源氏物語 23帖 初音:あらすじ・目次・原文対訳

玉鬘 源氏物語
第一部
第23帖
初音
胡蝶

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 初音のあらすじ

 光源氏36歳の新春の話。

 新春を迎えた六条院は、この世の極楽浄土の如く麗らかで素晴らしかった。

 源氏は春の町で紫の上と歌を詠み交わし、新年を寿いだ。紫の上の下で養育されている明石の姫君に生母明石の御方から贈り物と和歌が届き、源氏は娘との対面も叶わぬ御方を哀れに思う。夕暮れ時、源氏は贈った晴れ着を纏う女君たちの様子を見に花散里玉鬘、さらに明石の御方を尋ね、その夜は明石の御方の下に泊まった。

 二日は臨時客の儀に大勢の公達が訪れ、特に若者たちは噂の玉鬘に皆気も漫ろだった。その後源氏は二条東院の末摘花空蝉を訪問、女君たちの身の回りに気を配った。

 また今年は男踏歌があり、玉鬘も紫の上や明石の姫君と共にそれを見物した。玉鬘は、紫の上から踏歌を舞う内大臣の長男(のちの柏木)と次男(のちの紅梅)を紹介され、御簾越しで弟たちの姿を見て、名乗り出る事が出来ない事をもどかしく思う。

(以上Wikipedia初音(源氏物語)より。色づけは本ページ)
 
目次
和歌抜粋内訳#初音(6首:別ページ)
主要登場人物
 
第23帖 初音
 光る源氏の太政大臣時代
 三十六歳の新春正月の物語
 
第一章 光る源氏の物語
 新春の六条院の女性たち
 第一段 春の御殿の紫の上の周辺
 第二段 明石姫君、実母と和歌を贈答
 第三段 夏の御殿の花散里を訪問
 第四段 続いて玉鬘を訪問
 第五段 冬の御殿の明石御方に泊まる
 第六段 六条院の正月二日の臨時客
 
第二章 光る源氏の物語
 二条東院の女性たちの物語
 第一段 二条東院の末摘花を訪問
 第二段 続いて空蝉を訪問
 
第三章 光る源氏の物語
 男踏歌
 第一段 男踏歌、六条院に回り来る
 第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十六歳
呼称:大臣の君・大臣・殿
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:殿の中将の君・中将の君・中将
紫の上(むらさきのうえ)
呼称:上、源氏の正妻
玉鬘(たまかづら)
呼称:西の対の姫君、内大臣の娘
内大臣(ないだいじん)
呼称:内の大臣
花散里(はなちるさと)
呼称:花散里
明石の御方(あかしのおほんかた)
呼称:明石の御方・北のおとど
末摘花(すえつむはな)
呼称:常陸宮の御方の娘
冷泉帝(れいぜいてい)
呼称:内裏

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  初音
 
 

第一章 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち

 
 

第一段 春の御殿の紫の上の周辺

 
   年立ちかへる朝の空のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根のうちだに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。
 まして、いとど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。
 
 年が改まった元日の朝の空の様子、一点の曇りもないうららかさには、つまらない者の家でさえ、雪の間の草が若々しく色づき初め、早くも立ちそめた霞の中に、木の芽も萌え出し、自然と人の気持ちものびのびと見えるものである。
 まして、いっそう玉を敷いた御殿の、庭をはじめとして見所が多く、一段と美しく着飾ったご夫人方の様子は、語り伝えるにも言葉が足りそうにない。
 
   春の御殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ、生ける仏の御国とおぼゆ。
 さすがにうちとけて、やすらかに住みなしたまへり。
 さぶらふ人びとも、若やかにすぐれたるは、姫君の御方にと選りたまひて、すこし大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束ありさまよりはじめて、めやすくもてつけて、ここかしこに群れゐつつ、歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事どもして、そぼれあへるに、大臣の君さしのぞきたまへれば、懐手ひきなほしつつ、「いとはしたなきわざかな」と、わびあへり。
 
 春の御殿のお庭は、特別で、梅の香りも御簾の中の薫物の匂いと吹き混じり合って、この世の極楽浄土と思われる。
 何といってもゆったりと、落ち着いてお住まいになっていらっしゃる。
 お仕えしている女房たちも、若くて勝れている者は、姫君の御方にとお選びになって、少し年輩の女房ばかりで、かえって風情があって、装束や様子などをはじめとして、見苦しくなく取り繕って、あちらこちらに寄り合っては、歯固めの祝いをして、鏡餅まで取り加えて、千歳の栄えも明らかな新年の祝い言を唱えて、戯れ合っているところに、大臣の君がお顔出しになったので、懐手を直し直しして、「まあ、恥ずかしいこと」と、きまり悪がっていた。
 
   「いとしたたかなるみづからの祝ひ事どもかな。
 皆おのおの思ふことの道々あらむかし。
 すこし聞かせよや。
 われことぶきせむ」
 「とても手抜かりのない自分たちのための祝い言ですね。
 みなそれぞれ願い事の筋がきっといろいろとあるだろう。
 少し聞かせてくれよ。
 わたしが祝って上げよう」
   とうち笑ひたまへる御ありさまを、年のはじめの栄えに見たてまつる。
 われはと思ひあがれる中将の君ぞ、
 とちょっと笑っていらっしゃるご様子を、年の初めのめでたさとして拝する。
 自分こそはと自身たっぷりの中将の君は、
   「『かねてぞ見ゆる』などこそ、鏡の影にも語らひはんべりつれ。
 私の祈りは、何ばかりのことをか」
 「『今からもう見える』などと、鏡餅の姿にもお祝い申し上げておりました。
 自分の願い事は、何ほどのこともございません」
   など聞こゆ。
 
