紫式部集40 雲の上も:原文対訳・逐語分析

39いづかたの 紫式部集
第四部
夫の死

40雲の上も
41なにかこの
原文
(実践女子大本)
現代語訳
(渋谷栄一)
注釈
【渋谷栄一】
去年より薄鈍なる人に、  去年から薄鈍の喪服を着ている人に、 【去年より薄鈍なる人に】-作者のこと。長保三年(一〇〇一)四月二十五日、夫宣孝が亡くなった。
女院崩れさせたまへる春、 女院(東三条院)がお崩れになった春、 【女院崩れさせたまへる春】-長保三年閏十二月二十五日、東三条院詮子崩御。「春」は翌長保四年(一〇〇二)。底本「かく」衍字をミセケチにする。
     
いたう霞みたる夕暮れに、 たいそう霞んでいる夕暮れに、  
人の ある人が  
さし置かせたる。 持たせて置いていった歌。 【さし置かせたる】-実践本「をく」は定家の仮名遣い。
     
雲の上も 宮中でも〈雲の上人も〉 【雲の上も】-宮中。〈とするのが通説で、集成はこれに加え帝とするが、人が死んだ文脈なので文字通りの雲の上が本来。それに掛け殿上。和歌は心が種なので即物的・暗記主義的に捉えない。天上が本来で地上が本来ではない〉
もの思ふ春は 悲しみに沈んでいる諒闇の春は  
墨染めに 薄鈍色に  
霞む空さへ 霞んでいる空までが  
あはれなるかな しみじみと思われます  
     

参考異本=後世の二次資料

 「東三条院かくれさせ給ひける又の年の春、いたくかすみたる夕暮に人のもとへつかはしける  紫式部
雲のうへのもの思ふ春はすみぞめにかすむ空さへあはれなるかな」(吉田兼右筆本「玉葉集」雑四 二二九八)【渋谷注】玉葉集では、作者を取り違えて、紫式部の歌としている。