古事記~ウマシマヂの命(宇摩志麻遲命) 原文対訳

うちてし野蛮 古事記
中巻①
神武天皇
ウマシマヂの命
入墨の象徴性
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

ウマシマヂの命(生ましまじ)

     
故爾
邇藝速日命。
 かれここに
邇藝速日
にぎはやびの命
時にニギハヤビの命が
參赴。 まゐ赴むきて、 天の神の御子のもとに參つて
白於天神御子。 天つ神の御子にまをさく、 申し上げるには、
     
聞天神御子。
天降坐故。
「天つ神の御子
天降あもりましぬと聞きしかば、
「天の神の御子が
天からお降りになつたと聞きましたから、
追參降來。 追ひてまゐ降り來つ」とまをして、 後を追つて降つて參りました」と申し上げて、
即獻天津瑞以。
仕奉也。
天つ瑞しるしを獻りて
仕へまつりき。
天から持つて來た寶物を捧げて
お仕え申しました。
     

邇藝速日命。
かれ邇藝速日
にぎはやびの命、
このニギハヤビの命が

登美毘古之妹。
登美夜毘賣。生子
登美毘古が妹
登美夜毘賣
とみやびめに
娶ひて生める子、
ナガスネ彦の
妹トミヤ姫と結婚して
生んだ子が
宇摩志麻遲命 宇摩志麻遲
うましまぢの命。
ウマシマヂの命で、
〈此者。
物部連。
穂積臣。
婇臣祖也〉故如此。
(こは
物部の連、
穗積の臣、
婇臣が祖なり)
これが
物部もののべの連・
穗積の臣・
采女うねめの臣等の祖先です。
     
言向平和
荒夫琉神等。
〈夫琉二字以音〉
かれかくのごと、
荒ぶる神どもを
言向ことむけやはし、
そこでかようにして
亂暴な神たちを
平定し、
退撥
不伏之人等而。
伏まつろはぬ人どもを
退そけ撥はらひて、
服從しない人どもを
追い撥はらつて、
坐畝火之
白檮原宮。
畝火うねびの
白檮原かしはらの宮にましまして、
畝傍うねびの
橿原かしはらの宮において
治天下也。 天の下治しらしめしき。 天下をお治めになりました。
     

ホトホト困った名

     
故坐
日向時。
 かれ日向に
ましましし時に、
 はじめ日向ひうがの國に
おいでになつた時に、
娶阿多之
小椅君妹。
阿多あたの
小椅をばしの君が妹、
阿多あたの
小椅おばしの君の妹の
名阿比良比賣。
〈自阿以下
五字以音〉
名は阿比良
あひら比賣に娶ひて、
アヒラ姫という方と結婚して、
生子。 生みませる子、  
多藝志美美命。 多藝志美美たぎしみみの命、 タギシミミの命・
次岐須美美命。 次に岐須美美きすみみの命、 キスミミの命と
二柱坐也。 二柱ませり。 お二方の御子がありました。
     
然更求
爲大后之美人時。
然れども更に、
大后おほぎさきとせむ美人をとめを
求まぎたまふ時に、
しかし更に
皇后となさるべき孃子おとめを
お求めになつた時に、
大久米命曰。 大久米の命まをさく、 オホクメの命の申しますには、
此間有媛女。
是謂神御子。
「ここに媛女をとめあり。
こを神の御子なりといふ。
「神の御子と傳える
孃子があります。
其所以謂
神御子者。
それ神の御子と
いふ所以ゆゑは、
そのわけは
三嶋
湟咋之女。
三島の
湟咋みぞくひが女、
三嶋みしまの
ミゾクヒの娘むすめの

勢夜陀多良比賣。
名は勢夜陀多良
せやだたら比賣、
セヤダタラ姫という方が
其容姿麗美。 それ容姿麗かほよかりければ、 非常に美しかつたので、
故美和之
大物主神。
美和の
大物主の神、
三輪みわの
オホモノヌシの神が
見感而。 見感めでて、 これを見て、
其美人。
爲大便之時。
その美人をとめの
大便くそまる時に、
その孃子が
厠かわやにいる時に、
化丹塗矢。 丹塗にぬり矢になりて、 赤く塗つた矢になつて
自其爲大便之
溝流下。
その大便まる溝より、
流れ下りて、
その河を流れて來ました。
突其美人之
富登。
〈此二字以音。
下效此〉
その美人の
富登
ほとを突きき。
 
爾其美人驚而。 ここにその美人驚きて、 その孃子が驚いて
立走
伊須須岐伎。
〈此五字以音〉
立ち走り
いすすぎき。
 
     
乃將來其矢。 すなはちその矢を持ち來て、
その矢を持つて來て
置於床邊。 床の邊に置きしかば、 床の邊ほとりに置きましたところ、
忽成麗壯夫。 忽に麗しき壯夫をとこに成りぬ。 たちまちに美しい男になつて、
即娶
其美人。
生子。
すなはちその美人に娶ひて
生める子、
その孃子と結婚して
生んだ子が
名謂
富登多多良
伊須須岐比賣命。
名は
富登多多良伊須須岐比賣
ほとたたら
いすすきひめの命、
ホトタタラ
イススキ姫であります。
亦名謂
比賣多多良
伊須氣余理比賣。
またの名は
比賣多多良
伊須氣余理比賣
ひめたたら
いすけよりひめといふ。
後にこの方は名を
ヒメタタラ
イスケヨリ姫と改めました。
〈是者。
惡其富登云事。
後改名者也〉
(こは
その富登といふ事を惡みて、
後に改へつる名なり)
これは
そのホトという事を嫌つて、
後に改めたのです。
     

故是以
謂神御子也。
かれここを以ちて
神の御子とはいふ」
とまをしき。
そういう次第で、
神の御子と申すのです」
と申し上げました。
うちてし野蛮 古事記
中巻①
神武天皇
ウマシマヂの命
入墨の象徴性