古事記 用明天皇~原文対訳

7 敏達天皇 古事記
下巻⑧~推古
(系譜のみ十帝)
8 用明天皇
(ようめい)
9 崇峻天皇
目次
(池邊宮)
后妃・皇子女
(石寸掖上→科長中陵)

 

用明天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮(池邊宮)

     
橘豐日命。  弟
橘の豐日とよひの命、
 弟の
タチバナノトヨヒの命(用明天皇)、
坐池邊宮。 池の邊の宮にましまして、 大和の
池の邊の宮においでになつて、
治天下參歲。 三歳天の下治らしめしき。 三年天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

     
此天皇。娶
稻目宿禰大臣之女。
意富藝多志比賣。
この天皇、
稻目いなめの大臣が女、
意富藝多志
おほぎたし比賣に娶ひて、
この天皇は
蘇我そがの
稻目いなめの大臣の女の
オホギタシ姫と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
多米王。
〈一柱〉
多米ための王
一柱。
タメの王お一方です。
     
又娶
庶妹
間人
穴太部王。
また庶妹
間人の
穴太部あなほべの王に
娶ひて、
庶妹
ハシヒトノ
アナホベの王と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
上宮之
厩戶
豐聰耳命。
上うへの宮の
厩戸うまやどの
豐聰耳とよとみみの命、
上の宮の
ウマヤドノ
トヨトミミの命・
次久米王。 次に久米くめの王、 クメの王・
次植栗王。 次に植栗ゑくりの王、 ヱクリの王・
次茨田王。 次に茨田うまらたの王 ウマラタの王
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
當麻之
倉首比呂之女。
飯女之子。
また
當麻たぎまの
倉首比呂くらびとひろが女、
飯いひの子に娶ひて、
また
當麻たぎまの倉の首
ヒロの女の
イヒの子と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
當麻王。 當麻の王、 タギマの王、
次妹
須加志呂古郎女。
次に妹いも
須賀志呂古すがしろこの郎女
スガシロコの郎女
  二柱。 のお二方です。
     

陵(石寸掖上→科長中陵)

     
此天皇。  この天皇 この天皇は
  (丁未の年
四月十五日崩りたまひき)
丁未ひのとひつじの年の
四月十五日にお隱れなさいました。
御陵在
石寸
掖上。
御陵は
石寸いはれの
池の上にありしを、
御陵は
初めは磐余いわれの
掖上わきがみにありましたが
後遷
科長中陵也。
後に科長の中の陵に
遷しまつりき。
後に科長しながの中の陵に
お遷うつし申し上げました。

 

7 敏達天皇 古事記
下巻⑧~推古
(系譜のみ十帝)
8 用明天皇
(ようめい)
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