奥の細道 原文全文


 松尾芭蕉『奥の細道(おくのほそ道)』、44段構成(参考)、66首。
 
 素龍清書本の系列本対照。素龍とは柏木素龍、芭蕉の弟子・親友とされる人物。

 章題は序・旅立ち等、色々区分されるが便宜上のもの。しかし先頭と平泉冒頭が対をなしており、平泉を中心(陸奥=みちのく、さらに奥州が旅の主目的)と見るべきと思う(月日は百代の過客にして:三代の栄耀一睡のうちにして)。

 

前半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭/重要語
1 門出 月日は百代の過客
2 草加 ことし元禄二年にや
3 室の八島 室の八島に詣す〈木の花咲耶姫・曾良〉
4 日光 三十日、日光山の麓に〈曾良の説明〉
5 那須野 那須の黒羽といふ所に〈小姫かさね〉
6 黒羽 黒羽の館代浄坊寺某〈与一の八幡宮〉
7 雲巌寺2+1 当国雲巌寺の奥に
8 殺生石・
遊行柳
これより殺生石に行く
9 白河の関 心もとなき日数重ぬるままに〈清輔〉
10 須賀川 とかくして越え行くままに〈行基〉
11 信夫の里 等窮が宅を出でて〈しのぶもぢ摺り
12 飯塚の里 月の輪の渡しを越えて〈義経・弁慶〉
13 笠島 鐙摺、白石の城を過ぎ〈実方の塚〉
14 武隈の松 岩沼に宿る〈能因法師〉
15 仙台・
宮城野
名取川を〈画工加衛門・奥の細道
16 壺の碑 壺の碑、市川村多賀城に〈聖武皇帝〉
17 末の松山 それより野田〈つなでかなしも・平家
18 塩竃 早朝、塩竃の明神に詣づ
19 松島 そもそも〈ちはやぶる神・造化の天工〉
20 瑞巌寺 十一日、瑞巌寺に詣づ〈真壁の平四郎〉
21 石巻 十二日、平泉と志し、姉歯の松
22 平泉 三代の栄耀一睡〈国破れて山河あり
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降り残してや光堂
後半目次 
  章題(参考)
/句数
冒頭/重要語
23 尿前の関 南部道遙かに見やりて〈鳴子の湯〉
24 尾花沢 尾花沢にて清風といふ者〈清風〉
25 立石寺 山形領に立石寺といふ山寺あり
閑かさや岩にしみ入る蝉の声
26 最上川 最上川乗らんと
五月雨をあつめて早し最上川
27 出羽三山 六月三日、羽黒山に登る〈風土記・行尊〉
28 酒田 羽黒を立ちて、鶴が岡の城下
29 象潟 江山水陸の風光〈西行・神功后
30 越後路 酒田のなごり日を重ねて〈天の河〉
31 市振 今日は親知らず〈遊女・伊勢参宮〉
32 越中路 黒部四十八が瀬とかや
33 金沢 卯の花山、くりからが谷を〈何処・一笑〉
34 多太神社 この所多太の神社に詣づ〈実盛・義仲〉
35 山中 山中の温泉〈花山の法皇・那谷・久米之助〉
36 別離 曾良は腹を病みて伊勢の国長島といふ所に
37 全昌寺 大聖寺の城外、全昌寺といふ寺に泊る
38 汐越の松 越前の境、吉崎の入江を〈西行
39 天龍寺・
永平寺
丸岡天龍寺の長老〈北枝・道元〉
40 福井 福井は三里ばかりなれば〈夕顔・帚木
41 敦賀 やうやう白根が岳隠れて〈仲哀天皇
42 種の浜 十六日、空晴れたれば〈ますほの小貝〉
43 大垣 露通もこの港まで出で迎ひて〈伊勢の遷宮〉
44 からびたるも、艶なるも〈おくのほそ道

 




『おくのほそ道』
素龍清書原本 校訂
新釈奥の細道
三宅邦吉 校注
 

1 門出

     
   月日は百代の過客にして、 月日は百代の過客にして
  行きかふ年もまた旅人なり。 ゆきかふ年も又旅人なり
     
  舟の上に生涯を浮かべ、 舟の上に生涯をうかべ
  馬の口とらへて老いを迎ふる者は、 馬の口とらへて老をむかふるものは
  日々旅にして旅をすみかとす。 日〳〵旅にして旅をすみかとす
  古人も多く旅に死せるあり。 古人も多く旅に死せるあり
     
   予も、いづれの年よりか、 予もいづれの年よりか
  片雲の風に誘はれて、 片雲の風にさそはれて
  漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、 漂泊の思ひやます海濱にさすらへ
  去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、 去年の秋江上の破屋に蜘のふるすを拂ひて
  やや年も暮れ、 やゝ年もくれ
  春立てる霞の空に、白河の関越えんと、 春立る霞の空に白川の關越んと
  そぞろ神の物につきて心を狂はせ、 そゞろ神の物につきて心をくるはせ
  道祖神の招きにあひて、取るもの手につかず、 道祖神のまねきにあひて取物手につかず
  ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかへて、 もゝひきの破れをつゞり笠の緖付かへて
  三里に灸すうるより、 三里に灸すゆるより
  松島の月まづ心にかかりて、 松島の月先心にかゝりて
  住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、 住る方は人にゆづり杉風か別墅に移るに
     

1
 草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家  草の戶も 住かはる世は一本そトアリ ひなの家
     
  表八句を庵の柱に掛け置く。 おもて八句を庵の柱にかけおき
     
   弥生も末の七日、 彌生も末の七日
  あけぼのの空朧々として、 明ぼのゝ空朧々として
  月は有明にて光をさまれるものから、 月は有明にて光おさまれる物から
  富士の峰かすかに見えて、 不二の峰幽にみへて
  上野、谷中の花の梢、またいつかはと心細し。 上野谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし
  むつましきかぎりは宵よりつどひて、 むづまじきかぎりは宵よりつどひて
  舟に乗りて送る。 舟にのりて送る
     
  千住といふ所にて舟をあがれば、 千住といふ所にて舟をあがれは
  前途三千里の思ひ胸にふさがりて、 前途三千里のおもひ胸にふさがりて
  幻の巷に離別の涙をそそく。 幻の巷に離別の泪をそゝぐ
     

2
 行く春や 鳥啼き魚の 目は涙  行春や 鳥は啼き魚の 目は泪
     
   これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。 是を矢立の初めとして行道猶すゝまず
  人々は途中に立ち並びて、 人々は途中に立並びて
  後ろ影の見ゆるまではと、見送るなるべし。 後影の見ゆる迄はと見送るなるべし
     
     
 

2 草加

     
   ことし元禄二年にや、 ことし元禄にとせにや
  奧羽長途の行脚ただかりそめに思ひたちて、 奧羽長途の行脚たゝかりそめに思立ちて
  呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、 吳天に白髮の恨を重ぬといへども
  耳にふれていまだ目に見ぬ境、 耳にふれてはいまた目にみぬさかひ
  もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、 若生きてかへらばと定めなきたのみの末をかけ
  その日やうやう草加といふ宿にたどり着きにけり。 其日漸く早加といふ宿にたどり着にけり
  痩骨の肩にかかれる物、まづ苦しむ。 瘦骨の肩にかゝれる物先くるしむ
     
  ただ身すがらにと出で立ち侍るを、 たゝ身すからにと出立侍るを
  紙子一衣は夜の防ぎ、 紙子一重は夜のふせぎ
  浴衣、雨具、墨、筆のたぐひ、 ゆかた雨具墨筆のたぐひ
  あるはさりがたき餞などしたるは、 あるはさりがたき餞などしたるは
  さすがにうち捨てがたくて、 さすがに打捨がたくて
  路次の煩ひとなれるこそわりなけれ。 路次のはづらひとなれるこそわりなけれ
     
     
 

3 室の八島(むろのやしま)

     
   室の八島に詣す。 室の八島に詣す
     
  同行曾良がいはく、 同行曾良が云
  「この神は木の花咲耶姫の神と申して、 此神はこの花さくやひめの神と申て
  富士一体なり。 富士一躰なり
  無戸室に入りて焼き給ふ。 無戶室に入て燒給ふ
  誓ひの御中に、火々出見の尊生まれ給ひしより、 ちかひのみ中に火火出見の尊生れ給ひしより
  室の八島と申す。 室の八島と申す
  また煙をよみならはし侍るも、このいはれなり」。 又けふりをよみ習し侍るもこの謂也
     
  はた、このしろといふ魚を禁ず。 はたこのしろといふ魚を禁ず
  縁起の旨、世に伝ふことも侍りし。 緣記の旨世につたふ事も侍る一本るヲ入レタリなり
     
     
 

4 日光

     
   三十日、日光山の麓に泊る。 三十日日光山の麓に泊る
  あるじのいひけるやう、 あるじの云けるやう
  「わが名を仏五左衛門といふ。 我名を佛五左衞門といふ
  よろづ正直を旨とするゆゑに、 萬正直を旨とする故に
  人かくは申し侍るまま、 人かくは申侍るまゝ
  一夜の草の枕もうち解けて休み給へ」といふ。 一夜の草の枕もうちとけて休み給へと云ふ
     
  いかなる仏の濁世塵土に示限して、 いかなる佛の濁世塵土に示現して
  かかる桑門の乞食巡礼ごときの人を かゝる桑門の乞食順禮ごとき人を
  助け給ふにやと、 たすけ給ふにやと
  あるじのなすことに心をとどめて見るに、 主のなすことに心をとめてみるに
  ただ無智無分別にして、正直偏固の者なり。 たゞ無智無分別にして正直偏固のものなり
  剛毅朴訥の仁に近きたぐひ、 剛毅木訥の仁に近きたぐひ
  気禀の清質もつとも尊ぶべし。 氣稟の淸質尤尊ぶべし
     
   卯月朔日、御山に詣拝す。 卯月朔日御山に詣拜す
  往昔、この御山を二荒山と書きしを、 徃昔此御山を二荒山とかきしを
  空海大師開基の時、日光と改め給ふ。 空海大師開基の時日光と改給ふも一本もナシ
  千歳未来を悟り給ふにや、 千歲未來をさとり給ふにや
  今この御光一天にかかやきて、 今此御光一天にかゞやきて
  恩沢八荒にあふれ、 恩澤八荒にあふれ
  四民安堵の栖穏やかなり。 國民安堵の栖穩かなり
  なほ憚り多くて、筆をさし置きぬ。 猶憚多くて筆をさし置ぬ
     