 などと申し上げる。
 
   朝のほどは人びと参り混みて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、御方々の参座したまはむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じたまふ御影こそ、げに見るかひあめれ。
 
 午前中は人々で混み合って、何となく騒がしかったが、夕方に、御方々への年賀の挨拶をなさろうとして、念入りに身づくろいなさり、お化粧なさったお姿は、まことに目を見張るようである。
 
   「今朝、この人びとの戯れ交はしつる、いとうらやましく見えつるを、上にはわれ見せたてまつらむ」  「今朝、こちらの女房たちが戯れ合っていたのが、たいそう羨ましく見えたから、紫の上にはわたしがお見せ申し上げよう」
   とて、乱れたる事どもすこしうち混ぜつつ、祝ひきこえたまふ。
 
 とおっしゃって、ご冗談なども少し交えては、お祝い申し上げなさる。
 

352
 「薄氷 解けぬる池の 鏡には
 世に曇りなき 影ぞ並べる」
 「薄い氷も解けた池の鏡のような面には
  世にまたとない二人の影が並んで映っています」
   げに、めでたき御あはひどもなり。
 
 なるほど、素晴らしいお二人のご夫婦仲である。
 

353
 「曇りなき 池の鏡に よろづ代を
 すむべき影ぞ しるく見えける」
 「一点の曇りのない池の鏡に幾久しくここに
  住んで行くわたしたちの影がはっきりと映っています」
   何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞こえ交はしたまふ。
 今日は子の日なりけり。
 げに、千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。
 
 何事につけても、幾久しいご夫婦の縁を、申し分なく詠み交わしなさる。
 今日は子の日なのであった。
 なるほど、千歳の春を子の日にかけて祝うには、ふさわしい日である。
 
 
 

第二段 明石姫君、実母と和歌を贈答

 
   姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。
 若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。
 北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。
 えならぬ五葉の枝に移る鴬も、思ふ心あらむかし。
 
 姫君の御方にお越しになると、童女や、下仕えの女房たちなどが、お庭先の築山の小松を引いて遊んでいる。
 若い女房たちの気持ちも、じっとしていられないように見える。
 北の御殿から、特別に用意した幾つもの鬚籠や、破籠などをお差し上げになっていた。
 素晴らしい五葉の松の枝に移り飛ぶ鴬も、思う子細があるのであろう。
 

354
 「年月を 松にひかれて 経る人に
 今日鴬の 初音聞かせよ
 「長い年月を子どもの成長を待ち続けていました
  わたしに今日はその初音を聞かせてください
   『音せぬ里の』」  『音を聞かせない里に』」
   と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。
 言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
 
 とお申し上げになったのを、「なるほど、ほんとうに」とお感じになる。
 縁起でもない涙をも堪えきれない様子である。
 
   「この御返りは、みづから聞こえたまへ。
 初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
 「このお返事は、ご自身がお書き申し上げなさい。
 初便りを惜しむべき方でもありません」
   とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。
 いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「罪得がましう、心苦し」と思す。
 
 とおっしゃって、御硯を用意なさって、お書かせ申し上げなさる。
 たいそうかわいらしくて、朝な夕なに拝見する人でさえ、いつまでも見飽きないとお思い申すお姿を、今まで会わせないで年月が過ぎてしまったのも、「罪作りで、気の毒なことであった」とお思いになる。
 

355
 「ひき別れ 年は経れども 鴬の
 巣立ちし松の 根を忘れめや」
 「別れて何年も経ちましたがわたしは
  生みの母君を忘れましょうか」
   幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。
 
 子供心に思ったとおりに、くどくどと書いてある。
 
 
 

第三段 夏の御殿の花散里を訪問

 
   夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなくて、あてやかに住みたるけはひ見えわたる。
 
 夏のお住まいを御覧になると、その時節ではないせいか、とても静かに見えて、特別に風流なこともなく、品よくお暮らしになっている様子がここかしこに窺える。
 
   年月に添へて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲なり。
 今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。
 いと睦ましくありがたからむ妹背の契りばかり、聞こえ交はしたまふ。
 御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。
 
 年月とともに、ご愛情の隔てもなく、しみじみとしたご夫婦仲である。
 今では、しいて共寝をするご様子にも、お扱い申し上げなさらないのであった。
 たいそう仲睦まじく世にまたとないような夫婦の約束程度に、互いに交わし合っていらっしゃる。
 御几帳を隔てているが、少しお動かしになっても、そのままにしていらっしゃる。
 
   「縹は、げに、にほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。
 やさしき方にあらぬと、葡萄鬘してぞつくろひたまふべき。
 我ならざらむ人は、見醒めしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ。
 心軽き人の列にて、われに背きたまひなましかば」など、御対面の折々は、まづ、「わが心の長きも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり」
 「縹色のお召物は、なるほど、はなやかでない色合いで、お髪などもたいそう盛りを過ぎてしまった。
 優美でないと、かもじを使ってお手入れをなさっているのだろう。
 わたし以外の人だったら、愛想づかしをするに違いないご様子を、こうしてお世話することは嬉しく本望なことだ。
 考えの浅い女と同じように、わたしから離れておしまいになったら」などと、お会いなさる時々には、まずは、「わたしの変わらない愛情も、相手の重々しいご性格をも、嬉しく、理想的だ」
   と思しけり。
 こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞こえたまひて、西の対へ渡りたまひぬ。
 
