紫式部日記 32 上達部の座は例の東の対~若紫と源氏 逐語対訳

誕生五十日の儀 紫式部日記
第二部
上達部達と若紫
恐ろしかるべき夜
目次
冒頭
1 上達部の座は、例の東の対の西面なり
2  橋の上に参りて、また酔ひ乱れて
3  たちあかしの光の心もとなければ
4 宮の大夫、御簾のもとに参りて
5  階の東の間を上にて
6 大納言の君、宰相の君、小少将の君、宮の内侍
6a  大夫、かはらけ取りて、そなたに出で
7 その次の間の東の柱もとに、右大将寄りて
8 左衛門督、「あなかしこ、このわたりに若紫や
9 「三位の亮、かはらけ取れ」
10 権中納言、隅の間の柱もとに寄りて

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 上達部の座は、
例の
東の対の
西面なり。
 上達部のお座席は、
例によって
東の対の
西の廂の間である。
 
     
いま二所の
大臣も
参り
たまへり。
もうお二方の
大臣も
参上
なさった。
【いま二所の大臣】-左大臣の藤原道長他の右大臣藤原顕光〈6参照〉と内大臣藤原公季〈9参照〉をさす。〈序列は左右内大臣の順とされている〉

2

橋の上に
参りて、
また酔ひ乱れて
ののしりたまふ。
渡殿の橋の上に
参って、
また酔い乱れて
大声を出しなさる。
〈この橋の上に集う上達部は前も描かれ、また始まった的な意味がある〉
     
折櫃物、
籠物どもなど、
殿の御方より、
まうち君たち
取り続きて
参れる、
高欄に続けて
据ゑわたしたり。
折櫃に入れた物や、
いくつもの籠に入れた物などを、
殿の所から、
家司たちが
次々と
運んできて、
高欄に沿って
並べて置いてあった。
【まうち君たち】-道長家の家司の諸大夫たち。

3

たちあかしの
光の
心もとなければ、
松明の
明かりが
心もとないので、
 
四位少将
などを
呼び寄せて、
紙燭ささせて、
四位少将
などを
呼び寄せて、
紙燭をささせて、
【四位少将】-源雅通
人びとは
見る。
人びとは
それらを見る。
 
     
内裏の
台盤所に
もて参るべきに、
内裏の
台盤所に
持参すべきものだが、
 
明日よりは
御物忌みとて、
今宵みな
急ぎて
取り払ひつ。
明日からは
御物忌みということで、
今夜みな
急いで
取り片付けた。
【取り払ひつ】-底本には「とりはらひつゝ」とある。文意によって『絵詞』の終止形に従う。『新編全集』は底本のまま。

4

 宮の大夫、
御簾のもとに
参りて、
 中宮大夫が、
〈中宮の〉御簾のもとに
参って、
〈宮の大夫:前出藤原斉信。中宮付き役職のトップで正二位。つまりこの人も上達部(三位以上)〉
「上達部、
御前に
召さむ」
と啓したまふ。
「上達部を、
御前に
召しましょう」
と啓上なさる。
 
     
「聞こし
召しつ」
とあれば、
「お聞き
とどけになりました」
と、取り次ぎの女房が言うので、
〈返事が間接になっているが、作法というよりに部下の三位の亮の影になっていた描写から、大夫の影の薄さ・前に出ない性格を表したものと解する。以下6参照〉
殿より
はじめ
たてまつりて、
みな参りたまふ。
殿を
お始め
申して、
みな参上なさる。
 

5

階の
東の間を
上にて、
東の妻戸の
前まで
ゐたまへり。
正面の階の
東の間を
上座として、
東の妻戸の
前まで
お座りになっていた。
【間を上にて、東の】-底本ナシ。『絵詞』によって補う。
     
女房、
二重、
三重づつ
ゐわたりて、
女房たちが、
二列あるいは
三列ずつに
ずらりと座って、
【ゐわたりて】-底本「ゐわたされたり」、『絵詞』には「ゐわたりて」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って改める。『集成』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
御簾どもを
その間に
あたりて
ゐたまへる
人びと、
御簾などを、
その間に
あたりに
座っていらっしゃる
女房たちが、
【ゐたまへるに】-底本「ゐたまへり」、『絵詞』には「ゐたまへるに」とある。『全注釈』と『新大系』は『絵詞』に従って改める。『集成』『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
寄りつつ
巻き上げ
たまふ。
寄り合って
巻き上げ
なさる。
 

