平家物語 巻第八 室山 原文

瀬尾最期 平家物語
巻第八
室山
むろやま
異:室山合戦
鼓判官

 
 さるほどに、備中国万寿の荘にて勢揃へして、八島へすでに寄せんとす。その間都の留守に置かれたりける樋口次郎兼光、西国へ使者を奉て、「十郎蔵人殿こそ、殿のましまさぬ間に、院の切人して、やうやうに讒奏せられ候ふなれ。西国の戦をばまづさしおかせ給ひて、急ぎ上らせ給へ」と言ひければ、木曾、さらばとて、夜を日についで馳せ上る。
 十郎蔵人行家、木曾に仲違うては悪しかりなんとや思ひけん、その勢五百余騎で、丹波路にかかつて、播磨国へ落ちて行く。木曾は摂津国を経て都へ入る。
 

 平家はまた木曾討たんとて、大将軍には新中納言知盛卿、本三位中将重衡卿、侍大将には、越中次郎兵衛盛嗣、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、伊賀平内左衛門家長を先として、都合その勢二万余人、小船どもに取り乗つて、播磨国に押し渡り、室山に陣を取る。
 十郎蔵人行家、平家と戦して、木曾に仲直りせんとや思ひけん、その勢五百余騎、室山へぞ懸かりける。
 平家は陣を五つに張る。まづ伊賀平内左衛門家長、二千余騎で一陣を固む。越中次郎兵衛盛嗣、三千余騎で二陣を固む。上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛景清、二千余騎で三陣を固む。本三位中将重衡卿、三千余騎で四陣を固め給ふ。新中納言知盛卿、一万余騎で五陣に控へ給へり。
 

 十郎蔵人行家、その勢五百余騎をめいて先を駆け給へば、まづ一陣に控へたる伊賀平内左衛門家長、しばらくあひしらふやうにもてないて、中を開けてぞ通しける。
 二陣越中次郎兵衛、これも開けてぞ通しける。
 三陣上総五郎兵衛、悪七兵衛、ともに開けてぞ通しけり。
 四陣本三位中将、同じう開けて入れられたり。
 前陣より後陣まで、かねて約束したりければ、源氏を中に取り籠めて、我討つ取らんとぞ進みける。十郎蔵人たばかられにけり、四方敵なり、いかにもして逃れんとしけれども、かなふべしとも見えざりければ、思ひ切つてぞ戦ひける。
 新中納言、「ただ押し並べて組めや組め」と下知せられども、さすがに十郎蔵人に押し並べて組む武者一騎もなかりけり。新中納言の宗と頼まれたりける紀七左衛門、紀八左衛門、紀九郎などいふ一人当千の兵ども、そこにて皆十郎蔵人に討ち取られぬ。
 かくして三十騎ばかりに討ちなさる。四方は皆敵なり、いかにもして逃るべしとはおぼえねども、思ひ切つて一方打ち破つてぞ通りける。そこにて二十七騎大略手負ひ、播磨国高砂より小船に乗つて漕ぎ出ださせ、和泉国吹飯の浦に着きにけり。それより河内国長野城に立て籠る。
 平家は室山、水島二箇度の戦に勝つてこそ、いよいよ勢は付きにけれ。
 

瀬尾最期 平家物語
巻第八
室山
むろやま
異:室山合戦
鼓判官