3
 あらたふと 青葉若葉の 日の光  あらたふと 靑葉若葉の 日の光
     
  黒髪山は、霞かかりて、雪いまだ白し。 黑髮山はかすみかゝりて雪いまだ白し
     

4
 剃り捨てて 黒髪山に 衣更  曾良  剃すてゝ くろかみ山に 衣かへ  曾良
     
   曾良は、河合氏にして、惣五郎といへり。 曾良は河合氏にして惣五郞一本良トアリと云り
  芭蕉の下葉に軒を並べて、 芭蕉の下葉に軒をならべて
  予が薪水の労を助く。 予か薪水の勞をたすく
  このたび、松島、象潟の眺め このたび松島象潟の眺め一本なかめをトアリ
  ともにせんことを喜び、 ともにせん事を悅び
  かつは羇旅の難をいたはらんと、 かつは羈旅の難をいたはらんと
  旅立つ暁、髪を剃りて、墨染めにさまをかへ、 たびだつ曉髮を剃て墨染にさまをかへ
  惣五を改めて宗悟とす。 改て惣五を宗悟とす
  よつて黒髪山の句あり。 よりて黑髮山の句有り
  衣更の二字、力ありて聞こゆ。 衣かへの二字力ありて聞ゆ
     
   二十余町山を登つて、滝あり。 廿餘町山を登て瀧あり
  岩洞の頂より飛来して 岩洞の頂より飛流して
  百尺、千岩の碧潭に落ちたり。 百尺千巖の碧潭におちたり
  岩窟に身をひそめ入りて 岩窟に身をひそめて
  滝の裏より見れば、 瀧のうらよりみれは
  裏見の滝と申し伝へ侍るなり。 うらみの瀧と申傳へ侍る也
     

5
 しばらくは 滝にこもるや 夏の初め  しばらくは 瀧に籠るや 夏の初
     
     
 

5 那須野

     
  那須の黒羽といふ所に 那須の黑羽一本黑羽根トアリといふ所に
  知る人あれば、 しる人あれば
  これより野越えにかかりて、 これより野越にかゝりて
  直道を行かんとす。 直路を行んとす
     
  遥かに一村を見かけて行くに、 遙かに一村を見かけて行に
  雨降り日暮るる。 雨ふり日くるゝ一本コノるナシ
  農夫の家に一夜を借りて、 農夫の家に一夜をかりて
  明くればまた野中を行く。 明れば又野中を行
     
  そこに野飼いの馬あり。 そこに野飼の馬あり
  草刈る男に嘆き寄れば、 艸刈おのこに歎ぎよれば
  野夫といへどもさすがに情知らぬにはあらず。 野夫といへどもさすがに情しらぬにはあらず
  「いかがすべきや。 いかゞすへきや
  されどもこの野は縦横に分かれて、 されども此野は縱橫にわかれて
  うひうひしき旅人の道踏みたがへん、 うね〳〵一本うい〳〵トアリ敷旅人の道ふみたかへん
  あやしう侍れば、 あやしう侍れは
  この馬のとどまる所にて馬を返し給へ」 此馬のとゞまる所にて馬をかへし給へ
  と、貸し侍りぬ。 とかし侍りぬ
     
  小さき者ふたり、馬の跡慕ひて走る。 ちひさきものふたり馬の跡をしたひてはしる
  ひとりは小姫にて、名をかさねといふ。 獨は小姬にて名をかさねと云
  聞きなれぬなのやさしかりければ、 聞なれぬ名のやさしかり一本かりノ二字ナシければ
     

6
 かさねとは 八重撫子の 名なるべし 曾良  かさねとは 八重撫子の 名なるべし
     
   やがて人里に至れば、 やがて人里に至れば
  価を鞍壺に結び付けて馬を返しぬ。 あたひを鞍壺に結付て馬をかへしぬ
     
     
 

6 黒羽(くろばね)

     
   黒羽の館代 くろはねの舘代
  浄坊寺某のかたにおとづる。 淨坊寺何某の方に音づる
  思ひかけぬあるじの喜び、日夜語り続けて、 思ひかけぬ主の悅び日夜語づゝけて
  その弟の桃翠などいふが、 其弟桃翠などいふが
  朝夕勤め訪ひ、自らの家にも伴ひて、 朝夕勤とふらひ自の家にも伴ひて
  親族のかたにも招かれ、日を経るままに、 親屬の方にも招かれ日をふるまゝに
  一日校外に逍遥して、 ひとひ郊外に逍遙して
  犬追物の跡を一見し、 犬追物の跡を一見し
  那須の篠原を分けて、 那須の篠原を分て
  玉藻の前の古墳を訪ふ。 玉藻の前の古墳をとふ
     
  それより八幡宮に詣づ。 それより八幡宮に詣つ
  与市扇の的を射し時、 與市扇の的を射し時
  「別してはわが国の氏神正八幡」と誓ひしも、 別しては我國氏神正八幡とちかひしも
  この神社にて侍ると聞けば、 此神社にて侍と聞ば
  感応殊にしきりにおぼえらる。 感應殊にしきりに覺らる
  暮るれば桃翠宅に帰る。 くるれば桃翠か一本かナシ家にかへる
  修験光明寺といふあり。 修驗光明寺と云有り
  そこに招かれて、行者堂を拝す。 そこにまねかれて行者堂を拜す
     

7
 夏山に 足駄を拝む 首途かな  夏山に 足駄を拜む 首途かな
     
     
 

7 雲巌寺(うんがんじ)

     
   当国雲巌寺の奥に 當國雲岸寺のおくに
  仏頂和尚山居の跡あり。 佛頂和尙山居の跡あり
     

8
 竪横の 五尺にたらぬ 草の庵  たてよこの 五尺にたらぬ 草の庵

9
 結ぶもくやし 雨なかりせば  むすぶもくやし 雨なかりせば
     
  と、松の炭して岩に書き付け侍りと、 と松の炭して岩にかきつけ侍りと
  いつぞや聞こえ給ふ。 聞へ給ふ
     
  その跡見んと、雲巌寺に杖を曳けば、 其跡見んと雲岸寺に杖をひけば
  人々進んでともにいざなひ、 人にすゝんでともにいざなひ
  若き人多く道のほどうち騒ぎて、 若き人多く道の程うちさわぎて
  おぼえずかの麓に到る。 覺へずかの麓に至る
  山は奥ある気色にて、 山はおくあるけしきにて
  谷道遙かに、松杉黒く、苔しただりて、 谷道遙に松杉黑く苔したゝりて
  卯月の天今なほ寒し。 卯月の天今猶寒し
  十景尽くる所、橋を渡つて山門に入る。 十景つくる所橋を渡て山門に入る
     
   さて、かの跡はいづくのほどにやと、 扨かのあとはいづくの程にやと
  後の山によぢ登れば、 後の山によぢのほれは
  石上の小庵、岩窟に結び掛けたり。 石上の小庵岩窟にむすびかけたり
  妙禅師の死関、 妙禪師の死關
  法雲法師の石室を見るがごとし。 法雲法師の石室を見るが如し
     

10
 木啄も 庵は破らず 夏木立  木啄も 庵はやぶらす 夏木立
     
  と、とりあへぬ一句を柱に残し侍りし。 一本コノとナシ取あへぬ一句を柱に殘し侍し
     
     
 

8 殺生石・遊行柳(せっしょうせき・ゆぎょうやなぎ)

     
   これより殺生石に行く。 是より殺生石に行く
  館代より馬にて送らる。 舘代より馬にて送らる
  この口付の男 此口付のおとこ
  「短冊得させよ」と乞ふ。 短尺得させよと乞ふ
  やさしきことを望み侍るものかなと、 やさしき事を望み侍るものかなと
     

11
 野を横に 馬引き向けよ ほととぎす  野を橫に 馬引むけよ 郭公
     
   殺生石は温泉の出づる山陰にあり。 殺生石は溫泉の出る山陰にあり
  石の毒気いまだ滅びず、 石の毒氣いまだほろびす
  蜂、蝶のたぐひ、 蜂蝶のたぐひ
  真砂の色の見えぬほど重なり死す。 眞砂の色の見えぬほどかさなり死す
  また、清水流るるの柳は、 亦淸水ながるゝの一本なかるゝとのトアリ柳は
  蘆野の里にありて、田の畔に残る。 蘆野の里に有て田の畔にのこす
     
  この所の郡守戸部某の、 此所の郡守戶部某の
  「この柳見せばや」など、 此柳みせばやなど
  をりをりに宣ひ聞こえ給ふを、 折〳〵にの給ひ聞へ給ふを
  いづくのほどにやと思ひしを、 いづくの程にやと思ひしを
  今日この柳の陰にこそ立ち寄り侍りつれ。 今日此柳のかげにこそ立より侍りけれけ一本つトアリ
     

12
 田一枚 植ゑて立ち去る 柳かな  田一枚 うへて立さる 柳かな
     
     
 

9 白河の関

     
   心もとなき日数重ぬるままに、 心もとなき日數かさなるまゝに
  白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。 白川のせきにかゝりて旅心定りぬ
  「いかで都へ」と便り求めしも理なり。 いかで都へと便り求めしもことわりや
     
  なかにもこの関は三関の一にして、 中にも此關は三關の一にして
  風騒の人、心をとどむ。 風騷の人心をとゝむ
  秋風を耳に残し、紅葉をおもかげにして、 秋風を耳にのこし紅葉を俤にして
  青葉のこずゑ、なほあはれなり。 靑葉の梢猶哀なり
  卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、 卯花の白妙に茨の花の咲そひて
  雪にも越ゆる心地ぞする。 雪にもこゆる心地そする
  古人冠を正し、衣装を改めしことなど、 古人冠を正し衣裝裳ノ誤也を改めし事など
  清輔の筆にもとどめおかれしとぞ。 淸輔の筆にとゞめ置れしとぞ
     

13
 卯の花を かざしに関の 晴れ着かな 曾良  卯花を かざしに關の 晴着哉  曾良
     
     
 

10 須賀川(すかがわ)

