文 不相而 戀度等母 忘哉 弥日異者 思益等母
訓読 逢はずして恋ひわたるとも忘れめやいや日に異には思ひ増すとも
仮名 あはずして こひわたるとも わすれめや いやひにけには おもひますとも
   
  12/2883
原文 外目毛 君之光儀乎 見而者社 吾戀山目 命不死者 [一云 壽向 吾戀止目]
訓読 外目にも君が姿を見てばこそ我が恋やまめ命死なずは [一云 命に向ふ我が恋やまめ]
仮名 よそめにも きみがすがたを みてばこそ あがこひやまめ いのちしなずは [いのちにむかふ あがこひやまめ]
   
  12/2884
原文 戀管母 今日者在目杼 玉匣 将開明日 如何将暮
訓読 恋ひつつも今日はあらめど玉櫛笥明けなむ明日をいかに暮らさむ
仮名 こひつつも けふはあらめど たまくしげ あけなむあすを いかにくらさむ
   
  12/2885
原文 左夜深而 妹乎念出 布妙之 枕毛衣世二 <嘆>鶴鴨
訓読 さ夜更けて妹を思ひ出で敷栲の枕もそよに嘆きつるかも
仮名 さよふけて いもをおもひいで しきたへの まくらもそよに なげきつるかも
   
  12/2886
原文 他言者 真言痛 成友 彼所将障 吾尓不有國
訓読 人言はまこと言痛くなりぬともそこに障らむ我れにあらなくに
仮名 ひとごとは まことこちたく なりぬとも そこにさはらむ われにあらなくに
   
  12/2887
原文 立居 田時毛不知 吾意 天津空有 土者踐鞆
訓読 立ちて居てたどきも知らず我が心天つ空なり地は踏めども
仮名 たちてゐて たどきもしらず あがこころ あまつそらなり つちはふめども
   
  12/2888
原文 世間之 人辞常 所念莫 真曽戀之 不相日乎多美
訓読 世の中の人のことばと思ほすなまことぞ恋ひし逢はぬ日を多み
仮名 よのなかの ひとのことばと おもほすな まことぞこひし あはぬひをおほみ
   
  12/2889
原文 乞如何 吾幾許戀流 吾妹子之 不相跡言流 事毛有莫國
訓読 いで如何に我がここだ恋ふる我妹子が逢はじと言へることもあらなくに
仮名 いでいかに あがここだこふる わぎもこが あはじといへる こともあらなくに
   
  12/2890
原文 夜干玉之 夜乎長鴨 吾背子之 夢尓夢西 所見還良武
訓読 ぬばたまの夜を長みかも我が背子が夢に夢にし見えかへるらむ
仮名 ぬばたまの よをながみかも わがせこが いめにいめにし みえかへるらむ
   
  12/2891
原文 荒玉之 年緒長 如此戀者 信吾命 全有目八面
訓読 あらたまの年の緒長くかく恋ひばまこと我が命全くあらめやも
仮名 あらたまの としのをながく かくこひば まことわがいのち またくあらめやも
   
  12/2892
原文 思遣 為便乃田時毛 吾者無 不相數多 月之經去者
訓読 思ひ遣るすべのたどきも我れはなし逢はずてまねく月の経ぬれば
仮名 おもひやる すべのたどきも われはなし あはずてまねく つきのへぬれば
   
  12/2893
原文 朝去而 暮者来座 君故尓 忌々久毛吾者 歎鶴鴨
訓読 朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも
仮名 あしたいにて ゆふへはきます きみゆゑに ゆゆしくもわは なげきつるかも
   
  12/2894
原文 従聞 物乎念者 我る者 破而摧而 鋒心無
訓読 聞きしより物を思へば我が胸は破れて砕けて利心もなし
仮名 ききしより ものをおもへば あがむねは われてくだけて とごころもなし
   
  12/2895
原文 人言乎 繁三言痛三 我妹子二 去月従 未相可母
訓読 人言を繁み言痛み我妹子に去にし月よりいまだ逢はぬかも
仮名 ひとごとを しげみこちたみ わぎもこに いにしつきより いまだあはぬかも
   
  12/2896
原文 歌方毛 曰管毛有鹿 吾有者 地庭不落 空消生
訓読 うたがたも言ひつつもあるか我れならば地には落ちず空に消なまし
仮名 うたがたも いひつつもあるか われならば つちにはおちず そらにけなまし
   
  12/2897
原文 何 日之時可毛 吾妹子之 裳引之容儀 朝尓食尓将見
訓読 いかならむ日の時にかも我妹子が裳引きの姿朝に日に見む
仮名 いかならむ ひのときにかも わぎもこが もびきのすがた あさにけにみむ
   
  12/2898
原文 獨居而 戀者辛苦 玉手次 不懸将忘 言量欲
訓読 ひとり居て恋ふるは苦し玉たすき懸けず忘れむ事計りもが
仮名 ひとりゐて こふるはくるし たまたすき かけずわすれむ ことはかりもが
   
  12/2899
原文 中々二 黙然毛有申尾 小豆無 相見始而毛 吾者戀香
訓読 なかなかに黙もあらましをあづきなく相見そめても我れは恋ふるか
仮名 なかなかに もだもあらましを あづきなく あひみそめても あれはこふるか
   
  12/2900
原文 吾妹子之 咲眉引 面影 懸而本名 所念可毛
訓読 我妹子が笑まひ眉引き面影にかかりてもとな思ほゆるかも
仮名 わぎもこが ゑまひまよびき おもかげに かかりてもとな おもほゆるかも
   
  12/2901
原文 赤根指 日之暮去者 為便乎無三 千遍嘆而 戀乍曽居
訓読 あかねさす日の暮れゆけばすべをなみ千たび嘆きて恋ひつつぞ居る
仮名 あかねさす ひのくれゆけば すべをなみ ちたびなげきて こひつつぞをる
   
  12/2902
原文 吾戀者 夜晝不別 百重成 情之念者 甚為便無
訓読 我が恋は夜昼わかず百重なす心し思へばいたもすべなし
仮名 あがこひは よるひるわかず ももへなす こころしおもへば いたもすべなし
   
  12/2903
原文 五十殿寸太 薄寸眉根乎 徒 令掻管 不相人可母
訓読 いとのきて薄き眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ人かも
仮名 いとのきて うすきまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬひとかも
   
  12/2904
原文 戀々而 後裳将相常 名草漏 心四無者 五十寸手有目八面
訓読 恋ひ恋ひて後も逢はむと慰もる心しなくは生きてあらめやも
仮名 こひこひて のちもあはむと なぐさもる こころしなくは いきてあらめやも
   
  12/2905
原文 幾 不生有命乎 戀管曽 吾者氣衝 人尓不所知
訓読 いくばくも生けらじ命を恋ひつつぞ我れは息づく人に知らえず
仮名 いくばくも いけらじいのちを こひつつぞ われはいきづく ひとにしらえず
   
  12/2906
原文 他國尓 結婚尓行而 大刀之緒毛 未解者 左夜曽明家流
訓読 他国によばひに行きて大刀が緒もいまだ解かねばさ夜ぞ明けにける
仮名 ひとくにに よばひにゆきて たちがをも いまだとかねば さよぞあけにける
   
  12/2907
原文 大夫之 <聡>神毛 今者無 戀之奴尓 吾者可死
訓読 ますらをの聡き心も今はなし恋の奴に我れは死ぬべし
仮名 ますらをの さときこころも いまはなし こひのやつこに われはしぬべし
   
  12/2908
原文 常如是 戀者辛苦 蹔毛 心安目六 事計為与
訓読 常かくし恋ふれば苦ししましくも心休めむ事計りせよ
仮名 つねかくし こふればくるし しましくも こころやすめむ ことはかりせよ
   
  12/2909
原文 凡尓 吾之念者 人妻尓 有云妹尓 戀管有米也
訓読 おほろかに我れし思はば人妻にありといふ妹に恋ひつつあらめや
仮名 おほろかに われしおもはば ひとづまに ありといふいもに こひつつあらめや
   
  12/2910
原文 心者 千重百重 思有杼 人目乎多見 妹尓不相可母
訓読 心には千重に百重に思へれど人目を多み妹に逢はぬかも
仮名 こころには ちへにももへに おもへれど ひとめをおほみ いもにあはぬかも
   
  12/2911
原文 人目多見 眼社忍礼 小毛 心中尓 吾念莫國
訓読 人目多み目こそ忍ぶれすくなくも心のうちに我が思はなくに
仮名 ひとめおほみ めこそしのぶれ すくなくも こころのうちに わがおもはなくに
   
  12/2912
原文 人見而 事害目不為 夢尓吾 今夜将至 屋戸閇勿勤
訓読 人の見て言とがめせぬ夢に我れ今夜至らむ宿閉すなゆめ
仮名 ひとのみて こととがめせぬ いめにわれ こよひいたらむ やどさすなゆめ
   
  12/2913
原文 何時左右二 将生命曽 凡者 戀乍不有者 死上有
訓読 いつまでに生かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死なましものを
仮名 いつまでに いかむいのちぞ おほかたは こひつつあらずは しなましものを
   
  12/2914
原文 <愛>等 念吾妹乎 夢見而 起而探尓 無之不怜
訓読 愛しと思ふ我妹を夢に見て起きて探るになきが寂しさ
仮名 うつくしと おもふわぎもを いめにみて おきてさぐるに なきがさぶしさ
   
  12/2915
原文 妹登曰者 無礼恐 然為蟹 懸巻欲 言尓有鴨
訓読 妹と言はばなめし畏ししかすがに懸けまく欲しき言にあるかも
仮名 いもといはば なめしかしこし しかすがに かけまくほしき ことにあるかも
   
  12/2916
原文 玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠為
訓読 玉かつま逢はむと言ふは誰れなるか逢へる時さへ面隠しする
仮名 たまかつま あはむといふは たれなるか あへるときさへ おもかくしする
   
  12/2917
原文 寤香 妹之来座有 夢可毛 吾香惑流 戀之繁尓
訓読 うつつにか妹が来ませる夢にかも我れか惑へる恋の繁きに
仮名 うつつにか いもがきませる いめにかも われかまとへる こひのしげきに
   
  12/2918
原文 大方者 何鴨将戀 言擧不為 妹尓依宿牟 年者近<綬>
訓読 おほかたは何かも恋ひむ言挙げせず妹に寄り寝む年は近きを
仮名 おほかたは なにかもこひむ ことあげせず いもによりねむ としはちかきを
   
  12/2919
原文 二為而 結之紐乎 一為而 吾者解不見 直相及者
訓読 ふたりして結びし紐をひとりして我れは解きみじ直に逢ふまでは
仮名 ふたりして むすびしひもを ひとりして あれはときみじ ただにあふまでは
   
  12/2920
原文 終命 此者不念 唯毛 妹尓不相 言乎之曽念
訓読 終へむ命ここは思はずただしくも妹に逢はざることをしぞ思ふ
仮名 をへむいのち ここはおもはず ただしくも いもにあはざる ことをしぞおもふ
   
  12/2921
原文 幼婦者 同情 須臾 止時毛無久 将見等曽念
訓読 たわや女は同じ心にしましくもやむ時もなく見てむとぞ思ふ
仮名 たわやめは おやじこころに しましくも やむときもなく みてむとぞおもふ
   
  12/2922
原文 夕去者 於君将相跡 念許<増> 日之晩毛 悞有家礼
訓読 夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくも嬉しくありけれ
仮名 ゆふさらば きみにあはむと おもへこそ ひのくるらくも うれしくありけれ
   
  12/2923
原文 直今日毛 君尓波相目跡 人言乎 繁不相而 戀度鴨
訓読 ただ今日も君には逢はめど人言を繁み逢はずて恋ひわたるかも
仮名 ただけふも きみにはあはめど ひとごとを しげみあはずて こひわたるかも
   
  12/2924
原文 世間尓 戀将繁跡 不念者 君之手本乎 不枕夜毛有寸
訓読 世の中に恋繁けむと思はねば君が手本をまかぬ夜もありき
仮名 よのなかに こひしげけむと おもはねば きみがたもとを まかぬよもありき
   
  12/2925
原文 緑兒之 為社乳母者 求云 乳飲哉君之 於毛求覧
訓読 みどり子のためこそ乳母は求むと言へ乳飲めや君が乳母求むらむ
仮名 みどりこの ためこそおもは もとむといへ ちのめやきみが おももとむらむ
   
  12/2926
原文 悔毛 老尓来鴨 我背子之 求流乳母尓 行益物乎
訓読 悔しくも老いにけるかも我が背子が求むる乳母に行かましものを
仮名 くやしくも おいにけるかも わがせこが もとむるおもに ゆかましものを
   
  12/2927
原文 浦觸而 可例西袖S 又巻者 過西戀<以> 乱今可聞
訓読 うらぶれて離れにし袖をまたまかば過ぎにし恋い乱れ来むかも
仮名 うらぶれて かれにしそでを またまかば すぎにしこひい みだれこむかも
   
  12/2928
原文 各寺師 人死為良思 妹尓戀 日異羸沼 人丹不所知
訓読 おのがじし人死にすらし妹に恋ひ日に異に痩せぬ人に知らえず
仮名 おのがじし ひとしにすらし いもにこひ ひにけにやせぬ ひとにしらえず
   
  12/2929
原文 夕々 吾立待尓 若雲 君不来益者 應辛苦
訓読 宵々に我が立ち待つにけだしくも君来まさずは苦しかるべし
仮名 よひよひに わがたちまつに けだしくも きみきまさずは くるしかるべし
   
  12/2930
原文 生代尓 戀云物乎 相不見者 戀中尓毛 吾曽苦寸
訓読 生ける世に恋といふものを相見ねば恋のうちにも我れぞ苦しき
仮名 いけるよに こひといふものを あひみねば こひのうちにも われぞくるしき
   
  12/2931
原文 念管 座者苦毛 夜干玉之 夜尓至者 吾社湯龜
訓読 思ひつつ居れば苦しもぬばたまの夜に至らば我れこそ行かめ
仮名 おもひつつ をればくるしも ぬばたまの よるにいたらば われこそゆかめ
   
  12/2932
原文 情庭 燎而念杼 虚蝉之 人目乎繁 妹尓不相鴨
訓読 心には燃えて思へどうつせみの人目を繁み妹に逢はぬかも
仮名 こころには もえておもへど うつせみの ひとめをしげみ いもにあはぬかも
   
  12/2933
原文 不相念 公者雖座 肩戀丹 吾者衣戀 君之光儀
訓読 相思はず君はまさめど片恋に我れはぞ恋ふる君が姿に
仮名 あひおもはず きみはまさめど かたこひに あれはぞこふる きみがすがたに
   
  12/2934
原文 味澤相 目者非不飽 携 不問事毛 苦勞有来
訓読 あぢさはふ目は飽かざらねたづさはり言とはなくも苦しくありけり
仮名 あぢさはふ めはあかざらね たづさはり こととはなくも くるしくありけり
   
  12/2935
原文 璞之 年緒永 何時左右鹿 我戀将居 壽不知而
訓読 あらたまの年の緒長くいつまでか我が恋ひ居らむ命知らずて
仮名 あらたまの としのをながく いつまでか あがこひをらむ いのちしらずて
   
  12/2936
原文 今者吾者 指南与我兄 戀為者 一夜一日毛 安毛無
訓読 今は我は死なむよ我が背恋すれば一夜一日も安けくもなし
仮名 いまはわは しなむよわがせ こひすれば ひとよひとひも やすけくもなし
   
  12/2937
原文 白細布之 袖<折>反 戀者香 妹之容儀乃 夢二四三湯流
訓読 白栲の袖折り返し恋ふればか妹が姿の夢にし見ゆる
仮名 しろたへの そでをりかへし こふればか いもがすがたの いめにしみゆる
   
  12/2938
原文 人言乎 繁三毛人髪三 我兄子乎 目者雖見 相因毛無
訓読 人言を繁み言痛み我が背子を目には見れども逢ふよしもなし
仮名 ひとごとを しげみこちたみ わがせこを めにはみれども あふよしもなし
   
  12/2939
原文 戀云者 薄事有 雖然 我者不忘 戀者死十万
訓読 恋と言へば薄きことなりしかれども我れは忘れじ恋ひは死ぬとも
仮名 こひといへば うすきことなり しかれども われはわすれじ こひはしぬとも
   
  12/2940
原文 中々二 死者安六 出日之 入別不知 吾四九流四毛
訓読 なかなかに死なば安けむ出づる日の入る別知らぬ我れし苦しも
仮名 なかなかに しなばやすけむ いづるひの いるわきしらぬ われしくるしも
   
  12/2941
原文 念八流 <跡>状毛我者 今者無 妹二不相而 年之經行者
訓読 思ひ遣るたどきも我れは今はなし妹に逢はずて年の経ぬれば
仮名 おもひやる たどきもわれは いまはなし いもにあはずて としのへぬれば
   
  12/2942
原文 吾兄子尓 戀跡二四有四 小兒之 夜哭乎為乍 宿不勝苦者
訓読 我が背子に恋ふとにしあらしみどり子の夜泣きをしつつ寐ねかてなくは
仮名 わがせこに こふとにしあらし みどりこの よなきをしつつ いねかてなくは
   
  12/2943
原文 我命之 長欲家口 偽乎 好為人乎 執許乎
訓読 我が命の長く欲しけく偽りをよくする人を捕ふばかりを
仮名 わがいのちの ながくほしけく いつはりを よくするひとを とらふばかりを
   
  12/2944
原文 人言 繁跡妹 不相 情裏 戀比日
訓読 人言を繁みと妹に逢はずして心のうちに恋ふるこのころ
仮名 ひとごとを しげみといもに あはずして こころのうちに こふるこのころ
   
  12/2945
原文 玉<梓>之 君之使乎 待之夜乃 名凝其今毛 不宿夜乃大寸
訓読 玉梓の君が使を待ちし夜のなごりぞ今も寐ねぬ夜の多き
仮名 たまづさの きみがつかひを まちしよの なごりぞいまも いねぬよのおほき
   
  12/2946
原文 玉桙之 道尓行相而 外目耳毛 見者吉子乎 何時鹿将待
訓読 玉桙の道に行き逢ひて外目にも見ればよき子をいつとか待たむ
仮名 たまほこの みちにゆきあひて よそめにも みればよきこを いつとかまたむ
   
  12/2947
原文 念西 餘西鹿齒 為便乎無美 吾者五十日手寸 應忌鬼尾
訓読 思ひにしあまりにしかばすべをなみ我れは言ひてき忌むべきものを
仮名 おもひにし あまりにしかば すべをなみ われはいひてき いむべきものを
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2947S1
原文 門出而 吾反側乎 人見<監>可毛 [一云 無乏 出行 家當見]
訓読 門に出でて我が臥い伏すを人見けむかも [一云 すべをなみ出でてぞ行きし家のあたり見に]
仮名 かどにいでて わがこいふすを ひとみけむかも [ すべをなみ いでてぞゆきし いへのあたりみに]
   
  12/2947S2
原文 尓保鳥之 奈<津>柴<比>来乎 人見鴨
訓読 にほ鳥のなづさひ来しを人見けむかも
仮名 にほどりの なづさひこしを ひとみけむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/2948
原文 明日者 其門将去 出而見与 戀有容儀 數知兼
訓読 明日の日はその門行かむ出でて見よ恋ひたる姿あまたしるけむ
仮名 あすのひは そのかどゆかむ いでてみよ こひたるすがた あまたしるけむ
   
  12/2949
原文 得田價異 心欝悒 事計 吉為吾兄子 相有時谷
訓読 うたて異に心いぶせし事計りよくせ我が背子逢へる時だに
仮名 うたてけに こころいぶせし ことはかり よくせわがせこ あへるときだに
   
  12/2950
原文 吾妹子之 夜戸出乃光儀 見而之従 情空有 地者雖踐
訓読 我妹子が夜戸出の姿見てしより心空なり地は踏めども
仮名 わぎもこが よとでのすがた みてしより こころそらなり つちはふめども
   
  12/2951
原文 海石榴市之 八十衢尓 立平之 結紐乎 解巻惜毛
訓読 海石榴市の八十の街に立ち平し結びし紐を解かまく惜しも
仮名 つばいちの やそのちまたに たちならし むすびしひもを とかまくをしも
   
  12/2952
原文 吾<齡>之 衰去者 白細布之 袖乃<狎>尓思 君乎母准其念
訓読 我が命の衰へぬれば白栲の袖のなれにし君をしぞ思ふ
仮名 わがいのちの おとろへぬれば しろたへの そでのなれにし きみをしぞおもふ
   
  12/2953
原文 戀君 吾哭<涕> 白妙 袖兼所漬 為便母奈之
訓読 君に恋ひ我が泣く涙白栲の袖さへ漬ちてせむすべもなし
仮名 きみにこひ わがなくなみた しろたへの そでさへひちて せむすべもなし
   
  12/2954
原文 従今者 不相跡為也 白妙之 我衣袖之 干時毛奈吉
訓読 今よりは逢はじとすれや白栲の我が衣手の干る時もなき
仮名 いまよりは あはじとすれや しろたへの わがころもでの ふるときもなき
   
  12/2955
原文 夢可登 情班 月數<多> 干西君之 事之通者
訓読 夢かと心惑ひぬ月まねく離れにし君が言の通へば
仮名 いめかと こころまどひぬ つきまねく かれにしきみが ことのかよへば
   
  12/2956
原文 未玉之 年月兼而 烏玉乃 夢尓所見 君之容儀者
訓読 あらたまの年月かねてぬばたまの夢に見えけり君が姿は
仮名 あらたまの としつきかねて ぬばたまの いめにみえけり きみがすがたは
   
  12/2957
原文 従今者 雖戀妹尓 将相<哉>母 床邊不離 夢<尓>所見乞
訓読 今よりは恋ふとも妹に逢はめやも床の辺去らず夢に見えこそ
仮名 いまよりは こふともいもに あはめやも とこのへさらず いめにみえこそ
   
  12/2958
原文 人見而 言害目不為 夢谷 不止見与 我戀将息
訓読 人の見て言とがめせぬ夢にだにやまず見えこそ我が恋やまむ
仮名 ひとのみて こととがめせぬ いめにだに やまずみえこそ あがこひやまむ
   
  12/2958左
原文 人目多 直者不相
訓読 人目多み直には逢はず
仮名 ひとめおほみ ただにはあはず
   
  12/2959
原文 現者 言絶有 夢谷 嗣而所見与 直相左右二
訓読 うつつには言も絶えたり夢にだに継ぎて見えこそ直に逢ふまでに
仮名 うつつには こともたえたり いめにだに つぎてみえこそ ただにあふまでに
   
  12/2960
原文 虚蝉之 宇都思情毛 吾者無 妹乎不相見而 年之經去者
訓読 うつせみの現し心も我れはなし妹を相見ずて年の経ぬれば
仮名 うつせみの うつしごころも われはなし いもをあひみずて としのへぬれば
   
  12/2961
原文 虚蝉之 常辞登 雖念 継而之聞者 心遮焉
訓読 うつせみの常のことばと思へども継ぎてし聞けば心惑ひぬ
仮名 うつせみの つねのことばと おもへども つぎてしきけば こころまどひぬ
   
  12/2962
原文 白<細>之 袖不數而<宿> 烏玉之 今夜者<早毛> 明<者>将開
訓読 白栲の袖離れて寝るぬばたまの今夜は早も明けば明けなむ
仮名 しろたへの そでかれてぬる ぬばたまの こよひははやも あけばあけなむ
   
  12/2963
原文 白細之 手本寛久 人之宿 味宿者不寐哉 戀将渡
訓読 白栲の手本ゆたけく人の寝る味寐は寝ずや恋ひわたりなむ
仮名 しろたへの たもとゆたけく ひとのぬる うまいはねずや こひわたりなむ
   
  12/2964
原文 如是耳 在家流君乎 衣尓有者 下毛将著跡 <吾>念有家留
訓読 かくのみにありける君を衣にあらば下にも着むと我が思へりける
仮名 かくのみに ありけるきみを きぬにあらば したにもきむと わがおもへりける
   
  12/2965
原文 橡之 袷衣 裏尓為者 吾将強八方 君之不来座
訓読 橡の袷の衣裏にせば我れ強ひめやも君が来まさぬ
仮名 つるはみの あはせのころも うらにせば われしひめやも きみがきまさぬ
   
  12/2966
原文 紅 薄染衣 淺尓 相見之人尓 戀比日可聞
訓読 紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも
仮名 くれなゐの うすそめころも あさらかに あひみしひとに こふるころかも
   
  12/2967
原文 年之經者 見管偲登 妹之言思 衣乃<縫>目 見者哀裳
訓読 年の経ば見つつ偲へと妹が言ひし衣の縫目見れば悲しも
仮名 としのへば みつつしのへと いもがいひし ころものぬひめ みればかなしも
   
  12/2968
原文 橡之 一重衣 裏毛無 将有兒故 戀渡可聞
訓読 橡の一重の衣うらもなくあるらむ子ゆゑ恋ひわたるかも
仮名 つるはみの ひとへのころも うらもなく あるらむこゆゑ こひわたるかも
   
  12/2969
原文 解衣之 念乱而 雖戀 何之故其跡 問人毛無
訓読 解き衣の思ひ乱れて恋ふれども何のゆゑぞと問ふ人もなし
仮名 とききぬの おもひみだれて こふれども なにのゆゑぞと とふひともなし
   
  12/2970
原文 桃花褐 淺等乃衣 淺尓 念而妹尓 将相物香裳
訓読 桃染めの浅らの衣浅らかに思ひて妹に逢はむものかも
仮名 ももそめの あさらのころも あさらかに おもひていもに あはむものかも
   
  12/2971
原文 大王之 塩焼海部乃 藤衣 穢者雖為 弥希将見毛
訓読 大君の塩焼く海人の藤衣なれはすれどもいやめづらしも
仮名 おほきみの しほやくあまの ふぢころも なれはすれども いやめづらしも
   
  12/2972
原文 赤帛之 純裏衣 長欲 我念君之 不所見比者鴨
訓読 赤絹の純裏の衣長く欲り我が思ふ君が見えぬころかも
仮名 あかきぬの ひたうらのきぬ ながくほり あがおもふきみが みえぬころかも
   
  12/2973
原文 真玉就 越乞兼而 結鶴 言下紐之 <所>解日有米也
訓読 真玉つくをちこち兼ねて結びつる我が下紐の解くる日あらめや
仮名 またまつく をちこちかねて むすびつる わがしたびもの とくるひあらめや
   
  12/2974
原文 紫 帶之結毛 解毛不見 本名也妹尓 戀度南
訓読 紫の帯の結びも解きもみずもとなや妹に恋ひわたりなむ
仮名 むらさきの おびのむすびも ときもみず もとなやいもに こひわたりなむ
   
  12/2975
原文 高麗錦 紐之結毛 解不放 齋而待杼 驗無可聞
訓読 高麗錦紐の結びも解き放けず斎ひて待てど験なきかも
仮名 こまにしき ひものむすびも ときさけず いはひてまてど しるしなきかも
   
  12/2976
原文 紫 我下紐乃 色尓不出 戀可毛将痩 <相>因乎無見
訓読 紫の我が下紐の色に出でず恋ひかも痩せむ逢ふよしをなみ
仮名 むらさきの わがしたひもの いろにいでず こひかもやせむ あふよしをなみ
   
  12/2977
原文 何故可 不思将有 紐緒之 心尓入而 戀布物乎
訓読 何ゆゑか思はずあらむ紐の緒の心に入りて恋しきものを
仮名 なにゆゑか おもはずあらむ ひものをの こころにいりて こほしきものを
   
  12/2978
原文 真十鏡 見座吾背子 吾形見 将持辰尓 将不相哉
訓読 まそ鏡見ませ我が背子我が形見待てらむ時に逢はざらめやも
仮名 まそかがみ みませわがせこ わがかたみ まてらむときに あはざらめやも
   
  12/2979
原文 真十鏡 直目尓君乎 見者許増 命對 吾戀止目
訓読 まそ鏡直目に君を見てばこそ命に向ふ我が恋やまめ
仮名 まそかがみ ただめにきみを みてばこそ いのちにむかふ あがこひやまめ
   
  12/2980
原文 犬馬鏡 見不飽妹尓 不相而 月之經去者 生友名師
訓読 まそ鏡見飽かぬ妹に逢はずして月の経ゆけば生けりともなし
仮名 まそかがみ みあかぬいもに あはずして つきのへゆけば いけりともなし
   
  12/2981
原文 祝部等之 齋三諸乃 犬馬鏡 懸而偲 相人毎
訓読 祝部らが斎くみもろのまそ鏡懸けて偲ひつ逢ふ人ごとに
仮名 はふりらが いつくみもろの まそかがみ かけてしのひつ あふひとごとに
   
  12/2982
原文 針者有杼 妹之無者 将著哉跡 吾乎令煩 絶紐之緒
訓読 針はあれど妹しなければ付けめやと我れを悩まし絶ゆる紐の緒
仮名 はりはあれど いもしなければ つけめやと われをなやまし たゆるひものを
   
  12/2983
原文 高麗劔 己之景迹故 外耳 見乍哉君乎 戀渡奈牟
訓読 高麗剣我が心から外のみに見つつや君を恋ひわたりなむ
仮名 こまつるぎ わがこころから よそのみに みつつやきみを こひわたりなむ
   
  12/2984
原文 劔大刀 名之惜毛 吾者無 比来之間 戀之繁尓
訓読 剣大刀名の惜しけくも我れはなしこのころの間の恋の繁きに
仮名 つるぎたち なのをしけくも われはなし このころのまの こひのしげきに
   
  12/2985
原文 梓弓 末者師不知 雖然 真坂者<君>尓 縁西物乎
訓読 梓弓末はし知らずしかれどもまさかは君に寄りにしものを
仮名 あづさゆみ すゑはししらず しかれども まさかはきみに よりにしものを
   
  12/2985左
原文 梓弓 末乃多頭吉波 雖不知 心者君尓 因之物乎
訓読 梓弓末のたづきは知らねども心は君に寄りにしものを
仮名 あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを
   
  12/2986
原文 梓弓 引見<緩>見 思見而 既心齒 因尓思物乎
訓読 梓弓引きみ緩へみ思ひみてすでに心は寄りにしものを
仮名 あづさゆみ ひきみゆるへみ おもひみて すでにこころは よりにしものを
   
  12/2987
原文 梓弓 引而不<緩> 大夫哉 戀云物乎 忍不得牟
訓読 梓弓引きて緩へぬ大夫や恋といふものを忍びかねてむ
仮名 あづさゆみ ひきてゆるへぬ ますらをや こひといふものを しのびかねてむ
   
  12/2988
原文 梓弓 末中一伏三起 不通有之 君者會奴 嗟羽将息
訓読 梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやめむ
仮名 あづさゆみ すゑのなかごろ よどめりし きみにはあひぬ なげきはやめむ
   
  12/2989
原文 今更 何壮鹿将念 梓弓 引見縦見 縁西鬼乎
訓読 今さらに何をか思はむ梓弓引きみ緩へみ寄りにしものを
仮名 いまさらに なにをかおもはむ あづさゆみ ひきみゆるへみ よりにしものを
   
  12/2990
原文 D嬬等之 <續>麻之多<田>有 打麻<懸> 續時無<三> 戀度鴨
訓読 娘子らが績み麻のたたり打ち麻懸けうむ時なしに恋ひわたるかも
仮名 をとめらが うみをのたたり うちそかけ うむときなしに こひわたるかも
   
  12/2991
原文 垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘ろ荒鹿 異母二不相而
訓読 たらちねの母が飼ふ蚕の繭隠りいぶせくもあるか妹に逢はずして
仮名 たらちねの ははがかふこの まよごもり いぶせくもあるか いもにあはずして
   
  12/2992
原文 玉手次 不懸者辛苦 懸垂者 續手見巻之 欲寸君可毛
訓読 玉たすき懸けねば苦し懸けたれば継ぎて見まくの欲しき君かも
仮名 たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎてみまくの ほしききみかも
   
  12/2993
原文 紫 綵色之蘰 花八香尓 今日見人尓 後将戀鴨
訓読 紫のまだらのかづら花やかに今日見し人に後恋ひむかも
仮名 むらさきの まだらのかづら はなやかに けふみしひとに のちこひむかも
   
  12/2994
原文 玉蘰 不懸時無 戀<友> 何如妹尓 相時毛名寸
訓読 玉葛懸けぬ時なく恋ふれども何しか妹に逢ふ時もなき
仮名 たまかづら かけぬときなく こふれども なにしかいもに あふときもなき
   
  12/2995
原文 相因之 出来左右者 疊薦 重編數 夢西将見
訓読 逢ふよしの出でくるまでは畳薦隔て編む数夢にし見えむ
仮名 あふよしの いでくるまでは たたみこも へだてあむかず いめにしみえむ
   
  12/2996
原文 白香付 木綿者花物 事社者 何時之真枝毛 常不所忘
訓読 しらかつく木綿は花もの言こそばいつのまえだも常忘らえね
仮名 しらかつく ゆふははなもの ことこそば いつのまえだも つねわすらえね
   
  12/2997
原文 石上 振之高橋 高々尓 妹之将待 夜曽深去家留
訓読 石上布留の高橋高々に妹が待つらむ夜ぞ更けにける
仮名 いそのかみ ふるのたかはし たかたかに いもがまつらむ よぞふけにける
   
  12/2998
原文 湊入之 葦別小船 障多 今来吾乎 不通跡念莫
訓読 港入りの葦別け小舟障り多み今来む我れを淀むと思ふな
仮名 みなといりの あしわけをぶね さはりおほみ いまこむわれを よどむとおもふな
   
  12/2998左
原文 湊入尓 蘆別小船 障多 君尓不相而 年曽經来
訓読 港入りに葦別け小舟障り多み君に逢はずて年ぞ経にける
仮名 みなといりに あしわけをぶね さはりおほみ きみにあはずて としぞへにける
   
  12/2999
原文 水乎多 上尓種蒔 比要乎多 擇擢之業曽 吾獨宿
訓読 水を多み上田に種蒔き稗を多み選らえし業ぞ我がひとり寝る
仮名 みづをおほみ あげにたねまき ひえをおほみ えらえしわざぞ わがひとりぬる
   
  12/3000
原文 霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳 [一云 母之守之師]
訓読 魂合へば相寝るものを小山田の鹿猪田守るごと母し守らすも [一云 母が守らしし]
仮名 たまあへば あひぬるものを をやまだの ししだもるごと ははしもらすも [ははがもらしし]
   
  12/3001
原文 春日野尓 照有暮日之 外耳 君乎相見而 今曽悔寸
訓読 春日野に照れる夕日の外のみに君を相見て今ぞ悔しき
仮名 かすがのに てれるゆふひの よそのみに きみをあひみて いまぞくやしき
   
  12/3002
原文 足日木乃 従山出流 月待登 人尓波言而 妹待吾乎
訓読 あしひきの山より出づる月待つと人には言ひて妹待つ我れを
仮名 あしひきの やまよりいづる つきまつと ひとにはいひて いもまつわれを
   
  12/3003
原文 夕月夜 五更闇之 不明 見之人故 戀渡鴨
訓読 夕月夜暁闇のおほほしく見し人ゆゑに恋ひわたるかも
仮名 ゆふづくよ あかときやみの おほほしく みしひとゆゑに こひわたるかも
   
  12/3004
原文 久堅之 天水虚尓 照<月>之 将失日社 吾戀止目
訓読 久方の天つみ空に照る月の失せなむ日こそ我が恋止まめ
仮名 ひさかたの あまつみそらに てるつきの うせなむひこそ あがこひやまめ
   
  12/3005
原文 十五日 出之月乃 高々尓 君乎座而 何物乎加将念
訓読 十五日に出でにし月の高々に君をいませて何をか思はむ
仮名 もちのひに いでにしつきの たかたかに きみをいませて なにをかおもはむ
   
  12/3006
原文 月夜好 門尓出立 足占為而 徃時禁八 妹二不相有
訓読 月夜よみ門に出で立ち足占して行く時さへや妹に逢はずあらむ
仮名 つくよよみ かどにいでたち あしうらして ゆくときさへや いもにあはずあらむ
   
  12/3007
原文 野干玉 夜渡月之 清者 吉見而申尾 君之光儀乎
訓読 ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を
仮名 ぬばたまの よわたるつきの さやけくは よくみてましを きみがすがたを
   
  12/3008
原文 足引之 山<呼>木高三 暮月乎 何時君乎 待之苦沙
訓読 あしひきの山を木高み夕月をいつかと君を待つが苦しさ
仮名 あしひきの やまをこだかみ ゆふつきを いつかときみを まつがくるしさ
   
  12/3009
原文 橡之 衣解洗 又打山 古人尓者 猶不如家利
訓読 橡の衣解き洗ひ真土山本つ人にはなほしかずけり
仮名 つるはみの きぬときあらひ まつちやま もとつひとには なほしかずけり
   
  12/3010
原文 佐保川之 川浪不立 静雲 君二副而 明日兼欲得
訓読 佐保川の川波立たず静けくも君にたぐひて明日さへもがも
仮名 さほがはの かはなみたたず しづけくも きみにたぐひて あすさへもがも
   
  12/3011
原文 吾妹兒尓 衣借香之 宜寸川 因毛有額 妹之目乎将見
訓読 我妹子に衣春日の宜寸川よしもあらぬか妹が目を見む
仮名 わぎもこに ころもかすがの よしきがは よしもあらぬか いもがめをみむ
   
  12/3012
原文 登能雲入 雨零川之 左射礼浪 間無毛君者 所念鴨
訓読 との曇り雨布留川のさざれ波間なくも君は思ほゆるかも
仮名 とのぐもり あめふるかはの さざれなみ まなくもきみは おもほゆるかも
   
  12/3013
原文 吾妹兒哉 安乎忘為莫 石上 袖振川之 将絶跡念倍也
訓読 我妹子や我を忘らすな石上袖布留川の絶えむと思へや
仮名 わぎもこや あをわすらすな いそのかみ そでふるかはの たえむとおもへや
   
  12/3014
原文 神山之 山下響 逝水之 水尾不絶者 後毛吾妻
訓読 三輪山の山下響み行く水の水脈し絶えずは後も我が妻
仮名 みわやまの やましたとよみ ゆくみづの みをしたえずは のちもわがつま
   
  12/3015
原文 如神 所聞瀧之 白浪乃 面知君之 不所見比日
訓読 神のごと聞こゆる瀧の白波の面知る君が見えぬこのころ
仮名 かみのごと きこゆるたきの しらなみの おもしるきみが みえぬこのころ
   
  12/3016
原文 山川之 瀧尓益流 戀為登曽 人知尓来 無間念者
訓読 山川の瀧にまされる恋すとぞ人知りにける間なくし思へば
仮名 やまがはの たきにまされる こひすとぞ ひとしりにける まなくしおもへば
   
  12/3017
原文 足桧木之 山川水之 音不出 人之子姤 戀渡青頭鶏
訓読 あしひきの山川水の音に出でず人の子ゆゑに恋ひわたるかも
仮名 あしひきの やまがはみづの おとにいでず ひとのこゆゑに こひわたるかも
   
  12/3018
原文 高湍尓有 能登瀬乃川之 後将合 妹者吾者 今尓不有十万
訓読 高湍なる能登瀬の川の後も逢はむ妹には我れは今にあらずとも
仮名 たかせなる のとせのかはの のちもあはむ いもにはわれは いまにあらずとも
   
  12/3019
原文 浣衣 取替河之 <河>余杼能 不通牟心 思兼都母
訓読 洗ひ衣取替川の川淀の淀まむ心思ひかねつも
仮名 あらひきぬ とりかひがはの かはよどの よどまむこころ おもひかねつも
   
  12/3020
原文 斑鳩之 因可<乃>池之 宜毛 君乎不言者 念衣吾為流
訓読 斑鳩の因可の池のよろしくも君を言はねば思ひぞ我がする
仮名 いかるがの よるかのいけの よろしくも きみをいはねば おもひぞわがする
   
  12/3021
原文 絶沼之 下従者将戀 市白久 人之可知 歎為米也母
訓読 隠り沼の下ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
仮名 こもりぬの したゆはこひむ いちしろく ひとのしるべく なげきせめやも
   
  12/3022
原文 去方無三 隠有小沼乃 下思尓 吾曽物念 頃者之間
訓読 ゆくへなみ隠れる小沼の下思に我れぞ物思ふこのころの間
仮名 ゆくへなみ こもれるをぬの したもひに われぞものもふ このころのあひだ
   
  12/3023
原文 隠沼乃 下従戀餘 白浪之 灼然出 人之可知
訓読 隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
仮名 こもりぬの したゆこひあまり しらなみの いちしろくいでぬ ひとのしるべく
   
  12/3024
原文 妹目乎 見巻欲江之 小浪 敷而戀乍 有跡告乞
訓読 妹が目を見まく堀江のさざれ波しきて恋ひつつありと告げこそ
仮名 いもがめを みまくほりえの さざれなみ しきてこひつつ ありとつげこそ
   
  12/3025
原文 石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良久 吾情柄
訓読 石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から
仮名 いはばしる たるみのみづの はしきやし きみにこふらく わがこころから
   
  12/3026
原文 君者不来 吾者故無 立浪之 敷和備思 如此而不来跡也
訓読 君は来ず我れは故なみ立つ波のしくしくわびしかくて来じとや
仮名 きみはこず われはゆゑなみ たつなみの しくしくわびし かくてこじとや
   
  12/3027
原文 淡海之海 邊多波人知 奥浪 君乎置者 知人毛無
訓読 近江の海辺は人知る沖つ波君をおきては知る人もなし
仮名 あふみのうみ へたはひとしる おきつなみ きみをおきては しるひともなし
   
  12/3028
原文 大海之 底乎深目而 結<義>之 妹心者 疑毛無
訓読 大海の底を深めて結びてし妹が心はうたがひもなし
仮名 おほうみの そこをふかめて むすびてし いもがこころは うたがひもなし
   
  12/3029
原文 貞能汭尓 依流白浪 無間 思乎如何 妹尓難相
訓読 佐太の浦に寄する白波間なく思ふを何か妹に逢ひかたき
仮名 さだのうらに よするしらなみ あひだなく おもふをなにか いもにあひかたき
   
  12/3030
原文 念出而 為便無時者 天雲之 奥香裳不知 戀乍曽居
訓読 思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る
仮名 おもひいでて すべなきときは あまくもの おくかもしらず こひつつぞをる
   
  12/3031
原文 天雲乃 絶多比安 心<有>者 吾乎莫憑 待者苦毛
訓読 天雲のたゆたひやすき心あらば我れをな頼めそ待たば苦しも
仮名 あまくもの たゆたひやすき こころあらば われをなたのめそ またばくるしも
   
  12/3032
原文 君之當 見乍母将居 伊駒山 雲莫蒙 雨者雖零
訓読 君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
仮名 きみがあたり みつつもをらむ いこまやま くもなたなびき あめはふるとも
   
  12/3033
原文 中々二 如何知兼 吾山尓 焼流火氣能 外見申尾
訓読 なかなかに何か知りけむ我が山に燃ゆる煙の外に見ましを
仮名 なかなかに なにかしりけむ わがやまに もゆるけぶりの よそにみましを
   
  12/3034
原文 吾妹兒尓 戀為便名鴈 る乎熱 旦戸開者 所見霧可聞
訓読 我妹子に恋ひすべながり胸を熱み朝戸開くれば見ゆる霧かも
仮名 わぎもこに こひすべながり むねをあつみ あさとあくれば みゆるきりかも
   
  12/3035
原文 暁之 朝霧隠 反羽二 如何戀乃 色<丹>出尓家留
訓読 暁の朝霧隠りかへらばに何しか恋の色に出でにける
仮名 あかときの あさぎりごもり かへらばに なにしかこひの いろにいでにける
   
  12/3036
原文 思出 時者為便無 佐保山尓 立雨霧乃 應消所念
訓読 思ひ出づる時はすべなみ佐保山に立つ雨霧の消ぬべく思ほゆ
仮名 おもひいづる ときはすべなみ さほやまに たつあまぎりの けぬべくおもほゆ
   
  12/3037
原文 -
訓読 殺目山行き返り道の朝霞ほのかにだにや妹に逢はざらむ
仮名 きりめやま ゆきかへりぢの あさがすみ ほのかにだにや いもにあはざらむ
   
  12/3038
原文 如此将戀 物等知者 夕置而 旦者消流 露有申尾
訓読 かく恋ひむものと知りせば夕置きて朝は消ぬる露ならましを
仮名 かくこひむ ものとしりせば ゆふへおきて あしたはけぬる つゆならましを
   
  12/3039
原文 暮置而 旦者消流 白露之 可消戀毛 吾者為鴨
訓読 夕置きて朝は消ぬる白露の消ぬべき恋も我れはするかも
仮名 ゆふへおきて あしたはけぬる しらつゆの けぬべきこひも あれはするかも
   
  12/3040
原文 後遂尓 <妹>将相跡 旦露之 命者生有 戀者雖繁
訓読 後つひに妹は逢はむと朝露の命は生けり恋は繁けど
仮名 のちつひに いもはあはむと あさつゆの いのちはいけり こひはしげけど
   
  12/3041
原文 朝旦 草上白 置露乃 消者共跡 云師君者毛
訓読 朝な朝な草の上白く置く露の消なばともにと言ひし君はも
仮名 あさなさな くさのうへしろく おくつゆの けなばともにと いひしきみはも
   
  12/3042
原文 朝日指 春日能小野尓 置露乃 可消吾身 惜雲無
訓読 朝日さす春日の小野に置く露の消ぬべき我が身惜しけくもなし
仮名 あさひさす かすがのをのに おくつゆの けぬべきあがみ をしけくもなし
   
  12/3043
原文 露霜乃 消安我身 雖老 又若反 君乎思将待
訓読 露霜の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
仮名 つゆしもの けやすきあがみ おいぬとも またをちかへり きみをしまたむ
   
  12/3044
原文 待君<常> 庭耳居者 打靡 吾黒髪尓 <霜>曽置尓家留
訓読 君待つと庭のみ居ればうち靡く我が黒髪に霜ぞ置きにける
仮名 きみまつと にはのみをれば うちなびく わがくろかみに しもぞおきにける
   
  12/3044左
原文 白細之 吾衣手尓 露曽置尓家留
訓読 白栲の我が衣手に露ぞ置きにける
仮名 しろたへの わがころもでに つゆぞおきにける
   
  12/3045
原文 朝<霜>乃 可消耳也 時無二 思将度 氣之緒尓為而
訓読 朝霜の消ぬべくのみや時なしに思ひわたらむ息の緒にして
仮名 あさしもの けぬべくのみや ときなしに おもひわたらむ いきのをにして
   
  12/3046
原文 左佐浪之 波越安蹔仁 落小雨 間文置而 吾不念國
訓読 楽浪の波越すあざに降る小雨間も置きて我が思はなくに
仮名 ささなみの なみこすあざに ふるこさめ あひだもおきて わがおもはなくに
   
  12/3047
原文 神左備而 巌尓生 松根之 君心者 忘不得毛
訓読 神さびて巌に生ふる松が根の君が心は忘れかねつも
仮名 かむさびて いはほにおふる まつがねの きみがこころは わすれかねつも
   
  12/3048
原文 御猟為 鴈羽之小野之 <櫟柴之> 奈礼波不益 戀社益
訓読 み狩りする雁羽の小野の櫟柴のなれはまさらず恋こそまされ
仮名 みかりする かりはのをのの ならしばの なれはまさらず こひこそまされ
   
  12/3049
原文 櫻麻之 麻原<乃>下草 早生者 妹之下紐 下解有申尾
訓読 桜麻の麻生の下草早く生ひば妹が下紐解かずあらましを
仮名 さくらをの をふのしたくさ はやくおひば いもがしたびも とかずあらましを
   
  12/3050
原文 春日野尓 淺茅標結 断米也登 吾念人者 弥遠長尓
訓読 春日野に浅茅標結ひ絶えめやと我が思ふ人はいや遠長に
仮名 かすがのに あさぢしめゆひ たえめやと わがおもふひとは いやとほながに
   
  12/3051
原文 足桧木之 山菅根之 懃 吾波曽戀流 君之光儀乎
訓読 あしひきの山菅の根のねもころに我れはぞ恋ふる君が姿を
仮名 あしひきの やますがのねの ねもころに あれはぞこふる きみがすがたを
   
  12/3051左
原文 吾念人乎 将見因毛我母
訓読 我が思ふ人を見むよしもがも
仮名 わがおもふひとを みむよしもがも
   
  12/3052
原文 垣津旗 開澤生 菅根之 絶跡也君之 不所見頃者
訓読 かきつはた佐紀沢に生ふる菅の根の絶ゆとや君が見えぬこのころ
仮名 かきつはた さきさはにおふる すがのねの たゆとやきみが みえぬこのころ
   
  12/3053
原文 足桧木乃 山菅根之 懃 不止念者 於妹将相可聞
訓読 あしひきの山菅の根のねもころにやまず思はば妹に逢はむかも
仮名 あしひきの やますがのねの ねもころに やまずおもはば いもにあはむかも
   
  12/3054
原文 相不念 有物乎鴨 菅根乃 懃懇 吾念有良武
訓読 相思はずあるものをかも菅の根のねもころごろに我が思へるらむ
仮名 あひおもはず あるものをかも すがのねの ねもころごろに わがもへるらむ
   
  12/3055
原文 山菅之 不止而公乎 念可母 吾心神之 頃者名寸
訓読 山菅のやまずて君を思へかも我が心どのこの頃はなき
仮名 やますげの やまずてきみを おもへかも あがこころどの このころはなき
   
  12/3056
原文 妹門 去過不得而 草結 風吹解勿 又将顧 [一云 直相麻<弖>尓]
訓読 妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む [一云 直に逢ふまでに]
仮名 いもがかど ゆきすぎかねて くさむすぶ かぜふきとくな またかへりみむ [ただにあふまでに]
   
  12/3057
原文 淺茅原 茅生丹足踏 意具美 吾念兒等之 家當見津 [一云 妹之家當見津]
訓読 浅茅原茅生に足踏み心ぐみ我が思ふ子らが家のあたり見つ [一云 妹が家のあたり見つ]
仮名 あさぢはら ちふにあしふみ こころぐみ あがもふこらが いへのあたりみつ [いもが いへのあたりみつ]
   
  12/3058
原文 内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國
訓読 うちひさす宮にはあれど月草のうつろふ心我が思はなくに
仮名 うちひさす みやにはあれど つきくさの うつろふこころ わがおもはなくに
   
  12/3059
原文 百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方
訓読 百に千に人は言ふとも月草のうつろふ心我れ持ためやも
仮名 ももにちに ひとはいふとも つきくさの うつろふこころ われもためやも
   
  12/3060
原文 萱草 吾紐尓著 時常無 念度者 生跡文奈思
訓読 忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば生けりともなし
仮名 わすれくさ わがひもにつく ときとなく おもひわたれば いけりともなし
   
  12/3061
原文 五更之 目不酔草跡 此乎谷 見乍座而 吾止偲為
訓読 暁の目覚まし草とこれをだに見つついまして我れと偲はせ
仮名 あかときの めさましくさと これをだに みつついまして われをしのはせ
   
  12/3062
原文 萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼之志許草 猶戀尓家利
訓読 忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜の醜草なほ恋ひにけり
仮名 わすれくさ かきもしみみに うゑたれど しこのしこくさ なほこひにけり
   
  12/3063
原文 淺茅原 小野尓標結 空言毛 将相跡令聞 戀之名種尓
訓読 浅茅原小野に標結ふ空言も逢はむと聞こせ恋のなぐさに
仮名 あさぢはら をのにしめゆふ むなことも あはむときこせ こひのなぐさに
   
  12/3063左
原文 将来知志 君矣志将待
訓読 来むと知らせし君をし待たむ
仮名 こむとしらせし きみをしまたむ
   
  12/3064
原文 <人皆>之 笠尓縫云 有間菅 在而後尓毛 相等曽念
訓読 人皆の笠に縫ふといふ有間菅ありて後にも逢はむとぞ思ふ
仮名 ひとみなの かさにぬふといふ ありますげ ありてのちにも あはむとぞおもふ
   
  12/3065
原文 三吉野之 蜻乃小野尓 苅草之 念乱而 宿夜四曽多
訓読 み吉野の秋津の小野に刈る草の思ひ乱れて寝る夜しぞ多き
仮名 みよしのの あきづのをのに かるかやの おもひみだれて ぬるよしぞおほき
   
  12/3066
原文 妹待跡 三笠乃山之 山菅之 不止八将戀 命不死者
訓読 妹待つと御笠の山の山菅の止まずや恋ひむ命死なずは
仮名 いもまつと みかさのやまの やますげの やまずやこひむ いのちしなずは
   
  12/3067
原文 谷迫 峯邊延有 玉葛 令蔓之<有>者 年二不来友 [一云 石葛 令蔓之有者]
訓読 谷狭み嶺辺に延へる玉葛延へてしあらば年に来ずとも [一云 岩つなの延へてしあらば]
仮名 たにせまみ みねへにはへる たまかづら はへてしあらば としにこずとも [いはつなの はへてしあらば]
   
  12/3068
原文 水茎之 岡乃田葛葉緒 吹變 面知兒等之 不見比鴨
訓読 水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る子らが見えぬころかも
仮名 みづくきの をかのくずはを ふきかへし おもしるこらが みえぬころかも
   
  12/3069
原文 赤駒之 射去羽計 真田葛原 何傳言 直将吉
訓読 赤駒のい行きはばかる真葛原何の伝て言直にしよけむ
仮名 あかごまの いゆきはばかる まくずはら なにのつてこと ただにしよけむ
   
  12/3070
原文 木綿疊 田上山之 狭名葛 在去之毛 <今>不有十万
訓読 木綿畳田上山のさな葛ありさりてしも今ならずとも
仮名 ゆふたたみ たなかみやまの さなかづら ありさりてしも いまならずとも
   
  12/3071
原文 <丹>波道之 大江乃山之 真玉葛 絶牟乃心 我不思
訓読 丹波道の大江の山のさな葛絶えむの心我が思はなくに
仮名 たにはぢの おほえのやまの さなかづら たえむのこころ わがおもはなくに
   
  12/3072
原文 大埼之 有礒乃渡 延久受乃 徃方無哉 戀度南
訓読 大崎の荒礒の渡り延ふ葛のゆくへもなくや恋ひわたりなむ
仮名 おほさきの ありそのわたり はふくずの ゆくへもなくや こひわたりなむ
   
  12/3073
原文 木綿褁 [一云 疊] 白月山之 佐奈葛 後毛必 将相等曽念 [或本歌曰 将絶跡妹乎 吾念莫久尓]
訓読 木綿包み [一云 畳] 白月山のさな葛後もかならず逢はむとぞ思ふ [或本歌曰 絶えむと妹を我が思はなくに]
仮名 ゆふづつみ[たたみ] しらつきやまの さなかづら のちもかならず あはむとぞおもふ [たえむといもを わがおもはなくに]
   
  12/3074
原文 唐棣花色之 移安 情有者 年乎曽寸經 事者不絶而
訓読 はねず色のうつろひやすき心あれば年をぞ来経る言は絶えずて
仮名 はねずいろの うつろひやすき こころあれば としをぞきふる ことはたえずて
   
  12/3075
原文 如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓
訓読 かくしてぞ人は死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
仮名 かくしてぞ ひとはしぬといふ ふぢなみの ただひとめのみ みしひとゆゑに
   
  12/3076
原文 住吉之 敷津之浦乃 名告藻之 名者告而之乎 不相毛恠
訓読 住吉の敷津の浦のなのりその名は告りてしを逢はなくも怪し
仮名 すみのえの しきつのうらの なのりその なはのりてしを あはなくもあやし
   
  12/3077
原文 三佐呉集 荒礒尓生流 勿謂藻乃 吉名者不<告> 父母者知鞆
訓読 みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも
仮名 みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらじ おやはしるとも
   
  12/3078
原文 浪之共 靡玉藻乃 片念尓 吾念人之 言乃繁家口
訓読 波の共靡く玉藻の片思に我が思ふ人の言の繁けく
仮名 なみのむた なびくたまもの かたもひに わがおもふひとの ことのしげけく
   
  12/3079
原文 海若之 奥津玉藻乃 靡将寐 早来座君 待者苦毛
訓読 わたつみの沖つ玉藻の靡き寝む早来ませ君待たば苦しも
仮名 わたつみの おきつたまもの なびきねむ はやきませきみ またばくるしも
   
  12/3080
原文 海若之 奥尓生有 縄<乗>乃 名者曽不告 戀者雖死
訓読 わたつみの沖に生ひたる縄海苔の名はかつて告らじ恋ひは死ぬとも
仮名 わたつみの おきにおひたる なはのりの なはかつてのらじ こひはしねとも
   
  12/3081
原文 玉緒乎 片緒尓搓而 緒乎弱弥 乱時尓 不戀有目八方
訓読 玉の緒を片緒に縒りて緒を弱み乱るる時に恋ひずあらめやも
仮名 たまのをを かたをによりて ををよわみ みだるるときに こひずあらめやも
   
  12/3082
原文 君尓不相 久成宿 玉緒之 長命之 惜雲無
訓読 君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
仮名 きみにあはず ひさしくなりぬ たまのをの ながきいのちの をしけくもなし
   
  12/3083
原文 戀事 益今者 玉緒之 絶而乱而 可死所念
訓読 恋ふることまされる今は玉の緒の絶えて乱れて死ぬべく思ほゆ
仮名 こふること まされるいまは たまのをの たえてみだれて しぬべくおもほゆ
   
  12/3084
原文 海處女 潜取云 忘貝 代二毛不忘 妹之容儀者
訓読 海人娘子潜き採るといふ忘れ貝世にも忘れじ妹が姿は
仮名 あまをとめ かづきとるといふ わすれがひ よにもわすれじ いもがすがたは
   
  12/3085
原文 朝影尓 吾身者成奴 玉蜻 髣髴所見而 徃之兒故尓
訓読 朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに
仮名 あさかげに あがみはなりぬ たまかぎる ほのかにみえて いにしこゆゑに
   
  12/3086
原文 中々二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒<許>
訓読 なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり
仮名 なかなかに ひととあらずは くはこにも ならましものを たまのをばかり
   
  12/3087
原文 真菅吉 宗我乃河原尓 鳴千鳥 間無吾背子 吾戀者
訓読 ま菅よし宗我の川原に鳴く千鳥間なし我が背子我が恋ふらくは
仮名 ますげよし そがのかはらに なくちどり まなしわがせこ あがこふらくは
   
  12/3088
原文 戀衣 著<楢>乃山尓 鳴鳥之 間無<時無> 吾戀良苦者
訓読 恋衣着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし我が恋ふらくは
仮名 こひごろも きならのやまに なくとりの まなくときなし あがこふらくは
   
  12/3089
原文 遠津人 猟道之池尓 住鳥之 立毛居毛 君乎之曽念
訓読 遠つ人狩道の池に住む鳥の立ちても居ても君をしぞ思ふ
仮名 とほつひと かりぢのいけに すむとりの たちてもゐても きみをしぞおもふ
   
  12/3090
原文 葦邊徃 鴨之羽音之 聲耳 聞管本名 戀度鴨
訓読 葦辺行く鴨の羽音の音のみに聞きつつもとな恋ひわたるかも
仮名 あしへゆく かものはおとの おとのみに ききつつもとな こひわたるかも
   
  12/3091
原文 鴨尚毛 己之妻共 求食為而 所遺間尓 戀云物乎
訓読 鴨すらもおのが妻どちあさりして後るる間に恋ふといふものを
仮名 かもすらも おのがつまどち あさりして おくるるあひだに こふといふものを
   
  12/3092
原文 白檀 斐太乃細江之 菅鳥乃 妹尓戀哉 寐宿金鶴
訓読 白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか寐を寝かねつる
仮名 しらまゆみ ひだのほそえの すがどりの いもにこふれか いをねかねつる
   
  12/3093
原文 小竹之上尓 来居而鳴<鳥> 目乎安見 人妻姤尓 吾戀二来
訓読 小竹の上に来居て鳴く鳥目を安み人妻ゆゑに我れ恋ひにけり
仮名 しののうへに きゐてなくとり めをやすみ ひとづまゆゑに あれこひにけり
   
  12/3094
原文 物念常 不宿起有 旦開者 和備弖鳴成 鶏左倍
訓読 物思ふと寐ねず起きたる朝明にはわびて鳴くなり庭つ鳥さへ
仮名 ものもふと いねずおきたる あさけには わびてなくなり にはつとりさへ
   
  12/3095
原文 朝烏 早勿鳴 吾背子之 旦開之容儀 見者悲毛
訓読 朝烏早くな鳴きそ我が背子が朝明の姿見れば悲しも
仮名 あさがらす はやくななきそ わがせこが あさけのすがた みればかなしも
   
  12/3096
原文 柜ゐ越尓 麦咋駒乃 雖詈 猶戀久 思不勝焉
訓読 馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど猶し恋しく思ひかねつも
仮名 ませごしに むぎはむこまの のらゆれど なほしこひしく おもひかねつも
   
  12/3097
原文 左桧隈 <桧隈>河尓 駐馬 馬尓水令飲 吾外将見
訓読 さ桧隈桧隈川に馬留め馬に水飼へ我れ外に見む
仮名 さひのくま ひのくまかはに うまとどめ うまにみづかへ われよそにみむ
   
  12/3098
原文 於能礼故 所詈而居者 ゑ馬之 面高夫駄尓 乗而應来哉
訓読 おのれゆゑ罵らえて居れば青馬の面高夫駄に乗りて来べしや
仮名 おのれゆゑ のらえてをれば あをうまの おもたかぶだに のりてくべしや
   
  12/3099
原文 紫草乎 草跡別々 伏鹿之 野者殊異為而 心者同
訓読 紫草を草と別く別く伏す鹿の野は異にして心は同じ
仮名 むらさきを くさとわくわく ふすしかの のはことにして こころはおやじ
   
  12/3100
原文 不想乎 想常云者 真鳥住 卯名手乃<社>之 神<思>将御知
訓読 思はぬを思ふと言はば真鳥住む雲梯の杜の神し知らさむ
仮名 おもはぬを おもふといはば まとりすむ うなてのもりの かみししらさむ
   
  12/3101
原文 紫者 灰指物曽 海石榴市之 八十街尓 相兒哉誰
訓読 紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ
仮名 むらさきは はひさすものぞ つばいちの やそのちまたに あへるこやたれ
   
  12/3102
原文 足千根乃 母之召名乎 雖白 路行人乎 孰跡知而可
訓読 たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか
仮名 たらちねの ははがよぶなを まをさめど みちゆくひとを たれとしりてか
   
  12/3103
原文 不相 然将有 玉<梓>之 使乎谷毛 待八金<手>六
訓読 逢はなくはしかもありなむ玉梓の使をだにも待ちやかねてむ
仮名 あはなくは しかもありなむ たまづさの つかひをだにも まちやかねてむ
   
  12/3104
原文 将相者 千遍雖念 蟻通 人眼乎多 戀乍衣居
訓読 逢はむとは千度思へどあり通ふ人目を多み恋つつぞ居る
仮名 あはむとは ちたびおもへど ありがよふ ひとめをおほみ こひつつぞをる
   
  12/3105
原文 人目太 直不相而 盖雲 吾戀死者 誰名将有裳
訓読 人目多み直に逢はずてけだしくも我が恋ひ死なば誰が名ならむも
仮名 ひとめおほみ ただにあはずて けだしくも あがこひしなば たがなならむも
   
  12/3106
原文 相見 欲為者 従君毛 吾曽益而 伊布可思美為也
訓読 相見まく欲しきがためは君よりも我れぞまさりていふかしみする
仮名 あひみまく ほしきがためは きみよりも われぞまさりて いふかしみする
   
  12/3107
原文 空蝉之 人目乎繁 不相而 年之經者 生跡毛奈思
訓読 うつせみの人目を繁み逢はずして年の経ぬれば生けりともなし
仮名 うつせみの ひとめをしげみ あはずして としのへぬれば いけりともなし
   
  12/3108
原文 空蝉之 人目繁者 夜干玉之 夜夢乎 次而所見欲
訓読 うつせみの人目繁くはぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
仮名 うつせみの ひとめしげくは ぬばたまの よるのいめにを つぎてみえこそ
   
  12/3109
原文 慇懃 憶吾妹乎 人言之 繁尓因而 不通比日可聞
訓読 ねもころに思ふ我妹を人言の繁きによりて淀むころかも
仮名 ねもころに おもふわぎもを ひとごとの しげきによりて よどむころかも
   
  12/3110
原文 人言之 繁思有者 君毛吾毛 将絶常云而 相之物鴨
訓読 人言の繁くしあらば君も我れも絶えむと言ひて逢ひしものかも
仮名 ひとごとの しげくしあらば きみもあれも たえむといひて あひしものかも
   
  12/3111
原文 為便毛無 片戀乎為登 比日尓 吾可死者 夢所見哉
訓読 すべもなき片恋をすとこの頃に我が死ぬべきは夢に見えきや
仮名 すべもなき かたこひをすと このころに わがしぬべきは いめにみえきや
   
  12/3112
原文 夢見而 衣乎取服 装束間尓 妹之使曽 先尓来
訓読 夢に見て衣を取り着装ふ間に妹が使ぞ先立ちにける
仮名 いめにみて ころもをとりき よそふまに いもがつかひぞ さきだちにける
   
  12/3113
原文 在有而 後毛将相登 言耳乎 堅要管 相者無尓
訓読 ありありて後も逢はむと言のみを堅く言ひつつ逢ふとはなしに
仮名 ありありて のちもあはむと ことのみを かたくいひつつ あふとはなしに
   
  12/3114
原文 極而 吾毛相登 思友 人之言社 繁君尓有
訓読 きはまりて我れも逢はむと思へども人の言こそ繁き君にあれ
仮名 きはまりて われもあはむと おもへども ひとのことこそ しげききみにあれ
   
  12/3115
原文 氣緒尓 言氣築之 妹尚乎 人妻有跡 聞者悲毛
訓読 息の緒に我が息づきし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
仮名 いきのをに わがいきづきし いもすらを ひとづまなりと きけばかなしも
   
  12/3116
原文 我故尓 痛勿和備曽 後遂 不相登要之 言毛不有尓
訓読 我がゆゑにいたくなわびそ後つひに逢はじと言ひしこともあらなくに
仮名 わがゆゑに いたくなわびそ のちつひに あはじといひし こともあらなくに
   
  12/3117
原文 門立而 戸毛閇而有乎 何處従鹿 妹之入来而 夢所見鶴
訓読 門立てて戸も閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる
仮名 かどたてて ともさしてあるを いづくゆか いもがいりきて いめにみえつる
   
  12/3118
原文 門立而 戸者雖闔 盗人之 穿穴従 入而所見牟
訓読 門立てて戸は閉したれど盗人の穿れる穴より入りて見えけむ
仮名 かどたてて とはさしたれど ぬすびとの ほれるあなより いりてみえけむ
   
  12/3119
原文 従明日者 戀乍将<去> 今夕弾 速初夜従 綏解我妹
訓読 明日よりは恋ひつつ行かむ今夜だに早く宵より紐解け我妹
仮名 あすよりは こひつつゆかむ こよひだに はやくよひより ひもとけわぎも
   
  12/3120
原文 今更 将寐哉我背子 荒田<夜>之 全夜毛不落 夢所見欲
訓読 今さらに寝めや我が背子新夜の一夜もおちず夢に見えこそ
仮名 いまさらに ねめやわがせこ あらたよの ひとよもおちず いめにみえこそ
   
  12/3121
原文 吾<勢>子之 使乎待跡 笠不著 出乍曽見之 雨零尓
訓読 我が背子が使を待つと笠も着ず出でつつぞ見し雨の降らくに
仮名 わがせこが つかひをまつと かさもきず いでつつぞみし あめのふらくに
   
  12/3122
原文 無心 雨尓毛有鹿 人目守 乏妹尓 今日谷相<乎>
訓読 心なき雨にもあるか人目守り乏しき妹に今日だに逢はむを
仮名 こころなき あめにもあるか ひとめもり ともしきいもに けふだにあはむを
   
  12/3123
原文 直獨 宿杼宿不得而 白細 袖乎笠尓著 沾乍曽来
訓読 ただひとり寝れど寝かねて白栲の袖を笠に着濡れつつぞ来し
仮名 ただひとり ぬれどねかねて しろたへの そでをかさにき ぬれつつぞこし
   
  12/3124
原文 雨毛零 夜毛更深利 今更 君将行哉 紐解設<名>
訓読 雨も降り夜も更けにけり今さらに君去なめやも紐解き設けな
仮名 あめもふり よもふけにけり いまさらに きみいなめやも ひもときまけな
   
  12/3125
原文 久堅乃 雨零日乎 我門尓 蓑笠不蒙而 来有人哉誰
訓読 ひさかたの雨の降る日を我が門に蓑笠着ずて来る人や誰れ
仮名 ひさかたの あめのふるひを わがかどに みのかさきずて けるひとやたれ
   
  12/3126
原文 纒向之 病足乃山尓 雲居乍 雨者雖零 所<沾>乍<焉>来
訓読 巻向の穴師の山に雲居つつ雨は降れども濡れつつぞ来し
仮名 まきむくの あなしのやまに くもゐつつ あめはふれども ぬれつつぞこし
   
  12/3127
原文 度會 大川邊 若歴木 吾久在者 妹戀鴨
訓読 度会の大川の辺の若久木我が久ならば妹恋ひむかも
仮名 わたらひの おほかはのへの わかひさぎ わがひさならば いもこひむかも
  柿本人麻呂歌集
   
  12/3128
原文 吾妹子 夢見来 倭路 度瀬別 手向吾為
訓読 我妹子を夢に見え来と大和道の渡り瀬ごとに手向けぞ我がする
仮名 わぎもこを いめにみえこと やまとぢの わたりぜごとに たむけぞわがする
  柿本人麻呂歌集
   
  12/3129
原文 櫻花 開哉散 <及>見 誰此 所見散行
訓読 桜花咲きかも散ると見るまでに誰れかもここに見えて散り行く
仮名 さくらばな さきかもちると みるまでに たれかもここに みえてちりゆく
  柿本人麻呂歌集
   
  12/3130
原文 豊洲 聞濱松 心<哀> 何妹 相云始
訓読 豊国の企救の浜松ねもころに何しか妹に相言ひそめけむ
仮名 とよくにの きくのはままつ ねもころに なにしかいもに あひいひそめけむ
  柿本人麻呂歌集
   
  12/3131
原文 月易而 君乎婆見登 念鴨 日毛不易為而 戀之重
訓読 月変へて君をば見むと思へかも日も変へずして恋の繁けむ
仮名 つきかへて きみをばみむと おもへかも ひもかへずして こひのしげけむ
   
  12/3132
原文 莫去跡 變毛来哉常 顧尓 雖徃不歸 道之長手矣
訓読 な行きそと帰りも来やとかへり見に行けど帰らず道の長手を
仮名 なゆきそと かへりもくやと かへりみに ゆけどかへらず みちのながてを
   
  12/3133
原文 去家而 妹乎念出 灼然 人之應知 <歎>将為鴨
訓読 旅にして妹を思ひ出でいちしろく人の知るべく嘆きせむかも
仮名 たびにして いもをおもひいで いちしろく ひとのしるべく なげきせむかも
   
  12/3134
原文 里離 遠有莫國 草枕 旅登之思者 尚戀来
訓読 里離り遠くあらなくに草枕旅とし思へばなほ恋ひにけり
仮名 さとさかり とほくあらなくに くさまくら たびとしおもへば なほこひにけり
   
