源氏物語 主な登場人物のモデル

概要 源氏物語
主な登場人物のモデル
和歌一覧

 

 源氏物語は「光る君の物語」という異称もある位、その登場人物は光源氏を中心に構成されている。

 したがってその主要人物達を源氏と切り離して論じても意味はないし、源氏か誰なのか、周りの人物と全く照らし合わせられないなら、現状のように何とでも言え大した意味はない。虚構だから大した意味はないというのは、視野が狭くて意味の連関を見れてないだけ。それをここで証明する。

 

 一人のしかも一部の属性だけ見て、源氏の主人公モデル性を論じるのは、異論は無視する単なる思い込みでしかない。

 いわば品詞分解しまくり全体像を理解した気になる、典型的な日本的近視眼解釈(群盲象を評す)。

 栄華という表面的現世利益的一面しか見ず、他の際立った象徴的属性(低いのに取り立てられ周囲にやっかまれた出自、類ない美貌評、光と並び立つ輝く日の宮、地方に流れて無位無官、221首という突出した歌人性、前世から因縁の度重なる強調)は全く無視。

 

 現状は専ら源氏が誰なのか、断片的な一つの属性だけ見て論じているに過ぎないので、その情況を整理してここで改める(結論だけ示しても受け入れることが難しい人もいるだろうから、まずは従来の議論の流れと至らなさをまず説明する)。

 結論だけ見たい方は、下の目次に飛んでほしい。

 

概要

 

 

 源氏のモデル候補として、巷では大河ドラマとその題名が恐らく暗示する道長説が極めて有力に流布しているが、学説においては、光孝天皇、源融、源高明らが有力な候補で、おまけで在原業平。通説と言えるものはなく、またこれら以外は適当な思いつきの泡沫候補。

 

 そして道長という俗説には、以下に示すような上記学説を上回る根拠、道長でなければ通らないと言えるような必然の根拠は何もなく、安易な思い込みの域を出ない。

 

 伝統的には、①源融、②光孝天皇が主たる候補、加えて③業平。特に①②は、大抵の学説ではまず紹介される。

 

 その根拠は第一に①②の名前、高い地位、いずれも百人一首にとられるほど有名な和歌をもつこと(ただし伊勢物語の記述から自作ではなく、いずれも伊勢物語で著者が提供した和歌。これは独自説だが100%確実に論証できる)。

 特に①は六条に邸宅を構えて、源平戦の陣営にもなった源氏の象徴的存在である。

 さらに第二に、源氏物語は伊勢物語の影響を極めて強く受けて書かれているところ(伊勢物語の最初の和歌の歌詞に「若紫」があり、源氏の『若紫』巻にはその文脈とリンクする垣間見文脈がある)、①②③の人物は全て伊勢物語に登場すること(その文脈は、いずれも名もなき人物が歌を提供するというもので初段・81段(源融)・114段(光孝)、業平は和歌はもとより歌を詠めず強いて詠ませたならこのようであったとあり(109段:もとより歌のことは知らざりければすまひけれど、強ひてよませければかくなむ)、普通に見れば、伊勢物語の歌は全て著者たる昔男の代作で翻案。なお独自説)。

 

 ③業平はその伊勢物語の著者と目された主人公で、その根拠は、古今の業平認定を元に文脈を無視して無名の「昔男」に一方的に代入されてきたことにあるが、そもそもこの業平認定、伊勢物語の業平著者・主人公説は従来そういうものと「みなし」てきたように、噂だけが根拠で事実の根拠はない(当初は伊勢物語を業平歌集と丸ごとみなしてその歌を業平認定していたが、情報共有が進んで維持できなくなり、その時点で業平認定の根拠は失われたが、歴代学説はその失態を認められない)。つまり道長説的な根拠のない安易な思い込みによる誤認定なのだが、歴代の貴族付き御用系学者達は単に頭が悪かったことによる過ちと認められず正当化を続け、伊勢物語の一体作品性を散々破壊して無秩序化し、不備は悉く作品のせいにし筋の通せなさを顧みず、着地点のない論を立てて高等な議論が進んだ風を装っている。このように③業平説は実際の内実や記録が全く伴ってないので、源氏物語の主人公説では影響力が全くない。

 

