古事記~うちてしやまん(野蛮)の歌 原文対訳

宇陀の血原
(歌の力)
古事記
中巻①
神武天皇
うちてしやまん(野蛮)のやまと歌
入墨の象徴性
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
     

うちてしやまんの歌①

     
自其地幸行。  其地そこより幸でまして、  次に、
到忍坂
大室之時。
忍坂おさかの
大室に到りたまふ時に、
忍坂おさかの
大室おおむろにおいでになつた時に、
生尾土雲
〈訓云具毛〉
八十建。
尾ある土雲
八十建
やそたける、
尾のある穴居の人
八十人の武士が
在其室
待伊那流。
〈此三字以音〉
その室にありて
待ちいなる。
その室にあつて
威張いばつております。
     
故爾
天神御子之命以。
かれここに
天つ神の御子の命もちて、
そこで
天の神の御子の御命令で
饗賜
八十建。
御饗みあへを
八十建やそたけるに賜ひき。
お料理を賜わり、
於是
宛八十建。
設八十膳夫。
ここに
八十建に宛てて、
八十膳夫かしはでを設まけて、
八十人の武士に當てて
八十人の料理人を用意して、
毎人佩刀。
誨其膳夫等曰。
人ごとに刀たち佩けて
その膳夫かしはでどもに、
誨へたまはく、
その人毎に大刀を佩はかして、
その料理人どもに
     
聞歌之者。 「歌を聞かば、 「歌を聞いたならば
一時共斬。 一時もろともに斬れ」
とのりたまひき。
一緒に立つて武士を斬れ」
とお教えなさいました。
故明
將打其土雲之歌
曰。
かれその土雲を
打たむとすることを
明あかして歌よみしたまひしく、
その穴居の人を
撃とうとすることを
示した歌は、
     
意佐加能 意富牟盧夜爾  忍坂おさかの 大室屋に 忍坂おさかの大きな土室つちむろに
比登佐波爾 岐伊理袁理  人多さはに 來き入り居り。 大勢の人が入り込んだ。
比登佐波爾 伊理袁理登母  人多に 入り居りとも、 よしや大勢の人がはいつていても
美都美都斯 久米能古賀  みつみつし 久米の子が、 威勢のよい久米くめの人々が
久夫都都伊 伊斯都都伊母知  頭椎くぶつつい 石椎いしつついもち 瘤大刀こぶたちの石大刀いしたちでもつて
宇知弖斯夜麻牟  撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
美都美都斯 久米能古良賀  みつみつし 久米の子らが、 威勢のよい久米の人々が
久夫都都伊 伊斯都都伊母知  頭椎い 石椎いもち 瘤大刀の石大刀でもつて
伊麻宇多婆余良斯 今撃たば善よらし。 そら今撃つがよいぞ。
     
如此歌而。  かく歌ひて、  かように歌つて、
拔刀。
一時打殺也。
刀を拔きて、
一時に打ち殺しつ。
刀を拔いて
一時に打ち殺してしまいました。
     

うちてし野蛮の歌②

     
然後
將撃
登美毘古之時。
 然ありて後に、
登美毘古を
撃ちたまはむとする時、
 その後、
ナガスネ彦を
お撃ちになろうとした時に、
歌曰。 歌よみしたまひしく、 お歌いになつた歌は、
     
美都美都斯  みつみつし  威勢のよい
久米能古良賀  久米の子らが 久米の人々の
阿波布爾波  粟生あはふには  アワの畑はたけには
賀美良比登母登  臭韮かみら一莖もと、 臭いニラが一本ぽん生はえている。
曾泥賀母登  そねが莖もと  その根ねのもとに、
曾泥米都那藝弖  そね芽め繋つなぎて その芽めをくつつけて
宇知弖志夜麻牟  撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  また、
     
美都美都斯。 みつみつし  威勢のよい
久米能古良賀。 久米の子らが 久米の人々の
加岐母登爾。 垣下もとに  垣本かきもとに
宇惠志波士加美。 植うゑし山椒はじかみ、 植えたサンシヨウ、
久知比比久。 口ひひく  口がひりひりして
和禮波和須禮士。 吾われは忘れじ。 恨みを忘れかねる。
宇知弖斯夜麻牟。 撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     

うちてし野蛮の神風の歌③

     
又歌曰。  また、歌よみしたまひしく、  また、
     
加牟加是能 神風かむかぜの  神風かみかぜの吹く
伊勢能宇美能 伊勢の海の 伊勢の海の
意斐志爾 大石おひしに  大きな石に
波比母登富呂布 はひもとほろふ 這い廻まわつている
志多陀美能 細螺しただみの、 細螺しただみのように
伊波比母登富理 いはひもとほり 這い廻つて
宇知弖志夜麻牟 撃ちてしやまむ。 やつつけてしまうぞ。
     
又撃
兄師木。
弟師木之時。
 また
兄師木えしき
弟師木おとしきを
撃ちたまふ時に、
 また、
エシキ、
オトシキを
お撃ちになりました時に、
御軍暫疲。 御軍暫しまし疲れたり。 御軍の兵士たちが、少し疲れました。
爾歌曰。 ここに歌よみしたまひしく、 そこでお歌い遊ばされたお歌、
     
多多那米弖 楯並たたなめて 楯たてを竝ならべて射いる、
伊那佐能夜麻能 伊那佐いなさの山の そのイナサの山の
許能麻用母 樹この間よも 樹この間まから
伊由岐麻毛良比 い行きまもらひ 行き見守つて
多多加閇婆 戰へば 戰爭いくさをすると
和禮波夜惠奴 吾われはや飢ゑぬ。 腹が減へつた。
志麻都登理 島つ鳥 島しまにいる
宇〈上〉加比賀登母 鵜養うかひが徒とも、 鵜うを養かう人々よ
伊麻須氣爾許泥 今助すけに來ね。 すぐ助けに來てください。
     
     最後に
トミのナガスネ彦をお撃うちになりました。
宇陀の血原
(歌の力)
古事記
中巻①
神武天皇
うちてしやまん(野蛮)のやまと歌
入墨の象徴性