伊勢物語 69段:狩の使 あらすじ・原文・現代語訳

第68段
住吉の浜
伊勢物語
第三部
第69段
狩の使
第70段
あまの釣舟

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・伊勢物語という理由(源氏物語との関連)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 

  シーン1:いと懇に
 
   斎宮の親:よくいたはれ ♀いたづき 
 

  シーン2:二日といふ夜
 
   ♂われてあはむ ♀人をしづめて 
 
   ♀小さき童を先に立て ♂♀寝ずなり
 

  シーン3:さかづきの皿 
 
   ♀おもほえず ♂かきくらす 
 
   ♂かみかけたる ♀江にし ♂続松の炭
 

  注記
 
 
 

あらすじ

 
 
 この段は3つの部分からなる。
 
 ①斎宮(女)と狩の使いの男が、会うなり夫婦のようになる序盤。
 ②二日の夜、女が男の寝床に来たが寝ずに帰った中盤。
 ③出立時、女が盃に上句を書き寄こし、男が続松で末を記した最後。
 

 以下、これを多少詳しく述べる。
 

 しかしその前に前提として、狩の使たる「むかし男」は業平ではない。
 その根拠を示すと、
 

 まず、63段で「在五」が女をつくも髪(九十九=百から一引いて白髪)と罵倒しながら弄ぶ記述があり、「けぢめみせぬ心」と非難されること。
 さらに65段で「在原なりける男」が、後宮に「人の見るをも知でのぼり」女につきまとい帝に陳情され、流されたとあること。
 (63・65段ともに「むかし男」から始まらない)
 このように、けじめなく、人目も気にせずつきまとう記述が、本段で心通わせ人目を避ける記述(人目しげければ逢はず)と全く相容れないこと。
 このような素行の、まして後宮に「沓はとりて奥になげ入れてのぼりぬ」人物が、最高神格の伊勢に懇ろにもてなされることなど、ありえないこと。
 これらが史実であるかにかかわらず、一際異彩を放つそれらの段(65段は物語中最長)の後で、厚遇される人物と直ちにみなすことは、無理であること。
 加えて、業平は登場段全てで強く非難されること(承知の通り業平とは一度も明示されない。兄の行平はセットで出しつつ二度とも明示。79段・101段)。
 

 以上より、主人公・業平説はただの思い込みかつ伊勢の占奪。そのた集大成が古今の認定(及びそれに追従した派生物)。それには根拠がない。
 つまり、二条の后の噂が先行流布していたが、それは風評という説明もかねて冒頭3~6段の話を掲載したが、内容は全く無視され業平の日記とみなされた。
 そして歌と話が全て乗っ取られる様相を呈し、様々な角度から非難し抵抗している(業平が二条の后を藤原とクサした76段、歌は知らない101段)。
 
 

 さて、仕切りなおそう。
 
 

1 伊勢斎宮

 
 
 冒頭で出てくる斎宮の「親」とは、末尾の記述から文徳天皇(何のためあえて明示している)。斎宮は恬子(てんし)内親王
 親がよく労われと言ったのは、帝が狩の主だったから。だからこそ舞台が伊勢。
 それを母親(紀静子)やら、やれ手紙が送られてきたなどと、次々文中にないことを補わないように。その果てが業平説。
 よく労われとは、帝の日常に近く、伊勢を記せるほど歌が上手かったのが表面的な理由(人麻呂のように)。だから卑官なのに六歌仙。後宮の六歌仙。
 

 男女が会っていきなり夫婦のように扱われる描写は、60段(花橘)・62段(古の匂は)を受けている。
 60段で、男が宇佐(勿論古来の神宮がある)に使としてもてなされたこと、そこでも女が盃を出し、そして山に入って尼になった。
 62段で、妻が人の国で使われ、夜によこせと言ってあっさり寄こされたこと、歌にいにしえとあること。
 これが本段で、女が夜部屋に来たことと、盃に書いてきた「えにし」と符合。そして斎宮も後に山に入り尼になる(102段)。
 

 親に言われたから懇ろにとは建前。それにより、男の近くに行く大義名分ができた。
 
 

2 二日の夜

 
 
 そうして男も、女の懇ろな思いに応えるべく、「われてあはむ(是非あおう=もっと二人だけで話そう)」という。
 だから後の寝所でも、語る語らぬと後述している。
 是非とは、強い願望の表明であり、どこかの淫奔みたいに無理にでもという意味ではない。
 

 女も、今生では昨日今日でも、特別な気持ちがあるから「急だけど、別に会わんでやらんこともないよ」(女もはた、いと逢はじとも思へらず)。
 つまりチョイデレ。(これを「絶対あわないこともない」とかいうのは、懇ろの文脈を全く無視しているし、文面自体不自然、というより意味不明)
 
 しかし嗜みとして、人目が多い所では会わないとなった(されど人目しげければ逢はず)。
 つまり当初はただ会おうという話が、人目を避ける口実で、夜ということになった。
 

 そうして男が待っていると、女が子の時(夜12時前後)に男の寝所に寝に来た。
 しかし「小さき童を先に立て」きた。さらりと流されるが、この点が一番問題。
 
 「小さき童を先に立てて、人立てり。男いとうれしくて我が寝る所に、率ていり」
 
 これが問題だ。かなり大きな問題。
 童がなぜいる? 人目はばかる夜の逢瀬なのにだ。しかも男は何事もないように喜ぶ。それも問題だ。
 しかもあえて触れていないが、二人とも部屋に入れている。
 