 ④源高明説は、これらの内実のなさを総合するために提唱された代替案で、その実は、ある程度の皇族なら誰にもある高い評判という程度で、当然ながら当初の主候補を上回る多角的実態がない(現代の源氏相当男子と、その取り巻きによる立派な風貌や傑出した学力等の評の意義と動機を想起してもらいたい)。

 

 この流れで出て来た説が、⑤道長説。

 これは生来、源高明以上の代替案に過ぎず、当てはまりそうな人物を次々挙げているに過ぎない。現実世界を描写した『紫式部日記』での道長の描写を、この国得意の文言を自在に曲げる「解釈」能力で、「恥ずかしげ」という一貫した批判を自分の卑下だと全力で曲げ、容姿を褒めた描写も全くないのに美化礼賛し、恋愛関係にあったと見る妄想説。よって源氏の人生は、⑥道長より道長父に似ているという説も派生する(当否は論ずるまでもない)。

 

 伊勢物語の昔男が誰なのか、つまり永年、立場ある学者達が真摯に向き合ってこなかった古文和歌史上最大の問題を明らかにすれば、源氏物語の主要な人物を矛盾なく説明できる。それをここで証明する。

 それは縫殿にいた文屋で、縫殿という後宮女官担当部署にいたから女達の話題に通じ、竹取のように上流貴族皇族が女に群がりそれを滑稽に描く動機があり、竹取と伊勢物語を象徴する衣、「羽衣」「若紫のすりごろも」「狩衣」「唐衣」と多用する根拠がある。「文屋」もゴシップ屋という意味。業平・在五中将にはこのような内実が一切ない。ただ稀に見る淫奔性で押し通しているに過ぎず、知的な文才の根拠も全くない。

 だから源氏物語では、竹取と伊勢を並べた絵合で「在五物語」とせず「伊勢物語」と定義し、主人公の名を業平の名で貶めるなと激しく争い、絵を買い漁った中将陣営を負かし(これは「ちはやぶる」の屏風の揶揄と見る)、伊勢物語を擁護した伊勢斎宮に付いた自筆の主人公陣営を勝利させる。

 

 自分で作れる実力者なら、馬には読めず大した文も書けないことはわかる。自分で作れないから、そのような論を立てれるのである。

 

 


 
目次
光る源氏:伊勢物語の昔男=文屋=伝説の歌仙=輝くかぐや(小町)と並び立つ→密通。歌数221。
夕霧:主人公唯一の公式嫡子(朝康)。光の陰で影薄い。妻の雲居雁も同旨の名。源氏の世で歌数37。
 
頭中将在五中将=業平。主人公と永遠のライバル。歌数17。
柏木:頭中将の息子で夕霧のライバル(業平息子・棟梁
:中将の孫(元方=なぜか古今先頭で調子にのる場違い男)
 
六条御息所二条の后東宮の御息所が枕詞で文屋が仕えた女性)=伊勢物語で車とセットで車争い
 
藤壺:かがやく日の宮=月に行った不死壷のかぐや=小町=光を放つ衣通姫のりう
梅壺伊勢121段・梅壷を受け伊勢物語の継承を象徴(源氏では前伊勢斎宮を梅壺に入れる)
朧月夜伊勢69段「狩の使」の斎宮との夜の象徴=斎宮の源氏に対する分身
桐壺:伊勢物語の梅壷に加え藤壺(竹取)と三位一体で源氏物語を象徴。内裏で対の配置
 
:幼馴染の筒井筒・梓弓(伊勢23~24段)で早世した妻。里の女
花散里:葵の分身。伊勢94段=紅葉も花も(散るもの)
紫の上伊勢41段の紫・上の衣(藤原の娘に贈る話)。源氏の話は41巻まで。紫式部も藤原の娘
明石の君伊勢114段・須磨のあま。よって明石父母は入道で尼
明石の姫君:伊勢87段・布引の滝で三宮辺りの昔男の家にいた謎の女子
 
玉蔓:玉葛という伊勢36段の変化形。玉葛(つる草)=長いだけで実りない・結ばれない(恋)
 
源氏物語の趣旨:無名の昔男の擁護復権と、その死後主人公気取りで乗っ取る中将系列の断固否定
 

源氏親子

 