 とお考えになった。
 こまごまと、旧年中のお話などを、親密に申し上げなさって、西の対へお越しになる。
 
 
 

第四段 続いて玉鬘を訪問

 
   まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童女の姿なまめかしく、人影あまたして、御しつらひ、あるべき限りなれど、こまやかなる御調度は、いとしも調へたまはぬを、さる方にものきよげに住みなしたまへり。
 
 まだたいして住み馴れていらっしゃらないわりには、あたりの様子も趣味よくして、かわいらしい童女の姿が優美で、女房の数が多く見えて、お部屋の設備も、必要な物ばかりであるが、こまごまとしたお道具類は、十分には揃えていらっしゃらないが、それなりにこざっぱりとお住みになっていらっしゃった。
 
   正身も、あなをかしげと、ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。
 もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、髪の裾すこし細りて、さはらかにかかれるしも、いとものきよげに、ここかしこいとけざやかなるさましたまへるを、「かくて見ざらましかば」と思すにつけても、えしも見過ぐしたまふまじ。
 
 ご本人も、何と美しいと、見た途端に思われて、山吹襲に一段と引き立っていらっしゃるご器量など、たいそうはなやかで、ここが暗いと思われるところがなく、どこからどこまで輝くように美しく、いつまでも見ていたいほどでいらっしゃる。
 つらい思いの生活をしていらっしゃった間のあったせいか、髪の裾が少し細くなって、はらりとかかっているのが、いかにもこざっぱりとして、あちらこちらがくっきりとした様子をしていらっしゃるのを、「こうして引き取らなかったら」とお思いになるにつけても、とてもこのままお見過ごしできないであろう。
 
   かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、いとをかし。
 
 このように何の隔てもなくお目にかかっていらっしゃるが、やはり考えて見ると、どこか打ち解けにくいところが多く妙な感じなのが、現実のような感じがなさらないので、すっかり打ち解けた態度ではいらっしゃらないのも、たいそう興を惹かれる。
 
   「年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、本意かなひぬるを、つつみなくもてなしたまひて、あなたなどにも渡りたまへかし。
 いはけなき初琴習ふ人もあめるを、もろともに聞きならしたまへ。
 うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」
 「何年にもなるような気がして、お目にかかるのも気が張らず、長年の希望が叶いましたので、ご遠慮なさらず振る舞って、あちらにもお越しください。
 幼い初めて琴を習う人もいますので、ご一緒にお稽古なさい。
 気の許せない、軽はずみな考えを持った人はいない所です」
   と聞こえたまへば、  とお申し上げなさると、
   「のたまはせむままにこそは」  「仰せのとおりにいたしましょう」
   と聞こえたまふ。
 さもあることぞかし。
 
 とお答えになる。
 まことに適当なお返事である。
 
 
 

第五段 冬の御殿の明石御方に泊まる

 
   暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。
 近き渡殿の戸押し開くるより、御簾のうちの追風、なまめかしく吹き匂はして、ものよりことに気高く思さる。
 正身は見えず。
 いづらと見まはしたまふに、硯のあたりにぎははしく、草子どもなど取り散らしたるなど取りつつ見たまふ。
 唐の東京錦のことことしき端さしたる茵に、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いと艶なり。
 手習どもの乱れうちとけたるも、筋変はり、ゆゑある書きざまなり。
 ことことしう草がちなどにもされ書かず、めやすく書きすましたり。
 
 暮方になるころに、明石の御方にお越しになる。
 近くの渡殿の戸を押し開けた途端に、御簾の中から流れてくる風が、優美に吹き漂って、他に比較して格段に気高く感じられる。
 本人は見えない。
 どこかしらと御覧になると、硯のまわりが散らかっていて、冊子類などが取り散らかしてあるのを手に取り手に取り御覧になる。
 唐の東京錦のたいそう立派な縁を縫い付けた敷物に、風雅な琴をちょっと置いて、趣向を凝らした風流な火桶に、侍従香を燻らせて、それぞれの物にたきしめてあるのに、衣被香の香が混じっているのは、たいそう優美である。
 手習いの反故が無造作に取り散らかしてあるのも、尋常ではなく、教養のある書きぶりである。
 大仰に草仮名を多く使ってしゃれて書かず、無難にしっとりと書いてある。
 
   小松の御返りを、めづらしと見けるままに、あはれなる古事ども書きまぜて、  姫君のお返事を、珍しいことと感じたあまりに、しみじみとした古歌を書きつけて、

356
 「めづらしや 花のねぐらに 木づたひて
 谷の古巣を 訪へる鴬
 「何と珍しいことか、花の御殿に住んでいる鴬が
  谷の古巣を訪ねてくれたとは
   声待ち出でたる」  その初便りを待っていましたこと」
   なども、  などとも、
   「咲ける岡辺に家しあれば」  「咲いている岡辺に家があるので」
   など、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。
 
 などと、思い返して心慰めている文句などが書き混ぜてあるのを、手に取って御覧になりながら微笑んでいらっしゃるのは、気がひけるほど立派である。
 
   筆さし濡らして書きすさみたまふほどに、ゐざり出でて、さすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを、「なほ、人よりはことなり」と思す。
 白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、「新しき年の御騒がれもや」と、つつましけれど、こなたに泊りたまひぬ。
 「なほ、おぼえことなりかし」と、方々に心おきて思す。
 
