古事記の作者 稗田阿礼=太安万侶=人麻呂

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 一般に古事記の作者は、にある通り稗田阿礼で、その詠唱を太安万侶が筆録したとされている。

 その末尾に、上中下巻が完成し献上する旨に続き、安萬侶・和銅五年(712年)のサインがある。

 安万侶にはこのような記録が残っているが、肝心の稗田阿礼は全く正体不明とされ、実在ではないとも目されている。

 

 結論からいえば、稗田阿礼は太安万侶のペンネーム。阿礼はアレという代名詞。

 安万侶は万葉の柿本人麻呂の本名。万侶の分解形が人麻呂。

 安万侶=柿本人麻呂=書本人=人丸=人○(伏字)=ヒトアレ(稗田阿礼)
 
 つまり古事記は純粋に安万侶の著作で、かつ万葉集は万侶集である。

 だから歴史書なのに歌が入っており、歌の解説(定義)もされているし、無名が基本の万葉とセットで国の礎となる相応の影響力がある。
 一人で少なくとも三つの名があることになり、それが古事記で「亦の名」を何度も出す背景ともいえる。
 

 柿本人麻呂は卑官とされ正体不明なのに、なぜか帝に近く教養もある。
 これら全てが安万侶の記録及び序文と合致する。没年は安万侶723と人麻呂724(幅があるが、安万侶が死んで活動停止が判明したと解し、724で良い)。
 何より正面から男女の愛を重んじる作風(正しい帝紀を残せと言われて、先祖の多情や嫉妬や数々の蛮行まで記す発想になるだろうか。つまりそれが本意)、卑官ながら神と称えられる人麻呂の影響力と完全に符合している。
 

 

 古事記において名は命(実態)と同義。
 よって、実在ではないと目されるような名のあり方こそ、実態を表わしていると言えるだろう。
 

 

目次
阿礼=アレ=代名詞→ヒトアレ
柿本人麻呂=人丸=人○
柿本人=書本人=人麻呂=安万侶
安万侶の序文

 
 

阿礼=アレ=代名詞→ヒトアレ

 
 
 古事記における神々の名称は、そのあり方を象徴させているということは当然のこと(例えば天照)。
 対照的な存在のスサノオ(須佐之男)は、須佐の文字に意味があるのではないだろう。字の音に意味がある当て字。という解釈が全体と整合する。
 つまり良い意味なら、一見明白な素直かつ高等な言葉を当て、それがはばかられる(悪い時)ほど、意味のとりにくいゴチャついた当て字にする。
 

 「内者富良富良〈此四字以音〉外者須夫須夫〈此四字以音〉」→「内はほらほら、外とはすぶすぶ」。
 これは根の国に大国主が行った時、スサノオが放った鳴鏑矢を取り囲む火の内側に鼠が出てきて言った、そのままでは意味不明な言葉。
 この「須夫須夫」は、火の擬音と須佐之男の省略を掛けた暗示(火の外にはスサノオがいる)。それが高等な解釈。古事記の妙味はこのような当て字。
 

 したがって、阿礼とはアレという代名詞と解する。古事記的に表記すると「阿礼二字以音」。つまりペンネーム。
 上の意味では、阿礼は安万侶にとって悪い意味での代名詞で(権力への阿り=やむをえずやらされている)、人麻呂は日々のフラットな代名詞。
 帝からアレの話を献上せよと言われたとあるが(もちろん冗談)、人としての阿礼の話という意味ではない。そういう体で書いても、本意は違う。
 稗は貧しい象徴。明日も食うに困る、田舎乞食と下げた言葉(稗≒卑)。
 
 つまりコジキの書いた古事記。
 この解釈は、アレの話というふざけた意味とも整合するし、神の名づけとも整合する。
 例えばニニギはニギニギによる。ニギニギ=金。
 大体阿礼と同じ意味(ここでは文字通りの意味、つまり阿りの暗示。ただしこれがアレというより、アレは人の意味。それを構成しているのが阿り)。
  
