平家物語 巻第九 樋口被討罰 原文

木曾最期 平家物語
巻第九
樋口被討罰
ひぐちのちゅうばっせられ
ひぐちのきられ
異:樋口誅
ひぐちのきられ
六ヶ度軍

 
 今井が兄の樋口次郎兼光は、十郎蔵人討たんとて、その勢五百余騎で、河内国長野城へ越えたりけるが、そこにては討ちもらしぬ。紀伊国名草にありと聞いて、やがて続いて越えたりけるが、都に戦ありとて、取つて返して上るほどに、淀の大渡の橋にて、今井が下人にゆきあうたり。
 「あな心憂。これはいづちへとて渡り給ひ候ふぞ。都には戦出で来て、君討たれさせ給ひ候ひぬ。今井殿も御自害」といひければ、樋口次郎、涙をはらはらと流いて、「これ聞き給へ殿ばら、君に御心ざし思ひ参らせ給はん人々は、これよりいづくへも迷ひゆき、いかならん乞食頭陀の行をもして、君の後世をとぶらひ参らせ給へ。兼光は都へ上り、討ち死にして、冥土にても、君の御見参に入り、今井四郎をもいま一度見んと思ふためなり」といひければ、これを聞いて、五百余騎の勢ども、あそこここにひかへ、ここにひかへ落ちゆくほどに、鳥羽の南の門を過ぐるには、その勢わづかに二十余騎にぞなりにける。
 

 樋口次郎、今日すでに都へ入ると聞こえしかば、党も豪家も、七条、朱雀、四塚さまへはせむかふ。ここに樋口次郎が内に、茅野太郎光広といふ者あり。四塚にいくらもありける勢の中へ懸け入り、鐙ふんばり立ち上がり、大音声をあげ、「この勢の中に、一条次郎殿の御手の人やまします」と問ひければ、「必ず一条次郎の手でないは、戦をばせぬか、誰にも合へかし」とて、どつと笑ふ。
 笑はれて名乗りけるは、「かう申す者は、信濃国諏訪上宮の住人、茅野大夫光家が子に、茅野太郎光広といふ者なり。必ず一条次郎殿の御手の人を尋ぬるにはあらず。弟の茅野七郎それにあり。光広が子供、二人信濃国に候ふが、あはれわが父は、ようてや死にたるらん、悪しうてや死にたるらんと、なげかんずる所に、弟の七郎が前にて討ち死にして、子供にたしかに聞かせんと思ふためなり。敵をばきらふまじ」とて、あれに馳せあひ、これに馳せあひ、武者三騎切り落とし、四人にあたる敵に押し並べ、むんずと組んでどうど落ち、差し違へてぞ死ににける。
 

 樋口次郎は児玉党にむすぼほれたりければ、児玉の人ども寄り合ひて、「我も人も弓矢取りの、広い中へ入らんといふは、自然の事のある時、一まどの息をもつぎ、しばしの命をも助からんと思ふためなり。されば樋口次郎が我らにむすぼほれけんも、さこそは思ひけめ。樋口が命を助けん」とて、児玉党の中より使者を立てて、「日頃は今井、樋口と聞こえさせ給ひて候へども、今は木曾殿うたれ給ひ候ひぬ。今井殿も御自害、なにか苦しう候ふべき。我等が中へ降人になり給へ。我等が今度の勲功の章に申しかへて、御命ばかりをば、たすけ奉らん」といひ送りたりければ、樋口の次郎、日頃は聞こゆる兵にてありけれども、運や尽きにけん、児玉党の中へ、降人にこそなりにけれ。
 九郎御曹司へ申す。院の御所へ奏聞して、なだめられたりしを、かたはらの公卿、殿上人、局の女房、女の童にいたるまで、「木曾が法住寺殿へよせ、御所に火をかけて多くの人々をほろぼし失ひしには、あそこにもここにも、今井、樋口といふ声のみこそありしか。これらをなだめられんは、口惜しかるべし」と、口々に申されければ、また死罪にぞ定められける。
 

 同じき二十二日、新摂政殿とどめられさせ給ひて、もとの摂政還着し給ふ。わづか六十日のうちに替へられ給へば、いまだみはてぬ夢のごとし。昔粟田の関白は喜び申しの後、七か日だにありしぞかし。これは六十日とは申せども、そのうちに節会も除目も行はれしかば、思ひ出なきにもあらず。
 

 同じき二十四日、木曾左馬頭、ならびに余党五人が首、大路を渡さる。樋口次郎は降人たりしが、しきりに首の供せんと言ひければ、さらばとて藍摺の水干、立烏帽子で渡されけり。
 

 同じき二十六日、樋口次郎つひに斬られにけり。「今井、樋口、楯、根井とて、木曾が四天王のその一、これらを助けられんは、養虎の憂へあるべし」と、殊に沙汰あつて斬られけるとぞ聞こえし。
 

 つてに聞く、虎狼の国衰へて、諸侯蜂のごとくにおこりし時、沛公先に咸陽宮へ入るといへども、項羽後に来たらん事を恐れて、細馬美人をも犯さず、金銀の珠玉をもかすめず、いたづらに函谷の関を守つて、漸漸に敵を滅ぼして、天下を治する事を得たりき。されば今の木曾左馬頭も、まづ都へ入るといふとも、頼朝朝臣の命にしたがはましかば、かの沛公が謀には劣らざらまし。
 

 さるほどに、平家は去年の冬の頃より、讃岐国八島の磯を出でて、摂津国難波潟におし渡り、福原の旧都に居住して、西は一の谷を城郭にに構へ、東は生田の杜を大手の木戸口とぞ定めける。その間、福原、兵庫、板宿、須磨にこもる勢、これは今度山陽道八か国、南海道六か国、都合十四か国をうち従へて、召さるる所の軍兵、十万余騎とぞ聞こえし。
 

 一の谷は北は山、南は海、口は狭くて奥広し。岸高く聳えて、屏風を立てたるにことならず。北の山ぎはより、南の海の遠浅まで、大木か切つて逆も木に引き、大石を重ね上げ、深き所には、大船どもをそばだてて、かい楯にかき、城の面の高矢倉には、一人当千と聞こゆる四国鎮西の兵ども、甲冑弓箭を帯して、雲霞のごとくなみゐたり。
 

 矢倉の前には、鞍置き馬ども、十重二十重に引つ立てたり。常に太鼓を打ち、乱声をす。
 一張の弓の勢は半月胸の前にかかり、三尺の剣の光は、秋の霜、腰の間に横だへたり。高き所は赤旗多くうつたてたれば、春風に吹かれて、天にひるがへるは、火炎の燃え上がるに異ならず。
 

木曾最期 平家物語
巻第九
樋口被討罰
ひぐちのちゅうばっせられ
ひぐちのきられ
異:樋口誅
ひぐちのきられ
六ヶ度軍