平家物語 巻第十一 腰越 原文

副将被斬 平家物語
巻第十一
腰越
こしごえ
大臣殿被斬

 
 さる程に、元暦二年五月七日、九郎大夫判官義経、大臣殿父子具し奉て、すでに都をたち給ひぬ。粟田口にもなりぬれば、大内山も雲居のよそに隔たりぬ。関の清水を見給ひて、大臣殿泣く泣く詠じ給ひけるとぞ。 
 

♪96
 都をば 今日を限りの せき水に
  また逢坂の かげやうつさん

 
 道すがらも心細げにおはしければ、判官情ある人にて、やうやうに慰め奉り給ふ。大臣殿、「相構へて今度の命を助けてたべ」とぞ宣ひける。判官、「遠き国はるかの島へぞ遷し参らせ候はんずらん。御命失ひ参らするまではよも候はじ。たとひさ候ふとも、義経が今度の勲功の賞に申しかへて、御命ばかりをば助け参らせ候はん。御心安う思しめされ候へ」と申されたりければ、大臣殿、「たとひ蝦夷が千島なりとも、甲斐なき命だにあらば」と宣ひけるこそ口惜しけれ。
 

 日数ふれば、同じき二十三日、判官鎌倉へこそ着き給へ。
 梶原平三景時、判官に先立つて、鎌倉殿に申しけるは、「日本国は今残る所なくしたがひ奉り候ふが、ただし御弟九郎大夫判官殿こそ、つひの御敵とは見えさせ給ひて候へ。そのゆゑは一をもつて万を察すとて、『一の谷を上の山より落とさずは、東西の木戸口破りがたし。されば生け捕りをも死に捕りをも、義経にこそ見すべきに、物の用にもあひ給はぬ蒲殿の方へ見参に入るべきやうやある。本三位中将殿をこれへたばじと候はば、参つて給はらん』とて、すでに戦出で来んとし候ひしを、景時が土肥に心を合はせて、本三位中将殿を土肥次郎に預け奉て後こそ、代は静まつて候ひしか」と申しければ、
 鎌倉殿うちうなづき、「九郎が今日これへ入るなる。各用意し給へ」と宣へば、大名小名馳せ集まり、ほどなく数千騎ばかりになりにけり。
 鎌倉殿、随兵七重八重に据ゑ置き、我が身はその中におはしながら、「九郎はこの畳の下よりも這ひ出でんずる者なり。されども頼朝はせらるまじ」とぞ宣ひける。
 

 金洗沢に関すゑて、大臣殿父子請け取り奉り、判官をば腰越へ追つかへさる。
 判官、「こはされば何事ぞや。去年の春、木曾義仲を追討せしよりこの方、度々へ池を平らげ、今年の春滅ぼしはてて、内侍所しるしの御箱、ことゆゑなう都へ返し入れ奉り、あまつさへ大将軍大臣殿父子生け捕り、これまで下りたらんずるに、たとひいかなる僻事ありとも、一度はなどか対面なかるべき。およそ九国の惣追捕使にも補せられ、山陰、山陽、南海道、いづれにてもあづけられ、一方の御固めにもなされんずるかとこそ思ひゐたれば、わづかに伊予国ばかり知行すべきよし宣ひて、鎌倉中へだに入れられずして、追ひ上せらるる事、こはされば何事ぞや。日本国を鎮むる事、義仲義経がしわざにあらずや。たとへば同じ父が子で、先に生まるるを兄とし、後に生まるるを弟とするばかりなり。誰か天下をしらんに、知らざるべき。あまつさへ見参をだにとげずして、追ひ上せらるる事、謝する所をしらず」とつぶやかれけれども甲斐ぞなき。
 

 判官様々に陳じ給へども、鎌倉殿景時が讒言の上はつひに用ゐ給はず。
 判官泣く泣く一通の状を書いて、広元のもとへとつかはす。その状にいはく、
 

 源義経恐れながら申し上げ候ふ意趣は、御代官のその一に撰ばれ、勅宣の御使として、朝敵を傾け、会稽の恥辱を雪ぐ。勲賞行はるべき所に、思ひの外に虎口の讒言に存て、莫大の勲功に黙さる。義経犯し無うして科を蒙る。功あつて謬り無しと雖も、御勘気を蒙るの間、空しく紅涙に沈む。讒者の実否を正されず、鎌倉中へ入れられざるの間、素意を述ぶるに能はず、徒らに数日を送る。この時に当つて、長く恩顔を拝し奉らずんば、骨肉同胞の義すでに絶え、宿運極めて空しきに似たるか。将また先世の業因を感ずるか。
 悲しきかな、この条、故亡父尊霊再誕し給はずんば、誰の人か愚意の悲歎を申し披かん。誰れの人か哀憐を垂れんや。事新しき申状、述懐に似たりと雖も、義経身体髪膚を父母に受け、幾ばくの時節を経ずして、故頭殿他界の間、孤児となつて母の懐の中に抱かれ、大和国宇多郡に赴きしより以来、未だ一日片時安堵の思ひに住せず。甲斐無き命は存すと雖も、京都の経廻難治の間、身を在在所所に蔵し、辺土遠国を棲として、土民百姓等に服仕せらる。然れども交契忽ちに純熟して、平家一族追討の為に、上洛せしむる手合に、木曾義仲を誅戮の後、平氏を傾け攻めんが為に、或る時は峨峨たる巌石に駿馬に鞭うつて、敵の為に命を亡さんことを顧みず、或る時は漫漫たる大海に、風波の難を凌ぎ、身を海底に沈めんことを痛まずして、骸を鯨鯢の腮に懸く。然のみならず甲冑を枕とし、弓箭業とする本意、併しながら亡魂の憤りを休め奉り、年来の宿望を遂げんと欲する外他事無し。あまつさへ義経五位尉に補任せらるるの条、当家の重職何事かこれに若かん。然りと雖も、今憂へ深く歎き切なり。仏神の御助けに預らざるより外、いかでか愁訴を達せん。これに依つて諸神諸社の牛王宝印の背を以て、全く野心を挟さまざる旨、日本国中の大小の神祇冥道を請じ驚かし奉り、数通の起請文を書き進ずと雖も、猶以て御宥面無し。
 夫れ我が国は神国なり。神は非礼を享け給はず。頼む所は他に非ず。偏へに貴殿広大の御慈悲を仰ぐ。便宜を窺ひ、高聞に達せしめ、秘計を廻らして、誤り無き旨を宥ぜられ、芳免に預らば、積善の余慶家門に及び、栄華を永く子孫に伝へん。よつて年来の愁眉を開き、一期の安寧を得ん。書紙に尽くさず。併しながら省略せしめ候ひ畢んぬ。義経恐惶謹んで申す。
 
  元暦二年六月五日   源義経
 進上因幡守殿へ

 
 とぞ書かれたる。
 

副将被斬 平家物語
巻第十一
腰越
こしごえ
大臣殿被斬