源氏物語 43帖 紅梅:あらすじ・目次・原文対訳

匂兵部卿 源氏物語
第三部
第43帖
紅梅
竹河

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 紅梅(こうばい)のあらすじ

 薫24歳の春のころの話。

 故致仕大臣(頭中将)の次男は、このころには按察大納言(あぜちのだいなごん)になっていた。跡継ぎだった兄柏木亡き後、一族の大黒柱となっている。

 亡くなった先の北の方との間には二人の姫君(大君中の君)がいた。今の北の方は、髭黒大臣の娘で故蛍兵部卿宮〔源氏の弟〕の北の方だった真木柱で、この間に男子(大夫の君:原文上は男君〕)を一人もうけている。また、真木柱には故宮の忘れ形見の姫君(宮の御方)がいて、この姫君も大納言の邸で暮らしている。

 裳着をすませた三人の姫君たちへの求婚者は多かったが、大納言は、大君を東宮妃とすべく麗景殿に参内させており、今度は中の君に匂宮〔匂兵部卿。今上帝の三宮。源氏の異母兄(朱雀帝)の孫〕を縁付けようと目論んでいる。大納言は大夫の君:原文上は若君〕を使って匂宮の心を中の君に向けさせようとするが、肝心の匂宮の関心は宮の御方にあるらしい。匂宮は大夫の君を通してしきりに宮の御方に文を送るが、宮の御方は消極的で結婚をほとんど諦めている。

 大君の後見に忙しい真木柱は、宮の御方には良縁と思うが大納言の気持を思うと躊躇してしまう。また、匂宮が好色で最近では宇治八の宮の姫君にも執心だとの噂もあって、ますます苦労が耐えないようだ。

(以上Wikipedia紅梅(源氏物語)より。色づけと〔〕は本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#紅梅(4首:別ページ)
主要登場人物
大君・中君・男君の意義 (独自)
 
第43帖 紅梅(こうばい)
 匂宮と紅梅大納言家の物語
 
第一章 紅梅大納言家の物語
 娘たちの結婚を思案
 第一段 按察使大納言家の家族
 第二段 按察使大納言家の三姫君
 第三段 宮の御方の魅力
 第四段 按察使大納言の音楽談義
 
第二章 匂兵部卿の物語
 宮の御方に執心
 第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る
 第二段 匂宮、若君と語る
 第三段 匂宮、宮の御方を思う
 第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答
 第五段 匂宮、宮の御方に執心
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

匂宮(におうのみや)
今上帝の第三親王
呼称:兵部卿宮・宮・君
紅梅大納言(こうばいのだいなごん)
致仕大臣の二男、故柏木の弟
呼称:按察使大納言・大納言・大納言殿・大納言の君
大君(おおいきみ)
紅梅大納言の長女
呼称:麗景殿・春宮の御方
中君(なかのきみ)
紅梅大納言の二女
呼称:西の御方
真木柱(まきばしら)
鬚黒大将の娘、蛍兵部卿宮の北の方
呼称:北の方・母北の方・母上・上・君
宮の御方(みやのおおんかた)
蛍宮と真木柱の娘
呼称:東の姫君・女君・東・君
夕霧(ゆうぎり)
源氏の長男
呼称:右大臣・大臣
明石の中宮(あかしのちゅうぐう)
今上帝の后
呼称:中宮
今上帝(きんじょうてい)
朱雀院の御子
呼称:内裏
東宮(とうぐう)
今上帝の第一親王
呼称:春宮・宮
大君(おおいきみ)
呼称:右大殿の女御

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

大君・中君・男君(若君)の意義

 
 
 上記のあらすじでは、匂宮と語る若君(目次二章二段)を、大君中君の弟の「大夫の君」としているが、原文では「男君」「若君」としかない。

 弟の説明が男君で、匂宮との仲立の時に若君となる。紛らわしいが「せうと(兄人=兄弟)」とあるので、どちらも弟と解される( 一章二段)。
 「大夫の君」は若菜上に一回だけ超端役で出てくるが別人だろう。なぜここで一切原文にない「大夫の君」が突如出現するのかわからない。

 

 ここでの展開を整理すると、匂宮が近くに侍らせる若君(男君)を使い、その姉の中の君(真木柱の継子)にアプローチした。

 しかし匂宮の興味は、実は宮の御方(実子)にあるようだ。…誰?