 童がただのお付きとか、無視しているのではない。であれば一々書かない。
 それにこの童は、次の段に独立して出現し、神宮の外までついてくるのだから、その意味は極めて大きい。
 だから、この段の一番の、核心部の問題なのだ。
 
 つまりこの童は、年の離れた斎宮の妹。
 童とは、幼さの表現であって、今風の童のイメージ≒幼女とは少し違う。
 それよりは大きいが(恐らく十代後半)、斎宮より背丈は小さい。そういうこと。深夜中の深夜に来ることはそれを意味している。
 この子も昔男を慕っていた。まず斎宮以上に昔男を気に入った。そして、その子も来てくれて昔男は嬉しく思った。そういう表現。
 
 だから本段でいう「人をしづめて」は、この童のこと。
 童が先立って来たのは斎宮の意図ではない。つまりしずめきれなかった。
 あの人に会いにいこうよ~。いかないなら私だけいくよ~。そんな感じ。
 

 しかるに、何も語らぬうち、丑の(二時)頃、斎宮は帰ってしまった。というのは、男女の大事なことを諦めたから。
 沈黙のまま二時間も過ぎるわけない。というかありえない。そういう文脈完全無視の認定はナンセンス。いや、そもそも童無視の時点でない。
 男はなぜ帰ったのかと苦しむ(聖人か? いやアホでした)。しかしこれは二人の繊細な問題だから、人(特に童)づてに聞くわけにもいかない。
 
 しかしそれを聞いたのが次の段。童へやんわり牽制した。でも童も嫌いではない。苦しい。わかりますね、男なら。体が二つあればいいのに。
 どっちも大事にしたい。でも二人を相手にすることはできない。どっちか選んでも、どちらかは悲しませてしまう。どうすんだよ。
 でも撰ぶのは斎宮。それが筋だから…。ごめんね、すごい好いてくれたのに。とっても可愛くて好きなんだけど…。あーなんだこれ。
 いや一応言うけど、斎宮だって凄い綺麗で大好きですからね。じゃなきゃ男が最後まで尼になっても会おうとするかって。世俗的には夫婦でもないのにだ。
 
 

3 盃の皿

 
 
 明けて暫くすると、女は言葉もなく文をよこした(女のもとより言葉はなくて)。
 つまり冒頭で、朝は見送ってくれていた(朝には狩にいだし立ててやり)とあるから、その時の話。
 詞書がない歌ではない。「言葉はなくて」をなぜあえて詞書とみる。不自然。

 そして、

 君やこし 我や行きけむ おもほえず 夢かうつゝか 寝てか醒めてか
 

 あなたが来い(こし)というから行ったのに、こうなると思わなかった。
 あれは現実かワタシの夢か? つまり「あはむ」と言ったのは何だったの?
 その気があるなら、童をどうにかしてよ(とは立場上もいえない)。そのやり場のない気持ちを表現したのがこれ。
 あれは夢だったのでしょうか? ではない。そんな童レベルの話ではない。
 

 これに男は、夜の暗闇にかけ、心も闇で戸惑うばかり。
 夢現か(本気か)は今夜定めよ、つまり今度は本気で二人だけであはむと、慌てて詠んでやり、狩(仕事)に出た。
 

 そうして野に出て空の下にいながら、心は晴れず空っぽで、今宵こそ人(=童)を静めて、早く逢わねばと思っていた。
 なお、ここで再度人を静めてが出ているのは、童を念頭に置いているからに他ならない。静めるような存在は童しかいない。
 

 そんな時、ある国司が、「斎宮のかみかけたる」狩の使がいると聞きつけ、一晩中晩酌に付き合わされ、その日は逢えず(すっぽかし)
 明朝発つことになり、男は人知れず血の涙を流し、目を腫らすほど泣いた。
 事情はともかく斎宮より国司を優先。この点は60段とパラレル(宮仕えしていたら女が出て行った。さらには24段・梓弓とも)。
 

 夜も明けんとする時、女から盃の皿に歌が記されたものを出して渡してきた(60段と符合)
 

 かち人の 渡れどぬれぬ 江にしあれば
 →かってして行く人。泣けるけれど、また縁あれば。
 
 解説しよう。
 濡れない川+エニシ=江。つまり氵+エにした。山風と嵐と同じ。
 つまり素朴に見ると斎宮の歌の文屋の翻案。だから極限のかかりを見せるのである。もし斎宮が詠んだなら、感化するほど、天才的才覚があった。
 
 カチは徒歩。徒をいたずらと読み、勝手(いたずら)して行く人、広い川の江とエニシを掛ける。
 これを、歩いて渡るが濡れない広い川と解く。
 その心は、ありエンような縁も、あるならば。そういう気持ちで渡します。
 つまりもう会えないとは思うけども、川を越えた来世にも、これを託して渡します。
 人は濡れても、盃なら濡れんけんね! 一応、宇佐の流れを汲んでます(60段参照)
 

 このように上の句だけ書いて末がない。
 普通であれば、下(しも)がないという所、末をマツ(待つ)とよみ、続松(ついまつ)にかけ、その続きを記し待つ。

 またあふさかの 関は越えなむ
 (また会うさかい、籍をこえても)とし、尾張に越えて話は終わり。
 
 尾張で終わりはギャグというか基本作法。だから大袈裟に言うことではないが、基本の積み重ねが絶妙な掛かりにつながる。
 
 逢坂は定石の関に当てただけ。それで続きを待つ。

 盃は返さない。盃を返すと縁を切ることになるから(60段参照)。
 そして69段では、女は盃を自ら出した。返しで出してはいない。
 そして、盃を一緒に用いることで契りを交わした。
 