     
   とかくして越え行くままに、阿武隈川を渡る。 とかくして越行くまゝにあふくま川をわたる
  左に会津根高く、 左に會津根高く
  右に岩城、相馬、三春の庄、 右に岩城相馬三春の庄
  常陸、下野の地をさかひて ひたち下野の地をさかひて
  山連なる。 山つらなる
  影沼といふ所を行くに、 かげ沼といふ所を行に
  今日は空曇りて物影映らず。 けふは空くもりて影うつらず
     
   須賀川の駅に等窮といふ者を尋ねて、 すか川の驛に等窮といふものを尋て
  四五日とどめらる。 四五日とゝめらる
  まづ、「白河の関いかに越えつるや」と問ふ。 先白河のせきいかに越つるやと問ふ
  「長途の苦しみ、身心疲れ、 長途の勞身心くるしく
  かつは風景に魂奪はれ、 風景に魂うばはれ
  懐旧に腸を断ちて、 懷舊に腸を斷て
  はかばかしう思ひめぐらさず。 はか〳〵しうおもひめくらさず
     

14
 風流の 初めや奥の 田植歌  風流の はしめやおくの 田植うた
     
  無下に越えんもさすがに」と語れば、 無下に越えんもさすがにと語れは
  脇、第三と続けて、三巻となしぬ。 脇第三とつゞけて三卷と一本とはトアリなしぬ
     
   この宿のかたはらに、 此宿の傍に
  大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧あり。 大なる栗の木蔭をたのみて世をいとふ僧あり
  橡拾ふ太山もかくやとしづかにおぼえられて、 とちひろふ深山もかくやと閒に覺えられて
  ものに書き付け侍る。 ものにかきつけ侍る
  その詞、  
  『栗といふ文字は、  栗といふ文字は
  西の木と書きて、西方浄土に便りありと、 西の木とかきて西方淨土に便ありと
  行基菩薩の一生杖にも柱にも 行基ぼさつ一本ぼさつのトアリ一生杖にもはしらにも
  この木を用ゐ給ふとかや』 此木を用ひ給ふとかや
     

15
 世の人の 見付けぬ花や 軒の栗  世の人の みつけぬ花や 軒の栗
     
     
 

11 信夫の里(しのぶのさと)

     
   等窮が宅を出でて 等窮か宅を出て
  五里ばかり、檜皮の宿離れて、 五里ばかりの檜皮の宿をはなれて
  浅香山あり。 淺香山有り
     
  道より近し。このあたり沼多し。 路より近し此あたり沼多し
  かつみ刈るころもやや近うなれば、 かつみ刈るころもやゝ近うなれば
  いづれの草を花がつみとはいふぞと、 いづれの草をはなかつみとはいふぞと
  人々に尋ね侍れども、さらに知る人なし。 人々にたつね侍れども更にしる人なし
  沼を尋ね、人に問ひ、 沼をたづね人にとひ
  「かつみかつみ」と尋ね歩きて、 かつみ〳〵と尋ねありきて
  日は山の端にかかりぬ。 日は山のはに一本西山にトアリかゝりぬ
  二本松より右に切れて、 二本松より右にきれて
  黒塚の岩屋を一見し、福島に宿る。 黑塚の窟一見し福島にやどる
     
   明くれば、 明れは
  しのぶもぢ摺りの石を尋ねて、 しのぶもぢ摺の石をたづねて
  信夫の里に行く。 忍の里に行く
     
  遙か山陰の小里に、 遙山陰の小里に
  石半ば土に埋もれてあり。 石なかば土に埋れてあり
  里のわらべの来たりて教へける、 里のわらべの來て敎へける
  「昔はこの山の上に侍りしを、 むかしは此山の上に侍りしを
  往来の人の麦草を荒らして 往來の人の麥艸をあらして
  この石を試み侍るを憎みて、 此石を試み侍るをにくみて
  この谷に突き落とせば、 此谷につき落せば
  石の面は下ざまに伏したり」といふ。 石の面下さまにふしたり一本ふしたりといふトアリ
  さもあるべきことかな。 さもあるべき事にや
     

16
 早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺り  早苗とる 手もとや昔 忍ぶずり
     
     
 

12 飯塚の里

     
   月の輪の渡しを越えて、 月の輪の渡しを越て
  瀬の上といふ宿に出づ。 瀨の上といふ宿に出づ
  佐藤庄司が旧跡は、 佐藤庄司が舊蹟は
  左の山際一里半ばかりにあり。 左の山ぎは一里半ばかりに有一本り字アリ
  飯塚の里鯖野と聞きて、尋ねたづね行くに、 飯塚の里鯖野と聞て尋ね〳〵行くに
  丸山といふに尋ねあたる。 丸山といふに大手の跡など尋ねあたる
  これ、庄司が旧館なり。 是庄司か舊舘なり
     
  麓に大手の跡など、  
  人の教ふるに任せて涙を落とし、 人のおしゆるに任せて泪をおとし
  またかたはらの古寺に一家の石碑を残す。 又かたはらの古寺に一家の碑を殘す
  中にも、ふたりの嫁がしるし、まづあはれなり。 中にも二人が嫁のしるし先哀なり
  女なれども 女なれども
  かひがひしき名の世に聞こえつるものかな かひ〳〵しき名の世に聞へつるものかな
  と、袂をぬらしぬ。  
     
  堕涙の石碑も遠きにあらず。 墮淚の石碑一本石ノ字ナシも遠きにあらず
  寺に入りて茶を乞へば、 寺に入て茶を乞へば
  ここに義経の太刀、 こゝに義經の太刀
  弁慶が笈をとどめて什物とす。 辨慶が笈をとゞめて什物とす
     

17
 笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟  笈も太刀も 五月にかされ 紙幟
     
   五月朔日のことなり。 五月五日の事なり
  その夜、飯塚に泊る。 其夜飯塚にやとる
  温泉あれば、湯に入りて宿を借るに、 溫泉あれば湯に入て宿をかるに
  土座に筵を敷きて、あやしき貧家なり。 土座に莚を敷てあやしき貧家なり
  灯もなければ、 灯もなければ
  囲炉裏の火かげに寝所を設けて臥す。 ゐろりの火かげに寢所をまうけて臥
     
  夜に入りて雷鳴り、 夜に入て雷鳴り
  雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、 雨しきりに降て臥せる上より雨もり
  蚤、蚊にせせられて眠らず、 蚤蚊にさゝれてさ一本せトアリ眠らず
  持病さへおこりて、また消え入るばかりになん。 持病さへおこりて消入ばかりになん
  短夜の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。 短夜の空も漸〳〵明れば又旅立ぬ
     
   なほ夜のなごり、心すすまず。 猶夜の名殘こゝろすゝまず
  馬借りて桑折の駅に出づる。 馬をかり桑折の驛に出る一本コノるナシ
  遙かなる行末をかかへて、 遙なる行末をかゝへて
  かかる病おぼつかなしといへど、 かゝる病ひ覺束なしといへど
  羇旅辺土の行脚、捨身無常の観念、 羇旅邊土の行脚捨身無常の觀念
  道路に死なん、 道路に死なん
  これ天の命なりと、気力いささかとり直し、 是天命なりと氣力聊とり直し
  道縦横に踏んで、伊達の大木戸を越す。 路縱橫にふんで伊達の大木戶を越す
     
     
 

13 笠島(かさしま)

     
   鐙摺、白石の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、 鐙摺白石の城を過笠島の郡に入れは
  藤中将実方の塚はいづくのほどならんと、 藤中將實方のつかはいづくの程ならんと
  人に問へば、 人にとへば
  「これより遙か右に見ゆる山際の里を、 これよりはるか右に見ゆる
  蓑輪、笠島といひ、 山ぎはの里をみのは笠島といふ
  道祖神の社、形見の薄今にあり」と教ふ。 道祖神の社かたみの薄今にありとおしゆ
     
  このごろの五月雨に道いとあしく、 このごろのさみだれに道いと惡しく
  身疲れ侍れば、 身つかれ侍れは
  よそながら眺めやりて過ぐるに、 よそながら眺めやりて過ぐる
  蓑輪、笠島も五月雨のをりに触れたりと、 蓑輪かさしまもさみだれの折にふれたりと
     

18
 笠島は いづこ五月の ぬかり道  笠島はイや いづこさ月の ぬかり道
     
     
 

14 武隈の松(たけくまのまつ)

     
   岩沼に宿る。 岩沼にやどる
  武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。 武隈の松にこそ目さむる心地すれ
  根は土際より二木に分かれて、 根は土際より二木木一本本トアリにわかれて
  昔の姿失はずと知らる。 昔のすがたうしなはずとしらる
     
  まづ能因法師思ひ出づ。 先能因法し一本し師トアリ一本づトアリおもひ出
  往昔、陸奥守にて下りし人、 往昔陸奧守にて下りし人
  この木を伐りて 此木を伐て
  名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、 名とり川の橋杭にせられたるなどあればにや
  「松はこのたび跡もなし」とはよみたり。 松は此たび跡もなしとは詠みたり
  代々、あるは伐り、 代々あるは伐り
  あるいは植ゑ継ぎなどせし あるひは一本ひナシ植づきなどせし
  と聞くに、 と聞くに
  今はた千歳の形整ひて、 今はた千歲のかたちとゞのほひて
  めでたき松の気色になん侍りし。 めでたき松のけしきになん侍し
     

19
 武隈の 松見せ申せ 遅桜  武隈の 松みや申せ 遲さくら  擧白
     
  と、挙白といふ者の餞別

とせんべち

一本擧白といふものゝせんへち云々トアリ

  したりければ、 したりければ
     

20
 桜より 松は二木を 三月越し  櫻より 松は二木を 三月こし
     
     
 

15 仙台・宮城野

     
   名取川を渡つて仙台に入る。 名取川渡りて仙台に入る
  あやめ葺く日なり。 あやめふく日也
  旅宿を求めて四五日逗留す。 旅宿を求めて四五日逗留す
     
   ここに画工加衛門といふ者あり。 ここに畫工加右衞門といふものあり
  いささか心ある者と聞きて、知る人になる。 聊心あるものと聞て知る人に成る
  この者、年ごろ定かならぬ名所を 此者年頃さだかならぬ名跡を
  考へ置き侍ればとて、 考置き侍ればとて
  一日案内す。 一日案內す
     
