古事記 懿德天皇~原文対訳

安寧天皇 古事記
中巻②八帝
 (欠史八代:2-9代)
4代 懿徳天皇
孝昭天皇

目次
4代 懿徳天皇(いとく)
(輕之境岡宮)
后妃・皇子女
御眞津日子訶惠志泥命(孝昭天皇)
傍系の系譜
(畝火山之眞名子谷上)

 

懿德天皇(いとく)

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮(輕之境岡宮・かるのさかいおかの宮)

     
大倭
日子鉏友命。
 大倭日子鉏友
おほやまと
ひこすきともの命、
 オホヤマト彦
スキトモの命
(懿徳天皇)、

輕之境岡宮。
輕かるの
境岡さかひをかの宮に
ましまして、
大和の輕かるの
境岡さかいおかの宮に
おいでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

     
此天皇。娶
師木縣主之祖。
賦登麻和訶比賣命。
亦名
飯日比賣命。
この天皇、
師木の縣主の祖、
賦登麻和訶ふとまわか比賣の命、
またの名は
飯日いひひ比賣の命に娶ひて、
この天皇は
シキの縣主あがたぬしの祖先
フトマワカ姫の命、
またの名は
イヒヒ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
御眞津日子
訶惠志泥命。
〈自訶下四字以音〉
御眞津日子訶惠志泥
みまつひこかゑしねの命、
ミマツ彦
カヱシネの命と


多藝志比古命。
〈二柱〉
次に
多藝志比古
たぎしひこの命
二柱。
タギシ彦の命と
お二方です。
     

御眞津日子訶惠志泥命(孝昭天皇)

     

御眞津日子
訶惠志泥命者。
かれ御眞津日子訶惠志泥
みまつひこ
かゑしねの命は、
この
ミマツ彦
カヱシネの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

傍系の系譜

     

當藝志比古命者。
次に
當藝志比古の命は、
次にタギシ彦の命は、
〈血沼之別。
多遲麻之竹別。
葦井之
稻置之祖〉
血沼の別、
多遲麻の竹の別、
葦井の
稻置が祖なり。
血沼ちぬの別わけ・
多遲麻たじまの竹の別・
葦井あしいの
稻置いなきの祖先です。
     

陵(畝火山之眞名子谷上・うねびやまのまなごだにの上)

     
天皇。
御年肆拾伍歳。
 天皇、
御年四十五歳よそぢあまりいつつ、
天皇は御年
四十五歳、
御陵在
畝火山之
眞名子谷上也。
御陵は
畝火山の眞名子谷
まなごだにの上にあり。
御陵は
畝傍山の
マナゴ谷の上にあります。
     
安寧天皇 古事記
中巻②八帝
 (欠史八代:2-9代)
4代 懿徳天皇
孝昭天皇