 筆をちょっと濡らして書き戯れていらっしゃるところに、いざり出て来て、そうはいっても自分自身の振る舞いは、慎み深くて、程よい心がけなのを、「やはり、他の女性とは違うな」とお思いになる。
 白い小袿に、くっきりと映える髪のかかり具合が、少しはらりとする程度に薄くなっていたのも、いっそう優美さが加わって慕わしいので、「新年早々に騒がれることになろうか」と、気にかかるが、こちらにお泊まりになった。
 「やはり、ご寵愛は格別なのだ」と、他の方々は面白からずお思いになる。
 
   南の御殿には、ましてめざましがる人びとあり。
 まだ曙のほどに渡りたまひぬ。
 かうしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、名残もただならず、あはれに思ふ。
 
 南の御殿では、それ以上にけしからぬと思う女房たちがいる。
 まだ暁のうちにお帰りになった。
 そんなに急ぐこともないまだ暗いうちなのに、と思うと、送り出した後も気持ちが落ち着かず、寂しい気がする。
 
   待ちとりたまへるはた、なまけやけしと思すべかめる心のうち、量られたまひて、  お待ちになっていた方でもまた、何やら面白くないようなお思いでいるにちがいない心の中が、推量されずにはいらっしゃれないので、
   「あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで」  「いつになくうたた寝をして、年がいもなく寝込んでしまいましたのを、起こしても下さらないで」
   と、御けしきとりたまふもをかしく見ゆ。
 ことなる御いらへもなければ、わづらはしくて、そら寝をしつつ、日高く御殿籠もり起きたり。
 
 と、ご機嫌をおとりになるのも面白く見える。
 特にお返事もないので、厄介なことだと、狸寝入りをしながら、日が高くなってからお起きになった。
 
 
 

第六段 六条院の正月二日の臨時客

 
   今日は、臨時客のことに紛らはしてぞ、面隠したまふ。
 上達部、親王たちなど、例の、残りなく参りたまへり。
 御遊びありて、引出物、禄など、二なし。
 そこら集ひたまへるが、我も劣らじともてなしたまへるなかにも、すこしなずらひなるだにも見えたまはぬものかな。
 とり放ちては、いと有職多くものしたまふころなれど、御前にては気圧されたまふも、悪しかし。
 何の数ならぬ下部どもなどだに、この院に参る日は、心づかひことなりけり。
 まして若やかなる上達部などは、思ふ心などものしたまひて、すずろに心懸想したまひつつ、常の年よりもことなり。
 
 今日は、臨時の客にかこつけて、顔を合わせないようにしていらっしゃる。
 上達部や、親王たちなどが、例によって、残らず参上なさった。
 管弦のお遊びがあって、引出物や、禄など、またとなく素晴らしい。
 大勢お集りの方々が、どなたも人に負けまいと振る舞っていらっしゃる中でも、少しも肩を並べられる方もお見えにならないことよ。
 一人一人を見れば、才学のある人が多くいらっしゃるころなのだが、御前に出ると圧倒されておしまいになる、困ったことである。
 ものの数にも入らぬ下人たちでさえ、この院に参上するには、気の配りようが格別なのであった。
 ましてや若々しい上達部などは、心中に思うところがおありになって、むやみに緊張なさっては、例年よりは格別である。
 
   花の香誘ふ夕風、のどやかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれは誰れ時なるに、物の調べどもおもしろく、「この殿」うち出でたる拍子、いとはなやかなり。
 大臣も時々声うち添へたまへる「さき草」の末つ方、いとなつかしくめでたく聞こゆ。
 何ごとも、さしいらへしたまふ御光にはやされて、色をも音をも増すけぢめ、ことになむ分かれける。
 
 花の香りを乗せて夕風が、のどやかに吹いて来ると、お庭先の梅が次第にほころび出して、黄昏時なので、楽の音色なども美しく、「この殿」を謡い出した拍子は、たいそうはなやかな感じである。
 大臣も時々お声を添えなさる「さき草」の末の方は、とても優美で素晴らしく聞こえる。
 何もかも、お声を添えられる素晴らしさに引き立てられて、花の色も楽の音も格段に映える点が、はっきりと感じられるのであった。
 
 
 

第二章 光る源氏の物語 二条東院の女性たちの物語

 
 

第一段 二条東院の末摘花を訪問

 
   かうののしる馬車の音を、もの隔てて聞きたまふ御方々は、蓮の中の世界に、まだ開けざらむ心地もかくやと、心やましげなり。
 まして、東の院に離れたまへる御方々は、年月に添へて、つれづれの数のみまされど、「世の憂きめ見えぬ山路」に思ひなずらへて、つれなき人の御心をば、何とかは見たてまつりとがめむ、その他の心もとなく寂しきことはたなければ、行なひの方の人は、その紛れなく勤め、仮名のよろづの草子の学問、心に入れたまはむ人は、また願ひに従ひ、ものまめやかにはかばかしきおきてにも、ただ心の願ひに従ひたる住まひなり。
 騒がしき日ごろ過ぐして渡りたまへり。
 
 このように雑踏する馬や車の音をも、遠く離れてお聞きになる御方々は、極楽浄土の蓮の中の世界で、まだ開かないで待っている心地もこのようなものかと、心穏やかではない様子である。
 それ以上に、二条東の院に離れていらっしゃる御方々は、年月とともに、所在ない思いばかりが募るが、「世の嫌な思いがない山路」に思いなぞらえて、薄情な方のお心を、何と言ってお咎め申せよう。
 その他の不安で寂しいことは何もないので、仏道修行の方面の人は、それ以外のことに気を散らさず励み、仮名文字のさまざまの書物の学問に、ご熱心な方は、またその願いどおりになさり、生活面でもしっかりとした基盤があって、まったく希望どおりの生活である。
 忙しい数日を過ごしてからお越しになった。
 
