古事記 出雲建の悲劇~原文対訳

熊襲を襲名 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
ヤマトタケルの物語
⑥出雲建の悲劇
比比羅木之八尋矛
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
然而。 然ありて そうして
還上之時。 還り上ります時に、 還つておいでになつた時に、
山神河神。 山の神河の神 山の神・河の神、
及穴戸神。 また穴戸あなどの神を また海峽の神を
皆言向和而
參上。
みな言向け和やはして
まゐ上りたまひき。
皆平定して
都にお上りになりました。
     

入坐出雲國。
 すなはち
出雲の國に入りまして、
 そこで
出雲の國におはいりになつて、
欲殺
其出雲建而。
その出雲いづもの國の建たけるを
殺とらむとおもほして、
そのイヅモタケルを
撃うとうとお思いになつて、
到即結友。 到りまして、
すなはち結交うるはしみしたまひき。
おいでになつて、
交りをお結びになりました。
     

肥河=臭い=怪しい=ありえない

     
故竊以赤檮。 かれ竊に
赤檮いちひのきもちて、
まずひそかに
赤檮いちいのきで
作詐刀。 詐刀こだちを作りて、 刀の形を作つて
爲御佩。 御佩はかしとして、 これをお佩びになり、

沐肥河。
共に
肥の河に沐かはあみしき。
イヅモタケルとともに
肥ひの河に水浴をなさいました。
     
爾倭建命。 ここに倭建やまとたけるの命、 そこでヤマトタケルの命が
自河先上。 河よりまづ上あがりまして、 河からまずお上りになつて、
取佩
出雲建之
解置横刀而。
出雲建いづもたけるが
解き置ける横刀たちを
取り佩かして、
イヅモタケルが
解いておいた大刀を
お佩きになつて、
詔為易刀。 「易刀たちかへせむ」
と詔りたまひき。
「大刀を換かえよう」
と仰せられました。
故後出雲建。 かれ後に出雲建 そこで後からイヅモタケルが
自河上而。 河より上りて、 河から上つて、
佩倭建命之
詐刀。
倭建の命の
詐刀こだちを佩きき。
ヤマトタケルの命の
大刀を佩きました。
     
於是倭建命。 ここに倭建の命 ここでヤマトタケルの命が、
誂云
伊奢合刀。
「いざ刀合たちあはせむ」
と誂あとらへたまふ。
「さあ大刀を合わせよう」
と挑いどまれましたので、
爾各拔
其刀之時。
かれおのもおのも
その刀を拔く時に、
おのおの
大刀を拔く時に、
出雲建。
不得拔詐刀。
出雲建、
詐刀こだちをえ拔かず、
イヅモタケルは
大刀を拔き得ず、
即倭建命。
拔其刀而。
すなはち倭建の命、
その刀を拔きて、
ヤマトタケルの命は
大刀を拔いて
打殺
出雲建。
出雲建を
打ち殺したまひき。
イヅモタケルを
打ち殺されました。
     

出雲建の哀れ歌

     
爾御歌曰。 ここに御歌よみしたまひしく、 そこでお詠みになつた歌、
     
夜都米佐須 やつめさす 雲くもの叢むらがり立つ
伊豆毛多祁流賀 出雲建いづもたけるが  出雲いづものタケルが
波祁流多知  佩ける刀たち、 腰にした大刀は、
都豆良佐波麻岐 黒葛つづら多さは纏まき 蔓つるを澤山卷いて
佐味那志爾阿波禮 さ身み無しにあはれ。 刀の身が無くて、きのどくだ。
     
故如此撥治。  かれかく撥はらひ治めて、  かように平定して、
參上
覆奏。
まゐ上りて、
覆奏かへりごとまをしたまひき。
朝廷に還つて
御返事申し上げました。
熊襲を襲名 古事記
中巻⑤
12代 景行天皇
ヤマトタケルの物語
⑥出雲建の悲劇
比比羅木之八尋矛