伊勢物語 61段:染河 あらすじ・原文・現代語訳

第60段
花橘
伊勢物語
第三部
第61段
染河
第62段
古の匂は

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  簾のうち 濡れ衣 
 
 
 

 

風流島(たはれじま・たわれじま)
風流島(たはれじま・たわれじま)Wikipediaより

 
 海に浮かぶ「たはれ島(風流島)」by ウィキペディア
 全く風流ではないのに、風流を当てるとはこれいかに。
 その心は、風にも流れにも当てられている。
 そう解するのが、風流。
 
 あ~侘しくて寂しい風景だのう、
 それを風流に見れる表現にしてしまう、それがワビサビの心や!
 なんやてー
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔男が筑紫まで行き、「これはこれは、スキモンね」と簾の内の人が言うのを聞き、
 近くの川に例え「染河渡っても色物と限らんて」(ここらを流しても、そういう目線ではない)と。
 

 そこで女、あの有名な、有明海の「たはれ島」も濡れ衣着とるとよ(?)と。いや全然有名じゃないけども? ナニそれ。
 その心は、ここではみなみな濡れて戯れるねん。あんたもワタシも仲良く濡れ衣(イワれのない罪)きましょ。
 

 つまりこの時代、筑紫は湯浴みとかかり(竹取古今387。後述)、この段は湯女との会話。
 簾の内とはその文脈での用語。
 

 「このお方はあの有名な色好み(助平の○平)や!」と女が声をかけるという趣旨の訳 →× 
 
 簾の内にいる意味を全く無視している。普通の人が簾の内にいるなら、軽々しく声などかけない。いや、その時点で普通ではないが。
 それに察知能力が異常。なぜ一瞬で有名な色好みとわかるのか。それは物語だからではなく、見立てがおかしい。
 そうして女が声をかけながら、色街の話としているわけでもない。
 こういうテキトーな認定は、全体に言える。
 

 たはれ島(ただの岩礁)は、有名というか有明にかけたギャグ(伊勢から他作品等に波及したかもしれないが)。
 その証拠に、現在に至るまで「たはれ島」の解釈がおかしい。
 
 人も満足に上がれないただの岩を、浮気な島・淫行する島だって。どうしてそうなるの。ここでナニができるの? 無理でしょ。
 有名とかは、著者には皮肉(39段・源の至。天下の色好み)。だから匿名。
 だからこの物語も助平じゃなかった業平の話ではない。その人は登場段全てで非難している(63段65段106段)。
 

 なんでもかんでも色目線。おかしいね。そういう内容。
 いやでもそういう所を歩いたら、普通はそう見られる。
 
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第61段 染河
   
 むかし、男、  むかし、をとこ、  昔
  筑紫までいきたるに、 つくしまでいきたりけるに、 つくしまでいきたりける男有けり。
  これは色好むといふすきものと これはいろこのむといふすき物と これはいろこのむなるすきものぞと。
  簾のうちなる人の、 すだれのうちなる人の すだれのうちなる人の
  いひけるを聞きて、 いひけるをきゝて、 いひけるをきゝて。男。
       

110
 染河を
 渡らむ人のいかでかは
 そめがはを
 わたらむ人のいかでかは
 染河を
 渡らん人のいかてかは
  色になるてふ
  ことのなからむ
  いろになるてふ
  ことのなからむ
  色になるてふ
  ことなかるへき
 (のなからん一本)
       
  女、返し、 女、返し、 女返し。
       

111
 名にし負はば
 あだにぞあるべき
 たはれ島
 名にしおはゞ
 あだにぞあるべき
 たはれじま
 名にしおはゝ
 あたにそ思ふ
(あるへき一本)
 たはれ嶋
  浪の濡れ衣
  着るといふなり
  なみのぬれぎぬ
  きるといふなり
  浪の濡衣
  きるといふ也
   

現代語訳

 
 

簾のうち

 

むかし、男、筑紫までいきたるに、
これは色好むといふすきものと簾のうちなる人の、いひけるを聞きて、
 
染河を 渡らむ人のいかでかは
 色になるてふ ことのなからむ

 
 
むかし男
 むかし男が、
 

筑紫までいきたるに
 筑紫までいったところ
 
 筑紫とくれば、まず「湯浴み」(温泉)。
 

 筑紫:福岡の一部だが、
 これはこの時代、普通の意味ではなく湯女・遊女の暗語。前段の宇佐(大分)ともかけ。
 しかし、行ったのは仕事の流れで(ただし前段は接待される内容だった。しかも女に。文脈は違うが)。
 