   常陸宮の御方は、人のほどあれば、心苦しく思して、人目の飾りばかりは、いとよくもてなしきこえたまふ。
 いにしへ、盛りと見えし御若髪も、年ごろに衰ひゆき、まして、滝の淀み恥づかしげなる御かたはらめなどを、いとほしと思せば、まほにも向かひたまはず。
 
 常陸宮の御方は、ご身分があるので、気の毒にお思いになって、人目に立派に見えるように、たいそう行き届いたお扱いをなさる。
 若いころ、盛りに見えた御若髪も、年とともに衰えて行き、それ以上に、滝の淀みに引けをとらない白髪の御横顔などを、気の毒とお思いになると、面と向かって対座なさらない。
 
   柳は、げにこそすさまじかりけれと見ゆるも、着なしたまへる人からなるべし。
 光もなく黒き掻練の、さゐさゐしく張りたる一襲、さる織物の袿着たまへる、いと寒げに心苦し。
 襲の衣などは、いかにしなしたるにかあらむ。
 
 柳襲は、なるほど不似合いだと見えるのも、お召しになっている方のせいであろう。
 光沢のない黒い掻練の、さわさわ音がするほど張った一襲の上に、その織物の袿を着ていらっしゃる、とても寒そうでいたわしい感じである。
 襲の衣などは、どのようにしたのであろうか。
 
   御鼻の色ばかり、霞にも紛るまじうはなやかなるに、御心にもあらずうち嘆かれたまひて、ことさらに御几帳引きつくろひ隔てたまふ。
 なかなか、女はさしも思したらず、今は、かくあはれに長き御心のほどを、おだしきものにうちとけ頼みきこえたまへる御さま、あはれなり。
 
 お鼻の色だけは、霞にも隠れることなく目立っているので、お心にもなくつい嘆息されなさって、わざわざ御几帳を引き直して隔てなさる。
 かえって、女はそのようにはお思いにならず、今は、このようにやさしく変わらない愛情のほどを、安心に思い気を許してご信頼申していらっしゃるご様子は、いじらしく感じられる。
 
   かかる方にも、おしなべての人ならず、いとほしく悲しき人の御さまに思せば、あはれに、我だにこそはと、御心とどめたまへるも、ありがたきぞかし。
 御声なども、いと寒げに、うちわななきつつ語らひきこえたまふ。
 見わづらひたまひて、
 このような面でも、普通の身分の人とは違って、気の毒で悲しいお身の上の方、とお思いになると、かわいそうで、せめてわたしだけでもと、お心にかけていらっしゃるのも、めったにないことである。
 お声なども、たいそう寒そうに、ふるえながらお話し申し上げなさる。
 見かねなさって、
   「御衣どもの事など、後見きこゆる人ははべりや。
 かく心やすき御住まひは、ただいとうちとけたるさまに、含みなえたるこそよけれ。
 うはべばかりつくろひたる御よそひは、あいなくなむ」
 「衣装のことなどを、お世話申し上げる人はございますか。
 このように気楽なお住まいでは、ひたすらとてもくつろいだ様子で、ふっくらして柔らかくなっているのがよいのです。
 表面だけを取り繕ったお身なりは、感心しません」
   と聞こえたまへば、こちごちしくさすがに笑ひたまひて、  と申し上げなさると、ぎごちなくそれでもお笑いになって、
   「醍醐の阿闍梨の君の御あつかひしはべるとて、衣どももえ縫ひはべらでなむ。
 皮衣をさへ取られにし後、寒くはべる」
 「醍醐の阿闍梨の君のお世話を致そうと思っても、召し物などを縫うことができずにおります。
 皮衣まで取られてしまった後は、寒うございます」
   と聞こえたまふは、いと鼻赤き御兄なりけり。
 心うつくしといひながら、あまりうちとけ過ぎたりと思せど、ここにては、いとまめにきすくの人にておはす。
 
 と申し上げなさるのは、まったく鼻の赤い兄君だったのである。
 素直だとはいっても、あまりに構わなさすぎるとお思いになるが、この世では、とても実直で無骨な人になっていらっしゃる。
 
   「皮衣はいとよし。
 山伏の蓑代衣に譲りたまひてあへなむ。
 さて、このいたはりなき白妙の衣は、七重にも、などか重ねたまはざらむ。
 さるべき折々は、うち忘れたらむこともおどろかしたまへかし。
 もとよりおれおれしく、たゆき心のおこたりに。
 まして方々の紛らはしき競ひにも、おのづからなむ」
 「皮衣はそれでよい。
 山伏の蓑代衣にお譲りになってよいでしょう。
 そうして、この大切にする必要もない白妙の衣は、七枚襲にでも、どうして重ね着なさらないのですか。
 必要な物がある時々には、忘れていることでもおっしゃってください。
 もともと愚か者で気がききません性分ですから。
 まして方々への忙しさに紛れて、ついうっかりしまして」
   とのたまひて、向かひの院の御倉開けさせたまひて、絹、綾などたてまつらせたまふ。
 
 とおっしゃって、向かいの院の御倉を開けさせなさって、絹や、綾などを差し上げさせなさる。
 
   荒れたる所もなけれど、住みたまはぬ所のけはひは静かにて、御前の木立ばかりぞいとおもしろく、紅梅の咲き出でたる匂ひなど、見はやす人もなきを見わたしたまひて、  荒れた所もないが、お住まいにならない所の様子はひっそりとして、お庭先の木立だけがたいそう美しく、紅梅の咲き出した匂いなど、鑑賞する人がいないのをお眺めになって、

