枕草子313段 大納言殿まゐり給ひて

左右の衛門 枕草子
下巻下
313段
大納言殿
僧都の御乳母

(旧)大系:313段
新大系:293段、新編全集:293段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:292段
 

旧全集段冒頭:大納言殿まゐりて


 
 大納言殿まゐり給ひて、ふみのことなど奏し給ふに、例の、夜いたくふけぬれば、御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風、御几帳のうしろなどに、みなかくれ臥しぬれば、ただ一人、ねぶたきを念じて候ふに、「丑四つ」と奏すなり。
 「明け侍りぬなり」とひとりごつを、大納言殿、「いまさらに、なおほとのごもりおはしましそ」とて、寝べきものとも思いたらぬを、うたて、なにしにさ申しつらむと思へど、また人のあらばこそはまぎれも臥さめ。
 上の御前の、柱に寄りかからせ給ひて、すこし眠らせ給ふを、「かれ見奉らせ給へ。いまは明けぬるに、かう大殿籠るべきかは」と申させ給へば、「げに」など、宮の御前にも笑ひ聞こえさせ給ふも、知らせ給はぬほどに、長女が童の、鶏を捕らへ持て来て、「あしたに里へ持て行かむ」といひて隠し置きたりける、いかがしけむ、犬見つけて追ひければ、廊のまきに逃げ入りて、おそろしう鳴きののしるに、みな人起きなどしぬなり。
 上もうちおどろかせ給ひて、「いかでありつる鶏ぞ」などたづねさせ給ふに、大納言殿の、「声明王の眠りを驚かす」といふことを、高ううち出だし給へる、めでたうをかしきに、ただ人のねぶたかりつる目もいと大きになりぬ。
 「いみじき折のことかな」と、上も宮も興ぜさせ給ふ。なほかかることこそめでたけれ。
 

 またの夜は、夜の御殿に参らせ給ひぬ。夜中ばかりに、廊に出でて人呼べば、「下るるか。いで、送らむ」と宣へば、裳、唐衣は屏風にうちかけて行くに、月のいみじうあかく、御直衣のいと白う見ゆるに、指貫を長う踏みしだきて、袖をひかへて、「倒るな」といひて、おはするままに、「游子なほ残りの月に行く」と誦し給へる、またいみじうめでたし。「かやうの事、めで給ふ」とては、笑ひ給へど、いかでか、なほをかしきものをば。
 
 

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下巻下
313段
大納言殿
僧都の御乳母