  12/3135
原文 近有者 名耳毛聞而 名種目津 今夜従戀乃 益々南
訓読 近くあれば名のみも聞きて慰めつ今夜ゆ恋のいやまさりなむ
仮名 ちかくあれば なのみもききて なぐさめつ こよひゆこひの いやまさりなむ
   
  12/3136
原文 客在而 戀者辛苦 何時毛 京行而 君之目乎将見
訓読 旅にありて恋ふれば苦しいつしかも都に行きて君が目を見む
仮名 たびにありて こふればくるし いつしかも みやこにゆきて きみがめをみむ
   
  12/3137
原文 遠有者 光儀者不所見 如常 妹之咲者 面影為而
訓読 遠くあれば姿は見えず常のごと妹が笑まひは面影にして
仮名 とほくあれば すがたはみえず つねのごと いもがゑまひは おもかげにして
   
  12/3138
原文 年毛不歴 反来甞跡 朝影尓 将待妹之 面影所見
訓読 年も経ず帰り来なむと朝影に待つらむ妹し面影に見ゆ
仮名 としもへず かへりこなむと あさかげに まつらむいもし おもかげにみゆ
   
  12/3139
原文 玉桙之 道尓出立 別来之 日従于念 忘時無
訓読 玉桙の道に出で立ち別れ来し日より思ふに忘る時なし
仮名 たまほこの みちにいでたち わかれこし ひよりおもふに わするときなし
   
  12/3140
原文 波之寸八師 志賀在戀尓毛 有之鴨 君所遺而 戀敷念者
訓読 はしきやししかある恋にもありしかも君に後れて恋しき思へば
仮名 はしきやし しかあるこひに ありしかも きみにおくれて こほしきおもへば
   
  12/3141
原文 草枕 客之悲 有苗尓 妹乎相見而 後将戀可聞
訓読 草枕旅の悲しくあるなへに妹を相見て後恋ひむかも
仮名 くさまくら たびのかなしく あるなへに いもをあひみて のちこひむかも
   
  12/3142
原文 國遠 直不相 夢谷 吾尓所見社 相日左右二
訓読 国遠み直には逢はず夢にだに我れに見えこそ逢はむ日までに
仮名 くにとほみ ただにはあはず いめにだに われにみえこそ あはむひまでに
   
  12/3143
原文 如是将戀 物跡知者 吾妹兒尓 言問麻思乎 今之悔毛
訓読 かく恋ひむものと知りせば我妹子に言問はましを今し悔しも
仮名 かくこひむ ものとしりせば わぎもこに こととはましを いましくやしも
   
  12/3144
原文 客夜之 久成者 左丹頬合 紐開不離 戀流比日
訓読 旅の夜の久しくなればさ丹つらふ紐解き放けず恋ふるこのころ
仮名 たびのよの ひさしくなれば さにつらふ ひもときさけず こふるこのころ
   
  12/3145
原文 吾妹兒之 阿<乎>偲良志 草枕 旅之丸寐尓 下紐解
訓読 我妹子し我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐解けぬ
仮名 わぎもこし あをしのふらし くさまくら たびのまろねに したびもとけぬ
   
  12/3146
原文 草枕 旅之衣 紐解 所念鴨 此年比者
訓読 草枕旅の衣の紐解けて思ほゆるかもこの年ころは
仮名 くさまくら たびのころもの ひもとけて おもほゆるかも このとしころは
   
  12/3147
原文 草枕 客之紐解 家之妹志 吾乎待不得而 歎良霜
訓読 草枕旅の紐解く家の妹し我を待ちかねて嘆かふらしも
仮名 くさまくら たびのひもとく いへのいもし わをまちかねて なげかふらしも
   
  12/3148
原文 玉釼 巻寝志妹乎 月毛不經 置而八将越 此山岫
訓読 玉釧まき寝し妹を月も経ず置きてや越えむこの山の崎
仮名 たまくしろ まきねしいもを つきもへず おきてやこえむ このやまのさき
   
  12/3149
原文 梓弓 末者不知杼 愛美 君尓副而 山道越来奴
訓読 梓弓末は知らねど愛しみ君にたぐひて山道越え来ぬ
仮名 あづさゆみ すゑはしらねど うるはしみ きみにたぐひて やまぢこえきぬ
   
  12/3150
原文 霞立 春長日乎 奥香無 不知山道乎 戀乍可将来
訓読 霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山道を恋ひつつか来む
仮名 かすみたつ はるのながひを おくかなく しらぬやまぢを こひつつかこむ
   
  12/3151
原文 外耳 君乎相見而 木綿牒 手向乃山乎 明日香越将去
訓読 外のみに君を相見て木綿畳手向けの山を明日か越え去なむ
仮名 よそのみに きみをあひみて ゆふたたみ たむけのやまを あすかこえいなむ
   
  12/3152
原文 玉勝間 安倍嶋山之 暮露尓 旅宿得為也 長此夜乎
訓読 玉かつま安倍島山の夕露に旅寝えせめや長きこの夜を
仮名 たまかつま あへしまやまの ゆふつゆに たびねえせめや ながきこのよを
   
  12/3153
原文 三雪零 越乃大山 行過而 何日可 我里乎将見
訓読 み雪降る越の大山行き過ぎていづれの日にか我が里を見む
仮名 みゆきふる こしのおほやま ゆきすぎて いづれのひにか わがさとをみむ
   
  12/3154
原文 乞吾駒 早去欲 亦打山 将待妹乎 去而速見牟
訓読 いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む
仮名 いであがこま はやくゆきこそ まつちやま まつらむいもを ゆきてはやみむ
   
  12/3155
原文 悪木山 木<末>悉 明日従者 靡有社 妹之當将見
訓読 悪木山木末ことごと明日よりは靡きてありこそ妹があたり見む
仮名 あしきやま こぬれことごと あすよりは なびきてありこそ いもがあたりみむ
   
  12/3156
原文 鈴鹿河 八十瀬渡而 誰故加 夜越尓将越 妻毛不在君
訓読 鈴鹿川八十瀬渡りて誰がゆゑか夜越えに越えむ妻もあらなくに
仮名 すずかがは やそせわたりて たがゆゑか よごえにこえむ つまもあらなくに
   
  12/3157
原文 吾妹兒尓 又毛相海之 安河 安寐毛不宿尓 戀度鴨
訓読 我妹子にまたも近江の安の川安寐も寝ずに恋ひわたるかも
仮名 わぎもこに またもあふみの やすのかは やすいもねずに こひわたるかも
   
  12/3158
原文 客尓有而 物乎曽念 白浪乃 邊毛奥毛 依者無尓
訓読 旅にありてものをぞ思ふ白波の辺にも沖にも寄るとはなしに
仮名 たびにありて ものをぞおもふ しらなみの へにもおきにも よるとはなしに
   
  12/3159
原文 <湖>轉尓 満来塩能 弥益二 戀者雖剰 不所忘鴨
訓読 港廻に満ち来る潮のいや増しに恋はまされど忘らえぬかも
仮名 みなとみに みちくるしほの いやましに こひはまされど わすらえぬかも
   
  12/3160
原文 奥浪 邊浪之来依 貞浦乃 此左太過而 後将戀鴨
訓読 沖つ波辺波の来寄る佐太の浦のこのさだ過ぎて後恋ひむかも
仮名 おきつなみ へなみのきよる さだのうらの このさだすぎて のちこひむかも
   
  12/3161
原文 在千方 在名草目而 行目友 家有妹伊 将欝悒
訓読 在千潟あり慰めて行かめども家なる妹いいふかしみせむ
仮名 ありちがた ありなぐさめて ゆかめども いへなるいもい いふかしみせむ
   
  12/3162
原文 水咫衝石 心盡而 念鴨 此間毛本名 夢西所見
訓読 みをつくし心尽して思へかもここにももとな夢にし見ゆる
仮名 みをつくし こころつくして おもへかも ここにももとな いめにしみゆる
   
  12/3163
原文 吾妹兒尓 觸者無二 荒礒廻尓 吾衣手者 所<沾>可母
訓読 我妹子に触るとはなしに荒礒廻に我が衣手は濡れにけるかも
仮名 わぎもこに ふるとはなしに ありそみに わがころもでは ぬれにけるかも
   
  12/3164
原文 室之浦之 湍戸之埼有 鳴嶋之 礒越浪尓 所<沾>可聞
訓読 室の浦の瀬戸の崎なる鳴島の磯越す波に濡れにけるかも
仮名 むろのうらの せとのさきなる なきしまの いそこすなみに ぬれにけるかも
   
  12/3165
原文 霍公鳥 飛幡之浦尓 敷浪乃 屡君乎 将見因毛鴨
訓読 霍公鳥飛幡の浦にしく波のしくしく君を見むよしもがも
仮名 ほととぎす とばたのうらに しくなみの しくしくきみを みむよしもがも
   
  12/3166
原文 吾妹兒乎 外耳哉将見 越懈乃 子難<懈>乃 嶋楢名君
訓読 我妹子を外のみや見む越の海の子難の海の島ならなくに
仮名 わぎもこを よそのみやみむ こしのうみの こがたのうみの しまならなくに
   
  12/3167
原文 浪間従 雲位尓所見 粟嶋之 不相物故 吾尓所依兒等
訓読 波の間ゆ雲居に見ゆる粟島の逢はぬものゆゑ我に寄そる子ら
仮名 なみのまゆ くもゐにみゆる あはしまの あはぬものゆゑ わによそるこら
   
  12/3168
原文 衣袖之 真若之浦之 愛子地 間無時無 吾戀钁
訓読 衣手の真若の浦の真砂地間なく時なし我が恋ふらくは
仮名 ころもでの まわかのうらの まなごつち まなくときなし あがこふらくは
   
  12/3169
原文 能登海尓 釣為海部之 射去火之 光尓伊徃 月待香光
訓読 能登の海に釣する海人の漁り火の光りにいませ月待ちがてり
仮名 のとのうみに つりするあまの いざりひの ひかりにいませ つきまちがてり
   
  12/3170
原文 思香乃白水郎乃 <釣>為燭有 射去火之 髣髴妹乎 将見因毛欲得
訓読 志賀の海人の釣りし燭せる漁り火のほのかに妹を見むよしもがも
仮名 しかのあまの つりしともせる いざりひの ほのかにいもを みむよしもがも
   
  12/3171
原文 難波方 水手出船之 遥々 別来礼杼 忘金津毛
訓読 難波潟漕ぎ出る舟のはろはろに別れ来ぬれど忘れかねつも
仮名 なにはがた こぎづるふねの はろはろに わかれきぬれど わすれかねつも
   
  12/3172
原文 浦廻榜 <熊>野舟附 目頬志久 懸不思 月毛日毛無
訓読 浦廻漕ぐ熊野舟つきめづらしく懸けて思はぬ月も日もなし
仮名 うらみこぐ くまのぶねつき めづらしく かけておもはぬ つきもひもなし
   
  12/3173
原文 松浦舟 乱穿江之 水尾早 楫取間無 所念鴨
訓読 松浦舟騒く堀江の水脈早み楫取る間なく思ほゆるかも
仮名 まつらぶね さわくほりえの みをはやみ かぢとるまなく おもほゆるかも
   
  12/3174
原文 射去為 海部之楫音 湯<按>干 妹心 乗来鴨
訓読 漁りする海人の楫音ゆくらかに妹は心に乗りにけるかも
仮名 いざりする あまのかぢおと ゆくらかに いもはこころに のりにけるかも
   
  12/3175
原文 若乃浦尓 袖左倍<沾>而 忘貝 拾杼妹者 不所忘尓
訓読 和歌の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに
仮名 わかのうらに そでさへぬれて わすれがひ ひりへどいもは わすらえなくに
   
  12/3175左
原文 [忘可祢都母]
訓読 [忘れかねつも]
仮名 [わすれかねつも]
   
  12/3176
原文 草枕 羈西居者 苅薦之 擾妹尓 不戀日者無
訓読 草枕旅にし居れば刈り薦の乱れて妹に恋ひぬ日はなし
仮名 くさまくら たびにしをれば かりこもの みだれていもに こひぬひはなし
   
  12/3177
原文 然海部之 礒尓苅干 名告藻之 名者告手師乎 如何相難寸
訓読 志賀の海人の礒に刈り干すなのりその名は告りてしを何か逢ひかたき
仮名 しかのあまの いそにかりほす なのりその なはのりてしを なにかあひかたき
   
  12/3178
原文 國遠見 念勿和備曽 風之共 雲之行如 言者将通
訓読 国遠み思ひなわびそ風の共雲の行くごと言は通はむ
仮名 くにとほみ おもひなわびそ かぜのむた くものゆくごと ことはかよはむ
   
  12/3179
原文 留西 人乎念尓 蜒野 居白雲 止時無
訓読 留まりにし人を思ふに秋津野に居る白雲のやむ時もなし
仮名 とまりにし ひとをおもふに あきづのに ゐるしらくもの やむときもなし
   
  12/3180
原文 浦毛無 去之君故 朝旦 本名焉戀 相跡者無杼
訓読 うらもなく去にし君ゆゑ朝な朝なもとなぞ恋ふる逢ふとはなけど
仮名 うらもなく いにしきみゆゑ あさなさな もとなぞこふる あふとはなけど
   
  12/3181
原文 白細之 君之下紐 吾<左>倍尓 今日結而名 将相日之為
訓読 白栲の君が下紐我れさへに今日結びてな逢はむ日のため
仮名 しろたへの きみがしたびも われさへに けふむすびてな あはむひのため
   
  12/3182
原文 白妙之 袖之別者 雖<惜> 思乱而 赦鶴鴨
訓読 白栲の袖の別れは惜しけども思ひ乱れて許しつるかも
仮名 しろたへの そでのわかれは をしけども おもひみだれて ゆるしつるかも
   
  12/3183
原文 京師邊 君者去之乎 孰解可 言紐緒乃 結手懈毛
訓読 都辺に君は去にしを誰が解けか我が紐の緒の結ふ手たゆきも
仮名 みやこへに きみはいにしを たがとけか わがひものをの ゆふてたゆきも
   
  12/3184
原文 草枕 <客>去君乎 人目多 袖不振為而 安萬田悔毛
訓読 草枕旅行く君を人目多み袖振らずしてあまた悔しも
仮名 くさまくら たびゆくきみを ひとめおほみ そでふらずして あまたくやしも
   
  12/3185
原文 白銅鏡 手二取持而 見常不足 君尓所贈而 生跡文無
訓読 まそ鏡手に取り持ちて見れど飽かぬ君に後れて生けりともなし
仮名 まそかがみ てにとりもちて みれどあかぬ きみにおくれて いけりともなし
   
  12/3186
原文 陰夜之 田時毛不知 山越而 徃座君者 何時将待
訓読 曇り夜のたどきも知らぬ山越えています君をばいつとか待たむ
仮名 くもりよの たどきもしらぬ やまこえて いますきみをば いつとかまたむ
   
  12/3187
原文 <立>名付 青垣山之 隔者 數君乎 言不<問>可聞
訓読 たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも
仮名 たたなづく あをかきやまの へなりなば しばしばきみを こととはじかも
   
  12/3188
原文 朝霞 蒙山乎 越而去者 吾波将戀奈 至于相日
訓読 朝霞たなびく山を越えて去なば我れは恋ひむな逢はむ日までに
仮名 あさがすみ たなびくやまを こえていなば あれはこひむな あはむひまでに
   
  12/3189
原文 足桧乃 山者百重 雖隠 妹者不忘 直相左右二 [一云 雖隠 君乎思苦 止時毛無]
訓読 あしひきの山は百重に隠すとも妹は忘れじ直に逢ふまでに [一云 隠せども君を思はくやむ時もなし]
仮名 あしひきの やまはももへに かくすとも いもはわすれじ ただにあふまでに [かくせども きみをおもはく やむときもなし]
   
  12/3190
原文 雲居<有> 海山超而 伊徃名者 吾者将戀名 後者相宿友
訓読 雲居なる海山越えてい行きなば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
仮名 くもゐなる うみやまこえて いゆきなば あれはこひむな のちはあひぬとも
   
  12/3191
原文 不欲恵八<師> 不戀登為杼 木綿間山 越去之公之 所念良國
訓読 よしゑやし恋ひじとすれど木綿間山越えにし君が思ほゆらくに
仮名 よしゑやし こひじとすれど ゆふまやま こえにしきみが おもほゆらくに
   
  12/3192
原文 草蔭之 荒藺之埼乃 笠嶋乎 見乍可君之 山道超良無 [一云 三坂越良牟]
訓読 草蔭の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山道越ゆらむ [一云 み坂越ゆらむ]
仮名 くさかげの あらゐのさきの かさしまを みつつかきみが やまぢこゆらむ [みさかこゆらむ]
   
  12/3193
原文 玉勝間 嶋熊山之 夕晩 獨可君之 山道将越 [一云 暮霧尓 長戀為乍 寐不勝可母]
訓読 玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山道越ゆらむ [一云 夕霧に長恋しつつ寐ねかてぬかも]
仮名 たまかつま しまくまやまの ゆふぐれに ひとりかきみが やまぢこゆらむ [ゆふぎりに ながこひしつつ いねかてぬかも]
   
  12/3194
原文 氣緒尓 吾念君者 鶏鳴 東方重坂乎 今日可越覧
訓読 息の緒に我が思ふ君は鶏が鳴く東の坂を今日か越ゆらむ
仮名 いきのをに あがおもふきみは とりがなく あづまのさかを けふかこゆらむ
   
  12/3195
原文 磐城山 直越来益 礒埼 許奴美乃濱尓 吾立将待
訓読 磐城山直越え来ませ礒崎の許奴美の浜に我れ立ち待たむ
仮名 いはきやま ただこえきませ いそさきの こぬみのはまに われたちまたむ
   
  12/3196
原文 春日野之 淺茅之原尓 後居而 時其友無 吾戀良苦者
訓読 春日野の浅茅が原に遅れ居て時ぞともなし我が恋ふらくは
仮名 かすがのの あさぢがはらに おくれゐて ときぞともなし あがこふらくは
   
  12/3197
原文 住吉乃 崖尓向有 淡路嶋 A怜登君乎 不言日者无
訓読 住吉の岸に向へる淡路島あはれと君を言はぬ日はなし
仮名 すみのえの きしにむかへる あはぢしま あはれときみを いはぬひはなし
   
  12/3198
原文 明日従者 将行乃河之 出去者 留吾者 戀乍也将有
訓読 明日よりはいなむの川の出でて去なば留まれる我れは恋ひつつやあらむ
仮名 あすよりは いなむのかはの いでていなば とまれるあれは こひつつやあらむ
   
  12/3199
原文 海之底 奥者恐 礒廻従 <水>手運徃為 月者雖經過
訓読 海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも
仮名 わたのそこ おきはかしこし いそみより こぎたみいませ つきはへぬとも
   
  12/3200
原文 飼飯乃浦尓 依流白浪 敷布二 妹之容儀者 所念香毛
訓読 飼飯の浦に寄する白波しくしくに妹が姿は思ほゆるかも
仮名 けひのうらに よするしらなみ しくしくに いもがすがたは おもほゆるかも
   
  12/3201
原文 時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社
訓読 時つ風吹飯の浜に出で居つつ贖ふ命は妹がためこそ
仮名 ときつかぜ ふけひのはまに いでゐつつ あかふいのちは いもがためこそ
   
  12/3202
原文 柔田津尓 舟乗<将>為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将<有>
訓読 熟田津に舟乗りせむと聞きしなへ何ぞも君が見え来ずあるらむ
仮名 にきたつに ふなのりせむと ききしなへ なにぞもきみが みえこずあるらむ
   
  12/3203
原文 三沙呉居 渚尓居舟之 榜出去者 裏戀監 後者會宿友
訓読 みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも
仮名 みさごゐる すにゐるふねの こぎでなば うらごほしけむ のちはあひぬとも
   
  12/3204
原文 玉葛 無<恙>行核 山菅乃 思乱而 戀乍将待
訓読 玉葛幸くいまさね山菅の思ひ乱れて恋ひつつ待たむ
仮名 たまかづら さきくいまさね やますげの おもひみだれて こひつつまたむ
   
  12/3205
原文 後居而 戀乍不有者 田籠之浦乃 海部有申尾 珠藻苅々
訓読 後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
仮名 おくれゐて こひつつあらずは たごのうらの あまならましを たまもかるかる
   
  12/3206
原文 筑紫道之 荒礒乃玉藻 苅鴨 君久 待不来
訓読 筑紫道の荒礒の玉藻刈るとかも君が久しく待てど来まさぬ
仮名 つくしぢの ありそのたまも かるとかも きみがひさしく まてどきまさぬ
   
  12/3207
原文 荒玉乃 年緒永 照月 不猒君八 明日別南
訓読 あらたまの年の緒長く照る月の飽かざる君や明日別れなむ
仮名 あらたまの としのをながく てるつきの あかざるきみや あすわかれなむ
   
  12/3208
原文 久将在 君念尓 久堅乃 清月夜毛 闇夜耳見
訓読 久にあらむ君を思ふにひさかたの清き月夜も闇の夜に見ゆ
仮名 ひさにあらむ きみをおもふに ひさかたの きよきつくよも やみのよにみゆ
   
  12/3209
原文 春日在 三笠乃山尓 居雲乎 出見毎 君乎之曽念
訓読 春日なる御笠の山に居る雲を出で見るごとに君をしぞ思ふ
仮名 かすがなる みかさのやまに ゐるくもを いでみるごとに きみをしぞおもふ
   
  12/3210
原文 足桧木乃 片山雉 立徃牟 君尓後而 打四鶏目八方
訓読 あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも
仮名 あしひきの かたやまきぎし たちゆかむ きみにおくれて うつしけめやも
   
  12/3211
原文 玉緒乃 <徙>心哉 八十梶懸 水手出牟船尓 後而将居
訓読 玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ
仮名 たまのをの うつしこころや やそかかけ こぎでむふねに おくれてをらむ
   
  12/3212
原文 八十梶懸 嶋隠去者 吾妹兒之 留登将振 袖不所見可聞
訓読 八十楫懸け島隠りなば我妹子が留まれと振らむ袖見えじかも
仮名 やそかかけ しまがくりなば わぎもこが とまれとふらむ そでみえじかも
   
  12/3213
原文 十月 鍾礼乃雨丹 <沾>乍哉 君之行疑 宿可借疑
訓読 十月しぐれの雨に濡れつつか君が行くらむ宿か借るらむ
仮名 かむなづき しぐれのあめに ぬれつつか きみがゆくらむ やどかかるらむ
   
  12/3214
原文 十月 <雨>間毛不置 零尓西者 誰里<之> 宿可借益
訓読 十月雨間も置かず降りにせばいづれの里の宿か借らまし
仮名 かむなづき あままもおかず ふりにせば いづれのさとの やどかからまし
   
  12/3215
原文 白妙乃 袖之別乎 難見為而 荒津之濱 屋取為鴨
訓読 白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも
仮名 しろたへの そでのわかれを かたみして あらつのはまに やどりするかも
   
  12/3216
原文 草枕 羈行君乎 荒津左右 送来 <飽>不足社
訓読 草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ
仮名 くさまくら たびゆくきみを あらつまで おくりぞきぬる あきだらねこそ
   
  12/3217
原文 荒津海 吾幣奉 将齋 早<還>座 面變不為
訓読 荒津の海我れ幣奉り斎ひてむ早帰りませ面変りせず
仮名 あらつのうみ われぬさまつり いはひてむ はやかへりませ おもがはりせず
   
  12/3218
原文 <旦>々 筑紫乃方乎 出見乍 哭耳吾泣 痛毛為便無三
訓読 朝な朝な筑紫の方を出で見つつ音のみぞ我が泣くいたもすべなみ
仮名 あさなさな つくしのかたを いでみつつ ねのみぞあがなく いたもすべなみ
   
  12/3219
原文 豊國乃 聞之長濱 去晩 日之昏去者 妹食序念
訓読 豊国の企救の長浜行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ
仮名 とよくにの きくのながはま ゆきくらし ひのくれゆけば いもをしぞおもふ
   
  12/3220
原文 豊國能 聞乃高濱 高々二 君待夜等者 左夜深来
訓読 豊国の企救の高浜高々に君待つ夜らはさ夜更けにけり
仮名 とよくにの きくのたかはま たかたかに きみまつよらは さよふけにけり
   

第十三巻

   
   13/3221
原文 冬<木>成 春去来者 朝尓波 白露置 夕尓波 霞多奈妣久 汗瑞能振 樹奴礼我之多尓 鴬鳴母
訓読 冬こもり 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 汗瑞能振 木末が下に 鴬鳴くも
仮名 ふゆこもり はるさりくれば あしたには しらつゆおき ゆふへには かすみたなびく **** こぬれがしたに うぐひすなくも
   
  13/3222
原文 三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開 末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山
訓読 みもろは 人の守る山 本辺は 馬酔木花咲き 末辺は 椿花咲く うらぐはし山ぞ 泣く子守る山
仮名 みもろは ひとのもるやま もとへは あしびはなさき すゑへは つばきはなさく うらぐはしやまぞ なくこもるやま
   
  13/3223
原文 霹靂之 日香天之 九月乃 <鍾>礼乃落者 鴈音文 未来鳴 甘南備乃 清三田屋乃 垣津田乃 池之堤<之> 百不足 <五十>槻枝丹 水枝指 秋赤葉 真割持 小鈴<文>由良尓 手弱女尓 吾者有友 引攀而 峯文十遠仁 捄手折 吾者持而徃 公之頭刺荷
訓読 かむとけの 日香空の 九月の しぐれの降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神なびの 清き御田屋の 垣つ田の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝さす 秋の黄葉 まき持てる 小鈴もゆらに 手弱女に 我れはあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 我は持ちて行く 君がかざしに
仮名 かむとけの **そらの ながつきの しぐれのふれば かりがねも いまだきなかぬ かむなびの きよきみたやの かきつたの いけのつつみの ももたらず いつきのえだに みづえさす あきのもみちば まきもてる をすずもゆらに たわやめに われはあれども ひきよぢて えだもとををに ふさたをり わはもちてゆく きみがかざしに
   
  13/3224
原文 獨耳 見者戀染 神名火乃 山黄葉 手折来君
訓読 ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君
仮名 ひとりのみ みればこほしみ かむなびの やまのもみちば たをりけりきみ
   
  13/3225
原文 天雲之 影<塞>所見 隠来<矣> 長谷之河者 浦無蚊 船之依不来 礒無蚊 海部之釣不為 吉咲八師 浦者無友 吉畫矢寺 礒者無友 奥津浪 諍榜入来 白水郎之釣船
訓読 天雲の 影さへ見ゆる こもりくの 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来ぬ 礒なみか 海人の釣せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 礒はなくとも 沖つ波 競ひ漕入り来 海人の釣舟
仮名 あまくもの かげさへみゆる こもりくの はつせのかはは うらなみか ふねのよりこぬ いそなみか あまのつりせぬ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし いそはなくとも おきつなみ きほひこぎりこ あまのつりぶね
   
  13/3226
原文 沙邪礼浪 浮而流 長谷河 可依礒之 無蚊不怜也
訓読 さざれ波浮きて流るる泊瀬川寄るべき礒のなきが寂しさ
仮名 さざれなみ うきてながるる はつせがは よるべきいその なきがさぶしさ
   
  13/3227
原文 葦原笶 水穂之國丹 手向為跡 天降座兼 五百万 千万神之 神代従 云續来在 甘南備乃 三諸山者 春去者 春霞立 秋徃者 紅丹穂經 <甘>甞備乃 三諸乃神之 帶為 明日香之河之 水尾速 生多米難 石枕 蘿生左右二 新夜乃 好去通牟 事計 夢尓令見社 劔刀 齋祭 神二師座者
訓読 葦原の 瑞穂の国に 手向けすと 天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より 言ひ継ぎ来る 神なびの みもろの山は 春されば 春霞立つ 秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の 水脈早み 生しためかたき 石枕 苔生すまでに 新夜の 幸く通はむ 事計り 夢に見せこそ 剣太刀 斎ひ祭れる 神にしませば
仮名 あしはらの みづほのくにに たむけすと あもりましけむ いほよろづ ちよろづかみの かむよより いひつぎきたる かむなびの みもろのやまは はるされば はるかすみたつ あきゆけば くれなゐにほふ かむなびの みもろのかみの おばせる あすかのかはの みをはやみ むしためかたき いしまくら こけむすまでに あらたよの さきくかよはむ ことはかり いめにみせこそ つるぎたち いはひまつれる かみにしませば
   
  13/3228
原文 神名備能 三諸之山丹 隠蔵杉 思将過哉 蘿生左右
訓読 神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
仮名 かむなびの みもろのやまに いはふすぎ おもひすぎめや こけむすまでに
   
  13/3229
原文 五十串立 神酒座奉 神主部之 雲聚<玉>蔭 見者乏文
訓読 斎串立てみわ据ゑ奉る祝部がうずの玉かげ見ればともしも
仮名 いぐしたて みわすゑまつる はふりへが うずのたまかげ みればともしも
   
  13/3230
原文 帛S 楢従出而 水蓼 穂積至 鳥網張 坂手乎過 石走 甘南備山丹 朝宮 仕奉而 吉野部登 入座見者 古所念
訓読 みてぐらを 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石走る 神なび山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば いにしへ思ほゆ
仮名 みてぐらを ならよりいでて みづたで ほづみにいたり となみはる さかてをすぎ いはばしる かむなびやまに あさみやに つかへまつりて よしのへと いりますみれば いにしへおもほゆ
   
  13/3231
原文 月日 攝友 久經流 三諸之山 礪津宮地
訓読 月は日は変らひぬとも久に経る三諸の山の離宮ところ
仮名 つきはひは かはらひぬとも ひさにふる みもろのやまの とつみやところ
   
  13/3231左
原文 故王都跡津宮地
訓読 古き都の離宮ところ
仮名 ふるきみやこの とつみやところ
   
  13/3232
原文 斧取而 丹生桧山 木折来而 筏尓作 二梶貫 礒榜廻乍 嶋傳 雖見不飽 三吉野乃 瀧動々 落白浪
訓読 斧取りて 丹生の桧山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 礒漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 瀧もとどろに 落つる白波
仮名 をのとりて にふのひやまの きこりきて いかだにつくり まかぢぬき いそこぎみつつ しまづたひ みれどもあかず みよしのの たきもとどろに おつるしらなみ
   
  13/3233
原文 三芳野 瀧動々 落白浪 留西 妹見<西>巻 欲白浪
訓読 み吉野の瀧もとどろに落つる白波留まりにし妹に見せまく欲しき白波
仮名 みよしのの たきもとどろに おつるしらなみ とまりにし いもにみせまく ほしきしらなみ
   
  13/3234
原文 八隅知之 和期大皇 高照 日之皇子之 聞食 御食都國 神風之 伊勢乃國者 國見者之毛 山見者 高貴之 河見者 左夜氣久清之 水門成 海毛廣之 見渡 嶋名高之 己許乎志毛 間細美香母 <挂>巻毛 文尓恐 山邊乃 五十師乃原 尓内日刺 大宮都可倍 朝日奈須 目細毛 暮日奈須 浦細毛 春山之 四名比盛而 秋山之 色名付思吉 百礒城之 大宮人者 天地 与日月共 万代尓母我
訓読 やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子の きこしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海もゆたけし 見わたす 島も名高し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に うちひさす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地 日月とともに 万代にもが
仮名 やすみしし わごおほきみ たかてらす ひのみこの きこしをす みけつくに かむかぜの いせのくには くにみればしも やまみれば たかくたふとし かはみれば さやけくきよし みなとなす うみもゆたけし みわたす しまもなたかし ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやにかしこき やまのへの いしのはらに うちひさす おほみやつかへ あさひなす まぐはしも ゆふひなす うらぐはしも はるやまの しなひさかえて あきやまの いろなつかしき ももしきの おほみやひとは あめつち ひつきとともに よろづよにもが
   
  13/3235
原文 山邊乃 五十師乃御井者 自然 成錦乎 張流山可母
訓読 山辺の五十師の御井はおのづから成れる錦を張れる山かも
仮名 やまのへの いしのみゐは おのづから なれるにしきを はれるやまかも
   
  13/3236
原文 空見津 倭國 青丹吉 常山越而 山代之 管木之原 血速舊 于遅乃渡 瀧屋之 阿後尼之原尾 千歳尓 闕事無 万歳尓 有通将得 山科之 石田之社之 須馬神尓 奴左取向而 吾者越徃 相坂山遠
訓読 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 瀧つ屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
仮名 そらみつ やまとのくに あをによし ならやまこえて やましろの つつきのはら ちはやぶる うぢのわたり たぎつやの あごねのはらを ちとせに かくることなく よろづよに ありがよはむと やましなの いはたのもりの すめかみに ぬさとりむけて われはこえゆく あふさかやまを
   
  13/3237
原文 緑丹吉 平山過而 物部之 氏川渡 未通女等尓 相坂山丹 手向草 絲取置而 我妹子尓 相海之海之 奥浪 来因濱邊乎 久礼々々登 獨<曽>我来 妹之目乎欲
訓読 あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向け草 幣取り置きて 我妹子に 近江の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り
仮名 あをによし ならやますぎて もののふの うぢかはわたり をとめらに あふさかやまに たむけくさ ぬさとりおきて わぎもこに あふみのうみの おきつなみ きよるはまへを くれくれと ひとりぞわがくる いもがめをほり
   
  13/3238
原文 相坂乎 打出而見者 淡海之海 白木綿花尓 浪立渡
訓読 逢坂をうち出でて見れば近江の海白木綿花に波立ちわたる
仮名 あふさかを うちいでてみれば あふみのうみ しらゆふばなに なみたちわたる
   
  13/3239
原文 近江之海 泊八十有 八十嶋之 嶋之埼邪伎 安利立有 花橘乎 末枝尓 毛知引懸 仲枝尓 伊加流我懸 下枝尓 <比>米乎懸 己之母乎 取久乎不知 己之父乎 取久乎思良尓 伊蘇婆比座与 伊可流我等<比>米登
訓読 近江の海 泊り八十あり 八十島の 島の崎々 あり立てる 花橘を ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け 汝が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひ居るよ 斑鳩と比米と
仮名 あふみのうみ とまりやそあり やそしまの しまのさきざき ありたてる はなたちばなを ほつえに もちひきかけ なかつえに いかるがかけ しづえに ひめをかけ ながははを とらくをしらに ながちちを とらくをしらに いそばひをるよ いかるがとひめと
   
  13/3240
原文 王 命恐 雖見不飽 楢山越而 真木積 泉河乃 速瀬 <竿>刺渡 千速振 氏渡乃 多企都瀬乎 見乍渡而 近江道乃 相坂山丹 手向為 吾越徃者 樂浪乃 志我能韓埼 幸有者 又反見 道前 八十阿毎 嗟乍 吾過徃者 弥遠丹 里離来奴 弥高二 山<文>越来奴 劔刀 鞘従拔出而 伊香胡山 如何吾将為 徃邊不知而
訓読 大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの たきつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣太刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて
仮名 おほきみの みことかしこみ みれどあかぬ ならやまこえて まきつむ いづみのかはの はやきせを さをさしわたり ちはやぶる うぢのわたりの たきつせを みつつわたりて あふみぢの あふさかやまに たむけして わがこえゆけば ささなみの しがのからさき さきくあらば またかへりみむ みちのくま やそくまごとに なげきつつ わがすぎゆけば いやとほに さとさかりきぬ いやたかに やまもこえきぬ つるぎたち さやゆぬきいでて いかごやま いかにかわがせむ ゆくへしらずて
   
  13/3241
原文 天地乎 <歎>乞祷 幸有者 又<反>見 思我能韓埼
訓読 天地を嘆き祈ひ祷み幸くあらばまたかへり見む志賀の唐崎
仮名 あめつちを なげきこひのみ さきくあらば またかへりみむ しがのからさき
   
  13/3242
原文 百岐年 三野之國之 高北之 八十一隣之宮尓 日向尓 行靡闕矣 有登聞而 吾通<道>之 奥十山 <三>野之山 <靡>得 人雖跡 如此依等 人雖衝 無意山之 奥礒山 三野之山
訓読 ももきね 美濃の国の 高北の くくりの宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山
仮名 ももきね みののくにの たかきたの くくりのみやに ひむかひに ******* ありとききて わがゆくみちの おきそやま みののやま なびけと ひとはふめども かくよれと ひとはつけども こころなきやまの おきそやま みののやま
   
  13/3243
原文 處女等之 <麻>笥垂有 續麻成 長門之浦丹 朝奈祇尓 満来塩之 夕奈祇尓 依来波乃 <彼>塩乃 伊夜益舛二 彼浪乃 伊夜敷布二 吾妹子尓 戀乍来者 阿胡乃海之 荒礒之於丹 濱菜採 海部處女等 纓有 領巾文光蟹 手二巻流 玉毛湯良羅尓 白栲乃 袖振所見津 相思羅霜
訓読 娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒礒の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うながせる 領布も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも
仮名 をとめらが をけにたれたる うみをなす ながとのうらに あさなぎに みちくるしほの ゆふなぎに よせくるなみの そのしほの いやますますに そのなみの いやしくしくに わぎもこに こひつつくれば あごのうみの ありそのうへに はまなつむ あまをとめらが うなげる ひれもてるがに てにまける たまもゆららに しろたへの そでふるみえつ あひおもふらしも
   
  13/3244
原文 阿胡乃海之 荒礒之上之 少浪 吾戀者 息時毛無
訓読 阿胡の海の荒礒の上のさざれ波我が恋ふらくはやむ時もなし
仮名 あごのうみの ありそのうへの さざれなみ あがこふらくは やむときもなし
   
  13/3245
原文 天橋<文> 長雲鴨 高山<文> 高雲鴨 月夜見乃 持有越水 伊取来而 公奉而 越得之<旱>物
訓読 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
仮名 あまはしも ながくもがも たかやまも たかくもがも つくよみの もてるをちみづ いとりきて きみにまつりて をちえてしかも
   
  13/3246
原文 天有哉 月日如 吾思有 君之日異 老落惜文
訓読 天なるや月日のごとく我が思へる君が日に異に老ゆらく惜しも
仮名 あめなるや つきひのごとく あがおもへる きみがひにけに おゆらくをしも
   
  13/3247
原文 沼名河之 底奈流玉 求而 得之玉可毛 拾而 得之玉可毛 安多良思吉 君之 老落惜毛
訓読 沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも
仮名 ぬながはの そこなるたま もとめて えしたまかも ひりひて えしたまかも あたらしき きみが おゆらくをしも
   
  13/3248
原文 式嶋之 山跡之土丹 人多 満而雖有 藤浪乃 思纒 若草乃 思就西 君<目>二 戀八将明 長此夜乎
訓読 磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を
仮名 しきしまの やまとのくにに ひとさはに みちてあれども ふぢなみの おもひまつはり わかくさの おもひつきにし きみがめに こひやあかさむ ながきこのよを
   
  13/3249
原文 式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 難可将嗟
訓読 磯城島の大和の国に人ふたりありとし思はば何か嘆かむ
仮名 しきしまの やまとのくにに ひとふたり ありとしおもはば なにかなげかむ
   
  13/3250
原文 蜻嶋 倭之國者 神柄跡 言擧不為國 雖然 吾者事上為 天地之 神<文>甚 吾念 心不知哉 徃影乃 月<文>經徃者 玉限 日<文>累 念戸鴨 胸不安 戀烈鴨 心痛 末逐尓 君丹不會者 吾命乃 生極 戀乍<文> 吾者将度 犬馬鏡 正目君乎 相見天者社 吾戀八鬼目
訓読 蜻蛉島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 我れは言挙げす 天地の 神もはなはだ 我が思ふ 心知らずや 行く影の 月も経ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸の苦しき 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 我れは渡らむ まそ鏡 直目に君を 相見てばこそ 我が恋やまめ
仮名 あきづしま やまとのくには かむからと ことあげせぬくに しかれども われはことあげす あめつちの かみもはなはだ わがおもふ こころしらずや ゆくかげの つきもへゆけば たまかぎる ひもかさなりて おもへかも むねのくるしき こふれかも こころのいたき すゑつひに きみにあはずは わがいのちの いけらむきはみ こひつつも われはわたらむ まそかがみ ただめにきみを あひみてばこそ あがこひやまめ
   
  13/3251
原文 大舟能 思憑 君故尓 盡心者 惜雲梨
訓読 大船の思ひ頼める君ゆゑに尽す心は惜しけくもなし
仮名 おほぶねの おもひたのめる きみゆゑに つくすこころは をしけくもなし
   
  13/3252
原文 久堅之 王都乎置而 草枕 羈徃君乎 何時可将待
訓読 ひさかたの都を置きて草枕旅行く君をいつとか待たむ
仮名 ひさかたの みやこをおきて くさまくら たびゆくきみを いつとかまたむ
   
  13/3253
原文 葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒礒浪 有毛見登 百重波 千重浪尓敷 言上為吾 <[言上為吾]>
訓読 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと 障みなく 幸くいまさば 荒礒波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙げす我れは <[言挙げす我れは]>
仮名 あしはらの みづほのくには かむながら ことあげせぬくに しかれども ことあげぞわがする ことさきく まさきくませと つつみなく さきくいまさば ありそなみ ありてもみむと ももへなみ ちへなみしきに ことあげすわれは [ことあげすわれは]
  柿本人麻呂歌集
   
  13/3254
原文 志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
訓読 磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞま幸くありこそ
仮名 しきしまの やまとのくには ことだまの たすくるくにぞ まさきくありこそ
  柿本人麻呂歌集
   
  13/3255
原文 従古 言續来口 戀為者 不安物登 玉緒之 継而者雖云 處女等之 心乎胡粉 其将知 因之無者 夏麻引 命<方>貯 借薦之 心文小竹荷 人不知 本名曽戀流 氣之緒丹四天
訓読 古ゆ 言ひ継ぎけらく 恋すれば 苦しきものと 玉の緒の 継ぎては言へど 娘子らが 心を知らに そを知らむ よしのなければ 夏麻引く 命かたまけ 刈り薦の 心もしのに 人知れず もとなぞ恋ふる 息の緒にして
仮名 いにしへゆ いひつぎけらく こひすれば くるしきものと たまのをの つぎてはいへど をとめらが こころをしらに そをしらむ よしのなければ なつそびく いのちかたまけ かりこもの こころもしのに ひとしれず もとなぞこふる いきのをにして
   
  13/3256
原文 數々丹 不思人叵 雖有 蹔<文>吾者 忘枝沼鴨
訓読 しくしくに思はず人はあるらめどしましくも我は忘らえぬかも
仮名 しくしくに おもはずひとは あるらめど しましくもわは わすらえぬかも
   
  13/3257
原文 直不来 自此巨勢道柄 石椅跡 名積序吾来 戀天窮見
訓読 直に来ずこゆ巨勢道から岩せ踏みなづみぞ我が来し恋ひてすべなみ
仮名 ただにこず こゆこせぢから いはせふみ なづみぞわがこし こひてすべなみ
   
  13/3257左
原文 紀伊國之 濱尓縁云 鰒珠 拾尓登謂而 徃之君 何時到来
訓読 紀の国の 浜に寄るとふ あわび玉 拾ひにと言ひて 行きし君 いつ来まさむ
仮名 きのくにの はまによるとふ あはびたま ひりひにといひて ゆきしきみ いつきまさむ
   
  13/3258
原文 荒玉之 年者来去而 玉梓之 使之不来者 霞立 長春日乎 天地丹 思足椅 帶乳根笶 母之養蚕之 眉隠 氣衝渡 吾戀 心中<少> 人丹言 物西不有者 松根 松事遠 天傳 日之闇者 白木綿之 吾衣袖裳 通手沾沼
訓読 あらたまの 年は来ゆきて 玉梓の 使の来ねば 霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り 息づきわたり 我が恋ふる 心のうちを 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば 白栲の 我が衣手も 通りて濡れぬ
仮名 あらたまの としはきゆきて たまづさの つかひのこねば かすみたつ ながきはるひを あめつちに おもひたらはし たらちねの ははがかふこの まよごもり いきづきわたり あがこふる こころのうちを ひとにいふ ものにしあらねば まつがねの まつこととほみ あまつたふ ひのくれぬれば しろたへの わがころもでも とほりてぬれぬ
   
  13/3259
原文 如是耳師 相不思有者 天雲之 外衣君者 可有々来
訓読 かくのみし相思はずあらば天雲の外にぞ君はあるべくありける
仮名 かくのみし あひおもはずあらば あまくもの よそにぞきみは あるべくありける
   
  13/3260
原文 小<治>田之 年魚道之水乎 問無曽 人者挹云 時自久曽 人者飲云 挹人之 無間之如 飲人之 不時之如 吾妹子尓 吾戀良久波 已時毛無
訓読 小治田の 年魚道の水を 間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし
仮名 をはりだの あゆぢのみづを まなくぞ ひとはくむといふ ときじくぞ ひとはのむといふ くむひとの まなきがごと のむひとの ときじきがごと わぎもこに あがこふらくは やむときもなし
   
  13/3261
原文 思遣 為便乃田付毛 今者無 於君不相而 <年>之歴去者
訓読 思ひ遣るすべのたづきも今はなし君に逢はずて年の経ぬれば
仮名 おもひやる すべのたづきも いまはなし きみにあはずて としのへぬれば
   
  13/3261左
原文 妹不相
訓読 妹に会わず
仮名 いもにあはず
   
  13/3262
原文 ゐ垣 久時従 戀為者 吾帶緩 朝夕毎
訓読 瑞垣の久しき時ゆ恋すれば我が帯緩ふ朝宵ごとに
仮名 みづかきの ひさしきときゆ こひすれば わがおびゆるふ あさよひごとに
   
  13/3263
原文 己母理久乃 泊瀬之河之 上瀬尓 伊杭乎打 下湍尓 真杭乎挌 伊杭尓波 鏡乎懸 真杭尓波 真玉乎懸 真珠奈須 我念妹毛 鏡成 我念妹毛 有跡謂者社 國尓毛 家尓毛由可米 誰故可将行
訓読 こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ
仮名 こもりくの はつせのかはの かみつせに いくひをうち しもつせに まくひをうち いくひには かがみをかけ まくひには またまをかけ またまなす あがおもふいもも かがみなす あがおもふいもも ありといはばこそ くににも いへにもゆかめ たがゆゑかゆかむ
   
  13/3264
原文 年渡 麻弖尓毛人者 有云乎 何時之間曽母 吾戀尓来
訓読 年渡るまでにも人はありといふをいつの間にぞも我が恋ひにける
仮名 としわたる までにもひとは ありといふを いつのまにぞも あがこひにける
   
  13/3265
原文 世間乎 倦迹思而 家出為 吾哉難二加 還而将成
訓読 世の中を憂しと思ひて家出せし我れや何にか還りてならむ
仮名 よのなかを うしとおもひて いへでせし われやなににか かへりてならむ
   
  13/3266
原文 春去者 花咲乎呼里 秋付者 丹之穂尓黄色 味酒乎 神名火山之 帶丹為留 明日香之河乃 速瀬尓 生玉藻之 打靡 情者因而 朝露之 消者可消 戀久毛 知久毛相 隠都麻鴨
訓読 春されば 花咲ををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神奈備山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ひしくも しるくも逢へる 隠り妻かも
仮名 はるされば はなさきををり あきづけば にのほにもみつ うまさけを かむなびやまの おびにせる あすかのかはの はやきせに おふるたまもの うちなびき こころはよりて あさつゆの けなばけぬべく こひしくも しるくもあへる こもりづまかも
   
  13/3267
原文 明日香河 瀬湍之珠藻之 打靡 情者妹尓 <因>来鴨
訓読 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも
仮名 あすかがは せぜのたまもの うちなびき こころはいもに よりにけるかも
   
  13/3268
原文 三諸之 神奈備山従 登能陰 雨者落来奴 雨霧相 風左倍吹奴 大口乃 真神之原従 思管 還尓之人 家尓到伎也
訓読 みもろの 神奈備山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧らひ 風さへ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
仮名 みもろの かむなびやまゆ とのぐもり あめはふりきぬ あまぎらひ かぜさへふきぬ おほくちの まかみのはらゆ おもひつつ かへりにしひと いへにいたりきや
   
  13/3269
原文 還尓之 人乎念等 野干玉之 彼夜者吾毛 宿毛寐金<手>寸
訓読 帰りにし人を思ふとぬばたまのその夜は我れも寐も寝かねてき
仮名 かへりにし ひとをおもふと ぬばたまの そのよはわれも いもねかねてき
   
  13/3270
原文 刺将焼 小屋之四忌屋尓 掻将棄 破薦乎敷而 所<挌>将折 鬼之四忌手乎 指易而 将宿君故 赤根刺 晝者終尓 野干玉之 夜者須柄尓 此床乃 比師跡鳴左右 嘆鶴鴨
訓読 さし焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破れ薦を敷きて 打ち折らむ 醜の醜手を さし交へて 寝らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床の ひしと鳴るまで 嘆きつるかも
仮名 さしやかむ こやのしこやに かきうてむ やれごもをしきて うちをらむ しこのしこてを さしかへて ぬらむきみゆゑ あかねさす ひるはしみらに ぬばたまの よるはすがらに このとこの ひしとなるまで なげきつるかも
   
  13/3271
原文 我情 焼毛吾有 愛八師 君尓戀毛 我之心柄
訓読 我が心焼くも我れなりはしきやし君に恋ふるも我が心から
仮名 わがこころ やくもわれなり はしきやし きみにこふるも わがこころから
   
  13/3272
原文 打延而 思之小野者 不遠 其里人之 標結等 聞手師日従 立良久乃 田付毛不知 居久乃 於久鴨不知 親<之> 己<之>家尚乎 草枕 客宿之如久 思空 不安物乎 嗟空 過之不得物乎 天雲之 行莫々 蘆垣乃 思乱而 乱麻乃 麻笥乎無登 吾戀流 千重乃一重母 人不令知 本名也戀牟 氣之緒尓為而
訓読 うちはへて 思ひし小野は 遠からぬ その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らず 居らくの 奥処も知らず にきびにし 我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら 苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の をけをなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
仮名 うちはへて おもひしをのは とほからぬ そのさとびとの しめゆふと ききてしひより たてらくの たづきもしらず をらくの おくかもしらず にきびにし わがいへすらを くさまくら たびねのごとく おもふそら くるしきものを なげくそら すぐしえぬものを あまくもの ゆくらゆくらに あしかきの おもひみだれて みだれをの をけをなみと あがこふる ちへのひとへも ひとしれず もとなやこひむ いきのをにして
   
  13/3273
原文 二無 戀乎思為者 常帶乎 三重可結 我身者成
訓読 二つなき恋をしすれば常の帯を三重結ぶべく我が身はなりぬ
仮名 ふたつなき こひをしすれば つねのおびを みへむすぶべく あがみはなりぬ
   
  13/3274
原文 為須部乃 田付S不知 石根乃 興凝敷道乎 石床笶 根延門S 朝庭 出居而嘆 夕庭 入居而思 白桍乃 吾衣袖S 折反 獨之寐者 野干玉 黒髪布而 人寐 味眠不睡而 大舟乃 徃良行羅二 思乍 吾睡夜等呼 <讀文>将敢鴨
訓読 為むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床の 根延へる門を 朝には 出で居て嘆き 夕には 入り居て偲ひ 白栲の 我が衣手を 折り返し ひとりし寝れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る 味寐は寝ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らを 数みもあへむかも
仮名 せむすべの たづきをしらに いはがねの こごしきみちを いはとこの ねばへるかどを あしたには いでゐてなげき ゆふへには いりゐてしのひ しろたへの わがころもでを をりかへし ひとりしぬれば ぬばたまの くろかみしきて ひとのぬる うまいはねずて おほぶねの ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬるよらを よみもあへむかも
   
  13/3275
原文 一眠 夜笇跡 雖思 戀茂二 情利文梨
訓読 ひとり寝る夜を数へむと思へども恋の繁きに心どもなし
仮名 ひとりぬる よをかぞへむと おもへども こひのしげきに こころどもなし
   
  13/3276
原文 百不足 山田道乎 浪雲乃 愛妻跡 不語 別之来者 速川之 徃<文>不知 衣袂笶 反裳不知 馬自物 立而爪衝 為須部乃 田付乎白粉 物部乃 八十乃心S 天地二 念足橋 玉相者 君来益八跡 吾嗟 八尺之嗟 玉<桙>乃 道来人乃 立留 何常問者 答遣 田付乎不知 散釣相 君名日者 色出 人<可>知 足日木能 山従出 月待跡 人者云而 君待吾乎
訓読 百足らず 山田の道を 波雲の 愛し妻と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手の 帰りも知らず 馬じもの 立ちてつまづき 為むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を 天地に 思ひ足らはし 魂合はば 君来ますやと 我が嘆く 八尺の嘆き 玉桙の 道来る人の 立ち留まり いかにと問はば 答へ遣る たづきを知らに さ丹つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我れを
仮名 ももたらず やまたのみちを なみくもの うつくしづまと かたらはず わかれしくれば はやかはの ゆきもしらず ころもでの かへりもしらず うまじもの たちてつまづき せむすべの たづきをしらに もののふの やそのこころを あめつちに おもひたらはし たまあはば きみきますやと わがなげく やさかのなげき たまほこの みちくるひとの たちとまり いかにととはば こたへやる たづきをしらに さにつらふ きみがないはば いろにいでて ひとしりぬべみ あしひきの やまよりいづる つきまつと ひとにはいひて きみまつわれを
   
  13/3277
原文 眠不睡 吾思君者 何處邊 今<夜>誰与可 雖待不来
訓読 寐も寝ずに我が思ふ君はいづくへに今夜誰れとか待てど来まさぬ
仮名 いもねずに あがおもふきみは いづくへに こよひたれとか まてどきまさぬ
   
  13/3278
原文 赤駒 厩立 黒駒 厩立而 彼乎飼 吾徃如 思妻 心乗而 高山 峯之手折丹 射目立 十六待如 床敷而 吾待君 犬莫吠行<年>
訓読 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて そを飼ひ 我が行くがごと 思ひ妻 心に乗りて 高山の 嶺のたをりに 射目立てて 鹿猪待つがごと 床敷きて 我が待つ君を 犬な吠えそね
仮名 あかごまを うまやにたて くろこまを うまやにたてて そをかひ わがゆくがごと おもひづま こころにのりて たかやまの みねのたをりに いめたてて ししまつがごと とこしきて わがまつきみを いぬなほえそね
   
  13/3279
原文 蘆垣之 末掻別而 君越跡 人丹勿告 事者棚知
訓読 葦垣の末かき分けて君越ゆと人にな告げそ事はたな知れ
仮名 あしかきの すゑかきわけて きみこゆと ひとになつげそ ことはたなしれ
   
  13/3280
原文 <妾>背兒者 雖待来不益 天原 振左氣見者 黒玉之 夜毛深去来 左夜深而 荒風乃吹者 立<待留> 吾袖尓 零雪者 凍渡奴 今更 公来座哉 左奈葛 後毛相得 名草武類 心乎持而 <二>袖持 床打拂 卯管庭 君尓波不相 夢谷 相跡所見社 天之足夜<乎>
訓読 我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待てる 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を
仮名 わがせこは まてどきまさず あまのはら ふりさけみれば ぬばたまの よもふけにけり さよふけて あらしのふけば たちまてる わがころもでに ふるゆきは こほりわたりぬ いまさらに きみきまさめや さなかづら のちもあはむと なぐさむる こころをもちて まそでもち とこうちはらひ うつつには きみにはあはず いめにだに あふとみえこそ あめのたりよを
   
  13/3281
原文 吾背子者 待跡不来 鴈音<文> 動而寒 烏玉乃 宵文深去来 左夜深跡 阿下乃吹者 立待尓 吾衣袖尓 置霜<文> 氷丹左叡渡 落雪母 凍渡奴 今更 君来目八 左奈葛 後<文>将會常 大舟乃 思憑迹 現庭 君者不相 夢谷 相所見欲 天之足夜尓
訓読 我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷にさえわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
仮名 わがせこは まてどきまさず かりがねも とよみてさむし ぬばたまの よもふけにけり さよふくと あらしのふけば たちまつに わがころもでに おくしもも ひにさえわたり ふるゆきも こほりわたりぬ いまさらに きみきまさめや さなかづら のちもあはむと おほぶねの おもひたのめど うつつには きみにはあはず いめにだに あふとみえこそ あめのたりよに
   
  13/3282
原文 衣袖丹 山下吹而 寒夜乎 君不来者 獨鴨寐
訓読 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む
仮名 ころもでに あらしのふきて さむきよを きみきまさずは ひとりかもねむ
   
  13/3283
原文 今更 戀友君<二> 相目八毛 眠夜乎不落 夢所見欲
訓読 今さらに恋ふとも君に逢はめやも寝る夜をおちず夢に見えこそ
仮名 いまさらに こふともきみに あはめやも ぬるよをおちず いめにみえこそ
   
  13/3284
原文 菅根之 根毛一伏三向凝呂尓 吾念有 妹尓緑而者 言之禁毛 無在乞常 齋戸乎 石相穿居 竹珠乎 無間貫垂 天地之 神祇乎曽吾祈 甚毛為便無見
訓読 菅の根の ねもころごろに 我が思へる 妹によりては 言の忌みも なくありこそと 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を 間なく貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
仮名 すがのねの ねもころごろに あがおもへる いもによりては ことのいみも なくありこそと いはひへを いはひほりすゑ たかたまを まなくぬきたれ あめつちの かみをぞわがのむ いたもすべなみ いもによりては きみにより きみがまにまに
   
  13/3285
原文 足千根乃 母尓毛不謂 褁有之 心者縦 <公>之随意
訓読 たらちねの母にも言はずつつめりし心はよしゑ君がまにまに
仮名 たらちねの ははにもいはず つつめりし こころはよしゑ きみがまにまに
   
  13/3286
原文 玉手<次> 不懸時無 吾念有 君尓依者 倭<文>幣乎 手取持而 竹珠S 之自二貫垂 天地之 神S曽吾乞 痛毛須部奈見
訓読 玉たすき 懸けぬ時なく 我が思へる 君によりては しつ幣を 手に取り持ちて 竹玉を 繁に貫き垂れ 天地の 神をぞ我が祷む いたもすべなみ
仮名 たまたすき かけぬときなく あがおもへる きみによりては しつぬさを てにとりもちて たかたまを しじにぬきたれ あめつちの かみをぞわがのむ いたもすべなみ
   
  13/3287
原文 乾坤乃 神乎祷而 吾戀 公以必 不相在目八
訓読 天地の神を祈りて我が恋ふる君いかならず逢はずあらめやも
仮名 あめつちの かみをいのりて あがこふる きみいかならず あはずあらめやも
   
  13/3288
原文 大船之 思憑而 木<妨>己 弥遠長 我念有 君尓依而者 言之故毛 無有欲得 木綿手次 肩荷取懸 忌戸乎 齋穿居 玄黄之 神祇二衣吾祈 甚毛為便無見
訓読 大船の 思ひ頼みて さな葛 いや遠長く 我が思へる 君によりては 言の故も なくありこそと 木綿たすき 肩に取り懸け 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 天地の 神にぞ我が祷む いたもすべなみ
仮名 おほぶねの おもひたのみて さなかづら いやとほながく あがおもへる きみによりては ことのゆゑも なくありこそと ゆふたすき かたにとりかけ いはひへを いはひほりすゑ あめつちの かみにぞわがのむ いたもすべなみ
   
  13/3289
原文 御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不<忘> 正相左右二
訓読 み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐ねそと 母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我れは忘れじ 直に逢ふまでに
仮名 みはかしを つるぎのいけの はちすばに たまれるみづの ゆくへなみ わがするときに あふべしと あひたるきみを ないねそと ははきこせども あがこころ きよすみのいけの いけのそこ われはわすれじ ただにあふまでに
   
  13/3290
原文 古之 神乃時従 會計良思 今心<文> 常不所<忘>
訓読 いにしへの神の時より逢ひけらし今の心も常忘らえず
仮名 いにしへの かみのときより あひけらし いまのこころも つねわすらえず
   
  13/3291
原文 三芳野之 真木立山尓 青生 山菅之根乃 慇懃 吾念君者 天皇之 遣之万々 [或本云 王 命恐] 夷離 國治尓登 [或本云 天踈 夷治尓等] 群鳥之 朝立行者 後有 我可将戀奈 客有者 君可将思 言牟為便 将為須便不知 [或書有 足日木 山之木末尓 句也] 延津田乃 歸之 [或本無歸之句也] 別之數 惜物可聞
訓読 み吉野の 真木立つ山に 青く生ふる 山菅の根の ねもころに 我が思ふ君は 大君の 任けのまにまに [或本云 大君の 命かしこみ] 鄙離る 国治めにと [或本云 天離る 鄙治めにと] 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れか恋ひむな 旅ならば 君か偲はむ 言はむすべ 為むすべ知らに [或書有 あしひきの 山の木末に 句也] 延ふ蔦の 行きの [或本無歸之句也] 別れのあまた 惜しきものかも
仮名 みよしのの まきたつやまに あをくおふる やますがのねの ねもころに あがおもふきみは おほきみの まけのまにまに [おほきみの みことかしこみ] ひなざかる くにをさめにと [あまざかる ひなをさめにと] むらとりの あさだちいなば おくれたる あれかこひむな たびならば きみかしのはむ いはむすべ せむすべしらに [あしひきの やまのこぬれに] はふつたの ゆきの わかれのあまた をしきものかも
   
  13/3292
原文 打蝉之 命乎長 有社等 留吾者 五十羽旱将待
訓読 うつせみの命を長くありこそと留まれる我れは斎ひて待たむ
仮名 うつせみの いのちをながく ありこそと とまれるわれは いはひてまたむ
   
  13/3293
原文 三吉野之 御金高尓 間無序 雨者落云 不時曽 雪者落云 其雨 無間如 彼雪 不時如 間不落 吾者曽戀 妹之正香尓
訓読 み吉野の 御金が岳に 間なくぞ 雨は降るといふ 時じくぞ 雪は降るといふ その雨の 間なきがごと その雪の 時じきがごと 間もおちず 我れはぞ恋ふる 妹が直香に
仮名 みよしのの みかねがたけに まなくぞ あめはふるといふ ときじくぞ ゆきはふるといふ そのあめの まなきがごと そのゆきの ときじきがごと まもおちず あれはぞこふる いもがただかに
   
  13/3294
原文 三雪落 吉野之高二 居雲之 外丹見子尓 戀度可聞
訓読 み雪降る吉野の岳に居る雲の外に見し子に恋ひわたるかも
仮名 みゆきふる よしののたけに ゐるくもの よそにみしこに こひわたるかも
   
  13/3295
原文 打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀<文>吾子 諾々名 母者不知 諾々名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄<楊>乃小櫛乎 抑刺 <卜>細子 彼曽吾攦
訓読 うちひさつ 三宅の原ゆ 直土に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通はすも我子 うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ 蜷の腸 か黒き髪に 真木綿もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊の小櫛を 押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻
仮名 うちひさつ みやけのはらゆ ひたつちに あしふみぬき なつくさを こしになづみ いかなるや ひとのこゆゑぞ かよはすもあこ うべなうべな はははしらじ うべなうべな ちちはしらじ みなのわた かぐろきかみに まゆふもち あざさゆひたれ やまとの つげのをぐしを おさへさす うらぐはしこ それぞわがつま
   
  13/3296
原文 父母尓 不令知子故 三宅道乃 夏野草乎 菜積来鴨
訓読 父母に知らせぬ子ゆゑ三宅道の夏野の草をなづみ来るかも
仮名 ちちははに しらせぬこゆゑ みやけぢの なつののくさを なづみけるかも
   
  13/3297
原文 玉田次 不懸時無 吾念 妹西不會波 赤根刺 日者之弥良尓 烏玉之 夜者酢辛二 眠不睡尓 妹戀丹 生流為便無
訓読 玉たすき 懸けぬ時なく 我が思ふ 妹にし逢はねば あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに 寐も寝ずに 妹に恋ふるに 生けるすべなし
仮名 たまたすき かけぬときなく あがおもふ いもにしあはねば あかねさす ひるはしみらに ぬばたまの よるはすがらに いもねずに いもにこふるに いけるすべなし
   
  13/3298
原文 縦恵八師 二々火四吾妹 生友 各鑿社吾 戀度七目
訓読 よしゑやし死なむよ我妹生けりともかくのみこそ我が恋ひわたりなめ
仮名 よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ
   
  13/3299
原文 見渡尓 妹等者立志 是方尓 吾者立而 思虚 不安國 嘆虚 不安國 左丹柒之 小舟毛鴨 玉纒之 小楫毛鴨 榜渡乍毛 相語妻遠
訓読 見わたしに 妹らは立たし この方に 我れは立ちて 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 小楫もがも 漕ぎ渡りつつも 語らふ妻を
仮名 みわたしに いもらはたたし このかたに われはたちて おもふそら やすけなくに なげくそら やすけなくに さにぬりの をぶねもがも たままきの をかぢもがも こぎわたりつつも かたらふつまを
   
  13/3299左
原文 己母理久乃 波都世乃加波乃 乎知可多尓 伊母良波多々志 己乃加多尓 和礼波多知弖
訓読 こもりくの 泊瀬の川の 彼方に 妹らは立たし この方に 我れは立ちて
仮名 こもりくの はつせのかはの をちかたに いもらはたたし このかたに われはたちて
   
  13/3300
原文 忍照 難波乃埼尓 引登 赤曽朋舟 曽朋舟尓 綱取繋 引豆良比 有雙雖為 日豆良賓 有雙雖為 有雙不得叙 所言西我身
訓読 おしてる 難波の崎に 引き泝る 赤のそほ舟 そほ舟に 網取り懸け 引こづらひ ありなみすれど 言ひづらひ ありなみすれど ありなみえずぞ 言はえにし我が身
仮名 おしてる なにはのさきに ひきのぼる あけのそほぶね そほぶねに あみとりかけ ひこづらひ ありなみすれど いひづらひ ありなみすれど ありなみえずぞ いはえにしあがみ
   
  13/3301
原文 神風之 伊勢<乃>海之 朝奈伎尓 来依深海松 暮奈藝尓 来因俣海松 深海松乃 深目師吾乎 俣海松乃 復去反 都麻等不言登可聞 思保世流君
訓読 神風の 伊勢の海の 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る俣海松 深海松の 深めし我れを 俣海松の また行き帰り 妻と言はじとかも 思ほせる君
仮名 かむかぜの いせのうみの あさなぎに きよるふかみる ゆふなぎに きよるまたみる ふかみるの ふかめしわれを またみるの またゆきかへり つまといはじとかも おもほせるきみ
   
  13/3302
原文 紀伊國之 室之江邊尓 千<年>尓 障事無 万世尓 如是将<在>登 大舟之 思恃而 出立之 清瀲尓 朝名寸二 来依深海松 夕難岐尓 来依縄法 深海松之 深目思子等遠 縄法之 引者絶登夜 散度人之 行之屯尓 鳴兒成 行取左具利 梓弓 弓腹振起 志乃岐羽矣 二手<狭> 離兼 人斯悔 戀思者
訓読 紀の国の 牟婁の江の辺に 千年に 障ることなく 万代に かくしもあらむと 大船の 思ひ頼みて 出立の 清き渚に 朝なぎに 来寄る深海松 夕なぎに 来寄る縄海苔 深海松の 深めし子らを 縄海苔の 引けば絶ゆとや 里人の 行きの集ひに 泣く子なす 行き取り探り 梓弓 弓腹振り起し しのぎ羽を 二つ手挟み 放ちけむ 人し悔しも 恋ふらく思へば
仮名 きのくにの むろのえのへに ちとせに さはることなく よろづよに かくしもあらむと おほぶねの おもひたのみて いでたちの きよきなぎさに あさなぎに きよるふかみる ゆふなぎに きよるなはのり ふかみるの ふかめしこらを なはのりの ひけばたゆとや さとびとの ゆきのつどひに なくこなす ゆきとりさぐり あづさゆみ ゆばらふりおこし しのぎはを ふたつたばさみ はなちけむ ひとしくやしも こふらくおもへば
   
  13/3303
原文 里人之 吾丹告樂 <汝>戀 愛妻者 黄葉之 散乱有 神名火之 此山邊柄 [或本云 彼山邊] 烏玉之 黒馬尓乗而 河瀬乎 七湍渡而 裏觸而 妻者會登 人曽告鶴
訓読 里人の 我れに告ぐらく 汝が恋ふる うつくし夫は 黄葉の 散り乱ひたる 神なびの この山辺から [或本云 その山辺] ぬばたまの 黒馬に乗りて 川の瀬を 七瀬渡りて うらぶれて 夫は逢ひきと 人ぞ告げつる
仮名 さとびとの あれにつぐらく ながこふる うつくしづまは もみちばの ちりまがひたる かむなびの このやまへから [そのやまへ] ぬばたまの くろまにのりて かはのせを ななせわたりて うらぶれて つまはあひきと ひとぞつげつる
   
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原文 不聞而 黙然有益乎 何如文 <公>之正香乎 人之告鶴
訓読 聞かずして黙もあらましを何しかも君が直香を人の告げつる
仮名 きかずして もだもあらましを なにしかも きみがただかを ひとのつげつる
   
  13/3305
原文 物不念 道行去毛 青山乎 振放見者 茵花 香<未>通女 櫻花 盛未通女 汝乎曽母 吾丹依云 吾S毛曽 汝丹依云 荒山毛 人師依者 余所留跡序云 汝心勤
訓読 物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをもぞ 汝れに寄すといふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞいふ 汝が心ゆめ
仮名 ものもはず みちゆくゆくも あをやまを ふりさけみれば つつじばな にほえをとめ さくらばな さかえをとめ なれをぞも われによすといふ われをもぞ なれによすといふ あらやまも ひとしよすれば よそるとぞいふ ながこころゆめ
   
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原文 何為而 戀止物序 天地乃 神乎祷迹 吾八思益
訓読 いかにして恋やむものぞ天地の神を祈れど我れは思ひ増す
仮名 いかにして こひやむものぞ あめつちの かみをいのれど われはおもひます
   
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原文 然有社 <年>乃八歳S 鑚髪乃 吾同子S過 橘 末枝乎過而 此河能 下<文>長 汝情待
訓読 しかれこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて この川の 下にも長く 汝が心待て
仮名 しかれこそ としのやとせを きりかみの よちこをすぎ たちばなの ほつえをすぎて このかはの したにもながく ながこころまて
   
  13/3308
原文 天地之 神尾母吾者 祷而寸 戀云物者 都不止来
訓読 天地の神をも我れは祈りてき恋といふものはかつてやまずけり
仮名 あめつちの かみをもわれは いのりてき こひといふものは かつてやまずけり
   
  13/3309
原文 物不念 路行去裳 青山乎 振酒見者 都追慈花 尓太遥越賣 作樂花 佐可遥越賣 汝乎叙母 吾尓依云 吾乎叙物 汝尓依云 汝者如何念也 念社 歳八<年>乎 斬髪 与知子乎過 橘之 末枝乎須具里 此川之 下母長久 汝心待
訓読 物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 にほえ娘子 桜花 栄え娘子 汝れをぞも 我れに寄すといふ 我れをぞも 汝れに寄すといふ 汝はいかに思ふや 思へこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝をすぐり この川の 下にも長く 汝が心待て
仮名 ものもはず みちゆくゆくも あをやまを ふりさけみれば つつじばな にほえをとめ さくらばな さかえをとめ なれをぞも われによすといふ われをぞも なれによすといふ なはいかにおもふや おもへこそ としのやとせを きりかみの よちこをすぎ たちばなの ほつえをすぐり このかはの したにもながく ながこころまて
  柿本人麻呂歌集
   