357
 「ふるさとの 春の梢に 訪ね来て
 世の常ならぬ 花を見るかな」
 「昔の邸の春の梢を訪ねて来てみたら
  世にも珍しい紅梅の花が咲いていたことよ」
   と独りごちたまへど、聞き知りたまはざりけむかし。
 
 独り言をおっしゃったが、お聞き知りにはならなかったであろう。
 
 
 

第二段 続いて空蝉を訪問

 
   空蝉の尼衣にも、さしのぞきたまへり。
 うけばりたるさまにはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所得させたてまつりて、行なひ勤めけるさまあはれに見えて、経、仏の御飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしう、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。
 
 空蝉の尼君にも、お立ち寄りになった。
 ご大層な様子ではなく、ひっそりと部屋住みのような体にして、仏ばかりに広く場所を差し上げて、勤行している様子がしみじみと感じられて、経や、仏のお飾り、ちょっとしたお水入れの道具なども、風情があり優美で、やはり嗜みがあると見える人柄である。
 
   青鈍の几帳、心ばへをかしきに、いたくゐ隠れて、袖口ばかりぞ色ことなるしもなつかしければ、涙ぐみたまひて、  青鈍の几帳、意匠も面白いのに、すっかり身を隠して、袖口だけが格別なのも心惹かれる感じなので、涙ぐみなさって、
   「『松が浦島』をはるかに思ひてぞやみぬべかりける。
 昔より心憂かりける御契りかな。
 さすがにかばかりの御睦びは、絶ゆまじかりけるよ」
 「『松が浦島』は遥か遠くに思って諦めるべきだったのですね。
 昔からつらいご縁でしたなあ。
 そうはいってもやはりこの程度の付き合いは、絶えないのでしたね」
   などのたまふ。
 尼君も、ものあはれなるけはひにて、
 などとおっしゃる。
 尼君も、しみじみとした様子で、
   「かかる方に頼みきこえさするしもなむ、浅くはあらず思ひたまへ知られはべりける」  「このようなことでご信頼申し上げていますのも、ご縁は浅くないのだと存じられます」
   と聞こゆ。
 
 と申し上げる。
 
   「つらき折々重ねて、心惑はしたまひし世の報いなどを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。
 思し知るや。
 かくいと素直にもあらぬものをと、思ひ合はせたまふこともあらじやはとなむ思ふ」
 「薄情な仕打ちを何度もなさって、心を惑わしなさった罪の報いなどを、仏に懺悔申し上げるとはお気の毒なことです。
 ご存じですか。
 このように素直な者はいないのだと、お気づきになることもありはしないかと思います」
   とのたまふ。
 
 とおっしゃる。
 
  「かのあさましかりし世の古事を聞き置きたまへるなめり」と、恥づかしく、 「あのあきれた昔のことをお聞きになっていたのだ」と、恥ずかしく、
   「かかるありさまを御覧じ果てらるるよりほかの報いは、いづくにかはべらむ」  「このような姿をすっかり御覧になられてしまったことより他に、どのような報いがございましょうか」
   とて、まことにうち泣きぬ。
 いにしへよりももの深く恥づかしげさまさりて、かくもて離れたること、と思すしも、見放ちがたく思さるれど、はかなきことをのたまひかくべくもあらず、おほかたの昔今の物語をしたまひて、「かばかりの言ふかひだにあれかし」と、あなたを見やりたまふ。
 
 と言って、心の底から泣いてしまった。
 昔よりもいっそうどことなく思慮深く気が引けるようなところがまさって、このような出家の身を守っているのだ、とお思いになると、見放しがたく思わずにはいらっしゃれないが、ちょっとした色めいた冗談も話しかけるべきではないので、普通の昔や今の話をなさって、「せめてこの程度の話相手であってほしいものよ」と、あちらの方を御覧になる。
 
   かやうにても、御蔭に隠れたる人びと多かり。
 皆さしのぞきわたしたまひて、
 このようなことで、ご庇護になっている婦人方は多かった。
 皆一通りお立ち寄りになって、
   「おぼつかなき日数つもる折々あれど、心のうちはおこたらずなむ。
 ただ限りある道の別れのみこそうしろめたけれ。
 『命を知らぬ』」
 「お目にかかれない日が続くこともありますが、心の中では忘れていません。
 ただいつかは死出の別れが来るのが気がかりです。
 『誰も寿命は分からないものです』」
   など、なつかしくのたまふ。
 いづれをも、ほどほどにつけてあはれと思したり。
 我はと思しあがりぬべき御身のほどなれど、さしもことことしくもてなしたまはず、所につけ、人のほどにつけつつ、さまざまあまねくなつかしくおはしませば、ただかばかりの御心にかかりてなむ、多くの人びと年を経ける。
 
 などと、やさしくおっしゃる。
 どの人をも、身分相応につけて愛情を持っていらっしゃった。
 自分こそはと気位高く構えてもよさそうなご身分の方であるが、そのように尊大にはお振る舞いにはならず、場所柄につけ、また相手の身分につけては、どなたにもやさしくいらっしゃるので、ただこのようなお心配りをよりどころとして、多くの婦人方が年月を送っているのであった。
 
 
 

第三章 光る源氏の物語 男踏歌

 
 

第一段 男踏歌、六条院に回り来る

 
   今年は男踏歌あり。
 内裏より朱雀院に参りて、次にこの院に参る。
 道のほど遠くなどして、夜明け方になりにけり。
 月の曇りなく澄みまさりて、薄雪すこし降れる庭のえならぬに、殿上人なども、物の上手多かるころほひにて、笛の音もいとおもしろう吹き立てて、この御前はことに心づかひしたり。
 御方々物見に渡りたまふべく、かねて御消息どもありければ、左右の対、渡殿などに、御局しつつおはさす。
 