  宮城野の萩茂り合ひて、 みやぎ野のはぎしげりあひて
  秋の気色思ひやらるる。 秋のけしきおもひやらるゝ
  玉田、横野、躑躅が岡はあせび咲くころなり。 玉田橫野のつゝじか岡はあぜひさく頃なり
  日影も漏らぬ松の林に入りて、 日影ももらぬ松の林に入て
  ここを木の下といふとぞ。 こゝを木の下といふとぞ
  昔もかく露深ければこそ、 むかしもかく露深けれはこそ
  「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。 みさふらひみかさとはよみたれ
     
  薬師堂、天神の御社など拝みて、 藥師堂天神のみやしろなど拜みて
  その日は暮れぬ。 その日はくれぬ
     
   なほ、松島、塩竃の所々、画に書きて贈る。 猶松島鹽がまの所々畫にかきて送る
  かつ、紺の染め緒付けたる草鞋二足餞す。 かつ紺のそめ緖つけたるわらつ一足餞す
  さればこそ、風流のしれ者、 さればこそ風流のしれもの
  ここにいたりてその実を顕す。 こゝにいたりてその實をあらはす
     

21
 あやめ草 足に結ばん 草鞋の緒  あやめ草 足に結ばん 草鞋の緖
     
   かの画図にまかせてたどりいけば、 かの畫づに任せてたどり行けば
  奥の細道の山際に、 おくの細道の山際に
    とふの菅あり今も年々
  十符の菅菰を調へて 十符のすげごもを調へて
  国守に献ずといへり。 國守に獻ずといへり
     
     
 

16 壺の碑(つぼのいしぶみ)

     
   壺の碑、市川村多賀城にあり。  壺碑  市川村多賀城
     
   つぼの石ぶみは、 つぼのいしふみは
  高さ六尺余、横三尺ばかりか。 高六尺餘橫三尺ばかりか一本か字ナシ
  苔を穿ちて文字幽かなり。 苔をうがちて文字幽也
  四維国界の数里をしるす。 四維國界の數里をしるす
  「この城、神亀元年、 御城一本城ハトアリ神龜元年
  按察使鎮守府将軍
大野朝臣東人之所里也。
按察使鎭守府將軍
大野朝臣東人之所里也
  天平宝字六年、 天平寶字六年
  参議東海東山節度使同将軍
恵美朝臣獦修造而。
參議東海東山節度使同將軍
惠美朝臣獦修造而
  十二月朔日」 十二月朔日
  とあり。 と有り
     
  聖武皇帝の御時に当たれり。 聖武皇帝一本皇ノ字ナシの御時にあたれり
  昔よりよみ置ける歌枕 むかしよりよみ置るうた枕
  多く語り伝ふといへども、 多く語りつたふといへども
  山崩れ、川流れて、道改まり、 山崩れ川流て道改り
  石は埋もれて土に隠れ、 石は埋りて土にかくれ
  木は老いて若木に代はえば、 木は老て若木にかはれば
  時移り、代変じて、 時うつり代變じて
  その跡たしかならぬことのみを、 其跡たしかならぬ事のみを
  ここに至りて疑ひなき千歳のかたみ、 こゝに至て疑なき千歲の記念
  今眼前に古人の心を閲す。 今眼前に古人の心を閱す
  行脚の一徳、存命の喜び、 行脚の一德存命の悅び
  羇旅の労を忘れて、 羇旅の勞れをわすれて
  涙も落つるばかりなり。 なみだもおつるばかり也
     
     
 

17 末の松山(すえのまつやま)

     
   それより野田の玉川、沖の石を尋ぬ。 それより野田の玉川冲の石をたづぬ
  末の松山は、 末の松山は
  寺を造りて末松山といふ。 寺を造てすゑの松山といふ
     
  松の間々 あひ〳〵一本松のあひ〳〵トアリ
  皆墓原にて、 みな墓原にて
  翼を交はし枝を連ぬる契りの末も、 羽をかはし枝を連るちぎりの末も
  つひにはかくのごときと、 終はかくのみ一本かくの如きトアリ
  悲しさもまさりて、 悲しさもまさりて
  塩竃の浦に入相の鐘を聞く。 鹽がまのうらに入相のかねを聞く
  五月雨の空いささか晴れて、 五月雨の空聊晴れて
  夕月夜幽かに、 夕月夜かすかに
  籬が島もほど近し。 まがきが島もほど近し
  蜑の小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に 蜑の小舟こぎつれて肴わかつ聲〳〵に
  つなでかなしも つなでかなしも
  とよみけん心も知られて、いとどあはれなり。 とよみけん心もしられていと哀也
     
   その夜、目盲法師の、琵琶を鳴らして、 その夜盲法師の琵巴琶ノ誤也をならして
  奥浄瑠璃といふものを語る。 おく上るりといふ物をかたる
  平家にもあらず、舞にもあらず、 平家にもあらず舞にもあらず
  ひなびたる調子うち上げて、 鄙びたる調子うちあげて
  枕近うかしましけれど、 枕近うかしまし一本かしがましトアリけれど
  さすがに辺土の遺風忘れざるものから、 流石に邊土の遺風忘れざるものから
  殊勝におぼえらる。 殊勝に覺えらる
     
 

18 塩竃(しおがま)

     
   早朝、塩竃の明神に詣づ。 早朝鹽釜明神に詣づ
  国守再興せられて、宮柱ふとしく、 國守再興せられて宮ばしらふとしく
  彩椽きらびやかに、石の階九仭に重なり、 彩椽きらびやかに石の階九仭にかさなり
  朝日朱の玉垣をかかやかす。 朝日朱の玉垣を輝かす
  かかる道の果て、塵土の境まで、 かゝる道のはて塵土の境まで
  神霊あらたにましますこそ 神靈あらたにましますこそ
  わが国の風俗なれと、いと貴けれ。 吾國の風俗なれといと貴けれ
     
   神前に古き宝燈あり。 神前に寶塔一本古き寶燈トアリ
  鉄の扉の面に、 かねの戶びら一本戶びらのトアリ面に
  「文治三年和泉三郎寄進」とあり。 文治三年和泉三郞寄進と有り
  五百年来の俤、今目の前に浮かびて、 五百年來の俤今目のまへにうかびて
  そぞろに珍し。 そゞろに珍し
  かれは勇義忠孝の士なり。 かれは勇義忠孝の士也
  佳名今に至りて慕はずといふことなし。 佳命今にいたりてしたはずといふ事なし
  まことに、
  「人よく道を勤め、義を守るべし。 人能道をつとめ義を守べし
  名もまたこれに従ふ」といへり。 名も又是にしたがふといへり
     
   日すでに午に近し。 日既に午に近し
  船を借りて松島に渡る。 舟をかりて松島に渡る
  その間二里余、雄島の磯に着く。 其間二里餘雄じまの礒につく
     
     
 

19 松島

     
   そもそも、ことふりにたれど、 抑事ふりにたれど
  松島は扶桑第一の好風にして、 松島は扶桑第一の好風にして
  およそ洞庭、西湖を恥ぢず。 凡洞庭西湖をはぢず
  東南より海を入れて、 東南より海入てにヲ落セシナラン
  江のうち三里、浙江の潮をたたふ。 江の中三里浙江の潮をたゝゆ
     
  島々の数をつくして、 島々の數を盡して
  そばだつものは天を指さし、 欹ものは天を指
  伏すものは波にはらばふ。 ふすものは波に圃匍ノ誤リナリ
  あるは二重に重なり、三重にたたみて、 あるは二重にかさなり三重にたゝみて
  左にわかれ右に連なる。 左にわかれ右に連る
  負へるあり、抱けるあり、児孫愛すがごとし。 負るあり抱あり兒孫を愛するがごとし
     
  松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて、 松のみどり濃に枝葉汐風に吹たはめて
  屈曲おのづから矯めたるがごとし。 屈曲をのづからためたるがごとし
  その気色、窅然として美人の顔を粧ふ。 其けしき窅然として美人の顏を粧
     
  ちはやぶる神の昔、 ちはやぶる神の昔
  大山つみのなせるわざにや。 大やまずみのなせるわざにや
  造化の天工 造化の天工
  いづれの人か筆をふるひ、ことばを尽くさむ。 いづれの人か筆を揮ひ詞をつくさん
     
   雄島が磯は、地続きて海に出でたる島なり。 雄島がいそは地づつきて海に出たる島也
  雲居禅師の別室の跡、座禅石などあり。 雲居禪師の別室の跡坐禪の石など有り
  はた、松の木陰に世をいとふ人も はた松の木陰に世をいとふ人も
  まれまれ見え侍りて、 まれ〳〵見へ侍りて
  落ち穂・松かさなどうちけぶりたる草の庵、 落穗松笠などうち烟たる艸の庵
  静かに住みなし、 しづかにすみなし
  いかなる人とは知られずながら、 いかなる人とも一本はトアリしられずなから
  まづなつかしく立ち寄るほどに、 先懷敷立寄るほどに
  月、海に映りて、昼のながめ、またあらたむ。 月海にうつりて晝のなかめ又改む
  江上に帰りて宿を求むれば、 江上にかへりて宿を求れば
  窓を開き二階を作りて、 窓をひらき二階をつくりて
  風雲の中に旅寝するこそ、 風雲の中に旅寢するこそ
  あやしきまで、妙なる心地はせらるれ。 あやしき迄妙なる心地はせらるれ
     

22
 松島や 鶴に身を借れ ほととぎす  曾良  松島や 露に身をかれ 時鳥  曾良
     
   予は口を閉ぢて眠らんとして寝ねられず。 予は口を閉て眠らんとしてねられず
  旧庵を別るるとき、素堂、松島の詩あり。 舊庵をわかるゝ時素堂松島の詩有
  原安適、松が浦島の和歌を贈らる。 原安適松がうら島の和歌を送らる
  袋を解きて、こよひの友とす。 袋をといてこよひの友とす
  かつ、杉風、濁子が発句あり。 且杉風濁子が發句あり
     
     
 

20 瑞巌寺(ずいがんじ)