 しかしやはりどうでもよかったので、次の巻で適当に茶を濁して宇治につなげて終わらせた。

 

 源氏没後は人定が錯綜する。
 大君・中の君・男君(若君)。かつていた小君(2巻で初出の空蝉の弟)を避けているだけ。

 次巻44竹河では、「中の君」が若君とも解釈される。もう訳がわからない。やっつけすぎてこうなったのではないか。
 匂宮三帖のヒロインは紅梅の長女・次女、続く宇治十帖は八の宮の長女・次女・三女。適当すぎる。源氏の弟・八の宮も、とってつけた存在。

 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  紅梅(こうばい)
 
 

第一章 紅梅大納言家の物語 娘たちの結婚を思案

 
 

第一段 按察使大納言家の家族

 
   そのころ、按察使大納言と聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり。
 亡せたまひにし右衛門督のさしつぎよ。
 童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりける。
 
 そのころ、按察使大納言と申し上げる方は、故致仕の大臣の次男である。
 お亡くなりになった衛門督のすぐ次の方であるよ。
 子供の時から利発で、はなやかな性質をお持ちだった人で、ご出世なさるに年月とともに、今まで以上にいかにも羽振りがよく、理想的なお暮らしぶりで、帝の御信望もまことに厚いものであった。
 
   北の方二人ものしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、後の太政大臣の御女、真木柱離れがたくしたまひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひてのち、忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。
 
 北の方が二人いらっしゃったが、最初の方はお亡くなりになって、今いらっしゃる方は、後太政大臣の姫君で、真木柱を離れがたくなさった姫君を、式部卿宮家の姫として、故兵部卿の親王に御縁づけ申し上げなさったが、親王がお亡くなりになって後、人目を忍んではお通いになったが、年月がたったので、世間に遠慮することもなくなったようである。
 
   御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ、男君一人まうけたまへる。
 故宮の御方に、女君一所おはす。
 隔てわかず、いづれをも同じごと、思ひきこえ交はしたまへるを、おのおの御方の人などは、うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、わが御方ざまに苦しかるべきことをも、なだらかに聞きなし、思ひ直したまへば、聞きにくからでめやすかりけり。
 
 お子様は、亡くなった北の方に、二人だけいらっしゃったので、寂しいと思って、神仏に祈って、今の北の方に、男君を一人お儲けになっていた。
 故宮との間に、女君がお一人いらっしゃる。
 分け隔てをせず、どちらも同じようにかわいがり申し上げなさっているが、それぞれの御方の女房などは、きれい事には行かない気持ちも交じって、厄介なもめ事も出てくる時があるが、北の方が、とても明朗で現代的な人で、無難にとりなし、ご自分に辛いようなことも、穏やかに聞き入れ、よく解釈し直していらっしゃるので、世間に聞き苦しい事なく無難に過ごしているのであった。
 
 
 

第二段 按察使大納言家の三姫君

 
   君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。
 七間の寝殿、広く大きに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と、住ませたてまつりたまへり。
 
 姫君は、同じ年頃で、次々と大きくおなりになったので、御裳着などお着せ申し上げなさる。
 七間の寝殿を、広く大きく造って、南面に、大納言殿と大君、西面に中の君、東面に宮の御方と、お住ませ申し上げなさるのであった。
 
   おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、うちうちの儀式ありさまなど、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。
 
 おおかたの想像では、父宮がいらしゃらないお気の毒なようであるが、祖父宮方と父宮方とからの御宝物がたくさんあったりして、内々の儀式や普段の生活など、奥ゆかしく気品のあるお暮らしぶりで、その様子は申し分なくいらっしゃる。
 
   例の、かくかしづきたまふ聞こえありて、次々に従ひつつ聞こえたまふ人多く、「内裏、春宮より御けしきあれど、内裏には中宮おはします。
 いかばかりの人かは、かの御けはひに並びきこえむ。
 さりとて、思ひ劣り卑下せむもかひなかるべし。
 春宮には、右大臣殿の女御、並ぶ人なげにてさぶらひたまふは、きしろひにくけれど、さのみ言ひてやは。
 人にまさらむと思ふ女子を、宮仕へに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」と思したちて、参らせたてまつりたまふ。
 十七、八のほどにて、うつくしう、匂ひ多かる容貌したまへり。
 
 例によって、このように大切になさっているという評判が立って、次々と申し込みなさる方が多く、「帝や、春宮からも御内意はあるが、帝には中宮がいらっしゃる。
 どれほどの方が、あのお方にご比肩申せよう。
 そうかといって、及ばないと諦めて卑下するのも、宮仕えする甲斐がないだろう。
 春宮には、右大臣殿の女御が、並ぶ人がないように伺候していらっしゃるのは、競い合いにくいが、そうとばかり言っていられようか。
 人よりすぐれているだろうと思う姫君を、宮仕えに出すことを諦めてしまっては、何の望みがあろうか」とご決意なさって、入内させ申し上げなさる。
 十七、八歳のほどで、かわいらしく、派手やかな器量をしていらっしゃった。
 
   中の君も、うちすがひて、あて緩なまめかしう、澄みたるさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にては、あたらしく見せま憂き御さまを、「兵部卿宮の、さも思したらば」など思したる。
 この若君を、内裏にてなど見つけたまふ時は、召しまとはし、戯れ敵にしたまふ。
 心ばへありて、奥推し量らるるまみ額つきなり。
 