  13/3310
原文 隠口乃 泊瀬乃國尓 左結婚丹 吾来者 棚雲利 雪者零来 左雲理 雨者落来 野鳥 雉動 家鳥 可鶏毛鳴 左夜者明 此夜者昶奴 入而<且>将眠 此戸開為
訓読 隠口の 泊瀬の国に さよばひに 我が来れば たな曇り 雪は降り来 さ曇り 雨は降り来 野つ鳥 雉は響む 家つ鳥 鶏も鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ
仮名 こもりくの はつせのくにに さよばひに わがきたれば たなぐもり ゆきはふりく さぐもり あめはふりく のつとり きぎしはとよむ いへつとり かけもなく さよはあけ このよはあけぬ いりてかつねむ このとひらかせ
   
  13/3311
原文 隠来乃 泊瀬小國丹 妻有者 石者履友 猶来々
訓読 隠口の泊瀬小国に妻しあれば石は踏めどもなほし来にけり
仮名 こもりくの はつせをぐにに つましあれば いしはふめども なほしきにけり
   
  13/3312
原文 隠口乃 長谷小國 夜延為 吾天皇寸与 奥床仁 母者睡有 外床丹 父者寐有 起立者 母可知 出行者 父可知 野干<玉>之 夜者昶去奴 幾許雲 不念如 隠攦香聞
訓読 隠口の 泊瀬小国に よばひせす 我が天皇よ 奥床に 母は寐ねたり 外床に 父は寐ねたり 起き立たば 母知りぬべし 出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ 隠り妻かも
仮名 こもりくの はつせをぐにに よばひせす わがすめろきよ おくとこに はははいねたり とどこに ちちはいねたり おきたたば ははしりぬべし いでてゆかば ちちしりぬべし ぬばたまの よはあけゆきぬ ここだくも おもふごとならぬ こもりづまかも
   
  13/3313
原文 川瀬之 石迹渡 野干玉之 黒馬之来夜者 常二有沼鴨
訓読 川の瀬の石踏み渡りぬばたまの黒馬来る夜は常にあらぬかも
仮名 かはのせの いしふみわたり ぬばたまの くろまくるよは つねにあらぬかも
   
  13/3314
原文 次嶺經 山背道乎 人都末乃 馬従行尓 己夫之 歩従行者 毎見 哭耳之所泣 曽許思尓 心之痛之 垂乳根乃 母之形見跡 吾持有 真十見鏡尓 蜻領巾 負並持而 馬替吾背
訓読 つぎねふ 山背道を 人夫の 馬より行くに 己夫し 徒歩より行けば 見るごとに 音のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾 負ひ並め持ちて 馬買へ我が背
仮名 つぎねふ やましろぢを ひとづまの うまよりゆくに おのづまし かちよりゆけば みるごとに ねのみしなかゆ そこおもふに こころしいたし たらちねの ははがかたみと わがもてる まそみかがみに あきづひれ おひなめもちて うまかへわがせ
   
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原文 泉<川> 渡瀬深見 吾世古我 旅行衣 蒙沾鴨
訓読 泉川渡り瀬深み我が背子が旅行き衣ひづちなむかも
仮名 いづみがは わたりぜふかみ わがせこが たびゆきごろも ひづちなむかも
   
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原文 清鏡 雖持吾者 記無 君之歩行 名積去見者
訓読 まそ鏡持てれど我れは験なし君が徒歩よりなづみ行く見れば
仮名 まそかがみ もてれどわれは しるしなし きみがかちより なづみゆくみれば
   
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原文 馬替者 妹歩行将有 縦恵八子 石者雖履 吾二行
訓読 馬買はば妹徒歩ならむよしゑやし石は踏むとも我はふたり行かむ
仮名 うまかはば いもかちならむ よしゑやし いしはふむとも わはふたりゆかむ
   
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原文 木國之 濱因云 <鰒>珠 将拾跡云而 妹乃山 勢能山越而 行之君 何時来座跡 玉桙之 道尓出立 夕卜乎 吾問之可婆 夕卜之 吾尓告良久 吾妹兒哉 汝待君者 奥浪 来因白珠 邊浪之 緑<流>白珠 求跡曽 君之不来益 拾登曽 公者不来益 久有 今七日許 早有者 今二日許 将有等曽 君<者>聞之二々 勿戀吾妹
訓読 紀の国の 浜に寄るといふ 鰒玉 拾はむと言ひて 妹の山 背の山越えて 行きし君 いつ来まさむと 玉桙の 道に出で立ち 夕占を 我が問ひしかば 夕占の 我れに告らく 我妹子や 汝が待つ君は 沖つ波 来寄る白玉 辺つ波の 寄する白玉 求むとぞ 君が来まさぬ 拾ふとぞ 君は来まさぬ 久ならば いま七日ばかり 早くあらば いま二日ばかり あらむとぞ 君は聞こしし な恋ひそ我妹
仮名 きのくにの はまによるといふ あはびたま ひりはむといひて いものやま せのやまこえて ゆきしきみ いつきまさむと たまほこの みちにいでたち ゆふうらを わがとひしかば ゆふうらの われにつぐらく わぎもこや ながまつきみは おきつなみ きよるしらたま へつなみの よするしらたま もとむとぞ きみがきまさぬ ひりふとぞ きみはきまさぬ ひさならば いまなぬかばかり はやくあらば いまふつかばかり あらむとぞ きみはきこしし なこひそわぎも
   
  13/3319
原文 杖衝毛 不衝毛吾者 行目友 公之将来 道之不知苦
訓読 杖つきもつかずも我れは行かめども君が来まさむ道の知らなく
仮名 つゑつきも つかずもわれは ゆかめども きみがきまさむ みちのしらなく
   
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原文 直不徃 此従巨勢道柄 石瀬踏 求曽吾来 戀而為便奈見
訓読 直に行かずこゆ巨勢道から石瀬踏み求めぞ我が来し恋ひてすべなみ
仮名 ただにゆかず こゆこせぢから いはせふみ もとめぞわがこし こひてすべなみ
   
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原文 左夜深而 今者明奴登 開戸手 木部行君乎 何時可将待
訓読 さ夜更けて今は明けぬと戸を開けて紀へ行く君をいつとか待たむ
仮名 さよふけて いまはあけぬと とをあけて きへゆくきみを いつとかまたむ
   
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原文 門座 郎子内尓 雖至 痛之戀者 今還金
訓読 門に居る我が背は宇智に至るともいたくし恋ひば今帰り来む
仮名 かどにゐる わがせはうちに いたるとも いたくしこひば いまかへりこむ
   
  13/3323
原文 師名立 都久麻左野方 息長之 遠智能小菅 不連尓 伊苅持来 不敷尓 伊苅持来而 置而 吾乎令偲 息長之 遠智能子菅
訓読 しなたつ 筑摩さのかた 息長の 越智の小菅 編まなくに い刈り持ち来 敷かなくに い刈り持ち来て 置きて 我れを偲はす 息長の 越智の小菅
仮名 しなたつ つくまさのかた おきながの をちのこすげ あまなくに いかりもちき しかなくに いかりもちきて おきて われをしのはす おきながの をちのこすげ
   
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原文 <挂>纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 <年>緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 國見所遊 九月之 四具礼<乃>秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡<芽>乎 珠<手>次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二 所取賜而 所遊 我王矣 烟立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 [一云 者] 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者 徃道之 田付S不知 雖思 印手無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有
訓読 かけまくも あやに畏し 藤原の 都しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 多くいませど 行き向ふ 年の緒長く 仕へ来し 君の御門を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 望月の 満しけむと 我が思へる 皇子の命は 春されば 植槻が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月の しぐれの秋は 大殿の 砌しみみに 露負ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲はし み雪降る 冬の朝は 刺し柳 根張り梓を 大御手に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が大君を 霞立つ 春の日暮らし まそ鏡 見れど飽かねば 万代に かくしもがもと 大船の 頼める時に 泣く我れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 飾りまつりて うちひさす 宮の舎人も [一云 は] 栲のほの 麻衣着れば 夢かも うつつかもと 曇り夜の 迷へる間に あさもよし 城上の道ゆ つのさはふ 磐余を見つつ 神葬り 葬りまつれば 行く道の たづきを知らに 思へども 験をなみ 嘆けども 奥処をなみ 大御袖 行き触れし松を 言問はぬ 木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天の原 振り放け見つつ 玉たすき 懸けて偲はな 畏くあれども
仮名 かけまくも あやにかしこし ふぢはらの みやこしみみに ひとはしも みちてあれども きみはしも おほくいませど ゆきむかふ としのをながく つかへこし きみのみかどを あめのごと あふぎてみつつ かしこけど おもひたのみて いつしかも ひたらしまして もちづきの たたはしけむと わがもへる みこのみことは はるされば うゑつきがうへの とほつひと まつのしたぢゆ のぼらして くにみあそばし ながつきの しぐれのあきは おほとのの みぎりしみみに つゆおひて なびけるはぎを たまたすき かけてしのはし みゆきふる ふゆのあしたは さしやなぎ ねはりあづさを おほみてに とらしたまひて あそばしし わがおほきみを かすみたつ はるのひくらし まそかがみ みれどあかねば よろづよに かくしもがもと おほぶねの たのめるときに なくわれ めかもまとへる おほとのを ふりさけみれば しろたへに かざりまつりて うちひさす みやのとねりも[は] たへのほの あさぎぬければ いめかも うつつかもと くもりよの まとへるほどに あさもよし きのへのみちゆ つのさはふ いはれをみつつ かむはぶり はぶりまつれば ゆくみちの たづきをしらに おもへども しるしをなみ なげけども おくかをなみ おほみそで ゆきふれしまつを こととはぬ きにはありとも あらたまの たつつきごとに あまのはら ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはな かしこくあれども
   
  13/3325
原文 角障經 石村山丹 白栲 懸有雲者 皇可聞
訓読 つのさはふ磐余の山に白栲にかかれる雲は大君にかも
仮名 つのさはふ いはれのやまに しろたへに かかれるくもは おほきみにかも
   
  13/3326
原文 礒城嶋之 日本國尓 何方 御念食可 津礼毛無 城上宮尓 大殿乎 都可倍奉而 殿隠 々座者 朝者 召而使 夕者 召而使 遣之 舎人之子等者 行鳥之 群而待 有雖待 不召賜者 劔刀 磨之心乎 天雲尓 念散之 展轉 土打哭杼母 飽不足可聞
訓読 礒城島の 大和の国に いかさまに 思ほしめせか つれもなき 城上の宮に 大殿を 仕へまつりて 殿隠り 隠りいませば 朝には 召して使ひ 夕には 召して使ひ 使はしし 舎人の子らは 行く鳥の 群がりて待ち あり待てど 召したまはねば 剣大刀 磨ぎし心を 天雲に 思ひはぶらし 臥いまろび ひづち哭けども 飽き足らぬかも
仮名 しきしまの やまとのくにに いかさまに おもほしめせか つれもなき きのへのみやに おほとのを つかへまつりて とのごもり こもりいませば あしたには めしてつかひ ゆふへには めしてつかひ つかはしし とねりのこらは ゆくとりの むらがりてまち ありまてど めしたまはねば つるぎたち とぎしこころを あまくもに おもひはぶらし こいまろび ひづちなけども あきだらぬかも
   
  13/3327
原文 百小竹之 三野王 金厩 立而飼駒 角厩 立而飼駒 草社者 取而飼<曰戸> 水社者 挹而飼<曰戸> 何然 大分青馬之 鳴立鶴
訓読 百小竹の 三野の王 西の馬屋に 立てて飼ふ駒 東の馬屋に 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふと言へ 水こそば 汲みて飼ふと言へ 何しかも 葦毛の馬の いなき立てつる
仮名 ももしのの みののおほきみ にしのうまやに たててかふこま ひむがしのうまやに たててかふこま くさこそば とりてかふといへ みづこそば くみてかふといへ なにしかも あしげのうまの いなきたてつる
   
  13/3328
原文 衣袖 大分青馬之 嘶音 情有鳧 常従異鳴
訓読 衣手葦毛の馬のいなく声心あれかも常ゆ異に鳴く
仮名 ころもで あしげのうまの いなくこゑ こころあれかも つねゆけになく
   
  13/3329
原文 白雲之 棚曳國之 青雲之 向伏國乃 天雲 下有人者 妾耳鴨 君尓戀濫 吾耳鴨 夫君尓戀礼薄 天地 満言 戀鴨 る之病有 念鴨 意之痛 妾戀叙 日尓異尓益 何時橋物 不戀時等者 不有友 是九月乎 吾背子之 偲丹為与得 千世尓物 偲渡登 万代尓 語都我部等 始而之 此九月之 過莫呼 伊多母為便無見 荒玉之 月乃易者 将為須部乃 田度伎乎不知 石根之 許凝敷道之 石床之 根延門尓 朝庭 出座而嘆 夕庭 入座戀乍 烏玉之 黒髪敷而 人寐 味寐者不宿尓 大船之 行良行良尓 思乍 吾寐夜等者 數物不敢<鴨>
訓読 白雲の たなびく国の 青雲の 向伏す国の 天雲の 下なる人は 我のみかも 君に恋ふらむ 我のみかも 君に恋ふれば 天地に 言を満てて 恋ふれかも 胸の病みたる 思へかも 心の痛き 我が恋ぞ 日に異にまさる いつはしも 恋ひぬ時とは あらねども この九月を 我が背子が 偲ひにせよと 千代にも 偲ひわたれと 万代に 語り継がへと 始めてし この九月の 過ぎまくを いたもすべなみ あらたまの 月の変れば 為むすべの たどきを知らに 岩が根の こごしき道の 岩床の 根延へる門に 朝には 出で居て嘆き 夕には 入り居恋ひつつ ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る 味寐は寝ずに 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らは 数みもあへぬかも
仮名 しらくもの たなびくくにの あをくもの むかぶすくにの あまくもの したなるひとは あのみかも きみにこふらむ あのみかも きみにこふれば あめつちに ことをみてて こふれかも むねのやみたる おもへかも こころのいたき あがこひぞ ひにけにまさる いつはしも こひぬときとは あらねども このながつきを わがせこが しのひにせよと ちよにも しのひわたれと よろづよに かたりつがへと はじめてし このながつきの すぎまくを いたもすべなみ あらたまの つきのかはれば せむすべの たどきをしらに いはがねの こごしきみちの いはとこの ねばへるかどに あしたには いでゐてなげき ゆふへには いりゐこひつつ ぬばたまの くろかみしきて ひとのぬる うまいはねずに おほぶねの ゆくらゆくらに おもひつつ わがぬるよらは よみもあへぬかも
   
  13/3330
原文 隠来之 長谷之川之 上瀬尓 鵜矣八頭漬 下瀬尓 鵜矣八頭漬 上瀬之 <年>魚矣令咋 下瀬之 鮎矣令咋 麗妹尓 鮎遠惜 <麗妹尓 鮎矣惜> 投左乃 遠離居而 思空 不安國 嘆空 不安國 衣社薄 其破者 <継>乍物 又母相登言 玉社者 緒之絶薄 八十一里喚鶏 又物逢登曰 又毛不相物者 攦尓志有来
訓読 隠口の 泊瀬の川の 上つ瀬に 鵜を八つ潜け 下つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎を食はしめ 下つ瀬の 鮎を食はしめ くはし妹に 鮎を惜しみ くはし妹に 鮎を惜しみ 投ぐるさの 遠ざかり居て 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 衣こそば それ破れぬれば 継ぎつつも またも合ふといへ 玉こそば 緒の絶えぬれば くくりつつ またも合ふといへ またも逢はぬものは 妻にしありけり
仮名 こもりくの はつせのかはの かみつせに うをやつかづけ しもつせに うをやつかづけ かみつせの あゆをくはしめ しもつせの あゆをくはしめ くはしいもに あゆををしみ くはしいもに あゆををしみ なぐるさの とほざかりゐて おもふそら やすけなくに なげくそら やすけなくに きぬこそば それやれぬれば つぎつつも またもあふといへ たまこそば をのたえぬれば くくりつつ またもあふといへ またもあはぬものは つまにしありけり
   
  13/3331
原文 隠来之 長谷之山 青幡之 忍坂山者 走出之 宜山之 出立之 妙山叙 惜 山之 荒巻惜毛
訓読 隠口の 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は 走出の よろしき山の 出立の くはしき山ぞ あたらしき 山の 荒れまく惜しも
仮名 こもりくの はつせのやま あをはたの おさかのやまは はしりでの よろしきやまの いでたちの くはしきやまぞ あたらしき やまの あれまくをしも
   
  13/3332
原文 高山 与海社者 山随 如此毛現 海随 然真有目 人者<花>物曽 空蝉与人
訓読 高山と 海とこそば 山ながら かくもうつしく 海ながら しかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人
仮名 たかやまと うみとこそば やまながら かくもうつしく うみながら しかまことならめ ひとははなものぞ うつせみよひと
   
  13/3333
原文 王之 御命恐 秋津嶋 倭雄過而 大伴之 御津之濱邊従 大舟尓 真梶繁貫 旦名伎尓 水<手>之音為乍 夕名寸尓 梶音為乍 行師君 何時来座登 <大>卜置而 齋度尓 <狂>言哉 人之言釣 我心 盡之山之 黄葉之 散過去常 公之正香乎
訓読 大君の 命畏み 蜻蛉島 大和を過ぎて 大伴の 御津の浜辺ゆ 大船に 真楫しじ貫き 朝なぎに 水手の声しつつ 夕なぎに 楫の音しつつ 行きし君 いつ来まさむと 占置きて 斎ひわたるに たはことか 人の言ひつる 我が心 筑紫の山の 黄葉の 散りて過ぎぬと 君が直香を
仮名 おほきみの みことかしこみ あきづしま やまとをすぎて おほともの みつのはまへゆ おほぶねに まかぢしじぬき あさなぎに かこのこゑしつつ ゆふなぎに かぢのおとしつつ ゆきしきみ いつきまさむと うらおきて いはひわたるに たはことか ひとのいひつる あがこころ つくしのやまの もみちばの ちりてすぎぬと きみがただかを
   
  13/3334
原文 <狂>言哉 人之云鶴 玉緒乃 長登君者 言手師物乎
訓読 たはことか人の言ひつる玉の緒の長くと君は言ひてしものを
仮名 たはことか ひとのいひつる たまのをの ながくときみは いひてしものを
   
  13/3335
原文 玉桙之 道去人者 足桧木之 山行野徃 直海 川徃渡 不知魚取 海道荷出而 惶八 神之渡者 吹風母 和者不吹 立浪母 踈不立 跡座浪之 塞道麻 誰心 勞跡鴨 直渡異六 <直渡異六>
訓読 玉桙の 道行く人は あしひきの 山行き野行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚取り 海道に出でて 畏きや 神の渡りは 吹く風も のどには吹かず 立つ波も おほには立たず とゐ波の 塞ふる道を 誰が心 いたはしとかも 直渡りけむ 直渡りけむ
仮名 たまほこの みちゆくひとは あしひきの やまゆきのゆき にはたづみ かはゆきわたり いさなとり うみぢにいでて かしこきや かみのわたりは ふくかぜも のどにはふかず たつなみも おほにはたたず とゐなみの ささふるみちを たがこころ いたはしとかも ただわたりけむ ただわたりけむ
   
  13/3336
原文 鳥音之 所聞海尓 高山麻 障所為而 奥藻麻 枕所為 <蛾>葉之 衣<谷>不服尓 不知魚取 海之濱邊尓 浦裳無 所宿有人者 母父尓 真名子尓可有六 若を之 妻香有異六 思布 言傳八跡 家問者 家乎母不告 名問跡 名谷母不告 哭兒如 言谷不語 思鞆 悲物者 世間有 <世間有>
訓読 鳥が音の 聞こゆる海に 高山を 隔てになして 沖つ藻を 枕になし ひむし羽の 衣だに着ずに 鯨魚取り 海の浜辺に うらもなく 臥やせる人は 母父に 愛子にかあらむ 若草の 妻かありけむ 思ほしき 言伝てむやと 家問へば 家をも告らず 名を問へど 名だにも告らず 泣く子なす 言だにとはず 思へども 悲しきものは 世間にぞある 世間にぞある
仮名 とりがねの きこゆるうみに たかやまを へだてになして おきつもを まくらになし ひむしはの きぬだにきずに いさなとり うみのはまへに うらもなく こやせるひとは おもちちに まなごにかあらむ わかくさの つまかありけむ おもほしき ことつてむやと いへとへば いへをものらず なをとへど なだにものらず なくこなす ことだにとはず おもへども かなしきものは よのなかにぞある よのなかにぞある
   
  13/3337
原文 母父毛 妻毛子等毛 高々二 来跡<待>異六 人之悲<紗>
訓読 母父も妻も子どもも高々に来むと待ちけむ人の悲しさ
仮名 おもちちも つまもこどもも たかたかに こむとまちけむ ひとのかなしさ
   
  13/3338
原文 蘆桧木乃 山道者将行 風吹者 浪之塞 海道者不行
訓読 あしひきの山道は行かむ風吹けば波の塞ふる海道は行かじ
仮名 あしひきの やまぢはゆかむ かぜふけば なみのささふる うみぢはゆかじ
   
  13/3339
原文 玉桙之 道尓出立 葦引乃 野行山行 潦 川徃渉 鯨名取 海路丹出而 吹風裳 母穂丹者不吹 立浪裳 箟跡丹者不起 恐耶 神之渡乃 敷浪乃 寄濱部丹 高山矣 部立丹置而 <汭>潭矣 枕丹巻而 占裳無 偃為<公>者 母父之 愛子丹裳在将 稚草之 妻裳有将等 家問跡 家道裳不云 名矣問跡 名谷裳不告 誰之言矣 勞鴨 腫浪能 恐海矣 直渉異将
訓読 玉桙の 道に出で立ち あしひきの 野行き山行き にはたづみ 川行き渡り 鯨魚取り 海道に出でて 吹く風も おほには吹かず 立つ波も のどには立たぬ 畏きや 神の渡りの しき波の 寄する浜辺に 高山を 隔てに置きて 浦ぶちを 枕に巻きて うらもなく こやせる君は 母父が 愛子にもあらむ 若草の 妻もあらむと 家問へど 家道も言はず 名を問へど 名だにも告らず 誰が言を いたはしとかも とゐ波の 畏き海を 直渡りけむ
仮名 たまほこの みちにいでたち あしひきの のゆきやまゆき にはたづみ かはゆきわたり いさなとり うみぢにいでて ふくかぜも おほにはふかず たつなみも のどにはたたぬ かしこきや かみのわたりの しきなみの よするはまへに たかやまを へだてにおきて うらぶちを まくらにまきて うらもなく こやせるきみは おもちちが まなごにもあらむ わかくさの つまもあらむと いへとへど いへぢもいはず なをとへど なだにものらず たがことを いたはしとかも とゐなみの かしこきうみを ただわたりけむ
   
  13/3340
原文 母父裳 妻裳子等裳 高々丹 来<将>跡待 人乃悲
訓読 母父も妻も子どもも高々に来むと待つらむ人の悲しさ
仮名 おもちちも つまもこどもも たかたかに こむとまつらむ ひとのかなしさ
   
  13/3341
原文 家人乃 将待物矣 津煎裳無 荒礒矣巻而 偃有<公>鴨
訓読 家人の待つらむものをつれもなき荒礒を巻きて寝せる君かも
仮名 いへびとの まつらむものを つれもなき ありそをまきて なせるきみかも
   
  13/3342
原文 <汭>潭 偃為<公>矣 今日々々跡 将来跡将待 妻之可奈思母
訓読 浦ぶちにこやせる君を今日今日と来むと待つらむ妻し悲しも
仮名 うらぶちに こやせるきみを けふけふと こむとまつらむ つましかなしも
   
  13/3343
原文 <汭>浪 来依濱丹 津煎裳無 偃為<公>賀 家道不知裳
訓読 浦波の来寄する浜につれもなくこやせる君が家道知らずも
仮名 うらなみの きよするはまに つれもなく ふしたるきみが いへぢしらずも
   
  13/3344
原文 此月者 君将来跡 大舟之 思憑而 何時可登 吾待居者 黄葉之 過行跡 玉梓之 使之云者 螢成 髣髴聞而 大<土>乎 <火>穂跡<而 立>居而 去方毛不知 朝霧乃 思<或>而 杖不足 八尺乃嘆 々友 記乎無見跡 何所鹿 君之将座跡 天雲乃 行之随尓 所射完乃 行<文>将死跡 思友 道之不知者 獨居而 君尓戀尓 哭耳思所泣
訓読 この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我が待ち居れば 黄葉の 過ぎてい行くと 玉梓の 使の言へば 蛍なす ほのかに聞きて 大地を ほのほと踏みて 立ちて居て ゆくへも知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 杖足らず 八尺の嘆き 嘆けども 験をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲の 行きのまにまに 射ゆ鹿猪の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭のみし泣かゆ
仮名 このつきは きみきまさむと おほぶねの おもひたのみて いつしかと わがまちをれば もみちばの すぎていゆくと たまづさの つかひのいへば ほたるなす ほのかにききて おほつちを ほのほとふみて たちてゐて ゆくへもしらず あさぎりの おもひまとひて つゑたらず やさかのなげき なげけども しるしをなみと いづくにか きみがまさむと あまくもの ゆきのまにまに いゆししの ゆきもしなむと おもへども みちのしらねば ひとりゐて きみにこふるに ねのみしなかゆ
   
  13/3345
原文 葦邊徃 鴈之翅乎 見別 <公>之佩具之 投箭之所思
訓読 葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ
仮名 あしへゆく かりのつばさを みるごとに きみがおばしし なげやしおもほゆ
   
  13/3346
原文 欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 國丹放甞 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之氣尓 妻應離哉
訓読 見欲しきは 雲居に見ゆる うるはしき 鳥羽の松原 童ども いざわ出で見む こと放けば 国に放けなむ こと放けば 家に放けなむ 天地の 神し恨めし 草枕 この旅の日に 妻放くべしや
仮名 みほしきは くもゐにみゆる うるはしき とばのまつばら わらはども いざわいでみむ ことさけば くににさけなむ ことさけば いへにさけなむ あめつちの かみしうらめし くさまくら このたびのけに つまさくべしや
   
  13/3347
原文 草枕 此羈之氣尓 妻<放> 家道思 生為便無
訓読 草枕この旅の日に妻離り家道思ふに生けるすべなし
仮名 くさまくら このたびのけに つまさかり いへぢおもふに いけるすべなし
   
  13/3347左
原文 羈之氣二為而
訓読 旅の日にして
仮名 たびのけにして
   

第十四巻

   
   14/3348
原文 奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等<杼>米牟 佐欲布氣尓家里
訓読 夏麻引く海上潟の沖つ洲に船は留めむさ夜更けにけり
仮名 なつそびく うなかみがたの おきつすに ふねはとどめむ さよふけにけり
   
  14/3349
原文 可豆思加乃 麻萬能宇良<未>乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
訓読 葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の船人騒く波立つらしも
仮名 かづしかの ままのうらみを こぐふねの ふなびとさわく なみたつらしも
   
  14/3350
原文 筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
訓読 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも
仮名 つくはねの にひぐはまよの きぬはあれど きみがみけしし あやにきほしも
   
  14/3350左
原文 多良知祢能 安麻多伎保思母
訓読 たらちねの あまた着欲しも
仮名 たらちねの あまたきほしも
   
  14/3351
原文 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも
仮名 つくはねに ゆきかもふらる いなをかも かなしきころが にのほさるかも
   
  14/3352
原文 信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣<婆> 登伎須疑尓家里
訓読 信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり
仮名 しなぬなる すがのあらのに ほととぎす なくこゑきけば ときすぎにけり
   
  14/3353
原文 阿良多麻能 伎倍乃波也之尓 奈乎多弖天 由伎可都麻思自 移乎佐伎太多尼
訓読 あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寐を先立たね
仮名 あらたまの きへのはやしに なをたてて ゆきかつましじ いをさきだたね
   
  14/3354
原文 伎倍比等乃 萬太良夫須麻尓 和多佐波太 伊利奈麻之母乃 伊毛我乎杼許尓
訓読 伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に
仮名 きへひとの まだらぶすまに わたさはだ いりなましもの いもがをどこに
   
  14/3355
原文 安麻乃波良 不自能之婆夜麻 己能久礼能 等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟
訓読 天の原富士の柴山この暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ
仮名 あまのはら ふじのしばやま このくれの ときゆつりなば あはずかもあらむ
   
  14/3356
原文 不盡能祢乃 伊夜等保奈我伎 夜麻治乎毛 伊母我理登倍婆 氣尓餘婆受吉奴
訓読 富士の嶺のいや遠長き山道をも妹がりとへばけによばず来ぬ
仮名 ふじのねの いやとほながき やまぢをも いもがりとへば けによばずきぬ
   
  14/3357
原文 可須美為流 布時能夜麻備尓 和我伎奈婆 伊豆知武吉弖加 伊毛我奈氣可牟
訓読 霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ
仮名 かすみゐる ふじのやまびに わがきなば いづちむきてか いもがなげかむ
   
  14/3358
原文 佐奴良久波 多麻乃緒婆可里 <古>布良久波 布自能多可祢乃 奈流佐波能其登
訓読 さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと
仮名 さぬらくは たまのをばかり こふらくは ふじのたかねの なるさはのごと
   
  14/3358S1
原文 麻可奈思美 奴良久波思家良久 佐奈良久波 伊豆能多可祢能 奈流佐波奈須与
訓読 ま愛しみ寝らくはしけらくさ鳴らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ
仮名 まかなしみ ぬらくはしけらく さならくは いづのたかねの なるさはなすよ
   
  14/3358S2
原文 阿敝良久波 多麻能乎思家也 古布良久波 布自乃多可祢尓 布流由伎奈須毛
訓読 逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも
仮名 あへらくは たまのをしけや こふらくは ふじのたかねに ふるゆきなすも
   
  14/3359
原文 駿河能宇美 於思敝尓於布流 波麻都豆良 伊麻思乎多能美 波播尓多我比奴 [一云 於夜尓多我比奴]
訓読 駿河の海おし辺に生ふる浜つづら汝を頼み母に違ひぬ [一云 親に違ひぬ]
仮名 するがのうみ おしへにおふる はまつづら いましをたのみ ははにたがひぬ [おやにたがひぬ]
   
  14/3360
原文 伊豆乃宇美尓 多都思良奈美能 安里都追毛 都藝奈牟毛能乎 <美>太礼志米梅楊
訓読 伊豆の海に立つ白波のありつつも継ぎなむものを乱れしめめや
仮名 いづのうみに たつしらなみの ありつつも つぎなむものを みだれしめめや
   
  14/3360左
原文 之良久毛能 多延都追母 都我牟等母倍也 美太礼曽米家武
訓読 白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ
仮名 しらくもの たえつつも つがむともへや みだれそめけむ
   
  14/3361
原文 安思我良能 乎弖毛許乃母尓 佐須和奈乃 可奈流麻之豆美 許呂安礼比毛等久
訓読 足柄のをてもこのもにさすわなのかなるましづみ子ろ我れ紐解く
仮名 あしがらの をてもこのもに さすわなの かなるましづみ ころあれひもとく
   
  14/3362
原文 相模祢乃 乎美祢見所久思 和須礼久流 伊毛我名欲妣弖 吾乎祢之奈久奈
訓読 相模嶺の小峰見そくし忘れ来る妹が名呼びて我を音し泣くな
仮名 さがむねの をみねみそくし わすれくる いもがなよびて あをねしなくな
   
  14/3362左
原文 武蔵祢能 乎美祢見可久思 和須礼<遊>久 伎美我名可氣弖 安乎祢思奈久流
訓読 武蔵嶺の小峰見隠し忘れ行く君が名懸けて我を音し泣くる
仮名 むざしねの をみねみかくし わすれゆく きみがなかけて あをねしなくる
   
  14/3363
原文 和我世古乎 夜麻登敝夜利弖 麻都之太須 安思我良夜麻乃 須疑乃木能末可
訓読 我が背子を大和へ遣りて待つしだす足柄山の杉の木の間か
仮名 わがせこを やまとへやりて まつしだす あしがらやまの すぎのこのまか
   
  14/3364
原文 安思我良能 波I祢乃夜麻尓 安波麻吉弖 實登波奈礼留乎 阿波奈久毛安夜思
訓読 足柄の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを粟無くもあやし
仮名 あしがらの はこねのやまに あはまきて みとはなれるを あはなくもあやし
   
  14/3364左
原文 波布久受能 比可波与利己祢 思多奈保那保尓
訓読 延ふ葛の引かば寄り来ね下なほなほに
仮名 はふくずの ひかばよりこね したなほなほに
   
  14/3365
原文 可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自
訓読 鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ
仮名 かまくらの みごしのさきの いはくえの きみがくゆべき こころはもたじ
   
  14/3366
原文 麻可奈思美 佐祢尓和波由久 可麻久良能 美奈能瀬河泊尓 思保美都奈武賀
訓読 ま愛しみさ寝に我は行く鎌倉の水無瀬川に潮満つなむか
仮名 まかなしみ さねにわはゆく かまくらの みなのせがはに しほみつなむか
   
  14/3367
原文 母毛豆思麻 安之我良乎夫祢 安流吉於保美 目許曽可流良米 己許呂波毛倍杼
訓読 百づ島足柄小舟歩き多み目こそ離るらめ心は思へど
仮名 ももづしま あしがらをぶね あるきおほみ めこそかるらめ こころはもへど
   
  14/3368
原文 阿之我利能 刀比能可布知尓 伊豆流湯能 余尓母多欲良尓 故呂河伊波奈久尓
訓読 あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに
仮名 あしがりの とひのかふちに いづるゆの よにもたよらに ころがいはなくに
   
  14/3369
原文 阿之我利乃 麻萬能古須氣乃 須我麻久良 安是加麻可左武 許呂勢多麻久良
訓読 あしがりの麻万の小菅の菅枕あぜかまかさむ子ろせ手枕
仮名 あしがりの ままのこすげの すがまくら あぜかまかさむ ころせたまくら
   
  14/3370
原文 安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟
訓読 あしがりの箱根の嶺ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む
仮名 あしがりの はこねのねろの にこぐさの はなつつまなれや ひもとかずねむ
   
  14/3371
原文 安思我良乃 美佐可加思古美 久毛利欲能 阿我志多婆倍乎 許知弖都流可<毛>
訓読 足柄のみ坂畏み曇り夜の我が下ばへをこち出つるかも
仮名 あしがらの みさかかしこみ くもりよの あがしたばへを こちでつるかも
   
  14/3372
原文 相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須 兒良波可奈之久 於毛波流留可毛
訓読 相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも
仮名 さがむぢの よろぎのはまの まなごなす こらはかなしく おもはるるかも
   
  14/3373
原文 多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎
訓読 多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき
仮名 たまかはに さらすてづくり さらさらに なにぞこのこの ここだかなしき
   
  14/3374
原文 武蔵野尓 宇良敝可多也伎 麻左弖尓毛 乃良奴伎美我名 宇良尓R尓家里
訓読 武蔵野に占部肩焼きまさでにも告らぬ君が名占に出にけり
仮名 むざしのに うらへかたやき まさでにも のらぬきみがな うらにでにけり
   
  14/3375
原文 武蔵野乃 乎具奇我吉藝志 多知和可礼 伊尓之与比欲利 世呂尓安波奈布与
訓読 武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ
仮名 むざしのの をぐきがきぎし たちわかれ いにしよひより せろにあはなふよ
   
  14/3376
原文 古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米
訓読 恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ
仮名 こひしけば そでもふらむを むざしのの うけらがはなの いろにづなゆめ
   
  14/3376左
原文 伊可尓思弖 古非波可伊毛尓 武蔵野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓R受安良牟
訓読 いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ
仮名 いかにして こひばかいもに むざしのの うけらがはなの いろにでずあらむ
   
  14/3377
原文 武蔵野乃 久佐波母呂武吉 可毛可久母 伎美我麻尓末尓 吾者余利尓思乎
訓読 武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを
仮名 むざしのの くさはもろむき かもかくも きみがまにまに わはよりにしを
   
  14/3378
原文 伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 比可婆奴流々々 和尓奈多要曽祢
訓読 入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね
仮名 いりまぢの おほやがはらの いはゐつら ひかばぬるぬる わになたえそね
   
  14/3379
原文 和我世故乎 安杼可母伊波武 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 登吉奈伎母能乎
訓読 我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを
仮名 わがせこを あどかもいはむ むざしのの うけらがはなの ときなきものを
   
  14/3380
原文 佐吉多萬能 津尓乎流布祢乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曽祢
訓読 埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね
仮名 さきたまの つにをるふねの かぜをいたみ つなはたゆとも ことなたえそね
   
  14/3381
原文 奈都蘇妣久 宇奈比乎左之弖 等夫登利乃 伊多良武等曽与 阿我之多波倍思
訓読 夏麻引く宇奈比をさして飛ぶ鳥の至らむとぞよ我が下延へし
仮名 なつそびく うなひをさして とぶとりの いたらむとぞよ あがしたはへし
   
  14/3382
原文 宇麻具多能 祢呂乃佐左葉能 都由思母能 奴礼弖和伎奈婆 汝者故布婆曽毛
訓読 馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我来なば汝は恋ふばぞも
仮名 うまぐたの ねろのささはの つゆしもの ぬれてわきなば なはこふばぞも
   
  14/3383
原文 宇麻具多能 祢呂尓可久里為 可久太尓毛 久尓乃登保可婆 奈我目保里勢牟
訓読 馬来田の嶺ろに隠り居かくだにも国の遠かば汝が目欲りせむ
仮名 うまぐたの ねろにかくりゐ かくだにも くにのとほかば ながめほりせむ
   
  14/3384
原文 可都思加能 麻末能手兒奈乎 麻許登可聞 和礼尓余須等布 麻末乃弖胡奈乎
訓読 葛飾の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を
仮名 かづしかの ままのてごなを まことかも われによすとふ ままのてごなを
   
  14/3385
原文 可豆思賀能 麻萬能手兒奈我 安里之<可婆> 麻末乃於須比尓 奈美毛登杼呂尓
訓読 葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに
仮名 かづしかの ままのてごなが ありしかば ままのおすひに なみもとどろに
   
  14/3386
原文 尓保杼里能 可豆思加和世乎 尓倍須登毛 曽能可奈之伎乎 刀尓多弖米也母
訓読 にほ鳥の葛飾早稲をにへすともその愛しきを外に立てめやも
仮名 にほどりの かづしかわせを にへすとも そのかなしきを とにたてめやも
   
  14/3387
原文 安能於登世受 由可牟古馬母我 可豆思加乃 麻末乃都藝波思 夜麻受可欲波牟
訓読 足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ
仮名 あのおとせず ゆかむこまもが かづしかの ままのつぎはし やまずかよはむ
   
  14/3388
原文 筑波祢乃 祢呂尓可須美為 須宜可提尓 伊伎豆久伎美乎 為祢弖夜良佐祢
訓読 筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね
仮名 つくはねの ねろにかすみゐ すぎかてに いきづくきみを ゐねてやらさね
   
  14/3389
原文 伊毛我可度 伊夜等保曽吉奴 都久波夜麻 可久礼奴保刀尓 蘇提婆布利弖奈
訓読 妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな
仮名 いもがかど いやとほそきぬ つくはやま かくれぬほとに そではふりてな
   
  14/3390
原文 筑波祢尓 可加奈久和之能 祢乃未乎可 奈伎和多里南牟 安布登波奈思尓
訓読 筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
仮名 つくはねに かかなくわしの ねのみをか なきわたりなむ あふとはなしに
   
  14/3391
原文 筑波祢尓 曽我比尓美由流 安之保夜麻 安志可流登我毛 左祢見延奈久尓
訓読 筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかるとがもさね見えなくに
仮名 つくはねに そがひにみゆる あしほやま あしかるとがも さねみえなくに
   
  14/3392
原文 筑波祢乃 伊波毛等杼呂尓 於都流美豆 代尓毛多由良尓 和我於毛波奈久尓
訓読 筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに
仮名 つくはねの いはもとどろに おつるみづ よにもたゆらに わがおもはなくに
   
  14/3393
原文 筑波祢乃 乎弖毛許能母尓 毛利敝須恵 波播已毛礼杼母 多麻曽阿比尓家留
訓読 筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ母い守れども魂ぞ会ひにける
仮名 つくはねの をてもこのもに もりへすゑ ははいもれども たまぞあひにける
   
  14/3394
原文 左其呂毛能 乎豆久波祢呂能 夜麻乃佐吉 和須<良>許婆古曽 那乎可家奈波賣
訓読 さ衣の小筑波嶺ろの山の崎忘ら来ばこそ汝を懸けなはめ
仮名 さごろもの をづくはねろの やまのさき わすらこばこそ なをかけなはめ
   
  14/3395
原文 乎豆久波乃 祢呂尓都久多思 安比太欲波 佐波<太>奈利努乎 萬多祢天武可聞
訓読 小筑波の嶺ろに月立し間夜はさはだなりぬをまた寝てむかも
仮名 をづくはの ねろにつくたし あひだよは さはだなりぬを またねてむかも
   
  14/3396
原文 乎都久波乃 之氣吉許能麻欲 多都登利能 目由可汝乎見牟 左祢射良奈久尓
訓読 小筑波の茂き木の間よ立つ鳥の目ゆか汝を見むさ寝ざらなくに
仮名 をづくはの しげきこのまよ たつとりの めゆかなをみむ さねざらなくに
   
  14/3397
原文 比多知奈流 奈左可能宇美乃 多麻毛許曽 比氣波多延須礼 阿杼可多延世武
訓読 常陸なる浪逆の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ
仮名 ひたちなる なさかのうみの たまもこそ ひけばたえすれ あどかたえせむ
   
  14/3398
原文 比等未奈乃 許等波多由登毛 波尓思奈能 伊思井乃手兒我 許<登>奈多延曽祢
訓読 人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね
仮名 ひとみなの ことはたゆとも はにしなの いしゐのてごが ことなたえそね
   
  14/3399
原文 信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆祢尓 安思布麻之<奈牟> 久都波氣和我世
訓読 信濃道は今の墾り道刈りばねに足踏ましなむ沓はけ我が背
仮名 しなぬぢは いまのはりみち かりばねに あしふましなむ くつはけわがせ
   
  14/3400
原文 信濃奈流 知具麻能河泊能 左射礼思母 伎弥之布美弖婆 多麻等比呂波牟
訓読 信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ
仮名 しなぬなる ちぐまのかはの さざれしも きみしふみてば たまとひろはむ
   
  14/3401
原文 中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波
訓読 なかまなに浮き居る船の漕ぎ出なば逢ふことかたし今日にしあらずは
仮名 なかまなに うきをるふねの こぎでなば あふことかたし けふにしあらずは
   
  14/3402
原文 比能具礼尓 宇須比乃夜麻乎 古由流日波 勢奈能我素R母 佐夜尓布良思都
訓読 日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は背なのが袖もさやに振らしつ
仮名 ひのぐれに うすひのやまを こゆるひは せなのがそでも さやにふらしつ
   
  14/3403
原文 安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良 多胡能伊利野乃 於<久>母可奈思母
訓読 我が恋はまさかも愛し草枕多胡の入野の奥も愛しも
仮名 あがこひは まさかもかなし くさまくら たごのいりのの おくもかなしも
   
  14/3404
原文 可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟
訓読 上つ毛野安蘇のま麻むらかき抱き寝れど飽かぬをあどか我がせむ
仮名 かみつけの あそのまそむら かきむだき ぬれどあかぬを あどかあがせむ
   
  14/3405
原文 可美都氣努 乎度能多杼里我 可波治尓毛 兒良波安波奈毛 比等理能未思弖
訓読 上つ毛野乎度の多杼里が川路にも子らは逢はなもひとりのみして
仮名 かみつけの をどのたどりが かはぢにも こらはあはなも ひとりのみして
   
  14/3405左
原文 可美都氣乃 乎野乃多杼里我 安波治尓母 世奈波安波奈母 美流比登奈思尓
訓読 上つ毛野小野の多杼里があはぢにも背なは逢はなも見る人なしに
仮名 かみつけの をののたどりが あはぢにも せなはあはなも みるひとなしに
   
  14/3406
原文 可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母
訓読 上つ毛野佐野の茎立ち折りはやし我れは待たむゑ来とし来ずとも
仮名 かみつけの さののくくたち をりはやし あれはまたむゑ ことしこずとも
   
  14/3407
原文 可美都氣努 麻具波思麻度尓 安佐日左指 麻伎良波之母奈 安利都追見礼婆
訓読 上つ毛野まぐはしまとに朝日さしまきらはしもなありつつ見れば
仮名 かみつけの まぐはしまとに あさひさし まきらはしもな ありつつみれば
   
  14/3408
原文 尓比多夜麻 祢尓波都可奈那 和尓余曽利 波之奈流兒良師 安夜尓可奈思<母>
訓読 新田山嶺にはつかなな我に寄そりはしなる子らしあやに愛しも
仮名 にひたやま ねにはつかなな わによそり はしなるこらし あやにかなしも
   
  14/3409
原文 伊香保呂尓 安麻久母伊都藝 可奴麻豆久 比等登於多波布 伊射祢志米刀羅
訓読 伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら
仮名 いかほろに あまくもいつぎ かぬまづく ひととおたはふ いざねしめとら
   
  14/3410
原文 伊香保呂能 蘇比乃波里波良 祢毛己呂尓 於久乎奈加祢曽 麻左可思余加婆
訓読 伊香保ろの沿ひの榛原ねもころに奥をなかねそまさかしよかば
仮名 いかほろの そひのはりはら ねもころに おくをなかねそ まさかしよかば
   
  14/3411
原文 多胡能祢尓 与西都奈波倍弖 与須礼騰毛 阿尓久夜斯豆之 曽能可<抱>与吉尓
訓読 多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに
仮名 たごのねに よせつなはへて よすれども あにくやしづし そのかほよきに
   
  14/3412
原文 賀美都家野 久路保乃祢呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良尓 伊夜射可里久母
訓読 上つ毛野久路保の嶺ろの葛葉がた愛しけ子らにいや離り来も
仮名 かみつけの くろほのねろの くずはがた かなしけこらに いやざかりくも
   
  14/3413
原文 刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母
訓読 利根川の川瀬も知らず直渡り波にあふのす逢へる君かも
仮名 とねがはの かはせもしらず ただわたり なみにあふのす あへるきみかも
   
  14/3414
原文 伊香保呂能 夜左可能為提尓 多都努自能 安良波路萬代母 佐祢乎佐祢弖婆
訓読 伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の現はろまでもさ寝をさ寝てば
仮名 いかほろの やさかのゐでに たつのじの あらはろまでも さねをさねてば
   
  14/3415
原文 可美都氣努 伊可保乃奴麻尓 宇恵古奈<宜> 可久古非牟等夜 多祢物得米家武
訓読 上つ毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱かく恋ひむとや種求めけむ
仮名 かみつけの いかほのぬまに うゑこなぎ かくこひむとや たねもとめけむ
   
  14/3416
原文 可美都氣努 可保夜我奴麻能 伊波為都良 比可波奴礼都追 安乎奈多要曽祢
訓読 上つ毛野可保夜が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我をな絶えそね
仮名 かみつけの かほやがぬまの いはゐつら ひかばぬれつつ あをなたえそね
   
  14/3417
原文 可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保為具左 与曽尓見之欲波 伊麻許曽麻左礼 [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
訓読 上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
仮名 かみつけの いならのぬまの おほゐぐさ よそにみしよは いまこそまされ
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3418
原文 可美都氣<努> 佐野田能奈倍能 武良奈倍尓 許登波佐太米都 伊麻波伊可尓世母
訓読 上つ毛野佐野田の苗のむら苗に事は定めつ今はいかにせも
仮名 かみつけの さのだのなへの むらなへに ことはさだめつ いまはいかにせも
   
  14/3419
原文 伊可保世欲 奈可中次下 於毛比度路 久麻許曽之都等 和須礼西奈布母
訓読 伊香保せよ奈可中次下思ひどろくまこそしつと忘れせなふも
仮名 いかほせよ ******* おもひどろ くまこそしつと わすれせなふも
   
  14/3420
原文 可美都氣努 佐野乃布奈波之 登里波奈之 於也波左久礼騰 和波左可流賀倍
訓読 上つ毛野佐野の舟橋取り離し親は放くれど我は離るがへ
仮名 かみつけの さののふなはし とりはなし おやはさくれど わはさかるがへ
   
  14/3421
原文 伊香保祢尓 可未奈那里曽祢 和我倍尓波 由恵波奈家杼母 兒良尓与里弖曽
訓読 伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ
仮名 いかほねに かみななりそね わがへには ゆゑはなけども こらによりてぞ
   
  14/3422
原文 伊可保可是 布久日布加奴日 安里登伊倍杼 安我古非能未思 等伎奈可里家利
訓読 伊香保風吹く日吹かぬ日ありと言へど我が恋のみし時なかりけり
仮名 いかほかぜ ふくひふかぬひ ありといへど あがこひのみし ときなかりけり
   
  14/3423
原文 可美都氣努 伊可抱乃祢呂尓 布路与伎能 遊吉須宜可提奴 伊毛賀伊敝乃安多里
訓読 上つ毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
仮名 かみつけの いかほのねろに ふろよきの ゆきすぎかてぬ いもがいへのあたり
   
  14/3424
原文 之母都家野 美可母乃夜麻能 許奈良能須 麻具波思兒呂波 多賀家可母多牟
訓読 下つ毛野みかもの山のこ楢のすまぐはし子ろは誰が笥か持たむ
仮名 しもつけの みかものやまの こならのす まぐはしころは たがけかもたむ
   
  14/3425
原文 志母都家<努> 安素乃河泊良欲 伊之布<麻>受 蘇良由登伎奴与 奈我己許呂能礼
訓読 下つ毛野阿蘇の川原よ石踏まず空ゆと来ぬよ汝が心告れ
仮名 しもつけの あそのかはらよ いしふまず そらゆときぬよ ながこころのれ
   
  14/3426
原文 安比豆祢能 久尓乎佐杼抱美 安波奈波婆 斯努比尓勢毛等 比毛牟須婆佐祢
訓読 会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね
仮名 あひづねの くにをさどほみ あはなはば しのひにせもと ひもむすばさね
   
  14/3427
原文 筑紫奈留 尓抱布兒由恵尓 美知能久乃 可刀利乎登女乃 由比思比毛等久
訓読 筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く
仮名 つくしなる にほふこゆゑに みちのくの かとりをとめの ゆひしひもとく
   
  14/3428
原文 安太多良乃 祢尓布須思之能 安里都々毛 安礼波伊多良牟 祢度奈佐利曽祢
訓読 安達太良の嶺に伏す鹿猪のありつつも我れは至らむ寝処な去りそね
仮名 あだたらの ねにふすししの ありつつも あれはいたらむ ねどなさりそね
   
  14/3429
原文 等保都安布美 伊奈佐保曽江乃 水乎都久思 安礼乎多能米弖 安佐麻之物能乎
訓読 遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを
仮名 とほつあふみ いなさほそえの みをつくし あれをたのめて あさましものを
   
  14/3430
原文 斯太能宇良乎 阿佐許求布祢波 与志奈之尓 許求良米可母与 <余>志許佐流良米
訓読 志太の浦を朝漕ぐ船はよしなしに漕ぐらめかもよよしこさるらめ
仮名 しだのうらを あさこぐふねは よしなしに こぐらめかもよ よしこさるらめ
   
  14/3431
原文 阿之我里乃 安伎奈乃夜麻尓 比古布祢乃 斯利比可志母與 許己波故賀多尓
訓読 足柄の安伎奈の山に引こ船の後引かしもよここばこがたに
仮名 あしがりの あきなのやまに ひこふねの しりひかしもよ ここばこがたに
   
  14/3432
原文 阿之賀利乃 和乎可鶏夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母
訓読 足柄のわを可鶏山のかづの木の我をかづさねも門さかずとも
仮名 あしがりの わをかけやまの かづのきの わをかづさねも かづさかずとも
   
  14/3433
原文 多伎木許流 可麻久良夜麻能 許太流木乎 麻都等奈我伊波婆 古非都追夜安良牟
訓読 薪伐る鎌倉山の木垂る木を松と汝が言はば恋ひつつやあらむ
仮名 たきぎこる かまくらやまの こだるきを まつとながいはば こひつつやあらむ
   
  14/3434
原文 可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武
訓読 上つ毛野阿蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ
仮名 かみつけの あそやまつづら のをひろみ はひにしものを あぜかたえせむ
   
  14/3435
原文 伊可保呂乃 蘇比乃波里波良 和我吉奴尓 都伎与良之母与 比多敝登於毛敝婆
訓読 伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思へば
仮名 いかほろの そひのはりはら わがきぬに つきよらしもよ ひたへとおもへば
   
  14/3436
原文 志良登保布 乎尓比多夜麻乃 毛流夜麻乃 宇良賀礼勢奈<那> 登許波尓毛我母
訓読 しらとほふ小新田山の守る山のうら枯れせなな常葉にもがも
仮名 しらとほふ をにひたやまの もるやまの うらがれせなな とこはにもがも
   
  14/3437
原文 美知乃久能 安太多良末由美 波自伎於伎弖 西良思馬伎那婆 都良波可馬可毛
訓読 陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめかも
仮名 みちのくの あだたらまゆみ はじきおきて せらしめきなば つらはかめかも
   
  14/3438
原文 都武賀野尓 須受我於等伎許由 可牟思太能 等能乃奈可知師 登我里須良思母
訓読 都武賀野に鈴が音聞こゆ可牟思太の殿のなかちし鳥猟すらしも
仮名 つむがのに すずがおときこゆ かむしだの とののなかちし とがりすらしも
   
  14/3438左
原文 美都我野尓 和久胡思
訓読 美都我野に 若子し
仮名 みつがのに わくごし
   
  14/3439
原文 須受我祢乃 波由馬宇馬夜能 都追美井乃 美都乎多麻倍奈 伊毛我多太手欲
訓読 鈴が音の早馬駅家の堤井の水を給へな妹が直手よ
仮名 すずがねの はゆまうまやの つつみゐの みづをたまへな いもがただてよ
   
  14/3440
原文 許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊R兒多婆里尓 [一云 麻之毛安礼母]
訓読 この川に朝菜洗ふ子汝れも我れもよちをぞ持てるいで子給りに [一云 ましも我れも]
仮名 このかはに あさなあらふこ なれもあれも よちをぞもてる いでこたばりに [ましもあれも]
   
  14/3441
原文 麻等保久能 久毛為尓見由流 伊毛我敝尓 伊都可伊多良武 安由賣安我古麻
訓読 ま遠くの雲居に見ゆる妹が家にいつか至らむ歩め我が駒
仮名 まとほくの くもゐにみゆる いもがへに いつかいたらむ あゆめあがこま
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3441左
原文 等保久之弖 安由賣久路古<麻>
訓読 遠くして 歩め黒駒
仮名 とほくして あゆめくろこま
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3442
原文 安豆麻治乃 手兒乃欲妣左賀 古要我祢弖 夜麻尓可祢牟毛 夜杼里波奈之尓
訓読 東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに
仮名 あづまぢの てごのよびさか こえがねて やまにかねむも やどりはなしに
   
  14/3443
原文 宇良毛奈久 和我由久美知尓 安乎夜宜乃 波里弖多弖礼波 物能毛比弖都母
訓読 うらもなく我が行く道に青柳の張りて立てれば物思ひ出つも
仮名 うらもなく わがゆくみちに あをやぎの はりてたてれば ものもひでつも
   
  14/3444
原文 伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛<美>多奈布 西奈等都麻佐祢
訓読 伎波都久の岡のくくみら我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね
仮名 きはつくの をかのくくみら われつめど こにもみたなふ せなとつまさね
   
  14/3445
原文 美奈刀<能> 安之我奈可那流 多麻古須氣 可利己和我西古 等許乃敝太思尓
訓読 港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに
仮名 みなとの あしがなかなる たまこすげ かりこわがせこ とこのへだしに
   
  14/3446
原文 伊毛奈呂我 都可布河泊豆乃 佐<左良乎疑> 安志等比<登>其等 加多理与良斯毛
訓読 妹なろが使ふ川津のささら荻葦と人言語りよらしも
仮名 いもなろが つかふかはづの ささらをぎ あしとひとごと かたりよらしも
   
  14/3447
原文 久佐可氣乃 安努奈由可武等 波里之美知 阿努波由加受弖 阿良久佐太知奴
訓読 草蔭の安努な行かむと墾りし道安努は行かずて荒草立ちぬ
仮名 くさかげの あのなゆかむと はりしみち あのはゆかずて あらくさだちぬ
   
  14/3448
原文 波奈治良布 己能牟可都乎乃 乎那能乎能 比自尓都久麻提 伎美我与母賀母
訓読 花散らふこの向つ峰の乎那の峰のひじにつくまで君が代もがも
仮名 はなぢらふ このむかつをの をなのをの ひじにつくまで きみがよもがも
   
  14/3449
原文 思路多倍乃 許呂母能素R乎 麻久良我欲 安麻許伎久見由 奈美多都奈由米
訓読 白栲の衣の袖を麻久良我よ海人漕ぎ来見ゆ波立つなゆめ
仮名 しろたへの ころものそでを まくらがよ あまこぎくみゆ なみたつなゆめ
   
  14/3450
原文 乎久佐乎等 乎具佐受家乎等 斯抱布祢乃 那良敝弖美礼婆 乎具佐可<知>馬利
訓読 乎久佐男と乎具佐受家男と潮舟の並べて見れば乎具佐勝ちめり
仮名 をくさをと をぐさずけをと しほぶねの ならべてみれば をぐさかちめり
   
  14/3451
原文 左奈都良能 乎可尓安波麻伎 可奈之伎我 <古>麻波多具等毛 和波素登毛波自
訓読 左奈都良の岡に粟蒔き愛しきが駒は食ぐとも我はそとも追じ
仮名 さなつらの をかにあはまき かなしきが こまはたぐとも わはそともはじ
   
  14/3452
原文 於毛思路伎 野乎婆奈夜吉曽 布流久左尓 仁比久佐麻自利 於非波於布流我尓
訓読 おもしろき野をばな焼きそ古草に新草交り生ひは生ふるがに
仮名 おもしろき のをばなやきそ ふるくさに にひくさまじり おひはおふるがに
   
  14/3453
原文 可是<能>等能 登抱吉和伎母賀 吉西斯伎奴 多母登乃久太利 麻欲比伎尓家利
訓読 風の音の遠き我妹が着せし衣手本のくだりまよひ来にけり
仮名 かぜのとの とほきわぎもが きせしきぬ たもとのくだり まよひきにけり
   
  14/3454
原文 尓波尓多都 安佐提古夫須麻 許余比太尓 都麻余之許西祢 安佐提古夫須麻
訓読 庭に立つ麻手小衾今夜だに夫寄しこせね麻手小衾
仮名 にはにたつ あさでこぶすま こよひだに つまよしこせね あさでこぶすま
   
  14/3455
原文 古非思家婆 伎麻世和我勢古 可伎都楊疑 宇礼都美可良思 和礼多知麻多牟
訓読 恋しけば来ませ我が背子垣つ柳末摘み枯らし我れ立ち待たむ
仮名 こひしけば きませわがせこ かきつやぎ うれつみからし われたちまたむ
   
  14/3456
原文 宇都世美能 夜蘇許登乃敝波 思氣久等母 安良蘇比可祢弖 安乎許登奈須那
訓読 うつせみの八十言のへは繁くとも争ひかねて我を言なすな
仮名 うつせみの やそことのへは しげくとも あらそひかねて あをことなすな
   
  14/3457
原文 宇知日佐須 美夜能和我世波 夜麻<登>女乃 比射麻久其登尓 安乎和須良須奈
訓読 うちひさす宮の我が背は大和女の膝まくごとに我を忘らすな
仮名 うちひさす みやのわがせは やまとめの ひざまくごとに あをわすらすな
   
  14/3458
原文 奈勢能古夜 等里乃乎加恥志 奈可太乎礼 安乎祢思奈久与 伊久豆君麻弖尓
訓読 汝背の子や等里の岡道しなかだ折れ我を音し泣くよ息づくまでに
仮名 なせのこや とりのをかちし なかだをれ あをねしなくよ いくづくまでに
   
  14/3459
原文 伊祢都氣波 可加流安我<手>乎 許余比毛可 等能乃和久胡我 等里弖奈氣可武
訓読 稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ
仮名 いねつけば かかるあがてを こよひもか とののわくごが とりてなげかむ
   
  14/3460
原文 多礼曽許能 屋能戸於曽夫流 尓布奈未尓 和<我>世乎夜里弖 伊波布許能戸乎
訓読 誰れぞこの屋の戸押そぶる新嘗に我が背を遣りて斎ふこの戸を
仮名 たれぞこの やのとおそぶる にふなみに わがせをやりて いはふこのとを
   
  14/3461
原文 安是登伊敝可 佐宿尓安波奈久尓 真日久礼弖 与比奈波許奈尓 安家奴思太久流
訓読 あぜと言へかさ寝に逢はなくにま日暮れて宵なは来なに明けぬしだ来る
仮名 あぜといへか さねにあはなくに まひくれて よひなはこなに あけぬしだくる
   
  14/3462
原文 安志比奇乃 夜末佐波妣登乃 比登佐波尓 麻奈登伊布兒我 安夜尓可奈思佐
訓読 あしひきの山沢人の人さはにまなと言ふ子があやに愛しさ
仮名 あしひきの やまさはびとの ひとさはに まなといふこが あやにかなしさ
   
  14/3463
原文 麻等保久能 野尓毛安波奈牟 己許呂奈久 佐刀乃美奈可尓 安敝流世奈可母
訓読 ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中に逢へる背なかも
仮名 まとほくの のにもあはなむ こころなく さとのみなかに あへるせなかも
   
  14/3464
原文 比登其登乃 之氣吉尓余里弖 麻乎其母能 於夜自麻久良波 和波麻可自夜毛
訓読 人言の繁きによりてまを薦の同じ枕は我はまかじやも
仮名 ひとごとの しげきによりて まをごもの おやじまくらは わはまかじやも
   
  14/3465
原文 巨麻尓思吉 比毛登伎佐氣弖 奴流我倍尓 安杼世呂登可母 安夜尓可奈之伎
訓読 高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせろとかもあやに愛しき
仮名 こまにしき ひもときさけて ぬるがへに あどせろとかも あやにかなしき
   
  14/3466
原文 麻可奈思美 奴礼婆許登尓豆 佐祢奈敝波 己許呂乃緒呂尓 能里弖可奈思母
訓読 ま愛しみ寝れば言に出さ寝なへば心の緒ろに乗りて愛しも
仮名 まかなしみ ぬればことにづ さねなへば こころのをろに のりてかなしも
   
  14/3467
原文 於久夜麻能 真木乃伊多度乎 等杼登之弖 和<我>比良可武尓 伊利伎弖奈左祢
訓読 奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね
仮名 おくやまの まきのいたとを とどとして わがひらかむに いりきてなさね
   
  14/3468
原文 夜麻杼里乃 乎呂能<波>都乎尓 可賀美可家 刀奈布倍美許曽 奈尓与曽利鶏米
訓読 山鳥の峰ろのはつをに鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ
仮名 やまとりの をろのはつをに かがみかけ となふべみこそ なによそりけめ
   
  14/3469
原文 由布氣尓毛 許余比登乃良路 和賀西奈波 阿是曽母許与比 与斯呂伎麻左奴
訓読 夕占にも今夜と告らろ我が背なはあぜぞも今夜寄しろ来まさぬ
仮名 ゆふけにも こよひとのらろ わがせなは あぜぞもこよひ よしろきまさぬ
   
  14/3470
原文 安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加<母> 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓 [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
訓読 相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちがてに [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
仮名 あひみては ちとせやいぬる いなをかも あれやしかもふ きみまちがてに
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3471
原文 思麻良久波 祢都追母安良牟乎 伊米能未尓 母登奈見要都追 安乎祢思奈久流
訓読 しまらくは寝つつもあらむを夢のみにもとな見えつつ我を音し泣くる
仮名 しまらくは ねつつもあらむを いめのみに もとなみえつつ あをねしなくる
   
  14/3472
原文 比登豆麻等 安是可曽乎伊波牟 志可良<婆>加 刀奈里乃伎奴乎 可里弖伎奈波毛
訓読 人妻とあぜかそを言はむしからばか隣の衣を借りて着なはも
仮名 ひとづまと あぜかそをいはむ しからばか となりのきぬを かりてきなはも
   
  14/3473
原文 左努夜麻尓 宇都也乎能登乃 等抱可騰母 祢毛等可兒呂賀 於<母>尓美要都留
訓読 左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる
仮名 さのやまに うつやをのとの とほかども ねもとかころが おもにみえつる
   
  14/3474
原文 宇恵太氣能 毛登左倍登与美 伊R弖伊奈婆 伊豆思牟伎弖可 伊毛我奈氣可牟
訓読 植ゑ竹の本さへ響み出でて去なばいづし向きてか妹が嘆かむ
仮名 うゑだけの もとさへとよみ いでていなば いづしむきてか いもがなげかむ
   
  14/3475
原文 古非都追母 乎良牟等須礼杼 遊布麻夜万 可久礼之伎美乎 於母比可祢都母
訓読 恋ひつつも居らむとすれど遊布麻山隠れし君を思ひかねつも
仮名 こひつつも をらむとすれど ゆふまやま かくれしきみを おもひかねつも
   
  14/3476
原文 宇倍兒奈波 和奴尓故布奈毛 多刀都久能 努賀奈敝由家婆 故布思可流奈母
訓読 うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月のぬがなへ行けば恋しかるなも
仮名 うべこなは わぬにこふなも たとつくの ぬがなへゆけば こふしかるなも
   
  14/3476左
原文 奴我奈敝由家杼 和<奴><由賀>乃敝波
訓読 ぬがなへ行けど我ぬ行がのへば
仮名 ぬがなへゆけど わぬゆがのへば
   
  14/3477
原文 安都麻道乃 手兒乃欲婢佐可 古要弖伊奈婆 安礼波古非牟奈 能知波安比奴登母
訓読 東路の手児の呼坂越えて去なば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
仮名 あづまぢの てごのよびさか こえていなば あれはこひむな のちはあひぬとも
   
  14/3478
原文 等保斯等布 故奈乃思良祢尓 阿抱思太毛 安波乃敝思太毛 奈尓己曽与佐礼
訓読 遠しとふ故奈の白嶺に逢ほしだも逢はのへしだも汝にこそ寄され
仮名 とほしとふ こなのしらねに あほしだも あはのへしだも なにこそよされ
   
  14/3479
原文 安可見夜麻 久左祢可利曽氣 安波須賀倍 安良蘇布伊毛之 安夜尓可奈之毛
訓読 安可見山草根刈り除け逢はすがへ争ふ妹しあやに愛しも
仮名 あかみやま くさねかりそけ あはすがへ あらそふいもし あやにかなしも
   
  14/3480
原文 於保伎美乃 美己等可思古美 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 欲太知伎努可母
訓読 大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも
仮名 おほきみの みことかしこみ かなしいもが たまくらはなれ よだちきのかも
   
  14/3481
原文 安利伎奴乃 佐恵々々之豆美 伊敝能伊母尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比具流之母
訓読 あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも
仮名 ありきぬの さゑさゑしづみ いへのいもに ものいはずきにて おもひぐるしも
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3482
原文 可良許呂毛 須蘇乃宇知可倍 安波祢杼毛 家思吉己許呂乎 安我毛波奈久尓
訓読 韓衣裾のうち交へ逢はねども異しき心を我が思はなくに
仮名 からころも すそのうちかへ あはねども けしきこころを あがもはなくに
   
  14/3482左
原文 可良己呂母 須素能宇知可比 阿波奈敝婆 祢奈敝乃可良尓 許等多可利都母
訓読 韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへのからに言痛かりつも
仮名 からころも すそのうちかひ あはなへば ねなへのからに ことたかりつも
   
  14/3483
原文 比流等家波 等<家>奈敝比毛乃 和賀西奈尓 阿比与流等可毛 欲流等家也須家
訓読 昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ
仮名 ひるとけば とけなへひもの わがせなに あひよるとかも よるとけやすけ
   
  14/3484
原文 安左乎良乎 遠家尓布須左尓 宇麻受登毛 安須伎西佐米也 伊射西乎騰許尓
訓読 麻苧らを麻笥にふすさに績まずとも明日着せさめやいざせ小床に
仮名 あさをらを をけにふすさに うまずとも あすきせさめや いざせをどこに
   
  14/3485
原文 都流伎多知 身尓素布伊母乎 等里見我祢 哭乎曽奈伎都流 手兒尓安良奈久尓
訓読 剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに
仮名 つるぎたち みにそふいもを とりみがね ねをぞなきつる てごにあらなくに
   
  14/3486
原文 可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
訓読 愛し妹を弓束並べ巻きもころ男のこととし言はばいや勝たましに
仮名 かなしいもを ゆづかなべまき もころをの こととしいはば いやかたましに
   
  14/3487
原文 安豆左由美 須恵尓多麻末吉 可久須酒曽 宿莫奈那里尓思 於久乎可奴加奴
訓読 梓弓末に玉巻きかくすすぞ寝なななりにし奥をかぬかぬ
仮名 あづさゆみ すゑにたままき かくすすぞ ねなななりにし おくをかぬかぬ
   
  14/3488
原文 於布之毛等 許乃母登夜麻乃 麻之波尓毛 能良奴伊毛我名 可多尓伊弖牟可母
訓読 生ふしもとこの本山のましばにも告らぬ妹が名かたに出でむかも
仮名 おふしもと このもとやまの ましばにも のらぬいもがな かたにいでむかも
   
  14/3489
原文 安豆左由美 欲良能夜麻邊能 之牙可久尓 伊毛呂乎多弖天 左祢度波良布母
訓読 梓弓欲良の山辺の茂かくに妹ろを立ててさ寝処払ふも
仮名 あづさゆみ よらのやまへの しげかくに いもろをたてて さねどはらふも
   
  14/3490
原文 安都左由美 須恵波余里祢牟 麻左可許曽 比等目乎於保美 奈乎波思尓於家礼 [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
訓読 梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝をはしに置けれ [柿本朝臣人麻呂歌集出也]
仮名 あづさゆみ すゑはよりねむ まさかこそ ひとめをおほみ なをはしにおけれ
  柿本人麻呂歌集
   
  14/3491
原文 楊奈疑許曽 伎礼波伴要須礼 余能比等乃 古非尓思奈武乎 伊可尓世余等曽
訓読 柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ
仮名 やなぎこそ きればはえすれ よのひとの こひにしなむを いかにせよとぞ
   
  14/3492
原文 乎夜麻田乃 伊氣能都追美尓 左須楊奈疑 奈里毛奈良受毛 奈等布多里波母
訓読 小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも
仮名 をやまだの いけのつつみに さすやなぎ なりもならずも なとふたりはも
   
  14/3493
原文 於曽波夜母 奈乎許曽麻多賣 牟可都乎能 四比乃故夜提能 安比波多<我>波自
訓読 遅速も汝をこそ待ため向つ峰の椎の小やで枝の逢ひは違はじ
仮名 おそはやも なをこそまため むかつをの しひのこやでの あひはたがはじ
   
  14/3493左
原文 於曽波夜毛 伎美乎思麻多武 牟可都乎能 思比乃佐要太能 登吉波須具登母
訓読 遅速も君をし待たむ向つ峰の椎のさ枝の時は過ぐとも
仮名 おそはやも きみをしまたむ むかつをの しひのさえだの ときはすぐとも
   