     
   十一日、瑞巌寺に詣づ。 十一日端岩寺に詣
  当寺三十二世の昔、 當寺三十二世のむかし
  真壁の平四郎、出家して 眞壁の平四郞出家して
  入唐、帰朝の後開山す。 入唐歸朝の後開山す
  その後に、  
  雲居禅師の徳化によりて、 雲居禪師の德化によりて
  七堂甍改まりて、 七堂いから改りて
  金壁荘厳光を輝かし、 金壁壯嚴光かゝやき
  仏土成就の大伽藍とはなれりける。 佛土成就の大伽藍とはなれりける
  かの見仏聖の寺はいづくにやと慕はる。 彼見佛聖の寺はいづくにやと慕はる
     
     
 

21 石巻

     
   十二日、平泉と志し、 十二日平泉と心さし
  姉歯の松 あねはのまつ
  緒絶えの橋など聞き伝へて、 緖だへの橋など聞傳へて
  人跡まれに、 人跡まれに
  雉兎蒭蕘の行き交ふ道そことも分かず、 雉兎蒭蕘の行かふ道そこともわかず
  つひに道踏みたがへて 終に道ふみたがへて
  石の巻といふ港に出づ。 石の卷といふ湊に出づ
     
  こがね花咲く」とよみて奉りたる金華山、 こかね花さくとよみて奉たる金花山
  海上に見渡し、 海上に見渡し
  数百の廻船入江につどひ、 數百の廻船入江につたひ一本つどひトアリ
  人家地をあらそひて、竈の煙立ち続けたり。 人家地を爭てかまどのけふり立つゝけたり
  思ひかけずかかる所にも来れるかな、と、 思ひかけず斯る所にも來れる哉と
  宿借らんとすれど、さらに宿貸す人なし。 宿からんとすれどさらに宿かす人なし
     
  やうやうまどしき小家に一夜を明かして、 漸くまどしき小家に一夜をあかして
  明くればまた知らぬ道迷ひ行く。 明れば又しらぬ道まどひ行く
  袖の渡り、 袖のわたり
  尾ぶちの牧、 尾ぶちの牧
  真野の萱原などよそ目に見て、 まのゝかや原などよそめに見て
  宿借らんとすれど、 遙なる堤を行く
     
  心細き長沼に添うて、 心ぼそき長沼にそふて
  戸伊摩といふ所に一宿して、 戶伊麻といふ所に一宿して
  平泉に到る。 平泉に至る
  その間二十余里ほどとおぼゆ。 その間廿余里ほどゝ一本ほどノ二字ナシ覺ゆ
     
     
 

22 平泉

     
   三代の栄耀一睡のうちにして、 三代の榮耀一睦睡ノ誤リナリのうちにして
  大門の跡は一里こなたにあり。 大門のあとは一里こなたに有り
  秀衡が跡は田野になりて、 ひでひらが跡は田野に成て一本ありてトアリ
  金鶏山のみ形を残す。 金鷄山のみ形を殘す
     
  まづ、高館に上れば、 先たかだちにのぼれば
  北上川、南部より流るる大河なり。 北上川南部より流るゝ大河也
  衣川は、和泉が城をめぐりて、 衣河は和泉か城をめぐりて
  高館の下にて大河に落ち入る。 高舘の下にて大河に落入る
  泰衡らが旧跡は、 康衡等か舊跡は
  衣が関を隔てて、南部口をさし固め、 衣か關を停て南部口をさしかため
  夷を防ぐと見えたり。 夷ノ誤リナリをふせぐと見へたり
  さても義臣すぐつてこの城にこもり、 偖も義心勝つて此城にこもり
  功名一時の叢となる。 功名一時のくさむらとなる
  国破れて山河あり、城春にして草青みたり、と、 國破れて山河あり城春にして草靑みたりと
  笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。 笠うち敷て時のうつるまで泪を落し侍りぬ
     

23
 夏草や つはものどもが 夢の跡  夏草や 兵どもがが一本のトアリ 夢の跡
     

24
 卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな  曾良  卯花に 兼房みゆる 白毛哉  曾良
     
   かねて耳驚かしたる二堂開帳す。 兼て耳驚したる二堂開帳す
  経堂は三将の像を残し、 經堂は三將の像をのこし
  光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。 光堂は三代の棺ををさめ三尊の佛を安置す
  七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、 七寶ちりうせて玉の扉風にやぶれ
  金の柱霜雪に朽ちて、 金のはしら露霜に朽て
  すでに頽廃空虚の叢となるべきを、 既頽廢空虛の叢と成べきを
  四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨をしのぐ。 四面新に圍て甍(イカラ)を覆て風雨を凌ぎ
  しばらく千歳の形見とはなれり。 暫時千歲のかたみとはなれり
     

25
 五月雨の 降り残してや 光堂  五月雨の ふりのこしてや 光堂
     
     
 

23 尿前の関(しとまえのせき)

     
   南部道遙かに見やりて、岩手の里に泊る。 南部道遙にみやりて岩手の里に泊る
  小黒崎、みづの小島を過ぎて、 小黑崎みつの小島を過て
  鳴子の湯より尿前の関にかかりて、 なるこの湯より尿前の關にかゝりて
  出羽の国に越えんとす。 出羽の國にこへんとす
  この道旅人まれなる所なれば、 此道旅人まれなる所なれば
  関守に怪しめられて、やうやうとして関を越す。 關守にあやしめられて漸とにカして關を越す
  大山を登つて日すでに暮れければ、 大山をのぼつて日すでにくれければ
  封人の家を見かけて宿りを求む。 封人の家をみかけて舍を求む
  三日風雨荒れて、 三日風雨あれて
  よしなき山中に逗留す。 よしなき一本なくトアリ山中に逗留す
     

26
 蚤虱 馬の尿する 枕もと  のみしらみ 馬の尿する 枕もと
     
   あるじのいはく、 主の云く
  これより出羽の国に大山を隔てて、 是より出羽國に大山を隔てゝ
  道定かならざれば、 道さだかならざれば
  道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。 道しるべの人を賴みて越べきよしを申す
  さらばといひて人を頼み侍れば、 さらばと云て人を賴侍れば
  究竟の若者、反脇差を横たへ、樫の杖を携へて、 究竟の若者反脇差をよこたへ樫の材を携へて
  われわれが先に立ちて行く。 我らか先に立て行く
  今日こそ必ず危きめにもあふべき日なれと、 けふこそ心危きめにも逢へき日なれと
  辛き思ひをなして後に付いて行く。 辛き思ひをなして後について行く
     
  あるじのいふにたがはず、 主のいふにたがはず
  高山森々として一鳥声聞かず、 高山森々として一鳥聲きかず
  木の下闇茂り合ひて夜行くがごとし。 木の下やみしげりあひて夜行かごとし
  雲端につちふる心地して、 雲端に土ふる心地して
  篠の中踏み分け踏み分け、 篠の中ふみ分〳〵
  水を渡り、岩につまづいて、 水をわたり岩に蹶て
  肌に冷たき汗を流して、最上の庄に出づ。 肌につめたき汗を流して最上の庄に出づ
     
   かの案内せし男のいふやう、 かの案內せしおのこ云やう
  「この道必ず不用のことあり。 此道必不用の事あり
  恙なう送りまゐらせて、仕合はせしたり」と、 恙なう送まいらせて仕合したりと
  喜びて別れぬ。 悅び別れぬ
  後に聞きてさへ、

あとに聞て申す人

一本聞きさへトアリテ申す人ノ三字ナシ

  胸とどろくのみなり。 むねとごろくのみ也
     
 

24 尾花沢(おばなざわ)

     
   尾花沢にて清風といふ者を尋ぬ。 尾花澤にて淸風と云者をたづぬ
  かれは富める者なれども、志卑しからず。 かれは富める者なれ共志いやしからず
  都にもをりをり通ひて、 都にも數〳〵かよひて
  さすがに旅の情をも知りたれば、 さすがにたびの情をも知りたれは
  日ごろとどめて、長途のいたはり、 日頃とゝめて長途のいたはり
  さまざまにもてなし侍る。 さま〴〵にもてなし侍る
     

27
 涼しさを わが宿にして ねまるなり  凉しさを 我宿にして ねまる也
     

28
 這ひ出でよ 飼屋が下の 蟇の声  這出よ かひやか下の 蟾の聲
     

29
 眉掃きを 俤にして 紅粉の花  まゆはきを 俤にして べにの花
     

30
 蚕飼ひする 人は古代の 姿かな  曾良  蠶飼する 人は古代の 姿かな  曾良
     
     
 

25 立石寺(りゅうしゃくじ/りっしゃくじ)

     
   山形領に立石寺といふ山寺あり。 山形領に立石寺といふ山寺あり
  慈覚大師の開基にして、 慈覺大師の開基にして一本しノ字ナシ
  ことに清閑の地なり。 殊に勝閑一本淸簡トアリの地なり
     
  一見すべきよし、人々の勧むるによりて、 一見すべきよし人々のすゝむるによつて
  尾花沢よりとつて返し、その間七里ばかりなり。 尾花澤より取てかへし其間七里許なり
  日いまだ暮れず。 日いまだくれず
  ふもとの坊に宿借りおきて、山上の堂に登る。 麓の坊に宿かり置て山上の堂に登る
  岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、 岩に巖を重て山とし松柏年ふり
  土石老いて苔なめらかに、 土石老てこけなめらかに
  岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。 岩上の院に扉を閉て物の音聞へず
  岸をめぐり、岩を這ひて、仏閣を拝し、 岸をめぐり岩を這て佛閣を拜し
  佳景寂莫として心澄みゆくのみおぼゆ。 佳景寂寞として心すみ行のみ覺ゆ
     

31
 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声  閑さや 岩にしみ込一本しみ入るトアリ せみの聲
     
     
 

26 最上川(もがみがわ)

     
   最上川乗らんと、 もかみ川のらんと
  大石田といふ所に日和を待つ。 大石田と云所に日和を待
  ここに古き俳諧の種こぼれて、 こゝに古き古きノ二字一本ニナシ俳諧のたねこぼれて
  忘れぬ花の昔を慕ひ、 忘ぬ花の昔をしたひ
  芦角一声の心をやはらげ、この道にさぐり足して、 蘆角一聲の心をやはらげ此道にさぐり足して
  新古二道に踏み迷ふといへども、 新古二道にふみまどふといへども
  道しるべする人しなければと、 道しるべする人〳〵なければと
  わりなき一巻残しぬ。 わりなき一卷をのこしぬ
  このたびの風流ここに至れり。 此度の風流こゝにいたれり
     
