伊勢物語 118段:たえぬ心 あらすじ・原文・現代語訳

第117段
住吉行幸
伊勢物語
第四部
第118段
たえぬ心
第119段
形見こそ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  わするゝ心もなし(著者)
 
  うれしげもなし(小町)
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 むかし男が、久しく音信なかったが、忘れずに参り来たというと、

 玉葛 はふ木あまたに なりぬれば 
 絶えぬこころの うれしげもなし

 

 玉かずら(つる草) 這う木が多くなり うっとおしい 
 忘れぬと言われても 嬉しくもない
 
 ~
  
 前々段からの内容にかかり、相手は小町。
 むかし男=著者は、114段・仁和の表記からも業平ではない。それがなくても業平ではない。
 63段「在五」「けぢめ見せぬ心」から始まり、106段「ちはやぶる 神代もきかず」(OMG, 前代未聞の馬○や)に至るまで人格を全否定している。

 ここで小町は、異様につれない。
 それは、こういう頭のおかしいバカ男共があまたワンサカいて、色好みと称揚され、それらにまとわりつかれ、疲れて心を病んでしまったからである。
 115段で、陸奥の国から都に帰るに掛けて、都島を出したのに取り付く島もないってな。
 
 冒頭の久しは、陸奥の国の赴任から帰る内容。
 というのも、114段の帝の鷹匠から多賀城を想起し、陸奥の国のことを思い出していた。
 その続きで、帰って来た時の小町との会話も思い出す。
 
 浪間より 見ゆる小島の浜びさし ひさしくなりぬ 君に逢ひみで116段
 我見ても ひさしくなりぬ 住吉の 岸のひめ松 いく代へぬらむ117段-1
 むつまじと 君は白浪 瑞籬の 久しき世より いはひそめてき117段-2
 

 姫松とは小さい松のこと、小松に掛けて小町。
 岸の姫とは、向こう岸・彼岸の衣通姫(織姫)。
 だから、著者は天の川や彦星の歌を出している(82段95段)。
 
 (天の川が出てきた次の段で、小野という地名が出てくる。ただし文脈は全く関係ないアホ男の話)
 
 しかし会ってみれば、そっけない。時間がたてばこんなもんか。
 人になれば忘れるってさ。なんか前段で謎の神が具現化してたけど。
 人の記憶は続かない。ま、それが器の違いね。
 
 しかし潜在意識ほど人を動かす。でもそれだけでは成就はしないと。
 そして顕在表面は、いやーな記憶で塗り固められてブロックされている。
 野蛮な所で、変な連中(例えば業平)にタカられ続けて主人面されて。竹取と同じ構図。
 それが「はふ木あまた」。
 
 業平の舞を受けてわれもと舞を踊るとかいう能? 漫才? あるらしいけど、ありえねーよ。
 後宮で女を執拗に追い掛け回し流された人格破綻者(65段の内容)が、小町に追いかけられる?
 確実にきもオッサン共の理想の妄想。
 小町を滅茶苦茶汚して貶めるのもいいかげんにせーって。舞って何か、てんてこ舞いか。
 こういう話も全部「はふ木あまた」。伊勢も次々訳分からん話で上塗りされ、乗っ取られ続けてさ。
 
 会おうとして来たはずなのに、当初の目的も忘れたと。
 訳わからんのがタカってくるのに、拒絶することに気をとられちゃってさ。
 
 それを気持ちよく取り戻したのが竹取だが、現実はそう簡単に行かないね。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第118段 たえぬ心(絶えぬ心) 玉葛
   
 むかし、男、  むかし、をこと、  昔男。
  久しく音もせで、 ひさしくをともせで、 久しくをともせで。
  わするゝ心もなし。まゐり来む わするゝ心もなし、まいりこむ、 わするゝ心もなし。まいらん
  といへりければ、 といへりければ、 といへりければ。
       

200
 玉葛
 はふ木あまたになりぬれば
 たまかづら
 はふ木あまたになりぬれば
 玉かつら
 はふ木あまたに成ぬれは
  絶えぬこころの
  うれしげもなし
  たえぬ心の
  うれしげもなし
  絕ぬ心の
  うれしけもなし
   

現代語訳

 
 

わするゝ心もなし

 

むかし、男、久しく音もせで、
わするゝ心もなし、まゐり来むといへりければ、

 
 
むかし男
 むかし男が
 
 著者。
 114段から繋げて掛けて書いているから、業平ではない
 (114段は仁和帝の話だが、880年で没した業平は884~887年の仁和元号で存在しえない)。
 しかし前段でもなお、業平が(帝の代わりに)歌ったのか、とかいう人がいるから、何書いても無駄なのか。
 

久しく音もせで
 長らく音信不通でも
 

わするゝ心もなし、まゐり来む
 忘れるわけもなく、参上しました
 

といへりければ
 と言えば、
 
 久しくは、116段から続く内容。
 
 浪間より 見ゆる小島の浜びさし ひさしくなりぬ 君に逢ひみで116段
 我見ても ひさしくなりぬ 住吉の 岸のひめ松 いく代へぬらむ117段-1
 むつまじと 君は白浪 瑞籬の 久しき世より いはひそめてき117段-2
 
 この流れは、115段の陸奥から戻った時に、むつまじ(仲良い)に掛けて小町を思って読んだ歌。
 小町というのは、姫松が小松という意味(小さい可愛い松)であることに掛けている。
 また物語後半では出てきていなかったので(44段・馬の餞で都から離れた)、その意味でも「久し」。
 ただし、小町が戻った訳ではなく回想。記憶を巻き戻しただけ。
 
 小町待っていたかな…。
 
 

うれしげもなし

 

玉葛 はふ木あまたになりぬれば
 絶えぬこころの うれしげもなし

 
 
玉葛 はふ木あまたになりぬれば
 つる草も からまる木が多いので
 
 玉葛:線が細く長く絡むだけで実を結ばない花。実を結ばない女の恋の例え。
 

絶えぬこころの うれしげもなし
 切れない・忘れないといっても (鬱蒼とするにかけて)うっとおしくて嬉しくもない
 
 もうずっと人多杉。うそーん。
 僕らの仲はその程度だったの…。
 

 玉葛 はふ木あまたになりぬれば 絶えぬこころの うれしげもなし118段

 谷せばみ 峯まではへる玉かづら 絶えむと人に わが思はなくに36段。これは万葉を参照した歌)
 
 36段では、男が言い寄ってくるよくわからん女にカンベンしてと思った内容。それを自分で食らう。
 しかし、37段では小町と下紐(見えない紐・運命の糸)でつながっていたはずなんだけどなぁ。
 
 つまりどういうことかというと、
 115段では、帝の鷹匠にかけて多賀城での陸奥の国の女との話(14-15段)を思い出し、
 116段からは、そこから帰って来た時の、30段近辺の小町の話を回想している。総集編。