平家物語 巻第九 重衡生捕 原文

忠度最期
異:薩摩守最期
平家物語
巻第九
重衡生捕
しげひらいけどり
異:薩摩守最期
敦盛最期

 
 本三位中将重衡卿は、生田の森の副将軍にておはしけるが、その日の装束には、紺に白く黄なる糸をもつて岩に群千鳥縫うたる直垂に、紫すそごの鎧着て、童子鹿毛といふ、聞こゆる名馬に乗り給へり。乳母ごの後藤兵衛盛長は、滋目結の直垂に、緋縅の鎧着、三位中将の秘蔵せられたりし夜目無月毛に乗せられたる。
 助け舟に乗らんとて、汀の方へ細道にかかつて落ち給ふ所に、庄四郎高家、梶原源太景季、よい敵と目をかけ、鞭鐙をあはせて追つかけ奉る。
 渚には儲け船どもいくらもありけれども、後ろより敵は追つかけたり。乗るべき隙もなかりければ、湊河、掻藻河をも打ち渡り、蓮池を馬手になし、駒の林を弓手になし、板宿、須磨をもうち過ぎて、西を指してぞ落ちられける。
 三位中将、聞こゆる童子鹿毛にはのり給へり。もみふせたる馬どものたやすう追つ付くべしとも見えざりければ、梶原源太景季、鐙ふんばり立ち上がり、もしやと、遠矢によつぴいてひやうど放つ。
 三位中将の馬のさんづを箭深に射させ、よわる所に、乳母子の後藤兵衛盛長は、我が馬召されなんとや思ひけん、鞭をうつてぞ落ち行きける。
 

 三位中将、「いかに盛長、我をば捨てていづくへゆくぞ。年頃日頃さは契らぬものを」と宣へども、鎧に付けたりける赤じるしどもかなぐり捨て、そら聞かずして、ただ逃げにこそ逃げたりけれ。
 三位中将、馬はよわる、海へざつとうち入れられたりけれども、そこしも遠浅にて、沈むべきやうもなかりければ、急ぎ馬より飛んで降り、上帯おし切り、高紐はづし、すでに腹を切らんとし給ふ所に、庄四郎高家、鞭鐙を合はせて馳せ来たり。
 急ぎ馬より飛び下り、「まさなう候ふ。いづくまでも御供つかまつり候はんずるものを」とて、我が乗つたりける馬にかき乗せ奉り、鞍の前輪にしめ付け奉て、我が身は乗り替へに乗つてぞ帰りける。
 

 乳母子の盛長は、そこをなつく逃げ延びて、後には熊野法師に、尾中の法橋を頼みてゐたりけるが、法橋死して後、後家の尼公訴訟のために都へのぼるために盛長も供し上りたりければ、三位中将の乳母子にて、上下には多くは見知られたり。
 「あな無慚の盛長や、三位中将のさしも不便にし給ひつるに、一所でいかにもならずして、思ひも寄らぬ尼公の供したる憎さよ」とて、皆つまはじきをぞしければ、盛長もさすが恥づかしうや思ひけん、扇を顔にかざしけるとぞ聞こえし。
 

忠度最期
異:薩摩守最期
平家物語
巻第九
重衡生捕
しげひらいけどり
異:薩摩守最期
敦盛最期