 ちぎりきし いにしえよりの えにしより
 思いを交わし あはむとぞ思う(自作)
 
 ん~何のひねりもない、ベタだわな。
 他方で斎宮は精一杯考えてくれた。そういう表現。バランス。
 
 いやしかし結ばれんな。会って仲良くなっても結ばれないんじゃ意味ないわ。
 そういえば長く実を結ばないの象徴の玉葛(つる草のこと)、伊勢にもあるけど(36段)、源氏にもあったな。玉蔓十帖言うらしいよ。どんだけだよ。
 伊勢の玉葛は瞬間で終わるっての。だってそんな待てる? 待てないよね。それでフラれたのが、梓弓と花橘(妻と斎宮)の話なんだから…。
 あー今度は待ってくれる? あちょっとまって、本段斎宮の「いたづき」は身を尽すという意味だけど、源氏には澪標(みおつくし)という巻がある。
 

 いたつくは労くに当てられるが、少し違う。いたくつくし。いたくは何か。痛く? 違います。尽すのは基本的に喜び(そうでないのは強要)。
 身を付くすに板付くと掛け、かまぼこのようと解く、その心はもうぴったりくっついて離れない。とろうとしてもとれない。それで「とっても」。
 切っても切れないならぬ、とってもとってもとれない。切っても切れない玉蔓。みやびやろ? 腐らず待つねんって。ツタは古い歴史の象徴よ…。
 
 

伊勢物語という理由・源氏物語との関連

 
 
 本段は物語後半なのにもかかわらず、物語の題名になる伊勢物語、その伊勢を象徴する段(これ以前に伊勢は実質的に登場しない)。
 それなのに、物語全体の題名が伊勢というのには理由がある。
 
 しかしどこかの淫奔が斎宮を一夜で孕ませたとか、それが絶対のタブーだったからとかいう、全く伊勢文中にない、頭のゆるい穢れきった話ではない。
 それならそれと同様のタブーである二条の后以上の象徴として扱われる理由がない。
 何よりその淫奔の最も象徴的な話とされるのは、二条の后との熱烈云々であり、斎宮の話ではない。
 つまりだ。この物語の題名は、一般世間(及び学者)の風評により決まってはいない。
 しかし早合点を潰しておくと著者がつけたのでもない。なぜなら上述のように伊勢は全体を占める話ではないし、歌も前半の妻部分が厚いのであるから。
 
 本段の前提には、60段(花橘)の宇佐の使・62段(古の匂は)がある。
 (ただし一般にその関連は全く見出されていない。古今により業平と認定された段以外は、言葉の符合など全く見れず、全てバラバラ・無秩序に見る)
 それらの段は本段とパラレルの構図で(使の男・もてなす女、出てくる盃)、伊勢斎宮と昔男の昔の関係(夫婦・別れ)を暗示した内容。つまり前世。
 60段だけでは確信をもてない場合に備えて、62段の古、そして花橘の香とかけた匂で確実な裏づけをつけている。
 
 他方、源氏物語では、花橘・橘の花、袖の香(60段の内容)が、何度も前世を示唆する意味で歌われる。
 (ここでも、このような用語の用法は一般に理解されていない。詳しくは源氏物語の和歌一覧を参照)
 源氏の大きなテーマは前世。「来む世も深き 契り違ふな」「前の世の 契り知らるる 身の憂さに」(源氏♪30・31)、とあるように。
 それが暇な平安時代の流行だったのではない。なぜなら、以下の用語の前世文脈は、連綿と続く注釈の歴史で誰も理解していないからだ。特別な知識。
 だから特別な存在になっている。当然ではないか。ただ流行にのる発想でここまで歴史に残ることはない。当然突き抜けて賢くないと、そうはならない。
 
 源氏は、周知の通り光る源氏という全てに秀でた色男が主人公だが、これは竹取のかぐやの光(そう説明されている)と伊勢の昔男を融合させた人物。
 つまり、それが伊勢(と竹取)の著者・昔男。これがモデル。全体の言葉の使い方、伊勢特有語からの影響から、モデルになりうる人物はそれしかいない。
 「百敷のかしこき御光」と評するので、阿保の子と専ら噂の業平ではありえない。業平は「朽たす」×2で密かにクサしている(争わせ、内密にしている)。
 源融という見立てはまあ普通、伊勢初段の陸奥の歌と親和性がある。しかしこれは81段・六条邸での描写、及び融の他作品から、確実に著者の代作。
 
 「波越ゆる ころとも知らず 末の松 待つらむとのみ 思ひけるかな」(源氏♪750)は、端的に本段最後の続松を受けた内容、
 「尼衣 変はれる身にや ありし世の 形見に袖を かけて偲ばむ」(源氏♪794)も、60段及び、この後の斎宮の境遇を受けている。
 変われる身は転生。ありし世は源氏から見て伊勢。袖は他生の縁(えにし)。
 
 尼衣は、唐衣を受けていることは確実。言うまでもなく伊勢の象徴用語(9段・東下りの歌)。
 「唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる 」(源氏♪396)。
 ここで物語唯一というほど強く反応(反発)しているのは、唐衣の歌の相手が、斎宮(≒紫)ではないからである。
 
