伊勢物語 39段:源の至 あらすじ・原文・現代語訳

第38段
恋といふ
伊勢物語
第二部
第39段
源の至
第40段
すける思ひ

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  宮の隣 うち泣き 
 
   我は知らず 
 
  追記(源順)
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔、西院の帝(淳和天皇)のみこ、崇子と申す者が亡くなった、お葬式の夜のこと。
 (記録では848年。この書きぶりから皇族も特別に立てずフラットに扱っている)
 
 その宮の隣に居た男が、女の車に相乗って(?)出かけた。
 (普通ならありえない描写。というのも「二条の后に仕うまつる男」95段。それが著者=昔男。隣とは二条の隣、三条あたりか)。
 
 久しく率いて出で奉らなかったので、とてもうち泣いてやむべくもなかったが、そういう時に、

 天下の色好みと悪名名高い源至が、女の車があると見るや近寄って、中に蛍を投げこみ、どうだ! 明るくなったろう? という狼藉を働いた。
 

 その車に乗っていた人(?)は、怪しい輩に蛍を投げこまれ、どうしたらよいのかわからない。
 しかるに、同乗していた昔男が詠む(出ていって言った)。
 

 出でていなば かぎりなるべみ ともしけち 年へぬるかと なく声を聞け

 →出て見れば、何とも限り果てた人 うるさい+明かりを消せを、はよ消えよと掛け、離れなさいと解く。
 その心は、どうやらおめーは年長さんのようだから、せめて大人しくして、しくしく泣いてる声をきけ
 (相手のレベルに合わせただけ)
 

 至が返し

 いとあはれ なくぞ聞ゆる ともしけち 消ゆるものとも 我は知らずな
 →いやはや、何ともあはれっすねえ(ニヤニヤ) 泣いてるって? 
 なにをケチなことを。オレ様を誰だと思ってる! あの有名な、天下の源やぞ!
 ワイに消えろと? そんなんできるか、消える方法なんて、わいでもわからんわw わいわい!
 

 終了~。
 つまり冒頭の「天下の」とは、自分で言ったから当てつけで書いたと、素直に見ればそうなる。
 だって、この人のこと、一般人は誰も知らないでしょう。義経以下。
 

 以上、物知らんハナタレの話でした。
 いやだって、自分でそう言ってるんだもの。
 
 なお、蛍の光は消えずあなたの顔は見え続けるとかいう訳は、車から出た時の感想の描写からも違う(互いによく見えない)。
  
 ~
 

 ここで車に乗っている人は、一応、二条の后と見れる。
 根拠は、以下の通り。
 

 3~4段の、西の対で人目を忍び人を偲ぶ話と同じ内容であること。
 76段で「二条の后」とセットで「車」が出てくること。
 77段で「(藤原)多賀幾子(たかきこ)」、本段では「崇子(たかいこ)」、両者は同じ状況で描かれること(御葬・法要)。
 名が示される女性は、この二人だけであること(つまり双方をもって高子を仄めかしている。恐らくなにがしかの高子担当)。
 
 76段直前の75段で「むかし男」が「伊勢の国に率ていきて」ということが、この段の「率ていで」と符合すること。
 76段の次、かつ最後に二条の后が明示されるのが95段で、「二条の后に仕うまつる男ありけり」から始まること。
 
 したがって本段において女車に「乗れる男」は、この仕えている男。それが著者・むかし男。女方・後宮(縫殿)の六歌仙。
 だから3段で彼女の喪服を見繕い、女物の服の話、女達の話を多数描き、端的に後宮を歩いて女と会話をする描写をする(100段「後涼殿」)。
 だから公然の場で女の車に同乗している。
 最後に示した95段の冒頭は、恋愛関係ではなく、仕事で側にいたと明示することに目的がある。
 

 また、本段と似た状況が、99段・ひをりの日。
 女車に見える仄かに見える下顔に誘われ、「中将なりける男」が言い寄って来た。御前の面前で。
 そして最後に「のちは誰と知りにけり」。
 
