古事記 尾津前の一松の歌~原文対訳

当芸野・杖衝坂 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
倭建の歌物語
5 尾津前の一松の歌
三重の由来
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
到坐
尾津前
一松之許。
尾津の前さきの
一つ松のもとに
到りまししに、
尾津おつの埼の
一本松のもとに
おいでになりましたところ、
先御食之時。 先に、
御食みをしせし時、
先に食事をなさつた時に
所忘其地
御刀。
其地そこに忘らしたりし
御刀みはかし、
其處にお忘れになつた
大刀が
不失猶有。 失うせずてなほありけり。 無くならないでありました。

御歌曰。
ここに
御歌よみしたまひしく、
そこで
お詠み遊ばされたお歌、
     
袁波理邇 尾張に 尾張の國に
多陀邇牟迦幣流  直ただに向へる 眞直まつすぐに向かつている
袁都能佐岐那流 尾津の埼なる 尾津の埼の
比登都麻都 一つ松、 一本松よ。
阿勢袁 吾兄あせを。 お前。
比登都麻都 一つ松 一本松が
比登邇阿理勢婆 人にありせば、 人だつたら
多知波氣麻斯袁 大刀佩はけましを 大刀を佩はかせようもの、
岐奴岐勢麻斯袁 衣きぬ着せましを。 着物を著せようもの、
比登都麻都 一つ松、 一本松よ。
阿勢袁 吾兄を。 お前。
当芸野・杖衝坂 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
倭建の歌物語
5 尾津前の一松の歌
三重の由来