光る源氏(ひかるげんじ)
主人公。伊勢の主人公・むかし男=文屋の生まれ変わりで伊勢竹取の著者。光は竹取のかぐやの光を受けている(絵合)。
根拠:色恋の話と言われるが、まじめという描写。皆を黙らせ感涙させるという「須磨」日記の描写。一般に色恋の話とされるのも伊勢の投影。
絵合での「伊勢の海の深き心」「年経にし伊勢をの海人の名をや沈めむ」→無名の伊勢の著者。
しばしば源氏のモデルの筆頭とされる光孝および源融の歌を詠む描写も伊勢にはある(歌担当の卑官)。つまり両名の百人一首の歌は文屋の代作。
光る源氏は卑しい出自なのに傑出した才が根底にあり、帝の血筋(朱雀帝~匂宮)と、権力中枢(弘徽殿・中将ライン)とは、根本的に相容れない。
 
夕霧(ゆうぎり)
朝康。
主人公と葵との唯一の子で長男。
根拠:朝と夕は基本的な対であり、源氏では他に夕顔・朝顔もある。そして文屋の息子として認知されているのは朝康だけ。伊勢96段では昔男に子があったとされる。
全く問題ない嫡出なのに影が薄い。試験の描写は文屋(判事)の学才に関連付けた表現と見る。なお貴族は世襲なので、基本的に実力を重んじられると都合が悪い。
ちなみに、文屋の和歌はほとんど朝康の作という言いがかりレベルの難癖が実に多数、出版されている本も含めて流布しているが、これは二条の后に仕えて歌を詠んだ証拠と東下りの三河行きの記録が古今にあり、女物の衣を詠む根拠のある縫殿勤務の記録など、極めて強い伊勢物語の昔男性を認めず、排斥するために当時から流布された貴族的な(後先考えてない頭の悪い)風説という他ない。文屋には身分も家名もなく、六歌仙として有名になる根拠が和歌の実力しかない。そして二世歌人の存在は、極めて傑出した親の才能の裏付けでもある。
 

頭中将親子

 

頭中将(とうのちゅうじょう)
主人公の積年のライバル、業平。在五中将。
根拠:業平も在五中将も絵合で直接言及される。かつその絵合の巻で中将は小細工を弄し、女達の間で業平論争が起き騒乱が起こり、否定され負ける。
納言(=頭将。中将はあからさまなので変えている)、聞きたまひて、あくまでかどかどしく今めきたまへる御心にて、「われ人に劣りなむや」と思しはげみて、すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに描き集めさせたまふ。
古を重んじる源氏の「今めき」は、良い意味ではない。「いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ」と対比させている。
かつこの描写は「ちはやぶる」の歌の詞書の屏風を象徴している(業平と認定される古今の歌は全て伊勢によるものしかない。つまり公は伊勢を一般の噂通り業平歌集とみなした。しかし誤り。唯一伊勢になく宙に浮いている屏風。二条の后とセットにされ伊勢からは離れられない。伊勢がなくなれば業平には何もない。ただ屏風とあるだけ。しかも直前の素性と完全同一の詞書。つまりオリジナルではない。それがここでの見苦しい中将の行動。伊勢を熟読していれば、伊勢の歌・ちはやぶるが業平の歌ではありえないことはわかる。つまり屏風というのが陳腐な捏造というのはわかる。まして紫)。
百人一首17は業平の歌とされているが、それは伊勢の歌というだけで一方的にみなされてそうなったのであり、業平の歌ではない。
それが上記の業平を崩す貫之の配置と、紫の描写と、伊勢自身による在五の非難(63段)と、歌をもとより知らないとする101段。
 
柏木(かしわぎ)
頭中将の子。業平の子の棟梁(むねはり)。
根拠:梁に香柏を用いた柏梁台に因む。これは史記時代の故事で、源氏は史記に直接言及している。
→「ただ四、五月のうちに、『史記』などいふ書、読み果てたまひてけり」(乙女)。
 
