古事記 相楽と弟国~原文対訳

菟上王 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
後日談
①相楽と弟国
時じくのかくの木の実
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
又隨
其后之白。
 またその后の白したまひし
まにまに、
 天皇はまたその皇后サホ姫の
申し上げたままに、
喚上
美知能宇斯王之女等。
美知能宇斯
みちのうしの王の女たち一、
ミチノウシの王の娘たちの
比婆須比賣命。 比婆須ひばす比賣の命、 ヒバス姫の命・
次弟比賣命。 次に弟おと比賣の命、 弟おと姫の命・
次歌凝比賣命。 次に歌凝うたこり比賣の命、 ウタコリ姫の命・
次圓野比賣命。 次に圓野まとの比賣の命、 マトノ姫の命の
并四柱。 并はせて四柱を
喚上めさげたまひき。
四人を
お召しになりました。
     
然留
比婆須比賣命。
弟比賣命
二柱而。
然れども
比婆須ひばす比賣の命、
弟比賣おとひめの命、
二柱を留めて、
しかるに
ヒバス姫の命・
弟姫の命の
お二方ふたかたはお留めになりましたが、
其弟王二柱者。 その弟王おとみこ二柱は、 妹のお二方は
因甚凶醜。 いと醜きに因りて 醜かつたので、
返送本土。 本もとつ土くにに
返し送りたまひき。
故郷に
返し送られました。
     
於是圓野比賣
慚言。
ここに圓野まとの比賣
慚やさしみて
そこでマトノ姫が耻はじて、
同兄弟之中。 「同兄弟はらからの中に、 「同じ姉妹の中で
以姿醜被還之事。 姿醜みにくきによりて、
還さゆる事、
顏が醜いによつて
返されることは、
聞於隣里。 隣里ちかきさとに聞えむは、 近所に聞えても
是甚慚而。 いと慚やさしきこと」といひて、 耻はずかしい」と言つて、
到山代國之
相樂時。
山代の國の
相樂さがらかに到りし時に、
山城の國の
相樂さがらかに行きました時に
取懸樹枝而
欲死。
樹の枝に取り懸さがりて、
死なむとしき。
木の枝に懸かつて
死のうとなさいました。
     
故號其地謂
懸木。
かれ其地そこに名づけて、
懸木さがりきといひしを、
そこで其處の名を
懸木さがりきと言いましたのを
今云相樂。 今は相樂さがらかといふ。 今は相樂さがらかと言うのです。
     
又到弟國之時。 また弟國おとくにに到りし時に、 また弟國おとくにに行きました時に
遂墮峻淵而死。 遂に峻ふかき淵に墮ちて、死にき。 遂に峻けわしい淵に墮ちて死にました。
     
故號其地。 かれ其地そこに名づけて、 そこでその地の名を
謂墮國。 墮國おちくにといひしを、 墮國おちくにと言いましたが、
今云弟國也。 今は弟國といふなり。 今では弟國おとくにと言うのです。
菟上王 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
後日談
①相楽と弟国
時じくのかくの木の実