古事記 出雲国:出雲八重垣の歌~原文対訳

草薙太刀 古事記
上巻 第二部
スサノオの物語
出雲国
系譜
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故。是以
其速須佐之男命。
 かれここを以ちて
その速須佐の男の命、
 かくして
スサノヲの命は、
宮可造作之地。 宮造るべき地ところを 宮を造るべき處を
求出雲國。 出雲の國に求まぎたまひき。 出雲の國でお求めになりました。
     
爾。到坐須賀
〈此二字以音下效此〉
ここに
須賀すがの地に到りまして
そうして
スガの處ところにおいでになつて
地而詔之。 詔りたまはく、 仰せられるには、
吾來此地。 「吾此地ここに來て、 「わたしは此處ここに來て
我御心
須賀須賀斯而。
我あが御心
清淨すがすがし」
と詔りたまひて、
心もちが
清々すがすがしい」
と仰せになつて、
其地作宮坐。 其地そこに宮作りてましましき。 其處そこに宮殿をお造りになりました。
故。其地者於
今云須賀也。
かれ其地そこをば
今に須賀といふ。
それで其處をば
今でもスガというのです。
     
茲大神 この大神、 この神が、
初作須賀宮之時。 初め須賀の宮作らしし時に、 はじめスガの宮をお造りになつた時に、
自其地雲立騰。 其地そこより雲立ち騰りき。 其處から雲が立ちのぼりました。
爾作御歌。 ここに御歌よみしたまひき。 依つて歌をお詠みになりましたが、
其歌曰。 その歌、 その歌は、
     
夜久毛多都。
伊豆毛夜幣賀岐。
都麻碁微爾。
夜幣賀岐都久流。
曾能夜幣賀岐袁
や雲立つ
出雲八重垣。
妻隱つまごみに
八重垣作る。
その八重垣を。
雲の叢むらがり起たつ
出雲いずもの國の宮殿。
妻と住むために
宮殿をつくるのだ。
その宮殿よ。
    というのです。
     
於是喚
其足名椎神。
 ここにその
足名椎の神を喚めして
そこでかの
アシナヅチ・
テナヅチの神をお呼よびになつて、
告言汝者任我宮之首。 告のりたまはく、
「汝いましをば
我が宮の首おびとに任まけむ」
と告りたまひ、
「あなたは
わたしの宮の長となれ」
と仰せになり、
且負名號
稻田宮主
須賀之八耳神。
また名を
稻田いなだの宮主みやぬし
須賀すがの八耳やつみみの神
と負せたまひき。
名を
イナダの宮主みやぬし
スガノヤツミミの神
とおつけになりました。
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最初の和歌

 
 
 出雲八重垣の歌は、以下のように一番最初の和歌とされている。
 

参照①:古今仮名序

 
 ちはやぶるかみよには、うたのもじもさだまらず、すなほにして、ことのこゝろわきがたかりけらし。

 人のよとなりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける。

 

参照②:平家物語11巻・剣

 
 草薙の剣は内裏にあり。今の宝剣これなり。
 この剣の由来を申せば、昔素盞烏尊、出雲国曾我のさとに宮づくりし給ひしに、その所に八色の雲常に立ちければ、尊これを御覧じてかくぞ詠じける。

 

 八雲たつ 出雲八重がき つまごめに 八重がきつくる その八重垣を

 

 これを三十一字のはじめとす。国を泉本なづくることも、すなはちこのゆゑとぞ承る。