 中の君も、引き続いて、上品で優美で、すっきり落ち着いた点では大君に勝って、美しくいらっしゃるようなので、臣下の人では、惜しく気が進まないご器量なのを、「兵部卿宮が、そのように望んでくださったら」などとお思いになっていた。
 この〔大納言の。by本ページ。以下色づけ括弧は同様〕若君を、〔兵部卿宮が〕宮中などで御覧になる時は、お召しまとわせ、遊び相手になさっている。
 利発であって、将来の期待される目もとや額つきである。〔だからそれを兵部卿宮と大納言の双方が利用して〕
 

   「せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」などのたまひかくるを、「さなむ」と聞こゆれば、うち笑みて、「いとかひあり」と思したり。
 
 「と付き合うだけでは終わりたくないと、大納言に申し上げよ」などと〔兵部卿宮が若君に〕お話しかけになるので、〔若君が父大納言〕「しかじか」と申し上げると、微笑んで、〔大納言は〕「まことにその甲斐があった」と思いになっていた。
 
   「人に劣らむ宮仕ひよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せたてまつらまほしけれ。
 心ゆくにまかせて、かしづきて見たてまつらむに、命延びぬべき宮の御さまなり」
 「人に負けるような宮仕えよりは、この宮にこそ、人並みの姫君は差し上げたいものだ。
 思いのままにまかせて、お世話申し上げることになったら、寿命もきっと延びる気がする宮のご様子である」
   とのたまひながら、まづ、春宮の御ことをいそぎたまひて、「春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたく思してやみにし慰めのこともあらなむ」と、心のうちに祈りて、参らせたてまつりたまひつ。
 いと時めきたまふよし、人びと聞こゆ。
 
 とおっしゃりながら、まず、春宮への御入内の事をお急ぎになって、「春日の神の御神託も、わが世にもしや現れ出て、故大臣が、院の女御の御事を、無念にお思いのまま亡くなってしまったお心を慰めることがあってほしい」と、心中に祈って、入内させなさった。
 たいそう御寵愛である由を、人びとはお噂申す。
 
   かかる御まじらひの馴れたまはぬほどに、はかばかしき御後見なくてはいかがとて、北の方添ひてさぶらひたまへば、まことに限りもなく思ひかしづき、後見きこえたまふ。
 
 このような後宮生活にお馴れにならないうちは、しっかりしたご後見がなくてはどんなものかと、北の方が付き添っていらっしゃるので、ほんとうにこの上もなく大切に思って、ご後見申し上げなさる。
 
 
 

第三段 宮の御方の魅力

 
   殿は、つれづれなる心地して、西の御方は、一つに慣らひたまひて、いとさうざうしくながめたまふ。
 東の姫君も、うとうとしくかたみにもてなしたまはで、夜々は一所に大殿籠もり、よろづの御こと習ひ、はかなき御遊びわざをも、こなたを師のやうに思ひきこえてぞ、誰れも習ひ遊びたまひける。
 
 殿は、所在ない心地がして、西の御方は、一緒でいることに馴れていらっしゃたので、とても寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。
 東の姫君も、よそよそしくお互いになさらず、夜々は同じ所にお寝みになり、いろいろなお稽古事を習い、ちょっとしたお遊び事なども、こちらを先生のようにお思い申し上げて、大君も中の君も習ったり遊んだりしていらっしゃった。
 
   もの恥ぢを世の常ならずしたまひて、母北の方にだに、さやかにはをさをささし向ひたてまつりたまはず、かたはなるまでもてなしたまふものから、心ばへけはひの埋れたるさまならず、愛敬づきたまへること、はた、人よりすぐれたまへり。
 
 人見知りを世間の人以上になさって、母北の方にさえ、ちゃんとお顔をお見せ申し上げることもなさらず、おかしなほど控え目でいらっしゃる一方で、気立てや雰囲気が陰気なところはなく、愛嬌がおありであることは、それは、誰よりも優れていらっしゃった。
 
   かく、内裏参りや何やと、わが方ざまをのみ思ひ急ぐやうなるも、心苦しなど思して、  このように、春宮への入内や何やかやと、ご自分の姫君のことばかり考えてご準備するのも、お気の毒だとお思いになって、
   「さるべからむさまに思し定めてのたまへ。
 同じこととこそは、仕うまつらめ」
 「適当なご縁談をお考えになっておっしゃってください。
 同じように、お世話いたしましょう」
   と、母君にも聞こえたまひけれど、  と、母君にも申し上げなさったが、
   「さらにさやうの世づきたるさま、思ひ立つべきにもあらぬけしきなれば、なかなかならむことは、心苦しかるべし。
 御宿世にまかせて、世にあらむ限りは見たてまつらむ。
 後ぞあはれにうしろめたけれど、世を背く方にても、おのづから人笑へに、あはつけきこばなくて、過ぐしたまはなむ」
 「まったくそのような結婚の事は、考えようともしない様子なので、なまじっかの結婚は、気の毒でしょう。
 ご運命にまかせて、自分が生きている間はお世話申そう。
 死後はかわいそうで心配ですが、出家してなりとも、自然と人から笑われ、軽薄なことがなくて、お過ごしになってほしい」
   など、うち泣きて、御心ばせの思ふやうなることをぞ聞こえたまふ。
 