薫(かおる)
頭中将の孫、つまり業平の孫の元方。
源氏の後継として生まれた、柏木の密通子。
この薫が源氏の死後、匂宮と並びながら、匂宮のように巻名にもならないのに、それに勝って主人公的に描かれる特別な人物で、帝に重用されたとされながら、延々否定されて物語が終わるのは、元方が和歌を嗜む者にとって絶大な影響を持つ古今和歌集で業平も差し置いて先頭になりながら、その実態がない問題人物だったことによる(ちなみに和歌史的に重視されているのは業平で、元方は百人一首にすら選ばれない)。
元方が古今先頭になったのは、貫之が同様に空虚な業平ムーブをひねって沈静化させるためで(古今2は貫之)、元方に実力があったからではない。
よって源氏の死後、匂兵部卿(源氏の孫)という巻名にもかかわらず、薫一首しかないちぐはぐな巻から始まる。
薫は世間的に評価されないが実は良い奴とかいう専ら男目線の評は妄想としてはありでも、著者的には全く素養のない人の見立てで筋違い。
 

前世の因縁

 

六条御息所(ろくじょうみやすんどころ)
伊勢物語の二条の后。
源氏の世界での伊勢斎宮の母。
根拠:まず何条がつく人物であること。
二条の后は、伊勢では車とセットで描かれること。伊勢で車に乗ると明示された女性は彼女(76段)と斎宮だけ。明示されない女性も二条の后。
だから六条御息所と葵の車がすれ違って騒動になった車争いは、妻と女の因縁のエピソードといえる。
伊勢の昔男は「二条の后に仕うまつる男」(95段)だったので。一般はこれをここだけ突如出現した男と解するが、無理すぎる。
六条は源氏の住所。
 
藤壺(ふじつぼ)
小町=かぐや。
だから光る(君)と並び立つ存在とされる、かかやく日の宮(かぐやでかがやく)。
根拠:竹取最後の壷なる不死の薬にかけている。かぐやは承知の通り光る。
「かぐや姫…ひとつ家の内は照らしけめど、百敷のかしこき御光には並ばず」は、絵合で負けさせる方の評だが、並び立つとしていないのが間違い。
「光る君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ」(桐壺)
そしてかぐやのモデルが小町。小町針という言い寄る男達を徹底拒絶したエピソード。
なぜ帝や上達部の女への素行を描けたかというと著者が女所にいたから。そんな人物は文屋しかいない。卑官で出世はないから突き放して描ける。
そしてそれは権力への嫉妬などではない(そんな下賤の価値観はどうでもいい)。というのが紫の「かくや姫の…契り高く」「伊勢の海の深き心」。
 
源氏は伊勢竹取の最後で、不死壷・梅壷でセットにした。
そして双方に出てくる、かませの中将(頭中将=在五中将)。
絵合でも二作品並べ、梅壺陣営に凡人には及ばない・はかれないとすることからもそう言える。
彼女が主人公と並び立つとされつつ、主人公のヒロインではなく、帝のお手つきなのは、竹取の内容を受けている。
そして文屋と小町のミックスはありえないほどの奇跡なので(織姫・彦星)、子の冷泉帝は源氏の生き写しとされ、実際の冷泉は気が触れている。
文屋と小町が別格であるのは、貫之による古今の配置にも示される。
文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続業平は恋三で敏行により連続を崩すという。しかしこれを認めたのは貫之と紫だけ。
 
梅壺(うめつぼ)
かつての伊勢斎宮。
伊勢とのリンクを象徴させた存在。彼女が出てくる時は確実にその意味がある。
前斎宮に梅壺が当てられたその巻で、左右に分かれて伊勢竹取の意義を争わせ、かつ梅壺方に勝利させる。
(「左、勝つ」。万事直接言明しない源氏で、このように端的に言うのは異例)
負けた方は、竹取はそこまで言う(凡人は及ばない)ほどではなく、伊勢も業平・在五中将の名を貶めていいのかというもの。つまり一般の見解。
 