 つまり源氏は伊勢を受けて書かれた内容であり、この物語が伊勢物語と称されるゆえんは、紫がそう記した、その影響力によっている。
 そうでないと伊勢とつく理由がない。伊勢はこの物語全体のメインテーマではないのにもかかわらずだ(後半の大きなテーマではある)。
 しかし紫にとってはメインなのだ。斎宮の宿世を受けているので。この昔男の話を伊勢物語と定義した、それが伊勢斎宮の後世の分身、紫。
 それが花橘・橘の花の香・袖の香、への繰り返される熱心な反応、幼馴染の最初の妻の葵(梓弓の子)、その次に妻となった紫という構図に表わされる。
 
 そしてこの二人は神にかかって特別なので、古典の双璧とされている。
 斎宮のかみかけたる狩の使あり。そのスピリットを、この国最高のミコ・伊勢斎宮がわずかでも受け取ったら、このような成果になると。
 だから紫は天才的だった。それが源氏冒頭の内容(はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた)。伊勢の御というのも似た存在。
 
 なお、この国の国歌、古今の賀先頭の歌は、伊勢の著者(文屋)の作。チヨとヤチヨを同時に用いたのは伊勢が最初。最初の妻への歌。万葉にヤチヨはない。
 「秋の夜の千夜を一夜になずらへて 八千夜し寝ばや飽く時のあらむ」(22段)
 夜は男女の文脈なので、それをオフィシャルな関係にしたのが、千代と八千代。しかしそうだと唐衣問題の再来の気が…。
 
 いやあ、むずばれんねえ。むすびの神なんやないんかいね。あ、おわらせる? そのむすびにしよっか、もう。
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第69段 狩の使
   
 むかし、男ありけり。  昔、おとこ有けり。  昔男有けり。
  その男伊勢の国に、 そのおとこ、伊勢のくにゝ その男伊勢の國に
  狩の使いにいきけるに、 かりのつかひにいきけるに、 かりのつかひにいきけるを。
  かの伊勢の斎宮なりける人の親、 かのいせの斎宮なりける人のおや、 かの伊勢の齋宮なりける人のおや。
  常の使よりは、この人、よくいたはれ つねのつかひよりは、この人よくいたはれ、 つねの使よりは此人よくいたはれ
  といひやれりければ、 といひやれりければ、 といひやりけり。
  親のことなりければ、 おやのことなりければ、 おやのいふことなりければ。
  いと懇にいたはりけり。 いとねむごろにいたはりけり。 いとねんごろにいたはりけり。
  朝には狩にいだし立ててやり、 あしたにはかりにいだしたてゝやり、 あしたにはかりにいだしたてゝやり。
  夕さりは帰りつゝそこに来させけり。 ゆふさりはかへりつゝ、そこにこさせけり。 ゆふさりはこゝにかへりこさせけり。
  かくて懇に かくてねむごろに かくてねんごろにいたはりけるほどに。
  いたづきけり。 いたづきけり。 いひつぎにけり。
       
   二日といふ夜、  二日といふ夜、  二日といふ夜
  男、われてあはむといふ。 おとこ、われてあはむ、といふ。 われてあはむといふ。
  女もはた、いと逢はじとも思へらず。 女もはた、あはじともおもへらず。 女はたいとあはじとも思へらず。
  されど、人目しげければ逢はず。 されど、人めしげゝればえあはず。 されど人めしげければえあはず。
  使実とある人なれば、 つかひざねとある人なれば、 つかひさねとある人なれば。
  遠くも宿さず。 とをくもやどさず、 とをくもやどさず。
  女の寝屋近くありければ、 女のねやもちかくありければ、 ねやちかくなん有ける。
  女、人をしづめて、 女、ひとをしづめて、 女人をしづめて。
  子一つばかりに、男のもとに来たりけり。 ねひとつ許に、おとこのもとにきたりけり。 ねひとつばかりに男のもとにきにけり。
       
  男はた寝らざりければ、 おとこ、はたねられざりければ、 男はたねられざりければ。
  外の方を見いだして臥せるに、 との方を見いだしてふせるに、 とのかたを見いだしてふせるに。
  月のおぼろなるに、 月のおぼろげなるに、 月のおぼろなるに人のかげするを見れば。
  小さき童を先に立てて、人立てり。 ちひさきわらはをさきにたてゝ、人たてり。 ちいさきわらはをさきにたてゝ人たてり。
  男いとうれしくて おとこ、いとうれしくて、 おとこいとうれしくて。
  我が寝る所に、率ていり、 わがぬるところにゐていりて、 わがぬる所にゐていりて。
  子一つより丑三つまであるに、 ねひとつより、うしみつまであるに、 ねひとつよりうしみつまで物かたらひけり。
  まだ何事も語らはぬに、 まだなにごともかたらはぬに いまだなにごともかたらひあへぬほどに。
  帰りにけり。 かへりにけり。 女かへりにければ。
  男いと悲しくて、寝ずなりにけり。 おとこ、いとかなしくて、ねずなりにけり。 男いとかなしくてねず成にけり。
       
