古事記 和那美之水門~原文対訳

幼稚なホムチのワケ 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
ホムチワケの物語
②和那美之水門
出雲の祟り
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
爾遣
山邊之
大鶙。
〈此者人名〉
ここに
山邊やまべの
大鶙おほたか
(こは人の名なり)を遣して、
そこで
山邊やまべの
オホタカという人を
遣つて、
令取其鳥。 その鳥を取らしめき。 その鳥を取らせました。
     

因幡回り

     
故是人
追尋其鵠。
かれこの人、
その鵠を追ひ尋ねて、
ここにその人が
鳥を追い尋ねて
自木國
到針間國。
木きの國より
針間はりまの國に到り、
紀の國から
播磨の國に至り、
亦追越
國。
また追ひて
稻羽いなばの國に越え、
追つて
因幡いなばの國に越えて行き、
即到
國。
多遲麻國。
すなはち
旦波たにはの國
多遲麻たぢまの國に到り、
丹波の國・
但馬の國に行き、
     
追廻東方。 東の方に追ひ廻りて、 東の方に追い廻つて
到近淡海國。 近ちかつ淡海あふみの國に到り、 近江の國に至り、
乃越三野國。 三野みのの國に越え、 美濃の國に越え、
自尾張國傳以。 尾張をはりの國より傳ひて 尾張の國から傳わつて
追科野國。 科野しなのの國に追ひ、 信濃の國に追い、
     

鳥を取り回帰

     
遂追到
高志國而。
遂に
高志こしの國に追ひ到りて、
遂に
越こしの國に行つて、
於和那美之
水門張網。
和那美わなみの
水門みなとに網を張り、
ワナミの水門みなとで
罠わなを張つて
取其鳥而。 その鳥を取りて、 その鳥を取つて
持上獻。 持ち上りて獻りき。 持つて來て獻りました。
     

和那美之水門=罠網×(稲羽+丹波)=若狭湾

     
故號其水門。 かれその水門に名づけて そこでその水門みなとを
謂和那美之
水門也。
和那美わなみの
水門みなとといふなり。
ワナミの
水門とはいうのです。
幼稚なホムチのワケ 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
ホムチワケの物語
②和那美之水門
出雲の祟り