   最上川は陸奥より出でて、山形を水上とす。 もかみ川はみちのくより出で山形をみなかみとす
  碁点、隼などいふ恐ろしき難所あり。 こでん隼などいふおそろしき難所有り
  板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入る。 板敷山の北を流てはては酒田の海に入る
  左右山覆ひ、茂みの中に舟を下す。 左右山覆ひしげみの中に船を下す
  これに稲積みたるをや、稲舟といふならし。 是にいねつみたるをやいな舟といふならし
  白糸の滝は、青葉のひまひまに落ちて、 白糸の瀧は靑葉のひま〳〵に落て
  仙人堂、岸に臨んで立つ。 仙人堂岸に溢て立
  水みなぎつて、舟危し。 水漲て舟あやぶし
     

32
 五月雨を あつめて早し 最上川  五月雨を あつめて早し一本涼しトアリ 最上川
     
     
 

27 出羽三山(でわさんざん)

     
   六月三日、羽黒山に登る。 六月三日羽黑山にのぼる
  図司左吉といふ者を尋ねて、 圖司佐吉といふものを尋て
  別当代会覚阿闍梨に謁す。 別當代會覺阿闍梨に謁す
  南谷の別院に宿して、 南谷の別院に舍して
  憐愍の情こまやかにあるじせらる。 憐愍の情こまやかにあるじせらる
     
   四日、本坊において俳諧興行。  

33
 ありがたや 雪をかをらす 南谷  有難や 雪をかほらす 南谷
    四日本坊に於て俳諧興行
     
   五日、権現に詣づ。 五日權現に詣
  当山開闢能除大師は、 當山開闢能除大師の一本はトアリ
  いづれの代の人といふことを知らず。 いづれの代の人といふ事をしらず
  延喜式に「羽州里山の神社」とあり。 延喜式に羽洲里山の神社とあり
  書写、黒の字を里山となせるにや、 書寫黑の字を里山となせるにや
  羽州黒山を中略して羽黒山といふにや。 羽洲里山を中略して羽黑山といふにや
  出羽といへるは、 出羽といへるは
  「鳥の毛羽をこの国の貢に献る」と 鳥の毛羽を此國の貢に獻ると
  風土記に侍るとやらん。 風土記に侍るとやらん
     
   月山、湯殿を合はせて三山とす。 月山湯殿を合て三山とす
  当寺、武江東叡に属して、 當寺武江東叡に屬して
  天台止観の月明らかに、 天台止觀の月明らかに
  円頓融通の法の灯かかげそひて、 圓頓融通の法の灯かゝげそひて
  僧坊棟を並べ、修験行法を励まし、 僧坊棟をならべ修驗行法をはげまし
  霊山霊地の験効、人貴びかつ恐る。 靈山靈地の驗郊効ノ誤リナリ人貴ひかつ恐る
  繁栄長にして、めでたき御山と謂つつべし。 繁榮長にしてめで度御山といひつべし
     
   八日、月山に登る。 八日月山にのぼる
  木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包み、 木綿しめ身に引つけ寶冠に頭を包み
  強力といふものに導かれて、 强力といふ者に道びかれて
  雲霧山気の中に氷雪を踏みて登ること八里、 雲霧山氣の中に氷雪をふんでのぼる事八里
  さらに日月行道の雲関に入るかと怪しまれ、 さらに日月の道の雲關に入かとあやしまれ
  息絶え身凍えて、頂上に至れば、 息絕身凍へて頂上にいたれば
  日没して月顕はる。 日沒て月顯る
  笹を敷き、篠を枕として、臥して明くるを待つ。 笹を敷篠を枕として臥て明るを待つ
  日出でて雲消ゆれば、湯殿に下る。 日出で雲消ゆればゆどのに下る
     
   谷のかたはらに鍛冶小屋といふあり。 谷の坊に鍛冶小屋といふ有り
  この国の鍛冶、霊水を撰びて、 此國のかぢ靈水を撰て
  ここに潔斎して剣を打ち、 潔齋一本撰てノ下こゝにトアリして劔を打ち
  つひに月山と銘を切つて世に賞せらる。 終に月山と銘を切て世に賞せらる
  かの龍泉に剣を淬ぐとかや、 彼龍泉に劔を淬とかや
  干将、莫耶の昔を慕ふ。 干將莫耶のむかしをしたふ
  道に堪能の執浅からぬこと知られたり。 道に堪能の執あさからぬ事しられたり
  岩に腰掛けてしばし休らうほど、 岩に腰をかけてしばし休らふほど
  三尺ばかりなる桜のつぼみ半ば開けるあり。 三尺ばかりなる櫻のつぼみ半開けるあり
  降り積む雪の下に埋もれて、 ふりつむ雪の下に埋れて
  春を忘れぬ遅桜の花の心わりなし。 春をわすれぬ遲ざくらの花の心わりなし
  炎天の梅花ここにかをるがごとし。 炎天の梅花こゝにかほるがごとし
  行尊僧正の歌のあはれもここに思ひ出でて、 行尊僧正のうたもこゝにおもひ出て
  なほまさりておぼゆ。 猶まさりて覺ゆ
  総じてこの山中の微細、 すべて此山中の微細
  行者の法式として他言することを禁ず。 行者の法式として他言する事を禁ず
  よつて筆をとどめてしるさず。 よりて筆をとゞめて記さず
     
   坊に帰れば、 坊にかへれば
  阿闍梨求めによりて、 阿闍梨の需に依て
  三山巡礼の句々、 三山順禮の句々一本句をトアリ
  短冊に書く。 たんざくに書く一本付すトアリ
     

34
 淋しさや ほの三日月の 羽黒山  凉しさや ほのみか月の 羽黑山
     

35
 雲の峰 いくつ崩れて 月の山  雲のみね 幾つくづれて 月の山
     

36
 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな  語られぬ湯殿にぬらす袂哉
     

37
 湯殿山 銭踏む道の 涙かな 曾良  湯どの山錢ふむ道の泪哉  曾良
     
     
 

28 酒田

     
   羽黒を立ちて、鶴が岡の城下、 羽黑を立て鶴か岡の城下
  永山氏重行といふ節の家に迎へられて、 長山氏重行といふものゝ家にむかへられて
  俳諧一巻あり。 俳諧一卷あり
  左吉もともに送りぬ。 佐吉もともに送りぬ
  川舟に乗つて酒田の港に下る。 川舟にのりて酒田のみなとに下る
  淵庵不玉といふ 淵庵不玉といふ
  医師の許を宿とす。 くすしのもとをやどとす一本許に宿すトアリ
     

38
 あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み  あづみ山吹浦かけてゆふすゞみ
     

39
 暑き日を 海に入れたり 最上川  暑日一本き字アリを海に入たりもがみ川
     
     
 

29 象潟(きさかた)

     
   江山水陸の風光数を尽くして、 江山水陸の風光數をつくして
  象潟の方寸を責む。 今きさかたに方寸をせめめ一本むトアリ
     
  酒田の港より東北のかた、 酒田のみなとより東北の方
  山を越え、磯を伝ひ、いさごを踏みて、 山をこへ磯を傳ひ砂をふみて
  その際十里、日影やや傾くころ、 其際十里日影やゝ傾く頃
  潮風真砂を吹き上げ、 汐風眞砂をふき上
  雨朦朧として鳥海の山隠る。 もうろうとして鳥海の山かくる
  闇中に模索して「雨もまた奇なり」とせば、 闇中に莫作して雨も又奇也とせば
  雨後の晴色またたのもしきと、 雨後の晴色又たのもしと
  蜑の苫屋に膝を入れて、 蜑のとまやに膝を容て
  雨の晴るるを待つ。 雨のはるゝを待つ
     
  その朝、天よく晴れて、 その朝そらよく霽れ
  朝日はなやかにさし出でつるほどに、 朝日はなやかにさし出るほとに
  象潟に舟を浮かぶ。 象潟の渚に一本渚ノ字ナシ舟をうかぶ
  まづ能因島に舟を寄せて、 先能因島に舟をよせて
  三年幽居の跡を訪ひ、 三年幽居の跡をとぶらひ
  向かうの岸に舟を上がれば、 むかふの岸に舟をあかれば
  「花の上漕ぐ」とよまれし桜の老い木、 花の上こぐとよまれしさくらの老木
  西行法師のかたみを残す。 西行法師のかたみを殘す
  江上に御陵あり、 江上に御陵あり
  神功后宮の御墓といふ。 神功皇宮后ノ誤リナリの御墓といふ
  寺を干満珠寺といふ。 寺を干滿珠寺をといふ
  この所に行幸ありしこといまだ聞かず。 此ところに行幸ありし事いまだ聞かず
  いかなることにや。 いかなる事にや
     
  この寺の方丈に座して簾を捲けば、 此寺の方丈に座して簾を捲ば
  風景一眼の中に尽きて、 風景一眼の中に一本中にノ二字ナシ盡て
  南に鳥海天をささえ、その影うつりて江にあり。 南に鳥海天をさゝへ其蔭うつりて江にあり
  西はむやむやの関、路をかぎり、 西はむや〳〵の關路をかぎり
  東に堤を築きて秋田にかよふ道遥かに、 東に堤を築て秋田にかよふ道遙に
  海北にかまへて浪打ち入るる所を汐ごしといふ。 海北に構へて浪うち入る所を汐ごしといふ
  江の縦横一里ばかり、 江の縱橫一里ばかり
  俤松島にかよひてまた異なり。 俤松島にかよひてまたことなり
  松島は笑ふがごとく、 松島は笑ふが如く
  象潟はうらむがごとし。 象潟はうらむるがごとし
  寂しさに悲しみをくはえて、 寂しさに悲しみを加へて
  地勢魂をなやますに似たり。 地勢魄をなやますに似たり
     

40
 象潟や 雨に西施が ねぶの花  象潟や 雨に西施か ねぶのはな
     

41
 汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し  汐越や 鶴脛ぬれて 海涼し
     
   祭礼  
     

42
 象潟や 料理何食ふ 神祭  曾良  象がたや 料理何くふ 神祭  曾良
     

43
 蜑の家や 戸板を敷きて 夕涼み  低耳  蜑の家や 戶板を敷て 夕すゞみ  みのゝ商人
     
   岩上にみさごの巣を見る  岩上にみさこの巢を見る
     

44
 波越えぬ 契りありてや みさごの巣  曾良  浪こへぬ 契ありてや 雎鳩のす  曾良
     
     
 