 などと、ちょっと泣いて、宮のご性質が立派なことを申し上げなさる。
 
   いづれも分かず親がりたまへど、御容貌を見ばやとゆかしう思して、「隠れたまふこそ心憂けれ」と恨みて、「人知れず、見えたまひぬべしや」と、覗きありきたまへど、絶えてかたそばをだに、え見たてまつりたまはず。
 
 どの娘も分け隔てなく親らしくなさるが、ご器量を見たいと心動かされて、「お顔をお見せにならないのが辛いことだ」と恨んで、「こっそりと、お見えにならないか」と、覗いて回りなさるが、全然ちらりとさえお見せにならない。
 
   「上おはせぬほどは、立ち代はりて参り来べきを、うとうとしく思し分くる御けしきなれば、心憂くこそ」  「母上がいらっしゃらない間は、代わってわたしが参りますが、よそよそしく分け隔てなさるご様子なので、辛いことです」
   など聞こえ、御簾の前にゐたまへば、御いらへなど、ほのかに聞こえたまふ。
 御声けはひなど、あてにをかしう、さま容貌思ひやられて、あはれにおぼゆる人の御ありさまなり。
 わが御姫君たちを、人に劣らじと思ひおごれど、「この君に、えしもまさらずやあらむ。
 かかればこそ、世の中の広きうちはわづらはしけれ。
 たぐひあらじと思ふに、まさる方も、おのづからありぬべかめり」など、いとどいぶかしう思ひきこえたまふ。
 
 などと申し上げて、御簾の前にお座りになるので、お返事などを、かすかに申し上げなさる。
 お声、様子など、上品で美しく、容姿や器量が想像されて、立派だと感じられるご様子の人である。
 ご自分の姫君たちを、誰にも負けないだろうと自慢に思っているが、「この姫君には、とても勝てないだろうか。
 こうだからこそ、世間付き合いの広い宮中は厄介なのだ。
 二人といまいと思うのに、それ以上の方も自然といることだろう」などと、ますます気がかりにお思い申し上げになさる。
 
 
 

第四段 按察使大納言の音楽談義

 
   「月ごろ、何となくもの騒がしきほどに、御琴の音をだにうけたまはらで久しうなりはべりにけり。
 西の方にはべる人は、琵琶を心に入れてはべる、さもまねび取りつべくやおぼえはべらむ。
 なまかたほにしたるに、聞きにくきものの音がらなり。
 同じくは、御心とどめて教へさせたまへ。
 
 「ここ幾月、何となくごたごたしていたが、お琴の音さえ聴かせて戴かないで久しくなってしまった。
 西の方におります人は、琵琶に熱心でございますが、そのように上手に習得できると思っているのでしょうか。
 中途半端にしたのでは、聞きにくい楽器の音色です。
 同じことなら、十分に念を入れて教えて上げてください。
 
   翁は、とりたてて習ふものはべらざりしかど、そのかみ、盛りなりし世に遊びはべりし力にや、聞き知るばかりのわきまへは、何ごとにもいとつきなうはべらざりしを、うちとけても遊ばさねど、時々うけたまはる御琵琶の音なむ、昔おぼえはべる。
 
 老人は、特別に習ったものはございませんでしたが、その昔、盛りだったころに合奏に加わったお蔭でしょうか、演奏の上手下手を聞き分ける程度の区別は、どのような楽器にもひどく不案内ということはございませんでしたが、気を許してお弾きになりませんが、時々お聴きするあなたの琵琶の音色は、昔が思い出されます。
 
   故六条院の御伝へにて、右の大臣なむ、このころ世に残りたまへる。
 源中納言、兵部卿宮、何ごとにも、昔の人に劣るまじう、いと契りことにものしたまふ人びとにて、遊びの方は、取り分きて心とどめたまへるを、手づかひすこしなよびたる撥音などなむ、大臣には及びたまはずと思うたまふるを、この御琴の音こそ、いとよくおぼえたまへれ。
 
 故六条院のご伝授では、右大臣が、今でも世に残っていらっしゃいます。
 源中納言、兵部卿宮は、どのようなことでも、昔の人に負けないほど、まことに前世からの因縁が格別でいらっしゃる方々で、音楽の方面は、特別に熱心でいらっしゃるので、手さばきの少し弱々しい撥の音などが、大臣には負けていらっしゃると存じておりますが、このお琴の音色は、とてもよく似ていらっしゃいます。
 