 宮中に仕えるおのれを乞食のように表現し、その身を卑しいとするのは、伊勢物語の著者・文屋と同じ(同81段84段)。竹取もド田舎と宮中の対比。
 しかしそれでもいずれも一般に、宮中の中枢が話題であるから、源融のような皇子が書いたのではないかと想定されている。
 これも古事記と同じ構図。稗田阿礼という意味不明な卑しい名がおかれなければ、議論の仕方から間違いなくそういう想定がなされるだろう。
 コジキとは、したくもないことをしないと生きられないことを象徴させている。それを正当化し、強要する人達は、救いがない貧しさの中にある。
 著者はそれを受け入れたくないから、実態通りコジキとしている。自分が精神的乞食と言えますか? しかしその苦痛を昇華させ、古事記に当てた。
 
 こういうハングリーさは孔子も同じ。世俗の教育は関係ない。なぜなら賢いから。知識の意味がわかる分別がある。教わるものではない。
 知れば分かる。なぜなら考えるから。だから見聞を広げればそれで足りる。その意味で教わる。しかし答え(正解)を求めているのではない。
 それがもし不正確ならどうする。今あるもの全て正確でベストなら新発見も先の発展も何もない。先に進みたいなら、自分で考えるしかない。
 
 

柿本人麻呂=人丸=人○

 
 
 詳細不明の卑官で、なのになぜか宮中の中枢を象徴する教養があり、歌にも通じている。
 そこから浮かび上がる人物は、柿本人麻呂しかいない(人麻呂の生没年は、660頃~724年とされ、712年の古事記完成と丁度良いタイミング)。
 通称、人丸。丸は伏字(人○)。猿丸・蝉丸も同様。だから詳細不明(これは文屋)。
 つまり人麻呂は、孔子と対をなす司馬遷の系譜(肉体ではなく精神の。神の系譜)。司馬遷の境遇をより色濃く受け継いでいるのが文屋。
 子牛と子馬と、本と文(肉と精神、即物から精神、動物から人。だから反動で日本は前提の事実を直視しない精神偏重の風土が強いのかもしれない)。
 

 なぜ神のことを語れるかというと、人麻呂自体、三神の中でも別格と扱われる存在だから。そういう存在は後にも先にも一人しかいない。
 この意味で、序の冒頭「參神作造化之首(參神造化の首はじめと作なり)」とは、贈歌のことを言っていると見れる。だから造化。首・作。
 これはあながちテキトーな当て字ではない。宇宙はuniverse、verseは韻詩文。クリシュナ(神の化身)の口に宇宙があったというのは、この意味。
 
 なお、子牛と子馬と本と文の中で一番やらかしたのが子馬。わからずやを刺激して辛酸極まった。なのでこの国では常に控え、慎重に慎重を期したと。
 だから子馬が子牛の出自を、当時不敬と目された貧と言いながら、最大の賞賛を与える最大の理解者かつ実行した実力者であるのは、本人だからである。
 今でこそ上記は受けいれられているが、この国の歴史では違う。上流貴族でもないのに、このような内容を記せる訳がないと目される。竹取も伊勢も同様。
 しかし子牛と子馬がそうであるように、彼らはそもそも凡人ではない。いわば超人。有り体にいえば一つ神の顕現。現に人麻呂はそう称えられている。
 
 

柿本人=書本人=人麻呂=安万侶

 
 
 以上の内容をまとめると、ここでの結論は、柿本人麻呂=書本人。
 
 加えて安万侶を分解した字形が人麻呂であることから、安万侶のペンネームが人麻呂、及び稗田阿礼であったと見れる。
 「万侶」=「呂」→人麻呂。
 人丸=人○(伏字)、それでヒトアレ

 
 安万侶と人麻呂の没年も完璧に符合
 安万侶が723年に死亡、そのペンネーム・人麻呂死亡が周知されたのが724年といえる。
 

 つまりこの意味で、稗田阿礼の実態は存在するが、安万侶と別人格としては存在しないということになる。
 あたかも芸名と本名が別物であるように。
 
 物事は常に単純な二択ではない。実態に即して多角的に見る。それが高次の思考。
 正か否かの反射的二分論では、掛かりの理解も、考えの密度も高まらない。
 安万侶、人麻呂、稗田阿礼という時点で、即座に別人かつ実名と、暗黙のうちに思い込むのが二分論の典型。
 しかし三位一体(これも多義的)。古事記でしばしば亦の名はとされるのは、その暗示でもある。
 
