枕草子36段 七月ばかりいみじう暑ければ

小白河 枕草子
上巻上
36段
七月ばかり
木の花は

(旧)大系:36段
新大系:33段、新編全集:34段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:43段
 


 
 七月ばかりいみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、月の頃は寝おどろきて見いだすに、いとをかし。やみもまたをかし。有明、はたいふべきにもあらず。
 

 いとつややかなる板の端ちかう、あざやかなる畳一ひらうち敷きて、三尺の几帳、おくのかたにおしやりたるぞあぢきなき。端にこそたつべけれ。おくのうしろめたからむよ。
 

 人はいでにけるなるべし、薄色の、うらいと濃くて、うへは少しかへりたるならずは、濃き綾のつややかなるが、いとなえぬを、かしらごめに引き着てぞ寝たる。香染のひとへ、もしは黄生絹のひとへ、くれなゐのひとへ、袴の腰のいとながやかに、衣の下よりひかれ着たるも、まだとけながらなめり。
 そとのかたに髪のうちたたなはりてゆるらかなるほど、ながさおしはかられたるに、またいづこよりにかあらむ、朝ぼらけのいみじう霧りたちたるに、二藍の指貫に、あるかなきかの色したる香染の狩衣、白き生絹にくれなゐのとほすにこそはあらめ、つややかなる、霧にいたうしめりたるをぬぎ、鬢のすこしふくだみたれば、烏帽子のおし入れたるけしきも、しどけなく見ゆ。
 

 朝顔の露おちぬさきに文かかむと、道のほども心もとなく、「麻生の下草」など、くちずさみつつ、我がかたにいくに、格子のあがりたれば、御簾のそばをいささかひきあげて見るに、おきていぬらむ人もをかしう、露もあはれなるにや、しばしみたてれば、枕がみのかたに、朴に紫の紙はりたる扇、ひろごりながらある。みちのくに紙の畳紙のほそやかなるが、花かくれなゐか、すこしにほひたるも、几帳のもとにちりぼひたり。
 

 人けのすれば、衣のなかよりみるに、うちゑみて長押におしかかりてゐぬ。
 恥ぢなどすべき人にはあらねど、うちとくべき心ばへにもあらぬに、ねたうも見えぬかな、と思ふ。「こよなきなごりの御朝寝かな」とて、簾のうちになから入りたれば、「露よりさきなる人のもどかしさに」といふ。をかしきこと、とりたてて書くべき事ならねど、とかくいひかはすけしきどもはにくからず。
 

 枕がみなる扇、わが持たるして、およびてかきよするが、あまりちかうよりくるにや、と心ときめきして、ひきぞ下らる。とりて見などして、「うとくおぼいたる事」などうちかすめ、うらみなどするに、あかうなりて、人の声々し、日もさしいでぬべし。
 霧のたえま見えぬべきほど、いそぎつる文も、たゆみぬるこそうしろめたけれ。
 

 いでぬる人も、いつのほどにかとみえて、萩の、露ながらおしをりたるにつけてあれど、えさしいでず。香の紙のいみじうしめたるにほひ、いとをかし。あまりはしたなきほどになれば、たちいでて、わがおきつる所も、かくやと思ひやらるるも、をかしかりぬべし。