朧月夜(おぼろづきよ)
伊勢斎宮の夜の部分。
伊勢の狩の使(伊勢69段)での夜の彼女。
昔男(文徳帝の歌番文屋)が斎宮(帝の娘)と朧月夜に会ったことに掛かっている。
「男はた寝らざりければ、外の方を見いだして臥せるに、月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて人立てり。 男いとうれしくて我が寝る所に率ていり、子一つより丑三つまであるに、まだ何事も語らはぬに帰りにけり。男いと悲しくて寝ずなりにけり」。これが69段の秘密の核心部分。
源氏では彼女は権力中枢の女性(右大臣の娘・弘徽殿の妹)で、源氏と逢ったことが公が問題にし、都から須磨明石に流れた(追放された)のは、この69段が世間一般に物議をかもしたことを受けている(ただし斎宮との接触が禁忌だったのではない。禁忌ならそんなこと書きなどしない。紫以上に情況をぼかして人目忍ぶが信条の著者が。徹底して非難した在五ですら、直接の非難はおさえにおさえた著者が。著者の身元が問題だった。桐壺冒頭と同じ構図)。
権力中枢なのに朧月夜という、一見おかしな(重みを感じさせない)名称で、そこまで源氏を動かす要因になるなど、これ以外の理由を見つけることは難しい。
それを受けて、梅壺とそういう関係(どういうことかは明言されない)になるなと、母の六条御息所に念押しされる。
 
桐壺(きりつぼ)
女所に仕えた文屋の境遇。
主人公の母。しかし女所に仕えた文屋の境遇を象徴させている。
卑しい出自なのに「すぐれて」帝の格別の庇護を受けるも、それにより周囲に妬まれ貶められ死亡。これが女所で帝の私生活に近かった文屋の境遇。
根拠:伊勢末尾の梅壷を受けて桐壺。その根拠:源氏で梅壺に伊勢斎宮を当てること。
女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ」。
この一連の内容は、女所の男をめぐる男達の嫉妬と読んで何も問題ない。
だから現在至るまで伊勢が頭の著しく軽い業平の話にすりかえられ、竹取の著者こそ幼いなどと現代の学者に評され、文屋の作は内容をまるで読めない人々に嘲笑される。ここまで軽んじられながら盤石で残る、そんな、ばかみたいな扱いを受ける古典が外にあるか。これは当時からの因縁。
 

前世の因縁2:妻達

 

葵(あおい)
主人公の最初の妻。伊勢23段・24段の筒井筒=梓弓で早世した幼馴染の女。
根拠:最初の特別な幼な妻で、かつ早世する点で合致。それが幼馴染の筒井筒と梓弓の内容。しかも葵巻での死に際に、夫婦は前世からの因縁でめぐり逢うものと語る。
彼女が中将の妹というは、伊勢との掛かりを示しているが、梓弓と中将は全く関係なく、筒井の田舎のわたりする人の子どもの男女の話。
梓弓の女と業平を結びつける見立てもあるが100%誤りで、それは伊勢を業平のものとみなしたことによる。
 
花散里(はなちるさと)
葵の代わり身。
葵が果てた直後、突如出てきて源氏が昔を偲ぶ女性。
伊勢94段の「紅葉も花も」とかけ内容もリンク。いずれも散るものという意味(もみじも花も、ともにこそ散れ)。
かつ紅葉の色とも対比する葵。だから葵・賢木(葵が死んで六条が伊勢に下った話)と続いた直後、花散里の巻が出てくる。
伊勢94段は、梓弓で果てた妻が回想で出てくる唯一で最後の段。
里は田舎。伊勢においては古里・春日に掛けた、ふるさとの筒井。
花散里での「ほど経にける、おぼめかしくや(おぼつかなく思われる)」とあるが源氏では初出で説明しているから、経にけるのは伊勢の内容。
 
花散里は、短いのに源氏において最も伊勢の言葉に満ちている。
「橘の香をなつかしみ ほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ」
「人目なく荒れたる宿は 橘の 花こそ軒のつまとなりけれ」
 
橘の香は、伊勢における夫婦の前世を象徴するアイテム(伊勢60段・花橘)。ここでの「つま」はその意味。浮舟の部分でもこの意味で用いている。
ほととぎすの由来説明が43段死出の田長)、荒れたる宿は一般に58段の題とされている。
続く59段(東山)で死を連想させること(ものいたく病みて、死に入りければ)とつながる。からの60段の花橘。
 
この59段の冒頭「むかし、男、京をいかゞ思ひけむ山に住まむと思ひ入りて」は、9段下りの冒頭を受けている。
「むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめにとて往きけり。
東山にスマンと思ったのは梓弓が果てた清水があるからで、東に下ったのは妻が果てて仕送りの用がなくなったからで、古来(古事記以来)、東は吾妻(妻問=妻恋)にかかるからである。紫は「鏡の神」と歌い(玉蔓)、これは古事記で神器を下した最高神、高木(天中主神の分神)を意味する言葉。
そして物語最後の浮舟がこれまた突如、一人だけ東国で育ったという設定で、かつ花橘の歌になぜか心が動かされるという設定はこういうわけである。
しかし浮舟は紫の代弁者なので紫の分身。尼になるなる言うのも彼女の性質。
 