 

安万侶の序文

 
 
 身元不詳者の口述を書き留め続ける男はいかにも不自然。なので上記のように自作自演。
 なぜなら、安万侶は前面に出ることは望んでいない。それが人麻呂の存在意義。
 古事記には歌も入っている。だから帝と人麻呂との関係上、神語を書くよう言われたと。
 
 時の元明天皇は女性であったから(持統の妹。号は豊国姫)、そこら辺の機微はあったと思われる(この構図が文屋と二条の后・伊勢斎宮に投影)。
 「以和銅四年(711年)九月十八日 詔臣安萬侶」とは、他の帝ではなく彼女に言われたからうけたまわったこと。三ヶ月で完成はまず無理。
 

 「帝紀の誤つているのを正そうとして」(正先紀之謬錯)というのも子馬の史記と全く同様の構図だし、
 「(元明天皇の)お名まえは夏の禹王うおうより高く、御徳は殷いんの湯王とうおうよりまさつているというべき」というのもそれを完璧に示唆している。
 (可謂名高文命。 德冠天乙矣)
 なぜ誤っていると分かるかというと、体験があるからとも言えるし識別能力が格別だからともいえる。そしてこの識こそ、子馬の特性と評されている。
 

 そうして安万侶名義の序自体の理解が高い。これは貫之の古今仮名序にも連なる構図。
 つまり先頭が一番大事で全体の象徴であり、そこに全体が集約されている。これは組織にも言える。あたかも先頭の目次を見れば全体が大体わかるように。
 そして古事記のいの一番最初はこれから始まる。
 臣安萬侶言(臣やつこ安萬侶やすまろ言まをさく)。これこそ口述者たる稗田阿礼の立ち位置そのもの。つまり図らずもやすまろがアレという暗示。
 

 已因訓述者。詞不逮心(全て訓で述べればコトば心に至らず)。
 全以音連者。事趣更長(全て音にすればコトは殊更長くなる)。

 このような説明は普通はしない。心に至るかなど筆記者の関知するコトでは全くない。発言者に聞くのみ。
 殊更長くというが、一般にそういうものほど高尚とされることは言うまでもない。だからこの懸念はその先を行っており、子馬時代を受けている。
 

 意况易解更非注(意味をいわずとも分かり易いことは更に注をしない)。
 これ自体が、意味を分かっている表現。
 他の人でも分かることも注を求める人がいることを念頭に置いた表現。そういうことは本書の神髄に関係がない。逆に言えば、ほとんど意味がない。
 

 最も注が付されていることはなにか? 読み方である。
 つまりそこが古事記の一番肝心な部分。佐久夜姫ではなく咲くや姫に丸めてしまうのでは、昨夜孕んだという話との掛かりに思い致すことはまず無理。
 天津ヒコヒコのニニギも、天菩比神と天若日子の流れで地上とニギニギと掛けているとは見れない。しかしそれは上記以上に無理だろう。
 実は根本の部分で皇室を権威付けてはいない。しかしそのような安直な保身的見方こそニギニギ的見方。
 保守といっても保身ならしょうがない。そしてこの国の民が守られた歴史がどこにあった。全て守るというミエミエの方便で利用されているだけ。
 

 百人一首1(天智天皇)の歌も、民を思う歌とされるが、外国に派兵戦闘する気性の中大兄が、刈穂のホッタテで衣出を濡らすことなどありえない。
 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ
 これも人麻呂(やすまろ)の歌。実入りない貧民が、それでもカリたてられ泣いているという。だからツツ。そこまで安易じゃない。
 これで理想的な君主像というのは、あまりに見方が表面的。というより、何事も自分で考える、その意味を自分で考えることが必要。