古事記~鯛の喉 原文対訳

大嘆き
大胆
古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
鯛の喉
痛い・ここに居タイ
探下逆鉤針
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
是以海神。 ここを以ちて海の神、 そこで海の神が
悉召集
海之大小魚。
悉に鰭の廣物鰭の狹物を
召び集へて問ひて曰はく、
海中の魚を
大小となく悉く集めて、
問曰。
若有取此魚乎。
「もしこの鉤を取れる魚ありや」
と問ひき。
「もしこの鉤を取つた魚があるか」
と問いました。
     

諸魚白之。
かれ
諸の魚ども白さく、
ところが
その多くの魚どもが申しますには、
頃者。 「このごろ 「この頃
赤海鯽魚。 赤海鯽魚たひぞ、 鯛たいが
於喉 喉のみとに鯁のぎありて、 喉のどに骨をたてて
物不得食愁言故。 物え食はずと愁へ言へる。 物が食えないと言つております。
必是取。 かれかならずこれが取りつらむ」
とまをしき。
きつとこれが取つたのでしよう」
と申しました。

 

大嘆き
大胆
古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
鯛の喉
痛い・ここに居タイ
探下逆鉤針

解説

 
 
 ここで魚を集めているから、海神のいる場所は当然海中である。
 これまでの描写も全部海中の描写。表現が反転している。
 香木の上と文字通り見るのは誤り。珊瑚の下。
 その象徴が「(かぎ・つりばり・かぎばり)」。ひっかけ。
 
 に掛け、痛い×ここに居たい(帰りたくない)。
 鉤が(のぎ・魚の骨)になっている。
 喉に骨がつかえるとは、言いたいことが言えない、あるいは上手く飲み込めない(状況を理解・納得・対処できない)意味。
 
 まとめると、ホオリは、自分で招いた事態に自分で対処できない(全部海神達のお膳立て)。
 それをあべこべに正当化(歪曲)してしまう、それが続く文脈。都合の良く逆転させ解決したことにする。
 もちろん、ホオリはこの地の最高権力者の系譜として描かれている。むなしそらつひこ(虛空津日高)。
 
 このような暗示は広く示すより、後日読まれる情況を想定して書いている。
 普通には到底受け入れ難い。偽書説もこういう背景。発想が理解できない。
 
 権力の中枢にいたらこんなことは書きようがない。そういう発想の人は中枢にはいない。
 ではなぜ勅命を受けているかというと、安万侶=人麻呂だから。それ以外の説明は無理。
 国史を編纂しようと勅命を受けた役人が歌物語を記す。だから人麻呂の仕事。
 
 なぜ神話を書けるかというと、人麻呂が神だから。
 人麻呂でしたことを無にしないためアレという影分身を作った。