古事記 開化天皇~原文対訳

孝元天皇

古事記
中巻②八帝
(欠史八代:2-9代)

9代 開化天皇

崇神天皇

目次
9代 開化天皇(かいか)
(春日之伊邪河宮)
后妃・皇子女
御眞木入日子印惠命
(ミマキイリヒコイニエの命・崇神天皇)
比古由牟須美王 (ヒコユムスミの王)
日子坐王 (ヒコイマスの王)
傍系の系譜
(伊邪河之坂上・いざかわの坂の上)

 

開化天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮(春日之伊邪河宮・かすがのいざかわの宮)

     
若倭根子日子
大毘毘命。
 若倭根子日子大毘毘
わかやまとねこひこ
おほびびの命、
 ワカヤマトネコ彦
オホビビの命(開化天皇)、
坐春日之
伊邪河宮。
春日かすがの
伊耶河いざかはの宮
にましまして、
大和の春日の
イザ河の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

     
此天皇。娶
旦波之
大縣主。
名由碁理之女。
竹野比賣。
この天皇、
旦波たにはの
大縣主おほあがたぬし、
名は由碁理ゆごりが女むすめ、
竹野たかの比賣に娶ひて、
この天皇は、
丹波たんばの
大縣主おおあがたぬし
ユゴリの女の
タカノ姫と結婚して
生御子。
比古由牟須美命。
〈一柱。
此王名以音〉
生みませる御子、
比古由牟須美
ひこゆむすみの命一柱。
お生みになつた御子は
ヒコユムスミの命
お一方です。
     
又娶
庶母
伊迦賀色許賣命。
また
庶母みままはは
伊迦賀色許賣
いかがしこめの命に娶ひて、
また
イカガシコメの命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は
御眞木入日子
印惠命。
〈印惠二字以音〉
御眞木入日子印惠
みまきいりひこ
いにゑの命、
ミマキイリ彦
イニヱの命と
次御眞津比賣命。
〈二柱〉
次に御眞津みまつ比賣の命
二柱。
ミマツ姫の命との
お二方です。
     
又娶
丸邇臣之祖。
日子國
意祁都命之妹。
意祁都比賣命。
〈意祁都三字以音〉
また
丸邇わにの臣の祖、
日子國意祁都
ひこくにおけつの命が妹、
意祁都おけつ比賣の命に
娶ひて、
また
丸邇わにの臣の祖先の
ヒコクニオケツの命の妹の
オケツ姫の命と
結婚して
     
生御子。
日子坐王。
〈一柱〉
生みませる御子、
日子坐ひこいますの王
一柱。
お生みになつた御子は
ヒコイマスの王みこ
お一方です。
     
又娶
葛城之
垂見宿禰之女。
鸇比賣。
また葛城かづらきの
垂見たるみの宿禰が女、
鸇わし比賣に娶ひて
また葛城かずらきの
タルミの宿禰の女の
ワシ姫と結婚して
生御子
建豐
波豆羅和氣王。
〈一柱。
自波下五字以音〉

生みませる御子、
建豐波豆羅和氣
たけとよ
はつらわけの王
一柱。
お生みになつた御子は
タケトヨ
ハツラワケの王
お一方です。
     
此天皇之御子等。
并五柱。
〈男王四。女王一〉
この天皇の御子たち、
并はせて五柱
(男王四柱、女王一柱)
合わせて五人
おいでになりました。
     

御眞木入日子印惠命(崇神天皇)

     

御眞木入日子
印惠命者。
治天下也。
かれ
御眞木入日子印惠
みまきいりひこ
いにゑの命は、
天の下治らしめしき。
このうち
ミマキイリ彦
イニヱの命は
天下をお治めなさいました。
     

比古由牟須美王

     
其兄
比古由牟須美
王之子。
その兄みこのかみ
比古由牟須美
ひこゆむすみの
王の御子、
その兄
ヒコユムスミの
王の御子は、
大筒木垂根王。 大筒木垂根
おほつつきたりねの王、
オホツツキタリネの王と
次讚岐垂根王。
〈二王。
讚岐二字以音〉
次に讚岐垂根
さぬきたりねの王
二柱。
サヌキタリネの王と
お二方で、
此二王之女。
五柱坐也。
この二柱の王の女、
五柱ましき。
この二王の女は
五人ありました。
     

日子坐王

     
次日子坐王。娶
山代之
荏名津比賣。
亦名
苅幡戸辨。
〈此一字以音〉
次に
日子坐ひこいますの王、
山代やましろの
荏名津えなつ比賣、
またの名は
苅幡戸辨かりはたとべ
に娶ひて
次にヒコイマスの王が
山代やましろの
エナツ姫、
またの名は
カリハタトベ
と結婚して
生子。
大俣王。次
小俣王。次
志夫美宿禰王。
〈三柱〉
生みませる子、
大俣おほまたの王、次に
小俣をまたの王、次に
志夫美しぶみの宿禰すくねの王
三柱。
生んだ子は
オホマタの王と
ヲマタの王と
シブミの宿禰の王と
お三方です。
     
