古今和歌集 巻九 羈旅:歌の配置・コメント付

巻八:離別 古今和歌集
巻九
羈旅歌
巻十:物名
目次
  406
仲麿
407
408
不知
409
柿?
410
業×
411
業×
412
不知
413
おと
414
躬恒
415
貫之
416
躬恒
417
兼輔
418
(業)
419
有常
420
道真
421
素性
 
 
※「あまの原」から「わたの原」につなげ「みかの原」と「いつみ河」(406-408)。
 418-419の業平と有常は、伊勢物語82段(渚の院、天の河)。著者(文屋)と有常で次々業平に突っ込む話。業平の歌とされているが、そうではなく伊勢の著者が業平の歌を翻案したもの。伊勢101段で業平は元より歌を知らない、強いて詠ませればこんな感じだったという記述からもそう言える。
 ここでの業平とされる歌は全て文屋の歌。業平に東に行った記録はないとされつつ、文屋には東下りの三河に行った記録がある。というより貫之が残してくれたという方が正確。そういう情況証拠にかかわらず、伊勢は在五=業平を何度も否定している。
 有名な唐衣の歌(410)も、文屋が三河の逢妻男川に至り、亡き妻(筒井筒・梓弓)をしのんで泣いた歌。妻が亡くなったから、都で宮仕えする意味がなくなり東に下っている。東を吾妻(ああ、わがつま)に掛けて用いるのは、古事記以来の伝統の文脈。
 それを業平が思いつきで地方に遊びに行き、突如都に放ってきた妻を思い出し友達達と揃って泣くというのは、あまりに無秩序で酷い見立て。男としてない。これは昔男の物語なのだが。背景も1ミリも見れていない。そうして伊勢の内容が、無責任に千年以上踏みにじられ続ける。よりによってその品性を断固否定した在五に。この責任は伊勢を業平のものと散々吹聴した人達にどうとってもらえるのですか。無視ですか。
 在五が好きな人もやはり「けぢめ見せぬ心」ですか。それすら大らかに愛する心とかに見えますか。ありえない。言葉も真逆に曲げる。それが業平説。何が書いてあろうと関係ない。都合の悪いことは著者のせい。それがこの国の一般の国語認識。貫之と紫の支持があれば十分とも思えるが、このままでは名誉が回復しない。また二人の努力にも今こそ応えなければ。
 ここまで原初の古典の表記を都合で歪め、糊塗する認定を公に重ね、無視欠落させ、好き勝手言葉を付加して写本とする国があるのか。それで古今のツギハギだなんだの。複数人だの。そら自分達でしてたらそう思いますわ。原文のみやびな文脈を全く見ようとせず、支離滅裂に見てそれで読めたと思うのだから、そらそうも思いますわ。
 認識が違い過ぎる。色好みの話か…。別にそれでもいいが、業平の話ではない。

 
 

巻九:羈旅(きりょ)

   
   0406
詞書 もろこしにて月を見てよみける
/この歌は、むかしなかまろをもろこしに
ものならはしにつかはしたりけるに、
あまたのとしをへて
えかへりまうてこさりけるを、
このくにより又つかひまかりいたりけるに
たくひてまうてきなむとていてたちけるに、
めいしうといふ所のうみへにて
かのくにの人むまのはなむけしけり、
よるになりて月のいとおもしろくさしいてたりけるを見てよめる
となむかたりつたふる
作者 安倍仲麿
原文 あまの原 ふりさけ見れは かすかなる
 みかさの山に いてし月かも
かな あまのはら ふりさけみれは かすかなる
 みかさのやまに いてしつきかも
コメ →百人一首7
あまのはら ふりさけみれば かすがなる
 みかさのやまに いでしつきかも
/天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出でし月かも
この歌は、万葉のフレ-ズを単純に組み合わせて作られている。
「天の原 振り放け見れば(大君の)」(02/0147)
「天の原 降り放け見れば(天の川)」(10/2068)
「春日なる 三笠の山に 月も出でぬかも」(10/1887)
「春日なる 御笠の山に 月の舟出づ 風流士の 飲む酒杯に 影に見えつつ」(07/1295)
 留学生という経歴からも仲麿の歌が大元ということは考えにくい。つまり単純に古の文脈を参照して作った歌。
 最後の歌はこの歌を受けたことを思わせる、いわば第三世代と見れる。
   
