徒然草240段 しのぶの浦の蜑:原文

八月十五日 徒然草
第六部
240段
しのぶの浦
望月

 
 しのぶの浦の蜑の見るめも所せく、くらぶの山も守る人繁からんに、わりなく通はん心の色こそ、浅からず、あはれと思ふ、節々の忘れ難き事も多からめ、親、はらから許して、ひたふるに迎へ据ゑたらん、いとまばゆかりぬべし。
 

 世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など言ふを、仲人、いづかたも心にくき様に言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて来たらんあいなさよ。
何事をか打ち出づる言の葉にせん。
年月のつらさをも、「分け来し葉山の」なども相語らんこそ、尽きせぬ言の葉にてもあらめ。
 

 すべて、余所の人の取りまかなひたらん、うたて心づきなき事多かるべし。
よき女ならんに付けても、品下り、醜く、年も長けなん男は、かくあやしき身のために、あたら身をいたづらになさんやはと、人も心劣りせられ、我が身は、向かひゐたらんも、影恥づかしく覚えなん。
いとこそあいなからめ。
 

 梅の花かうばしき夜の朧月にたたづみ、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身様にしのばるべくもなからん人は、ただ、色好まざらんには如かじ。