 今年は男踏歌がある。
 内裏から朱雀院に参上して、次にこの六条院に参上する。
 道中が遠かったりなどして、明け方になってしまった。
 月が曇りなく澄みきって、薄雪が少し降った庭が何ともいえないほど素晴らしいところに、殿上人なども、音楽の名人が多いころなので、笛の音もたいそう美しく吹き鳴らして、殿の御前では特に気を配っていた。
 御婦人方が御覧に来られるように、前もってお便りがあったので、左右の対の屋、渡殿などに、それぞれお部屋を設けていらっしゃる。
 
   西の対の姫君は、寝殿の南の御方に渡りたまひて、こなたの姫君に御対面ありけり。
 上も一所におはしませば、御几帳ばかり隔てて聞こえたまふ。
 
 西の対の姫君は、寝殿の南の御方にお越しになって、こちらの姫君とご対面があった。
 紫の上もご一緒にいらっしゃったので、御几帳だけを隔て置いてご挨拶申し上げなさる。
 
   朱雀院の后の御方などめぐりけるほどに、夜もやうやう明けゆけば、水駅にてこと削がせたまふべきを、例あることより、ほかにさまことに加へて、いみじくもてはやさせたまふ。
 
 朱雀院の后宮の御方などを回っていったころに、夜もだんだんと明けていったので、水駅として簡略になさるはずのところを、例年の時よりも、特別に追加して、たいそう派手に饗応させなさる。
 
   影すさまじき暁月夜に、雪はやうやう降り積む。
 松風木高く吹きおろし、ものすさまじくもありぬべきほどに、青色のなえばめるに、白襲の色あひ、何の飾りかは見ゆる。
 
 白々とした明け方の月夜に、雪はだんだんと降り積もってゆく。
 松風が木高く吹き下ろして、興ざめしてしまいそうなころに、麹塵の袍が柔らかくなって、白襲の色合いは、何の飾り気も見えない。
 
   插頭の綿は、何の匂ひもなきものなれど、所からにやおもしろく、心ゆき、命延ぶるほどなり。
 
 插頭の綿は、何の色艶もないものだが、場所柄のせいか風流で、満足に感じられ、寿命も延びるような気がする。
 
   殿の中将の君、内の大殿の君達ぞ、ことにすぐれてめやすくはなやかなる。
 
 殿の中将の君や、内の大殿の公達は、大勢の中でも一段と勝れて立派に目立っている。
 
   ほのぼのと明けゆくに、雪やや散りて、そぞろ寒きに、「竹河」謡ひて、かよれる姿、なつかしき声々の、絵にも描きとどめがたからむこそ口惜しけれ。
 
 ほのぼのと明けて行くころ、雪が少し散らついて、何となく寒く感じられるころに、「竹河」を謡って寄り添い舞う姿、思いをそそる声々が、絵に描き止められないのが残念である。
 
   御方々、いづれもいづれも劣らぬ袖口ども、こぼれ出でたるこちたさ、物の色あひなども、曙の空に、春の錦たち出でにける霞のうちかと見えわたさる。
 あやしく心のうちゆく見物にぞありける。
 
 御夫人方は、どなたもどなたも負けない袖口が、こぼれ出ている仰々しさ、お召し物の色合いなども、曙の空に、春の錦が姿を現した霞の中かと見渡される。
 不思議に満足のゆく催し物であった。
 
   さるは、高巾子の世離れたるさま、寿詞の乱りがはしき、をこめきたることを、ことことしくとりなしたる、なかなか何ばかりのおもしろかるべき拍子も聞こえぬものを。
 例の、綿かづきわたりてまかでぬ。
 
 一方では、高巾子の憂世離れした様子、寿詞の騒々しい、滑稽なことも、大仰に取り扱って、かえって何ほどの面白いはずの曲節も聞こえなかったのだが。
 例によって、綿を一同頂戴して退出した。
 
 
 

第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す

 
   夜明け果てぬれば、御方々帰りわたりたまひぬ。
 大臣の君、すこし御殿籠もりて、日高く起きたまへり。
 
 夜がすっかり明けてしまったので、ご夫人方は御殿にお帰りになった。
 大臣の君、少しお寝みになって、日が高くなってお起きになった。
 
   「中将の声は、弁少将にをさをさ劣らざめるは。
 あやしう有職ども生ひ出づるころほひにこそあれ。
 いにしへの人は、まことにかしこき方やすぐれたることも多かりけむ、情けだちたる筋は、このころの人にえしもまさらざりけむかし。
 中将などをば、すくすくしき朝廷人にしなしてむとなむ思ひおきてし、みづからのいとあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかども、なほ下にはほの好きたる筋の心をこそとどむべかめれ。
 もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかめり」
 「中将の君は、弁少将に比べて少しも劣っていないようだったな。
 不思議と諸道に優れた者たちが出現する時代だ。
 昔の人は、本格的な学問では優れた人も多かったが、風雅の方面では、最近の人に勝っているわけでもないようだ。
 中将などは、生真面目な官僚に育てようと思っていて、自分のようなとても風流に偏った融通のなさを真似させまいと思っていたが、やはり心の中は多少の風流心も持っていなければならない。
 沈着で、真面目な表向きだけでは、けむたいことだろう」
   など、いとうつくしと思したり。
 「万春楽」と、御口ずさみにのたまひて、
 などと言って、たいそうかわいいとお思いになっていた。
 「万春楽」と、お口ずさみになって、
   「人びとのこなたに集ひたまへるついでに、いかで物の音こころみてしがな。
 私の後宴すべし」
 「ご婦人方がこちらにお集まりになった機会に、どうかして管弦の遊びを催したいものだ。
 私的な後宴をしよう」
   とのたまひて、御琴どもの、うるはしき袋どもして秘めおかせたまへる、皆引き出でて、おし拭ひ、ゆるべる緒、調へさせたまひなどす。
 御方々、心づかひいたくしつつ、心懸想を尽くしたまふらむかし。
 