  0407
詞書 おきのくにになかされける時に
舟にのりていてたつとて、
京なる人のもとにつかはしける
作者 小野たかむらの朝臣(小野篁)
原文 わたのはら やそしまかけて こきいてぬと
 人にはつけよ あまのつり舟
かな わたのはら やそしまかけて こきいてぬと
 ひとにはつけよ あまのつりふね
コメ 百人一首11(参議篁)。
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
 ひとにはつげよ あまのつりぶね
/わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
 人には告げよ 海人の釣舟
   
  0408
詞書 題しらす
作者 よみ人しらす
原文 都いてて 今日みかの原 いつみ河
 かは風さむし 衣かせ山
かな みやこいてて けふみかのはら いつみかは
 かはかせさむし ころもかせやま
   
  0409
詞書 題しらす/このうたは、ある人のいはく、
柿本人麿か歌なり
作者 よみ人しらす(一説、柿本人麻呂)
原文 ほのはのと 明石の浦の 朝霧に
 島かくれ行く 舟をしそ思ふ
かな ほのほのと あかしのうらの あさきりに
 しまかくれゆく ふねをしそおもふ
   
  0410
詞書 あつまの方へ友とする人
ひとりふたりいさなひていきけり、
みかはのくに
やつはしといふ所にいたれりけるに、
その河のほとりにかきつはた
いとおもしろくさけりけるを見て、
木のかけにおりゐて、
かきつはたといふいつもしを
くのかしらにすゑて
たひの心をよまむとてよめる
作者 在原業平朝臣(※問題あり)
原文 唐衣 きつつなれにし つましあれは
 はるはるきぬる たひをしそ思ふ
かな からころも きつつなれにし つましあれは
 はるはるきぬる たひをしそおもふ
コメ 出典:伊勢9段(東下り)。
「ある人のいはく、
「かきつばたといふ五文字を
句のかみにすゐて、旅の心をよめ」
といひければ、よめる。
『唐衣 きつゝ馴にし つましあれば
 はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』」
   
  0411
詞書 むさしのくにとしもつふさのくにとの
中にあるすみた河のほとりにいたりて
みやこのいとこひしうおほえけれは、
しはし河のほとりにおりゐて、
思ひやれはかきりなくとほくもきにけるかな
と思ひわひてなかめをるに、
わたしもりはや舟にのれ日くれぬ
といひけれは舟にのりてわたらむとするに、
みな人ものわひしくて
京におもふ人なくしもあらす、
さるをりにしろきとりのはしとあしと
あかき河のほとりにあそひけり、
京には見えぬとりなりけれはみな人見しらす、
わたしもりにこれはなにとりそ
ととひけれは、これなむみやことり
といひけるをききてよめる
作者 在原業平朝臣(※問題あり)
原文 名にしおはは いさ事とはむ 宮ことり
 わか思ふ人は ありやなしやと
かな なにしおはは いさこととはむ みやことり
 わかおもふひとは ありやなしやと
コメ 出典:伊勢9段(東下り)。
「白き鳥の嘴と脚とあかき、鴫のおほきさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。
京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡守に問ひければ、
「これなむ都鳥」といふを聞きて、
『名にしおはゞ いざこと問はむ 都鳥
 わが思ふ人は ありやなしやと』」
   
  0412
詞書 題しらす
/このうたは、ある人、
をとこ女もろともに人のくにへまかりけり、
をとこまかりいたりて
すなはち身まかりにけれは、
女ひとり京へかへりけるみちに
かへるかりのなきけるをききて
よめるとなむいふ
作者 よみ人しらす
原文 北へ行く かりそなくなる つれてこし
 かすはたらてそ かへるへらなる
かな きたへゆく かりそなくなる つれてこし
 かすはたらてそ かへるへらなる
   
  0413
詞書 あつまの方より京へまうてくとて
みちにてよめる
作者 おと(※乙。『古今和歌集目録』によれば「益成女」、壬生益成の娘?
原文 山かくす 春の霞そ うらめしき
 いつれみやこの さかひなるらむ
かな やまかくす はるのかすみそ うらめしき
 いつれみやこの さかひなるらむ
   
