古事記 志都歌~原文対訳

引田部赤猪子 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
志都歌
吉野の舞子歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
     

志都歌①②ゆゆしき歌

     
於是。
天皇大驚曰
ここに
天皇、いたく驚かして、
そこで
天皇が非常にお驚きになつて、
     

既忘先事。
「吾は
既に先の事を忘れたり。
「わたしは
とくに先の事を忘れてしまつた。
然汝守志
待命。
然れども汝いまし志を守り
命を待ちて、
それだのにお前が志を變えずに
命令を待つて、
徒過盛年。 徒に盛の年を過ぐししこと、 むだに盛んな年を過したことは
是甚愛悲。 これいと愛悲かなし」
とのりたまひて、
氣の毒だ」
と仰せられて、
心裏欲婚。 御心のうちに召さむと
欲おもほせども、
お召しになりたくは
お思いになりましたけれども、
憚其極老。 そのいたく老いぬるを
悼みたまひて、
非常に年寄つているのを
おくやみになつて、
不得
成婚而。
え召さずて、 お召しになり得ずに
賜御歌。 御歌を賜ひき。 歌をくださいました。
     
其歌曰。 その御歌、 その御歌は、
     
美母呂能 御諸みもろの 御諸みもろ山の
伊都加斯賀母登  嚴白檮いつかしがもと、 御神木のカシの樹のもと、
賀斯賀母登 白檮かしがもと そのカシのもとのように
由由斯伎加母 ゆゆしきかも。 憚られるなあ、
加志波良袁登賣 白檮原かしはら孃子をとめ。 カシ原はらのお孃さん。
     
又歌曰。  また歌よみしたまひしく、  またお歌いになりました御歌は、
     
比氣多能 引田ひけたの 引田ひけたの
和加久流須婆良 若栗栖原くるすばら、 若い栗の木の原のように
和加久閇爾 若くへに  若いうちに
韋泥弖麻斯母能 率寢ゐねてましもの。 結婚したらよかつた。
淤伊爾祁流加母 老いにけるかも。 年を取つてしまつたなあ。
     

志都歌③④クサカエの歌(盛りを返せ)

     
爾赤猪子之
泣涙。
 ここに赤猪子が
泣く涙、
 かくて赤猪子の
泣く涙に、
悉濕。
其所服之
丹摺袖。
その服けせる
丹摺にすりの袖を
悉ことごとに濕らしつ。
著ておりました
赤く染めた袖が
すつかり濡れました。
     
答其大御歌
而歌曰。
その大御歌に答へて
曰ひしく、
そうして天皇の御歌にお答え
申し上げた歌、
     
美母呂爾 御諸に 御諸山に
都久夜多麻加岐 築つくや玉垣たまかき、 玉垣を築いて、
都岐阿麻斯 築つきあまし 築き殘して
多爾加母余良牟 誰たにかも依らむ。 誰に頼みましよう。
加微能美夜比登 神の宮人。 お社の神主さん。
     
又歌曰。  また歌ひて曰ひしく、  また歌いました歌、
     
久佐迦延能 日下江くさかえの 日下江くさかえの
伊理延能波知須 入江の蓮はちす、 入江に蓮はすが生えています。
波那婆知須 花蓮はなばちす その蓮の花のような
微能佐加理毘登 身の盛人、 若盛りの方は
登母志岐呂加母 ともしきろかも。 うらやましいことでございます。
     

老いた盛りを追い返す

     

多祿給
其老女以。
 ここに
その老女おみなに
物多さはに給ひて、
 そこで
その老女に
物を澤山に賜わつて、
返遣也。 返し遣りたまひき。 お歸しになりました。
     
故此四歌。 かれこの四歌は この四首の歌は
志都歌也。 志都歌なり。 靜歌しずうたです。
引田部赤猪子 古事記
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志都歌
吉野の舞子歌