又娶
春日
建國勝戸賣之女。
名沙本之
大闇見戸賣。
また春日かすがの
建國勝戸賣
たけくにかつとめが女、
名は沙本さほの
大闇見戸賣おほくらみとめに娶ひて、
またこの王が春日の
タケクニカツトメの女の
サホの
オホクラミトメと結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子が
沙本毘古王。 沙本毘古さほびこの王、 サホ彦の王・
次袁邪本王。 次に袁耶本をざほの王、 ヲザホの王・
次沙本毘賣命。
亦名佐波遲比賣。
次に沙本さほ毘賣の命、
またの名は佐波遲さはぢ比賣、
サホ姫の命・
(サホ姫の命は
またの名はサハヂ姫で、
〈此沙本毘賣命者。
爲伊久米天皇之后。
(この沙本毘賣の命は
伊久米三の天皇の
后となりたまへり。)
この方は
イクメ天皇の
皇后樣におなりになりました)
自沙本毘古以下
三王名皆以音〉
   
次室毘古王。
〈四柱〉
次に室毘古むろびこの王
四柱。
ムロビコの王の
お四方です。
     
又娶
近淡海之
御上
祝以伊都玖。
〈此三字以音〉
また近ちかつ
淡海あふみの
御上みかみの
祝はふりがもち
いつく、
また近江の國の
御上みかみ山の
神職がお祭する
天之御影神之女。
息長水依比賣。
天あめの御影みかげの神が女、
息長おきながの
水依みづより比賣に娶ひて、
アメノミカゲの神の女
オキナガノミヅヨリ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
丹波
比古多多須
美知能宇斯王。
〈此王名以音〉
丹波たにはの
比古多多須美知能宇斯
ひこたたすみちのうしの王、
丹波ノ
ヒコタタス
ミチノウシの王・


水穂眞若王。
次に
水穗みづほの
眞若まわかの王、
ミヅホノ
マワカの王・

神大根王。
亦名
八瓜
入日子王。
次に
神大根
かむおほねの王、
またの名は
八瓜やつりの
入日子いりひこの王、
カムオホネの王、
またの名は
ヤツリの
イリビコの王・

水穂
五百依比賣。
次に水穗みづほの
五百依いほより比賣、

ミヅホノ
イホヨリ姫・
次御井津比賣。 次に御井津みゐつ比賣 ミヰツ姫の
〈五柱〉 五柱。 五人です。
     
又娶
其母弟。
袁祁都比賣命。
またその母の弟
袁祁都をけつ比賣の命に
娶ひて、
また母の妹
オケツ姫と
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
山代之
大筒木
眞若王。
山代やましろの
大筒木おほつつきの
眞若まわかの王、
山代の
オホツツキの
マワカの王・
次比古意須王。 次に比古意須ひこおすの王、 ヒコオスの王・
次伊理泥王。 次に伊理泥いりねの王 イリネの王の
〈三柱。此二王名以音〉 三柱。 三人です。
     

傍系の系譜

     
凡日子坐王之子。
并十一王。
およそ日子坐ひこいますの王の子、
并はせて十五王とをまりいつはしら。
すべてヒコイマスの王の御子は
合わせて十五人ありました。
     
故兄
大俣王之子。
かれ兄このかみ
大俣おほまたの王の子、
兄のオホマタの王の子は
曙立王。 曙立あけたつの王、 アケタツの王・
次菟上王。 次に菟上うがかみの王 ウナガミの王の
〈二柱〉 二柱。 二人です。
此曙立王者。
〈伊勢之品遲部君。
伊勢之佐那造之祖〉
この曙立あけたつの王は、
伊勢の品遲ほむぢ部、
伊勢の佐那の造が祖なり。
このアケタツの王は、
伊勢の品遲部ほんじべ・
伊勢の佐那の造の祖先です。
次菟上王者。
〈比賣陀君之祖〉
菟上うながみの王は、
比賣陀の君が祖なり。
ウナガミの王は、
比賣陀の君の祖先です。
     
次小俣王者。
〈當麻勾君之祖〉
次に小俣をまたの王は
當麻の勾の君が祖なり。
次にヲマタの王は
當麻たぎまの
勾まがりの君の祖先です。
次志夫美
宿禰王者。
〈佐佐君之祖也〉
次に
志夫美しぶみの
宿禰すくねの王は
佐佐の君が祖なり。
次にシブミの宿禰の王は
佐佐の君の祖先です。
次沙本毘古王者。
〈日下部連。
甲斐國造之祖〉
次に沙本毘古さほびこの王は、
日下部の連、
甲斐の國の造が祖なり。
次にサホ彦の王は
日下部くさかべの連・
甲斐の國の造の祖先です。
次袁邪本王者。
〈葛野之別。
近淡海蚊野之別祖也〉
次に袁耶本をざほの王は、
葛野の別、
近つ淡海の
蚊野の別が祖なり。
次にヲザホの王は
葛野かずのの別・
近つ淡海の
蚊野かやの別の祖先です。
次室毘古王者。
〈若狹之耳別之祖〉
次に室毘古むろびこの王は、
若狹の耳の別が祖なり。
次にムロビコの王は
若狹の耳の別の祖先です。
     
