古事記 意富多多泥古~原文対訳

大物主大神 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
大物主大神の疫病
富多多泥古
天の八十毘羅訶
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

大物主と活玉の玄孫

     
是以
驛使
班于四方。
ここを以ちて、
驛使はゆまづかひを
四方よもに班あかちて、
そこで
急使を
四方に出して
求謂
意富多多泥古
人之時。
意富多多泥古
おほたたねこといふ人を
求むる時に、
オホタタネコという人を
求めた時に、
於河内之美努村。
見得其人
貢進。
河内の美努みのの村に
その人を見得て、
貢たてまつりき。
河内の國のミノの村で
その人を探し出して
奉りました。
     
爾天皇。
問賜之。
汝者誰子也。
ここに天皇問ひたまはく、
「汝いましは誰が子ぞ」
と問ひたまひき。
そこで天皇は
「お前は誰の子であるか」
とお尋ねになりましたから、
答曰。 答へて白さく 答えて言いますには
僕者。 「僕あは  
大物主大神。娶
陶津耳命之女。
活玉依毘賣。
生子。
名櫛御方命之子。
飯肩巣見命之子。
建甕槌命之子。
大物主の大神、
陶津耳すゑつみみの命が女、
活玉依いくたまより毘賣に娶ひて
生みませる子、
名は櫛御方くしみかたの命の子、
飯肩巣見いひがたすみの命の子、
建甕槌たけみかづちの命の子、
「オホモノヌシの神が
スヱツミミの命の女の
イクタマヨリ姫と結婚して
生んだ子は
クシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、
その子がタケミカヅチの命、
僕意
富多多泥古白。
僕やつこ
意富多多泥古」とまをしき。
その子がわたくし
オホタタネコでございます」と申しました。
     

御諸山(三輪山)の大美和之大神=大物主大神

     
於是天皇
大歡以。
ここに天皇
いたく歡びたまひて、
そこで天皇が
非常にお歡よろこびになつて
詔之。 詔りたまはく、 仰せられるには、
天下平。 「天の下平ぎ、 「天下が平ぎ
人民榮。 人民おほみたから榮えなむ」
とのりたまひて、
人民が榮えるであろう」
と仰せられて、
即以
意富多多泥古命。
爲神主而。
すなはち
意富多多泥古の命を、
神主かむぬしとして、
このオホタタネコを
神主かんぬしとして
於御諸山。 御諸山に、 ミモロ山で
拜祭。
意富美和之大神前。
意富美和おほみわの大神の御前を
拜いつき祭りたまひき。
オホモノヌシの神を
お祭り申し上げました。
大物主大神 古事記
中巻③
10代 崇神天皇
大物主大神の疫病
富多多泥古
天の八十毘羅訶