古事記 雄略天皇の宮と系譜・事績~原文対訳

意富祁と袁祁 古事記
下巻⑥
21代 雄略天皇
宮と系譜・事績
屋上の堅魚
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮と系譜

     
大長谷
若建命。
 大長谷の
若建わかたけの命、
 オホハツセノ
ワカタケの命(雄略天皇)、
坐。
長谷朝倉宮。
長谷はつせの
朝倉あさくらの宮にましまして、
大和の長谷はつせの
朝倉の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     
天皇。
娶大日下王之妹。
若日下部王。
天皇、
大日下の王が妹、
若日下部の王に娶あひましき。
天皇は
オホクサカの王の妹の
ワカクサカベの王と結婚しました。
〈无子〉 (子ましまさず。) 御子はございません。
     
又娶
都夫良意富美之女。
韓比賣生御子。
また都夫良意富美が女、
韓比賣からひめに娶あひて、
生みませる御子、
またツブラオホミの女の
カラ姫と結婚して
お生みになつた御子は、
白髮命。 白髮しらがの命、 シラガの命・
次妹
若帶比賣命。
次に妹いも
若帶わかたらし比賣の命
ワカタラシの命
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     

事績

     
故爲
白髮太子之
御名代。
かれ白髮の太子みこの
みことの御名代みなしろとして、
そこでシラガの太子の
御名の記念として
定白髮部。 白髮部しらがべを定め、 白髮部しらがべをお定めになり、
又定
長谷部
舍人。
また
長谷部はつせべの
舍人とねりを定め、
また
長谷部はつせべの舍人、
又定
河瀬舍人也。
また河瀬の
舍人を定めたまひき。
河瀬の舍人を
お定めになりました。
     
此時。 この時に この御世に
呉人參渡來。 呉人くれびとまゐ渡り來つ。 大陸から
呉人くれびとが渡つて參りました。
其呉人。 その呉人を その呉人を
安置於呉原。 呉原くれはらに置きたまひき。 置きましたので
故號其地。 かれ其地そこに名づけて  
謂呉原也。 呉原といふ。 呉原くれはらというのです。
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