  14/3494
原文 兒毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布
訓読 子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ
仮名 こもちやま わかかへるでの もみつまで ねもとわはもふ なはあどかもふ
   
  14/3495
原文 伊波保呂乃 蘇比能和可麻都 可藝里登也 伎美我伎麻左奴 宇良毛等奈久文
訓読 巌ろの沿ひの若松限りとや君が来まさぬうらもとなくも
仮名 いはほろの そひのわかまつ かぎりとや きみがきまさぬ うらもとなくも
   
  14/3496
原文 多知婆奈乃 古婆乃波奈里我 於毛布奈牟 己許呂宇都久思 伊弖安礼波伊可奈
訓読 橘の古婆の放髪が思ふなむ心うつくしいで我れは行かな
仮名 たちばなの こばのはなりが おもふなむ こころうつくし いであれはいかな
   
  14/3497
原文 可波加美能 祢自路多可我夜 安也尓阿夜尓 左宿佐寐弖許曽 己登尓弖尓思可
訓読 川上の根白高萱あやにあやにさ寝さ寝てこそ言に出にしか
仮名 かはかみの ねじろたかがや あやにあやに さねさねてこそ ことにでにしか
   
  14/3498
原文 宇奈波良乃 根夜波良古須氣 安麻多安礼婆 伎美波和須良酒 和礼和須流礼夜
訓読 海原の根柔ら小菅あまたあれば君は忘らす我れ忘るれや
仮名 うなはらの ねやはらこすげ あまたあれば きみはわすらす われわするれや
   
  14/3499
原文 乎可尓与西 和我可流加夜能 佐祢加夜能 麻許等奈其夜波 祢呂等敝奈香母
訓読 岡に寄せ我が刈る萱のさね萱のまことなごやは寝ろとへなかも
仮名 をかによせ わがかるかやの さねかやの まことなごやは ねろとへなかも
   
  14/3500
原文 牟良佐伎波 根乎可母乎布流 比等乃兒能 宇良我奈之家乎 祢乎遠敝奈久尓
訓読 紫草は根をかも終ふる人の子のうら愛しけを寝を終へなくに
仮名 むらさきは ねをかもをふる ひとのこの うらがなしけを ねををへなくに
   
  14/3501
原文 安波乎呂能 乎呂田尓於波流 多波美豆良 比可婆奴流奴留 安乎許等奈多延
訓読 安波峰ろの峰ろ田に生はるたはみづら引かばぬるぬる我を言な絶え
仮名 あはをろの をろたにおはる たはみづら ひかばぬるぬる あをことなたえ
   
  14/3502
原文 和我目豆麻 比等波左久礼杼 安佐我保能 等思佐倍己其登 和波佐可流我倍
訓読 我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ
仮名 わがめづま ひとはさくれど あさがほの としさへこごと わはさかるがへ
   
  14/3503
原文 安齊可我多 志保悲乃由多尓 於毛敝良婆 宇家良我波奈乃 伊呂尓弖米也母
訓読 安齊可潟潮干のゆたに思へらばうけらが花の色に出めやも
仮名 あせかがた しほひのゆたに おもへらば うけらがはなの いろにでめやも
   
  14/3504
原文 波流敝左久 布治能宇良葉乃 宇良夜須尓 左奴流夜曽奈伎 兒呂乎之毛倍婆
訓読 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば
仮名 はるへさく ふぢのうらばの うらやすに さぬるよぞなき ころをしもへば
   
  14/3505
原文 宇知比佐都 美夜能瀬河泊能 可保婆奈能 孤悲天香眠良武 <伎>曽母許余比毛
訓読 うちひさつ宮能瀬川のかほ花の恋ひてか寝らむ昨夜も今夜も
仮名 うちひさつ みやのせがはの かほばなの こひてかぬらむ きぞもこよひも
   
  14/3506
原文 尓比牟路能 許騰伎尓伊多礼婆 波太須酒伎 穂尓弖之伎美我 見延奴己能許呂
訓読 新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ
仮名 にひむろの こどきにいたれば はだすすき ほにでしきみが みえぬこのころ
   
  14/3507
原文 多尓世婆美 弥<年>尓波比多流 多麻可豆良 多延武能己許呂 和我母波奈久尓
訓読 谷狭み峰に延ひたる玉葛絶えむの心我が思はなくに
仮名 たにせばみ みねにはひたる たまかづら たえむのこころ わがもはなくに
   
  14/3508
原文 芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安礼古非米夜母
訓読 芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらば我れ恋ひめやも
仮名 しばつきの みうらさきなる ねつこぐさ あひみずあらば あれこひめやも
   
  14/3509
原文 多久夫須麻 之良夜麻可是能 宿奈敝杼母 古呂賀於曽伎能 安路許曽要志母
訓読 栲衾白山風の寝なへども子ろがおそきのあろこそえしも
仮名 たくぶすま しらやまかぜの ねなへども ころがおそきの あろこそえしも
   
  14/3510
原文 美蘇良由久 <君>母尓毛我母奈 家布由伎弖 伊母尓許等<杼>比 安須可敝里許武
訓読 み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言どひ明日帰り来む
仮名 みそらゆく くもにもがもな けふゆきて いもにことどひ あすかへりこむ
   
  14/3511
原文 安乎祢呂尓 多奈婢久君母能 伊佐欲比尓 物能乎曽於毛布 等思乃許能己呂
訓読 青嶺ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ
仮名 あをねろに たなびくくもの いさよひに ものをぞおもふ としのこのころ
   
  14/3512
原文 比登祢呂尓 伊波流毛能可良 安乎祢呂尓 伊佐欲布久母能 余曽里都麻波母
訓読 一嶺ろに言はるものから青嶺ろにいさよふ雲の寄そり妻はも
仮名 ひとねろに いはるものから あをねろに いさよふくもの よそりづまはも
   
  14/3513
原文 由布佐礼婆 美夜麻乎左良奴 尓努具母能 安是可多要牟等 伊比之兒呂<波>母
訓読 夕さればみ山を去らぬ布雲のあぜか絶えむと言ひし子ろはも
仮名 ゆふされば みやまをさらぬ にのぐもの あぜかたえむと いひしころはも
   
  14/3514
原文 多可伎祢尓 久毛能都久能須 和礼左倍尓 伎美尓都吉奈那 多可祢等毛比弖
訓読 高き嶺に雲のつくのす我れさへに君につきなな高嶺と思ひて
仮名 たかきねに くものつくのす われさへに きみにつきなな たかねともひて
   
  14/3515
原文 阿我於毛乃 和須礼牟之太波 久尓波布利 祢尓多都久毛乎 見都追之努波西
訓読 我が面の忘れむしだは国はふり嶺に立つ雲を見つつ偲はせ
仮名 あがおもの わすれむしだは くにはふり ねにたつくもを みつつしのはせ
   
  14/3516
原文 對馬能祢波 之多具毛安良南敷 可牟能祢尓 多奈婢久君毛乎 見都追思努<波>毛
訓読 対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも
仮名 つしまのねは したぐもあらなふ かむのねに たなびくくもを みつつしのはも
   
  14/3517
原文 思良久毛能 多要尓之伊毛乎 阿是西呂等 許己呂尓能里弖 許己婆可那之家
訓読 白雲の絶えにし妹をあぜせろと心に乗りてここば愛しけ
仮名 しらくもの たえにしいもを あぜせろと こころにのりて ここばかなしけ
   
  14/3518
原文 伊波能倍尓 伊可賀流久毛能 可努麻豆久 比等曽於多波布 伊射祢之賣刀良
訓読 岩の上にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝しめとら
仮名 いはのへに いかかるくもの かのまづく ひとぞおたはふ いざねしめとら
   
  14/3519
原文 奈我波伴尓 己良例安波由久 安乎久毛能 伊弖来和伎母兒 安必見而由可武
訓読 汝が母に嘖られ我は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ
仮名 ながははに こられあはゆく あをくもの いでこわぎもこ あひみてゆかむ
   
  14/3520
原文 於毛可多能 和須礼牟之太波 於抱野呂尓 多奈婢久君母乎 見都追思努波牟
訓読 面形の忘れむしだは大野ろにたなびく雲を見つつ偲はむ
仮名 おもかたの わすれむしだは おほのろに たなびくくもを みつつしのはむ
   
  14/3521
原文 可良須等布 於保乎曽杼里能 麻左R尓毛 伎麻左奴伎美乎 許呂久等曽奈久
訓読 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く
仮名 からすとふ おほをそとりの まさでにも きまさぬきみを ころくとぞなく
   
  14/3522
原文 伎曽許曽波 兒呂等左宿之香 久毛能宇倍由 奈伎由久多豆乃 麻登保久於毛保由
訓読 昨夜こそば子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴き行く鶴の間遠く思ほゆ
仮名 きぞこそば ころとさねしか くものうへゆ なきゆくたづの まとほくおもほゆ
   
  14/3523
原文 佐可故要弖 阿倍乃田能毛尓 為流多豆乃 等毛思吉伎美波 安須左倍母我毛
訓読 坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも
仮名 さかこえて あへのたのもに ゐるたづの ともしききみは あすさへもがも
   
  14/3524
原文 麻乎其母能 布能<末>知可久弖 安波奈敝波 於吉都麻可母能 奈氣伎曽安我須流
訓読 まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする
仮名 まをごもの ふのまちかくて あはなへば おきつまかもの なげきぞあがする
   
  14/3525
原文 水久君野尓 可母能波抱能須 兒呂我宇倍尓 許等乎呂波敝而 伊麻太宿奈布母
訓読 水久君野に鴨の這ほのす子ろが上に言緒ろ延へていまだ寝なふも
仮名 みくくのに かものはほのす ころがうへに ことをろはへて いまだねなふも
   
  14/3526
原文 奴麻布多都 可欲波等里我栖 安我己許呂 布多由久奈母等 奈与母波里曽祢
訓読 沼二つ通は鳥が巣我が心二行くなもとなよ思はりそね
仮名 ぬまふたつ かよはとりがす あがこころ ふたゆくなもと なよもはりそね
   
  14/3527
原文 於吉尓須毛 乎加母乃毛己呂 也左可杼利 伊伎豆久伊毛乎 於伎弖伎努可母
訓読 沖に住も小鴨のもころ八尺鳥息づく妹を置きて来のかも
仮名 おきにすも をかものもころ やさかどり いきづくいもを おきてきのかも
   
  14/3528
原文 水都等利乃 多々武与曽比尓 伊母能良尓 毛乃伊波受伎尓弖 於毛比可祢都母
訓読 水鳥の立たむ装ひに妹のらに物言はず来にて思ひかねつも
仮名 みづとりの たたむよそひに いものらに ものいはずきにて おもひかねつも
   
  14/3529
原文 等夜乃野尓 乎佐藝祢良波里 乎佐乎左毛 祢奈敝古由恵尓 波伴尓許呂波要
訓読 等夜の野に兎ねらはりをさをさも寝なへ子ゆゑに母に嘖はえ
仮名 とやののに をさぎねらはり をさをさも ねなへこゆゑに ははにころはえ
   
  14/3530
原文 左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
訓読 さを鹿の伏すや草むら見えずとも子ろが金門よ行かくしえしも
仮名 さをしかの ふすやくさむら みえずとも ころがかなとよ ゆかくしえしも
   
  14/3531
原文 伊母乎許曽 安比美尓許思可 麻欲婢吉能 与許夜麻敝呂能 思之奈須於母敝流
訓読 妹をこそ相見に来しか眉引きの横山辺ろの獣なす思へる
仮名 いもをこそ あひみにこしか まよびきの よこやまへろの ししなすおもへる
   
  14/3532
原文 波流能野尓 久佐波牟古麻能 久知夜麻受 安乎思努布良武 伊敝乃兒呂波母
訓読 春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも
仮名 はるののに くさはむこまの くちやまず あをしのふらむ いへのころはも
   
  14/3533
原文 比登乃兒乃 可奈思家之太波 々麻渚杼里 安奈由牟古麻能 乎之家口母奈思
訓読 人の子の愛しけしだは浜洲鳥足悩む駒の惜しけくもなし
仮名 ひとのこの かなしけしだは はますどり あなゆむこまの をしけくもなし
   
  14/3534
原文 安可胡麻我 可度弖乎思都々 伊弖可天尓 世之乎見多弖思 伊敝能兒良波母
訓読 赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも
仮名 あかごまが かどでをしつつ いでかてに せしをみたてし いへのこらはも
   
  14/3535
原文 於能我乎遠 於保尓奈於毛比曽 尓波尓多知 恵麻須我可良尓 古麻尓安布毛能乎
訓読 己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを
仮名 おのがをを おほになおもひそ にはにたち ゑますがからに こまにあふものを
   
  14/3536
原文 安加胡麻乎 宇知弖左乎妣吉 己許呂妣吉 伊可奈流勢奈可 和我理許武等伊布
訓読 赤駒を打ちてさ緒引き心引きいかなる背なか我がり来むと言ふ
仮名 あかごまを うちてさをびき こころひき いかなるせなか わがりこむといふ
   
  14/3537
原文 久敝胡之尓 武藝波武古宇馬能 波都々々尓 安比見之兒良之 安夜尓可奈思母
訓読 くへ越しに麦食む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛しも
仮名 くへごしに むぎはむこうまの はつはつに あひみしこらし あやにかなしも
   
  14/3537左
原文 宇麻勢胡之 牟伎波武古麻能 波都々々尓 仁必波太布礼思 古呂之可奈思母
訓読 馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろし愛しも
仮名 うませごし むぎはむこまの はつはつに にひはだふれし ころしかなしも
   
  14/3538
原文 比呂波之乎 宇馬古思我祢弖 己許呂能未 伊母我理夜里弖 和波己許尓思天
訓読 広橋を馬越しがねて心のみ妹がり遣りて我はここにして
仮名 ひろはしを うまこしがねて こころのみ いもがりやりて わはここにして
   
  14/3538左
原文 乎波夜之尓 古麻乎波左佐氣
訓読 小林に駒を馳ささげ
仮名 をばやしに こまをはささげ
   
  14/3539
原文 安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流
訓読 あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする
仮名 あずのうへに こまをつなぎて あやほかど ひとづまころを いきにわがする
   
  14/3540
原文 左和多里能 手兒尓伊由伎安比 安可胡麻我 安我伎乎波夜未 許等登波受伎奴
訓読 左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ
仮名 さわたりの てごにいゆきあひ あかごまが あがきをはやみ こととはずきぬ
   
  14/3541
原文 安受倍可良 古麻<能>由胡能須 安也波刀文 比<登>豆麻古呂乎 麻由可西良布母
訓読 あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも
仮名 あずへから こまのゆごのす あやはとも ひとづまころを まゆかせらふも
   
  14/3542
原文 <佐>射礼伊思尓 古馬乎波佐世弖 己許呂伊多美 安我毛布伊毛我 伊敝<能>安多里可聞
訓読 さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも
仮名 さざれいしに こまをはさせて こころいたみ あがもふいもが いへのあたりかも
   
  14/3543
原文 武路我夜乃 都留能都追美乃 那利奴賀尓 古呂波伊敝<杼>母 伊末太<年>那久尓
訓読 むろがやの都留の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに
仮名 むろがやの つるのつつみの なりぬがに ころはいへども いまだねなくに
   
  14/3544
原文 阿須可河泊 之多尓其礼留乎 之良受思天 勢奈那登布多理 左宿而久也思母
訓読 あすか川下濁れるを知らずして背ななと二人さ寝て悔しも
仮名 あすかがは したにごれるを しらずして せななとふたり さねてくやしも
   
  14/3545
原文 安須可河泊 世久登之里世波 安麻多欲母 為祢弖己麻思乎 世久得四里世<婆>
訓読 あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば
仮名 あすかがは せくとしりせば あまたよも ゐねてこましを せくとしりせば
   
  14/3546
原文 安乎楊木能 波良路可波刀尓 奈乎麻都等 西美度波久末受 多知度奈良須母
訓読 青柳の張らろ川門に汝を待つと清水は汲まず立ち処平すも
仮名 あをやぎの はらろかはとに なをまつと せみどはくまず たちどならすも
   
  14/3547
原文 阿遅乃須牟 須沙能伊利江乃 許母理沼乃 安奈伊伎豆加思 美受比佐尓指天
訓読 あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして
仮名 あぢのすむ すさのいりえの こもりぬの あないきづかし みずひさにして
   
  14/3548
原文 奈流世<呂>尓 木都能余須奈須 伊等能伎提 可奈思家世呂尓 比等佐敝余須母
訓読 鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきて愛しけ背ろに人さへ寄すも
仮名 なるせろに こつのよすなす いとのきて かなしけせろに ひとさへよすも
   
  14/3549
原文 多由比我多 志保弥知和多流 伊豆由可母 加奈之伎世呂我 和賀利可欲波牟
訓読 多由比潟潮満ちわたるいづゆかも愛しき背ろが我がり通はむ
仮名 たゆひがた しほみちわたる いづゆかも かなしきせろが わがりかよはむ
   
  14/3550
原文 於志弖伊奈等 伊祢波都可祢杼 奈美乃保能 伊多夫良思毛与 伎曽比登里宿而
訓読 おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て
仮名 おしていなと いねはつかねど なみのほの いたぶらしもよ きぞひとりねて
   
  14/3551
原文 阿遅可麻能 可多尓左久奈美 比良湍尓母 比毛登久毛能可 加奈思家乎於吉弖
訓読 阿遅可麻の潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて
仮名 あぢかまの かたにさくなみ ひらせにも ひもとくものか かなしけをおきて
   
  14/3552
原文 麻都我宇良尓 佐和恵宇良太知 麻比<登>其等 於毛抱須奈母呂 和賀母抱乃須毛
訓読 まつが浦にさわゑうら立ちま人言思ほすなもろ我が思ほのすも
仮名 まつがうらに さわゑうらだち まひとごと おもほすなもろ わがもほのすも
  わがもほのすも;わかもほのすも,
   
  14/3553
原文 安治可麻能 可家能水奈刀尓 伊流思保乃 許弖多受久毛可 伊里弖祢麻久母
訓読 あじかまの可家の港に入る潮のこてたずくもが入りて寝まくも
仮名 あぢかまの かけのみなとに いるしほの こてたずくもが いりてねまくも
   
  14/3554
原文 伊毛我奴流 等許<能>安多理尓 伊波具久留 水都尓母我毛与 伊里弖祢末久母
訓読 妹が寝る床のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも
仮名 いもがぬる とこのあたりに いはぐくる みづにもがもよ いりてねまくも
   
  14/3555
原文 麻久良我乃 許我能和多利乃 可良加治乃 於<登>太可思母奈 宿莫敝兒由恵尓
訓読 麻久良我の許我の渡りの韓楫の音高しもな寝なへ子ゆゑに
仮名 まくらがの こがのわたりの からかぢの おとだかしもな ねなへこゆゑに
   
  14/3556
原文 思保夫祢能 於可礼婆可奈之 左宿都礼婆 比登其等思氣志 那乎杼可母思武
訓読 潮船の置かれば愛しさ寝つれば人言繁し汝をどかもしむ
仮名 しほぶねの おかればかなし さねつれば ひとごとしげし なをどかもしむ
   
  14/3557
原文 奈夜麻思家 比登都麻可母与 許具布祢能 和須礼波勢奈那 伊夜母比麻須尓
訓読 悩ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや思ひ増すに
仮名 なやましけ ひとづまかもよ こぐふねの わすれはせなな いやもひますに
   
  14/3558
原文 安波受之弖 由加婆乎思家牟 麻久良我能 許賀己具布祢尓 伎美毛安波奴可毛
訓読 逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも
仮名 あはずして ゆかばをしけむ まくらがの こがこぐふねに きみもあはぬかも
   
  14/3559
原文 於保夫祢乎 倍由毛登母由毛 可多米提之 許曽能左刀妣等 阿良波左米可母
訓読 大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも
仮名 おほぶねを へゆもともゆも かためてし こそのさとびと あらはさめかも
   
  14/3560
原文 麻可祢布久 尓布能麻曽保乃 伊呂尓R<弖> 伊波奈久能未曽 安我古布良久波
訓読 ま金ふく丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が恋ふらくは
仮名 まかねふく にふのまそほの いろにでて いはなくのみぞ あがこふらくは
   
  14/3561
原文 可奈刀田乎 安良我伎麻由美 比賀刀礼婆 阿米乎万刀能須 伎美乎等麻刀母
訓読 金門田を荒垣ま斎み日が照れば雨を待とのす君をと待とも
仮名 かなとだを あらがきまゆみ ひがとれば あめをまとのす きみをとまとも
   
  14/3562
原文 安里蘇夜尓 於布流多麻母乃 宇知奈婢伎 比登里夜宿良牟 安乎麻知可祢弖
訓読 荒礒やに生ふる玉藻のうち靡きひとりや寝らむ我を待ちかねて
仮名 ありそやに おふるたまもの うちなびき ひとりやぬらむ あをまちかねて
   
  14/3563
原文 比多我多能 伊蘇乃和可米乃 多知美太要 和乎可麻都那毛 伎曽毛己余必母
訓読 比多潟の礒のわかめの立ち乱え我をか待つなも昨夜も今夜も
仮名 ひたがたの いそのわかめの たちみだえ わをかまつなも きぞもこよひも
   
  14/3564
原文 古須氣呂乃 宇良布久可是能 安騰須酒香 可奈之家兒呂乎 於毛比須吾左牟
訓読 古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろを思ひ過ごさむ
仮名 こすげろの うらふくかぜの あどすすか かなしけころを おもひすごさむ
   
  14/3565
原文 可能古呂等 宿受夜奈里奈牟 波太須酒伎 宇良野乃夜麻尓 都久可多与留母
訓読 かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
仮名 かのころと ねずやなりなむ はだすすき うらののやまに つくかたよるも
   
  14/3566
原文 和伎毛古尓 安我古非思奈婆 曽和敝可毛 加未尓於保世牟 己許呂思良受弖
訓読 我妹子に我が恋ひ死なばそわへかも神に負ほせむ心知らずて
仮名 わぎもこに あがこひしなば そわへかも かみにおほせむ こころしらずて
   
  14/3567
原文 於伎弖伊可婆 伊毛婆麻可奈之 母知弖由久 安都佐能由美乃 由都可尓母我毛
訓読 置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも
仮名 おきていかば いもはまかなし もちてゆく あづさのゆみの ゆづかにもがも
   
  14/3568
原文 於久礼為弖 古非波久流思母 安佐我里能 伎美我由美尓母 奈良麻思物能乎
訓読 後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを
仮名 おくれゐて こひばくるしも あさがりの きみがゆみにも ならましものを
   
  14/3569
原文 佐伎母理尓 多知之安佐氣乃 可奈刀R尓 手婆奈礼乎思美 奈吉思兒良<波>母
訓読 防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも
仮名 さきもりに たちしあさけの かなとでに たばなれをしみ なきしこらはも
   
  14/3570
原文 安之能葉尓 由布宜里多知弖 可母我鳴乃 左牟伎由布敝思 奈乎波思努波牟
訓読 葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ
仮名 あしのはに ゆふぎりたちて かもがねの さむきゆふへし なをばしのはむ
   
  14/3571
原文 於能豆麻乎 比登乃左刀尓於吉 於保々思久 見都々曽伎奴流 許能美知乃安比太
訓読 己妻を人の里に置きおほほしく見つつぞ来ぬるこの道の間
仮名 おのづまを ひとのさとにおき おほほしく みつつぞきぬる このみちのあひだ
   
  14/3572
原文 安杼毛敝可 阿自久麻<夜>末乃 由豆流波乃 布敷麻留等伎尓 可是布可受可母
訓読 あど思へか阿自久麻山の弓絃葉のふふまる時に風吹かずかも
仮名 あどもへか あじくまやまの ゆづるはの ふふまるときに かぜふかずかも
   
  14/3573
原文 安之比奇能 夜麻可都良加氣 麻之波尓母 衣我多奇可氣乎 於吉夜可良佐武
訓読 あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ
仮名 あしひきの やまかづらかげ ましばにも えがたきかげを おきやからさむ
   
  14/3574
原文 乎佐刀奈流 波奈多知波奈乎 比伎余治弖 乎良無登須礼杼 宇良和可美許曽
訓読 小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ
仮名 をさとなる はなたちばなを ひきよぢて をらむとすれど うらわかみこそ
   
  14/3575
原文 美夜自呂乃 <須>可敝尓多弖流 可保我波奈 莫佐吉伊<R>曽祢 許米弖思努波武
訓読 美夜自呂のすかへに立てるかほが花な咲き出でそねこめて偲はむ
仮名 みやじろの すかへにたてる かほがはな なさきいでそね こめてしのはむ
   
  14/3576
原文 奈波之呂乃 <古>奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家
訓読 苗代の小水葱が花を衣に摺りなるるまにまにあぜか愛しけ
仮名 なはしろの こなぎがはなを きぬにすり なるるまにまに あぜかかなしけ
   
  14/3577
原文 可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母
訓読 愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも
仮名 かなしいもを いづちゆかめと やますげの そがひにねしく いましくやしも
   

第十五巻

   
   15/3578
原文 武庫能浦乃 伊里江能渚鳥 羽具久毛流 伎美乎波奈礼弖 古非尓之奴倍之
訓読 武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
仮名 むこのうらの いりえのすどり はぐくもる きみをはなれて こひにしぬべし
   
  15/3579
原文 大船尓 伊母能流母能尓 安良麻勢<婆> 羽具久美母知弖 由可麻之母能乎
訓読 大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
仮名 おほぶねに いものるものに あらませば はぐくみもちて ゆかましものを
   
  15/3580
原文 君之由久 海邊乃夜杼尓 奇里多々婆 安我多知奈氣久 伊伎等之理麻勢
訓読 君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ
仮名 きみがゆく うみへのやどに きりたたば あがたちなげく いきとしりませ
   
  15/3581
原文 秋佐良婆 安比見牟毛能乎 奈尓之可母 奇里尓多都倍久 奈氣伎之麻佐牟
訓読 秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ
仮名 あきさらば あひみむものを なにしかも きりにたつべく なげきしまさむ
   
  15/3582
原文 大船乎 安流美尓伊太之 伊麻須君 都追牟許等奈久 波也可敝里麻勢
訓読 大船を荒海に出だしいます君障むことなく早帰りませ
仮名 おほぶねを あるみにいだし いますきみ つつむことなく はやかへりませ
   
  15/3583
原文 真幸而 伊毛我伊波伴伐 於伎都奈美 知敝尓多都等母 佐波里安良米也母
訓読 ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも
仮名 まさきくて いもがいははば おきつなみ ちへにたつとも さはりあらめやも
   
  15/3584
原文 和可礼奈波 宇良我奈之家武 安我許呂母 之多尓乎伎麻勢 多太尓安布麻弖尓
訓読 別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに
仮名 わかれなば うらがなしけむ あがころも したにをきませ ただにあふまでに
   
  15/3585
原文 和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母
訓読 我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我れ解かめやも
仮名 わぎもこが したにもきよと おくりたる ころものひもを あれとかめやも
   
  15/3586
原文 和我由恵尓 於毛比奈夜勢曽 秋風能 布可武曽能都奇 安波牟母能由恵
訓読 我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ
仮名 わがゆゑに おもひなやせそ あきかぜの ふかむそのつき あはむものゆゑ
   
  15/3587
原文 多久夫須麻 新羅邊伊麻須 伎美我目乎 家布可安須可登 伊波比弖麻多牟
訓読 栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ
仮名 たくぶすま しらきへいます きみがめを けふかあすかと いはひてまたむ
   
  15/3588
原文 波呂波呂尓 於<毛>保由流可母 之可礼杼毛 異情乎 安我毛波奈久尓
訓読 はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに
仮名 はろはろに おもほゆるかも しかれども けしきこころを あがもはなくに
   
  15/3589
原文 由布佐礼婆 比具良之伎奈久 伊故麻山 古延弖曽安我久流 伊毛我目乎保里
訓読 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
仮名 ゆふされば ひぐらしきなく いこまやま こえてぞあがくる いもがめをほり
  秦間満
   
  15/3590
原文 伊毛尓安波受 安良婆須敝奈美 伊波祢布牟 伊故麻乃山乎 故延弖曽安我久流
訓読 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
仮名 いもにあはず あらばすべなみ いはねふむ いこまのやまを こえてぞあがくる
   
  15/3591
原文 妹等安里之 時者安礼杼毛 和可礼弖波 許呂母弖佐牟伎 母能尓曽安里家流
訓読 妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける
仮名 いもとありし ときはあれども わかれては ころもでさむき ものにぞありける
   
  15/3592
原文 海原尓 宇伎祢世武夜者 於伎都風 伊多久奈布吉曽 妹毛安良奈久尓
訓読 海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに
仮名 うなはらに うきねせむよは おきつかぜ いたくなふきそ いももあらなくに
   
  15/3593
原文 大伴能 美津尓布奈能里 許藝出而者 伊都礼乃思麻尓 伊保里世武和礼
訓読 大伴の御津に船乗り漕ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我れ
仮名 おほともの みつにふなのり こぎでては いづれのしまに いほりせむわれ
   
  15/3594
原文 之保麻都等 安里家流布祢乎 思良受之弖 久夜之久妹乎 和可礼伎尓家利
訓読 潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり
仮名 しほまつと ありけるふねを しらずして くやしくいもを わかれきにけり
   
  15/3595
原文 安佐妣良伎 許藝弖天久礼婆 牟故能宇良能 之保非能可多尓 多豆我許恵須毛
訓読 朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも
仮名 あさびらき こぎでてくれば むこのうらの しほひのかたに たづがこゑすも
   
  15/3596
原文 和伎母故我 可多美尓見牟乎 印南都麻 之良奈美多加弥 与曽尓可母美牟
訓読 我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む
仮名 わぎもこが かたみにみむを いなみつま しらなみたかみ よそにかもみむ
   
  15/3597
原文 和多都美能 於伎津之良奈美 多知久良思 安麻乎等女等母 思麻我久<流>見由
訓読 わたつみの沖つ白波立ち来らし海人娘子ども島隠る見ゆ
仮名 わたつみの おきつしらなみ たちくらし あまをとめども しまがくるみゆ
   
  15/3598
原文 奴波多麻能 欲波安氣奴良之 多麻能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎和多流奈里
訓読 ぬばたまの夜は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴鳴き渡るなり
仮名 ぬばたまの よはあけぬらし たまのうらに あさりするたづ なきわたるなり
   
  15/3599
原文 月余美能 比可里乎伎欲美 神嶋乃 伊素<未>乃宇良由 船出須和礼波
訓読 月読の光りを清み神島の礒廻の浦ゆ船出す我れは
仮名 つくよみの ひかりをきよみ かみしまの いそみのうらゆ ふなですわれは
   
  15/3600
原文 波奈礼蘇尓 多弖流牟漏能木 宇多我多毛 比左之伎時乎 須疑尓家流香母
訓読 離れ礒に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
仮名 はなれそに たてるむろのき うたがたも ひさしきときを すぎにけるかも
   
  15/3601
原文 之麻思久母 比等利安里宇流 毛能尓安礼也 之麻能牟漏能木 波奈礼弖安流良武
訓読 しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離れてあるらむ
仮名 しましくも ひとりありうる ものにあれや しまのむろのき はなれてあるらむ
   
  15/3602
原文 安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛
訓読 あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも
仮名 あをによし ならのみやこに たなびける あまのしらくも みれどあかぬかも
   
  15/3603
原文 安乎<楊>疑能 延太伎里於呂之 湯種蒔 忌忌伎美尓 故非和多流香母
訓読 青楊の枝伐り下ろしゆ種蒔きゆゆしき君に恋ひわたるかも
仮名 あをやぎの えだきりおろし ゆだねまき ゆゆしききみに こひわたるかも
   
  15/3604
原文 妹我素弖 和可礼弖比左尓 奈里奴礼杼 比登比母伊毛乎 和須礼弖於毛倍也
訓読 妹が袖別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや
仮名 いもがそで わかれてひさに なりぬれど ひとひもいもを わすれておもへや
   
  15/3605
原文 和多都美乃 宇美尓伊弖多流 思可麻河<泊> 多延無日尓許曽 安我故非夜麻米
訓読 わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ我が恋やまめ
仮名 わたつみの うみにいでたる しかまがは たえむひにこそ あがこひやまめ
   
  15/3606
原文 多麻藻可流 乎等女乎須疑弖 奈都久佐能 野嶋我左吉尓 伊保里須和礼波
訓読 玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは
仮名 たまもかる をとめをすぎて なつくさの のしまがさきに いほりすわれは
   
  15/3606左
原文 敏馬乎須疑弖 布祢知可豆伎奴
訓読 敏馬を過ぎて 船近づきぬ
仮名 みぬめをすぎて ふねちかづきぬ
  柿本人麻呂
   
  15/3607
原文 之路多倍能 藤江能宇良尓 伊<射>里須流 安麻等也見良武 多妣由久和礼乎
訓読 白栲の藤江の浦に漁りする海人とや見らむ旅行く我れを
仮名 しろたへの ふぢえのうらに いざりする あまとやみらむ たびゆくわれを
   
  15/3607左
原文 安良多倍乃 須受吉都流 安麻登香見良武
訓読 荒栲の 鱸釣る海人とか見らむ
仮名 あらたへの すずきつる あまとかみらむ
  柿本人麻呂
   
  15/3608
原文 安麻射可流 比奈乃奈我道乎 孤悲久礼婆 安可思能門欲里 伊敝乃安多里見由
訓読 天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ
仮名 あまざかる ひなのながちを こひくれば あかしのとより いへのあたりみゆ
   
  15/3608左
原文 夜麻等思麻見由
訓読 大和島見ゆ
仮名 やまとしまみゆ
  柿本人麻呂
   
  15/3609
原文 武庫能宇美能 尓波余久安良之 伊射里須流 安麻能都里船 奈美能宇倍由見由
訓読 武庫の海の庭よくあらし漁りする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ
仮名 むこのうみの にはよくあらし いざりする あまのつりぶね なみのうへゆみゆ
   
  15/3609左
原文 氣比乃宇美能 可里許毛能 美<太>礼弖出見由 安麻能都里船
訓読 笥飯の海の 刈り薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船
仮名 けひのうみの かりこもの みだれていづみゆ あまのつりぶね
  柿本人麻呂
   
  15/3610
原文 安胡乃宇良尓 布奈能里須良牟 乎等女良我 安可毛能須素尓 之保美都良武賀
訓読 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか
仮名 あごのうらに ふなのりすらむ をとめらが あかものすそに しほみつらむか
   
  15/3610左
原文 安美能宇良 多<麻>母能須蘇尓
訓読 嗚呼見の浦 玉裳の裾に
仮名 あみのうら たまものすそに
  柿本人麻呂
   
  15/3611
原文 於保夫祢尓 麻可治之自奴伎 宇奈波良乎 許藝弖天和多流 月人乎登I
訓読 大船に真楫しじ貫き海原を漕ぎ出て渡る月人壮士
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき うなはらを こぎでてわたる つきひとをとこ
  柿本人麻呂
   
  15/3612
原文 安乎尓与之 奈良能美也故尓 由久比等毛我母 久左麻久良 多妣由久布祢能 登麻利都ん武仁 [旋頭歌也]
訓読 あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに [旋頭歌也]
仮名 あをによし ならのみやこに ゆくひともがも くさまくら たびゆくふねの とまりつげむに
  壬生宇太麻呂
   
  15/3613
原文 海原乎 夜蘇之麻我久里 伎奴礼杼母 奈良能美也故波 和須礼可祢都母
訓読 海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも
仮名 うなはらを やそしまがくり きぬれども ならのみやこは わすれかねつも
   
  15/3614
原文 可敝流散尓 伊母尓見勢武尓 和多都美乃 於伎都白玉 比利比弖由賀奈
訓読 帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな
仮名 かへるさに いもにみせむに わたつみの おきつしらたま ひりひてゆかな
   
  15/3615
原文 和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利
訓読 我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり
仮名 わがゆゑに いもなげくらし かざはやの うらのおきへに きりたなびけり
   
  15/3616
原文 於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎
訓読 沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを
仮名 おきつかぜ いたくふきせば わぎもこが なげきのきりに あかましものを
   
  15/3617
原文 伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
訓読 石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ
仮名 いはばしる たきもとどろに なくせみの こゑをしきけば みやこしおもほゆ
  大石蓑麻呂
   
  15/3618
原文 夜麻河<泊>能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母
訓読 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
仮名 やまがはの きよきかはせに あそべども ならのみやこは わすれかねつも
   
  15/3619
原文 伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖
訓読 礒の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて
仮名 いそのまゆ たぎつやまがは たえずあらば またもあひみむ あきかたまけて
   
  15/3620
原文 故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母
訓読 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
仮名 こひしげみ なぐさめかねて ひぐらしの なくしまかげに いほりするかも
   
  15/3621
原文 和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流
訓読 我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる
仮名 わがいのちを ながとのしまの こまつばら いくよをへてか かむさびわたる
   
  15/3622
原文 月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良<未>許具可聞
訓読 月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも
仮名 つくよみの ひかりをきよみ ゆふなぎに かこのこゑよび うらみこぐかも
   
  15/3623
原文 山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布
訓読 山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ
仮名 やまのはに つきかたぶけば いざりする あまのともしび おきになづさふ
   
  15/3624
原文 和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里
訓読 我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり
仮名 われのみや よふねはこぐと おもへれば おきへのかたに かぢのおとすなり
   
  15/3625
原文 由布左礼婆 安之敝尓佐和伎 安氣久礼婆 於伎尓奈都佐布 可母須良母 都麻等多具比弖 和我尾尓波 之毛奈布里曽等 之<路>多倍乃 波祢左之可倍弖 宇知波良比 左宿等布毛能乎 由久美都能 可敝良奴其等久 布久可是能 美延奴我其登久 安刀毛奈吉 与能比登尓之弖 和可礼尓之 伊毛我伎世弖思 奈礼其呂母 蘇弖加多思吉弖 比登里可母祢牟
訓読 夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを 行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む
仮名 ゆふされば あしへにさわき あけくれば おきになづさふ かもすらも つまとたぐひて わがをには しもなふりそと しろたへの はねさしかへて うちはらひ さぬとふものを ゆくみづの かへらぬごとく ふくかぜの みえぬがごとく あともなき よのひとにして わかれにし いもがきせてし なれごろも そでかたしきて ひとりかもねむ
  丹比大夫
  ゆくみづの;ゆくみつの, かへらぬごとく;かへらぬことく, ふくかぜの;ふくかせの, みえぬがごとく;みえぬかことく, いもがきせてし;いもかきせてし, なれごろも;なれころも, そでかたしきて;そてかたしきて,
   
  15/3626
原文 多都我奈伎 安之<敝>乎左之弖 等妣和多類 安奈多頭多頭志 比等里佐奴礼婆
訓読 鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば
仮名 たづがなき あしへをさして とびわたる あなたづたづし ひとりさぬれば
  丹比大夫
   
  15/3627
原文 安佐散礼婆 伊毛我手尓麻久 可我美奈須 美津能波麻備尓 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 可良久尓々 和多理由加武等 多太牟可布 美奴面乎左指天 之保麻知弖 美乎妣伎由氣婆 於伎敝尓波 之良奈美多可美 宇良<未>欲理 許藝弖和多礼婆 和伎毛故尓 安波治乃之麻波 由布左礼婆 久毛為可久里奴 左欲布氣弖 由久敝乎之良尓 安我己許呂 安可志能宇良尓 布祢等米弖 宇伎祢乎詞都追 和多都美能 於<枳>敝乎見礼婆 伊射理須流 安麻能乎等女波 小船乗 都良々尓宇家里 安香等吉能 之保美知久礼婆 安之辨尓波 多豆奈伎和多流 安左奈藝尓 布奈弖乎世牟等 船人毛 鹿子毛許恵欲妣 柔保等里能 奈豆左比由氣婆 伊敝之麻婆 久毛為尓美延奴 安我毛敝流 許己呂奈具也等 波夜久伎弖 美牟等於毛比弖 於保夫祢乎 許藝和我由氣婆 於伎都奈美 多可久多知伎奴 与曽能<未>尓 見都追須疑由伎 多麻能宇良尓 布祢乎等杼米弖 波麻備欲里 宇良伊蘇乎見都追 奈久古奈須 祢能未之奈可由 和多都美能 多麻伎能多麻乎 伊敝都刀尓 伊毛尓也良牟等 比里比登里 素弖尓波伊礼弖 可敝之也流 都可比奈家礼婆 毛弖礼杼毛 之留思乎奈美等 麻多於伎都流可毛
訓読 朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも
仮名 あさされば いもがてにまく かがみなす みつのはまびに おほぶねに まかぢしじぬき からくにに わたりゆかむと ただむかふ みぬめをさして しほまちて みをひきゆけば おきへには しらなみたかみ うらみより こぎてわたれば わぎもこに あはぢのしまは ゆふされば くもゐかくりぬ さよふけて ゆくへをしらに あがこころ あかしのうらに ふねとめて うきねをしつつ わたつみの おきへをみれば いざりする あまのをとめは をぶねのり つららにうけり あかときの しほみちくれば あしべには たづなきわたる あさなぎに ふなでをせむと ふなびとも かこもこゑよび にほどりの なづさひゆけば いへしまは くもゐにみえぬ あがもへる こころなぐやと はやくきて みむとおもひて おほぶねを こぎわがゆけば おきつなみ たかくたちきぬ よそのみに みつつすぎゆき たまのうらに ふねをとどめて はまびより うらいそをみつつ なくこなす ねのみしなかゆ わたつみの たまきのたまを いへづとに いもにやらむと ひりひとり そでにはいれて かへしやる つかひなければ もてれども しるしをなみと またおきつるかも
  おきへをみれば;おきへをみれは, いざりする;いさりする, をぶねのり;をふねのり, しほみちくれば;しほみちくれは, あしべには;あしへには, たづなきわたる;たつなきわたる, あさなぎに;あさなきに, ふなでをせむと;ふなてをせむと, ふなびとも;ふなひとも, かこもこゑよび;かこもこゑよひ, にほどりの;にほとりの, なづさひゆけば;なつさひゆけは, あがもへる;あかもへる, こころなぐやと;こころなくやと, おほぶねを;おほふねを, こぎわがゆけば;わきわかゆけは, みつつすぎゆき;みつつすきゆき, たまのうらに;たまのをらに, ふねをとどめて;ふねをととめて, はまびより;はまひより, いへづとに;いへつとに, そでにはいれて;そてにはいれて, つかひなければ;つかひなけれは, もてれども;もてれとも,
   
  15/3628
原文 多麻能宇良能 於伎都之良多麻 比利敝礼杼 麻多曽於伎都流 見流比等乎奈美
訓読 玉の浦の沖つ白玉拾へれどまたぞ置きつる見る人をなみ
仮名 たまのうらの おきつしらたま ひりへれど またぞおきつる みるひとをなみ
   
  15/3629
原文 安伎左良婆 和<我>布祢波弖牟 和須礼我比 与世伎弖於家礼 於伎都之良奈美
訓読 秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波
仮名 あきさらば わがふねはてむ わすれがひ よせきておけれ おきつしらなみ
   
  15/3630
原文 真可治奴伎 布祢之由加受波 見礼杼安可奴 麻里布能宇良尓 也杼里世麻之乎
訓読 真楫貫き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを
仮名 まかぢぬき ふねしゆかずは みれどあかぬ まりふのうらに やどりせましを
   
  15/3631
原文 伊都之可母 見牟等於毛比師 安波之麻乎 与曽尓也故非無 由久与思<乎>奈美
訓読 いつしかも見むと思ひし粟島を外にや恋ひむ行くよしをなみ
仮名 いつしかも みむとおもひし あはしまを よそにやこひむ ゆくよしをなみ
   
  15/3632
原文 大船尓 可之布里多弖天 波麻藝欲伎 麻里布能宇良尓 也杼里可世麻之
訓読 大船にかし振り立てて浜清き麻里布の浦に宿りかせまし
仮名 おほぶねに かしふりたてて はまぎよき まりふのうらに やどりかせまし
   
  15/3633
原文 安波思麻能 安波自等於毛布 伊毛尓安礼也 夜須伊毛祢受弖 安我故非和多流
訓読 粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安寐も寝ずて我が恋ひわたる
仮名 あはしまの あはじとおもふ いもにあれや やすいもねずて あがこひわたる
   
  15/3634
原文 筑紫道能 可太能於保之麻 思末志久母 見祢婆古非思吉 伊毛乎於伎弖伎奴
訓読 筑紫道の可太の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ
仮名 つくしぢの かだのおほしま しましくも みねばこひしき いもをおきてきぬ
   
  15/3635
原文 伊毛我伊敝治 知可久安里世婆 見礼杼安可奴 麻里布能宇良乎 見世麻思毛能乎
訓読 妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを
仮名 いもがいへぢ ちかくありせば みれどあかぬ まりふのうらを みせましものを
   
  15/3636
原文 伊敝妣等波 可敝里波也許等 伊波比之麻 伊波比麻都良牟 多妣由久和礼乎
訓読 家人は帰り早来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く我れを
仮名 いへびとは かへりはやこと いはひしま いはひまつらむ たびゆくわれを
   
  15/3637
原文 久左麻久良 多妣由久比等乎 伊波比之麻 伊久与布流末弖 伊波比伎尓家牟
訓読 草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ
仮名 くさまくら たびゆくひとを いはひしま いくよふるまで いはひきにけむ
   
  15/3638
原文 巨礼也己能 名尓於布奈流門能 宇頭之保尓 多麻毛可流登布 安麻乎等女杼毛
訓読 これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども
仮名 これやこの なにおふなるとの うづしほに たまもかるとふ あまをとめども
   
  15/3639
原文 奈美能宇倍尓 宇伎祢世之欲比 安杼毛倍香 許己呂我奈之久 伊米尓美要都流
訓読 波の上に浮き寝せし宵あど思へか心悲しく夢に見えつる
仮名 なみのうへに うきねせしよひ あどもへか こころがなしく いめにみえつる
   
  15/3640
原文 美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都ん夜良牟
訓読 都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げやらむ
仮名 みやこへに ゆかむふねもが かりこもの みだれておもふ ことつげやらむ
   
  15/3641
原文 安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良<未>欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母
訓読 暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人娘子かも
仮名 あかときの いへごひしきに うらみより かぢのおとするは あまをとめかも
   
  15/3642
原文 於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴
訓読 沖辺より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴鳴きて騒きぬ
仮名 おきへより しほみちくらし からのうらに あさりするたづ なきてさわきぬ
   
  15/3643
原文 於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎
訓読 沖辺より船人上る呼び寄せていざ告げ遣らむ旅の宿りを
仮名 おきへより ふなびとのぼる よびよせて いざつげやらむ たびのやどりを
   
  15/3643左
原文 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈
訓読 旅の宿りをいざ告げ遣らな
仮名 たびのやどりを いざつげやらな
   
  15/3644
原文 於保伎美能 美許等可之故美 於保<夫>祢能 由伎能麻尓末<尓> 夜杼里須流可母
訓読 大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも
仮名 おほきみの みことかしこみ おほぶねの ゆきのまにまに やどりするかも
  雪宅麻呂
   
  15/3645
原文 和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖
訓読 我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
仮名 わぎもこは はやもこぬかと まつらむを おきにやすまむ いへつかずして
   
  15/3646
原文 宇良<未>欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛
訓読 浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも
仮名 うらみより こぎこしふねを かぜはやみ おきつみうらに やどりするかも
   
  15/3647
原文 和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流
訓読 我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
仮名 わぎもこが いかにおもへか ぬばたまの ひとよもおちず いめにしみゆる
   
  15/3648
原文 宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無
訓読 海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む
仮名 うなはらの おきへにともし いざるひは あかしてともせ やまとしまみむ
   
  15/3649
原文 可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類
訓読 鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける
仮名 かもじもの うきねをすれば みなのわた かぐろきかみに つゆぞおきにける
   
  15/3650
原文 比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛
訓読 ひさかたの天照る月は見つれども我が思ふ妹に逢はぬころかも
仮名 ひさかたの あまてるつきは みつれども あがもふいもに あはぬころかも
   
  15/3651
原文 奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟 [旋頭歌也]
訓読 ぬばたまの夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む [旋頭歌也]
仮名 ぬばたまの よわたるつきは はやもいでぬかも うなはらの やそしまのうへゆ いもがあたりみむ
   
  15/3652
原文 之賀能安麻能 一日毛於知受 也久之保能 可良伎孤悲乎母 安礼波須流香母
訓読 志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも
仮名 しかのあまの ひとひもおちず やくしほの からきこひをも あれはするかも
   
  15/3653
原文 思可能宇良尓 伊射里須流安麻 伊敝<妣>等能 麻知古布良牟尓 安可思都流宇乎
訓読 志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚
仮名 しかのうらに いざりするあま いへびとの まちこふらむに あかしつるうを
   
  15/3654
原文 可之布江尓 多豆奈吉和多流 之可能宇良尓 於枳都之良奈美 多知之久良思母
訓読 可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも
仮名 かしふえに たづなきわたる しかのうらに おきつしらなみ たちしくらしも
   
  15/3654左
原文 美知之伎奴良思
訓読 満ちし来ぬらし
仮名 みちしきぬらし
   
  15/3655
原文 伊麻欲理波 安伎豆吉奴良之 安思比奇能 夜麻末都可氣尓 日具良之奈伎奴
訓読 今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ
仮名 いまよりは あきづきぬらし あしひきの やままつかげに ひぐらしなきぬ
   
  15/3656
原文 安伎波疑尓 々保敝流和我母 奴礼奴等母 伎美我美布祢能 都奈之等理弖婆
訓読 秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば
仮名 あきはぎに にほへるわがも ぬれぬとも きみがみふねの つなしとりてば
  阿倍継麻呂
   
  15/3657
原文 等之尓安里弖 比等欲伊母尓安布 比故保思母 和礼尓麻佐里弖 於毛布良米也母
訓読 年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも
仮名 としにありて ひとよいもにあふ ひこほしも われにまさりて おもふらめやも
   
  15/3658
原文 由布豆久欲 可氣多知与里安比 安麻能我波 許具布奈妣等乎 見流我等母之佐
訓読 夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ船人を見るが羨しさ
仮名 ゆふづくよ かげたちよりあひ あまのがは こぐふなびとを みるがともしさ
   
  15/3659
原文 安伎可是波 比尓家尓布伎奴 和伎毛故波 伊都登<加>和礼乎 伊波比麻都良牟
訓読 秋風は日に異に吹きぬ我妹子はいつとか我れを斎ひ待つらむ
仮名 あきかぜは ひにけにふきぬ わぎもこは いつとかわれを いはひまつらむ
  阿倍継麻呂次男
   
  15/3660
原文 可牟佐夫流 安良都能左伎尓 与須流奈美 麻奈久也伊毛尓 故非和多里奈牟
訓読 神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひわたりなむ
仮名 かむさぶる あらつのさきに よするなみ まなくやいもに こひわたりなむ
  土師稲足
   
  15/3661
原文 可是能牟多 与世久流奈美尓 伊射里須流 安麻乎等女良我 毛能須素奴礼奴
訓読 風の共寄せ来る波に漁りする海人娘子らが裳の裾濡れぬ
仮名 かぜのむた よせくるなみに いざりする あまをとめらが ものすそぬれぬ
   
  15/3661左
原文 安麻乃乎等賣我 毛能須蘇奴礼<濃>
訓読 海人の娘子が裳の裾濡れぬ
仮名 あまのをとめが ものすそぬれぬ
   
  15/3662
原文 安麻能波良 布里佐氣見礼婆 欲曽布氣尓家流 与之恵也之 比<等>里奴流欲波 安氣婆安氣奴等母
訓読 天の原振り放け見れば夜ぞ更けにけるよしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも
仮名 あまのはら ふりさけみれば よぞふけにける よしゑやし ひとりぬるよは あけばあけぬとも
   
  15/3663
原文 和多都美能 於伎都奈波能里 久流等伎登 伊毛我麻都良牟 月者倍尓都追
訓読 わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ
仮名 わたつみの おきつなはのり くるときと いもがまつらむ つきはへにつつ
   
  15/3664
原文 之可能宇良尓 伊射里須流安麻 安氣久礼婆 宇良未許具良之 可治能於等伎許由
訓読 志賀の浦に漁りする海人明け来れば浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ
仮名 しかのうらに いざりするあま あけくれば うらみこぐらし かぢのおときこゆ
   
  15/3665
原文 伊母乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安可等吉能 安左宜理其問理 可里我祢曽奈久
訓読 妹を思ひ寐の寝らえぬに暁の朝霧隠り雁がねぞ鳴く
仮名 いもをおもひ いのねらえぬに あかときの あさぎりごもり かりがねぞなく
   
  15/3666
原文 由布佐礼婆 安伎可是左牟思 和伎母故我 等伎安良比其呂母 由伎弖波也伎牟
訓読 夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣行きて早着む
仮名 ゆふされば あきかぜさむし わぎもこが ときあらひごろも ゆきてはやきむ
   
  15/3667
原文 和我多妣波 比左思久安良思 許能安我家流 伊毛我許呂母能 阿可都久見礼婆
訓読 我が旅は久しくあらしこの我が着る妹が衣の垢つく見れば
仮名 わがたびは ひさしくあらし このあがける いもがころもの あかつくみれば
   
  15/3668
原文 於保伎美能 等保能美可度登 於毛敝礼杼 氣奈我久之安礼婆 古非尓家流可母
訓読 大君の遠の朝廷と思へれど日長くしあれば恋ひにけるかも
仮名 おほきみの とほのみかどと おもへれど けながくしあれば こひにけるかも
  阿倍継麻呂
   
  15/3669
原文 多妣尓安礼杼 欲流波火等毛之 乎流和礼乎 也未尓也伊毛我 古非都追安流良牟
訓読 旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ
仮名 たびにあれど よるはひともし をるわれを やみにやいもが こひつつあるらむ
  壬生宇太麻呂
   
  15/3670
原文 可良等麻里 能<許>乃宇良奈美 多々奴日者 安礼杼母伊敝尓 古非奴日者奈之
訓読 韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし
仮名 からとまり のこのうらなみ たたぬひは あれどもいへに こひぬひはなし
   
  15/3671
原文 奴婆多麻乃 欲和多流月尓 安良麻世婆 伊敝奈流伊毛尓 安比弖許麻之乎
訓読 ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを
仮名 ぬばたまの よわたるつきに あらませば いへなるいもに あひてこましを
   
  15/3672
原文 比左可多能 月者弖利多里 伊刀麻奈久 安麻能伊射里波 等毛之安敝里見由
訓読 ひさかたの月は照りたり暇なく海人の漁りは灯し合へり見ゆ
仮名 ひさかたの つきはてりたり いとまなく あまのいざりは ともしあへりみゆ
   
  15/3673
原文 可是布氣婆 於吉都思良奈美 可之故美等 能許能等麻里尓 安麻多欲曽奴流
訓読 風吹けば沖つ白波畏みと能許の亭にあまた夜ぞ寝る
仮名 かぜふけば おきつしらなみ かしこみと のこのとまりに あまたよぞぬる
   
  15/3674
原文 久左麻久良 多婢乎久流之美 故非乎礼婆 可也能山邊尓 草乎思香奈久毛
訓読 草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさを鹿鳴くも
仮名 くさまくら たびをくるしみ こひをれば かやのやまへに さをしかなくも
  壬生宇太麻呂
   
  15/3675
原文 於吉都奈美 多可久多都日尓 安敝利伎等 美夜古能比等波 伎吉弖家牟可母
訓読 沖つ波高く立つ日にあへりきと都の人は聞きてけむかも
仮名 おきつなみ たかくたつひに あへりきと みやこのひとは ききてけむかも
  壬生宇太麻呂
   
  15/3676
原文 安麻等夫也 可里乎都可比尓 衣弖之可母 奈良能弥夜故尓 許登都ん夜良武
訓読 天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ
仮名 あまとぶや かりをつかひに えてしかも ならのみやこに ことつげやらむ
   
  15/3677
原文 秋野乎 尓保波須波疑波 佐家礼杼母 見流之留思奈之 多婢尓師安礼婆
訓読 秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験なし旅にしあれば
仮名 あきののを にほはすはぎは さけれども みるしるしなし たびにしあれば
   
  15/3678
原文 伊毛乎於毛比 伊能祢良延奴尓 安伎乃野尓 草乎思香奈伎都 追麻於毛比可祢弖
訓読 妹を思ひ寐の寝らえぬに秋の野にさを鹿鳴きつ妻思ひかねて
仮名 いもをおもひ いのねらえぬに あきののに さをしかなきつ つまおもひかねて
   
  15/3679
原文 於保夫祢尓 真可治之自奴伎 等吉麻都等 和礼波於毛倍杼 月曽倍尓家流
訓読 大船に真楫しじ貫き時待つと我れは思へど月ぞ経にける
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき ときまつと われはおもへど つきぞへにける
   
  15/3680
原文 欲乎奈我美 伊能年良延奴尓 安之比奇能 山妣故等余米 佐乎思賀奈君母
訓読 夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦響めさを鹿鳴くも
仮名 よをながみ いのねらえぬに あしひきの やまびことよめ さをしかなくも
   
  15/3681
原文 可敝里伎弖 見牟等於毛比之 和我夜度能 安伎波疑須々伎 知里尓家武可聞
訓読 帰り来て見むと思ひし我が宿の秋萩すすき散りにけむかも
仮名 かへりきて みむとおもひし わがやどの あきはぎすすき ちりにけむかも
  秦田麻呂
   
  15/3682
原文 安米都知能 可未乎許比都々 安礼麻多武 波夜伎万世伎美 麻多婆久流思母
訓読 天地の神を祈ひつつ我れ待たむ早来ませ君待たば苦しも
仮名 あめつちの かみをこひつつ あれまたむ はやきませきみ またばくるしも
  娘子
   
  15/3683
原文 伎美乎於毛比 安我古非万久波 安良多麻乃 多都追奇其等尓 与久流日毛安良自
訓読 君を思ひ我が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避くる日もあらじ
仮名 きみをおもひ あがこひまくは あらたまの たつつきごとに よくるひもあらじ
   
  15/3684
原文 秋夜乎 奈我美尓可安良武 奈曽許々波 伊能祢良要奴毛 比等里奴礼婆可
訓読 秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐の寝らえぬもひとり寝ればか
仮名 あきのよを ながみにかあらむ なぞここば いのねらえぬも ひとりぬればか
   
  15/3685
原文 多良思比賣 御舶波弖家牟 松浦乃宇美 伊母我麻都<倍>伎 月者倍尓都々
訓読 足日女御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ
仮名 たらしひめ みふねはてけむ まつらのうみ いもがまつべき つきはへにつつ
   
  15/3686
原文 多婢奈礼婆 於毛比多要弖毛 安里都礼杼 伊敝尓安流伊毛之 於母比我奈思母
訓読 旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも
仮名 たびなれば おもひたえても ありつれど いへにあるいもし おもひがなしも
   
  15/3687
原文 安思必奇能 山等妣古<由>留 可里我祢波 美也故尓由加波 伊毛尓安比弖許祢
訓読 あしひきの山飛び越ゆる鴈がねは都に行かば妹に逢ひて来ね
仮名 あしひきの やまとびこゆる かりがねは みやこにゆかば いもにあひてこね
   
  15/3688
原文 須賣呂伎能 等保能朝庭等 可良國尓 和多流和我世波 伊敝妣等能 伊波比麻多祢可 多太<未>可母 安夜麻知之家牟 安吉佐良婆 可敝里麻左牟等 多良知祢能 波々尓麻乎之弖 等伎毛須疑 都奇母倍奴礼婆 今日可許牟 明日可蒙許武登 伊敝<妣>等波 麻知故布良牟尓 等保能久尓 伊麻太毛都可受 也麻等乎毛 登保久左可里弖 伊波我祢乃 安良伎之麻祢尓 夜杼理須流君
訓読 天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 秋去らば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君
仮名 すめろきの とほのみかどと からくにに わたるわがせは いへびとの いはひまたねか ただみかも あやまちしけむ あきさらば かへりまさむと たらちねの ははにまをして ときもすぎ つきもへぬれば けふかこむ あすかもこむと いへびとは まちこふらむに とほのくに いまだもつかず やまとをも とほくさかりて いはがねの あらきしまねに やどりするきみ
   
  15/3689
原文 伊波多野尓 夜杼里須流伎美 伊敝妣等乃 伊豆良等和礼乎 等<波婆>伊可尓伊波牟
訓読 岩田野に宿りする君家人のいづらと我れを問はばいかに言はむ
仮名 いはたのに やどりするきみ いへびとの いづらとわれを とはばいかにいはむ
   
  15/3690
原文 与能奈可波 都祢可久能未等 和可礼奴流 君尓也毛登奈 安我孤悲由加牟
訓読 世間は常かくのみと別れぬる君にやもとな我が恋ひ行かむ
仮名 よのなかは つねかくのみと わかれぬる きみにやもとな あがこひゆかむ
   
  15/3691
原文 天地等 登毛尓母我毛等 於毛比都々 安里家牟毛能乎 波之家也思 伊敝乎波奈礼弖 奈美能宇倍由 奈豆佐比伎尓弖 安良多麻能 月日毛伎倍奴 可里我祢母 都藝弖伎奈氣婆 多良知祢能 波々母都末良母 安<佐>都由尓 毛能須蘇比都知 由布疑里尓 己呂毛弖奴礼弖 左伎久之毛 安流良牟其登久 伊R見都追 麻都良牟母能乎 世間能 比登<乃>奈氣伎<波> 安比於毛波奴 君尓安礼也母 安伎波疑能 知良敝流野邊乃 波都乎花 可里保尓布<伎>弖 久毛婆奈礼 等保伎久尓敝能 都由之毛能 佐武伎山邊尓 夜杼里世流良牟
訓読 天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ
仮名 あめつちと ともにもがもと おもひつつ ありけむものを はしけやし いへをはなれて なみのうへゆ なづさひきにて あらたまの つきひもきへぬ かりがねも つぎてきなけば たらちねの ははもつまらも あさつゆに ものすそひづち ゆふぎりに ころもでぬれて さきくしも あるらむごとく いでみつつ まつらむものを よのなかの ひとのなげきは あひおもはぬ きみにあれやも あきはぎの ちらへるのへの はつをばな かりほにふきて くもばなれ とほきくにへの つゆしもの さむきやまへに やどりせるらむ
  葛井子老
   
  15/3692
原文 波之家也思 都麻毛古杼毛母 多可多加尓 麻都良牟伎美也 之麻我久礼奴流
訓読 はしけやし妻も子どもも高々に待つらむ君や島隠れぬる
仮名 はしけやし つまもこどもも たかたかに まつらむきみや しまがくれぬる
  葛井子老
   
  15/3693
原文 毛美知葉能 知里奈牟山尓 夜杼里奴流 君乎麻都良牟 比等之可奈之母
訓読 黄葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも
仮名 もみちばの ちりなむやまに やどりぬる きみをまつらむ ひとしかなしも
  葛井子老
   
  15/3694
原文 和多都美能 <可>之故伎美知乎 也須家口母 奈久奈夜美伎弖 伊麻太尓母 毛奈久由可牟登 由吉能安末能 保都手乃宇良敝乎 可多夜伎弖 由加武<等>須流尓 伊米能其等 美知能蘇良治尓 和可礼須流伎美
訓読 わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人の ほつての占部を 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路に 別れする君
仮名 わたつみの かしこきみちを やすけくも なくなやみきて いまだにも もなくゆかむと ゆきのあまの ほつてのうらへを かたやきて ゆかむとするに いめのごと みちのそらぢに わかれするきみ
  六人部鯖麻呂
   
  15/3695
原文 牟可之欲里 伊比<祁>流許等乃 可良久尓能 可良久毛己許尓 和可礼須留可聞
訓読 昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも
仮名 むかしより いひけることの からくにの からくもここに わかれするかも
  六人部鯖麻呂
   
  15/3696
原文 新羅奇敝可 伊敝尓可加反流 由吉能之麻 由加牟多登伎毛 於毛比可祢都母
訓読 新羅へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも
仮名 しらきへか いへにかかへる ゆきのしま ゆかむたどきも おもひかねつも
  六人部鯖麻呂
   
  15/3697
原文 毛母布祢乃 波都流對馬能 安佐治山 志具礼能安米尓 毛美多比尓家里
訓読 百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり
仮名 ももふねの はつるつしまの あさぢやま しぐれのあめに もみたひにけり
   
  15/3698
原文 安麻射可流 比奈尓毛月波 弖礼々杼母 伊毛曽等保久波 和可礼伎尓家流
訓読 天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける
仮名 あまざかる ひなにもつきは てれれども いもぞとほくは わかれきにける
   
  15/3699
原文 安伎左礼婆 於久都由之毛尓 安倍受之弖 京師乃山波 伊呂豆伎奴良牟
訓読 秋去れば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ
仮名 あきされば おくつゆしもに あへずして みやこのやまは いろづきぬらむ
   
  15/3700
原文 安之比奇能 山下比可流 毛美知葉能 知里能麻河比波 計布仁聞安流香母
訓読 あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも
仮名 あしひきの やましたひかる もみちばの ちりのまがひは けふにもあるかも
  阿倍継麻呂
   
  15/3701
原文 多可之伎能 母美知乎見礼婆 和藝毛故我 麻多牟等伊比之 等伎曽伎尓家流
訓読 竹敷の黄葉を見れば我妹子が待たむと言ひし時ぞ来にける
仮名 たかしきの もみちをみれば わぎもこが またむといひし ときぞきにける
  大伴三中
   
  15/3702
原文 多可思吉能 宇良<未>能毛美知 <和>礼由伎弖 可敝里久流末R 知里許須奈由米
訓読 竹敷の浦廻の黄葉我れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ
仮名 たかしきの うらみのもみち われゆきて かへりくるまで ちりこすなゆめ
  壬生宇太麻呂
   
  15/3703
原文 多可思吉能 宇敝可多山者 久礼奈為能 也之保能伊呂尓 奈里尓家流香聞
訓読 竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも
仮名 たかしきの うへかたやまは くれなゐの やしほのいろに なりにけるかも
  大蔵麻呂
   
  15/3704
原文 毛美知婆能 知良布山邊由 許具布祢能 尓保比尓米R弖 伊R弖伎尓家里
訓読 黄葉の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり
仮名 もみちばの ちらふやまへゆ こぐふねの にほひにめでて いでてきにけり
  玉槻
   
  15/3705
原文 多可思吉能 多麻毛奈<婢>可之 己<藝>R奈牟 君我美布祢乎 伊都等可麻多牟
訓読 竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君がみ船をいつとか待たむ
仮名 たかしきの たまもなびかし こぎでなむ きみがみふねを いつとかまたむ
  玉槻
   
  15/3706
原文 多麻之家流 伎欲吉奈藝佐乎 之保美弖婆 安可受和礼由久 可反流左尓見牟
訓読 玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む
仮名 たましける きよきなぎさを しほみてば あかずわれゆく かへるさにみむ
  阿倍継麻呂
   
  15/3707
原文 安伎也麻能 毛美知乎可射之 和我乎礼婆 宇良之保美知久 伊麻太安可奈久尓
訓読 秋山の黄葉をかざし我が居れば浦潮満ち来いまだ飽かなくに
仮名 あきやまの もみちをかざし わがをれば うらしほみちく いまだあかなくに
  壬生宇太麻呂
   
  15/3708
原文 毛能毛布等 比等尓波美要<緇> 之多婢毛能 思多由故布流尓 都<奇>曽倍尓家流
訓読 物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経にける
仮名 ものもふと ひとにはみえじ したびもの したゆこふるに つきぞへにける
  阿倍継麻呂
   
  15/3709
原文 伊敝豆刀尓 可比乎比里布等 於伎敝欲里 与世久流奈美尓 許呂毛弖奴礼奴
訓読 家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ
仮名 いへづとに かひをひりふと おきへより よせくるなみに ころもでぬれぬ
   
  15/3710
原文 之保非奈<婆> 麻多母和礼許牟 伊射遊賀武 於伎都志保佐為 多可久多知伎奴
訓読 潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ
仮名 しほひなば またもわれこむ いざゆかむ おきつしほさゐ たかくたちきぬ
   
  15/3711
原文 和我袖波 多毛登等保里弖 奴礼奴等母 故非和須礼我比 等良受波由可自
訓読 我が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ
仮名 わがそでは たもととほりて ぬれぬとも こひわすれがひ とらずはゆかじ
   
  15/3712
原文 奴<婆>多麻能 伊毛我保須倍久 安良奈久尓 和我許呂母弖乎 奴礼弖伊可尓勢牟
訓読 ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
仮名 ぬばたまの いもがほすべく あらなくに わがころもでを ぬれていかにせむ
   
  15/3713
原文 毛美知婆波 伊麻波宇都呂布 和伎毛故我 麻多牟等伊比之 等伎能倍由氣婆
訓読 黄葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば
仮名 もみちばは いまはうつろふ わぎもこが またむといひし ときのへゆけば
  わぎもこが;わきもこか, ときのへゆけば;ときのへゆけは,
   
  15/3714
原文 安<伎>佐礼婆 故非之美伊母乎 伊米尓太尓 比左之久見牟乎 安氣尓家流香聞
訓読 秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも
仮名 あきされば こひしみいもを いめにだに ひさしくみむを あけにけるかも
   
  15/3715
原文 比等里能未 伎奴流許呂毛能 比毛等加婆 多礼可毛由波牟 伊敝杼保久之弖
訓読 ひとりのみ着寝る衣の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして
仮名 ひとりのみ きぬるころもの ひもとかば たれかもゆはむ いへどほくして
   
  15/3716
原文 安麻久毛能 多由多比久礼婆 九月能 毛未知能山毛 宇都呂比尓家里
訓読 天雲のたゆたひ来れば九月の黄葉の山もうつろひにけり
仮名 あまくもの たゆたひくれば ながつきの もみちのやまも うつろひにけり
   
  15/3717
原文 多婢尓弖<毛> <母>奈久波也許<登> 和伎毛故我 牟須妣思比毛波 奈礼尓家流香聞
訓読 旅にても喪なく早来と我妹子が結びし紐はなれにけるかも
仮名 たびにても もなくはやこと わぎもこが むすびしひもは なれにけるかも
   
  15/3718
原文 伊敝之麻波 奈尓許曽安里家礼 宇奈波良乎 安我古非伎都流 伊毛母安良奈久尓
訓読 家島は名にこそありけれ海原を我が恋ひ来つる妹もあらなくに
仮名 いへしまは なにこそありけれ うなはらを あがこひきつる いももあらなくに
   
  15/3719
原文 久左麻久良 多婢尓比左之久 安良米也等 伊毛尓伊比之乎 等之能倍奴良久
訓読 草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく
仮名 くさまくら たびにひさしく あらめやと いもにいひしを としのへぬらく
   
  15/3720
原文 和伎毛故乎 由伎弖波也美武 安波治之麻 久毛為尓見延奴 伊敝都久良之母
訓読 我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも
仮名 わぎもこを ゆきてはやみむ あはぢしま くもゐにみえぬ いへづくらしも
   
  15/3721
原文 奴婆多麻能 欲安可之母布<祢>波 許藝由可奈 美都能波麻末都 麻知故非奴良武
訓読 ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ
仮名 ぬばたまの よあかしもふねは こぎゆかな みつのはままつ まちこひぬらむ
   