30 越後路(えちごじ)

     
   酒田のなごり日を重ねて、北陸道の雲に望む。 酒田の名殘日をかさねて北陸道の雲にのそむ
  遙々の思ひ胸をいたましめて、 遙々のおもひ胸をいたましめて
  加賀の府まで百三十里と聞く。 加賀の府まで百卅里ときく
  鼠の関を越ゆれば、 鼠の關をこゆれば
  越後の地に歩みを改めて、 越後の地に步行を改めて
  越中の国市振の関に至る。 越中の國一ふりの關にいたる
  この間九日、暑湿の労に神を悩まし、 此間九日暑濕の勞に神をなやまし
  病おこりて事をしるさず。 病發りて事を記さず
     

45
 文月や 六日も常の 夜には似ず  文月や 六日も常の 夜には似ず
     

46
 荒海や 佐渡に横たふ 天の河  あら海や 佐渡に橫たふ 天河
     
     
 

31 市振(いちぶり)

     
   今日は親知らず、子知らず、 今日は親不知子知らず
  犬戻り、駒返しなどいふ北国一の難所を越えて 犬もとり駒返しなどいふ北國一の難所をこえて
  疲れ侍れば、 つかれ侍れば
  枕引き寄せて寝たるに、 枕引よせてねたるに
  一間隔てて面の方に、 一間へだてゝ西の方に
  若き女の声、二人ばかりと聞こゆ。 若き女の聲二人ばかりと聞ゆ
  年老いたる男の声も交じりて物語するを聞けば、 年よりたる男の聲も交りて物語するをきけば
  越後の国新潟といふ所の遊女なりし。 越後國新潟といふ處の遊女なりし
  伊勢参宮するとて、この関まで男の送りて、 いせ參宮するとて此關まで男の送りて
  明日は故郷に返す文したためて、 あすは古鄕にかへす文したゝめて
  はかなき言伝などしやるなり。 はかなき言傳などしやる也
     
  白波の寄する汀に身をはふらかし、 白波のよする渚に身をはふらかし
  海士のこの世をあさましう下りて、 あまのこの世を淺ましう下りて
  定めなき契り、 定めなき契
  日々の業因いかにつたなしと、 日々の業因いかにつたなしと
  物いふを聞く聞く寝入りて、 物いふをきゝ〳〵ねいりて
  朝旅立つに、我々に向かひて、 朝たび立に我らにむかひて
  「行方知らぬ旅路の憂さ、 行衞しらぬ旅路のうさ
  あまりおぼつかなう悲しく侍れば、 餘り覺束なうかなしく侍れば
  見え隠れにも御跡を慕ひ侍らん。 見へがくれにも御跡をしたひ侍ん
  衣の上の御情けに大慈の恵みを垂れて、 衣のうへの御情に大悲のめぐみをたれて
  結縁せさせ給へ」 結緣せさせ給へ
  と涙を落とす。 と泪を落す
     
  不便のことには侍れども、 不便の事には侍れども
  「我々は所々にてとどまるかた多し。 我らは所々にてとまるかた多し
  ただ人の行くにまかせて行くべし。 たゞ人の行くにまかせて行くべし
  神明の加護、必ず恙なかるべし」 神明の加護必ずつゝがなかるべし
  といひ捨てて出でつつ、 といひすてゝ出つゝ
  あはれさしばらくやまざりけらし。 哀さしばらくやまざりけらし
     

47
 一つ家に 遊女も寝たり 萩と月  一家に 遊女も寢たり 萩と月
     
  曾良に語れば、書きとどめ侍る。 曾良にかたればかきとゝめ侍る
     
     
 

32 越中路(えっちゅうじ)

     
   黒部四十八が瀬とかや、数知らぬ川を渡りて、 くろべ四十八か瀨とかや數しらぬ川をわたりて
  那古といふ浦に出づ。 なごといふ浦に出づ
  担籠の藤浪は、春ならずとも、 擔籠の藤浪は春ならずとも
  初秋のあはれ訪ふべきものをと、 秋の哀とふへきものをと
  人に尋ぬれば、 人に尋ぬれば
  「これより五里磯伝ひして、 これより五里ばかりつたひ一本五里磯づたひトアリ此ノ方正シカルベシして
  向かうの山陰に入り、 むかふの山陰に入り
  蜑の苫葺きかすかなれば、 蜑の苫ぶき幽かなれば
  芦の一夜の宿貸すものもあるまじ」 芦の一夜の宿かすものあるまじ
  と、いひおどされて、加賀の国に入る。 といひをどされて加賀のくにゝ入る
     

48
 早稲の香や 分け入る右は 有磯海  早稻の香や 分入道は ありそうみ
     
     
 

33 金沢

     
   卯の花山、くりからが谷を越えて、 卯花山くりから谷を越て
  金沢は七月中の五日なり。 金澤は七月中の五日也
  ここに大坂より通ふ商人、 爰に大坂よりかよふ商人
  何処といふ者あり。 何處處ハ某ノ誤リナリといふ者は一本いふ者ありトアリ
  それが旅宿をともにす。 それが旅宿をともにす
     
  一笑といふ者は、 一笑といふもの一本はヲ入レタリ
  この道に好ける名の、ほのぼの聞こえて、 此道にすける者のほの〴〵聞へて
  世に知る人も侍りしに、 世にしる人も待しに
  去年の冬早世したりとて、 去年の冬早世したりとて
  その兄追善を催すに、 其兄追善をもよほすに
     

49
 塚も動け 我が泣く声は 秋の風  塚も動け 我泣聲は 秋の風
     
   ある草庵にいざなはれて ある艸庵にいざなはれて
     

50
 秋涼し 手ごとにむけや うりなすび  秋凉し 手每にむけや 瓜茄子
     
   途中吟 途中吟
     

51
 あかあかと 日はつれなくも 秋の風  あか〳〵と 日はつれなくも 秋の風
     
   小松といふ所にて 小松といふ所にて
     

52
 しをらしき 名や小松 吹く萩薄  しほらしき 名や小松 吹萩薄
     
     
 

34 多太神社(ただじんじゃ)

     
   この所多太の神社に詣づ。 此所太田の神社に詣づ
  実盛が甲、錦の切れあり。 さねもりが甲錦の切あり
  往昔、源氏に属せし時、 徃昔源氏に屬せし時
  義朝公より賜はらせ給ふとかや。 義朝公よりたまはらせ給ふとかや
  げにも平氏のものにあらず。 けにも平氏の物にあらず
  目庇より吹返しまで、 目庇より吹返しまで
  菊唐草の彫り物金をちりばめ、 菊唐草のほりもの金をちりばめ
  龍頭に鍬形打つたり。 龍頭に鍬形打たり
  実盛討死にの後、 貞盛討死の後
  木曽義仲願状に添へて、 木曾義仲願狀にそへて
  この社にこめられ侍るよし、 此社にこめられ侍るよし
  樋口の次郎が使ひせしことども、 樋口の次郞が使せし事共
  まのあたり縁起に見えたり。 まのあたり緣起に見へたり
     

53
 むざんやな 甲の下の きりぎりす  むさんやな 甲の下の きり〴〵す
     
     
 

35 山中(やまなか)

     
   山中の温泉に行くほど、 山中に行ほど一本ほどにトアリ
  白根が岳跡に見なして歩む。 白根かだけあとに見なして步む
  左の山際に観音堂あり。 左の山ぎはに觀音堂あり
  花山の法皇、 花山法皇
  三十三所の巡礼とげさせ給ひて後、 三十三所の順禮とげさせ給ひて後
  大慈大悲の像を安置し給ひて、 大慈大悲の像を安置し給ひて
  那谷と名づけ給ふとや。 那谷と名付給ふと也一本かやトアリ
  那智、谷汲の二字を分かち侍りしとぞ。 那知谷組の二字をわかち侍しとぞ
  奇石さまざまに、古松植ゑ並べて、 奇石さま〴〵に古松うへならべて
  萱葺きの小堂、岩の上に造り掛けて、 萱ふぎの小堂岩の上につくりかけて
  殊勝の土地なり。 殊勝の土地なり
     

54
 石山の 石より白し 秋の風  石山の 石より白し 秋の風
     
   温泉に浴す。その効有明に次ぐといふ。 溫泉に浴す其功有明に次と云
     

55
 山中や 菊はたをらぬ 湯の匂ひ  山中や 菊はたおらぬ 湯の匂
     
   あるじとする者は、 あるじとするものは
  久米之助とて、いまだ小童なり。 久米之助とていまだ小童也
  かれが父、俳諧を好み、 彼がいふ俳諧を好て
  洛の貞室若輩の昔、ここに来たりしころ、 洛の貞室若かりしむかし爰に來し頃
  風雅に辱められて、洛に帰りて 風雅に辱しめられて洛に歸て
  貞徳の門人となつて世に知らる。 貞德老人の門人と成て世にしらる
  功名の後、この一村判詞の料を請けずといふ。 功名の後此一村判詞の料をうけずといふ
  今更昔語とはなりぬ。 今更むかしがたりとは成ぬ
     
     
 

36 別離

     
   曾良は腹を病みて、 曾良は腹をいたみて
  伊勢の国長島といふ所にゆかりあれば、 いせの國長島といふ所に
  先立ちて行くに、 先立て行くに
     

56
 行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原  曾良  行〳〵て 倒れふすとも 萩の原  曾良
     
  と書き置きたり。 とかき置たり
  行く者の悲しみ、残る者の憾み、 行くものゝ悲しみ殘る者のうらみ
  隻鳧の別れて雲に迷ふがごとし。 隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし
     
  予もまた、 予も又
     

57
 今日よりは 書付消さん 笠の露  けふよりや 書付けさん 笠の露
     
     
 

37 全昌寺(ぜんしょうじ)

     
   大聖寺の城外、 大聖持寺ノ誤ナリの城外
  全昌寺といふ寺に泊る。 全ノ誤ナリ昌寺といふ寺に泊る
  なほ加賀の地なり。 猶加賀の地也
  曾良も前の夜この寺に泊まりて、 曾良も前の夜このてらにとまりて
     