  つとめていぶかしけれど、 つとめて、いぶかしけれど、 つとめてゆかし[いぶかしイ]けれど
  わが人をやるべきにしもあらねば、 わが人をやるべきにしあらねば、 我人をやるべきにしあらねば。
  いと心もとなくて待ちをれば、 いと心もとなくてまちをれば、 心もとなくてまちみれば。
  明けはなれてしばしあるに、 あけはなれてしばしあるに、 あけはなれてしばしあるほどに。
  女のもとより言葉はなくて、 女のもとより、ことばゝなくて、 女の許より詞はなくて。
       

126
 君やこし
 我や行きけむおもほえず
 きみやこし
 われやゆきけむおもほえず
 君やこし
 我やゆきけんおもほえす
  夢かうつゝか
  寝てか醒めてか
  夢かうつゝか
  ねてかさめてか
  夢か現か
  ねてかさめてか
       
  男いといたう泣きてよめる。 おとこ、いといたうなきてよめる。 男いたううちなきて。
       

127
 かきくらす
 心の闇にまどひにき
 かきくらす
 心のやみにまどひにき
 かきくらす
 心のやみに惑ひにき
  夢現とは
  こよひ定めよ
  ゆめうつゝとは
  こよひさだめよ
  夢うつゝとは
  今宵さためよ
       
  とよみてやりて、狩に出でぬ。 とよみてやりて、かりにいでぬ。 とてかりにいでぬ。
       
   野にありけれど心はそらにて、  野にありけど心はそらにて、  野にありきけれど心はそらにて。
  こよひだに人しづめて、 こよひだに人しづめて、  
  いととく逢はむと思ふに、 いととくあはむとおもふに、 いつしか日もくれなんとおもふほどに。
  国守、 くにのかみ、 國のかみの。
  斎宮のかみかけたる、 いつきの宮のかみかけたる、 いつきの宮のかみかけたりければ。
  狩の使ありと聞きて、 かりのつかひありときゝて、 かりの使ありときゝて。
  夜ひと夜酒飲みしければ、 よひとよ、さけのみしければ、 夜ひとよさけのみしければ。
  もはら逢ひごともえせで、 もはらあひ事もえせで、 もはらあひごともせで。
  明けば尾張の国へたちなむとすれば、 あけばおはりのくにへたちなむとすれば、 あけばおはりの國へたちぬべければ。
  男も人知れず血の涙を流せども おとこも人しれずちのなみだをながせど、 男もをんなも。なみだをながせども
  えあはず。 えあはず。 あふよしもなし。
       
   夜やうやう明けなむとするほどに、  夜やうやうあけなむとするほどに、  夜やうやうあけなんとするほどに。
  女方よりいだすさかづきの皿に、 女がたよりいだすさかづきのさらに、 女のかたよりいだすさかづきのうらに。
  歌を書きていだしたり。とりて見れば、 うたをかきていだしたり。とりて見れば、  
       

128
-1
 かち人の
 渡れどぬれぬ江にしあれば
 かち人の
 わたれどぬれぬえにしあれば
 かち人の
 わたれはぬれぬえにしあれは
       
  と書きて、末はなし、 とかきて、すゑはなし。 とかきてすゑはなし。
  そのさかづきの皿に、 そのさか月のさらに、 てのさかづきのうらに
  続松の炭して ついまつのすみして、 ついまつのすみして
  歌の末を書きつぐ。 うたのすゑをかきつぐ。 かきつく。
       

128
-2
  またあふさかの
  関は越えなむ
  又あふさかの
  せきはこえなむ
  またあふさかの
  せきはこえなん
       
  とて、明くれば、 とて、あくれば あくれば。
  尾張に国へ越えにけり。 おはりのくにへこえにけり。 おはりへこえにけり。
       
  斎宮は水の尾の御時、 斎宮は水のおの御時。  
  文徳天皇の御むすめ、 文徳天皇の御女、  
  惟喬の親王の妹。 これたかのみこのいもうと。  
   

現代語訳

 
 

シーン1:いと懇に

 

よくいたはれ

 

むかし、男ありけり。
その男伊勢の国に、狩の使いにいきけるに、
かの伊勢の斎宮なりける人の親、
常の使よりは、この人、よくいたはれといひやれりければ、
親のことなりければ、いと懇にいたはりけり。

 
むかし男ありけり
 昔、ある男がいた。
 
 この表記は業平ではない。
 業平の場合、在五や在原なりける(63,65)、馬頭(77,78,82等)などとされ、それらの段はこの表記で始まらない。
 加えて「むかし、男」の身の上話は、父はただ人(10)、田舎出身の宮仕え(23,24)、身は賤し(84)などと業平と全く相容れない。以上論証完了。
 つまり業平云々は周囲の幼稚な発想に基づく噂・妄想。と5,6段に記されている。その二条がらみの妄想が69段に飛び火した。
 

その男伊勢の国に
 その男が伊勢の国に
 

狩の使いにいきけるに
 狩の使いに行った所、
 

かの伊勢の斎宮なりける人の親
 あの伊勢の斎宮である人の親が、
 
 斎宮は帝の子しかならないとのこと。末尾参照。
 

常の使よりはこの人よくいたはれ
 いつもの使いより、この人を大事にしなさいと
 

といひやれりければ
 娘に言ったので、
 
 (手紙が届いた→× そんなことは書いていない。つまり帝本人が狩に来ている)
 