  15/3722
原文 大伴乃 美津能等麻里尓 布祢波弖々 多都多能山乎 伊都可故延伊加武
訓読 大伴の御津の泊りに船泊てて龍田の山をいつか越え行かむ
仮名 おほともの みつのとまりに ふねはてて たつたのやまを いつかこえいかむ
   
  15/3723
原文 安之比奇能 夜麻治古延牟等 須流君乎 許々呂尓毛知弖 夜須家久母奈之
訓読 あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし
仮名 あしひきの やまぢこえむと するきみを こころにもちて やすけくもなし
  狭野弟上娘子
   
  15/3724
原文 君我由久 道乃奈我弖乎 久里多々祢 也伎保呂煩散牟 安米能火毛我母
訓読 君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも
仮名 きみがゆく みちのながてを くりたたね やきほろぼさむ あめのひもがも
  狭野弟上娘子
   
  15/3725
原文 和我世故之 氣太之麻可良<婆> 思漏多倍乃 蘇R乎布良左祢 見都追志努波牟
訓読 我が背子しけだし罷らば白栲の袖を振らさね見つつ偲はむ
仮名 わがせこし けだしまからば しろたへの そでをふらさね みつつしのはむ
  狭野弟上娘子
   
  15/3726
原文 己能許呂波 古非都追母安良牟 多麻久之氣 安氣弖乎知欲利 須辨奈可流倍思
訓読 このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし
仮名 このころは こひつつもあらむ たまくしげ あけてをちより すべなかるべし
  狭野弟上娘子
   
  15/3727
原文 知里比治能 可受尓母安良奴 和礼由恵尓 於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐
訓読 塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
仮名 ちりひぢの かずにもあらぬ われゆゑに おもひわぶらむ いもがかなしさ
  中臣宅守
   
  15/3728
原文 安乎尓与之 奈良能於保知波 由<吉>余家杼 許能山道波 由伎安之可里家利
訓読 あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり
仮名 あをによし ならのおほぢは ゆきよけど このやまみちは ゆきあしかりけり
  中臣宅守
   
  15/3729
原文 宇流波之等 安我毛布伊毛乎 於毛比都追 由氣婆可母等奈 由伎安思可流良武
訓読 愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ
仮名 うるはしと あがもふいもを おもひつつ ゆけばかもとな ゆきあしかるらむ
  中臣宅守
   
  15/3730
原文 加思故美等 能良受安里思乎 美故之治能 多武氣尓多知弖 伊毛我名能里都
訓読 畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ
仮名 かしこみと のらずありしを みこしぢの たむけにたちて いもがなのりつ
  中臣宅守
   
  15/3731
原文 於毛布恵尓 安布毛能奈良婆 之末思久毛 伊母我目可礼弖 安礼乎良米也母
訓読 思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目離れて我れ居らめやも
仮名 おもふゑに あふものならば しましくも いもがめかれて あれをらめやも
  中臣宅守
   
  15/3732
原文 安可祢佐須 比流波毛能母比 奴婆多麻乃 欲流波須我良尓 祢能<未>之奈加由
訓読 あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ
仮名 あかねさす ひるはものもひ ぬばたまの よるはすがらに ねのみしなかゆ
  中臣宅守
   
  15/3733
原文 和伎毛故我 可多美能許呂母 奈可里世婆 奈尓毛能母弖加 伊能知都我麻之
訓読 我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし
仮名 わぎもこが かたみのころも なかりせば なにものもてか いのちつがまし
  中臣宅守
   
  15/3734
原文 等保伎山 世伎毛故要伎奴 伊麻左良尓 安布倍伎与之能 奈伎我佐夫之佐 [一云 左必之佐]
訓読 遠き山関も越え来ぬ今さらに逢ふべきよしのなきが寂しさ [一云 さびしさ]
仮名 とほきやま せきもこえきぬ いまさらに あふべきよしの なきがさぶしさ [さびしさ]
  中臣宅守
   
  15/3735
原文 於毛波受母 麻許等安里衣牟也 左奴流欲能 伊米尓毛伊母我 美延射良奈久尓
訓読 思はずもまことあり得むやさ寝る夜の夢にも妹が見えざらなくに
仮名 おもはずも まことありえむや さぬるよの いめにもいもが みえざらなくに
  中臣宅守
   
  15/3736
原文 等保久安礼婆 一日一夜毛 於<母>波受弖 安流良牟母能等 於毛保之賣須奈
訓読 遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな
仮名 とほくあれば ひとひひとよも おもはずて あるらむものと おもほしめすな
  中臣宅守
   
  15/3737
原文 比等余里波 伊毛曽母安之伎 故非毛奈久 安良末<思>毛能乎 於毛波之米都追
訓読 人よりは妹ぞも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ
仮名 ひとよりは いもぞもあしき こひもなく あらましものを おもはしめつつ
  中臣宅守
   
  15/3738
原文 於毛比都追 奴礼婆可毛<等>奈 奴婆多麻能 比等欲毛意知受 伊米尓之見由流
訓読 思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる
仮名 おもひつつ ぬればかもとな ぬばたまの ひとよもおちず いめにしみゆる
  中臣宅守
   
  15/3739
原文 可久婆可里 古非牟等可祢弖 之良末世婆 伊毛乎婆美受曽 安流倍久安里家留
訓読 かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける
仮名 かくばかり こひむとかねて しらませば いもをばみずぞ あるべくありける
  中臣宅守
   
  15/3740
原文 安米都知能 可未奈伎毛能尓 安良婆許曽 安我毛布伊毛尓 安波受思仁世米
訓読 天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ
仮名 あめつちの かみなきものに あらばこそ あがもふいもに あはずしにせめ
  中臣宅守
   
  15/3741
原文 伊能知乎之 麻多久之安良婆 安里伎奴能 安里弖能知尓毛 安波射良米也母 [一云 安里弖能乃知毛]
訓読 命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも [一云 ありての後も]
仮名 いのちをし またくしあらば ありきぬの ありてのちにも あはざらめやも [ありてののちも]
  中臣宅守
   
  15/3742
原文 安波牟日乎 其日等之良受 等許也未尓 伊豆礼能日麻弖 安礼古非乎良牟
訓読 逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ
仮名 あはむひを そのひとしらず とこやみに いづれのひまで あれこひをらむ
  中臣宅守
   
  15/3743
原文 多婢等伊倍婆 許等尓曽夜須伎 須久奈久毛 伊母尓戀都々 須敝奈家奈久尓
訓読 旅といへば言にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに
仮名 たびといへば ことにぞやすき すくなくも いもにこひつつ すべなけなくに
  中臣宅守
   
  15/3744
原文 和伎毛故尓 古布流尓安礼波 多麻吉波流 美自可伎伊能知毛 乎之家久母奈思
訓読 我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし
仮名 わぎもこに こふるにあれは たまきはる みじかきいのちも をしけくもなし
  中臣宅守
   
  15/3745
原文 伊能知安良婆 安布許登母安良牟 和我由恵尓 波太奈於毛比曽 伊能知多尓敝波
訓読 命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば
仮名 いのちあらば あふこともあらむ わがゆゑに はだなおもひそ いのちだにへば
  狭野弟上娘子
   
  15/3746
原文 <比>等能宇々流 田者宇恵麻佐受 伊麻佐良尓 久尓和可礼之弖 安礼波伊可尓勢武
訓読 人の植うる田は植ゑまさず今さらに国別れして我れはいかにせむ
仮名 ひとのううる たはうゑまさず いまさらに くにわかれして あれはいかにせむ
  狭野弟上娘子
   
  15/3747
原文 和我屋度能 麻都能葉見都々 安礼麻多無 波夜可反里麻世 古非之奈奴刀尓
訓読 我が宿の松の葉見つつ我れ待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに
仮名 わがやどの まつのはみつつ あれまたむ はやかへりませ こひしなぬとに
  狭野弟上娘子
   
  15/3748
原文 比等久尓波 須美安之等曽伊布 須牟也氣久 波也可反里万世 古非之奈奴刀尓
訓読 他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに
仮名 ひとくには すみあしとぞいふ すむやけく はやかへりませ こひしなぬとに
  狭野弟上娘子
   
  15/3749
原文 比等久尓々 伎美乎伊麻勢弖 伊<都><麻>弖可 安我故非乎良牟 等伎乃之良奈久
訓読 他国に君をいませていつまでか我が恋ひ居らむ時の知らなく
仮名 ひとくにに きみをいませて いつまでか あがこひをらむ ときのしらなく
  狭野弟上娘子
   
  15/3750
原文 安米都知乃 曽許比能宇良尓 安我其等久 伎美尓故布良牟 比等波左祢安良自
訓読 天地の底ひのうらに我がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ
仮名 あめつちの そこひのうらに あがごとく きみにこふらむ ひとはさねあらじ
  狭野弟上娘子
   
  15/3751
原文 之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻弖尓
訓読 白栲の我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢ふまでに
仮名 しろたへの あがしたごろも うしなはず もてれわがせこ ただにあふまでに
  狭野弟上娘子
   
  15/3752
原文 波流乃日能 宇良我奈之伎尓 於久礼為弖 君尓古非都々 宇都之家米也母
訓読 春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも
仮名 はるのひの うらがなしきに おくれゐて きみにこひつつ うつしけめやも
  狭野弟上娘子
   
  15/3753
原文 安波牟日能 可多美尓世与等 多和也女能 於毛比美太礼弖 奴敝流許呂母曽
訓読 逢はむ日の形見にせよとたわや女の思ひ乱れて縫へる衣ぞ
仮名 あはむひの かたみにせよと たわやめの おもひみだれて ぬへるころもぞ
  狭野弟上娘子
   
  15/3754
原文 過所奈之尓 世伎等婢古由流 保等登藝須 多我子尓毛 夜麻受可欲波牟
訓読 過所なしに関飛び越ゆる霍公鳥多我子尓毛止まず通はむ
仮名 くゎそなしに せきとびこゆる ほととぎす ******* やまずかよはむ
  中臣宅守
   
  15/3755
原文 宇流波之等 安我毛布伊毛乎 山川乎 奈可尓敝奈里弖 夜須家久毛奈之
訓読 愛しと我が思ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし
仮名 うるはしと あがもふいもを やまかはを なかにへなりて やすけくもなし
  中臣宅守
   
  15/3756
原文 牟可比為弖 一日毛於知受 見之可杼母 伊等波奴伊毛乎 都奇和多流麻弖
訓読 向ひ居て一日もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで
仮名 むかひゐて ひとひもおちず みしかども いとはぬいもを つきわたるまで
  中臣宅守
   
  15/3757
原文 安我<未>許曽 世伎夜麻<故>要弖 許己尓安良米 許己呂波伊毛尓 与里尓之母能乎
訓読 我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを
仮名 あがみこそ せきやまこえて ここにあらめ こころはいもに よりにしものを
  中臣宅守
   
  15/3758
原文 佐須太氣能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能<未> 許能美多流良武 [一云 伊麻左倍也]
訓読 さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ [一云 今さへや]
仮名 さすだけの おほみやひとは いまもかも ひとなぶりのみ このみたるらむ [いまさへや]
  中臣宅守
   
  15/3759
原文 多知可敝里 奈氣杼毛安礼波 之流思奈美 於毛比和夫礼弖 奴流欲之曽於保伎
訓読 たちかへり泣けども我れは験なみ思ひわぶれて寝る夜しぞ多き
仮名 たちかへり なけどもあれは しるしなみ おもひわぶれて ぬるよしぞおほき
  中臣宅守
   
  15/3760
原文 左奴流欲波 於保久安礼杼母 毛能毛波受 夜須久奴流欲波 佐祢奈伎母能乎
訓読 さ寝る夜は多くあれども物思はず安く寝る夜はさねなきものを
仮名 さぬるよは おほくあれども ものもはず やすくぬるよは さねなきものを
  中臣宅守
   
  15/3761
原文 与能奈可能 都年能己等和利 可久左麻尓 奈<里>伎尓家良之 須恵之多祢可良
訓読 世の中の常のことわりかくさまになり来にけらしすゑし種から
仮名 よのなかの つねのことわり かくさまに なりきにけらし すゑしたねから
  中臣宅守
   
  15/3762
原文 和伎毛故尓 安布左可山乎 故要弖伎弖 奈伎都々乎礼杼 安布余思毛奈之
訓読 我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし
仮名 わぎもこに あふさかやまを こえてきて なきつつをれど あふよしもなし
  中臣宅守
   
  15/3763
原文 多婢等伊倍婆 許<登>尓曽夜須伎 須敝毛奈久 々流思伎多婢毛 許等尓麻左米也母
訓読 旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも
仮名 たびといへば ことにぞやすき すべもなく くるしきたびも ことにまさめやも
  中臣宅守
   
  15/3764
原文 山川乎 奈可尓敝奈里弖 等保久登母 許己呂乎知可久 於毛保世和伎母
訓読 山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹
仮名 やまかはを なかにへなりて とほくとも こころをちかく おもほせわぎも
  中臣宅守
   
  15/3765
原文 麻蘇可我美 可氣弖之奴敝等 麻都里太須 可多美乃母能乎 比等尓之賣須奈
訓読 まそ鏡懸けて偲へとまつり出す形見のものを人に示すな
仮名 まそかがみ かけてしぬへと まつりだす かたみのものを ひとにしめすな
  中臣宅守
   
  15/3766
原文 宇流波之等 於毛比之於毛<波婆> 之多婢毛尓 由比都氣毛知弖 夜麻受之努波世
訓読 愛しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやまず偲はせ
仮名 うるはしと おもひしおもはば したびもに ゆひつけもちて やまずしのはせ
  中臣宅守
   
  15/3767
原文 多麻之比波 安之多由布敝尓 多麻布礼杼 安我牟祢伊多之 古非能之氣吉尓
訓読 魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに
仮名 たましひは あしたゆふへに たまふれど あがむねいたし こひのしげきに
  狭野弟上娘子
   
  15/3768
原文 己能許呂波 君乎於毛布等 須敝毛奈伎 古非能<未>之都々 <祢>能<未>之曽奈久
訓読 このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く
仮名 このころは きみをおもふと すべもなき こひのみしつつ ねのみしぞなく
  狭野弟上娘子
   
  15/3769
原文 奴婆多麻乃 欲流見之君乎 安久流安之多 安波受麻尓之弖 伊麻曽久夜思吉
訓読 ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき
仮名 ぬばたまの よるみしきみを あくるあした あはずまにして いまぞくやしき
  狭野弟上娘子
   
  15/3770
原文 安治麻野尓 屋杼礼流君我 可反里許武 等伎能牟可倍乎 伊都等可麻多武
訓読 味真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ
仮名 あぢまのに やどれるきみが かへりこむ ときのむかへを いつとかまたむ
  狭野弟上娘子
   
  15/3771
原文 宮人能 夜須伊毛祢受弖 家布々々等 麻都良武毛能乎 美要奴君可聞
訓読 宮人の安寐も寝ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも
仮名 みやひとの やすいもねずて けふけふと まつらむものを みえぬきみかも
  狭野弟上娘子
   
  15/3772
原文 可敝里家流 比等伎多礼里等 伊比之可婆 保等保登之尓吉 君香登於毛比弖
訓読 帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて
仮名 かへりける ひときたれりと いひしかば ほとほとしにき きみかとおもひて
  狭野弟上娘子
   
  15/3773
原文 君我牟多 由可麻之毛能乎 於奈自許等 於久礼弖乎礼杼 与伎許等毛奈之
訓読 君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし
仮名 きみがむた ゆかましものを おなじこと おくれてをれど よきこともなし
  狭野弟上娘子
   
  15/3774
原文 和我世故我 可反里吉麻佐武 等伎能多米 伊能知能己佐牟 和須礼多麻布奈
訓読 我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
仮名 わがせこが かへりきまさむ ときのため いのちのこさむ わすれたまふな
  狭野弟上娘子
   
  15/3775
原文 安良多麻能 等之能乎奈我久 安波射礼杼 家之伎己許呂乎 安我毛波奈久尓
訓読 あらたまの年の緒長く逢はざれど異しき心を我が思はなくに
仮名 あらたまの としのをながく あはざれど けしきこころを あがもはなくに
  中臣宅守
   
  15/3776
原文 家布毛可母 美也故奈里世婆 見麻久保里 尓之能御馬屋乃 刀尓多弖良麻之
訓読 今日もかも都なりせば見まく欲り西の御馬屋の外に立てらまし
仮名 けふもかも みやこなりせば みまくほり にしのみまやの とにたてらまし
  中臣宅守
   
  15/3777
原文 伎能布家布 伎美尓安波受弖 須流須敝能 多度伎乎之良尓 祢能未之曽奈久
訓読 昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く
仮名 きのふけふ きみにあはずて するすべの たどきをしらに ねのみしぞなく
  狭野弟上娘子
   
  15/3778
原文 之路多<倍>乃 阿我許呂毛弖乎 登里母知弖 伊波敝和我勢古 多太尓安布末R尓
訓読 白栲の我が衣手を取り持ちて斎へ我が背子直に逢ふまでに
仮名 しろたへの あがころもでを とりもちて いはへわがせこ ただにあふまでに
  狭野弟上娘子
   
  15/3779
原文 和我夜度乃 波奈多知<婆>奈波 伊多都良尓 知利可須具良牟 見流比等奈思尓
訓読 我が宿の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに
仮名 わがやどの はなたちばなは いたづらに ちりかすぐらむ みるひとなしに
  中臣宅守
   
  15/3780
原文 古非之奈婆 古非毛之祢等也 保等登藝須 毛能毛布等伎尓 伎奈吉等余牟流
訓読 恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響むる
仮名 こひしなば こひもしねとや ほととぎす ものもふときに きなきとよむる
  中臣宅守
   
  15/3781
原文 多婢尓之弖 毛能毛布等吉尓 保等登藝須 毛等奈那難吉曽 安我古非麻左流
訓読 旅にして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ我が恋まさる
仮名 たびにして ものもふときに ほととぎす もとなななきそ あがこひまさる
  中臣宅守
   
  15/3782
原文 安麻其毛理 毛能母布等伎尓 保等登藝須 和我須武佐刀尓 伎奈伎等余母須
訓読 雨隠り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす
仮名 あまごもり ものもふときに ほととぎす わがすむさとに きなきとよもす
  中臣宅守
   
  15/3783
原文 多婢尓之弖 伊毛尓古布礼婆 保登等伎須 和我須武佐刀尓 許<欲>奈伎和多流
訓読 旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る
仮名 たびにして いもにこふれば ほととぎす わがすむさとに こよなきわたる
  中臣宅守
   
  15/3784
原文 許己呂奈伎 登里尓曽安利家流 保登等藝須 毛能毛布等伎尓 奈久倍吉毛能可
訓読 心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか
仮名 こころなき とりにぞありける ほととぎす ものもふときに なくべきものか
  中臣宅守
   
  15/3785
原文 保登等藝須 安比太之麻思於家 奈我奈氣婆 安我毛布許己呂 伊多母須敝奈之
訓読 霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし
仮名 ほととぎす あひだしましおけ ながなけば あがもふこころ いたもすべなし
  中臣宅守
   

第十六巻

   
   16/3786
原文 春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 [其一]
訓読 春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも [其一]
仮名 はるさらば かざしにせむと わがもひし さくらのはなは ちりにけるかも
   
  16/3787
原文 妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 [其二]
訓読 妹が名に懸けたる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに [其二]
仮名 いもがなに かけたるさくら はなさかば つねにやこひむ いやとしのはに
   
  16/3788
原文 無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 [一]
訓読 耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ [一]
仮名 みみなしの いけしうらめし わぎもこが きつつかづかば みづはかれなむ
   
  16/3789
原文 足曳之 山イ之兒 今日徃跡 吾尓告世婆 還来麻之乎 [二]
訓読 あしひきの山縵の子今日行くと我れに告げせば帰り来ましを [二]
仮名 あしひきの やまかづらのこ けふゆくと われにつげせば かへりきましを
   
  16/3790
原文 足曳之 玉イ之兒 如今日 何隈乎 見管来尓監 [三]
訓読 あしひきの玉縵の子今日のごといづれの隈を見つつ来にけむ [三]
仮名 あしひきの たまかづらのこ けふのごと いづれのくまを みつつきにけむ
   
  16/3791
原文 緑子之 若子蚊見庭 垂乳為 母所懐 褨襁 平<生>蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成者之寸丹取為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊果 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷<刺> 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 <持還来>
訓読 みどり子の 若子髪には たらちし 母に抱かえ ひむつきの 稚児が髪には 木綿肩衣 純裏に縫ひ着 頚つきの 童髪には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我れを 丹よれる 子らがよちには 蜷の腸 か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束ね 上げても巻きみ 解き乱り 童になしみ さ丹つかふ 色になつける 紫の 大綾の衣 住吉の 遠里小野の ま榛持ち にほほし衣に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺部重部 なみ重ね着て 打麻やし 麻続の子ら あり衣の 財の子らが 打ちし栲 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを 信巾裳成者之寸丹取為支屋所経 稲置娘子が 妻どふと 我れにおこせし 彼方の 二綾下沓 飛ぶ鳥 明日香壮士が 長雨禁へ 縫ひし黒沓 さし履きて 庭にたたずみ 退けな立ち 禁娘子が ほの聞きて 我れにおこせし 水縹の 絹の帯を 引き帯なす 韓帯に取らし わたつみの 殿の甍に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて おのがなり かへらひ見つつ 春さりて 野辺を廻れば おもしろみ 我れを思へか さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば なつかしと 我れを思へか 天雲も 行きたなびく かへり立ち 道を来れば うちひさす 宮女 さす竹の 舎人壮士も 忍ぶらひ かへらひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへ ささきし我れや はしきやし 今日やも子らに いさとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへの 賢しき人も 後の世の 鑑にせむと 老人を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
仮名 みどりこの わかごかみには たらちし ははにむだかえ ひむつきの ちごがかみには ゆふかたぎぬ ひつらにぬひき うなつきの わらはかみには ゆひはたの そでつけごろも きしわれを によれる こらがよちには みなのわた かぐろしかみを まくしもち ここにかきたれ とりつかね あげてもまきみ ときみだり わらはになしみ さにつかふ いろになつける むらさきの おほあやのきぬ すみのえの とほさとをのの まはりもち にほほしきぬに こまにしき ひもにぬひつけ ***** なみかさねきて うちそやし をみのこら ありきぬの たからのこらが うちしたへ はへておるぬの ひさらしの あさてづくりを ***** ******* ***** いなきをとめが つまどふと われにおこせし をちかたの ふたあやしたぐつ とぶとり あすかをとこが ながめさへ ぬひしくろぐつ さしはきて にはにたたずみ そけなたち いさめをとめが ほのききて われにおこせし みはなだの きぬのおびを ひきおびなす からおびにとらし わたつみの とののいらかに とびかける すがるのごとき こしほそに とりよそほひ まそかがみ とりなめかけて おのがなり かへらひみつつ はるさりて のへをめぐれば おもしろみ われをおもへか さのつとり きなきかけらふ あきさりて やまへをゆけば なつかしと われをおもへか あまくもも ゆきたなびく かへりたち みちをくれば うちひさす みやをみな さすたけの とねりをとこも しのぶらひ かへらひみつつ たがこぞとや おもはえてある かくのごと ******* いにしへ ささきしわれや はしきやし けふやもこらに いさとや おもはえてある かくのごと ******* いにしへの さかしきひとも のちのよの かがみにせむと おいひとを おくりしくるま もちかへりけり もちかへりけり
  竹取翁
   
  16/3792
原文 死者木苑 相不見在目 生而在者 白髪子等丹 不生在目八方
訓読 死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも
仮名 しなばこそ あひみずあらめ いきてあらば しろかみこらに おひずあらめやも
  竹取翁
   
  16/3793
原文 白髪為 子等母生名者 如是 将若異子等丹 所詈金目八
訓読 白髪し子らに生ひなばかくのごと若けむ子らに罵らえかねめや
仮名 しろかみし こらにおひなば かくのごと わかけむこらに のらえかねめや
  竹取翁
   
  16/3794
原文 端寸八為 老夫之歌丹 大欲寸 九兒等哉 蚊間毛而将居 [一]
訓読 はしきやし翁の歌におほほしき九の子らや感けて居らむ [一]
仮名 はしきやし おきなのうたに おほほしき ここののこらや かまけてをらむ
  娘子
   
  16/3795
原文 辱尾忍 辱尾黙 無事 物不言先丹 我者将依 [二]
訓読 恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬさきに我れは寄りなむ [二]
仮名 はぢをしのび はぢをもだして こともなく ものいはぬさきに われはよりなむ
  娘子
   
  16/3796
原文 否藻諾藻 随欲 可赦 皃所見哉 我藻将依 [三]
訓読 否も諾も欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ [三]
仮名 いなもをも ほしきまにまに ゆるすべき かほみゆるかも われもよりなむ
  娘子
   
  16/3797
原文 死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依 [四]
訓読 死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ [四]
仮名 しにもいきも おなじこころと むすびてし ともやたがはむ われもよりなむ
  娘子
   
  16/3798
原文 何為迹 違将居 否藻諾藻 友之波々 我裳将依 [五]
訓読 何すと違ひは居らむ否も諾も友のなみなみ我れも寄りなむ [五]
仮名 なにすと たがひはをらむ いなもをも とものなみなみ われもよりなむ
  娘子
   
  16/3799
原文 豈藻不在 自身之柄 人子之 事藻不盡 我藻将依 [六]
訓読 あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ [六]
仮名 あにもあらじ おのがみのから ひとのこの こともつくさじ われもよりなむ
  娘子
   
  16/3800
原文 者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依 [七]
訓読 はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ [七]
仮名 はだすすき ほにはないでそ おもひたる こころはしらゆ われもよりなむ
  娘子
   
  16/3801
原文 墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居 [八]
訓読 住吉の岸野の榛ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ [八]
仮名 すみのえの きしののはりに にほふれど にほはぬわれや にほひてをらむ
  娘子
   
  16/3802
原文 春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意 [九]
訓読 春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに [九]
仮名 はるののの したくさなびき われもより にほひよりなむ とものまにまに
  娘子
   
  16/3803
原文 隠耳 戀<者>辛苦 山葉従 出来月之 顕者如何
訓読 隠りのみ恋ふれば苦し山の端ゆ出でくる月の顕さばいかに
仮名 こもりのみ こふればくるし やまのはゆ いでくるつきの あらはさばいかに
  娘子
   
  16/3804
原文 如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来
訓読 かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めて我が思へりける
仮名 かくのみに ありけるものを ゐながはの おきをふかめて わがもへりける
   
  16/3805
原文 烏玉之 黒髪所<沾>而 沫雪之 零也来座 幾許戀者
訓読 ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の降るにや来ますここだ恋ふれば
仮名 ぬばたまの くろかみぬれて あわゆきの ふるにやきます ここだこふれば
  娘子
   
  16/3806
原文 事之有者 小泊瀬山乃 石城尓母 隠者共尓 莫思吾背
訓読 事しあらば小泊瀬山の石城にも隠らばともにな思ひそ我が背
仮名 ことしあらば をばつせやまの いはきにも こもらばともに なおもひそわがせ
  娘子
   
  16/3807
原文 安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國
訓読 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに
仮名 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに
  采女
   
  16/3808
原文 墨江之 小集樂尓出而 寤尓毛 己妻尚乎 鏡登見津藻
訓読 住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも
仮名 すみのえの をづめにいでて うつつにも おのづますらを かがみとみつも
   
  16/3809
原文 商變 領為跡之御法 有者許曽 吾下衣 反賜米
訓読 商返しめすとの御法あらばこそ我が下衣返し給はめ
仮名 あきかへし めすとのみのり あらばこそ あがしたごろも かへしたまはめ
   
  16/3810
原文 味飯乎 水尓醸成 吾待之 代者曽<无> 直尓之不有者
訓読 味飯を水に醸みなし我が待ちしかひはかつてなし直にしあらねば
仮名 うまいひを みづにかみなし わがまちし かひはかつてなし ただにしあらねば
   
  16/3811
原文 左耳通良布 君之三言等 玉梓乃 使毛不来者 憶病 吾身一曽 千<磐>破 神尓毛莫負 卜部座 龜毛莫焼曽 戀之久尓 痛吾身曽 伊知白苦 身尓染<登>保里 村肝乃 心砕而 将死命 尓波可尓成奴 今更 君可吾乎喚 足千根乃 母之御事歟 百不足 八十乃衢尓 夕占尓毛 卜尓毛曽問 應死吾之故
訓読 さ丹つらふ 君がみ言と 玉梓の 使も来ねば 思ひ病む 我が身ひとつぞ ちはやぶる 神にもな負ほせ 占部据ゑ 亀もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我が身ぞ いちしろく 身にしみ通り むらきもの 心砕けて 死なむ命 にはかになりぬ 今さらに 君か我を呼ぶ たらちねの 母のみ言か 百足らず 八十の衢に 夕占にも 占にもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ
仮名 さにつらふ きみがみことと たまづさの つかひもこねば おもひやむ あがみひとつぞ ちはやぶる かみにもなおほせ うらへすゑ かめもなやきそ こひしくに いたきあがみぞ いちしろく みにしみとほり むらきもの こころくだけて しなむいのち にはかになりぬ いまさらに きみかわをよぶ たらちねの ははのみことか ももたらず やそのちまたに ゆふけにも うらにもぞとふ しぬべきわがゆゑ
  車持娘子
   
  16/3812
原文 卜部乎毛 八十乃衢毛 占雖問 君乎相見 多時不知毛
訓読 占部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも
仮名 うらへをも やそのちまたも うらとへど きみをあひみむ たどきしらずも
  車持娘子
   
  16/3813
原文 吾命者 惜雲不有 散<追>良布 君尓依而曽 長欲為
訓読 我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし
仮名 わがいのちは をしくもあらず さにつらふ きみによりてぞ ながくほりせし
  車持娘子
   
  16/3814
原文 真珠者 緒絶為尓伎登 聞之故尓 其緒復貫 吾玉尓将為
訓読 白玉は緒絶えしにきと聞きしゆゑにその緒また貫き我が玉にせむ
仮名 しらたまは をだえしにきと ききしゆゑに そのをまたぬき わがたまにせむ
   
  16/3815
原文 白玉之 緒絶者信 雖然 其緒又貫 人持去家有
訓読 白玉の緒絶えはまことしかれどもその緒また貫き人持ち去にけり
仮名 しらたまの をだえはまこと しかれども そのをまたぬき ひともちいにけり
   
  16/3816
原文 家尓有之 櫃尓鏁刺 蔵而師 戀乃奴之 束見懸而
訓読 家にありし櫃にかぎさし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて
仮名 いへにありし ひつにかぎさし をさめてし こひのやつこの つかみかかりて
  穂積皇子
   
  16/3817
原文 可流羽須波 田廬乃毛等尓 吾兄子者 二布夫尓咲而 立麻為所見 [田廬者多夫世<反>]
訓読 かるうすは田ぶせの本に我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ [田廬者多夫世<反>]
仮名 かるうすは たぶせのもとに わがせこは にふぶにゑみて たちませりみゆ
  河村王
   
  16/3818
原文 朝霞 香火屋之下乃 鳴川津 之努比管有常 将告兒毛欲得
訓読 朝霞鹿火屋が下の鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも
仮名 あさかすみ かひやがしたの なくかはづ しのひつつありと つげむこもがも
  河村王
   
  16/3819
原文 暮立之 雨打零者 春日野之 草花之末乃 白露於母保遊
訓読 夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露思ほゆ
仮名 ゆふだちの あめうちふれば かすがのの をばながうれの しらつゆおもほゆ
  小鯛王
   
  16/3820
原文 夕附日 指哉河邊尓 構屋之 形乎宜美 諾所因来
訓読 夕づく日さすや川辺に作る屋の形をよろしみうべ寄そりけり
仮名 ゆふづくひ さすやかはへに つくるやの かたをよろしみ うべよそりけり
  小鯛王
   
  16/3821
原文 美麗物 何所不飽矣 坂門等之 角乃布久礼尓 四具比相尓計六
訓読 うましものいづく飽かじをさかとらが角のふくれにしぐひ合ひにけむ
仮名 うましもの いづくあかじを さかとらが つののふくれに しぐひあひにけむ
  児部女王
   
  16/3822
原文 橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可
訓読 橘の寺の長屋に我が率寝し童女放髪は髪上げつらむか
仮名 たちばなの てらのながやに わがゐねし うなゐはなりは かみあげつらむか
   
  16/3823
原文 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪擧都良武香
訓読 橘の照れる長屋に我が率ねし童女放髪に髪上げつらむか
仮名 たちばなの てれるながやに わがゐねし うなゐはなりに かみあげつらむか
   
  16/3824
原文 刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武
訓読 さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ
仮名 さしなべに ゆわかせこども いちひつの ひばしよりこむ きつねにあむさむ
  長意吉麻呂
   
  16/3825
原文 食薦敷 蔓菁煮将来 a尓 行騰懸而 息此公
訓読 食薦敷き青菜煮て来む梁にむかばき懸けて休むこの君
仮名 すごもしき あをなにてこむ うつはりに むかばきかけて やすむこのきみ
  長意吉麻呂
   
  16/3826
原文 蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 <宇>毛乃葉尓有之
訓読 蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし
仮名 はちすばは かくこそあるもの おきまろが いへなるものは うものはにあらし
  長意吉麻呂
   
  16/3827
原文 一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有<来> 雙六乃佐叡
訓読 一二の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六のさえ
仮名 いちにのめ のみにはあらず ごろくさむ しさへありけり すぐろくのさえ
  長意吉麻呂
   
  16/3828
原文 香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
訓読 香塗れる塔にな寄りそ川隈の屎鮒食めるいたき女奴
仮名 かうぬれる たふになよりそ かはくまの くそふなはめる いたきめやつこ
  長意吉麻呂
   
  16/3829
原文 醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水ク乃煮物
訓読 醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹
仮名 ひしほすに ひるつきかてて たひねがふ われになみえそ なぎのあつもの
  長意吉麻呂
   
  16/3830
原文 玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為
訓読 玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため
仮名 たまばはき かりこかままろ むろのきと なつめがもとと かきはかむため
  長意吉麻呂
   
  16/3831
原文 池神 力土儛可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武
訓読 池神の力士舞かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
仮名 いけがみの りきじまひかも しらさぎの ほこくひもちて とびわたるらむ
  長意吉麻呂
   
  16/3832
原文 枳 蕀原苅除曽氣 倉将立 屎遠麻礼 櫛造刀自
訓読 からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
仮名 からたちと うばらかりそけ くらたてむ くそとほくまれ くしつくるとじ
  忌部首
   
  16/3833
原文 虎尓乗 古屋乎越而 青淵尓 鮫龍取将来 劒刀毛我
訓読 虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍捕り来む剣太刀もが
仮名 とらにのり ふるやをこえて あをふちに みつちとりこむ つるぎたちもが
  境部王
   
  16/3834
原文 成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲
訓読 梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く
仮名 なしなつめ きみにあはつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく
   
  16/3835
原文 勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
訓読 勝間田の池は我れ知る蓮なししか言ふ君が鬚なきごとし
仮名 かつまたの いけはわれしる はちすなし しかいふきみが ひげなきごとし
   
  16/3836
原文 奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 <侫>人之友
訓読 奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴
仮名 ならやまの このてかしはの ふたおもに かにもかくにも こびひとのとも
  消奈行文
   
  16/3837
原文 久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似<有将>見
訓読 ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
仮名 ひさかたの あめもふらぬか はちすばに たまれるみづの たまににたるみむ
   
  16/3838
原文 吾妹兒之 額尓生<流> 雙六乃 事負乃牛之 倉上之瘡
訓読 我妹子が額に生ふる双六のこと負の牛の鞍の上の瘡
仮名 わぎもこが ひたひにおふる すぐろくの ことひのうしの くらのうへのかさ
  安倍子祖父
   
  16/3839
原文 吾兄子之 犢鼻尓為流 都夫礼石之 吉野乃山尓 氷魚曽懸有 [懸有反云 佐<我>礼流]
訓読 我が背子が犢鼻にするつぶれ石の吉野の山に氷魚ぞ下がれる [懸有反云 佐<我>礼流]
仮名 わがせこが たふさきにする つぶれいしの よしののやまに ひをぞさがれる
  安倍子祖父
   
  16/3840
原文 寺々之 女餓鬼申久 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播
訓読 寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子産まはむ
仮名 てらてらの めがきまをさく おほかみの をがきたばりて そのこうまはむ
  池田真枚
   
  16/3841
原文 佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
訓読 仏造るま朱足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を掘れ
仮名 ほとけつくる まそほたらずは みづたまる いけだのあそが はなのうへをほれ
  大神奥守
   
  16/3842
原文 小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
訓読 童ども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣が腋草を刈れ
仮名 わらはども くさはなかりそ やほたでを ほづみのあそが わきくさをかれ
  平群広成
   
  16/3843
原文 何所曽 真朱穿岳 薦疊 平群乃阿曽我 鼻上乎穿礼
訓読 いづくにぞま朱掘る岡薦畳平群の朝臣が鼻の上を掘れ
仮名 いづくにぞ まそほほるをか こもたたみ へぐりのあそが はなのうへをほれ
  穂積老人
   
  16/3844
原文 烏玉之 斐太乃大黒 毎見 巨勢乃小黒之 所念可聞
訓読 ぬばたまの斐太の大黒見るごとに巨勢の小黒し思ほゆるかも
仮名 ぬばたまの ひだのおほぐろ みるごとに こせのをぐろし おもほゆるかも
  土師水通
   
  16/3845
原文 造駒 土師乃志婢麻呂 白<久>有者 諾欲将有 其黒色乎
訓読 駒造る土師の志婢麻呂白くあればうべ欲しからむその黒色を
仮名 こまつくる はじのしびまろ しろくあれば うべほしからむ そのくろいろを
  巨勢豊人
   
  16/3846
原文 法師等之 鬚乃剃杭 馬繋 痛勿引曽 僧半甘
訓読 法師らが鬚の剃り杭馬繋いたくな引きそ法師は泣かむ
仮名 ほふしらが ひげのそりくひ うまつなぎ いたくなひきそ ほふしはなかむ
   
  16/3847
原文 檀越也 然勿言 <五十>戸<長>我 課役徴者 汝毛半甘
訓読 壇越やしかもな言ひそ里長が課役徴らば汝も泣かむ
仮名 だにをちや しかもないひそ さとをさが えだちはたらば いましもなかむ
 
   
  16/3848
原文 荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲<々々>志 吾戀良久者
訓読 あらき田の鹿猪田の稲を倉に上げてあなひねひねし我が恋ふらくは
仮名 あらきたの ししだのいねを くらにあげて あなひねひねし あがこふらくは
  忌部黒麻呂
   
  16/3849
原文 生死之 二海乎 猒見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
訓読 生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも
仮名 いきしにの ふたつのうみを いとはしみ しほひのやまを しのひつるかも
   
  16/3850
原文 世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞
訓読 世間の繁き仮廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも
仮名 よのなかの しげきかりほに すみすみて いたらむくにの たづきしらずも
   
  16/3851
原文 心乎之 無何有乃郷尓 置而有者 藐狐射能山乎 見末久知香谿務
訓読 心をし無何有の郷に置きてあらば藐孤射の山を見まく近けむ
仮名 こころをし むがうのさとに おきてあらば はこやのやまを みまくちかけむ
   
  16/3852
原文 鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
訓読 鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ
仮名 いさなとり うみやしにする やまやしにする しぬれこそ うみはしほひて やまはかれすれ
   
  16/3853
原文 石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 <吉>跡云物曽 武奈伎取<喫> [賣世反也]
訓読 石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ [賣世反也]
仮名 いはまろに われものまをす なつやせに よしといふものぞ むなぎとりめせ
  大伴家持
   
  16/3854
原文 痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
訓読 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな
仮名 やすやすも いけらばあらむを はたやはた むなぎをとると かはにながるな
  大伴家持
   
  16/3855
原文 コ莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為
訓読 さう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ
仮名 さうけふに はひおほとれる くそかづら たゆることなく みやつかへせむ
  高宮王
   
  16/3856
原文 波羅門乃 作有流小田乎 喫烏 <瞼>腫而 幡幢尓居
訓読 波羅門の作れる小田を食む烏瞼腫れて幡桙に居り
仮名 ばらもにの つくれるをだを はむからす まなぶたはれて はたほこにをり
  高宮王
   
  16/3857
原文 飯喫騰 味母不在 雖行徃 安久毛不有 赤根佐須 君之情志 忘可祢津藻
訓読 飯食めど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず あかねさす 君が心し 忘れかねつも
仮名 いひはめど うまくもあらず ゆきゆけど やすくもあらず あかねさす きみがこころし わすれかねつも
   
  16/3858
原文 比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠
訓読 このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
仮名 このころの あがこひぢから しるしあつめ くうにまをさば ごゐのかがふり
   
  16/3859
原文 <頃>者之 吾戀力 不給者 京兆尓 出而将訴
訓読 このころの我が恋力賜らずはみさとづかさに出でて訴へむ
仮名 このころの あがこひぢから たばらずは みさとづかさに いでてうれへむ
   
  16/3860
原文 王之 不遣尓 情進尓 行之荒雄良 奥尓袖振
訓読 大君の遣はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る
仮名 おほきみの つかはさなくに さかしらに ゆきしあらをら おきにそでふる
  山上憶良
   
  16/3861
原文 荒雄良乎 将来可不来可等 飯盛而 門尓出立 雖待来不座
訓読 荒雄らを来むか来じかと飯盛りて門に出で立ち待てど来まさず
仮名 あらをらを こむかこじかと いひもりて かどにいでたち まてどきまさず
  山上憶良
   
  16/3862
原文 志賀乃山 痛勿伐 荒雄良我 余須可乃山跡 見管将偲
訓読 志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
仮名 しかのやま いたくなきりそ あらをらが よすかのやまと みつつしのはむ
  山上憶良
   
  16/3863
原文 荒雄良我 去尓之日従 志賀乃安麻乃 大浦田沼者 不樂有哉
訓読 荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか
仮名 あらをらが ゆきにしひより しかのあまの おほうらたぬは さぶしくもあるか
  山上憶良
   
  16/3864
原文 官許曽 指弖毛遣米 情出尓 行之荒雄良 波尓袖振
訓読 官こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る
仮名 つかさこそ さしてもやらめ さかしらに ゆきしあらをら なみにそでふる
  山上憶良
   
  16/3865
原文 荒雄良者 妻子之産業乎波 不念呂 年之八歳乎 将騰来不座
訓読 荒雄らは妻子の業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず
仮名 あらをらは めこのなりをば おもはずろ としのやとせを まてどきまさず
  山上憶良
   
  16/3866
原文 奥鳥 鴨云船之 還来者 也良乃<埼>守 早告許曽
訓読 沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良の崎守早く告げこそ
仮名 おきつとり かもとふふねの かへりこば やらのさきもり はやくつげこそ
  山上憶良
   
  16/3867
原文 奥鳥 鴨云舟者 也良乃<埼> 多未弖榜来跡 所<聞>許奴可聞
訓読 沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも
仮名 おきつとり かもとふふねは やらのさき たみてこぎくと きこえこぬかも
  山上憶良
   
  16/3868
原文 奥去哉 赤羅小船尓 褁遣者 若人見而 解披見鴨
訓読 沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし人見て開き見むかも
仮名 おきゆくや あからをぶねに つとやらば けだしひとみて ひらきみむかも
  山上憶良
   
  16/3869
原文 大船尓 小船引副 可豆久登毛 志賀乃荒雄尓 潜将相八方
訓読 大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも
仮名 おほぶねに をぶねひきそへ かづくとも しかのあらをに かづきあはめやも
  山上憶良
   
  16/3870
原文 紫乃 粉滷乃海尓 潜鳥 珠潜出者 吾玉尓将為
訓読 紫の粉潟の海に潜く鳥玉潜き出ば我が玉にせむ
仮名 むらさきの こがたのうみに かづくとり たまかづきでば わがたまにせむ
   
  16/3871
原文 角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻
訓読 角島の瀬戸のわかめは人の共荒かりしかど我れとは和海藻
仮名 つのしまの せとのわかめは ひとのむた あらかりしかど われとはにきめ
   
  16/3872
原文 吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 々々者雖来 君曽不来座
訓読 我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ
仮名 わがかどの えのみもりはむ ももちとり ちとりはくれど きみぞきまさぬ
   
  16/3873
原文 吾門尓 千鳥數鳴 起余々々 我一夜妻 人尓所知名
訓読 我が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜夫人に知らゆな
仮名 わがかどに ちとりしばなく おきよおきよ わがひとよづま ひとにしらゆな
   
  16/3874
原文 所射鹿乎 認河邊之 和草 身若可倍尓 佐宿之兒等波母
訓読 射ゆ鹿を認ぐ川辺のにこ草の身の若かへにさ寝し子らはも
仮名 いゆししを つなぐかはへの にこぐさの みのわかかへに さねしこらはも
   
  16/3875
原文 琴酒乎 押垂小野従 出流水 奴流久波不出 寒水之 心毛計夜尓 所念 音之少寸 道尓相奴鴨 少寸四 道尓相佐婆 伊呂雅世流 菅笠小笠 吾宇奈雅流 珠乃七條 取替毛 将申物乎 少寸 道尓相奴鴨
訓読 琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき道に 逢はぬかも
仮名 ことさけを おしたれをのゆ いづるみづ ぬるくはいでず さむみづの こころもけやに おもほゆる おとのすくなき みちにあはぬかも すくなきよ みちにあはさば いろげせる すげかさをがさ わがうなげる たまのななつを とりかへも まをさむものを すくなきみちに あはぬかも
   
  16/3876
原文 豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武
訓読 豊国の企救の池なる菱の末を摘むとや妹がみ袖濡れけむ
仮名 とよくにの きくのいけなる ひしのうれを つむとやいもが みそでぬれけむ
   
  16/3877
原文 紅尓 染而之衣 雨零而 尓保比波雖為 移波米也毛
訓読 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも
仮名 くれなゐに そめてしころも あめふりて にほひはすとも うつろはめやも
   
  16/3878
原文 <堦>楯 熊来乃夜良尓 新羅斧 堕入 和之 河毛R河毛R 勿鳴為曽弥 浮出流夜登将見 和之
訓読 はしたての 熊来のやらに 新羅斧 落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし
仮名 はしたての くまきのやらに しらきをの おとしいれ わし かけてかけて ななかしそね うきいづるやとみむ わし
   
  16/3879
原文 堦楯 熊来酒屋尓 真奴良留奴 和之 佐須比立 率而来奈麻之乎 真奴良留奴 和之
訓読 はしたての 熊来酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし
仮名 はしたての くまきさかやに まぬらるやつこ わし さすひたて ゐてきなましを まぬらるやつこ わし
   
  16/3880
原文 所聞多祢乃 机之嶋能 小螺乎 伊拾持来而 石以 都追伎破夫利 早川尓 洗濯 辛塩尓 古胡登毛美 高坏尓盛 机尓立而 母尓奉都也 目豆兒乃<ス> 父尓獻都也 身女兒乃<ス>
訓読 鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自
仮名 かしまねの つくゑのしまの しただみを いひりひもちきて いしもち つつきやぶり はやかはに あらひすすぎ からしほに こごともみ たかつきにもり つくゑにたてて ははにあへつや めづこのとじ ちちにあへつや みめこのとじ
   
  16/3881
原文 大野路者 繁道森p 之氣久登毛 君志通者 p者廣計武
訓読 大野道は茂道茂路茂くとも君し通はば道は広けむ
仮名 おほのぢは しげちしげみち しげくとも きみしかよはば みちはひろけむ
   
  16/3882
原文 澁谿乃 二上山尓 鷲曽子産跡云 指羽尓毛 君之御為尓 鷲曽子生跡云
訓読 渋谿の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
仮名 しぶたにの ふたがみやまに わしぞこむといふ さしはにも きみのみために わしぞこむといふ
   
  16/3883
原文 伊夜彦 於能礼神佐備 青雲乃 田名引日<須>良 霂曽保零 [一云 安奈尓可武佐備]
訓読 弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る [一云 あなに神さび]
仮名 いやひこ おのれかむさび あをくもの たなびくひすら こさめそほふる [あなにかむさび]
   
  16/3884
原文 伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏<良>武 皮服著而 角附奈我良
訓読 弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つきながら
仮名 いやひこ かみのふもとに けふらもか しかのふすらむ かはころもきて つのつきながら
   
  16/3885
原文 伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎云神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多々弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥猟 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来<立>嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃<波>夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 <白賞尼>
訓読 いとこ 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑 八つ手挟み 獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕へむ 我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨の坩 我が目らは ますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に 我が肉は み膾はやし 我が肝も み膾はやし 我がみげは み塩のはやし 老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね
仮名 いとこ なせのきみ をりをりて ものにいゆくとは からくにの とらといふかみを いけどりに やつとりもちき そのかはを たたみにさし やへたたみ へぐりのやまに うづきと さつきとのまに くすりがり つかふるときに あしひきの このかたやまに ふたつたつ いちひがもとに あづさゆみ やつたばさみ ひめかぶら やつたばさみ ししまつと わがをるときに さをしかの きたちなげかく たちまちに われはしぬべし おほきみに われはつかへむ わがつのは みかさのはやし わがみみは みすみのつほ わがめらは ますみのかがみ わがつめは みゆみのゆはず わがけらは みふみてはやし わがかはは みはこのかはに わがししは みなますはやし わがきもも みなますはやし わがみげは みしほのはやし おいたるやつこ あがみひとつに ななへはなさく やへはなさくと まをしはやさね まをしはやさね
  乞食者
   
  16/3886
原文 忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 <吾>知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼<此>毛 <命>受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖<置> <々>勿尓到 雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 <手>碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作瓶乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩柒給 <腊>賞毛 <腊賞毛>
訓読 おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも
仮名 おしてるや なにはのをえに いほつくり なまりてをる あしがにを おほきみめすと なにせむに わをめすらめや あきらけく わがしることを うたひとと わをめすらめや ふえふきと わをめすらめや ことひきと わをめすらめや かもかくも みことうけむと けふけふと あすかにいたり おくとも おくなにいたり つかねども つくのにいたり ひむがしの なかのみかどゆ まゐりきて みことうくれば うまにこそ ふもだしかくもの うしにこそ はなづなはくれ あしひきの このかたやまの もむにれを いほえはきたり あまてるや ひのけにほし さひづるや からうすにつき にはにたつ てうすにつき おしてるや なにはのをえの はつたりを からくたりきて すゑひとの つくれるかめを けふゆきて あすとりもちき わがめらに しほぬりたまひ きたひはやすも きたひはやすも
  乞食者
   
  16/3887
原文 天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々<婆>可尓 鶉乎立毛
訓読 天にあるや ささらの小野に茅草刈り 草刈りばかに 鶉を立つも
仮名 あめにあるや ささらのをのに ちがやかり かやかりばかに うづらをたつも
   
  16/3888
原文 奥國 領君之 <柒>屋形 黄<柒>乃屋形 神之門<渡>
訓読 沖つ国 うしはく君の塗り屋形丹塗りの屋形 神の門渡る
仮名 おきつくに うしはくきみの ぬりやかた にぬりのやかた かみのとわたる
   
  16/3889
原文 人魂乃 佐青有<公>之 但獨 相有之雨夜<乃> 葉非左思所念
訓読 人魂の さ青なる君がただひとり逢へりし雨夜の 葉非左し思ほゆ
仮名 ひとたまの さをなるきみが ただひとり あへりしあまよの ***しおもほゆ
   

第十七巻

   
   17/3890
原文 和我勢兒乎 安我松原欲 見度婆 安麻乎等女登母 多麻藻可流美由
訓読 我が背子を安我松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ
仮名 わがせこを あがまつばらよ みわたせば あまをとめども たまもかるみゆ
  三野石守
   
  17/3891
原文 荒津乃海 之保悲思保美知 時波安礼登 伊頭礼乃時加 吾孤悲射良牟
訓読 荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か我が恋ひざらむ
仮名 あらつのうみ しほひしほみち ときはあれど いづれのときか あがこひざらむ
   
  17/3892
原文 伊蘇其登尓 海夫乃<釣>船 波氐尓家里 我船波氐牟 伊蘇乃之良奈久
訓読 礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく
仮名 いそごとに あまのつりぶね はてにけり わがふねはてむ いそのしらなく
   
  17/3893
原文 昨日許曽 敷奈R婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母
訓読 昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも
仮名 きのふこそ ふなではせしか いさなとり ひぢきのなだを けふみつるかも
   
  17/3894
原文 淡路嶋 刀和多流船乃 可治麻尓毛 吾波和須礼受 伊弊乎之曽於毛布
訓読 淡路島門渡る船の楫間にも我れは忘れず家をしぞ思ふ
仮名 あはぢしま とわたるふねの かぢまにも われはわすれず いへをしぞおもふ
   
  17/3895
原文 多麻波夜須 武庫能和多里尓 天傳 日能久礼由氣<婆> 家乎之曽於毛布
訓読 たまはやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ
仮名 たまはやす むこのわたりに あまづたふ ひのくれゆけば いへをしぞおもふ
   
  17/3896
原文 家尓底母 多由多敷命 浪乃宇倍尓 思之乎礼波 於久香之良受母 [一云 宇伎氐之乎礼八]
訓読 家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥か知らずも [一云 浮きてし居れば]
仮名 いへにても たゆたふいのち なみのうへに おもひしをれば おくかしらずも [うきてしをれば]
   
  17/3897
原文 大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒<良>波母
訓読 大海の奥かも知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
仮名 おほうみの おくかもしらず ゆくわれを いつきまさむと とひしこらはも
   
  17/3898
原文 大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 歌乞和我世
訓読 大船の上にし居れば天雲のたどきも知らず歌ひこそ我が背
仮名 おほぶねの うへにしをれば あまくもの たどきもしらず うたひこそわがせ
   
  17/3899
原文 海未通女 伊射里多久火能 於煩保之久 都努乃松原 於母保由流可<問>
訓読 海人娘子漁り焚く火のおぼほしく角の松原思ほゆるかも
仮名 あまをとめ いざりたくひの おぼほしく つののまつばら おもほゆるかも
   
  17/3900
原文 多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流
訓読 織女し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる
仮名 たなばたし ふなのりすらし まそかがみ きよきつくよに くもたちわたる
  大伴家持
   
  17/3901
原文 民布由都藝 芳流波吉多礼登 烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠<久>人毛奈之
訓読 み冬継ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば招く人もなし
仮名 みふゆつぎ はるはきたれど うめのはな きみにしあらねば をくひともなし
  大伴書持
   
  17/3902
原文 烏梅乃花 美夜万等之美尓 安里登母也 如此乃未君波 見礼登安可尓勢牟
訓読 梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
仮名 うめのはな みやまとしみに ありともや かくのみきみは みれどあかにせむ
  大伴書持
   
  17/3903
原文 春雨尓 毛延之楊奈疑可 烏梅乃花 登母尓於久礼奴 常乃物能香聞
訓読 春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
仮名 はるさめに もえしやなぎか うめのはな ともにおくれぬ つねのものかも
  大伴書持
   
  17/3904
原文 宇梅能花 伊都波乎良自等 伊登波祢登 佐吉乃盛波 乎思吉物奈利
訓読 梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
仮名 うめのはな いつはをらじと いとはねど さきのさかりは をしきものなり
  大伴書持
   
  17/3905
原文 遊内乃 多努之吉庭尓 梅柳 乎理加謝思底<婆> 意毛比奈美可毛
訓読 遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも
仮名 あそぶうちの たのしきにはに うめやなぎ をりかざしてば おもひなみかも
  大伴書持
   
  17/3906
原文 御苑布能 百木乃宇梅乃 落花之 安米尓登妣安我里 雪等敷里家牟
訓読 御園生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪と降りけむ
仮名 みそのふの ももきのうめの ちるはなし あめにとびあがり ゆきとふりけむ
  大伴書持
   
  17/3907
原文 山背乃 久<邇>能美夜古波 春佐礼播 花<咲>乎々理 秋<左>礼婆 黄葉尓保<比> 於婆勢流 泉河乃 可美都瀬尓 宇知橋和多之 余登瀬尓波 宇枳橋和多之 安里我欲比 都加倍麻都良武 万代麻弖尓
訓読 山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに
仮名 やましろの くにのみやこは はるされば はなさきををり あきされば もみちばにほひ おばせる いづみのかはの かみつせに うちはしわたし よどせには うきはしわたし ありがよひ つかへまつらむ よろづよまでに
  境部老麻呂
   
  17/3908
原文 楯並而 伊豆美乃河波乃 水緒多要受 都可倍麻都良牟 大宮所
訓読 たたなめて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮ところ
仮名 たたなめて いづみのかはの みをたえず つかへまつらむ おほみやところ
  境部老麻呂
   
  17/3909
原文 多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟
訓読 橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
仮名 たちばなは とこはなにもが ほととぎす すむときなかば きかぬひなけむ
  大伴書持
   
  17/3910
原文 珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
訓読 玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
仮名 たまにぬく あふちをいへに うゑたらば やまほととぎす かれずこむかも
  大伴書持
   
  17/3911
原文 安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之
訓読 あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
仮名 あしひきの やまへにをれば ほととぎす このまたちくき なかぬひはなし
  大伴家持
   
  17/3912
原文 保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流
訓読 霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
仮名 ほととぎす なにのこころぞ たちばなの たまぬくつきし きなきとよむる
  大伴家持
   
  17/3913
原文 保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥
訓読 霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
仮名 ほととぎす あふちのえだに ゆきてゐば はなはちらむな たまとみるまで
  大伴家持
   
  17/3914
原文 保登等藝須 今之来鳴者 餘呂豆代尓 可多理都具倍久 所念可母
訓読 霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
仮名 ほととぎす いましきなかば よろづよに かたりつぐべく おもほゆるかも
  田口馬長
   
  17/3915
原文 安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵
訓読 あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
仮名 あしひきの やまたにこえて のづかさに いまはなくらむ うぐひすのこゑ
  山部赤人
   
  17/3916
原文 橘乃 尓保敝流香可聞 保登等藝須 奈久欲乃雨尓 宇都路比奴良牟
訓読 橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
仮名 たちばなの にほへるかかも ほととぎす なくよのあめに うつろひぬらむ
  大伴家持
   
  17/3917
原文 保登等藝須 夜音奈都可思 安美指者 花者須<具>登毛 可礼受加奈可牟
訓読 霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
仮名 ほととぎす よごゑなつかし あみささば はなはすぐとも かれずかなかむ
  大伴家持
   
  17/3918
原文 橘乃 尓保敝流苑尓 保登等藝須 鳴等比登都具 安美佐散麻之乎
訓読 橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
仮名 たちばなの にほへるそのに ほととぎす なくとひとつぐ あみささましを
  大伴家持
   
  17/3919
原文 青丹余之 奈良能美夜古波 布里奴礼登 毛等保登等藝須 不鳴安良<奈>久尓
訓読 あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
仮名 あをによし ならのみやこは ふりぬれど もとほととぎす なかずあらなくに
  大伴家持
   
  17/3920
原文 鶉鳴 布流之登比等波 於毛敝礼騰 花橘乃 尓保敷許乃屋度
訓読 鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこの宿
仮名 うづらなく ふるしとひとは おもへれど はなたちばなの にほふこのやど
  大伴家持
   
  17/3921
原文 加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里
訓読 かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
仮名 かきつばた きぬにすりつけ ますらをの きそひかりする つきはきにけり
  大伴家持
   
  17/3922
原文 布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香
訓読 降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか
仮名 ふるゆきの しろかみまでに おほきみに つかへまつれば たふとくもあるか
  橘諸兄
   
  17/3923
原文 天下 須泥尓於保比氐 布流雪乃 比加里乎見礼婆 多敷刀久母安流香
訓読 天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
仮名 あめのした すでにおほひて ふるゆきの ひかりをみれば たふとくもあるか
  紀清人
   
  17/3924
原文 山乃可比 曽許登母見延受 乎登都日毛 昨日毛今日毛 由吉能布礼々<婆>
訓読 山の狭そことも見えず一昨日も昨日も今日も雪の降れれば
仮名 やまのかひ そこともみえず をとつひも きのふもけふも ゆきのふれれば
  紀男梶
   
  17/3925
原文 新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
訓読 新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは
仮名 あらたしき としのはじめに とよのとし しるすとならし ゆきのふれるは
  葛井諸会
   
  17/3926
原文 大宮<能> 宇知尓毛刀尓毛 比賀流麻泥 零<流>白雪 見礼杼安可奴香聞
訓読 大宮の内にも外にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも
仮名 おほみやの うちにもとにも ひかるまで ふれるしらゆき みれどあかぬかも
  大伴家持
   
  17/3927
原文 久佐麻久良 多妣由久吉美乎 佐伎久安礼等 伊波比倍須恵都 安我登許能敝尓
訓読 草枕旅行く君を幸くあれと斎瓮据ゑつ我が床の辺に
仮名 くさまくら たびゆくきみを さきくあれと いはひへすゑつ あがとこのへに
  坂上郎女
   
  17/3928
原文 伊麻能<其>等 古非之久伎美我 於毛保要婆 伊可尓加母世牟 須流須邊乃奈左
訓読 今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむするすべのなさ
仮名 いまのごと こひしくきみが おもほえば いかにかもせむ するすべのなさ
  坂上郎女
   
  17/3929
原文 多妣尓伊仁思 吉美志毛都藝氐 伊米尓美由 安我加多孤悲乃 思氣家礼婆可聞
訓読 旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも
仮名 たびにいにし きみしもつぎて いめにみゆ あがかたこひの しげければかも
  坂上郎女
   
  17/3930
原文 美知乃奈加 久尓都美可未波 多妣由伎母 之思良奴伎美乎 米具美多麻波奈
訓読 道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな
仮名 みちのなか くにつみかみは たびゆきも ししらぬきみを めぐみたまはな
  坂上郎女
   
  17/3931
原文 吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母
訓読 君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
仮名 きみにより わがなはすでに たつたやま たえたるこひの しげきころかも
  平群女郎
   
  17/3932
原文 須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物
訓読 須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
仮名 すまひとの うみへつねさらず やくしほの からきこひをも あれはするかも
  平群女郎
   
  17/3933
原文 阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼
訓読 ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
仮名 ありさりて のちもあはむと おもへこそ つゆのいのちも つぎつつわたれ
  平群女郎
   
  17/3934
原文 奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思
訓読 なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし
仮名 なかなかに しなばやすけむ きみがめを みずひさならば すべなかるべし
  平群女郎
   
  17/3935
原文 許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久
訓読 隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
仮名 こもりぬの したゆこひあまり しらなみの いちしろくいでぬ ひとのしるべく
  平群女郎
   
  17/3936
原文 久佐麻久良 多妣尓之婆々々 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟
訓読 草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ我が恋ひ居らむ
仮名 くさまくら たびにしばしば かくのみや きみをやりつつ あがこひをらむ
  平群女郎
   
  17/3937
原文 草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久
訓読 草枕旅去にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく
仮名 くさまくら たびいにしきみが かへりこむ つきひをしらむ すべのしらなく
  平群女郎
   
  17/3938
原文 可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之氐
訓読 かくのみや我が恋ひ居らむぬばたまの夜の紐だに解き放けずして
仮名 かくのみや あがこひをらむ ぬばたまの よるのひもだに ときさけずして
  平群女郎
   
  17/3939
原文 佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎
訓読 里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき
仮名 さとちかく きみがなりなば こひめやと もとなおもひし あれぞくやしき
  平群女郎
   
  17/3940
原文 餘呂豆代尓 許己呂波刀氣氐 和我世古我 都美之<手>見都追 志乃備加祢都母
訓読 万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも
仮名 よろづよに こころはとけて わがせこが つみしてみつつ しのびかねつも
  平群女郎
   
  17/3941
原文 鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米氐 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武
訓読 鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ
仮名 うぐひすの なくくらたにに うちはめて やけはしぬとも きみをしまたむ
  平群女郎
   
  17/3942
原文 麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追
訓読 松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
仮名 まつのはな はなかずにしも わがせこが おもへらなくに もとなさきつつ
  平群女郎
   
  17/3943
原文 秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物
訓読 秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも
仮名 あきのたの ほむきみがてり わがせこが ふさたをりける をみなへしかも
  大伴家持
   
  17/3944
原文 乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴
訓読 をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ
仮名 をみなへし さきたるのへを ゆきめぐり きみをおもひで たもとほりきぬ
  大伴池主
   
  17/3945
原文 安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛
訓読 秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも
仮名 あきのよは あかときさむし しろたへの いもがころもで きむよしもがも
  大伴池主
   
  17/3946
原文 保登等藝須 奈伎氐須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓
訓読 霍公鳥鳴きて過ぎにし岡びから秋風吹きぬよしもあらなくに
仮名 ほととぎす なきてすぎにし をかびから あきかぜふきぬ よしもあらなくに
  大伴池主
   
  17/3947
原文 家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物
訓読 今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
仮名 けさのあさけ あきかぜさむし とほつひと かりがきなかむ ときちかみかも
  大伴家持
   
  17/3948
原文 安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓
訓読 天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
仮名 あまざかる ひなにつきへぬ しかれども ゆひてしひもを ときもあけなくに
  大伴家持
   
  17/3949
原文 安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣氐 於毛保須良米也
訓読 天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
仮名 あまざかる ひなにあるわれを うたがたも ひもときさけて おもほすらめや
  大伴池主
   
  17/3950
原文 伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母
訓読 家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
仮名 いへにして ゆひてしひもを ときさけず おもふこころを たれかしらむも
  大伴家持
   
  17/3951
原文 日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
訓読 ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
仮名 ひぐらしの なきぬるときは をみなへし さきたるのへを ゆきつつみべし
  秦八千島
   
  17/3952
原文 伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春<母> 都祢加久之見牟
訓読 妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
仮名 いもがいへに いくりのもりの ふぢのはな いまこむはるも つねかくしみむ
  玄勝
   
  17/3953
原文 鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓
訓読 雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の上に
仮名 かりがねは つかひにこむと さわくらむ あきかぜさむみ そのかはのへに
  大伴家持
   
  17/3954
原文 馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇<未>尓 与須流奈弥見尓
訓読 馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き礒廻に寄する波見に
仮名 うまなめて いざうちゆかな しぶたにの きよきいそみに よするなみみに
  大伴家持
   
  17/3955
原文 奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴
訓読 ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
仮名 ぬばたまの よはふけぬらし たまくしげ ふたがみやまに つきかたぶきぬ
  土師道良
   
  17/3956
原文 奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氐 安倍弖許藝泥米
訓読 奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
仮名 なごのあまの つりするふねは いまこそば ふなだなうちて あへてこぎでめ
  秦八千島
   
  17/3957
原文 安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氐 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氐待登 可多良比氐 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氐安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多<波>許登等可毛 <波>之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之<波>安良牟乎 <波>太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 [佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐<刀>乎由吉須疑]
訓読 天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し 我れを送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に ま幸くて 我れ帰り来む 平らけく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 我が待ち問ふに およづれの たはこととかも はしきよし 汝弟の命 なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる宿を [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 朝庭に 出で立ち平し 夕庭に 踏み平げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちたなびくと 我れに告げつる [佐保山火葬 故謂之佐保の内の里を行き過ぎ]
仮名 あまざかる ひなをさめにと おほきみの まけのまにまに いでてこし われをおくると あをによし ならやますぎて いづみがは きよきかはらに うまとどめ わかれしときに まさきくて あれかへりこむ たひらけく いはひてまてと かたらひて こしひのきはみ たまほこの みちをたどほみ やまかはの へなりてあれば こひしけく けながきものを みまくほり おもふあひだに たまづさの つかひのければ うれしみと あがまちとふに およづれの たはこととかも はしきよし なおとのみこと なにしかも ときしはあらむを はだすすき ほにいづるあきの はぎのはな にほへるやどを あさにはに いでたちならし ゆふにはに ふみたひらげず さほのうちの さとをゆきすぎ あしひきの やまのこぬれに しらくもに たちたなびくと あれにつげつる さほのうちの さとをゆきすぎ
  大伴家持
   
  17/3958
原文 麻佐吉久登 伊比氐之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
訓読 ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
仮名 まさきくと いひてしものを しらくもに たちたなびくと きけばかなしも
  大伴家持
   
  17/3959
原文 可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物<能>乎
訓読 かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
仮名 かからむと かねてしりせば こしのうみの ありそのなみも みせましものを
  大伴家持
   
  17/3960
原文 庭尓敷流 雪波知敝之久 思加乃未尓 於母比氐伎美乎 安我麻多奈久尓
訓読 庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を我が待たなくに
仮名 にはにふる ゆきはちへしく しかのみに おもひてきみを あがまたなくに
  大伴家持
   
  17/3961
原文 白浪乃 余須流伊蘇<未>乎 榜船乃 可治登流間奈久 於母保要之伎美
訓読 白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
仮名 しらなみの よするいそみを こぐふねの かぢとるまなく おもほえしきみ
  大伴家持
   
  17/3962
原文 大王能 麻氣能麻尓々々 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇<都>世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 <波>々能美許等乃 大船乃 由久良々々々尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氐 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛<波> 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氐夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氐也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武
訓読 大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離る 鄙に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き 床に臥い伏し 痛けくし 日に異に増さる たらちねの 母の命の 大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと 待たすらむ 心寂しく はしきよし 妻の命も 明けくれば 門に寄り立ち 衣手を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹も兄も 若き子どもは をちこちに 騒き泣くらむ 玉桙の 道をた遠み 間使も 遺るよしもなし 思ほしき 言伝て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに かくしてや 荒し男すらに 嘆き伏せらむ
仮名 おほきみの まけのまにまに ますらをの こころふりおこし あしひきの やまさかこえて あまざかる ひなにくだりき いきだにも いまだやすめず としつきも いくらもあらぬに うつせみの よのひとなれば うちなびき とこにこいふし いたけくし ひにけにまさる たらちねの ははのみことの おほぶねの ゆくらゆくらに したごひに いつかもこむと またすらむ こころさぶしく はしきよし つまのみことも あけくれば かどによりたち ころもでを をりかへしつつ ゆふされば とこうちはらひ ぬばたまの くろかみしきて いつしかと なげかすらむぞ いももせも わかきこどもは をちこちに さわきなくらむ たまほこの みちをたどほみ まつかひも やるよしもなし おもほしき ことつてやらず こふるにし こころはもえぬ たまきはる いのちをしけど せむすべの たどきをしらに かくしてや あらしをすらに なげきふせらむ
  大伴家持
   
  17/3963
原文 世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆
訓読 世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
仮名 よのなかは かずなきものか はるはなの ちりのまがひに しぬべきおもへば
  大伴家持
   
  17/3964
原文 山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟
訓読 山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
仮名 やまかはの そきへをとほみ はしきよし いもをあひみず かくやなげかむ
  大伴家持
   
  17/3965
原文 波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里氐加射佐武 多治可良毛我母
訓読 春の花今は盛りににほふらむ折りてかざさむ手力もがも
仮名 はるのはな いまはさかりに にほふらむ をりてかざさむ たぢからもがも
  大伴家持
   
  17/3966
原文 宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟
訓読 鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ
仮名 うぐひすの なきちらすらむ はるのはな いつしかきみと たをりかざさむ
  大伴家持
   
  17/3967
原文 夜麻我比<邇> 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氐婆 奈尓乎可於母波牟
訓読 山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
仮名 やまがひに さけるさくらを ただひとめ きみにみせてば なにをかおもはむ
  大伴池主
   
  17/3968
原文 宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母
訓読 鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
仮名 うぐひすの きなくやまぶき うたがたも きみがてふれず はなちらめやも
  大伴池主
   