 構図が全く同じ。
 男が車を出すのは、76段・99段の二条の后、104段の伊勢斎宮しかいない。そして付き添っている描写は、二条の后のみ。
 
 こう解すると、842年生まれの高子6歳の時の話ということになり、男がからむには早すぎるとも思えるが、
 東五条の話と異なりあえて崇子と名を出しているし、「率ていで奉らず」「うち泣きて」という表現は幼い要素を裏づける記述とも言える。
 また他の親族等に同乗していたとも見れる(この時高子の叔母、東五条に由来する五条后こと藤原順子は39歳)。
 しかしやはり車の人は意図的に伏せているし、面倒が巻き起こる可能性もあるので、やはりそうかもしれないという程度にしておこう。
 
 ここまで高子と距離が近いのは、男の母が、宮で藤原(だった)とされることと(84段10段)、まず関係がある。
 身元が安全。だから後宮に勤めているし、ミコでも帝でも全く臆することがない冒頭の描写になる(母親の手紙も軽んじている)。
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第39段 源の至 欠落
   
   むかし、  むかし、  
  西院の帝と申す帝 さいゐんのみかどゝ申すみかど  
  おはしましりけり。 おはしましけり。  
  その帝のみこ、崇子と申す そのみかどのみこ、たかいこと申す  
  いまそがりけり。 いまそかりけり。  
       
  そのみこうせ給ひて、 そのみこうせたまひて、  
  御葬の夜、 おほむはふりの夜、  
その宮の隣なりける男、 その宮のとなりなりけるおとこ、  
  いまそかり見むとて、 御はふり見むとて、  
  女車にあひ乗りて出でたりけり。 女くるまにあひのりていでたりけり。  
       
  いと久しう率ていで奉らず。 いとひさしうゐていでたてまつらず。  
  うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、 うちなきて、やみぬべかりかるあひだに、  
  天の下の色好み、 あめのしたのいろこのみ、  
  源至といふ人、 源のいたるといふ人、  
  これももの見るに、 これもゝの見るに、  
  この車を女車と見て、 この車を女くるまと見て、  
  寄り来て、とかくなまめくあひだに、 よりきてとかくなまめくあひだに、  
  かの至、蛍をとりて かのいたる、ほたるをとりて、  
  女の車に入れたりけるを、 女のくるまにいれたりけるを、  
  車なりける人、 くるまなりける人、  
  この蛍のともす火にや見ゆらむ、 このほたるのともす火にや見ゆるらむ、  
  ともし消ちなむずるとて、 ともしけちなむずるとて、  
  乗れる男のよめる。 のれるおとこのよめる。  
       

75
 出でていなば
 かぎりなるべみともしけち
 いでゝいなば
 かぎりなるべみともしけち
 
  年へぬるかと
  なく声を聞け
  年へぬるかと
  なくこゑをきけ
 
       
  かの至、返し、 かのいたる、かへし、  
       

76
 いとあはれ
 なくぞ聞ゆるともしけち
 いとあはれ
 なくぞきこゆるともしけち
 
  消ゆるものとも
  我は知らずな
  きゆる物とも
  我はしらずな
 
       
  天の下の色好みの歌にては、 あめのしたのいろごのみのうたにては、  
  なほぞありける。 猶ぞ有ける。  
  至は順が祖父なり。 いたるは、したがふがおほぢ也。  
  みこの本意なし。 みこのほいなし。  
   

現代語訳

 
 

宮の隣

 

むかし、西院の帝と申す帝おはしましりけり。
その帝のみこ、崇子と申すいまそがりけり。
 
そのみこうせ給ひて、御葬の夜、その宮の隣なりける男、
いまそかり見むとて、女車にあひ乗りて出でたりけり。

 
 
むかし
 

西院の帝と申す帝
 西院の帝という帝が
 
 西院の帝:淳和天皇(786-840)
 