親のことなりければ
 親の言うことだったので、
 

いと懇にいたはりけり
 とても熱心にもてなした。
 

 懇(ねんごろ)
 ①心をこめて。熱心に。
 ②親しくなること。
 ③男女が情を通じること。
 
 「親が言うこと」とは包んだ言い方で、それ以上の個人的思いがなければ、絶対しないような態様でもてなしてくれた。それが以下の記述。
 
 

いたづき

 

朝には狩にいだし立ててやり、
夕さりは帰りつゝそこに来させけり。
かくて懇にいたづきけり。

 
朝には狩にいだし立ててやり
 朝には狩に行くのを(わざわざ)出てきて見送り
 

夕さりは帰りつゝそこに来させけり
 夕げには帰って、近くに来させた。
 

 夕さり:一般に夕方とされるが、
 ゆうべ(夕べ)とユウゲとタベるにかけ、さりをしゃりとかけ晩御飯。
 夫婦のように夕飯の相手をしてくれて、立ててくれた。
 

 「女の居室に来させる」などというのは違う。朝の見送りと釣りあわない。
 この男は女の所にイソイソ行くヘタレではない。それは一貫している。
 女からのアプローチがあって、それを良いなと思ってから行く。それが男女のマナー。基本。
 
 他方で、業平は自分から行く。相手が拒絶しても行く(65)。
 斎宮と通じること自体が禁忌ではなく(斎宮が藤原に降嫁した例もある)、業平のような人格破綻者が伊勢と通じることが禁忌だっただけ。
 

かくて懇に
 このようにねんごろに
 

いたづきけり
 甲斐甲斐しく世話をしてくれたのであった。
 

 いたつく 【労く】:いたく尽くし、あるいは板付き。労では「いたつ」と読めない。
 ①気を配って骨を折る。
 ②世話する。いたわる。
 
 甲斐甲斐しくとは、前段で春の浜に貝なしと歌ったことを受けて。
 
 

シーン2:二日といふ夜

 
 

われてあはむ

 

二日といふ夜、男、われてあはむといふ。
女もはた、いと逢はじとも思へらず。
されど、人目しげければ逢はず。

 
二日といふ夜
 二日目の夜
 

男われてあはむといふ
 男がついに逢おうという。
 

 われて 【破れて】
 :均衡を破って。是非とも。
 是非にとは、強い要望・願望だが、無理強いしているわけではないのは当然。
 無理に・強いてという意味ではない。それは無理解だし、あまりに酷い・野蛮な解釈。弁えがない。伊勢を簡単にくさしていいわけはない。
 
 「あはむ」とは、多分に含みがある言葉。ここでも多義的。男女の認識に違いがある。
 その解釈は、あくまで文脈・空気を読むこと。
 全く空気を読めず、女=会う=寝る!と決めつけるのが業平。危険。
 

女も、はたいと逢はじとも思へらず
 女も、急とは思いつつ、会わないこともないと思ったが、
 (絶対会うこともないとも思わず→× 意味不明)
 

 はた 【将】:…もまた。やはり。

 「はたいと」を「はたと(急でびっくりしたが)」にかけている。
 
 「いと逢はじ」で、厭わじ。
 

 立場上も女としても、会って早速寝るなど普通はありえないが、この相手は普通ではない。
 それが冒頭の親の発言及び、「斎宮のかみかけたる、狩の使あり」。巫女(御使)の本能。
 

されど人目しげければ逢はず
 しかし昨日今日だったし、人目も多かったので、その時は逢わずに(夜に会う)
 

 この記述からも男は業平ではない。65段(在原なりける男)参照。
 「例のこのみ曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく」。
 
 

人をしづめて

 

使実とある人なれば、遠くも宿さず。
女の寝屋近くありければ、
女、人をしづめて、子一つばかりに、男のもとに来たりけり。

 
使実(つかひざね)とある人なれば
 男は使いの長であったから、
 

遠くも宿さず
 その宿が遠くにあるわけでもなく
 

女の寝屋近くありければ
 女の寝室に近かったので、
 

女、人をしづめて
 女が、人をしずめて
 

 しずめ 【鎮め】
 :やすらかにする。しっかりおさえる。制御・平定。
 

 この意味は一見不明。人目をはばかるのだから、周囲を静めるのもおかしい。
 これはつまり直後の「子」と合わせ童のこと。「しずかにするのよ」
 このように、伊勢は「人」に多義的意味をもたせる。
 

子一つばかりに男のもとに来たりけり
 夜12時あたりに男のもとに来た。
 
 

小さき童を先に立て

 

男はた寝らざりければ、外の方を見いだして臥せるに、
月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて、人立てり。

 
男はた寝らざりければ
 男もまた寝られないでいたところ、
 

 はた:上述の女と同様の用法(~もまた)
 「はたいと逢はじともとも思へらず」
 つまり女と同様にという、特有の意味。
 

外の方を見いだして臥せるに
 外の方を見ながら寝ていると、
 

月のおぼろなるに
 月のおぼろな所に
 

 :月の光がぼんやりかすんで見える。
 

小さき童を先に立てて人立てり
 小さい子供を供に先に立てる人が立っていた。
 
 なぜ童がいる? ここは極めて大事。
 あらすじ参照。
 
 

寝ずなり

 

男いとうれしくて我が寝る所に、率ていり、
子一つより丑三つまであるに、まだ何事も語らはぬに、
帰りにけり。 男いと悲しくて、寝ずなりにけり。

 
男いとうれしくて
 男はとても嬉しくなって
 

我が寝る所に率ていり
 自分の寝る所まで連れて入り
 

子一つより丑三つまであるに
 12時辺りから2時までまだ間はあったのに
 
 子一つで、童もここにいることを暗示。無視しないように。
 

まだ何事も語らはぬに
 まだ何も語ってないのに(?)
 