   琵琶は、押手しづやかなるをよきにするものなるに、柱さすほど、撥音のさま変はりて、なまめかしう聞こえたるなむ、女の御ことにて、なかなかをかしかりける。
 いで、遊ばさむや。
 御琴参れ」
 琵琶は、押し手を静かにするのを上手とする都言いますが、柱を据えた時、撥の音の様子が変わって、優美に聞こえるのが、女性のお琴としては、かえって結構なものです。
 さあ、合奏なさいませんか。
 お琴を持って参れ」
   とのたまふ。
 女房などは、隠れたてまつるもをさをさなし。
 いと若き上臈だつが、見えたてまつらじと思ふはしも、心にまかせてゐたれば、「さぶらふ人さへかくもてなすが、やすからぬ」と腹立ちたまふ。
 
 とおっしゃる。
 女房などは、お隠れ申している者はほとんどいない。
 たいそう若い上臈ふうの女房が、姿をお見せ申し上げまいと思っているのは、勝手に奥に座っているので、「お側の女房までがこのように気ままに振る舞うのが、おもしろくない」と腹をお立てになる。
 
 
 

第二章 匂兵部卿の物語 宮の御方に執心

 
 

第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る

 
   若君、内裏へ参らむと、宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしきみづらよりも、いとをかしく見えて、いみじううつくしと思したり。
 麗景殿に、御ことづけ聞こえたまふ。
 
 若君は、宮中へ参内しようと、宿直姿で参上なさったが、特別にきちんとした角髪よりも、とても美しく見えて、たいそうかわいいとお思いになっていた。
 麗景殿に、おことづけを申し上げなさる。
 
   「譲りきこえて、今宵もえ参るまじく、悩ましく、など聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。
 ともすれば、御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。
 まだいと若き笛を」
 「お任せ申して、今夜も参ることができない、気分が悪いのだ、などと申し上げよ」とおっしゃって、「笛を少しおつとめ申せ。
 どうかすると、御前の御合奏に召し出されるが、はらはらさせられることだ。
 まだとても未熟な笛なので」
   とうち笑みて、双調吹かせたまふ。
 いとをかしう吹いたまへば、
 とほほ笑んで、双調を吹かせなさる。
 たいそう美しくお吹きになるので、
   「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにて、おのづから物に合はするけなり。
 なほ、掻き合はせさせたまへ」
 「まままあになって行くのは、この辺りで、何かの折りに合奏するからであろう。
 ぜひ、お琴をお弾き合わせ頂きたい」
   と責めきこえたまへば、苦しと思したるけしきながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。
 皮笛、ふつつかに馴れたる声して、この東のつまに、軒近き紅梅の、いとおもしろく匂ひたるを見たまひて、
 とお責め申し上げなさるので、辛いとお思いの様子であるが、爪弾きにとてもよく合わせて、ただ少し掻き鳴らしなさる。
 口笛を、太い音で物馴れた声して吹いて、この東の端に、軒に近い紅梅が、たいそう美しく咲き匂っているのを御覧になって、
   「御前の花、心ばへありて見ゆめり。
 兵部卿宮、内裏におはすなり。
 一枝折りて参れ。
 知る人ぞ知る」とて、「あはれ、光る源氏、といはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にて、かやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。
 
 「お庭先の梅が、風情あるように見える。
 兵部卿宮は、宮中にいらっしゃるそうだ。
 一枝折って差し上げよ。
 知る人は知っている」と言って、「ああ、光る源氏、といわれたお盛りの大将などでいらしたころ、子供で、このようにしてお仕え馴れ申したのが、年とともに恋しいことです。
 
   この宮たちを、世人も、いとことに思ひきこえ、げに人にめでられむとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけむ。
 
 この宮たちを、世間の人も、たいそう格別にお思い申し上げ、なるほど誰からも誉められるようにおなりになったご様子であるが、まったく問題に思われなさらないのは、やはり絶世の方だとお思い申し上げた気持ちのせいでしょうか。
 
   おほかたにて、思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、気近き人の後れたてまつりて、生きめぐらふは、おぼろけの命長さなりかし、とこそおぼえはべれ」  世間一般の立場から、お思い出し申し上げるのに、胸の晴れる時もなく悲しいので、身近な人に先立たれ申して、生き残っているのは、並々でなく長生きを辛いことであろう、と思われます」
   など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。
 
 などと、申し上げなさって、しみじみと索漠とした子持ちで回想し沈んでいらっしゃる。
 
   ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。
 
 折が折とて堪えることができなかったのか、花を折らせて、急いで参上させなさる。
 
   「いかがはせむ。
 昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。
 仏の隠れたまひけむ御名残には、阿難が光放ちけむを、二度出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを、闇に惑ふはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、
 「しかたない。
 昔の恋しい形見としては、この宮だけだ。
 釈迦のお隠れになった後には、阿難が光を放ったというが、再来されたかと疑う賢い聖がいたが、闇に迷う悲しみを払うよすがとして、申し上げてみよう」とおっしゃって、
 

