宇治拾遺物語:五色の鹿の事

巻第六
羅刹国
宇治拾遺物語
巻第七
7-1 (92)
五色の鹿
播磨守為家の侍

 
 これも昔、天竺に、身の色は五色にて、角の色は白き鹿一つありけり。深き山のみ住みて、人に知られず。その山のほとりに大きなる川あり。その山にまた烏あり。このかせぎを友として過ぐす。
 

 ある時、この川に男一人流れて、既に死なんとす。「我を、人助けよ」と叫ぶに、この鹿、この叫ぶ声を聞きて、悲しみにたへずして、川を泳ぎ寄りて、この男を助けてけり。男、命の生きぬる事を悦びて、手をすりて、鹿にむかひていはく、「何事をもちてか、この恩を報ひ奉るべき」と言ふ。鹿のいはく、「何事をもちてか恩をば報はん。ただこの山に我ありといふ事を、ゆめゆめ人に語るべからず。我が身の色、五色なり。人知りなば、皮を取らんとて、必ず殺されなん。この事を恐るるによりて、かかる深山にかくれて、あへて人に知られず。然るを、汝が叫ぶ声を悲しみて、身の行方を忘れて、助けつるなり」といふ時に、男、「これ、まことにことわりなり。さらにもらす事あるまじ」と返すがへす契りて去りぬ。もとの里に帰りて月日を送れども、さらに人に語らず。
 

 かかるほどに、国の后、夢に見給ふやう、大きなるかせぎあり、味は五色にて角白し。夢覚めて、大王に申し給はく、「かかる夢をなん見つる。このかせぎ、さだめて世にあるらん。大王必ず尋ねとりて、我に与へ給へ」と申し給ふに、大王、宣旨を下して、「もし五色の鹿、尋ねて奉らん物には、金銀、珠玉等の宝、並びに一国等をたぶべし」と仰せふれらるるに、
 この助けられたる男、内裏に参て申すやう、「尋らるる色の鹿は、その国の深山にさぶらふ。あり所を知れり。狩人を給ひて、取りて参らすべし」と申すに、大王、大きに悦び給ひて、みづからおほくの狩人を具して、この男をしるべに召し具して、行幸なりぬ。
 

 その深山に入り給ふ。この鹿、あへて知らず。洞の内にふせり。かの友とする烏、これを見て大きにおどろきて、声をあげて鳴き、耳を食ひて引くに、鹿おどろきぬ。
 烏告げて言ふ、「国の大王、おほくの狩人を具して、この山をとりまきて、すでに殺さんとし給ふ。いまは逃ぐべき方なし。いかがすべき」と言ひて、泣く泣く去りぬ。
 鹿、おどろきて、大王の御輿のもとに歩み寄るに、狩人ども、矢をはげて射んとす。大王宣ふやう、「鹿、おそるる事なくして来れり。定めてやうあるらん。射る事なかれ」と。
 その時、狩人ども矢をはづして見るに、御輿の前にひざまづきて申さく、「我が毛の色を恐るるによりて、この山に深く隠れ住めり。しかるに大王、いかにして我が住む所をば知り給へるぞや」と申すに、大王宣ふ、「この輿のそばにある、顔にあざのある男、告げ申したるによりて来れるなり。」鹿見るに、顔にあざありて、御輿傍にゐたり。我が助けたりし男なり。
 

 鹿、かれに向ていふやう、「命を助けたりし時、この恩、何にても報じつくしがたきよし言ひしかば、ここに我あるよし、人に語るべからざるよし、返す返す契りしところなり。然るに今、その恩を忘れて、殺させ奉らんとす。いかに汝、水におぼれて死なんとせし時、我が命を顧みず、泳ぎ寄りて助けし時、汝かぎりなく悦びし事はおぼえずや」と、深く恨みたる気色にて、涙をたれて泣く。
 

 その時に、大王同じく涙をながして宣はく、「汝は畜生なれども、慈悲をもて人を助く。彼の男は欲にふけりて恩を忘たり。畜生といふべし。恩を知るをもて人倫とす」とて、この男をとらへて、鹿の見る前にて、首を斬らせらる。また、宣はく、「今より後、国の中に鹿を狩る事なかれ。もしこの宣旨をそむきて、鹿の一頭にても殺す者あらば、すみやかに死罪に行はるべし」とて帰り給ひぬ。
 その後より、天下安全に、国土豊かになりけりとぞ。
 

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五色の鹿
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