58
 よもすがら 秋風聞くや 裏の山  終夜 秋風きくや うらの山
     
  と残す。 と殘す
     
  一夜の隔て、千里に同じ。 一夜のへたて千里に同じ
  われも秋風を聞きて われも秋風を聞つゝ
  衆寮に臥せば、 衆寮に臥せは
  あけぼのの空近う、 明ほのゝ空近う
  読経声澄むままに、 讀經一本讀經のトアリ聲すむまゝに
  鐘板鳴りて食堂に入る。 鐘板鳴て食堂に入る
     
  今日は越前の国へと、 けふは越前國へと
  心早卒にして堂下に下るを、 心早卒にして堂下に下るを
  若き僧ども紙硯をかかへ、 若き僧ども紙硯をかゝへ
  階の下まで追ひ来たる。 階の下まで追來る
     
  をりふし庭中の柳散れば、 折ふし庭中の柳ちれば
     

59
 庭掃きて 出でばや寺に 散る柳  庭箒て 出るや寺に ちる柳
     
  とりあへぬさまして、 とりあへぬさまして一本とりあへぬさまして九字ナシ
  草鞋ながら書き捨つ。  
     
     
 

38 汐越の松(しおこしのまつ)

     
   越前の境、吉崎の入江を舟に棹さして、 越前の境吉崎の入江を掉さして
  汐越の松を尋ぬ。 汐ごしの松を尋ぬ
     

60
 よもすがら 嵐に波を 運ばせて
 月を垂れたる 汐越の松  西行
 よもすがら 嵐に波を はこばせて
 月をはれたる 汐ごしの松
     
  この一首にて数景尽きたり。 此一首にて數景盡したり
  もし一辨を加ふるものは、 もし一辨を加るものは
  無用の指を立つるがごとし。 無用の指を立るがごとし
     
     
 

39 天龍寺・永平寺

     
   丸岡天龍寺の長老、 丸岡天龍寺の長老
  古き因みあれば尋ぬ。 古きちなみあれば尋ぬ
  また、金沢の北枝といふ者、 亦金澤の北枝といふもの
  かりそめに見送りて、 かりそめに見過て
  この所まで慕ひ来る。 此所までしたひ來る
  所々の風景過ぐさず思ひ続けて、 所々の風景過さす思ひつゞけて
  をりふしあはれなる作意など聞こゆ。 折ふしあはれ成る作意など聞ゆ
  今すでに別れに臨みて、 今既に別れにのぞみて
     

61
 物書きて 扇引きさく なごりかな  物かいて 扇引さく 名殘哉
     
   五十丁山に入りて、永平寺を礼す。 五十町山に入て永平寺を禮す
  道元禅師の御寺なり。 道元禪師の御寺也
  邦幾千里を避けて、 邦機千里を避て
  かかる山陰に跡を残し給ふも、 かゝる山陰に跡をのこし給ふも
  貴きゆゑありとかや。 貴きゆへありとかや
     
     
 

40 福井

     
   福井は三里ばかりなれば、 福井は三里許なれば
  夕飯したためて出づるに、 夕飯したゝめて出るに
  黄昏の道たどたどし。 たそがれの路たど〳〵し
  ここに等栽といふ古き隠士あり。 爰に等栽といふ古き隱士有り
     
  いづれの年にか江戸に来りて いづれの年にか江戶に來て
  予を尋ぬ。 予を尋は一本ねしトアリ
  遙か十年余りなり。 遙十とせあまり也
  いかに老いさらぼひてあるにや、 いかに老さらぼひて有るにや
  はた死にけるにやと、 將死けるにやと
  人に尋ね侍れば、 人に尋ね侍れば
  いまだ存命してそこそこと教ふ。 いまだ存命してそこ〳〵とおしふ
     
  市中ひそかに引き入りて、 市中ひそかに引入りて
  あやしの小家に あやしの小家に
  夕顔、へちまの延へかかりて、 夕顏へちまのはへかゝりて
  鶏頭、箒木に戸ぼそを隠す。 鷄頭箒木に扉をかくす
     
  さてはこの内にこそと、門をたたけば、 扨は此うちにこそと門を扣けば
  侘びしげなる女の出でて、 侘しげなる女の出で
  「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。 いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや
  あるじはこのあたり某といふ者のかたに行きぬ。 あるじは此あたり何某のもとに行きぬ
  もし用あらば尋ね給へ」といふ。 もし用あらば尋給へといふ
  かれが妻なるべしと知らる。 かれが妻なるべしとしらる
     
  昔物語にこそかかる風情は侍れと、 昔物語にこそかゝる風情は侍れと
  やがて尋ね会ひて、 やがて尋逢て
  その家に二夜泊まりて、 その家に二夜泊りて
  名月は敦賀の港にと旅立つ。 名月はつるがのみなとにと旅だつ
     
  等栽もともに送らんと、裾をかしうからげて、 等栽もともに送らんと裾おかしうかゝげて
  道の枝折りと浮かれ立つ。 路の枝折とうかれたつ
     
     
 

41 敦賀

     
   やうやう白根が岳隠れて、 白根がだけかくれて
  比那が嵩現はる。 比那か島嵩ノ誤リナリ顯はる
  あさむづの橋を渡りて、 あさむつの橋をわたりて
  玉江の葦は穂に出でにけり。 玉江の芦は穗に出にけり
  鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば、 鶯のせきを越え湯尾峠をこゆれば
  燧が城、帰山に初雁を聞きて、 燧が城歸山に初雁を尋て
  十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む。 十四日の夕ぐれつるがの津に宿を求む
     
   その夜、月ことに晴れたり。 その夜月晴たり
    明日の夜もかく有るべきにやといへば
  「越路の習ひ、なほ明夜の陰晴はかりがたし」と、 越路の習猶あすの夜の晴陰はかりがたしと
  あるじに酒勧められて、 あるじに酒すゝめられて
  気比の明神に夜参す。 氣比の明神に夜參す
  仲哀天皇の御廟なり。 仲哀天皇の御廟なり
     
  社頭神さびて、 社頭神さびて
  松の木の間に月の漏りは要りたる、 松の木の間に月のもり入たる
  御前の白砂、霜を敷けるがごとし。 おまへの白砂霜を敷るが如し
  往昔、遊行二世の上人、 そのかみ遊行二世の上人
  大願発起のことありて、 大願發起の事ありて
  みずから草を刈り、土石を荷ひ、 みづから艸を刈り土石を荷へ
  泥渟をかわかせて、 泥濘をかはかせて
  参詣往来の煩ひなし。 參詣往來の煩なし
     
  古例今に絶えず、神前に真砂を荷ひ給ふ。 古例今にたへず神前に眞砂を荷ひ給ふ
  これを遊行の砂持ちと申し侍る、と これを遊行の砂持と申侍ると
  亭主の語りける。 亭にて一本侍ると亭主の語りけるトアリ
     

62
 月清し 遊行の持てる 砂の上  月淸し 遊行のもてる 砂の上
     
   十五日、亭主のことばたがはず雨降る。 十五日亭主のことばにたがはす雨降る
     

63
 名月や 北国日和 定めなき  名月や 北國日和 さだめなき
     
     
 

42 種の浜(いろのはま)

     
   十六日、空晴れたれば、 十六日空晴たれば
  ますほの小貝拾はんと、 ますほの小貝ひろはんと
  種の浜に舟を走す。 種の濱に舟を走らす
  海上七里あり。 海上七里有り
  天屋某といふ者、 天屋何某といふもの
  破籠、小竹筒など 破籠小竹筒など
  こまやかにしたためさせ、 こまやかにしたゝめさせ
  僕あまた舟にとり乗せて、 僕あまた舟に取のせて
  追ひ風、時の間に吹き着きぬ。 追風時の間に吹つけぬ
  浜はわづかなる海士の小家にて、 濱はわづかなる蜑の小家にて
  侘びしき法華寺あり。 侘しき法花寺有り
  ここに茶を飲み、酒を暖めて、 こゝに茶をのみ酒を煖めて
  夕暮れの寂しさ、感に堪へたり。 夕昏の淋しき感にたへたり
     

64
 寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋  寂しさや 須磨に勝たる 濱の秋
     

65
 波の間や 小貝にまじる 萩の塵  浪の間や 小貝もましる 萩の塵
     
  その日のあらまし、等栽に筆をとらせて寺に残す。 其日の有まし等栽に筆とらせて寺にのこす
     
     
 

43 大垣

     
   露通もこの港まで出で迎ひて、 路通も此みなとまで出むかひて
  美濃の国へと伴ふ。 みのゝ國へと伴なふ
  駒に助けられて大垣の庄に入れば、 駒にたすけられて大垣の庄に入れば
  曾良も伊勢より来りあひ、 曾良も伊勢より來り合ひ
  越人も馬を飛ばせて、 越人も馬をはせて一本馬をとばせてトアリ
  如行が家に入り集まる。 如行が家に入りあつまる
     
  前川子、荊口父子、そのほか親しき人々 前川子荊口父子その外したしき人々
  日夜とぶらひて、 とぶらひて
  蘇生の者に会ふがごとく、 蘇生の者に逢ふがごとく
  かつ喜び、かついたはる。 且悅ひ且いたはる
     
  旅ものうさもいまだやまざるに、 旅のものうさもいまだやまざるに
  長月六日になれば、 長月六日になれば
  伊勢の遷宮拝まんと、また舟に乗りて、 伊勢の遷宮拜まんとまた舟にのりて
     

66
 蛤の ふたみに別れ 行く秋ぞ  蛤の ふた見にわかれ 行秋ぞ
     
     
 

44 跋(ばつ)

     
   からびたるも、艶なるも、
たくましきも、はかなげなるも、
 
  おくのほそ道見もてゆくに、  
  おぼえず起ちて手たたき、伏して群肝を刻む。  
     
  一般は蓑を着る着るかかる旅はせまほしと思ひ立ち、  
  一度は坐してまのあたり奇景を甘んず。  
  かくて百般の情に鮫人が玉を翰にしめしたり。  
  旅なるかな、器なるかな。  
  ただ嘆かしきは、かうやうの人のいとかよわげにて、  
  眉の霜のおきそふぞ。  
     
  元禄七年初夏  素龍書