宇治拾遺物語:慈恵僧正、戒壇築きたる事

了延房阿闍梨 宇治拾遺物語
巻第四
4-17 (69)
慈恵僧正
巻第五
四宮河原地蔵

 
 これも今は昔、慈恵僧正は近江国浅井郡の人なり。叡山の戒壇を、人夫かなはざりければ、え築かざりけるころ、浅井の郡司は親しき上に、師壇にて仏事を修する間、この僧正を請じ奉りて、僧膳の料に、前にて大豆を炒りて酢をかけけるを、「何しに酢をばかくるぞ」と問はれけれぼ、郡司いはく、「暖かなる時、酢をかけつれば、すむつかりとて、苦みにてよく挟まるるなり。然らざれば、滑りて挟まれむなり」と言ふ。
 僧正のいはく、「いかなりとも、なじかは挟まぬやうやはあるべき。投げやるとも、はさみ食ひてん」とありければ、「いかでさる事あるべき」とあらがひけり。
 僧正、「勝ち申しなば、異事はあるべからず。戒壇を築きて給へ」とありければ、「易き事」とて、煎大豆を投げやるに、一間ばかりのきてゐ給ひて、一度も落さず挟まれけり。見る者あさまずといふ事なし。
 柚の実の只今搾り出したるを交ぜて、投げて遣りたるをぞ、挟みてすべらかし給ひけれど、おとしもたてず、又やがて挟みとどめ給ひける。郡司一家廣き者なれば、人数をおこして、不日に戒壇を築きてけりとぞ。