紫の上(むらさきのうえ)
源氏(昔男)を愛する女性。
源氏(伊勢の昔男)に幼い頃から育てられた。つまり彼女は伊勢を見て育った。
名前の由来は素直に見れば、紫・上の衣という伊勢41段。藤原の女(=紫)が、身分の低い男と一緒になり、大晦日まで洗濯して服を破いて泣く話。
面白話で笑って(赤鼻の女の話)、また感動して泣いた(須磨日記。伊勢でマジ泣きできるような内容は、梓弓とそれを受けた東下り冒頭しかない)。
したがって源氏以外を認められない女になった。その深い心を理解しない一般に、安易な色恋の話と言われるのが許せない。
たしかに色恋の側面があっても、これほどの男ならそれは仕方がない(みんなが好きになって当然なので。という紫の視点。でも心は乱される)。
しかしそれをもって普通のしょうもない男が言い寄ってくる色恋話が認められるわけではない。それが源氏死後、匂宮と薫を徹底拒絶する話。
源氏の栄華を頂点に至らせた直後、厄年という理由で紫が突如心を乱し果てたのは、源氏(出で来はじめの祖=百敷)の威光が衰えるような世では生きている意味がない、意味を見出せないという意味。
浮舟は浮世漂う(現世の)彼女。甘美な夢が終わりをむかえ、苦しみに満ちた現実に引き戻された彼女。
 
明石の君(あかしのきみ)
伊勢112段の「須磨のあま」。
源氏が須磨に流れた先で結ばれる女性。
彼女は姫君ありきの存在。そして姫君は子がいない紫にひきとられる。それはこういう文脈。つまり海の女とかけて生みの女。(??)
一般に明石の君とされるが、原文で明石の君とされるのは、中後半の若菜上下しかなく、多く明石の御方の方が用いられている。また丁寧だろう。
明石の君は、姫君ありきの呼び名。
彼女を「須磨のあま」に掛けていることは、その両親が入道と尼君とされることから確実。
そんな夫婦などまずいないし、それで子をなすのはもっとない。つまり現実にはありえない。
だから入道は信じ難いほど信仰・転生の信念を持っている。それを語らせるのは紫だが、つまりそれが紫の信念。意識・体験は引き継がれるという。
 
明石の姫君(あかしのひめぎみ)
伊勢の昔男の家にいた女子。
源氏と明石の御方の子。明石の姫君はこの子を立てた存在。その母親としての明石の御方。
伊勢での謎の無名の女子が自分でとってきた海藻を出しているから、その母を須磨のあまと見立てた。
伊勢物語で唯一身元が確定できない女子が一人いる。
それが「布引の滝」(87段)で、むかし男の家の女方=台所から海藻料理を出す「その家のめのこども」。
この女子だけが、むかし男近くの存在の中で唯一確定できない。いってみれば一番の謎。
素直に見れば、梓弓との間に朝康とこの女子、二人子がいたとも見れるが微妙。先行する「この男のこのかみも衛府督なりけり」から。
この記述からして自分の子ではない可能性もある(拾い子か、あるばいとの子)。伊勢はこういう違いには絶対意味を持たせている。
なお「男のこ」は、son of Man。boyではない。この点、一般は昔男を業平と見るので「このかみ」を「兄」として行平と見るが絶対無理。そんな用法はありえない。そもそも前提の見立てが完全な誤認なので、それを維持するために派生した議論は論ずる意味がないし、かつ論理上悉く誤り。
彼女も大きくなって明石の御方となり、字の上では判別不能になるが、これは源氏特有の系譜を重視した呼称(中将の系譜は延々中将)。
つまり両者は事実上一体の存在。別々に見ると意味がなくなる。

前世の因縁3:歌詞

 

玉蔓(たまかずら)
玉蔓(玉付きカンザシ)は、伊勢36段:玉葛を変化させた女子。「玉葛」はつる草のことで、いたずらに長いだけで結ばれない・実らない(恋)ということを象徴させた歌詞。