591
 「心ありて 風の匂はす 園の梅に
 まづ鴬の 訪はずやあるべき」
 「考えがあって風が匂わす園の梅に
  さっそく鴬が来ないことがありましょうか」
 
   と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙に取りまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。
 
 と、紅の紙に若々しく書いて、この君の懐紙にまぜて、押したたんでお出しになるのを、子供心に、とてもお親しくしたいと思うので、急いで参上なさった。
 
 
 

第二段 匂宮、若君と語る

 
   中宮の上の御局より、御宿直所に出でたまふほどなり。
 殿上人あまた御送りに参る中に、見つけたまひて、
 中宮の上の御局から、ご宿直所にお出になるところである。
 殿上人が大勢お送りに参上する中から、お見つけになって、
   「昨日は、などいと疾くはまかでにし。
 いつ参りつるぞ」などのたまふ。
 
 「昨日は、どうしてとても早く退出したのだ。
 いつ参ったのか」などとおっしゃる。
 
   「疾くまかではべりにし悔しさに、まだ内裏におはしますと人の申しつれば、急ぎ参りつるや」  「早く退出いたしましたのが残念で、まだ宮中にいらっしゃると人が申しましたので、急いで参上したのですよ」
   と、幼げなるものから、馴れきこゆ。
 
 と、子供らしいものの、なれなれしく申し上げる。
 
   「内裏ならで、心やすき所にも、時々は遊べかし。
 若き人どもの、そこはかとなく集まる所ぞ」
 「宮中でなく、気楽な所でも、時々は遊びなさい。
 若い人たちが、誰彼となく集まる所だ」
   とのたまふ。
 この君召し放ちて語らひたまへば、人びとは、近うも参らず、まかで散りなどして、しめやかになりぬれば、
 とおっしゃる。
 この君を一人だけ呼んでお話になるので、他の人びとは、近くには参らず、退出して散って行ったりして、静かになったので、
   「春宮には、暇すこし許されためりな。
 いとしげう思しまとはすめりしを、時取られて人悪ろかめり」
 「春宮におかれては、お暇を少し許されたようだね。
 とてもひどくお目をかけられてお側離さずにいらっしゃったようだが、寵愛を奪われて体裁が悪いようだね」
   とのたまへば、  とおっしゃるので、
   「まつはさせたまひしこそ苦しかりしか。
 御前にはしも」
 「お側から離してくださらず困ってしまいました。
 あなた様のお側でしたら」
   と、聞こえさしてゐたれば、  と、途中まで申し上げて座っているので、
   「我をば、人げなしと思ひ離れたるとな。
 ことわりなり。
 されどやすからずこそ。
 古めかしき同じ筋にて、東と聞こゆなるは、あひ思ひたまひてむやと、忍びて語らひきこえよ」
 「わたしを、一人前でないと敬遠しているのだな。
 もっともだ。
 けれどおもしろくないな。
 古くさい同じ血筋で、東の御方と申し上げる方は、わたしと思い合ってくださろうかと、こっそりとよく申し上げてくれ」
   などのたまふついでに、この花をたてまつれば、うち笑みて、  などとおっしゃる折に、この花を差し上げると、ほほ笑んで、
   「怨みてのちならましかば」  「こちらから恨み言を言った後からだったら」
   とて、うちも置かず御覧ず。
 枝のさま、花房、色も香も世の常ならず。
 
 とおっしゃって、下にも置かず御覧になる。
 枝の様子や、花ぶさが、色も香も普通のとは違っている。
 
   「園に匂へる紅の、色に取られて、香なむ、白き梅には劣れるといふめるを、いとかしこく、とり並べても咲きけるかな」  「園に咲き匂っている紅梅は、色に負けて、香は、白梅に劣ると言うようだが、とても見事に、色も香も揃って咲いているな」
   とて、御心とどめたまふ花なれば、かひありて、もてはやしたまふ。
 
 とおっしゃって、お心をとめていらっしゃる花なので、効があって、ご賞美なさる。
 
 
 

第三段 匂宮、宮の御方を思う

 
   「今宵は宿直なめり。
 やがてこなたにを」
 「今夜は宿直のようだ。
 そのままこちらに」
   と、召し籠めつれば、春宮にもえ参らず、花も恥づかしく思ひぬべく香ばしくて、気近く臥せたまへるを、若き心地には、たぐひなくうれしくなつかしう思ひきこゆ。
 
 と、呼んだままお離しにならないので、春宮にも参上できず、花も恥ずかしく思うくらい香ばしい匂いで、お側近くに寝かせなさったので、子供心に、またとなく嬉しく慕わしくお思い申し上げる。
 