  17/3969
原文 於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氐許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須<家>奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氐 多麻保許乃 美知能等保家<婆> 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花<乃> 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美<登>妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流
訓読 大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我れすら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る
仮名 おほきみの まけのまにまに しなざかる こしををさめに いでてこし ますらわれすら よのなかの つねしなければ うちなびき とこにこいふし いたけくの ひにけにませば かなしけく ここにおもひで いらなけく そこにおもひで なげくそら やすけなくに おもふそら くるしきものを あしひきの やまきへなりて たまほこの みちのとほけば まつかひも やるよしもなみ おもほしき こともかよはず たまきはる いのちをしけど せむすべの たどきをしらに こもりゐて おもひなげかひ なぐさむる こころはなしに はるはなの さけるさかりに おもふどち たをりかざさず はるののの しげみとびくく うぐひすの こゑだにきかず をとめらが はるなつますと くれなゐの あかものすその はるさめに にほひひづちて かよふらむ ときのさかりを いたづらに すぐしやりつれ しのはせる きみがこころを うるはしみ このよすがらに いもねずに けふもしめらに こひつつぞをる
  大伴家持
   
  17/3970
原文 安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氐婆 安礼古<非>米夜母
訓読 あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも
仮名 あしひきの やまさくらばな ひとめだに きみとしみてば あれこひめやも
  大伴家持
   
  17/3971
原文 夜麻扶枳能 之氣美<登>i久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛
訓読 山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
仮名 やまぶきの しげみとびくく うぐひすの こゑをきくらむ きみはともしも
  大伴家持
   
  17/3972
原文 伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思
訓読 出で立たむ力をなみと隠り居て君に恋ふるに心どもなし
仮名 いでたたむ ちからをなみと こもりゐて きみにこふるに こころどもなし
  大伴家持
   
  17/3973
原文 憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐<波>良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比<尓> 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀i等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟<等> 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良<波> 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比
訓読 大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る 鄙も治むる 大夫や なにか物思ふ あをによし 奈良道来通ふ 玉梓の 使絶えめや 隠り恋ひ 息づきわたり 下思に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 我れに告ぐらく 山びには 桜花散り 貌鳥の 間なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ
仮名 おほきみの みことかしこみ あしひきの やまのさはらず あまざかる ひなもをさむる ますらをや なにかものもふ あをによし ならぢきかよふ たまづさの つかひたえめや こもりこひ いきづきわたり したもひに なげかふわがせ いにしへゆ いひつぎくらし よのなかは かずなきものぞ なぐさむる こともあらむと さとびとの あれにつぐらく やまびには さくらばなちり かほどりの まなくしばなく はるののに すみれをつむと しろたへの そでをりかへし くれなゐの あかもすそびき をとめらは おもひみだれて きみまつと うらごひすなり こころぐし いざみにゆかな ことはたなゆひ
  大伴池主
   
  17/3974
原文 夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由
訓読 山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
仮名 やまぶきは ひにひにさきぬ うるはしと あがもふきみは しくしくおもほゆ
  大伴池主
   
  17/3975
原文 和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母
訓読 我が背子に恋ひすべながり葦垣の外に嘆かふ我れし悲しも
仮名 わがせこに こひすべながり あしかきの ほかになげかふ あれしかなしも
  大伴池主
   
  17/3976
原文 佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈
訓読 咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの山吹を見せつつもとな
仮名 さけりとも しらずしあらば もだもあらむ このやまぶきを みせつつもとな
  大伴家持
   
  17/3977
原文 安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許<曽>婆 伊米尓見要家礼
訓読 葦垣の外にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢に見えけれ
仮名 あしかきの ほかにもきみが よりたたし こひけれこそば いめにみえけれ
  大伴家持
   
  17/3978
原文 妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見<婆> 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花<乃> 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近<在>者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氐 妹我多麻久良 佐之加倍氐 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氐安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氐早見牟
訓読 妹も我れも 心は同じ たぐへれど いやなつかしく 相見れば 常初花に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我が奥妻 大君の 命畏み あしひきの 山越え野行き 天離る 鄙治めにと 別れ来し その日の極み あらたまの 年行き返り 春花の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲の 袖返しつつ 寝る夜おちず 夢には見れど うつつにし 直にあらねば 恋しけく 千重に積もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 さし交へて 寝ても来ましを 玉桙の 道はし遠く 関さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ 霍公鳥 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を よそのみも 振り放け見つつ 近江道に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家に ぬえ鳥の うら泣けしつつ 下恋に 思ひうらぶれ 門に立ち 夕占問ひつつ 我を待つと 寝すらむ妹を 逢ひてはや見む
仮名 いももあれも こころはおやじ たぐへれど いやなつかしく あひみれば とこはつはなに こころぐし めぐしもなしに はしけやし あがおくづま おほきみの みことかしこみ あしひきの やまこえぬゆき あまざかる ひなをさめにと わかれこし そのひのきはみ あらたまの としゆきがへり はるはなの うつろふまでに あひみねば いたもすべなみ しきたへの そでかへしつつ ぬるよおちず いめにはみれど うつつにし ただにあらねば こひしけく ちへにつもりぬ ちかくあらば かへりにだにも うちゆきて いもがたまくら さしかへて ねてもこましを たまほこの みちはしとほく せきさへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ ほととぎす きなかむつきに いつしかも はやくなりなむ うのはなの にほへるやまを よそのみも ふりさけみつつ あふみぢに いゆきのりたち あをによし ならのわぎへに ぬえどりの うらなけしつつ したごひに おもひうらぶれ かどにたち ゆふけとひつつ わをまつと なすらむいもを あひてはやみむ
  大伴家持
   
  17/3979
原文 安良多麻<乃> 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞
訓読 あらたまの年返るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも
仮名 あらたまの としかへるまで あひみねば こころもしのに おもほゆるかも
  大伴家持
   
  17/3980
原文 奴婆多麻乃 伊米尓<波>母等奈 安比見礼騰 多太尓安良祢婆 孤悲夜麻受家里
訓読 ぬばたまの夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり
仮名 ぬばたまの いめにはもとな あひみれど ただにあらねば こひやまずけり
  大伴家持
   
  17/3981
原文 安之比奇能 夜麻伎敝奈里氐 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里
訓読 あしひきの山きへなりて遠けども心し行けば夢に見えけり
仮名 あしひきの やまきへなりて とほけども こころしゆけば いめにみえけり
  大伴家持
   
  17/3982
原文 春花能 宇都路布麻泥尓 相見祢<婆> 月日餘美都追 伊母麻都良牟曽
訓読 春花のうつろふまでに相見ねば月日数みつつ妹待つらむぞ
仮名 はるはなの うつろふまでに あひみねば つきひよみつつ いもまつらむぞ
  大伴家持
   
  17/3983
原文 安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴
訓読 あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
仮名 あしひきの やまもちかきを ほととぎす つきたつまでに なにかきなかぬ
  大伴家持
   
  17/3984
原文 多麻尓奴久 波奈多知<婆>奈乎 等毛之美思 己能和我佐刀尓 伎奈可受安流良之
訓読 玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に来鳴かずあるらし
仮名 たまにぬく はなたちばなを ともしみし このわがさとに きなかずあるらし
  大伴家持
   
  17/3985
原文 伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉<能>葉乃 尓保敝流等伎尓 出立氐 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氐之努波米
訓読 射水川 い行き廻れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統め神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒礒に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
仮名 いみづがは いゆきめぐれる たまくしげ ふたがみやまは はるはなの さけるさかりに あきのはの にほへるときに いでたちて ふりさけみれば かむからや そこばたふとき やまからや みがほしからむ すめかみの すそみのやまの しぶたにの さきのありそに あさなぎに よするしらなみ ゆふなぎに みちくるしほの いやましに たゆることなく いにしへゆ いまのをつつに かくしこそ みるひとごとに かけてしのはめ
  大伴家持
   
  17/3986
原文 之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由
訓読 渋谿の崎の荒礒に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ
仮名 しぶたにの さきのありそに よするなみ いやしくしくに いにしへおもほゆ
  大伴家持
   
  17/3987
原文 多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里
訓読 玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
仮名 たまくしげ ふたがみやまに なくとりの こゑのこひしき ときはきにけり
  大伴家持
   
  17/3988
原文 奴婆多麻<乃> 都奇尓牟加比氐 保登等藝須 奈久於登波流氣之 佐刀騰保美可聞
訓読 ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも
仮名 ぬばたまの つきにむかひて ほととぎす なくおとはるけし さとどほみかも
  大伴家持
   
  17/3989
原文 奈呉能宇美能 意吉都之良奈美 志苦思苦尓 於毛保要武可母 多知和可礼奈<婆>
訓読 奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
仮名 なごのうみの おきつしらなみ しくしくに おもほえむかも たちわかれなば
  大伴家持
   
  17/3990
原文 和<我>勢故波 多麻尓母我毛奈 手尓麻伎氐 見都追由可牟乎 於吉氐伊加婆乎思
訓読 我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し
仮名 わがせこは たまにもがもな てにまきて みつつゆかむを おきていかばをし
  大伴家持
   
  17/3991
原文 物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氐 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義氐 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氐 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻<未>尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等
訓読 もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒礒に寄する 渋谿の 崎た廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮け据ゑて 沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば 渚には あぢ群騒き 島廻には 木末花咲き ここばくも 見のさやけきか 玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
仮名 もののふの やそとものをの おもふどち こころやらむと うまなめて うちくちぶりの しらなみの ありそによする しぶたにの さきたもとほり まつだえの ながはますぎて うなひがは きよきせごとに うかはたち かゆきかくゆき みつれども そこもあかにと ふせのうみに ふねうけすゑて おきへこぎ へにこぎみれば なぎさには あぢむらさわき しまみには こぬれはなさき ここばくも みのさやけきか たまくしげ ふたがみやまに はふつたの ゆきはわかれず ありがよひ いやとしのはに おもふどち かくしあそばむ いまもみるごと
  大伴家持
   
  17/3992
原文 布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思<努>播牟
訓読 布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ
仮名 ふせのうみの おきつしらなみ ありがよひ いやとしのはに みつつしのはむ
  大伴家持
   
  17/3993
原文 布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲<妣>可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氐尓麻吉母知弖 宇良具波之 布<勢>能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布<理>可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 <波>奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也
訓読 藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川 港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 夫呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿の 荒礒の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒りに 蘰に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海に 海人船に ま楫掻い貫き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
仮名 ふぢなみは さきてちりにき うのはなは いまぞさかりと あしひきの やまにものにも ほととぎす なきしとよめば うちなびく こころもしのに そこをしも うらごひしみと おもふどち うまうちむれて たづさはり いでたちみれば いみづがは みなとのすどり あさなぎに かたにあさりし しほみてば つまよびかはす ともしきに みつつすぎゆき しぶたにの ありそのさきに おきつなみ よせくるたまも かたよりに かづらにつくり いもがため てにまきもちて うらぐはし ふせのみづうみに あまぶねに まかぢかいぬき しろたへの そでふりかへし あどもひて わがこぎゆけば をふのさき はなちりまがひ なぎさには あしがもさわき さざれなみ たちてもゐても こぎめぐり みれどもあかず あきさらば もみちのときに はるさらば はなのさかりに かもかくも きみがまにまと かくしこそ みもあきらめめ たゆるひあらめや
  大伴池主
   
  17/3994
原文 之良奈美能 与世久流多麻毛 余能安比太母 都藝弖民仁許武 吉欲伎波麻備乎
訓読 白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜びを
仮名 しらなみの よせくるたまも よのあひだも つぎてみにこむ きよきはまびを
  大伴池主
   
  17/3995
原文 多麻保許乃 美知尓伊泥多知 和可礼奈婆 見奴日佐麻祢美 孤悲思家武可母 [一云 不見日久弥 戀之家牟加母]
訓読 玉桙の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも [一云 見ぬ日久しみ恋しけむかも]
仮名 たまほこの みちにいでたち わかれなば みぬひさまねみ こひしけむかも [みぬひひさしみ こひしけむかも]
  大伴家持
   
  17/3996
原文 和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母
訓読 我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月は寂しけむかも
仮名 わがせこが くにへましなば ほととぎす なかむさつきは さぶしけむかも
  内蔵縄麻呂
   
  17/3997
原文 安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢
訓読 我れなしとなわび我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を貫かさね
仮名 あれなしと なわびわがせこ ほととぎす なかむさつきは たまをぬかさね
  大伴家持
   
  17/3998
原文 和我夜度能 花橘乎 波奈其米尓 多麻尓曽安我奴久 麻多婆苦流之美
訓読 我が宿の花橘を花ごめに玉にぞ我が貫く待たば苦しみ
仮名 わがやどの はなたちばなを はなごめに たまにぞあがぬく またばくるしみ
   
  17/3999
原文 美夜故敝尓 多都日知可豆久 安久麻弖尓 安比見而由可奈 故布流比於保家牟
訓読 都辺に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ
仮名 みやこへに たつひちかづく あくまでに あひみてゆかな こふるひおほけむ
  大伴家持
   
  17/4000
原文 安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波々之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於<婆>勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余<増>能未母 布利佐氣見都々 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未<母>伎吉氐 登母之夫流我祢
訓読 天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多に行けども 統め神の 領きいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに よそのみも 振り放け見つつ 万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね
仮名 あまざかる ひなになかかす こしのなか くぬちことごと やまはしも しじにあれども かははしも さはにゆけども すめかみの うしはきいます にひかはの そのたちやまに とこなつに ゆきふりしきて おばせる かたかひがはの きよきせに あさよひごとに たつきりの おもひすぎめや ありがよひ いやとしのはに よそのみも ふりさけみつつ よろづよの かたらひぐさと いまだみぬ ひとにもつげむ おとのみも なのみもききて ともしぶるがね
  大伴家持
   
  17/4001
原文 多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之
訓読 立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし
仮名 たちやまに ふりおけるゆきを とこなつに みれどもあかず かむからならし
  大伴家持
   
  17/4002
原文 可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟
訓読 片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む
仮名 かたかひの かはのせきよく ゆくみづの たゆることなく ありがよひみむ
  大伴家持
   
  17/4003
原文 阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽々理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代經尓家牟 多知氐為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈i吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加<波>之多要受波
訓読 朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れども異し 峰高み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは
仮名 あさひさし そがひにみゆる かむながら みなにおばせる しらくもの ちへをおしわけ あまそそり たかきたちやま ふゆなつと わくこともなく しろたへに ゆきはふりおきて いにしへゆ ありきにければ こごしかも いはのかむさび たまきはる いくよへにけむ たちてゐて みれどもあやし みねだかみ たにをふかみと おちたぎつ きよきかふちに あささらず きりたちわたり ゆふされば くもゐたなびき くもゐなす こころもしのに たつきりの おもひすぐさず ゆくみづの おともさやけく よろづよに いひつぎゆかむ かはしたえずは
  大伴池主
   
  17/4004
原文 多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽
訓読 立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとぞ
仮名 たちやまに ふりおけるゆきの とこなつに けずてわたるは かむながらとぞ
  大伴池主
   
  17/4005
原文 於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟
訓読 落ちたぎつ片貝川の絶えぬごと今見る人もやまず通はむ
仮名 おちたぎつ かたかひがはの たえぬごと いまみるひとも やまずかよはむ
  大伴池主
   
  17/4006
原文 可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氐流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈<婆> 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加<婆>乎<思>
訓読 かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も 同じときはに はしきよし 我が背の君を 朝去らず 逢ひて言どひ 夕されば 手携はりて 射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば 東風の風 いたくし吹けば 港には 白波高み 妻呼ぶと 渚鳥は騒く 葦刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 楫の音高し そこをしも あやに羨しみ 偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇の 食す国なれば 御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども 玉桙の 道行く我れは 白雲の たなびく山を 岩根踏み 越えへなりなば 恋しけく 日の長けむぞ そこ思へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ貫く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
仮名 かきかぞふ ふたがみやまに かむさびて たてるつがのき もともえも おやじときはに はしきよし わがせのきみを あささらず あひてことどひ ゆふされば てたづさはりて いみづがは きよきかふちに いでたちて わがたちみれば あゆのかぜ いたくしふけば みなとには しらなみたかみ つまよぶと すどりはさわく あしかると あまのをぶねは いりえこぐ かぢのおとたかし そこをしも あやにともしみ しのひつつ あそぶさかりを すめろきの をすくになれば みこともち たちわかれなば おくれたる きみはあれども たまほこの みちゆくわれは しらくもの たなびくやまを いはねふみ こえへなりなば こひしけく けのながけむぞ そこもへば こころしいたし ほととぎす こゑにあへぬく たまにもが てにまきもちて あさよひに みつつゆかむを おきていかばをし
  大伴家持
   
  17/4007
原文 和我勢故<波> 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟
訓読 我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ
仮名 わがせこは たまにもがもな ほととぎす こゑにあへぬき てにまきてゆかむ
  大伴家持
   
  17/4008
原文 安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢氐 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 <祢>能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊<波><婆>由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽
訓読 あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居れば 思ひ遣る こともありしを 大君の 命畏み 食す国の 事取り持ちて 若草の 足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて 見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山 手向けの神に 幣奉り 我が祈ひ祷まく はしけやし 君が直香を ま幸くも ありた廻り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ
仮名 あをによし ならをきはなれ あまざかる ひなにはあれど わがせこを みつつしをれば おもひやる こともありしを おほきみの みことかしこみ をすくにの こととりもちて わかくさの あゆひたづくり むらとりの あさだちいなば おくれたる あれやかなしき たびにゆく きみかもこひむ おもふそら やすくあらねば なげかくを とどめもかねて みわたせば うのはなやまの ほととぎす ねのみしなかゆ あさぎりの みだるるこころ ことにいでて いはばゆゆしみ となみやま たむけのかみに ぬさまつり あがこひのまく はしけやし きみがただかを まさきくも ありたもとほり つきたたば ときもかはさず なでしこが はなのさかりに あひみしめとぞ
  大伴池主
   
  17/4009
原文 多麻保許<乃> 美知能可<未>多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余
訓読 玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ
仮名 たまほこの みちのかみたち まひはせむ あがおもふきみを なつかしみせよ
  大伴池主
   
  17/4010
原文 宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈々々見牟
訓読 うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
仮名 うらごひし わがせのきみは なでしこが はなにもがもな あさなさなみむ
  大伴池主
   
  17/4011
原文 大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左<加>利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其<等>尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼<婆> 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 [大黒者蒼鷹之名也] 之良奴里<能> 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多氐 暮猟尓 知登理布美多氐 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎氐 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要氐 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊<伎>豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎氐母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵氐 知波夜夫流 神社尓 氐流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等<妣>多毛登保里 安之我母<乃> 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃<乎>知<波> 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流
訓読 大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る 鄙にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が伴は 行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば 野も多に 鳥すだけりと 大夫の 友誘ひて 鷹はしも あまたあれども 矢形尾の 我が大黒に [大黒者蒼鷹之名也] 白塗の 鈴取り付けて 朝猟に 五百つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に 許すことなく 手放れも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さ慣らへる 鷹はなけむと 心には 思ひほこりて 笑まひつつ 渡る間に 狂れたる 醜つ翁の 言だにも 我れには告げず との曇り 雨の降る日を 鳥猟すと 名のみを告りて 三島野を そがひに見つつ 二上の 山飛び越えて 雲隠り 翔り去にきと 帰り来て しはぶれ告ぐれ 招くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びた廻り 葦鴨の すだく古江に 一昨日も 昨日もありつ 近くあらば いま二日だみ 遠くあらば 七日のをちは 過ぎめやも 来なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告げつる
仮名 おほきみの とほのみかどぞ みゆきふる こしとなにおへる あまざかる ひなにしあれば やまたかみ かはとほしろし のをひろみ くさこそしげき あゆはしる なつのさかりと しまつとり うかひがともは ゆくかはの きよきせごとに かがりさし なづさひのぼる つゆしもの あきにいたれば のもさはに とりすだけりと ますらをの ともいざなひて たかはしも あまたあれども やかたをの あがおほぐろに しらぬりの すずとりつけて あさがりに いほつとりたて ゆふがりに ちとりふみたて おふごとに ゆるすことなく たばなれも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さならへる たかはなけむと こころには おもひほこりて ゑまひつつ わたるあひだに たぶれたる しこつおきなの ことだにも われにはつげず とのくもり あめのふるひを とがりすと なのみをのりて みしまのを そがひにみつつ ふたがみの やまとびこえて くもがくり かけりいにきと かへりきて しはぶれつぐれ をくよしの そこになければ いふすべの たどきをしらに こころには ひさへもえつつ おもひこひ いきづきあまり けだしくも あふことありやと あしひきの をてもこのもに となみはり もりへをすゑて ちはやぶる かみのやしろに てるかがみ しつにとりそへ こひのみて あがまつときに をとめらが いめにつぐらく ながこふる そのほつたかは まつだえの はまゆきくらし つなしとる ひみのえすぎて たこのしま とびたもとほり あしがもの すだくふるえに をとつひも きのふもありつ ちかくあらば いまふつかだみ とほくあらば なぬかのをちは すぎめやも きなむわがせこ ねもころに なこひそよとぞ いまにつげつる
  大伴家持
   
  17/4012
原文 矢形尾能 多加乎手尓須恵 美之麻野尓 可良奴日麻祢久 都奇曽倍尓家流
訓読 矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月ぞ経にける
仮名 やかたをの たかをてにすゑ みしまのに からぬひまねく つきぞへにける
  大伴家持
   
  17/4013
原文 二上能 乎弖母許能母尓 安美佐之弖 安我麻都多可乎 伊米尓都氣追母
訓読 二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも
仮名 ふたがみの をてもこのもに あみさして あがまつたかを いめにつげつも
  大伴家持
   
  17/4014
原文 麻追我敝里 之比尓弖安礼可母 佐夜麻太乃 乎治我其日尓 母等米安波受家牟
訓読 松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ
仮名 まつがへり しひにてあれかも さやまだの をぢがそのひに もとめあはずけむ
  大伴家持
   
  17/4015
原文 情尓波 由流布許等奈久 須加能夜麻 須加奈久能未也 孤悲和多利奈牟
訓読 心には緩ふことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ
仮名 こころには ゆるふことなく すかのやま すかなくのみや こひわたりなむ
  大伴家持
   
  17/4016
原文 賣比能野能 須々吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊
訓読 婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ
仮名 めひののの すすきおしなべ ふるゆきに やどかるけふし かなしくおもほゆ
   
  17/4017
原文 東風 [越俗語東風謂<之>安由乃可是也] 伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫祢 許藝可久流見由
訓読 あゆの風 [越俗語東風謂之あゆの風是也] いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小船漕ぎ隠る見ゆ
仮名 あゆのかぜ いたくふくらし なごのあまの つりするをぶね こぎかくるみゆ
  大伴家持
   
  17/4018
原文 美奈刀可是 佐牟久布久良之 奈呉乃江尓 都麻欲<妣>可波之 多豆左波尓奈久 [一云 多豆佐和久奈里]
訓読 港風寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交し鶴多に鳴く [一云 鶴騒くなり]
仮名 みなとかぜ さむくふくらし なごのえに つまよびかはし たづさはになく [たづさわくなり]
  大伴家持
   
  17/4019
原文 安麻射可流 比奈等毛之流久 許己太久母 之氣伎孤悲可毛 奈具流日毛奈久
訓読 天離る鄙ともしるくここだくも繁き恋かもなぐる日もなく
仮名 あまざかる ひなともしるく ここだくも しげきこひかも なぐるひもなく
  大伴家持
   
  17/4020
原文 故之能宇美能 信濃[濱名也]乃波麻乎 由伎久良之 奈我伎波流比毛 和須礼弖於毛倍也
訓読 越の海の信濃[濱名也]の浜を行き暮らし長き春日も忘れて思へや
仮名 こしのうみの しなぬのはまを ゆきくらし ながきはるひも わすれておもへや
  大伴家持
   
  17/4021
原文 乎加未河<泊> 久礼奈為尓保布 乎等賣良之 葦附[水松之類]等流登 湍尓多々須良之
訓読 雄神川紅にほふ娘子らし葦付[水松之類]取ると瀬に立たすらし
仮名 をかみがは くれなゐにほふ をとめらし あしつきとると せにたたすらし
  大伴家持
   
  17/4022
原文 宇佐可河<泊> 和多流瀬於保美 許乃安我馬乃 安我枳乃美豆尓 伎<奴>々礼尓家里
訓読 鵜坂川渡る瀬多みこの我が馬の足掻きの水に衣濡れにけり
仮名 うさかがは わたるせおほみ このあがまの あがきのみづに きぬぬれにけり
  大伴家持
   
  17/4023
原文 賣比河波能 波夜伎瀬其等尓 可我里佐之 夜蘇登毛乃乎波 宇加波多知家里
訓読 婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり
仮名 めひがはの はやきせごとに かがりさし やそとものをは うかはたちけり
  大伴家持
   
  17/4024
原文 多知夜麻乃 由吉之久良之毛 波比都奇能 可波能和多理瀬 安夫美都加須毛
訓読 立山の雪し消らしも延槻の川の渡り瀬鐙漬かすも
仮名 たちやまの ゆきしくらしも はひつきの かはのわたりせ あぶみつかすも
  大伴家持
   
  17/4025
原文 之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈藝思多理 船梶母我毛
訓読 志雄路から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり船楫もがも
仮名 しをぢから ただこえくれば はくひのうみ あさなぎしたり ふなかぢもがも
  大伴家持
   
  17/4026
原文 登夫佐多氐 船木伎流等伊<布> 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曽
訓読 鳥総立て船木伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神びぞ
仮名 とぶさたて ふなききるといふ のとのしまやま けふみれば こだちしげしも いくよかむびぞ
  大伴家持
   
  17/4027
原文 香嶋欲里 久麻吉乎左之氐 許具布祢能 河治等流間奈久 京<師>之於母<倍>由
訓読 香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
仮名 かしまより くまきをさして こぐふねの かぢとるまなく みやこしおもほゆ
  大伴家持
   
  17/4028
原文 伊母尓安波受 比左思久奈里奴 尓藝之河波 伎欲吉瀬其登尓 美奈宇良波倍弖奈
訓読 妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占延へてな
仮名 いもにあはず ひさしくなりぬ にぎしがは きよきせごとに みなうらはへてな
  大伴家持
   
  17/4029
原文 珠洲能宇美尓 安佐<妣>良伎之弖 許藝久礼婆 奈我<波>麻能宇良尓 都奇氐理尓家里
訓読 珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり
仮名 すずのうみに あさびらきして こぎくれば ながはまのうらに つきてりにけり
  大伴家持
   
  17/4030
原文 宇具比須波 伊麻波奈可牟等 可多麻氐<婆> 可須美多奈妣吉 都奇波倍尓都追
訓読 鴬は今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は経につつ
仮名 うぐひすは いまはなかむと かたまてば かすみたなびき つきはへにつつ
  大伴家持
   
  17/4031
原文 奈加等美乃 敷刀能里<等其>等 伊比波良倍 安<賀>布伊能知毛 多我多米尓奈礼
訓読 中臣の太祝詞言言ひ祓へ贖ふ命も誰がために汝れ
仮名 なかとみの ふとのりとごと いひはらへ あかふいのちも たがためになれ
  大伴家持
   

第十八巻

   
   18/4032
原文 奈呉乃宇美尓 布祢之麻志可勢 於伎尓伊泥弖 奈美多知久夜等 見底可敝利許牟
訓読 奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む
仮名 なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみたちくやと みてかへりこむ
  田辺福麻呂
   
  18/4033
原文 奈美多<底>波 奈呉能宇良<未>尓 余流可比乃 末奈伎孤悲尓曽 等之波倍尓家流
訓読 波立てば奈呉の浦廻に寄る貝の間なき恋にぞ年は経にける
仮名 なみたてば なごのうらみに よるかひの まなきこひにぞ としはへにける
  田辺福麻呂
   
  18/4034
原文 奈呉能宇美尓 之保能波夜非波 安佐里之尓 伊<泥>牟等多豆波 伊麻曽奈久奈流
訓読 奈呉の海に潮の早干ばあさりしに出でむと鶴は今ぞ鳴くなる
仮名 なごのうみに しほのはやひば あさりしに いでむとたづは いまぞなくなる
  田辺福麻呂
   
  18/4035
原文 保等登藝須 伊等布登伎奈之 安夜賣具左 加豆良尓<勢>武日 許由奈伎和多礼
訓読 霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
仮名 ほととぎす いとふときなし あやめぐさ かづらにせむひ こゆなきわたれ
  田辺福麻呂
   
  18/4036
原文 伊可尓安流 布勢能宇良曽毛 許己太久尓 吉民我弥世武等 和礼乎等登牟流
訓読 いかにある布勢の浦ぞもここだくに君が見せむと我れを留むる
仮名 いかにある ふせのうらぞも ここだくに きみがみせむと われをとどむる
  田辺福麻呂
   
  18/4037
原文 乎敷乃佐吉 許藝多母等保里 比祢毛須尓 美等母安久倍伎 宇良尓安良奈久尓 [一云 伎美我等波須母]
訓読 乎布の崎漕ぎた廻りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに [一云 君が問はすも]
仮名 をふのさき こぎたもとほり ひねもすに みともあくべき うらにあらなくに [きみがとはすも]
  大伴家持
   
  18/4038
原文 多麻久之氣 伊都之可安氣牟 布勢能宇美能 宇良乎由伎都追 多麻母比利波牟
訓読 玉櫛笥いつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉も拾はむ
仮名 たまくしげ いつしかあけむ ふせのうみの うらをゆきつつ たまもひりはむ
  田辺福麻呂
   
  18/4039
原文 於等能未尓 伎吉底目尓見奴 布勢能宇良乎 見受波能保良自 等之波倍奴等母
訓読 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上らじ年は経ぬとも
仮名 おとのみに ききてめにみぬ ふせのうらを みずはのぼらじ としはへぬとも
  田辺福麻呂
   
  18/4040
原文 布勢能宇良乎 由<吉>底之見弖婆 毛母之綺能 於保美夜比等尓 可多利都藝底牟
訓読 布勢の浦を行きてし見てばももしきの大宮人に語り継ぎてむ
仮名 ふせのうらを ゆきてしみてば ももしきの おほみやひとに かたりつぎてむ
  田辺福麻呂
   
  18/4041
原文 宇梅能波奈 佐伎知流曽能尓 和礼由可牟 伎美我都可比乎 可多麻知我底良
訓読 梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてら
仮名 うめのはな さきちるそのに われゆかむ きみがつかひを かたまちがてら
  田辺福麻呂
   
  18/4042
原文 敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登<藝>須 奈久倍<吉>登伎尓 知可豆伎尓家里
訓読 藤波の咲き行く見れば霍公鳥鳴くべき時に近づきにけり
仮名 ふぢなみの さきゆくみれば ほととぎす なくべきときに ちかづきにけり
  田辺福麻呂
   
  18/4043
原文 安須能比能 敷勢能宇良<未>能 布治奈美尓 氣太之伎奈可<受> 知良之底牟可母 [一頭云 保等登藝須]
訓読 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも [一頭云 霍公鳥]
仮名 あすのひの ふせのうらみの ふぢなみに けだしきなかず ちらしてむかも [ほととぎす]
  大伴家持
   
  18/4044
原文 波萬部余里 和我宇知由可波 宇美邊欲<里> 牟可倍母許奴可 安麻能都里夫祢
訓読 浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人の釣舟
仮名 はまへより わがうちゆかば うみへより むかへもこぬか あまのつりぶね
  大伴家持
   
  18/4045
原文 於伎敝欲里 美知久流之保能 伊也麻之尓 安我毛布支見我 弥不根可母加礼
訓読 沖辺より満ち来る潮のいや増しに我が思ふ君が御船かもかれ
仮名 おきへより みちくるしほの いやましに あがもふきみが みふねかもかれ
  大伴家持
   
  18/4046
原文 可牟佐夫流 多流比女能佐吉 許支米具利 見礼登<毛>安可受 伊加尓和礼世牟
訓読 神さぶる垂姫の崎漕ぎ廻り見れども飽かずいかに我れせむ
仮名 かむさぶる たるひめのさき こぎめぐり みれどもあかず いかにわれせむ
  田辺福麻呂
   
  18/4047
原文 多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢<牟>
訓読 垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
仮名 たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ
  遊行女婦土師
   
  18/4048
原文 多流比女能 宇良乎許具不祢 可治末尓母 奈良野和藝<弊>乎 和須礼氐於毛倍也
訓読 垂姫の浦を漕ぐ舟梶間にも奈良の我家を忘れて思へや
仮名 たるひめの うらをこぐふね かぢまにも ならのわぎへを わすれておもへや
  大伴家持
   
  18/4049
原文 於呂可尓曽 和礼波於母比之 乎不乃宇良能 安利蘇野米具利 見礼度安可須介利
訓読 おろかにぞ我れは思ひし乎布の浦の荒礒の廻り見れど飽かずけり
仮名 おろかにぞ われはおもひし をふのうらの ありそのめぐり みれどあかずけり
  田辺福麻呂
   
  18/4050
原文 米豆良之伎 吉美我伎麻佐婆 奈家等伊比之 夜麻保<登等>藝須 奈尓加伎奈可奴
訓読 めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ
仮名 めづらしき きみがきまさば なけといひし やまほととぎす なにかきなかぬ
  久米広縄
   
  18/4051
原文 多胡乃佐伎 許能久礼之氣尓 保登等藝須 伎奈伎等余米<婆> 波太古非米夜母
訓読 多古の崎木の暗茂に霍公鳥来鳴き響めばはだ恋ひめやも
仮名 たこのさき このくれしげに ほととぎす きなきとよめば はだこひめやも
  大伴家持
   
  18/4052
原文 保登等藝須 伊麻奈可受之弖 安須古要牟 夜麻尓奈久等母 之流思安良米夜母
訓読 霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも
仮名 ほととぎす いまなかずして あすこえむ やまになくとも しるしあらめやも
  田辺福麻呂
   
  18/4053
原文 許能久礼尓 奈里奴流母能乎 保等登藝須 奈尓加伎奈可奴 伎美尓安敝流等吉
訓読 木の暗になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時
仮名 このくれに なりぬるものを ほととぎす なにかきなかぬ きみにあへるとき
  久米広縄
   
  18/4054
原文 保等登藝須 許欲奈枳和多礼 登毛之備乎 都久欲尓奈蘇倍 曽能可氣母見牟
訓読 霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む
仮名 ほととぎす こよなきわたれ ともしびを つくよになそへ そのかげもみむ
  大伴家持
   
  18/4055
原文 可敝流<未>能 美知由可牟日波 伊都波多野 佐<可>尓蘇泥布礼 和礼乎事於毛<波>婆
訓読 可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我れをし思はば
仮名 かへるみの みちゆかむひは いつはたの さかにそでふれ われをしおもはば
  大伴家持
   
  18/4056
原文 保里江尓波 多麻之可麻之乎 大皇乎 美敷祢許我牟登 可年弖之里勢婆
訓読 堀江には玉敷かましを大君を御船漕がむとかねて知りせば
仮名 ほりえには たましかましを おほきみを みふねこがむと かねてしりせば
  橘諸兄
   
  18/4057
原文 多萬之賀受 伎美我久伊弖伊布 保里江尓波 多麻之伎美弖々 都藝弖可欲波牟 [或云 多麻古伎之伎弖]
訓読 玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には玉敷き満てて継ぎて通はむ [或云 玉扱き敷きて]
仮名 たましかず きみがくいていふ ほりえには たましきみてて つぎてかよはむ [たまこきしきて]
  元正天皇
   
  18/4058
原文 多知婆奈能 登乎能多知<婆>奈 夜都代尓母 安礼波和須礼自 許乃多知婆奈乎
訓読 橘のとをの橘八つ代にも我れは忘れじこの橘を
仮名 たちばなの とをのたちばな やつよにも あれはわすれじ このたちばなを
  元正天皇
   
  18/4059
原文 多知婆奈能 之多泥流尓波尓 等能多弖天 佐可弥豆伎伊麻須 和我於保伎美可母
訓読 橘の下照る庭に殿建てて酒みづきいます我が大君かも
仮名 たちばなの したでるにはに とのたてて さかみづきいます わがおほきみかも
  河内女王
   
  18/4060
原文 都奇麻知弖 伊敝尓波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣尓見要都追
訓読 月待ちて家には行かむ我が插せる赤ら橘影に見えつつ
仮名 つきまちて いへにはゆかむ わがさせる あからたちばな かげにみえつつ
  粟田女王
   
  18/4061
原文 保里江欲里 水乎妣吉之都追 美布祢左須 之津乎能登母波 加波能瀬麻宇勢
訓読 堀江より水脈引きしつつ御船さすしづ男の伴は川の瀬申せ
仮名 ほりえより みをびきしつつ みふねさす しつをのともは かはのせまうせ
   
  18/4062
原文 奈都乃欲波 美知多豆多都之 布祢尓能里 可波乃瀬其等尓 佐乎左指能保礼
訓読 夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ
仮名 なつのよは みちたづたづし ふねにのり かはのせごとに さをさしのぼれ
   
  18/4063
原文 等許余物能 己能多知婆奈能 伊夜弖里尓 和期大皇波 伊麻毛見流其登
訓読 常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見るごと
仮名 とこよもの このたちばなの いやてりに わごおほきみは いまもみるごと
  大伴家持
   
  18/4064
原文 大皇波 等吉波尓麻佐牟 多知婆奈能 等能乃多知婆奈 比多底里尓之弖
訓読 大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして
仮名 おほきみは ときはにまさむ たちばなの とののたちばな ひたてりにして
  大伴家持
   
  18/4065
原文 安佐妣良伎 伊里江許具奈流 可治能於登乃 都波良都<婆>良尓 吾家之於母保由
訓読 朝開き入江漕ぐなる楫の音のつばらつばらに我家し思ほゆ
仮名 あさびらき いりえこぐなる かぢのおとの つばらつばらに わぎへしおもほゆ
  山上臣(山上憶良・息子)
   
  18/4066
原文 宇能花能 佐久都奇多知奴 保等登藝須 伎奈吉等与米余 敷布美多里登母
訓読 卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも
仮名 うのはなの さくつきたちぬ ほととぎす きなきとよめよ ふふみたりとも
  大伴家持
   
  18/4067
原文 敷多我美能 夜麻尓許母礼流 保等登藝須 伊麻母奈加奴香 伎美尓<伎>可勢牟
訓読 二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ
仮名 ふたがみの やまにこもれる ほととぎす いまもなかぬか きみにきかせむ
  遊行女婦土師
   
  18/4068
原文 乎里安加之母 許余比波能麻牟 保等登藝須 安氣牟安之多波 奈伎和多良牟曽 [二日應立夏節 故謂之明旦将喧也]
訓読 居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ [二日應立夏節 故謂之明旦将喧也]
仮名 をりあかしも こよひはのまむ ほととぎす あけむあしたは なきわたらむぞ
  大伴家持
   
  18/4069
原文 安須欲里波 都藝弖伎許要牟 保登等藝須 比登欲能可良尓 古非和多流加母
訓読 明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも
仮名 あすよりは つぎてきこえむ ほととぎす ひとよのからに こひわたるかも
  能登乙美
   
  18/4070
原文 比登母等能 奈泥之故宇恵之 曽能許己呂 多礼尓見世牟等 於母比曽米家牟
訓読 一本のなでしこ植ゑしその心誰れに見せむと思ひ始めけむ
仮名 ひともとの なでしこうゑし そのこころ たれにみせむと おもひそめけむ
  大伴家持
   
  18/4071
原文 之奈射可流 故之能吉美良等 可久之許曽 楊奈疑可豆良枳 多努之久安蘇婆米
訓読 しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ
仮名 しなざかる こしのきみらと かくしこそ やなぎかづらき たのしくあそばめ
  大伴家持
   
  18/4072
原文 奴<婆>多麻能 欲和多流都奇乎 伊久欲布等 余美都追伊毛波 和礼麻都良牟曽
訓読 ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と数みつつ妹は我れ待つらむぞ
仮名 ぬばたまの よわたるつきを いくよふと よみつついもは われまつらむぞ
  大伴家持
   
  18/4073
原文 都奇見礼婆 於奈自久尓奈里 夜麻許曽婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家礼
訓読 月見れば同じ国なり山こそば君があたりを隔てたりけれ
仮名 つきみれば おなじくになり やまこそば きみがあたりを へだてたりけれ
  大伴池主
   
  18/4074
原文 櫻花 今曽盛等 雖人云 我佐不之毛 支美止之不在者
訓読 桜花今ぞ盛りと人は言へど我れは寂しも君としあらねば
仮名 さくらばな いまぞさかりと ひとはいへど われはさぶしも きみとしあらねば
  大伴池主
   
  18/4075
原文 安必意毛波受 安流良牟伎美乎 安夜思苦毛 奈氣伎和多流香 比登能等布麻泥
訓読 相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで
仮名 あひおもはず あるらむきみを あやしくも なげきわたるか ひとのとふまで
  大伴池主
   
  18/4076
原文 安之比奇能 夜麻波奈久毛我 都奇見礼婆 於奈自伎佐刀乎 許己呂敝太底都
訓読 あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ
仮名 あしひきの やまはなくもが つきみれば おなじきさとを こころへだてつ
  大伴家持
   
  18/4077
原文 和我勢故我 布流伎可吉都能 佐<久>良婆奈 伊麻太敷布賣利 比等目見尓許祢
訓読 我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね
仮名 わがせこが ふるきかきつの さくらばな いまだふふめり ひとめみにこね
  大伴家持
   
  18/4078
原文 故敷等伊布波 衣毛名豆氣多理 伊布須敝能 多豆伎母奈吉波 安<我>未奈里家利
訓読 恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり
仮名 こふといふは えもなづけたり いふすべの たづきもなきは あがみなりけり
  大伴家持
   
  18/4079
原文 美之麻野尓 可須美多奈妣伎 之可須我尓 伎乃敷毛家布毛 由伎波敷里都追
訓読 三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ
仮名 みしまのに かすみたなびき しかすがに きのふもけふも ゆきはふりつつ
  大伴家持
   
  18/4080
原文 都祢比等能 故布登伊敷欲利波 安麻里尓弖 和礼波之奴倍久 奈里尓多良受也
訓読 常人の恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや
仮名 つねひとの こふといふよりは あまりにて われはしぬべく なりにたらずや
  坂上郎女
   
  18/4081
原文 可多於毛比遠 宇万尓布都麻尓 於保世母天 故事部尓夜良波 比登加多波牟可母
訓読 片思ひを馬にふつまに負ほせ持て越辺に遣らば人かたはむかも
仮名 かたおもひを うまにふつまに おほせもて こしへにやらば ひとかたはむかも
  坂上郎女
   
  18/4082
原文 安万射可流 比奈能<夜都>故尓 安米比度之 可久古非須良波 伊家流思留事安里
訓読 天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
仮名 あまざかる ひなのやつこに あめひとし かくこひすらば いけるしるしあり
  大伴家持
   
  18/4083
原文 都祢<乃>孤悲 伊麻太夜麻奴尓 美夜古欲<里> 宇麻尓古非許婆 尓奈比安倍牟可母
訓読 常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひあへむかも
仮名 つねのこひ いまだやまぬに みやこより うまにこひこば になひあへむかも
  大伴家持
   
  18/4084
原文 安可登吉尓 名能里奈久奈流 保登等藝須 伊夜米豆良之久 於毛保由流香母
訓読 暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも
仮名 あかときに なのりなくなる ほととぎす いやめづらしく おもほゆるかも
  大伴家持
   
  18/4085
原文 夜伎多知乎 刀奈美能勢伎尓 安須欲里波 毛利敝夜里蘇倍 伎美乎<等登>米牟
訓読 焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ
仮名 やきたちを となみのせきに あすよりは もりへやりそへ きみをとどめむ
  大伴家持
   
  18/4086
原文 安夫良火<乃> 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
訓読 油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも
仮名 あぶらひの ひかりにみゆる わがかづら さゆりのはなの ゑまはしきかも
  大伴家持
   
  18/4087
原文 等毛之火能 比可里尓見由流 <左>由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎
訓読 灯火の光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき
仮名 ともしびの ひかりにみゆる さゆりばな ゆりもあはむと おもひそめてき
  内蔵縄麻呂
   
  18/4088
原文 左由理<婆>奈 由<里>毛安波牟等 於毛倍許曽 伊<末>能麻左可母 宇流波之美須礼
訓読 さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ
仮名 さゆりばな ゆりもあはむと おもへこそ いまのまさかも うるはしみすれ
  大伴家持
   
  18/4089
原文 高御座 安麻<乃>日継登 須賣呂伎能 可<未>能美許登能 伎己之乎須 久尓能麻保良尓 山乎之毛 佐波尓於保美等 百鳥能 来居弖奈久許恵 春佐礼婆 伎吉<乃> 可奈之母 伊豆礼乎可 和枳弖之努波<无> 宇能花乃 佐久月多弖婆 米都良之久 鳴保等登藝須 安夜女具佐 珠奴久麻泥尓 比流久良之 欲和多之伎氣騰 伎久其等尓 許己呂都呉枳弖 宇知奈氣伎 安波礼能登里等 伊波奴登枳奈思
訓読 高御座 天の日継と すめろきの 神の命の 聞こしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴く霍公鳥 あやめぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし
仮名 たかみくら あまのひつぎと すめろきの かみのみことの きこしをす くにのまほらに やまをしも さはにおほみと ももとりの きゐてなくこゑ はるされば ききのかなしも いづれをか わきてしのはむ うのはなの さくつきたてば めづらしく なくほととぎす あやめぐさ たまぬくまでに ひるくらし よわたしきけど きくごとに こころつごきて うちなげき あはれのとりと いはぬときなし
  大伴家持
   
  18/4090
原文 由久敝奈久 安里和多流登毛 保等登藝須 奈枳之和多良婆 可久夜思努波牟
訓読 ゆくへなくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ
仮名 ゆくへなく ありわたるとも ほととぎす なきしわたらば かくやしのはむ
  大伴家持
   
  18/4091
原文 宇能花能 <登聞>尓之奈氣婆 保等登藝須 伊夜米豆良之毛 名能里奈久奈倍
訓読 卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ
仮名 うのはなの ともにしなけば ほととぎす いやめづらしも なのりなくなへ
  大伴家持
   
  18/4092
原文 保<登等>藝須 伊登祢多家口波 橘<乃> <播>奈治流等吉尓 伎奈吉登余牟流
訓読 霍公鳥いとねたけくは橘の花散る時に来鳴き響むる
仮名 ほととぎす いとねたけくは たちばなの はなぢるときに きなきとよむる
  大伴家持
   
  18/4093
原文 安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞
訓読 阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも
仮名 あをのうらに よするしらなみ いやましに たちしきよせく あゆをいたみかも
  大伴家持
   
  18/4094
原文 葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日<嗣>等 之良志久流 伎美能御代々々 之伎麻世流 四方國尓波 山河乎 比呂美安都美等 多弖麻都流 御調寶波 可蘇倍衣受 都久之毛可祢都 之加礼騰母 吾大王<乃> 毛呂比登乎 伊射奈比多麻比 善事乎 波自米多麻比弖 久我祢可毛 <多>之氣久安良牟登 於母保之弖 之多奈夜麻須尓 鶏鳴 東國<乃> 美知能久乃 小田在山尓 金有等 麻宇之多麻敝礼 御心乎 安吉良米多麻比 天地乃 神安比宇豆奈比 皇御祖乃 御霊多須氣弖 遠代尓 可々里之許登乎 朕御世尓 安良波之弖安礼婆 御食國波 左可延牟物能等 可牟奈我良 於毛保之賣之弖 毛能乃布能 八十伴雄乎 麻都呂倍乃 牟氣乃麻尓々々 老人毛 女童兒毛 之我願 心太良比尓 撫賜 治賜婆 許己乎之母 安夜尓多敷刀美 宇礼之家久 伊余与於母比弖 大伴<乃> 遠都神祖乃 其名乎婆 大来目主<等> 於比母知弖 都加倍之官 海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自等許等太弖 大夫乃 伎欲吉彼名乎 伊尓之敝欲 伊麻乃乎追通尓 奈我佐敝流 於夜<乃>子等毛曽 大伴等 佐伯乃氏者 人祖乃 立流辞立 人子者 祖名不絶 大君尓 麻都呂布物能等 伊比都雅流 許等能都可左曽 梓弓 手尓等里母知弖 劔大刀 許之尓等里波伎 安佐麻毛利 由布能麻毛利<尓> 大王<乃> 三門乃麻毛利 和礼乎於吉<弖> 比等波安良自等 伊夜多氐 於毛比之麻左流 大皇乃 御言能左吉乃 [一云 乎] 聞者貴美 [一云 貴久之安礼婆]
訓読 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ すめろきの 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 大夫の 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの [一云 を] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
仮名 あしはらの みづほのくにを あまくだり しらしめしける すめろきの かみのみことの みよかさね あまのひつぎと しらしくる きみのみよみよ しきませる よものくにには やまかはを ひろみあつみと たてまつる みつきたからは かぞへえず つくしもかねつ しかれども わがおほきみの もろひとを いざなひたまひ よきことを はじめたまひて くがねかも たしけくあらむと おもほして したなやますに とりがなく あづまのくにの みちのくの をだなるやまに くがねありと まうしたまへれ みこころを あきらめたまひ あめつちの かみあひうづなひ すめろきの みたまたすけて とほきよに かかりしことを わがみよに あらはしてあれば をすくには さかえむものと かむながら おもほしめして もののふの やそとものをを まつろへの むけのまにまに おいひとも をみなわらはも しがねがふ こころだらひに なでたまひ をさめたまへば ここをしも あやにたふとみ うれしけく いよよおもひて おほともの とほつかむおやの そのなをば おほくめぬしと おひもちて つかへしつかさ うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おほきみの へにこそしなめ かへりみは せじとことだて ますらをの きよきそのなを いにしへよ いまのをつづに ながさへる おやのこどもぞ おほともと さへきのうぢは ひとのおやの たつることだて ひとのこは おやのなたたず おほきみに まつろふものと いひつげる ことのつかさぞ あづさゆみ てにとりもちて つるぎたち こしにとりはき あさまもり ゆふのまもりに おほきみの みかどのまもり われをおきて ひとはあらじと いやたて おもひしまさる おほきみの みことのさきの[を] きけばたふとみ [たふとくしあれば]
  大伴家持
   
  18/4095
原文 大夫能 許己呂於毛保由 於保伎美能 美許登<乃>佐吉乎 [一云 能] 聞者多布刀美 [一云 貴久之安礼婆]
訓読 大夫の心思ほゆ大君の御言の幸を [一云 の] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
仮名 ますらをの こころおもほゆ おほきみの みことのさきを[の] きけばたふとみ [たふとくしあれば]
  大伴家持
   
   
  18/4096
原文 大伴<乃> 等保追可牟於夜能 於久都奇波 之流久之米多弖 比等能之流倍久
訓読 大伴の遠つ神祖の奥城はしるく標立て人の知るべく
仮名 おほともの とほつかむおやの おくつきは しるくしめたて ひとのしるべく
  大伴家持
   
  18/4097
原文 須賣呂伎能 御代佐可延牟等 阿頭麻奈流 美知<乃>久夜麻尓 金花佐久
訓読 天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く
仮名 すめろきの みよさかえむと あづまなる みちのくやまに くがねはなさく
  大伴家持
   
  18/4098
原文 多可美久良 安麻<乃>日嗣等 天下 志良之賣師家類 須賣呂伎乃 可未能美許等能 可之古久母 波自米多麻比弖 多不刀久母 左太米多麻敝流 美与之努能 許乃於保美夜尓 安里我欲比 賣之多麻布良之 毛能乃敷能 夜蘇等母能乎毛 於能我於弊流 於能我名負<弖> 大王乃 麻氣能麻<尓>々々 此河能 多由流許等奈久 此山能 伊夜都藝都藝尓 可久之許曽 都可倍麻都良米 伊夜等保奈我尓
訓読 高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける 天皇の 神の命の 畏くも 始めたまひて 貴くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる おのが名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に
仮名 たかみくら あまのひつぎと あめのした しらしめしける すめろきの かみのみことの かしこくも はじめたまひて たふとくも さだめたまへる みよしのの このおほみやに ありがよひ めしたまふらし もののふの やそとものをも おのがおへる おのがなおひて おほきみの まけのまにまに このかはの たゆることなく このやまの いやつぎつぎに かくしこそ つかへまつらめ いやとほながに
  大伴家持
   
  18/4099
原文 伊尓之敝乎 於母保須良之母 和期於保伎美 余思努乃美夜乎 安里我欲比賣須
訓読 いにしへを思ほすらしも我ご大君吉野の宮をあり通ひ見す
仮名 いにしへを おもほすらしも わごおほきみ よしののみやを ありがよひめす
  大伴家持
   
  18/4100
原文 物能乃布能 夜蘇氏人毛 与之努河波 多由流許等奈久 都可倍追通見牟
訓読 もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む
仮名 もののふの やそうぢひとも よしのがは たゆることなく つかへつつみむ
  大伴家持
   
  18/4101
原文 珠洲乃安麻能 於伎都美可未尓 伊和多利弖 可都伎等流登伊布 安波妣多麻 伊保知毛我母 波之吉餘之 都麻乃美許<登>能 許呂毛泥乃 和可礼之等吉欲 奴婆玉乃 夜床加多<左>里 安佐祢我美 可伎母氣頭良受 伊泥氐許之 月日余美都追 奈氣久良牟 心奈具佐<尓> 保登等藝須 伎奈久五月能 安夜女具佐 波奈多知<婆>奈尓 奴吉麻自倍 可頭良尓世餘等 都追美氐夜良牟
訓読 珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鰒玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ
仮名 すすのあまの おきつみかみに いわたりて かづきとるといふ あはびたま いほちもがも はしきよし つまのみことの ころもでの わかれしときよ ぬばたまの よとこかたさり あさねがみ かきもけづらず いでてこし つきひよみつつ なげくらむ こころなぐさに ほととぎす きなくさつきの あやめぐさ はなたちばなに ぬきまじへ かづらにせよと つつみてやらむ
  大伴家持
   
  18/4102
原文 白玉乎 都々美氐夜良<婆> 安夜女具佐 波奈多知婆奈尓 安倍母奴久我祢
訓読 白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね
仮名 しらたまを つつみてやらば あやめぐさ はなたちばなに あへもぬくがね
  大伴家持
   
  18/4103
原文 於伎都之麻 伊由伎和多里弖 可豆<久>知布 安波妣多麻母我 都々美弖夜良牟
訓読 沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒玉もが包みて遣らむ
仮名 おきつしま いゆきわたりて かづくちふ あはびたまもが つつみてやらむ
  大伴家持
   
  18/4104
原文 和伎母故我 許己呂奈具左尓 夜良無多米 於伎都之麻奈流 之良多麻母我毛
訓読 我妹子が心なぐさに遣らむため沖つ島なる白玉もがも
仮名 わぎもこが こころなぐさに やらむため おきつしまなる しらたまもがも
  大伴家持
   
  18/4105
原文 思良多麻能 伊保都追度比乎 手尓牟須妣 於許世牟安麻波 牟賀思久母安流香 [一云 我家牟伎波母]
訓読 白玉の五百つ集ひを手にむすびおこせむ海人はむがしくもあるか [一云 我家牟伎波母]
仮名 しらたまの いほつつどひを てにむすび おこせむあまは むがしくもあるか [*******]
  大伴家持
   
   
  18/4106
原文 於保奈牟知 須久奈比古奈野 神代欲里 伊比都藝家良<久> 父母乎 見波多布刀久 妻子見波 可奈之久米具之 宇都世美能 余乃許等和利止 可久佐末尓 伊比家流物能乎 世人能 多都流許等太弖 知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美々恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之部尓 可久之母安良米也 天地能 可未許等余勢天 春花能 佐可里裳安良<牟等> <末>多之家牟 等吉能沙加利曽 波<奈礼>居弖 奈介可須移母我 何時可毛 都可比能許牟等 末多須良<无> 心左夫之苦 南吹 雪消益而 射水河 流水沫能 余留弊奈美 左夫流其兒尓 比毛能緒能 移都我利安比弖 尓保騰里能 布多理雙坐 那呉能宇美能 於支乎布可米天 左度波世流 支美我許己呂能 須敝母須敝奈佐 [言佐夫流者遊行女婦之字也]
訓読 大汝 少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ [言佐夫流者遊行女婦之字也]
仮名 おほなむち すくなびこなの かむよより いひつぎけらく ちちははを みればたふとく めこみれば かなしくめぐし うつせみの よのことわりと かくさまに いひけるものを よのひとの たつることだて ちさのはな さけるさかりに はしきよし そのつまのこと あさよひに ゑみみゑまずも うちなげき かたりけまくは とこしへに かくしもあらめや あめつちの かみことよせて はるはなの さかりもあらむと またしけむ ときのさかりぞ はなれゐて なげかすいもが いつしかも つかひのこむと またすらむ こころさぶしく みなみふき ゆきげはふりて いみづかは ながるみなわの よるへなみ さぶるそのこに ひものをの いつがりあひて にほどりの ふたりならびゐ なごのうみの おきをふかめて さどはせる きみがこころの すべもすべなさ
  大伴家持
   
  18/4107
原文 安乎尓与之 奈良尓安流伊毛我 多可々々尓 麻都良牟許己呂 之可尓波安良司可
訓読 あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか
仮名 あをによし ならにあるいもが たかたかに まつらむこころ しかにはあらじか
  大伴家持
   
  18/4108
原文 左刀妣等能 見流目波豆可之 左夫流兒尓 佐度波須伎美我 美夜泥之理夫利
訓読 里人の見る目恥づかし左夫流子にさどはす君が宮出後姿
仮名 さとびとの みるめはづかし さぶるこに さどはすきみが みやでしりぶり
  大伴家持
   
  18/4109
原文 久礼奈為波 宇都呂布母能曽 都流波美能 奈礼尓之伎奴尓 奈保之可米夜母
訓読 紅はうつろふものぞ橡のなれにし衣になほしかめやも
仮名 くれなゐは うつろふものぞ つるはみの なれにしきぬに なほしかめやも
  大伴家持
   
  18/4110
原文 左夫流兒我 伊都伎之等<乃>尓 須受可氣奴 <波>由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓
訓読 左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ駅馬下れり里もとどろに
仮名 さぶるこが いつきしとのに すずかけぬ はゆまくだれり さともとどろに
  大伴家持
   
  18/4111
原文 可氣麻久母 安夜尓加之古思 皇神祖<乃> 可見能大御世尓 田道間守 常世尓和多利 夜保許毛知 麻為泥許之登吉 時<及>能 香久乃菓子乎 可之古久母 能許之多麻敝礼 國毛勢尓 於非多知左加延 波流左礼婆 孫枝毛伊都追 保登等藝須 奈久五月尓波 波都波奈乎 延太尓多乎理弖 乎登女良尓 都刀尓母夜里美 之路多倍能 蘇泥尓毛古伎礼 香具<播>之美 於枳弖可良之美 安由流實波 多麻尓奴伎都追 手尓麻吉弖 見礼騰毛安加受 秋豆氣婆 之具礼<乃>雨零 阿之比奇能 夜麻能許奴礼波 久<礼奈為>尓 仁保比知礼止毛 多知波奈<乃> 成流其實者 比太照尓 伊夜見我保之久 美由伎布流 冬尓伊多礼婆 霜於氣騰母 其葉毛可礼受 常磐奈須 伊夜佐加波延尓 之可礼許曽 神乃御代欲理 与呂之奈倍 此橘乎 等伎自久能 可久能木實等 名附家良之母
訓読 かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの木の実と 名付けけらしも
仮名 かけまくも あやにかしこし すめろきの かみのおほみよに たぢまもり とこよにわたり やほこもち まゐでこしとき ときじくの かくのこのみを かしこくも のこしたまへれ くにもせに おひたちさかえ はるされば ひこえもいつつ ほととぎす なくさつきには はつはなを えだにたをりて をとめらに つとにもやりみ しろたへの そでにもこきれ かぐはしみ おきてからしみ あゆるみは たまにぬきつつ てにまきて みれどもあかず あきづけば しぐれのあめふり あしひきの やまのこぬれは くれなゐに にほひちれども たちばなの なれるそのみは ひたてりに いやみがほしく みゆきふる ふゆにいたれば しもおけども そのはもかれず ときはなす いやさかはえに しかれこそ かみのみよより よろしなへ このたちばなを ときじくの かくのこのみと なづけけらしも
  大伴家持
   
  18/4112
原文 橘波 花尓毛實尓母 美都礼騰母 移夜時自久尓 奈保之見我保之
訓読 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し
仮名 たちばなは はなにもみにも みつれども いやときじくに なほしみがほし
  大伴家持
   
  18/4113
原文 於保支見能 等保能美可等々 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来 安良多末能 等之<乃>五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末<枳>於保之 夏能<々> 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移<弖>見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流部久母安礼也
訓読 大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを 宿に蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや
仮名 おほきみの とほのみかどと まきたまふ つかさのまにま みゆきふる こしにくだりき あらたまの としのいつとせ しきたへの たまくらまかず ひもとかず まろねをすれば いぶせみと こころなぐさに なでしこを やどにまきおほし なつののの さゆりひきうゑて さくはなを いでみるごとに なでしこが そのはなづまに さゆりばな ゆりもあはむと なぐさむる こころしなくは あまざかる ひなにひとひも あるべくもあれや
  大伴家持
   
  18/4114
原文 奈泥之故我 花見流其等尓 乎登女良我 恵末比能尓保比 於母保由流可母
訓読 なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも
仮名 なでしこが はなみるごとに をとめらが ゑまひのにほひ おもほゆるかも
  大伴家持
   
  18/4115
原文 佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母
訓読 さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる心しなくは今日も経めやも
仮名 さゆりばな ゆりもあはむと したはふる こころしなくは けふもへめやも
  大伴家持
   
  18/4116
原文 於保支見能 末支能末尓々々 等里毛知氐 都可布流久尓能 年内能 許登可多祢母知 多末保許能 美知尓伊天多知 伊波祢布美 也末古衣野由支 弥夜故敝尓 末為之和我世乎 安良多末乃 等之由吉我弊理 月可佐祢 美奴日佐末祢美 故敷流曽良 夜須久之安良祢波 保止々支須 支奈久五月能 安夜女具佐 余母疑可豆良伎 左加美都伎 安蘇比奈具礼止 射水河 雪消溢而 逝水能 伊夜末思尓乃未 多豆我奈久 奈呉江能須氣能 根毛己呂尓 於母比牟須保礼 奈介伎都々 安我末<川>君我 許登乎波里 可敝利末可利天 夏野能 佐由利能波奈能 花咲尓 々布夫尓恵美天 阿波之多流 今日乎波自米氐 鏡奈須 可久之都祢見牟 於毛我波利世須
訓読 大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
仮名 おほきみの まきのまにまに とりもちて つかふるくにの としのうちの ことかたねもち たまほこの みちにいでたち いはねふみ やまこえのゆき みやこへに まゐしわがせを あらたまの としゆきがへり つきかさね みぬひさまねみ こふるそら やすくしあらねば ほととぎす きなくさつきの あやめぐさ よもぎかづらき さかみづき あそびなぐれど いみづかは ゆきげはふりて ゆくみづの いやましにのみ たづがなく なごえのすげの ねもころに おもひむすぼれ なげきつつ あがまつきみが ことをはり かへりまかりて なつののの さゆりのはなの はなゑみに にふぶにゑみて あはしたる けふをはじめて かがみなす かくしつねみむ おもがはりせず
  大伴家持
   
  18/4117
原文 許序能秋 安比見之末尓末 今日見波 於毛夜目都良之 美夜古可多比等
訓読 去年の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人
仮名 こぞのあき あひみしまにま けふみれば おもやめづらし みやこかたひと
  大伴家持
   
  18/4118
原文 可久之天母 安比見流毛<乃>乎 須久奈久母 年月經礼波 古非之家礼夜母
訓読 かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけれやも
仮名 かくしても あひみるものを すくなくも としつきふれば こひしけれやも
  大伴家持
   
  18/4119
原文 伊尓之敝欲 之<怒>比尓家礼婆 保等登藝須 奈久許恵伎吉弖 古非之吉物<乃>乎
訓読 いにしへよ偲ひにければ霍公鳥鳴く声聞きて恋しきものを
仮名 いにしへよ しのひにければ ほととぎす なくこゑききて こひしきものを
  大伴家持
   
  18/4120
原文 見麻久保里 於毛比之奈倍尓 賀都良賀氣 香具波之君乎 安比見都流賀母
訓読 見まく欲り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見つるかも
仮名 みまくほり おもひしなへに かづらかげ かぐはしきみを あひみつるかも
  大伴家持
   
  18/4121
原文 朝参乃 伎美我須我多乎 美受比左尓 比奈尓之須米婆 安礼故非尓家里 [<一>云 波之吉与思 伊毛我須我多乎]
訓読 朝参の君が姿を見ず久に鄙にし住めば我れ恋ひにけり [一云 はしきよし妹が姿を]
仮名 てうさむの きみがすがたを みずひさに ひなにしすめば あれこひにけり [はしきよし いもがすがたを]
  大伴家持
   
  18/4122
原文 須賣呂伎能 之伎麻須久尓能 安米能之多 四方能美知尓波 宇麻乃都米 伊都久須伎波美 布奈乃倍能 伊波都流麻泥尓 伊尓之敝欲 伊麻乃乎都頭尓 万調 麻都流都可佐等 都久里多流 曽能奈里波比乎 安米布良受 日能可左奈礼婆 宇恵之田毛 麻吉之波多氣毛 安佐其登尓 之保美可礼由苦 曽乎見礼婆 許己呂乎伊多美 弥騰里兒能 知許布我其登久 安麻都美豆 安布藝弖曽麻都 安之比奇能 夜麻能多乎理尓 許能見油流 安麻能之良久母 和多都美能 於枳都美夜敝尓 多知和多里 等能具毛利安比弖 安米母多麻波祢
訓読 天皇の 敷きます国の 天の下 四方の道には 馬の爪 い尽くす極み 舟舳の い果つるまでに いにしへよ 今のをつづに 万調 奉るつかさと 作りたる その生業を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに しぼみ枯れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の 沖つ宮辺に 立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね
仮名 すめろきの しきますくにの あめのした よものみちには うまのつめ いつくすきはみ ふなのへの いはつるまでに いにしへよ いまのをつづに よろづつき まつるつかさと つくりたる そのなりはひを あめふらず ひのかさなれば うゑしたも まきしはたけも あさごとに しぼみかれゆく そをみれば こころをいたみ みどりこの ちこふがごとく あまつみづ あふぎてぞまつ あしひきの やまのたをりに このみゆる あまのしらくも わたつみの おきつみやへに たちわたり とのぐもりあひて あめもたまはね
  大伴家持
   
  18/4123
原文 許能美由流 久毛保妣許里弖 等能具毛理 安米毛布良奴可 <己許>呂太良比尓
訓読 この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足らひに
仮名 このみゆる くもほびこりて とのくもり あめもふらぬか こころだらひに
  大伴家持
   
  18/4124
原文 和我保里之 安米波布里伎奴 可久之安良<婆> 許登安氣世受杼母 登思波佐可延牟
訓読 我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ
仮名 わがほりし あめはふりきぬ かくしあらば ことあげせずとも としはさかえむ
  大伴家持
   
  18/4125
原文 安麻泥良須 可未能御代欲里 夜洲能河波 奈加尓敝太弖々 牟可比太知 蘇泥布利可波之 伊吉能乎尓 奈氣加須古良 和多里母理 布祢毛麻宇氣受 波之太尓母 和多之弖安良波 曽<乃>倍由母 伊由伎和多良之 多豆佐波利 宇奈我既里為弖 於<毛>保之吉 許登母加多良比 <奈>具左牟流 許己呂波安良牟乎 奈尓之可母 安吉尓之安良祢波 許等騰比能 等毛之伎古良 宇都世美能 代人和礼<毛> 許己<乎>之母 安夜尓久須之弥 徃更 年<乃>波其登尓 安麻<乃>波良 布里左氣見都追 伊比都藝尓須礼
訓読 天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交し 息の緒に 嘆かす子ら 渡り守 舟も設けず 橋だにも 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし 携はり うながけり居て 思ほしき 言も語らひ 慰むる 心はあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言どひの 乏しき子ら うつせみの 世の人我れも ここをしも あやにくすしみ 行きかはる 年のはごとに 天の原 振り放け見つつ 言ひ継ぎにすれ
仮名 あまでらす かみのみよより やすのかは なかにへだてて むかひたち そでふりかはし いきのをに なげかすこら わたりもり ふねもまうけず はしだにも わたしてあらば そのへゆも いゆきわたらし たづさはり うながけりゐて おもほしき こともかたらひ なぐさむる こころはあらむを なにしかも あきにしあらねば ことどひの ともしきこら うつせみの よのひとわれも ここをしも あやにくすしみ ゆきかはる としのはごとに あまのはら ふりさけみつつ いひつぎにすれ
  大伴家持
   
  18/4126
原文 安麻能我波 々志和多世良波 曽能倍由母 伊和多良佐牟乎 安吉尓安良受得物
訓読 天の川橋渡せらばその上ゆもい渡らさむを秋にあらずとも
仮名 あまのがは はしわたせらば そのへゆも いわたらさむを あきにあらずとも
  大伴家持
   
  18/4127
原文 夜須能河波 許牟可比太知弖 等之<乃>古非 氣奈我伎古良河 都麻度比能欲曽
訓読 安の川こ向ひ立ちて年の恋日長き子らが妻どひの夜ぞ
仮名 やすのかは こむかひたちて としのこひ けながきこらが つまどひのよぞ
  大伴家持
   
  18/4128
原文 久佐麻久良 多比<乃>於伎奈等 於母保之天 波里曽多麻敝流 奴波牟物能毛賀
訓読 草枕旅の翁と思ほして針ぞ賜へる縫はむ物もが
仮名 くさまくら たびのおきなと おもほして はりぞたまへる ぬはむものもが
  大伴池主
   
  18/4129
原文 芳理夫久路 等利安宜麻敝尓於吉 可邊佐倍波 於能等母於能夜 宇良毛都藝多利
訓読 針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり
仮名 はりぶくろ とりあげまへにおき かへさへば おのともおのや うらもつぎたり
  大伴池主
   
  18/4130
原文 波利夫久路 應婢都々氣奈我良 佐刀其等邇 天良佐比安流氣騰 比等毛登賀米授
訓読 針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず
仮名 はりぶくろ おびつつけながら さとごとに てらさひあるけど ひともとがめず
  大伴池主
   
  18/4131
原文 等里我奈久 安豆麻乎佐之天 布佐倍之尓 由可牟<等>於毛倍騰 与之母佐祢奈之
訓読 鶏が鳴く東をさしてふさへしに行かむと思へどよしもさねなし
仮名 とりがなく あづまをさして ふさへしに ゆかむとおもへど よしもさねなし
  大伴池主
   
  18/4132
原文 多々佐尓毛 可尓母与己佐母 夜都故等曽 安礼<波>安利家流 奴之能等<乃>度尓
訓読 縦さにもかにも横さも奴とぞ我れはありける主の殿戸に
仮名 たたさにも かにもよこさも やつことぞ あれはありける ぬしのとのどに
  大伴池主
   
  18/4133
原文 波里夫久路 己礼波多婆利奴 須理夫久路 伊麻波衣天之可 於吉奈佐備勢牟
訓読 針袋これは賜りぬすり袋今は得てしか翁さびせむ
仮名 はりぶくろ これはたばりぬ すりぶくろ いまはえてしか おきなさびせむ
  大伴池主
   