  0414
詞書 こしのくにへまかりける時
しら山を見てよめる
作者 みつね(凡河内躬恒)
原文 きえはつる 時しなけれは こしちなる
 白山の名は 雪にそありける
かな きえはつる ときしなけれは こしちなる
 しらやまのなは ゆきにそありける
   
  0415
詞書 あつまへまかりける時みちにてよめる
作者 つらゆき(紀貫之)
原文 いとによる 物ならなくに わかれちの
 心ほそくも おもほゆるかな
かな いとによる ものならなくに わかれちの
 こころほそくも おもほゆるかな
   
  0416
詞書 かひのくにへまかりける時みちにてよめる
作者 みつね(凡河内躬恒)
原文 夜をさむみ おくはつ霜を はらひつつ
 草の枕に あまたたひねぬ
かな よをさむみ おくはつしもを はらひつつ
 くさのまくらに あまたたひねぬ
   
  0417
詞書 たしまのくにのゆへまかりける時に、
ふたみのうらといふ所にとまりて
ゆふさりのかれいひたうへけるに、
ともにありける人人のうたよみけるついてによめる
作者 ふちはらのかねすけ(藤原兼輔)
原文 ゆふつくよ おほつかなきを 玉匣
 ふたみの浦は 曙てこそ見め
かな ゆふつくよ おほつかなきを たまくしけ
 ふたみのうらは あけてこそみめ
   
  0418
詞書 これたかのみこのともに
かりにまかりける時に、
あまの河といふ所の河のほとりにおりゐて
さけなとのみけるついてに、
みこのいひけらく、
かりしてあまのかはらにいたる
といふ心をよみてさかつきはさせ
といひけれはよめる
作者 在原なりひらの朝臣(在原業平)(※)
原文 かりくらし たなはたつめに やとからむ
 あまのかはらに 我はきにけり
かな かりくらし たなはたつめに やとからむ
 あまのかはらに われはきにけり
コメ 出典:伊勢82段(渚の院)。
「(惟喬)親王ののたまひける、
「交野を狩りて、天の河のほとりにいたる
題にて、歌よみて杯はさせ」
とのたまうければ、
かの馬頭よみて奉りける。
『狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ
 天の河原に 我は来にけり』」 
   
  0419
詞書 みここのうたを返す返すよみつつ
返しえせすなりにけれは、
ともに侍りてよめる
作者 きのありつね(紀有常)
原文 ひととせに ひとたひきます 君まては
 やとかす人も あらしとそ思ふ
かな ひととせに ひとたひきます きみまては
 やとかすひとも あらしとそおもふ
コメ 出典:伊勢82段(渚の院)。
「親王歌をかへすがへす誦じ給うて返しえし給はず。
紀有常御供に仕うまつれり。
それがかへし、
『一年に ひとたび来ます 君まてば
 宿かす人も あらじとぞ思ふ』
馬○「七夕っつーのに全然が宿ないってどういうことだよ、あの有名なオレ様がきましたよ」。
惟喬(ちょっと何いってるかわかんない…)
したらば業平の義父の有常が(しょうがねーな、私が介錯しましょうと)、
一年に一回しか来ないなら宿かす人も、おめーを主とは思わんだろ。あれ、キミ誰だっけ?
   
  0420
詞書 朱雀院のならにおはしましたりける時に
たむけ山にてよみける
作者 すかはらの朝臣(菅原道真)
原文 このたひは ぬさもとりあへす たむけ山
 紅葉の錦 神のまにまに
かな このたひは ぬさもとりあへす たむけやま
 もみちのにしき かみのまにまに
コメ 百人一首24
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま
 もみぢのにしき かみのまにまに
/此の度は 幣もとりあへず 手向山
 紅葉の錦 神のまにまに
   
  0421
詞書 朱雀院のならにおはしましたりける時に
たむけ山にてよみける
作者 素性法師
原文 たむけには つつりの袖も きるへきに
 もみちにあける 神やかへさむ
かな たむけには つつりのそても きるへきに
 もみちにあける かみやかへさむ