   「この花の主人は、など春宮には移ろひたまはざりし」  「この花の主人は、どうして春宮には行かれなかったのだ」
   「知らず。
 心知らむ人になどこそ、聞きはべりしか」
 「存じません。
 ものの分かる方になどと、聞いておりました」
   など語りきこゆ。
 「大納言の御心ばへは、わが方ざまに思ふべかめれ」と聞き合はせたまへ管、思ふ心は異にしみぬれば、この返りこと、けざやかにものたまひやらず。
 
 などとお答え申し上げる。
 「大納言のお気持ちは、実の娘を考えているようだ」と思い合わせなさるが、思っていらっしゃる心は別のほうなので、このお返事は、はっきりとはおっしゃらない。
 
   翌朝、この君のまかづるに、なほざりなるやうにて、  翌朝、この君が退出する時に、気のりしない態度で、
 

592
 「花の香に 誘はれぬべき 身なりせば
 風のたよりを 過ぐさましやは」
 「花の香に誘われそうな身であったら
  風の便りをそのまま黙っていましょうか」
 
   さて、「なほ今は、翁どもにさかしらせさせで、忍びやかに」と、返す返すのたまひて、この君も、東のをば、やむごとなく睦ましう思ひましたり。
 
 そうして、「やはり今は、老人たちに出しゃばらせずに、こっそりと」と、繰り返しおっしゃって、この君も、東の御方を、大切に親しく思う気持ちが増した。
 
   なかなか異方の姫君は、見えたまひなどして、例の兄弟のさまなれど、童心地に、いと重りかにあらまほしうおはする心ばへを、「かひあるさまにて見たてまつらばや」と思ひありくに、春宮の御方の、いとはなやかにもてなしたまふにつけて、同じこととは思ひながら、いと飽かず口惜しければ、「この宮をだに、気近くて見たてまつらばや」と思ひありくに、うれしき花のついでなり。
 
 かえって他の姫君たちは、お顔をお見せになったりして、普通の姉弟みたいな様子であるが、子供心に、とても重々しく理想的でいらっしゃるご性質を、「お世話しがいのある方と結婚させてあげたいものだ」と日頃思っていたが、春宮の御方が、たいそう華やかなお暮らしでいらっしゃるのにつけて、同じ嬉しいこととは思うものの、とてもたまらなく残念なので、「せめてこの宮だけでも身近に拝見したいものだ」と思ってうろうろしている時に、嬉しい花の便りのきっかけである。
 
 
 

第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答

 
   これは、昨日の御返りなれば見せたてまつる。
 
 これは、昨日のお返事なのでお見せ申し上げる。
 
   「ねたげにものたまへるかな。
 あまり好きたる方にすすみたまへるを、許しきこえずと聞きたまひて、右の大臣、われらが見たてまつるには、いとものまめやかに、御心をさめたまふこそをかしけれ。
 あだ人とせむに、足らひたまへる御さまを、しひてまめだちたまはむも、見所少なくやならまし」
 「憎らしくもおっしゃるなあ。
 あまりに好色な方面に度が過ぎていらっしゃるのを、お許し申し上げないとお聞きになって、右大臣や、わたしどもが拝見するには、とてもまじめに、お心を抑えていらっしゃるのがおもしろい。
 好色人というのに、資格十分なご様子を、無理してまじめくさっていらっしゃるのも、見所が少なくなることになろうに」
   など、しりうごちて、今日も参らせたまふに、また、  などと、悪口を言って、今日も参らせなさる折に、また、
 

593
 「本つ香の 匂へる君が 袖触れば
 花もえならぬ 名をや散らさむ
 「もともとの香りが匂っていらっしゃるあなたが袖を振ると
  花も素晴らしい評判を得ることでしょう
 
   とすきずきしや。
 あなかしこ」
 と好色がましく、恐縮です」
   と、まめやかに聞こえたまへり。
 まことに言ひなさむと思ふところあるにやと、さすがに御心ときめきしたまひて、
 と、本気にお申し込みになった。
 本当に結婚させようと考えているところがあるのだろうかと、そうはいってもお心をときめかしなさって、
 

594
 「花の香を 匂はす宿に 訪めゆかば
 色にめづとや 人の咎めむ」
 「花の香を匂わしていらっしゃる宿に訪ねていったら
  好色な人だと人が咎めるのではないでしょうか」
 
   など、なほ心とけずいらへたまへるを、心やましと思ひゐたまへり。
 
 など、やはり胸の内を明かさないでお答えなさるので、憎らしいと思っていらっしゃった。
 
   北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、  北の方が退出なさって、宮中辺りのことをおっしゃる折に、
   「若君の、一夜、宿直して、まかり出でたりし匂ひの、いとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮の、いと思ほし寄りて、『兵部卿宮に近づききこえにけり。
 うべ、我をばすさめたり』と、けしきとり、怨じたまへりしか。
 ここに、御消息やありし。
 さも見えざりしを」
 「若君が、先夜、宿直をして、退出した時の匂いが、とても素晴らしかったので、人は普通の香と思ったが、東宮が、よくお気づきなさって、『兵部卿宮にお近づき申したのだ。
 なるほど、わたしを嫌ったわけだ』と、様子を理解して、恨んでいらっしゃった。
 こちらに、お手紙がありましたか。
 そのようにも見えませんでしたが」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「さかし。
 梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅、いと盛りに見えしを、ただならで、折りてたてまつれたりしなり。
 移り香は、げにこそ心ことなれ。
 晴れまじらひしたまはむ女などは、さはえしめぬかな。
 