  18/4134
原文 由吉<乃>宇倍尓 天礼流都久欲尓 烏梅能播奈 乎<理>天於久良牟 波之伎故毛我母
訓読 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも
仮名 ゆきのうへに てれるつくよに うめのはな をりておくらむ はしきこもがも
  大伴家持
   
  18/4135
原文 和我勢故我 許登等流奈倍尓 都祢比登<乃> 伊布奈宜吉思毛 伊夜之伎麻須毛
訓読 我が背子が琴取るなへに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも
仮名 わがせこが こととるなへに つねひとの いふなげきしも いやしきますも
  大伴家持
   
  18/4136
原文 安之比奇能 夜麻能許奴礼能 保与等<理>天 可射之都良久波 知等世保久等曽
訓読 あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ
仮名 あしひきの やまのこぬれの ほよとりて かざしつらくは ちとせほくとぞ
  大伴家持
   
  18/4137
原文 牟都奇多都 波流能波自米尓 可久之都追 安比之恵美天婆 等枳自家米也母
訓読 正月立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも
仮名 むつきたつ はるのはじめに かくしつつ あひしゑみてば ときじけめやも
  大伴家持
   
  18/4138
原文 夜夫奈美能 佐刀尓夜度可里 波流佐米尓 許母理都追牟等 伊母尓都宜都夜
訓読 薮波の里に宿借り春雨に隠りつつむと妹に告げつや
仮名 やぶなみの さとにやどかり はるさめに こもりつつむと いもにつげつや
  大伴家持
   

第十九巻

   
   19/4139
原文 春苑 紅尓保布 桃花 下<照>道尓 出立D嬬
訓読 春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子
仮名 はるのその くれなゐにほふ もものはな したでるみちに いでたつをとめ
  大伴家持
   
  19/4140
原文 吾園之 李花可 庭尓落 波太礼能未 遺在可母
訓読 吾が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りたるかも
仮名 わがそのの すもものはなか にはにちる はだれのいまだ のこりたるかも
  大伴家持
   
  19/4141
原文 春儲而 <物>悲尓 三更而 羽振鳴志藝 誰田尓加須牟
訓読 春まけてもの悲しきにさ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか住む
仮名 はるまけて ものがなしきに さよふけて はぶきなくしぎ たがたにかすむ
  大伴家持
   
  19/4142
原文 春日尓 張流柳乎 取持而 見者京之 大路所<念>
訓読 春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大道し思ほゆ
仮名 はるのひに はれるやなぎを とりもちて みればみやこの おほちしおもほゆ
  大伴家持
   
  19/4143
原文 物部<乃> 八<十>D嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
訓読 もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花
仮名 もののふの やそをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな
  大伴家持
   
  19/4144
原文 燕来 時尓成奴等 鴈之鳴者 本郷思都追 雲隠喧
訓読 燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く
仮名 つばめくる ときになりぬと かりがねは くにしのひつつ くもがくりなく
  大伴家持
   
  19/4145
原文 春設而 如此歸等母 秋風尓 黄葉山乎 不<超>来有米也 [一云 春去者 歸此鴈]
訓読 春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来ざらめや [一云 春されば帰るこの雁]
仮名 はるまけて かくかへるとも あきかぜに もみたむやまを こえこざらめや [はるされば かへるこのかり]
  大伴家持
   
  19/4146
原文 夜具多知尓 寐覺而居者 河瀬尋 情<毛>之<努>尓 鳴知等理賀毛
訓読 夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋め心もしのに鳴く千鳥かも
仮名 よぐたちに ねざめてをれば かはせとめ こころもしのに なくちどりかも
  大伴家持
   
  19/4147
原文 夜降而 鳴河波知登里 宇倍之許曽 昔人母 之<努>比来尓家礼
訓読 夜くたちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ
仮名 よくたちて なくかはちどり うべしこそ むかしのひとも しのひきにけれ
  大伴家持
   
  19/4148
原文 椙野尓 左乎騰流雉 灼然 啼尓之毛将哭 己母利豆麻可母
訓読 杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも
仮名 すぎののに さをどるきぎし いちしろく ねにしもなかむ こもりづまかも
  大伴家持
   
  19/4149
原文 足引之 八峯之雉 鳴響 朝開之霞 見者可奈之母
訓読 あしひきの八つ峰の雉鳴き響む朝明の霞見れば悲しも
仮名 あしひきの やつをのきぎし なきとよむ あさけのかすみ みればかなしも
  大伴家持
   
  19/4150
原文 朝床尓 聞者遥之 射水河 朝己藝思都追 唱船人
訓読 朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唄ふ舟人
仮名 あさとこに きけばはるけし いみづかは あさこぎしつつ うたふふなびと
  大伴家持
   
  19/4151
原文 今日之為等 思標之 足引乃 峯上之櫻 如此開尓家里
訓読 今日のためと思ひて標しあしひきの峰の上の桜かく咲きにけり
仮名 けふのためと おもひてしめし あしひきの をのへのさくら かくさきにけり
  大伴家持
   
  19/4152
原文 奥山之 八峯乃海石榴 都婆良可尓 今日者久良佐祢 大夫之徒
訓読 奥山の八つ峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫の伴
仮名 おくやまの やつをのつばき つばらかに けふはくらさね ますらをのとも
  大伴家持
   
  19/4153
原文 漢人毛 筏浮而 遊云 今日曽和我勢故 花縵世奈
訓読 漢人も筏浮かべて遊ぶといふ今日ぞ我が背子花かづらせな
仮名 からひとも いかだうかべて あそぶといふ けふぞわがせこ はなかづらせな
  大伴家持
   
  19/4154
原文 安志比奇<乃> 山坂<超>而 去更 年緒奈我久 科坂在 故志尓之須米婆 大王之 敷座國者 京師乎母 此間毛於夜自等 心尓波 念毛能可良 語左氣 見左久流人眼 乏等 於毛比志繁 曽己由恵尓 情奈具也等 秋附婆 芽子開尓保布 石瀬野尓 馬太伎由吉氐 乎知許知尓 鳥布美立 白塗之 小鈴毛由良尓 安波勢也<理> 布里左氣見都追 伊伎騰保流 許己呂能宇知乎 思延 宇礼之備奈我良 枕附 都麻屋之内尓 鳥座由比 須恵弖曽我飼 真白部乃多可
訓読 あしひきの 山坂越えて 行きかはる 年の緒長く しなざかる 越にし住めば 大君の 敷きます国は 都をも ここも同じと 心には 思ふものから 語り放け 見放くる人目 乏しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗りの 小鈴もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら 枕付く 妻屋のうちに 鳥座結ひ 据えてぞ我が飼ふ 真白斑の鷹
仮名 あしひきの やまさかこえて ゆきかはる としのをながく しなざかる こしにしすめば おほきみの しきますくには みやこをも ここもおやじと こころには おもふものから かたりさけ みさくるひとめ ともしみと おもひししげし そこゆゑに こころなぐやと あきづけば はぎさきにほふ いはせのに うまだきゆきて をちこちに とりふみたて しらぬりの をすずもゆらに あはせやり ふりさけみつつ いきどほる こころのうちを おもひのべ うれしびながら まくらづく つまやのうちに とぐらゆひ すゑてぞわがかふ ましらふのたか
  大伴家持
   
  19/4155
原文 矢形尾乃 麻之路能鷹乎 屋戸尓須恵 可伎奈泥見都追 飼久之余志毛
訓読 矢形尾の真白の鷹を宿に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも
仮名 やかたをの ましろのたかを やどにすゑ かきなでみつつ かはくしよしも
  大伴家持
   
  19/4156
原文 荒玉能 年徃更 春去者 花耳尓保布 安之比奇能 山下響 墜多藝知 流辟田乃 河瀬尓 年魚兒狭走 嶋津鳥 鵜養等母奈倍 可我理左之 奈頭佐比由氣<婆> 吾妹子我 可多見我氐良等 紅之 八塩尓染而 於己勢多流 服之襴毛 等寳利氐濃礼奴
訓読 あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ
仮名 あらたまの としゆきかはり はるされば はなのみにほふ あしひきの やましたとよみ おちたぎち ながるさきたの かはのせに あゆこさばしる しまつとり うかひともなへ かがりさし なづさひゆけば わぎもこが かたみがてらと くれなゐの やしほにそめて おこせたる ころものすそも とほりてぬれぬ
  大伴家持
   
  19/4157
原文 紅<乃> 衣尓保波之 辟田河 絶己等奈久 吾等眷牟
訓読 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む
仮名 くれなゐの ころもにほはし さきたかは たゆることなく われかへりみむ
  大伴家持
   
  19/4158
原文 毎年尓 鮎之走婆 左伎多河 鵜八頭可頭氣氐 河瀬多頭祢牟
訓読 年のはに鮎し走らば辟田川鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ
仮名 としのはに あゆしはしらば さきたかは うやつかづけて かはせたづねむ
  大伴家持
   
  19/4159
原文 礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神<左>備尓家里
訓読 礒の上のつままを見れば根を延へて年深からし神さびにけり
仮名 いそのうへの つままをみれば ねをはへて としふかからし かむさびにけり
  大伴家持
   
  19/4160
原文 天地之 遠始欲 俗中波 常無毛能等 語續 奈我良倍伎多礼 天原 振左氣見婆 照月毛 盈<ち>之家里 安之比奇能 山之木末毛 春去婆 花開尓保比 秋都氣婆 露霜負而 風交 毛美知落家利 宇都勢美母 如是能未奈良之 紅能 伊呂母宇都呂比 奴婆多麻能 黒髪變 朝之咲 暮加波良比 吹風能 見要奴我其登久 逝水能 登麻良奴其等久 常毛奈久 宇都呂布見者 尓波多豆美 流渧 等騰米可祢都母
訓読 天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振り放け見れば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝の笑み 夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
仮名 あめつちの とほきはじめよ よのなかは つねなきものと かたりつぎ ながらへきたれ あまのはら ふりさけみれば てるつきも みちかけしけり あしひきの やまのこぬれも はるされば はなさきにほひ あきづけば つゆしもおひて かぜまじり もみちちりけり うつせみも かくのみならし くれなゐの いろもうつろひ ぬばたまの くろかみかはり あさのゑみ ゆふへかはらひ ふくかぜの みえぬがごとく ゆくみづの とまらぬごとく つねもなく うつろふみれば にはたづみ ながるるなみた とどめかねつも
  大伴家持
   
  19/4161
原文 言等波奴 木尚春開 秋都氣婆 毛美知遅良久波 常乎奈美許曽 [一云 常<无>牟等曽]
訓読 言とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常をなみこそ [一云 常なけむとぞ]
仮名 こととはぬ きすらはるさき あきづけば もみちぢらくは つねをなみこそ [つねなけむとぞ]
  大伴家持
   
  19/4162
原文 宇都世美能 常<无>見者 世間尓 情都氣受弖 念日曽於保伎 [一云 嘆日曽於保吉]
訓読 うつせみの常なき見れば世の中に心つけずて思ふ日ぞ多き [一云 嘆く日ぞ多き]
仮名 うつせみの つねなきみれば よのなかに こころつけずて おもふひぞおほき [なげくひぞおほき]
  大伴家持
   
  19/4163
原文 妹之袖 和礼枕可牟 河湍尓 霧多知和多礼 左欲布氣奴刀尓
訓読 妹が袖我れ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに
仮名 いもがそで われまくらかむ かはのせに きりたちわたれ さよふけぬとに
  大伴家持
   
  19/4164
原文 知智乃實乃 父能美許等 波播蘇葉乃 母能美己等 於保呂可尓 情盡而 念良牟 其子奈礼夜母 大夫夜 <无>奈之久可在 梓弓 須恵布理於許之 投矢毛知 千尋射和多之 劔刀 許思尓等理波伎 安之比奇能 八峯布美越 左之麻久流 情不障 後代乃 可多利都具倍久 名乎多都倍志母
訓読 ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも
仮名 ちちのみの ちちのみこと ははそばの ははのみこと おほろかに こころつくして おもふらむ そのこなれやも ますらをや むなしくあるべき あづさゆみ すゑふりおこし なげやもち ちひろいわたし つるぎたち こしにとりはき あしひきの やつをふみこえ さしまくる こころさやらず のちのよの かたりつぐべく なをたつべしも
  大伴家持
   
  19/4165
原文 大夫者 名乎之立倍之 後代尓 聞継人毛 可多里都具我祢
訓読 大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね
仮名 ますらをは なをしたつべし のちのよに ききつぐひとも かたりつぐがね
  大伴家持
   
  19/4166
原文 毎時尓 伊夜目都良之久 八千種尓 草木花左伎 喧鳥乃 音毛更布 耳尓聞 眼尓視其等尓 宇知嘆 之奈要宇良夫礼 之努比都追 有争波之尓 許能久礼<能> 四月之立者 欲其母理尓 鳴霍公鳥 従古昔 可多<里>都藝都流 鴬之 宇都之真子可母 菖蒲 花橘乎 D嬬良我 珠貫麻泥尓 赤根刺 晝波之賣良尓 安之比奇乃 八丘飛超 夜干玉<乃> 夜者須我良尓 暁 月尓向而 徃還 喧等余牟礼杼 何如将飽足
訓読 時ごとに いやめづらしく 八千種に 草木花咲き 鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎えうらぶれ 偲ひつつ 争ふはしに 木の暗の 四月し立てば 夜隠りに 鳴く霍公鳥 いにしへゆ 語り継ぎつる 鴬の 現し真子かも あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り 鳴き響むれど なにか飽き足らむ
仮名 ときごとに いやめづらしく やちくさに くさきはなさき なくとりの こゑもかはらふ みみにきき めにみるごとに うちなげき しなえうらぶれ しのひつつ あらそふはしに このくれの うづきしたてば よごもりに なくほととぎす いにしへゆ かたりつぎつる うぐひすの うつしまこかも あやめぐさ はなたちばなを をとめらが たまぬくまでに あかねさす ひるはしめらに あしひきの やつをとびこえ ぬばたまの よるはすがらに あかときの つきにむかひて ゆきがへり なきとよむれど なにかあきだらむ
  大伴家持
   
  19/4167
原文 毎時 弥米頭良之久 咲花乎 折毛不折毛 見良久之余志<母>
訓読 時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも
仮名 ときごとに いやめづらしく さくはなを をりもをらずも みらくしよしも
  大伴家持
   
  19/4168
原文 毎年尓 来喧毛能由恵 霍公鳥 聞婆之努波久 不相日乎於保美 [毎年謂之等之乃波]
訓読 毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み [毎年謂之等之乃波]
仮名 としのはに きなくものゆゑ ほととぎす きけばしのはく あはぬひをおほみ
  大伴家持
   
  19/4169
原文 霍公鳥 来喧五月尓 咲尓保布 花橘乃 香吉 於夜能御言 朝暮尓 不聞日麻祢久 安麻射可流 夷尓之居者 安之比奇乃 山乃多乎里尓 立雲乎 余曽能未見都追 嘆蘇良 夜須<家>奈久尓 念蘇良 苦伎毛能乎 奈呉乃海部之 潜取云 真珠乃 見我保之御面 多太向 将見時麻泥波 松栢乃 佐賀延伊麻佐祢 尊安我吉美 [御面謂之美於毛和]
訓読 霍公鳥 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の かぐはしき 親の御言 朝夕に 聞かぬ日まねく 天離る 鄙にし居れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の 見が欲し御面 直向ひ 見む時までは 松柏の 栄えいまさね 貴き我が君 [御面謂之美於毛和]
仮名 ほととぎす きなくさつきに さきにほふ はなたちばなの かぐはしき おやのみこと あさよひに きかぬひまねく あまざかる ひなにしをれば あしひきの やまのたをりに たつくもを よそのみみつつ なげくそら やすけなくに おもふそら くるしきものを なごのあまの かづきとるといふ しらたまの みがほしみおもわ ただむかひ みむときまでは まつかへの さかえいまさね たふときあがきみ
  大伴家持
   
  19/4170
原文 白玉之 見我保之君乎 不見久尓 夷尓之乎礼婆 伊家流等毛奈之
訓読 白玉の見が欲し君を見ず久に鄙にし居れば生けるともなし
仮名 しらたまの みがほしきみを みずひさに ひなにしをれば いけるともなし
  大伴家持
   
  19/4171
原文 常人毛 起都追聞曽 霍公鳥 此暁尓 来喧始音
訓読 常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥この暁に来鳴く初声
仮名 つねひとも おきつつきくぞ ほととぎす このあかときに きなくはつこゑ
  大伴家持
   
  19/4172
原文 霍公鳥 来<喧>響者 草等良牟 花橘乎 屋戸尓波不殖而
訓読 霍公鳥来鳴き響めば草取らむ花橘を宿には植ゑずて
仮名 ほととぎす きなきとよめば くさとらむ はなたちばなを やどにはうゑずて
  大伴家持
   
  19/4173
原文 妹乎不見 越國敝尓 經年婆 吾情度乃 奈具流日毛無
訓読 妹を見ず越の国辺に年経れば我が心どのなぐる日もなし
仮名 いもをみず こしのくにへに としふれば あがこころどの なぐるひもなし
  大伴家持
   
  19/4174
原文 春裏之 樂終者 梅花 手折乎伎都追 遊尓可有
訓読 春のうちの楽しき終は梅の花手折り招きつつ遊ぶにあるべし
仮名 はるのうちの たのしきをへは うめのはな たをりをきつつ あそぶにあるべし
  大伴家持
   
  19/4175
原文 霍公鳥 今来喧曽<无> 菖蒲 可都良久麻泥尓 加流々日安良米也 [毛能波三箇辞闕之]
訓読 霍公鳥今来鳴きそむあやめぐさかづらくまでに離るる日あらめや [毛能波三箇辞闕之]
仮名 ほととぎす いまきなきそむ あやめぐさ かづらくまでに かるるひあらめや
  大伴家持
   
  19/4176
原文 我門従 喧過度 霍公鳥 伊夜奈都可之久 雖聞飽不足 [毛能波氐尓乎六箇辞闕之]
訓読 我が門ゆ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず [毛能波C尓乎六箇辞闕之]
仮名 わがかどゆ なきすぎわたる ほととぎす いやなつかしく きけどあきたらず
  大伴家持
   
  19/4177
原文 和我勢故等 手携而 暁来者 出立向 暮去者 授放見都追 念<暢> 見奈疑之山尓 八峯尓波 霞多奈婢伎 谿敝尓波 海石榴花咲 宇良悲 春之過者 霍公鳥 伊也之伎喧奴 獨耳 聞婆不怜毛 君与吾 隔而戀流 利波山 飛超去而 明立者 松之狭枝尓 暮去者 向月而 菖蒲 玉貫麻泥尓 鳴等余米 安寐不令宿 君乎奈夜麻勢
訓読 我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に 八つ峰には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ 独りのみ 聞けば寂しも 君と我れと 隔てて恋ふる 砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴き響め 安寐寝しめず 君を悩ませ
仮名 わがせこと てたづさはりて あけくれば いでたちむかひ ゆふされば ふりさけみつつ おもひのべ みなぎしやまに やつをには かすみたなびき たにへには つばきはなさき うらがなし はるしすぐれば ほととぎす いやしきなきぬ ひとりのみ きけばさぶしも きみとあれと へだててこふる となみやま とびこえゆきて あけたたば まつのさえだに ゆふさらば つきにむかひて あやめぐさ たまぬくまでに なきとよめ やすいねしめず きみをなやませ
  大伴家持
   
  19/4178
原文 吾耳 聞婆不怜毛 霍公鳥 <丹>生之山邊尓 伊去鳴<尓毛>
訓読 我れのみし聞けば寂しも霍公鳥丹生の山辺にい行き鳴かにも
仮名 われのみし きけばさぶしも ほととぎす にふのやまへに いゆきなかにも
  大伴家持
   
  19/4179
原文 霍公鳥 夜喧乎為管 <和>我世兒乎 安宿勿令寐 由米情在
訓読 霍公鳥夜鳴きをしつつ我が背子を安寐な寝しめゆめ心あれ
仮名 ほととぎす よなきをしつつ わがせこを やすいなねしめ ゆめこころあれ
  大伴家持
   
  19/4180
原文 春過而 夏来向者 足桧木乃 山呼等余米 左夜中尓 鳴霍公鳥 始音乎 聞婆奈都可之 菖蒲 花橘乎 貫交 可頭良久麻<泥>尓 里響 喧渡礼騰母 尚之努波由
訓読 春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響め さ夜中に 鳴く霍公鳥 初声を 聞けばなつかし あやめぐさ 花橘を 貫き交へ かづらくまでに 里響め 鳴き渡れども なほし偲はゆ
仮名 はるすぎて なつきむかへば あしひきの やまよびとよめ さよなかに なくほととぎす はつこゑを きけばなつかし あやめぐさ はなたちばなを ぬきまじへ かづらくまでに さととよめ なきわたれども なほししのはゆ
  大伴家持
   
  19/4181
原文 左夜深而 暁月尓 影所見而 鳴霍公鳥 聞者夏借
訓読 さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし
仮名 さよふけて あかときつきに かげみえて なくほととぎす きけばなつかし
  大伴家持
   
  19/4182
原文 霍公鳥 雖聞不足 網取尓 獲而奈都氣奈 可礼受鳴金
訓読 霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離れず鳴くがね
仮名 ほととぎす きけどもあかず あみとりに とりてなつけな かれずなくがね
  大伴家持
   
  19/4183
原文 霍公鳥 飼通良婆 今年經而 来向夏<波> 麻豆将喧乎
訓読 霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向ふ夏はまづ鳴きなむを
仮名 ほととぎす かひとほせらば ことしへて きむかふなつは まづなきなむを
  大伴家持
   
  19/4184
原文 山吹乃 花執持而 都礼毛奈久 可礼尓之妹乎 之努比都流可毛
訓読 山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも
仮名 やまぶきの はなとりもちて つれもなく かれにしいもを しのひつるかも
  留女女郎
   
  19/4185
原文 宇都世美波 戀乎繁美登 春麻氣氐 念繁波 引攀而 折毛不折毛 毎見 情奈疑牟等 繁山之 谿敝尓生流 山振乎 屋戸尓引殖而 朝露尓 仁保敝流花乎 毎見 念者不止 戀志繁母
訓読 うつせみは 恋を繁みと 春まけて 思ひ繁けば 引き攀ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと 茂山の 谷辺に生ふる 山吹を 宿に引き植ゑて 朝露に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず 恋し繁しも
仮名 うつせみは こひをしげみと はるまけて おもひしげけば ひきよぢて をりもをらずも みるごとに こころなぎむと しげやまの たにへにおふる やまぶきを やどにひきうゑて あさつゆに にほへるはなを みるごとに おもひはやまず こひししげしも
  大伴家持
   
  19/4186
原文 山吹乎 屋戸尓殖弖波 見其等尓 念者不止 戀己曽益礼
訓読 山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
仮名 やまぶきを やどにうゑては みるごとに おもひはやまず こひこそまされ
  大伴家持
   
  19/4187
原文 念度知 大夫能 許<乃>久礼<能> 繁思乎 見明良米 情也良牟等 布勢乃海尓 小船都良奈米 真可伊可氣 伊許藝米具礼婆 乎布能浦尓 霞多奈妣伎 垂姫尓 藤浪咲而 濱浄久 白波左和伎 及々尓 戀波末佐礼杼 今日耳 飽足米夜母 如是己曽 祢年<乃>波尓 春花之 繁盛尓 秋葉能 黄色時尓 安里我欲比 見都追思努波米 此布勢能海乎
訓読 思ふどち ますらをのこの 木の暗の 繁き思ひを 見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小舟つら並め ま櫂掛け い漕ぎ廻れば 乎布の浦に 霞たなびき 垂姫に 藤波咲て 浜清く 白波騒き しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも かくしこそ いや年のはに 春花の 茂き盛りに 秋の葉の もみたむ時に あり通ひ 見つつ偲はめ この布勢の海を
仮名 おもふどち ますらをのこの このくれの しげきおもひを みあきらめ こころやらむと ふせのうみに をぶねつらなめ まかいかけ いこぎめぐれば をふのうらに かすみたなびき たるひめに ふぢなみさきて はまきよく しらなみさわき しくしくに こひはまされど けふのみに あきだらめやも かくしこそ いやとしのはに はるはなの しげきさかりに あきのはの もみたむときに ありがよひ みつつしのはめ このふせのうみを
  大伴家持
   
  19/4188
原文 藤奈美能 花盛尓 如此許曽 浦己藝廻都追 年尓之努波米
訓読 藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ
仮名 ふぢなみの はなのさかりに かくしこそ うらこぎみつつ としにしのはめ
  大伴家持
   
  19/4189
原文 天離 夷等之在者 彼所此間毛 同許己呂曽 離家 等之乃經去者 宇都勢美波 物念之氣思 曽許由恵尓 情奈具左尓 霍公鳥 喧始音乎 橘 珠尓安倍貫 可頭良伎氐 遊波之母 麻須良乎々 等毛奈倍立而 叔羅河 奈頭左比泝 平瀬尓波 左泥刺渡 早湍尓 水烏乎潜都追 月尓日尓 之可志安蘇婆祢 波之伎和我勢故
訓読 天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば うつせみは 物思ひ繁し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばむはしも 大夫を 伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子
仮名 あまざかる ひなとしあれば そこここも おやじこころぞ いへざかり としのへゆけば うつせみは ものもひしげし そこゆゑに こころなぐさに ほととぎす なくはつこゑを たちばなの たまにあへぬき かづらきて あそばむはしも ますらをを ともなへたてて しくらがは なづさひのぼり ひらせには さでさしわたし はやきせに うをかづけつつ つきにひに しかしあそばね はしきわがせこ
  大伴家持
   
  19/4190
原文 叔羅河 湍乎尋都追 和我勢故波 宇可波多々佐祢 情奈具左尓
訓読 叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに
仮名 しくらがは せをたづねつつ わがせこは うかはたたさね こころなぐさに
  大伴家持
   
  19/4191
原文 鵜河立 取左牟安由能 之我波多波 吾等尓可伎<无>氣 念之念婆
訓読 鵜川立ち取らさむ鮎のしがはたは我れにかき向け思ひし思はば
仮名 うかはたち とらさむあゆの しがはたは われにかきむけ おもひしおもはば
  大伴家持
   
  19/4192
原文 桃花 紅色尓 々保比多流 面輪<乃>宇知尓 青柳乃 細眉根乎 咲麻我理 朝影見都追 D嬬良我 手尓取持有 真鏡 盖上山尓 許能久礼乃 繁谿邊乎 呼等<余米> 旦飛渡 暮月夜 可蘇氣伎野邊 遥々尓 喧霍公鳥 立久久等 羽觸尓知良須 藤浪乃 花奈都可之美 引攀而 袖尓古伎礼都 染婆染等母
訓読 桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ 娘子らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木の暗の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り 夕月夜 かそけき野辺に はろはろに 鳴く霍公鳥 立ち潜くと 羽触れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも
仮名 もものはな くれなゐいろに にほひたる おもわのうちに あをやぎの ほそきまよねを ゑみまがり あさかげみつつ をとめらが てにとりもてる まそかがみ ふたがみやまに このくれの しげきたにへを よびとよめ あさとびわたり ゆふづくよ かそけきのへに はろはろに なくほととぎす たちくくと はぶれにちらす ふぢなみの はななつかしみ ひきよぢて そでにこきれつ しまばしむとも
  大伴家持
   
  19/4193
原文 霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花 [一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也]
訓読 霍公鳥鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花 [一云 散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花]
仮名 ほととぎす なくはぶれにも ちりにけり さかりすぐらし ふぢなみのはな [ちりぬべみ そでにこきれつ ふぢなみのはな]
  大伴家持
   
  19/4194
原文 霍公鳥 喧渡奴等 告礼騰毛 吾聞都我受 花波須疑都追
訓読 霍公鳥鳴き渡りぬと告ぐれども我れ聞き継がず花は過ぎつつ
仮名 ほととぎす なきわたりぬと つぐれども われききつがず はなはすぎつつ
  大伴家持
   
  19/4195
原文 吾幾許 斯<努>波久不知尓 霍公鳥 伊頭敝能山乎 鳴可将超
訓読 我がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ
仮名 わがここだ しのはくしらに ほととぎす いづへのやまを なきかこゆらむ
  大伴家持
   
  19/4196
原文 月立之 日欲里乎伎都追 敲自努比 麻泥騰伎奈可奴 霍公鳥可母
訓読 月立ちし日より招きつつうち偲ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも
仮名 つきたちし ひよりをきつつ うちしのひ まてどきなかぬ ほととぎすかも
  大伴家持
   
  19/4197
原文 妹尓似 草等見之欲里 吾標之 野邊之山吹 誰可手乎里之
訓読 妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし
仮名 いもににる くさとみしより わがしめし のへのやまぶき たれかたをりし
  大伴家持
   
  19/4198
原文 都礼母奈久 可礼尓之毛能登 人者雖云 不相日麻祢美 念曽吾為流
訓読 つれもなく離れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひぞ我がする
仮名 つれもなく かれにしものと ひとはいへど あはぬひまねみ おもひぞわがする
  大伴家持
   
  19/4199
原文 藤奈美<乃> 影成海之 底清美 之都久石乎毛 珠等曽吾見流
訓読 藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る
仮名 ふぢなみの かげなすうみの そこきよみ しづくいしをも たまとぞわがみる
  大伴家持
   
  19/4200
原文 多I乃浦能 底左倍尓保布 藤奈美乎 加射之氐将去 不見人之為
訓読 多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため
仮名 たこのうらの そこさへにほふ ふぢなみを かざしてゆかむ みぬひとのため
  内蔵縄麻呂
   
  19/4201
原文 伊佐左可尓 念而来之乎 多I乃浦尓 開流藤見而 一夜可經
訓読 いささかに思ひて来しを多胡の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし
仮名 いささかに おもひてこしを たこのうらに さけるふぢみて ひとよへぬべし
  久米広縄
   
  19/4202
原文 藤奈美乎 借廬尓造 灣廻為流 人等波不知尓 海部等可見良牟
訓読 藤波を仮廬に作り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ
仮名 ふぢなみを かりいほにつくり うらみする ひととはしらに あまとかみらむ
  久米継麻呂
   
  19/4203
原文 家尓去而 奈尓乎将語 安之比奇能 山霍公鳥 一音毛奈家
訓読 家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け
仮名 いへにゆきて なにをかたらむ あしひきの やまほととぎす ひとこゑもなけ
  久米広縄
   
  19/4204
原文 吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
訓読 我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋
仮名 わがせこが ささげてもてる ほほがしは あたかもにるか あをききぬがさ
  恵行
   
  19/4205
原文 皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寶我之波
訓読 皇祖の遠御代御代はい重き折り酒飲みきといふぞこのほほがしは
仮名 すめろきの とほみよみよは いしきをり きのみきといふぞ このほほがしは
  大伴家持
   
  19/4206
原文 之夫多尓乎 指而吾行 此濱尓 月夜安伎氐牟 馬之末時停息
訓読 渋谿をさして我が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め
仮名 しぶたにを さしてわがゆく このはまに つくよあきてむ うましましとめ
  大伴家持
   
  19/4207
原文 此間尓之氐 曽我比尓所見 和我勢故我 垣都能谿尓 安氣左礼婆 榛之狭枝尓 暮左礼婆 藤之繁美尓 遥々尓 鳴霍公鳥 吾屋戸能 殖木橘 花尓知流 時乎麻<太>之美 伎奈加奈久 曽許波不怨 之可礼杼毛 谷可多頭伎氐 家居有 君之聞都々 追氣奈久毛宇之
訓読 ここにして そがひに見ゆる 我が背子が 垣内の谷に 明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の繁みに はろはろに 鳴く霍公鳥 我が宿の 植木橘 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ 告げなくも憂し
仮名 ここにして そがひにみゆる わがせこが かきつのたにに あけされば はりのさえだに ゆふされば ふぢのしげみに はろはろに なくほととぎす わがやどの うゑきたちばな はなにちる ときをまだしみ きなかなく そこはうらみず しかれども たにかたづきて いへをれる きみがききつつ つげなくもうし
  大伴家持
   
  19/4208
原文 吾幾許 麻氐騰来不鳴 霍公鳥 比等里聞都追 不告君可母
訓読 我がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥ひとり聞きつつ告げぬ君かも
仮名 わがここだ まてどきなかぬ ほととぎす ひとりききつつ つげぬきみかも
  大伴家持
   
  19/4209
原文 多尓知可久 伊敝波乎礼騰母 許太加久氐 佐刀波安礼騰母 保登等藝須 伊麻太伎奈加受 奈久許恵乎 伎可麻久保理登 安志多尓波 可度尓伊氐多知 由布敝尓波 多尓乎美和多之 古布礼騰毛 比等己恵太尓母 伊麻太伎己要受
訓読 谷近く 家は居れども 木高くて 里はあれども 霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲りと 朝には 門に出で立ち 夕には 谷を見渡し 恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず
仮名 たにちかく いへはをれども こだかくて さとはあれども ほととぎす いまだきなかず なくこゑを きかまくほりと あしたには かどにいでたち ゆふへには たにをみわたし こふれども ひとこゑだにも いまだきこえず
  久米広縄
   
  19/4210
原文 敷治奈美乃 志氣里波須疑奴 安志比紀乃 夜麻保登等藝須 奈騰可伎奈賀奴
訓読 藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ
仮名 ふぢなみの しげりはすぎぬ あしひきの やまほととぎす などかきなかぬ
  久米広縄
   
  19/4211
原文 古尓 有家流和射乃 久須婆之伎 事跡言継 知努乎登古 宇奈比<壮>子乃 宇都勢美能 名乎競争<登> 玉剋 壽毛須底弖 相争尓 嬬問為家留 D嬬等之 聞者悲左 春花乃 尓太要盛而 秋葉之 尓保比尓照有 惜 身之壮尚 大夫之 語勞美 父母尓 啓別而 離家 海邊尓出立 朝暮尓 満来潮之 八隔浪尓 靡珠藻乃 節間毛 惜命乎 露霜之 過麻之尓家礼 奥墓乎 此間定而 後代之 聞継人毛 伊也遠尓 思努比尓勢餘等 黄楊小櫛 之賀左志家良之 生而靡有
訓読 古に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継ぐ 智渟壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻問ひしける 処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて 秋の葉の にほひに照れる 惜しき 身の盛りすら 大夫の 言いたはしみ 父母に 申し別れて 家離り 海辺に出で立ち 朝夕に 満ち来る潮の 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奥城を ここと定めて 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり
仮名 いにしへに ありけるわざの くすばしき ことといひつぐ ちぬをとこ うなひをとこの うつせみの なをあらそふと たまきはる いのちもすてて あらそひに つまどひしける をとめらが きけばかなしさ はるはなの にほえさかえて あきのはの にほひにてれる あたらしき みのさかりすら ますらをの こといたはしみ ちちははに まをしわかれて いへざかり うみへにいでたち あさよひに みちくるしほの やへなみに なびくたまもの ふしのまも をしきいのちを つゆしもの すぎましにけれ おくつきを こことさだめて のちのよの ききつぐひとも いやとほに しのひにせよと つげをぐし しかさしけらし おひてなびけり
  大伴家持
   
  19/4212
原文 乎等女等之 後<乃>表跡 黄楊小櫛 生更生而 靡家良思母
訓読 娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも
仮名 をとめらが のちのしるしと つげをぐし おひかはりおひて なびきけらしも
  大伴家持
   
  19/4213
原文 安由乎疾 奈呉<乃>浦廻尓 与須流浪 伊夜千重之伎尓 戀<度>可母
訓読 東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひわたるかも
仮名 あゆをいたみ なごのうらみに よするなみ いやちへしきに こひわたるかも
  大伴家持
   
  19/4214
原文 天地之 初時従 宇都曽美能 八十伴男者 大王尓 麻都呂布物跡 定有 官尓之在者 天皇之 命恐 夷放 國乎治等 足日木 山河阻 風雲尓 言者雖通 正不遇 日之累者 思戀 氣衝居尓 玉桙之 道来人之 傳言尓 吾尓語良久 波之伎餘之 君者比来 宇良佐備弖 嘆息伊麻須 世間之 猒家口都良家苦 開花毛 時尓宇都呂布 宇都勢美毛 <无>常阿里家利 足千根之 御母之命 何如可毛 時之波将有乎 真鏡 見礼杼母不飽 珠緒之 惜盛尓 立霧之 失去如久 置露之 消去之如 玉藻成 靡許伊臥 逝水之 留不得常 枉言哉 人之云都流 逆言乎 人之告都流 梓<弓> <弦>爪夜音之 遠音尓毛 聞者悲弥 庭多豆水 流涕 留可祢都母
訓読 天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 御母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも
仮名 あめつちの はじめのときゆ うつそみの やそとものをは おほきみに まつろふものと さだまれる つかさにしあれば おほきみの みことかしこみ ひなざかる くにををさむと あしひきの やまかはへだて かぜくもに ことはかよへど ただにあはず ひのかさなれば おもひこひ いきづきをるに たまほこの みちくるひとの つてことに われにかたらく はしきよし きみはこのころ うらさびて なげかひいます よのなかの うけくつらけく さくはなも ときにうつろふ うつせみも つねなくありけり たらちねの みははのみこと なにしかも ときしはあらむを まそかがみ みれどもあかず たまのをの をしきさかりに たつきりの うせぬるごとく おくつゆの けぬるがごとく たまもなす なびきこいふし ゆくみづの とどめかねつと たはことか ひとのいひつる およづれか ひとのつげつる あづさゆみ つまびくよおとの とほおとにも きけばかなしみ にはたづみ ながるるなみた とどめかねつも
  大伴家持
   
  19/4215
原文 遠音毛 君之痛念跡 聞都礼婆 哭耳所泣 相念吾者
訓読 遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふ我れは
仮名 とほとにも きみがなげくと ききつれば ねのみしなかゆ あひおもふわれは
  大伴家持
   
  19/4216
原文 世間之 <无>常事者 知良牟乎 情盡莫 大夫尓之氐
訓読 世間の常なきことは知るらむを心尽くすな大夫にして
仮名 よのなかの つねなきことは しるらむを こころつくすな ますらをにして
  大伴家持
   
  19/4217
原文 宇能花乎 令腐霖雨之 始水<邇> 縁木積成 将因兒毛我母
訓読 卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも
仮名 うのはなを くたすながめの みづはなに よるこつみなす よらむこもがも
  大伴家持
   
  19/4218
原文 鮪衝等 海人之燭有 伊射里火之 保尓可将出 吾之下念乎
訓読 鮪突くと海人の灯せる漁り火の秀にか出ださむ我が下思ひを
仮名 しびつくと あまのともせる いざりひの ほにかいださむ わがしたもひを
  大伴家持
   
  19/4219
原文 吾屋戸之 芽子開尓家理 秋風之 将吹乎待者 伊等遠弥可母
訓読 我が宿の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも
仮名 わがやどの はぎさきにけり あきかぜの ふかむをまたば いととほみかも
  大伴家持
   
  19/4220
原文 和多都民能 可味能美許等乃 美久之宜尓 多久波比於伎氐 伊都久等布 多麻尓末佐里氐 於毛敝里之 安我故尓波安礼騰 宇都世美乃 与能許等和利等 麻須良乎能 比伎能麻尓麻仁 之奈謝可流 古之地乎左之氐 波布都多能 和可礼尓之欲理 於吉都奈美 等乎牟麻欲妣伎 於保夫祢能 由久良々々々耳 於毛可宜尓 毛得奈民延都々 可久古非婆 意伊豆久安我未 氣太志安倍牟可母
訓読 海神の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて 斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世の理と 大夫の 引きのまにまに しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪へむかも
仮名 わたつみの かみのみことの みくしげに たくはひおきて いつくとふ たまにまさりて おもへりし あがこにはあれど うつせみの よのことわりと ますらをの ひきのまにまに しなざかる こしぢをさして はふつたの わかれにしより おきつなみ とをむまよびき おほぶねの ゆくらゆくらに おもかげに もとなみえつつ かくこひば おいづくあがみ けだしあへむかも
  坂上郎女
   
  19/4221
原文 可久婆可里 古<非>之久志安良婆 末蘇可我美 弥奴比等吉奈久 安良麻之母能乎
訓読 かくばかり恋しくしあらばまそ鏡見ぬ日時なくあらましものを
仮名 かくばかり こひしくしあらば まそかがみ みぬひときなく あらましものを
  坂上郎女
   
  19/4222
原文 許能之具礼 伊多久奈布里曽 和藝毛故尓 美勢牟我多米尓 母美知等里氐牟
訓読 このしぐれいたくな降りそ我妹子に見せむがために黄葉取りてむ
仮名 このしぐれ いたくなふりそ わぎもこに みせむがために もみちとりてむ
  久米広縄
   
  19/4223
原文 安乎尓与之 奈良比等美牟登 和我世故我 之米家牟毛美知 都知尓於知米也毛
訓読 あをによし奈良人見むと我が背子が標けむ黄葉地に落ちめやも
仮名 あをによし ならひとみむと わがせこが しめけむもみち つちにおちめやも
  大伴家持
   
  19/4224
原文 朝霧之 多奈引田為尓 鳴鴈乎 留得哉 吾屋戸能波義
訓読 朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩
仮名 あさぎりの たなびくたゐに なくかりを とどめえむかも わがやどのはぎ
  光明皇后
   
  19/4225
原文 足日木之 山黄葉尓 四頭久相而 将落山道乎 公之超麻久
訓読 あしひきの山の黄葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく
仮名 あしひきの やまのもみちに しづくあひて ちらむやまぢを きみがこえまく
  大伴家持
   
  19/4226
原文 此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見
訓読 この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む
仮名 このゆきの けのこるときに いざゆかな やまたちばなの みのてるもみむ
  大伴家持
   
  19/4227
原文 大殿之 此廻之 雪莫踏祢 數毛 不零雪曽 山耳尓 零之雪曽 由米縁勿 人哉莫履祢 雪者
訓読 大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人やな踏みそね 雪は
仮名 おほとのの このもとほりの ゆきなふみそね しばしばも ふらぬゆきぞ やまのみに ふりしゆきぞ ゆめよるな ひとやなふみそね ゆきは
  三形沙弥
   
  19/4228
原文 有都々毛 御見多麻波牟曽 大殿乃 此母等保里能 雪奈布美曽祢
訓読 ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね
仮名 ありつつも めしたまはむぞ おほとのの このもとほりの ゆきなふみそね
  三形沙弥
   
  19/4229
原文 新 年之初者 弥年尓 雪踏平之 常如此尓毛我
訓読 新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが
仮名 あらたしき としのはじめは いやとしに ゆきふみならし つねかくにもが
  大伴家持
   
  19/4230
原文 落雪乎 腰尓奈都美弖 参来之 印毛有香 年之初尓
訓読 降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに
仮名 ふるゆきを こしになづみて まゐてこし しるしもあるか としのはじめに
  大伴家持
   
  19/4231
原文 奈泥之故波 秋咲物乎 君宅之 雪巌尓 左家理家流可母
訓読 なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも
仮名 なでしこは あきさくものを きみがいへの ゆきのいはほに さけりけるかも
  久米広縄
   
  19/4232
原文 雪嶋 巌尓殖有 奈泥之故波 千世尓開奴可 君之挿頭尓
訓読 雪の嶋巌に植ゑたるなでしこは千代に咲かぬか君がかざしに
仮名 ゆきのしま いはほにうゑたる なでしこは ちよにさかぬか きみがかざしに
  遊行女婦蒲生
   
  19/4233
原文 打羽振 鶏者鳴等母 如此許 零敷雪尓 君伊麻左米也母
訓読 うち羽振き鶏は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも
仮名 うちはぶき とりはなくとも かくばかり ふりしくゆきに きみいまさめやも
  内蔵縄麻呂
   
  19/4234
原文 鳴鶏者 弥及鳴杼 落雪之 千重尓積許曽 吾等立可氐祢
訓読 鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ我が立ちかてね
仮名 なくとりは いやしきなけど ふるゆきの ちへにつめこそ わがたちかてね
  大伴家持
   
  19/4235
原文 天雲乎 富呂尓布美安太之 鳴神毛 今日尓益而 可之古家米也母
訓読 天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも
仮名 あまくもを ほろにふみあだし なるかみも けふにまさりて かしこけめやも
  縣犬養三千代
   
  19/4236
原文 天地之 神者<无>可礼也 愛 吾妻離流 光神 鳴波多D嬬 携手 共将有等 念之尓 情違奴 将言為便 将作為便不知尓 木綿手次 肩尓取<挂> 倭<文>幣乎 手尓取持氐 勿令離等 和礼波雖祷 巻而寐之 妹之手本者 雲尓多奈妣久
訓読 天地の 神はなかれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり ともにあらむと 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと 我れは祈れど 枕きて寝し 妹が手本は 雲にたなびく
仮名 あめつちの かみはなかれや うつくしき わがつまさかる ひかるかみ なりはたをとめ たづさはり ともにあらむと おもひしに こころたがひぬ いはむすべ せむすべしらに ゆふたすき かたにとりかけ しつぬさを てにとりもちて なさけそと われはいのれど まきてねし いもがたもとは くもにたなびく
   
  19/4237
原文 寤尓等 念氐之可毛 夢耳尓 手本巻<寐>等 見者須便奈之
訓読 うつつにと思ひてしかも夢のみに手本巻き寝と見ればすべなし
仮名 うつつにと おもひてしかも いめのみに たもとまきぬと みればすべなし
   
  19/4238
原文 君之徃 若久尓有婆 梅柳 誰与共可 吾縵可牟
訓読 君が行きもし久にあらば梅柳誰れとともにか我がかづらかむ
仮名 きみがゆき もしひさにあらば うめやなぎ たれとともにか わがかづらかむ
  大伴家持
   
  19/4239
原文 二上之 峯於乃繁尓 許毛<里>尓之 <彼>霍公鳥 待<騰>来奈賀受
訓読 二上の峰の上の茂に隠りにしその霍公鳥待てど来鳴かず
仮名 ふたがみの をのうへのしげに こもりにし そのほととぎす まてどきなかず
  大伴家持
   
  19/4240
原文 大船尓 真梶繁貫 此吾子乎 韓國邊遣 伊波敝神多智
訓読 大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち
仮名 おほぶねに まかぢしじぬき このあこを からくにへやる いはへかみたち
  光明皇后
   
  19/4241
原文 春日野尓 伊都久三諸乃 梅花 榮而在待 還来麻泥
訓読 春日野に斎く三諸の梅の花栄えてあり待て帰りくるまで
仮名 かすがのに いつくみもろの うめのはな さかえてありまて かへりくるまで
  藤原清河
   
  19/4242
原文 天雲乃 去還奈牟 毛能由恵尓 念曽吾為流 別悲美
訓読 天雲の行き帰りなむものゆゑに思ひぞ我がする別れ悲しみ
仮名 あまくもの ゆきかへりなむ ものゆゑに おもひぞわがする わかれかなしみ
  藤原仲麻呂
   
  19/4243
原文 住吉尓 伊都久祝之 神言等 行得毛来等毛 舶波早家<无>
訓読 住吉に斎く祝が神言と行くとも来とも船は早けむ
仮名 すみのえに いつくはふりが かむごとと ゆくともくとも ふねははやけむ
  丹比土作
   
  19/4244
原文 荒玉之 年緒長 吾念有 兒等尓可戀 月近附奴
訓読 あらたまの年の緒長く我が思へる子らに恋ふべき月近づきぬ
仮名 あらたまの としのをながく あがもへる こらにこふべき つきちかづきぬ
  藤原清河
   
  19/4245
原文 虚見都 山跡乃國 青<丹>与之 平城京師由 忍照 難波尓久太里 住吉乃 三津尓<舶>能利 直渡 日入國尓 所遣 和我勢能君乎 懸麻久乃 由々志恐伎 墨吉乃 吾大御神 舶乃倍尓 宇之波伎座 船騰毛尓 御立座而 佐之与良牟 礒乃埼々 許藝波底牟 泊々尓 荒風 浪尓安波世受 平久 率而可敝理麻世 毛等能國家尓
訓読 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に 任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして さし寄らむ 礒の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはせず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に
仮名 そらみつ やまとのくに あをによし ならのみやこゆ おしてる なにはにくだり すみのえの みつにふなのり ただわたり ひのいるくにに まけらゆる わがせのきみを かけまくの ゆゆしかしこき すみのえの わがおほみかみ ふなのへに うしはきいまし ふなともに みたたしまして さしよらむ いそのさきざき こぎはてむ とまりとまりに あらきかぜ なみにあはせず たひらけく ゐてかへりませ もとのみかどに
   
  19/4246
原文 奥浪 邊波莫越 君之舶 許藝可敝里来而 津尓泊麻泥
訓読 沖つ波辺波な越しそ君が船漕ぎ帰り来て津に泊つるまで
仮名 おきつなみ へなみなこしそ きみがふね こぎかへりきて つにはつるまで
   
  19/4247
原文 天雲能 曽伎敝能伎波美 吾念有 伎美尓将別 日近成奴
訓読 天雲のそきへの極み我が思へる君に別れむ日近くなりぬ
仮名 あまくもの そきへのきはみ あがもへる きみにわかれむ ひちかくなりぬ
  阿倍老人母
   
  19/4248
原文 荒玉乃 年緒長久 相見氐之 彼心引 将忘也毛
訓読 あらたまの年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも
仮名 あらたまの としのをながく あひみてし そのこころひき わすらえめやも
  大伴家持
   
  19/4249
原文 伊波世野尓 秋芽子之努藝 馬並 始鷹猟太尓 不為哉将別
訓読 石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ
仮名 いはせのに あきはぎしのぎ うまなめて はつとがりだに せずやわかれむ
  大伴家持
   
  19/4250
原文 之奈謝可流 越尓五箇年 住々而 立別麻久 惜初夜可<毛>
訓読 しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも
仮名 しなざかる こしにいつとせ すみすみて たちわかれまく をしきよひかも
  大伴家持
   
  19/4251
原文 玉桙之 道尓出立 徃吾者 公之事跡乎 負而之将去
訓読 玉桙の道に出で立ち行く我れは君が事跡を負ひてし行かむ
仮名 たまほこの みちにいでたち ゆくわれは きみがこととを おひてしゆかむ
  大伴家持
   
  19/4252
原文 君之家尓 殖有芽子之 始花乎 折而挿頭奈 客別度知
訓読 君が家に植ゑたる萩の初花を折りてかざさな旅別るどち
仮名 きみがいへに うゑたるはぎの はつはなを をりてかざさな たびわかるどち
  久米広縄
   
  19/4253
原文 立而居而 待登待可祢 伊泥氐来之 君尓於是相 挿頭都流波疑
訓読 立ちて居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩
仮名 たちてゐて まてどまちかね いでてこし きみにここにあひ かざしつるはぎ
  大伴家持
   
  19/4254
原文 蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫 伊許藝都追 國看之勢志氐 安母里麻之 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流 天之日継等 神奈我良 吾皇乃 天下 治賜者 物乃布能 八十友之雄乎 撫賜 等登能倍賜 食國毛 四方之人乎母 安<夫>左波受 ヌ賜者 従古昔 無利之瑞 多婢<末>祢久 申多麻比奴 手拱而 事無御代等 天地 日月等登聞仁 万世尓 記續牟曽 八隅知之 吾大皇 秋花 之我色々尓 見賜 明米多麻比 酒見附 榮流今日之 安夜尓貴左
訓読 蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ
仮名 あきづしま やまとのくにを あまくもに いはふねうかべ ともにへに まかいしじぬき いこぎつつ くにみしせして あもりまし はらひたひらげ ちよかさね いやつぎつぎに しらしくる あまのひつぎと かむながら わがおほきみの あめのした をさめたまへば もののふの やそとものをを なでたまひ ととのへたまひ をすくにも よものひとをも あぶさはず めぐみたまへば いにしへゆ なかりししるし たびまねく まをしたまひぬ たむだきて ことなきみよと あめつち ひつきとともに よろづよに しるしつがむぞ やすみしし わがおほきみ あきのはな しがいろいろに めしたまひ あきらめたまひ さかみづき さかゆるけふの あやにたふとさ
  大伴家持
   
  19/4255
原文 秋時花 種尓有等 色別尓 見之明良牟流 今日之貴左
訓読 秋の花種にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ
仮名 あきのはな くさぐさにあれど いろごとに めしあきらむる けふのたふとさ
  大伴家持
   
  19/4256
原文 古昔尓 君之三代經 仕家利 吾大主波 七世申祢
訓読 いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね
仮名 いにしへに きみがみよへて つかへけり あがおほぬしは ななよまをさね
  大伴家持
   
  19/4257
原文 手束弓 手尓取持而 朝猟尓 君者立<之>奴 多奈久良能野尓
訓読 手束弓手に取り持ちて朝狩りに君は立たしぬ棚倉の野に
仮名 たつかゆみ てにとりもちて あさがりに きみはたたしぬ たなくらののに
   
  19/4258
原文 明日香河 々戸乎清美 後居而 戀者京 弥遠曽伎奴
訓読 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ
仮名 あすかがは かはとをきよみ おくれゐて こふればみやこ いやとほそきぬ
   
  19/4259
原文 十月 之具礼能常可 吾世古河 屋戸乃黄葉 可落所見
訓読 十月時雨の常か我が背子が宿の黄葉散りぬべく見ゆ
仮名 かむなづき しぐれのつねか わがせこが やどのもみちば ちりぬべくみゆ
  大伴家持
   
  19/4260
原文 皇者 神尓之座者 赤駒之 腹婆布田為乎 京師跡奈之都
訓読 大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ
仮名 おほきみは かみにしませば あかごまの はらばふたゐを みやことなしつ
  大伴御行
   
  19/4261
原文 大王者 神尓之座者 水鳥乃 須太久水奴麻乎 皇都常成通 
訓読 大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ 
仮名 おほきみは かみにしませば みづとりの すだくみぬまを みやことなしつ
   
  19/4262
原文 韓國尓 由伎多良波之氐 可敝里許牟 麻須良多家乎尓 美伎多弖麻都流
訓読 唐国に行き足らはして帰り来むますら健男に御酒奉る
仮名 からくにに ゆきたらはして かへりこむ ますらたけをに みきたてまつる
  丹比鷹主
   
  19/4263
原文 梳毛見自 屋中毛波可自 久左麻久良 多婢由久伎美乎 伊波布等毛比氐 [作<者>未詳]
訓読 櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行く君を斎ふと思ひて
仮名 くしもみじ やぬちもはかじ くさまくら たびゆくきみを いはふともひて [作<者>未詳]
   
  19/4264
原文 虚見都 山跡乃國波 水上波 地徃如久 船上波 床座如 大神乃 鎮在國曽 四舶 々能倍奈良倍 平安 早渡来而 還事 奏日尓 相飲酒曽 <斯>豊御酒者
訓読 そらみつ 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は
仮名 そらみつ やまとのくには みづのうへは つちゆくごとく ふねのうへは とこにをるごと おほかみの いはへるくにぞ よつのふね ふなのへならべ たひらけく はやわたりきて かへりこと まをさむひに あひのまむきぞ このとよみきは
  孝謙天皇
   
  19/4265
原文 四舶 早還来等 白香著 朕裳裙尓 鎮而将待
訓読 四つの船早帰り来としらか付け我が裳の裾に斎ひて待たむ
仮名 よつのふね はやかへりこと しらかつけ わがものすそに いはひてまたむ
  孝謙天皇
   
  19/4266
原文 安之比奇能 八峯能宇倍能 都我能木能 伊也継々尓 松根能 絶事奈久 青丹余志 奈良能京師尓 万代尓 國所知等 安美知之 吾大皇乃 神奈我良 於母保之賣志弖 豊宴 見為今日者 毛能乃布能 八十伴雄能 嶋山尓 安可流橘 宇受尓指 紐解放而 千年保伎 <保>吉等餘毛之 恵良々々尓 仕奉乎 見之貴者
訓読 あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ
仮名 あしひきの やつをのうへの つがのきの いやつぎつぎに まつがねの たゆることなく あをによし ならのみやこに よろづよに くにしらさむと やすみしし わがおほきみの かむながら おもほしめして とよのあかり めすけふのひは もののふの やそとものをの しまやまに あかるたちばな うずにさし ひもときさけて ちとせほき ほきとよもし ゑらゑらに つかへまつるを みるがたふとさ
  大伴家持
   
  19/4267
原文 須賣呂伎能 御代万代尓 如是許曽 見為安伎良目<米> 立年之葉尓
訓読 天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に
仮名 すめろきの みよよろづよに かくしこそ めしあきらめめ たつとしのはに
  大伴家持
   
  19/4268
原文 此里者 継而霜哉置 夏野尓 吾見之草波 毛美知多里家利
訓読 この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり
仮名 このさとは つぎてしもやおく なつののに わがみしくさは もみちたりけり
  孝謙天皇
   
  19/4269
原文 余曽能未尓 見者有之乎 今日見者 年尓不忘 所念可母
訓読 よそのみに見ればありしを今日見ては年に忘れず思ほえむかも
仮名 よそのみに みればありしを けふみては としにわすれず おもほえむかも
  聖武天皇
   
  19/4270
原文 牟具良波布 伊也之伎屋戸母 大皇之 座牟等知者 玉之可麻思乎
訓読 葎延ふ賎しき宿も大君の座さむと知らば玉敷かましを
仮名 むぐらはふ いやしきやども おほきみの まさむとしらば たましかましを
  橘諸兄
   
  19/4271
原文 松影乃 清濱邊尓 玉敷者 君伎麻佐牟可 清濱邊尓
訓読 松蔭の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に
仮名 まつかげの きよきはまへに たましかば きみきまさむか きよきはまへに
  藤原八束
   
  19/4272
原文 天地尓 足之照而 吾大皇 之伎座婆可母 樂伎小里
訓読 天地に足らはし照りて我が大君敷きませばかも楽しき小里
仮名 あめつちに たらはしてりて わがおほきみ しきませばかも たのしきをさと
  大伴家持
   
  19/4273
原文 天地与 相左可延牟等 大宮乎 都可倍麻都礼婆 貴久宇礼之伎
訓読 天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき
仮名 あめつちと あひさかえむと おほみやを つかへまつれば たふとくうれしき
  巨勢奈弖麻呂
   
  19/4274
原文 天尓波母 五百都綱波布 万代尓 國所知牟等 五百都々奈波布[似古歌而未詳]
訓読 天にはも五百つ綱延ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ[似古歌而未詳]
仮名 あめにはも いほつつなはふ よろづよに くにしらさむと いほつつなはふ
  石川年足
   
  19/4275
原文 天地与 久万弖尓 万代尓 都可倍麻都良牟 黒酒白酒乎
訓読 天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を
仮名 あめつちと ひさしきまでに よろづよに つかへまつらむ くろきしろきを
  文屋真人
   
  19/4276
原文 嶋山尓 照在橘 宇受尓左之 仕奉者 卿大夫等
訓読 島山に照れる橘うずに刺し仕へまつるは卿大夫たち
仮名 しまやまに てれるたちばな うずにさし つかへまつるは まへつきみたち
  藤原八束
   
  19/4277
原文 袖垂而 伊射吾苑尓 鴬乃 木傳令落 梅花見尓
訓読 袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に
仮名 そでたれて いざわがそのに うぐひすの こづたひちらす うめのはなみに
  藤原永手
   
  19/4278
原文 足日木乃 夜麻之多日影 可豆良家流 宇倍尓也左良尓 梅乎之<努>波牟
訓読 あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ
仮名 あしひきの やましたひかげ かづらける うへにやさらに うめをしのはむ
  大伴家持
   
  19/4279
原文 能登河乃 後者相牟 之麻之久母 別等伊倍婆 可奈之久母在香
訓読 能登川の後には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか
仮名 のとがはの のちにはあはむ しましくも わかるといへば かなしくもあるか
  船王
   
  19/4280
原文 立別 君我伊麻左婆 之奇嶋能 人者和礼自久 伊波比弖麻多牟
訓読 立ち別れ君がいまさば磯城島の人は我れじく斎ひて待たむ
仮名 たちわかれ きみがいまさば しきしまの ひとはわれじく いはひてまたむ
  大伴黒麻呂
   
  19/4281
原文 白雪能 布里之久山乎 越由加牟 君乎曽母等奈 伊吉能乎尓念,伊伎能乎尓須流
訓読 白雪の降り敷く山を越え行かむ君をぞもとな息の緒に思ふ,息の緒にする
仮名 しらゆきの ふりしくやまを こえゆかむ きみをぞもとな いきのをにおもふ いきのをにする
  大伴家持
   
  19/4282
原文 辞繁 不相問尓 梅花 雪尓之乎礼氐 宇都呂波牟可母
訓読 言繁み相問はなくに梅の花雪にしをれてうつろはむかも
仮名 ことしげみ あひとはなくに うめのはな ゆきにしをれて うつろはむかも
  石上宅嗣
   
  19/4283
原文 梅花 開有之中尓 布敷賣流波 戀哉許母礼留 雪乎待等可
訓読 梅の花咲けるが中にふふめるは恋か隠れる雪を待つとか
仮名 うめのはな さけるがなかに ふふめるは こひかこもれる ゆきをまつとか
  茨田王
   
  19/4284
原文 新 年始尓 思共 伊牟礼氐乎礼婆 宇礼之久母安流可
訓読 新しき年の初めに思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか
仮名 あらたしき としのはじめに おもふどち いむれてをれば うれしくもあるか
  道祖王
   
  19/4285
原文 大宮能 内尓毛外尓母 米都良之久 布礼留大雪 莫踏祢乎之
訓読 大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し
仮名 おほみやの うちにもとにも めづらしく ふれるおほゆき なふみそねをし
  大伴家持
   
  19/4286
原文 御苑布能 竹林尓 鴬波 之波奈吉尓之乎 雪波布利都々
訓読 御園生の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ
仮名 みそのふの たけのはやしに うぐひすは しばなきにしを ゆきはふりつつ
  大伴家持
   
  19/4287
原文 鴬能 鳴之可伎都尓 <々>保敝理之 梅此雪尓 宇都呂布良牟可
訓読 鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか
仮名 うぐひすの なきしかきつに にほへりし うめこのゆきに うつろふらむか
  大伴家持
   
  19/4288
原文 河渚尓母 雪波布礼々之 <宮>裏 智杼利鳴良之 為牟等己呂奈美
訓読 川洲にも雪は降れれし宮の内に千鳥鳴くらし居む所なみ
仮名 かはすにも ゆきはふれれし みやのうちに ちどりなくらし ゐむところなみ
  大伴家持
   
  19/4289
原文 青柳乃 保都枝与治等理 可豆良久波 君之屋戸尓之 千年保久等曽
訓読 青柳の上枝攀ぢ取りかづらくは君が宿にし千年寿くとぞ
仮名 あをやぎの ほつえよぢとり かづらくは きみがやどにし ちとせほくとぞ
  大伴家持
   
  19/4290
原文 春野尓 霞多奈i伎 宇良悲 許能暮影尓 鴬奈久母
訓読 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも
仮名 はるののに かすみたなびき うらがなし このゆふかげに うぐひすなくも
  大伴家持
   
  19/4291
原文 和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母
訓読 我が宿のい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
仮名 わがやどの いささむらたけ ふくかぜの おとのかそけき このゆふへかも
  大伴家持
   
  19/4292
原文 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比<登>里志於母倍婆
訓読 うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば
仮名 うらうらに てれるはるひに ひばりあがり こころかなしも ひとりしおもへば
  大伴家持
   
   

第二十巻

   
   20/4293
原文 安之比奇能 山行之可婆 山人乃 和礼尓依志米之 夜麻都刀曽許礼
訓読 あしひきの山行きしかば山人の我れに得しめし山づとぞこれ
仮名 あしひきの やまゆきしかば やまびとの われにえしめし やまづとぞこれ
  元正天皇
   
  20/4294
原文 安之比奇能 山尓由伎家牟 夜麻妣等能 情母之良受 山人夜多礼
訓読 あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ
仮名 あしひきの やまにゆきけむ やまびとの こころもしらず やまびとやたれ
  舎人親王
   
  20/4295
原文 多可麻刀能 乎婆奈布伎故酒 秋風尓 比毛等伎安氣奈 多太奈良受等母
訓読 高円の尾花吹き越す秋風に紐解き開けな直ならずとも
仮名 たかまとの をばなふきこす あきかぜに ひもときあけな ただならずとも
  大伴池主
   
  20/4296
原文 安麻久母尓 可里曽奈久奈流 多加麻刀能 波疑乃之多婆波 毛美知安倍牟可聞
訓読 天雲に雁ぞ鳴くなる高円の萩の下葉はもみちあへむかも
仮名 あまくもに かりぞなくなる たかまとの はぎのしたばは もみちあへむかも
  中臣清麻呂
   
  20/4297
原文 乎美奈<弊>之 安伎波疑之努藝 左乎之可能 都由和氣奈加牟 多加麻刀能野曽
訓読 をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高圓の野ぞ
仮名 をみなへし あきはぎしのぎ さをしかの つゆわけなかむ たかまとののぞ
  大伴家持
   
  20/4298
原文 霜上尓 安良礼多<婆>之里 伊夜麻之尓 安礼<波>麻為許牟 年緒奈我久 [古今未詳]
訓読 霜の上に霰た走りいやましに我れは参ゐ来む年の緒長く [古今未詳]
仮名 しものうへに あられたばしり いやましに あれはまゐこむ としのをながく
  大伴千室
   
  20/4299
原文 年月波 安良多々々々尓 安比美礼騰 安我毛布伎美波 安伎太良奴可母 [古今未詳]
訓読 年月は新た新たに相見れど我が思ふ君は飽き足らぬかも [古今未詳]
仮名 としつきは あらたあらたに あひみれど あがもふきみは あきだらぬかも
  大伴村上
   
  20/4300
原文 可須美多都 春初乎 家布能其等 見牟登於毛倍波 多努之等曽毛布
訓読 霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとぞ思ふ
仮名 かすみたつ はるのはじめを けふのごと みむとおもへば たのしとぞもふ
  大伴池主
   
  20/4301
原文 伊奈美野乃 安可良我之波々 等伎波安礼騰 伎美乎安我毛布 登伎波佐祢奈之
訓読 印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし
仮名 いなみのの あからがしはは ときはあれど きみをあがもふ ときはさねなし
  安宿王
   
  20/4302
原文 夜麻夫伎波 奈埿都々於保佐牟 安里都々母 伎美伎麻之都々 可射之多里家利
訓読 山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
仮名 やまぶきは なでつつおほさむ ありつつも きみきましつつ かざしたりけり
  置始長谷
   
  20/4303
原文 和我勢故我 夜度乃也麻夫伎 佐吉弖安良婆 也麻受可欲波牟 伊夜登之能波尓
訓読 我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に
仮名 わがせこが やどのやまぶき さきてあらば やまずかよはむ いやとしのはに
  大伴家持
   
  20/4304
原文 夜麻夫伎乃 花能左香利尓 可久乃其等 伎美乎見麻久波 知登世尓母我母
訓読 山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年にもがも
仮名 やまぶきの はなのさかりに かくのごと きみをみまくは ちとせにもがも
  大伴家持
   
  20/4305
原文 許乃久礼能 之氣伎乎乃倍乎 保等登藝須 奈伎弖故由奈理 伊麻之久良之母
訓読 木の暗の茂き峰の上を霍公鳥鳴きて越ゆなり今し来らしも
仮名 このくれの しげきをのへを ほととぎす なきてこゆなり いましくらしも
  大伴家持
   
  20/4306
原文 波都秋風 須受之伎由布弊 等香武等曽 比毛波牟須妣之 伊母尓安波牟多米
訓読 初秋風涼しき夕解かむとぞ紐は結びし妹に逢はむため
仮名 はつあきかぜ すずしきゆふへ とかむとぞ ひもはむすびし いもにあはむため
  大伴家持
   
  20/4307
原文 秋等伊閇婆 許己呂曽伊多伎 宇多弖家尓 花仁奈蘇倍弖 見麻久保里香聞
訓読 秋と言へば心ぞ痛きうたて異に花になそへて見まく欲りかも
仮名 あきといへば こころぞいたき うたてけに はなになそへて みまくほりかも
  大伴家持
   
  20/4308
原文 波都乎婆奈 <々々>尓見牟登之 安麻乃可波 弊奈里尓家良之 年緒奈我久
訓読 初尾花花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く
仮名 はつをばな はなにみむとし あまのがは へなりにけらし としのをながく
  大伴家持
   
  20/4309
原文 秋風尓 奈妣久可波備能 尓故具左能 尓古餘可尓之母 於毛保由流香母
訓読 秋風に靡く川辺のにこ草のにこよかにしも思ほゆるかも
仮名 あきかぜに なびくかはびの にこぐさの にこよかにしも おもほゆるかも
  大伴家持
   
  20/4310
原文 安吉佐礼婆 奇里多知和多流 安麻能河波 伊之奈弥於可<婆> 都藝弖見牟可母
訓読 秋されば霧立ちわたる天の川石並置かば継ぎて見むかも
仮名 あきされば きりたちわたる あまのがは いしなみおかば つぎてみむかも
  大伴家持
   
  20/4311
原文 秋風尓 伊麻香伊麻可等 比母等伎弖 宇良麻知乎流尓 月可多夫伎奴
訓読 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月かたぶきぬ
仮名 あきかぜに いまかいまかと ひもときて うらまちをるに つきかたぶきぬ
  大伴家持
   
  20/4312
原文 秋草尓 於久之良都由能 安可受能未 安比見流毛乃乎 月乎之麻多牟
訓読 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ
仮名 あきくさに おくしらつゆの あかずのみ あひみるものを つきをしまたむ
  大伴家持
   
  20/4313
原文 安乎奈美尓 蘇弖佐閇奴礼弖 許具布祢乃 可之布流保刀尓 左欲布氣奈武可
訓読 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか
仮名 あをなみに そでさへぬれて こぐふねの かしふるほとに さよふけなむか
  大伴家持
   
  20/4314
原文 八千種尓 久佐奇乎宇恵弖 等伎其等尓 佐加牟波奈乎之 見都追思<努>波奈
訓読 八千種に草木を植ゑて時ごとに咲かむ花をし見つつ偲はな
仮名 やちくさに くさきをうゑて ときごとに さかむはなをし みつつしのはな
  大伴家持
   
  20/4315
原文 宮人乃 蘇泥都氣其呂母 安伎波疑尓 仁保比与呂之伎 多加麻刀能美夜
訓読 宮人の袖付け衣秋萩ににほひよろしき高圓の宮
仮名 みやひとの そでつけごろも あきはぎに にほひよろしき たかまとのみや
  大伴家持
   
  20/4316
原文 多可麻刀能 宮乃須蘇未乃 努都可佐尓 伊麻左家流良武 乎美奈弊之波母
訓読 高圓の宮の裾廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも
仮名 たかまとの みやのすそみの のづかさに いまさけるらむ をみなへしはも
  大伴家持
   
  20/4317
原文 秋野尓波 伊麻己曽由可米 母能乃布能 乎等古乎美奈能 波奈尓保比見尓
訓読 秋野には今こそ行かめもののふの男女の花にほひ見に
仮名 あきのには いまこそゆかめ もののふの をとこをみなの はなにほひみに
  大伴家持
   
  20/4318
原文 安伎能野尓 都由於弊流波疑乎 多乎良受弖 安多良佐可里乎 須<具>之弖牟登香
訓読 秋の野に露負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか
仮名 あきののに つゆおへるはぎを たをらずて あたらさかりを すぐしてむとか
  大伴家持
   
  20/4319
原文 多可麻刀能 秋野乃宇倍能 安佐疑里尓 都麻欲夫乎之可 伊泥多都良牟可
訓読 高圓の秋野の上の朝霧に妻呼ぶ壮鹿出で立つらむか
仮名 たかまとの あきののうへの あさぎりに つまよぶをしか いでたつらむか
  大伴家持
   
