竹取物語~阿倍御主人

車持皇子 竹取物語
阿倍御主人
大伴御行

 
 
 「大臣阿倍御主人」〔389〕から、「とげなきものをばあへなしとはいひける」〔509〕まで。
 
 

 目次
 
 ・概要 ・本文
 
 

概要

 
 
 かぐや姫、今一人には、「唐土にある、火鼠の裘(かはごろも)を給へ。」〔156〕

 右大臣阿倍(国民文庫)
 左大臣安倍 (群書類從)
 
 

本文

       
和歌  文章
 番号
竹取物語
(國民文庫)
竹とりの翁物語
(群書類從)
       
  〔389〕 右大臣阿倍御主人は 左大臣安倍のみむらじは。
  〔390〕 財(たから)豐に
家廣き人にぞおはしける。
寶ゆたかに
家廣き人にぞおはしける。
       
  〔391〕 その年わたりける唐土船の
王卿(わうけい)といふものゝ許に、
文を書きて、
其年きたりけるもろこし船の
わうけいといふ人のもとに
文を書て。
  〔392〕 「火鼠の裘といふなるもの
買ひておこせよ。」とて、
火ねづみの皮といふなる物
買ておこせよとて。
  〔393〕 仕うまつる人の中に
心たしかなるを選びて、
つかふまつる人の中に
心たしかなるを撰て。
  〔394〕 小野房守
といふ人をつけてつかはす。
小野房盛
と云人をつけてつかはす。
  〔395〕 もていたりて、かの浦に居(を)る
王卿に金をとらす。
もていたりてかのうらにをる
わうけいに金をとらす。
       
       
  〔396〕 王卿
文をひろげて見て、返事かく。
わうけい
文をひろげて見て返事かく。
  〔397〕 「火鼠の裘 火鼠の皮衣。
  〔398〕 我國になきものなり。 此國になき物也。
  〔399〕 おとには聞けども 音にはきけども。
  〔400〕 いまだ見ぬものなり。 いまだ見ずさぶらふ物也。
  〔401〕 世にあるものならば、 世にある物ならば。
  〔402〕 この國にももてまうで來なまし。 此國にももて詣來なまし。
  〔403〕 いと難きあきなひなり。 いとかたき商也。
  〔404〕 しかれども
もし天竺にたまさかに
もて渡りなば、
然ども
若天ぢくに逅に
もて渡りなば。
  〔405〕 もし長者のあたりに
とぶらひ求めんに、
若ちやうじやのあたりに
とぶらひもとめんに。
  〔406〕 なきものならば、 なき物ならば。
  〔407〕 使に添へて金返し奉らん。」
といへり。
使に添てかねをば返し奉らん
といへり。
       
       
  〔408〕 かの唐土船來けり。 彼唐ぶねきけり。
  〔409〕 小野房守まうで來て 小野房盛詣きて。
  〔410〕 まうのぼるといふことを聞きて、 まうのぼると云事を聞て。
  〔411〕 あゆみとうする馬
をもちて
あゆみとく(うイ)するむま
をもちて。
  〔412〕 走らせ迎へさせ給ふ はしらせむかへさせ給ふ。
  〔413〕 時に、馬に乘りて、 時に馬に乘て。
  〔414〕 筑紫よりたゞ七日(なぬか)に
上りまうできたり。
筑紫より唯七日に
のぼりまふで來り。
       
  〔415〕 文を見るに 文をみるに。
  〔416〕 いはく、 いはく。
  〔417〕 「火鼠の裘 火ねずみの革衣。
  〔418〕 辛うじて、人を出して求めて奉る。 からうじて人を出して取て奉る。
  〔419〕 今の世にも昔の世にも、 今のよにも昔の世にも。
  〔420〕 この皮は
容易(たやす)くなきものなりけり。
此皮は
たはやすくなき物也けり。
  〔421〕 昔かしこき天竺のひじり、 昔賢き天竺の聖。
  〔422〕 この國にもて渡りて侍りける、 此國にもてわたりて侍りける。
  〔423〕 西の山寺にありと聞き及びて、
公に申して、
西の山寺にありと聞及て
おほやけに申て。
  〔424〕 辛うじて買ひとりて奉る。 からうじてかい取て奉る。
  〔425〕 價の金少しと、 あたひの金すくなしと。
  〔426〕 國司使に申しゝかば、 こくし使に申しかば。
  〔427〕 王卿が物加へて買ひたり。 わうけいが物くはへてかひたり。
  〔428〕 今金五十兩たまはるべし。 今金五十兩たまはらん。
  〔429〕 船の歸らんにつけてたび送れ。 舟のかへらんにつけてたび送れ。
  〔430〕 もし金賜はぬものならば、 若金たまはぬ物ならば。
  〔431〕 裘の質かへしたべ。」 皮衣のしち返したベ。
       