おはしましりけり
 いらっしゃった。
 
 省略が旨の著者が「西院」と出すのは意味があると見るべき。つまり「東五条」(四段)との対比。
 その話は、二条の后が、やはり中々会えずに亡くなった人を偲びにいった話であった。
 
 

その帝のみこ、崇子と申す
 その帝の御子(皇女)、崇子みこが
 
 崇子内親王(? - 848年)
 

いまそがりけり
 いらっしゃった。
 

そのみこうせ給ひて
 その御子が亡くなられて
 

御葬の夜
 お葬式の夜、
 

その宮の隣なりける男、
 そのみこの宮の隣に(つまり二条で仕事で)いた男が
 
 (つまり著者。だから二条の后と近い記述があった。特に三段参照。数字には意味がある。四段は五条に行く話。)
 

いまそかり見むとて
 三条に参上しようといって、
 
 つまり、上と合わせて二条で仕事をしているという根拠になる。
 
 いまそかりを上下セットで、上下の意味で用いる。
 つまり厳密に区別して意識している。
 それは身分だからではなく言葉と礼儀を大切にしているから。1000年もたてばさほど変わらない。
 

女車にあひ乗りて出でたりけり
 女車の同乗して、出立したのであった。
 
 なぜなら、男は女方(縫殿)に勤めているから(六歌仙参照)。
 それが31段の局の描写や、32段の糸巻(をだまき)の描写。だからしょっちゅう服の話がでてくる。女の話も沢山でてくるのは、そういう訳。
 つまり業平ではない。誤認定で六歌仙。頻繁に女の所に行くからという安易な認定。
 
 

うち泣き

 

いと久しう率ていで奉らず。
うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、
天の下の色好み、源至といふ人、これももの見るに、
この車を女車と見て、寄り来て、とかくなまめくあひだに、

 
 
いと久しう率ていで奉らず
 随分久しくみなを連れ添って訪れていなかったので、
 
 (この位でもないと会えないのかと。
 ここで「率て」としているのは、つまり主体は、後述のように二条の后とみるべき。だからこそ以下の表現になる。)
 

うち泣きてやみぬべかりけるあひだに
 みなで泣き泣きしている間に、
 

天の下の色好み
 巷の噂に名高い、色好みの
 
 (全然ほめてはいない)
 

源至といふ人
 源至という人が、
 
 (つまり全然尊敬していない)
 

これももの見るに
 これも、物を見ようと(物珍しさで)
 
 (しまいに「これ」という虫並みの扱い。これこれ、のこれ。)
 

この車を女車と見て、
 この車を女の乗っている車と見るやいなや、
 

寄り来て
 寄って来て、
 

とかく
 とにかくいやらしく、
 

なまめくあひだに
 なめ回すように見てきている間に、
 

 なまめく:好色の態度。
 とされるがその定義の出典は、この伊勢の部分。
 
 なお、末尾に若干の言葉を補うのは、前後と韻の関係から、当然要請されていること。
 この場合でもなるべく言葉にかけてみる。そしてなるべく勝手に補わない。
 
 

 


かの至、蛍をとりて女の車に入れたりけるを、
車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消ちなむずるとて、
乗れる男のよめる。
 
出でていなば かぎりなるべみ ともしけち
 年へぬるかと なく声を聞け

 
 
かの至
 この至が(呼び捨て。以下同様)
 

蛍をとりて
 蛍をとって
 

女の車に入れたりけるを
 女の車の中に入れてきたので、
 

車なりける人
 車にいた人が
 

 (素朴に見れば女だが、人というのは、それを不明にして隠している表現。
 その不明さを蛍ほどの光で、少しでも明らしめ、覗き見ようとしたという表現。
 そしてこれは後述の歌の上限関係から、二条の后とみれる。直接出さないのは、この記述で物議を醸さないように、というのもあるだろう。
 
 なお、男にとっては二条の后も「ただ人」(三段)。
 別に軽んじている表現ではない。嫁入り前という体裁にしているが、同じ人と人同士という意味。)
 