 互いに沈黙しあってという訳は意味不明。2時間近くも沈黙して、もつわけない。
 

帰りにけり
 帰ってしまった。
 
 語らえ(寝れ)なかったから。童がいて。
 それ以外に帰る理由がない。わざわざこの時間に来て。
 

男いと悲しくて寝ずなりにけり
 男はとても悲しくて寝れなかった。
 
 

シーン3:さかづきの皿

 
 

おもほえず

 

つとめていぶかしけれど、わが人をやるべきにしもあらねば、
いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、
女のもとより言葉はなくて、
 
君やこし 我や行きけむ おもほえず
 夢かうつゝか 寝てか醒めてか

 
 ※この歌は古今645に収録され、歌の相手を業平と認定するが誤り。この認定からも、古今の業平認定に、悉く根拠がないことが確実になる。
 なぜなら、このような密室の、しかも極めてプライベートな内容は当事者しか知りようがないから。まして人目を憚った逢瀬としているのに。
 なぜ業平が相手と判明した? どうやって? 自ら吹聴したのか?
 それが業平の性格かもしれないが、それは昔男の性格とは相容れない。
 徹底して自らを秘め、初段がしのぶ歌から始まり、65段で全く人目を忍ばない在原を非難し、本段でも人目を忍び、静めんとする描写。
 こうした整合性を全く無視している。
 
 業平という認定は、古今が伊勢を参照したから以外ない。そして伊勢は業平の話と目されていた(今もだが)。
 しかしその見立てが根底から誤り。上記の理由で。他にも根拠は数え切れないほどあるが、この点は成立著者を参照されたい。
 (冒頭に二条の后の話があることから安易に業平の話と決めつけた。しかし二条の后の噂自体ただの噂で根拠がない、それが6段の説明)
 
 末尾で斎宮の出自を間接的に確定させているのは、二条の后と同じ理由。下卑た憶測を排除するため。しかし無視どころか逆効果。
 後宮で女につきまとったケダモノに斎宮が惹かれ一夜で孕まされたなどと驚天動地の妄想を吹聴。下劣な人達には何を書いても効果はないのであった。
 
つとめていぶかしけれど
 翌早朝、全く心が晴れず、斎宮の様子が気がかりであったが
 

 つとめて
 ①早朝・翌朝。
 ②【努めて】できるだけ努力して。
 

 いぶかし 【訝し】:
 ①心が晴れない。気がかりだ。
 ②様子を知りたい。見たい。聞きたい。
 

わが人をやるべきにしもあらねば
 人を立ててやるべきことでもなかったので、
 
 (二人だけの繊細なことなので)
 

いと心もとなくて待ちをれば
 とても心もとなく(朝の見送りの時を)待っていれば
 

明けはなれてしばしあるに
 夜もすっかり明けて少しすると
 

 あけはなれる【明け離れる】
 :夜がすっかり明ける。
 

 しばし 【暫し】
 :しばらく。少しの間。
 

女のもとより言葉はなくて
 女のもとから言葉はなくて(文のみ渡されて)
 

 詞書のない歌→× 意味不明。
 日常の描写で不自然。なぜそのまま見ないのか。
 

君やこし 我や行きけむ おもほえず
 来いというから行ったのに 思いもよらず
 

夢かうつゝか 寝てか醒めてか
 夢か現実か、あれは夢だったのか(男がわれて会おうといったことが)
 
 あれは現実だったのでしょうか?→× そんな子供のような話ではない。
 
 

かきくらす

 

男いといたう泣きてよめる。
 
かきくらす 心の闇に まどひにき
 夢現とは こよひ定めよ
 
とよみてやりて、狩に出でぬ。

 
男いといたう泣きてよめる
 男とても泣いて詠んだ。
 

かきくらす
 悲しみのあまり
 

 かきくらす 【搔き暗す】
 :あたり一面暗くする。心を暗くする。悲しみにくれる。
 

心の闇に まどひにき
 心の闇で 惑い隠せず(覆っているのに)
 

夢現とは こよひ定めよ
 夢かどうかは、今夜定め夜
 
 つまりいや本気だ、また会おうという話だが、夢とかじゃなくて、あやまらなきゃね。
 でも、やはりすべきことはするしかない。
 

とよみてやりて狩に出でぬ
 と詠んでやって、狩(のお供=使い)に出た。
 
 

かみかけたる

 

野にありけれど心はそらにて、こよひだに人しづめて、いととく逢はむと思ふに、
国守、斎宮のかみかけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、
もはら逢ひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、
男も人知れず血の涙を流せどもえあはず。

