伊勢物語 77段:安祥寺のみわざ あらすじ・原文・現代語訳

第76段
小塩の山
伊勢物語
第三部
第77段
安祥寺のみわざ
第78段
山科の宮

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  みまそかり 
 
  千捧ばかり 
 
  右大将 右馬頭 
 
  あはれがり
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 むかし、文徳(田村)帝の女御、たかき子という者が亡くなり、山科の安祥寺で法要をした。捧げ物が多くなびき山も動くようだった。
 講が終わり、右大将が人々に春の歌と注文した。そこで右馬頭の翁が、目を白黒させて詠む。
 

 山のみな うつりて今日に逢ふことは 春の別れを とふとなるべし 
 と詠んだが、今見ると別に良くもない。しかしその馬頭の上司は、この歌が一番良いとあはれがったのであった。
 
 ~
 

 「右馬頭なりける翁」とは、右大将とかけ中将(業平)。前段の「近衛府にさぶらひける翁」が右。連続する翁は物語でここにしかない。
 加えて次段で「むかし、多賀幾子と申す女御…失せ給ひ…みわざ安祥寺」「右大将藤原常行」「右馬頭なりける人」とあるから「翁」は単なる蔑称。
 ここで翁とは誰か、とか「馬頭」を無視するのは、前後も全体も全然読んでない。うわべだけ。冒頭及び人物は緻密にかけてかいてある。
 

 「目はたがひながらよみける」は、戸惑う様子。なぜなら歌の実力がないから。それが著者の感想。
 

 なぜあはれがられたかというと、大将にも大して心得はないから(というより、ここは次段(山科の宮)でのいたずらの伏線)。
 こうして会うのはお別れ(法要)のため、それでよし。春と別れは関係ないが別に良い。そのレベル(三月のつごもり云々は関係ない)。
 
 歌全体として、表面的に描写したに過ぎない。
 「とふとなるべし」とは、そう問われたから歌いましたという無意味な字句稼ぎ。

 意味がないことに意味を見出そうとしても、何も出てこない。
 

 導入の、山も動くように見えたとは、著者なりのヒント。俺はこう思ったと。
 

 「春霞 山もなくらむ ちささげに
  儚く散るらん 雪の花かな」
 
 う~ん、中々良いでしょ。もち自作ね。
 遥か住み、と泣くと無くで泣く泣く、往きと雪をかけ、春と儚く花香で韻を踏む。その心は捧げ物。
 このへんにしときましょ。
 
 なお、なぜここにいるように描写しているかというと、女御云々は著者の領域の話だから(縫殿の六歌仙)。
 したがって二条の后に近く、詳しい。その匿名性に乗じて乗っ取り、貶めているのが業平。
 
 ~
  

 「目はたがひ」は、老眼で山が動いたと見間違った? なんですそれは? そういう翁は危ないから山科まで行かない方がいい。
 だからここでの「翁」は蔑称。もちろん在五も。なんでこの段だけしか見ないのか。直前直後の段はどうなる。視野の問題?
 
 何もないのにばか(馬頭)にはしない。人以前のことをしたから(63段・65段)。
 前段では、偉そうに二条の后をくさした。その恋愛相手? なわけない。だから「翁」。
 というのも、この子達は守るべき子達だから。縫殿は女官人事も担当。だから局の話も出てくる(31段・忘草)。
 だからここでは、儀式を執り行う側。列席しているだけの近衛達とは立場が違う。目のつけどころが全然ズレている。
 
 明らかにおかしなことでもそれでいい、意味ないと思えることこそ意味があるという、無意味に倒錯した発想、それが大体○教。
 なぜそういうことを言うかというと、ばれると困るから。中身がないのに虚勢を張っていることがばれると困る。
 それが業平説とうっすい屏風の話(古今294)。その話にもやはり坊がからんでる(素性。古今293)。しかも二世同士。
 しかし引き返すことも難しい。その意味では道は一つしかない。悔い改める。日々自ら不断に省みる。これしかない。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第77段 安祥寺のみわざ 欠落
   
   むかし、  むかし、  
  田村の帝と申す帝 田むらのみかどゝ申すみかど  
  おはしましけり。 おはしましけり。  
  その時の女御、多賀幾子と申す その時の女御、たかきこと申す  
  みまそかりけり。 みまそかりけり。  
  それ失せ給ひて、安祥寺にて、 それうせたまひて安祥寺にて、  
  みわざしけり。 みわざしけり。  
       