6

 大納言の君、
宰相の君、
小少将の君、
宮の内侍

ゐたまへるに、
 大納言の君や
宰相の君、
小少将の君、
宮の内侍
という順に
座っていらっしゃると、
〈紫式部にとって最も近い二人、小少将の君と宰相の君がいる〉
右の大臣
寄りて、
右大臣が
近寄って来て、
〈右の大臣:道長に次ぐ格の藤原顕光(無能者として知られ、朝廷の儀式で失態を繰り返して世間の嘲笑を買ったという)。1で前出〉
御几帳の
ほころび
引き断ち、
乱れたまふ。
御几帳の
切れ目を
引きちぎって、
酔い乱れなさる。
【引き断ち、乱れたまふ】-『絵詞』には「引たちみたり給」とある。「乱る」の四段活用形は他動詞、下二段活用形は自動詞。『全注釈』は「ひき断ちみだりたまふ」と校訂する。
さだ過ぎたり」
度が超えている〉
×「いいお年をして」(渋谷等通説)
【さだ過ぎたり】-右大臣藤原顕光、六十五歳。
〈学説は「さだ」に時を当て年齢にするが定義も解釈も不適当で定が本来。体制側に不都合なら字義を曲げて定義化するのが日本学説DNA〉
つきしろふ
も知らず、
〈人々が指差しつつきあう〉
のも知らずに、

△非難している
〈つきしろふ(突きしろふ):①ねえ(話相手を突き)、②あれあれ(対象を指す。しろふ=し合う)、と交互に指をさす様子。話相手で互いに指さし合うのではない〉
扇を取り、
たはぶれごとの
はしたなき

多かり。
女房の扇を取って〈手を取って〉、
戯れ事といっても
見るに堪えないこと

多かった〉。
×みっともない冗談をたくさん言っていた
〈学説はこれを「冗談」にするが冗談で済まないので「恐ろしかるべき夜」になる。はしたなくても体を引っ張っても(10参照)誤解を招いたら申し訳ないが、そういうつもりではないと言う調子が日本流解釈。こうした無理な理解がこの部分の渋谷逐語訳の顕著な崩れに表われる〉

6a

大夫、
かはらけ
取りて、
そなたに
出で
たまへり。
中宮大夫が、
盃を
取りて、
右大臣の方へ
お出に
なった。
〈大夫は4で前出。上達部だが中宮付つまり女子軍団最高責任者として火消しに行った。41歳対65歳。頼りになる男の描写で、6冒頭有力女子も沢山いて放置できなかったと思う。以下も一見目立たない人が好ましいという文脈。ちなみに学説は以下の描写を大夫が動いたことによるとは全く思ってない〉
     
「美濃山」
うたひて、
催馬楽の「美濃山」を
謡って、
【美濃山】-催馬楽「美濃山」
御遊び、
さまばかり
なれど、
いとおもしろし。
管弦の御遊も
形ばかり
だが
〈とても面白い〉。
×たいそう興趣ある(渋谷)
〈美濃山は「会ふが楽しさや」という歌詞で、上記の危機に催眠的なまでにスローな牽制が入り、その処置を「さまばかり」だが「おもしろ」としたと解する。形だけ(新大系)でも深いとは筋が通らず、集成は「さまばかり」を演奏がわずかとするのは語義文脈から離れた拡大解釈で不適。戯れと遊びは対をなし、無関係ではない。「おもしろ」は面白い(全集)で良い〉
     

7

 その次の間の
東の柱もとに、
右大将
寄りて、
 その次の間の
東の柱もとに、
右大将(実資)が
寄り掛かって、
【右大将】-藤原実資。権大納言兼右大将。五十二歳。『絵詞』には「実資」と割注がある。
     
衣の褄、
袖口かぞへ
たまへる
けしき、
人よりことなり。
女房の衣の褄や
袖口を数え
ていらっしゃる
様子は、
誰よりも格別である。
 
     
酔ひの
まぎれを
あなづりきこえ、
〈私も酔いの
合間の戯れと
軽く侮ってみて〉、
△酔い乱れた席であることをよいことにして
〈本来気軽に声を掛けれる相手ではない意味。例えばパーティーにいるイチロー〉
また誰れとかは
など思ひはべりて、
また誰であるかも分かるまい
と思いまして、
 
はかなき
ことども
言ふに、
右大将にちょっと〈何がしかの〉
言葉を
かけてみると、
 
いみじく
ざれ今めく
人よりも、
ひどく
今風に〈ふざける〉
人よりも、
×しゃれた(渋谷)×しゃれてはなやか(集成)△当世風にきどっている(全集)
〈今めくは常に式部にとって幼稚と同義の侮りで年は関係ない〉
けに
いと恥づかしげ

