古事記~国生み②島と国 原文対訳

国生み① 古事記
上巻 第一部
イザナギとイザナミ
国生み②
神生み①
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是
二柱神
議云。
 ここに
二柱の神
議はかりたまひて、
 かくて
御二方で
御相談になつて、
今吾所
生之子不良。
「今、吾が
生める子ふさはず。
「今わたしたちの
生うんだ子こがよくない。
猶宜白
天神之御所。
なほうべ
天つ神の御所みもとに
白まをさな」とのりたまひて、
これは
天の神樣のところへ行つて
申しあげよう」と仰せられて、
即共參上。 すなはち
共に參まゐ上りて、
御一緒ごいつしよに
天に上のぼつて

天神之命。
天つ神の命みことを
請ひたまひき。
天の神樣の
仰せをお受けになりました。
     

天神之命以。
ここに
天つ神の命みこと以ちて、
そこで
天の神樣の御命令で
布斗麻邇爾
〈上。此五字以音〉
太卜ふとまにに 鹿の肩の骨をやく
占うらない方かたで
ト相而詔之。 卜うらへてのりたまひしく、 占いをして仰せられるには、
因女先言
而不良。
「女をみなの先立ち言ひしに
因りてふさはず、
「それは女の方ほうが
先さきに物を言つたので
良くなかつたのです。
亦還降
改言。
また還り降あもりて
改め言へ」
とのりたまひき。
歸り降くだつて
改めて言い直したがよい」
と仰せられました。
     

爾反降。
 かれ
ここに降りまして、
そういうわけで、
また降つておいでになつて、
更往廻其
天之御柱
如先。
更に
その天の御柱を
往き廻りたまふこと、
先の如くなりき。
またあの柱を
前のように
お廻りになりました。
     
於是
伊邪那岐命。
ここに
伊耶那岐いざなぎの命、
今度は
イザナギの命みことが
先言
阿那邇夜志
愛袁登賣袁。
まづ
「あなにやし、
えをとめを」
とのりたまひ、
まず
「ほんとうに美うつくしい
お孃さんですね」
とおつしやつて、
後妹
伊邪那美命。
後に
妹伊耶那美いざなみの命、
後に
イザナミの命が

阿那邇夜志
愛袁登古袁。
「あなにやし、
えをとこを」
とのりたまひき。
「ほんとうに
りつぱな青年ですね」
と仰せられました。
     
如此言
竟而。
かくのりたまひ
竟へて、
かように
言い終つて
御合。 御合みあひまして、 結婚をなさつて
生子。
淡道之
穗之狹別嶋。
子みこ
淡道あはぢの
穗ほの狹別さわけの島
を生みたまひき。
御子の
淡路あわじの
ホノサワケの島を
お生みになりました。
〈訓別云和氣。
下效此〉
   
次生
伊豫之
二名嶋。
次に伊豫いよの
二名ふたなの島を
生みたまひき。
次に伊豫いよの
二名ふたなの島(四國)
をお生うみになりました。
此嶋者
身一而
有面四。
この島は
身一つにして
面おも四つあり。
この島は
身み一つに
顏かおが四つあります。
每面有名。 面ごとに名あり。 その顏ごとに名があります。
故伊豫國謂
愛〈上〉比賣。
〈此三字以音
下效此。(也)〉
かれ伊豫の國を
愛比賣
えひめといひ、
伊豫いよの國を
エ姫ひめ
といい、
讚岐國謂
飯依比古。
讚岐さぬきの國を
飯依比古
いひよりひこといひ、
讚岐さぬきの國を
イヒヨリ彦ひこ
といい、
粟國謂
大宜都比賣。
〈此四字以音〉
粟あはの國を、
大宜都比賣おほげつひめ
といひ、
阿波あわの國を
オホケツ姫
といい、
土左國謂
建依別。
土左とさの國を
建依別たけよりわけ
といふ。
土佐とさの國を
タケヨリワケ
といいます。
     
次生
隱伎之
三子嶋。
次に
隱岐おきの
三子みつごの島を
生みたまひき。
次に
隱岐おきの
三子みつごの島を
お生みなさいました。
亦名
天之忍許呂別。
〈許呂二字以音〉
またの名は
天あめの
忍許呂別おしころわけ。
この島は
またの名を
アメノオシコロワケ
といいます。
     