  人々さゝげもの奉りけり。 人々さゝげものたてまつりけり。  
  奉りあつめたるもの たてまつりあつめたる物、  
  千捧ばかりあり。 ちさゝげばかりあり。  
  そこばくのさゝげものを そこばくのさゝげものを  
  木の枝につけて 木のえだにつけて、  
  堂の前にたてたれば、 だうのまへにたてたれば、  
  山もさらに堂の前に 山もさらにだうのまへに  
  うごき出でたるやうに見えける。 うごきいでたるやうになむ見えける。  
       
  それを、 それを、  
右大将にいまそかりける 右大将にいまそかりける  
  藤原常行と申すいまそかりて、 ふぢはらのつねゆきと申すいまそかりて、  
  講の終るほどに、 かうのをはるほどに、  
  歌を詠む人々を召しあつめて、 うたよむ人々をめしあつめて、  
  けふのみわざを題にて、 けふのみわざを題にて、  
  春の心ばへある歌を奉らせ給ふ。 春の心ばえあるうたゝてまつらせ給。  
(♂) 右馬頭なりける翁、 右のむまのかみなりけるおきな、  
  目はたがひながらよみける。 めはたがひながらよみける。  
       

140
 山のみな
 うつりて今日に逢ふことは
 山のみな
 うつりてけふにあふことは
 
  春の別れを
  とふとなるべし
  はるのわかれを
  とふとなるべし
 
       
  とよみたるけるを、 とよみたりけるを、  
  いま見ればよくもあらざり。 いま見ればよくもあらざりけり。  
  そのかみはこれやまさりけむ、 そのかみはこれやまさりけむ、  
  あはれがりけり。 あはれがりけり。  
   

現代語訳

 
 

みまそかり

 

むかし、田村の帝と申す帝おはしましけり。
その時の女御、多賀幾子と申す、みまそかりけり。
それ失せ給ひて、安祥寺にてみわざしけり。

 
 
むかし
 

田村の帝と申す帝おはしましけり
 

 田村の帝:文徳天皇(827-858≒31歳)。御陵の在所により「田邑(田村)帝」ともいう。
 なおこの帝は、69段(狩の使)末尾で、伊勢斎宮の親とされた。そこでは「文徳天皇」。
 このように同一人物を違う表現で書き分けている。田村としたのは、死にまつわるから。
 「馬頭」の「翁」も同様に意味がある。
 

その時の女御、多賀幾子(たかきこ)と申す、みまそかりけり
 その時の女御(≒めかけ)たかき子という者が、今にも死にそうであった。
 

 みまそかり:みまかり×いまそがり。つまり、今にもみまかりそう。
 後述の「右大将にいまそかり」と、明確に書き分けている。
 
 みまそかりの直後「失せたまひ」とあえて書く。
 始めから失せたとかけばいいものを、なぜ書く? だから意図して書き分けていると、あえてアピールしている。
 つまり前段で、藤原高子と書かず「二条の后のまだ春宮」としたのは、藤原の氏神に行ったのではない、伊勢の話という暗示でもある。
 それに、著者に近い人物の名は出さない(有常は例外)。よって、当然在五は著者と違う。
 

 みまかる 【身罷る】
 :死ぬ。
 

 いまそがり 【在そがり】
 :いらっしゃる。
 

それ失せ給ひて安祥寺にてみわざしけり
 その人が亡くなられ、安祥寺で法要をした。
 

 安祥寺:山科にある山寺。だから山にかけた内容。
 

 わざ :ここでは仏事。法要。
 
 

千捧ばかり

 

人々さゝげもの奉りけり。
奉りあつめたるもの千棒ばかりあり。
そこばくのさゝげものを木の枝につけて堂の前にたてたれば、
山もさらに堂の前にうごき出でたるやうに見えける。

 
 
