古事記~玉依毘賣(玉依姫) 原文対訳

あえずの命 古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
玉依毘賣
ホオリの葬り
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
然後者。 然れども後には、 しかしながら後には
雖恨
其伺情。
その伺見かきまみたまひし
御心を恨みつつも、
窺見のぞきみなさつた
御心を恨みながらも
不忍
戀心。
戀こふる心に
え忍あへずして、
戀しさに
お堪えなさらないで、
因治養
其御子之縁。
その御子を
養ひたしまつる縁よしに因りて、
その御子を
御養育申し上げるために、

其弟
玉依毘賣而。
その弟いろと
玉依毘賣に
附けて、
その妹の
タマヨリ姫を差しあげ、
それに附けて
獻歌之。 歌獻りたまひき。 歌を差しあげました。
     
其歌曰。 その歌、 その歌は、
     
阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼  赤玉は 緒さへ光ひかれど、 赤い玉は 緒おまでも光りますが、
斯良多麻能 岐美何余曾比斯 白玉の 君が裝よそひし 白玉のような 君のお姿は
多布斗久阿理祁理 貴くありけり。 貴たつといことです。
     
爾其
比古遲。
〈三字以音〉
 かれその
日子
ひこぢ
 そこでその
夫の君が
答歌曰。 答へ歌よみしたまひしく、 お答えなさいました歌は、
     
意岐都登理 加毛度久斯麻邇 奧おきつ鳥 鴨著どく島に 水鳥みずとりの鴨かもが 降おり著つく島で
和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 我が率寢ゐねし 妹は忘れじ。 契ちぎりを結んだ 私の妻は忘れられない。
余能許登碁登邇 世の盡ことごとに。 世の終りまでも。

 

あえずの命 古事記
上巻 第五部
ホデリとホオリの物語
玉依毘賣
ホオリの葬り

解説

 
 
 赤玉(阿加陀麻)は赤ん坊の意味。
 続く緒はヘソの緒だが、玉とかかる玉の緒は、魂の糸(シルバーコード)という意味。なので光るとする。
 いわば無垢という意味。その暗示で白につなげる。
 しかし逆接でつなげるので、そちらは無垢ではない。赤(垢・血)にまみれている。
 

 白玉(斯良多麻)は色んな解釈ができるが、歌用語として素直な解釈は、白玉→露→涙。これが基本。これを前段と掛けて涙が光る。
 白玉のような容姿という訳注がされているが、それでは全く意味不明。雪だるまか。
 赤と対置させた白の文脈なので、覗いたあなたは幼いが、それでも泣いたのは貴いことだと言っている(これまでのように野蛮なことをしなかった)。
 もちろん著者の皮肉。
 

 二つの目の歌は文面通り。
 しかし最後の「世のことごと(余能許登碁登)」とは、何につけてもと見るのが素直。
 「ことごと」に終わりという意味があるか。ないだろう。むしろ、事々・悉くの意味。
 それに当てているのが、兄のホオリを苦しめた時の「惚苦」。
 

 そこでは潮乾く玉を用い、困っている兄を救い、悉く苦しめたという一見不明の文脈だった。
 救ったのに苦しめたとはこれいかに。
 これは血も涙もない方法で救った(乾いた玉で=高利で金を貸した)という意味。
 血と涙が赤玉と白玉とパラレルになり、泣く涙を貴いという解釈の妥当性が裏づけられる。
 

 あんたも涙することもあるんだね(世の泣いている人々のことも、ちょっとは考えなさい)、という意味。
 もちろん取った税で生活する帝の系譜へのあてつけ。血も涙もないに掛かるのは、本来は重税。
 それが他人の幸せを使い込んで無くし、何もせず過ごし、返すどころか相手をさらに貧しくさせて服従させるホオリの描写。まさに血も涙もない。
 しかも泣いたのは自分が唾をつけた女のため(玉に唾をつけた)、それでも貴い進歩という、これが慈悲。
 こうしないと残せなかったともいえるが、時は移り、今は苦心して小細工をする必要もないし、配慮も効果がないというのに十二分な時間は過ぎた。