 「その通り。
 梅の花を賞美なさる君なので、あちらの建物の端の紅梅が、たいそう盛りに見えたのを、放っておけず、折って差し上げたのです。
 移り香は、なるほど格別です。
 晴れがましい宮中勤めをなさるような女君などは、あのようには焚きしめられないな。
 
   源中納言は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。
 あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。
 
 源中納言は、このように風流に焚きしめて匂わすのではなく、人柄が世に又とない。
 不思議と、前世の宿縁がどんなであったのかと、知りたいほどだ。
 
   同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。
 この宮などのめでたまふ、さることぞかし」
 同じ花の名であるが、梅は生え出た根ざしが大したものだ。
 この宮などが賞美なさるのは、もっもなことだ」
   など、花によそへても、まづかけきこえたまふ。
 
 などと、花にかこつけて、まずはお噂申し上げなさる。
 
 
 

第五段 匂宮、宮の御方に執心

 
   宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、「人に見え、世づきたらむありさまは、さらに」と思し離れたり。
 
 宮の御方は、物の分別がおつきになるくらいご成人なさっているので、どのようなことでもお分りになり、噂を耳になさっていらっしゃらないではないが、「人と結婚し、普通の生活を送ることは、けっして」と思い離れていた。
 
   世の人も、時に寄る心ありてにや、さし向ひたる御方々には、心を尽くし聞こえわび、今めかしきこと多かれど、こなたは、よろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は、御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかで、と思ほしなりにけり。
 
 世間の男性も、時の権勢に追従する心があってだろうか、本妻の姫君たちには熱心に申し込み、はなやかな事が多いが、こちらの方には、何かにつけて、ひっそりと引き籠もっていらっしゃったのを、宮は、おふさわしい方と伝え聞きなさって、心底、何とかして、とお思いになってしまった。
 
   若君を、常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、大納言の君、深く心かけきこえたまひて、「さも思ひたちてのたまふことあらば」と、けしきとり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、  若君を、いつも側を離さず近づけなさっては、こっそりとお手紙をやるが、大納言の君が、心からお望みになって、「そのようにお考えになってお申し込まれることがあるならば」と、様子を理解して、準備なさっているのを見ると、気の毒になって、
   「ひき違へて、かう思ひ寄るべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること」  「予想に反して、このように結婚を考えてもいない方に、かりそめにせよ、お手紙をたくさんくださるが、効のなさそうなこと」
   と、北の方も思しのたまふ。
 
 と、北の方もお思いになりおっしゃる。
 
   はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心添ひて、思ほしやむべくもあらず。
 「何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせたまふに」など、北の方思ほし寄る時々あれど、いといたう色めきたまひて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざしの浅からで、いとしげうまうでありきたまふ。
 頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。
 
 ちょっとしたお返事などもないので、負けてたまるかとのお考えも加わって、お諦めになることもおできになれない。
 「何の遠慮がいるものか、宮のお人柄に何の不足があろう、そのように結婚させてお世話申し上げたい、将来有望にお見えになるのだから」など、北の方はお思いになることも時々あるが、とてもたいそう好色人でいらして、お通いになる所がたくさんあって、八の宮の姫君にも、お気持ちが並々でなく、たいそう足しげくお通いになっている。
 頼りがいのないお心で、浮気っぽさなども、ますます躊躇されるので、本気になってはお考えになっていないが、恐れ多いばかりに、こっそりと、母君が時折さし出てお返事申し上げなさる。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る(古今集春上-三八 紀友則)(戻)  
  出典2 花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)(戻)  
  出典3 紅に色をば変へて梅の花香ぞことごとに匂はざりける(後撰集春上-四四 凡河内躬恒)(戻)  
  出典4 あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰集春下-一〇三 源信明)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 右大臣殿の女御--*右大(大/+臣<朱>)の(戻)  
  校訂2 推し量らるる--おしは(は/+から<朱>)るゝ(戻)  
  校訂3 御姫君--(/+御<朱>)姫君(戻)  
  校訂4 残り--のこる(る/$り<朱>)(戻)  
  校訂5 この--(/+此<朱>)(戻)  
  校訂6 たるなむ--*たる(戻)  
  校訂7 かひありて--かひあり(り/+て)(戻)  
  校訂8 異に--こと(と/+に<朱>)(戻)  
  校訂9 せさせで--せま(ま/$さ<朱>)せて(戻)  
  校訂10 見えさせ--(/+見<朱>)えさせ(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。