古事記 継体天皇~原文対訳

2 武烈天皇 古事記
下巻⑧~推古
(系譜のみ十帝)
3 継体天皇
(けいたい)
4 安閑天皇
目次
(伊波禮之玉穂宮)
后妃・皇子女
伊勢神宮(佐佐宜王=佐佐宜郎女)
筑紫石井の乱
(三嶋之藍)
 

  

繼體天皇(けいたい)

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮(伊波禮之玉穂宮)

     
袁本杼命。  品太ほむだの王の五世の孫
袁本杼をほどの命、
 ホムダの王の五世の孫の
ヲホドの命(繼體天皇)、

伊波禮之
玉穂宮。
伊波禮いはれの
玉穗たまほの宮に
ましまして、
大和の磐余いわれの
玉穗の宮に
おいでになつて、
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

     
天皇。娶
三尾君等祖。
名若比賣。
天皇
三尾みをの君等が祖、
名は若比賣に娶ひて、
この天皇、
三尾みおの君等の祖先の
ワカ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
大郎子。 大郎子おほいらつこ、 大郎子・
次出雲郎女。 次に出雲の郎女 イヅモの郎女の
〈二柱〉 二柱。 お二方ふたかたです。
     
又娶
尾張連等之祖。
凡連之妹。
目子郎女。
また尾張の連等が祖、
凡おほしの連が妹、
目子の郎女に
娶ひて、
また尾張の連等の祖先の
オホシの連の妹の
メコの郎女と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
廣國押建金日命。 廣國押建金日
ひろくにおしたけかなひの命、
ヒロクニオシタケカナヒの命・
次建小
廣國押楯命。
次に
建小たけを
廣國押楯の命
タケヲ
ヒロクニオシタテの命の
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
又娶
意富祁天皇之御子。
手白髮命。
〈是大后也〉
また
意富祁おほけの天皇の御子、
手白髮の命(こは大后にます)
に娶ひて、
また
オホケの天皇の御子の
タシラガの命を皇后として
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
天國押波流岐
廣庭命。
〈波流岐三字以音。
一柱〉
天國押波流岐廣庭
あめくにおしはるき
ひろにはの命
一柱。
アメクニオシハルキ
ヒロニハの命
お一方です。
     
又娶
息長
眞手王之女。
麻組郎女。
また
息長おきながの
眞手まての王が女、
麻組をくみの郎女に娶ひて、
また
オキナガノ
マテの王の女の
ヲクミの郎女と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
佐佐宜郎女
〈一柱〉
佐佐宜ささげの郎女
一柱。
ササゲの郎女
お一方です。
     
又娶
坂田大俣王之女。
黑比賣。
また
坂田の大俣おほまたの王が女、
黒比賣に娶ひて、
また
サカタノオホマタの女の
クロ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
神前郎女。 神前かむさきの郎女、 カムザキの郎女・
次田郎女。    
     
次「馬來」田郎女。    
<「三柱」>    
     
「又娶
茨田連小望之女。
關比賣。
   
生御子。    
茨田大郎女。」 次に茨田うまらたの郎女、 ウマラタの郎女・
     
次白坂
活日(子)郎女。
次に白坂しらさかの
活目いくめ子の郎女、
シラサカノ
イクメコの郎女、
次小野郎女。
亦名
長目比賣。
次に小野をのの郎女、
またの名は
長目ながめ比賣
ヲノの郎女
またの名は
ナガメ姫の
〈三柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
三尾君
加多夫之妹。
倭比賣。
また三尾みをの君
加多夫かたぶが妹、
倭やまと比賣に
娶ひて、
また三尾の君
カタブの妹の
ヤマト姫と
結婚して
     
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
大郎女。 大郎女、 大郎女・
次丸高王。 次に丸高まろたかの王、 マロタカの王・
次耳〈上〉王。 次に耳みみの王、 ミミの王・
次赤比賣郎女。 次に赤比賣の郎女 アカ姫の郎女
〈四柱〉 四柱。 のお四方です。
     
又娶
阿倍之
波延比賣。
また阿部の
波延はえ比賣に
娶ひて、
また
阿部の
ハエ姫と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
若屋郎女。 若屋わかやの郎女、 ワカヤの郎女・
次都夫良郎女。 次に都夫良つぶらの郎女、 ツブラの郎女・
次阿豆王。 次に阿豆あづの王 アヅの王
〈三柱〉 三柱。 のお三方です。
     
此天皇之御子等。 この天皇の御子たち、 この天皇の御子たちは
并十九王。 并せて十九王
とをまりここのはしら。
合わせて十九王
おいでになりました。
〈男七。
女十二〉
(男王七柱、
女王十二柱。)
男王七人
女王十二人です。
     
此之中。
天國
押波流岐
廣庭命者。
治天下。
この中、
天國
押波流岐
廣庭の命は、
天の下治らしめしき。
この中に
アメクニ
オシハルキ
ヒロニハの命は
天下をお治めなさいました。

廣國
押建金日命。
治天下。
次に
廣國
押建金日の命も
天の下治らしめしき。
次に
ヒロクニ
オシタケカナヒの命も
天下をお治めなさいました。

建小
廣國押楯命。
治天下。
次に
建小
廣國押楯の命も
天の下治らしめしき。
次に
タケヲ
ヒロクニオシタテの命も
天下をお治めなさいました。
     

伊勢神宮

     
佐佐宜王者。
拜伊勢神宮也。
次に佐佐宜の王は、
伊勢の神宮を
いつきまつりたまひき。
次にササゲの王は
伊勢の神宮を
お祭りなさいました。
     

筑紫石井の乱

     
此御世。 この御世に、 この御世に
竺紫君
石井。
竺紫つくしの君
石井いはゐ、
筑紫の君
石井が
不從天皇之命而。 天皇の命に從はずして 皇命に從したがわないで、
多无禮。 禮ゐや無きこと多かりき。 無禮な事が多くありました。
     
故遣
物部
荒甲之
大連。
かれ
物部もののべの
荒甲あらかひの
大連おほむらじ、
そこで
物部もののべの
荒甲あらかいの
大連、
大伴之
金村
連二人而。
大伴おほともの
金村かなむらの
連二人を遣はして、
大伴おおともの
金村かなむらの
連の兩名を遣わして、
殺石井也。 石井を殺らしめたまひき。 石井を殺させました。
     

陵(三嶋之藍)

     
天皇
御年。肆拾參歲。
天皇、
御年四十三歳よそぢまりみつ。
天皇は
御年四十三歳、
  (丁未の年
四月九日崩りたまひき)
丁未ひのとひつじの年の
四月九日にお隱れになりました。
御陵者
三嶋之藍(御陵)也。
御陵は
三島の藍の陵なり。
御陵は
三島の藍あいの陵みささぎです。

 

 

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