  20/4320
原文 麻須良男乃 欲妣多天思加婆 左乎之加能 牟奈和氣由加牟 安伎野波疑波良
訓読 大夫の呼び立てしかばさを鹿の胸別け行かむ秋野萩原
仮名 ますらをの よびたてしかば さをしかの むなわけゆかむ あきのはぎはら
  大伴家持
   
  20/4321
原文 可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳<我>牟多祢<牟> 伊牟奈之尓志弖
訓読 畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして
仮名 かしこきや みことかがふり あすゆりや かえがむたねむ いむなしにして
  物部秋持
   
  20/4322
原文 和我都麻波 伊多久古<非>良之 乃牟美豆尓 加其佐倍美曳弖 余尓和須良礼受
訓読 我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず
仮名 わがつまは いたくこひらし のむみづに かごさへみえて よにわすられず
  若倭部身麻呂
   
  20/4323
原文 等伎騰吉乃 波奈波佐家登母 奈尓須礼曽 波々登布波奈乃 佐吉泥己受祁牟
訓読 時々の花は咲けども何すれぞ母とふ花の咲き出来ずけむ
仮名 ときどきの はなはさけども なにすれぞ ははとふはなの さきでこずけむ
  丈部真麻呂
   
  20/4324
原文 等倍多保美 志留波乃伊宗等 尓閇乃宇良等 安比弖之阿良<婆> 己等母加由波牟
訓読 遠江志留波の礒と尓閇の浦と合ひてしあらば言も通はむ
仮名 とへたほみ しるはのいそと にへのうらと あひてしあらば こともかゆはむ
  丈部川相
   
  20/4325
原文 知々波々母 波奈尓母我毛夜 久佐麻久良 多妣波由久等母 佐々己弖由加牟
訓読 父母も花にもがもや草枕旅は行くとも捧ごて行かむ
仮名 ちちははも はなにもがもや くさまくら たびはゆくとも ささごてゆかむ
  丈部黒當
   
  20/4326
原文 父母我 等能々志利弊乃 母々余具佐 母々与伊弖麻勢 和我伎多流麻弖
訓読 父母が殿の後方のももよ草百代いでませ我が来るまで
仮名 ちちははが とののしりへの ももよぐさ ももよいでませ わがきたるまで
  生玉部足國
   
  20/4327
原文 和我都麻母 畫尓可伎等良無 伊豆麻母加 多<妣>由久阿礼<波> 美都々志努波牟
訓読 我が妻も絵に描き取らむ暇もが旅行く我れは見つつ偲はむ
仮名 わがつまも ゑにかきとらむ いつまもが たびゆくあれは みつつしのはむ
  物部古麻呂
   
  20/4328
原文 於保吉美能 美許等可之古美 伊蘇尓布理 宇乃波良和多流 知々波々乎於伎弖
訓読 大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて
仮名 おほきみの みことかしこみ いそにふり うのはらわたる ちちははをおきて
  丈部人麻呂
   
  20/4329
原文 夜蘇久尓波 那尓波尓都度比 布奈可射里 安我世武比呂乎 美毛比等母我<毛>
訓読 八十国は難波に集ひ船かざり我がせむ日ろを見も人もがも
仮名 やそくには なにはにつどひ ふなかざり あがせむひろを みもひともがも
  丹比部國人
   
  20/4330
原文 奈尓波都尓 余曽比余曽比弖 氣布能<比>夜 伊田弖麻可良武 美流波々奈之尓
訓読 難波津に装ひ装ひて今日の日や出でて罷らむ見る母なしに
仮名 なにはつに よそひよそひて けふのひや いでてまからむ みるははなしに
  丸子多麻呂
   
  20/4331
原文 天皇乃 等保能朝<廷>等 之良奴日 筑紫國波 安多麻毛流 於佐倍乃城曽等 聞食 四方國尓波 比等佐波尓 美知弖波安礼杼 登利我奈久 安豆麻乎能故波 伊田牟可比 加敝里見世受弖 伊佐美多流 多家吉軍卒等 祢疑多麻比 麻氣乃麻尓々々 多良知祢乃 波々我目可礼弖 若草能 都麻乎母麻可受 安良多麻能 月日餘美都々 安之我知流 難波能美津尓 大船尓 末加伊之自奴伎 安佐奈藝尓 可故等登能倍 由布思保尓 可知比伎乎里 安騰母比弖 許藝由久伎美波 奈美乃間乎 伊由伎佐具久美 麻佐吉久母 波夜久伊多里弖 大王乃 美許等能麻尓末 麻須良男乃 許己呂乎母知弖 安里米具<理> 事之乎波良<婆> 都々麻波受 可敝理伎麻勢登 伊波比倍乎 等許敝尓須恵弖 之路多倍能 蘇田遠利加敝之 奴婆多麻乃 久路加美之伎弖 奈我伎氣遠 麻知可母戀牟 波之伎都麻良波
訓読 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る おさへの城ぞと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をも巻かず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻り 事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは
仮名 おほきみの とほのみかどと しらぬひ つくしのくには あたまもる おさへのきぞと きこしをす よものくにには ひとさはに みちてはあれど とりがなく あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけきいくさと ねぎたまひ まけのまにまに たらちねの ははがめかれて わかくさの つまをもまかず あらたまの つきひよみつつ あしがちる なにはのみつに おほぶねに まかいしじぬき あさなぎに かこととのへ ゆふしほに かぢひきをり あどもひて こぎゆくきみは なみのまを いゆきさぐくみ まさきくも はやくいたりて おほきみの みことのまにま ますらをの こころをもちて ありめぐり ことしをはらば つつまはず かへりきませと いはひへを とこへにすゑて しろたへの そでをりかへし ぬばたまの くろかみしきて ながきけを まちかもこひむ はしきつまらは
  大伴家持
   
  20/4332
原文 麻須良男能 由伎等里於比弖 伊田弖伊氣<婆> 和可礼乎乎之美 奈氣伎家牟都麻
訓読 大夫の靫取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻
仮名 ますらをの ゆきとりおひて いでていけば わかれををしみ なげきけむつま
  大伴家持
   
  20/4333
原文 等里我奈久 安豆麻乎等故能 都麻和可礼 可奈之久安里家牟 等之能乎奈我美
訓読 鶏が鳴く東壮士の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み
仮名 とりがなく あづまをとこの つまわかれ かなしくありけむ としのをながみ
  大伴家持
   
  20/4334
原文 海原乎 等保久和多里弖 等之布等母 兒良我牟須敝流 比毛等久奈由米
訓読 海原を遠く渡りて年経とも子らが結べる紐解くなゆめ
仮名 うなはらを とほくわたりて としふとも こらがむすべる ひもとくなゆめ
  大伴家持
   
  20/4335
原文 今替 尓比佐伎母利我 布奈弖須流 宇奈波良乃宇倍尓 <奈>美那佐伎曽祢
訓読 今替る新防人が船出する海原の上に波なさきそね
仮名 いまかはる にひさきもりが ふなでする うなはらのうへに なみなさきそね
  大伴家持
   
  20/4336
原文 佐吉母利能 保理江己藝豆流 伊豆手夫祢 可治<登>流間奈久 戀波思氣家牟
訓読 防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ
仮名 さきもりの ほりえこぎづる いづてぶね かぢとるまなく こひはしげけむ
  大伴家持
   
  20/4337
原文 美豆等<利>乃 多知能已蘇岐尓 父母尓 毛能波須價尓弖 已麻叙久夜志伎
訓読 水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来にて今ぞ悔しき
仮名 みづとりの たちのいそぎに ちちははに ものはずけにて いまぞくやしき
  有度部牛麻呂
   
  20/4338
原文 多々美氣米 牟良自加已蘇乃 波奈利蘇乃 波々乎波奈例弖 由久我加奈之佐
訓読 畳薦牟良自が礒の離磯の母を離れて行くが悲しさ
仮名 たたみけめ むらじがいその はなりその ははをはなれて ゆくがかなしさ
  生部道麻呂
   
  20/4339
原文 久尓米具留 阿等利加麻氣利 由伎米具利 加比利久麻弖尓 已波比弖麻多祢
訓読 国廻るあとりかまけり行き廻り帰り来までに斎ひて待たね
仮名 くにめぐる あとりかまけり ゆきめぐり かひりくまでに いはひてまたね
  刑部虫麻呂
   
  20/4340
原文 <等知>波々江 已波比弖麻多祢 豆久志奈流 美豆久白玉 等里弖久麻弖尓
訓読 父母え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに
仮名 とちははえ いはひてまたね つくしなる みづくしらたま とりてくまでに
  川原虫麻呂
   
  20/4341
原文 多知波奈能 美袁利乃佐刀尓 父乎於伎弖 道乃長道波 由伎加弖<努>加毛
訓読 橘の美袁利の里に父を置きて道の長道は行きかてのかも
仮名 たちばなの みをりのさとに ちちをおきて みちのながちは ゆきかてのかも
  丈部足麻呂
   
  20/4342
原文 麻氣波之良 寶米弖豆久礼留 等乃能其等 已麻勢波々刀自 於米加波利勢受
訓読 真木柱ほめて造れる殿のごといませ母刀自面変はりせず
仮名 まけばしら ほめてつくれる とののごと いませははとじ おめがはりせず
  坂田部首麻呂
   
  20/4343
原文 和呂多比波 多比等於米保等 已比尓志弖 古米知夜須良牟 和加美可奈志母
訓読 我ろ旅は旅と思ほど家にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも
仮名 わろたびは たびとおめほど いひにして こめちやすらむ わがみかなしも
  玉作部廣目
   
  20/4344
原文 和須良牟弖 努由伎夜麻由伎 和例久礼等 和我知々波々波 和須例勢努加毛
訓読 忘らむて野行き山行き我れ来れど我が父母は忘れせのかも
仮名 わすらむて のゆきやまゆき われくれど わがちちははは わすれせのかも
  商長首麻呂
   
  20/4345
原文 和伎米故等 不多利和我見之 宇知江須流 々々河乃祢良波 苦不志久米阿流可
訓読 我妹子と二人我が見しうち寄する駿河の嶺らは恋しくめあるか
仮名 わぎめこと ふたりわがみし うちえする するがのねらは くふしくめあるか
  春日部麻呂
   
  20/4346
原文 知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安<例弖> 伊比之氣等<婆>是 和須礼加祢<豆>流
訓読 父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる
仮名 ちちははが かしらかきなで さくあれて いひしけとはぜ わすれかねつる
  丈部稲麻呂
   
  20/4347
原文 伊閇尓之弖 古非都々安良受波 奈我波氣流 多知尓奈里弖母 伊波非弖之加母
訓読 家にして恋ひつつあらずは汝が佩ける大刀になりても斎ひてしかも
仮名 いへにして こひつつあらずは ながはける たちになりても いはひてしかも
  日下部三中父
   
  20/4348
原文 多良知祢乃 波々乎和加例弖 麻許等和例 多非乃加里保尓 夜須久祢牟加母
訓読 たらちねの母を別れてまこと我れ旅の仮廬に安く寝むかも
仮名 たらちねの ははをわかれて まことわれ たびのかりほに やすくねむかも
  日下部三中
   
  20/4349
原文 毛母久麻能 美知波紀尓志乎 麻多佐良尓 夜蘇志麻須藝弖 和加例加由可牟
訓読 百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ
仮名 ももくまの みちはきにしを またさらに やそしますぎて わかれかゆかむ
  刑部三野
   
  20/4350
原文 尓波奈加能 阿須波乃可美尓 古志波佐之 阿例波伊波々牟 加倍理久麻泥尓
訓読 庭中の阿須波の神に小柴さし我れは斎はむ帰り来までに
仮名 にはなかの あすはのかみに こしばさし あれはいははむ かへりくまでに
  若麻續部諸人
   
  20/4351
原文 多<妣>己呂母 夜倍伎可佐祢弖 伊努礼等母 奈保波太佐牟志 伊母尓<志>阿良祢婆
訓読 旅衣八重着重ねて寐のれどもなほ肌寒し妹にしあらねば
仮名 たびころも やへきかさねて いのれども なほはださむし いもにしあらねば
  玉作部國忍
   
  20/4352
原文 美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟
訓読 道の辺の茨のうれに延ほ豆のからまる君をはかれか行かむ
仮名 みちのへの うまらのうれに はほまめの からまるきみを はかれかゆかむ
  丈部鳥
   
  20/4353
原文 伊倍加是波 比尓々々布氣等 和伎母古賀 伊倍其登母遅弖 久流比等母奈之
訓読 家風は日に日に吹けど我妹子が家言持ちて来る人もなし
仮名 いへかぜは ひにひにふけど わぎもこが いへごともちて くるひともなし
  丸子大歳
   
  20/4354
原文 多知許毛乃 多知乃佐和伎尓 阿比美弖之 伊母加己々呂波 和須礼世奴可母
訓読 たちこもの立ちの騒きに相見てし妹が心は忘れせぬかも
仮名 たちこもの たちのさわきに あひみてし いもがこころは わすれせぬかも
  丈部与呂麻呂
   
  20/4355
原文 余曽尓能美 々弖夜和多良毛 奈尓波我多 久毛為尓美由流 志麻奈良奈久尓
訓読 よそにのみ見てや渡らも難波潟雲居に見ゆる島ならなくに
仮名 よそにのみ みてやわたらも なにはがた くもゐにみゆる しまならなくに
  丈部山代
   
  20/4356
原文 和我波々能 蘇弖母知奈弖氐 和我可良尓 奈伎之許己呂乎 和須良延努可毛
訓読 我が母の袖もち撫でて我がからに泣きし心を忘らえのかも
仮名 わがははの そでもちなでて わがからに なきしこころを わすらえのかも
  物部乎刀良
   
  20/4357
原文 阿之可伎能 久麻刀尓多知弖 和藝毛古我 蘇弖<母>志保々尓 奈伎志曽母波由
訓読 葦垣の隈処に立ちて我妹子が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ
仮名 あしかきの くまとにたちて わぎもこが そでもしほほに なきしぞもはゆ
  刑部千國
   
  20/4358
原文 於保伎美乃 美許等加志古美 伊弖久礼婆 和努等里都伎弖 伊比之古奈波毛
訓読 大君の命畏み出で来れば我の取り付きて言ひし子なはも
仮名 おほきみの みことかしこみ いでくれば わのとりつきて いひしこなはも
  物部龍
   
  20/4359
原文 都久之閇尓 敝牟加流布祢乃 伊都之加毛 都加敝麻都里弖 久尓々閇牟可毛
訓読 筑紫辺に舳向かる船のいつしかも仕へまつりて国に舳向かも
仮名 つくしへに へむかるふねの いつしかも つかへまつりて くににへむかも
  若麻續部羊
   
  20/4360
原文 天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓々 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都々 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都々 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎々保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良々尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母
訓読 皇祖の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の緒に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに畏し 神ながら 我ご大君の うち靡く 春の初めは 八千種に 花咲きにほひ 山見れば 見の羨しく 川見れば 見のさやけく ものごとに 栄ゆる時と 見したまひ 明らめたまひ 敷きませる 難波の宮は 聞こし食す 四方の国より 奉る 御調の船は 堀江より 水脈引きしつつ 朝なぎに 楫引き上り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば 白波の 八重をるが上に 海人小船 はららに浮きて 大御食に 仕へまつると をちこちに 漁り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも
仮名 すめろきの とほきみよにも おしてる なにはのくにに あめのした しらしめしきと いまのをに たえずいひつつ かけまくも あやにかしこし かむながら わごおほきみの うちなびく はるのはじめは やちくさに はなさきにほひ やまみれば みのともしく かはみれば みのさやけく ものごとに さかゆるときと めしたまひ あきらめたまひ しきませる なにはのみやは きこしをす よものくにより たてまつる みつきのふねは ほりえより みをびきしつつ あさなぎに かぢひきのぼり ゆふしほに さをさしくだり あぢむらの さわききほひて はまにいでて うなはらみれば しらなみの やへをるがうへに あまをぶね はららにうきて おほみけに つかへまつると をちこちに いざりつりけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここみれば うべしかむよゆ はじめけらしも
  大伴家持
   
  20/4361
原文 櫻花 伊麻佐可里奈里 難波乃海 於之弖流宮尓 伎許之賣須奈倍
訓読 桜花今盛りなり難波の海押し照る宮に聞こしめすなへ
仮名 さくらばな いまさかりなり なにはのうみ おしてるみやに きこしめすなへ
  大伴家持
   
  20/4362
原文 海原乃 由多氣伎見都々 安之我知流 奈尓波尓等之波 倍<奴>倍久於毛保由
訓読 海原のゆたけき見つつ葦が散る難波に年は経ぬべく思ほゆ
仮名 うなはらの ゆたけきみつつ あしがちる なにはにとしは へぬべくおもほゆ
  大伴家持
   
  20/4363
原文 奈尓波都尓 美布祢於呂須恵 夜蘇加奴伎 伊麻波許伎奴等 伊母尓都氣許曽
訓読 難波津に御船下ろ据ゑ八十楫貫き今は漕ぎぬと妹に告げこそ
仮名 なにはつに みふねおろすゑ やそかぬき いまはこぎぬと いもにつげこそ
  若舎人部廣足
   
  20/4364
原文 佐伎牟理尓 多々牟佐和伎尓 伊敝能伊牟何 奈流<弊>伎己等乎 伊波須伎奴可母
訓読 防人に立たむ騒きに家の妹がなるべきことを言はず来ぬかも
仮名 さきむりに たたむさわきに いへのいむが なるべきことを いはずきぬかも
  若舎人部廣足
   
  20/4365
原文 於之弖流夜 奈尓波能<都由>利 布奈与曽比 阿例波許藝奴等 伊母尓都岐許曽
訓読 押し照るや難波の津ゆり船装ひ我れは漕ぎぬと妹に告ぎこそ
仮名 おしてるや なにはのつゆり ふなよそひ あれはこぎぬと いもにつぎこそ
  物部道足
   
  20/4366
原文 比多知散思 由可牟加里母我 阿我古比乎 志留志弖都祁弖 伊母尓志良世牟
訓読 常陸指し行かむ雁もが我が恋を記して付けて妹に知らせむ
仮名 ひたちさし ゆかむかりもが あがこひを しるしてつけて いもにしらせむ
  物部道足
   
  20/4367
原文 阿我母弖能 和須例母之太波 都久波尼乎 布利佐氣美都々 伊母波之奴波尼
訓読 我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね
仮名 あがもての わすれもしだは つくはねを ふりさけみつつ いもはしぬはね
  占部子龍
   
  20/4368
原文 久自我波々 佐氣久阿利麻弖 志富夫祢尓 麻可知之自奴伎 和波可敝里許牟
訓読 久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む
仮名 くじがはは さけくありまて しほぶねに まかぢしじぬき わはかへりこむ
  丸子部佐壮
   
  20/4369
原文 都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁
訓読 筑波嶺のさ百合の花の夜床にも愛しけ妹ぞ昼も愛しけ
仮名 つくはねの さゆるのはなの ゆとこにも かなしけいもぞ ひるもかなしけ
  大舎人部千文
   
  20/4370
原文 阿良例布理 可志麻能可美乎 伊能利都々 須米良美久佐尓 和例波伎尓之乎
訓読 霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍に我れは来にしを
仮名 あられふり かしまのかみを いのりつつ すめらみくさに われはきにしを
  大舎人部千文
   
  20/4371
原文 多知波奈乃 之多布久可是乃 可具波志伎 都久波能夜麻乎 古比須安良米可毛
訓読 橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも
仮名 たちばなの したふくかぜの かぐはしき つくはのやまを こひずあらめかも
  占部廣方
   
  20/4372
原文 阿志加良能 美佐可多麻波理 可閇理美須 阿例波久江由久 阿良志乎母 多志夜波婆可流 不破乃世伎 久江弖和波由久 牟麻能都米 都久志能佐伎尓 知麻利為弖 阿例波伊波々牟 母呂々々波 佐祁久等麻乎須 可閇利久麻弖尓
訓読 足柄の み坂給はり 返り見ず 我れは越え行く 荒し夫も 立しやはばかる 不破の関 越えて我は行く 馬の爪 筑紫の崎に 留まり居て 我れは斎はむ 諸々は 幸くと申す 帰り来までに
仮名 あしがらの みさかたまはり かへりみず あれはくえゆく あらしをも たしやはばかる ふはのせき くえてわはゆく むまのつめ つくしのさきに ちまりゐて あれはいははむ もろもろは さけくとまをす かへりくまでに
  倭文部可良麻呂
   
  20/4373
原文 祁布与利波 可敝里見奈久弖 意富伎美乃 之許乃美多弖等 伊埿多都和例波
訓読 今日よりは返り見なくて大君の醜の御楯と出で立つ我れは
仮名 けふよりは かへりみなくて おほきみの しこのみたてと いでたつわれは
  今奉部与曽布
   
  20/4374
原文 阿米都知乃 可美乎伊乃里弖 佐都夜奴伎 都久之乃之麻乎 佐之弖伊久和例波
訓読 天地の神を祈りて猟矢貫き筑紫の島を指して行く我れは
仮名 あめつちの かみをいのりて さつやぬき つくしのしまを さしていくわれは
  大田部荒耳
   
  20/4375
原文 麻都能氣乃 奈美多流美礼波 伊波妣等乃 和例乎美於久流等 多々理之母己呂
訓読 松の木の並みたる見れば家人の我れを見送ると立たりしもころ
仮名 まつのけの なみたるみれば いはびとの われをみおくると たたりしもころ
  物部真嶋
   
  20/4376
原文 多妣由<岐>尓 由久等之良受弖 阿母志々尓 己等麻乎佐受弖 伊麻叙久夜之氣
訓読 旅行きに行くと知らずて母父に言申さずて今ぞ悔しけ
仮名 たびゆきに ゆくとしらずて あもししに ことまをさずて いまぞくやしけ
  川上老
   
  20/4377
原文 阿母刀自母 多麻尓母賀母夜 伊多太伎弖 美都良乃奈可尓 阿敝麻可麻久母
訓読 母刀自も玉にもがもや戴きてみづらの中に合へ巻かまくも
仮名 あもとじも たまにもがもや いただきて みづらのなかに あへまかまくも
  津守小黒栖
   
  20/4378
原文 都久比夜波 須具波由氣等毛 阿母志々可 多麻乃須我多波 和須例西奈布母
訓読 月日やは過ぐは行けども母父が玉の姿は忘れせなふも
仮名 つくひやは すぐはゆけども あもししが たまのすがたは わすれせなふも
  中臣部足國
   
  20/4379
原文 之良奈美乃 与曽流波麻倍尓 和可例奈波 伊刀毛須倍奈美 夜多妣蘇弖布流
訓読 白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度袖振る
仮名 しらなみの よそるはまへに わかれなば いともすべなみ やたびそでふる
  大舎人部祢麻呂
   
  20/4380
原文 奈尓波刀乎 己岐埿弖美例婆 可美佐夫流 伊古麻多可祢尓 久毛曽多奈妣久
訓読 難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく
仮名 なにはとを こぎでてみれば かみさぶる いこまたかねに くもぞたなびく
  大田部三成
   
  20/4381
原文 <久>尓<具尓>乃 佐岐毛利都度比 布奈能里弖 和可流乎美礼婆 伊刀母須敝奈之
訓読 国々の防人集ひ船乗りて別るを見ればいともすべなし
仮名 くにぐにの さきもりつどひ ふなのりて わかるをみれば いともすべなし
  神麻續部嶋麻呂
   
  20/4382
原文 布多富我美 阿志氣比等奈里 阿多由麻比 和我須流等伎尓 佐伎母里尓佐須
訓読 ふたほがみ悪しけ人なりあたゆまひ我がする時に防人にさす
仮名 ふたほがみ あしけひとなり あたゆまひ わがするときに さきもりにさす
  大伴部廣成
   
  20/4383
原文 都乃久尓乃 宇美能奈伎佐尓 布奈餘曽比 多志埿毛等伎尓 阿母我米母我母
訓読 津の国の海の渚に船装ひ立し出も時に母が目もがも
仮名 つのくにの うみのなぎさに ふなよそひ たしでもときに あもがめもがも
  丈部足人
   
  20/4384
原文 阿加等伎乃 加波多例等枳尓 之麻加枳乎 己枳尓之布祢乃 他都枳之良須母
訓読 暁のかはたれ時に島蔭を漕ぎ去し船のたづき知らずも
仮名 あかときの かはたれときに しまかぎを こぎにしふねの たづきしらずも
  他田日奉得大理
   
  20/4385
原文 由古作枳尓 奈美奈等恵良比 志流敝尓波 古乎等都麻乎等 於枳弖等母枳奴
訓読 行こ先に波なとゑらひ後方には子をと妻をと置きてとも来ぬ
仮名 ゆこさきに なみなとゑらひ しるへには こをとつまをと おきてともきぬ
  私部石嶋
   
  20/4386
原文 和加々都乃 以都母等夜奈枳 以都母々々々 於母加古比須々 奈理麻之都之母
訓読 我が門の五本柳いつもいつも母が恋すす業りましつしも
仮名 わがかづの いつもとやなぎ いつもいつも おもがこひすす なりましつしも
  矢作部真長
   
  20/4387
原文 知波乃奴乃 古乃弖加之波能 保々麻例等 阿夜尓加奈之美 於枳弖他加枳奴
訓読 千葉の野の児手柏のほほまれどあやに愛しみ置きて誰が来ぬ
仮名 ちばのぬの このてかしはの ほほまれど あやにかなしみ おきてたがきぬ
  大田部足人
   
  20/4388
原文 多妣等<弊>等 麻多妣尓奈理奴 以<弊>乃母加 枳世之己呂母尓 阿加都枳尓迦理
訓読 旅とへど真旅になりぬ家の妹が着せし衣に垢付きにかり
仮名 たびとへど またびになりぬ いへのもが きせしころもに あかつきにかり
  占部虫麻呂
   
  20/4389
原文 志保不尼乃 <弊>古祖志良奈美 尓波志久母 於不世他麻保加 於母波弊奈久尓
訓読 潮舟の舳越そ白波にはしくも負ふせたまほか思はへなくに
仮名 しほふねの へこそしらなみ にはしくも おふせたまほか おもはへなくに
  丈部大麻呂
   
  20/4390
原文 牟浪他麻乃 久留尓久枳作之 加多米等之 以母加去々里波 阿用久奈米加母
訓読 群玉の枢にくぎさし堅めとし妹が心は動くなめかも
仮名 むらたまの くるにくぎさし かためとし いもがこころは あよくなめかも
  刑部志可麻呂
   
  20/4391
原文 久尓<具尓>乃 夜之呂乃加美尓 奴佐麻都理 阿加古比須奈牟 伊母賀加奈志作
訓読 国々の社の神に幣奉り贖乞ひすなむ妹が愛しさ
仮名 くにぐにの やしろのかみに ぬさまつり あがこひすなむ いもがかなしさ
  忍海部五百麻呂
   
  20/4392
原文 阿米都之乃 以都例乃可美乎 以乃良波加 有都久之波々尓 麻多己等刀波牟
訓読 天地のいづれの神を祈らばか愛し母にまた言とはむ
仮名 あめつしの いづれのかみを いのらばか うつくしははに またこととはむ
  大伴部麻与佐
   
  20/4393
原文 於保伎美能 美許等尓<作>例波 知々波々乎 以波比<弊>等於枳弖 麻為弖枳尓之乎
訓読 大君の命にされば父母を斎瓮と置きて参ゐ出来にしを
仮名 おほきみの みことにされば ちちははを いはひへとおきて まゐできにしを
  雀部廣嶋
   
  20/4394
原文 於保伎美能 美己等加之古美 由美乃美<他> 佐尼加和多良牟 奈賀氣己乃用乎
訓読 大君の命畏み弓の共さ寝かわたらむ長けこの夜を
仮名 おほきみの みことかしこみ ゆみのみた さねかわたらむ ながけこのよを
  大伴部子羊
   
  20/4395
原文 多都多夜麻 見都々古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敝流刀<尓>
訓読 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに
仮名 たつたやま みつつこえこし さくらばな ちりかすぎなむ わがかへるとに
  大伴家持
   
  20/4396
原文 保理江欲利 安佐之保美知尓 与流許都美 可比尓安里世波 都刀尓勢麻之乎
訓読 堀江より朝潮満ちに寄る木屑貝にありせばつとにせましを
仮名 ほりえより あさしほみちに よるこつみ かひにありせば つとにせましを
  大伴家持
   
  20/4397
原文 見和多世波 牟加都乎能倍乃 波奈尓保比 弖里氐多弖流<波> 波之伎多我都麻
訓読 見わたせば向つ峰の上の花にほひ照りて立てるは愛しき誰が妻
仮名 みわたせば むかつをのへの はなにほひ てりてたてるは はしきたがつま
  大伴家持
   
  20/4398
原文 大王乃 美己等可之古美 都麻和可礼 可奈之久波安礼特 大夫 情布里於許之 等里与曽比 門出乎須礼婆 多良知祢乃 波々可伎奈埿 若草乃 都麻波等里都吉 平久 和礼波伊波々牟 好去而 早還来等 麻蘇埿毛知 奈美太乎能其比 牟世比都々 言語須礼婆 群鳥乃 伊埿多知加弖尓 等騰己保里 可<弊>里美之都々 伊也等保尓 國乎伎波奈例 伊夜多可尓 山乎故要須疑 安之我知流 難波尓伎為弖 由布之保尓 船乎宇氣須恵 安佐奈藝尓 倍牟氣許我牟等 佐毛良布等 和我乎流等伎尓 春霞 之麻<未>尓多知弖 多頭我祢乃 悲鳴婆 波呂<婆>呂尓 伊弊乎於毛比埿 於比曽箭乃 曽与等奈流麻埿 奈氣吉都流香母
訓読 大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど 大夫の 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平らけく 我れは斎はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて 鶴が音の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも
仮名 おほきみの みことかしこみ つまわかれ かなしくはあれど ますらをの こころふりおこし とりよそひ かどでをすれば たらちねの ははかきなで わかくさの つまはとりつき たひらけく われはいははむ まさきくて はやかへりこと まそでもち なみだをのごひ むせひつつ ことどひすれば むらとりの いでたちかてに とどこほり かへりみしつつ いやとほに くにをきはなれ いやたかに やまをこえすぎ あしがちる なにはにきゐて ゆふしほに ふねをうけすゑ あさなぎに へむけこがむと さもらふと わがをるときに はるかすみ しまみにたちて たづがねの かなしくなけば はろはろに いへをおもひで おひそやの そよとなるまで なげきつるかも
  大伴家持
   
  20/4399
原文 宇奈波良尓 霞多奈妣伎 多頭我祢乃 可奈之伎与比波 久尓<弊>之於毛保由
訓読 海原に霞たなびき鶴が音の悲しき宵は国辺し思ほゆ
仮名 うなはらに かすみたなびき たづがねの かなしきよひは くにへしおもほゆ
  大伴家持
   
  20/4400
原文 伊<弊>於毛負等 伊乎祢受乎礼婆 多頭我奈久 安之<弊>毛美要受 波流乃可須美尓
訓読 家思ふと寐を寝ず居れば鶴が鳴く葦辺も見えず春の霞に
仮名 いへおもふと いをねずをれば たづがなく あしへもみえず はるのかすみに
  大伴家持
   
  20/4401
原文 可良己呂<武> 須<宗>尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎<怒>也 意母奈之尓志弖
訓読 唐衣裾に取り付き泣く子らを置きてぞ来のや母なしにして
仮名 からころむ すそにとりつき なくこらを おきてぞきのや おもなしにして
  他田舎人大嶋
   
  20/4402
原文 知波夜布留 賀美乃美佐賀尓 奴佐麻都<里> 伊波<布>伊能知波 意毛知々我多米
訓読 ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため
仮名 ちはやふる かみのみさかに ぬさまつり いはふいのちは おもちちがため
  神人部子忍男
   
  20/4403
原文 意保枳美能 美己等可之古美 阿乎久<牟>乃 <等能>妣久夜麻乎 古与弖伎怒加牟
訓読 大君の命畏み青雲のとのびく山を越よて来ぬかむ
仮名 おほきみの みことかしこみ あをくむの とのびくやまを こよてきぬかむ
  小長谷部笠麻呂
   
  20/4404
原文 奈尓波治乎 由伎弖久麻弖等 和藝毛古賀 都氣之非毛我乎 多延尓氣流可母
訓読 難波道を行きて来までと我妹子が付けし紐が緒絶えにけるかも
仮名 なにはぢを ゆきてくまでと わぎもこが つけしひもがを たえにけるかも
  上毛野牛甘
   
  20/4405
原文 和我伊母古我 志濃比尓西餘等 都氣志<非>毛 伊刀尓奈流等母 和波等可自等余
訓読 我が妹子が偲ひにせよと付けし紐糸になるとも我は解かじとよ
仮名 わがいもこが しぬひにせよと つけしひも いとになるとも わはとかじとよ
  朝倉益人
   
  20/4406
原文 和我伊波呂尓 由加毛比等母我 久佐麻久良 多妣波久流之等 都氣夜良麻久母
訓読 我が家ろに行かも人もが草枕旅は苦しと告げ遣らまくも
仮名 わがいはろに ゆかもひともが くさまくら たびはくるしと つげやらまくも
  大伴部節麻呂
   
  20/4407
原文 比奈久母理 宇須比乃佐可乎 古延志太尓 伊毛賀古比之久 和須良延奴加母
訓読 ひな曇り碓氷の坂を越えしだに妹が恋しく忘らえぬかも
仮名 ひなくもり うすひのさかを こえしだに いもがこひしく わすらえぬかも
  他田部子磐前
   
  20/4408
原文 大王乃 麻氣乃麻尓々々 嶋守尓 和我多知久礼婆 波々蘇婆能 波々能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知々能未乃 知々能美許等波 多久頭<努>能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氐 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太<尓>母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可<乃>佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂々々尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都々美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古<等登>能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽
訓読 大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命は み裳の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲づのの 白髭の上ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子じもの ただ独りして 朝戸出の 愛しき我が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君の 命畏み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻むるごとに 万たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻り 我が来るまでに 平けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 我が統め神に 幣奉り 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ
仮名 おほきみの まけのまにまに しまもりに わがたちくれば ははそばの ははのみことは みものすそ つみあげかきなで ちちのみの ちちのみことは たくづのの しらひげのうへゆ なみだたり なげきのたばく かこじもの ただひとりして あさとでの かなしきあがこ あらたまの としのをながく あひみずは こひしくあるべし けふだにも ことどひせむと をしみつつ かなしびませば わかくさの つまもこどもも をちこちに さはにかくみゐ はるとりの こゑのさまよひ しろたへの そでなきぬらし たづさはり わかれかてにと ひきとどめ したひしものを おほきみの みことかしこみ たまほこの みちにいでたち をかのさき いたむるごとに よろづたび かへりみしつつ はろはろに わかれしくれば おもふそら やすくもあらず こふるそら くるしきものを うつせみの よのひとなれば たまきはる いのちもしらず うなはらの かしこきみちを しまづたひ いこぎわたりて ありめぐり わがくるまでに たひらけく おやはいまさね つつみなく つまはまたせと すみのえの あがすめかみに ぬさまつり いのりまをして なにはつに ふねをうけすゑ やそかぬき かこととのへて あさびらき わはこぎでぬと いへにつげこそ
  大伴家持
   
  20/4409
原文 伊弊婢等乃 伊波倍尓可安良牟 多比良氣久 布奈埿波之奴等 於夜尓麻乎佐祢
訓読 家人の斎へにかあらむ平けく船出はしぬと親に申さね
仮名 いへびとの いはへにかあらむ たひらけく ふなではしぬと おやにまをさね
  大伴家持
   
  20/4410
原文 美蘇良由久 々母々都可比等 比等波伊倍等 伊弊頭刀夜良武 多豆伎之良受母
訓読 み空行く雲も使と人は言へど家づと遣らむたづき知らずも
仮名 みそらゆく くももつかひと ひとはいへど いへづとやらむ たづきしらずも
  大伴家持
   
  20/4411
原文 伊弊都刀尓 可比曽比里弊流 波麻奈美波 伊也<之>久々々二 多可久与須礼騰
訓読 家づとに貝ぞ拾へる浜波はいやしくしくに高く寄すれど
仮名 いへづとに かひぞひりへる はまなみは いやしくしくに たかくよすれど
  大伴家持
   
  20/4412
原文 之麻可氣尓 和我布祢波弖氐 都氣也良牟 都可比乎奈美也 古非都々由加牟
訓読 島蔭に我が船泊てて告げ遣らむ使を無みや恋ひつつ行かむ
仮名 しまかげに わがふねはてて つげやらむ つかひをなみや こひつつゆかむ
  大伴家持
   
  20/4413
原文 麻久良多之 己志尓等里波伎 麻可奈之伎 西呂我馬伎己無 都久乃之良奈久
訓読 枕太刀腰に取り佩きま愛しき背ろが罷き来む月の知らなく
仮名 まくらたし こしにとりはき まかなしき せろがまきこむ つくのしらなく
  桧前舎人石前妻:大伴部真足女
   
  20/4414
原文 於保伎美乃 美己等可之古美 宇都久之氣 麻古我弖波奈利 之末豆多比由久
訓読 大君の命畏み愛しけ真子が手離り島伝ひ行く
仮名 おほきみの みことかしこみ うつくしけ まこがてはなり しまづたひゆく
  大伴部小歳
   
  20/4415
原文 志良多麻乎 弖尓刀里母之弖 美流乃須母 伊弊奈流伊母乎 麻多美弖毛母也
訓読 白玉を手に取り持して見るのすも家なる妹をまた見てももや
仮名 しらたまを てにとりもして みるのすも いへなるいもを またみてももや
  物部歳徳
   
  20/4416
原文 久佐麻久良 多比由苦世奈我 麻流祢世婆 伊波奈流和礼波 比毛等加受祢牟
訓読 草枕旅行く背なが丸寝せば家なる我れは紐解かず寝む
仮名 くさまくら たびゆくせなが まるねせば いはなるわれは ひもとかずねむ
  妻椋椅部刀自賣
   
  20/4417
原文 阿加胡麻乎 夜麻努尓波賀志 刀里加尓弖 多麻<能>余許夜麻 加志由加也良牟
訓読 赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ
仮名 あかごまを やまのにはがし とりかにて たまのよこやま かしゆかやらむ
  椋椅部荒虫妻:宇遅部黒女
   
  20/4418
原文 和我可度乃 可多夜麻都婆伎 麻己等奈礼 和我弖布礼奈々 都知尓於知母加毛
訓読 我が門の片山椿まこと汝れ我が手触れなな土に落ちもかも
仮名 わがかどの かたやまつばき まことなれ わがてふれなな つちにおちもかも
  物部廣足
   
  20/4419
原文 伊波呂尓波 安之布多氣騰母 須美与氣乎 都久之尓伊多里弖 古布志氣毛波母
訓読 家ろには葦火焚けども住みよけを筑紫に至りて恋しけ思はも
仮名 いはろには あしふたけども すみよけを つくしにいたりて こふしけもはも
  物部真根
   
  20/4420
原文 久佐麻久良 多妣乃麻流祢乃 比毛多要婆 安我弖等都氣呂 許礼乃波流母志
訓読 草枕旅の丸寝の紐絶えば我が手と付けろこれの針持し
仮名 くさまくら たびのまるねの ひもたえば あがてとつけろ これのはるもし
  椋椅部弟女
   
  20/4421
原文 和我由伎乃 伊伎都久之可婆 安之我良乃 美祢波保久毛乎 美等登志努波祢
訓読 我が行きの息づくしかば足柄の峰延ほ雲を見とと偲はね
仮名 わがゆきの いきづくしかば あしがらの みねはほくもを みととしのはね
  服部於由
   
  20/4422
原文 和我世奈乎 都久之倍夜里弖 宇都久之美 於妣<波>等可奈々 阿也尓加母祢毛
訓読 我が背なを筑紫へ遣りて愛しみ帯は解かななあやにかも寝も
仮名 わがせなを つくしへやりて うつくしみ おびはとかなな あやにかもねも
  妻服部呰女
   
  20/4423
原文 安之我良乃 美佐可尓多志弖 蘇埿布良波 伊波奈流伊毛波 佐夜尓美毛可母
訓読 足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも
仮名 あしがらの みさかにたして そでふらば いはなるいもは さやにみもかも
  藤原部等母麻呂
   
  20/4424
原文 伊呂夫可久 世奈我許呂母波 曽米麻之乎 美佐可多婆良婆 麻佐夜可尓美無
訓読 色深く背なが衣は染めましをみ坂給らばまさやかに見む
仮名 いろぶかく せながころもは そめましを みさかたばらば まさやかにみむ
  妻物部刀自賣
   
  20/4425
原文 佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布比登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受
訓読 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず
仮名 さきもりに ゆくはたがせと とふひとを みるがともしさ ものもひもせず
   
  20/4426
原文 阿米都之乃 可未尓奴佐於伎 伊波比都々 伊麻世和我世奈 阿礼乎之毛波婆
訓読 天地の神に幣置き斎ひつついませ我が背な我れをし思はば
仮名 あめつしの かみにぬさおき いはひつつ いませわがせな あれをしもはば
   
  20/4427
原文 伊波乃伊毛呂 和乎之乃布良之 麻由須比尓 由須比之比毛乃 登久良久毛倍婆
訓読 家の妹ろ我を偲ふらし真結ひに結ひし紐の解くらく思へば
仮名 いはのいもろ わをしのふらし まゆすひに ゆすひしひもの とくらくもへば
   
  20/4428
原文 和我世奈乎 都久志波夜利弖 宇都久之美 叡比波登加奈々 阿夜尓可毛祢牟
訓読 我が背なを筑紫は遣りて愛しみえひは解かななあやにかも寝む
仮名 わがせなを つくしはやりて うつくしみ えひはとかなな あやにかもねむ
   
  20/4429
原文 宇麻夜奈流 奈波多都古麻乃 於久流我弁 伊毛我伊比之乎 於岐弖可奈之毛
訓読 馬屋なる縄立つ駒の後るがへ妹が言ひしを置きて悲しも
仮名 うまやなる なはたつこまの おくるがへ いもがいひしを おきてかなしも
   
  20/4430
原文 阿良之乎乃 伊乎佐太波佐美 牟可比多知 可奈流麻之都美 伊埿弖登阿我久流
訓読 荒し男のいをさ手挟み向ひ立ちかなるましづみ出でてと我が来る
仮名 あらしをの いをさたはさみ むかひたち かなるましづみ いでてとあがくる
   
  20/4431
原文 佐左賀波乃 佐也久志毛用尓 奈々弁加流 去呂毛尓麻世流 古侶賀波太波毛
訓読 笹が葉のさやぐ霜夜に七重着る衣に増せる子ろが肌はも
仮名 ささがはの さやぐしもよに ななへかる ころもにませる ころがはだはも
   
  20/4432
原文 佐弁奈弁奴 美許登尓阿礼婆 可奈之伊毛我 多麻久良波奈礼 阿夜尓可奈之毛
訓読 障へなへぬ命にあれば愛し妹が手枕離れあやに悲しも
仮名 さへなへぬ みことにあれば かなしいもが たまくらはなれ あやにかなしも
   
  20/4433
原文 阿佐奈佐奈 安我流比婆理尓 奈里弖之可 美也古尓由伎弖 波夜加弊里許牟
訓読 朝な朝な上がるひばりになりてしか都に行きて早帰り来む
仮名 あさなさな あがるひばりに なりてしか みやこにゆきて はやかへりこむ
  安倍沙美麻呂
   
  20/4434
原文 比婆里安我流 波流弊等佐夜尓 奈理奴礼波 美夜古母美要受 可須美多奈妣久
訓読 ひばり上がる春へとさやになりぬれば都も見えず霞たなびく
仮名 ひばりあがる はるへとさやに なりぬれば みやこもみえず かすみたなびく
  大伴家持
   
  20/4435
原文 布敷賣里之 波奈乃波自米尓 許之和礼夜 知里奈牟能知尓 美夜古敝由可無
訓読 ふふめりし花の初めに来し我れや散りなむ後に都へ行かむ
仮名 ふふめりし はなのはじめに こしわれや ちりなむのちに みやこへゆかむ
  大伴家持
   
  20/4436
原文 夜未乃欲能 由久左伎之良受 由久和礼乎 伊都伎麻<佐>牟等 登比之古良波母
訓読 闇の夜の行く先知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
仮名 やみのよの ゆくさきしらず ゆくわれを いつきまさむと とひしこらはも
   
  20/4437
原文 冨等登藝須 奈保毛奈賀那牟 母等都比等 可氣都々母等奈 安乎祢之奈久母
訓読 霍公鳥なほも鳴かなむ本つ人かけつつもとな我を音し泣くも
仮名 ほととぎす なほもなかなむ もとつひと かけつつもとな あをねしなくも
  元正天皇
   
  20/4438
原文 保等登藝須 許々尓知可久乎 伎奈伎弖余 須疑奈<无>能知尓 之流志安良米夜母
訓読 霍公鳥ここに近くを来鳴きてよ過ぎなむ後に験あらめやも
仮名 ほととぎす ここにちかくを きなきてよ すぎなむのちに しるしあらめやも
  薩妙觀
   
  20/4439
原文 麻都我延乃 都知尓都久麻埿 布流由伎乎 美受弖也伊毛我 許母里乎流良牟
訓読 松が枝の土に着くまで降る雪を見ずてや妹が隠り居るらむ
仮名 まつがえの つちにつくまで ふるゆきを みずてやいもが こもりをるらむ
  石川郎女
   
  20/4440
原文 安之我良乃 夜敝也麻故要弖 伊麻之奈波 多礼乎可伎美等 弥都々志努波牟
訓読 足柄の八重山越えていましなば誰れをか君と見つつ偲はむ
仮名 あしがらの やへやまこえて いましなば たれをかきみと みつつしのはむ
  上総国郡司妻
   
  20/4441
原文 多知之奈布 伎美我須我多乎 和須礼受波 与能可藝里尓夜 故非和多里奈無
訓読 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ
仮名 たちしなふ きみがすがたを わすれずは よのかぎりにや こひわたりなむ
  上総国郡司妻
   
  20/4442
原文 和我勢故我 夜度乃奈弖之故 比奈良倍弖 安米波布礼杼母 伊呂毛可波良受
訓読 我が背子が宿のなでしこ日並べて雨は降れども色も変らず
仮名 わがせこが やどのなでしこ ひならべて あめはふれども いろもかはらず
  大原今城
   
  20/4443
原文 比佐可多<能> 安米波布里之久 奈弖之故我 伊夜波都波奈尓 故非之伎和我勢
訓読 ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花に恋しき我が背
仮名 ひさかたの あめはふりしく なでしこが いやはつはなに こひしきわがせ
  大伴家持
   
  20/4444
原文 和我世故我 夜度奈流波疑乃 波奈佐可牟 安伎能由布敝波 和礼乎之努波世
訓読 我が背子が宿なる萩の花咲かむ秋の夕は我れを偲はせ
仮名 わがせこが やどなるはぎの はなさかむ あきのゆふへは われをしのはせ
  大原今城
   
  20/4445
原文 宇具比須乃 許恵波須疑奴等 於毛倍杼母 之美尓之許己呂 奈保古非尓家里
訓読 鴬の声は過ぎぬと思へどもしみにし心なほ恋ひにけり
仮名 うぐひすの こゑはすぎぬと おもへども しみにしこころ なほこひにけり
  大伴家持
   
  20/4446
原文 和我夜度尓 佐家流奈弖之故 麻比波勢牟 由米波奈知流奈 伊也乎知尓左家
訓読 我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け
仮名 わがやどに さけるなでしこ まひはせむ ゆめはなちるな いやをちにさけ
  丹比国人
   
  20/4447
原文 麻比之都々 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓
訓読 賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに
仮名 まひしつつ きみがおほせる なでしこが はなのみとはむ きみならなくに
  橘諸兄
   
  20/4448
原文 安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
訓読 あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
仮名 あぢさゐの やへさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしのはむ
  橘諸兄
   
  20/4449
原文 奈弖之故我 波奈等里母知弖 宇都良々々々 美麻久能富之伎 吉美尓母安流加母
訓読 なでしこが花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも
仮名 なでしこが はなとりもちて うつらうつら みまくのほしき きみにもあるかも
  船王
   
  20/4450
原文 和我勢故我 夜度能奈弖之故 知良米也母 伊夜波都波奈尓 佐伎波麻須等母
訓読 我が背子が宿のなでしこ散らめやもいや初花に咲きは増すとも
仮名 わがせこが やどのなでしこ ちらめやも いやはつはなに さきはますとも
  大伴家持
   
  20/4451
原文 宇流波之美 安我毛布伎美波 奈弖之故我 波奈尓奈<蘇>倍弖 美礼杼安可奴香母
訓読 うるはしみ我が思ふ君はなでしこが花になそへて見れど飽かぬかも
仮名 うるはしみ あがもふきみは なでしこが はなになそへて みれどあかぬかも
  大伴家持
   
  20/4452
原文 乎等賣良我 多麻毛須蘇婢久 許能尓波尓 安伎可是不吉弖 波奈波知里都々
訓読 娘子らが玉裳裾引くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ
仮名 をとめらが たまもすそびく このにはに あきかぜふきて はなはちりつつ
  安宿王
   
  20/4453
原文 安吉加是能 布伎古吉之家流 波奈能尓波 伎欲伎都久欲仁 美礼杼安賀奴香母
訓読 秋風の吹き扱き敷ける花の庭清き月夜に見れど飽かぬかも
仮名 あきかぜの ふきこきしける はなのには きよきつくよに みれどあかぬかも
  大伴家持
   
  20/4454
原文 高山乃 伊波保尓於布流 須我乃根能 祢母許呂其呂尓 布里於久白雪
訓読 高山の巌に生ふる菅の根のねもころごろに降り置く白雪
仮名 たかやまの いはほにおふる すがのねの ねもころごろに ふりおくしらゆき
  橘諸兄
   
  20/4455
原文 安可祢<左>須 比流波多々婢弖 奴婆多麻乃 欲流乃伊刀末仁 都賣流芹子許礼
訓読 あかねさす昼は田賜びてぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ
仮名 あかねさす ひるはたたびて ぬばたまの よるのいとまに つめるせりこれ
  橘諸兄:葛城王
   
  20/4456
原文 麻須良乎等 於毛敝流母能乎 多知波吉弖 可尓波乃多為尓 世理曽都美家流
訓読 大夫と思へるものを太刀佩きて可尓波の田居に芹ぞ摘みける
仮名 ますらをと おもへるものを たちはきて かにはのたゐに せりぞつみける
  薩妙觀
   
  20/4457
原文 須美乃江能 波麻末都我根乃 之多<婆>倍弖 和我見流乎努能 久佐奈加利曽祢
訓読 住吉の浜松が根の下延へて我が見る小野の草な刈りそね
仮名 すみのえの はままつがねの したはへて わがみるをのの くさなかりそね
  大伴家持
   
  20/4458
原文 尓保杼里乃 於吉奈我河波半 多延奴等母 伎美尓可多良武 己等都奇米也母 [古新未詳]
訓読 にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも [古新未詳]
仮名 にほどりの おきながかはは たえぬとも きみにかたらむ ことつきめやも
  馬国人
   
  20/4459
原文 蘆苅尓 保<里>江許具奈流 可治能於等波 於保美也比等能 未奈伎久麻泥尓
訓読 葦刈りに堀江漕ぐなる楫の音は大宮人の皆聞くまでに
仮名 あしかりに ほりえこぐなる かぢのおとは おほみやひとの みなきくまでに
  大伴池主
   
  20/4460
原文 保利江己具 伊豆手乃船乃 可治都久米 於等之婆多知奴 美乎波也美加母
訓読 堀江漕ぐ伊豆手の舟の楫つくめ音しば立ちぬ水脈早みかも
仮名 ほりえこぐ いづてのふねの かぢつくめ おとしばたちぬ みをはやみかも
  大伴家持
   
  20/4461
原文 保里江欲利 美乎左<香>能保流 <梶>音乃 麻奈久曽奈良波 古非之可利家留
訓読 堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ奈良は恋しかりける
仮名 ほりえより みをさかのぼる かぢのおとの まなくぞならは こひしかりける
  大伴家持
   
  20/4462
原文 布奈藝保布 保利江乃可波乃 美奈伎波尓 伎為都々奈久波 美夜故杼里香蒙
訓読 舟競ふ堀江の川の水際に来居つつ鳴くは都鳥かも
仮名 ふなぎほふ ほりえのかはの みなきはに きゐつつなくは みやこどりかも
  大伴家持
   
  20/4463
原文 保等登藝須 麻豆奈久安佐氣 伊可尓世婆 和我加度須疑自 可多利都具麻埿
訓読 霍公鳥まづ鳴く朝明いかにせば我が門過ぎじ語り継ぐまで
仮名 ほととぎす まづなくあさけ いかにせば わがかどすぎじ かたりつぐまで
  大伴家持
   
  20/4464
原文 保等登藝須 可氣都々伎美我 麻都可氣尓 比毛等伎佐久流 都奇知可都伎奴
訓読 霍公鳥懸けつつ君が松蔭に紐解き放くる月近づきぬ
仮名 ほととぎす かけつつきみが まつかげに ひもときさくる つきちかづきぬ
  大伴家持
   
  20/4465
原文 比左加多能 安麻能刀比良伎 多可知保乃 多氣尓阿毛理之 須賣呂伎能 可未能御代欲利 波自由美乎 多尓藝利母多之 麻可胡也乎 多婆左美蘇倍弖 於保久米能 麻須良多祁乎々 佐吉尓多弖 由伎登利於保世 山河乎 伊波祢左久美弖 布美等保利 久尓麻藝之都々 知波夜夫流 神乎許等牟氣 麻都呂倍奴 比等乎母夜波之 波吉伎欲米 都可倍麻都里弖 安吉豆之萬 夜萬登能久尓乃 可之<波>良能 宇祢備乃宮尓 美也<婆>之良 布刀之利多弖氐 安米能之多 之良志賣之祁流 須賣呂伎能 安麻能日継等 都藝弖久流 伎美能御代々々 加久左波奴 安加吉許己呂乎 須賣良弊尓 伎波米都久之弖 都加倍久流 於夜能都可佐等 許等太弖氐 佐豆氣多麻敝流 宇美乃古能 伊也都藝都岐尓 美流比等乃 可多里都藝弖氐 伎久比等能 可我見尓世武乎 安多良之伎 吉用伎曽乃名曽 於煩呂加尓 己許呂於母比弖 牟奈許等母 於夜乃名多都奈 大伴乃 宇治等名尓於敝流 麻須良乎能等母
訓読 久方の 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし 皇祖の 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますらたけをを 先に立て 靫取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を すめらへに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを 惜しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる 大夫の伴
仮名 ひさかたの あまのとひらき たかちほの たけにあもりし すめろきの かみのみよより はじゆみを たにぎりもたし まかごやを たばさみそへて おほくめの ますらたけをを さきにたて ゆきとりおほせ やまかはを いはねさくみて ふみとほり くにまぎしつつ ちはやぶる かみをことむけ まつろはぬ ひとをもやはし はききよめ つかへまつりて あきづしま やまとのくにの かしはらの うねびのみやに みやばしら ふとしりたてて あめのした しらしめしける すめろきの あまのひつぎと つぎてくる きみのみよみよ かくさはぬ あかきこころを すめらへに きはめつくして つかへくる おやのつかさと ことだてて さづけたまへる うみのこの いやつぎつぎに みるひとの かたりつぎてて きくひとの かがみにせむを あたらしき きよきそのなぞ おぼろかに こころおもひて むなことも おやのなたつな おほともの うぢとなにおへる ますらをのとも
  大伴家持
   
  20/4466
原文 之奇志麻乃 夜末等能久尓々 安伎良氣伎 名尓於布等毛能乎 己許呂都刀米与
訓読 磯城島の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男心つとめよ
仮名 しきしまの やまとのくにに あきらけき なにおふとものを こころつとめよ
  大伴家持
   
  20/4467
原文 都流藝多知 伊与餘刀具倍之 伊尓之敝由 佐夜氣久於比弖 伎尓之曽乃名曽
訓読 剣太刀いよよ磨ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ
仮名 つるぎたち いよよとぐべし いにしへゆ さやけくおひて きにしそのなぞ
  大伴家持
   
  20/4468
原文 宇都世美波 加受奈吉身奈利 夜麻加波乃 佐夜氣吉見都々 美知乎多豆祢奈
訓読 うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
仮名 うつせみは かずなきみなり やまかはの さやけきみつつ みちをたづねな
  大伴家持
   
  20/4469
原文 和多流日能 加氣尓伎保比弖 多豆祢弖奈 伎欲吉曽能美知 末多母安波無多米
訓読 渡る日の影に競ひて尋ねてな清きその道またもあはむため
仮名 わたるひの かげにきほひて たづねてな きよきそのみち またもあはむため
  大伴家持
   
  20/4470
原文 美都煩奈須 可礼流身曽等波 之礼々杼母 奈保之祢我比都 知等世能伊乃知乎
訓読 水泡なす仮れる身ぞとは知れれどもなほし願ひつ千年の命を
仮名 みつぼなす かれるみぞとは しれれども なほしねがひつ ちとせのいのちを
  大伴家持
   
  20/4471
原文 氣能己里能 由伎尓安倍弖流 安之比奇<乃> 夜麻多知波奈乎 都刀尓通弥許奈
訓読 消残りの雪にあへ照るあしひきの山橘をつとに摘み来な
仮名 けのこりの ゆきにあへてる あしひきの やまたちばなを つとにつみこな
  大伴家持
   
  20/4472
原文 於保吉美乃 美許登加之古美 於保乃宇良乎 曽我比尓美都々 美也古敝能保流
訓読 大君の命畏み於保の浦をそがひに見つつ都へ上る
仮名 おほきみの みことかしこみ おほのうらを そがひにみつつ みやこへのぼる
  安宿奈杼麻呂
   
  20/4473
原文 宇知比左須 美也古乃比等尓 都氣麻久波 美之比乃其等久 安里等都氣己曽
訓読 うちひさす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ
仮名 うちひさす みやこのひとに つげまくは みしひのごとく ありとつげこそ
  山背王
   
  20/4474
原文 武良等里乃 安佐太知伊尓之 伎美我宇倍波 左夜加尓伎吉都 於毛比之其等久 [一云 於毛比之母乃乎]
訓読 群鳥の朝立ち去にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく [一云 思ひしものを]
仮名 むらどりの あさだちいにし きみがうへは さやかにききつ おもひしごとく [おもひしものを]
  大伴家持
   
  20/4475
原文 波都由伎波 知敝尓布里之家 故非之久能 於保加流和礼波 美都々之努波牟
訓読 初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我れは見つつ偲はむ
仮名 はつゆきは ちへにふりしけ こひしくの おほかるわれは みつつしのはむ
  大原今城
   
  20/4476
原文 於久夜麻能 之伎美我波奈能 奈能其等也 之久之久伎美尓 故非和多利奈無
訓読 奥山のしきみが花の名のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ
仮名 おくやまの しきみがはなの なのごとや しくしくきみに こひわたりなむ
  大原今城
   
  20/4477
原文 由布義<理>尓 知杼里乃奈吉志 佐保治乎婆 安良之也之弖牟 美流与之乎奈美
訓読 夕霧に千鳥の鳴きし佐保路をば荒しやしてむ見るよしをなみ
仮名 ゆふぎりに ちどりのなきし さほぢをば あらしやしてむ みるよしをなみ
  圓方女王
   
  20/4478
原文 佐保河波尓 許保里和多礼流 宇須良婢乃 宇須伎許己呂乎 和我於毛波奈久尓
訓読 佐保川に凍りわたれる薄ら氷の薄き心を我が思はなくに
仮名 さほがはに こほりわたれる うすらびの うすきこころを わがおもはなくに
  大原櫻井
   
  20/4479
原文 安佐欲比尓 祢能未之奈氣婆 夜伎多知能 刀其己呂毛安礼<波> 於母比加祢都毛
訓読 朝夕に音のみし泣けば焼き太刀の利心も我れは思ひかねつも
仮名 あさよひに ねのみしなけば やきたちの とごころもあれは おもひかねつも
  藤原氷上夫人
   
  20/4480
原文 可之故伎也 安米乃美加度乎 可氣都礼婆 祢能未之奈加由 安佐欲比尓之弖 
訓読 畏きや天の御門を懸けつれば音のみし泣かゆ朝夕にして 
仮名 かしこきや あめのみかどを かけつれば ねのみしなかゆ あさよひにして
   
  20/4481
原文 安之比奇能 夜都乎乃都婆吉 都良々々尓 美等母安<可>米也 宇恵弖家流伎美
訓読 あしひきの八つ峰の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
仮名 あしひきの やつをのつばき つらつらに みともあかめや うゑてけるきみ
  大伴家持
   
  20/4482
原文 保里延故要 等保伎佐刀麻弖 於久利家流 伎美我許己呂波 和須良由麻之<自>
訓読 堀江越え遠き里まで送り来る君が心は忘らゆましじ
仮名 ほりえこえ とほきさとまで おくりける きみがこころは わすらゆましじ
  藤原執弓
   
  20/4483
原文 宇都里由久 時見其登尓 許己呂伊多久 牟可之能比等之 於毛保由流加母
訓読 移り行く時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも
仮名 うつりゆく ときみるごとに こころいたく むかしのひとし おもほゆるかも
  大伴家持
   
  20/4484
原文 佐久波奈波 宇都呂布等伎安里 安之比奇乃 夜麻須我乃祢之 奈我久波安利家里
訓読 咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅の根し長くはありけり
仮名 さくはなは うつろふときあり あしひきの やますがのねし ながくはありけり
  大伴家持
   
  20/4485
原文 時花 伊夜米豆良之母 <加>久之許曽 賣之安伎良米晩 阿伎多都其等尓
訓読 時の花いやめづらしもかくしこそ見し明らめめ秋立つごとに
仮名 ときのはな いやめづらしも かくしこそ めしあきらめめ あきたつごとに
  大伴家持
   
  20/4486
原文 天地乎 弖良須日月乃 極奈久 阿流倍伎母能乎 奈尓乎加於毛波牟
訓読 天地を照らす日月の極みなくあるべきものを何をか思はむ
仮名 あめつちを てらすひつきの きはみなく あるべきものを なにをかおもはむ
  大炊王
   
  20/4487
原文 伊射子等毛 多波和射奈世曽 天地能 加多米之久尓曽 夜麻登之麻祢波
訓読 いざ子どもたはわざなせそ天地の堅めし国ぞ大和島根は
仮名 いざこども たはわざなせそ あめつちの かためしくにぞ やまとしまねは
  藤原仲麻呂
   
  20/4488
原文 三雪布流 布由波祁布能未 鴬乃 奈加牟春敝波 安須尓之安流良之
訓読 み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし
仮名 みゆきふる ふゆはけふのみ うぐひすの なかむはるへは あすにしあるらし
  三形王
   
  20/4489
原文 宇知奈婢久 波流乎知可美加 奴婆玉乃 己与比能都久欲 可須美多流良牟
訓読 うち靡く春を近みかぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ
仮名 うちなびく はるをちかみか ぬばたまの こよひのつくよ かすみたるらむ
  甘南備伊香
   
  20/4490
原文 安良多末能 等之由伎我敝理 波流多々婆 末豆和我夜度尓 宇具比須波奈家
訓読 あらたまの年行き返り春立たばまづ我が宿に鴬は鳴け
仮名 あらたまの としゆきがへり はるたたば まづわがやどに うぐひすはなけ
  大伴家持
   
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原文 於保吉宇美能 美奈曽己布可久 於毛比都々 毛婢伎奈良之思 須我波良能佐刀
訓読 大き海の水底深く思ひつつ裳引き平しし菅原の里
仮名 おほきうみの みなそこふかく おもひつつ もびきならしし すがはらのさと
  藤原宿奈麻呂妻:石川女郎
   
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原文 都奇餘米婆 伊麻太冬奈里 之可須我尓 霞多奈婢久 波流多知奴等可
訓読 月数めばいまだ冬なりしかすがに霞たなびく春立ちぬとか
仮名 つきよめば いまだふゆなり しかすがに かすみたなびく はるたちぬとか
  大伴家持
   
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原文 始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎
訓読 初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒
仮名 はつはるの はつねのけふの たまばはき てにとるからに ゆらくたまのを
  大伴家持
   
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原文 水鳥乃 可毛<能>羽能伊呂乃 青馬乎 家布美流比等波 可藝利奈之等伊布
訓読 水鳥の鴨の羽の色の青馬を今日見る人は限りなしといふ
仮名 みづとりの かものはのいろの あをうまを けふみるひとは かぎりなしといふ
  大伴家持
   
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原文 打奈婢久 波流等毛之流久 宇具比須波 宇恵木之樹間乎 奈<枳>和多良奈牟
訓読 うち靡く春ともしるく鴬は植木の木間を鳴き渡らなむ
仮名 うちなびく はるともしるく うぐひすは うゑきのこまを なきわたらなむ
  大伴家持
   
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原文 宇良賣之久 伎美波母安流加 夜度乃烏梅<能> 知利須具流麻埿 美之米受安利家流
訓読 恨めしく君はもあるか宿の梅の散り過ぐるまで見しめずありける
仮名 うらめしく きみはもあるか やどのうめの ちりすぐるまで みしめずありける
  大原今城
   
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原文 美牟等伊波婆 伊奈等伊波米也 宇梅乃波奈 知利須具流麻弖 伎美我伎麻左奴
訓読 見むと言はば否と言はめや梅の花散り過ぐるまで君が来まさぬ
仮名 みむといはば いなといはめや うめのはな ちりすぐるまで きみがきまさぬ
  中臣清麻呂
   
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原文 波之伎余之 家布能安路自波 伊蘇麻都能 都祢尓伊麻佐祢 伊麻母美流其等
訓読 はしきよし今日の主人は礒松の常にいまさね今も見るごと
仮名 はしきよし けふのあろじは いそまつの つねにいまさね いまもみるごと
  大伴家持
   
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原文 和我勢故之 可久志伎許散婆 安米都知乃 可未乎許比能美 奈我久等曽於毛布
訓読 我が背子しかくし聞こさば天地の神を祈ひ祷み長くとぞ思ふ
仮名 わがせこし かくしきこさば あめつちの かみをこひのみ ながくとぞおもふ
  中臣清麻呂
   
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原文 宇梅能波奈 香乎加具波之美 等保家杼母 己許呂母之努尓 伎美乎之曽於毛布
訓読 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしぞ思ふ
仮名 うめのはな かをかぐはしみ とほけども こころもしのに きみをしぞおもふ
  市原王
   
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原文 夜知久佐能 波奈波宇都呂布 等伎波奈流 麻都能左要太乎 和礼波牟須婆奈
訓読 八千種の花は移ろふ常盤なる松のさ枝を我れは結ばな
仮名 やちくさの はなはうつろふ ときはなる まつのさえだを われはむすばな
  大伴家持
   
  20/4502
原文 烏梅能波奈 左伎知流波流能 奈我伎比乎 美礼杼母安加奴 伊蘇尓母安流香母
訓読 梅の花咲き散る春の長き日を見れども飽かぬ礒にもあるかも
仮名 うめのはな さきちるはるの ながきひを みれどもあかぬ いそにもあるかも
  甘南備伊香
   
  20/4503
原文 伎美我伊敝能 伊氣乃之良奈美 伊蘇尓与世 之婆之婆美等母 安加無伎弥加毛
訓読 君が家の池の白波礒に寄せしばしば見とも飽かむ君かも
仮名 きみがいへの いけのしらなみ いそによせ しばしばみとも あかむきみかも
  大伴家持
   
  20/4504
原文 宇流波之等 阿我毛布伎美波 伊也比家尓 伎末勢和我世<古> 多由流日奈之尓
訓読 うるはしと我が思ふ君はいや日異に来ませ我が背子絶ゆる日なしに
仮名 うるはしと あがもふきみは いやひけに きませわがせこ たゆるひなしに
  中臣清麻呂
   
  20/4505
原文 伊蘇能宇良尓 都祢欲比伎須牟 乎之杼里能 乎之伎安我未波 伎美我末仁麻尓
訓読 礒の裏に常呼び来住む鴛鴦の惜しき我が身は君がまにまに
仮名 いそのうらに つねよびきすむ をしどりの をしきあがみは きみがまにまに
  大原今城
   
  20/4506
原文 多加麻刀能 努乃宇倍能美也<波> 安礼尓家里 多々志々伎美能 美与等保曽氣婆
訓読 高圓の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば
仮名 たかまとの ののうへのみやは あれにけり たたししきみの みよとほそけば
  大伴家持
   
  20/4507
原文 多加麻刀能 乎能宇倍乃美也<波> 安礼奴等母 多々志々伎美能 美奈和須礼米也
訓読 高圓の峰の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや
仮名 たかまとの をのうへのみやは あれぬとも たたししきみの みなわすれめや
  大原今城
   
  20/4508
原文 多可麻刀能 努敝波布久受乃 須恵都比尓 知与尓和須礼牟 和我於保伎美加母
訓読 高圓の野辺延ふ葛の末つひに千代に忘れむ我が大君かも
仮名 たかまとの のへはふくずの すゑつひに ちよにわすれむ わがおほきみかも
  中臣清麻呂
   
  20/4509
原文 波布久受能 多要受之努波牟 於保吉美<乃> 賣之思野邊尓波 之米由布倍之母
訓読 延ふ葛の絶えず偲はむ大君の見しし野辺には標結ふべしも
仮名 はふくずの たえずしのはむ おほきみの めししのへには しめゆふべしも
  大伴家持
   
  20/4510
原文 於保吉美乃 都藝弖賣須良之 多加麻刀能 努敝美流其等尓 祢能未之奈加由
訓読 大君の継ぎて見すらし高圓の野辺見るごとに音のみし泣かゆ
仮名 おほきみの つぎてめすらし たかまとの のへみるごとに ねのみしなかゆ
  甘南備伊香
   
  20/4511
原文 乎之能須牟 伎美我許乃之麻 家布美礼婆 安之婢乃波奈毛 左伎尓家流可母
訓読 鴛鴦の住む君がこの山斎今日見れば馬酔木の花も咲きにけるかも
仮名 をしのすむ きみがこのしま けふみれば あしびのはなも さきにけるかも
  三形王
   
  20/4512
原文 伊氣美豆尓 可氣左倍見要氐 佐伎尓保布 安之婢乃波奈乎 蘇弖尓古伎礼奈
訓読 池水に影さへ見えて咲きにほふ馬酔木の花を袖に扱入れな
仮名 いけみづに かげさへみえて さきにほふ あしびのはなを そでにこきれな
  大伴家持
   
  20/4513
原文 伊蘇可氣乃 美由流伊氣美豆 氐流麻埿尓 左家流安之婢乃 知良麻久乎思母
訓読 礒影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも
仮名 いそかげの みゆるいけみづ てるまでに さけるあしびの ちらまくをしも
  甘南備伊香
   
  20/4514
原文 阿乎宇奈波良 加是奈美奈妣伎 由久左久佐 都々牟許等奈久 布祢波々夜家無
訓読 青海原風波靡き行くさ来さつつむことなく船は速けむ
仮名 あをうなはら かぜなみなびき ゆくさくさ つつむことなく ふねははやけむ
  大伴家持
   
  20/4515
原文 秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟
訓読 秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れむ
仮名 あきかぜの すゑふきなびく はぎのはな ともにかざさず あひかわかれむ
  大伴家持
   
  20/4516
原文 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
訓読 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
仮名 あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
  大伴家持