次生
筑紫嶋。
次に
筑紫つくしの島を
生みたまひき。
次に
筑紫つくしの島(九州)
をお生うみになりました。
此嶋亦
身一而
有面四。
この島も
身一つにして
面四つあり。
やはり
身み一つに
顏が四つあります。
每面
有名。
面ごとに
名あり。
顏ごとに
名がついております。
故筑紫國
謂白日別。
かれ筑紫の國を
白日別しらひわけといひ、
それで筑紫つくしの國を
シラヒワケといい、
豐國謂
豐日別。
豐とよの國くにを
豐日別
とよひわけといひ、
豐とよの國を
トヨヒワケといい、
肥國謂
建日向
日豐久士比泥別。
〈自久至泥以音〉
肥ひの國くにを
建日向
日豐久士比泥別
たけひむかひ
とよくじひねわけといひ、
肥ひの國を
タケヒムカヒ
トヨクジヒネワケといい、
熊曾國謂
建日別
〈曾字以音〉
熊曾くまその國を
建日別
たけひわけといふ。
熊曾くまその國を
タケヒワケといいます。
     
次生
伊伎嶋。
次に
伊岐いきの島を
生みたまひき。
次に
壹岐いきの島を
お生みになりました。
亦名謂
天比登都柱。
〈自比至都以音
訓天如天〉
またの名は
天比登都柱
あめひとつはしらといふ。
この島はまたの名を
天一あめひとつ柱はしら
といいます。
次生
津嶋。
次に
津島つしまを
生みたまひき。
次に
對馬つしまを
お生みになりました。
亦名謂
天之
狹手依比賣。
またの名は
天あめの
狹手依比賣さでよりひめといふ。
またの名を
アメノ
サデヨリ姫といいます。
次生
佐度嶋。
次に
佐渡さどの島を生みたまひき。
次に
佐渡さどの島を
お生みになりました。
次生
大倭
豐秋津嶋。
次に
大倭豐秋津
おほやまと
とよあきつ島を生みたまひき。
次に
大倭豐秋津島
おおやまと
とよあきつしま(本州)
をお生みになりました。
亦名謂
天御
虛空
豐秋津根別。
またの名は
天あまつ
御虚空豐秋津根別
みそらとよあきつねわけ
といふ。
またの名を
アマツ
ミソラ
トヨアキツネワケ
といいます。
     
故因此八嶋
先所生
かれこの八島の
まづ生まれしに因りて、
この八つの島が
まず生まれたので

大八嶋國。
大八島おほやしま國
といふ。
大八島國おおやしまぐに
というのです。
     
然後
還坐之時。
 然ありて後
還ります時に、
それから
お還かえりになつた時に

吉備兒嶋。
吉備きびの兒島こじまを
生みたまひき。
吉備きびの兒島こじまを
お生みになりました。
亦名謂
建日方別。
またの名は
建日方別
たけひがたわけといふ。
またの名なを
タケヒガタワケといいます。
次生
小豆嶋。
次に
小豆島あづきしまを
生みたまひき。
次に
小豆島あずきじまを
お生みになりました。
亦名謂
大野手〈上〉比賣。
またの名は
大野手比賣おほのでひめといふ。
またの名を
オホノデ姫ひめといいます。
次生
大嶋。
次に
大島おほしまを
生みたまひき。
次に
大島を
お生うみになりました。
亦名謂
大多麻〈上〉流別
〈自多至流以音〉
またの名は
大多麻流別
おほたまるわけといふ。
またの名を
オホタマルワケといいます。
次生
女嶋。
次に
女島ひめじまを
生みたまひき。
次に
女島ひめじまを
お生みになりました。
亦名謂
天一根。
〈訓天如天〉
またの名は
天一根
あめひとつねといふ。
またの名を
天あめ一つ根といいます。
次生
知訶嶋。
次に
知訶ちかの島を
生みたまひき。
次に
チカの島を
お生みになりました。
亦名謂
天之忍男。
またの名は
天あめの忍男おしをといふ。
またの名を
アメノオシヲといいます。
次生
兩兒嶋。
次に
兩兒ふたごの島を
生みたまひき。
次に
兩兒ふたごの島を
お生みになりました。
亦名謂
天兩屋。
またの名は
天あめの兩屋ふたやといふ。
またの名を
アメフタヤといいます。
〈自吉備兒嶋
至天兩屋嶋
并六嶋〉
吉備の兒島より
天の兩屋の島まで
并はせて六島。
吉備の兒島から
フタヤの島まで
合わせて六島です。
国生み① 古事記
上巻 第一部
イザナギとイザナミ
国生み②
神生み①

解説

 
 
 ここで冒頭で相談される「天神(天つ神)」は、天之御中主神(あめのみなかぬし)の略。最初の最高神。
 ここでその神に相談するイザナギ・イザナミは、いずれも地上(正確にはこの国)の神々の産みの親であり、対になる高ムスビ(高御產巢日神)・神ムスビ(神產巢日神)の投影であるからこう言える。
 相談しうる存在がこの神しかいない。
 

 別天神には、天之常立神(あめのとこたち)という存在がいるが、これも同様の構図。
 つまり実質は天之御中主で別名。常にある神はいわば遍在ということ。世界共通の神。