伊勢物語 89段:なき名 あらすじ・原文・現代語訳

第88段
月をもめでじ
伊勢物語
第三部
第89段
なき名
第90段
桜花

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔、地位は賤しいが、品性までは卑しくならんと思っている男が、
 自分より(財や地位で)勝っている人を思いかけ、齢を経た。
 

 人知れず われ恋ひ死なば あぢきなく 何れの神に なき名をおほせむ
 人知れず 恋して死んでも 味気ない どの神に この無名(無念)を申そうか。
 
 ~
 

 こういうことは、どの神の管轄なのか。あ、伊勢じゃない。だからこんなことは言えないな(69段)。
 管轄とは、87段で衛府督、宮内卿とそれぞれの長官(カミ)が出てきたこと(それは背後関係の投影)。
 

 冒頭の「思ひかけ」た人とは、小町に用いた言葉(55段・思ひかけたる女)。
 そして小町と伊勢は微妙な関係にある。
 

 前段での「おほかたは月をもめでじ…つもれば人の老いとなるもの」は、竹取を暗示。
 かぐやは、男達につきまとわれ仕官を拒絶し去った小町の話。小町はそとおりひめの流、つまり織姫。この星の者(土着)ではない。そういう表現。
 これは、37段「色好みなりける女(小町)」の段の「朝顔(牽牛花)」と合わせ確実。三ヶ月で成長云々は、星の知的レベルの話。それで足りる。
 

 他方で、この星のこの国土(国体・母体)の象徴が天照=伊勢。
 なので、小町こと織姫は一瞬宮中にいたが、肌に合わず(織物ではなくチマチマ縫物をして)、すぐ出て行った。
 しかし短い時間でも、実態はほぼ不明なのに国の女性の象徴とされる。つまりここには過ぎた存在。縫殿にいた二人の歌仙。
 

 なぜ小町が宮中にいたかというと、その男の行き先まで、無理して追いかけてきた。七夕伝説の続き。だからすぐ別れ別れ。
 でもこの時は二人だけの恋愛ではなく、一緒に服の仕事をして、二人で恋愛の歌を残したので、十分仕事はした。
  

 無名の男、人知れず。95段に彦星もあるが、それだけでもない。千代(84)と八千夜(22)。
 この組み合わせは万葉にもないこと、及ぼした影響力から古今343の君が代原歌は、この伊勢の著者が作ったと見れる。
 物語での立ち位置も相応だろう。伊勢(国の神体)のための、最高の実力者の無名の男の歌。巫女と盃を交わしている。

 もちろん業平とかいうのは、このレベルに全く関係ない。ないから、そこにのっかって名前を連発して調子こいている。
 たった一人の無名の役人の歌仙の実力に乗じ、次々出現して調子こいたボンボンのうち、最も実力がない一人。
 だから伊勢中で、なんどもダメだししている(在五・けぢめみせぬ・よくもあらざり・その人の名忘れにけり)。だから当時からよほど酷かった。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第89段 なき名 人しれず
   
 むかし、いやしからぬ男、  むかし、いやしからぬおとこ、  むかし。いやしからぬ男。
  我よりはまさりたる人を思ひかけて、 われよりはまさりたる人を思ひかけて、 我よりはまさりたる人を思ひかけて
  年へける。 としへける。 年へにけり。
       

163
 人知れず
 われ恋ひ死なばあぢきなく
 人しれず
 われこひしなばあぢきなく
 人しれす
 我戀しなはあちきなく
  何れの神に
  なき名をおほせむ
  いづれの神に
  なき名おほせむ
  いつれの神に
  なき名おほせん
   

現代語訳

 
 

むかし、いやしからぬ男、
我よりはまさりたる人を思ひかけて、年へける。
 
人知れず われ恋ひ死なばあぢきなく
 何れの神に なき名をおほせむ

 
 
むかし、いやしからぬ男
 むかし(そこまで)いやしくない男が、
 
 むかし男は「身はいやし」(84段)なので、
 いつもの、「むかし男」(著者)ではない、となりそうだが、
 歌の内容、特に「なき名」から、やはり著者ということになる。
 つまり、地位のことではなく品性のことを言っている。
 
 「ぬ」というのは曖昧な表現なので、どちらの要素も含んでいる。
 こう見ると通る。
 
 これは93段(高き賤しき)と対比させた表現。

 むかし、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり
 

我よりはまさりたる人を
 自分より(財力が)まさっている人を
 
 「まさり」は、色んな男女の場合に、しばしば出てくるが、
 25段(逢はで寝る夜)の「ひぢまさりける」と
 後述の「思ひかけ」と合わせて小町。
 
 ここでは、なにが「まさりたる」といえば、「いやし」とからめているので家の財力だろう。
 財ある人を思うなどといえば、あからさまに卑しい。
 そういう文脈ではなく、養える立場になく弱いという意味。
 

思ひかけて年へける
 思いをかけて年が過ぎた。
 
 55段むかし男、思ひかけたる女の、え得まじうなりて
 
 

人知れず われ恋ひ死なば あぢきなく
 人知れず 恋して私が死んでも 味気なく
 

何れの神に なき名をおほせむ
 どの神に この無名(無念)を申そう

 これは14段(陸奥の国)における「そこなる女」、
 「恋に死なずは」という発言から端を発し、
 40段で「女もいやしければ、すまふ力なし」
 「むかしの若人は、さる好けるもの思ひをなむしける。今の翁(→むかし男)まさにしなむや」
 にかかっている。
 
 14段も40段も小町のことを言っているのではないが、抽象化すると、いずれも彼女との話になる。
 
 一体どこの神が、こういうことの管轄なのか、責任神だして。
 伊勢(69段)ですか? じゃあ違う女の子だから言っても無理だわな。
 
 世界の古典には、断固名乗らず「わたし」としか言わない存在がいる。その古い聖典で一番厚い巻が「詩篇」。
 その神は万軍の主とされ、87段「布引の滝」でも、近衛大将(衛府の督・カミ)に歌でからかっているのは、その関係性の投影。
 
 少し前に名前に「条」がつく坊が大将になり、やらかして最後に辞世の句のようなものを詠んだらしいのは因縁を感じる。
 百人一首でも、坊が太政大臣になったケースがあるようだ。しかし坊は存在自体、リーダーに相応しくない。坊は自分のことしか考えられrない。だから坊。