  〔432〕 といへることを見て、 といへる事をみて。
  〔433〕 「何おほす。 なにおぼす。
  〔434〕 今金少しのことにこそあンなれ。 いま金少の事に[にてイ]こそあ[なイ]めれ。
  〔435〕 必ず送るべき物にこそあンなれ。 〔かならず送るベき物にこそあなれ。〕
  〔436〕 嬉しくしておこせたるかな。」とて、 うれしくしてをこせたる哉とて。
  〔437〕 唐土の方に向ひて伏し拜み給ふ。 唐のかたにむかひてふし拜み給ふ。
       
       
  〔438〕 この裘入れたる箱を見れば、 此革衣入たる箱をみれば。
  〔439〕 種々のうるはしき瑠璃を
いろへて作れり。
草々のうるはしきるりを
色へてつくれり。
       
  〔440〕 裘を見れば
紺青(こんじやう)の色なり。
皮衣を見れば
こんじやうの色也。
  〔441〕 毛の末には
金の光輝きたり。
毛のすゑには
こがねの光しさゝり(きイ、やきイ)たり。
       
  〔442〕 げに寳と見え、
うるはしきこと比ぶべきものなし。
寶とみえ
うるはしき事幷ぶべきものなし。
  〔443〕 火に燒けぬことよりも、 火に燒ぬ事よりも。
  〔444〕 清(けう)らなることならびなし。 けうらなる事双なし。
       
  〔445〕 「むべかぐや姫の
このもしがり給ふにこそありけれ。」
との給ひて、
うベかぐや姫
このもしがり給ふにこそありけれ
との給ひて。
  〔446〕 「あなかしこ。」とて、 あなかしことて。
  〔447〕 箱に入れ給ひて、
物の枝につけて、
箱に入たまひて
ものの枝に付て。
  〔448〕 御身の假粧(けさう)いといたくして、 御身のけさう(化粧)いといたくして。
  〔449〕 やがてとまりなんものぞとおぼして、 やがてとまりなむ物ぞとおぼして。
  〔450〕 歌よみ加へて持ちていましたり。 歌讀くはへてもちていましたり。
  〔451〕 その歌は、 其歌は。
       
♪8 〔452〕 かぎりなき
おもひに燒けぬかはごろも
かきりなき
思ひにやけぬかは衣
 袂かわきて
 今日こそはきめ
 袂かはきて
 今こそはきめ
       
  〔453〕   と云り。
  〔454〕 家の門(かど)にもて至りて立てり。 家の門にもていたりてたてり。
       
       
  〔455〕 竹取いで來て 竹取出きて。
  〔456〕 とり入れて、かぐや姫に見す。 取入てかぐや姫に見す。
  〔457〕 かぐや姫 かぐや姫の。
  〔458〕 かの裘を見ていはく、 皮衣をみて云く。
  〔459〕 「うるはしき皮なンめり。 うるはしき皮・[きぬイ]なめり。
  〔460〕 わきてまことの皮ならんとも知らず。」 わきて誠の皮ならんともしらず。
       
  〔461〕 竹取答へていはく、 竹とりこたへていはく。
  〔462〕 「とまれかくまれ とまれかくまれ。
  〔463〕 まづ請じ入れ奉らん。 先しやうじ入奉らん。
  〔464〕 世の中に見えぬ裘のさまなれば、 世中にみえぬ皮衣のさまなれば。
  〔465〕 是をまことゝ思ひ給ひね。 これを・[まこと]と思ひ給ね。
  〔466〕 人ないたくわびさせ給ひそ。」といひて、 人ないたく佗させ・[奉らせ]たまひそと云て。
  〔467〕 呼びすゑたてまつれり。 よびすへ泰れり。
  〔468〕 かく呼びすゑて、 かくよびすへて。
  〔469〕 「この度は必ずあはん。」と、
嫗の心にも思ひをり。
此たび必あはんと
女の心にも思ひをり。
       