この蛍のともす火にや見ゆらむ
 この蛍が懸命にともしている火に見えるから、
 

ともし消ちなむずるとて
 この小さい命の灯火を消すことは忍ばれる、といって、
 

乗れる男のよめる
 乗っている男が詠んだ。

 
 
出でていなば
 出てきてみれば、
 (しかしここにいる方は車からは出られでない。不可能なのではなく、おでましにはならん、ということ)
 

かぎりなるべみ
 限り果てた人だこと
 

 かぎりなる
 :かぎりなしを反対にした語。
 限りなし・果てない⇔果てた。限り果てた(→アホ)
 

 べみ
 :べくみゆるの省略。当然…とみえる。~に違いない。
 

ともしけち
 賤しい人、このあかりを収めよ。
 

 ともしけち
 ①灯しを消し
 ②乏し+けち(結)
 

 ともし(乏し):貧しい・少ない・不足。
 

 けち
 :駄目。ケチがつくのけち。
 元々は、囲碁の終局でだめな目(先の目がない・使えない石)のこと、という。
 

年へぬるかと
 それなりの年はとっているようだから、
 

なく声を聞け
 大人しくして、辺りの泣く声をききなさい。
 
 端的な命令形を重ねて、よっぽと忌々しかった。
 直接書く事がまずない、序列と礼儀を大事にしている伊勢でここまで書かしめることには、相当の理由があったといわざるをえない。
 つまりどういうことかというと、この車にのっていたのは至より当然格上。素朴に見れば、二条の后。その機に乗じていったった(代理)。
 男が二条の后と一緒にいることは、三段(暗黙には四段)で示される通り。しかしそれは禁断の愛などではなく仕事。大事な人というのはもちろんでも。
 
 

我は知らず

 

かの至、返し、
 
いとあはれ なくぞ聞ゆる ともしけち
 消ゆるものとも 我は知らずな
 
天の下の色好みの歌にては、なほぞありける。

 
 
かの至、返し
 
 

いとあはれ
 いやはやなんとも
 

なくぞ聞ゆる
 泣いてるいうなら
 

ともしけち
 消したりますわw
 せこくてケチですなあw
 

消ゆるものとも
 消せるものかは
 

我は知らずな
 知らんけどね
 
 つまり、「え、だめ? おれしーらね」
 
 
天の下の色好みの歌にては
 さすが、天下の色好み
 

なほぞありける
 というだけある。
 (あたまおかしい)
 
 

追記(源順)

 

至は順が祖父なり。みこの本意なし。

 
 ※この末尾の一文は、この段の注釈・左注とみるべき。
 
 
至は順が祖父なり
 
 源順:911-983.
 
 この物語は800年代を通しての話だから、順は時代的に全く相容れない。
 末尾のぽっと出のたった一つの付け足しで、全体の描写の前提を揺らがすほどの意味を見ることはできない。
 塗籠はこのような付け足しがままあるが、ここでもそのように見る他ない。
 塗籠本でここが欠落しているのは、呼び捨てなどの要素が強いから、ということもあるだろう。
 それだけ物議を醸した、貴族社会的に目に余ったから、このような一文も出現するに至ったと。
 

みこの本意なし
 
 つまり順を著者とみたのかもしれないが、そういう事情はこの物語にほぼ全く関係ない。
 何よりこの物語全体で一番の核心部分、和歌が一番厚い部分の20-24が、田舎の男女の心情を入念に描写していること、
 父はただの人(10段)、身は賤しい(84段)という記述とも、相容れない。
 
 それを端的に説明できるのが、縫殿の六歌仙。
 貴族ではないのに、宮中の中枢にいるから極めて批判的になるのも当然。実に自然。歌の実力的にも相応しい。だから竹取も同じ。
 なぜ田舎からの宮仕えの人が、女方に入れたかと言うと、
 父はただの人だったが、母は藤原でかつて宮だったとある(10段・84段)から、そのツテ(要件を満たした)とみるのが自然。
 二条の后ともイトコみたいなもの。だから近くいれるのだろう。認定に全く無理がない。