伊勢物語~第二部(31-60)

第一部 伊勢物語
第二部
第三部

 
 伊勢物語を便宜上、30話ずつに区切っている。
 
 
全体一覧 
 昔男(文屋)の人生体験・見聞録
 後宮・田舎の里・地方と判事の経験
 

第一部(-30)仕えた二条の后と筒井の妻
 

★第二部(-60)小町と有常(特に近い人)
 
 ここでは(法)解釈問題をまじえた見聞録が主体
 39段源の至は幼い二条の后の車に同乗した時の話
 44段馬の餞は文屋と有常による小町のお別れ会
 59段東山は24段梓弓の清水で果てた妻を偲ぶ話
 60段花橘=前世の話で69段斎宮との盃につなげる
 

第三部(-90)在五出現・斎宮と盃(契り)
 

第四部(-125)これまでの後日談
 
 


男女 段数
△朱雀落
   第31段   忘草
第32段   しづのをだまき(倭文の苧環)
   第33段 こもり江
   第34段   つれなかりける人
   第35段   玉の緒を
 第36段   玉葛
   第37段 下紐
   第38段 恋といふ
  第39段 源の至
   第40段   すける物思ひ
 第41段  
   第42段   誰が通ひ路
   第43段 しでの田長 名のみ立つ
   第44段   馬の餞
   第45段 行く蛍
  第46段   うるはしき友
   第47段 大幣
   第48段   人待たむ
   第49段 若草
   第50段 あだくらべ
   第51段   前栽の
   第52段   飾り粽
   第53段   あひがたき女
   第54段   つれなかりける女
  第55段   思ひかけたる女
   第56段   草の庵
   第57段   恋ひわびぬ
   第58段 荒れたる宿
  第59段 東山
   第60段   花橘

 
 
 第二部では、主に小町、そしてセットで有常の話がよく描かれる。この二人が著者に特に近かった。
 有常は実名を最初に出す人物(16段)。
 44段(馬の餞)は小町が地方(秋田のことだろう)に行くことになり、著者と有常が送る話。
 女の服を贈っているのだから、送る人が男なわけない。
 
 男は縫殿にいたから服を贈っている。32段の倭文の苧環(糸巻)はその小道具。
 そこで小町と一緒だった(小町針というエピソード名にあるように、普通にみれば縫殿にいた女官)。
 だから小町が先駆的に恋歌を多く残しつつ、他の歌い手に比し不自然に歌の説明を残していない(古今の歌と詞書)。
 小町の歌の作詞者は文屋。小町に歌ってもらっていた。
 小町は人格不詳だから自分から発表する性格ではないだろう。だから秋田にひっこんだ。
 
 最後の60段(花橘)は極めて重要。
 69段の伊勢斎宮との前世の暗示(宇佐と伊勢、女と盃)。
 この段の内容は紫の源氏に継承され、花橘のなつかしい香り、袖ということは物語に一貫して夫婦の前世の文脈で用いられている。
 さつき待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする(伊勢60段
 橘の薫りし袖によそふれば 変はれる身とも思ほえぬかな(源氏「胡蝶」
 
 源氏の「変われる身」は、表面的には尼になるようなことだが、歌的には転生の意味。
 世俗表面的な描写など歌にする意味がない。そういうのがナンセンス。
 歌は文学ではない。その人に美学=哲学がないと、表面をなぞることしかできない。
 そして美学とはロマン(なつかし)という哲学(転生の体系的理解)であり、美術・芸術の知識の寄せ集めではない。そこにロマンを感じるのならともかく。
 
 そして紫、上の衣という段が伊勢にはある(41段)。
 藤原の娘が貧しい(そして多分大好きな)男と一緒になって、家に戻らず苦労して泣いたという話。