人々さゝげもの奉りけり
 人々が捧げ物を奉った。
 

奉りあつめたるもの千捧(ちさゝげ)ばかりあり
 それを集めた物が千ばかりあった。
 

 千捧:千の捧げ物。ちささげ。ちいさげに掛けている。
 何なのかは不明。ヒラヒラしたものだろう。
 説明がないということは、ブツ自体に意味はない。
 

そこばくのさゝげものを木の枝につけて
 そこらへんの捧げ物を木の枝につけて
 

 そこばく 【若干・幾許/許多×】
 :千とかけて若干。
 山にかけて沢山とみるのもいいが、そうではなく、ちささげとあわせ皮肉。
 竹取の「そこらのこがね」と全く同様。
 

堂の前にたてたれば
 寺の本堂の前に立てると
 

山もさらに堂の前にうごき出でたるやうに見えける
 山科の山も、堂の前に動いて見えるかのようであった。
 
 つまり大袈裟という皮肉。物理的な大きさは関係ない。
 そしてこれは著者の親切なフリ。
 前段の近衛の翁の歌で、小塩の山で辛いという発想を、この情景にかけないの? という意味。
 
 例えば、「遥か住み(春霞) 山もなく(泣く)らむ ちささげの」 などとそんな感じで。
 
 裏返せば、前段の歌にそういう例えの意図はない。
 
 

右大将

 

それを、右大将にいまそかりける藤原常行と申すいまそかりて、
講の終るほどに、歌を詠む人々を召しあつめて、
けふのみわざを題にて、春の心ばへある歌を奉らせ給ふ。

 
 
それを
 

右大将にいまそかりける
 右大将にあらせられる
 
 右大将:記録によると右近衛大将。
 

藤原常行と申すいまそかりて
 常行というのがいて
 

講の終るほどに
 坊の講釈が終わるほどに
 

歌を詠む人々を召しあつめて
 歌を詠める人々を集めて
 

けふのみわざを題にて
 今日の法要の講義を題に
 

春の心ばへある歌を奉らせ給ふ
 春の心栄えある歌を、奉ってくれたまえという。
 
 

右馬頭

 

右馬頭なりける翁、目はたがひながらよみける。
 
山のみな うつりて今日に逢ふことは
 春の別れを とふとなるべし
 
とよみたるけるを、いま見ればよくもあらざり。

 
 
右馬頭なりける翁
 そこで、馬頭なりける翁が、
 
 馬頭なりける翁:一般に問題なく業平と解される。
 
 前段の「近衛府にさぶらひける翁」とかけ、大将と中将(63段)を対比。
 

目はたがひながらよみける
 目を白黒させながら詠む。
 
 白黒はこういう時の色なので補う。突然の上司のフリに動揺している表現。竹取でいう「こなたかなたの目」。
 

 目を白黒させる
 :せわしなく目玉を動かす。 驚くさま。 また、物がのどにつかえたりして、苦しむさま。
 
 老眼で捧げ物を山と見間違えた →本気? じゃないよね。
 その時点で馬頭の頭がおかしいことの証だし、そういう認知では行動も危うい。
 しかしそういう例え・皮肉を、なぜいつも額面通りに見るのか。歌のネタだって。頭かたすぎる。
 

山のみな うつりて今日に 逢ふことは
 

春の別れを とふとなるべし
 
 「春の別れ」とは、春の心栄えと問われたお題と、人が亡くなったことにかけただけの、見て・聞いたまんまの内容。
 三月つごもり云々は関係ない。
 
 山をあれこれ論じても意味はない。だから伊勢の著者的に内容は良くない、つまり大して意味はないと言っているだろう。
 だから捧げ物をさらしたら、大幣のようにサワサワしている木のようだ、それだけ。山がうつったようだって、小学生か。
 仏教的な釈が好きなら知らんけど、伊勢はそういうのと関係ない。神の領域の話なので。
 みわざも、本来寺のものではない。だから忌み事の領域。
 

とよみたるけるを
 と詠んだのを
 

いま見ればよくもあらざり
 今見れば全然良くもないが
 
 

あはれがり

 

そのかみはこれやまさりけむ、あはれがりけり。

 
そのかみは、これやまさりけむ
 その上司は、これが優れているなと
 

あはれがりけり
 あはれがったのであった。
 
 普通の感覚なら「春の別れ」で単純に葬式にかけて言っているということで、お~いいんじゃないの、それであはれがっている。
 しかしよく見ると普通なら、別に良くはないよなと。そういうトンチ。