紫式部日記 3 渡殿の戸口の局に 逐語分析

五壇の御修法 紫式部日記
第一部
女郎花・白露の歌
三位の君頼通
目次
冒頭
1 渡殿の戸口の局に
2 橋の南なる女郎花の
2a 「これ、遅くては悪ろからむ」
3 ♪女郎花
4 「あな、疾」
5 ♪白露は

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 渡殿の戸口の局に  渡殿の戸口にある部屋から  
見出だせば、 外を眺めていると、  
ほのうち霧(き)りたる うっすらと霧が立ちこめている  
朝の露も 朝の草木の露も  
まだ落ちぬに、 まだ落ちない時分に、  
殿歩かせたまひて、 道長殿が庭をお歩きあそばして、 【殿】-藤原道長。四十三歳。左大臣。
御隨身(みずいじん)召して、 御隨身を呼び寄せて、  
遣水 遣水〈を〉 〈やりみず:庭の水路〉

払は

せたまふ。

〈掃除〉

させなさる。

△の手入れを

〈払う:掃除。落葉を掃く・払うこと。学説はごみを除く・遣水の滞りを除くこととするが、払いの説明がない。彰子出産直後に「殿、出でさせたまひて、日ごろ埋もれつる遣水つくろはせたまふ」とあり、道長は庭の手入れに熱心だったと思われる〉

2

橋の南なる 橋の南に咲いている  
女郎花の
いみじう
盛りなるを、
女郎花が
たいそう
花盛りであるのを、
 
一枝折らせたまひて、 一枝折らせなさって、  
几帳の上より わたしの几帳の上から  
さし覗かせたまへる
御さまの、
ちょっとお覗かせになる
ご様子が、

【さし覗かせたまへる】-『全注釈』「他本に終止形で文章を締め括っているのに従うここととする」として「さしのぞかせ給へり」とする。

〈しかしこれは後述の礼賛解釈を導くための不当な原文介入〉

いと恥づかしげなるに、 とても〈恥ずかしげなので〉

×気後れするほど立派なのに対して、

〈「恥ずかし」を紫式部の形容にするのが一致した通説だが主体を錯綜させて不適当。「いと恥ずかしげ」なのは道長。性根が高圧的で(殿のよろづにののしらせたまふ御声に)女に花を渡すなどおぼつかず、頑張っている(トトロの勘太)状態と解する。紫式部は夫の求婚も揶揄する批判的人物で同僚にも辛辣なのに、道長家族には徹底礼賛と思うのが、ジェンダーギャップがインド同等なのに西洋的論理的先進的と思っている国。これがインド的ギャップの正体)

我が朝顏の 自分の朝の寝起きの顏が  
思ひ知らるれば、 〈同じ位恥ずかしいものと思い知られて〉

△恥ずかしく思わずにはいられないので、

〈これは京女的には「朝早くに来られて迷惑だ」という表現。しかし道長には人目につかれたくない動機がある〉

2a

「これ、 〈こら、 ×これに対しての返歌が
遅くては
悪ろからむ」
遅いのは
失礼だろうが〉

遅くなっては具合悪いことでしょう

〈遅くては:第一に花を受け取ること(独自)、次にそれに喜びの対応を表すこと。和歌を求めているとは限らない(その含意はあっても)。現に公的学者達は紫式部は公には和歌で評価されていないと主張している。その主張に賛同するものではないが。

・悪ろし(悪から)+む:俺に悪いだろう=失礼だろう〉

とのたまはするに と殿が仰せになったの〈に〉  
ことつけて、 〈かこつけて〉

を言い訳にして

〈そう言われたから仕方なく〉

硯のもとに寄りぬ。 硯のもとに身を寄せた。  

3

   

【女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ】-紫式部の歌。『紫式部集』七六段。詞書「朝霧のをかしきほどに、御前の花ども色々に乱れたる中に、女郎花いと盛りなるを、殿御覧じて、一枝折らせさせたまひて、几帳の上より、「これただに返すな」とて、賜はせたり」。寿本『新古今和歌集』(雑上 一五六七 紫式部)に入集。

〈紫式部集には「さし覗かせたまへる御さまのいと恥づかしげなる」がない〉

女郎花 〈おみなえし=その手で得た女どもの △女郎花の朝露を置いた
 盛りの 盛りの色を 

△盛りの美しい色を

〈花盛り、女郎花から女盛り(若さ・美貌)、相手から道長の盛り(栄華と盛んな色欲)を掛け、「女郎花」は道長用の女達。道長は公に認知されているだけで妻2妾4子供12〉

 見るからに 見るにつけて △見るとすぐに
 分きける 取り分け泣ける

×露が分け隔てして恩恵を受けない

〈通説は「露」を道長の恩恵とするが恣意的解釈で誤り。露はわずかな意味の語で世が世なら打ち〇。露は即物でない場合涙。これが伊勢・芥河以来の用法でそれで通る。妻倫子への菊の露を恩恵と解さない点でも学説は場当たり(菊の歌を全注釈は主要本で唯一、表面は礼賛だが実は慇懃無礼な皮肉とするが、女同士の歌だからそれを認められた)。都合で字義から離れて膨らませるのは解釈でなく誤解。

 
 身こそ
 知らるれ
(女盛りを親父に取られたその花のような)
(女の)身の物言えぬ心が
思い知られますわ⤵️(言わせるな察せられよ)

△わが身が思い知られます

〈知ら+る(れ)=こそ已然係り結び。る(れ)は受身かつ自発。尊敬なら知られるでしょうよという促す意味となる。なおネイティブは一々分類を考えない。

「身」は「女郎」花つまり道長に取られた花盛りの女達かつその意味で通り、自分に限定する必然はない。また端的に自分に言及することも基本ない〉

4

「あな、疾」と、 おい、はやいなと、 ×【ああ、何と早いことよと、
ほほ笑みて、 少し笑って〉

殿はにっこりなさって、】

〈これは自らの「遅くては」を受けた苦笑い。妻2妾4でピュアな笑顔は某国の肖像か〉

硯召し出づ。 硯を取り寄せなさる。  

5

    【白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染むらむ】-藤原道長の返歌。『紫式部集七七段。詞書「と書きつけたるを、いととく」。寿本『新古今和歌集』(雑上 一五六八 法成寺入道前摂政太政大臣)に入集。
白露 白々しい涙は、

〈白露=白々しい涙。これが王道(伊勢105段)。むかし男「かくては死ぬべし」といひやりければ、女「白露は けなばけななむ 消えずとて」…といへりければ、いとなめしと思ひけれど。

 通説はこうした率直な文体の意味を全く解せてないだけ。通るならまだしも言葉をひねって道徳教科書的・大政翼賛的に芝居めいた違和感しかない。それは現状ほぼ全ての学説に言える〉

 分きても 特に心にも  
 置かじ 留めまい(心にもなく流すものだろう)、
〈じ:打消意志・推量〉
 女郎花 女どもはな。 〈勿論独自だが、これは古文和歌全体通して最高レベルの解釈と思う〉
 心からに 心からなのか、  
 の染むらむ 勝手に色づいて(盛んに誘って)くるのは 〈贈歌「盛りの色」から「盛り」を当然読み込む〉
     ×【白露は花に分け隔てをして置いているのではないでしょう、女郎花が自分から美しい色に染まって咲いているのでしょう