  〔470〕 この翁は、
かぐや姫のやもめなるを歎かしければ、
翁は
かぐや姫のやもめなるをなげかしければ。
  〔471〕 「よき人にあはせん。」と思ひはかれども、 よき人にあはせむと思ひはかれど。
  〔472〕 切に「否。」といふことなれば、 せちにいなといふ事なれば。
  〔473〕 えしひぬはことわりなり。 えしゐぬはことはりなり。
       
  〔474〕 かぐや姫翁にいはく、 かぐや姫翁にいはく。
  〔475〕 「この裘は火に燒かんに、 此皮ぎぬは火にやかんに。
  〔476〕 燒けずはこそ實ならめと思ひて、 燒ずばこそまことならめと思ひて。
  〔477〕 人のいふことにもまけめ。 人の云事にもまけめ。
  〔478〕 『世になきものなれば、 世になき物なれば。
  〔479〕 それを實と疑なく思はん。』
との給ひて、
それをまこととうたがひなく思はん
との給ひて。
  〔480〕 なほこれを燒きて見ん。」といふ。 猶是をやきてこゝろみむといふ。
       
  〔481〕 翁「それさもいはれたり。」といひて、 おきなそれさもいはれたりといひて。
  〔482〕 大臣(おとゞ)に「かくなん申す。」といふ。 大臣にかくなん申と云。
       
         
  〔483〕 大臣答へていはく、 大臣こたへていはく。
  〔484〕 「この皮は唐土にもなかりけるを、 此革は唐にもなかりし[けるイ]と[をイ]。
  〔485〕 辛うじて求め尋ね得たるなり。 からうじて取尋[求イ]えたる也。
  〔486〕 何なにの疑かあらん。 何の疑あらん。
  〔487〕 さは申すとも、 左は申とも。
  〔488〕 はや燒きて見給へ。」といへば、 はや燒て見給へといへば。
       
  〔489〕 火の中にうちくべて燒かせ給ふに、 火のうちに打くベてやかせ給ふに。
  〔490〕 めら\/と燒けぬ。 めら〳〵とやけぬ。
  〔491〕 「さればこそ異物の皮なりけり。」といふ。 さればこそこともの皮也けりといふ。
  〔492〕 大臣これを見給ひて、 大臣是を見給ひて。
  〔493〕 御顔は草の葉の色して居給へり。 ・[御イ]かほは草の葉の色してゐたまへり。
       
  〔494〕 かぐや姫は
「あなうれし。」と喜びて居たり。
かぐや姫は
あなうれしとよろこびていたり。
  〔495〕 かのよみ給へる歌のかへし、 かのよみ給ひけるうたの返し。
  〔496〕 箱に入れてかへす。 箱に入てかへす。
       
♪9 〔497〕 なごりなく
もゆと知りせばかは衣
餘波なく
もゆとしりせは皮衣
 おもひの外に
 おきて見ましを
 おもひのほかに
 置て見ましを
       
  〔498〕 とぞありける。 とぞ有ける。
  〔499〕 されば歸りいましにけり。 されば歸りいましにけり。
       
       
  〔500〕 世の人々、 よの人々。
  〔501〕 「安倍大臣は
火鼠の裘をもていまして、
あべの大臣
火鼠の皮ぎぬもていまして。
  〔502〕 かぐや姫にすみ給ふとな。 かぐや姫にすみ給ふとな。
  〔503〕 こゝにやいます。」など問ふ。 こゝにやいますなどとふ。
  〔504〕 或人のいはく、 ある人のいはく。
  〔505〕 「裘は火にくべて燒きたりしかば、 皮は火にくべてやきたりしかば。
  〔506〕 めら\/と燒けにしかば、 めら〳〵とやけにしかば。
  〔507〕 かぐや姫逢ひ給はず。」といひければ、 かぐや姫逢給ずと云ければ。
       
  〔508〕 これを聞きてぞ、 是を聞てぞ。
  〔509〕 とげなきものをば
あへなしとはいひける。
とげなき物をば
あへなしと・(はイ)云ける。