古事記 孝霊天皇~原文対訳

孝安天皇

古事記
中巻②八帝
(欠史八代:2-9代)
7代 孝霊天皇

孝元天皇

目次
7代 孝霊天皇(こうれい)
(黒田廬戸宮)
后妃・皇子女
大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)
大吉備津日子命と若建吉備津日子命
(吉備国平定)
傍系の系譜
(片岡馬坂上)

 

孝霊天皇

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

宮(黒田廬戸宮・くろだのいほどの宮)

     
大倭根子日子
賦斗邇命。
 大倭根子日子賦斗邇
おほやまとねこひこふとにの命、
 オホヤマトネコ彦
フトニの命(孝靈天皇)、
坐黒田廬戸宮。 黒田くろだの
廬戸いほどの宮にましまして、
大和の黒田の
廬戸いおとの宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

后妃・皇子女

     
此天皇。娶
十市縣主之祖。
大目之女。
名細比賣命。
この天皇、
十市とをちの縣主の祖、
大目おほめが女、
名は細くはし比賣の命に娶ひて、
この天皇、
トヲチの縣主の祖先の
オホメの女の
クハシ姫の命と結婚して
生御子。
大倭根子日子
國玖琉命。
〈一柱。
玖琉二字以音〉
生みませる御子、
大倭根子日子國玖琉
おほやまとねこひこくにくるの命
一柱。
お生みになつた御子は、
オホヤマトネコ彦
クニクルの命
お一方です。
     
又娶
春日之
千千速眞若比賣。
また春日かすがの
千千速眞若
ちぢはやまわか比賣に娶ひて、
また春日かすがの
チチハヤマワカ姫と結婚して
生御子
千千速比賣命。
〈一柱〉
生みませる御子、
千千速ちぢはや比賣の命
一柱。
お生みになつた御子は、
チチハヤ姫の命
お一方です。
     
又娶
意富夜麻登
玖邇阿禮比賣命。
また
意富夜麻登玖邇阿禮
おほやまと
くにあれ比賣の命に娶ひて、
オホヤマト
クニアレ姫の命と結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
夜麻登
登母母曾毘賣命。
夜麻登登母母曾毘賣
やまと
とももそびめの命、
ヤマト
トモモソ姫の命・

日子刺肩別命。
次に日子刺肩別
ひこさしかたわけの命、
ヒコサシ
カタワケの命・

比古伊
佐勢理毘古命。
次に比古伊佐勢理毘古
ひこいさせりびこの命、
ヒコイ
サセリ彦の命、
亦名
大吉備津日子命。
またの名は
大吉備津日子
おほきびつひこの命、
またの名は
オホキビツ彦の命・


飛羽矢若屋比賣。
次に
倭飛羽矢若屋
やまととびはやわかや比賣
ヤマト
トビハヤワカヤ姫の
〈四柱〉 四柱。 お四方です。
     
又娶
其阿禮比賣命之弟。
蠅伊呂杼。
またその
阿禮あれ比賣の命の弟、
繩伊呂杼はへいろどに娶ひて、
またそのアレ姫の命の
妹ハヘイロドと結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子は、
日子寤間命。 日子寤間
ひこさめまの命、
ヒコサメマの命と

若日子建
吉備津日子命。
次に
若日子建吉備津日子
わかひこたけきびつひこの命
ワカヒコタケキビツ彦の命と
〈二柱〉 二柱。 お二方です。
     
此天皇之御子等。
并八柱。
この天皇の御子たち、
并はせて八柱ませり。
この天皇の御子みこは
合わせて八人にんおいでになりました。
〈男王五。女王三〉 (男王五柱、女王三柱) 男王五人、女王三人です。
     

大倭根子日子國玖琉命(孝元天皇)

     

大倭根子日子
國玖琉命者。
かれ
大倭根子日子國玖琉
おほやまとねこひこくにくるの命は、
 そこで
オホヤマトネコ彦
クニクルの命は
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

大吉備津日子命と若建吉備津日子命(吉備国平定)

     
大吉備津日子命。 大吉備津日子
おほきびつひこの命と
オホキビツ彦の命と

若建吉備津日子命。
若建吉備津日子
わかたけきびつひこの命とは、
ワカタケキビツ彦の命とは、
二柱相副而。 二柱相副たぐはして、 お二方で
於針間
氷河之前。
針間はりまの
氷ひの河かはの前さきに
播磨はりまの
氷ひの河かわの埼さきに
居忌瓮而。 忌瓮いはひべを居すゑて、 忌瓮いわいべを据すえて
神かみを祭まつり、
針間爲道口 針間を道の口として、 播磨からはいつて
以言向和
吉備國也。
吉備の國を
言向ことむけ和やはしたまひき。
吉備きびの國を平定されました。
     

傍系の系譜

     
故此
大吉備津日子命者。
〈吉備上道臣之祖也〉
かれこの
大吉備津日子の命は、
吉備の上つ道の臣が祖なり。
この
オホキビツ彦の命は、
吉備の上の道の臣の祖先です。
     
次若日子建
吉備津日子命者。
〈吉備
下道臣。笠臣祖〉
次に若日子建
吉備津日子の命は、
吉備の
下つ道の臣、笠の臣が祖なり。
次にワカヒコタケ
キビツ彦の命は、
吉備の
下の道の臣・笠の臣の祖先です。
     
次日子寤間命者。
〈針間
牛鹿臣之祖也〉
次に日子寤間
ひこさめまの命は、
針間はりまの
牛鹿の臣が祖なり。
次にヒコサメマの命は、
播磨の
牛鹿うしかの臣の祖先です。

日子刺肩別命者。
次に日子刺肩別
ひこさしかたわけの命は、
次にヒコサシカタワケの命は、
〈高志之利波臣。 高志こしの利波となみの臣、 高志こしの利波となみの臣・
豐國之國前臣。 豐國の國前の臣、 豐國の國前さきの臣・
五百原君。 五百原の君、 五百原の君・
角鹿海直之祖也〉 角鹿つぬがの濟の直が祖なり。 角鹿の濟わたりの直の祖先です。
     

陵(片岡馬坂上・片岡のうまさか上)

     
天皇。
御年壹佰陸歳。
 天皇、
御年一百六歳ももちまりむつ、
天皇は
御年百六歳、
御陵在片岡馬坂上也。 御陵は片岡の馬坂うまさかの上にあり。 御陵は片岡の馬坂うまさかの上にあります。
     
孝安天皇

古事記
中巻②八帝
(欠史八代:2-9代)
7代 孝霊天皇

孝元天皇