紫式部日記 24 行幸近くなりぬとて 逐語対訳

初孫を抱く道長 紫式部日記
第二部
水鳥の歌
小少将の君と文
目次
冒頭
1 行幸近くなりぬとて
2 色々移ろひたるも
2a  まして思ふことのすこしも
2b  めでたきことおもしろきこと
3 いかで今はなほもの忘れ
4 ♪水鳥を
5  かれもさこそ心をやりて

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 行幸
近くなりぬ
とて、
 行幸が
近くなった
ということで、
 
殿の内を
いよいよ
繕ひ
磨かせ
たまふ。
殿は邸内を
ますます
手入れさせ
立派にさせ
なさる。
【繕ひ】-底本「つくり」。『絵詞』には「つくろひ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「つくろひ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
     
世におもしろき
菊の根を
尋ねつつ
掘りてまゐる。
世にも美しい
菊の根株を
探しては
掘り出して持ってくる。
 

2

色々
移ろひたるも、
色とりどりに
色変わりしているのも、
 
黄なるが
見どころあるも、
また黄色であるのが
見どころあるのも、
 
さまざまに
植ゑたてたるも、
さまざまに
植えてあるのも、
 
朝霧の
絶え間に
見わたしたるは、
朝霧の
絶え間から
見わたされるのは、
 
げに
老も
しぞきぬべき
心地するに、
なるほど
老いも
取り除ける
心地がするの〈に〉
 
なぞや、 どうしてか、  

2a

まして
思ふことの
すこしも
なのめなる
身ならましかば、
まして
悩みごとが
すこしでも
普通の人程度
〈の身〉であったならば、
【身ならましかば】-底本「事ならましかは」。『絵詞』には「身ならましかは」とある。「事」は「身」の誤写である。
すきずきしくも
もてなし
若やぎて、
一緒に風流めかして
振る舞って
若やいで、
〈渋谷訳「若やいで振舞って」から順変更〉
常なき世をも
過ぐして
まし、
無常の世をも
過ごすことが
できようものを、
 

2b

めでたきこと
おもしろきことを
見聞く
につけても、
おめでたいことや
興趣あることを
見たり聞いたりすること
につけても、
 
ただ
思ひかけたりし
心のひくかた
のみつよくて
もの憂く、
ただ
心に掛けてきた方面の事柄に
心ひかれること
ばかりが強くて
憂鬱なので、
 
思はずに
嘆かしきことの
まさるぞ、
いと苦しき。
思いの外に
嘆かわしいことが
多くなるのが、
とても苦しいのだ。
 

3

いかで
今はなほ
もの忘れしなむ、
何とかして
今はやはり
すべて忘れてしまおう、
 
思ふかひもなし、
罪も深かんなり
など、
考えても意味がないし、
罪障も深いことだ
などと、
【思ふかひ】-「絵詞」は「おもふかひ」とある。『全注釈』『集成』『新大系』は「思ふかひ」と改める。『新編全集』と『学術文庫』は底本のまま。
    【深かなり】-底本「ふかくなり」とある。『絵詞』には「ふかゝんなり」とある。『全注釈』は「深かんなり」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「深かなり」と校訂する。「深かんなり」は「深かるなり」の「る」が撥音便化した語形。
明けたてば
うちながめて、
夜が明ければ
ぼおっと物思いに耽って、
 
水鳥どもの
思ふこと
なげに
遊びあへる
を見る。
池の水鳥たちが
何の思い悩むことも
なさそうに
遊びあっている
のを見る。
 

4

    【水鳥を水の上とやよそに見むわれも浮きたる世を過ぐしつつ】-紫式部の詠歌。『千載集』(巻六 四三〇)に「題しらず」「紫式部」として入集。
水鳥を
 水の上とや
 よそに見む
 われも浮きたる
 世を過ぐしつつ
あの水鳥たちを
 ただ水の上で遊んでいる鳥だと
 他人事と思われようか
 わたしも同じように浮いたような嫌な
 人生を過ごしているのだから
「過ぐし」に関して、底本「すこし」。『絵詞』には「すくし」とある。諸校訂本は「過ぐし」と校訂する。

5

 かれも
さこそ
心をやりて
遊ぶと
見ゆれど、
 あの水鳥たちも
あれほど
満足げに
遊んでいると
見えても、
 
身はいと
苦しかんなりと、

思ひよそへらる。
内心ではとても
苦しいのだろうと、
ついわが身に
思いひき比べられてしまう。