にこそ
おはす
べかめり
しか。
実に〈それらと異なり
とても恥ずかしげ・奥ゆかしげ

にして
おられる
ようで
あった〉
△たいそう立派な方でいらっしゃるようであった(通説)
【いと恥づかしげに】-底本ナシ。『絵詞』によって補う。
〈学説は「恥ずかしげ」からダイレクトに立派とし、権力の醜態には徹底して向き合わず、戯れ・ざれ今めくとの対照、「けに」からも目を背ける〉
     
盃の順の
来るを、
盃が順に
廻って来るのを、
【おはすべかめり】-『絵詞』は「おはすめり」とある。『全注釈』は『絵詞』に従う。
大将は
おぢたまへど、
右大将は
恐れていらっしゃるが、
【千歳万代】-神楽歌「千歳の法」の歌詞。
例の
ことなしびの、
「千歳万代」
にて
過ぎぬ。
例によって
無難な
「千年も万代も」
の祝い文句で
済ました。
 
     

8

 左衛門督、  左衛門督(公任)が、 【左衛門督】-藤原公任。〈前出。和歌に通じる風流人という触れ込み〉
「あなかしこ、
このわたりに
若紫や
さぶらふ」
「失礼ですが、
この辺に
若紫さんは
おりませんか」😏
【このわたりに】-『絵詞』は「このわたり」とあり「に」が無い。『全注釈』は『絵詞』に従う。
【若紫】-『全注釈』は「我が紫」と解する。〈しかしこれは恐ろしかるべき解釈。「わが紫」(俺の嫁)と呼び掛け無視されるとはどれだけの醜態か。紫式部も若に反論したのではない〉
と、
うかがひ
たまふ。
と、
お探しに
なる。
 
     
源氏に
似るべき人も
見えたまはぬに、
 
かの上は
まいて
いかで
ものし
たまはむと、
聞きゐたり。
光源氏に
似ていそうな人も
お見えにならないのに、
 
あの紫の上が、
どうして
ここに
いらっしゃ
ろうかと、😑
聞き流していた。
【似るべき人】-底本は「かかるへき人」とある。『全注釈』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は『絵詞』に従って「似るべき人」と改める。『集成』は底本のまま、「源氏の君にかかわりのありそうな方」と解す。
〈集成解はぼかしにぼかした骨抜きで不適。しかしそれが黒川本こと宮内庁本の意図だろう。
 その見た目で何を言うかというのは現実的にエグいからだが、美男子性は源氏最大の特徴、つまり紫式部の理想の大前提〉

9

「三位の亮、
かはらけ
取れ」
などあるに、
「三位の亮(実成)、
盃を
受けよ」
などと、殿がおっしゃるので、
【三位の亮】-従三位中宮権亮藤原実成
侍従の宰相
立ちて、
侍従宰相(三位〈の〉亮)は
立ち上って、
【侍従の宰相】-実成。従三位参議兼侍従中宮権亮であった。
内の大臣の
おはすれば、
内大臣(その父の公季)〈も〉が
いらっしゃるので、
【内の大臣】-内大臣藤原公季は実成の父親。
下より
出でたる
を見て、
大臣
酔ひ泣きしたまふ。
下手から
出て来たの
を見て、
内大臣は
感激のあまり酔い泣きなさる。

〈道長が内大臣面前で息子に命令した点に注目。堂々屈服を求める非日本的性格が歴史的権力者となった由縁と思う。内大臣が泣いたのはこれで家系も一安心という貴族的な理由〉

10

権中納言、
隅の間の
柱もとに寄りて、
兵部のおもと
ひこしろひ、
権中納言(隆家)が、
隅の間の
柱もとに寄って、
兵部のおもとの袖を
無理やり引っ張って、
【権中納言】-藤原隆家。中関白家道隆〈約10年前没〉の四男。〈道長の長兄の息子、つまり甥。従二位で29歳。若いのに非常な高位つまり非常な世間知らず〉
【兵部のおもと】-中宮付きの女房。出自未詳。
聞きにくき
たはぶれ声も、
聞くに耐えない
〈いやらしい声をあげて〉いるのに、
×冗談を言って(通説)
〈聞きにくきは、見るに堪えない。目を背けても聞こえてくる。あっ…ダメです…よいではないか…的な感じ〉
殿のたまはず。 殿は何ともおっしゃらない。  全集は最後「のたまはす」とし、聞きにくき以降道長がふざけたことにするが、一貫して見るに堪えない戯れと、かはらけを持って(止めに)行った大夫との対比を骨抜きにする場当たり解釈で不適当。道長の黙認は父の関係もあると「三位の亮」の文脈で示唆したと思う〉