 竹取筑紫の國に湯あみに罷らん

 古今387源のさねかつくしへゆあみむとてまかりける
 そして、古今の歌は白女という遊女の歌。
 

 説明が符合しているが、これは古今が竹取を参照しているということ。
 →古今集仮名序ふじのけぶりによそへて人をこひいまはふじのやまもけぶりたゝずなり
 
 

これは色好むといふすきものと
 これはこれは。あんたもスキね、スキモンねと。
 

簾のうちなる人のいひけるを聞きて
 簾の内にいる人が言うのを聞いて、
 
 つまり遊女の営業。
 そういう写真があるだろう。檻の中にいるみたいなやつ。
 
 それを
 「キャー!あの有名な!○平?色好みのお方ね!」というのは、ない(まして簾で顔を隠しているのに)。
 どこまで名を轟かせているのかと。そもそも何を根拠に○平なのかと。
 それはただ「筑紫」の含みを知らないだけ。
 それに、男の「天(の)下の色好み」は、その素行と頭の悪さ・下品さを明らしめた(バカにした)表現だった(39段・源の至)。
 
 

染河
 
 福岡県中部、太宰府天満宮付近を流れる御笠川。逢初川。
 前段宇佐八幡ともかかる。
 

渡らむ人のいかでかは
 渡ろうとする人は、どうしても
 

色になるてふ
 色になるという
 

ことのなからむ
 こともなかろう
 
 その心は、染川辺り(遊郭付近)を流しているといっても、必ずしも色物とは限らんだろ。
 (色眼鏡でみんといて。好きは好きでも、風流のほうやねん。ここに来たのも社会見学)
 
 この点、
 ここに染まるしかないなどと見たり、あるいは、自分は違うがこの地のせいで染まったなととするのは、あまりに軽薄で、人として無責任な解釈。
 
 

濡れ衣

 

女、返し、
 
 名にし負はば あだにぞあるべき
 たはれ島
  浪の濡れ衣 着るといふなり

 
 
女返し
 女が返し
 

名にし負はば
 あの有名な
 
 これは後述の「有明」と、潮にかけている。
 この時点で著者の歌と確定。このレベルの芸当(当て)をしれっとするのは著者以外ない。
 つまり遊女・芸者の心の声の翻案。
 

あだにぞあるべき
 ニックキカタキの
 (? その心は、いよっニクイね! 流石伊達じゃないね! とこちらは適当にあてた)
 

たはれ島
 
 風流島(たはれじま・たわれじま)
 :熊本県宇土の有明海に浮かぶ岩礁。
 前段の宇佐ともかかる。
 
 地名と意味は関係ない? ナンセンス。
 意味があるから幾重にもかかっている。
 

浪の濡れ衣
 

着るといふなり
 
 え、ちょーっと何いってるかわかんない。たはれって何? 誰もしらんし。
 一般の訳は「たはれ島」を浮気島とか淫行する島とかいうけど、全然意味わかんない。ただの岩だからね? 大丈夫? 訳すならもうちょっと責任もって。
 

 つまりその心は、こういう所にいるんだから、川とかじゃのうて浪かぶるっきゃないっしょ。男ならビッグにIKEA(海なのに池とはこれいかに)。
 風流だか、何モンだかしらんけど、そういう汚名は大人しくかぶるもんやねん。
 ここは湯浴み所だから、みなみな服濡れるねん。
 アンタもワタシも、否が応でも、濡れ衣(無実の罪)かぶってたはむれる、そういう所とよ(?)
 
 いや、そっちは明らかに無実じゃないじゃん! そういうオチ。
 

 いやでもそういう立場の女性、別にばかにしてるわけじゃないので。
 14段(陸奥の国)で声かけられて、ついつい思い入れた淡い思い出(15段・しのぶ山)。そして今は色々流れてしょっぱい海水に。
 あ、だからやっぱり、こっちも無実じゃなかったわ。だから無名なのね。
 このかかり、さすがにわかるよね。
 
 そうして誰かにはわかってもらえると思ったら、全くあべこべに見られ続けたのが、この物語。
 だから「色好み」ってそういう意味じゃねーって。
 いやもちろんそういうヤらしい意味もあるけど、そういう賤しい意味にしか見れないのは、みやび(風流)ではないと物語全体で言っているの。
 だから、遊女にウイットに富んだことをイワせているの。本人達が言えるわけないじゃない。現代の学者達でも容易にわからないようなかかりを。