其美知能宇志王。

丹波之
河上之摩須
郎女。
その美知能宇志
みちのうしの王、
丹波たにはの
河上の摩須ますの
郎女いらつめに娶ひて、
そのミチノウシの王が
丹波の
河上のマスの
郎女いらつめと
結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ子は
比婆須比賣命。 比婆須ひばす比賣の命、 ヒバス姫の命・
次眞砥野比賣命。 次に眞砥野まとの比賣の命、 マトノ姫の命・
次弟比賣命。 次に弟おと比賣の命、 オト姫の命・
次朝廷別王。 次に朝廷別みかどわけの王 ミカドワケの王の
〈四柱〉 四柱。 四人です。
     
此朝廷別王者。
〈三川之穂別之祖〉
この朝廷別
みかどわけの王は、
三川の穗の別が祖なり。
このミカドワケの王は、
三川の穗の別の祖先です。
此美知能宇斯王之弟。
水穂眞若王者。
〈近淡海之安直之祖〉
この美知能宇斯みちのうしの王の弟、
水穗みづほの眞若まわかの王は、
近つ淡海の安の直が祖なり。
このミチノウシの王の弟
ミヅホノマワカの王は
近つ淡海の安の直の祖先です。
     
次神大根王者。
〈三野國之
本巣國造。
長幡部連之祖〉
次に神大根かむおほねの王は、
三野の國の造、
本巣の國の造、
長幡部の連が祖なり。
次にカムオホネの王は
三野の國の造・
本巣もとすの國の造・
長幡部ながはたべの連の祖先です。
     
次山代之
大筒木眞若王。娶
同母弟伊理泥王之女。
丹波能
阿治佐波毘賣。
次に山代やましろの
大筒木眞若
おほつつきまわかの王、
同母弟いろせ伊理泥いりねの王が女、
丹波の
阿治佐波あぢさは毘賣に娶ひて、
その山代やましろの
オホツツキマワカの王は
弟君イリネの王の女の
丹波たんばの
アヂサハ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ御子は、
迦邇米雷王。
〈迦邇米三字以音〉
迦邇米雷
かにめいかづちの王、
カニメイカヅチの王です。
     
此王。
娶丹波之
遠津臣之女。
名高材比賣。
この王、
丹波たにはの
遠津とほつの臣が女、
名は高材たかき比賣に娶ひて、
この王が
丹波たんばの
遠津の臣の女の
タカキ姫と結婚して
生子。
息長宿禰王。
生みませる子、
息長おきながの宿禰の王、
生んだ御子は
オキナガの宿禰の王です。
     
此王娶
葛城之
高額比賣。
この王、
葛城かづらきの
高額たかぬか比賣に娶ひて、
この王が
葛城のタカヌカ姫と結婚して
生子。 生みませる子、 生んだ御子が
息長帶比賣命。 息長帶おきながたらし比賣の命、 オキナガタラシ姫の命・
次虚空津比賣命。 次に虚空津そらつ比賣の命、 ソラツ姫の命・
次息長日子王。 次に息長日子おきながひこの王 オキナガ彦の王の
〈三柱。 三柱。 三人です。
此王者。
吉備品遲君。
針間阿宗君之祖〉
この王は
吉備の品遲の君、
針間の阿宗の君が祖なり。
このオキナガ彦の王は、
吉備の品遲ほむじの君・
播磨の阿宗の君の祖先です。
     

又息長宿禰王。
また息長おきながの宿禰の王、 またオキナガの宿禰の王が、

河俣
稻依毘賣。
河俣かはまたの
稻依いなより毘賣に
娶ひて、
カハマタノ
イナヨリ姫と
結婚して
生子。
大多牟坂王。
〈多牟二字以音。
此者。
多遲摩國造之祖也〉
生みませる子、
大多牟坂
おほたむさかの王、
こは
多遲摩の國の造が祖なり。
生んだ子が
オホタムサカの王で、
この方は
但馬たじまの國の造の祖先です。
     
上所謂。
建豐
波豆羅和氣王者。
上かみにいへる
建豐波豆羅和氣
たけとよはづらわけの王は
上に出た
タケトヨ
ハヅラワケの王は、
〈道守臣。 道守の臣、 道守の臣・
忍海部造。 忍海部の造、 忍海部の造・
御名部造。 御名部の造、 御名部の造・
稻羽忍海部。 稻羽の忍海部、 稻羽の忍海部・
丹波之竹野別。 丹波の竹野の別、 丹波の竹野の別・
依網之阿毘古等之祖也〉 依網の阿毘古等が祖なり。 依網よさみの阿毘古等の祖先です。
     

陵(伊邪河之坂上・いざかわの坂の上)

     
天皇
御年陸拾參歳。
 天皇、
御年六十三歳むそぢまりみつ、
この天皇は
御年六十三歳、
御陵在伊邪河之坂上也。 御陵は伊耶河いざかはの坂の上にあり。 御陵はイザ河の坂の上にあります。
     
孝元天皇

古事記
中巻②八帝
(欠史八代:2-9代)

9代 開化天皇

崇神天皇