 とおっしゃって、弦楽器などが、いくつもの美しい袋に入れて秘蔵なさっていたのを、皆取り出して埃を払って、緩んでいる絃を、調律させたりなどなさる。
 御婦人方は、たいそう気をつかったりして、緊張をしつくされていることであろう。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 あらたまの年立ち返る朝より待たるるものは鴬の声(拾遺集春-五 素性法師)(戻)  
  出典2 野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ(拾遺集春-一九 紀貫之)(戻)  
  出典3 万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば(古今集賀-三五六 素性法師)(戻)  
  出典4 近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(古今集神遊歌-一〇八六 大伴黒主)(戻)  
  出典5 千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代を経む(拾遺集春-二四 大中臣能宣)(戻)  
  出典6 松の上に鳴く鴬の声をこそは初音の日とはいふべかりけれ(拾遺集春-二二 宮内)(戻)  
  出典7 今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなし(源氏釈所引、出典未詳)(戻)  
  出典8 梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鴬の声(古今六帖六-四三八五)(戻)  
  出典9 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)山風の花の香誘ふ麓には春の霞ぞほだしなりける(後撰集春中-七三 藤原興風)(戻)  
  出典10 この殿は もべも むべも富みけり 三枝の あはれ 三枝の はれ 三つ葉 四つ葉の中に 殿造りせりや 殿造りせりや(催馬楽-この殿は)(戻)  
  出典11 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)  
  出典12 落ちたぎつ滝の水上年積もり老いにけらしな黒き筋なし(古今集雑上-九二八 壬生忠岑)(戻)  
  出典13 浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな(拾遺集春-四〇 読人しらず)(戻)  
  出典14 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり(後撰集雑一-一〇九三 素性法師)(戻)  
  出典15 限りある別れのみこそ悲しけれ誰も命を空に知らねば(異本紫明抄所引、出典未詳)(戻)  
  出典16 長らへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身に添はりつつ(信明集-五〇)(戻)  
  出典17 竹河の 橋の詰めなるや 橋の詰めなるや 花園に はれ 我をば放てや 我をば放てや 少女伴へて(催馬楽-竹河)(戻)  
  出典18 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集春上-五六 素性法師)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 御方々のありさま--御かた/\の御まへの(御まへの/$)ありさまとも(とも/$)(戻)  
  校訂2 めやすく--(/+めやすく)(戻)  
  校訂3 どもかな--とも(も/+かな)(戻)  
  校訂4 御ありさまを--御(御/+あり<朱>)さま(ま/+を<朱>)(戻)  
  校訂5 聞こえ--き(き/+こえ)(戻)  
  校訂6 追風--上(上/$追<朱>)風(戻)  
  校訂7 侍従を--侍従(従/+を<朱>)(戻)  
  校訂8 などに--なと(と/+に<朱>)(戻)  
  校訂9 され--さえ(え/$れ<朱>)(戻)  
  校訂10 あはれなる--あはれ(れ/+な)る(戻)  
  校訂11 訪へる--とつ(つ/$へ<朱>)る(戻)  
  校訂12 出で--て(て/$出<朱>)(戻)  
  校訂13 なま--なさ(さ/$ま<朱>)(戻)  
  校訂14 臨時客--りひ(ひ/$む<朱>)しかく(戻)  
  校訂15 など--なとの(の/$<朱>)(戻)  
  校訂16 隔てて--へたて(て/+て)(戻)  
  校訂17 日ごろ--日かす(かす/$ころ<朱>)(戻)  
  校訂18 衣--うちき(うちき/$きぬ)(戻)  
  校訂19 御衣どもの事--御そ(そ/+と<朱>)もの(の/+事<朱>)(戻)  
  校訂20 重ね--*かね(戻)  
  校訂21 さるべき--さ(さ/+る)へき(戻)  
  校訂22 経--(/+経<朱>)(戻)  
  校訂23 御睦び--(/+御<朱>)むつひ(戻)  
  校訂24 はべり--(/+侍<朱>)(戻)  
  校訂25 なむ思ふ」と--なむ?(?/#)おもふたのむと(たのむと/$と<朱>)(戻)  
  校訂26 あまねく--(/+あ)まねく(戻)  
  校訂27 絵にも--ゑに(に/+も<朱>)(戻)  
  校訂28 うち--なか(なか/$うち)(戻)  
  校訂29 高巾子--かうこむ(む/#)し(戻)  
  校訂30 離れ--はなれ一本かうかしのいともよはなれ(一本かうかしのいともよはなれ/$<朱>)(戻)  
  校訂31 拍子も--ひやうしに(に/$<朱>)も(戻)  
  校訂32 帰りわたりたまひぬ--え(え/$<朱>)かへり(り/+わたり<朱>)給はす(はす/$ひぬ<朱>)(戻)  
  校訂33 うるさか--うるせ(せ/$さ<朱>)か(戻)  
  校訂34 心懸想--心(心/+けさう)(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。