 
野にありけれど心はそらにて
 野の空にいたとかけ、心も空っぽで
 

こよひだに人しづめて
 今夜こそ、人(童)を静めて
 

いととく逢はむと思ふに
 早く早く逢わなきゃと思ったが、
 

 これは、挽回以上のものがある。
 それが後述の「かみかけたる」と、斎宮のいう「江にし(縁)」。
 

国守
 国司が
 

 国守=国司
 

斎宮のかみかけたる狩の使ありと聞きて
 斎宮の神とかかった狩の使がいると聞いて、
 

 かみかけたる:神がかり。
 

 つまり、その関係は公認と見ることもできるが、それよりもこうみれる。
 つまり、このかかりを著者が意識していたという表現。一般的な因果の話ではないので、神がかり。
 

夜ひと夜酒飲みしければ
 その夜一晩中晩酌につきあって
 

もはら逢ひごともえせで
 最早会うこともできずに
 

 もはら 【専ら】:まったく
 という言葉があるが、最早でいいだろう。それで「いととく逢はむ」とセットになるので。
 

明けば尾張の国へたちなむとすれば
 明日は尾張の国に発とうということになり
 

男も人知れず血の涙を流せどもえあはず
 男も人知れず血の涙を流したが、(どうしても)会えず。
 
 

江にし

 

夜やうやう明けなむとするほどに、
女方よりいだすさかづきの皿に、歌を書きていだしたり。とりて見れば、
 
 かち人の 渡れどぬれぬ 江にしあれば
 
と書きて、末はなし

 
夜やうやう明けなむとするほどに
 夜が次第に明けようとするころに
 

 やうやう【漸う】:次第に
 

女方よりいだすさかづきの皿に
 女の方から出してきた盃の皿に
 

歌を書きていだしたりとりて見れば
 歌を書いて出してきたのを取ってみれば、
 
 いだしを続けて、女から来たことを強調。
 つまり向こうもあれこれ考えていた。この時間に来るということは寝られなかった。
 
 以下は、続末の盃で有名な歌。
 

かち人の 渡れどぬれぬ 江にしあれば
 歩く人の 渡って濡れない 江(えにし)がもしあれば
 (反語+仮定(願望)。しかしこれは文脈において決まる著者の暗示であり、語義から一義的に決まるのではない)
 
 あろうか、いやない。普通に考えれば、それでもあってほしい、だから渡している。
 
 ここはかなりの掛かりを見せるので、あらすじでの解説も合わせ参照して欲しい。
 ありえんエンでもあるならば。というのはまあ表面的ところ。
 

 かち 【徒・徒歩】:歩き。

 「かち」を歩いて行くことと、徒(いたずら)とかけ、勝手して去っていく人。
 

 江にし:広い川の江とエニシのエを掛けている。
 えにしは、古(いにしえ)とかかるエン(縁)のこと。今生の縁ではない。だからすぐ夫婦のようになっている。
 前世の暗示が、盃が出てきた60段(花橘)の宇佐の使と、別れた夫婦。それと同様の構図の62段(古の匂は)。
 
 濡れない川+エ=江。つまり川=氵エニシ。山風と嵐(百人一首22参照)。つまりこれは斎宮の気持ちを翻案した、文屋の作。
 文屋は縫殿。後宮に仕えている。だからそれを暗示し女方と書いている。だから本段のように帝のプライベートに近い(身分の高さによるのではない)。
 百人一首22は、よく失礼なのにばかにされているが、少しひねると誰も読めない、それは本旨を誰も理解していないから。
 表現を極限まで詰め、端的に表現する技術。それが漢字の発想・成り立ち。
 
 六歌仙と称されているのは、伊勢を記した実力者だからであり、業平は噂に乗じてその成果にのっかっただけ。何も実力はない。
 伊勢では至る所でそう説明されている(77段、82段、101段)。
 後宮で女に拒絶されてもつきまとって流されるほど理性がない「在原なりける」(65段)には、こうした掛かりを詠むことは絶対不可能。それが理。
 
 

と書きて末はなし
 と書いて末はない。
 

 つまり続きを考えてと。良い展開。
 
 

続松の炭

 

そのさかづきの皿に、続松の炭して歌の末を書きつぐ。
 
 またあふさかの 関は越えなむ
 
とて、明くれば、尾張に国へ越えにけり。

 
そのさかづきの皿に
 

続松の炭して
 続きを待つとかけて、その炭で
 

 続松(ついまつ)
 :たいまつ=松明(≒しょうめい)=照明。
 

歌の末を書きつぐ
 歌の末を書き足した。
 
 一緒の盃を用いることは、夫婦の証。
 

またあふさかの 関は越えなむ
 また会うさかい。(何度)籍をこえても。
 

 逢坂の関はそのために用いられる小道具。
 

 なお、籍は結婚も当然意味するし、人生の記録も意味する。
 

とて明くれば
 として朝が明ければ
 

尾張に国へ越えにけり
 尾張の方に行って、この話は終わり。
 
 

注記

 

斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬の親王の妹。

 
 
斎宮は水の尾の御時
 
 

文徳天皇の御むすめ惟喬の親王の妹
 
 恬子内親王
 水尾(清和)しつつ、あえて先代を出していることから、この人が斎宮の「親」。でなければ出す意味がない。
 
 文徳・恬子(やすこ・てんし)と、使いの人との名前のかかり。これが、「斎宮のかみかけたる、狩の使あり」。
 
 冒頭の「常の使よりは、この人、よくいたはれ」発言は、60段62段における、妻を連れて行って使う新しい人とリンク。
 (加えて、60段は宇佐という天皇の地位を危うくさせた場所にまつわるものだった)
 つまり本来仕えるべき主が違う。だからこういう現状(天照参照)。
 
 だから名を出さずとも影響力がある(竹取。そして天人)。
 だから、そこに変な名を連発して居座るのは、取り除かねば。
 著者でないものは、どれだけ時間がたとうと著者ではない。どうせ意味もわからない。